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2007年5月の9件の記事

2007年5月28日 (月)

【時習26回3-7の会 0094】~「ZARDの坂井泉水が急死!」「小満」「中原中也(前篇)」「上海・内山書店旧址」「『小林秀雄』考」

■今泉悟です。 今、小生は、ちょっと古いZARDのCD「揺れる想い」を聴いている。 昨日、ZARDの作詞家・vocal坂井 泉水(さかい いずみ、本名:蒲池幸子(かまち さちこ)(添付写真ご参照)1967.2.6-2007.5.27)が亡くなった。 入院 中の慶応大学病院の階段から誤って滑落し後頭部を強打したという。 死因は脳挫傷。 小生は、昔からZARDの詩とmelody、それに酒井泉水の歌声が好きで彼女の作品は良く聴いていた。 このCDでは、1.揺れる想い 2.Season 3.君がいない 6.負けないで 8.You and me ( and・・・ )がいいですね・・。 彼女の豊かな 才能を惜しむ・・。 享年40歳。 美人薄命・・(長嘆息)。
Photo_23
 
「揺れる想い」と「負けないで」の詩をご紹介しつつ、改めて彼女の冥福を祈る・・(合掌)。
  揺れる想い 
 揺れる想い 体じゅう感じて
 君と歩き続けたい in your dream
 夏が偲び足で 近づくよ
 きらめく波が 砂浜潤して
 こだわって周囲(まわり)を すべて捨てて
 (  以下略  )
*   *   *   * 
Photo_15   負けないで   
ふとした瞬間に 視線がぶつかる
幸運(しあわせ)のときめき 覚えているでしょ
パステルカラーの季節に恋した
あの日のように 輝いている あなたでいてね
(  以下略  )
■さあっ、いよいよ【2637の会】のclassmatesからmailが来なくなりました・・。 「辛抱」あるのみです・・。(忍・・!)
■今は、二十四節気でいう「小満」の時節。 今年は、5月21日から次ぎの時節芒種(今年は6月6日)の前日までをいう。
▼「小満」は、陰暦4月の中で、陽暦5月21日頃で、陽気盛んにして万物ようやく長じて満つ、の候。 沖縄の梅雨は五月中旬から六月下旬頃で、二十四節気の小満と芒種にあたり、この時期の雨を沖縄では小満芒種と呼んでいる・・。
Photo_1902_2■・・まぁ、今回も場繋ぎということで、お約束した詩人の最終回「中原中也( 1907-1937 )(添付写真ご参照)です。 ただ、中原中也、これまでご紹介してきた萩原・島崎・堀口以上に話題性に富んでいるため、次号と2回に分けご紹介します。 破天荒な生き方で人生30年を駆け抜けた中原中也は小説以上に面白い。 
▼話題性と言えば、なかでも小林秀雄( 1902-1983 )(添付写真ご参照)と中原との関係が有名で、その事実を知ったとき、小生は、ちょっとした衝撃を受けました。 とともに、「堅物だと思っていた小林秀雄も、若いときはいろいろあったんだ、結構やるね・・」と、不思議な安堵感を覚えました・・。
01▼今、小生の手許に「小林秀雄全作品(第六次小林秀雄全集)」全32巻がありますが、そのうち中原中也を取り上げているのは「Xへの手紙」の「X」を中原中也とすると7巻10itemにも及びます。 小林の人生の前半の重要な一時期を中原中也との関係が占めていることが分かります。
▼小林の人生において、特別な人物であった中原中也。 小林が23歳のとき、中原と同棲中であった長谷川泰子を小林は奪い取った。 即ち、両者は三角関係の当事者であった。 「Xへの手紙」に登場する「あの女」が小林と同棲した長谷川泰子とされる。 小林秀雄が書いた中原中也の作品については、次号にてご紹介させて頂きます。
小林秀雄(1902.4.11.- 1983.3.1.)が中原中也を取り上げた作品の題名を以下に列挙しました。 
小林秀雄】(巻頭の数字は「小林秀雄全作品」の巻数)
 4.Xへの手紙~Xへの手紙(昭和7年)
 5.「罪と罰」について~中原中也の「骨」(昭和9年)
 6.私小説論~中原中也の「山羊の歌」(昭和10年)
10.中原中也中原中也訳「ランボオ詩集」(昭和12年)
10.同~「死んだ中原」(昭和12年)
10.同~「中原の遺稿」(昭和12年)
10.同~「中原中也」(昭和12年)
17.私の人生観~「中原中也の思い出」(昭和24年)
19.真贋~「『中原中也全集』に寄せる」(昭和26年)
26.信ずることと知ること~「中原の詩」(昭和42年)
▼今日は、嵐山光三郎の「『追悼の達人』(新潮文庫)~中原中也((昭和)12年10月22日)・・・・追悼なんてくそくらえ」の行(くだり)をご紹介します。 ご覧下さい。
▼中原は小学校時代はほとんど全甲で、「神童」の評判があったという。 大きな医院の子で裕福に育った少年は、「いい子」である反面、だれにも知られぬ自意識の魔物を飼っていく。 その魔物は中也を食いちぎり、生活不能者としての中也が歩きまわる。
小林秀雄と会ったのは十八歳のときで、小林は二十三歳であった。 中也以上に自意識が強い小林に会ったのが運のつきであった。
Greta_garbo1924_190590小林秀雄と会ったとき、中也はグレタ・ガルボ(添付写真ご参照)に似た長谷川泰子と同棲していた。 泰子は中也より三歳年上で、劇団「表現座」女優であった。 泰子は中也を捨てて小林のもとへ走った。 中也と泰子との同棲は一年半で終った。 小林と泰子の同棲も二年半で終るが、兄と慕う小林に泰子を持っていかれた口惜しさは終生、中也につきまとった。 
▼小林は「死んだ中原」と題した追悼詩で、
  あゝ、死んだ中原!
  僕にどんなお別れの言葉が言えようか
  君に取返しのつかぬ事をして了(しま)ったあの日から
  僕は君を慰める一切の言葉をうっちゃった
  あゝ、死んだ中原
  例えばあの赤茶けた雲に乗って行け
  何の不思議な事があるものか
  僕達が見て来たあの悪夢に比べれば
  と絶唱した。
▼中也の死後に発見された草稿のなかで、このことに関して「女に逃げられるや、一日々々と日が経てば経つほど、私はただもう口惜しくなるのだった。――このことは今になってようやく分かるのだが、そのために私は嘗(かつ)ての日の自己統一の平和を、失ったのであった。・・・・とにかく私は自己を失った! 而も私は自己を失ったとはその時分かっていなかったのである! 私はただもう口惜しかった」と独白している。
▼中也は、泰子が家を出るとき「女の荷物の片附けを手助けしてやり、おまけに車に載せがたいワレ物の女一人で持ちきれない分を、私の敵(かたき)の男が借りて待っている家まで届けてやったりした」(「我が生活」)とも書いている。
▼「敵の男」とは小林のことである。 小林のランボオ論とボードレール論は泰子との同棲生活の中で書かれた。 では中也は小林と義絶したかというと、そういうわけではなく、小林の紹介により大岡昇平を知り、小林が「文学界」の編集責任者となると執筆陣に入れてもらい、死ぬまで小林の世話になった。 中也の詩が世に出たのは、ひとえに小林の尽力による。 葬儀の日の様子を、青山二郎は「枕元には懐中手をして突立った、小林のしみじみとしと見下ろした姿があった」と報告している。(以下略)
中原中也の破天荒な行動のepisodeを一つ(嵐山光三郎「『文人悪食』~『中原中也」「同『文人暴食』~『草野心平( 1903-1988 )』」)。
▼(前略)宿酔(ふつかよい)をくりかえし、自分の酒癖の悪さは充分に知りながら、それでも人恋しくて酒場に行かずにはいられない。
▼太宰治にもからんだ。 そのことは壇一雄( 1912-1976 )が克明に回想している。(【筆者注】壇一雄は女優壇ふみの父であることは有名。)
▼(中略)さしもの太宰治も、あの凄絶な中原の酒席のからみには耐えられなかった。
▼最初は、中也と草野心平が壇一雄の家にやってきて、居あわせた太宰と一緒に「おかめ」に飲みにいった。(【筆者注】ここで乱闘になるのだが、その当事者草野心平は以下の様に記憶している。)
▼心平と壇一雄は、かつて、東中野の「おかめ」で太宰治、中原中也と一緒に飲み、つかみあいの乱闘になったことがる。 心平、中也組と太宰、壇組で、文壇武勇伝では、壇が中也を投げ飛ばしたことになっているが、心平の記憶によると、心平が壇を投げ飛ばしたという。その乱闘以来、心平は壇と親しくなり、壇より貰った犬をダンと名づけていた。(【筆者注】以上は余談・・(笑))
■三好達治の「詩を読む人のために」(岩波文庫)では、「数人の詩人について」の中で「中原中也」を取り上げ、「老いたるものをして(『在りし日の歌』から)」「夕照(『山羊の歌』から)」「港市(みなとまち)の秋(同前)」「正午(『在りし日の歌』から 丸ビル風景)」の四篇を紹介しています。 が、長くなるので、これも次回に持ち越します。
Photo_17004relief070520005070520_1006plate070520Photo_18【後記】■続いての添付写真は、「内山完造と魯迅」、そして、上海魯迅公園近く、上海氏四川北路にある「内山書店旧址」のmonumentのreliefです。「内山書店」の内山完造( 1885-1959 )(【筆者注】キリスト教思想家内村鑑三( 1861-1930 )ではない(為念))と言えば、中国の文豪魯迅との親交が有名ですね。 以下に彼の略歴をご紹介します。
▼1929年 ( 44歳) 内山書店は北四川路底に進出。
▼1931年 ( 46歳) 1月、左連作家虐殺事件生じ、危険の迫った魯迅を庇護。3月来遊した増田渉を魯迅に紹介。因みに内山完造の紹介で魯迅と面識をえた日本人は、金子光晴、横光利一、林芙美子、武者小路実篤、等。 翌年1月第1次上海事変勃発後、魯迅親子・周建人夫妻を庇護するが、日中双方の側から"スパイ"の流言飛ぶ。 この頃から、魯迅の著編著などの代理発売元を引き受けるようになった。
▼1936年 ( 51歳) 10月19日魯迅死去( 享年56歳) 。 同日葬儀委員会が編成され、宋慶齢、蔡元培、スメドレーらとともに内山完造も委員に選ばる。 同22日万国公墓での埋葬式で、完造は追悼演説を行なった。
■「『小林秀雄』考」・・・
小林秀雄については、嵐山光三郎が「文人悪食」の「小林秀雄・・・・ランボオと穴子鮨」で以下のように評している。
(前略)私も、若いころは人並みに小林秀雄を読んで、新鮮な発見をした一人であることを告白しておこう。 しかし、その後読みなおしてみるとアラがめだつ。 とくに西行や兼好にそれが感じられる。 秀雄が書く西行は史実に忠実でない。 西行に対しては、思いいれだけが先行し、動乱の世をいかに生きているかを、西行の身を借りて述べただけである。 
▼【筆者comment】・・と、手厳しい。 嵐山が、「西行」や「兼好」の碩学としての自信がそう言わしめたものと考えます・・。 ハイ。(笑)(了)

2007年5月25日 (金)

