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2007年9月の5件の記事

2007年9月29日 (土)

【時習26回3-7の会 0126】~「アオマツムシ」「Helen Merrill"You'd be so nice to come home to"」「詩人『丸山薫』その2」

■皆さん、お元気ですか?今泉悟です。 【2637の会】会報【0126】号をお送りします。 今日もmemberの皆さんからのお便りがないので、小生のつまらない話に暫くの間お付き合いください。m(_ _)m

Photo_4▼さて、今日は929日。 平成19(会計)年度も上半期がほぼ終わりです。 暦年ベースで言えば四分の三の終了ですね。 時が過ぎ行くのは、ほんと早いものです。(嘆息) 彼岸はもうとっくに終わったのに、気温はまだ夏の装いをそこここに残している一方で、夏の煩(うるさ)い象徴の「クマゼミ」の鳴き声はいつの間にか聞かれなくなりました。 変わりに、外来種のアオマツムシが街路樹等で「フィリリ、フィリリ」と大変騒々しく鳴いています(添付写真ご参照)。 このアオマツムシ、日本のマツムシとよく似ていますが、中国原産と言われ、近年急速に日本国内で増え続けています。 鳴き声が非常に大きいため、コオロギなど他の虫たちの鳴き声がかき消されてしまい、日本の夜も風情がなくなり残念です。

Helen_merrill_3■流石に彼岸を過ぎると、秋の夜長を実感できる様になりました。 こんなときは、お酒を飲みながらジャズ・ボーカルの名曲に耳を傾けるのも一興です。

▼そこで、今日は、ヘレン・メリル(Helen Merrill(添付写真ご参照)のYoud Be So Nice to Come Home toをお贈りします。

▼この歌詞にある様に、昔日の若かりし頃、愛するひとからこの様に想われていたらとても気分はHappyだったろうに、と思います。(嘆息)

Youd be so nice to come home to

Youd be so nice by the fire

While the breeze on high

Sang a Lullaby

Youd be all that I could desire(  以下略  )

【訳】

あなたが持っている家に帰れたら

 なんと素敵だろう

あなたが暖炉のそばにいたら

 なんと素敵だろう

高く吹く風が子守唄を奏でる

欲しいものはあなただけ

(  以下略  )

■さて、今日も、前号に続いて、我等が時習館高校の大先輩にあたる丸山薫の詩の作品について2つご紹介したいと思います。 まず最初の作品は、「未来へ」です。 この作品は、定かではありませんが、何処かの試験問題に出ていた様に記憶しています。

     未来へ

父が語った

ごらん この絵の中を

ソリが疾(はや)く走っているのを

狼の群が追いかけているのを

馭者(ぎょしゃ)は必死でトナカイに鞭をあて

旅人はふりむいて荷物のかげから

休みなく銃でねらっているのを

いま 銃口から紅く火がひらめいたのを

息子が語った

一匹が仕止められて倒れたね

ああ また一匹おどりかかったが

それも血に染まってもんどり打った

夜だね はてしない曠野が雪に埋もれている

だが旅人は追いつかれないだろうか

ソリはどこまで走ってゆくのだろうか

父が語った

こうして夜が明けるまで

昨日の悔いの一つ一つを撃ち殺して

時間のように明日へ走るのさ

やがて太陽がのぼる路のゆくてに

未来の街はかがやいて現れる

ごらん 丘の空がもう白みかけている

(第六詩集『涙した神』(昭和16年刊(43歳)))

【解説】▼虚無と孤独の生活を経た作者の胸中には、幼年時代の美しい空想や童話に対する郷愁の様なものが尾をひき時として作品に表れる。

▼後から絶えず襲いかかってくる不幸や悔恨に追いつかれない様に、目的地に向かって人生を疾走し続けるという悲壮な生活心理をイメージ化したもの。

▼この詩は、父親が絵本を開いて、子供に絵話を物語って聞かせる様な形で始めながら、その実、自分自身の、子供には理解出来ない、より深い人生的意味を自分自身に言って聞かせているところに真意がある(「第三連」参照)。

▼続いて、2つ目は「美しい想念」です。 この詩の石碑が、高師緑地にあります。(小生はまで見ていませんが・・)

     美しい想念

夜空に星が煌(きら)めくように

昼間の空にも星があると

そうおもう想念ほど

奇異に美しいものはない

私は山に住んで なぜか度度

そのかんがえに囚われる

そして 山ふかく行って

沼の面を凝(じっ)と瞶(み)つめる

すると じっさいに

森閑と太陽の沈んだ水底から

無数の星がきらきら輝き出すのが

瞳に見えてくるのだ

(第七詩集『北国』(昭和21年刊(48歳)))

【解説】▼作者は昭和20年、戦災を蒙って山形県の山岳地帯(岩根沢)の村落に疎開。 小学校の教師をしたりして3年を過ごした。 その時代の作品。

実に見える現象の背後には、目に見えない本質が隠されている。 普段我々の肉眼に見られるものは現象に過ぎないが、心が純粋になり、凝集する時、心眼はその本質を直感することが出来る。 目に見えるただの昼間の青空は現象であり、無数の星をちりばめた昼の青空は本質である。 山奥に住み、沼の面をじっと見つめていると、昼ながら「無数の星が輝きだす(=本質直感の霊感を得る)」のである。

【丸山薫の年譜】

▼明治321899)年68日、大分県荷揚町に生まれる。 父重俊(45歳)、母タケ(30歳)の四男。 

▼明治391906)年(3歳) 朝鮮京城へ移住。 京城小学校入学。 

▼明治401907)年(8歳) 東京牛込中之町へ移住。 牛込小学校に転校。

▼明治411908)年(9歳) 島根県知事として赴任する父に従って松江市に移住。 4月松江市立内中原小学校に転校。

明治441911)年(12歳) 東京西大久保へ移る。 高千穂小学校に転校し一学期のみ在学。 この時父重俊の死に会い、豊橋市内の母方の屋敷内に家を新築して移住。 豊橋市

立八町小学校に転校。 この祖父は、西南戦争の体験者で、漢学の素養も深く、豊富な話題の持主であった。 薫は祖父の話を聞くのを楽しみとしていたが、薫の詩作を特徴づける童話的要素は、こうした機会のうちに育まれたと考えられる。

明治45・大正元(1912)年(13歳) 3月豊橋市立八町小学校卒業。 五度に亘る転校の末であった。 4月、愛知県立第四中学校(現 時習館高校)入学

▼大正61917)年(18歳) 母の反対を押し切って東京高等商船学校に入学。 「海」は一つの詩的源泉となる。

▼大正71918)年(19歳) 商船学校を病気(脚気)のため退学。

▼大正101921)年(22歳) 3月、第三高等学校(京都)文化丙類入学。 翌年入学の三好達治、上級生の梶井基次郎とやがて親密な交友関係を持つようになる。

▼大正131924)年(25歳) この頃から作品を書き始める。 「丸山君は欣賞すべき早成の才がある」と三好達治が認める。

▼大正141925)年(26歳) 4月、東京帝国大学国文科入学。

▼昭和31928)年(29歳) 高井三四子と結婚。 大学を中退。 妻の収入で生計を支え、詩作に励む。

▼昭和71932)年(33歳) 12月、処女詩集『帆・ランプ・鷗』を第一書房より刊行。

昭和91934)年(35歳) 10月、堀辰雄、三好達治と三人で、詩誌「四季」を創刊。 次々と詩を発表して活躍。 この頃、百田宗治の紹介で萩原朔太郎を知る。 また近くに住む中原中也とも交友。 津村信夫、立原道造、神保光太郎らとも親交を持つ。

