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2007年4月の7件の記事

2007年4月28日 (土)

【時習26回3-7の会 0085】~「青春のうた Part2 【時習26回】3-7の会 07/08/11」「峯田君からのmail」ほか

■今泉悟です。 【26-37会(or 2637会)】(  これから【時習26回3-7の会 0085】を簡略化してこう称します  )盛り上げのため、材料を探していましたが、今週は、classmatesからのmail(お便り)等もなく、材料不足で【0085】号を出状出来ませんでした。
▼「細く長く・・(ブツブツ・・)」 ・・→・・ 「材料がなければ、つくればいいじゃん!」 ・・→・・ ということで、来る8月11日【26-37会】同窓会出品予定の、掲題「青春のうた Part2」をつくりました。 
    *   *   *
■今日、峯田君から嬉しいmailが届きましたので、早速ご紹介させて頂きます。
▼実は小生、ここ7~8年前より花粉症に悩まされていて、先日、明後日4月30日に予定している『賢人会(~旧【3-2】中嶋君と旧【3-3】谷山君との城址・古寺巡りの会~)』の打合せの際、中嶋君から「『花粉症』等で本当に悩んでいる。確か、君のクラスの峯田君は耳鼻咽喉科の権威だよね。是非、彼にお願いして処方を訊いてくれないかな。」と、強い依頼もありましたので、超多忙の峯田教授にご無理をお願いした次第・・。 やはり「持つべきものは『友』」ですね! 早速今日峯田教授からmailがありました。峯田君、ありがとう
▼「花粉症」は、罹患した人でないとわからない辛さがあります・・。目が痒いし、くしゃみが一度出ると2~3回では止まらない・・。鼻水も止まらないし・・。辛いです、ホント!!
▼【26-37の会】の皆さんの中にもお悩みの方も少なくないと思いますので、峯田教授からの貴重な「花粉症の処方をご紹介させて頂きます。(なお、このmailでは都合で「花粉症」についてのみcommentを掲載させて頂きました。)
197837_1▼それから、昨年夏の【26-37の会】に参加された方には写真をお渡ししてありますが、200608122637_2 参加されていないclassmatesの皆さんはご覧になっていないと思いますので、その時撮影した峯田君の横顔と、1978年当時の峯田君Part2(・・峯田君の1978年versionは二つあるのです・・)を、ご本人のご了解を得ていませんが(~峯田君!!万年幹事の特権としてご容赦賜りたく・・~)、添付させて頂きました。ご覧下さい。 1978年版&2006年版の峯田君です。 ワイシャツ姿ですが、流石は峯田教授! 風格が滲み出ていますね・・。
▼では、峯田先生、お願いします・・。
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▼From: mineta [mailto:xxxx xxx] Sent: Saturday, April 28, 2007 11:21 AM  To: 今泉悟
Subject: RE: 【3-7の会】の今泉悟からのお願いがあります・・
中嶋様 今泉様  ◆お久しぶりです.時折悟君と旅行している写真を見て懐かしんでおりました. お問い合わせの花粉症と○○○炎についてお話します.
▼▽花粉症  スギ或いはヒノキの時期ですが,一度罹患しますと自然治癒は3%です。 (すなわち多くは毎年花粉の量によって症状は左右しますが,発症します)
治療法ですが, 
①2月になったら発症していなくても初期治療として抗ヒスタミン剤を飲む
②第二世代の抗ヒスタミン剤とステロイド点鼻が基本です.
③どうしても発作が強い時は,セレスタミン(ヒスタミン+少量のステロイド含有)を内服します.少し眠くなりますが,良く効きます.
④鼻つまりがひどく内服で改善しなければ,手術治療が有ります. 手術といっても,外来で対応出来ます.
・下鼻甲介切除(昔はよくやった手術です,これは入院が必要です)
・下鼻甲介のレーザー手術(外来で可能です,多くの開業医でやっております)
・下鼻甲介の80%トリクロール酢酸塗布(処置が痛い,3週間くらい鼻内清掃が必要)
・下鼻甲介の高周波治療(我々に施設では主にこれをしております,20分くらいですみます)
⑤減感作療法 → 根治できる方法ですが,数年間治療期間がかかることと,ショックの危険があり,最近では  行う人が少ないです.
・あと2-3年しますと,舌下投与型の減感作療法(パンに花粉を混ぜて投与,ほとんどショックは おこらず安全です,)が使用可能になりますので自宅で安全に簡単に減感作療法ができるように なると思います.そうしますと大部楽になると思います.
    (   中   略   )
ご期待に答えられたでしょうか.何かあれば問い合わせて下さい. 峯田
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■話変わって、4月30日に、小生、上記「賢人会」のmember三人で「三井寺(園城寺(おんじょうじ))」「義仲寺」「膳所(ぜぜ)城址」「幻住庵」等に行ってきます。 三井寺(園城寺)は天台宗門宗総本山で、以前から候補先に上がっていた古刹です。ここは近江八景のうち「石山の秋月」「堅田の落雁」「瀬田の夕照」等とともに「三井の晩鐘」として有名です。「暮れ六つを聴いて行こうか・・」と言う御仁もいましたが、どうなることやら・・。
▼近江八景はこのほか「比良の暮雪」「矢橋(やばせ)の帰帆」「粟津の晴嵐」「唐崎の夜雨」で、中国の瀟湘八景にならったもの。
▼ここ大津は、義仲寺・幻住庵等、芭蕉ゆかりの地としても有名です。 以下、嵐山光三郎著「芭蕉紀行」(新潮文庫)から抜粋をご紹介します。
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▼大阪で芭蕉が逝去する(筆者注:元禄七年10月12日(享年数え51歳))と、遺骸は川船で淀川を伏見まで上り、翌13日義仲寺(ぎちゅうじ)につき、14日夜、埋葬された。 私(=嵐山光三郎)は、芭蕉がなぜ故郷の伊賀上野ではなく大津を永眠の地に選んだのかをずっと考えてきた。(中略)芭蕉の心には木曽義仲への愛着がある。(中略)芭蕉の句に
