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2008年4月 9日 (水)

【時習26回3-7の会 0167】~「東京、国立新美術館『モディリアーニ展』」「4月9日:『田中冬二』命日」「拙宅の満開の『海棠の花』」「『春』に因んだ俳句三選」

■今泉悟です。 皆さん如何お過ごしですか。 さぁ、今日も【2637の会】会報【0167】号をお送りします。

■今日は4月9日。満開の桜も散り、代わって萌える新緑の樹々が日毎に眼に沁みる様になりました。若葉は本当に気持ちを和ませてくれます。新緑を見ていい気分になるということは、遥か遠い昔、我々人類、ホモサピエンスが樹々に囲まれた森林・ジャングルで生活していたことをDNAが現代の我々に伝えているからでしょうか・・。(笑)
▼さて、8月16日の【2637の会】『同窓会』まで、あと129日になりました。
 因みに、最近TVで聖火リレー妨害のニュースが話題になっていました8月8日の北京五輪の開会式までは121日です。
 『同窓会』が待ち遠しいですね。出欠のご案内は来月中旬以降に出状しようかと考えています。【2637の会】会報を充実したものとしたいので、【2637の会】membersの皆さんからのお便りを心よりお待ちしております。それまでは、暫く小生の拙ない話で繋いで行きますので我慢してお付合い下さい。

■そこでまず最初の話題は、前号にて予告しました、東京乃木坂、国立新美術館にて開催中の『モディリアー二(Amedeo Modigliani)展』ついてです。
 小生、先週4月4日(金)に社用で東京渋谷の某社を訪れる機会があり、昼過ぎに仕事を終えることが出来ましたので、『Modigliani展』を観て来ました。

Amedeo_modigliani18841920a2216▼モディリアーニ(1884.07.12-1920.01.24)(添付写真ご参照)は、イタリア、トスカナ地方のリヴォルノ生まれ。イタリアの美術学校を卒業後、1906年にパリに出て、最初はアフリカの民族美術に影響を受けた彫刻を手がけたが、その後、人からの薦めもあり、1915年頃より絵画を積極的に描く様になる。
 彼は、ユトリロ、キスリングらと並ぶエコール・ド・パリ(パリ派)の代表的画家である。彼らの多くはキスリングを除くと存命中は押し並べて苦しい生活を送ることを余儀なくされていた。モディリアーニについては、過日【0150】号でご紹介しましたが、35歳の若さでの死と、彼を追う様に自殺した内縁の妻ジャンヌ・エビュテルヌ(添付写真ご参照)の悲劇性が、彼の名声と相俟ってドラマティックな彼の人生をより一層引き立てている・・。
 小生も、学生時代からエコール・ド・パリの画家たち、中でもユトリロとモディリアーニは好きな画家であった。
01modigliania02modigliani1919a03modigliani1918a

04modigliani1916a ただ添付写真をご覧頂ければ解る様に、彼の作品は、背景にダーク・ブルー、服装は茶系というかセピア系の色を多用し、描かれた絵は何処となく暗い。「そこがまたいい」という人も沢山いますが・・。それから彼の作品は人物画、とくに女性を描いた作品が多い。そして、彼がアフリカ民族芸術の影響を受けているせいか、作品の人物像は、トーテムポールの様に顔、首、胴がいずれも流れる様に細長い形であることが特徴。何処となく倦怠感(メランコリー(melancholy))を感じさせる不思議な魅力を持った作品が多く、観る者の心を捉えて離さない。
05modigliani1919a06modigliani1918a07modigliani1918a08modiglianicd1916a 今回の展覧会にも、彼の「人物画」とくに女性の画が数多く出品されている。そして、それらは殆どが1916年から死ぬ直前の1919年の4年間に集中している。これは、先日ご紹介したゴッホも死ぬ直前の2年半の間に作品が集中していたとお伝えしたが、Modiglianiも同様である。若くして死ぬ芸術家たちは、精魂尽き果てるまで作品を作り続けてしまう運命の下にいるのか・・。小生にはわからない。(嘆息)
09modigliani1918a10modigliani1919a11modigliani1916a12modigliani1918a 話は脱線するが、20~30歳代でこの世を去った芸術家は以下の通り彼以外にも少なくない。思いつく儘拾ってみた(ただ画家のほうが作曲家より長命の様であるが・・)。
 クラシック音楽界の作曲家では、シューベルト31歳、モーツァルト35歳、歌劇『カルメン』他を作曲したビゼー36歳、同『ノルマ』他のベッリー二34歳、メンデルスゾーン37歳、ショパン38歳etc・・。
13modigliani1919a14modigliani1919a15modigliani1918a16modigliani1917a

17modigliani1918a18modigliani1918a19modigliani1917a20modigliani1916a 画家では、ロートレック36歳、岸田劉生37歳、佐伯祐三30歳、青木繁29歳。思い付いただけでもご覧の通りである・・。