▼昭和201945)年(46歳) 5月、戦災を受け、山形県西山村岩根沢に疎開。 岩根沢小学校で教鞭をとる。 9月、母タケ没す。

昭和231948)年(49歳) 3月、詩集『仙境』を刊行。 5月、愛知大学文学部講師に就任。 6月、『花の芯』を刊行。 8月、豊橋市東雲町へ移る。

昭和311956)年(57歳) 9月、豊橋市多米町蝉川へ移る

昭和341959)年(60歳) 4月、愛知大学文学部教授となる

▼昭和491974)年(75歳) 1021日明け方、455分蝉川の自宅で永眠。 脳血栓症。 葬儀は翌々日23日午後1時より、豊橋市花園町の真宗大谷派豊橋別院で営まれ、桑原武夫、田中冬二(代読)、久曽神昇(愛知大学長)、岩瀬正雄が弔辞を読んだ。(了)

【筆者comment】▼丸山薫氏は、八町小学校のOBでもあるのですね。 小生や、菰田君、藤川君、守田君の小学校の先輩だったんですねぇ。

【後記】■今日の締め括りは、「秋の七草」に因んだ名句を一句ご紹介してお開きとさせて頂きます。(【2637の会】memberの皆さんへのお詫び~二句ご紹介する予定でしたが、容量の関係で一句を割愛させて頂きました。mailでは二句をご紹介する旨commentしてありながら、一句のみのご紹介となっており、誤った文章となってしまいました。お詫び申し上げます。m(_ _)m)

▼飯田蛇笏の作品です・・。

  をりとりて はらりとおもき すすきかな  蛇笏

Photo_5【解説】▼ひらがなのみの17文字。「すすき(添付写真ご参照)」の様態を表すにはひらがながよい。 一直線の「すすき」の茎。 「はらりとおもき」には「すすき」の存在感、生命感がこもっている。 「はらり」から「をりとり」た後の「すすき」への愛惜の情を受け取ることができる。 単純な構図だからこそ「すすき」の美を表せたと思う。

▼蛇笏(18851962)は山梨県境川村生まれ。 早稲田大学在学中の夏休みを高浜虚子指導の「俳諧散心」に最年少で参加。 大正2年、虚子が俳壇に復帰後の「ホトトギス」で活躍。 気迫に満ちた格調の高さが蛇笏俳句の特徴。「雲母」を主宰。 103日は蛇笏の命日である。(了)

2007年9月25日 (火)

【時習26回3-7の会 0125】~「彼岸花」「詩人『丸山薫』」「安保徹『50歳からの病気にならない生き方革命』」

■今泉悟です。 【2637の会】会報【0125】号をお送りします。 本当は三連休中にお送りする予定で、原稿も出来上がっていたのですが、21日に小生のパソコンが固まってしまい、再セットアップしないと動かない状態になってしまったのです。 それからは、再セットアップ関連で、パソコン本体のほか、プリンター、フレッツ光プレミアム、無線LANBuffalo)、Windows Outlook関連(電子mail)、インターネット、ブログ等々、すべて再セットをする羽目に。 とくにe-mailの送信ができるのに、受信ができない理由が判らず、Microsoft Customer Centerに照会する等復旧にかなりの時間を要しました。 この修復作業に要した時間的ロスは甚大でした。 昨日から今日にかけてお世話になった【2637の会】memberにこの場を借りてお礼申し上げます。 m(_ _)m  (*^_^*)(笑)

070923▼さて、気分一新して会報【0125】号をご案内したいと思います。 副題の一つ目にある「彼岸花」について、明日(26日)がもう彼岸の明けとなり、恰も気の抜けたビールの様になってしまいましたが、「彼岸」に因んだ『俳句』を幾つかご紹介したいと思います。 まずは、自由律の俳人種田山頭火、そして正岡子規、山口誓子、中村汀女、金子兜太の作品です。 

▼添付写真は、いま我が家にて咲いている彼岸花です。 一緒にご覧になりながらどうぞ・・。

  ここを墓場とし 曼珠沙華燃ゆる  山頭火

  日の落る 野中の丘や 曼珠沙華  子規

  つきぬけて 天上の紺 曼珠沙華  誓子

  曼珠沙華 抱くほどとれど 母恋し  汀女

  曼珠沙華 どれも腹出し 秩父の子  兜太

【筆者comment】▼五人の俳人が、夫々の想いで『曼珠沙華』の鮮やかな『赤』が持っている『魔性』や『郷愁』を上手に表現している。 実に色彩豊かな詩情ある作品群である。 「彼岸花」は、端的に言えば、「『絵』になる」花である。 

▼曼珠沙華の名は法華経の一節から出た語で、サンスクリット語(梵語)で「赤い花」を意味する。 和名は「ヒガンバナ」。 全草に毒性のアルカロイドを含むが、鱗茎は澱粉も多く、磨り潰して十分に水にさらせば食用になる。 貝原益軒は、ヒガンバナを救荒時の非常食として畦(あぜ)に植えることを勧めた。 墓地に多いのは、この花の有毒性を利用してネズミなどを防いだためとも言われる。

Photo■続いて副題の2つ目は、「詩人『丸山薫』」である。 9月19日の地元新聞に「豊橋市は、同市ゆかりの詩人・丸山薫を顕彰する第14回「」丸山薫賞」を発表(東愛知新聞)」。 「丸山賞は没後20周年を期して94年に制定。今年14回目になる(東日新聞)」と紹介されていた。

▼丸山薫氏(以下敬称略)(189968日~19741021日)は、大分県大分市の生まれだが、12歳の時、母方の祖父の地であった豊橋市に移る。身内は旅館業を営んでいたという。 旧制愛知四中(時習館高校の前身)を卒業し、東京高等商船学校(現東京海洋大学海洋工学部)に入学するも、罹病し中退。 その後、第三高等学校、東京帝国大学国文科へと進んだ。 三高時代に、桑原武夫、三好達治、梶井基次郎らと親交を持ち、詩を書き始める。

▼若い時代、船員を目指しただけあって、彼の作品は、船や海、異国を題材とした作品が多い。 昭和71932)年第一詩集『帆・ランプ・鴎(かもめ)』を出版し、フランス印象派風の心象詩人として詩壇に登場。 昭和91934)年には堀辰雄、三好達治と三人の共同編集により詩誌「四季」を創刊。 伝統的な詩情に、新しく純粋な知的叙情の世界を確立しようとした。 昭和20年東京大空襲で家を失い、一時山形県の岩根沢に疎開。 昭和23年以降は豊橋市に帰住。 愛知大学で教鞭をとり、中日詩人会の会長などを務めた。 昭和49年没。

▼詩人鮎川信夫は著書「近代詩から現代詩へ(思潮社)」で丸山薫について以下の様に評している。

― 「丸山には、海洋をモチーフにした作品が多い。 処女詩集『帆・ランプ・鴎』の「帆が歌った」、「ランプが歌った」、そして「鴎が歌った」の・・『私の姿は私自身にすら見えない / ましてランプや ランプに反射してゐる帆に見えようか / だが私からランプや帆ははっきり見える / 凍えて遠く 私は闇を廻るばかりだ』・・といった暗鬱なイメージは、はたされなかった海上生活への憧れが、内面的に沈潜して生まれてきたものであろう。 メタフィジック(【筆者注】形而上学的な)郷愁と冷たい抒情を感じさせるこれらの詩句は、読む者の心に不思議な陰翳(いんえい)を投げかけずにはおかない。 そのイメージは奥行きが深く暗示に富み、根源的な生命への思いにわれわれを誘い込む。 丸山は四季派の中にあって、最も個性的で豊かな想像力をもっている詩人である」。 ―

▼丸山薫の作品をもう一つあげる。 高橋順子編著「日本の現代詩101(新書館)」にて紹介された作品『河口』である。「セルバン」19325月号に初出。第一詩集『帆・ランプ・鴎』(1932年)所収。

     河口

  船が錨をおろす。

  船乗(ふなのり)の心も錨をおろす。

  鴎が淡水(まみづ)から、

  軋(きし)る帆索(ほつな)に挨拶する。

  魚がビルジの孔(あな)に寄つてくる。

  船長は潮風に染まつた服を着換へて上陸する。

  夜がきても街から歸(かえ)らなくなる。

  もう船腹に牡蠣殻(かきがら)がいくつふえたらう?

