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2008年5月の6件の記事

2008年5月30日 (金)

【時習26回3-7の会 0177】~「mail版『2008年【2637の会】《クラス会》開催のご案内』」「銀行退職」「ブリヂストン美術館『岡鹿之助』展」

■今泉悟です。 皆さん如何お過ごしですか。 さぁ、今日も【2637の会】会報【0177】号をお送りします。

■さて今日は、皆さんに「mail版『2008年【2637の会】《クラス会》開催のご案内』」を、この【0177】号とは別便にて送信させて頂いています。
▼8月16日の同窓会に「出席」「欠席」を決めて頂いている方におかれましては、当該「『案内状』mail」に、「出・欠」の該当箇所〔 ○ 〕以外の〔 ○ 〕を抹消して頂き、返信を頂戴頂ければ幸甚です。
 また、まだ出欠が分らない方も、「今のところ調整がつかず決めかねている。後日連絡する」を入れて頂いて返信頂ければ幸甚です。
 「出欠」が「ギリギリまで」方々宛には、「往復はがき」にて「《クラス会》【最終確認】の『ご案内状』」を、 「出席」を表明して下さった方々には、「往信はがき」にて「《クラス会》の『ご案内』」を、夫々出状況させて頂く予定です。これらの「はがき」は、「mail版『2008年【2637の会】《クラス会》開催のご案内』」でご回答を頂いてから対応したいと思いますので、6月10日頃出状を予定しています。
 まずは、mailをお送りしている【2637の会】membersの皆さんからの「mialでのお返事」をお待ちしております。m(_ _)m


Photo1963■次に、今日は『岡鹿之助』についてである。実は小生、昨晩上京し、今日(5月30日)朝8時半、本店役員室で、頭取から退職辞令書を頂戴したその帰り、1時間程、気分転換に八重洲にあるブリヂストン美術館にて開催中の点描画法の大家『岡鹿之助』展を観て来ました。なかなか良かったのでご紹介します。

 岡鹿之助(おか しかのすけ、1898年7月2日 - 1978年4月28日)は、昭和期の洋画家。
1924192619271948【略歴】 
1898(明治31)年 7月2日、東京市麻布区西町(現港区麻布2丁目)に劇評家岡鬼太郎(本名嘉太郎)の長男として生まれる。
1905(明治38)年 (7歳)麻布尋常小学校入学。
1911(明治44)年 (13歳)麻布中学校入学。
1912(明治45/大正元)年 (14歳)2年の時、父の知人で、尊敬していた岡田三郎助に素描を学ぶ。
1918(大正07)年 (20歳) 浅草区今戸町(現江東区今戸2丁目)に転居。
1919(大正08)年 (21歳) 東京美術学校(現・東京藝術大学)西洋画科入学。 
1924(大正13)年 (26歳) 3月東京美術学校西洋画科卒業。12月21日、美術学校5年在学中の南城一夫と3年間の予定で神戸より渡仏。
1951195101195319561925(大正14)年 (27歳) 1月31日、仏マルセイユ着。2月01日パリ着。2月17日藤田嗣治と会う。互いに往来し、後、藤田から様々な指導、示唆を受ける。4月、ドランブル街5番地の、藤田嗣治が以前使用していたアトリエに移り住む。9から11月、サロン・ドートンヌに風景画・静物画2点を応募し《風景》が入選。以後、幾度か入選を重ねる。 
1939(昭和14)年 (41歳) 9月、第二次世界大戦勃発により、海外日本人引揚船で、菊池一雄、高田力藏らと共に、英国、米国経由で12月、帰国。9月23日、船中にて、師岡田三郎助の訃報を知る。 
1940(昭和15)年 高田力藏と共に「春陽会」会員になる。
1944(昭和19)年 (46歳) 4月、第22回春陽会展に《三色菫》を出品。この頃より「三色菫(遊蝶花)」を好んで描き始める。
195961A19621963_219641949(昭和24)年 (51歳) 4月、堀辰雄『風立ちぬ』細川書店より刊行。挿画5点を手がける。
1952(昭和27)年 (54歳) 《遊蝶花》他の作品に対し、「芸術選奨文部大臣賞」受賞。
1954(昭和29)年 (56歳) 3月、銀座兜屋画廊にて初の個展「岡鹿之助滞欧作展」開催。
1956(昭和31)年 (58歳) 3月、著書『ルソー』出版。5月、第2回現代美術展にて『雪の発電所』出品し「最優秀賞」受賞。
1957(昭和32)年 (59歳) 1月、前年の第2回現代美術展『雪の発電所』で「毎日美術賞」受賞。
1958(昭和33)年 (60歳) 5月、著書『スーラ』出版。
1959(昭和34)年 (61歳) 2月、神戸より海路渡仏。4月パリ着。10~11月は伊へ。
1961(昭和36)年 (63歳) 11月、帰国。
19661966_2196819751964(昭和39)年 (66歳) 5月、「日本芸術院賞」受賞。
1969(昭和44)年 (71歳) 1月、日本芸術院会員。
1972(昭和47)年 (74歳) 11月、「文化勲章」受賞。
1978(昭和53)年 (79歳) 4月28日、心筋梗塞にて死去。
【筆者comment】と【作風】
Photo_2▼岡鹿之助は、自身の絵のマチエール(matiere=【注】美術作品における材質的効果)を上手く表せないことに悩み、努力の末「『点描』画法」に到達する。近代絵画史で「『点描』画法」と言えば、「ジョルジュ・スーラ」が有名だが、「『点描』画法」に到達した当時の岡は、スーラ自身が無名に近かったため、彼の作品は知らなかったという。
 因みに、有名なスーラの『点描』画法は、canvas上に色の違う絵の具を混じり合わせず並置させ、見る人の目の錯覚により別の色を生み出すという、「『視覚混合』の理論」、平たく言えば「『光の三原色』の原理(貼付資料ご参照)」を応用したもの。一方、岡の『点描』はむしろ同系色の点を並置して確りしたマチエールを構築、これも平たく言えば、「確りした構図をbaseに粉をまぶした様に精緻な安定感ある『点描』」とでも言おうか。従って岡の作品は、どっしりと落ち着いた静寂で幻想的な風景画を得意とする。なかでも『雪景色』を扱った作品群は、彼「『点描』画法」の特徴をよく表していると言えよう。
▼因みに、「光の三原色」と「色材(所謂「絵具」)の三原色」」では、大分違いますね。「光の三原色」では、添付写真の様に「赤」「青」「緑」が三原色で、三色が合わさると、「白」になる。また、「赤」と「緑」が合わさると「黄」になる。ところが、「色材(絵具の)三原色」では、「赤」と「緑」は、補色の関係になり、「灰色」になってしまう。・・何か、「『美術』の授業」を思い出しますね・・?(笑)
 岡鹿之助の作品は、彼独自の「『点描』画法」で、親しみ易い作風だと思います。小生、岡鹿之助は好きな画家の一人です。


Withconcert080528■続いては、日時は前後しますが、小生、5月28日夕方、名古屋へ。愛知県芸術劇場コンサートホールで開催された。「高崎ちさ子&曽根麻矢子&高木綾子with新イタリア合奏団」のコンサートに行って来ましたのでご紹介します。
 曲目は、「ロッシーニ作曲「歌劇『セビリアの理髪師』序曲」、「バッハ作曲『チェンバロ協奏曲第4番イ短調』BWV1055」「ヴィヴァルディ作曲『フルート協奏曲第2番ト短調「夜」』」「ヴィヴァルディ作曲『ヴァイオリン教祖曲「四季」より「夏」』」「パガニーニ作曲『ヴェネチアの謝肉祭』」「バッハ作曲『ブランデンブルグ協奏曲第5番二長調』BWV1050」。女性三人によるバロック&イタリア音楽の夕べ。
 高崎ちさ子のヴァイオリン・曽根麻矢子のフルート・高木綾子のチェンバロ、なかなかの腕前でした。高崎ちさ子のキャラクターで、トークも交え、楽しい至福の二時間を過ごすことが出来ました。日本人女性の活躍は、クラシック音楽では目覚しいものがありますね。

【後記】■今日の締め括りは、また、時節の俳句で仕上げたいと思います。時節ももう間もなく『芒種』。日本の四季のうちでも、種まきという、収穫と同様に大切なときです。「田植え」の時節を詠んだ芭蕉・蕪村・几薫(きとう)の俳句をお届けします。

 田一枚 植えて立去る 柳かな  芭蕉
【解説】西行が詠んだという那須の遊行(ゆぎょう)柳(添付写真ご参照)である・・。

 鯰得て 帰る田植えの 男かな  蕪村
【解説】田水と共に鯰も田圃にやって来る。

 湖の 水かたぶけて 田植かな  几薫
【解説】琵琶湖の畔・・、近江平野では今まさに田植えの真っ盛り・・。

 五月雨に 鳰(にお)の浮巣を 見に行かむ  芭蕉
Photo_3【解説】江戸からちょっと琵琶湖まで。芭蕉一流の暇乞いの句である。

では、また・・。【2637の会】members皆さんのお返事をお待ちしております。 m(_ _)m
(了)

2008年5月26日 (月)

【時習26回3-7の会 0176】~「【2637の会】《クラス会》案内状について」「上野千鶴子著『おひとりさまの老後』」「AEDを用いた心肺蘇生(電気ショック)訓練に参加して」

■今泉悟です。 皆さん如何お過ごしですか。 さぁ、今日も【2637の会】会報【0176】号をお送りします。
 一週間という「時の流れ」は、過ぎ去ってしまうと本当に早いものです。我々のの一生も、気が付いたら、あっと言う間に鬼籍に入るところまで来たりして・・。最初から「縁起でもない」物言いで申し訳ありません。(笑)
 「何やかや」と言っている間に、8月16日の【時習26回3-7の会】《クラス会》開催まで83日になりました。早いものですね。
 「案内状」は、漸く原稿をつくりました。もし、「出欠」が確定している方は、このmailの返信でもどのmailでも結構ですから、お返事を頂けると助かります。「往復はがき」の印刷と出状枚数を削減できますので・・。(笑)
 尚、案内状は、お約束通り、6月に出状を予定しています。「往復はがき」の印刷は今週以降に取り掛かります。お手許に届くまで、今暫く待っていて下さい。
 準備が遅々として進まないのは、私事ですが、五月から六月にかけては、弊社の、決算役員会、株主総会等に向けて、資料・報告書の作成及びcheck、「監査法人」との交渉や、関連会社の役員会出席ほか、諸事に振り回されているからです。今が、一年のうちでも最も忙しい季節。それに加え、今年は、小生の場合、今月末に銀行「(早期定年)退職」という特殊事情が加わりました。(笑) 物事には、「始まり」があれば、必ず「終わり」があるもの・・。人生も然り。30年余り勤めた会社を「退職」することにつき、もう少し感慨あるものと思っていましたが、一年間出向先にいると、銀行員としての意識も薄くなり、自分の頭の中は、もう、第二の人生を歩み出しています。(笑)