【時習26回3-7の会 0093】~「三好達治著『詩を読む人のために』から『堀口大学』」「上海の風景」「超高層ビル」

■今泉悟です。 今日は、【2637の会】memberのmailがありませんので、また、場繋ぎで、三好達治(以下敬称略)著「詩を読む人のために」から「堀口大学( 1892-1981 )(添付写真ご参照)をご紹介します。 まぁ、coffee break の感じで読んで下さい。
Photo_9▼小生、堀口大学については、従前より名前くらいしか知りませんでしたが、三好達治が紹介する『夕ぐれの時はよい時』を読み、彼の作品が大変好きになりました。 『夕ぐれの時はよい時』は、平易で読み易く、頭にスーッと入っていく感じがとてもいい・・。かつ気品もあり大変素晴らしい詩であると思います。 三好達治の解説も成程と感心しました。 同氏は、堀口大学のもう一つの作品『彼等』も紹介していますが、これは6行と大変短い詩でありながら「これ程含蓄があるのか・・?!」というくらい深い解釈をしています。 小生には、とてもこんな解釈はできません。 が、「こういうものが『詩』なのだ」と教えてくれただけでも収穫でした。 『夕ぐれの時はよい時』『彼等』の解説を一緒に読むと堀口大学の詩の素晴らしさがよく解かると思い、少々長めの文章となりますが、ご紹介させて頂きます。 諸兄のなかには、「【2637の会】で国文学の講義かぁ??」とお思いの方もいらっしゃるかと思います。 確かにThemeが偏っていますので、詩に興味のある方だけお読み頂ければと思います。
▼因みに「詩を読む人のために」の解説者杉本秀太郎(敬称略)(1931年生)もその「解説」で次のように述べ、賞賛しています。 
▼(前略『夕ぐれの時はよい時』萩原朔太郎とは全く違った詩的経歴をもち、れっきとした西洋的教養を身につけた堀口大学を論じて、両極端を押さえる恰好の一対をこの二篇は形成しております。(中略) 堀口さんが(中略)大正八年に出した詩集『月光とピエロ』所収の二篇を例に、堀口大学の詩の特色、魅力を、三好達治はあざやかに、したしみをこめて、そしていくぶんの羨望を包み隠さずに語っております。 私は『詩を読む人のために』一冊のなかで、特にこの一文を好むものです
【筆者comment】▼大正八年の作なんですね。 でも、少しも色褪せていない、いい作品です。 では、さっそく、三好達治の解説『夕ぐれの時はよい時』をご紹介しましょう。
▼(前略)詩集『月とピエロ』(大正八年)の中の一篇。 私どもも高等学校の生徒じぶんに甚だ愛誦(あいしょう)したものです。 今日また久しぶりに一読して、やはり新鮮で歯ぎれのいい、仕立おろしの洋服のようにさっぱりとした、後味のたのしい感銘を受けました。(中略)
   夕ぐれの時はよい時
 夕ぐれの時はよい時。
 かぎりなくやさしいひと時。
 それは季節にかかはらぬ、
 冬になれば煖炉のかたはら、
 夏になれば大樹の木かげ、
 それはいつも神秘に満ち、
 それはいつも人の心を誘ふ、
 それは人の心が、
 ときに、しばしば、
 静寂を愛することを、
 知つてゐるものの様に、
 小声にささやき、小声にかたる・・・・・
 夕ぐれの時はよい時。
 かぎりなくやさしいひと時。
 若さににほふ人々の為(た)めには、
 それは愛撫に満ちたひと時、
 それはやさしさに溢れたひと時、
 それは希望でいつぱいなひと時、
 また青春の夢とほく
 失ひはてた人々の為めには、
 それはやさしい思ひ出のひと時、
 それは過ぎ去つた夢の酩酊、
 それは今日の心には痛いけれど
 しかも全く忘れかねた
 その上(かみ)の日のなつかしい移り香。
 夕ぐれの時はよい時。
 かぎりなくやさしいひと時。
 夕ぐれのこの憂鬱は何所から来るのだらうか?
 だれもそれを知らぬ!
 (おお! だれが何を知つてゐるものか?)
 それは夜とともに密度を増し、
 人をより強き夢幻へみちびく・・・・・
 夕ぐれの時はよい時。
 かぎりなくやさしいひと時。
 夕ぐれ時、
 自然は人に安息をすすめる様だ。
 風は落ち、
 ものの響は絶え、
 人は花の呼吸をきき得(う)るやうな気がする、
 今まで風にゆられてゐた草の葉も
 たちまちに静まりかへり、
 小鳥は翼の間に頭(こうべ)をうづめる・・・・・
 夕ぐれの時はよい時。
 かぎりなくやさしいひと時。
▼ごらんの如き作品です。 まず用語の平易にしてこだわりのない、まったく口語調にちかい暢達(ちょうたつ【筆者注】のびのびとしていること)な使いぶりが眼につきます。 私たちの日用語を自由にとりいれ駆使していて、かえってそのためにさっぱりとした瀟洒な気品を見せています。 俗ではありません。 俗に入って俗を出でる、そこの呼吸がこの詩人の得意の擅場(せんじょう【筆者注】その人だけが思う儘に活躍できるところ。ひとり舞台。独擅場)で、一種危うきに遊ぶという意識も、勿論詩人の意識の一部分に働いていることが察せられます。(中略)
▼印象的とか象徴的とかという、漠然とした、綜合的な効果の醸し出し方ではなく、反対に解析的に、分解的に、一作品の効果を、部分において逐次に明確にしながら進行してゆく、そういうやり方で、この『ゆうぐれの時はよい時』は進んでゆきます。 このやり方は日本の現代詩としては、当時としては勿論、今日においてもなお充分眼新しく、注目に価する特殊な手法かと思われます。
   夕ぐれの時はよい時、
   かぎりなくやさしいひと時。
▼この二行は、まず冒頭に現れて、この詩中に五度くりかえされる畳句ですが、この単純な二行の中にも、既に解析的な手法が顔を見せています。 「夕ぐれの時はよい時」とまず大づかみな概念的なことをいっておいて、その「よい時」を、さらに「かぎりなくやさしいひと時」と限定的に、絞りにしぼって、追っかけるようにたしかめています。 「よい時」のよさを「やさしい」と畳みかけて限定した上に、それがほんの短い「ひと時」にすぎない時間だと、こまかく追及してゆくやりかた、それを心理的とも、解析的とも、いま私は呼んでいるのであります。(中略)
▼「夕ぐれの時はよい時」の畳句がくりかえされて、(中略)ともすれば単調に傾きそうな危険が感じられないでもありません。 勿論作者はそれを敏感に感じています。 そこで次の発想は、ぐんと局面をかえています。
   夕ぐれのこの憂鬱は何所から来るのであらうか?
   だれもそれを知らぬ!
 言葉の調子もすっかり変って、前の一段の
   しかも全く忘れかねた
   その上の日のなつかしい移り香。
 というようなのとは、格段に調子を変えています。 ほとんど唐突の感があります。(中略)このような唐突な不意打ちは、近代詩歌の一つの新らしい魅力といっていいでしょう。 言葉の調子がそうであるのみならず、ここでは思想も不意打ちです。
   だれもそれを知らぬ!
   (おお! だれが何を知つてゐるものか?)
 と作者は何の前置もなしに、突然なことをいいだします。 読者は眼を見はらずにはいられません。 そうして作者の胸中に鬱積していたものを、ここではじめて、じかに直接に手渡されたような感をうけます。 この詩の頂点は、まずこの辺のところにあります。 私ならそう解釈します。(中略)
   夕ぐれ時、
   自然は人に安息をすすめる様だ。
   風は落ち、
   ものの響は絶え、
 と自然な調子で終息にむかい、さらに
   人は花の呼吸をきき得るやうな気がする、
   今まで風にゆられてゐた草の葉も
   たちまちに静まりかへり、
   小鳥は翼の間に頭をうづめる・・・・・
 とつづいて、この最後のところにきて特に気転の利いた洒落た一行、―― 丁度ここまでつづいてきたこの詩のここで終息するのにあたかもふさわしい表象(イマジュ)の鮮やかな句を以て結んでいる。 そうして畳句がそれにもう一度すべてをひっくるめた印象に念を押すように順応してこの詩は終るのであります。 読後の印象ははじめにもいったように極めて鮮明で、瀟洒としていて、軽々として、どこにも晦渋(かいじゅう【筆者注】言語・文章などが難しくて意味の解かりにくいこと)陳腐のあとがありません。(中略)
▼安心をして読めます。 これがこの詩の本物である証拠であって、ここらの消息もちょっと説明には困難なので、読者で自得して納得されるより外はありますまい。
▼次にもう一つ同じ作者の短い詩を詠んでみましょう。 (【筆者注】・・と、三好達治は、続けて『彼等』の解説を始めます。)
   彼  等
 彼等よく知る、
 よろこびに
 果(はて)あることのかなしさを、
 彼等は知らず、
 かなしみに
 果あることのかなしさを。
【筆者注】▼この解説は、小生には難しかったです。 じっくりと読んでみて下さい。 含蓄ある素晴らしい解説だと思います。 では、どうぞ・・。
胸中の鬱積と鋭い機智との結びついた詩です。 よろこびに果しがあり、歓楽の早くつきて哀愁の永く来ることは何人もよく知っています。 それは世間の如何なる俗人もよく承知しています。 けれども世間の凡(おおよ)その歓楽に望みを絶ち、あるいは世間の人々のよろこびとするところをよろこびとすることのできなくなった人々、――勿論この詩の作者もその側の一人であるところのそれらの人々にとっては、かえって哀しみこそはせめてもの心の糧であり日々の心をみたすところのかけがえのない何ものかであるかもしれません。
これだけのことを、この詩を読む以前に、この詩に対(むか)う以前に、読者がすでに自分のものとして不断の心にもっていなければこの詩感は、響のものに応ずるようにぴんとひびいてこないでしょう。 詩人はこの場合特に、極度に説明をさけています。 説明を経て理解されることをさけています。 解る人に解ってもらえば、解りかねる人には解っていただくに及ばないという態度です。 その態度、語気この詩の思想をかげから押し出しています。 『彼等』という一語にも、見給え、この一語にも隠約(~【筆者注】ことばは簡単で意味の奥深いこと~)のひびきがあります。 その一語はこの詩の題になっています。 「かなしみに果あることのかなしさ」 ―― せめてもの心の糧であった、かけがえのないそのかなしみも、いつまでも心の空虚をみたすものとして残っているとは限らないので、時がたつとそれさえも雲散霧消して跡かたもなくなるそのあとの空虚と倦怠、それこそ先のかなしみにもまさっていっそう耐えがたいかなしみ、―― この悲哀の意識は『彼等』と同じ水準にはいない一層高度な精神のもの、というのがこの詩の、平たく説いた意味でしょう。 
詩人の誇りがかげになって、そこには対立の意識があります。 私(【筆者注】三好達治)が先に、胸中の鬱積といったのは、詩人をして、「彼等は知らず」と叫ばしめた、その対立の意識をもふくめて、この詩の語気の手きびしさをさしていったのです。
堀口さんの詩には、いつもこの詩人の誇りが、世俗に対立した意識の手きびしさが、かげに強く働いています。 その影の働きが、この詩人の詩を、つねにある高貴なものと感じさせます。 
▼先にかかげた『夕ぐれの時はよい時』のようなやさしく甘い詩にも、甘ったれてはきこえず、一種「悲哀に誇る」といった風の、誇りかなひびきをもってきこえるのは、これもやはり、この『彼等』の場合と同じかくれたかげの意識が語感の末にゆき渡っているからのことと思われます。 詩人の稟質(ひんしつ【筆者注】生まれつきの性質。資質)は一語の末にも現れます。 『彼等』は僅々六行の詩ですが、詩人の稟質は、遺憾なくその間に溢れています。 私が先に平俗に説いたところは、いわば全部が蛇足ですが、この短い詩を説くとなると、さらにもっとたくさんの言葉を要することかもしれません。 そうしてそれでも、原詩の寸鉄人を刺す趣は、説き得ないかもしれません。『彼等』は機智をかった詩です。 機智は鋭く成功しました。 そうして言外の意味が長くなります。 ―― だから私の解説などはもうこの辺で筆をおかねばなりません。
【筆者comment】■如何です、皆さんはどのように感じられましたか・・。 一作目の『夕ぐれの時はよい時』は、大変解り易い解説でしたが、二作目の『彼等』についてのそれは、小生、最初この解説を一読した時は何が書いてあるのかよく解りませんでした。 が、読み返していくうちに三好達治の言わんとするところが理解できるようになりました。 
▼「やっぱり詩を読むことは難しい。でも、それが詩を読む醍醐味・・」というのが、今日の詩の特に二作目の解説を読んで感じた正直な感想です・・。
【後記】▼余談ですが、小生、堀口大学『夕ぐれの時はよい時』を、まさに「夕ぐれ時」に、soprano歌手クリスティーナ・ガイヤルド=ドマス( Cristina Gallardo-Domas )のCD(添付写真と説明ご参照)を聞きながら読みました。 なかでも、以下にあげた曲目がこの詩にピッタリの情感を醸し出していました。 
◆チレーア:<アドレアーナ・ルクヴルール>から
(わたしは卑しい召使です)
カタラーニ:<ラ・ワリー>から
(遠くへ行かないで)
ベッリーニ:<カプレーティとモンテッキ>から
(ああ、いくたびあなたのために)
プッチーニ:<ラ・ボエーム>から
(わたしの名前はミミ)
プッチーニ:<ラ・ボエーム>から
(あなたの愛の呼ぶ声に)
プッチーニ:<ジャンニ・スキッキ>から
(わたしのお父さん)
▼美しい『詩』を読み、アリアの『名曲』集を聴く・・、まさに「至福の ~ 『夕ぐれの時はよい時』を過ごしました・・。(笑)
*
001070519003070519005070520006070520007070520013070520012070520014070520015070520016070520 00107052000388fshanghai_world_financial_center100Taipei101■今日、最後に上海の風景(情景)(添付写真ご参照)をご紹介しながらお別れします。
▼添付写真の最後(【筆者注】右上一番下の写真)は、向って右側が現在、上海」№1超高層ビル「金茂大厦(Jin Mao Tower)」( 420.5m 88階 )。 左側の建築中のビルが「上海環球金融中心( Shanghai World Financial Center )」( 492m 100階 (竣工時))です。「凄い!」の一言です・・。(嘆息)
▼因みに、現在、世界№1の超高層ビルは台湾の「台北国際金融大楼(台北101)」( 508m 101階 )です(【筆者注】左上のオベリスク(obelisk)のようなビル)。
名古屋では高さ№1がミッドランドスクエア 247m 47階、2位JRセントラルタワーズ(オフィス棟) 245m 51階の順。 
▼ついでに、現在の日本のビルの高さ順位も調べてみました。
*
順位      名  称                           
位   置             高さ       階数   竣工
1位 横浜ランドマークタワー                  
神奈川県横浜市  295.8m  70階  1993年
2位 大阪ワールドトレードセンタービルディング
大阪府大阪市    256m   55階  1995年
2位 りんくうゲートタワービル                  
大阪府泉佐野市   256m   56階  1996年
4位 ミッドタウン・タワー                     
東京都港区       248m   54階  2007年
5位 ミッドランドスクエア                     
愛知県名古屋市  247m   47階  2006年
6位 JRセントラルタワーズ                   
愛知県名古屋市    245m   51階  2000年
7位 東京都庁・第一本庁舎                  
東京都新宿区     243m   48階  1991年
8位 サンシャイン60                      
東京都豊島区     239.7m  60階  1978年
*                                                (了)