  夕暮が濃くなるたびに

  息子の水夫がひとりで舳(へさき)に

  青いランプを灯す。

【解説】船が航海の途中で河口にある港に停泊する。 簡潔な表現の中に、果たせなかった夢への郷愁が宿っている。 「ビルジ」はビルジ・ポンプの略で、船底の汚水を汲みだすポンプのこと。 船長は街の酒場で今夜も飲んだくれているらしい。(集中の「錨」という詩には、「船長の胸も赤いラム酒の満潮になった。」という素敵な一行がある。) 息子の水夫は未成年かもしれない。 夜の街には繰り出さず、けなげに舳の「青いランプ」をともすのだ。 メルヘンのような味もある。 かくて恙(つつが)なく海の一日は暮れていく。

【筆者comment】▼丸山薫氏は、晩年、赤岩口辺りに住まわれていたらしい。 そしてまた、氏は我々が高校を卒業した翌年に亡くなられているので、我々が37組で勉強していた時分に、隣りの愛大にいらしたかもしれない。 そう思うと、何か不思議と郷愁を感じる。

▼また氏の文学碑「『美しい想念』より」が高師緑地にある。

■今日、最後にお届けするのは3つ目の副題、安保徹『50歳からの病気にならない生き方革命』です。 今回もちょっと長文ですが、とても良いことが書いてあるので抜粋してご紹介致します。

【五十歳以上の人は最初の破綻を切り抜けている】

◆無理を重ねた人たちは五十歳までたどり着けない

◆若さの力だけでは限界がある

◆五十歳をすぎたらこれまでの生活を振り返る

▼(前略)誰でも五十代を迎えたら、過去を振り返って、生活を改め、薬などに頼らない我が身を守る意識をもたないと危険です。

【五十歳からこそ筋肉づくりが大切に】

◆管理職になったら頑張りもほどほどに

▼(前略)生活習慣病とは運動・食事だけでなく、働き方も含めなければ全てとは言えないのです。(以下略)

◆便利な生活でラクしている人も要注意

▼(前略)いまの生活はほとんどが電化製品に囲まれていますので、身体の活動量は極めて少なくなっています。 そのため、怠けている訳ではないのに、筋肉を使う動作が極力抑えられているので、運動不足になる生活が普通になっています。 その結果、皮肉にも、便利さゆえに、ラクしすぎて病気になる時代なのです。

◆筋肉がつけば骨も関節も丈夫になる

▼(前略)関節が悪い人は大抵筋肉も衰えています。 多分一番多いのは変形性膝関節症でしょう。 若い頃の運動不足は肥満を気にする程度で済むでしょうが、中年以降の運動不足は、身体を支える器官に障害を起こす原因になります。 恐らく運動不足というよりも体重が重いと面倒くさいので歩かないのでしょう。 そのため、たまに歩くと、弱々しい筋肉と関節に負担がかかって、変形性膝関節症になるのです。 そうすると、ますます痛くて動けなくなります。 そうやって悪循環に入っていきます。

▼今はさほど動かなくても生活できるようになっていますが、そういう生活に甘んじないで、意識して運動するようにしないと、身体の機能が衰えて、様々な障害が出てきます。 筋肉と骨が弱ってくると、まずちゃんとした姿勢が保てなくなって、いろいろな歪みが出てくるのです。 その歪みが顔までくると、歯の噛み合わせが上手くいかなくなります。 最後は噛む力までなくなってしまいます。

◆寝たきりになると「死」に向かう

▼(前略)ことに高齢者は、筋肉を使わなくなると、「あっ、もう人生の幕引きだ」と身体、つまり自律神経がそう察知するので、身体を動かさなくなった時点であの世に向かって歩みを進めていきます。

▼しかし、ウォーキングや体操などの筋肉を使う努力を、八十になっても、九十になってもしていれば、まだ人生の幕引きは先だと思って、身体も動き続ける訳です。

▼高齢者の寝たきりで注意しなければならないのが骨折です。 とうとう亡くなってしまいましたが、三浦敬三さん(【筆者注】プロスキーヤー三浦雄一郎の実父)は、九十歳を超えてもヒマラヤスキーに挑戦したりして、老人らしくない老人でしたが、流石に骨折して寝たきりになると持ちこたえられませんでした。(中略)鍛えているとはいえ、百一歳の高齢でしたから、寝たきりになるとすぐに衰えたのだと思います。(以下略)

◆意識して身体を動かさないと危険

▼(前略)五十代、六十代になって身体を動かさなかったら、あっという間に機能が低下して、本当に動けなくなります。 意識してこまめに身体を動かさないと危険です。

▼定年退職する六十歳から六十五歳頃を境目に、努めて身体を動かす努力をしないと、健康は保てません。 もう働くだけ働いたから少しラクさせて貰おうと思ったら、一気に老け込んでしまいます。 そうは考えずに、趣味でも何でもいいから見つけて、相変わらずこまめに動いている人は、六十五歳や七十五歳でも溌溂としています。(中略)

▼高齢者にとって心配の種になっている骨粗鬆症と認知症は、身体と頭を使わない病気です。 薬で治すのは無理でしょう。(以下略)

【筋肉からの発熱が活力を生む】

◆筋肉からの発熱エネルギーが活力の素(もと)

▼元気なお年寄りは活動が活発です。 元気だから動き回っているのではありません。 身体を動かしているから元気なのです。

▼身体を動かして筋肉を使うと、代謝を高めて発熱します。 活動も発熱を促しますが、大量の筋肉を身につけているだけで発熱します。 この発熱のエネルギーが活力の素なのです。(以下略)

◆筋肉を使った活動には睡眠が大切

▼活動するためには睡眠が大切です。(中略)私たちは進化で得た筋肉を使ってやると、快い疲労が訪れ、本当の休憩に繋がって、夜ぐっすりと眠る世界に入っていきます。(中略)普段から運動している人は徐脈(脈がゆっくりになっている)です。 真の安らぎの体調はこうして生まれるのです。

▼そのためには早寝早起きの習慣が大事です。(以下略)

【著者紹介】▼阿保徹氏は、昭和22年生まれ。東北大学医学部卒。現新潟大学大学院医歯学研究科教授(国際感染医学・免疫学・医動物学分野)。世界的な免疫学者。

【筆者comment】▼我々の様に五十歳を超えたら、仕事はなるべく無理をせず、身体は積極的に動かして体力を維持していくこと、これが健康で若々しく長生きしていく秘訣でしょうか・・。 毎日少しでもいいから、コツコツ実践して行きたいですね。(了)

2007年9月16日 (日)

【時習26回3-7の会 0124】~「『中秋の名月』はいつ?」「日野原重明:百歳で現役『健康心得10カ条』人生の後半をより豊かにする『平成の養生訓』」「リサ・ランドール+若田光一『異次元は存在する』」「私の航海図~南こうせつ」