Photo■さて、今日、最初の話題は、先日【0173】号でご紹介しました「上野千鶴子著『おひとりさまの老後』(法研)」を実際に読んでみました。とても面白かったので、その中からと一部をご紹介します。ご興味を持たれた方がいらっしゃいましたら、1,400円+消費税で購入頂けますよ。お薦めです。(笑)

〔 さみしいときはさみしいと言える 〕
▼(前略)さみしさとの付き合い方、つまり、孤独のまぎらわせ方についても考えておこう。
 わたしの基本は、さみしいときはがまんしなくていい、というもの。さみしいときはさみしいと言おう。もっと正確にいうと、さみしいと言える相手をちゃんと調達しておこう。
 わたしは自分の弱さを知っているから、人間関係のセーフティネットを努力してつくるようにしてきた。(中略)
 グチも言えない間柄なら友人といえないし、たとえ助けにならないとわかっていても、せめて「きやすめくらい、言ってくれてもいいでしょう?」という気分になった。逆に自分のほうでも、「助けてあげられないけど、グチくらいいつでも聞いてあげるよ、こぼしにおいで」と言えるようになった。
〔 人間はこわれもの 〕
▼人間が「こわれもの」であることをわかるようになったのが、年齢の効果だろうか。「こわれもの」だから「こわれもの」のように扱わなければならないと思うようになったのだ。それも、ずいぶんたくさんこわしたあとのことだ。
 こういう気分になったとき、女でよかったなあ、としみじみ思ったものである。弱音を吐くことが恥にもキズにもならないからだ。そういう目で同世代の男性を見ていると、かわいそうになる。ストレスは女と同様にあるだろうに、それを吐き出すことを自分に禁じているばかりに、たまりにたまって病気になったり自殺したりするのだろう。
 わたしは男の弱みがよくわかる寛大な女なので、男にはきっととても便利な存在だろうなあ、と思うことがある。呑ませて、食わせて、グチをたっぷり聞いてやると、わたしはいったいなにをやっているんだろ? と思うこともあるが、しょうがないね、男は弱い生きものだもの。もとへ、女と同じように弱いくせに、弱さを自分に認めることのできない弱みをもった困った生きものなのだ。
〔 弱音を吐ける女、吐けない男 〕
▼歳をとるとは、自分の弱さを認めるということだ。毅然としていたり、凛としていたり、気骨のあるお年寄りというのはたしかにいらっしゃるが、そのまねが自分にできるとは思えない。病気で苦しめば痛みにぴいぴい泣きそうだし、死期を宣告されれば取り乱しそうだ。
 私の父は医者で、自分が治療の手だてのない末期がんの患者であることを知っていたが、死の床で動揺をくりかえし、ちっとも死の準備なんかできていなかった。それがふつうの人間だろう。父の介護に際して、友人、知人の介護経験をさんざん聞いたが、りっぱな人間のりっぱな死に方は、いくら聞いてもなんの参考にもならなかった。「そんなひともいるでしょうね」という感じだ。万人がそのような毅然とした死を迎えるわけではない。わたしは父の動揺につきあいながら、こうやって死にゆくひとに翻弄されることが家族の役目かもしれない、と覚悟を決めた。
 わたしが尊厳死に疑問をもつのは、自分が元気なときに書いた日付入りの延命拒否の意思など、その場になってみればどう変わるかわからないからだ。人間は弱い。動揺する。昨日考えたことを、今日になって翻すこともある。過去の日付入りの意思を貫徹することが、尊いことだとも、りっぱなことだとも思わない。
 つらい、哀しい、痛い、困った・・・。そんなときに、「助けて」と言える。しかも平気で言える。女でよかった、と思えるのはこんなときだ。
 助けてと言ったときにだれも助けてくれるひとがいなければ、こんなに哀しいことはない。こういうときのためにセーフティネット、つまり、いつでも泣き言を聞いてくれ、困ったときに助けてくれるひとを調達し、かつメンテナンスしておくこと。友人とは、そのためのものだ。
【筆者comment】
▼最後のphrase「困ったときに助けてくれるひとを調達し、・・。友人とは、そのためのものだ」。全く同感である。【2637の会】membersの間柄も「かくありたい」ものである。上野氏は、〔友人にはメンテナンスがいる〕のところで、「必要なときに駆けつけてくれ、自分を支えてくれ、慰めてくれ、経験を分かちあってくれるからこそ、友である。だからこそ、友人をつくるには努力もいるし、メンテナンスもいる。(中略)ほうっておいても保(も)つような関係は、関係とはいわない。無関係、というのだ」と言っている。至極、もっともな言葉である。(笑)


■さて話変わって・・、5月23日、小生が勤務する会社の関連会社主催の「AEDを用いた心肺蘇生(電気ショック)訓練」に参加しました。
 当日は、豊橋市中消防署の担当官3名に来て貰い、説明を受け、参加者約30名全員が「訓練」を実施しました。
 内容的にも、大変勉強になりましたので、その内容につき【2637の会】の皆さんにも参考になるかもと思い、ご紹介致します。「そんなこと知ってるよ」と言う方もいるとは思いますが、その方はすみませんが、読み飛ばして下さい。(笑)(汗)

▼AEDとは、自動体外式除細動器のこと。担当官の話によると、AEDは、平成16年7月から一般の人も取り扱える様になり、また、AEDの機能も極めて精巧に、且つ、取扱いも簡単。最近、AEDが脚光を浴びているのは、2002年高円宮憲仁親王がテニスプレイ中に心室細動で倒れ逝去されたことで、ご記憶の方も少なくないと思います。
 「訓練」で配布された「AEDを用いた除細動(電気ショック)の重要性」と題した資料には、『突然死の大半は心臓が痙攣する「心室細動」が原因』と書かれてありました。
 昨年(平成19年)に実際にAEDが使われた件数は、全国だったかどうか聞き漏らしましたが、703件。うち、73件が救命され、且つ社会復帰できたということです。担当官曰く、「AEDがなかったら、救命され社会復帰できた73名のうちの殆どの方が落命していたであろう」と。
 配布資料の巻末に『応急手当の必要性』とあり、次の様に書いてありました。「救急車を要請して実際救急車が来るまでには、全国平均で約6分です。心室細動になってから除細動が一分遅れると、生存率が7~10%の割合で減少し、5分経過すると生存のチャンスは50%迄低下する」。
 担当官の説明によると、「『AED』もさることながら、それよりもむしろ『胸骨圧迫』と『人工呼吸』を絶え間なく続ける方が「心肺蘇生法」では重要である」とのことでした。『胸骨圧迫』とは、一般的にいう「心臓マッサージ」のことですが、これを続けることにより、血流が通常時の20~30%は流れるとされ、脳死を予防する確率が高くなるそうです。逆に、この心臓マッサージをしないと、脳内血液が凝固し、蘇生した後も、脳障害を発症する懸念が増加します。
〔 心肺蘇生法の手順 〕
●〔周囲の状況の確認〕: 倒れた人が道の真ん中であれば、救助活動が円滑にできるところへ移動させる必要がある。
①〔意識・反応の確認〕: 両肩に手を添え、敲き乍ら、「大丈夫ですか?」と呼びかける。
②〔助けを呼ぶ〕: (1)「AEDを持って来て!」、(2)「みんなを呼んで来て!」、(3)「119番通報をして!」、と助けを呼ぶ。
③〔気道確保して、呼吸の確認〕: 傷病者を仰向けに寝かせ、左手で額を、右手で首の下を支え、顎を突き出した形にして口を開ける。そして、「見て」「聞いて」「感じて」45678910と、10秒間で状況を判断する。
④〔「人工呼吸」2回〕: 約1秒かけて、胸の上がりが見える程度の吹き込みを2回する。
⑤〔直ちに「胸骨圧迫(心臓マッサージ)」30回〕: 1回1秒弱のペースで30回、「胸骨圧迫(心臓マッサージ)」する。「④⑤を1セット」で繰り返す。
⑥〔AEDが到着したら、まず電源ON〕: 音声メッセージに従い、操作する。(『AED』を設置場所から取り出すと、ブザーが30秒間鳴るので、ビックリしない様に(話はそれるが・・、最近、『AED』を盗む悪いやつがいるという) )
⑦〔胸の状態を確認して、パッドを貼付〕: パッドに装着場所が書いてあるので、それに従い、「右胸上」と「左脇腹」の2箇所に貼付。
 →・胸毛は? ・水滴は? ・金属は? ・ペースメーカーは? 金属、ペースメーカーある場合は、パッドは当該場所から2.5cm離して装着。肌が濡れていたら、拭き取ること。
 →また、パッドは、肌に直接貼付するので、上半身は裸にする。傷病者が女性でも躊躇は禁物。人命救助です!
⑧〔コネクターを接続〕: 「心電図を解析中です」とアナウンスがある。「ショックが必要です」ならば⑨以下へ、「ショックは不要です」ならば「『AED』は使用しない」
⑨〔安全を確認して、ボタンを押す〕: 「私、あなた、周囲の安全」(傷病者に触れていないこと)を確認。
⑩〔直ちに「心肺蘇生(「人工呼吸」と「胸骨圧迫(心臓マッサージ)」)」を再開〕

〔 AEDとは? 〕
 1.『AED』とは、PCにより、傷病者の心臓のリズムを自動的に調べてくれる。
 2.音声ガイドにより、「電気ショック」が必要かどうか知らせてくれる。
   『AED』は、傷病者の『胸と脇腹』の二箇所にパッドを装着すると、傷病者の心臓の状況を計測し、以下の様にアナウンスされます。
     →・〔心臓が正常に動いている時〕及び〔心臓が停止している時〕は・・・「ショックは不要です」
     →・〔心臓が痙攣(=心室が細動)している時〕は・・・「ショックが必要です」
 ◎音声により、操作手順も教えてくれるため一般の人でも簡単且つ確実に操作できます。
【筆者comment】
01aed0203aed04aed▼添付写真は、01「わが社に備え付けられている『AED』」、02「胸骨圧迫(心臓マッサージ)」をしているところ、03「AEDを開けたところ」、04「AEDのパッドを装着」したところであるが、実際やってみて実感したことは以下の通りです。

①AEDの操作は、大きな声でアナウンスがあるため不安はない、
②「AEDのパッドを装着」するに、肌に直接装着するので、人命救助の観点から躊躇することなく迅速に傷病者の上半身(胸部から腹にかけて)を裸にすることが肝要。
③「人工呼吸」は傷病者の唇に自分の唇を重ねることになるので、本番でも「ハンカチ」を当ててやってかまわない。
④〔心肺蘇生「人工呼吸」2回、「胸骨圧迫(心臓マッサージ)」30回〕のパターンを救急車がくるまで続けることは体力的にかなりきつい。途中で他の人に代わって貰うなどして、確り続ける。(←・3分程続けたら、確り汗が出て来た。「人命救助」も大変です・・!)


