【時習26回3-7の会 0199】~「時節は『白露』」「稲沢市荻須美術館『荻須高徳』展を観て」「坂東眞理子『凛とした「女性の基礎力」』」
■今泉悟です。 皆さん如何お過ごしですか。 さぁ、今日も【2637の会】会報【0199】号をお送りします。
さて、今日は9月4日。明々後日9月7日は時節が変わり、二十四節気でいう『白露』。 陰暦八月の節。 読んで字のごとく露が白く結び、漸く秋らしくなる頃である。
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ひとつづづ 山暮れてゆく 白露かな 黛 執
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■さて、最近、名画鑑賞に嵌っている小生、先週の土曜日(8月30日)、先日ご紹介した小磯良平と東京美術学校で同期生の荻須高徳の故郷、稲沢市にある「稲沢市荻須記念美術館」に彼の作品を見に雨の中を行って来ました。 そこで今日は、まずその『荻須高徳』についてご紹介します(最初の 添付写真は雨に濡れる「稲沢市荻須記念美術館」入口)。
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▼荻須高徳(おぎす たかのり、1901.11.30 - 1986.10.14 )は、大正・昭和期の洋画家。 愛知県稲沢市生まれ。 東京美術学校、藤島教室で同期生に先程ご紹介した様に小磯良平がいる。
荻須は画家人生の大半をフランスのパリで過ごした。 初期の作品は佐伯祐三と同様、ヴラマンクやユトリロの影響を受ける。 パリの街角や、店先等のオブジェを荒いタッチで描いた。 故に、佐伯祐三の作品と見紛うほどよく似ていた。( 小生は、佐伯祐三も大好きな画家である ) その後、1930年代半ば頃より、より精緻でかつ穏やかなタッチで構成力も確りした「都市風景画」を描くようになった。
作風が確立した彼の絵は、『確りとした堅固な構成力』と『詩情漂う静謐さある作風』により、『風景画とはかくあるべし』」と、観る者に、何処か「ホッ」とさせる安心感と説得力で迫って来る。 彼は、生涯パリの下町風景を中心に描き続けた。 フランス前大統領シラク氏をして「最もフランス的な日本人」と彼を評しているが、頷ける言葉である。 ご参考に氏の【略歴】を以下にお示しします。
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1901(明治34)年 11月30日、愛知県中島郡稲沢町(現稲沢市)に生まれる。
1916(大正05)年 愛知県立第三中(現・愛知県立津島高等学校)入学。
1921(大正10)年 上京、小石川(現・文京区)にあった川端画学校に入り、藤島武二に師事。

1922(大正11)年 東京美術学校(現・東京藝術大学)西洋画科に入学。
1927(昭和02)年 同校を卒業、09月に渡仏。
1928(昭和03)年 佐伯祐三らとモラン写生旅行を行い、佐伯の死にも立ちあう。 同年サロン・ドートンヌ入選。 これが、荻須の画家としての最初の成功という。 以来、サロン・ドートンヌ、サロン・デ・パンダンに毎年出品。

1934(昭和09)年 最初の個展をジュネーヴで開催。 彼の作風も、佐伯とよく似ている初期のものから、次第に色調も含め静謐なものへと変化。
1936(昭和11)年 サロン・ドートンヌ会員に推挙される。 フランスでの地位を確立。
1940(昭和15)年 第二次世界大戦の戦況悪化のため一時帰国。 この時サロン・ドートンヌ出品作がパリ市買上げとなった。 帰国後は新制作派協会の会員に。

1948(昭和23)年 日本人画家として戦後初めてフランス入国を許可され再び渡仏。 爾来、生涯パリで制作活動を続ける。
1956(昭和31)年 レジオン・ドヌール勲章受章
1972(昭和47)年 勲三等旭日中綬章受章、中日文化賞受賞
1974(昭和49)年 メダイユ・ド・ヴェルメイユ受賞

1981(昭和56)年 文化功労賞者受賞。
1982(昭和57)年 フランス国立造幣局において荻須高徳の肖像を浮彫にしたメダイユが発行。
1986(昭和61)年 10月14日、パリのアトリエで死去。 文化勲章受章(没時追贈)。 墓はパリのモンマルトル墓地にある。


