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2008年12月の4件の記事

2008年12月21日 (日)

【時習26回3-7の会 0218】~「今日12月21日:『冬至』」「師走の銀座&数寄屋橋の風景」「堀文子画文集『命といふもの』・・『散り行く』から」「高樹のぶ子『甘苦しく生きよう』から」「中原中也『頑是ない歌』」

■今泉悟です。 皆さん如何お過ごしですか。 さぁ、今日も【2637の会】会報【0218】号をお送りします。今日12月21日は『冬至』。明日から日が長くなっていく筈なのに、「年の暮」何処か物悲しく感傷的になる。

 黒き帆の まぢかに帰る 冬の暮  山口誓子

【意】寒さが身に沁みる冬の暮。夕暮れ時、夕日に黒く見える帆が印象的だ。

 年惜しむ 心うれひに 変りけり  高浜虚子

【意】人は年の暮になると一年を振り返る。その根源には「憂い」がある。人間には時の流れを止めることができない。

■まずは、1月3日の時習26回「新年会」の続報の件です。が、前回から全く進展がありません。皆さんのご都合もなかなかつかないのでしょうね。もうあと2~3人【2637の会】membersから参加頂けると嬉しいという処が本音ですが、小生にとって【2637の会】《クラス会》が最優先されますので、「新年会」の方も・・と無理強いは出来ません。ですから、もし、ご都合がつく方がいらっしゃればご協力頂ければ幸甚です。

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■さて今日の《会報》は、掲題・副題にあります様にまず「師走の銀座&数寄屋橋の風景」をお届けします。
 小生、12月19日(金)に、また仕事で上京しました。そして午後3時頃に仕事が片付いたので、銀座の画廊をちょっと覘いて見ようと思い、添付写真にありますように銀座五丁目にある「ナカジマアート」に行って来ました。ここには日本画家堀文子氏の作品が沢山展示されているところです。小生、以前から堀文子氏の作品が好きでしたので、本物を十数点ジックリと見る事が出来て良かったです。記念に堀文子氏の署名入りの画文集『命といふもの』とポストカードを何枚か買って来ましたので、これもご紹介致します。因みに19日は、年末ジャンボ宝くじの発売最終日。添付写真にある様に数寄屋橋の宝くじ売り場は宝くじを求める人達が長蛇の列をつくっていました。

■ここで、堀文子画文集『命といふもの』から『散り行く』(抜粋)をご紹介致します。堀文子氏の絵は、日本画を中心に、シュール系・メルヘン系・写実系と大変幅広く、見る者を魅了します。添付写真をご覧になって彼女の作品の魅力を感じ取って頂けましたでしょうか。それでは、随筆『散り行く』(抜粋)をご覧下さい。

〔楽しい仲間(1956年)〕
  〔地底の風景(1963年)〕
    〔流れ行く山の季節(1990年)〕

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〔堀文子〕
 〔画文集『命といふもの』〕
  〔散り行く(2004年)〕

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  散り行く  堀文子

 (前略)
 毎年木は寒さに具(そな)えて葉を落とし、今年の活動をやめて冬の眠りにつく。
 命をつなぐ為に無駄な努力をはぶく神の決断は完璧だ。そして死を命じられた葉が落ちる時の、あの絢爛たる潔さはどうだ。

〔金剛インコの庭(1996年)〕
  〔ユートピア(2001年)〕
    〔極微の宇宙に生きるものたち(2002年)〕
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062001
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 先を争って地に還って行く落葉の美しさはたとえようもない。傷一つない幸せだったもの。患ったもの。虫に食われ穴だらけのもの。神はどの葉にもへだてなく、その生きた姿を褒め称え美しい装いを与えて終焉を飾って下さるのだ。

〔鳥たちの歌(2002年)〕
  〔アフガンの王女(2003年)〕
    〔落ち葉Ⅰ(2004年)〕
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092003
102004
 自然は生きた日々の恨みつらみを消し、決して老残の醜さを見せない。死を迎える時の、あの紅葉の華やぎは命の輪廻を讃える神の仕業だと思う。

〔椿(2004年)〕
  〔桜桃とアスパラガス(2005年)〕
    〔天空に飛ぶ(2005年)〕
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132005
142005
 無心に生きるものには幸せも不幸もない。私もやっと、苦しみ傷ついたものの美しさに気付く時が来たようだ。
    (添付写真の絵〔堀文子『散り行く』〕ご参照)

〔雪嶺(2007年)〕
  〔光る海(2008年)〕
    〔燃える落日(2008年)〕
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202008



【筆者comment】
 堀文子氏は今年満90歳。添付写真の絵『光る海』は今年の作品。なかなかの傑作であると思います。随筆と同名の『散り行く』の絵は2004年86歳の時の作品。随筆の言葉も素晴らしい。「100歳迄現役」を標榜する小生、まさに堀文子さんの様に矍鑠と生きて行きたいものである。
〔無花果と赤飯(2005年)〕
  〔山茶花(2007年)〕
    〔あかくらげの家族(2008年)〕
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■続いては、PHP刊「ほんとうの時代」200年1月号の巻頭を飾る「高樹のぶ子『甘苦しく生きよう』から」です。高樹のぶ子氏は、毎朝、日本経済新聞に連載されている大変艶かしい作品『甘苦上海』の作者である。彼女の『甘苦しく生きよう』は、小生「全くその通りだ」と共感できましたので早速ご紹介させて頂きます。毎回申し上げていますが、この「ほんとうの時代」はなかなかいい雑誌です。気に入られましたら、ご購入のほどを・・。定価550円(税込)です。(笑)