【後記】■今日の締め括りは、今の時節に相応しい俳句を二句・・。

 万緑を 顧みるべし 山毛欅(ぶな)峠  石田波郷

【意】山毛欅(ぶな)峠は、奥武蔵(埼玉県)の檥(ぶな)峠。「万緑」は、夏の野山に横溢する緑。力強さを感じさせる「バンリョク」という響き。

 長雨の 空吹き出だせ 青嵐  山口素堂

【意】碧々とした草木を靡かせて吹く夏の強風、「青嵐」。長雨も一挙に吹き飛ばしてくれよ・・。

では、また・・。(了)

2008年5月20日 (火)

【時習26回3-7の会 0175】~「『小満』の時節の俳句」「5月17日:『安井曾太郎』誕生日」「21日:『アンリ・ルソー』誕生日」「書籍紹介:養老孟司著『バカの壁』」「18日:『グスタフ・マーラー』命日」

■今泉悟です。 皆さん如何お過ごしですか。 さぁ、今日も【2637の会】会報【0175】号をお送りします。
▼8月16日の【2637の会】『クラス会』まで88日となりました。前にも申し上げましたが、案内状送付は来月です。もう暫くお待ち下さい。
 それから、前【0174】号でもお願いしましたが、『クラス会』二次会の場所の件、いい処をご存知の方、お教え頂ければ幸甚です。m(_ _)m
 この会報は、【2637の会】members皆さんの交流の場です。是非ともご気軽にお便り下さい。それまでは、万年幹事の不肖今泉が場を繋ぎますので・・。(笑)

■さてそれでは、まず今日最初の話題は「時節」に関わる俳句から・・。
 明日5月21日は二十四節気でいう『小満』。新緑がいよいよ碧さを増す時節。初夏の爽やかな風が、「風薫る」「薫風」という季語に代表される様に、実に清々しい気分にしてくれる。この時節に相応しい、著名な二人の女流俳人の俳句を二句ご紹介させて頂き、ついでに小生の拙句もご覧下さい。

 しんしんと 月の夜空へ 柿若葉  中村汀女

【意】柿の若葉は淡い黄緑色で、優しく目に沁みる様に美しい。もの静かな月明かりの下で、まるで華が咲いているごとく・・。ご当地豊橋石巻地区は次郎柿の名産地。柿畑の黄緑色の若葉が美しく、目に飛び込んで来る。

 葉桜の 影ひろがり来 深まり来  星野立子

【意】葉桜の碧さも、日一日とその濃さを増し、新緑の季節も本番。自然が初夏の到来を確りと教えてくれる。

 若楓(わかかえで) 影さす窓辺 想ふ  悟空

【意】紅葉とは違った趣で、庭先にある若葉が綺麗な楓の影が窓辺に差し込む様に輝いて見える。・・と、昔日のひとの面影がふっと浮かんだ・・。


01PhotoPhoto_2Photo_3■続いては、日本の洋画家の大家「安井曾太郎(やすい そうたろう)1888.05.17 - 1955.12.14)」についてである。5月17日が彼の誕生日にあたる。彼は、太平洋戦争を挟んだ昭和の時代、先日ご紹介した梅原龍三郎とともに、日本の洋画界を牽引した大家である。
【略暦】
1888(明治21)年 実家は京都の木綿問屋。京都市立商業学校入学後、同校中退。絵画の道へ。
1903(明治36)年 聖護院洋画研究所(のちの関西美術院)入所。浅井忠に師事。同時期、梅原龍三郎と共に学ぶ。
1907(明治40)年 先輩画家、津田青楓渡欧の話を聞き、一緒に渡欧。渡欧に際し、彼の初期作品を焼却したという。仏アカデミー・ジュリアンに学ぶ。爾後、7年間の仏滞在中に英、伊、西へも旅行。
1914(大正03)年 第一次世界大戦が勃発。独が仏に宣戦布告。自身の健康悪化もあり帰国。
1915(大正04)年 第2回二科会展に滞欧作44点を出品。二科会会員に推挙。
1930(昭和05)年 『婦人像』発表。以降、梅原龍三郎と共に第二次世界大戦前後を通じて昭和期を代表する洋画家と評されるに至る。
1935(昭和10)年 帝国美術院会員に。
1936(昭和11)年 有島生馬、山下新太郎らと一水会を結成。
1944(昭和19)年 東京美術学校教授就任。
1952(昭和27)年 文化勲章受章。
1955(昭和30)年 肺炎のため死去。享年68歳。

Photo_4Photo_5Photo_6Photo_7Photo_8Photo_9【筆者comment】
▼彼の代表作を幾つかご紹介する。彼の作風は、渡仏時代に傾倒したセザンヌに何処となく似ている。また、風景画は梅原龍三郎の作品とも似ている、と思う。小生、安井曾太郎は好きな画家の一人である。

■続いては、5月21日が誕生日にあたる『アンリ・(ジュリアン・フェリックス・)ルソー(Henri Julien Felix Rousseau, 1844.05.21 - 1910.09.02)』についてである。
 彼は、19世紀後半~20世紀初頭に活躍した仏の画家で素朴派と称される。二十数年間、パリ市の税関職員に在職。余暇に絵を描く「日曜画家」。通称「ル・ドゥアニエ(税関吏)」。尚、彼の代Rousseau01表作は、税関退職した後の五十歳代に大部分が描かれている。
Un_soir_de_carnival_188618941897190218901905La_charmeuse_de_serpents19071909La_noce190522_la_libert_invitant_les_artistes_19101910_2Le_rve1910【略歴】
1844年 仏マイエンヌ県ラヴァル生まれ。高校中退後、一時法律事務所に勤務。
1863年 1868年まで5年間、軍役。
1871年 パリの入市税関の職員に。現存するルソーの最初期の作品は1879年(35歳)頃の作。
1886年 アンデパンダン展に出品を開始。爾来、同展に終生出品を続けた。
1888年 最初の妻クレマンス死去。
1893年 税関退職後、画家に専念。
1894年 『戦争』
1897年 『眠るジプシー女』
1903年 二番目の妻ジョゼフィーヌ死去。
1907年 『蛇使いの女』
1909年 手形詐欺事件に連座し拘留。
1910年 肺炎のため死去。享年66歳。
【筆者comment】
▼ルソーは、生前はピカソやポリネール等、少数の理解者に留まった。ルソーの年譜に必ず登場するエピソードとして、1908年、ピカソ、アポリネールらが中心となって、パリの「洗濯船(バトー・ラヴォワール)」にて「アンリ・ルソーの夕べ」という会を開き、多くの画家や詩人がルソーを囲み、彼を励ました。日本でも比較的早くから彼の作品は紹介され、藤田嗣治、加山又造等多くの画家に影響を与えた。
 ルソーの絵に登場する人物の特徴は、向きが真正面か真横。目鼻立ちはどれもよく似ている。風景には遠近感がほとんどない。樹木・草花は1枚毎丁寧に描写されている。「一見稚拙に見える技法を用いながらも、彼の作品は完成度と芸術性の高い」と評価されるに至った。


Photo_10■続いては、先日ご紹介した養老孟司氏の作品をもう一つお送りします。『バカの壁』です。少々理屈っぽかったですが、大変面白く読ませて貰いました。流石は頭脳明晰な養老氏。読んでいて多くの発見をした本である。
 そこで今日は、この作品から初めと終わりのところをご紹介致します。尚、詳細をご覧になりたい方は、〔新潮新書〕680円で購入して下さい。勉強になりますよ~っ。(笑)

【 第一章 「バカの壁」とは何か 】

〔 「話せばわかる」は大嘘 〕
▼「話してもわからない」ということを大学で痛感した例があります。イギリスのBBC放送が制作した、ある夫婦の妊娠から出産までを詳細に追ったドキュメンタリー番組を、北里大学薬学部の学生に見せた時のことです。(中略)この番組の感想を学生に求めた結果が、非常に面白かった。男子学生と女子学生とで、はっきりと異なる反応が出たのです。
 ビデオを見た女子学生のほとんどは「大変勉強になりました。新しい発見が沢山ありました」という感想でした。一方、それに対して、男子学生は皆一様に「こんなことは既に保健の授業で知っているようなことばかりだ」という答え。同じものを見ても正反対といっても良い位の違いが出て来たのです。
 これは一体どういうことなのでしょうか。(中略)その答えは、与えられた情報に対する姿勢の問題だ、ということです。要するに、男というものは、「出産」ということについて実感を持ちたくない。だから同じビデオを見ても、女子のような発見が出来なかった、むしろ積極的に発見をしようとしなかったということです。
 つまり、自分が知りたくないことについては自主的に情報を遮断してしまっている。ここに壁が存在しています。これも一種の「バカの壁」です。(【筆者comment】この文を読み、閃いたことがあった。それは、会報【号外04】号(2006.11.05付)でお伝えしていますが、塩野七生著「ローマ人の物語」の中の『ユリウス・カエサル(ルビコン以前)』で塩野女史氏が紹介している『ユリウス・カエサル』の言葉である。カエサルはこう言っている。「人間ならば誰でも、現実のすべてが見える訳ではない。多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない」。まさにこれは養老氏が指摘した「バカの壁」を反対側から見て言ったことと同じである。それにしても今から2千年以上も前のカエサルの名言は、天才『カエサル』の洞察力は現在も生きている。驚嘆に値する。)(中略)
 私たちが日頃、安易に「知っている」ということの実態は、実はそんな程度なのだということです。
〔 「わかっている」という怖さ 〕
▼「常識」=「コモンセンス」というのは、「物を知っている」つまり知識がある、ということではなく、「当たり前」のことを指す。ところが、その前提となる常識、当たり前のことについてのスタンスがずれているのに、「自分たちは知っている」と思ってしまうのが、そもそもの間違いなのです。(後略)
〔 知識と常識とは違う 〕
▼日本には、何かを「わかっている」のと雑多な知識が沢山ある、というのは別物だということがわからない人が多すぎる。(【筆者注】前述のBBC放送の)出産ビデオの例でも、男(子学生)たちは保健体育で雑学をとっくに仕込んでいるから、という理由だけで、「わかっている」と思い込んでいた。その延長線上から、「一生懸命誠意を尽くして話せば通じる筈だ、わかって貰える筈だ」といった勘違いが生じてしまうのも無理ありません。
〔 現実とは何か 〕
▼「わかる」ということについて考えを進めていくと、「そもそも現実とは何か」という問題に突き当たります。「わかっている」べき対象がどういうものなのか、ということです。ところが、誰一人として現実の詳細についてなんかわかってはいない。(中略)
 世界というのは(中略)掴みどころのないものだ、ということを、昔の人は誰もが知っていたのではないか。その曖昧さ、あやふやさが、芥川龍之介の小説『藪の中』や黒澤明監督の『羅生門』のテーマだった。同じ事件を見た三人が三人とも別の見方をしてしまっている、というのが物語りの一つの主題です。まさに現実は「藪の中」なのです。
 ところが、現代においては、そこまで自分たちが物を知らない、ということを疑う人がどんどんいなくなってしまった。皆が漫然と「自分たちは現実世界について大概のことを知っている」または「知ろうと思えば知ることが出来るのだ」と思ってしまっています。
 だから、テレビで見たというだけで、2001年9月11日にニューヨークで何が起こったか、「知っている」「わかっている」と思ってしまう。(中略)
 しかし、テレビや新聞を通して一定の情報を得ただけの私たちにはわかりようもないことが沢山あるのです。その場にいた人の感覚、恐怖だって、テレビ経由のそれとは全く違う。にも拘らず、ニュースを見ただけで、あの日に起きた出来事について何事かがわかった様でいる。そこに怖さがあるのです。
 現実のディテールを「わかる」というのは、そんなに簡単な話でしょうか。
 実際には、そうではありません。だからこそ、人間は、何か確かなものが欲しくなる。そこで宗教を作り出して来た訳です。キリスト教、ユダヤ教、イスラム教といった一神教は、現実というものは極めてあやふやである、という前提の下で成立したものだと私(【筆者注】養老氏)は思っています。
 つまり、本来、人間にはわからない現実のディテールを完全に把握している存在が、世界中で一人だけいる。それが「神」である。この前提があるからこそ、正しい答えも存在しているという前提が出来る。それ故、彼らは科学にしても他の何の分野にしても、正しい答えというものを徹底的に追求できるのです。唯一絶対的な存在があってこそ「正解」は存在する、といういことなのです。(後略)
〔 確実なことは何か 〕
▼(前略)そもそも私は「確実なことなんて何一つ無い」などとは言っていない。常に私たちは「確実なこと」を探し続けている訳です。だからこそ疑ったり、検証したりしている。(中略)全ては蓋然性(【筆者注】ある事が実際に起こるか否かの確実さの度合)に過ぎないのです。(中略)
 別に「全てが不確かだ。だから何も信じるな」と言っている訳ではないのです。温暖化の理由が炭酸ガスである可能性は高い、と考えてよい。(中略)「80%の確率で炭酸ガスと思える」という結論を持てばよい。
 但し、それは推測であって、真理ではない、ということが大切なのです。なぜこの点にこだわるかと言えば、温暖化の問題の他にも、今後、行政に科学そのものが関わっていくことが多くなる可能性がある。その時に科学を絶対的なものだという風に盲信すると危ない結果を招く危険性があるからです。
 付け加えれば、科学はイデオロギーでもありません。イデオロギーは常にその内部は100%ですが、科学がそうである必要はないのです。