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▼尚、稲沢市荻須記念美術館では、11月22日~12月14日まで企画展が予定されている。 添付写真の絵は彼の代表作の幾つかをご紹介したものである。
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■続いては、これも小生、最近読んだ「坂東眞理子著『凛とした「女性の基礎力」』(暮しの手帖社刊)」から「第8章 いかに老いるか、いかに死ぬか」~「貯人のすすめ」をご紹介します。
女性向けに書かれた本ですが、男性諸兄にも参考になると思いご紹介させて頂きます。
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▼沢山の方から暑中・残暑見舞を頂く年は、(中略)こちらから暑中見舞を出した年です。(中略)このささやかな経験を通して、コミュニケーションとはこちらから声をかけることから生まれるのだと実感しました。
まずこちらの発信に対して返事があって、コミュニケーションは生まれるのです。 相手から声がかかるのを待っているだけでは、コミュニケーションは生まれません。(中略)私たちは人とコミュニケーションをとろう、とりたいという気持ちを失いつつあるのではないでしょうか。
テレビや新聞、雑誌などのメディアを通じたコミュニケーションには、随分時間を費やし、沢山の情報を得ているのですが、こちらから発信はしない、これは、受身のコミュニケーションは楽だが、それに慣れて発信する面倒さが嫌になってしまったのか、あるいは職場や仕事では役に立たない、リターンが期待できないようなことに関心を失ってしまった表れの様に思えるのです。(中略)
年賀状や暑中見舞でも、社用の決まり文句のものは男性が殆どでしたが、最近では女性も増えています。 こうした社用、ビジネス用のコミュニケーションを除くと、純粋に個人のネットワークは殆ど持たないという人も多く、こういう人は長い人生、仕事から引退したらどうなるのだろうと、人ごと乍ら心配になります。
老後の生活に備えるために貯金をする人は多いけれど、本当に必要なのは貯人です。 人間的交流のできる相手とどれだけ出会えるかが、人生の豊かさを決める大きな要因になるのです。 どの組織に属しているか、その中で認められているかどうかというだけでなく、人間としてどれだけの価値があるかどうかがポイントです。
そのためには、まず自分から発信する、或いは発信された情報に誠実に応えるということから始めるべきでしょう。 私は、貯金を増やすよりも、貯人を増やす様に努めたいのです。
【筆者comment】
▼坂東女史と仰る通りですね。 「本当の『人生の豊かさ』とは何か?」。 浅薄な考えで恐縮ですが、それは、「衣食足りて礼節を知る」程度の金銭的余裕さえあれば、後は、「如何に自分からコミュニケーションに努め(=人に働きかけて)、現在のゲゼルシャフト(利益社会)からゲマインシャフト(共同社会)へ回帰して行くべきで、その為には、自分の人生・生きがいに役立つ人材をどれだけ沢山持つことができるか?」である、と小生は思います。 現代のゲゼルシャフトの中でも、『貯人』は出来、この『貯人』を多く持っている者がより『人生を豊か』に生きている。 小生は【2637の会】members皆さんという素晴らしい財産を『貯人』として沢山持っていることを実感しています。 そして、これからも皆さんと一層親交を図って行きたいと思いますので、引き続き宜しくお願いします。m(_ _)m (笑)
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【後記】■夏の盛りにはあれほど煩く泣いていた蝉の声も、時折、涼しい秋風が吹くこの頃では、流石にまばらになっていることに気付く。 ツクツクボウシやヒグラシの声には哀愁が漂う。 今日の締め括りは、その秋蝉(しゅうせん)を詠んだ飯田蛇笏の作品をご紹介してお別れします。
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秋蝉の なきしづみたる 雲の中 飯田蛇笏
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【意】うるさいほど鳴き誇っていた蝉も、その鳴き声は、今では寂し気で、何処となく沈んでいる。 その鳴き声が雲間から聞こえて来る。
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では、また・・。
(了)


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