■今泉悟です。 漸く朝晩は涼風が肌に心地よい今日この頃となりました。 土曜が休日の方々には今月2回ある三連休のうちの第一回目を、皆さんどの様にお過ごしですか。 小生、万年幹事として、来年の【2637の会】同窓会まで、この会報を充実したものとして行きたいと思いますので、引き続き応援の程お願い申し上げます。
▼さて今日は、【2637の会】会報の【0124】号をお送ります。 今回お贈りするのは、掲題の副題の四本です。 
■まず1本目・・。9月になると、「『中秋の名月』っていつだろう?」と気になるところですが、今年は9月25日です。 因みに来年は、9月14日ですので、日が定まらないので「ホント、いつなんだろう?」と思いますネッ。
▼「ちゅうしゅう」を【広辞苑】で調べてみると・・、【中秋・仲秋】シウ(チュウジュウとも)(1)陰暦8月の異称 (2)陰暦8月15日の称。《季・秋》。「―の名月」・・と出ている。 しかし、厳密にいうと、広辞苑も正確でない。
【中(仲)秋とは】
▼正しくは、『中秋』とは、旧暦8月15日を指す。 一方、『仲秋』は、秋(旧暦7~9月)の真ん中の月。つまり旧暦8月のことを言う。 中(仲)秋の名月とは、旧暦8月15日にお月見をする日本古来の風習のことを指すので、「中秋の名月」が正しい
【「中秋の名月」は満月でない年の方が多い】
▼中秋(8月15日)の名月が必ずしも満月であるとは限らない。 むしろ満月でない方が多い。 これは、月と地球の公転軌道の関係で、新月から満月迄の日数が15日とは限らないために起こるものである。 因みに、今年2007年の「中秋の名月」は9月25日であるが、その時分の満月は25日ではなく9月27日である。 旧暦8月15日が満月になるのは2011年を待たねばならない。
【中秋の名月は必ず仏滅】
▼ついでに薀蓄をもう一つ・・。 旧暦の曜日は友引>・先負>・仏滅>・大安>・赤口>・先勝の六曜で、毎月1日の曜日が決められており、旧暦8月では友引とされている。 このため15日は必ず仏滅となる訳です。 ご存知でしたか・・。
▼ところで来年、皆さんに元気で同窓会に出て頂くためには、皆さん一人ひとりが健康であることが何より重要ですね。 そこで、これからも『健康』を積極的にテーマに取り上げ参りたいと考えております。
■という訳で今日2本目の話題は、「日野原重明:百歳で現役『健康心得10カ条』人生の後半をより豊かにする『平成の養生訓』」(文藝春秋2007年10月号)をご紹介致します。  ご存知の方も多いとは思いますが、日野原氏について簡単にご紹介しますと、氏は1911年10月4日生まれ。 来月で満96歳。 現在は聖路加国際病院理事長。 2005年文化勲章受章。 矍鑠としてとても元気なお爺さんです。 では、どうぞ・・(笑) 
▼(前略)いずれにしても、これから先時間はたっぷりある。 それなのに六十歳代で人生を降りてしまうのは実にもったいないと思います。(中略)
【「仲間」を作ろう】
▼では、いきいきとした人生を過ごすには何が必要なのでしょうか。 まずは「仲間」です。(中略)何かに触れて感動したり、何かを成し遂げて喜ぶときは、一人より二人の方がずっといい。(中略)私の場合は八十八歳で『葉っぱのフレディ』をミュージカル化する際、脚本を書き、企画実現のために奔走しましたが、このとき思い切ってチャレンジしたことが、演劇や音楽が好きだった子どもの頃の自分との再会を導いてくれたのです。(中略)多くの人は会社勤めの中で組織の歯車になっているのですから、その芽が表に出ないことの方が多い。 少し時間を作って、「自分は何に夢中になっていたんだっけ?」と振り返ってみることをお薦めします。 そして、なにか手掛りを見つけたら思い切ってチャレンジすること。 そうすれば、いつの間にか仲間ができているはずです。
【十の生活習慣】
▼(中略)では百歳になっても健康でいるにはどうしたらよいのか。 私はかねてから、自分も実践している十の生活習慣を提唱してきました。 私自身が(中略)いろいろ試していく中でたどりついた、実にシンプルな習慣です。 この十項目を少し頭に入れながら生活するだけで、あなたの心身は確実によい方向へと変わっていくはずです。 以下、順に説明していくことにします。
①少食 ●(前略)人間でもよく「肥満に長寿なし」といいます。 「腹八分目」という言葉は、実は科学的にも正しいのです。(中略)自分の年齢に応じて、少し足りないな、と思うくらいの食事をとることからはじめるといいでしょう。 常に三十代のときの体重や腹囲を保つことが理想的です。
②植物油をとる ●(略)ヤシ油以外ならばなんでもOK。 肌のハリを保つ効果がありますが、肌のハリはそのまま「気持ちのハリ」に繋がります。 細胞そのものを若く瑞々しく保つためには、大豆製剤のレシチンを暖かな牛乳に入れて飲むのもいい。 因みに私の一日の食事は朝が牛乳やジュース、コーヒーとオリーブ油15グラムなどで、お昼は牛乳ワンパックとクッキー二、三枚。 そして夜はご飯が半膳と、脂肪のほとんどついていないお肉やお魚、そしてたっぷりの野菜と果物です。 六十五歳の頃から三十年間、このような食事を続けています。
③階段は一段飛びで & ④速歩 ●(中略)年をとるにつれて運動量が低下していく分、日々の生活の中で、できるだけ身体を動かすといいでしょう。 (中略)背筋を伸ばし、大股で軽やかに歩いてください。(中略)自らを励ましながら、相手を抜かして階段を上りきったときは本当に嬉しい。(中略)達成感の積み重ねがとても大切です。
⑤いつも笑顔で & ⑥首を回す ●笑顔は人を若々しく見せます。 これは単なる印象論ではなくて、顔筋のつき方からみても、本当にそうなのです。 人の顔には、笑顔をつくるための表情筋が三十六本もありますが、放っておくと口元の筋肉がこわばり、への字になって、いつも機嫌が悪いように見えてしまう。 自然に笑えること、それは表情筋が健全に機能している、ということなのです。 だから日頃から唇の端を意識して上げておけばいい。 となれば、ニコニコしているのが一番。 年をとるにつれて表情が乏しくなっていきますから、口元をニッコリとする練習をしてみてもいいかもしれません。 もう一つ身体のことで大事なのは、首の柔らかさを保つこと。 後ろから呼ばれたときに、肩ごと身体を向けるのではなく、首だけ回して後ろを振り向くと、溌溂と見えます。(以下略)