▼だんだんと面白くなって来ましたので、続いて、【第六章 バカの脳】をご紹介しようと思いましたが、mailの容量の関係から大部分を割愛します。
 ただ、折角ですからポイントだけ述べますと・・、
〔 賢い脳、バカな脳 〕賢い脳とバカの脳では、外見は変わりなく、重さも、皺の多少も関係ない。利口・バカを何で図るかと言えば、結局、社会的適応性でしか図れない。
〔 記憶の達人 〕大概、一番優れている人は、実は社会生活に適応できない様なタイプの人。何かの能力に秀でている人の場合、別の何かが欠如している、ということは日常生活でもよく見受けられる。これは脳においても同じ様です。
〔 イチローの秘密 〕神経細胞から神経細胞への伝達ルートに「すっ飛ばし」があるのでは、と仮定される。そして、脳の中を一部「飛ばす」能力というのは、かなり先天的なものではないか、と思われる。
〔 ピカソの秘密 〕おそらくピカソは意識的に、絵を描く際に、ノーマルな空間配置の能力を消し去ったのです。またおそらく彼は自分の視覚野というものを非常に上手にコントロールできていた。頭の中のリンゴのイメージを自在に変えるということは普通の人にはできない。空間配置がグチャグチャな絵を頭の中で浮かべてみろと言ったって、特定の機能を落とすということはできない。(中略)そこを上手に抑制して、一ヵ所をポーンと消すと、ああいう絵になる。それを経験的にちゃんと作ることができるというのは、大変な能力です。

▼この本は【第八章 一元論を超えて】〔人間の常識〕で締め括られています。その抜粋をご紹介します。
〔 人間の常識 〕
▼人間であればこうだろう? という話、本書冒頭で述べた「常識」が、私は究極的な普遍性だと思っているのです。安易に神様を引っ張り出したりしない。一元論的に神様を引っ張り出すと、ある方向へ行く時は非常に便利です。有無を言わせず決め付けることが出来る。
 一方で、「人間であればこうだろう」ということは、非常に簡単なようで、ある意味でわかりにくい。それでも、結局、そうしていくしか道はない筈。(中略)
 安易に「わかる」、「話せばわかる」、「絶対の真実がある」などと思ってしまう姿勢、そこから一元論的に落ちていくのは、すぐです。一元論的に嵌れば、強固な壁の中に住むことになります。それは一見、楽なことです。しかし向こう側のこと、自分と違う立場のことは見えなくなる。当然話は通じなくなるのです。(了)


511911Gustav_mahler_471907【後記】■今日の締め括りは、5月18日が命日の『グスタフ・マーラー(Gustav  Mahler, 1860.07.07 - 1911.05.18)』についてである。
▼実は小生、マーラーについては、想い出がある。高校時代、まだステレオも持っていなかった頃、旧【1-4】旧【2-8】のclassmateであった宮田君がクラシックのLPrecordを沢山持っており、カネのない小生、彼のマーラーの交響曲をよく聞かせて貰ったものだ。
 交響曲第一番「巨人」、二番「復活」、三番、四番「大いなる喜びへの賛歌」、五番(第四楽章「アダージェット」は、映画『ベニスに死す』のテーマ音楽に使われ大変有名)、六番「悲劇的」、七番「夜の歌」、八番「一千人の交響曲」、九番、十番「アダージョ」、いずれも傑作の誉れ高い作品群である。1~9番まで、最短で「巨人」の50分の大曲ばかり・・。これらの曲に出会って38年目になるが、通算1千時間聞いたであろうか。マーラーの話をし出すと、いつ終わるか分らなくなりそうなので今日はやめておきます。ただ一つ、「マーラーの交響曲で最も好きな曲は?」と質問されたら、小生躊躇無く、「第九番」と応える。それ程大好きな曲である。(笑)
 今日も、懐かしさも手伝い、二番「復活」を聴きながらこの会報【0175】号を書いている。(笑)

では、また・・。
(了)

2008年5月15日 (木)

【時習26回3-7の会 0174】~「13日:『三遠南信トップ対談』を聴講して」「茂木健一郎『脳を活かす勉強法〔奇跡の「強化学習」〕』」

■今泉悟です。会報【2637の会 0174】をお送りします。皆さん如何お過ごしですか、5日の time span でご案内していれば、皆さんも殆ど前号の時点とお変わりないでしょうねぇ・・。(笑)(汗)
▼ところが、世界的規模で見ると、5月2~3日にはミャンマー(旧ビルマ)で大型のサイクロン(Cyclone)が猛威を振るい、死者2万人以上とも・・。
 今週初の5月12日には、中国四川省でM7.8の大地震が発生、こちらも死者が1万2千人を超しているという。昔から諺に「天災は忘れた頃にやって来る」とある様に、皆さんも努々油断なさらぬ様に・・。非常用災害グッズは常備してありますか? 東海大地震もいつ来てもおかしくないですから・・。

▼さて気分を入れ替えて・・、8月16日のクラス会まであと92日です。待ち遠しいですね。案内の出状は前号でお伝えした様に来月を予定しております。ただ二次会会場はまだ決めていません。去年の会場『マイアミ』は一次会会場の『ブラウンズ』の場所から至近且つ駅よりであり便利なのですが、ちょっと室内が狭かった気がします。どこか他の場所でいいところがあれば教えて頂けると有難いのですが・・。心当たりのある方、mailでも、電話でも何でも結構ですので、ご連絡を下さい。お待ちしております。


01020304■さて今日は、一昨日の13日、地元豊橋市内の公会堂で開催された『三遠南信トップ対談』を聴講しましたので、「こういうこともやってるんだ~・・」と言う感じでお読み下さい。
 昨日14日の地元紙では2紙とも一面トップ記事で取り上げておりました。その概略をご案内します。

【「時はいま」いざ行動】(東日新聞) http://www.tonichi.net/news.php?mode=view&id=23561&categoryid=1
▼「三遠南信250万流域都市圏の創造」を実現するため、豊橋、浜松、飯田3市の三遠南信地域のトップが一堂に会した三遠南信地域連携ビジョン・トップ対談が13日、豊橋市公会堂で開かれた。3市から豊橋市の早川勝市長、磯村直英商工会議所会頭、▽浜松市の鈴木康友市長、御室健一郎会頭、▽飯田市の牧野光朗市長、宮島八束会頭が出席した。同ビジョンに対する思いを語り、重点的に取り組む事業として医療連携や大学連携などを取り上げ、絵に描いたモチに終わらせず、ビジョンからアクションへ進展させるよう、意思を確認し合った。

【三遠南信の一体的発展誓う】(東愛知新聞) http://www.higashiaichi.co.jp/today_news/080514t/08051401.htm
▼三遠南信地域連携ビジョンのトップ対談「三遠南信250万流域都市圏の創造」(同ビジョン検討委員会主催)が13日、豊橋市公会堂で開かれた。浜松、豊橋、飯田3市の市長、商工会議所会頭がパネルディスカッション。道州制も睨み、県境を越えた連携を強化、三遠南信自動車道の早期全面開通やリニア新幹線の飯田駅誘致、新産業創出やグローバルな企業誘致、域内16大学のネットワークなどで、域内の一体的発展をと誓った。