2007年5月22日 (火)

【時習26回3-7の会 0092】~「鈴木J司君からのmail」「伊庭R○子さんからのmial」「『大連・上海・蘇州』紀行」

■今泉悟です。 5日ぶりの登場です。 昨日遅く、中国の大連からソウル仁川空港経由で帰って来ました。
■まずは、掲題の通り鈴木J司君と伊庭R○子さんからmailが届きましたのでご報告致します。 前【0091】号でついにclassmateの声が途切れ、危機感を募らせてのですが、J司君・伊庭さんが心配してmailをくれました。 本当に【2637の会】のmemberは心の優しいgentleな方ばかり・・、痛み入ります・・。ハイ。
▼J司君のmailは、彼が【2637の会】の全member宛に返信mailしてくれてますので、重複を避けるべくこのmailには掲載致しません。勿論blogには掲載させて頂きます。 淳司君へ、このmailが到着後、暫くしたらblogの方もご覧下さい。 本mailには淳司君からmailを頂戴したformだけ掲載させて頂きます。 それから淳司君の写真は1973年版しかありません。 8月11日の再会が楽しみです。
    *   *   *
1973jFrom: 鈴木 [mailto:xxxxx]  Sent: Thursday, May 17, 2007 10:11 PM To: 今泉悟;(中略)
Subject: Re: 【時習26回3-7の会 0090】 
2637の会の皆さんへ
▼私が2001年から2002年にかけて大病を患ったことはご承知の方も多いと思います。2002年の10月から中学生の勉強を見ていることも把握されていると思います。早朝トレーニングと称し、郵便局でアルバイトを一時期やっていたこともお知らせしました。もう、とっくにやめましたが。
▼奇遇というか今日、悟君からメールを頂戴しました。奇しくも明日から社会復帰です。宝飯郡御津町にあるメーカーで再起を図る所存です。 さんかく社名を公表してもいいのですが、長く勤めることが確実にならなければ会社に迷惑ですので、形として今のところ伏せておきます。 私の体質上、秘密は持てないことが明らかですが、一応、「そう!」とでも、思ってください。もう、出世だとか名誉などは捨てて、社会貢献だけを考えています。私の懐具合も一因ですが。定年はまだ何歳か聞いていませんが長く勤めれたらと願っています。知恵と汗は惜しまない決意です。
私は前の会社でも悪友から無冠の帝王などと陰口を言われました。無冠でしたが、帝王だと思ったことはありません。相当な人数の人生を変えてしまったことも事実なようですが。人間は多かれ少なかれ持ちつ持たれつ、頼り頼られでは? 人間関係論などという学問もあるでしょうが、私の人生はこれが最低点です。 
▼こだわらず、しかも、流されず、一歩一歩では?こんな人間もいます。
▼皆さんも8月11日に是非、集いましょう。こだわらず、流されず。
2007年5月17日      窓から見える街灯を妙に明るく感じながら                      鈴木J司
From: 鈴木 [mailto:xxxxx]  Sent: Thursday, May 17, 2007 9:15 PM To: 今泉悟
Subject: Re: 【時習26回3-7の会 00】

▼悟君へ どういう形で出欠を確認しているかよく把握していませんが、8月11日なら出席です。あまりに格調高いメールなので時にはもっとくだけてもいいんじゃないかな。まあ、それも律儀な悟君の性格によるものと認識しています。 当面は3分の1の15名を目標にしては?お疲れのところ恐縮ですが頑張ってください。陰ながら応援??御免、御免。全面協力!!
【万年幹事comment】▼J司君、応援ありがとう。 そうですねぇ、8月の同窓会は15名は集まってほしいですね。引き続き宜しくね。
    *   *   *             
■続いては、伊庭さんからのmailです。 困ったときに、サッと救いの手を差し伸べてくれてありがとう。 【2637の会】万年幹事として本当に嬉しいです。 重ねてお二人にお礼申し上げます。 伊庭さんの趣味である「藍・絞り染め」の作品を8月の同窓会でお披露目して下さいネ。 
▼それから、伊庭さんへ、1973年版・2006年版の写真を掲載させて頂く件、万年幹事の特権としてご容赦下さい。
From: iba [mailto:xxxxx]  Sent: Saturday, May 19, 2007 8:30 PM To: 今泉悟
Subject: Re: 【0087号外】号『2007年【2637の会】出欠・中間確認mail』
 
■【返 信】『2007年【時習26回3-7の回】同窓会・出欠中間報告』
    *   *   *
■1:2007年8月11日(土)の同窓会に ( )参加する ( )欠席する (○)ギリギリまでわからない ※・該当箇所の( )内に○を入れて下さい。
1973r2006_2■2:【近況▼今泉 悟様
今までたくさんのメールをありがとうございます。4月より次男も下宿生活になり少々心寂しいこの頃です。5月13日に彦根城と安土城跡を見学に出かけてきました。彦根城ではワダエミ衣装展を主目的に見学しました。間近にすばらしい衣装を見たのは初めてで日頃の雑事から解放され、文化に触れた感じでした。趣味の藍・絞り染めも細々と続けております。現在デザインが決定し、これから絞りを始めていくところです。秋には完成し展示会に出品しなければならず、さて、どうなりますやら…。
    *   *   *             
■今日最後にお届けするのは、先週の5月18日(金)~昨日5月21日(月)まで、中国の大連(5/18)→上海(5/18-19)→蘇州(5/19)→上海(5/19-20)→大連(5/20-21)と小旅行して来ましたので、そのお話を少し・・。
▼愚娘が、現在中国大連市にある大連外国語大学に1年留学しており、その陣中見舞いを兼ね訪問したという次第。
▼そのついでに、上海と蘇州の旅行も・・、とちょっと欲張った3泊4日の旅になりました。
070518▼予算を切り詰め、名古屋~大連間はKALでソウル仁川空港を経由しての空の旅としましたので、初日は中部新国際空港→ソウル・仁川→大連(娘と合流し寄宿舎と大連の街を散策した後)→中国南方航空で上海へ。 上海行きの出発時間まで余裕があったので娘に市内観光を頼み、大連駅前辺りを散策(添付写真ご参照)。
Antique070519 070519070519_1070520▼上海には18~19日と2泊。 上海は2010年万博があり、現在急ピッチで近代化を進めています。 人口は1600万人と大都会東京をも凌ぎ、高層ビル群もご覧の通り(添付写真ご参照)林立しています。 日本が1964年東京五輪、1970年大阪万博と経験したことを、今度は中国が来年2008年北京五輪、2010年上海万博と、日本で6年がかりのeventを中国では2年で実現・・。 中国の急成長ぶりを去年の北京、今年の上海と、目の当たりにして実感しました。
070519_2070519_3▼蘇州には、上海でJTBのoptional tourに参加し、5月19日、日帰りのバス旅行で行って来ました。 中国四大庭園のうち2つは蘇州にあり、その一つ「拙政園」を訪ねました(添付写真ご参照)。 因みに、蘇州にあるもう一つの庭園は「留園」、あと二つは北京の頤和(いわ)園、承徳の避暑山荘です。
070519_4070519_5▼続いて、森鴎外の小説「寒山拾得」で有名な「寒山寺」を訪ねました。 ここには有名な漢詩、張継の「楓橋夜泊」の石碑と、「鐘楼」があります(添付写真ご参照)。
070519_6070519_7▼蘇州最後の訪問地は、「東洋のヴェニス」として有名な水郷地帯の風景です。 遊覧船に乗り25分の船旅を堪能しました。
070520_1070520_22070520▼最後に添付した写真は、大連の街の模様です。 大連は、日露戦争後から第二次世界大戦終戦まで日本の植民地として栄えた街。 ロシア風の建物もあり、何処となく西洋風な佇まいで、落ち着いた綺麗な街です(添付写真ご参照)。人口は560万人の大都会ながら、ゆったりした、日本でいうと札幌の街のような感じですか・・。
▼詳細は、追々お話して行こうと思います。
【後記】■今日の締め括りは、張継の「楓橋夜泊」です。
   楓橋夜泊      張継
  月落烏啼霜満天  月落ち烏啼いて 霜 天に満つ
  江楓漁火対愁眠  江楓(こうふう) 漁火 愁眠に対す
  姑蘇城外寒山寺  姑蘇城外の寒山寺
  夜半鐘声到客船  夜半の鐘声 客(かく)船に到る
【意】月はしずみ、カラスは啼き、冷たい霜の気配が夜空に満ちわたる。 すでに杠葉した川辺の楓樹が、ちらちらと燃える漁火(いさりび)が、旅愁に眠られぬ私の目に映る。 姑蘇城(=蘇州の街のこと)外の寒山寺、その夜半をつげる鐘の音が、旅寝する私の船まで聞えてくる。
(了)

