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2008年6月の6件の記事

2008年6月30日 (月)

【時習26回3-7の会 0183】~「千賀S始君『出席表明』!」「彦坂T孔君から『励ましのmailと「多分、出席できる表明」』」「6月30日:『川井玉堂』命日」

■今泉悟です。 皆さん如何お過ごしですか。 さぁ、今日も【2637の会】会報【0183】号をお送りします。
 8月の【2637の会】《クラス会》開催まで、あと47日になりました。ほんと、待ち遠しいですねぇ・・。(笑)(*^_^*)


■さあ~~て今日は、「大変嬉しい『お知らせ』」が二つあります。 掲題の副題にある様に、千賀君が今回で3年目となる【2637の会】《クラス会》に初めて参加してくれます。 千賀君!《クラス会》『参加表明』本当にありがとう! 8月16日(土)での再会を楽しみにしています。 それでは、千賀君からの〔近況報告〕をご紹介します。

【千賀S始君】
〔[1.]参加する〕
〔近況〕▼本年3月いっぱいで10年間勤務した病院を退職し、女房が経営する医院に専従として働いています。

【筆者comment】
▼千賀君、早々なる『出席表明』ありがとう! 貴君とはもう何年お会いしていないだろう・・。 平成12年5月の時習館高校同窓会でお会いしていたかなぁ・・? もし、その時以来としても、もう丸8年は経っていますね。 「光陰矢のごとし」です。 【2637の会】membersとの再会を楽しみにしていて下さい。
■さて、続いては、「大変嬉しいことの二つ目!」。彦坂君から、mailが来ました。「《クラス会》に出れそう『報告』」&「【2637の会】励ましmail」です。 彦坂君、ありがとう! 貴君からの「応援mail」は、まさに百人力です。 来る8月16日は、万障お繰り合わせの上、是非参加して下さい。 「今のところ、『一次会』には参加できそう」とのこと、嬉しいです。 今年も、是非《クラス会》に参加して下さい。 そして今年こそゆっくり語り合いたいと思います。 それでは、彦坂君からのmailをご紹介します。 ご覧下さい。

From: "TxxxiHikosaka"  To: "'今泉悟
Sent: Saturday, June 28, 2008 9:08 PM

                                        2008/06/28
今泉悟 様
                   千葉県○市 彦坂
 こんばんは。この頃はぐずぐずと梅雨本番という感じになってきましたが,
2637会のブログは,それにお構いなくますます快調という感じでしょうか。
今後も悟君の熱意で盛り上げていただきたいものです。
 さて,8月16日の予定はまだはっきりとは言えませんが,
たぶん大丈夫かなと思っているところです。(二次会はどうかわかりませんけど)
近況は,変わらず刑事裁判をしておりますが,裁判員裁判の実施日が近づくにつれて
その準備に時間をとられてもいます。
 皆さん,来年5月からの裁判員裁判には積極的に参加しましょう。
(参加してくださいね。)
参加していただければ,必ずや有意義な時間となるでしょう。
(と思います。)
それでは,お元気で。

【筆者comment】
▼彦坂君へ、8月の《クラス会》では、来年5月から開始の『裁判員裁判』について、ご紹介頂ければ幸甚です。 小生、個人的には、「ズブの素人」が裁判官と一緒とは言え、死刑判決も含めて、判決の多数決に加わることに、「本当にこれでいいのだろうか」と、忸怩たる思いがあります(勿論、裁判員が全員有罪と判断しても、2名の判事が「無罪」と判断すれば「無罪」となり、『ズブ素』の多数決がそのまま判決にはならないという楔も確りある様ですが・・(笑))。 解らないことばかりなので、色々と教えて下さい。 「人が人を裁くということ」は、本当に「責任重大」ですね。 貴君の日頃の頑張りに、心から敬意を表したいと思います。 8月16日には、是非帰省され、実家に向かわれる道すがら、新装成った豊橋鉄道「渥美線」『新豊橋』駅をご覧になって下さい。(笑)


■続いては、梅雨明け間近の今を詠った俳句をご紹介します。

 医通ひの片ふすころ手半夏雨  大野林火(りんか)

Photo【解説】半夏生に降る雨を「半夏雨」と表現している。この日に降る雨は大雨になるとも言われている。丁度梅雨末期の豪雨の時期と重なる。心身の不調も起こり易い時節。なんとなく倦怠感を感じさせる。 季語「半夏生」は夏至から11日目、7月2日頃。 今年は明日7月1日である。 半夏という薬草が生ずる頃なのでこの名がる。 半夏はサトイモ科の烏柄杓。 田植えもこの頃までに終える。


【後記】■今日の締め括りは、今日6月30日が命日である、日本画の巨匠『川井玉堂』についてである。
01010203041916■川合 玉堂(かわい ぎょくどう、本名:芳三郎(よしさぶろう)、1873.11.24-1957.06.30没)は、明治・大正・昭和に亘り、日本画壇の指導的地位にあり、国民的人気も高かった。日本画の伝統と、西洋画も咀嚼を通して、近代日本の風景山水を切り開いた画家として著名。先日ご紹介した向井潤吉より人世代前に活躍した画人で、日本の四季折々の原風景を詩情豊かに表出している。彼の経歴を簡単にご紹介する。