【筆者comment】
▼「三遠南信地域の基礎データ(添付写真01~04ご参照)」にあるように、三遠南信地域(東三河9市町村、遠州9市町、南信15市町村)33市町村全体の人口は228万人(2004年推計人口で15位宮城県237万人に次ぎ16位長野県221万人を上回る)。製造品出荷額等は、13兆円7800億円(2005年工業統計表によると、5位埼玉県13兆8,021億円に次ぎ、6位兵庫県13兆4,778億円を上回る)。また、農業出荷額は、3,080億円(2006年生産農業所得統計によると、6位愛知県3,108億円に次ぎ、7位熊本県2,984億円を上回る)。
 如何ですか、皆さん。三遠南信が一つの行政単位になると、現在の都道府県別ランキングで工業も農業も全国6~7位となる、大変ポテンシャルの高い地域になるのです。道州制に移行した場合、東三河と遠州はいずれの場合も同じ道州に入るのですが、南信は微妙なのが気がかりです。
 パネル・ディスカッションの中で、飯田市の牧野市長は「(これまでの「三遠南信」)サミット15年の積み重ねだ。道州制の議論にも影響を与える先進的な取り組みにしたい」、浜松市の鈴木市長は「大合併をした浜松市は一体感を強めるため『共生共助』運動を進めている。三遠南信地域にも広げたい。(政令市になったので)広域地方計画づくりに参画しているが、三遠南信地域連携ビジョンを入れていくようにしている」と語った。
 また、同ビジョンはおおむね10年を期間として設定。推進会議・セナ(SENA = San-En-Nanshin-Area-Relationship-Vison-Progressive-Conference)を浜松市に置き、12年に恒常的な新連結組織を立ち上げる。来年2月に浜松市でサミットが開催され、さらに協議を詰める予定。
 と、まぁ、いずれにしても今後10年をかけて、一つひとつ具体化への努力を重ねていく気の長い計画である。
 パネラーの誰かが言っていました。「EUも統合までに50年を要した。「憲法」ではまだ足踏みしている状態(~事ほど左様に統合・合併は難しいということだ~)」と。
▼小生も、豊橋に帰って来るまで、「三遠南信」連携ビジョンがあることすら知らなかった。名古屋とも、静岡とも違う「三遠南信」。こういう考え方があってもいい、そんな風に最近強く思うようになって来た。東西(名古屋の人も・・)に住んでいられる諸兄には「実感がわかない」でしょうね。地元豊橋や、浜松に住んでいる人達も関心がない人が多いかもしれない・・。(笑)


05_2■話変わって、最近読んだ茂木健一郎著『脳を活かす勉強法〔奇跡の「強化学習」〕』(添付写真ご参照)をご紹介します。一読して思ったことは、「人間は、工夫次第で、一生喜んで『知的欲求』を満たす仕組みを持てる、そうすることで脳のさらなる発達が促進される」ということ。
 そして、著者茂木健一郎は、終わりに「知の『オープンエンド』時代がやってきた!」で、次の様に述べている。

▼衣食住、どれをとっても限界があるのに、学習はどんなに学んでも必ず次があるのです。所謂青天井であり、本当に限界がないのです。これを脳科学の言葉で「オープンエンド」といいます。(中略)
 僕は、これからの時代を乗り切るキーワードは「猛勉強」だと思っています。
 作家の堺屋太一さんがおっしゃっているように、時代は「知価社会」になっている。そして、その「知」を生み出すものは何かというと、それはやはり「学問」なのです。(中略)例えば、アメリカの(中略)グーグル社の検索のシステムはグラフ理論の応用なのです。
 グーグル社の創業者の二人は、インターネットは史上最大のグラフ構造であるという発想から、どうしたらインターネットのウェブページの重要性を評価できるかを考えました。
 その結果、(中略)相対的に、お互いに仲間内からいかに評価されているかを基準に、ページランクをつけることを考案したのです。(中略)
 要するに、ノリや気分でベンチャーを立ち上げることなどは到底無理な話で、きちんとした学問がないと、成功するビジネスには発展しないのです。(中略)
 僕は、人間の本当の魅力は、その人の内面的な輝きによって齎されているものだと思っています。(中略)
 人生の岐路に立たされた時、何としても助言を受けたいと思われるような人。そんな人が、本当の人間的魅力を備えた人だと思います。
 その魅力を支えるのは何か。 それは、知的な魅力ではないでしょうか。
 だから、自分を磨くという意味でも、一生かけて磨き続けて(学習続けて)いくこと以上に楽しいことはありません。しかも、現世的な利益も得られる時代なのです。(中略)
 江戸時代に、本居宣長のもとに集まった近江商人たちが、
 「先生、私たちはいっぱいお金も稼いで、ありとあらゆる道楽をし尽くしましたけれど、『源氏物語』などの講義を先生から受けてみましたら、学問ほどの快楽はこの世にないということがよく分かりました」
 と言ったと、小林秀雄さんが紹介しています。
 人間にとって、学習はもっとも価値のある行為であり、脳を喜ばせるための最大の快楽なのです。(中略)
 学習の最終目的は、テストでよい点をとったり、資格試験に合格することではありません。まず最初に「強化学習」の回路の最初のひと回しを行うこと。その過程で様々な試行錯誤を重ねること。そして、長い人生を通して「知」を探求していく姿勢にこそ、大きな価値があるのです。(後略)

▼それでは、順序が逆になってしまいましたが、「脳を活かす勉強法」の中身を順を追って簡単にご紹介します。詳細を知りたい方は、PHP社から1,100円(税別)で刊行されていますので、是非購入して読んでみて下さい。「こういう学習をしていれば『ボケる』ことはなくなりますね!」。(笑)

【01.脳は、何かを達成するたびに、どんどん強くなる】
06▼ドーパミンによる「強化学習」のサイクルが回る.ことで、人間の脳は変わっていく。これは年齢に関係なく何歳になっても同じことが起ります。(添付写真「『強化学習』のサイクル」ご参照)
 大切なのは、ドーパミンにより強化サイクルが回るかどうか。この回転さえ回り始めれば、あとは簡単です。(中略)自分にとっての「嬉しいこと」を見つけるのが人生の課題だともいえます。「嬉しいこと」が「やるべきこと」と一致したら、もっと嬉しい。きっと、人間は劇的に成長できます。
【04.学習することは、いままでの自分と違う自分になること】
▼(前略)端的に言えば、脳は、負荷をかけて苦しみを与えた後、それが成功した時に一番喜びを感じるというメカニズムを持っています。そして、その快楽のもととなった行動を再現しようとするのです。(中略)「脳を活かす勉強法」の最初の極意は、強化学習という「喜びの回路」を回すことにあります。
【05.一つひとつの行動に負荷をかける】
▼(前略)(【筆者注】脳にかける負荷の大きさは)今の自分の実力を100%とするならば、120%、130%と「自分のキャパシティ以上の負荷をかけること」が重要。(中略)お薦めなのが、「脳を活かす勉強法」二つ目の極意、「タイムプレッシャー」です。簡単に言えば、自分の作業に制限時間を設けるのです。
【11.集中力を養う「『鶴の恩返し』勉強法」】
▼(前略)「脳を活かす勉強法」三つ目の極意は、「集中力」です。僕は、集中力は次の三つの要素から生まれると考えています。
 ①速さ ― 作業のスピードを極限まで速くすること
 ②分量 ― とにかく圧倒的な作業量をこなすこと
 ③没入感 ― 周囲の雑音が入らないほど夢中になること
この三つの要素を理解することで、誰もが集中力を磨くことができるのです。

【筆者comment】
▼こんな調子で、以下の項目も大変面白く読ませて貰った。皆さんにもきっと役に立つと思いますよっ。(笑)
【13.脳に回路ができれば、あとは身体が勝手に動いてくれる】
【14.細切れ時間にこそ、できることが無限にある】
【15.「モダリティ(=自分が行動する動機や心的態度等の様々な機能)」を駆使して効率的に記憶する】
【17.分からないことは、脳の反応の鮮度が高いうちに調べる】
【18.大切なのは「ものごとを記憶すること」ではなく、「記憶した知識をどのように使うか」】
【19.文章力と国語力は勉強や仕事の基本。鍛えるなら読書がいい】
【22.インターネットは、図書館以上の知識の宝庫である】
【24.勉強とは、自分という存在を輝かせ、人生の次のステージに登るためのもの】
【25.人とのかかわりの中で「知」は育まれる】
【27.絶好調のときの感覚を身体に覚えさせる】
【30.ミスの裏側にこそ、大きなチャンスが隠れている】
【32.「一回性」があなたの脳を変える】
【35.予想可能なことと意外性が混在してこそ、脳は”楽しい”と感じる】
【37.安全基地からのチャレンジ】


【後記】■今日の締め括りは、初夏の季節に相応しい皆さんご存知の文部省唱歌を一つ・・

〔 『夏は来ぬ』は、「佐佐木信綱氏の作品が【保護期間中】にある」というご親切なご忠告を頂戴しました。そのため、著作権の侵害にならない様に部分だけの掲示に改めました。音楽の教科書に載っていた歌詞が掲載できないのは大変残念なところですが・・。(涙)

 因みに、わが国の【著作権保護期間】は、著作権者死後50年。佐佐木信綱氏は昭和38(1963)年にご逝去されていますので、2013年までが同期間に該当します。 〕


  夏は来ぬ ( 佐佐木信綱作詞 / 小山作之助作曲 )

1.卯の花の匂う垣根に 時鳥(ホトトギス)早も来(き)啼きて
 (中略) 夏は来ぬ


(2.3.4.略)


5.(前略) 水鶏(クイナ)啼き卯の花咲きて
 (中略) 夏は来ぬ

070809「夏は来ぬ」に因んだ添付写真は左から「卯の花(ウツギ(空木))」「.時鳥(ホトトギス)」「.水鶏(クイナ)」の三枚です。
では、また・・
(了)

2008年5月10日 (土)

【時習26回3-7の会 0173】~「【時習26回3-7の会】membersの皆さんへのお願い」「PHPほんとうの時代5月号から①上の千鶴子『「人持ち」になれば「おひとりさま」も恐くありません』 ②米山公敬『「こころの老化」を防ぐためにいまできること』 ③紀平正幸『家計のメタボ改善で老後資金は確保できる』 ④PHP読者52歳・兵庫県・大窪○○子『まずは健康そして感性をみがくこと』 ⑤アグネス・チャン『愛する家族のためにもユーモアと検診が大切です』

■今泉悟です。 皆さん如何お過ごしですか。 さぁ、今日も【2637の会】会報【0173】号をお送りします。
▼8月16日までの【時習26回3-7の会】『同窓会』まで、あと98日と100日を切りましたよ~~っ!(笑)
▼【2637の会】『万年幹事』としては、同窓会の盛り上がり盛り上がりに向け注力しているところなんですが、最近、どうも皆さんとの間に距離がある様な感じがして・・。いやいや、弱気はいけない、いけない!!(笑)(汗)

■さあ~って、愚痴をこぼしてばかりではしらけちゃいますので、今日の話題に移ります。ハイ!
Php200805▼今回のテーマは『健康』。最近読んだ「PHP『ほんとうの時代』2008年05月号」(添付写真ご参照)から興味深いところを掲題の通り5つご紹介します。なかなかいい内容ですので、お時間のある方は、じっくりお読み下さい。それから、さらにじっくりとお読みになりたい方は、520円でPHP研究所から刊行されていますので、お近くの書店でお求め下さい。いいことが沢山書いてあり、ためになりますよ。(なお、小生は、PHP研究所の者ではありませんので念のため・・(笑))


