【時習26回3-7の会 0218】~「今日12月21日:『冬至』」「師走の銀座&数寄屋橋の風景」「堀文子画文集『命といふもの』・・『散り行く』から」「高樹のぶ子『甘苦しく生きよう』から」「中原中也『頑是ない歌』」
■今泉悟です。 皆さん如何お過ごしですか。 さぁ、今日も【2637の会】会報【0218】号をお送りします。今日12月21日は『冬至』。明日から日が長くなっていく筈なのに、「年の暮」何処か物悲しく感傷的になる。
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黒き帆の まぢかに帰る 冬の暮 山口誓子
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【意】寒さが身に沁みる冬の暮。夕暮れ時、夕日に黒く見える帆が印象的だ。
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年惜しむ 心うれひに 変りけり 高浜虚子
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【意】人は年の暮になると一年を振り返る。その根源には「憂い」がある。人間には時の流れを止めることができない。
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■まずは、1月3日の時習26回「新年会」の続報の件です。が、前回から全く進展がありません。皆さんのご都合もなかなかつかないのでしょうね。もうあと2~3人【2637の会】membersから参加頂けると嬉しいという処が本音ですが、小生にとって【2637の会】《クラス会》が最優先されますので、「新年会」の方も・・と無理強いは出来ません。ですから、もし、ご都合がつく方がいらっしゃればご協力頂ければ幸甚です。
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■さて今日の《会報》は、掲題・副題にあります様にまず「師走の銀座&数寄屋橋の風景」をお届けします。
小生、12月19日(金)に、また仕事で上京しました。そして午後3時頃に仕事が片付いたので、銀座の画廊をちょっと覘いて見ようと思い、添付写真にありますように銀座五丁目にある「ナカジマアート」に行って来ました。ここには日本画家堀文子氏の作品が沢山展示されているところです。小生、以前から堀文子氏の作品が好きでしたので、本物を十数点ジックリと見る事が出来て良かったです。記念に堀文子氏の署名入りの画文集『命といふもの』とポストカードを何枚か買って来ましたので、これもご紹介致します。因みに19日は、年末ジャンボ宝くじの発売最終日。添付写真にある様に数寄屋橋の宝くじ売り場は宝くじを求める人達が長蛇の列をつくっていました。
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■ここで、堀文子画文集『命といふもの』から『散り行く』(抜粋)をご紹介致します。堀文子氏の絵は、日本画を中心に、シュール系・メルヘン系・写実系と大変幅広く、見る者を魅了します。添付写真をご覧になって彼女の作品の魅力を感じ取って頂けましたでしょうか。それでは、随筆『散り行く』(抜粋)をご覧下さい。
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〔楽しい仲間(1956年)〕
〔地底の風景(1963年)〕
〔流れ行く山の季節(1990年)〕
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〔堀文子〕
〔画文集『命といふもの』〕
〔散り行く(2004年)〕
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散り行く 堀文子
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(前略)
毎年木は寒さに具(そな)えて葉を落とし、今年の活動をやめて冬の眠りにつく。
命をつなぐ為に無駄な努力をはぶく神の決断は完璧だ。そして死を命じられた葉が落ちる時の、あの絢爛たる潔さはどうだ。
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〔金剛インコの庭(1996年)〕
〔ユートピア(2001年)〕
〔極微の宇宙に生きるものたち(2002年)〕
先を争って地に還って行く落葉の美しさはたとえようもない。傷一つない幸せだったもの。患ったもの。虫に食われ穴だらけのもの。神はどの葉にもへだてなく、その生きた姿を褒め称え美しい装いを与えて終焉を飾って下さるのだ。
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〔鳥たちの歌(2002年)〕
〔アフガンの王女(2003年)〕
〔落ち葉Ⅰ(2004年)〕
自然は生きた日々の恨みつらみを消し、決して老残の醜さを見せない。死を迎える時の、あの紅葉の華やぎは命の輪廻を讃える神の仕業だと思う。
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〔椿(2004年)〕