05060708【経歴】
1873(明治06)年、愛知県葉栗郡外割田村(現在の一宮市木曽川町)に、筆墨紙商の長男として生まれる。
1887(明治20)年 14歳で望月玉泉に入門
1890(明治23)年 玉堂と改名。 幸野楳嶺の画塾大成義会に参加四条派を研鑽
1895(明治28)年 第4回内国勧業博覧会に『長良川鵜飼』で三等銅牌受賞
1896(明治29)年 橋本雅邦に師事、東京に移住。『孟母断機』『家鴨』等で受賞
1898(明治31)年 日本美術院創立に師雅邦と共に参加。日本絵画協会評議員に。 その後、日本絵画協会の日本美術院との連合絵画共進会で銀牌、銅牌等受賞。
1907(明治40)年 東京勧業博覧会に『二日月』で一等賞受賞。開設された文展に第1回から審査員を務める
1915(大正04)年 東京美術学校教授就任
1916(大正05)年 第10回文展に『行く春』(重要文化財)を出品
1917(大正06)年 帝室技芸員となる
1919(大正08)年 帝国美術院会員就任。帝展に『雨後』『宿雪』等を出品
1928(昭和03)年 昭和天皇即位式大典にあたり『悠紀地方風俗屏風』を制作
1940(昭和15)年 文化勲章受章
1943(昭和18)年 第6回新文展に『山雨一過』を出品
1944(昭和19)年 戦争が激しくなり東京奥多摩の御嶽に疎開
1957(昭和32)年6月30日 東京都青梅市で歿。享年83歳
09193810
【筆者comment】
▼川井玉堂は、昔から名前はよく聞く著名な日本画家の巨匠。でも、今回久し振りに彼の作品を見ると、日本の原風景が品格をもって表されている。 流石に人気画家の作品だと頷かせる輝きがある、と思います。


では、皆さん、《クラス会》〔[1.]参加する〕の朗報をお待ちしています。m(_ _)m

では、また・・。(了)

2008年6月26日 (木)

【時習26回3-7の会 0182】~〔 「伊東M弘君『参加表明』№1!」「石田Y博君『ギリギリまで判らない』」「『夏目Y弘君』『牧原(金子)M○子さん』からの便り」『大田M宏君』『鈴木Iさん』『山田K義君』からの返信mail 〕〔今の時節の俳句『風鈴の音』ほか・・〕

■今泉悟です。 皆さん如何お過ごしですか。 さぁ、今日も【2637の会】会報【0182】号をお送りします。先日出状させて頂いた8月16日開催予定の【時習26回 3-7の会】《クラス会》のご案内&「出欠確認」の回答が、掲題の通りが7名の方々からありましたのでご紹介します。

【伊東M弘君】
〔[1.]参加する〕
〔近況〕▼お蔭様で健康で、毎日忙しく働いております。

【石田Y博君】
〔[3.]ギリギリまで判らない

〔近況〕▼4月から副院長として医療安全管理等を担当し、忙しい毎日を過ごしています。健康維持のためテニス・スキー等を楽しんでいます。

【夏目Y弘君】
〔[2.]参加しない〕
〔近況〕▼(前略)それでも、何とか地元の会社に勤めて頑張っています。

【牧原(金子)M○子さん】
〔[2.]参加しない〕
〔近況〕▼子供3人は東京で生活して居るので、西浦の、《 二人でのんびり 》 田舎暮らしです。

【太田M宏君】
〔[2.]参加しない〕

【鈴木Iさん】
〔[2.]参加しない〕

【山田K義君】
〔[2.]参加しない〕

【筆者comment】
▼伊東君、早々なる『出席表明』ありがとう! 万年(?)幹事として嬉しい限りです。
 石田(Y)君、じっくり予定調整して頂いて、今年は是非【2637の会】《クラス会》に参加して下さい。お待ちしています。
 欠席される皆さん、来年以降のご参加を楽しみにしています。
 まだ、お返事を出されていない皆さん、朗報をお待ちしています。今年は、昨年の18名(鉄三先生を含む)以上の参加を目標に頑張りたいと思いますので、昨年参加された方々は勿論、まだ参加されていない方々の参加を大いに期待しております。
 8月16日(土)【2637の会】《クラス会》まで、あと残り僅か51日です。『青春のうたPartⅢ』のご希望曲もまだ受け付けていますので、奮ってご応募ください。(笑)


【後記】■今日の締め括りは、〔今の時節の俳句『風鈴の音』他〕をお伝えします。

 妻にのみ 憤りをり 返り梅雨  石田波郷

【意】梅雨が明けても、日本の場合直ぐにからっと晴れる訳ではない。数日晴れても、またぶり返す雨を「返り(戻り)梅雨」という。夫は、腹の虫が収まらないことでもあったのか・・。他の人には憤りを向けず妻にのみ怒るというのは、実際、妻に非がある訳ではない。そんな日常的な夫婦関係の機微を季語「送り梅雨」に託した秀品。

 日盛りや 松脂(まつやに)匂ふ 松林  芥川龍之介

【意】「日盛り」とは、夏の晴天の日の正午から昼下がりの三時頃までの最も暑い時間帯のこと。その盛んな日射しに炙(あぶ)り出された様な松脂の匂い。この松脂の匂いと、真夏の正午過ぎから昼下がりにかけての松林の情景が鮮烈に目に浮かぶ、芥川の秀作である。

 風鈴の もつるるほどに 涼しけれ  中村汀女

【意】一つの風鈴が、涼しい風に吹かれて、その音がもつれるかの様に鳴り響く。ちょっと風が強いのか・・。作者汀女が目を閉じて風鈴の音を聞いている姿が目に浮かぶ。


では、また・・。(了)

2008年6月20日 (金)

【時習26回3-7の会 0181】~「市川團十郎『積善余慶』」「『血糖値を下げる方法』と『〔高血糖〕の予防と改善の心得』」「俳句:季語『夏木立』『燕の子』『桑の実』」

