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2009年2月の4件の記事

2009年2月22日 (日)

【時習26回3-7の会 0226】~「茨木のり子『自分の感受性くらい』」「週刊ダイヤモンド『検証!トヨタ最強伝説』」「2月25日:『飯田龍太』命日」

■今泉悟です。 皆さん如何お過ごしですか。 さぁ、今日も【2637の会】会報【0226】号をお送りします。

■さて、今日も【2637の会】関係のニュースがありませんので、前【0225】号でお約束した茨木のり子の著名な詩『自分の感受性くらい』をご紹介します。 茨木のり子の詩と言えば、前回の「わたしが一番きれいだったとき」が有名ですが、茨木氏の作品を良く知っている人によると、この「『自分の感受性くらい』のほうが好きだ」と言う声を耳にする。 そこで今日は、この作品を大岡信氏の【解説】(「現代詩の鑑賞101」より)と共にご紹介します。 では、どうぞ・・

  自分の感受性くらい  茨木のり子

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

【解説】▼「自分の感受性くらい」は、同題の詩集(1977年)所収。 この詩も「……のせいにはするな」のフレーズが繰り返し現れ、「うた」の要素を強めている。
 ここにはまことに小気味よく同時代の若者に向けて発せられたメッセージがある。 いやこれを聞いて身に覚えのある人は若者に限られまい。 本当にそうだ、私も思う。 私も、「初心消えかかるのを/時代のせいに」したくなりがちな者である。 茨木のり子に喝を入れられて、しかし不快に思う人はまずないだろう。 今日喝を入れて叱ってくれる人は滅多にいない。 「ばかものよ」。 ありがたくこの親愛感あふれる言葉を受けようではないか。
 これは茨木の「対話」志向が直接的に現れている作品で、今日このような詩の書き手は少数派に属する。(中略)とくに若い人のあいだには少ない。 傷つくことを恐れ、他者に差し出す手、近づく一歩に戸惑うからである。 その人の生きる姿勢と詩は本来密接に結びついているものである。 詩は志でもある。(中略)
 こういう姿勢は次に引くエッセイの断片からも読み取ることができるだろう。 どんなことでも、自分たちに関したことは、自分たちにも責任があるとする考え方である。 ここでは男性に対する女性の考え方を述べているのだが。
「何かにつけ男性対女性という敵対関係では捉えられず、女の問題は男の問題であり、男の問題は女の問題であるという、いわば表裏関係が私の中には形づくられているようなのだ。/たとえば戦争責任は女には一切関係ないとは到底思えず、日本が今尚ダメ国ならばその半分の責任は女にあるというふうに」(「はたちが敗戦」) 


■ところで、ここで全く話題を変えます。 少し、「経済」の話を・・
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 最近の景気の大幅な悪化は、我々の日常生活にも暗い影を落としている。
 去る2月16日、内閣府の発表によりますと、2008年10月~12月期の国内総生産(GDP(季節調整済)の速報値)が、実質で前期比3.3%減(年率換算12.7%減)と、大幅なマイナス成長となったという。 これは、第1次石油危機の影響を受けた1974年01~03月期(年率換算13.1%減)以来、実に約35年ぶりの低水準で戦後worst2位の記録となった。 同日付のYOMIURI ONLINEでは次の様に論評している。

◆外需に頼る日本経済の弱点直撃◆
 つるべ落としのような景気の悪化が止まらない。10~12月期のGDPは実質、名目とも大幅なマイナス成長に陥った。これは日本のこれまでの景気回復が輸出に依存し続けてきた結果、世界経済が急減速するとその影響を大きく受けてしまうという「急所」をもろに突かれてしまったためだ。
 (中略)
 日本の輸出は米国ほか、欧州、中国向けも急減し、ほぼ全地域向けで減少(中略)。 輸出がGDPに占める割合は1996年度の10%から07年度には約18%に達しており、こうした経済構造の弱点が、世界不況で鮮明に表れた形だ。 10~12月期成長率の落ち込み幅が他の先進各国に比べてひときわ大きいことが、日本の深刻な状況を象徴している。
 企業や家計は投資や消費を急速に萎縮させており、国民の不安心理は高まっている。景気がいつ底を打つのか先が見えない状況で企業の人員削減は今後本格化し、消費が一段と冷え込むのは必至だ。

【小生comment】
▼因みに、1974年01~03月期とは、第二次田中角栄内閣時代で、我々【2637の会】がまさに現役時代で、大学入試のあった時です。 小生、その当時は受験勉強の真っ只中で景気の落ち込みのことなど全く関心も、実感もなかったのですが、最近の景気の大幅な落ち込みについては、流石に立場上強い関心を持たざるを得ません。(笑)(汗)
 読売新聞では、「緊急対策を打つべし」と警鐘を鳴らしていたが、日本の現内閣では心もとない。 米国のオバマ大統領の大統領就任演説とヒラリー・クリントン国務長官の日本での日米同盟重視の発言の出来栄えに比べ、わが国の某首相や、ろれつが回らない儘記者会見を行い辞任に追い込まれた某財務相の○○○○・・。  impactの大きい大規模経済対策を一刻も早く手を打たないと、日本経済は、米国以上の深刻なダメージを受ける懸念も決して小さくない。 その一端は、次の雑誌の経済特集記事からも推察できる。

 その特集記事とは、先日発売された週刊ダイヤモンド2009/2/14号「検証!トヨタ最強伝説」のことである。 色々な視点から調査・分析してあり、なかなか面白いと思いましたので、その一部をご紹介させて頂きます。 詳細は当該雑誌を講読されることをお薦めします。(笑)

◆二期連続赤字の土壇場◆
 今年度、トヨタは戦後初の営業利益赤字に転落する。(中略)過去最高をたたき出した2007年度からたった一年。 天国から地獄とはまさにこのこと(中略)。 しかも業績悪化の底がまだ見えない。(中略)
 たった一年間で2兆7千億円近い利益がすっ飛んだ計算になる。(中略)減収要因は大きく二つある。「販売台数」と「円高」だ。
 「販売台数」(中略)は、前期比177万台の減少(これだけでマツダ1社の販売台数を軽く上回る)。 トヨタの場合、一台当たりの限界利益はざっくり(いって)(中略)80万円(中略)。 すると、177万台で合計1兆4,200億円の利益減となる。
 次に、「為替」の影響である。 トヨタの場合、一円の円高ドル安で400億円の減益要因とされる。 07年年比(中略)、最近では20円の円高。(中略)これだけで8,000億円、他国通貨の円高傾向も勘案すると、都合9,500億円の利益減となる。(中略)
 一方で、トヨタ得意のコスト削減、原材料価格安による改善もあるが、こちらは僅かに700億円程度。 かくして4,000億円強の営業赤字となる。(中略)
 02年以降、米国の自動車販売台数は1,600万~1,700万台規模の高水準を保った。
(中略)
 トヨタも例外ではない。 米国好調を当て込んで、毎年工場を二つも三つも建設した。 生産能力は毎年60万~70万台ずつ増えた。(中略)(この規模は)富士重工1社分である。
 それでも現地生産だけでは追いつかず、レクサス、プリウス等を対米輸出した。 07年の輸出台数は01年度に比べて約100万台も増えている。(中略)(ところが・・)
 サブプライムショックで何もかもが弾けた。 不動産価格が下がり、住宅・自動車がパッタリ売れなくなった。 山高ければ谷深し、である。 2010年に1,800万台と言われていた米国市場は、今年1,000万台~1,100万台に迄落ち込みそうだ。
 トヨタのドル箱である高級車、大型車はさらに厳しい。 昨年12月、(中略)レクサスは、(中略)前年同期比42%減となった。(中略)こうなると・・
 トヨタの苦境は来年度も続く。(中略)販売台数が600万台前半に落ち込むか、為替が1ドル=80円に振れれば、1兆円規模の営業赤字となる恐れもある。
 最大の焦点となる米国を例に(中略)みると・・、トヨタぼ米国シェアは約17%だから、需要予測を1,100万台とすれば販売台数は187万台。(中略)
 加えて、カナダを含めた北米全体の工場生産能力は約200万台。 これまで日本から北米に輸出していた134万台(ピーク時)は殆ど不要となり、国内の過剰設備・人員が深刻化する。(中略)米国市場が復活しなければ、トヨタの黒字転換は有り得ないのだ。