〔桜桃とアスパラガス(2005年)〕
〔天空に飛ぶ(2005年)〕
無心に生きるものには幸せも不幸もない。私もやっと、苦しみ傷ついたものの美しさに気付く時が来たようだ。
(添付写真の絵〔堀文子『散り行く』〕ご参照)
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〔雪嶺(2007年)〕
〔光る海(2008年)〕
〔燃える落日(2008年)〕
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【筆者comment】
堀文子氏は今年満90歳。添付写真の絵『光る海』は今年の作品。なかなかの傑作であると思います。随筆と同名の『散り行く』の絵は2004年86歳の時の作品。随筆の言葉も素晴らしい。「100歳迄現役」を標榜する小生、まさに堀文子さんの様に矍鑠と生きて行きたいものである。
〔無花果と赤飯(2005年)〕
〔山茶花(2007年)〕
〔あかくらげの家族(2008年)〕
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■続いては、PHP刊「ほんとうの時代」200年1月号の巻頭を飾る「高樹のぶ子『甘苦しく生きよう』から」です。高樹のぶ子氏は、毎朝、日本経済新聞に連載されている大変艶かしい作品『甘苦上海』の作者である。彼女の『甘苦しく生きよう』は、小生「全くその通りだ」と共感できましたので早速ご紹介させて頂きます。毎回申し上げていますが、この「ほんとうの時代」はなかなかいい雑誌です。気に入られましたら、ご購入のほどを・・。定価550円(税込)です。(笑)
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【夫婦は離れた時間と他人の部分を大切に】
恋とはいつも甘苦しいもの。そういうテーマで私は多くの小説を書いてきました。誰かを好きになるという甘い気持ち。でも、その思いが伝わらない苦しさ。その両面があるからこそ、恋は楽しいんです。
もう六十歳を過ぎたんだから、恋なんて関係ないわ。そんな寂しいことを言わないで下さい。人を好きになる気持ちを無くしたら、それこそ老け込むばかり。(中略)隣に座っている夫や妻に気持ちを向けてみてはいかがですか。せっかく互いに惹かれあい、愛し合って結婚したんですから。(中略)(笑)
恋愛感情を持つためには、互いに他人であるという意識がなくてはなりません。(中略)何も若い頃の様に燃える様な恋心はなくても、互いに異性であることを意識し合う。それが大切なことだとと思います。そこで重要なことは二人の距離です。(中略)離れて過ごす時間をつくることです。夫がサラリーマンのときには、(中略)十数時間、二人が会わない時間がある訳です。すると夜帰ってくる夫の姿を見て、「おっ、我が夫もなかなかいい男ではないか」と思う瞬間もある。夫にしても、「我が女房も、しみじみ見れば結構いい女じゃないか」と思うこともある。ところが夫が定年退職して、始終顔を突き合わせていたらどうでしょう。もうそれは恋心どころの騒ぎじゃない。互いに空気の様な存在になり、甘苦しさのかけらも無くなってしまいます。(中略)
こうよう生活にならないために、妻は夫にはっきり言うことです。「私はこれまでと同じように、あなたのことを好きでいたい。二人で楽しい老後を暮らしたいと思っています。ついては、これこれこういうことを心掛けてください」と。「ついては」という言葉に続いて、具体的な要望を夫に伝えること。これは定年の日になっていきなり言うのは酷なので、少なくとも一年くらい前に宣言することです。「定年後に、こうなったらあなたのことが嫌いになりますよ」と。(中略)
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【夫婦だから相手を理解できているという幻想】
(中略)日本の男性はシャイだとよく言われます。恥ずかしがり屋だから言葉に出来ないと。とんでもない。それは単に傲慢なだけです。相手に気持ちを伝えるためには、絶対に言葉が必要です。思っているだけで気持ちが伝わるはずはありません。それは長年連れ添った夫婦でも同じこと。心の交流とは、言葉があればこそ生まれるのです。
だいたい夫婦が分かり合えるとはどういうことでしょう。何十年も一緒にいるから、相手のことは理解している。そう思い込んでいる人もいるみたいですが、それは全くの誤解です。相手のことを分かっている。分かっているのは、実は相手の反応の仕方に過ぎません。こういう言い方をすれば、妻は怒るだろう。こうすれば夫は喜ぶだろう。そのような反応が予想できるに過ぎない。相手の反応が分かることと、相手のことを理解していることとは全く別です。
もっと言うならば、夫婦だからといって互いのことが理解できているというのは幻想です。本当は互いが何を考えているのか。本心はどこにあるのか。そんなことが分かるはずはありません。それに互いの本心までも分かってしまったら、それもやりにくくて仕方がない。何を考えているかなんて知られたくないですよね。だからこそ言葉が大事なんです。