■今泉悟です。 皆さん如何お過ごしですか。 さぁ、今日も【2637の会】会報【0181】号をお送りします。
 8月16日の【2637の会】《クラス会》開催の件。開催日まであと57日と2ヶ月を切りました。万障お繰り合わせの上、皆さんのご参加をお待ちしております。 m(_ _)m  ・・ 《 最敬礼 》 ・・

Photo■とは言え、まず今日は、PHP研究所刊「ほんとうの時代 2008年7月号」から、まず「市川團十郎『積善余慶』」をお送りします。
▼これからご紹介する市川團十郎(1946年生まれ。1985年江戸歌舞伎最高位の名跡である十二代市川團十郎襲名。)氏の言葉は、氏が一度生死を彷徨うほどの大病をされていることもあってか、重みと説得力を持っています。皆さんのご参考になればと思い、その一部をご紹介させて頂きます。詳細は、書店にて購入してお読み下さい。(笑)

【善きことのモノサシ】
▼「積善余慶(せきぜんよけい)」。善いと思うことを、少しずつでも積み重ねていく。そういう生き方の中から慶びは産まれてくる。(中略)
 卑近な例を挙げてみましょう。世の男性たちは、家族のためを思い一生懸命に働いています。朝早くから満員電車に揺られ(中略)毎日が午前様で休日はゴルフ接待。
(中略)家族のために頑張っているのに、いつの間にかそこに居場所がなくなっています。そうしてやっと定年を迎えたと思えば、奥様から三行半を突きつけられる。喜劇のような悲劇が待ち受けていたりします。
 しかし、少し俯瞰で自分の心を眺めて見てください。家族のために夜遅くまで働いていると言うけれど、ほんとうにそれだけでしょうか。その裏には自分が楽しみたいという利己が見え隠れしているのではないでしょうか。(中略)そういう利己が男の中にはあるものです。そして利己のツケは必ず回ってきます。
 ほんとうに仕事が大変なのか。それとも仕事にかこつけて楽しんでいるのか。そんなことは奥様たちはお見通しです。家族のために善かれと思ってしてきたこと。もしそれが妻にとって善きことでなかったとしたら、夫はもう懺悔するしか方法がありません。そしてこれからは、妻が思う善きことに思いを馳せること。妻がもっている善悪のモノサシに従って暮らすこと。それが円満の秘訣なのかもしれません。このように、善きことを積み重ねることはまことに難しいのです。

【大切な人を人と思う心】
▼歌舞伎の世界では、物を大切にするという心が基本にあります。例えば立ち回りを演じるときにも、刀と刀を合わせることはしません。(中略)物を大切にするということは、それを作ってくれた職人さんたちに思いを至らせること。単なる物ではなくて、物に込められた人の心を大切にするということなのです。
 (中略)夫婦の話に立ち返れば、昨今は熟年離婚が増えていると聞きます。様々な事情があるのでしょうが、やはりそこには妻を(夫を)人として思っていない。そういう心が潜んでいると私は思います。長年連れ添った夫婦を結ぶもの。それは相手に対する深い情です。相手が思う善きことを察して、それをしてあげる。してもらったら、素直に感謝の気持ちを伝える。互いに大切にし合うことで生まれる情。それが熟年夫婦の素晴らしさではないでしょうか。
 夫婦の情を深めるためには、まず「ふたり」に戻ることです。なぜか今は、子離れしない人が沢山います。子供が大人になってからも、相変わらず側に置いておきたいと言う。ずっと子供と関わろうとする。それは親子共々にとって善きこととは思えません。(中略)夫婦二人(中略)、きちんとお互いが向き合うことができる。互いの善きものを探し始めることができる。人としての暖かな交流が芽生えると私は思います。

【病を乗り越えて思うこと】
▼四年前の五月、私は白血病を宣告されました。血液の癌です。(中略)一度は回復の兆しを見たものの、翌年の夏に再発。それからはまさに無間(むけん)地獄のような苦しい治療が始まりました。抗癌剤の副作用はそれは凄まじいものでした。幸いにも今はこうして舞台にも立つことができます。生があることの有り難みと慶び。大きな病で改めて気づかされたものです。(中略)生と死の境界線を彷徨って以来、自分の気持ちは素直に表現しようと思うようになりました。言いたいことを言う。勿論そこには気遣いがなくてはいけませんが、余計な我慢を強いるのは止めようと。それでもし相手に不快な思いをさせたなら、すぐにごめんなさいと言う。(中略)齢を重ねていくということは、自分の中にあるモノサシを変えていくことなのかも知れません。仕事が全てだった。(中略)家族を養うことが最優先だった。若い頃にはそういうモノサシで物事を計っていた。でもこれからはそうではなく、自分の人生にとって何が善きものなのか。何を一番大切にしなければいけないのか。そこに心を寄せること。(中略)そこにはきっと、年輪を重ねなければ分からない善きものの姿があると思うのです。(了)
【筆者comment】・・團十郎氏の、納得尽くめの素晴らしい言葉でしたね・・。これ以上言葉がありません。ハイ。

■続いては、同じく「ほんとうの時代 2008年7月号」から、「『血糖値』どうすれば下がる?」から、「『血糖値』を下げる方法」をお送りします。タニタ体重科学研究所所長池田義雄氏からの提言です。それでは、その一部をご覧下さい。          