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 行く春を 近江の人と おしみける   芭蕉
(筆者注:【意】琵琶湖に船を浮かべ、近江国の風雅を解する人々と、過ぎ行く春の名残を惜しみ合った。)
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があり、これは元禄三年、近江の洒堂邸に招かれて得た吟である。 この句は「近江の人と」という一節に深い思い入れがある。 芭蕉は近江連衆に、自分の最後の心を託していた。
(以下略)
▼芭蕉は、木曽義仲の境涯を偲び、次の句を残している。
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 義仲の 寝覚めの山か 月悲し   芭蕉
【意】義仲が平維盛(これもり)に敗れた燧(ひうち)が城跡(福井県)の月は悲しげだ。彼は夜半にどのような思いで月を眺めたのであろうか・・。
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▼芭蕉の「辞世の句」・・これはあまりにも有名であるが、いいものはいつ詠んでもいいですね・・。
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 旅に病(やん)で 夢は枯野を かけ廻る  芭蕉
【意】旅中、病に仆(たお)れ、うとうと眠る夜々の夢は、あちらの枯野こちらの枯野と、寒々とした枯野を駆け廻る夢である。
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▼また、大津は、膳所藩6万石の城下町としても有名です。膳所藩は、三河と縁があるのをご存知でしょうか。
▼現在でいう宝飯郡小坂井町伊奈の領主であった伊奈本多家は、徳川四天王の一人本多忠勝の曽祖父の父本多助時の兄弟本多正時の系統。 正時は天文年間(1532-1555年)には今川氏に臣従して本領を安堵され、今川義元死後は正俊の曾孫本多忠俊が家康家臣になっている。
▼忠俊の孫に康俊(=酒井忠次の子)が入り、元和三年(1627年)近江膳所(3万石)その子俊次は寛永十三年(1636年)亀山(5万石)に移り、慶安四年(1651年)再び膳所(7万石のち6万石)に入る。爾後、明治維新まで続く。維新後は華族に列せられ子爵。
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【後記】200pxmstislav_rostropovich_19781 ■ところで、今朝の新聞で、世界的な名チェリスト・・ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ氏が昨日4月27日亡くなったと報じている。 享年80歳(1927年生)。 彼はバロック・古典派から現代音楽まで幅広いジャンル(genre)で超一流の演奏を聴かせてくれた。 ホント、彼が演奏する作品はどれも完璧で素晴らしいが、小生は、やはりドボルザークのチェロ協奏曲が一押しです。心からご冥福を祈ります。(合掌)
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■4月27日というと、1989年4月27日があの松下幸之助氏の命日である。
▼小生は、座右の書として「松下幸之助著『指導者の条件』」をいつも手の届くところに置いている。 ただ、今まで「いい本だ」ということは解かっていてもじっくり読んだことはなかった。 が、今日改めて「指導者の条件」に記載されている百二の事例の中の幾つかを読んでみた。 いずれも「成程、そのとおりだ・・」と、改めて襟を正すべしと気の引き締まる思いがした。
▼今日の締め括りとして、『指導者の条件』から「まえがき」の冒頭をご紹介します。ご高覧下さい。
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▼以前にテレビの歴史ドラマで、「天と地と」というのが放送されていたことがありました。 ご承知のように上杉謙信の生涯を描いたものですが、その中で非常に強く印象を受けたことがあります。 それは、謙信の父、越後の守護代である長尾為景が自分の領地をビシッと治めていたのですが、その為景が死んで息子の晴景の代になると、とたんに国が乱れ、争いの巷と化してしまったのです。 指導者一人が交代しただけで情勢が一転してしまう、そういうシーンを見て、私は指導者というものはきわめて大事だとつくづく感じたのでした。
▼実際、われわれの体験なり、見聞に照らしてみてもそういうことがいえると思うのです。 一つの国でも、すぐれた指導者がいれば栄え、指導者に人を得なければ混乱し、衰えていきますし、会社でも、社長次第でよくも悪くもなります。 会社の中の一つの部や課にしても、その部長なり課長のよしあしで、業績が全く変わってくるわけです。
▼結局一つの団体、組織の運営がうまくいくかいかないかは、ある意味はその指導者一人にかかっているともいえましょう。 その責任はすべて指導者一人にあるといってもいいと思うのです。   
だから、組織の大小を問わず、指導者の立場にある人、そうした自分の責任の重大さをよく認識自分のあり方について、たえず反省検討しなくてはならないと思います。
▼私自身もつねづねそういうことを考えています。 そして、自分を反省し、また高めていく意味において、古今のすぐれた指導者のあり方というものに学びたいと思い、PHPの研究員の人たちに、そうした人々の言行について調べてもらって、折々にそれを聞きつつ、自分の参考としてきたのです (以下略)
    昭和五十年十一月        松下幸之助  
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001_3
002070427_11_3■最後の最後に、我が家の庭に咲いているシャクナゲ(石楠花)をご覧下さい。なお、ブログにはドウダンツツジ(燈台躑躅)も掲載しました。
(注)写真の上をclickすると拡大します。上記の「青春のうたPart2」CD・峯田君の写真のいずれも写真の上をclickすると拡大します。
 