【夫婦は離れた時間と他人の部分を大切に】
 恋とはいつも甘苦しいもの。そういうテーマで私は多くの小説を書いてきました。誰かを好きになるという甘い気持ち。でも、その思いが伝わらない苦しさ。その両面があるからこそ、恋は楽しいんです。
 もう六十歳を過ぎたんだから、恋なんて関係ないわ。そんな寂しいことを言わないで下さい。人を好きになる気持ちを無くしたら、それこそ老け込むばかり。(中略)隣に座っている夫や妻に気持ちを向けてみてはいかがですか。せっかく互いに惹かれあい、愛し合って結婚したんですから。(中略)(笑)
 恋愛感情を持つためには、互いに他人であるという意識がなくてはなりません。(中略)何も若い頃の様に燃える様な恋心はなくても、互いに異性であることを意識し合う。それが大切なことだとと思います。そこで重要なことは二人の距離です。(中略)離れて過ごす時間をつくることです。夫がサラリーマンのときには、(中略)十数時間、二人が会わない時間がある訳です。すると夜帰ってくる夫の姿を見て、「おっ、我が夫もなかなかいい男ではないか」と思う瞬間もある。夫にしても、「我が女房も、しみじみ見れば結構いい女じゃないか」と思うこともある。ところが夫が定年退職して、始終顔を突き合わせていたらどうでしょう。もうそれは恋心どころの騒ぎじゃない。互いに空気の様な存在になり、甘苦しさのかけらも無くなってしまいます。(中略)
 こうよう生活にならないために、妻は夫にはっきり言うことです。「私はこれまでと同じように、あなたのことを好きでいたい。二人で楽しい老後を暮らしたいと思っています。ついては、これこれこういうことを心掛けてください」と。「ついては」という言葉に続いて、具体的な要望を夫に伝えること。これは定年の日になっていきなり言うのは酷なので、少なくとも一年くらい前に宣言することです。「定年後に、こうなったらあなたのことが嫌いになりますよ」と。(中略)

【夫婦だから相手を理解できているという幻想】
 (中略)日本の男性はシャイだとよく言われます。恥ずかしがり屋だから言葉に出来ないと。とんでもない。それは単に傲慢なだけです。相手に気持ちを伝えるためには、絶対に言葉が必要です。思っているだけで気持ちが伝わるはずはありません。それは長年連れ添った夫婦でも同じこと。心の交流とは、言葉があればこそ生まれるのです。
 だいたい夫婦が分かり合えるとはどういうことでしょう。何十年も一緒にいるから、相手のことは理解している。そう思い込んでいる人もいるみたいですが、それは全くの誤解です。相手のことを分かっている。分かっているのは、実は相手の反応の仕方に過ぎません。こういう言い方をすれば、妻は怒るだろう。こうすれば夫は喜ぶだろう。そのような反応が予想できるに過ぎない。相手の反応が分かることと、相手のことを理解していることとは全く別です。
 もっと言うならば、夫婦だからといって互いのことが理解できているというのは幻想です。本当は互いが何を考えているのか。本心はどこにあるのか。そんなことが分かるはずはありません。それに互いの本心までも分かってしまったら、それもやりにくくて仕方がない。何を考えているかなんて知られたくないですよね。だからこそ言葉が大事なんです。
 互いに他人であるという原典に戻って、言葉で表現することです。妻が美容院から帰ってきたら「その髪型はよく似合っているよ」と言葉に出す。夫がいつも同じセーターばかり着ていたら「たまには違うセーターを着てみれば、この色も素敵に見えるわよ」と言う。そしてお互いに「ありがとう」という言葉を掛け合う。たったそれだけの小さな言葉が、二人の生活を楽しくしてくれる。はやくそのことに気づいてほしいものです。ただ黙って座っている夫。「ありがとう」の言葉を忘れた夫。そんな夫と一緒なんていたくもない。傲慢な人間なんて大嫌いですから。
 まあ私は女ですから、妻の立場で男性を攻めてしまいましたが、妻もまた優しい心をもってあげることでしょう。長年勤めた職場から去って、ションボリしている夫。家のソファにポツンと座っている夫。そんな夫の姿を見れば、甘苦しい気持ちを思い出すでしょう。そんな時には熱いお茶を淹れて、「これからもよろしくね」と言ってあげることです。

【筆者comment】▼高樹のぶ子氏のこのessay・・共感が持てますね。「夫婦は他人」・・か・・、改めて「そうだなぁ」と思います。だからこそ、配偶者へは「 『思いやり』と『感謝』の気持ちが必要だけでなく、それらを伝える『言葉』が重要だ 」ということですね。それと、この歳になっても「お互い魅力ある『異性』であることを意識し、そうあるべく日々努めて行く姿勢と実行力」も忘れずに・・。と言うことは・・、自分もこれからでも遅くはない。もうちょっとオシャレでもしてみようかしらん?(笑)

【後記】■今日の締め括りは詩を一篇ご紹介します。
Dvd
 小生最近、「映像で綴る日本の詩歌『中原中也』汚れつちまつた悲しみに」というDVDを購入して早速見てみた。岸田今日子と高橋昌也の朗読、ショパン・サティ・ドビュッシー・ラベルのピアノ独奏曲のBGM、気の利いた絵画(水野ぷりん・瀬川ひとみ・大浦こころ・見代ひろこ画)&写真映像で、「サーカス」「臨終」「汚れつちまつた悲しみに」「含羞(はじらひ)」「六月の雨」「冬の日の記憶」「骨」「北の海」「頑是ない歌」「除夜の鐘」「わが半生」「一つのメルヘン」「言葉なき歌」「また来ん春」「冬の長門峡」の全15作品が紹介されている。収録時間も15作品全部で25分。モーツァルトの交響曲1曲分と長さも丁度いい。
 今日は、お別れに「頑是ない歌」をご紹介してお別れします。