◆トヨタを見れば日本がわかる◆
 ものづくりは、正しく国を支える産業である。 GDPに占める製造業比率は21.5%。 その頂点に立つのがトヨタ自動車だ。
 21世紀に入ってトヨタの業容は急拡大した。2008年3月期の売上高26兆2,892億円は01年3月期の約2倍。 経常利益2兆2,703億円は同3倍である。 (中略)
 2000年3月期の北米売上高は約4兆5,000億円、08年3月期は約9兆2,000億円である。 10年足らずで実に二倍以上に増えた。(北米の伸びに比べ) 一方で、若者のクルマ離れもあり、(トヨタの日本)国内販売は177万1,700台から158万7,300台へと1割強も減少。(中略)(2008年迄、トヨタの国内生産台数は漸増傾向にあり)今なお国内が主力の様にも見えるが、これは対米を中心とした輸出によるものである。 こうした外需依存のトヨタの成長軌道は日本の製造業のそれともピタリと一致する。(以下略)

【筆者comment】
▼この週間ダイヤモンドの特集記事は、内容が盛り沢山で、全部は到底ご紹介できませんのでこの辺りで止めますが、要は、米国経済の急回復は今後1年はまず無理であるため、実質円安で外需依存型経済に安住していたトヨタを頂点とする日本の製造業界は、これから先も厳しい状況が続くであろう(これは自動車産業に限らない)、と警告している。
 一方、オバマ米大統領は、バブル崩壊後の日本の二の舞にはならないと、不退転の覚悟で経済復興に注力しつつあるので、米国経済は比較的早期回復も期待される。 その半面、問題は日本だ。 2008年第3四半期の実質GDPが年率換算12.7%の減少は、米国経済悪化の影響を一番大きく被ったのは我が国日本であることを証明したことになる。 今こそ政府が、実効性のある経済対策を早急かつ真剣に打って行かねばならない筈なのに、今のところ有効な具体策が打ち出されていない。 「我が国は、危急存亡の際に立たされている」として救国の真のリーダーが登場して、有効な対策を一刻も早く具現化して欲しいものである。

【後記】■さて今日の締め括りは、2月25日が命日に当たる飯田龍太の名句をご紹介してお別れします。

白梅のあと紅梅の深空(みそら)あり  飯田龍太

【解説】昭和48年作。『山の木』(昭和50年)所収。(中略)この句で、目の前に咲いているのは紅梅であり、白梅はもう終わっているのだが、読者の目には時間差のあるその両方の花が見える。 紅梅ははっきりと、白梅は気配として、一句の中に咲き誇っているのである。(中略)この句の場合は「深空」(中略)を共通項として、白梅と紅梅の間にある時間差を、一句は同時に取り込んでいる。(正木ゆう子『現代秀句』より)
* 
紺絣(こんがすり)春月(しゅんげつ)重く出(いで)しかな  飯田龍太

【解説】昭和26年春、食糧事情も一応安定したので、農耕を止め、甲府にある県の図書館に勤めることにした。 バスの終点から三十分ほど歩いて坂道を帰る。 大菩薩峠のある秩父山系と、富士山麓に抜ける御坂山系のほぼ中ほどの山の上に、橙(だいだい)色の春の満月がぬっと現われて、ひえびえとした空にポッカリと頭を出す。 名残り惜し気に山を離れるとやがて潔く中天に昇った。
 春の月の色は厭らしい、という人があるが、山国の澄んだ夕景色の、特に早春の姿はまんざらでもない。 清潔な色気がある。 あるいは母の乳房の重みといってもいい。したがって幼時を思い出す。
 子供の頃は、専ら久留米絣を着た。 兄から順にお下がりを着せられた。 着古すとだんだん絣の模様がハッキリ浮かび出てくる。 年毎に柄模様の小さなのに昇格した。 模様の大小によって、兄弟の貫禄に差をつけたのだろう。
 昭和26年3月作/『百戸の谿』(「飯田龍太自選自解句集」より) 

【筆者comment】
▼山本健吉氏が著『定本 現代俳句』の「紺絣・・」中で、「龍太氏の好きな早春の季節である」と紹介している様に、「白梅のあと・・」も、また以前ご紹介した「春の鳶寄りわかれては高みつつ」も、春を題材にした秀句である。 短い十七文字の中に、夫々「白梅、紅梅、深空」、「紺絣、春月、重く出し」、「春の鳶、寄りわかれ、高みつつ」と、色彩や動作・質量感が読者にハッキリとした存在感として伝わって来る。 imageが頭に確り残る俳句が飯田龍太氏の真骨頂だ、と思う。

では、また・・。(了)

2009年2月15日 (日)

【時習26回3-7の会 0225】~「2月9日:《時習26回ミニミニ同窓会》開催報告」「2月19日:詩人『茨木のり子』命日~『私が一番きれいだったとき』&『ぎらりと光るダイヤのような日』」

■皆さん、如何お過ごしですか。 今泉悟です。 さぁ、今日も《会報》【2637の会0225】号をお送りします。
 先週11日、ご当地豊橋では恒例の「鬼祭り」も終わりました。 前から何度もお伝えしている様に、「鬼祭り」が終わる迄は不思議と厳しい寒さが続くことが多かったのですが、今年は暖かな「鬼祭り」の日で、夕方には小雪がぱらつくどころか、雨が降り出しました。 暖かいのは大変結構なことですが、今夏が猛暑になるのではないかと今から気になるところです。
 そして、今週2月18日には二十四節気でいう『雨水』。 この言葉を聞くと春の時節の胎動を感じます。 我が家の紅白梅も今がほぼ満開。
 今日は、与謝蕪村の白梅に因んだ著名な俳句を一句ご紹介します。

 しら梅に明(あく)る夜(よ)ばかりとなりにけり  蕪村

【解説】▼与謝蕪村(1716 - 1784.01.17)の臨終吟3句の一つ。白梅の花の辺りがうっすらと明るくなり、夜が次第に明けて来た。 春が段々とやって来る。 蕪村の臨終の静謐な気配が伝わって来る。 美しい句である。