▼続いて話変わって・・、前号で四季派の詩人三好達治をご紹介したが、四季派で忘れてならない同人がまだいる。「田中冬二」である。今日、4月9日が冬二に命日に当たる。
01 田中冬二(ふゆじ)(1894.10.13-1980.04.09)は、本名を吉之助と言う。銀行員(第三銀行(→安田銀行→富士銀行→現みずほ銀行))としてサラリーマン生活を送りつつ、郷愁を主題に優れた現代詩を沢山世に送り出した。1929(昭和4)年、叙情詩集『青い夜道』を上梓。復刊本を小生も持っているが、冬二の詩は、庶民の日常生活、北国、山国の自然を抒情的に詠い上げ、読者の琴線に触れ、郷愁を誘う。魅力的な秀品が多い。小生は、彼が小生と同じ職業の銀行員であったということを比較的最近知り、急に親近感を持つに到ったが、彼の作風は、同じ四季派の詩人、三好達治、丸山薫、立原道造、伊東静雄らとはまた違う。第一詩集『青い夜道』に代表される様に、冬二の詩の世界は、日常生活の姿、事象を純粋に叙情的に詠う。正確な表現ではないが、俳句ホトトギス派の理念『花鳥諷詠』『客観写生』に通じるものもある、と小生は思う。また、冬二の作品と比べると、三好、丸山、伊東らの作風は、同じ抒情詩人でも何故か作為的に感じるのは小生だけだろうか。
【年譜】
1894年10月 福島県福島市に生まれる。父は銀行員。
1901年    父逝去。
1906年11月(12歳) 母やゑ過労に基づく結核で死去。冬二は母の弟安田善助に引き取られる。
1913年03月(19歳) 立教中学卒業。早稲田大学英文科高等予科志望を断念し、5月安田財閥の第三銀行に就職。
1922年04月(28歳) 04月、「詩聖」に投稿した最初の詩「蚊帳」が長谷川巳之吉に注目され、掲載される。8月、銀座支店に転勤。秋、銀座支店に長谷川が訪れ、詩作について励まされる。
1925年02月(31歳) 安田善助の妻寅の遠縁にあたる今井俊太郎の長女ノブと結婚。
1929年12月(35歳) 第一詩集『青い夜道』を刊行。
1930年12月(36歳) 深沢支店長代理に昇進。
1939年02月(45歳) 長野支店副長となり転勤。
1942年01月(48歳) 諏訪支店長となり転勤。6月、日本文学報国会詩部会幹事に就任(詩部会長は高村光太郎)。
1946年05月(52歳) 立川支店長となり転勤。10月、日野市豊田に家を購入し家族揃って転居。
1980年04月(86歳) 9日、老衰のため自宅で死去。

Photo 今日は、田中冬二の代表作品から二つ、『皿』と『冬』をご紹介してみたい。『冬』は、題材として取り上げる季節が違うが、彼の代表作であり、その【解説】を併せお読み頂くと、彼の作風がよく解ると思うので掲載させて頂いた。ではご覧下さい。


     皿   (第一詩集『青い夜道』(昭和4年刊)より)

 しろい一枚の皿を見ていることはかなしいことだ。
 そこに季節の果物が 燈火のようにもりあがり、
 あたたかい よい 女性の肉があふれ、
 まずしい みずいろの わたしの思想がみち・・・
 ああ 一枚の
 からの皿を じっとながめていることは かなしいことだ。

* 
【意】 ( 暗く、寒く、侘しい粗末な部屋に帰り、)
    ( 硬い木の椅子に腰掛け、頬杖を付きながら、)
    ( テーブルの上に薄青い影を持つ )
 白い一枚の皿を見ていることはかなしいことだ
    ( それをじっと見つめていると、)
 そこに黄色い蜜柑や赤いリンゴが明るい燈火に映えて堆く盛られ、
 匂やかで、瑞々しい美しい女性の肌が現れ、( そしてまた、)
 慎ましく、高貴な私の思想が語られ・・・
    ( しかし、これらは私の幻影。・・この部屋には美しい女性、)
    ( 果物など一つもなく、それに私の思想も貧弱・・ )
 ああ いつになれば美しい幸福を手に入れることができるのだろうか
 一枚しかない からの皿を じっと眺めていることは かなしい・・

【解説】この詩集の『青い夜道』という題名について、冬二は「星明りのして麦の匂う様な夜道 ― 私の好みと、詩集の中にある作品の名から採った」(『現代詩の体験』)と語っている。
 自伝に「大正11年(29歳)、私は銀座支店勤務となり上京した」。この詩は昭和4年(36歳)4月、堀口大学編集の詩誌「オルフェオン」創刊号に発表。
 青春の夢と侘しさ。華やかな色彩の何一つない下宿の、寒々とした部屋に「一枚の空(から)の皿をじっと眺めていることはかなしいことだ」。種々華やかなイメージが浮かび上がって来るので、一層かなしい。こうして自分の青春の日々も過ぎ去ってゆく・・。
 冬二は、「詩精神の真髄は純粋性である。清冽性である。不純であっては詩精神ではない。霞んでいては詩精神ではない。澄み切っていてはじめて詩精神である」(「抒情の彼岸」)と言う詩観を持つ。この詩はまさにその代表作。