2007年5月17日 (木)

【時習26回3-7の会 0091】「松尾芭蕉『奥の細道』」「室生犀星」「日野原重明「いのちと勇気のことば」」

■今泉悟です。 今日も、場繋ぎの配信となりますことをご容赦賜りたく・・。
▼何やかやと言って、【0085】号:峯田君 【0086】号:市川君 【0087】号:鈴木U次君 【0088】号:二橋君・渡辺さん 【0089】号:金子(T)君 【0090】山中(高木)さん、と6回連続で7名の方々からmailや葉書を頂戴し、【2637の会】の皆さんに話題を提供することができました。 「まぁ、まずまずじゃあないかなぁ?」と自分を納得させたりもしました。
▼・・ですが、ここで「パタッ」とclassmatesから便り(mail)が来ないとなるとやはり寂しい・・。 8月11日の【2637の会】同窓会に件については、何回も申し上げますが、「今のところ日程が先のことなので出席できるかどうかわからない」方は、「(○)ギリギリまでわからない」に○をつけてご返送頂ければ結構です。 そして【近況】を一言添えて頂ければもう「最高」です。 ご協力宜しく! と言っても、決してご無理はお願いしませんので・・。(笑)  
    *   *   *
■さて、昨日5月16日の日経新聞『春秋』を読まれた方はご存知でしょうが、そこには次のように書き始められていました・・。
「四十六歳の芭蕉が江戸・深川を後にして「奥の細道」の旅に赴いたのは元禄二(1689)年の三月二十七日、陽暦で五月十六日にあたる。」・・そうなんです。 芭蕉は、清々しい新緑のこの時節に陸奥へと旅立って行ったのですね。 晩春の季節感を俳句にした「奥の細道」の二句目に有名な俳句があります。 ここのところを嵐山光三郎著「芭蕉紀行」から引用してご紹介致します。
    *   *   *
▼いささか驚いたのは魚屋がやたらと多いことであった。 どじょうやうなぎといった川魚が並べられているのは千住ならではであった。 チラリと頭に浮んだのは、『細道』の二句めの、
   行く春や 鳥啼(とりなき) (うお)の目は泪(なみだ)
である。 行く春のなかで、離別を悲しんで鳥は啼き、魚も目に涙を浮かべている、というほどの意味である。 「鳥が啼く」のはいいとして、「魚の目に泪」というのはいかなる意味であるのか。 川を泳ぐ魚が泪を流す、というのはあまりに幼児的な描写である。 「魚の目に涙」は、魚屋に並べられている魚の目が泪を流したように濡れている、という写生句ではないか、と私は考えた。(中略)
▼と、突然、「魚とは(【筆者注】杉山)杉風(さんぷう)のことではないか」と気がついた。 杉風は幕府御用達の魚問屋である。 『細道』の旅をするにあたって、杉風や(【筆者注】山口)素堂によって建ててもらった芭蕉庵を売り払った。 多くの門人の寄進でようやく建てた草庵を売るのは心苦しいが、杉風に相談して諒解を得て、平右衛門という人に譲り渡した。 そのため、出発までのしばらくを、深川の杉風の別宅(元木場平野町北角)採茶庵(さいとあん)で過ごした。(以下略)
Photo_4Photo_5Photo_6 【筆者注(続)】▼杉山杉風(添付写真ご参照) : 蕉門の代表的人物。 豊かな経済力で芭蕉の生活を支えた。 人格的にも温厚篤実で;芭蕉が最も心を許していた人物の一人。  これは余談だが、調べによると、女優山口智子(敬称略)(添付写真ご参照)は杉風の子孫。 栃木市の倭町に、創業100年を越える老舗旅館「ホテル鯉保(こいやす)」があり、当旅館経営者の山口家の長女が山口智子その人。
▼山口素堂(添付写真ご参照) : 彼の代表作に皆さんもよくご存知の俳句
  目には青葉 山ほととぎす 初がつほ 『あら野』) がある。 
    *   *   *
■話が、それてしまいました・・。 前回【0090】号で(勝手に)お約束したのは、室生犀星・堀口大学・中原中也のご紹介でした・・。 そこで、今日は、まず「室生犀星(添付写真ご参照)」をご紹介します。
Photo_7▼犀星(1889~1962)の作品も、三好達治の「詩を読む人のために」からご紹介しようと思いましたが、【解説】が高尚であるためか、また小生の理解力が浅薄なため、今一つ面白く感じられなかったため止めました。 変わりに嵐山光三郎著「文人暴食」(新潮文庫)から「室生犀星 ― 復讐的食卓 ― 」を抜粋してお贈りします。 こっちの解説の方が、言い方は嵐山氏には大変失礼ですが、ずっと泥臭く庶民的で親しみが湧きました。 では、どうぞ・・。
    *   *   *
▼室生犀星の有名な詩に、
'
    ふるさとは遠きにありて思ふもの
    そして悲しくうたふもの
'
 がある。 大正二年(24歳)、北原白秋主宰の雑誌『朱欒(ザンボア)』に発表された。 この一節は「小景異情」と題された第二章(「その二」)部分で、第一章(「その一」)はこう始まる。
'
    白魚はさびしや
    そのくろき瞳はなんといふ
    なんといふしをらしさぞよ
    そとにひる餉(げ)をしたたむる
    わがよそよそしさと
    かなしさと
    ききともなやな雀しば啼けり
'
▼犀星は金沢に生まれた私生児であった。 父は加賀藩の足軽組頭、母はハルという女中であった。 父は老年で女中に子を産ませたことを恥じ、生後七日のまだ名をつけぬうちに、近所の赤井ハツに渡した。
▼ハツは犀川ぞいにある貧乏寺雨宝院(うほういん)住職室生真乗(しんじょう)の内縁の妻であった。 昼間から大酒を飲む性悪女で、内縁の夫である真乗を尻に敷いていた。 犀星が貰われたとき、姉のおてい、兄の信道がおり、いずれも貰い子であった。 ハツは、人買い屋でもあり、娘は娼婦として売って遊興費を稼いでいた。 血のつながらぬ母子、兄妹との奇妙な共同生活が、ハツの専制のもと、雨宝院の庫裏(くり)のなかで日夜くりひろげられた。 犀星は生まれながらにして怪奇因縁話の苦界(くがい)に放りなげられた。
▼ひもじい少年は、食うことのみに思いがいく。 だから「ふるさとを遠くにありて思う」とき、「白魚の目玉のくろき淋しさ」がまず記憶の念頭に浮ぶ。(中略)
▼高等小学校を三年で退学(当時は尋常小学校四年、高等小学校四年制であった)し、母の命令により金沢地方裁判所に給仕として勤めさせられた。
▼姉が娼婦として売られたときの記憶を犀星はこう書いている。
▼「・・・・女の身売り三年間の金高はどれだけの金高であるか判らないが、恐らく五六十円くらいがせいぜいで、口入料とか、反物衣裳代を引いた後でもお初(ハツ)の懐中には、充分の飲代があった・・・・酒くさい家の茶の間から姉のすがたがさっとさらわれて行ったということに、わあと声をあげて表戸の車の下まで馳(はし)り出て泣いたものであった」(「私の履歴書」)
▼犀星は、このときほど声をはりあげて号泣したことはなかったという。 ハツは「姉を売った金でおまえが食うことができるのだ」と説明した。 当時、酒は一升六十銭であった。 給仕に出たときの犀星の初任給は二円五十銭、その月給もすべてハツに巻きあげられた。 犀星にとって唯一の好運は金沢が文化都市であったことで、裁判所上司川越風骨に俳句の指導を受けた。
焼芋の固きをつつく火箸かな」(句集『魚眠洞発句集』)は、十五歳のときの句である。 この句を読んだ明治三十七年には日露戦争が勃発した。 養母ハツの虐待のなかにあって、たんたんと焼芋の句を詠んだ。 十五歳の少年とは思えぬ老成した句に、硬直した孤独がひそんでいる。(中略)
▼犀星は、俳句にはじまり詩作で名をなして、萩原朔太郎とは終生、義兄弟の関係となった。(中略)
▼貧困と飢えのなかで我慢づよく生き、透明な視線で一直線につらぬく抒情をさがしつづけた。 大正七年(二十九歳)に自費出版した『抒情小曲集』(六百部)に「白魚はさびしや・・」の詩が掲載された。
▼『抒情小曲集』には「酒場」と題した詩もある。
    酒場にゆけば月が出る
    犬のやうに悲しげに吼(ほ)えてのむ
    酒場にゆけば月が出る
    酒にただれて魂もころげ出す
▼酒場で一緒に吼えるのは三歳上の萩原朔太郎だった。 朔太郎は一年前に処女詩集『月に吠える』を出版したばかりだった。 荒れて飲み、飲んで吠えた。
    *   *   *
【筆者comment】■とは言え、三好達治著「詩を読む・・」から室生犀星の作品解説を一部分だけご紹介しましょう。 小生にはとても此処まで読み採れません。 詩を鑑賞するのは本当に奥深いですね。 でも、ここまで読み切る必要もないと思います。 素直に読めればそれでいいなぁ・・と。 では、こちらもどうぞ・・。
    *   *   *
▼(前略)「室生のあはれは無智の一得・・・・」と萩原さんはその詩を推称しながら、どうかすると揶揄(からか)い気味にそういわれた。 吃々(きつきつ)として舌の廻りかねた稚醇な言葉づかいの巧みに( ― それも一種の巧みには違いない ― )使いこなされて行届いたふしのあるのを、そういわれたのであろう。(中略)
      駱駝(らくだ)  (『室生犀星詩集』から)
    うすき日かげに
    駱駝がつながれて居る
    老いたる人のごとく
    もぐもぐと終日もの食みてゐる
    天幕は雪空のごとく
    灰ばみ悲しげに吊られ
    駱駝もの言はず
    ひねもす口を動かして居る
 の如きもまたその類であろう。 動画を見るように面白い ―、その面白さには底に古典的なものが何がしかひそんでいて、うわべに幼いクレヨン画のような筆づかいがみえる。 それが一つの潮合いになった具合を指すのであろう、萩原さんの指摘するところは。
    *   *   *
■室生犀星の作品のなかで「小景異情」とともに有名な詩「春の寺」があります。 桜の季節は過ぎてしまいましたが、大正期の「さくら美」の代表作品の妙を堪能下さい。 確かに理屈なく、桜が満開のお寺の境内脇で子供たちがままごと遊びに興じる様子が目に浮びます・・。 小生には、犀星の詩は朔太郎よりずっと平易で解かり易いですね。
      春の寺
    うつくしきみ寺なり
    み寺にさくらりょうらんたれば
    うぐいすしたたり
    さくら樹(ぎ)にすずめら交(さか)り
    かんかんと鐘鳴りてすずろなり。
    かんかんと鐘鳴りてさかんなれば
    おとめひそやかに
    ちちははのなすことをして遊ぶなり。
    門もくれない炎炎と
    うつくしき春のみ寺なり
 【注】りょうらん:繚乱。  うぐいすしたたり:うぐいすのさえずりが聞えるさま。 すずろなり:なんとなく心が惹かれること。  炎炎と:炎の色に燃え立ち。
    *   *   *
Photo_15 【後記】■今日の締め括りは、最近購入した日野原重明著「いのちと勇気のことば」(添付写真ご参照)から「5.人生午後の、歩き方」の中から抜粋してお贈りします。
▼日野原氏は1911年生まれ。 人格者として著名な氏の言葉は、輝かしい実績と相俟ってズシーンと心に響く鐘の音のようです・・。
    *   *   *
五十歳になったからにはこれから人生の午後が始まる・・・
  リンドバーグ夫人(1906生-2001没)のこの言葉には
  美しく穏やかな海の夕景が浮かんできませんか
  豊かな時間の光景が浮かんできませんか
  ・・・・生きている、とは、時間が与えられている、ということ。
  そうして、その時間の中身を最終的に決めているのは、他ならぬあなた自身。
▼減ってゆく残り時間を惜しみ怯えるのではなく
  また新たな一日をもらったと
  感謝の思いで人生の午後に臨みたいものです
  ・・・・あなたがこれまでに得てきた知識や体験を子どもや若者たちに伝えるのは、人生の先輩として大切な仕事です。
▼財産や時間にどれほどの時間があっても、
  一日に三時間、などと前もって決めて
  勉強や趣味に取り組むようにすると、
  人生の午後は豊かになります  
  ・・・・新しいことにチャレンジするという気持ちに、年齢制限はありません
齢をとっていて、体が老いていても
  新しいことに興味を持てる人は、本質的に若い人
  若いのに、
  未知のことに興味を持てない人は、もう心の老人
  ・・・・人生の明け方、すなわち第一の人生において、人は受動的、かつ利己的です。
  人生の午前、すなわち第二の人生において、人は能動的、かつ少々利己的です。
  しかし、人生の午後、すなわち第三の人生は、自由に解き放たれた時間です。
  世間や家庭のことに、それほどとらわれず、自身の本当の生きがいに向かって進むのに、他者のために自己を提供もできてしまう境遇だからです。 
    *   *   *
【追申】■小生、明日18日(金)から21日(月)まで、愚娘の留学先である中国大連市に陣中見舞いに行って参ります。 その後、上海→蘇州→上海→大連 と、小旅行の予定です。 従って、【2637の会】も暫し休刊させて頂きます。 
▼それでは、皆さん、また来週22日以降に mailとblog でお会い致しましょう。 (了)