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■さて、今日続いての話題は、掲題・副題にある様に、2月9日夜、《時習26回ミニミニ同窓会》を、昨夏の【2637の会】《二次会》会場であったご当地豊橋駅前大通二丁目にある「トライアゲイン」にて開催しました。 添付写真〔01〕をご覧下さい。 参加membersは豊橋在住の時習26回生の仲間達5名です。 嘉森(旧【3-6】)、谷山(旧【3-3】)、中嶋(旧【3-2】)、林(K)(旧【3-7】)と小生(以上五十音順、敬称略)。 《ミニミニ同窓会》は、6時過ぎから漸次開始され、10時過ぎ迄楽しいひとときがあっと言う間に過ぎて行きました。 ホント、同期と言う輩の集いはいいものですネ。(笑) 【2637の会】membersからは、林K子さんが参加してくれました。 林さんありがとう。 
 尚、嘉森君が《ミニミニ同窓会》に初めて参加してくれました。 中嶋君の医者仲間と言うことで、彼が嘉森君を誘ってくれました。
 因みに、小生も嘉森君とは高校1年~2年始め迄所属していた弓道部で一緒で旧知の間柄です。 【2637の会】membersの守田君が主将を務めていた弓道部です。 嘉森君は、現在、市内向山で整形外科医院を開業しています。 お近くにお住まいの関係者の皆様方へ・・、老後を安心して生活して行く上で、嘉森君はきっと力強い見方になってくれると思います。 ご贔屓に・・。

■さて続いての話題は、二月の中旬が生・没年の日本の芸術家や歴史的偉人の中から一人選ぼうとしましたが、その数が多くてビックリ。(笑) 誰にしようか迷いました。 因みに《会報》前号出状の翌日の2月9日から今週末21日迄の13日間だけで日付順に思いつく儘上げてみると、次の12名の著名人がいました。

秋山好古(あきやま・よしふる)   02.09生(1859年) 秋山真之の実兄、
        陸軍大将(司馬遼太郎『坂の上の雲』)
夏目漱石(なつめ・そうせき)     02.09生(1867年) 作家
司馬遼太郎(しば・りょうたろう)   02.12没(1996年) 作家
岡倉天心(おかくら・てんしん)    02.14生(1863年) 美術家
山本周五郎(やまもと・しゅうごろう) 02.14没(1967年) 作家
森鴎外(もり・おうがい)        02.17生(1862年) 作家
梶井基次郎(かじい・もとじろう)   02.17生(1901年) 作家
茨木のり子(いばらぎ・のりこ)    02.19没(2006年) 詩人
志賀直哉(しが・なおや)       02.20生(1883年) 作家
石川啄木(いしかわ・たくぼく)    02.20生(1886年) 詩人
武満徹(たけみつ・とおる)      02.20没(1996年) 作曲家
石垣りん(いしがき・りん)       02.21生(1920年) 詩人

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▼その12人の中から、今日はまだ皆さんにご紹介していない著名人で好きな作品が幾つかある、茨木のり子の「私の一番きれいだったとき」と「ぎらりと光るダイヤのような日」をご紹介してみたいと思います。(添付写真〔02~04〕ご参照)
 まず、最初は「私の一番きれいだったとき」です。 この作品は彼女の代表作として大変著名でご存知の方も多いと思います。 国語の教科書にも、度々取り上げられている名作ですネ。 詩をご紹介する前に、まず茨木のり子氏についてのProfileをご紹介します。 茨木氏は、昭和28年同人誌「櫂」を創刊。谷川俊太郎、大岡信、吉野弘、等、第二次戦後派と呼ばれる新鋭詩人を多数輩出。 詩人新川和江は茨木のり子をして「戦後現代詩の長女」と評しています。
03

 【略歴】
 大正15(1926)年 6月12日大阪府生まれ。医師であった父の仕事の関係で小学校から(西尾高等)女学校まで愛知県在住。
 昭和21(1946)年 帝国医学・薬学・理学専門学校(現東邦大学)薬学部卒業
 昭和25(1950)年 医師三浦安信と結婚。 家事の傍ら雑誌「詩学」へ投稿を始める。
 昭和28(1953)年 川崎洋と同人誌「櫂」を創刊。
 平成03(1991)年 『韓国現代詩選』で読売文学賞(研究・翻訳部門)受章。
 平成18(2006)年 2月19日、病気のため東京と西東京市伏見の自宅で死去。享年79歳。

▼それでは、早速、ご覧下さい。

  わたしが一番きれいだったとき  茨木のり子

わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした

わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達がたくさん死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

わたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差しだけを残し皆発っていった

わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った

わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり
卑屈な町をのし歩いた

わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった

だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように
              ね
 (『見えない配達夫』(1958年)所収)

【解説】
▼この詩について、「櫂」の同人、大岡信が「現代詩の鑑賞101」の中で次の様に解説しています。

 「わたしが一番きれいだったとき」は、戦争のために青春を奪われたという普遍的なテーマに沿ったもので、長く広く読み継がれて来た詩である。 昭和二十年、茨木は帝国医学・薬学・理学専門学校薬学部の学生だった。茨木自身はこの詩の成立事情を次の様に語っている。
 「同級生の中には、進駐軍を恐れ、娘の操を守るべく、はやばやと丸坊主になってしまった人もいて、暫くの間頭巾をかぶって登校していた。/その頃『ああ、私はいま、はたちなのね』と、しみじみ自分の年齢を意識したことがある。 眼が黒々と光を放ち、青葉の照り返しのせいか鏡の中の顔が、わりあいきれいに見えたことがあって・・。 けれどその若さは誰からも一顧だに与えられず、みんな生きるか飢死するかの土壇場で、自分のことにせい一杯なのだった。 十年を経てから『わたしが一番きれいだったとき』という詩を書いたのも、その時の無念さが残ったのかもしれない。(「はたちが敗戦」(1978年))
 「わたしが一番きれいだったとき」という時はどんな女にもある。 だが女たちは身を飾ることも億劫になった年になって漸く、しかも冗談めかしてしかそれを言わないで来た。 自分が綺麗か、綺麗でないかということは、他者の視線に委ねられていた。 女たちは、他者の視線の中で慎ましく動いていたし、今でも相当数の女は見られる女であって、見る女ではない。 茨木のり子は悪びれることなく、自分が若く美しかったことを、まだ若さが残っている時代に堂々と、しかも繰り返しうたって強調した。 繰り返すことによって、歌謡性が付着し、愛唱される詩になった。
 この詩の中で最も眩く、哀切であるのは第三連である。
 「わたしが一番きれいだったとき/だれもやさしい贈物を捧げてはくれなかった/男たちは挙手の礼しか知らなくて/きれいな眼差だけを残し皆発っていった」
 戦時下の青春をこれ程カラッと、しかも喚起力に富む言葉でうたった詩句を他に知らない。 男たちの「きれいな眼差」は、愛国心の故の死を覚悟した者の持つ晴朗な光だったのだろう。(中略)
 詩人は若い女たちの美しさが顧みられなかった時代に、だが悲観したり、自棄になったりはしなかった。 「異国の甘い音楽をむさぼった」りして、世の中に対して抵抗の姿勢をとるのである。 そして「わたしが一番きれいだったとき/わたしはとてもふしあわせ/わたしはとてもとんちんかん」とうたうが、最終連で「だから決めた できれば長生きすることに」と、報われずに失われた美しさを生への充実をもって補うことに換え、生まれて来たことを静かに肯(うべな)うのである。 お終いの「ね」の意味はそういうことだろう。 爽やかな一陣の風の様なので、今なお人の心を捉えるのだろう。

【筆者comment】
▼大岡氏の解説の最後の件(くだり)なんかとても上手く評していると思います。
 〔 「だから決めた できれば長生きすることに」と、報われずに失われた美しさを生への充実をもって補うことに換え、生まれて来たことを静かに肯(うべな)うのである。 〕・・ 我々の母親達の世代でもある、戦中派の女性達は、きっとこの詩の女性の様に逞しく生きて来たのであろう。 それに比べれば、我々の世代は本当に恵まれた時代に育った訳であり、神に感謝しなければバチが当たるかも・・。(笑)
 因みに、ここでちょっと脱線・・。(笑) 実は、茨木のり子氏が、大岡信が彼女が主催する「櫂」の同人になった時の印象を、彼女のエッセイ『「櫂」小史』で次の様に述べているのでご紹介します。 茨木氏が大岡信に好印象を持ったこのエピソードはとても微笑ましい。 では、どうぞ・・