▼糖尿病についておさらいを、まずしておきましょう。
【「高血糖」はこんなに怖い】
 私たちが毎日元気に過ごすことができるためには、体の営みに欠かせないエネルギーが、きちんと作られていることが欠かせません。食事で得た糖分(炭水化物)は、消化吸収の過程でブドウ糖になりますが、そのブドウ糖をエネルギーに変える働きをするのがインスリンというホルモンです。
 インスリンの量が足りないとき、あるいは足りていても効きが悪い状態になると、ブドウ糖をエネルギーに変える働きに不具合が生まれ、使われずに余ったブドウ糖が血液中に溢れてきます。これが「高血糖」(血液中に糖分が多い)と言われる状態です。
 高血糖の状態が続くと、血管の内皮細胞(血液の流れと接する)をはじめ、体の中の全ての細胞を構成している蛋白質にブドウ糖がくっついていきます(糖化現象)。糖化現象が起こると、蛋白質の性質が変化しますので、細胞の働きも障害を受けることになります。
 高血糖の状態から糖尿病と診断される基準は、空腹時に血液1デシリットル中にブドウ糖が126mg以上ある場合ですが、糖尿病予備群(生活習慣を改善しないでいると糖尿病になる)と判定される基準は、メタボリックシンドロームの判定では100mg/デシリットル以上の人がチェックの対象になります。(中略)

【「血糖値」はこうすれば下がる】
 (前略)高血糖の予防と改善には肥満を解消することが欠かせません。
 減量に役立つのが、太らない食べ方を実行することです。(【筆者注】・・ということで、池田氏は以下の〔食事〕から〔運動〕〔その他〕まで「血糖値」を下げる方法を列挙しています)

【「血糖値」を下げる方法】
〔食事〕
①ゆっくりとよく噛んで食べる
②白米より玄米、胚芽米、麦飯を
③白パンより胚芽、ライ麦、全粒粉パンを
④ビールの糖分は曲者。つまみを食べ過ぎない
⑤食後の高血糖を抑えるのに役立つトクホも利用する
〔運動〕
①食後少し休んだら歩いてみる。毎日一万歩を目標に
②大小500の筋肉組織に一定の負荷をかけて筋トレする 
③好きなスポーツを楽しむだけの基礎体力をつくる
〔その他〕
①煙草は吸わない
②薬の服用が必要になったら医師の指示通りにきちんと飲む

▼そして最後に池田氏は、【健康生活の心得、「一無、二少、三多」】を合言葉に、【「高血糖」の予防と改善の心得】を提唱しています。
〔一無〕
①《禁煙》煙草は吸わない
〔二少〕
①《少食》腹七、八分目を意識して食べ過ぎない
②《少酒》飲める人でもアルコール成分量として20g以内(ビール中ビン1本、日本酒なら1合が目安)
〔三多〕
①《多動》積極的に運動する
②《多休》十分な休養・睡眠をとる
③《多接》多くの人、事、物に接し、良い趣味を育み、創造的な生活をする

 「一無、二少、三多」は糖尿病(高血糖)の予防と改善に役立つだけでなく、これからの時代を健康で元気に過ごす上で、欠かせない合言葉なのです。(【筆者注】・・と、締め括られています。皆さんの「健康維持」にご参考になればと思います。(笑))

Photo_2【後記】■さて今日も、名句のご紹介で締め括ろうと思います。まずは、芭蕉と蕪村の「夏木立」の句から・・。

 先(まず)たのむ 椎(しい)の樹もあり 夏木立  芭蕉 (大津市『幻住庵』)
【意】お世話になっている『幻住庵』にがっしりとした大きな椎の木があり、いい木陰をつくっている。頼りにさせて頂こう。

 動く葉も なくておそろし 夏木立  蕪村
【意】全く動かない樹木の「おそろしさ」。 動かない、大樹の夏木立が覆い被さる様な存在感で迫って来る。

Photo_3▼続いては、これも「夏の風物詩」の代表の一つ。「燕の子」。昔は、小生の実家の土間にも毎夏、燕が何処からともなくやって来て、巣を作り雛を育てていた。そのため、実家では日中は、玄関の扉を開けたまま・・。今の様な物騒な時代では考えられなかった長閑な善き時代であった。でも、ご安心あれ。今日も、豊橋駅近くの狭間公園で、燕が元気に飛んでいる姿を見かけた。きっと、近くの何処かに巣があり、「燕の子」を育てているに違いない。 

 飛び過ぎて いのち落とすな 燕の子  福田甲乙雄
【意】飛べるのが嬉しくてたまらない子燕たち。あぶなっかしいが、微笑ましい。

Photo_4▼桑の実は、最近でこそ見かけなくなった。が、その昔ご当地豊橋は絹と軍隊の街として有名なほど、養蚕が盛んであった。小生の実家でも、父が子供の頃は、離れの屋敷二階で養蚕をやっていたそうだ。小生、桑の実を食したことはないが、結構美味とのこと。ただ、食べた後、唇が紫に染まるので桑の実を食べたことが直ぐバレタそうだ。(笑)

 黒く赤し桑の実 なつかしき  高野素十
【意】(添付写真の様に)桑の実は初め赤く、熟れるに従い紫色に黒ずんで来る。郷愁を誘う木の実である。

 桑の実や 湖のにほひ 真昼時  水原秋櫻子
【意】真昼時の不思議なひととき。陽射しが眩しい。湖に映える桑の実畑の情景。

【2637の会】membersの皆さんからの《クラス会》「出席」のお返事をお待ちしております。近況も忘れずにネッ。(笑) ・・では、また・・。(了)
■【2637の会】ブログへは、 URL: http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog  ← ここをclickして下さい。

2008年6月15日 (日)