        (第一詩集『青い夜道』(昭和4年刊)より)

 白い石の上に 冬はある
 うつくしきひとよ
 私のつめたい靴をふんでください


【意】 ( 草木は枯れ、寒々とした冬の到来である )
    ( 曇り日、私は庭に下り )
 白っぽく乾いた庭石の上に ( ― 目をやると )
    ( 如何にもそこに )
 冬があ(存在す)る ( ― という感じがする )
    ( 全てのものが干からび侘しい )
    ( あぁ、やりきれない気持ちだ。 瑞々しく )
 うつくしきひとよ ( ― 突然、ここに現れて )
    ( 侘しさに堪え切れない )
 私の冷たい靴を ( ― いや、私の心を、思い切り強く )
 踏んで下さい( ― そうすれば )
    ( 老いぼれ老人の様に干からびた私の心も )
    ( きっと生き生きと若返るであろうに )

【解説】これらの初期の作品について、田中冬二は「誰の影響も受けていない、私独自のものから出発している。それ故、たとえ私の作品が単純で、スタイルも平易で、或る試論家から、小学生の作文の様だと酷評されようとも、この点からは敢えて誇り得る」(『現代詩の体験』)と述べている。
 この詩は、「私(=作者)が冬枯れの庭に佇み、やり切れぬ侘しい思いで、埃っぽく干からびた庭石の上に目を落としている。そして、ここに元気が出て来る様な、素晴らしい事象が訪れないか思い描いている」とでも解釈すればいいのであろうか・・。
 作者は、詩の表現について「言葉から感受するニュアンス・重量・硬度・デテールというようなものは周到な考慮を要するのである。詩の一行二行には散文の何十行のカラットがあるのである」「私は私のたのしみから詩をつくる。・・が、それは安易につくっているという意味ではない。私は苦心に苦心してつくっている。推敲に推敲を重ねる。一行二行の詩にも数か月要することさえある。私は誰にでもわかるようなやさしい言葉を用いて、格調の高いものを目指している。真の詩というものは、わかりやすくて、しかも最も洗練され、色調を有し、香りを有するものと思う」(『ポエムライブラリーⅡ』)と言っている。

【筆者comment】▼田中冬二の詩には、極めて純粋な詩心がある。この純粋さが彼の作品の真骨頂である。小生は彼の多くの作品が好きだ。ただ、純粋すぎて面白くないと感じる人も少なくない、とも思う。
 皆さんは田中冬二の詩は好きですか、嫌いですか? どう感じられましたか? 感想を返信mailで頂戴出来れば幸甚です。お便りをお待ちしています。m(_ _)m


04080406050804060608040603080406■さて続いては、前号でお約束した「拙宅の満開の『海棠の花』」です。4月6日に撮影しました。まさに満開。今日4月9日にはすでに色褪せて盛りを過ぎてしまいました。小野小町の「花の色は移りにけりないたづらに・・」そのものですね。ご覧下さい。


【後記】■そして今日の締め括りは、「春」に因んだ俳句を三つ。「春の月」を二つ、「春の小鳥」を一つお届けします。

 春の月 さはらば雫(しずく) たりぬべし  小林一茶

【解説】明るい秋の月、凄みのある冬の月、涼しげな夏の月に対し、しっとりと豊満な感じのする春の月。それは手を触れれば雫が垂れて落ちてきそうな美しさで、官能的ですらる。そのことは中村汀女の「外(と)にも出よ触るるばかりに春の月」にもいえよう。
  1805(文化2)年『文化句帖所収』
  (鷹羽狩行の「名句案内」(NHK出版))

 外にも出よ 触るるばかりに 春の月  中村汀女

【解説】「外にも出よ」という呼びかけが溌剌としている。何という開放感溢れる情景であろうか。読者の気持ちまで弾んでくる。まるで夕日のような、凛々と明るい春の月が思い浮ぶ。「触るるばかりに」という表現に、月への親近感と、春の月の瑞々しさ、そして月に魅了されている作者の感受性の柔軟さがこもごもに託されている。
  1946(昭和21)年『花影』所収。季語は春の月(春)
  鑑賞「女性俳句の世界」第2巻(角川学芸出版)

 やはらかく 山河はありぬ 鳥の恋  井上弘美


【解説】春、繁殖期の小鳥たちは独特の美しい声で囀(さえず)る。囀りは、縄張り宣言と同種の雌への恋歌である。「鳥の恋」は「鳥交(さか)る」の比較的新しい言い換え季語。折りから「風光る」「山笑ふ」季節であり、小鳥たちの営みを天地が見守っているかのよう。
  2004(平成15)年『俳句研究年鑑』2004年版所収
  (鷹羽狩行の「名句案内」(NHK出版))

【筆者comment】▼三つの俳句は19世紀初頭、20世紀央、21世紀初頭と、作句の時期こそ異なるが、「春」のよさを詠ったいずれも秀句と言える。
俳句って、いつ詠んでもいいですねぇ・・。(笑)
 では、また・・。

(了)

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