2007年5月14日 (月)

【時習26回3-7の会 0090】~「山中(高木)さんからのmail」「三好達治著『詩を読む人のために』~萩原朔太郎・島崎藤村」「新井満・Susan Osborn"I Am a Thousand Winds"」

■今泉悟です。
▼はてさて、いよいよ話題に窮して来ました・・。(苦笑)
Photo_12Photo_13Photo_14■・・で、皆さんからの便り(mail)が来るまで、場繋ぎに、詩人三好達治(添付写真ご参照)著「詩を読む人のために」(岩波文庫)の中から、今日は「数人の詩人について ~ 『萩原朔太郎(添付写真ご参照)』」と「(【筆者注】島崎藤村(添付写真ご参照)作)『千曲川旅情の歌』について」の夫々抜粋をお贈りします。
▼因みに、次回以降は、室生犀星、堀口大学、中原中也について、追って掲載してみようかと思っています。
▼正直、小生、詩歌のうち、とくに「『詩』の素晴らしさ」が未だよくわかりません。 確か、高校時代の現代国語の実力テストでも「『詩』の解釈」が最も不得手でした・・。
▼「それではダメだ!」と改心し、「人並みに詩を理解しよう」という観点から、十数年前だったと思いますが、三好達治の前掲の本を書店で買い求めました。 その時は、ほとんど衝動買いで「時間的ゆとりができたら読んでみよう」と軽い気持ちだったので、実際に小生の本棚の一隅にず~っと眠っていました。 そして、今般、ようやく日の目を見た訳です。 
▼余談ですが、この本(岩波文庫)の底本は、『詩を読む人のために』(学生教養新書、至文堂、1952年6月)。 その「前書き」で三好達治はこう述べています。 抜粋してご紹介します。
    *   *   *
▼この小さな書物は詩を読む人々、それも初めて現代詩を読もうとする年少の読者のためにという、書店の依頼によって筆をとりました。(中略)
▼詩は一本立ちの孤独な心で読むべきものです。 私の解釈解説に多少のおしつけがましいふしがまじっているとしても、それは要するに諸君の取捨にまかせるために、あるいは諸君に別個の考えを呼び起こすために、そこに置かれているにすぎないことは、もう断るまでもありますまい。(中略
詩を理解することは、さまざまな詩をさまざまに読みとり受け容れることからまず始める必要のあることもまた事実でしょう。(中略) 心を柔軟に精神を平らかににして、さまざまな詩人のさまざまな作品に虚心に従ってゆくことは何という楽しい履歴でしょう。 それが私の流儀です。(以下略) (【筆者注】1952年)5月2日記
    *   *   *
■(【筆者comment】)それではまず、三好達治解説による「「数人の詩人について~『萩原朔太郎』」からご紹介します。
    *   *   *
   地面の底の病気の顔(『月に吠える』から) 萩原朔太郎
地面のそこに顔があらはれ、
さみしい病人の顔があれはれ。
  【解説】(【筆者注】この二行)は、それだけで以てまったく完結しているのであるから、その外に一切空、何ものもない、ものとして読者はまるごとそれを嚥(の)みこむより外に、読み方はない。
地面の底のくらやみに、
うらうら草の茎が萌えそめ、
鼠の巣が萌えそめ、
巣にこんがらかつてゐる、
かずしれぬ髪の毛がふるへ出し、
  【解説】(【同】この四行・・)と詩はどこまでも進行形で、どこまでも不安定に、しかも確乎と足拍子を踏んで進んでゆく所以もそこにあるのである。 「鼠の巣が萌えそめ」という変てこなことが、ただ一つその意識にこんがらがって飛び出しても来るのである
冬至のころの、
さびしい病気の地面から、
ほそい青竹の根が生えそめ、
生えそめ、
それがじつにあはれふかくみえ、
けぶれるごとくに視(み)え、
じつに、じつに、あはれふかげに視え。
  【解説】】(【同】この三行にあるように・・)とこの詩が見えれば、つまりこの詩の読み方は完了したのである。 あるうら若い、病鬱な、極度に鋭い神経をもった一人の詩人が、ある苦しい時期に、ある苦しい考えの底で見つめたものを、読者もまた傍らもから垣間見たことになるだろう。
地面の底のくらやみに、さみしい病人の顔があらはれ。
    *   *   *
▼『月に吠える』巻頭の一章である。 上田敏博士の『海潮音』によって西欧サンボリズム(【筆者注】象徴主義)が私どもの詩壇に範例を示されて以後、(【筆者注】薄田(すすきだ))泣菫(きゅうきん)、(【同】蒲原)有明、(【同】北原)白秋、(【同】三木)露風の時代を経て、やがて口語自由詩の勃興時代に移り替るその機運と二重に絡まり合いつつ、先のサンボリズムは例えば日夏耿之介(ひなつこうのすけ)や萩原朔太郎においてさすがに大きく局面を一転しながら、いわばこの国独特の象徴的作品を生むに至った。 『月に吠える』は日夏さんの『転身之頌(しょう)』とともにこの時期を代表する不朽のモニュマンであろう。(以下略)
【筆者注】▼三好達治は、この後、「蝶を夢む(『定本青猫』から)」と「女よ(『純情小曲集』から)」について紹介し、解説する。 これらもなかなか面白い内容です・・。
    *   *   *
■【筆者comment】萩原朔太郎の詩には毒というか、棘(とげ)のように鋭く読者の心を抉(えぐ)るものがある。 「地面の底の病気の顔」を読んで、その毒(?)にあたったような、或いは鋭い棘に刺さり、痺(しび)れに似た感覚を持たれた方もいるのではないかと思います。 
▼そこで、今度は気分一新・・、島崎藤村の有名な「千曲川旅情の歌」で心を癒して下さい。 この新体詩の傑作を、三好達治は本書の冒頭(=最初の紹介作品)に持って来て、その【解説】の書き出しでこう述べています・・。 では、とくとご覧下さい。 本当に良い詩だと思います・・。
    *   *   *
▼この詩を刻した詩碑は、信州小諸の懐古園に建っています。 今ではところの名所となっているほど、詩は人口に膾炙(かいしゃ)しています。 その石摺りくらいは諸君もどこかでごらんになったことがあるでしょう。(以下略) 
    *   *   *
   千曲川旅情の歌   島崎藤村
小諸なる古城のほとり
雲白く遊子悲しむ
緑なす蘩蔞(はこべ)は萌えず
若草も藉(し)くによしなし
しろがねの衾(ふすま)の岡辺
日に溶けて淡雪流る
あたたかき光はあれど
野に満つる香(かおり)もしらず
浅くのみ春は霞みて
麦の色わずかに青し
旅人の群(むれ)はいくつか
畠中の道を急ぎぬ
暮れ行けば浅間も見えず
歌哀し佐久の草笛
千曲川いざよふ波の
岸近き宿にのぼりつ
濁り酒濁れる飲みて
草枕しばし慰む   
    *   *   *
▼三好達治は次のように解説を進めます。 流石に詩人の重鎮ですね・・。 「成程なぁ・・」と関心させられる解釈です。 ここまでこの詩を読み取れれば、『詩』を読む喜びが一層実感できるものと思います。 では、どうぞ・・。
    *   *   *
▼最初に気のつくことは、一読して、この詩がたいへん口調がよく、調子の起伏が自然になだらかな間に、この詩の字面の意味から来るものの外に、何かたいへん気持ちのいいものが、別にその口調調子の方にあるということ。 この詩は全篇五七調からできている、そういうことがまずその理由であります(中略)・・
▼私の見るところでは、その(=【筆者注】五七調からくる単調の弊害が救われている)理由は、凡そ二つ見出されるように思われます。 その一つは、音韻上の理由。(中略)
▼(中略)要約しますと、母音のOUと、子音のKとの、巧みな組合せの効果が、この詩の冒頭二行を支配しているということ、その快適な響き、その調子のよさは、殆んど偶然と思えるくらい、上乗の出来栄えだというのであります。(中略)
▼次にはその第二の理由を考えてみましょう。 この詩の比類のない魅力は、また一面からはそれはいわばこの詩の比類のない単純さにかかっているようです。 私にはどうもそういう風に考えられます。(中略)
緑なす蘩蔞は萌えず  若草も藉(し)くによしなし というのは冬がれのままの荒涼とした野辺をいうので、「緑」も「蘩蔞」も「若草」も、ここでは詩中に一度持出されて、持出されると同時に引っ込められてしまった形であります。 だから読者の心理的内部の方からいうと、それらの詩語詩句によって呼び起された心象は、外から刺戟に応じて喚起されるに従って、またやがて一つ一つ放下されていく、それでもっていっこうにこの詩を読みつづけてゆく上に差しつかえはない、―という極めて身軽な精神状態、単純な心理状態に読者は常に置かれているといっていいでありましょう。(中略)
▼私の考えでいうと、「千曲川旅情の歌」の大きな魅力は、その内容の単純さ、その内容における形象的要素の打消し、いい意味でのそのとりとめのなさから来る単純さと、それから先にいった音韻的成功との、二者が表裏をなしていて、読者の主観的気分がそのために、一方では自由に解き放たれ、一方では濃厚に凝集される。 そういう作用をその詩の世界がもっているからであろうと、そんな風に私は説明したいのであります。
    *   *   *
【筆者comment】▼この詩を読むと理屈なく気分が爽快になる。 三好達治も言っているようにこの詩の歌い出しの二行の『音韻』が読者の耳に心地よく響きわたる。 これがこの詩の素晴らしさの第一。 次いで、僅か18行の中に《 小諸・古城・白雲・遊子・緑色のハコベ・若草・しろがね・淡雪・あたたかい・光・香(かおり)・春・霞・麦の色・青・旅人・畠中・道・暮れ・浅間(山)・歌・哀し・佐久・草笛・千曲川・波・岸(辺)・宿・濁り酒・草枕 》と、30ものitemが一つひとつ程よく混ざり絡み合い、美しい自然、見事な色彩、旅情等を我々読者にvisualに想い浮かばせる、詩情豊かさと平明さ。 これがその素晴らしさの第二。 あたかも舞台の千曲川の岸辺に佇んでいるように・・。 ところが、それらの大半は「否定的命題」によって、繰り返し否定されつつ詩自身は進行してゆく。 即ち、これだけのitemを使いながら形象的要素が甚だ少なく、「旅人の群れが夕暮れの霞の中に消えて行く」単純さ・・。 
とにかく、「歌い易く」「解かり易い」いい詩です・・ハイ。
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■上記の通りこの「繋ぎ」のmail&blogを書き進めていたところ、大変嬉しいmailが届きました。 
山中(高木)さんからの『2007年【2637の会】出欠・中間確認mail』が届いたのです。
▼以下にお示しした通りまだ「 (○)ギリギリまでわからない 」とのことですが、時間はまだ充分にあります。 是非調整して去年同様参加をお願いします。
▼二橋君同様、【近況】commentがなく残念でしたが、これも二橋君同様【2637の会】を気にかけてくれて、「返信mail」を送信してくれたことが嬉しいです。 山中さん、ありがとう。 
▼そう言えば余談ですが、去る4月30日、小生達「賢人会」memberで歴史探訪を実施した「大津市」は、山中(高木)さんのお住まいの地だったんですね・・。 ご自宅住所から推察すると、「賢人会」で訪問した史跡のうち「膳所城址」や「義仲寺」なんか、きっとお近くでしたんですよね・・。
1973_52006_1▼山中(高木)さんの写真も1973年版・2006年版を掲載させて頂きました。万年幹事の特権にて執り行わさせて頂きました。山中(高木)さん、ご容赦を。
From: 山中 ○子 [mailto:xxxxxx]  Sent: Sunday, May 13, 2007 5:35 PM To: '今泉悟'
Subject: RE: 【0087号外】号『2007年【2637の会】出欠・中間確認mail』