【時習26回3-7の会 0180】~「『2008年【時習26回3-7の会】《クラス会》開催のご案内』出状の件」

■今泉悟です。 皆さん如何お過ごしですか。 さぁ、今日も【2637の会】会報【0180】号をお送りします。
【2637の会】membersの皆さん、大変お待たせ致しました。8月16日の【時習館高校第26回卒旧3年7組】《クラス会》開催のご案内の「往復はがき」を夕方18時30分、豊橋郵便局本局(←現在の正式名称は忘れました(笑))に投函して来ました。地元にお住まいの方々には早ければ明日にでも「往復はがき」が届くと思います。
 T三先生には、今年も是非ご出席頂きたく、お願い申し上げます。m(_ _)m
 予約人数確定の日程繰りから「出欠」の回答期限を、来月7月末とさせて頂きました。またその時点で予定が立たない方は、恐縮ですが、「3.ギリギリまでわからない」に○をうって、早めに返信して頂きますと助かります。個別に、後日「出欠」確認させて頂きます。
 幹事をやっていて、一番気がもめるのが、出席予定人数の確定です。お返事の早めの回答をお待ちしています。何卒、ご協力のほど、お願い申し上げます。m(_ _)m


【後記】■今日は、《クラス会》のご案内状だけをしたためました。とは言え、会報に「花」を添えないと・・。
 そこで、今の時節を詠んだ高浜虚子と久保田万太郎の俳句を二句ずつご紹介してお別れしたいと思います。

 はなびらの垂れて静かや花菖蒲  高浜虚子

 花菖蒲たゞしく水にうつりけり  久保田万太郎

 虹立ちて忽(たちま)ち君の在る如し  高浜虚子

 短夜(みじかよ)のあけゆく水の匂かな  久保田万太郎


では、また・・。(了)
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2008年6月11日 (水)

【時習26回3-7の会 0179】~「『守田君』からmailがありました・・」「《クラス会》二次会は【マイアミ】を予約しました」「『光の三原色』《実験》〔赤〕+〔緑〕+〔青〕=〔白〕って本当!?」「新装なった豊橋鉄道『新豊橋駅』」「『向井潤吉』展を見て」

■今泉悟です。 皆さん如何お過ごしですか。 さぁ、今日も【2637の会】会報【0179】号をお送りします。

▼さて今日最初の話題は・・、昨日、守田君からmailが来ました。「待望」の【2637の会】membersからのmailです。とても嬉しく思います。8月16日の【2637の会】《クラス会》の「出欠」連絡です。ただ、残念なことに守田君は、今年も都合がつかず「欠席」となりましたが・・。(涙)
 でも、皆さん、【2637の会】《クラス会》は、不肖今泉が皆さんから「もうやめろ」と言われるまで、続けて行きますので、《クラス会》に出たくなった時に、気楽に、気軽に出席して下さい。宜しく!!

 そして・・、守田君へ、返信mailをどうもありがとう!! 
 8月16日は、所用があり欠席される由。大変残念ですが、来年以降も開催予定ですので、その時は是非宜しく。 守田君からは、返信maiの文章lそのものは、この【2637の会】会報に載せることは避けたいけれども、小生がアレンジしてお伝えすることにはご了解頂きましたので、彼のmailの内容を小生の言葉に置きかえてお伝え致します。 以下、ご覧下さい。


▼守田君からのmailでは、ご自身謙遜もあるかと思いますが、若干「膨よかな」体形になられたとのことですが、「日常的には到って元気に暮らして」おられるとのことで、まずは目出度しめでたし・・。(笑)
 守田君は、地元のvolunteer活動に熱心に参加されている様で、毎年、「手筒揚」や「獅子舞」やったりetc・・とのことです。「『積極的な』地域行事への参加」・・、我々も是非見習いたいものですね。
 そして、彼からの伝言は次の通りです。
 ~「皆さんが楽しいクラス会でありますように~」 また、※追伸で、「『青春のうた』懐かしいですね ~ 素敵な企画で頑張ってくださいい!!!」 守田//
と、心温まるエール(yell)を頂戴致しております。
【筆者comment】
▼守田君へ、mailを本当にありがとう。【2637の会】《クラス会》をなんとか昨年同様、楽しい集いにしたいと思います。

▼そこで、【2637の会】membersの皆さんへ、ご連絡を一つ・・。

(1)《クラス会》【二次会】会場を、昨年と同様で恐縮ですが『マイアミ』に予約を入れました。「二次会セット」¥3,000です。因みに、「一次会」ブラウンズの費用は、¥6,000です。宜しくご承知置き下さい。場所は、また後日ご連絡させて頂きますが、一時会場「ブラウンズ」と同じ通りを南、駅側へ50m戻ったところです。
★《クラス会》ご案内につきましては、今度の土日に印刷・出状を予定しています。
勿論、mailでの「出欠」のご回答も積極的にお待ちしていますので、皆さんからのmailでの「回答」「お便り」を心よりお待ちしております。何卒、宜しくご協力の程、お願い申し上げます。m(_ _)m


■さて続いては、「『光の三原色』《実験》PartⅡ:〔赤〕+〔緑〕+〔青〕=〔白〕って本当!?」です。前【0178】号にて、『光の三原色』《実験》PartⅠ:〔赤〕+〔緑〕=〔黄〕を実際にご覧頂けたと思いますが、今回は、もっと不思議現象(=「目の錯覚」)・・→〔赤〕と〔青〕と〔緑〕を合わせたら〔白〕になるところです。添付ファイル「the_three_primary_color_of_ray_( blue-red-green )」をご覧下さい。図の右下①から→②→③→④→⑤→⑥→⑦へと、だんだんと〔白〕く(実際には〔銀〕色の様に)、なっていくのをご覧頂けると思います。〔赤〕〔青〕〔緑〕が合わさると〔白〕!!・・本当に不思議ですねぇ・・。(笑)