 次第に同人も増えてゆき、(中略)大岡信氏らが入った。(中略)
 大岡信氏は、大学を出て読売新聞、外報部に入ったばかりの頃だが、(中略)その頃、詩学に「シュールレアリズム批判」という、エッセイを発表していて、それが大変良かったので、誰いうことなく、この瑞々しい論客を是非迎えたいということになり、皆賛成して参加して貰った。
 昭和29年4月18日、麻布笄町にあった友竹家で、第四回目の櫂の会をした時、大岡信氏と初めて会った。 彼もまた初々しい青年で、頬を染めたりはしなかったが、何故だか、初対面の印象は、頬を染めがちな紅顔の美少年という印象で残っている。 しかし言うことは、厳しくて、しょっぱなから「あなたの詩は、以前は即物的な良さがあったんだが、最近のものは観念的になってきて、良くない傾向だとおもう」などと私の詩を批判してくれたりして、その容姿と実力の、似つかわしからざること、佐々木小次郎のごとくであると思わせられた。


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▼続いて、二つ目の作品は「ぎらりと光るダイヤのような日」です。 この詩もなかなかいいですよ。 では、どうぞ・・。

  ぎらりと光るダイヤのような日  茨木のり子

短い生涯
とてもとても短い生涯
六十年か七十年の

お百姓はどれほど田植えをするのだろう
コックはパイをどれ位焼くのだろう
教師は同じことをどれ位しゃべるのだろう

子供たちは地球の住人になるために
文法や算数や魚の生態なんかを
しこたまつめこまれる
それから品種の改良や
りふじんな権力との闘いや
不正な裁判の攻撃や
泣きたいような雑用や
ばかな戦争の後始末をして
研究や精進や結婚などがあって
小さな赤ん坊が生まれたりすると
考えたりもっと違った自分になりたい
欲望などはもはや贅沢品になってしまう

世界に別れを告げる日に
人は一生をふりかえって
自分が本当に生きた日が
あまりにすくなかったことに驚くだろう

指折り数えるほどしかない
その日々の中の一つには
恋人との最初の一瞥の
するどい閃光などもまじっているだろう

<本当に生きた日>は人によって
たしかに違う
ぎらりと光るダイヤの様な日は
銃殺の朝であったり
アトリエの夜であったり
果樹園のまひるであったり
未明のスクラムであったりするのだ

『見えない配達夫』より)

【筆者comment】
▼小生<ぎらりと光るダイヤのような日>の作品評を散文詩調で書いてみました。(笑) 稚拙な文章ですが、ご笑覧下さい。


これまでの自分の人生にとって
<本当に生きた日>は、いったい何日あっただろう。
<ぎらりと光るダイヤのような日>なんて
いったい何回あっただろう? 

今、初めて数え直してみようとしたが途中でやめた。 
確かに、あまりの少なさに愕然としたからだ。 
これまで毎日惰性だけで生きて来た訳ではない筈なのに。
「それは何故か?」を考えてみて、少し解った様な気がした。

それは、人間という生き物は、極めて感覚的な動物であって、
仮に<本当に生きた日>が毎日あったとしても、
それが積み重なり習慣化されたり、
またどんなに<ぎらりと光るダイヤのような日>があったとしても、
それが常態化してしまえば<本当に生きた日>と感じなくなってしまう。
それ故、何回あったか解らなくなってしまうのだ。
事程左様に、人間とは贅沢な生き物だ。

そもそも<本当に生きた日>とは、いったい何んだろう。 
仕事を通じて、勤務先に、延いては社会に役立つことを
無心に毎日コツコツと続けていることが
<本当に生きた日>であるとすれば、
生きているその毎日が<本当に生きた日>でもある筈だ。
* 
それはそれでいいのかもしれない。
でも、<ぎらりと光るダイヤの様な日>とは
「銃殺の『朝』」であったり
「アトリエの『夜』」であったり
「果樹園の『真昼』」であったり
「『未明』のスクラム」であったり、
そして、<本当に生きた日>とは
「恋人との最初の一瞥のするどい閃光」である、というのだ。

そこでこれらの共通点を探してみると興味深いことが判った。
実はこれらの日々は、『一瞬』や『ひととき』という短い時間であり、
そしてその時々のいずれもが、何ものかと必ず『対峙』している。
「前向きに生きている」或いは「能動的に存在している」
これこそが、
<ぎらりと光るダイヤの様な日>なのだ。
<本当に生きた日>なのだ。

まだまだ遅くはない。
そう感じる『一瞬』を大切にして行こう。
残された人生を大切に生きて行こうとする気持ちを持たなければ、
毎日を<本当に生きた日>にすることは出来ない。
<ぎらりと光るダイヤの日>を体現することは出来ない。

短い生涯
とてもとても短い生涯
六十年か七十年の
一度しかない貴重な人生だから・・。


【後記】▼今日も、長文になってしまったので、これにて失礼します。
05

 添付写真〔05〕は、沢知恵のCD「わたしが一番きれいだったとき」のカバーです。 沢の歌とナレーションで「わたしが一番きれいだったとき」を紹介している。 なかなかいいですよ。 今夏のCD「青春のうた Part4」に載せてもいい、それ位感動ものの佳品です。 
 ついでに言えば、このCDには同じく茨木のり子氏の、これまた有名な『自分の感受性くらい』も載っています。 これもいい曲ですよ。
 《会報》【0226】号にて、この詩についてもご紹介してみたいと思います。 ご興味ある方もない方も、乞うご期待!(笑)
 【2637の会】membersの皆さんからのご意見や近況をmailして下さい。
 宜しくお願いします。 m(_ _)m
 では、また・・。(了)

2009年2月 8日 (日)

【時習26回3-7の会 0224】~「家森幸男『食でつくる長寿力』」「ほんとうの時代2月号~松下幸之助『人生は終生勉強』(人生後半を生きる言葉6)」

■今泉悟です。 皆さん如何お過ごしですか。 さぁ、今日も【2637の会】会報【0224】号をお送りします。
 時の移ろいは速いものですね。もう2009年も二月(如月)。4日に「立春」も過ぎ、今週央11日には、地元豊橋の八町神明社では「鬼祭り」が開催されます。当地では、この鬼祭りが終わると漸く「春到来」となります。

■さて今回の【2637の会】《会報》は、特段の話題がありませんので、そういう時にはいつも「健康オタク」の小生、身体の為になると思われる話を最近読んだ本からご紹介させて頂きます。
 ご紹介する本は、掲題の副題にもある様に、「家森幸男『食でつくる長寿力』」です。 では、どうぞ・・