  頑是ない歌
* 
思へば遠く来たもんだ
十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
汽笛の湯気は今いづこ

雲の間に月はゐて
それな汽笛を耳にすると
竦然(しょうぜん)として身をすくめ
月はその時空にゐた

それから何年経つたことか
汽笛の湯気を茫然と
眼で追ひかなしくなつてゐた
あの頃の俺はいまいづこ

今では女房子供持ち
思へば遠く来たもんだ
此の先まだまだ何時までか
生きてゆくのであらうけど

生きてゆくのであらうけど
遠く経て来た日や夜(よる)の
あんまりこんなにこひしゆては
なんだか自信が持てないよ

さりとて生きてゆく限り
結局我ン張る僕の性質(さが)
と思へばなんだか我ながら
いたはしいよなものですよ

考へてみればそれはまあ
結局我ン張るのだとして
昔恋しい時もあり そして
どうにかやってゆくのでせう

考へてみれば簡単だ
畢竟(ひっきょう)意志の問題だ
なんとかやるより仕方もない
やりさへすればよいのだと

思ふけれどもそれもそれ
十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
汽笛の湯気は今いづこ

【解説】▼昭和11年『文藝汎論』に発表。「頑是ない」とは「まだ幼くて、聞きわけがない」という意味。人生の船出に心震わせていた幼い頃を回想し、「思えは遠くへ来たもんだ」と感慨に耽る。昔のことを恋しがり、思い出に浸る自分であるが、それでも生きてゆく限り結局頑張るのだな、結局人生は意志の問題なのだ、という人生への諦観を語る。その語り口は自嘲気味であるが、何処か余裕も感じられる。(以上、上述のDVD【解説】より)
【筆者comment】
▼何処かで聞いた様な名調子‥。武田鉄矢の海援隊が歌う「思えば遠くに来たものだ」という曲が、中也の「頑是ない歌」を基にしてると思えるほどよく似ている。それはともかく・・、「映像で綴る日本の詩歌『中原中也』・・。このDVDは、詩、挿し絵・映像、BGM、み~んないいですよ・・。

では、また・・。
(了)

2008年12月15日 (月)

【時習26回3-7の会 0217】~「1月3日『新年会』出席状況(続報)」「12月10日:五十嵐敬喜『新年の内外経済を展望する』を聴いて」「五木寛之『人間の覚悟』を読んで」「【2637の会】membersの皆さんへ年賀状を出状しました」

■今泉悟です。 皆さん如何お過ごしですか。 さぁ、今日も【2637の会】会報【0217】号をお送りします。

■さて、まずは1月3日【時習26回】「新年会」の出席状況(続報)は特に進展はありません。

 〔五十嵐敬喜〕『新年の内外経済を展望する』の講演内容の詳細
    ▼▼▼ココをclick願います。▼▼▼
「081210a.doc」をダウンロード
 〔【五十嵐レポート】原本〕
    ▼▼▼ココをclick願います。▼▼▼
「ti0802251.pdf」をダウンロード

■続いては、掲題・副題にある様に、12月10日に商工会議所内で、三菱UFJリサーチ&コンサルタンツ調査部長の五十嵐敬喜氏による『新年の内外経済を展望する』を聴いて参りましたので、その内容についてご報告致します。
 米国のサブプライム問題に端を発した未曾有の経済不況・・。小生の勤める会社が持つ三河港・明海埠頭の対岸にあるトヨタ自動車田原工場では、この7月まで3直体制で絶好調であったものが、今では1直。このため朝夕の幹線道路の混雑が酷くなるという予想外の現象が発生しています。
 このトヨタ自動車田原工場は、皆さんご存知の様に、『レクサス工場』と言われ、この工場だけで、年間2兆3千億円のGDPを稼ぎ出していたトヨタ自動のドル箱工場だったのですが・・。そしてここで生産される「レクサス」の大半が北米に輸出されていたのです。
 また11日のニュースでは、ソニーが世界中で16千人の人員整理を行なうという。こういう異常事態はどうして起こってしまったのか・・。サブプライム問題が世界経済に及ぼした核心は何だったんだろうか。そこら辺りの事情を五十嵐氏は大変解り易く説明してくれています。その要点を以下に述べます。因みに、もう少し詳しい講演の内容は別添資料として添付しました。小生の筆記録からの転記なので、細かい点で齟齬があるかもしれません。その点は悪しからずご了承下さい。
 尚、『五十嵐レポート』につきましては、添付資料にある様に「五十嵐レポート」のオリジナルがありますので参考にして下さい。

【大手企業の一斉見直しで景気落ち込みが甚大に】▼輸出依存型企業上位50社が裾野企業に及ぼす影響は極めて大きい。
【サブプライム・ローン】&【世界のGDP60兆ドルを超えたCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)市場】▼サブプライム・ローンに端を発した一連の動きは、投資銀行やCDSを数多く抱えた保険会社の事実上の破綻が世界不況の元凶。
【消費者ローンの低迷】&【米国の自動車販売動向】&【個人消費の動向】▼これらの低迷の度合いは深刻。
【世界の景気動向】&【日本の景気の先行き】▼輸出依存型の日本経済は、実質的な円安のお蔭で日本は近時成長して来たが、今後も当面、日本は輸出依存型で成長して行くしかあるまい。
【為替相場の動向】▼円は今、一番強い時である。だが、日本はバブル崩壊からこれまで事実上の円安にて推移して来た。これは、日本と欧米の物価拡大の差である。即ち、日本はデフレ、欧米はインフレ。これにより日本の実質的円安は一層進んだ。したがって、今後90円を切る円高の展開は充分予想されるところであろう。
【中国の今後の見通し】▼世界経済の今後を見通すについて、中国の今後は唯一明るい材料である。今後は世界経済を中国一国が牽引して行くことものと期待出来る。
【日本の経済回復の時期】・・は、再来年と言うところか・・。
〔 詳細は、添付資料『新年の内外経済見通しを展望する(五十嵐敬喜)』をご高覧下さい。 〕