URL: http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog   ← ご興味ある方はこちらをクリックして下さい。ブログに繋がります。

▼いくつになっても、美しいものを美しいと感じる「感性」をいつまでも大切にして行きたいと思います・・。(笑) (了)

2007年4月21日 (土)

【時習26回3-7の会0084】~「穀雨」「杜甫『絶句』」「J司君からのmail」「夫に言われて傷つい(うれしかっ)た一言」「海軍左派三羽烏『米内光政・山本五十六・井上成美』その2」

■今泉悟です。昨日に引き続いて【0084】号をお贈りします。
■昨日4月20日は、二十四節気でいう穀雨。 陰暦三月の中(【筆者注】「中」=旧暦の月の後半に来る節気)。 この頃に降る雨は百穀を潤す、とされる。 春の季節の最後の節気である。
■ということで、今日は、晩春を詠った盛唐の詩人杜甫の作品から、「『絶句』其二」と小生の大好きな詩人杜牧の「題禅院(禅院に題す)」をお贈りします。まずは、杜甫の作品から・・。
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 絶 句 二首
  其二     其の二  杜甫
江碧鳥逾白  江碧(こうみどり)にして
                     鳥逾(いよ)いよ白く
山青花欲然  山青くして花然(も)えんと欲す
今春看又過  今春看すみす又た過ぐ
何日是帰年  何れの日にか是れ帰年ならん
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【意】錦江は深みどりの水をたたえ、水鳥の白さが一層目に沁みる。 山野木々は緑色に映え、花は燃えるように赤い。 今年の春も、あっという間に過ぎ去ろうとしている。 あぁ、故郷に帰れるのはいつの日だろうか・・。
【解説】764年、杜甫53歳の時の作。蜀の成都に庵を営み5年目の春が過ぎようとしている。 前半で碧・白・青・赤(然)の極彩色のあざやかな春景色を見事に捉えている。 この異郷の自然が美しければ美しい程、望郷の念は募る・・。
001003_1001_1002 【筆者comment】春のこの色彩感覚に近い情況を、二年前の4月23~24日、旧【3-2】中嶋君、旧 001_2 002_1【3-3】谷山君との「賢人会」の旅で経験しました。 それは、山中温泉街の木々と川(緑と碧)、那谷寺の燃えるような紅の花々(赤)、何処までも青く澄みきった白山連峰(白と青)・・です。 これらの色彩を添付写真でご覧下さい。
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  題禅院     禅院に題す  杜牧
觥船一棹百分空  觥船(こうせん)一棹(いっとう)
                            百分空し
十歳青春不負公  十歳の青春 公に負(そむ)かず
今日鬢糸禅塌畔  今日鬢(びん)糸
                            禅塌(とう)の畔(ほとり)
茶煙軽颺落花風  茶煙軽く颺(あが)る落花の風
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【意】大さかずき(觥船)に酒を飲み干し、したい放題のわが青春の十年、誰にも負けない日々であった。 今や、髪も白くなり、寺の腰掛(塌(とう))に坐っていると、寺で茶を煮る煙が、花びらを舞わせて吹く春風にゆらゆらと立ち上る。
【解説】前半、大杯で酒を飲み干す・・豪快な青春を詠いあげ、今は中年となった姿を描く。そこに青春のほろ苦さという味を茶の煙で見事に捉えている佳作である。
【筆者comment】■春を詠った唐詩。漢詩の王道をゆく盛唐の詩人杜甫、晩唐の繊細な風流詩人杜牧・・。 両者の作品の妙を堪能頂けたでしょうか・・。
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■今日、J司君からのmailが届きましたので、ご紹介致します。 そう、J司君、小生は銀行員を辞めても【時習26回3-7の会】の幹事と会報は止めません。ご安心下さい。
会報を作る時、結構、頭が刺激されてボケ防止に役立っていると思われます。 これからも引き続き気軽にご意見下さい。 それではご紹介致します。
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From: 鈴木 [mailtoxxxx@xxx]  Sent: Saturday, April 21, 2007 9:53 AM  To: 今泉悟 
Subject: Re: 【時習26回3-7の会 0083】~「歴史探訪『高遠城の歴史と保科正之』」「海軍左派三羽烏『米内光政・山本五十六・井上成美』その1」
悟君へ  悟君ご自身の環境がどのように変わったか知る由もありませんが、きっとドラマチックで甘くしかもほろ苦い思いをされているのでは。勝手な想像ですいません。    高遠城には私も一度訪れたいと思っていますが、まだ実現していません。 城址公園の桜は絶景だそうですね。あわれに鈍感な私でもうらやましく思います。
私も新しい環境や生活習慣になれ、平常心に戻るまで2年ぐらいかかりました。 環境が変わっても永年幹事は務めてくださると解釈してよろしいのですね。
居住地は一緒ですか。家族を持つ同じ身の上としてちょっと気がかりです。 お節介ですが。悟君の会報がないと2637の会の存続が立証されません。
今後とも、お手数ですが宜しくお願いします。  2007年4月21日        休日なのにデスクに向かいつつ                               鈴木J司
    *   *   *
Photo_9■ところで、今日の日経新聞「NIKKEIプラス1」に「夫に言われて傷つい(うれしかっ)た一言」が載っていました。
▼純な・・、いや、「鈍な」小生、早速、「・・傷ついた一言」の記事を見て、細君に「ここに載っていることは言っていないよなぁ・・?」とチョット自信を持って尋ねたら、豈図らんや、細君曰く「なに・・あるじゃないの。ほれっここに~っ、2番目に!!「体調悪いのに『ごはんないの?』って。覚えていないのー~っ?(`o')」」・・と。 小生・・「そんなことあったかなぁ・・??」
▼でも「・・うれしかった一言」を見て気を取り直した小生、細君に「「うれしい一言」なら、ほら、1番から10番まで全部言っているじゃぁないかなぁ!!」と同意を求めたところ・・、細君曰く・・「(筆者注:小生の言葉は)心がこもっていないから、ダメよ・・。」と軽く一蹴されてしまいました・・。「ウー~ン、この認識ギャップ・・。ちょっと深刻かしらん・・??」×?×!×・・
Yonai_mitsumasa1180pxyamamotoisoroku1180pxinoue1 ■今日、最後にお届けする話題は、前号でお約束した、海軍左派三羽烏のご紹介です。
▼添付写真は左から米内光政・山本五十六・井上成美(しげよし)(敬称略)です。
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▼小生、この3人の生き様を読書により知ったのは、かなり昔(【筆者注】井上大将が亡くなられた年(昭和50年)から左程時間は経過していなかったと思うので昭和50年代半ば頃のように記憶している)宮野澄著「最後の海軍大将 井上成美」(文藝春秋社)を購読した時である。井上大将の生き様に共感し、彼のラインである、米内光政と山本五十六に関心を持ち、阿川弘之著「米内光政」「山本五十六(上)(下)」(いずれも新潮文庫)と続けて読み、感銘を受けたことを覚えている。
▼井上大将は、海軍の歴代大将を一等・二等・三等に分け、一等大将に海軍のリストラを断行した山本権兵衛、ワシントン軍縮会議での日本側全権として軍縮を実施した加藤友(とも)三郎、そして太平洋戦争末期講和締結に向け尽力した米内光政、の3名をあげている。
▼井上は、大戦中の1942年10月~海軍次官就任の1944年8月まで海軍兵学校長を務めた。 陸軍士官学校が英語教育及び入試科目から英語を外した際にも、彼は「いやしくも世界を相手にする海軍士官が事実上の世界語である英語を知らぬで良いということはあり得ない。外国語の一つも習得しようとしない意気のない者は海軍に必要ない」と、兵学校の英語教育は従来通り行った。 兵学校内では従来通り外来語の使用も容認。 後年、井上は敗戦後の生徒を思ってのことだったと述懐しており、生徒たちから相当感謝されている。
▼1944年8月、米内が小磯国昭内閣の海軍大臣に副総理格として就任した際に、井上を海軍次官とし、終戦工作に着手させた。
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【後記】■米内―山本―井上のラインで、日独伊三国軍事同盟に反対。戦争回避に向け尽力するも、力及ばず太平洋戦争に突入。
▼真珠湾攻撃の際の連合艦隊司令長官は山本五十六。彼は1919年、駐米武官となり、ハーバード大学に留学。1925年に再度駐米武官。1929年、ロンドン軍縮会議参加。1934年、ロンドン海軍軍縮会議予備交渉の海軍側首席代表を務める。その開明派の彼が、歴史の波に翻弄され、戦争遂行の最高責任者の一人として役割を果たして行く・・。歴史のうねりは限りなく大きく、3偉人が揃っても戦争を回避できなかった・・。(了)

2007年4月20日 (金)