    *   *   * 
【返 信】『2007年【時習26回3-7の回】同窓会・出欠中間報告』 
    *   *   *
1:2007811()の同窓会に
 ( )参加する ( )欠席する )ギリギリまでわからない ・該当箇所の( )内にを入れて下さい。
2:【近況】を是非一言お願いします。 →▼   
    *   *   *
以上 

【後記】■今日、最後にお届けするのは、米国の音楽家Susan Osbornと芥川賞作家の新井満氏のcollaborationによって生れた"I Am a Thousand Winds"です。 この曲は、昨年の紅白歌合戦で秋川雅史氏が歌った「千の風になって」の英語版です。 この曲は作曲者新井氏によると、「この曲は全国の葬儀場で人気ナンバーワンなんですよ。 自分の葬儀のときにこの曲をかけてくれという方が大勢いらっしゃるようなんです。」とのこと・・。
▼確かに、解かりやすい歌詞と心地よいmelodyが聴く人の心を魅了します。 何処となく黒人霊歌、Amazing Graceにも似ていますが、心が清らかに洗われる本当に素晴らしい曲です。 まだ聴いたことがない方は一度是非聴いて見て下さい。 小生、絶対のお薦めです。 何ですっ? 「今泉のお薦めじゃぁ、大したことことないやぁ。」なんて言っている人は・・。(笑) では、歌詞をどうぞ・・。 
    *   *   *
  I Am a Thousand Winds        Susan Ozborn
'
  *Don't stand at my grave and weep
    I am not there, I do not sleep
    I am sunlight on ripened grain
    I am the gentle autumn rain*
'
**I am a thousand winds
   I am a thousand winds and blow
   I am diamond glint on snow
   A thousand winds that blow**
'
   Don't stand at my grave and cry
   I am not there, I did not die
   I am swift rush of birds in flight
   Soft stars that shine at night
'
(**-** 繰り返し)(*-* 繰り返し)(**-** 2回繰り返し)
    *   *   *
【意】▼*私の墓に立って涙を流さないで  私はそこにいない  私は眠らないのだから  私は実った穀物を照らす太陽  私は優しく降り注ぐ秋雨*
▼**私は千の風  私はそよぐ千の風  私はダイヤのように輝く雪の光  私はそよぐ千の風**
▼私の墓に立って涙を流さないで  私はそこにいない  私は死ななかったのだから  私は勢いよく飛び立った鳥たちの羽ばたき  私は夜に優しく輝く星
    *   *   *
■渡辺さん・二橋君・金子君・山中(高木)さん達に続く【2637の会】の皆さん! 
「【同窓会・出欠中間確認】mail」をドンドン返信して下さいネッ!!お願いしま~す!!!
(了)

2007年5月11日 (金)

【時習26回3-7の会 0089】~「金子T久君からのmail」

■今泉悟です。 今日は、また嬉しいお知らせがあります。 5月9日、金子T久君から、8月11日【2637の会】同窓会への出席表明confirmと、【近況】commentを頂戴しましたのでご紹介致します。
    *   *   *
▼From: t_kxxx.co.jp [mailto:txxxx] Sent: Wednesday, May 09, 2007 7:37 AM To: 今泉悟
Subject: Re: 【0087号外】号『2007年【2637の会】出欠・中間確認mail』
▼今泉様  毎度毎度の幹事役ご苦労様です。 同窓会への出欠返信を添付します。(従来通り出席予定です。) 公式コメント(近況報告)は添付メールに記させてもらいました。
関連会社(※←【筆者注】関連会社ではありません。当行も出資してはいますが・・。県・市も出資している特殊法人(所謂「第三セクター」)です。正式に就任しましたら、ご挨拶させて頂きます。)へ出向されたそうですね。 銀行という社会での人事慣習についてはあまり詳しくありませんが、銀行勤務の伯父がいたことで昔の話は若干聞いたことがあります。
現在の慣習と一緒かどうかわかりませんが・・・。 出向となった本人はいろいろと思うところはあると思いますが・・・、世間一般から見れば「新たな職場でそれなりの立場」でしょうから「いいんじゃないの」というのが無責任な感想です。 我が社のように出向先がほとんど無い企業に勤めている者としてはむしろ羨ましくも感じてしまいます。
まあ、この手の話は活字ではいろいろと誤解も招くと思いますので次回顔を合わせたときにじっくりと。
********************************************
      (株)M○○   第1製造部     金子T久    TEL : 05xx-xx-xxxx(代表)  ( Ext : 5100 )  FAX : 05xx-xx-xxxx  E-mail :
t_xxxxx
******************************************** 
    *   *   *
■【返 信】『2007年【時習26回3-7の回】同窓会・出欠中間報告』
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■1:2007年8月11日(土)の同窓会に (○)参加する ( )欠席する ( )ギリギリまでわからない  ※・該当箇所の( )内に○を入れて下さい。
■2:【近況】を是非一言お願いします。
→▼昨年両親が立て続けに他界し半年以上経過した今もまだ遺品(と言うより、ガラクタ)の整理が終わっていません。そのためこのGWはその整理と、女房の冷たい視線を浴びながらのゴルフにいそしんだ9日間でした。どこへ行っても混んでいるし、子供達からは部活などで相手にされない境遇の中での例年どおりのGWです

1973_42006【筆者comment】■金子君へ、GWの家庭サービスお疲れ様でした。 万年幹事の独断専行ですが、貴兄の1973年版と2006年版の写真を添付させて頂きました。 因みに今回の1973年番は、すでにご紹介済の菰田君との写真ではなく、体育祭の日(本番だったか、練習日かは忘れていまいました・・)の運動場での男5人の記念写真です。 写真、後列向かって左から鈴木Y次君、藤川君、内山君。前列左から金子君、小生です。
    *   *   *
■今日5月11日は、詩人萩原朔太郎の命日(1942年5月11日享年55歳)です。 そこで、彼についてちょっと調べてみました。
▼萩原朔太郎は、明治19年(1886年)11月1日、群馬県(現在の)前橋市で地元の医者長男として生まれた。 以下、嵐山光三郎著「文人悪食」(新潮文庫)から「萩原朔太郎 ― 雲雀料理 ― 」から抜粋してお贈りします。
    *   *   *
▼朔太郎のデビューは遅い。 晩熟の詩人である。 詩集『月に吠える』が出版されたのは三十一歳である。 それまでの朔太郎は、本は読みあさるものの、定職もなく、ブラブラしていた。(中略)
▼詩集『月に吠える』に「雲雀料理」のメニューが出てくる。
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 雲雀料理
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 「五月の朝の新緑と薫風は私の生活を貴族にする。 したたる空色の窓の下で、私の愛する女と共に純銀のふおうくを動かしたい。 私の生活にもいつかは一度、あの空に光る、雲雀料理の愛の皿を盗んで食べたい。」
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    *   *   * 
 詩篇『雲雀料理』 もある。
    *   *   * 
 ささげまつるゆふべの愛餐
 燭代に漁蝋のうれひを薫じ、
 いとしがりみどりの窓をひらきなむ。
 さつきははるばると流るるものを、
 手にわれ雲雀の皿をささげ、
 いとしがり君がひだりにすすみなむ。
    *   *   * 
▼いずれも飢渇からくる妄想である。
▼いくら萩原家が裕福であるとはいえ、無職の息子である朔太郎に、こんな食事ができるはずがない。 ここには、父に「飼い殺しにしてやる」と言われた長男の全力のひらきなおりがある。(中略)
▼朔太郎は、挙動不審と被害妄想の生涯をおくった。 被害妄想が書かせるのか、書こうとする意志が挙動不審を生むのか。 おそらく響きあう音階のようにこの精神状態はからみあい、朔太郎の血脈を流れていったのだろう。 通常の思考の回路を無視したところに朔太郎は立っている。(中略)
▼朔太郎は藤見酒が好きだった。(中略)
▼死ぬ日は、家の庭に藤の花がずっしりと咲いていた。 しかし酒は飲めない。(中略)
▼死後、遺言のような俳句が出てきた。 そのひとつは、
    *   *   *
  行列の 行きつくはては 飢餓地獄    というものであった。
    *   *   *
【筆者commemt】■『月に吠える』は、1919年(大正6年)2月15日に、感情詩社・白日社出版部から刊行された。 この作品は、朔太郎の第一詩集で、朔太郎の父方の従兄・萩原栄次氏に捧げられた。 また、『序』を、彼の師、北原白秋が贈っている。 その抜粋もご紹介します。 白秋は、朔太郎を「異常な神経と感情の所有者」と評している。
    *   *   *
▼萩原君。
▼何といっても私は君を愛する。 そうして室生君を。 それは何といっても素直な優しい愛だ。 いつまでもそれは永続するもので、いつでも同じ温かさを保ってゆかれる愛だ。(中略)
▼室生君と同じく君もまた生れた詩人の一人である事は誰も否むわけにはゆくまい。 私は信じる。 そうして君の異常な神経と感情の所有者である事も。 譬(たと)えばそれは憂鬱な香水に深く涵(ひた)した剃刀である。 而もその予覚は常に来るべき悲劇に似て顫(ふる)えている。(以下略)
▼また、嵐山光三郎の言葉を借りると・・、
▼詩集『月に吠える』は詩壇の代表的詩人がこぞってほめ、白秋や鴎外も絶賛した。 朔太郎は一躍詩壇の寵児となり、(以下略) ・・となる。
▼興味ある方は『月を吠える』をご一読下さい。
    *   *   *
10704303070430Abc070509 【後記】■さて今日も、小生の下手な水彩画の習作を性懲りもなく掲載します。 今回は、「三井寺観音堂から琵琶湖遠望」です。 真っ赤な躑躅がとても綺麗でしたので(~添付写真2枚をご覧下さい~)絵にしてみたのですが・・、水彩画でありながら躑躅の赤色が(ガッシュで上塗りしたため)強調され過ぎて色彩がunbalanceになってしまいました。 絵画は難しいですねぇ・・。 恥ずかしいので絵は小さくして掲示しました(←「恥ずかしいなら、掲示しなけりゃいいじゃん。」「ウゥ・・、確かに・・。」(笑))。 