【筆者comment】▼小生、確かに年とともに口元がへの字になってきて少し悩んでいました。 いつもニコニコ・・、努めて振る舞いたいですね。
⑦息を吐ききる ●人は普通、一分間で十五回ほど呼吸していますが、たいてい「息を吸う」ことばかり意識しています。 しかし、本来呼吸というものは、息を「吐ききった」結果、自然と外から空気が入ってくるもの。 禅の呼吸法のように「吐ききる」ことを意識してみると、腹式呼吸が簡単にできるようになります。(以下略)
⑧集中 ●仕事でも趣味でも、時間を有効に使うために一番大切なのは集中すること。
⑨洋服は自分で購入 ●(前略)自分で服を選ぶことはとても楽しいこと。 私もネクタイ、シャツ、ズボン、靴など、夫々専門店に出向き、好きな柄のものを自分で選んでいます。 いろいろ身につけていくうちに好みもわかってくる。(中略)自然とおしゃれに関心をもてるようになるんですね。
⑩体重・体温・血圧を計る ●自分の身体はやっぱり自分が守るものです。(中略)ここにあげた三つの指標を普段からチェックしておくと、どこかがおかしくなって病院に行くときにお医者さんの正確な診断の助けとなります。 むしろ体調がよいときこそきちんと計っておいてほしいものです。 それがあなたにとってベストの数値なのですから。 因みにその数値はやはり、自分の三十代の数値と似通っているはずです。
【最終の行(くだり)(←筆者注)】▼幸せというものは、求めて得られるものではありません。 結果として与えられるにすぎない。 大切なのは過程をより充実させることです。 今回は、その過程をより豊かにするためのアイデアををいくつか記しました。 全部いっぺんに、と考えると少し億劫になるかもしれません。 まずはできることから少しずつ取り組んでみてはいかがでしょうか。 そうすれば百歳でも健康でいられるはずです
【筆者comment】▼正直なところ、これ位なら無理なくできそうなものばかりですね。 ただ、これをずっと続けることが意外と難しい。 「百歳まで現役」を標榜する小生、日野原先生を見習いたいと思います。(笑)
■続いて3本目は、「リサ・ランドール+若田光一『異次元は存在する』(NHK出版)」です。
Lisa_randall▼この本は、最近話題の物理学者リサ・ランドール(Lisa Randall)博士にNASAから搭乗運用技術者に認定され2000年にスペースシャトルに搭乗した若田光一博士がinterviewした模様を表したものである。 こういう『宇宙・原子・科学』という根源的な話は内容は難しいが、何故かわくわくして童心に帰る・・。 以下にその抜粋をお示しします。 ちょっと長文になりますが、辛抱して読んでください。(笑)
【5次元の世界とは何か】
【解説】▼「私たちの暮らす3次元世界は、人間の目には見えない5次元世界に組み込まれている」――1999年、人類の世界観を覆す概念を発表し、一躍世界の注目を集めたのがリサ・ランドール博士である。 博士は、アメリカ・ハーバード大学で数式を使って物理の法則を研究する理論物理学者だ。 「5次元世界は3次元世界の縦、横、高さに時間、そして5番目の次元方向への距離で表される」ということを示す博士の数式は、(中略)「人間が5次元世界を実感することはできませんが、わたしは存在すると信じています」と(中略)語る。
【ランドール】▼私たちが暮らす縦・横・高さからなる3次元空間に時間軸を加えたものが、4次元時空。 そして、私が5次元と言う場合、その4次元にもうひとつの空間が加わった時空を指しています。(中略)3次元の生活空間とは全く異なった、もうひとつの別世界であると考えています。(中略)残念ながら、人間がこの5次元世界を感じることはできませんし、行くこともできません。 私たちの住むこの宇宙は、3次元の膜のようなものの上に貼りつけられているからです。
【高次元世界の存在を確信したとき】
▼1998年、ランドール博士は当時、マサチューセッツ工科大学の教授として素粒子の共同研究をしていた。 そしてこの研究で、原子核を構成する素粒子(注)の中に、この世界から姿を消すものがあるという矛盾にぶつかる。 なくなるはずのない素粒子が姿を消すのはなぜか。 私たちの世界を取り囲む別の次元があると仮定すると、矛盾が解決することにランドール博士は気づいたのだ。(中略)はじめは、この異次元はとても小さいと考えたがうまくいかない。(中略)様々な可能性を検討した結果、異次元世界が私たちの3次元空間を取り巻く巨大な時空であることを理論上、立証したのだ。(以下略)
【(注)●全ての物質は原子からできていて、原子は電子と原子核からできている。 原子核は陽子と中性子からできていて、陽子と中性子はクォークからできている。 そして、クォークは素粒子の一つである。 ●【ランドール】「ひも理論」は、「あらゆる物質の根源に存在する素粒子は、実は粒のような点ではなく、振動している紐(ひも)である」という理論です。(中略)いずれにしても、宇宙が何次元なのかということに関しては、まだまだ多くの謎を解かねばいけない、というのが現状です。
【ランドール】▼確かに、5次元の形を思いついたときは、いくつかの異なるinspirationが重なりました。 そして実際には、数字を使ってそのinspirationを解き明かしていきました。 ですから、ある理論をつくるということは、アイデアを思い巡らせることと数式で検討することの、いわば行ったり来たりの連続なのです。
【若田】(前略)理論物理学者にはいつもinspirationが生れているように思えるのです。例えば、アインシュタインがいったいどうやって一般相対性理論を思いついたのか・・。(中略)
【ランドール】▼アインシュタインが一般相対性理論を完成させるには、実に10年かかっています。 彼は、今、本に書かれている一目瞭然にわかるような理論を、突然閃(ひらめ)いた訳ではなく、やはり物理学によるアイデアと数学による検証の間を行ったり来たりしているのです。
【異次元の不思議に魅了された少女時代】
【解説】▼(前略)ランドール博士が小さい頃夢中になった本は、ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』だという。(以下略)
【若田】▼この話(【筆者注】『不思議の国のアリス』)は、主人公のアリスが様々な異次元世界に入り込み、巨人のように大きくなったり、半分の身長になったり・・(以下略)。