Photo(1)上野千鶴子【「人持ち」になれば「おひとりさま」も恐くありません】(添付写真ご参照)
〔 人生は下り坂のほうが難しい 〕
▼(前略)結婚しても、しなくてもみんなひとりになる。事実、65歳以上の高齢者で配偶者がいない女性の割合は55%と半数以上。うち死別が46.1%、離別が3.5%、非婚が3.3%。男性の場合、配偶者がいないのは17%です。(中略)
 「おひとりさまの老後」に必要なのは、まず、ひとりでいることに耐性があることです。シングル生活のキャリアである私など、他人がいたら、かえって気が散って好きなことに集中できません。ひとり暮らしは誰にも遠慮がいらないし、何をするにしても誰の許可もいらない。こんな自由はないなと思います。家族持ちでも一日24時間、誰かとべったりいる人はいないでしょう。(中略)単身赴任や出張も多いから、妻も夫もひとりで活動する楽しさを味わっているんじゃないですか。
 でも、誰かといたいのに誰も一緒にいてくれないのは辛いですよね。だから誰かといたい時に共に過ごせる相手がいればいい訳です。つまり、おひとりさまは、「人待ち」であることが大事。今は携帯電話やパソコンなどコミュニケーションツールが増えてきましたから、空間を一緒にしなくてもいい。いつでも電話をかけられる相手がいるというだけでもだいぶ違います。(中略)若い時はツッパっていたので、(中略)慰めを言われたら「気休めなんて言わないでよ」と思ったものですが、最近は「友達なら気やすめぐらいは言ってよ」と甘えています。(中略)
 お互い様でなくては関係は続かないし、必要な時に駆けつけてくれ、自分を支えてくれる友人をつくるためにはメンテナンスが必要です。関係とは時間と経験を共有することです。(中略)メンテナンスのいらないのが真の友とか家族だとか思っている向きもあるようですが、完全な勘違いです。
〔 幸せな老後を送っている男性達の共通点 〕
▼私は定年退職者に、無理をして家庭に人に戻らなくてもいいと言っています。今までほとんど家庭や家族を顧みずにいて、今更家庭に戻って来られても、家族は迷惑がるかもしれません。別に離婚を勧めている訳ではありませんよ。幸せな老後に本当に必要なのは「自分の居場所」だからです。
 自分の居場所とは、家庭人でも職業人でもなく、肩書きをはずした自分でいられる場所。いわゆる血縁、地縁、社縁のような関係ではなくて、嫌な相手は避けることができ、自分が共感できる相手とだけ繋がることができる「選択縁」(=選び合う縁(えにし))です。選択縁は女性のほうが沢山つくってきたから、私は「女縁(じょえん)」と呼んでいます。(中略)「男縁」の研究もやりました。(中略)男性は、利害関係のない社会ですら権力ゲームをやる。もう、生活習慣病ですね(笑)。女性は逆に、そういう権力関係を持ち込むのはとても嫌がります。だから女のつきあいで、夫の職業、自分の学歴、子供の進学などを話すのはタブーです。(中略)
 経験的に見て、「この人は幸せな楽しい老後を送っていらっしゃる」と思う男たちには、ひとつの共通点があります。それは、妻がいてもいなくても、女性の友人が多いことです。
 さっき、人持ちになるには相互性がなくてはいけないと言いましたけど、人間関係というのはいつもバランスシートがゼロではない。たとえこっちが赤字ばっかりの関係でも「しようがない、アイツなら」と思う、憎めない相手というのがいるでしょう。女友達が多い男性はたいてい女性に甘えるのがうまくて、そんなふうに思わせる可愛げがあるんですね。
 そういえば、最近会った田中美津さんが名言を吐きました。「かわいげがあるということは、いくぶんか、みくびられるということだ」と。”みくびられる男”になることが、幸福な老後を手に入れる秘訣かもしれません(笑)。


(2)米山公啓【「こころの老化」を防ぐためにいまできること(~・心のの老化を防ぎ、健やかに老後を過ごすために~)】
・・ からだと同じようにこころも老化するといいます。こころの老化を防ぎ、健やかに老後を過ごすためには、どうすればいいのでしょうか。 ・・
〔 定年後、何もしない時間だけが過ぎる 〕
▼長寿の人や、認知症になりにくい人は、前向き思考の人が多いと言われています。確かに90歳を超えて健康な人は、非常に性格が明るいことは、診察をしていても感じるところです。
 ところが、一般的には高齢者は、喜怒哀楽の表現が少なくなり、穏和になるというより、暗いというイメージになっていきます。そのために、老化に対してますます否定的に考えてしまいます。(中略)
 ある統計では、退職すれば好きなことをして過ごしたいと考えてはいるのですが、実際には何もしない時間だけが過ぎていく、それが現実のようです。
 自分の周辺の出来事が、刺激がなく、存在価値がなくなってきたと思うことばかりが多くなってしまうのです。
 そういった環境にいれば、意欲の低下も起きて、こころの老化は加速していきます。
〔 脳内ホルモンの減少がこころを老化させる 〕
▼脳の中にはホルモン様の物質が沢山あることがわかってきて、その中でもこころに関係するものの一つがセロトニンです。
 セロトニンはこころを安定させる脳内物質です。これが十分にあれば、不安も少なく気持ちも落ち着いてきます。しかし、セロトニンが減ってくると、不安感が強くなり、極端に減ってしまうとうつ病になります。(中略)
 高齢者では、このセロトニンを受けとる役目をするセロトニン受容体が55%を減ってしまうので、ますますセロトニンの働きが悪くなってしまうのです。
 また女性ではエストロゲン(女性ホルモン)が減ってくると、セロトニンも減ってくることがわかっています。(中略)
 もう一つの重要な脳内ホルモンはコルチゾール(副腎皮質ホルモン)です。コルチゾールはストレスを感じた時に、身体の中で増えます。それが持続して増えてくると、免疫能力を壊して、病気になりやすくなったり、記憶に関係する海馬の神経細胞も破壊することがわかっています。
 つまりストレスは脳にとって大きなマイナスなのです。
 セロトニンは年齢とともに減りますが、コルチゾールは減らないのです。そのために、ますます、年齢とともにストレスがたまっていくことになるのです。
 ストレスが怖くなるので、(中略)人に会うのを避けたり、社会との関わりを嫌うようになるのです。自分の中に残されたエネルギーで生きていこうとするのです。
 こんな悪循環がますますこころの老化を進めてしまうのです。
〔 セロトニンを増やし心を安定化 〕
▼(前略) 日常生活の中でセロトニンを増やすには、リラックスしてストレスをためないようにすることです。ゆっくりお風呂にはいったり、おいしい食事を食べたり、規則的でありながら、余裕のある質の高い生活をしていくことです。
 パジャマを着たまま一日過ごしてしまうとか、(中略)は、決していいことではありません。
 さらにウォーキングによって脳も活性化しますし、セロトニンも増えることがわかっています。(中略)ゆったり散歩でもいいでしょう。
〔 ストレス回避の方法を決めておく 〕
▼(前略) 基本は、できるだけ人に会って話をすることで、ストレスをためないようにしましょう。
 一人だけで悩んだりイライラすることが最も危険な状態でしょう。またどんなことでも気楽に話せる主治医を持っていることも大切です。(中略)素直に自分のことを話せるお医者さんがいるだけで随分違ってきます。友人と信頼できる人を常に探しておきましょう。
〔 新しいことへの挑戦を怖がらない 〕
▼こころの老化とは、新しいことを拒絶することとも言えるでしょう。新しい情報が入ってこない生活習慣は脳を刺激できなくなります。 (中略)新しいレストランで食事をする、(中略)新しい音楽を聴いてみる、そんな挑戦的な生き方が、心の老化を防ぐのです。
 しかし、急にそんな生き方はできません。普段から、好奇心を大切にして、大好きなものを探しておきましょう。
【筆者comment】

▼ウ~~ム。最後のphrase「普段から、好奇心を大切にして、大好きなものを探しておきましょう。」これが、「こころの老化を防ぐ」=『若さを保つ』ための最強の処方箋でしょうね。(笑)


(3)紀平正幸【家計のメタボ改善で老後資金は確保できる(~家計を取り巻く状況が厳しくなる中で、そんな世の中を生き抜く老後の賢い「お金力」とは?)】
▼(前略)老後の生活費は約一億円近くかかると言われています。その計算根拠は、平均的な月25万円の生活費30年分の9千万円と予備費1千万円を加えたものです。一方、今年定年を迎える世帯では、妻が専業主婦の場合、夫婦で90歳まで受け取れる公的年金は凡そ8千万円です。そのため、公的年金だけでは不足する老後資金は2千万円になります。(中略)老後の生活に不安を抱く人が多くいます。(後略)

〔 自分の収入に見合った家計費に体質改善 〕
▼(前略) 大切な老後資金をリスクの大きい投資に頼るのは決して好ましいとはいえません。
〔 投資で増やすのは老後にはリスキー 〕
▼老後資金というパイを大きくするには、あてにならない投資に期待するより、家計支出を小さくするほうがより確実に効果があります。(中略)家計費の実績は我が家の生活習慣のバロメータだからです。したがって、家計費を変えるには生活習慣を変える必要があるのです。
〔 メタボになった家計費をダウンサイジング 〕
▼(前略) 家計支出の内容を(中略)「必要なもの」と「欲しいもの」とに分け(中略)ると、次々と「欲しいもの」が加算されます。家計簿を調べてみると、家計費のおよそ3割が「欲しいもの」となっています。
 老後90歳までの試算では生活費が約9千万円なので、「欲しいもの」として使っている3割を1割にすれば、老後資金の不足分2千万円はほぼ解消できます。「欲しいもの」を縮小するには優先順位をつけることが必要です。
 体のメタボを改善することで長生きができるように、家計費のメタボを改善すれば、長生きできる老後資金を確保することができるのです。
〔 医療保険と同じコストなら人間ドックを 〕
▼(前略) 全身の精密検査の費用が30万円でも、2年毎に受けるなら1ヵ月あたり約12,500円の負担です。民間の医療保険料と同じコストなら、その費用を病気になってから保険金で受け取るより、病気になる前の検査に使って、早期発見、早期治療をしたほうが遥かに有意義ではないでしょうか。(後略)
〔 物質欲から心の豊かさへシフト 〕
▼老後は、幸せや豊かさの発想を少し転換すればいいと私は考えます。確かにお金は必要ですが、まずは健康で、毎日やりたいこと、生きがいを見つけることが大切です。
 文化でも人間は満足感を得ることができます。東京には丸の内や銀座にブランド店が沢山あります。これらを美術館や博物館と同じ観点で見るのです。地方にもデパートなどで美術展や工芸品の展示会があります。夫婦でチョッとお洒落をして素晴らしい色やデザインのバッグや洋服を美術館の展示品として見に出かけてみましょう。帰りに美味しいスウィーツを夫婦仲良く食べて、有意義な一日が楽しめます。
 かつての経済成長社会では、モノ・金(カネ)が豊かさの基準でした。しかし、今は、厳しくなった社会をただ嘆くだけではなくて、生きがいや、健康、文化、家族などに幸せの価値を見出すことこそ、本当の意味での成熟した大人といえるのではないでしょうか。(了)
【筆者comment】