【家森幸男『食でつくる長寿力』(日経プレミアシリーズ)】から
Photo

(1)日本人の健康を支える大豆パワー
 病気と食生活との関連性は、欧米とアジアを比較するとよくわかる。
 日本人の心臓病による死亡率は欧米に比べて極端に低く、数分の一とされる。(中略)乳がんや前立腺がんによる死亡率も、米国人は日本人の4~5倍という。
 性差の違いでみても面白い傾向がある。心筋梗塞になる割合は、日本の様な発症の少ない地域であっても、スコットランドの様な多い地域であっても、女性は男性の3~4割と低い。
 女性は一般的に閉経後、血圧やコレステロール値が急上昇し、太り易くなる。骨からのカルシウム流出が増えて、骨粗しょう症にもなり易い。
 ただ、こうした傾向が当て嵌まらない女性が、日本人や中国人にはいる。年を重ねても若々しい肌を保つ人は少なくない。欧米人ではみられない傾向だ。そのカギを握るのがイソフラボンと呼ばれる大豆成分だ。
 イソフラボンの化学構造を見ると、代表的な女性ホルモンであるエストロゲンと実によく似ている。(中略)
 人間が健康を保つにはホルモンバランスを上手く保たなければならない。どのホルモンも均衡が崩れると、体調不良を引き起こす。
 エストロゲンでいうと、過剰に分泌されると、乳がんの原因となり、少なすぎるとカルシウムが流出して骨粗しょう症になり易くなる。
(2)がんの勢いを止めるイソフラボン
 少し専門的になるが、イソフラボンとエストロゲンが乳がんと前立腺がんとを予防する効果について紹介しよう。
 前立腺がんのホルモン治療には、エストロゲンを使う。前立腺がんにできたがん細胞の増殖を防いでくれるからだ。
 一方の乳がんは、エストロゲンの働きが強過ぎると発症すると言われている。(中略)(【筆者注】試験管内にヒト乳がん細胞を入れて、そこにエストロゲンを加える実験によると)細胞表面の受容体にエストロゲンは次々にくっついていき、その刺激でがん細胞が増殖する。一方(【筆者注】同様にエストロゲンに代えイソフラボンをエストロゲンの受け口に入れると)イソフラボンがエストロゲンの受け口に入るとその分、エストロゲンが入り込む余地がなくなり、(中略)結果的にはエストロゲンの過剰な働きをブロックしてくれることになる。
 イソフラボンのがん予防効果は、これに留まらない。(中略)
 イソフラボンには、がん細胞が新しい(【筆者注】がんは小さな毛細血管を次々と周りに増やし、血液から栄養をとって増殖していく~そして血管を介して、体の様々なところへ転移する、その)血管を作り出すのを邪魔する働きがある。 こうなると、がん細胞に栄養が行き渡らず、増殖することができない。
(3)大豆効果で「福は内、鬼は外」
 WHOの協力を得た世界調査では、丸一日二四時間の尿を私どもが考案した簡易採尿器(ユリカップ)で集めてイソフラボンの量を測った結果、この摂取量が多い、即ち大豆を沢山食べている人ほど心臓死は少なく、コレステロール値も低く、肥満も少ないことがわかった。 女性では乳がん、男性では前立腺がんが少ない。 これらの死亡率が低い日本人は、平均寿命が女性世界一位、男性二位と長い。まさに大豆のお蔭だ。
 世界調査から、一日70~75㎎のイソフラボンをとれば、健康によいと推定できる。 米食品医療局(FDA)が勧める、心臓病のリスク低減に有効な大豆たんぱくの摂取量は一日25g。 この大豆たんぱく量をとるには、節分の炒り大豆なら二握りほどの約70g、これにはなんと140㎎のイソフラボンが含まれる。
 これだけの大豆を毎日食べれば、まさに福は内、鬼は外である。
(4)大豆は女性の強い味方
 諸外国では、日本の女性は若々しく肌が綺麗と評判になっている。 私どもの世界61地域の国際研究でも、日本や中国の女性の肌が若々しいことを実感した。 世界中の五〇代前半の男女の血圧を測って感じたことだが、肌に最も潤いがるのが日本女性。 この年齢だと更年期の女性も半分はいるが、日本女性ではメタボのリスクや更年期障害の訴えも少なかった。
 更年期女性でメタボのリスクが少ないのは、大豆を食べている地域。(中略) 同じ日本人でもブラジルに移住し大豆を常食としなくなった人々は、肥満、高血圧、高脂血症、糖尿病まで多くなり、心臓死で17年も短命になっていた。
 そこで日本人なら普通に納豆一バックでとれるイソフラボンを「ふりかけ」にして食べて貰ったところ、たった3~10週で血圧が下がり、善玉コレステロールが増え、更年期の人たちでも骨からカルシウムが失われるのを防げることがわかった。

【筆者comment】
▼家森幸男(やもり・ゆきお)氏のこの本を読むと、人間が如何にしたら長生きできるのかの処方箋を示してくれている。WHOの協力を得て世界25カ国61地域を学術調査で判明した豊富な計測結果を元にしているだけに説得力がある。
 そして、上記本文抜粋にある様に、まるで『大豆礼讃』の様ではあるが、確かに大豆は体にいい。 毎朝の納豆と味噌汁。魚とご飯。そして豊富な野菜。 この日本古来の食生活が「長寿の秘訣」であると実感でき、改めて日本人に生まれて来て良かったと思う。
 それから、【2637の会】女性membersの皆さん、日本女性のお肌の若々しさは世界一でそうですね。 羨ましい。(笑) これからも「食」にこだわり、いつまでも若々しく美しい女性であり続けて下さい。 小生も女性の皆さんに負けない様、恰好よく齢を重ねて生きたいと考えています。
 このことと関連して・・、上記本文ではご紹介しませんでしたが、家森氏がアフリカのマサイ族の調査をして実感されたことで、ボストン大学のウォルシュ教授の最新報告が日本の学会の特別講演でなされたこととして紹介されていること、それはジャンプで鍛える『速筋』。 これを鍛えるほど生活習慣病のリスクが少なくなるのではという。
 「速筋」を鍛えるには、場所をとらずにできる縄跳びがよい。そして、メタボ克服にはマサイ族の生活に学ぶ「早寝、早起き、速筋運動」を提案したい、と家森氏は言っている。

【後記】■今日の締め括り〔その1〕は、先にご紹介した家森氏が、その著書『食でつくる長寿力』の序文で、次の様に言っている。

 高齢化社会と医療費削減が叫ばれる中、これからの医療は必然的に予防医学にシフトせざるをえない。そして、その予防医療の中核は食生活の改善にある。
 長寿力の条件ははっきりしている。 この健康10カ条は、長寿地域の食生活から導き出された結論である。

その1 食塩を控えめに
その2 脂肪、とくに動物性脂肪をとりすぎない
その3 野菜と果物をたっぷり
その4 乳製品をとる
その5 魚や大豆で良質なたんぱく質を
その6 食事は大勢でにぎやかに
その7 食材をバランスよく
その8 一日一膳(一日のうち一食は体にやさしい食事を)
その9 長生きは勝ち取るもの
その10 前向きに明るく生きる

 締め括り〔その2〕は、掲題・副題にある通り、松下幸之助の『人生は終生勉強』をお送りします。 これは、71歳の松下幸之助氏が、松下電器(現パナソニック)の社内広報誌『松風』の昭和41年5月号に、「大器晩成ということ」というタイトルで寄せた一文です。(以上「ほんとうの時代 2009年2月号」より抜粋)

 一般に学校を出て社会に出ると勉強する心を失ってしまう人が多いようだが、しかしそういう人はやはり後で伸びる人ではない。たとえ学校では目立たない存在であっても、社会に出てからコツコツと地道になすべきことをなし、学ぶべきことを学んでいる人は、後でぐっと伸びる人である。
 こういうことは、人の一生を通じても言えることであろう。 生涯そのようにみずから新しいものを吸収し、勉強するという態度、よろこんで人びとの教えを受けていくという態度、そういう態度を持ち続けることが大切だとぼくは思う。
 そのような態度を持ち続ける人には、進歩があって停滞はない。 一歩一歩、年を経るにつれ着実に伸びていく。 一年経てば一年の実力が養われ、二年経てば二年の実力が養われる。 さらに十年、二十年、三十年と経てば、それぞれの年限に相応しい力が養われる。 そういう人が本当の大器晩成というのだと思う。