【後記】(1)▼さて続いては、最近小生、五木寛之著『人間の覚悟』(新潮新書)を読んだ。五木寛之氏の作品は、同時並行して玄侑宗久氏との対話集「息の発見」を読んでいるが、30年程前の作品「青春の門」の時代のイメージとはかけ離れ、最近の彼の言動は何処か哲学者の様である。この『人間の覚悟』という作品も解り易く且つ含蓄があり、説得力ある言葉が続く。暫く座右に置きたい名著である、と思う。この本の「内容紹介(裏表紙より)」には次の様に書いてある。
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 そろそろ覚悟をきめなければならない。「覚悟」とはあきらめることであり、「明らかに究める」こと。希望でも、絶望でもなく、事実を真正面から受け止めることである。これから数十年は続くであろう下山の時代のなかで、国家にも、人の絆にも頼ることなく、人はどのように自分の人生と向き合えばいいのか。たとえこの先が地獄であっても、だれもが生き生きとした人生を歩めるように、人間存在の根底から語られる全七章。

 それでは、「最終章 人間の覚悟」から一つご紹介します。

【何でもいいから世のため人のため】
 秋葉原で事件を起こした青年は、携帯電話で、彼女がいないということを延々と書き連ねていましたが、彼は、相手から何かをしてもらうことばかり期待しているから、ああなったのではないでしょうか。
 人間関係というのは、相手につくすことしか考えてはいけないと思うことがあります。
 女の子と恋愛すれば、男はひたすらつくす。しかしそれで相手から何か得られるとは最初から期待しないことです。それぐらいは常識として覚悟し、もし相手から少しでも「ありがとう」という言葉が返ってきたりしたら喜べばいいし、もし恋人としてつき合えるなんてことになったら欣喜雀躍(きんきじゃくやく)すればいいのです。
 男性の仕事は女性に対しての奉仕に尽きる、と私は思っています。(中略)
 仏教には「無財の七施」というものがあります。「和顔施(わげんせ)」は笑顔でにっこりと笑うこと。「眼施(がんせ)」というのはじっと相手を見つめ、言葉にならない声を受け止めようとすること。それから「言施(ごんせ)」は、言葉を尽くして相手を慰め、「大丈夫だよ」といって安心させること。
 日常的なことでも、老人に席を譲る「牀座施(しょうざせ)」や、自分の体を使って人に奉仕する「身施(しんせ)」、他人を思いやる「心施(しんせ)」、寝場所を与える「房舎施(ぼうしゃせ)」と、お金のない人でも、誰かのためにできることは沢山ある。
 自分の存在自体に、何か世のため人のためになることがあるのを、忘れてはいけません。私自身、美しい人を見ると何となく心が和むし、すごいミニスカートを見たら、あれもお布施だな、世間に対する施しの一つだとありがたく思うようになりました。(中略)
 お世辞というのも否定的に捉えがちですが、「世辞」は、よいことを言って人を元気付けることです。人の欠点ではなくいいところを見つける、世の中の肯定的なものを探し出して、相手を勇気付け、ほめることはご利益がある大変いいことなのです。
 大いに法螺を吹き、すすんで世辞を言うことに努めねばなりません。
【筆者注】「雑宝蔵経」では、①眼施(げんせ)、②和顔悦色施(わがんえつじきせ)、③言辞施(ごんじせ)、④床座施(しょうざせ)、とも書き、読む。尚、⑤身施、⑥心施、⑦房舎施、については字も読み方も「五木寛之著『人間の覚悟』」に同じ。

(2)今日最後は、〔 【2637の会】membersの皆さんへ 〕のお願いです。
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▼小生、皆さんへ年賀状を出状させて頂きました。添付写真をご覧下さい。皆さんの、1月3日の『新年会』及び、来年夏8月の【2637の会】《クラス会》へのお願いです。皆さん、万障お繰り合わせの上ご参加頂ければ幸甚です。皆さんからの朗報をお待ち申し上げています。m(_ _)m

 では、また・・。(了)

2008年12月 9日 (火)

時習26回3-7の会 0216】~「1月3日『新年会』参加状況報告《続報》」「11月29~30日:「『和歌山紀行〔 道成寺・紀三井寺・和歌山城址・和歌山県立美術館・根来寺・高取城址を巡る 〕』後編」「奥三河『花祭り』」「12月08日『山本コータロー』トーク&コンサートを聴いて」

【■今泉悟です。 皆さん如何お過ごしですか。 さぁ、今日も【2637の会】会報【0216】号をお送りします。

■まずは、掲題・副題にある様に来る「1月3日『新年会』」参加予定状況の《続報》です。12月7日現在、我等が【2637の会】の出欠状況は、回答者6名。出席表明者は男性2名・女性2名の計4名。欠席回答者は男性1名・女性1名の計2名です。
 7日夜、35周年卒業記念旅行・幹事の黒柳君から連絡がありました。その後、矢野君からの2名の参加表明あった旨の連絡分を加え、時習26回生全体では計32名(うち男性22名、女性10名)の出席状況です。
 彼から、目標の50名まで参加者募集を頼まれましたので、改めまして、【2637の会】membersの皆さんに参加をお願い致します。小生宛にお返事のmailを頂戴出来れば幸甚です。皆さんからの朗報をお待ち申し上げています。m(_ _)m