▼確かに、定年退職後は収入は減る。そう言う厳しい現実を踏まえ、心豊かに生きていくには、心の持ち方と、メリハリをつけた家計支出へのチョッとした工夫の積み重ね、ですかね。子供たちが成人すれば確かに教育費は不要となるし、子供たちの結婚資金も昔ほど親の負担は多くなくて良さそうであるし・・。むしろ「我々自身が長生きするのリスク」を真剣に受け止め、賢く生き抜きましょう。(笑)


(4)PHP読者52歳・兵庫県・大窪○○子【まずは健康、そして感性をみがくこと】
▼愚かにも私自身、若い頃はいつまでも自分は若くて、しかも健康でいられるとたかをくくっていた。だが、人生そう甘くはいかない。気がつけば、アッという間に五十歳に。
 私は四十歳を過ぎた頃から、思いがけず婦人科の病気に罹って、手術をする羽目になった。正直言って、この頃から私の人生観が大きく変わった。それは、人間、生きている限り、まずは健康第一ということだ。言い換えれば、健康でなければすべては始まらないということだ。(中略)
〔 食事は手料理、本を読み、良い音楽を聴く 〕そこで私の「歳をとらない方法」を紹介しよう。
▼まずは、体が健康であるために、日々の食生活に気を配り、なおかつ適度な運動を心がけること。魚、肉、野菜、海草など、栄養バランスを考えた食事をつくる。ただし私の場合、食事は手料理であることが原則だ。また運動は無理をしない程度のもの。
 そして、私がもう一つ心を若く保つために気をつけていることは、感性を磨くこと。暇に飽かせて本を読む。本を読めば、表現力が身につき、漢字も覚えることができ、一石二鳥。また、心地良い音楽を聴くのもベスト。(中略)私は。音楽大好き人間だ。因みに、私がよく聴くCDは韓流ブームとなった『冬のソナタ』やカーペンターズの曲、そして、癒しの効果のあるモーツァルトの『アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク』などだ。
 これは、私の勝手な思い込みかもしれないが、常日頃、感性を磨くことで、心の老化防止に繋がるのではないだろうか? まずは健康に気を配り、あとは何事にも好奇心を忘れないことではないだろうか。
【筆者comment】

▼このPHP読者の大窪さんのcommentは、まさに小生が考えていることと同じである。歳も52歳と同じである。小生は男であるので、食事は手料理を自らつくることは稀ではあるが、作る時は、野菜をふんだんに取り入れ、栄養のバランスに気を配っているつもりである。最後のcomment「まずは健康に気を配り、あとは何事にも好奇心を忘れないこと」・・は、まさに「わが意を得たり」であった。元気の出る貴重な意見である。(笑)


Photo_2(5)アグネス・チャン【●私の乳がん治療体験愛する家族のためにも、ユーモアと検診が大切です】(添付写真ご参照)
〔 外食して人前に出ることが自信につながった 〕
▼私が乳がんの告知を受けたのは、昨年九月のことです。
 女性ならだれでもそうだと思いますが、私も当時、家庭に仕事に子育てにと24時間では足りない生活jをしていました。しかも健康には自信があった。だから、もし身体に不調を感じたとしても、通常ならきっとやり過ごしていたと思うんです。(中略)
 その日、仕事が一つ延期になったため、たまたま家でテレビを見ていたんです。そうしたら、あれ? 右胸に違和感を感じたんです。恐る恐る触ってみたら、小さな豆粒くらいのしこりがありました。時計を見ると、次の仕事まで時間があったのですぐさま産婦人科に。数日後には総合病院で検査を受けました。
 乳がんの告知を受けたのは、検査から一週間のことです。
 電話を受けた夫から聞いたときは、ショックでしたね。(中略)不安でいっぱいになって、病院に向かう車の中で涙がこぼれました。
 そうしたら夫が、「まだ先生の話も聞いていないのに、何を泣いているんだ。人は寿命がくればみんな死ぬんだよ」って。言われてみれば、全くその通り。あぁ本当だ、とちょっと吹っ切れた思いがしましたね。
 私の乳がんは幸い、初期でした。(中略)病巣も僅か4ミリ。しかも先生に「(前略)自分を責める(中略)必要はありません。がんの原因は年齢による身体の変化もあるし、環境の影響もあり、確かなことは誰にもわからないんです。今は、誰ががんになってもおかしくない時代なんですから」と。
 これを聞いて本当に吹っ切れました。(中略)浸潤がんだったため、乳房の五分の一を切除する大手術でしたが、余計なことを考えずに手術に臨めたのは良かったと思っています。(中略)術後五日目に一時退院したのですが、主治医の先生から「外食でもしてきなさい」と言われ(中略)近所のインド料理店に出かけたところ、人前に顔を出す、自分で注文するという、ごく普通の行為が出来たことが思いがけず自信になったんです。(中略)当たり前のことが出来ただけで、急に元気が出てきたんですよ。(後略)
〔 術後の治療はしんどい、だから、気の持ちようが大切 〕
▼でも経験して分ったんですが、人って自分が気にするほど見てはいないんですよね。
(中略)歩き方が変でも誰も気が付かないもの。(笑)大切なのは、気の持ちようだとよく分かりました。
 がんの治療をしていて思うのは、術後のほうが大変だということです。(中略)放射線治療はやらないといけないし、それが終われば約5年間のホルモン治療が待っています。これが本当にしんどい。めげそうになります。(中略)そんな時、どうやって乗り越えるか。私は問題をどう捉えるかが鍵だと思っています。例えば私の場合、(中略)顔の湿疹を隠す厚化粧の研究をしていたら、いつの間にかすごく上手になって(笑)。 こんな風に問題が起きるたび、一つひとつ工夫していたら楽しくなり、しかもだんだん自分が愉快になってきたんですよ。よくこんなこと思いついたなって(笑)。(中略) 問題は、きっとこれからも出て来るでしょう。けれど、そんな中にもユーモアを探して自分に対して笑い、身に起きる色々なことを笑い飛ばしていきたいと思っています。
 それともう一つ大事なのは、病気になると家族に迷惑をかけていると悩むけれど、そんなことはない。あなたが生きているだけで有り難いことなんですから、病気の身でも愛情をいっぱい振りまきましょうと言いたいですね。
 私は今、こうして元気に仕事をしていますけれど、この命はまだやるべきことが残っているよ、と助けられた命だと思っています。そして、そう思うことが活動の原動力になっていたりもします。(中略)乳がんは唯一、自分で発見できるがんです。愛する人たちのためにも、是非検診に行ってください。今は、こうした検診促進も、天から託された仕事の一つだと思っているんですよ。(了)
【筆者comment】
▼アグネス・チャンさんも1955年8月生まれだから我々と同年代。自分に降りかかる病魔と確り対峙して、明るく生き抜こうと彼女の生き方に感服します。「明日は我が身」と真摯に受け止め、健康維持に努めてまいりましょう。

では、また・・。

(了)

2008年5月 5日 (月)

【時習26回3-7の会 0172】~「5月5日は『立夏』」「名古屋の美術館巡り〔愛知県美術館『杉本健吉展』〕〔名古屋市美術館『モディリアーニ展』〕」「養老孟司『養老訓』」

■今泉悟です。 皆さん如何お過ごしですか。 さぁ、今日も【2637の会】会報【0172】号をお送りします。〔『青春のうた PartⅢ』アンケート〕はどうぞ奮ってmailを下さい。


■さて、今日最初の話題は『立夏』についてである。今年の『立夏』は今日5月5日。南北に5000km以上に広がる日本では地勢的に気候に大きな差が生じ、東北北部や北海道では桜がやっと満開(昭和60年5月4日に弘前城に行った時、ソメイヨシノ、枝垂桜、辛夷(コブシ)が一斉に満開であったことは以前お伝えした通りである)。一方、東海・関西以西では、すっかり季節感は夏。新緑の若葉もその碧さを日を追うごとに増し、「薫風」というに相応しい初夏の清々しい風、明るく輝く陽光に、夏の到来を実感する。そして、朝夕の爽快な気分は実に過ごしやすい。
 ここで、この初夏の時節に相応しい會津八一の短歌をご紹介する。(「南京新唱」より)

 はつなつの かぜとなりぬと みほとけは
   をゆびのうれに ほのしらすらし
  會津八一


【注】初夏の風となりぬと御仏は 指のうれにほの知らすらし。「うれ」:末、指先。
 天地も全て初夏の季節になったのだな、とみ仏は指先でほのかにお感じになっていらっしゃる様だ。
 季節は初夏。新緑の天地を風となって流れる大気を捉え、仏像と季節感を一体化した世界を表現した秀歌である。

■続いては、小生、一昨日(5月3日)新緑と陽光が眩しい名古屋へ、親父を連れて「杉本健吉」展と「モディリアーニ」展を観て来ました。Modigliani展は4月4日に東京新美術館でも観て来ましたが、名古屋市美術館とは掲示物も違い、良かったです。ブリヂストン美術館で見た『若い農夫』と名古屋市美術館で再会したのは嬉しい偶然で良かったです。
 さて、杉本健吉・モディリアーニともに、過日お話していますので、今日は作品群のみのご紹介とします。
 とは言え、若干のcommentを述べますと、杉浦健吉については、1905年9月20日、名古屋市矢場町生まれ。20歳の時上京し岸田劉生に弟子入りし、岸田の死後、梅原龍三郎に私淑。彼の作品は、両大家の画風の影響を受けつつ成長していった。特に、添付写真の『宇治川』『東大寺大仏殿遠望』『平等院』などは明らかに梅原龍三郎の影響受けた作品群である、と思う。故にかどうか・・、梅原の作品同様、時として稚拙に思える作品もなくはないが、成程と呻らせる傑作が多いのは流石である。今日はその幾つかをご紹介する。
 そして、Modiglianiであるが、展示作品としては、国立新美術館の作品群に優るとも劣らない傑作が多く展示されていた。小生は、彼の作品が大好きである。「何度見てもいいものはいい!」。憂い顔の女性の肖像画の幾つかは、彼の内縁の妻、ジャンヌ・エビュテルヌの悲劇性を連想させ、小生にはいつ見ても輝いて見える。
01032003019707196001

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『宇治川』

171975 『東大寺大仏殿遠望』

 

『平等院』181978

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50modigliani1918_252modigliani191853modigliani191854modigliani1918