2007年5月 8日 (火)

【時習26回3-7の会 0088】~「『渡辺S○子さん』『二橋君』からのmail」「小生愚作:水彩画「三井寺『観音堂』」」

■今泉悟です。  GWもあっという間に過ぎ去り、いつもの毎日が始まりました。 【2637の会】member各位は如何お過ごしですか? 今日は好天でしたが、大変暑い一日でした。
「地球温暖化」を連想していまうのは、短絡的過ぎるでしょうか・・。
    *   *   *
■ところで、皆さん、【0087号外】号はご高覧頂きましたでしょうか。 5月4日未明に配信させて頂きました処、渡辺S○子さんと、二橋君から「返信mail」を頂戴しましたので、ご紹介致します。 お二人とも8月11日の同窓会出欠については「(○)ギリギリまで解からない」とのことです。 まだ、日はありますのでジックリ検討して都合をつけて頂き、是非、同窓会に出席できるよう頑張って下さい。 心よりお待ち申し上げております。
■【2637の会】皆さん、是非「返信mail」を送って下さい。 宜しく!!
    *   *   *
■それでは、まず渡辺S○子さんからのmailです。 最近、mailを頂戴頂いたclassmateの顔写真を添えることを、万年幹事の独断で執り行なっています。
1973_12006▼渡辺さんへ、事前のexcuseなしでゴメンなさい。 昨年、8月下旬に再会した際のsnap-shotと1973年versionを添付します。
▼因みに、渡辺さんからは、【近況】commentと頂戴していますので、併せご紹介させて頂きます。 それでは渡辺さん、どうぞ・・。
    *  *   *
From: watanabe [mailto:wxxxxx]  Sent: Friday, May 04, 2007 10:12 PM To: 今泉悟 
Subject: Re: 【0087号外】号『2007年【2637の会】出欠・中間確認mail』
【返 信】『2007年【時習26回3-7の回】同窓会・出欠中間報告』
    *   *   *
■1:2007年8月11日(土)の同窓会に 
 ( )参加する ( )欠席する (○)ギリギリまでわからない
          ※↑↑↑※・該当箇所の( )内に○を入れて下さい。
■2:【近況】を是非一言お願いします。
→▼連休はどこへも行かずのんびりと過ごしています。 4月から名古屋の寮に入っていた息子が東京勤務となり帰って来ました。 朝が早いからこの連休は久し振りに時間を気にせず寝ています。 同窓会はいつもの事ながらはっきりしなくてごめんなさいね。
ところで宮城谷昌光の「風は山河より」はお読みになりましたか? 作者は時習館の先輩で、野田城主を主人公にした話なので三河の地名がいっぱい出てきます。 普門寺も出て来ますよ。 私はまだ途中までしか読んでいませんが、新城出身の主人は地理がよく分かっていることもあって面白かったと言ってます。 毎日連休状態なんですよね。 又楽しいお話聞かせて下さいね。 
【筆者comment】■渡辺さんへ、時習館の先輩でもある宮城谷昌光氏の作品は、「晏子」「重耳」を始め、ひと頃は結構嵌って読んでいましたが、最近はちょっとご無沙汰しています。 060404 野田城址は昨年春4月、「賢人会」で行って来ました。 
▼今夏の同窓会には是非参加して下さいネッ。 心よりお待ち申し上げています。
    *   *   * 
■続いては、二橋君からのmailです。 二橋君へ、8月11日の同窓会には都合をつけて是非参加して下さいね。 小生、これからは余り上京する機会はないかもしれませんが、その時はまた原田君と一緒に一献傾けましょう。 宜しくね、原田君! 
1973_3 2007cf070224▼二橋君へ、貴兄の写真も添付させて頂くことを事後ながらご了解下さい。 2007年版は今回、初公開版です・・(一番右側が二橋君。中央が原田君です)。 【近況】commentがなくて残念でした・・。
    *   *   *  
▼From: nihashi yxxx [mailto:xxxxxx]  Sent: Monday, May 07, 2007 11:38 AM To: 今泉悟 
Subject: Re: 【 0087 号外】号『 2007 年【 2637 の会】出欠・中間確認 mail 』     *   *   *
■【返 信】『2007年【時習26回3-7の回】同窓会・出欠中間報告』
    *   *   *
■1:2007年8月11日(土)の同窓会に  ( )参加する ( )欠席する (○ )ギリギリまでわからない  ※・該当箇所の( )内に○を入れて下さい。
■2:【近況】を是非一言お願いします。 > →▼   以上
    *   *   *
【後記】070507070430_21 ■暇人、小生、今まで十数年来ご無沙汰の水彩画にチャレンジしました。 恥も外聞もないですが、下手な習作を見てやって下さい。(了)  

           

2007年5月 4日 (金)

【時習26回3-7の会 0087】~「鈴木Y次君からの『返信はがき』と《e-mail address》」「新緑の古刹『普門寺』」

■今泉悟です。 【26-37の会 0087】号をお送ります。 【2637の会】の皆さんは家庭サービスで大変忙しいGWをお過ごしのことと推察致します。
■さて今日は、【2637会】にとって、大変嬉しいニュースがあります。
1_71978_1▼掲題にあるように鈴木Y次君から「返信はがき」が届き「e-mail address」を教えてくれました。 
▼Y次君からの【近況報告】をお伝えします。 詳しくは「添付写真」をご覧下さい(いずれの添付写真も、写真の上をclickすると写真が拡大します)。
    *   *   *
▼大学卒業後、29年市内H田町のH国工業(株)に勤続しています。 いつも連絡ありがとうございます。
    *   *   *
Y次君へ、【2637の会】へようこそ これでこの会の仲間は、T三先生も参加して頂き32名になりました。 嬉しい限りです。 今後とも応援宜しくお願いします。 8月11日の同窓会の出欠のお返事はまだ結構ですが、是非、参加をお願いします。
▼まだお返事を出していない方で、出ても良いという方は、この【0087】号と別便で「【0087号外】号『2007年【2637の会】出欠中間確認mail』」を配信させて頂きます。 すでに出席を表明されている10名の方にも一緒に配信しますので、近況を返信mailを頂戴できると幸甚です。 【2637の会】を少しでも盛り上げたく存じますのでご協力下さい。
    *   *   *
▼昨日5月3日は、憲法記念日。 因みに一昨日5月2日は八十八夜。 立春から八十八夜目。 播種(はしゅ:種蒔き)の適期とされる。 茶どころでは茶摘の最盛期となる。 
▼明後日5月6日は、二十四節気でいう「立夏」。 陰暦4月の節。 夏立つ日で、暦の上ではこの日から立秋までが夏。 山野に新緑が目立ち始め、風も爽やかになり、いよいよ夏の気配が感じられる。
070503070503_1070503_2070503_3070503_4070503_5070503_6070503_7070503_11▼ということで、昨日は、明るく爽やかな好天に誘われ、新緑の風景を堪能しようと、午前中、静岡県との県境近くの山麓にある「普門寺」を訪れました。 と言っても、自動車で我が家から9km、時間にして20分余り。 近距離にある真言宗の古刹です。 従来の小生であればあまり関心を示さなかったのですが、「賢人会」で古刹の由緒・沿革を知るに連れ、是非訪問してみたくなった・・。 確かにこれは、心境の変化ですね。 
【普門寺の沿革】▼727年、行基が船形山(普門寺がある山)に登った時霊気を感じ、観音のお告げにより自ら聖観音立像を刻み、本尊として山頂に寺院を立てたことに始まる。 その後、平安末期に天台宗との勢力争いで荒廃したが、源頼朝の保護により、三河七御堂の一つとして繁栄した。 戦国期には、駿河の今川氏と田原の戸田氏との争いにより焼失したが、今川義元により再興された。 また、江戸時代には徳川幕府の庇護を受け栄えた。 
▼添付写真の「新緑の普門寺」をご覧下さい。 更にブログに詳細を掲載しました。 ここをclickして下さい → URL: http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog 
【筆者comment】▼「普門寺」近くの農村風景を観ていたら、以前2006.06.05付【0034】号にてご紹介した王安石「初夏即時」が思い浮かびましたが、今日は同じ王安石の五言律詩「即時」をご紹介します。 この作品もなかなか味がある佳品です。
    *   *   *
  即 時     王安石
径暖草如積   径(こみち)暖かくして 草積むが如く
山晴花更繁   山晴れて 花更に繁し
縦横一川水   縦横一川(いっせん)の水
高下数家村   高下(こうげ)数家の村
静憩鶏鳴午   静かに憩えば 鶏 午(ひる)に鳴き
荒尋犬吠昏   荒尋(こうじん)すれば 犬 昏(くれ)に吠ゆ
帰來向人説   帰来(きらい)して人に向かいて説く
疑是武陵源   疑うらくは 是れ武陵源
    *   *   *
【意】小道は暖かく、草叢はこんもりと積み重なっているようだ。 山は晴れわたり、花は一層咲き誇っている。 一筋の川が縦横に曲がりくねって流れ、山の高い処、低い処に、数軒の家が見える。 昼下がり、静かに休息していると、何処からか鶏の声、夕方、小暗く寂しい処を散策していると、犬の遠吠え。 帰宅してから家人に言った。 わしが見たのは、武陵桃源だったかもしれない、と。
    *   *   *
【後記】Blue_note_nagoya070501 ■5月1日は、久しぶりに名古屋に行って来ました。 目的は名古屋ブルー・ノート(Blue Note Nagoya)での司いつ子concertです。 Blue Noteは前から一度行ってみたかったところです。 ほろ酔い気分で聴くJazz Vocal ・・ 良かったですヨ・・。
55701_52_4Photo_11▼その前に、同日午後、松坂屋本店南館7F「松坂屋美術館」で開催中の《京都国立近代美術館所蔵》「洋画の名画」展を観て来ました。 近代から現代にかけての日本人洋画家55人の70作品・・。 こちらもなかなか良かったですよ。 添付写真は、絵葉書になっていた佐伯祐三「裏町の広告」です。 なお、ブログには、出店目録全70品を添付しましたので、興味ある方はご覧下さい。 この展覧会は5月20日まで開催しています。
1_63_32_54▼また、ブログには拙宅のシャクナゲがまた新たに開花しましたので、以前ご紹介したものの現在の様子も併せ4株添付しました。(了)