「the_three_primary_colors_of_ray__blueredgreen.xls」をダウンロード
 因みに、『色材(絵の具)の三原色』はY(黄色(Yellow))、M(赤紫(magenta))、C(青緑(cyan))で、これを合わせると、理屈では〔黒〕色になります。『光の三原色』の〔白〕に対して、『色材の三原色』の〔黒〕。如何にも対照的です。とても興味深い現象ですね。(笑)
 尚、実際には、反射の不具合から、〔黒〕ではなく、〔暗いこげ茶色〕のように見えますが・・。


■続いては、副題にある様に「新装なった豊橋鉄道『新豊橋駅』」です。先週、6月5日、「新豊橋駅」が移転、スタートしました。そして小生、昨日、初めて新装なった「新豊橋駅」を利用しましたので、まだご覧になっていない【2637の会】membersの皆さんへご披露します。
 すでに乗車された方もいらっしゃるかと思いますが、東西にお住まいの方々はご存じないと思いますので、添付写真(撮影は昨日6月10日20時過ぎ)を3枚ご覧下さい。

000100020003JR豊橋駅から、雨に濡れずに「渥美線」に乗れます。そして、プラットホームの両側に車輌が入れますので、「乗降」の混雑が回避できます。利用者には嬉しいニュースです。


01■今日、最後の話題は、昨日所用で田原市を訪れた折り、現在「田原市博物館」で開催中の「『向井潤吉』展」を観て来ました。向井氏は、「日本の原風景」を描き続けた画家。里山の風景と調和し、見る者を惹きつけた一貫した彼の思想・表現力を添付写真でご覧頂き、堪能下さい。「里山」の風景描写は、ともすると、観光地の土産屋の「絵画」に見られがちですが、向井潤吉の作画の技量は流石に一流であり、彼の作品は見る者を魅了して止みません。
 とは言え、彼をご存じない方も少なくないかもしれませんので、略歴からご紹介したいと思います。
021975【略歴】
1901(明治34)年 京都市下京区に生まれる。
1914(大正03)年 京都市立美術工芸学校入学。同校は、1902年、ヨーロッパから戻った浅井忠Photo Photo_2 (【筆者注】向井潤吉の作品の後に二作品「収穫」「春畝」を添付した。ご参照下さい。)が教授として赴任。彼の指導を通じ、津田青風、梅原龍三郎、安井曾太郎といった人材を育成。和と洋が混淆する新しい気風が古都・京都に溢れ、潤吉は多感な青春時代を過ごした。
1916(大正05)年 関西美術院に学び、人物のデッサン、油彩画の基礎を学ぶ。
1920(大正09)年 新聞配達に住み込み、川端画学校に通う。第6回二科会展に初入選。 1921(大正10)年 1926年まで高島屋呉服店図案部に勤務。
1927(昭和02)年 渡欧。ルーブル美術館で摸写に没頭。技法、表現の研究を重ねる。「・・私の如き貧乏の学生には、費用のかからないそして自由に名画に接し得られる美術館での勉強はまことに有り難かった・・」と向井は振り返る。(「模写寸話昭和24年7月」)
1930(昭和05)年 帰国。第17回二科会展に滞欧作を特別出品し、(【筆者注】高山)樗牛(ちょぎゅう)賞を受ける。
1933(昭和08)年 世田谷区弦巻にアトリエを構える。以後、ここを制作の拠点とする。
1937(昭和12)年 陸軍報道班員として、戦争記録画の制作に従事する。
1945(昭和20)年 行動美術協会を創立。ライフワークとなる民家シリーズの制作が始まる。
1959(昭和34)年 渡欧。ヨーロッパ各地を写生し巡る。
1982(昭和57)年 世田谷区名誉区民に。
1993(平成05)年 向井潤吉アトリエ館開館
1995(平成07)年 急性肺炎で、自宅において逝去。享年93歳。

051957061961031919041943▼「『向井潤吉』展」が、田原市博物館で開催された経緯が小生に気になって調べてみた。すると、田原市美術館の「『向井潤吉』展」の案内と「図録」に、成章高校美術科教諭であった大場厚氏について、次の様に記してあった。
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大場 厚(1908(明治41)年-1997(平成09)年没) 
明治41(1908)年 渥美郡田原町大久保(現田原市大久保町)に生まれ。
昭和05(1930)年 岡崎師範学校専攻科を卒業。
昭和15(1940)年 二科展に初入選。同年正宗徳三郎・向井潤吉に師事。
昭和20(1945)年 成章中学校美術教諭に就任。
昭和21(1946)年 向井潤吉の誘いを受け、行動美術協会結成に参加、会友となる。
昭和22(1947)年 東海行動美術 協会を結成。
昭和30(1955)年 行動美術協会会員となり、以後審査員。
昭和34(1959)年 向井潤吉・田中阿喜良とともに渡仏。
昭和37(1962)年 教職を退き、パリス工芸株式会社を設立。行動美術展を中心に活躍するかたわら、東三在野美術協会などのグループに参加。平成09(1997)年 逝去。
平成18(2006)年 行動展出品作品を中心とする作品の多くが田原市博物館に寄贈された。
【筆者comment】
111964121966131966141967▼向井潤吉氏と大場厚元成章高校美術科教諭との親密な子弟関係が今回「田原市博物館」での展覧会開催として結実した訳ですね。
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▼さてさて今日締め括りは、『入梅』についてである。『入梅』は旧暦では『芒種』の後の壬(みずのえ)の日。『立春』から数えて127日。
今日6月11日は、「壬午」。暦の上での『入梅』である。とは言え、今年は6月に入った途端、気象庁は「入梅」を宣言しましたが・・。(笑)