55modigliani191857modigliani1918 それでは、二人の作品群をご覧下さい。なおmailの容量の関係でこのmailはかなり割愛してあります。沢山ご覧になりたい方は末尾記載のURLをクリックして「【2637の会】ブログ」をご高覧下さい。

PhotoPhoto_2【後記】■今日の締め括りは、最近読んだ養老孟司著「養老訓」(「添付写真」ご参照)からその一部をご紹介します。この本は「訓の壱」から「訓の九」からなっており、その抜粋の抜粋をお伝えします。なかなか含蓄のあるいい話でした。読者の対象は主に「団塊の世代」ですが、我々も数年先には丁度彼らの年次になるので身近に感じられる話だと思います。ではどうぞ・・

【訓の壱 不機嫌なじいさんにならない】
▼(前略)風をひいた程度のことで東大病院にやってくる人もいます。そんなものはほうっておけば治ります。その程度の常識もなくなりました。昔は決まっていた手順がなくなっているからです。
 そんな世の中を見ていて、私ももういい年こいたじいさんですから、何か言っておいたほうがいいと思うことは言っておこう、そう思ったのです。(中略)
〔 外されて喜ぶ 〕(年をとると)世間から「あいつは別」という扱いになる。それを楽と思えるか、さびしいと思うかでその後の人生は変わってきます。
「別」とされたときにもともと自分でやることを持っていれば、それが、できるようになる。そのときにやることこそ老人文化です。老人文化を知ったほうが、人として高級になれるくらいに思えばいいわけです。(中略)
〔 国を考える 〕地方に行くとわかりますが、田園が荒廃しています。(中略)戦後の日本は国策として全国に杉を植えて杉だらけにした。(中略)杉は売れるし早く育つからです。(中略)ただ手っ取り早く儲けようとした。ところが、儲けようという考え方だけで進むと、対自然はたいてい「収奪」になってしまうのです。収奪とは(中略)自然が戻れない状況、つまり循環不可能な状況にしてしまうことです。人間の世界からみると、短期的には儲かるのです。でもそれは本当の儲けではありません。(中略)収奪して生きれば、死ぬまで儲けていられるこもしれません。でも死んだ後に「迷惑な奴だった」と言われるかもしれない。本当にそれでいいかどうか。ものを考えるときの基盤は、国ならば政治でも経済でもなく国土です。そして個人でいえばそれは感覚になります。不機嫌な人は往々にして感覚が鈍くなっている。(後略)
【訓の弐 感覚的に生きる】
▼〔 感覚とは何か 〕(前略)考えるときののベースに感覚を置くことこそが、”まっとう”だと私は思うのです。(中略)ものを考えるときには、二つの方法を使っています。「感覚的」に捉えるか、「概念的」に処理するか、その二つです。(中略)人間が動物と大きく異なるのは、(中略)概念的に情報を処理できるという点です。(中略)「A=B」。感覚的に考えれば「AとBは違う」ことは明らかです。目で見ても、音として聴いても異なるものを「イコールだ」と無理やり決めてします、「同じ」にしてしまう、それが人間の脳みその特徴です。(中略) 
〔 現代人は音痴である 〕人間は概念的に考えることができるから、感覚では別のものを「同じ」と捉えて考えることができるのです。(中略)概念的に考えることが出来るお蔭で、人間は複雑な言語を使えるようになり、それが現在の文明を築いたのは間違いありません。(中略)問題は最近の人は概念的な思考ばかりが優先して感覚的な思考が出来なくなって来ていることです。感覚が鈍くなっているのです。
〔 いい年こいてテレビを信用しない 〕(前略)テレビに映っている「現実」は視点の一つに過ぎない。それを忘れてしまう人がテレビを過剰に信用してしまうのです。(後略)
〔 幸せの定義はできない 〕そもそも「幸せな老後」という言葉は少々おかしいのです。老人になるということは、人生が終わるということなのですから。(中略)あまり大きな期待をしないほうがいい。そうしたら思いがけないことですごく幸せを感じるかもしれない。それには感受性が大事です。(中略)ここでも大切なのは感覚だということです。
【訓の参 夫婦は向かい合わないほうがいい】
▼〔 正面はあぶない 〕(前略)(【筆者注】定年退職後)二人きりで暮らすと、一年も経たないうちに喧嘩する原因の一つが、向かい合いすぎることなのです。ところが、ぶつかってしまうことの原因を今の人は、「性格の違い」「価値観の違い」と解釈して納得してしまっている。(中略)これも「二人で親密に暮らせば同じ感覚を共有できる」とどこかで勘違いしているからです。むしろ二人で親密に暮らせば暮らすほど、感覚世界は違ってしまう危険性すらあることに気づかなければいけないのです。特に相対した場合、感覚は異なってしまうことを頭に入れておいてほしいのです。(中略)例えば、私の「痛い」と相手の「痛い」は別のものだと思わなくてはいけない。感覚は夫々異なるからです。ところが、概念を先行させた場合、つまり言葉を先に考えると、私の「痛い」と相手の「痛い」は「同じように痛い」ものだと乱暴に捉えてします。つまり本来AとBとは違うものなのに、「丸めてしまう」のと同じです。(中略)私が「美味しい」と思っているものは、あなたにとっても「美味しい」もののはずだ。そうじゃないのならば「あなたがおかしい」ということになって喧嘩になる訳です。(中略)
〔 他人とは直角に交わる 〕家族の問題の多くは、この勘違いに原因がかなりあるのではないかという気がします。つまり向かい合って暮らしていればよくわかるはずだという勘違いです。(中略)夫婦は直角に向かい合うのが正しい(「添付写真」ご参照)、と私はいつも言っているのです。(中略)直角はなぜいいか。(中略)二つのベクトルが直角になっているときに、力は一番大きくなります。いちばん無駄なのは、お互いの向いている方向が正反対のときです。(中略)まったく同じ向きは(中略)良いようで、そうでもない。実は長いほうで済んでしまう。(後略)
【訓の四 面白がって生きる】
▼(略)
【訓の五 一本足で立たない】
▼〔 「仕事は自分のため」ではない 〕(前略)もちろんある程度の能力が評価されるのは当然です。しかし、その評価方法があまりに幅を利かせると、偉くなった人は「俺は能力があるから偉くなったんだ」と考えるようになります。そうすると、仕事が世間のために必要だから存在していて、あくまでも自分はそのお手伝いをしているのだという考えが消えてしまいます。本当はそれが肝心なことのはずなのです。昔の企業にはどこかで「世のため、人のため」という考えがありました。例えば松下幸之助さんにはそういう考えがあったはずです。(後略)
〔 仕事は「預かり物」 〕ところが能力主義、業績主義を徹底させていくと、その考えが途絶えてしまうのです。(中略)ここ(【筆者注】能力主義、業績主義)にはまず「自分」が先にあります。そのせいで世のため、人のためという気持ちがなくなるのです。しかし、仕事というのは世の中からの「預かりもの」です。歩いていたら道に穴が空いていた。危ないから埋める。たまたま自分が出くわした穴、それを埋めることが仕事なのです。(中略)小林秀雄は『本居宣長』でこのバランスについて書いています。本居宣長の表向きの仕事は、「伊勢松坂の医者」です。決して医者としては出すぎず、きちんと働く。それで「世の中に対する仕事」をつとめているのです。そのことと彼自身の人生は別のところにありました。それが国学の研究です。鈴屋二階の四畳半にあがったら、そこには個人としての本居宣長の世界があったのです。本業にかかわらない以上は、どんなに研究してもかまいません。
〔 「自分のために生き」ない 〕(前略)バランスをとって生きるということは、自分のために働くことと社会のために働くことを両輪で回していくということです。(中略)「これからは自分のために」と年をとって考えるのが悪いことだとは言いません。しかし、それが単に無節操に遊ぶということだと思っていると、大間違いです。それはあまりにバランスが悪いのです。(後略)
〔 定年後は早くから考える 〕定年後にすることがない、何を学んでいいのかもわからない。そういう人がいるのが信じられません。よほどの怠け者だとしかいいようがないですね。(中略)日本の世間というのは本来、みな何らかの形で働くようになっているのです。だから何をしていいかわからない、という人はとりあえず世の中に役に立つようなことをすればいい。(中略)そもそも仕事というと四角い建物に通って、給料を振り込んで貰うものだと思い込んでいるから、定年後に「どうしたらいいんだろう」と思うのです。今、何が問題で誰がどう困っているのだろうか、ということを自分で調べることも仕事ですよ。世の中が理想的な形態で落ち着いていることなんかないのです。(中略)自然のことというのは、とにかく調べる価値があるのです。やることがないと言う人はそういうことを面倒くさがっているだけです。定年までに仕事を本気でやっていれば、そういうことは自ずと見えてくる。仕事をするうちに色々とよそのことがひっかかってくるからです。「することがわかりません」という人は、仕事をそういうふうに考えていなかった人ですよ。(後略)
【訓の六 こんな年寄りにはならないように】&【訓の七 年金を考えない】&【訓の八 決まりごとに束縛されない】&【訓の九 人生は点線である】(六~九(略))

【筆者comment】上記の調子で、概略を【訓の六】から【訓の九】までお示しすると、それだけでこのmailの倍の容量になってしまいそうなので、残念ですが途中で止めました。養老孟司氏の話は、淡々としていて、実に洞察が鋭い。故に、大変面白いessayでした。ご興味のある方は是非ご一読をお薦めします。かといって小生、新潮社の回し者ではありませんので悪しからず・・。(笑)
では、また・・・
(了)

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05【時習26回3-7の会】【2008年8月16日】《クラス会》於:ブラウンズ&トライ・アゲイン

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    ■2008年8月16日【時習26回3-7の会】《クラス会》を豊橋市内にある『ブラウンズ(一次会)』と『トライアゲイン(二次会)』にて開催しました。T三先生をはじめ全国から15名が集い大変楽しい5時間を過ごしました。 ■名残惜しいなか、23時すぎ、来年の再会を誓って散会しました。

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    ■朝護孫子寺にて撮影した写真のほとんとを追加しました。ご高覧下さい。 ■2007年6月2~3日、「賢人会」のmember谷山・中嶋両氏と大和七福神・八宝廻りをしました。 ■七福神の一つ毘沙門天を祭る「信貴山朝護孫子寺」の宿坊【千手院】で一泊。 ■そこで、ご一緒した皆さんとの楽しかったひとときをアルバムにしました・・。      * * * ■瀬尾君、浅田さんとそのお供達の皆さんへ、「感想をお聞かせ」頂ければ幸甚です。 ▼『【時習26回3-7の会】のブログ画面』の【左上欄外】の「メール送信」を左clickして頂くと、今泉宛のmail address ~ < si886@nifty.com > ~ が開きます。 どうぞ、ご気軽に感想をmailにてお知らせください。 ▲【2637の会】のURL・・・  → URL: http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog

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