【時習26回3-7の会 0083】~「歴史探訪『高遠城の歴史と保科正之』」「海軍左派三羽烏『米内光政・山本五十六・井上成美』その1」

■今泉悟です。【3-7の会0083】号をお贈り致します。
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■さて、 前号でお伝えした高遠城址は、今、大河ドラマ「風林火山」でも放映された高遠頼継から歴史に登場します。 高遠城址公園に行ったら、『保科正之を大河ドラマに・・!』の署名運動をやっていましたので、「賛成」の署名をして来ました。 「大河ドラマ『保科正之』」が放映されるのもそう遠い将来ではないかも知れません。
▼ここで、「高遠城の歴史」~「保科家と保科正之」についてご紹介します。高遠城址公園の桜を見た後、建福寺を訪問し、武田四郎勝頼の母保科正之の養父正光・正光の父正直の墓をお参りして来ました。
▼1542年(天文11年) 武田晴信(信玄)が高遠頼継と通じて諏訪頼重を討つ。
▼1545年(天分14年) 武田晴信が高遠を攻め、高遠頼継を追う。
▼1547年(天文16年) 武田晴信が山本勘助等に命じ高遠城を大改修。
▼1556年(弘治02年) 秋山信友が高遠城主になる。
▼1562年(永禄05年) 秋山信友が飯田城に移り、武田勝頼高遠城主となる。
▼1570年(元亀元年) 武田勝頼が甲府に帰り、信玄の弟武田信廉高遠城主となる。
▼1573年(天正元年) 武田信玄死去。
▼1580年(天正08年) 武田信廉は大島城に移り、信玄の五男仁科五郎信盛(盛信ともいう)が高遠城主となる。
▼1582年(天正10年) 織田信忠33千名の軍勢が高遠城を攻め、仁科信盛以下3千名悉く壮烈な戦死。 同年9月、保科正直が高遠城主となり、徳川家康から伊那郡半分を与えられる。
▼1590年(天正18年) 保科正直が下総多胡に移り、飯田城主毛利秀頼が高遠を領有。
▼1593年(文禄02年) 毛利秀頼が没し京極高知が飯田城主に。高知が高遠を領有。
▼1600年(慶長05年) 関が原の戦。保科正光(保科正直の子)は徳川家康に属し浜松城の守備を命ぜられる。 同年11月、多胡から旧領高遠城主となり二万五千石を与えられる。
070416_7▼1601年(計帳06年) 保科正直が没し高遠建福寺に葬られる。「【筆者Photo_7 Photo_8 注】添付写真をご覧下さい。三つある墓の中央が保科正直、写真向かって左側が保科正光、右側が武田勝頼の母。
▼1616年(元和03年) 将軍秀忠の命により、徳川家光の弟正之保科正光の養子とする。
▼1631年(寛永08年) 保科正光が没し、高遠建福寺に葬られる(添付写真ご参照)。 正之が保科家を継ぐ。
▼1636年(寛永13年) 保科正之が最上20万石に移封される。 高遠には最上城主鳥居忠春が三万石の城主として入封。
▼1691年(元禄04年) 因みに高遠藩は鳥居氏の後、元禄4年に内藤清枚が摂津富田より三万三千石で入封し、以後、明治維新に至る。
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A_1保科正之の生い立ち■徳川秀忠が父。母は秀忠の乳母の侍女で北条市浪人・神尾栄嘉(かんお さかよし)の娘・お静(お志津、のち・浄光院)。 秀忠は恐妻家で知られ、正室お江与(茶々(のち・淀君)、初らの妹)の癇癪を恐れ、武田信玄の次女(穴山信君正室)の見性院に預け養育させた。 
▼正之7歳の時、武田氏ゆかりの高遠藩主・保科正光が預かり、正光の子という名目で養育された。 寛永6年(1629年)18歳にして初めて父・秀忠と面会が叶った。 
▼寛永8年高遠藩三万石の藩主に(養父正光は実弟の正貞を養子にしていたが、正之を嫡子としていた)。 
▼秀忠死後、3代将軍家光は、異母弟正之を可愛がり、寛永13年(1636年)最上藩20万石に移封。
1643年(寛永20年) 陸奥国会津藩23万石の大名に(松平姓を名乗るのは3代正容(まさかた)から)。会津松平氏の藩祖。
▼「会津藩 家訓(かきん)十五ヶ条」(寛文8年(1668年)):主君への戒めと家臣への教訓を示す教え。その第14条【現代訳】 社倉は、人民のために置き、将来、永遠の利益となるものである。 凶作の時、倉庫の米を出して民を救うためであるから、その米は他の用に使ってはならない
【筆者注】▼【社倉】飢饉に備えて社に設けた穀物倉庫。また、その制度。隋の義倉に起こり、南宋の朱熹の「朱子社倉法」が名高い。明・清・李氏朝鮮でも行われ、日本にも導入された。【広辞苑】
▼保科正之は、朱子学をこよなく尊重。 この朱熹の社倉法を実施。 これは日本で最初と言われる。 1658年(万治元年)に社倉の制が詳しく定められた。
■因みに、渥美半島の田原藩でも、社倉の制を実施した。家老渡辺崋山報民倉を設置1835年(天保6年)。天保の大飢饉に備え万全にして、一人の餓死者も出さなかった。 これにより田原藩は幕府から唯一表彰された。【・・これも一つのこぼれ話・・】
    *   *   *
【後記】■旧大日本帝国海軍の良識(リベラル)派で、当時から『海軍左派三羽烏』と言われた、米内光政海軍大臣・山本五十六海軍次官・井上成美(しげよし)軍務局長(1937~39年当時)・・。 この3名は阿川弘之の小説等で読んで大好きになった人達である。
▼今日、4月20日は、米内光政(以下敬称略)命日である。 因みに、一昨日4月18日山本五十六命日である。紙面の都合で、この三人については次回【0084】号にてご紹介させて頂きます。
    ***
▼山本五十六の有名な歌で締め括りたいと思います。 小生、支店経営でいつも五十六のこの歌(・・「」を「部下」に直して・・)をmottoにしてやって来たつもりでしたが・・。(笑)
    ***
 やってみせ 言ってきかせて させてみて ほめてやらねば 人は動かじ  ・・・ 山本五十六  (了)

2007年4月17日 (火)

【時習26回3-7の会 0082】~「J司君からの励ましのmail」&「牧原(金子)さんからの返信はがき」&「満開の『高遠城址公園』の桜(高遠のコヒガンザクラ)」

■今泉悟です。【0082】号をお贈りします。 毎度そそっかし い小生のこと、mailでは【時習26回-7の会00】号で送信してしまいました。 お詫びして訂正致します。
■J司君から、小生への励ましmailが届きましたのでご紹介致します。J司君、ありがとう。
From: 鈴木 [mailto:sxxxx@xxxp]  Sent: Tuesday, April 17, 2007 10:06 AM To: 今泉悟
Subject: Re: 【時習26回3-7の会 0081】~「斉藤茂太『50代から人生を愉しむ生き方』」