【ランドール】▼はい。すっかり魅了されました。
【若田】▼その異次元世界への興味はやがて、幾何学への関心へと発展していったそうで。 数学の英才教育で有名なニューヨークの高校に進学されて、数学クラブの部長も務められ、17歳のときには全米数学コンテストでも優勝したそうですね。(以下略)
【ランドール】▼(前略)小さいときからよく勉強する子どもでした。 読書も好きでしたし、数学やゲーム、特にパズルが好きでした。(以下略)
【宇宙の謎を解くカギは重力】
【解説】▼(前略)(【筆者注】ボストン)大学の博士もこう語る。 「(前略)科学者たちが長年、待ち望んだ理論だったからです。 この理論によって新しく生み出された宇宙論はとても美しく、様々な謎を解くカギを提供しています」。 ランドール博士の理論は、宇宙の誕生、即ちビッグバンの様子を多次元モデルで再構築することを可能にした。 また宇宙の進化の過程もこの理論によって解明できる可能性があるといわれている。 まさに今、宇宙物理学の分野でランドール博士が革命を巻き起こしているのだ。(以下略)
【異次元の存在検証へ ~ 2007年の加速実験】
【解説】▼2007年、スイスのジュネーブ郊外にある静かな酪農地帯で、一つの実験が行われようとしている。 実験場は、地下100mのところにつくられた。 欧州合同素粒子原子核研究機構(CERE)が、総工費3500億円をかけてここに超高エネルギーの粒子衝突型加速器の建設を進めている。 この加速器はラージ・ハドロン・コライダー(LHC)と呼ばれ、実験結果次第では、ランドール博士の提唱した5次元世界の存在が証明されることになるという。 
▼地中には円周27Kmのトンネルが掘られ、そこに水素の原子核をつくる陽子を複数、超高速で走らせて衝突させる。 実験では、この飛び散った粒子の動きを観測する。 実験後、およそ一年かけてデータを分析し、結果を導く予定だ。 
▼衝突で粉々になった粒子の破片は、ある確率で姿を消すことが予想される。 本来消えるはずのない粒子が姿を消すことが確認された場合、粒子が姿を消した先が見えない5次元時空であると考えられる。 この実験は、ランドール博士の理論を裏付けるものとして、世界中の注目を集めている。
【21世紀への提言】
【解説】▼最後に、ランドール博士に「21世紀に大切にしていかなければならないもの」についてキーワードを書いてもらった。 ランドール博士が書いたキーワードは三つ。 探究心理解力、そして友情。 博士にとって、この三つが意味するものとは?
【ランドール】▼探究心理解力友情、この三つですね。
探究心、即ち、「なぜ物事は今日、私たちに見えるように現れているのか」――それを知りたい、解き明かしたい、そう思うことは、人間が生きていくうえでの考え方の基礎になります。
▼けれども、目の前にある世界だけを見ていては、人は往々にして間違った仮説を立ててしまいます。 自分以外の人間を理解する、自分以外の文化や世界を理解する力が、より大きな意味での理解に結びついていくのだと思います。
▼そして、友情自分以外の人を好意的に理解することだと思います。 私の研究にとって、そして人生にとって不可欠なのは、お互いにこうした関係を築くことのできた友人たちなのです。
【後記】(1)▼「友情」・・。いい言葉ですね。 【2637の会】の皆さんとの「友情を」、ず~っと大切にして行きたいと思います。
▼そして、小生、この本の最後の節でランドール博士が言った「なぜ物事は今日、私たちに見えるように現れるのか」―という言葉を見て、例えは違うが、あのユリウス・カエサルの言葉が何故かふと浮かんだ。
――「人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない」――
▼(2)最後4本目の話題は、今日9月16日のSUNDAY NIKKEI αに、singer-songwriterの南こうせつ氏のessayが載っていましたののでご紹介します。
▼去年の九月。静岡県のリゾート施設「つま恋」で、吉田拓郎さんと僕ら「かぐや姫」で31年ぶりのコンサートをしました。 三万五千人のお客さんの多くは僕らと同じ団塊世代や四十代。 「神田川」など当時の曲に拍手をし、手を振り、一緒に歌ってくれました。 お互い年を取ったけれど、この人たちと僕は一緒に歩いてきたんだと思った。 すごく興奮したし幸せでした。
年齢を重ねることを、僕は素晴らしいと思う。 社長だろうがホームレスだろうが、みんなとにかく生き抜いて歩いてきた。 その歴史を持っていることだけで、すごくかっこいいじゃないですか。
▼生きるにはお金も必要。 でも好きなときにおいしいものが食べられるくらいのお金があればいい。 そして困っている人がいるならできるだけのことをしたい。 大分の貧乏な寺の子に生まれたことが影響しているのかもしれません。
▼つま恋が終わった後、抜け殻みたいになりました。 すべてやり尽したような感じで。 でも二、三カ月たつうちに、このままじゃいけないな、と思うようになった。 あれだけの人たちが喜んでくれ、それぞれのあしたを捜すように日常の中へ戻っていった。 僕も何かを始めようと。
▼前のつま恋の翌年、僕は武道館でコンサートをしました。 その記憶がよみがえり、来年一月、再び武道館での公演を決めました。 これからも、のどが続く限り歌いたいし、そうして生きていける自分をラッキーだと思います。(談)
【筆者comment】▼南こうせつとかぐや姫の「神田川」や「赤ちょうちん」等を聞くと、小生も、大学時代過ごした下宿が脳裏にパッと蘇る・・。 数年前、その下宿(跡)の前を通る機会があり、「どうなっているか」と期待しつつ覘いてみたが、その下宿も大家の家と共にすでになく、モダンさがやけに空疎に感じられるアパートに変貌を遂げていた。 その時一瞬、郷愁(nostalgie)と虚無感が小生を襲った。 三十年の歳月はあまりに大きい。 方丈記序章(世の無常)の冒頭直ぐ後にあるあの言葉を思い出した。
――「高き、いやしき人の住ひは、世々を経て、尽きせぬものなれど、これをまことかとたずぬれば、昔ありし家はまれなり。」
【訳】様々な身分の人々の住居は、時代が移ってもその儘でいるものの様だが、はたしてそうかと注意すると、今も残る昔の家は稀だ。―(了)
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2007年9月10日 (月)