さて、『入梅』に因んだ著名人の俳句を三品ご紹介させて頂きます。そしてついでに小生の拙句も一句・・。(苦笑)

 二夜三夜 傘さげ会へば 梅雨めきぬ  石田波郷
【意】二夜三夜と空を窺うが、なかなか降りそうで降らない・・。明日にも「入梅」か・・。

 師の浅間 梅雨晴間得て 見に出づる  冨安風生
【意】風生が、小諸に疎開中師、虚子を訊ねた折りの作。

 春の月 ありしところに 梅雨の月  高野素十
【意】同じ場所に同じ月、ただ季節だけが確実に過ぎ去っていく・・。

 梅雨寒も 君を思へば 胸弾む  悟空
【意】鬱陶しい梅雨の季節も、ときめく貴女がいる・・。(・・と、かくありたい・・(笑))

▼では、皆さんの「お便り」と、【2637の会】《クラス会》への「出欠」確認mailを心よりお待ちしております。
 そして、「守田君へ」、重ねて御礼申し上げます。 (了)

2008年6月 6日 (金)

【時習26回3-7の会 0178】~「『光の三原色』~《実験》〔赤〕+〔緑〕=〔黄〕」「祝!『オシム氏』快癒!」「5月31日~6月1日〔身延山『久遠寺』〕〔下部温泉〕〔風林火山『躑躅ヶ崎館』『恵林寺』他〕巡り」

■今泉悟です。 皆さん如何お過ごしですか。 さぁ、今日も【2637の会】会報【017】号をお送りします。

■今日は6月6日。8月16日の《クラス会》まで、あと71日になりました。《mail版》「《クラス会》開催のご案内」のお返事は、今のところ残念ながらゼロ。「はがき代」をケチろうという、万年幹事の「セコイ考え」は歓迎されませんね。要反省。(笑)(汗) 
 《【往復】はがき版》の「案内状」は、もう少し待っていて下さい。 小生、このところ、「現在の会社関係の仕事(「決算・株主総会」関連)」と、自分の「銀行退職関係諸手続き」、それから最近始めた「今年10月に受験予定の『宅建主任者』試験勉強」、加えて【2637の会】blogの作成にかかる原稿の材料集め等々が加わり、結構忙しい毎日を送っております。・・会報出状遅延の理由にならないか・・。つまらない言い訳を言ってスミマセン。(笑)(汗)

■前号でご案内した通り、昨日6月5日は二十四節気でいう『芒種』。6月に入った途端、「入梅」となりました。うっとうしい毎日が続きますが、健康管理には十分留意して、元気に過ごしていきましょう。
080605 「健康」と言えば、昨日の日経新聞の朝刊に、イビチャ・オシム(前全日本サッカー監督)氏の健康快癒の記事が載っていました。本当に良かったですね。
 オシム氏の話は、いつ聞いても分かり易く筋が通っていて小生は好きな人物だ。写真のオシム氏は、倒れる前と比べ確かに顎がこけてはいるが、健康を取り戻された感じは窺える(添付写真ご参照)。良かったと思う。今後とも日本サッカー発展のためにご尽力頂ければ嬉しい。新聞記事では次の様に紹介されていた。
【大きな希望あった/世界一夢ではない〔発言要旨〕】
 オシム氏の会見での発言要旨は以下の通り。
 「私だけでなく、人は何かをやり遂げたいという気持ちがある。代表監督だった時の希望は最低でもワールドカップ(W杯)に導くことだが、もっと大きな希望もあった。いつも夢見ていた。それがあるからこそ私は向こう(【筆者注】彼岸=あの世)から戻って来られた。日本の良さを生かせれば世界一になることも夢ではない。大きすぎる夢で時間がかかるかもしれないが、本当にそうなればと思っている」
 「どんな仕事をするにしろ、日本サッカーに自分がいた痕跡を残したい。とんでもない痕跡にならないか心配だが」
 「自分自身、(病で倒れることは)全く予想できず、残念ながら続けられなくなった。その分、別の形で貢献したい。以前ほどではないが冗談も話せるようになった。夢を見たっていいじゃないか。そうすれば日本サッカーは前進するのでは。そこから変化は始まる」
 「私が何者であるか忘れないためにサッカーの試合を見に行く。サッカーで病院に行くことになったが、病院から戻れたのもサッカーの力だ」(以下略)

「the_three_primary_colors_of_ray_01.xls」をダウンロード ■さて続いて今日は、前号で『光の三原色』のお話をしましたが、その中で、『色材の三原色』即ち、〔絵の具〕で〔赤〕と〔緑〕をかけ合わせると「灰色」になることは皆さん良くご存知だと思います。でも、本当に「『光の三原色』で、〔赤〕と〔緑〕を合わせると〔黄〕色になるのかな??」。ということで、《実験》してみました。〔添付ファイル〔 the three primary colors of ray_01 〕〕をご覧下さい。添付ファイルの右下から左上へ「⑦→⑥→⑤→④→③→②→①」と見て行って下さい。最初は、「赤」と「緑」の正方形の図形がオセロの枡の様に配置されているのが確り見えるのですが、だんだんと小さくなるにつれ「黄」色に変化していく、「目の錯覚」ですが、納得できますね。(笑)
 今度、暇があったら、『光の三原色』の「赤」+「緑」+「青」=「白」を実験してみようと思います。(笑)