2007年5月 1日 (火)

【時習26回3-7の会 0086】~「市川君からのmail」「『賢人会』歴史探訪:大津」

■今泉悟です。今日は掲題の件、ご報告致します。
■まず最初は、市川Y○郎君からmail address変更のmailが届いたことをお知らせします。 市川君、mailをありがとう。 8月11日の同窓会での再会を楽しみにしています。 
▼小生も一昨年暮に「ヒカリ(=フレッツ・光プレミアム)」にしたことにより、【26-37の会】30名のclassmatesに、e-mail配信が料金を気にせずできるようになった訳で、本当に有り難いこととNTT西日本に感謝しています。ハイ・・(笑)。
197820061▼ところで、前回の峯田君同様、市川君も1978年&2006年versionの写真を添付させて頂きました。 市川君へ、本人の了解なく貴兄の写真を掲載させて頂くことを【26-37の会】万年幹事の特権としてご容赦賜り度。 因みに白黒写真が1978年versionで、向かって右側が市川君、左側が小生です。 この写真は、高校三年の春、東山動植物園への遠足の際、同園入口の横断歩道で撮影したsnap-shotです。 では、市川君、どうぞ・・。
    *   *   *
From: 市川Y○郎 [mailto:yxxxxx]  Sent: Sunday, April 29, 2007 4:09 PM To: 今泉悟 Subject: アドレス変更します。
こんにちは、銀行早期退職したということですね。大手の銀行とは厳しいというのか、新陳代謝が早いというか、チャンとその次が用意されているというところがすばらしいというか、スゴイところですね。とりあえず人生の洗濯ができていいね。うらやましい限りです。小生、以前に連絡したようにK紡績に戻りましたが、内部統制の一員として訳わからずの毎日です
さて、小生のことですが、ADSLからヒカリに替えてプロバイダーが変わりました。メールアドレスは yxxxxxとなりました。まずはアドレス変更の連絡まで
    *   *   *
■さて、昨日4月30日は、前号でお知らせしたように「賢人会」歴史探訪の一環として、今回は「大津市の古刹巡り」をして来ましたので、早速、そのsnap-shotをご紹介させて頂きます。 日帰りで、「石山寺」→「瀬田の唐橋」→「幻住庵」→「膳所城址公園」→「義仲寺」→「三橋(みつはし)節子美術館」→「三井寺(園城寺)」と廻って来ました。 一日コース(course)でしたが、昨日は天候にも恵まれ、内容も大変充実した小旅行でした。 以下、順を追ってご報告致します。 
▼写真の詳細は、【26-37の会】blogに掲載していますので、ここをclickして下さい。→ URL: http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog   因みに、写真の上をclickすると写真は拡大します。

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070430070430_1▼まずは、近江八景の「石山の秋月」で有名な「石山寺」です。写真は東大門から本堂に至る参道で、満開の躑躅をバックに撮影。 ブログでは国宝「多宝塔」をバックにもう一枚。 紫式部が「源氏物語」を書いたのが、ここ石山寺です。 紫式部の歌をご紹介します。 これは百人一首57にあります。
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  めぐりあひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半の月かな
    *   *   *
【意】久しぶりにめぐり合って、その人かどうか見分けがつかないうちに、雲間に隠れてしまった夜半の月のように、あの人はあわただしく姿を隠してしまったことですよ。
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■今日は、興に乗り、訪問した先々での印象を俳句と川柳にしてみました。 下手な作品ですが、どうぞ・・(笑)。
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▼晩春の石山寺にて近江八景「石山の秋月」を連想して詠める
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  石山の 春の月こそ めでたけれ   悟空
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070430_2▼ブログでは、石山寺門前の食堂で食したご当地名物の「シジミ釜飯」を掲載してあります。 ご覧下さい。 結構美味でしたヨ。
▼続いて、「瀬田の唐橋」です。 ブログでは、もう一枚別のangleから撮影したものも添付しました。
070430_3070430_4▼石山寺門前の料理屋にて蜆(しじみ)釜飯を食した後、近江八景「瀬田の夕照」で知られる『瀬田の唐橋』にて詠める
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  (にお)の幸(さち) 春の唐橋 瀬田蜆   悟空
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070430_5070430_6070430_7 ▼次は、「幻住庵」です。 芭蕉の向こうを張って俳句とは恐れ多いので、ここは、「嵐山光三郎著『芭蕉紀行』」から『幻住庵』の行(くだり)をご紹介します。
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▼現在の幻住庵は平成三年に再現されたもので、なだらかな国分山の中腹にあって禅味あふれる枯淡の庵である。 (中略) 
▼石段を登りきると、椎の古木があり、「先づ頼む 椎の木も有り 夏木立」の句碑。 これは、『幻住庵記』に出てくる句で、庵の前に立つ椎に「ひとまず木蔭を作ってくれよ」と頼むよびかけである。 万感の思いをこめて山の庵に籠りながら、椎の木に気安く声をかける「軽み」が新境地であった。 その椎が残っている。(以下略)
【筆者注】▼写真は「幻住庵」入口で、旧【3-3】谷山君とのsnap-shotです。 また、ブログでは、「史跡『幻住庵跡』石碑」と「『先づ頼む 椎の木も有り 夏木立』の句碑」前でのsnap-shotです。
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070430_8070430_9▼続いての「膳所城址」は、公園として整備されており、家族連れで賑わう憩いの場になっていました。 膳所城址石碑のすぐ傍では、バーベキュー(barbecue)の煙りと匂いが立ち込めていました・・。 ブログでは、同公園でのsnap-shotをもう一枚掲載してあります。
▼膳所城址公園内の「膳所城址」石碑の前にて、膳所6万石の城主本多家の故郷宝飯郡小坂井町伊奈を想いて詠める
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  春、膳所に 往時を追懐 伊奈本多   悟空
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▼膳所城址公園から琵琶湖を望み、晩春の輝く太陽の光に照り映えるその雄大さに感銘して詠める
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  茜さす 照り映える春 鳰の海   悟空
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070430_11070430_12070430_10▼膳所城址の次は、「義仲寺」です。 ここには芭蕉の墓と、彼が敬愛した木曽義仲、そして義仲の妻、巴御前の墓が三つ並んでありました。 ちょっとビックリは、巴御前は、義仲亡きあとも生き続け、90歳の天寿を全うしていたことです。 いろいろ苦労したとは思いますが、大変気丈夫な女性だったのでしょう。 写真は「義仲寺」の入口で旧【3-2】中嶋君とのsnap-shotです。 また、ブログでは、「芭蕉の辞世の句碑」と「翁堂」の前でのsnap-shotを載せてあります。
▼義仲寺にて、芭蕉の墓を参りながら詠める
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  義仲寺(ぎちゅうじ)に 眠る芭蕉よ 春麗(うらら)   悟空
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▼義仲寺にて、芭蕉の辞世の句碑を見ながら川柳を詠める ( 芭蕉と真艫(まとも)に競うつもりはありません。 せめて「川柳」で・・(笑) )
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  酒飲んで 酔ひが頭を 駆け廻る   悟空
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070430_13▼「琵琶湖疏水」を通りましたので、ブログでは、その写真も添付してあります。 「琵琶湖疏水」を初めて見ました。
Photo_10070430_14▼続いて、三井寺に程近い、大津市小関町、長等(ながら)公園内にある「三橋(みつはし)節子美術館」に立ち寄り、彼女の作品群を観ました。 三橋節子は、骨肉腫により35歳で夭折した日本画家。 この画家は中嶋君が学生時代から一度是非見てみたいと思っていたそうで、我々も一緒に鑑賞しました。 色調はどこかムンクに似ていて、「湖の伝説」「三井の晩鐘」「余呉の天女」など静かではあるが鬼気迫るuniqueな作風が印象的でした。 彼女の比較的初期の作品から「裏山の収穫」を添付したのでご覧下さい。 またブログには「三橋節子美術館」開館10周年記念のleafletも添付しました。
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070430_15070430_16070430_17▼今日、最後の訪問地は、三井寺(園城寺)です。 国宝の金堂は、平成16~20年まで5年をかけ現在も修復中で外から全容を見ることができず残念でした。
▼添付写真は、まず、三井寺(園城寺)大門(仁王門)前で中嶋君と。 次いで、三井の晩鐘で有名な鐘楼の中で鐘を打とうとしている小生。 その次の写真がその「鐘」です。 
▼今日、「三井の晩鐘を聞けたらいいな」と思っていたら、なんと、「一回300円で誰でも鐘を打てる」というではありませんか・・。 嬉しさと落胆相半ばしましたが、小生は迷わず鐘を打ちました。 一生の記念(?)になりました。 ということで、「暮れ六つ」前に、何回も「三井の晩鐘」の音(ね)を聞くことが出来、大変いい想い出になりました(ホントかいな・・?)。 ただ、個人的なことを言えば、「三井の晩鐘」は男三人で聞くのではなくて・・(?)(笑)。
070430_18070430_19070430_20▼ブログの添付写真では、このほか、三井寺唐院・「三重塔」と「唐院の参道」でのsnap-shotoも添付しました。 因みに前述の「仁王門」「三井の鐘楼」「唐院『三重塔』」のいずれもが重文です。 さらに「三井の観音堂から大津市内と琵琶湖遠望」が満開の躑躅とともに大変綺麗でしたので添付しました。ご覧下さい。
近江八景「三井の晩鐘」で有名な三井寺の鐘楼にて、自ら鐘を打ち鳴らすことができ、その感動を詠める
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  我れ打てり 三井の晩鐘 春宵に   悟空
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1978070428【後記】■今日、締め括りは、「旧
【3-4】の金子T也君が、光世会病院院長就任」という記事が4月28日の東愛知新聞に掲載されていましたのでご紹介致します。 添付写真をご覧下さい。 小生は、彼をよく存じ上げないのですが、【時習26回】の仲間の活躍を耳にすると、心強く感じます。 金子君の今後の活躍を期待します。 (了)

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05【時習26回3-7の会】【2008年8月16日】《クラス会》於:ブラウンズ&トライ・アゲイン

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    ■2008年8月16日【時習26回3-7の会】《クラス会》を豊橋市内にある『ブラウンズ(一次会)』と『トライアゲイン(二次会)』にて開催しました。T三先生をはじめ全国から15名が集い大変楽しい5時間を過ごしました。 ■名残惜しいなか、23時すぎ、来年の再会を誓って散会しました。

101【2007年6月2~3日】■「千手院」でお会いした皆さんへ←clickでalbumへ

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