悟くんへ 人生、いろいろですね。 人生100歳現役、その通りだと思います。 出向先でも多忙な日々が待っているのでは。 人生の先陣争いからは身を引いたわが身からは悟君の感慨を想像することすらできません。 2637の会の永年幹事を引き受けた悟君の気持ちを友として大切にしたいと思います。 頑張ってください。
2007年4月17日     書斎でゆっくりお茶を飲んでいるJ司より
   *   *   *
■それから、8月11日の【3-7の会】同窓会の出欠状況ですが、今日、【3-7の会】にe-mail登録されていない14名のうちのお一人牧原(金子)M○子さんから返信はがきが到着しましたのでご紹介します。 添付写真をご覧下さい。
【筆者注】▼写真をclickすると拡大します。また、個人情報保護の観点から筆者の判断で当該情報を伏せてあります。
A【筆者comment】▼同窓会は残念ながら今回は欠席されるそうです。 ただ、【近況】を知らせてくれました。 曰く、「長女に男の子が生まれておばあちゃんになりました。」とのことです。
▼牧原さんへ、今年は残念ですが、【3-7の会】同窓会は、来年もあります。 来年は是非参加して下さい。 お待ちしています。
▼いよいよ我々も Grandfather & Grandmother になる世代になったのですなぁ・・。 家族構成員としても「尊敬されるべき」立場になった(???)訳ですなぁ・・。
▼歳月は着実に過ぎ去って行くのですねぇ・・。 過ぎ去った時間は戻らない・・。 また、「無常」の理を実感させられる・・。 再び劉希夷代悲白頭翁を想起する。
   *   *   *
洛陽城東桃李花 洛陽城東 桃李の花
飛来飛去落誰家 飛び来たり飛び去って
           誰が家にか落つる
洛陽女児惜顔色 洛陽の女児 顔色を惜しみ
行逢落花長嘆息 行くゆく落花に逢いて
           長嘆息す
今年花落顔色改 今年花落ちて顔色改まる
明年花開復誰在 明年花開いて復た誰か在る
已見松柏摧為薪 已に見る 
           松柏の摧かれて薪となるを
更聞桑田変成海 更に聞く
           桑田の変じて海と成るを
   ***    (以下略)
【意】▼洛陽の城(まち)の東に咲く桃の花、李(すもも)の花。 風に誘われて、あちこちに飛び交い、はては、何処に散ってゆくのだろうか。 
▼洛陽の娘たちは、その美しい容貌をこよなくいとおしむ。 道すがら、移ろう春に散る花を見ては、長くため息をもらすのだ。
▼今年花が散って春が去れば、人々の容貌もそれとともに衰えてゆく。 明年再び花開く時、誰が変わりなくそれを眺めるのだろうか。
▼我々はすでに見て来ている。 常緑を誇る松や柏さえ、いつかは切られて薪となってしまうことを。 またこうも聞いている。 見事に広がる桑畑が、やがては海にさえ変わってしまうことを。(以下略)
   *   *   *
001070416_2002070416_2003070416_1■小生、昨日、銀行現役retire後、初のactionとして弘前城(青森県)・吉野山(奈良県)と並ぶ『日本三大桜』の名所として有名な『高遠城址公園』の桜をdriveして見て来ました。
004070416_2005070416006070416▼まさに満開の桜・・。「素晴らしい!」の一語です。 添付写真をご覧下さい。 360度見渡す総てが、桜・・、桜・・、桜・・『目眩(くる007070416 070416_3 め)く・・』とはこのようなことを言うのかぁ・・と、またしても長嘆息した次第。 詳細はblogに添付しましたのでご高覧下されば幸甚です。070416_4  
070416_5    *   *   *
【後記】■8月11日開催予定の【3-7の会】同窓会の出欠予定の件ですが、まだ、態度を留保されている皆さん、そろそろ中間報告頂けると大変嬉しいです。
▼現状、判明しているのは、以下の方々です(以下敬称略)。
出席表明を頂戴している方】市川、伊藤、井上、今泉、金子(哲)、菰田、白井、鈴木(淳)、彦坂、峯田の10名の方々とT三先生
欠席表明を頂戴している方】夏目、牧原(金子)
▼出席しても良い方と、諸行事等により欠席が避けられない方は、このe-mailの返信で結構ですから、お返事を頂戴できました幸甚です。 宜しくお願いします。 また、まだ出欠が見通しつかない方も、近況報告を兼ねてmail頂戴できれば大変嬉しいのですが・・。 mail(お便り)をお待ちしております。 (了)
 

2007年4月14日 (土)

【時習26回3-7の会 0081】~「斎藤茂太『50代から人生を愉しむ生き方』」

■今泉悟です。【時習26回3-7の会 0081】号をお贈りします。
■小生、昨日で現役銀行員の生活に終止符を打ちました。夕方の業務終了間際、支店の代表からお別れの花束や記念品を貰い、「ついにこれで銀行員生活も卒業だなぁ。」と・・。 
▼でも、小生は、忙しい・・。 感慨に浸る間もなく、終了定時17時10分に支店のみんなと別れ、電車を乗り継ぎ、名古屋栄の某居酒屋へ。 
▼今度は、銀行の昭和53年入行の同期会に参加。 みんな忙しい中、名古屋地区在住の同期全○○名強の約半分の○○名が集いました。 今回の参加人数は、丁度4月6日付にて小生同様に出向関連で異動した者が名古屋地区で○名程が含まれており、情報収集を兼ねた壮行会ということで今までになく多かったです。
▼出向する者の行き先は銀行の取引先と関連会社。 このため取引先は本当に様々。 民間法人では、小生のように特殊法人もあれば、不動産会社、自動車ディーラー、専門商社、私立大学等々。 関連会社では、証券、リース、カード、その他と多岐に亘ります。 まだ、出向先が決まっていない現役の同期からは、「今度は○○が何処其処だ云々・・。」と、結構喧しい発言が飛び交いました。
【筆者comment】▼小生、「人生100歳現役!!」を掲げて、あと50年頑張るつもりですから、今回の転籍出向も、小生の人生で言えば、転勤のようなものと捉えています。 即ち、ほとんど感慨に浸ることはなく、むしろ「これから、どのように明るく充実した毎日を過ごして行こうか」ということに関心は移っています。 