■さて続いて、掲題・副題にある様に、前号でお伝えした和歌山紀行〔 道成寺・紀三井寺・和歌山城址・和歌山県立美術館・根来寺・高取城址を巡る 〕』後編」についてです。まずは、旅行の二日目、最初の訪問先は、和歌山城です。
【和歌山城】
▼和歌山城については、紀伊徳川55万石の大藩。親藩。八代将軍吉宗、十四代将軍家茂と、二度に亘り将軍を輩出した雄藩で、説明し出したら直ぐには終りそうもないので細部は全て割愛し、添付写真のところに焦点を絞り簡潔にご紹介したい。
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〔01高石垣〕▼これは、不明門跡入口の高櫓台高石垣。高さ十三間(23.4m)。城中石垣で最高。寛永2(1625)年築造。



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〔02.04.05西の丸庭園〕▼この庭園は、紀州徳川藩祖頼宣が西の丸御殿に築造。紅葉渓とも呼ばれる。

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〔03追廻門の前にて〕▼城中唯一の赤門「追廻門」の前に立つ「和歌山城」の石碑の前にて撮影。

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〔06本丸御殿跡から天守閣を望む〕▼和歌山上天守閣は、虎が伏した恰好に似ているということで「伏虎城」とも呼ばれる。

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〔07天守閣にて〕▼天守閣から和歌山城下町を望む。
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〔08一の橋の樟樹〕▼樹齢約450年の樟の大樹の前にて記念撮影。



【和歌山県立近代美術館】
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〔09〕▼この美術館は、黒川紀章の設計による。建築費134億円。隣接の博物館と併せると192億の総工費をかけて建築された。1994年竣工。
〔10佐伯祐三(1898-1928)『下落合風景(1926年頃)』〕
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〔11佐伯祐三『モラン風景』(1928年)〕▼祐三、死の年の作品。死を予感させる陰鬱さがある様に見える。享年満30歳。若すぎる死である。それにしても彼の作品と先日ご紹介した荻須高徳の1930年前後の作品は、題材・作風が酷似しているのが興味深い。
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【根来寺】
〔12.13.14根来寺掲題入口の紅葉と石碑〕▼この寺は大治5(1130)年創建。開祖は興教大師覚鑁(かくばん)。正式名:一乗山 大伝法院 根来寺。新義真言宗。開祖覚鑁は高野山の僧で、空海以来の学僧と言われた。鳥羽上皇は覚鑁に帰依し、手厚く保護。覚鑁は当時堕落していた高野山振興の建て直しを図ったが、これに反対する高野山衆徒と対立。保延6(1140)年、覚鑁一門の寺院が焼き討ちされる事件が発生後、覚鑁一門は高野山を下り、豊福寺、そして根来寺へと移り、現在に至る。
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〔15国宝『大塔(多宝塔)』〕▼高さ40m、幅15m。国内最大の多宝塔。天文16(1547年)年竣工と言われる。
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〔16重文『大師堂』〕▼大塔とともに秀吉の焼き討ちを免れた。明徳2(1391)年の建立と推定。
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【高取城址】
〔17坪阪寺〕▼高取城址に行く途中にある。西国三十三所観音霊場第六番札所。三重塔とその傍らにある礼堂が国の重文。写真は紅葉に彩られる三重塔・礼堂を初めとする伽藍。
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〔18高取城址の石碑〕

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〔19~26高取城址の紅葉した風景〕▼高取城址の紅葉はいつ見ても絶景である。我々は高取城址訪問は3回目。紅葉の季節では2回目。青木さんは今回初めてここを訪れ感動された由。3回目の我々でも感動するのだから、きっとそうだと思います。

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■さて続いての話題は、一昨昨日・一昨日の12月06~07日、勤務先の役員との懇親会として一泊二日の日程で奥三河の豊根村・東栄町・新城市の名所・旧跡巡りと郷土芸能見学をして来ましたので、これ等についても簡単にご報告致します。
【豊根村・御宿『清水屋』】
〔27御宿清水屋の夕食の膳〕▼お肉は馬刺しとすき焼き用馬肉。山の幸が豊富でヘルシー。そして美味であった。
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〔28御宿清水屋に降った初雪〕▼朝起きたらうっすらと中庭に雪が積もっていた。小生にとっては初雪である。ここで virtuarl な世界で恋歌を一首・・
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 水仙に 君の面影 重なりぬ
     豊根の里に 初雪を見て  悟空

〔29御宿清水屋の朝食の膳〕▼朝食としては大変贅沢でボリュームもあった。これで一人一泊二食付 8,500円はお値打ち!

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【東栄町・蔦の渕】
〔30東栄町・蔦の渕〕▼なかなか立派な滝。
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【東栄町・祭り会館】(伊藤館長(元学校長)から解説を受ける)
〔31東栄町・花祭り会館内の釈超空の歌碑〕▼石碑には次の様に刻まれていた。
「折口信夫(しのぶ)(釈超空)(1887-1953) = 歌人・民俗学を導入し、新国文学を創始した国文学者(慶大教授)
 この歌は当地の花祭り等研究に訪れた昭和15年に作られたもの