【時習26回3-7の会 0123】~「白露」「『イチロー』大リーグ7年連続200本安打!」「"King of high C"ルチアーノ・パヴァロッティ氏逝去」「中西輝政(監修)『世界史が伝える日本人の評判記』」「Susan Osborn田原公演のお知らせ」

■今泉悟です。 台風9号も去り、やっと秋らしい爽やかな日が訪れました。 と思いきや、また暑さのぶり返しですね。 ・・そして、今晩は一転心地よい涼風が秋の到来を告げています。 忙しい時候の挨拶となってしまいました・・。(笑)
【同窓会】
▼「同窓会」について、面白い新聞記事を見つけましたのでご紹介します。 先週9月7日の「日経新聞朝刊『春秋』」は、以下のように記しています。
▼クラス会がしばしば開かれるようになった。 高校を卒業して三十年余。 みんな、青春時代が妙に懐かしくなってきたせいかもしれない。 友人や恩師のあだ名が飛び交い、たわいもない話に花が咲く。 五十路を迎えたマドンナにも会える。
▼歩んだ道は違っても、不思議な絆で結びついている。 同級生のありがたさというものだ。
【筆者comment】▼ここまでの文章は、まるで我々【2637の会】同窓会と瓜二つ。 しかし、ここから後は次のように続く・・
▼与謝野馨官房長官は、そんな友人愛がとりわけ強いらしい。 郵政民営化に反対して自民党を離れた平沼赳夫氏の復党を後押ししてこう語っている。  「麻布高校の三年一組で同じクラスにいた。 自民党に帰っていただきたいな」
▼(中略)平沼氏は誓約書も出さなくてよいという。 「三年一組」の団結は政策より強し、か。
▼「時は過ぎてゆく。 自然に物事が氷解していくことも、人生の中ではある」。 官房長官は言うけれど、(中略)祖父の与謝野鉄幹は歌った。 「友の情をたずぬれば/義のあるところ火をも踏む」(以下略)
【筆者comment】▼五十路を過ぎると、人生航路も折り返し地点を通過し、青春時代を懐かしむ心の余裕や欲求が湧水のごとく湧き出て来るのだろう。  「麻布高校三年一組」の団結力より「時習26回三年七組」の団結力の方がず~っと(当然!)勝っていますよね、【2637の会】の皆さん。(笑)
【白露】
▼さて、一昨日(9月8日)は二十四節気でいう『白露』。 陰気ようやく重なりて露にごりて白色となれば也(暦便覧)。 野にはススキの穂が顔を出し、秋の趣が感じられ、朝夕の心地よい涼風に、幾分の肌寒さを感じさせる冷風が混じり始める。 ただ最近は、地球温暖化のせいか、肌寒さまでは感じない様ですが・・。 今年の9月8日は、真夏の様に暑く、とても『白露』とは言えませんでしたね・・。(笑)
Photo【イチローの7年連続200本安打記録】
■大リーグ・マリナーズのイチロー(33歳)は9月3日のヤンキース戦で本塁打を含む3安打を放ち、メジャー3人目の7年連続200安打を達成した。 これも「日経新聞」の記事をご紹介します。
▼この記録は、現行ルールでの近代野球となってからは、ウェード・ボッグズ(レッドソックス等)の7年連続と並ぶ最高記録となる(因みに、ルールの異なる時代の大リーグ記録としては、ウィリー・キーラー(オリオールズ等)が1894年~1901年にかけてマークした「8年連続」が最高記録としてある)。
▼毎打席、右足をひねり、ついで左足をひねりというお決まりの“儀式”がある。 と同様、遠征先でも、どの店の何をどのくらい食べるという段取りがあり、それを変えないという。
▼7年連続記録の先輩、ボッグズも毎日同じ時間に練習し、毎日鶏肉を食べるというルーチン、日常のリズムを極端なまでに大事にしていた。 飽くことなく連続記録の類をものにする人々に共通するのは、迷ったときは、そこに立ち返れば自分に戻れるという「暮らしの定点」を持っていることかもしれない。
【筆者comment】▼この記事では、またイチローをこうも紹介している。
▼(【筆者注】マリナーズとの)長期契約を得た途端に休む選手がいる。 「そういう選手だと思われたくない」。 そんな心配している・・(中略)過剰なまでに周りに神経をつかっている様子がうかがえ、これまた抜群の安定性の源ともなっている・・。
【筆者comment】▼ゴルフでも、シングル・ハンディの様に上手な人は、型が確り固まっている。 その型を維持するのに、毎日素振り等の基礎練習を欠かさない人が多い。 どんなスポーツでも、その道の練達者に共通に言えるのは、「『日常のリズム』を大事にするため普段から不断の(~うん?洒落か?~)努力を惜しまない」と言うことだ。 練習場に行かずに、ぶっつけ本番でコースを回り、茶店毎ビールばかり飲んでいる小生なんか、心構えからして落第者だ。 上手くなれる筈がない。 これまさに「因果応報」。(笑) 
Lucian_pavarotti【世界三大テノール歌手『ルチアーノ・パヴァロッティ』逝去】
■続いて、世界三大テノール歌手の一人、イタリアのオペラ歌手、ルチアーノ・パヴァロッティ(Luciano Pavarotti)氏が9月6日午前、すい臓がんのため、同国北部モデナの自宅で亡くなった。 享年71歳であった。 彼は1935年、モデナ生まれ。 プッチーニの歌劇「ラ・ボエーム」のロドルフォ訳で初舞台を踏んだ。 力強く伸びやかな最高音の美声で「キング・オブ・ハイC」の異名をとり、日本でも数多くのファンを魅了した。
▼1990年、サッカーのイタリア・ワールドカップを記念して、プラシド・ドミンゴ、ホセ・カレーラスとローマのカラカラ浴場で三大テノール公演を開演。 1997年3月には、ナゴヤドームの完成記念公演も行なっている。
▼彼の声は、極めて高いが、聴く者に心地よい伸びやかさがあり、プッチーニの歌劇「ラ・ボエーム」のロドルフォのアリア、「冷たい手」や、ドニゼッティの歌劇「愛の妙薬」のネモリーノのアリア「人知れぬ涙」、そして2006年トリノ冬季五輪フィギュア・スケートの覇者荒川静香がそのメロディーで演じて万来の拍手を貰ったプッチーニの名曲歌劇「トゥーランドット」のカラフのアリア「誰も寝てはならぬ」等は絶品です。 秋の夜長に、彼のロマンティックなアリアで寛ぐのは最高の贅沢の一つです。 まだ、聴いていない人は是非お試しあれ。 氏のご冥福をお祈りする。(合掌)
【筆者comment】▼パヴァロッティ氏は、メタボの歌手なので、「ラ・ボエーム」のロドルフォにように、貧乏詩人の若者役は体形的に明らかに不釣合いな訳であるが、彼の素晴らしい声と人懐っこい笑顔が役柄の不足分を十分補って余りある。 DVDでは、モノラルで録音も古いが、彼のロドルフォ(Rodolfo)、コトルバス(Cotrubas)のミミ、カルロス・クライバー(Carlos Kleiber)指揮ミラノ・スカラ座管弦楽団を是非一度ご覧下さい。 ホント、絶品ですよ。
【中西輝政(監修)『世界史が伝える日本人の評判記』】
■最近、元気の出る本を買った。 その名は掲題の「世界史が伝える日本人の評判記」である。 この本は、日本人が気づかなかった、日本人の美点を16世紀中葉のザビエルから、フロイス、シーボルト、ペリー、ラフカデオ・ハーン、チャプリン、アインシュタイン等、各時代の世界の著名人の言葉を通して、実感できる興味深い書物である。
▼今日は、ペリー著「日本遠征記」と「アインシュタイン・ショックⅠ」から、夫々その一部をご紹介します。
【ペリー『日本遠征記』】
▼――実際的および機械的技術において日本人は非常な巧緻(【筆者注】=精巧で緻密なこと)を示している。・・日本人がひとたび文明世界の過去・現在の技能を有したなら、強力なライバルとして機械工業の成功を目指す競争者の一人になるであろう・・。
【筆者注=中西輝政氏comment
▼このペリーの予想は、今日では見事に実現されています。 アメリカのお家芸であった自動車部門の販売台数ではトヨタがGMを抜いたし、電子工学部門のとくに液晶部門では日本のお家芸となって、世界を断然リードしています。 ペリーが、当時の浦賀や箱根のあたりの見物と江戸湾から眺めた江戸市中くらいの見聞から、これだけの予想をしていたことは、かれの直観力の鋭さを認めざるを得ません。
【筆者注=中西輝政氏comment
▼(【筆者注】1911年)来日したアインシュタインは、大正時代の知識人だけでなく、日本人全体に一種のブームを呼び起こしています。(中略)科学的天才アインシュタインの目はさすがに鋭く、日本人の西洋コンプレックスを指摘し、日本人がもつ本来の「宝」を大事にするよう、忠告しています。(中略)
【アインシュタイン・ショックⅠ】
▼――なお私の心にある一つのことが引っかかっている。 確かに日本人は、西洋の精神的所産に驚嘆し、成果と大いなる理想とをもって学問に沈潜(【筆者注】=没頭)している。 しかしながらその場合にも、西洋より優れて持つ大いなる宝、すなわち生活の芸術的造型、個人的欲求の素朴さと寡欲さ(【筆者注】=欲の少ないこと)、および日本的精神の純粋さと静謐(せいひつ【筆者注】=静かであること、おだやかに治まること)さを保たれんことを。
【筆者注=中西輝政氏comment
▼このアインシュタインの言葉を聞くとき、日本人の心理をずばりとえぐっている気がします。(中略)かれは「西洋よりも優れてもつ宝」をもっと大切にすべきだといっているのです。 その「宝」とは、アインシュタインによると、「生活の芸術的造形」、「個人的欲求の素朴さ」、「日本的精神の純粋さと静謐さ」をあげています。(中略)この「忠告」をわたしたちの言葉で考え直してみるとき、(【筆者注】安倍首相著の)「美しい日本」の姿がようやくはっきりとしてきます。
▼日本人の美的感覚は何も名所旧跡にとどまるものではなくて、旅先の旅館、旧家、地方の風景などさまざまな生活の中に見ることができました。(以下略)
【筆者comment】▼現代の日本人が、今失いかけている様々な「日本人の美点」。 監修者が言うように、今ここで問い直して、日本が古来から持っていた美しさを取り戻す様に行動を起こして行かなければならない岐路に来ているものと確信する。
Susan_osborn【後期】■今日、最後は、来る9月22日(土)に田原市文化会館で公演される、Susan Osborn チャリティ・イベントをご紹介します。
彼女は、過日ご紹介した「千の風になって」の英語版の歌手です。 全席自由席で入場料は千円です。 田原市近郊にお住まいの方で、お時間の許す方はお誘いあわせのうえご参加下さい。 チケットは、豊川堂(本店・カルミア店(豊橋駅)・アピタ豊橋向山店・田原店)で発売中です。
■【2637の会】ブログへは、 URL: http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog  ← ここをclickして下さい。