【筆者comment】
 流石は、松下幸之助氏。 言葉に重みと風格が感じられる。 小生も「生涯勉強」・・。 それにより「ボケを防ぐ」・・か。(笑)
では、また・・。(了)

2009年2月 1日 (日)

【時習26回3-7の会 0223】~「金子君・山中さんからの『新年会CD写真集』お礼mail」「 『2008年「三河港貿易概況速報」』」「2月1日:「最近読んだ5冊の本〔環境問題を考える〕~『ほんとうの環境問題はCO2温暖化ではなく人口増加問題だ』」「豊橋向山梅林公園の梅の花」」

■今泉悟です。 皆さん如何お過ごしですか。 さぁ、今日も【2637の会】会報【0223】号をお送りします。

■さて、今日は「【2637の会】classmatesの声」を2つお送りします。前号にて時習26回「新年会」CD写真集がお手許に着いたかどうかお尋ねしましたら、金子君と山中(高木)さんからお礼のmailが届きましたのでご紹介します。金子君、山中さんmailをありがとうございます。mailを無理強いしたみたいで申し訳ありませんが、この【2637の会】は、皆さんの交流の場としたいので、できる限りご協力をお願いします。と言って、この様に確りmailを頂けるのですから、【2637の会】membersの皆さんのご協力の程が充分伝わって来て、自称「万年幹事」もやりがいがあります。ホント、ありがとう! では、早速ご紹介します。どうぞ・・

今泉様
CD写真集のお礼が遅れて申し訳ありませんでした。あれだけのデータを、しかも参加者全員の分を作製したことに頭が下がります。ご苦労様でした。しかし画素数の多いデジカメで、PC画面で拡大して己が顔を見ると、歳を感じますね。毎朝洗顔時に鏡で見慣れているはずなのに・・・。他人の顔に関しては全く気になりませんが、自分に関しては「こんなに老けていたのか・・・」と、愕然としますね。 まあ、ぼやきはともかく、重ね重ねCD写真集の送付ありがとうございました。 金子T久

今泉様 
CDいただきました。どうもありがとうございます。  山中

01161090130
■続いては、小生が勤める会社が所有・管理している三河港明海埠頭関連のニュースが1月30日、地元新聞の東日本新聞と東日新聞に掲載されましたのでご紹介します。記事は、東愛知新聞からの抜粋です。三河港の輸入自動車って、16年間全国一位を続けているんですよ。なかでも、フォルクスワーゲン・グループ・ジャパン(VGJ)が、弊社の明海埠頭から陸揚げする日本国内向け「フォルクスワーゲン(ポロ・ゴルフ・ジッダ・パサート・トワレグ)」「アウディ」「ポルシェ」「ベントレー」の車種は、全てここ地元豊橋の明海埠頭からなのです。それでは、東愛知新聞の記事の抜粋と添付写真〔01〕をご覧下さい。

▼名古屋税関豊橋税関支署は29日、2008年「三河港貿易概況速報」を発表した。それによると輸入自動車は、金額・台数ともに16年連続で全国1位を堅持し、輸出自動車は金額・台数ともに2年連続の2位。しかし輸出総額は、過去最高だった前年を17.8%下回る2兆9,435億83百万円に留まり、5年ぶりの減少。10年連続の全国7位から、1つ下がり8位に。輸入総額は5,029億30百万円(前年比1.2%減)で2年連続の減少。4つ順位を下げ、31位に迄転落。いずれも世界同時不況の煽りで、10月頃より急激に自動車販売が低調となったのが主因。輸出入総額では15.7%減少、順位を3つ下げ四日市港に次ぐ12位。同税関が三河港全体の統計を始めた1999年以来、初の二桁順位に。 メインの自動車では、輸出数量が136万9,201台(前年比4.5%減=全国シェア16.5%)、金額は2兆8,156億71百万円(前年比18.2減=全国シェア20.5%)で、いずれも名古屋港に次ぐ全国2位。輸入では、数量が12万661台(前年比5.5%増=全国シェア47.6%)で16年連続全国1位、金額は3,398億38百万円(前年比2.6%減=全国シェア45.3%)で1位。「外国車の2台に1台は三河港から陸揚げ」という説明ができる状況だ。 排気量別に見ると、輸出では、3,000cc超クラスが数量・金額ともに、前年比で3割前後減ったのが目立つ。輸入でも、3.000cc超クラスは金額で13.9%、数量で12.7%減っており、不況の煽りで高級車を買い控える影響が現れた形だ。実際、月別の輸出入総額をみると、前年同月比で9月は13.7%減だったのが、10月では22.3%減、11月が39.3%減、12月は49.1%減と、景気悪化を反映している。
URL:http://www.higashiaichi.co.jp/today_news/090130t/09013001.htm ← ここをclickして下さい。東愛知新聞の記事に繋がります。
【筆者comment】
▼小生、三河港のことは、今勤める会社にお世話になって初めて判ったことであるが、地元豊橋が全国一と自慢できる産業の事象の一つであり、三河人の矜持として持ち続けてもいいことかもしれない。(笑)

■続いては、最近読んだ5冊の本〔環境問題を考える〕~『ほんとうの環境問題はCO2温暖化ではなく人口増加問題だ』」についてです。 小生、添付写真〔02〕にある様に、今週、次の5冊を纏め買いして一気呵成に読んでみました。なかなか面白かったですよ。著者の一人「丸山茂徳」氏については、【2637の会】《会報》でも、以前【0153】号にてご紹介させて頂いておりますが、彼の著書を直接読んだのは今回が初めてです。
▼ご紹介する5冊の本は以下の通りである。
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 〔1〕丸山茂徳『科学者の9割は「地球温暖化」CO2犯人説はウソだと知っている』
 〔2〕丸山茂徳『『地球温暖化』論に騙されるな!』
 〔3〕武田邦彦・丸山茂徳(〔解説〕田原総一朗)『「地球温暖化」論で日本人は殺される!』 
 〔4〕池田清彦・養老孟司『ほんとうの環境問題』
 〔5〕池田清彦・養老孟司『正義で地球は救えない』

▼そして、これら5冊の内容を簡単に纏めると以下の通りとなる。
 ①環境問題は、地球「地球温暖化」などではなく、「人口増加」の問題である。
 ②従って、日本も世界も「CO2削減に注力する」ことよりも「人口減少」に注力すべきである。