 まつり日は おとゆたけしや 川の上に
   したら本江(ごう) はれわた流(る)なり  超空
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* 
〔32東栄町・花祭り会館の「榊鬼(さかきおに)」〕▼このお面の重さは5kg。大変な重さである。「《榊鬼》の庭入り」が始まるのが深夜の二時過ぎという。この重い面をかぶり1時間半踊り続ける。重労働である。
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【東栄町・中設楽地区『花祭り』実演を見学】(竹内学校長から解説を受ける)
〔33東栄町・中設楽花祭り=大蛇退治〕▼「花祭り」は設楽町・陶栄町・豊根村、及び南信州に伝わる郷土祭り。(【筆者注】豊橋で言えば「鬼祭り」のようなもの。) 小生、実演は生まれて初めて見た。添付写真は「東栄町・中設楽の『花祭り』」の模様。ここ「中設楽の『花祭り』」は『神道花』と言われ、明治維新の廃仏毀釈により、仏教が排斥される中にあって、祭りの内容は残して、形態的な変化が行われた。即ち、旧来の『花祭り』の役柄が神道の神々に置き換えられて今に伝わる。奥三河各地に伝わる『花祭り』の中にあって東栄町・中設楽地区の『花祭り』は大変ユニークな存在である。因みに、『榊鬼』=『猿田彦命』、『山見鬼』=『須佐之男命』等々。
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【新城設楽原歴史資料館】(小林館長〔元新城市教育長〕から解説を受ける)
▼小林館長による丁寧な解説20分、同館長による館内案内20分。武田勝頼が「風林火山」の使用を信玄から遺言で禁止されていたとは知らなかった。この日は丁度、ボランティアの人達による火縄銃の手入れの模様を見学出来、貴重な経験をした。

【後記】
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▼昨日8日夜6時30分からライフポートとよはしにて「山本コータローのトーク&ライブ」があり、整理券があったので聞きに行った。壇上はギターを手にした山本コータローがただ一人。観客は1000人収容できる所に300人程の入場者。
 山本氏はこう言ってライブは始まった・・。「ヒット曲は、『走れコータロー』と『岬めぐり』の二曲だけで38年やって来た。(笑)」・・そして・・、南こうせつ等と広島で被爆者に寄付したりしたのは、自分の父親の戦争体験や自分が学生運動でベトナム反戦を唱えたりしたことが原点・・。実は自分は昭和23年9月7日生まれなので今年還暦になった。この世代は戦後の民主主義の影響を強く受けて育った。」
【筆者注】そして、8曲(①ポール・アンカ『ダイアナ』、②ボブ・ディラン『風に吹かれて』、③寺山修司作詞・加藤ヒロシ作曲『・・(曲名は小生にはわからなかった)・・』、④山本コータロー『走れコータロー』、⑤はしだのりひことクライマックス『花嫁』、⑥ジローズ『戦争を知らない子供たち』、⑦かぐや姫『神田川』、⑧山本コータロー&ウィークエンド『岬めぐり』)を歌い8時丁度に終了した。山本コータローのフォークの実演を体験出来、ほんのひとときであったが青春時代に戻った気分になり良かった。彼の歌は想像していた通りの彼の歌でそれなりに良かったが、ギター演奏はとても上手だと関心させられた。

では、また・・。(了)

2008年12月 5日 (金)

【時習26回3-7の会 0215】~「1月3日『新年会』参加状況報告」「11月29~30日:「『和歌山紀行〔 道成寺・紀三井寺・和歌山城址・和歌山県立美術館・根来寺・高取城址を巡る 〕』前編」「『高島ちさ子&ベルリンフィル・ヴァイオリン・アンサンブル』の夕べ」

■今泉悟です。 皆さん如何お過ごしですか。 さぁ、今日も【2637の会】会報【0215】号をお送りします。

■まずは、掲題・副題にある様に来る「1月3日『新年会』」の参加予定状況です。まだ正式ではありませんが、小生が把握している我等が【2637の会】からの出欠状況は、昨日12月04日現在、回答者5名。出席表明者は男1名・女性2名の計3名。欠席回答者は男性1名・女性1名の計2名です。
 ちょっと寂しいですねぇ・・。35周年卒業記念旅行・幹事の黒柳M利君に確認したところ、今回の『新年会』の案内は基本的に「e-mail」で連絡できる皆さんが対象で、会場のcapacityの関係から参加予定者数は50~60名を予定しているそうです。従って、我等26回生は10クラスあるので、各クラス数名出席して頂ければ恰好がつくようです。・・とすると、我が【2637の会】3名はちょっと少ないですね・・。皆さん、一応の申込期日は過ぎてしまいましたが、「オレ(orわたし)出てもいいよ」と仰って頂ける方がいらっしゃると有り難いのですが・・。小生宛にお返事のmailを頂戴出来れば幸甚です。m(_ _)m

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■さて、月は変わり時は『師走』。二十四節気でいう『大雪(たいせつ)』は、今年は明後日の12月07日。これから本格的な降雪の時節となる。明日から寒波がやって来るそうです。そこで今日は、今の時節に相応しい俳句のご紹介から始めましょう。まずは芭蕉の俳句二句をご覧下さい。

 水仙や 白き障子の とも移り  芭蕉
            『笈(おい)日記』(元禄4(1691)年)

【解説】▼名古屋熱田梅人亭での吟。通された部屋に「水仙」が生けてある。白い清楚な花。その白さが障子の白と映え合って、冬ながら明るい印象を与える。「とも映り」とは同じ色が相映じあうこと。

 芭蕉は、季語「水仙」を使い、こんな歌も詠んでいる。

 初雪や 水仙のはの たわむまで  芭蕉
            〔あつめ句〕(貞享3(1886)年)

【解説】初雪が降った。「初」を言わんとして水仙の葉が僅かに撓(たわ)む情景を風情として見出している。水仙の清楚さが「初雪」の「初」とよく似合う。添付写真は「日本水仙」です。清楚な感じが美しくいいですね。 