(了)

2007年9月 3日 (月)

【時習26回3-7の会 0122】~「林K子さんからの電話」「『山中(高木)さん』&『J司君』&『金子君』からのmail」「『伊賀上野』紀行」

■今泉悟です。【2637の会 0122】号を配信致します。 暦も9月になり、大分涼しくなって参りました。 皆さんは、如何お過ごしですか?
■今日は、先日の【2637の会】同窓会の件で、沢山の方々からmailやお電話を頂戴しましたので、ご報告させて頂きます。 お便りを下さった皆さん、ありがとう・・。
▼それではまず、電話を頂戴しました林K子さんからご紹介します。2007/08/19
▼「とても楽しい同窓会のひとときを過ごさせて頂きありがとうございました。 先生にもお会いでき、懐かしい皆さんとお話でき良かったです。 写真集のCDありがとうございました。 私はパソコンを持っていないので、妹の持っているPCで妹と一緒にに見せて貰いました。 「青春のうた」のCDも聞きました。 良かったですよ。 これからも宜しくお願いします。」
【筆者commemt】▼林さんへ、お電話ありがとうございます。 【2637の会】同窓会に来年も是非参加して下さいね。
▼続いては、山中(高木)K子さんからのmailです。
▼from:山中 Date:Thurs, 30 August 2007  to:今泉
▼先日はありがとうございました。 大盛況でしたね。 今泉君のおかげです。 もう少し時間があるとよかったけど・・。 でも先生にもお会いできて嬉しかったです。 これからもよろしくお願いします。 P.S.「青春の歌」よかったですよ。 来年Part3楽しみにしてます。
【筆者commemt】▼山中(高木)さんへ、mailをありがとうございます。 「青春のうた Part3」は来年出状予定です。 楽しみにしていて下さい。 これからもどしどしmailを下さい。 お願いします。
▼続いては、J司君からのmailです。
From: 鈴木 Sent: Friday, August 31, 2007 12:09 AM To: 今泉悟
悟君へ 同窓会では近来稀に見る楽しい思いをさせてもらいました。 あんな楽しい会なら盆と正月2回あってもいいね。 これはちょっと無理だろうけど、時々やっているというミにミニ同窓会に是非お誘いください。 まだ飯田君には連絡が取れていません。今しばらくお待ちください。 中国から帰ってくる頃だと思います。彼もなかなか波乱万丈のようです。 来年の目標は5割かな。ちょっと厳しい数字ですね。全面協力しますのでご尽力よろしくお願いします。 J司
【筆者commemt】▼J司君へ、mailありがとう。ハイ、【2637の会】ミニミニ同窓会をやる時はお声をかけさせて頂きます。 引き続き応援をお願いします。
▼続いて、金子君からのmailです。
▼From: :t_kanekoxxx Sent: Friday, August 31, 2007 5:43 PM To: 今泉悟
▼今泉様
 お礼が遅れてしまいましたが、同窓会幹事ご苦労さまでした。 そして、ありがとうございました。 催促されないとメールを打てない・・・悪い習慣ですが許してください。 
しかし本当に楽しい、懐かしいひと時でした。 鉄三先生が予想外に(失礼!)若々しく、お元気だったことに驚かされました。学生時代の我々から見ると、先生はかなり大人(オジサン?)だったと言う事でしょうか・・・。 先生を始め、皆さんとまた会える機会を楽しみにしております。
***   金子T久 *** 
【筆者commemt】▼金子君へ、mailをありがとう。 ほんと、楽しい同窓会でした。 来年が益々楽しみになって来ました。 幹事頑張りますです。ハイ。(笑)
A1_3▼さて続いては、小生、また【時習26回】の旧【3-2】中嶋Y行・旧【3-3】谷山K、両氏と城址巡りの会『賢人会』で、昨日、9月2日(日)に伊賀の国『伊賀上野』に一日旅行して参りました。 今日は、その模様についてご報告させて頂きます。
▼城址巡り三人組は、車で一路、東名・伊勢湾岸・東名阪道を伊賀上野へ。 10時前に上野東I.C.を降り、北へ・・。 程なく伊賀上野城跡公園に到着。  駐車場に車を止め、あとは徒歩でほぼ一日散策を楽しみました。
▼「伊賀上野」は、芭蕉生誕の地であることは大変有名ですね。 また、戦国の名将であり、加藤清正と並ぶ城つくりの名人、藤堂高虎が築城した伊賀上野城址があります(添付写真ご参照)。
A11▼我々がまず訪れたのは上野城跡公園内にある「芭蕉翁記念館」。 芭蕉直筆の俳句等を見た。 その後、城址内を散策。 有名な藤堂高虎が普請した石垣をじっくり見て回った(添付写真ご参照)。 30mの高さを誇る石垣は日本一と言われている。 お堀を回り石垣を見て回っていると、そこで先日ご紹介した秋の七草の一つ「葛」の花を見つけた(添付写真ご参照)。 不思議と郷愁を感じさせる可憐な花であった・・。
A070902 A3_2A4070902_2A61070902_2A81070902A5070902_2A10070902 ▼高虎は、同城のほか、津城、膳所城、宇和島城、今治城等を築城。 彼は外様大名でありながら、家康の覚え目出度く、家康臨終の枕元に侍ることを許された唯一の外様大名である。 旧東海道の要衝の地を領国に与えられ、幕府譜代待遇で津藩32万石の大大名にまで出世した。 乱世を逞しく生き抜いた彼の努力は称賛に値する。
A12070902▼続いて、藤堂藩藩校「崇廣堂」を見た。 講堂に掲げてある額は、10代藩主藤堂高兌(とうどう たかさわ)が、上杉鷹山に依頼して書いて貰ったものという(添付写真ご参照)。
A13070902A14070902 ▼次に訪れたのは、「崇廣堂」より西へ徒歩10分。 曾我兄弟の仇討ち、赤穂浪士の討入りと共に、日本三大仇討ちと称される「伊賀越の仇討ち(荒木又右衛門鍵屋の辻の決闘)(寛永11年11月7日(1634年12月26日))」で有名な「鍵屋の辻」を訪れた。 そこには記念の碑と、渡辺数馬と剣豪荒木又右衛門が数馬の弟の仇である河合又五郎を待ち伏せした茶屋を模した売店「数馬茶屋」があった。
A15070902▼ついで、踵(きびす)を返して東へ15~20分歩くと、芭蕉の生家である「芭蕉翁生家」があった(添付写真ご参照)。
A16070902_2▼続いて、芭蕉の生家から2~3分のところに芭蕉の遺髪を納めた『故郷塚』のある彼の菩提寺「愛染院」を訪門(添付写真ご参照)。 芭蕉は、元禄七年十月十二日(1694年)大阪市南御堂花屋で没した(享年五十一歳)。 遺骸は、遺言により大津市膳所の義仲寺に葬られたが、訃報を受けた伊賀の門人服部土芳らは遺髪を奉じて帰り、松尾家の菩提所愛染院の藪かげに埋め、標の碑を建て故郷塚と称えた。
A17070902 ▼その後、南へ徒歩20分程のところに「蓑虫庵」があり訪ねた。 ここは芭蕉の高弟(故郷塚で前述の)服部土芳の居宅跡。 ここで管理人の男性から邸内にある石碑「古池や・・」について面白い話を聞いた。 この石碑は芭蕉が江戸で編んだ庵にあったものを、当時の蓑虫庵の居住者が昭和5年にここへ移したものという(添付写真ご参照)。 
【後記】今日の締め括りは、小生が伊賀上野城址で詠んだ短歌、愛染院の遺髪塚で詠んだ俳句、そして蓑虫庵で詠んだ短歌をお示ししてお別れしたいと思います。
▼主君を次々に変える変わり身の早さを揶揄される高虎ではあるが、家康・秀忠・家光の徳川三代の信頼を得て、津藩32万石の大大名にまで登り詰めた英傑。 小生は大好きな戦国の名将の一人である・・。
 高虎の 心尽くしの 城普請(しろぶしん) 
                       腐心の甲斐得て 伊賀は栄えむ  悟空 
▼愛染院の芭蕉の遺髪塚にて、芭蕉を偲び詠める・・。
 長月に 芭蕉を偲ぶ 愛染(あいぜん)院  悟空
【意】暑さも大分緩んだ九月の昼下がり・・、芭蕉の遺髪を納めた愛染院の遺髪塚の前に佇み、芭蕉を偲びお参りをする。 そのとき感じたえもいわれぬ暫しの静寂・・。
070902_17▼服部土芳が住んだ「蓑虫庵(みのむしあん=さちゅうあん)」。 草木が一面濃緑色に生い茂る庭のほぼ中央にある古池。 その片隅にある古ぼけた石碑には、蕉風開眼をあらわす円窓をうがち、跳躍する蛙のreliefと、「古池や 蛙飛こむ 水の音 はせを(【筆者注】=芭蕉)」の句が・・。 その石碑の由来を聞き感動し、その感傷に浸りながら蓑虫庵を後にして、秋の気配を感じる伊賀上野の街の中を歩きながら詠める・・。
 古池に 寄り添ふ石碑 蓑虫庵
          上野の街に 秋風ぞ吹く  悟空
▼・・毎度、毎度、お粗末様でした・・。(笑)
(了)
 

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