    *   *   *
■さて、今日は、昨年11月に90歳にて人生を全うした斎藤茂太氏著「50代から人生を愉しむ生き方」(ワニ文庫)をお贈りします。
▼まずは、「まえがき」から・・・
▼香水王シャネルはいい言葉を述べている。「二十歳の顔は自然の贈り物、五十歳の顔はあなたの功績」 さよう、五十代はいわば、人生の「集大成」と申してよい。(中略)
▼『養生訓』の貝原益軒も「いい言葉」を遺している。 すなわち「人間、六十歳までは種まき、六十歳を過ぎてからは収穫期だ」と。(中略) 益軒は三十九歳で、十七歳の若い夫人と結婚したが、五十代で、本人は琵琶、夫人は琴を弾いて、夫婦で合奏したそうだ。 いい話だ。(中略)
▼晩年、明るい生活を送っている人たちの現役時代の生活を調べたら、こんな結果が出た。 すなわち、何ごとにも前向きの姿勢を持っている。 友人が多い、本業以外の趣味を持っている、何ごとも人のせいにせず、自分で責任を持つ、などと出た。(中略)
▼日本(中略)は(中略)世界一の長寿国を維持している。 年をとってもいつまでも元気でいることが理想だが、その基礎は五十代につくられる。 まさに長寿の「助走期間」といえるのだ。
【筆者注:以下indexの抜粋をご案内します。indexを読むだけで参考になりますよ・・。
[prologue]五十代はこれからの人生を輝かせるための助走期間・・▼五十代はもう一回新たな人生をつくりだすチャンスである。 ▼五十代は豊かな老後を生きるための「助走期間」である。 ▼伊能忠敬は五十五歳から日本全国を歩きはじめた。人生の後半に夢を実現する生き方もある。 ▼自分らしい人生を演出できるかどうかは、五十代の行き方次第である。
[第1章]心に隙間ができてしまうときの処方箋・・▼遊び上手は生き方上手である。いまこそ「よく学び、よく遊べ」の精神が大事。 ▼人間関係を焦ってはいけない。経験を生かしてこそ、信頼を築ける。 ▼老後のために、いまから上手なお金の使い方をはじめよう。 ▼人生はゆっくる歩くことも必要。それを知るにもいい時期である。 ▼過去の不運にこだわるのはやめよう。まだまだ人生は長い、取り返しはきくのだから。 ▼先のばしをするのはやめよう。興味を持ったら、とりあえずやってみる。 ▼生きがいを見失うこともあるだろう。だが、自分を開けば、きっと先が見えてくる。 ▼異性とのさりげない情緒を楽しめる人はいつまでも若くいられる。 ▼いまの自分をまるごと受け入れ、新たな一歩を踏み出す時期ではないだろうか。 ▼人生とはいまから未来へと開けていくものだ。肯定的に人生観をもとう。
[第2章]人間関係をリフレッシュしてみよう・・▼いままでの人間関係をとらえ直してみるいい機会かもしれない。 ▼趣味などを通して新しい人間関係をつくってみるのも面白い。 ▼そろそろ夫婦がゆっくる語り合い、お互いの気持ちを確かめ合っておきたい時期である。 ▼熟年離婚を「他山の石」として、夫婦の絆を強めるチャンスにしたい。 ▼五十代の夫婦関係こそ、味わい豊かな関係をつくれる。 ▼年老いた親の問題は夫婦喧嘩の元になるが、夫婦の絆を強めるものでもある。 ▼親を看取るという体験は、これからの人生に生かすことができる。 ▼たまには夫婦で映画を観たり、旅行を楽しんでみるのもいいものだ。 ▼五十代は人間関係を広げていくチャンスととらえよう。 
[第3章]若々しい心身を保つ生き方・・▼生きる意欲を働かせれば、脳の働きは老いてなお活発にできる。 ▼まだ長い人生とつき合っていくには自分の体とも仲良くしていくことである。 ▼散歩は健康にいいばかりでなく、脳の活性化に効果があることがわかっている。 ▼頭を働かせると、心も活性化する。そして、生きる意欲が湧いてくる。 ▼趣味のあることに熱中しているとき、人間は脳を絶え間なく使っている。 ▼心と体を活性化させれば、未来は自ずと開けてくる。
[第4章]明日にむかって今日を充実させる・・▼過去を悔いるのはやめて未来に希望を持って生きよう。 ▼失敗にめげず、まず第一歩踏み出してみることだ。踏み出しさえすれば、二歩目は軽く出る。 ▼遊びの楽しさを知ろう。そんな余裕が人間の幅を広げる。 ▼小さい世界でもいい、好きなことを思いきりやってみる。 ▼目標を持って貪欲に五十代からでも新しいことに挑戦する。 ▼「石の上にも三年」~無理せず焦らず根気よく続ける。 ▼趣味を長続きさせるコツは、一緒に楽しむ仲間を探すこと。 ▼いまの自分を豊かにすることが生きがいをつくるということだ。 
[第5章]五十代は自分の夢に戻れる時代だ・・▼平凡な人生でも、素晴らしい人生じゃないか。 ▼よくここまで頑張ってきたと、自分をほめてやろう。 ▼何ごともはじめるに遅すぎるということはない。子どもの頃の夢や希望を思い返してみよう。 ▼五十代から先の人生は、また自分の夢に戻っていける時期でもある。 ▼これからは自分に回帰していく生活を送り、意欲や情熱を大切に。 ▼好きな趣味にのめり込めれば、時間はいくらあっても足りないものだ。 ▼最初は下手の横好きでいい。ゆっくりとではあるが必ず身についていく。 ▼仕事や家庭の事情でかつて中断したことを再開するのもいい。 ▼きっかけを上手につかむことはすべての人生において大切なことだ。 ▼焦らずゆっくりとやるのが持続させるコツである。 ▼何でも実際にやってみれば、思ったほどむずしくないものだ。 ▼自分に自信をもつことで、新たな生きがいが生まれる。
【筆者commentindexの抜粋を繋げただけだが、ためになりました。興味あるかたは、文庫本をご一読下さい。
    *   *   *
【後記】■小生の今の心境を歌にしてみました。 紀友則「ひさかたの・・」を本歌取りしたものです・・。
    *   *   *
 久方(ひさかた)の 長閑(のど)けき光 背に受けて いざ赴(おもむ)かむ 我が新天地   悟空    (了)