■さて続いて、今日【2637の会】membersの皆さんにお届けするメインの話題は、掲題・副題にある通り、和歌山方面の城廻りのお話です。
 我々、城廻りのmembersは【賢人会】と命名して(←カミサン等は専ら我々のことを『変人会』と宣ふている・・(笑))、時習26回の旧【3-3】谷山君、旧【3-2】中嶋君、そして、二人と同じ城跡巡りの会のmemberで、小生の勤務先のビルに入居している某センターに勤められ、小生も親しくさせて頂いている青木さんの4人。我々は掲題・副題にある通り、一泊二日の小旅行をして来ました。今回も収穫の大きな旅行になり、参加者全員、大変満足の旅行でした。ご紹介する内容が多くなりますので、二回に分けご紹介することとし、今日はその『和歌山紀行』《前編》ということで、初日に訪れた「道成寺」と「紀三井寺」についてご紹介します。

 29(土)朝06時00分、マイカーで自宅を出発した中嶋君は、06時30分小生宅、06時40分青木宅、07時00分谷山宅で三人をpick-upし、東名音羽蒲郡ICから一路、伊勢湾岸自動車道、東名阪・西名阪自動車道、阪和道、湯浅御坊道路を通り、和歌山県日高郡日高町鐘巻にある道成寺へ。
 距離にして330km余り、一度30分弱の休憩を入れただけで正午前には目的地に到着した。東名音羽蒲郡ICに乗ってから、休憩を含め約4時間半、休憩を除いた自動車の平均速度82km/h と結構跳ばした。(笑)

【道成寺】
 道成寺は、大きく言って二つの古事が伝承されている。それは〔(1)宮子姫髪長譚〕と〔(2)安珍清姫の悲恋物語〕である。
 前者は、梅原猛著「海女と天皇」に詳しいので、もし興味あるかたは一読されたい。小生、7年程前に読んだことがある。新潮文庫の上・下2冊。天武朝の誕生から滅亡(天智朝の復活)迄を、歴史事実と梅原氏独自の推論を合わせて論じている。今回ご紹介する藤原宮子の話のほか、元明、元正、孝謙(称徳)天皇等の女帝誕生という史実が梅原氏により考証され、なかなか面白い本であった。(添付写真ご参照)


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(1)宮子姫髪長譚
▼聖武天皇(幼名「首皇子(おびとのみこ)」)の生母は藤原不比等の養女の「宮子姫」。あらすじはこうである。
 その昔、紀伊国に住むある海女夫婦に頭の毛のない女児がいた。ある日、母親の海女が海の底から金色に光る仏像を発見。その仏像を拝み続けていると、夢の中で観音様のお告げがあり、娘の頭の髪が生える様祈願精進。すると摩訶不思議、女児の頭に綺麗な髪が生えた。その女児は、見目麗しい七尺余りもある長い黒髪を持つ美人に成長。
 とある日、一羽の雀がこの長髪を銜(くわ)え、何処かへ飛び去った。この長髪は、宮廷の軒端の雀の巣から発見され、これを見た藤原不比等がこの美しい長い黒髪の持ち主はさぞ綺麗であろうと、持統天皇に奏上し、この黒髪の持ち主を探し出すことに。そして、発見され朝廷に召し出され、時の権力者藤原不比等の養女、藤原宮子となり、持統天皇の孫に当たる文武天皇の后として入内。その後、首皇子(のちの聖武天皇)を生む。
 宮子姫は、入内後、雨が降る度に故郷のことを思い出し涙する。それを哀れんだ文武天皇は、大宝元(701)年、現在ある地に道成寺の大伽藍を建立した。
 因みに、道成寺建立の経緯を、梅原氏の著書「海女と天皇」の「第九章 藤原宮子=「海女の娘」の伝承」から引用すると・・、

 (前略)道成寺では昔から宮子は海女の子であるとう口伝があり、それを書いた『道成寺宮子姫傳記』上・下とうい絵巻がるとのことであった。この絵巻物は紀州徳川家から道成寺に下されたもので、それは文政四(1821)年制作とされる。(中略)宮子は雲の上の人になったが、故郷のことが忘れられない。特に庵に残してきた観音のことが気になり、そのことを不比等に話すと、不比等は(文武)帝にその由を申し上げたので、帝は紀道成(きのみちなり)を召し出して一宇(【筆者注】「宇」は家の意。一棟の家)を建立することを命じられた。(中略)「道成寺」とうい名も紀道成の名から取ったものであると、『道成寺宮子姫傳記』は断定しているのである。

【筆者comment】▼梅原氏は、さらに「第十二章 藤原宮子=史実と伝承」の「「妃(ひ)」を「嬪(ひん)」に貶(おと)す」のところで、次の様にいう。

 『続日本紀』によれば、文武元(697)年八月二十日の記事に次のようにある。
 癸(みずのと)未(ひつじ)。藤原朝臣宮子娘(みやこのいらつめ)を以て夫人(ぶにん)となす。紀朝臣竈門娘(きのかまどのいらつめ)・石川朝臣刀子娘(いしかわのとねのいらつめ)を妃となす。(中略)
 我々は『続日本紀』の文武元年八月二十日の記事をそのままに読むべきではないか。つまり紀竈門娘、石川刀子娘は「妃」であり、藤原宮子は「夫人」であった、ということになる。この場合、「妃」と「夫人」はどちらが上であったかが問題である。後の律令の規定を考えるれば、やはり「妃」は「夫人」より幾分、身分は高かったと考えねばならぬであろう。
 こう考えると、(中略)不比等の娘である宮子がなぜ、(【筆者注】紀竈門娘・石川刀子娘の二人の「妃」より)一段低い「夫人」の地位にとどめられたかである。(中略)
 ここに来て私の眼前に、再びあの『道成寺宮子姫傳記』がチラつくのである。もしも道成寺一帯に伝わる「宮子伝承」が語るように、宮子は不比等の実子ではなく、養女であり、彼の地の海女の娘であるとしたら、このような差別もまた当然であろう。
私は『続日本紀』の文武元年八月二十日の記事をそのまま読んで、「妃」と「夫人」の差を認めるなら「宮子姫伝承」を認めねばならないと思う。なぜなら権力者不比等の実の娘が、紀氏や石川氏の娘より身分的に下に置かれることは考えにくいからである。宮子はその出自によって、紀竈門娘や石川刀子娘より一段下の「夫人」という位置にとどめおかれたと考えねばならぬであろう。(以下略)
【参考年表】
679年 宮子誕生、
697年 宮子→夫人
701年 首皇子(おびとのみこ=(聖武天皇))生まれる/大宝律令
713年 石川・紀の二嬪の号を貶す
714年 首皇子立太子
724年 宮子大夫人→皇太夫人
754年 宮子崩御