互いに他人であるという原典に戻って、言葉で表現することです。妻が美容院から帰ってきたら「その髪型はよく似合っているよ」と言葉に出す。夫がいつも同じセーターばかり着ていたら「たまには違うセーターを着てみれば、この色も素敵に見えるわよ」と言う。そしてお互いに「ありがとう」という言葉を掛け合う。たったそれだけの小さな言葉が、二人の生活を楽しくしてくれる。はやくそのことに気づいてほしいものです。ただ黙って座っている夫。「ありがとう」の言葉を忘れた夫。そんな夫と一緒なんていたくもない。傲慢な人間なんて大嫌いですから。
まあ私は女ですから、妻の立場で男性を攻めてしまいましたが、妻もまた優しい心をもってあげることでしょう。長年勤めた職場から去って、ションボリしている夫。家のソファにポツンと座っている夫。そんな夫の姿を見れば、甘苦しい気持ちを思い出すでしょう。そんな時には熱いお茶を淹れて、「これからもよろしくね」と言ってあげることです。
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【筆者comment】▼高樹のぶ子氏のこのessay・・共感が持てますね。「夫婦は他人」・・か・・、改めて「そうだなぁ」と思います。だからこそ、配偶者へは「 『思いやり』と『感謝』の気持ちが必要だけでなく、それらを伝える『言葉』が重要だ 」ということですね。それと、この歳になっても「お互い魅力ある『異性』であることを意識し、そうあるべく日々努めて行く姿勢と実行力」も忘れずに・・。と言うことは・・、自分もこれからでも遅くはない。もうちょっとオシャレでもしてみようかしらん?(笑)
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【後記】■今日の締め括りは詩を一篇ご紹介します。
小生最近、「映像で綴る日本の詩歌『中原中也』汚れつちまつた悲しみに」というDVDを購入して早速見てみた。岸田今日子と高橋昌也の朗読、ショパン・サティ・ドビュッシー・ラベルのピアノ独奏曲のBGM、気の利いた絵画(水野ぷりん・瀬川ひとみ・大浦こころ・見代ひろこ画)&写真映像で、「サーカス」「臨終」「汚れつちまつた悲しみに」「含羞(はじらひ)」「六月の雨」「冬の日の記憶」「骨」「北の海」「頑是ない歌」「除夜の鐘」「わが半生」「一つのメルヘン」「言葉なき歌」「また来ん春」「冬の長門峡」の全15作品が紹介されている。収録時間も15作品全部で25分。モーツァルトの交響曲1曲分と長さも丁度いい。
今日は、お別れに「頑是ない歌」をご紹介してお別れします。
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頑是ない歌
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思へば遠く来たもんだ
十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
汽笛の湯気は今いづこ
雲の間に月はゐて
それな汽笛を耳にすると
竦然(しょうぜん)として身をすくめ
月はその時空にゐた
それから何年経つたことか
汽笛の湯気を茫然と
眼で追ひかなしくなつてゐた
あの頃の俺はいまいづこ
今では女房子供持ち
思へば遠く来たもんだ
此の先まだまだ何時までか
生きてゆくのであらうけど
生きてゆくのであらうけど
遠く経て来た日や夜(よる)の
あんまりこんなにこひしゆては
なんだか自信が持てないよ
さりとて生きてゆく限り
結局我ン張る僕の性質(さが)
と思へばなんだか我ながら
いたはしいよなものですよ
考へてみればそれはまあ
結局我ン張るのだとして
昔恋しい時もあり そして
どうにかやってゆくのでせう
考へてみれば簡単だ
畢竟(ひっきょう)意志の問題だ
なんとかやるより仕方もない
やりさへすればよいのだと
思ふけれどもそれもそれ
十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
汽笛の湯気は今いづこ
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【解説】▼昭和11年『文藝汎論』に発表。「頑是ない」とは「まだ幼くて、聞きわけがない」という意味。人生の船出に心震わせていた幼い頃を回想し、「思えは遠くへ来たもんだ」と感慨に耽る。昔のことを恋しがり、思い出に浸る自分であるが、それでも生きてゆく限り結局頑張るのだな、結局人生は意志の問題なのだ、という人生への諦観を語る。その語り口は自嘲気味であるが、何処か余裕も感じられる。(以上、上述のDVD【解説】より)
【筆者comment】
▼何処かで聞いた様な名調子‥。武田鉄矢の海援隊が歌う「思えば遠くに来たものだ」という曲が、中也の「頑是ない歌」を基にしてると思えるほどよく似ている。それはともかく・・、「映像で綴る日本の詩歌『中原中也』・・。このDVDは、詩、挿し絵・映像、BGM、み~んないいですよ・・。
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では、また・・。
(了)
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