 ●以上について、もう少し説明すると・・ 
【〔1〕丸山茂徳『科学者の9割は「地球温暖化」CO2犯人説はウソだと知っている』】の中では以下の通りこう述べている。
(1)2008年5月25~29日開催の地球惑星科学連合学会(地球に関する科学者共同体47学会が共済する国内最大の学会)で『地球温暖化の真相』と題するシンポジウムが開催された。そして、そこで行われたアンケートによれば、「21世紀が一方的に温暖化である」と主張する科学者は10人に1人しかいないのである。(中略)10人のうち2人は「21世紀は寒冷化の時代である」と予測する。(中略)残り7人は「わからない」と考えている。
(2)日本が排出するCO2は世界全体の5%に過ぎない。(中略)世界全体でCO2が今後毎年1~2ppm増えるとしよう。これを温度に換算すると、0.004~0.008℃の上昇しかならない。
(3)理学研究流動機構の21世紀の気候予測では、温室効果ガスによる温暖化だけでなく、地球の気温に影響を与えると考えられる様々な要素を盛り込んでいる。その要素とは、影響の大きい順に列挙すると以下の5つ。( 詳細説明はmail容量の関係で割愛 )
 ①太陽の活動度
 ②地球磁場
 ③火山の噴火
 ④ミランコビッチの周期
 ⑤温室効果ガス
(4)太平洋の赤道周辺で東から西に向かう風が強まるとインド洋からの海水の流れ込みが滞り、東南アジア周辺の太平洋西部に暖かい海水が溜められることになる。この状態は「ラニーニャ」と呼ばれる現象だが、これこそ日本の夏を猛暑にする要因。(中略)今後もラニーニャさえ起きれば、日本の夏は暑くなるわけで、猛暑だからといって温暖化が進んでいるとは言えるものではない。
(5)これから寒冷化すれば、(中略)食糧生産は減少し、多くの人が飢えることになるだろう。食糧の奪い合いが始まり、人類に破滅を齎す戦争が勃発するリスクもぐっと高まる。(中略)人類にカタストロフィ(【筆者注】悲劇的結末)を齎す危険性を孕んでいるのは、石油資源の枯渇である。
(6)産業革命以降、人類は化石燃料を使うことで、文明を発達させてきた。それは食糧生産力を高め(中略)、人口は急速に増加することになった。(中略)この問題に最初に気付き、人口の増加を懸念したのは、イギリスの経済学者で、『人口論』を著したトマス・マルサスだった。(中略)
(7)時代は下がり、マルサスの考え方は1968年に発足されたローマクラブに受け継がれることになる。(中略)1972年に『成長の限界』が発表され(中略)た。(中略)人口はほんの100年前までは世界で17億人でしかなかった。ところが70年後の1970年頃には、2倍の34億人に達し、さらにその35年後の2008年には2倍の68億人に達しようとしている。メドウズらは2050年に世界人口は100億人に達すると予測した。
(8)2050年頃までは何とか人口を増やし続けられると予測される。が、これを可能としているのが石油である以上、石油が完全に枯渇してしまえば、食糧生産、工業生産ともに滞り、100億人を養うことなどできなくなってしまう。となれば、食糧、資源の奪い合いは目に見えている。つまり大規模な戦争が起こり、21世紀後半の50年で100億人の人口のうち40億人が死ぬと予測されている。
(9)もう一つ大きな懸念すべき問題がある。(中略)それは地球の寒冷化だ。(中略)温暖化だけなら石油は生産活動のみに利用できるが、寒冷化した場合、石油の相当部分を寒さ対策に消費しなければならなくなる。(中略)寒さ対策は生産を伴わないため、ただ石油を減らしていくだけになる。
(10)産業革命で農業生産力が向上すると、人口は爆発的に増加する。そのため、日本では明治元(1868)年の時点で3400万人であった人口は、(中略)58年後の昭和元年には倍増。太平洋戦争に突入する1941年(明治元年から73年後)には約7000万人まで増加していたという。ここまで人口が急増してしまうと、(中略)人口の増加に見合った食糧生産は不可能だ。(中略)食糧難を打開するため、大東亜共栄圏などという美名の下、アジア諸国への侵略という道を選択してしまった。(中略)昭和初期の日本では、人口問題こそが、太平洋戦争を引き起こした根本的な原因だったのである。
(11)食糧自給率を考えれば、日本に1億2600万人住んでいること自体がおかしなことなのだ。(中略)日本も遅かれ早かれ人口抑制策を推進していかなければならない。ならば日本が率先して人口を抑制し、人類の破滅を回避する方策を世界に示していけばいい。
(12)〔おわりに〕魔法の宝石資源、『石油』が生み出した、空前の物質文明。その元で生まれた近代民主主義と豊穣な精神文化。我々は人類史上空前の物質的豊かさの中にいて、それが齎せる豊かな知識を満喫しているが、石油の枯渇と共に、そのバブルの時代が終わるだろう。それは人類史上1万年の中の150年であり、我々は今、その最終段階に入ったのである。

【〔2〕丸山茂徳『『地球温暖化』論に騙されるな!』】
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(1)〔現代は氷河期の中の間氷期〕▼(【筆者注】添付資料〔03〕「過去40万年の気候の変化」の図をご覧頂ければ判る様に)1万年前にぐんと気温が高くなり間氷期に入り、人類はこの温暖で安定した気候の時期に農耕を始め、文明を築き上げたのです。(中略)例えば32万年あまり前に急激に温度が上がり、10万年かけて下っていく。また上がって下っていく。そして、1万年前に急にぐんと上がって、現在はそのピークを少し過ぎたあたりにいることがわかります。
(2)これまでの温暖化と寒冷化のパターンと最近の観測データを長期的に見れば、地球は再びどんどん冷えていく、これは避けられないことなのです。
(3)〔地球の磁場と宇宙線〕▼地球の磁場は25億年前と12億年前に最大のピークがあったことがわかっています。4億年前頃から次第に弱くなりつつあるのが現在の状況です。地球の磁場が弱くなって現在の半分以下になると、地球は全部凍結してしまうでしょう。

【〔3〕武田邦彦・丸山茂徳(〔解説〕田原総一朗)『「地球温暖化」論で日本人は殺される!』】
(1)〔武田〕そもそも何故「京都議定書」ができたのか? 私は世界の人口爆発が要因だと見ています。地球の石油埋蔵量をコップ一杯の水に例えれば、既に半分以上を飲んでしまったと予測されています。そんなときに、中国、インドなどの大国が経済発展し、凄い勢いで水を飲みだしてしまった。 そこでEUとアメリカはスクラムを組んで、「あいつらに沢山飲ませちゃダメだ」となります。中国、インドを封じ込めたい、しかし表面上はみんな平等でなければなりません。アジア諸国の中で日本はこれまで、アメリカの傘の下で守られ、上手く儲けてきたズルい国だという認識がある。これはあくまで私の推理ですが、そこで今度は先進国代表で日本に犠牲になって貰おうということでしょう。 それなのに日本は、京都議定書を金科玉条の様に有り難がって、必死で基準をクリアしようとしています。私は京都議定書のことを考えると、1921年のワシントン軍縮会議を思い出すんです。日本が「八八艦隊」計画を立てて必死で戦艦を作っているときに、欧米諸国が大変だからと戦艦の保有比率を決めてしまった。日本はアメリカ・イギリスに対して7割保有したいと主張したのに認められず、アメリカ・イギリスが5とすると、日本は3。後から来た国「ニッポン」よ、もう伸びるなという点で、今回の京都議定書は全く同じ構造ですね。
(2)〔武田〕本当に温暖化を危惧しているのなら、CO2だけに原因を求めるのではなく、可能性のあることは全て研究すべきです。(中略)仮に温暖化の主因がCO2だとしたら、日本人にできることはないと言ってもいい。世界全体から見ると、アメリカとヨーロッパ諸国でCO2全体の57%を出していて、日本は約5%です。その日本がもし排出量を削減したとしても、微々たるものです。
(3)〔武田〕日本の将来の最大の危機は、温暖化ではなく、人口問題だというのは明らかです。(中略)温暖化は本当はいいことのはずです。(中略)もともと稲作は日本が北限で、それを品種改良を続けて寒冷地でも栽培可能になったんです。(中略)人口を徐々に6000万人位に減らして、今の豊かさを何とか維持して軟着陸をさせる方向で考えたいですね。