【筆者comment】▼梅原氏の推論は実証的で説得力がある。聖武天皇は、海女の娘の宮子の子・・。この「宮子姫伝承」についてどの様に思われますか? 小生は、『道成寺宮子姫傳記』でいう宮子姫の出自については本当の話である可能性が高いと思います。

(2)安珍清姫の悲恋物語
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▼時代は下り、平安中期の話である。あらすじは凡そ次の通りである。

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 時は醍醐天皇の御代、延長6年(928年)夏の頃である。奥州白河より熊野に参詣に来た僧がいた。この僧(安珍)は大変な美形。紀伊国牟婁郡真砂の庄司清次の娘(清姫)は宿を借りた安珍を見て一目惚れ。女は夜這いをかけ安珍に迫る。安珍は参拝途中の身。清姫には「帰りに立ち寄る」偽って参拝後は立ち寄らず逃げてしまう。
 騙されたことを知った清姫は怒り、十六里(60km余り)の道のりを安珍を追い求め、道成寺への道中(上野の里)で追い付く。安珍は別人だと清姫に嘘をつき、熊の権現の助けを借り、清姫を金縛りにした隙に逃げ出す始末。これにより清姫の怒りは頂点に達し、蛇身に化け安珍を追跡。
 日高川を渡り道成寺に逃げ込んだ安珍を追う、火を吹きつつ川を自力で渡る大蛇になった清姫。安珍は仕方なく、釣鐘を下ろして貰いその中に逃げ込む。しかし清姫はこれを許さず鐘に巻き付き、鐘の中の安珍を焼き殺す。安珍を滅ぼした後、清姫は蛇の姿のまま入水自殺する。

【筆者comment】▼「安珍・清姫」物語は、昔は「今昔物語」から「能」「歌舞伎」「浄瑠璃」と時代の変遷とともに語り継がれ、様々な芸術作品に姿を変え伝えられて来た。女の男への一途の思いの凄さ、哀切さを感じるのは小生だけではあるまい。
▼道成寺では、解説のお坊さんが面白い川柳を一句詠んで、我々を笑わせてくれた。

 喧嘩する 種も尽き果て 寺巡り

【筆者comment】▼・・しかし小生、夫婦で寺巡りしようと、細君を誘って返って来る言葉は・・

 誘っても 「行ってらっしゃい お一人で」  悟空

 となるので、既婚者の皆さんも、奥様( 女性の場合は配偶者 )とは、今からでも遅くはないから、共通の趣味を持たないと・・ネッ(笑)(汗)

▼添付写真として、国宝「千手観音立像」と「道成寺再興の鐘」を添付しましたのでご覧下さい。「千手観音」は当寺の秘仏で33年に一度公開される。直近は三年前。次は30年後。我々が83歳になる年である。それまで健康で過ごし、是非実物を見てみたいものである。流石、国宝だけあり、気品に満ちたいい顔立ちの観音様である。

【紀三井寺】
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 まず、写真にある「楼門(国の重文)」をくぐると、真っ直ぐに登る石段がある。231段あるがちょっときつい。この坂は「厄除け坂」と呼ばれる。女厄除け33段、男厄除け42段、還暦厄除け60段と、踊り場で区切られている、と案内書に書いてあったが読んだのは旅が終わってからであったので、恥ずかし乍ら、小生は気がつかなかった。(笑)
 また、芭蕉が次の様に俳句に詠んでいる。芭蕉は、元禄元(1688)年4月、「笈の小文」の旅で、高野山から下山し、紀三井寺のさくらを楽しもうとして訪れた。しかし、早咲きの紀三井寺のさくらはすでに散ってしまっていた。そこで詠んだ句が・・

 見上ぐれば さくら しもうて 紀三井寺  芭蕉 『菊苗集』

 紙面の都合で、以下の『和歌山紀行』の話は、次号に譲ることとする・・。
【後記】
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▼今日のお別れは、昨日12月4日の夜、名古屋の愛知芸術劇場で開催された「『高嶋ちさ子とベルリン・フィル、バイオリン・アンサンブル』の夕べ」を聴いて来ましたので、そのことについて簡単にご報告致します。ベルリンフィル・のバイオリニスト10名とピアニスト1名、それと高嶋ちさ子のアンサンブル。
 曲目はパッフェルベルのカノンから始まり、ヴィヴァルディ、J.S.バッハ、マスネー、サラサーテ、チャイコフスキー、アンコールはモンティのチャルダーシュ。全てポピュラーな名曲ばかり、世界最高水準の透き通る様な美しい音色に酔いしれた二時間であった。名曲って、本当に素晴らしい。α波が充満した昨日の夜でした・・。(笑)

(了)

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