■さて続いては、「忙しい、忙しい」と言いながら、先日5月31日から6月1日の二日間、旧【3-2】の中嶋Y行君と、旧【3-3】の谷山K君と三人で、また城址・寺院・温泉巡りに行って来ました。今回は、「『身延山・久遠寺』『甲府城』『下部温泉』『風林火山(「躑躅ヶ崎館跡」「信玄の墓」「法泉寺(武田勝頼の墓)」「新府城跡」「光明寺(木曾義昌の嫡子千太郎の墓他)」「恵林寺」「松尾神社」「放光寺」「大善寺」「景徳院」)』」を廻って来ました。
 その模様についてご報告致します。甲斐源氏の祖「新羅三郎義光」の孫、安田義定が開いた「放光寺」から、甲斐武田氏終焉の地「武田勝頼」主従ら約50名が自害した「景徳院」境内まで見ることが出来、甲斐武田氏の歴史の栄枯盛衰を確り堪能した二日間でした。

【1日目】 08時に東名豊川ICを出発。
080531287104m1609Photo▼11時10分 最初の訪問目的地である「身延山『久遠寺』」に到着(添付写真ご参照)。本堂へと上る「菩提梯」という287段ある参道の階段はしんどかった・・。(笑)(添付写真ご参照)

080531_2

▼14時15分 続いて、訪れたのは、甲府市JR甲府に隣接してある「甲府城」。ここは徳川幕府が中仙道の要害の地として重視したところで、6代将軍家宣が将軍になる前に治めていた。また、家宣の後は柳沢吉保が藩主となった。(添付写真ご参照)

080531_4080531_3▼15時25分 今度は、武田氏の居城「躑躅ヶ崎館跡」(添付写真ご参照)
080531080531_2▼16時00分 「武田信玄の墓」(添付写真ご参照)

080531a080531_3▼16時30分 「『法泉寺』武田勝頼の墓」(添付写真ご参照)

Photo▼18時00分 下部温泉「湯元ホテル」着~宿泊~〔 源泉かけ流しの温泉を堪能 〕
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【2日目】 8時30分 ホテル発。
080601a080601080601_2▼09時30分 「新府城跡」を巡る。武田勝頼はこの城で織田軍を迎え撃とうとしたが結局戦わず退却。城跡内で見つけた「蛍袋」の花が、武田氏の衰亡と対照的に淡く綺麗に見えた。(添付写真ご参照)
080601_3080601_4▼10時20分 「光明寺」着。この寺は、木曾義昌が織田方に寝返った際、勝頼が義昌から人質として預かっていた義昌の嫡男千太郎(13歳)とその姉(17歳)、千太郎の祖母の三人を已む無く斬った。その三人の墓がある。

▼光明寺を出てから、綺麗な富士山を見ることができた。(添付写真ご参照)

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080601_5080601_6▼11時35分 「恵林寺」着。この寺は、快川禅師の「安禅は必ずしも山水をもちいず、心頭を滅却すれば火も自ずから涼し」で有名である。この文言は、「三門」の両側に記されている。(添付写真ご参照)また、この寺の庭園は夢窓国師が作庭したと伝われる池泉回遊式庭園で美しい。(添付写真ご参照)
【筆者comment】我々は、この後、恵林寺に程近い、「松尾神社」「放光寺」を徒歩で見た後、武田氏終焉の地、天目山の麓の「大善寺」「景徳院(勝頼が自害したところ)」を見て回った。mailの容量の関係から、この模様は【2637の会】ブログをご参照下さい。

080601_7▼時計の針を、「新府城跡」内に一時戻そう。美しい野草をもう一つご紹介する。『薊(アザミ)』である。(添付写真ご参照)

 世をいとふ心薊を 愛すかな  正岡子規

 花薊露珊々と 葉をのべぬ  飯田蛇笏

Photo_2▼「恵林寺」に着いて、まず腹ごしらえ。境内にある「一休庵」という食事処に寄り、精進料理の一つ「信玄御前(正確な名前は忘れてしまった)」を食した。(添付写真ご参照)

080601_9080601_10▼「恵林寺」では、先にご紹介したところのほか、「黒門(総門)」(添付写真ご参照)や、「四脚門」(添付写真ご参照)をご覧下さい。

▼「恵林寺」を見た後は、徒歩で近くの「松尾神社」、「放光寺」を見て回った。「放光寺」は、甲斐武田氏の祖、新羅三郎義光の孫、安田義定が開いた寺である。

080601_11080601_121445分 今度は、甲斐武田氏が滅亡した場所へ。天目山の麓で、最初に訪れたのが、「大善寺」。(添付写真ご参照)勝頼らは武田氏の戦勝を祈願をこの寺で行ない、宿営。

 しかし、夜半、家臣の大半が離散してしまう。

080601_13080601_141530分 翌日天正10(1582)311日、「景徳院」境内にて、勝頼(37歳)、北条夫人(19歳)以下約50名が自刃。甲斐武田氏は滅亡する。(添付写真ご参照)

3719▼境内には、勝頼と北条夫人の「辞世の歌」があった。

 おぼろなる月もほのかに雲かすみ

   はれてゆくえの西の山の端  武田勝頼

 黒髪のみだれたる世ぞはてしなき

   思ひに消ゆる露の玉の緒   北条夫人


【後記】■今日の締め括りは、「新府城跡」内で見かけた野草『蛍袋』を詠じた句を一つご紹介します。

 宵月を 蛍袋の 花で指す  中村草田男

では、また・・。(了)

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