【〔4〕池田清彦・養老孟司『ほんとうの環境問題』】
(1)〔池田〕少々温暖化しても、日本の国民は平均的には全く困らないと思う。しかし、温暖化を防止すると称する京都議定書を守ると、日本国民は大損をする。今のままだと、何兆円もの金を出して他国からCO2の排出権を買わねばならず、これは電気代をはじめ物価の上昇要因となる。
(2)〔池田〕環境問題はつまるところ、エネルギー問題と食糧の問題である。現在の日本の食糧自給率は39%。エネルギー自給率は4%である。(中略)未来のエネルギーを確保するためにどういう戦略が必要なのかこそが、日本の命運を左右する大問題なのだ。地球温暖化などという瑣末な問題にかまけているヒマはない。
(3)〔池田〕日本の様に省エネが進んだ世界のモデルの様な国が、この上さらに炭酸ガスを減らせという議論をしている。何を考えているのかと思う。日本はこれ以上減らないですよ。アメリカを半減させる方が先でしょう。それでアメリカはヨーロッパや日本並みになる。
(4)〔池田〕要するにエネルギーを使うようになったことで人口が急速に増えた訳である。人間がエネルギーを何に使ったかといえば、そのかなりの部分は、食物を作ることとその輸送に使ったのである。(中略)生産性が上がって食物が増えたから、世界人口が増えてもそれを支えられるのだ。逆に言えば、それがなければ、恐らく人口を支えられない。

【〔5〕池田清彦・養老孟司『正義で地球は救えない』】
(1)〔池田〕石油がピークアウトした時には、やっぱり植物に依存して生きるしかない。具体的には、バイオエタノールでということになる訳だが、するとやっぱり人口が多すぎる。現状の68億人の人口は、植物の力では養えない。
(2)〔養老〕日本の人口でもそうですよ。多く見積もっても、日本は4000万人位までがせいぜいなのではないですか。だから少子化は必ずしも悪いことではないし、むしろ人口は減らしていっていいんです。
(3)〔池田〕戦争か、暴動か、餓死か、何らかの大クラッシュが起きて、かなりの数の人が死んで、キャリング・キャパシティ(環境容量)に収まる数に落ち着く。それが生物学的には必然なんです。 けれども、それは、地球温暖化によるデメリットなんかと比べものにならないほど酷いカタストロフィです。だから、もし人間が知恵を出してそのカタストロフィを回避しようとするならば、やるべきことはCO2排出量の削減ではなくて、人口の削減なんです。

【筆者comment】
▼『CO2排出量削減』より『人口削減』に注力せよ」か、言われてみればその通りですね。『「少子化問題」はwelcome。むしろ推進すべし』か・・。これからの日本は、このことを肝に銘じ、国内市場が縮小していく中で、生き抜く方法を見つけ出さねばならない。過去にもその方法はあった。バブル崩壊後の(小生が就業していた)銀行のリストラ合併がその代表例だ。そして、今進んでいる百貨店や損保業界の合併なんかも、まさに縮小する国内市場への対応と言える。話題が明るくないですねぇ・・。(嘆息)

■今日の締め括りの前に一つ、今の時節を詠んだ俳句を一つご紹介する。 偶然だが、前《会報》【0222】号に引続きまた飯田龍太の俳句である。

 銀鼠色の夜空も春隣り  飯田龍太

【意】真珠の様な光を発している夜空。もう霞み始めているのだろう。節分を過ぎれば「立春」。いよいよ待ち遠しい春の到来だ。
【筆者comment】
04090201
05

06
07
▼今日の昼下がり、豊橋市内にある向山梅林公園にて開花している梅の花々を見て来ましたので、携帯電話のカメラでの撮影であまりよく撮れていませんが、春の気配を感じ取って下さい。それなりに「春」到来を感じさせてくれます。〔添付写真〔04~07〕ご参照〕

【後記】■さて、今日の締め括りは、前【0222】号でお伝えした『小磯良平記念室』関連のこぼれ話をひとつ・・。
▼小磯良平の約20作品が展示されていたが、そのうち何と12作品もが【武田繁子氏より昭和55年寄贈】と書かれている。「武田繁子さんっていったい誰だろう?」と思い、兵庫県立美術館のインフォメーションで確認したがその時対応した女性は「わからない」という・・。それから、小生、ずっと気にかかっていた。

▼そこで後日、その武田繁子さんのことを調べてみると、次のことが判った。武田繁子さんとは、武田薬品6代目当主武田長兵衛氏の妻で、現在の社長武田國男氏のご母堂である。実家は食品商社「国分」のオーナー国分家であった。「そうだろうなぁ」と納得した。でなければ、こんな名作が一人の女性で十何品も所有されていて、「兵庫県立美術館に寄付」なんてできないですものね。次の記事をご覧下さい。

【7.武田繁子さん】(大手医薬品メーカー「武田薬品工業」(本社・大阪市)社長武田國男氏の母で、1999年11月に88歳で逝去。繁子さんは80(昭和55)年に夫で元同社社長の武田長兵衛氏が亡くなった際、多額の遺産を相続していた〔←【筆者comment】・武田長兵衛氏からの相続の際、相続対策の一環として兵庫県立美術館への寄贈となった様だ〕)~遺産総額は、約240億70百万円(近畿2府4県の大阪国税局管内の課税対象遺産額としては歴代6位。1993年以降に亡くなった人の中では第2位)。遺産の内訳は自社株などの有価証券が約230億円、自宅などの不動産が約6億90百万円、預貯金などが約4億30百万円で相続したのは、國男氏ら子ども2人と孫の計3人----相続税額は約160億円(現金で納付)。
URL:http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/sougaku.htm ← ここをclickして下さい。記事に繋がります。
【筆者comment】
08t090201
▼小生、小磯良平の『T嬢の像』と『斉唱』はとくに気に入った作品なので、ポストカードを写真立てに入れ、狭苦しい小生書斎の机の脇に飾ってみた。寸暇ではあるが、「 なかなかいいなぁ 」と少しだけ幸福な気分を味わうことが出来た。〔添付写真〔08〕ご参照〕(笑)

では、また・・。(了)

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05【時習26回3-7の会】【2008年8月16日】《クラス会》於:ブラウンズ&トライ・アゲイン

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    ■2008年8月16日【時習26回3-7の会】《クラス会》を豊橋市内にある『ブラウンズ(一次会)』と『トライアゲイン(二次会)』にて開催しました。T三先生をはじめ全国から15名が集い大変楽しい5時間を過ごしました。 ■名残惜しいなか、23時すぎ、来年の再会を誓って散会しました。

101【2007年6月2~3日】■「千手院」でお会いした皆さんへ←clickでalbumへ

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    ■朝護孫子寺にて撮影した写真のほとんとを追加しました。ご高覧下さい。 ■2007年6月2~3日、「賢人会」のmember谷山・中嶋両氏と大和七福神・八宝廻りをしました。 ■七福神の一つ毘沙門天を祭る「信貴山朝護孫子寺」の宿坊【千手院】で一泊。 ■そこで、ご一緒した皆さんとの楽しかったひとときをアルバムにしました・・。      * * * ■瀬尾君、浅田さんとそのお供達の皆さんへ、「感想をお聞かせ」頂ければ幸甚です。 ▼『【時習26回3-7の会】のブログ画面』の【左上欄外】の「メール送信」を左clickして頂くと、今泉宛のmail address ~ < si886@nifty.com > ~ が開きます。 どうぞ、ご気軽に感想をmailにてお知らせください。 ▲【2637の会】のURL・・・  → URL: http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog

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