2007年4月 9日 (月)

【時習26回3-7の会 0080】~「二橋君からの励ましのmail」「北尾吉孝『何のために働くのか』」「松永修岳『人生の95%は運しだい』」「Doris Day『Que Sera Sera』」

■今泉悟です。 会報【0080】号をお送りします。
    *   *   *
今日、二橋君より小生宛に励ましのmailが届きましたのでご紹介します。 人生でのepochにこうして親友から励ましのmailを頂戴できる・・、この【時習26回3-7の会】を立ち上げて本当に良かった、嬉しかった、と実感できました。 二橋君、ありがとう。 それでは、ご紹介します。
    *   *   *
-----Original Message-----
From: nihashi yxxxx [mailto:hxxxx@yahoo.co.jp]
Sent: Monday, April 09, 2007 9:24 AM
To: 今泉悟
Subject: Re: 【時習 26 回3-7の会 0079 】~「方丈記」「 30 年間の銀行員生活に終止符」
    *   *   *
今泉殿  
永のお勤めご苦労様。
思いは複雑かもしれないが、人材豊富な銀行のシステムでやむを得ないしmailからはさばさばした感が伝わってきてたよ。 ま貴兄のことだから心配はしてないけどね。
別の会社でカルチャーも違うし、戸惑う点多いだろうかご健闘、ご活躍を祈ります。 サラリーマン人生の中で2ヶ月間の休養など素晴らしいチャンスであろうから、
思う存分楽しんでよ。  
二橋
    *   *   *
070409_1▼二橋君ありがとう。 小生、2ヶ月間の休養の間、今までやれなかった水彩画ほか色々な趣味にチャレンジしようと思います。 その一環として、和歌も少々勉強しようと思い立ち、一昨日、「八代集」でまだ手許になかった「拾遺集」「後拾遺集」「金葉集・詞花集」「千載集」の4冊を「Amazonマーケットプレイス」にて注文しました。 そうしたら、今日9日には全部宅配便と小包で到着しました。 既に手許にある古今集、後撰集、新古今和歌集を併せた八代集の写真を添付しましたのでご覧下さい。 名古屋の丸善や豊橋の精文館にない本が、ネットを使うと、長崎市や佐世保市、東京の本屋・古本屋から一両日に手許に届くシステム・・、驚愕の一語です。
    *   *   *
小生、今度行く出向先に就職が決まれば、来年5月末を以て転籍となります(だからそれまでは籍は銀行にあります・・)。 とは言え、今週9日~13日が現役銀行員としての最後の日々になります。
▼「飛ぶ鳥後を濁さず」と格好良く、そして、潔く『有終の美』を飾りたいと思います。
    *   *   *
■最近、年甲斐もなく向学心、中でも読書への意欲が湧いて来て、昔読んだ本とか、最近、話題になっている本とかを乱読しています。 今日は、その中から最近の本を2冊ご紹介致します。
    *   *   *
■一冊目は、SBIホールディングス代表取締役CEO北尾吉孝氏著『何のために働くのか』」です。「若いビジネスマンに伝えたいこと」という副題がついていましたが、書店で立ち読みしたら古典の引用が多く、面白そうだったので購入し読んでみました。 その中から一部をご紹介します。
    *   *   *
▼限りある命だからこそ・・ 哀惜の念を持って生きる・・
▼論語の中に「未だ生を知らず、焉(いずく)んぞ死を知らん」という言葉が出てきます。(中略) 孔子は何を言おうとしているのでしょうか。(中略)私が得た結論は、「死を意識するからこそ生を意識するのだ」ということでした。(中略)
▼私は、生をより鮮やかなものとして意識するために、死を意識することが大事なのではないかと思っているのです。
▼生を意識すると、天が自分に課した使命を果たすために与えられたこの命をできるだけ健康で保ち、長生きしていかなければならないという思いにつながります。 そこから惜命、つまり命を惜しむ意識が湧いてきます。(中略)
命を惜しむと生き方が変る・・
▼(前略【筆者注】死を受け入れるという父の死を経験して)私自身も変化しました。 一つには、自らの健康に対して留意する気持ちが非常に強くなりました。(中略) もう一つは、生への感謝の気持ちが生まれてきました。 徒然草に「人、死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや」という言葉があります。 自分が五体満足で暮らし、生きがいや働きがいを持っていき続けていることに感謝する。 そういう気持ちが必要だということです。(中略) 三つ目の変化として、社会貢献への強い思いが湧いてきました。 生きている間に、世のため人のために何かしなくてはいけない。 そうしないと棺桶に入るときに自分の人生はこれでよかったと満足できないのではないか、という気持ちが非常に強くなってきたのです。
【筆者comment】■最後の社会貢献に対する北尾氏の心情は、ノーブレス・オブリジェ(noblesse oblige(高い地位に伴う道徳的・精神的義務))とでも言えるでしょう。そこまで行かなくても、小生もこれから先、世の中に役の立つことを実際やらなくてはと考えています。 まだ具体化していませんが、真ん中の娘が大学を卒業する2~3年後に、海外から日本の高校・大学に留学して来る生徒達のホストファミリーをやろうかなと考えています。
    *   *   * 
■続いては、「松永修岳氏著『人生の95%は運しだい』」です。 「運」だけで人生の95%を切り開いて行けるのかと思いきや、「運というものは決して偶発的な出来事などではなく、自分で開き、育てることができるもの。自分自身で運を引き寄せている現象だ」だというものです。
▼「運」のことを英語で「Luck」と言いますが、この言葉は、次の四つの言葉の頭文字を並べたものであり、これらは「運」を構成する要素(ファクター)だというのです。
①Location の"L"
②Understanding の"U"
③Connection "C"
④Knowledge "K"
【解説】▼Locationの意味は「場所」ですが、これは「環境」のことを指しています。 (中略)「運」を良くするためには、脳の前頭葉を活性化する必要があり、そのためには、脳に良い刺激を与えることのできる「場」をつくり、デザイン性が高くて、整理整頓の行き届いた「環境」に暮らす必要があります。
▼次にUnderstandingですが、これは「理解力」を深めることの重要性を述べています。 (中略)左脳的な理解力ではなく「気付き」へと繋がるような「理解力」の方が重要です。 それは、「感じる力」や「感性」とも関わっている力です。深い理解は「気付き」へと向かいます。 そして「気付き」は「発見」へと向かいます。 「発見」は脳を進化させます。 「発見」が起こる時、脳内ではドーパミンやセロトニンといった脳を活性化するホルモンが大量に分泌され、脳が発達するからです。これもまた、「運」を良くするために重要な要素となります。 「理解力」を高めるためには、「感性」と「知性」の両方を高めることが必要ですが、そのために一番良い方法は、人間性の高い優れた人と会って話をすることです。 そういう人と会って話をするためにも、残り二つの要素であるConnectionとKnowledgeは重要になってくるのです。
▼Connectionとは、文字通り「人脈」です。いわゆる「コネ」のことです。 運が良い人は、良い人脈を築いています。 逆に言えば、良い人脈を持っている人は、最大の幸運を手に入れる可能性を持っているのです。 良い人脈を築くためには、人の力になることです。 人助けをすることは、人脈を育てます。 そうして育てた人脈は、やがて成功の基盤となります。
▼一方で人の助けになるためには、「知識(Knowledge)」が必要です。 (中略)人の助けになるためには、高い専門性を有していることが必要ですし、仕事で成功したければ、自分の仕事の領域で誰にも負けないくらいの知識が必要です。 (中略)優れた人と対等に話すためにも、知識や教養は欠かせません。 だからこそ、常日頃から「学習と訓練」を繰り返すことが重要となります。
▼このように見てみると、得体の知れない「運」というのも、自らがコントロールできるものであることがお分かりいただけると思います。(中略)「幸運」を下支えしているもは、やはり常日頃からの「努力」なのです。(中略)
▼オフィスに入ったとたんに、流れが感じ取れるようになっていかなくてはならないのです。 直感、虫の知らせが重要です。 第三脳室を活性化させることは、直感を鋭くすることです。 そのためにもシナプスを増殖させる必要があります。
▼年をとってもシナプスは増殖するのです。 それには学習意欲そのものが大切です。 それがシナプスを増殖させ、それによって「運」と「気」の流れも良くなります。 年を取れば取るほど本を読んだり、あれを勉強しようとか、これも勉強しようと思うことです。 そうすればシナプスは増殖します。 そして、第三脳室が活性化するのです。 ですから、もっと好奇心を持ったりいろんなことに関心を寄せてみることです。 学習意欲をもつことが重要になります。 それによって成功遺伝子がオンになるのです。
    *   *   *
■今日は、「Doris Day 『Que Sera Sera』」をお贈りします。 この曲はAlfred Hitchcock監督による1956年のサスペンス映画 The Man Who Knew Too Much (邦題「知りすぎていた男」)の挿入かでした。 主演のDoris Dayが息子に歌って聞かせるシーンで知られています・・。 人生の岐路で迷った時とか、悩んだ時にこの『Que Sera Sera』を聞くときっと気分が楽になること受けあいです。
    *   *   *
When I  was just a little girl
I asked my mother, what will I be
Will I be pretty, will I be rich
Here's what she said to me
Que sera sera
Whatever will be, will be
The futurez's not ours to see
Que sera, sera
(  以下略  )
    *   *   *
【訳】私が少女だった頃
母に聞いた
 将来、私はどんなふうになるかと
きれいになるの? お金持ちになるの?
彼女はこう答えてくれた
ケ セラ セラ
(  以下略  )
    *   *   *
【筆者comment】■「人生、禍福は糾える縄の如し」「人間万事塞翁が馬」の格言にあるように、何が幸せか不幸か解からない・・。「Que sera sera」で行きましょう ~♪♪~。
    *   *   *
070331_7【後記】■今日最後は、「東愛知新聞社の平成19年3月31日付の12面『ティーズのぐるぐるぐるめらんど』というcolumnに旧【3-10】の太田N孝君が写真入りで載っていましたのでご紹介します。添付写真をご覧下さい。(了)

2007年4月 7日 (土)

【時習26回3-7の会 0079】~「方丈記」「30年間の銀行員生活に終止符」

■今泉悟です。 【3-7の会 0079】をお送りします。
■【3-7の会だより】e-mail addressを頂戴していない14名のclassmatesに8月11日の同窓会の案内を出状して幾日か経ちましたが、昨日、夏目Y弘君から「欠席」のお返事を頂戴しました。 夏目君が欠席されるのは大変残念ですが、同窓会は来年もありますので来年は是非出席して下さい。 因みに夏目君からの葉書には自宅住所と電話番号の記載がありました。 それによると自宅現住所・電話番号ともに「祝卒業30周年 時習館高等学校26回生名簿 2004年3月」に記載されているものに変更はありませんでした。
   *   *   *
■さて、今日は・・
無常のことわり・・
ゆく河の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず。 よどみに浮ぶうたかたはかつ消えかつ結びて久しくとどまりたる例(ためし)なし。 世の中にある人と栖(すみか)またかくのごとし
【意】川は絶えることなく流れているのに、しかも、そこにある水はもとの水ではない。 よどみに浮んでいる泡は、一方では消え、一方では現れて、長くその儘の姿で留まっているという例はない。 世の中に存在している人間とその住まいも、やはりこのようなものである。
▼玉敷(たましき)の都のうちに、棟を並べ、甍(いらか)を争へる、高き、賤しき、人の住まひは、世世(よよ)を経て、尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家は稀なり。 或は去年(こぞ)焼けて、今年造れり、或は大家(おおいへ)ほろびて、小家(こいへ)となる。
【意】玉を敷いたように美しい都の中に、棟を並べ、屋根の高さを競っている、身分の高い人、低い人の住まいは、何代たっても、なくならないものであるけれど、これを本当にもとの儘であるかと調べてみると、昔どおりの家は非常に少ないのである。 ある家は、去年焼けて、今年造ったものである。 あるいは大きな家がなくなって、小さな家になっている。
▼住む人もこれに同じ。 所も変らず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかに一人二人なり。 朝(あした)に死に、夕(ゆふべ)に生(うま)るるならひ、ただ水の泡(あわ)にぞ似たりける。
【意】そこの住んでいる人々も同様に、昔のままというのは少ない。 住所も変わらず、人も多いのだけれど、昔会ったことのある人は、二、三十人の中で、せいぜい一人か二人である。 朝に死ぬかと思うと、夕方に生まれてくるという人の世の常の姿は、全く、水面に消えてはあらわれる泡に似ているものである。
▼知らず、生れ死ぬる人、何方(いづかた)より来たりて、何方へか去る。 また、知らず、仮の宿り、誰(た)が為(ため)にか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。

【意】私は知らない。生れたり死んだりする人はいったい、どちらから来て、どちらへ去って行くのであろうか。また、わからない。こんなはかない仮の世の住まいなのに、誰のために心を悩まし、何をどうすることによって、目を楽しませようとするのか。
▼その主(あるじ)と栖(すみか)を争ふさま、いはば朝顔の露に異らず。 或は露落ちて、花残れり。 残るといへども、朝日に枯れぬ。 或は花しぼみて、露なほ消えず。 消えずといへども、夕(ゆふべ)を待つ事なし。
【意】その主人と住まいとが、儚(はかな)さを競い合っている様子は、言ってみれば朝顔とその花に置いた露との関係と同じである。ある時は、露が落ちて、花が残っている。残っているといっても、朝日にあうと枯れてしまう。ある時は、花が萎(しぼ)んでしまって、露がまだ消えずにいる。消えずにいるといっても夕方までは残らない。
   *   *   *
【筆者comment】■今日は、小生が銀行員生活に終止符を打つことになったことをご報告するために「世の無常」観をお伝えしたく、鴨長明「方丈記」序章を引用しました。 前【0078】号でいう年年歳歳花相似 歳歳年年人不同」と同じ理(ことわり)である『無常』と同趣旨です。
▼実は、小生、昨日の辞令で、現職を解かれ、○月に○市内にある某法人に出向する予定です。 ○支店在勤中は大変お世話になり有難うございました。
▼銀行員生活30年目の歳にして、ついに銀行員生活と訣別のときが来ました。 銀行の○務からその旨の電話が架かって来たときは、「ついに来たか・・」という気持ちはありましたが、意外とサバサバした感じであったのが、自分としても不思議な感じでした。 来週13日で○支店での後任者への引継ぎを終えたら、月内に今度お世話になる法人との面接があり、双方が合意したら○月の株主総会にて選任される予定です。 正式に選任されましたら、またご報告させて頂きます。 それまでの約○ヶ月間は30年ぶりの「命の洗濯」をするつもりです。
   *   *   *
1_1 【後記】▼今日、最後の話題・・。                2_3                                     3_2 ▼小生の想い出の地「渥美半島」特集季刊「とよ はし『百選』2007」(東愛知新聞社)に掲載されていますので、その一部をご紹介させて頂きます。 渥美半島のことをthemeに皆さんにお届けするのも、当面、今回が最後になると思います。 添付写真をご覧下さい。 左から、1:表紙。2:「恋路ヶ濱・伊良湖岬灯台・日出(ひい)の石門・伊良湖ビューホテル」。3:「シデコブシ・鸚鵡石・初立(はつだて)池公園・西ノ浜海浜の森」です。
▼最後の最後に、今春、小生がつくった下手な俳句と短歌を一句&一首聞いて下さい。
   *   *   *
▼ 渥美路に 邯鄲の夢 美しく
【意】小生の渥美時代は、今振り返ると、「邯鄲の夢」のように人生のうちの一瞬の出来事であったが、とても楽しいひとときで、美しい夢をみた感じがする・・。
   *   *   *
▼ 暖かき 春の陽差しに 溢れ出る  この幸せを 君に捧げむ
【意】暖かな春の陽差しが眩しく溢れ出るように私を包み込む 私はこの今の幸せな気持ちを君に捧げたい。
【筆者comment】■ところで、「君」ってだれだぁ・・?? (呵々) (了)

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05【時習26回3-7の会】【2008年8月16日】《クラス会》於:ブラウンズ&トライ・アゲイン

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    ■2008年8月16日【時習26回3-7の会】《クラス会》を豊橋市内にある『ブラウンズ(一次会)』と『トライアゲイン(二次会)』にて開催しました。T三先生をはじめ全国から15名が集い大変楽しい5時間を過ごしました。 ■名残惜しいなか、23時すぎ、来年の再会を誓って散会しました。

101【2007年6月2~3日】■「千手院」でお会いした皆さんへ←clickでalbumへ

  • Cimg1428
    ■朝護孫子寺にて撮影した写真のほとんとを追加しました。ご高覧下さい。 ■2007年6月2~3日、「賢人会」のmember谷山・中嶋両氏と大和七福神・八宝廻りをしました。 ■七福神の一つ毘沙門天を祭る「信貴山朝護孫子寺」の宿坊【千手院】で一泊。 ■そこで、ご一緒した皆さんとの楽しかったひとときをアルバムにしました・・。      * * * ■瀬尾君、浅田さんとそのお供達の皆さんへ、「感想をお聞かせ」頂ければ幸甚です。 ▼『【時習26回3-7の会】のブログ画面』の【左上欄外】の「メール送信」を左clickして頂くと、今泉宛のmail address ~ < si886@nifty.com > ~ が開きます。 どうぞ、ご気軽に感想をmailにてお知らせください。 ▲【2637の会】のURL・・・  → URL: http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog

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