【時習26回3-7の会 0235】~「『時習26回卒業35周年記念旅行』申込み締切り迫る!」「斉藤茂太『「あなただけは特別な人」と思われる人の共通点』から」「イタリア旅行その5(最終回)『ナポリ・カプリ島』→『オランダ・アムステルダム』」
■今泉悟です。 皆さん如何お過ごしですか。 さぁ、今日も【2637の会】会報【0235】号をお送りします。
四月も今週で終わり、GWが始まります。【2637の会】membersの皆さんはどの様にGWを過ごされる予定ですか? 小生は、今年はとくに予定は入れていません。東名高速道路は、料金一律千円になって、かなり混雑が予想されそうです。小生、田舎である拙宅の庭の草取りという宿題をやらなければ・・。(汗)(笑)
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■さて、掲題・副題にあります様に、【2637の会】mebersの皆さんは、時習26回卒業35周年記念旅行』の申込みは済まされましたでしょうか。
小生は、先週22日に郵便局で振込手続きをして来ました。「13(土)~14(日)朝まで」のcourseで25千円。そして、13(土)のoptional courseは、「③walking course」参加を申込みました。
皆さんのお手許にもご案内が届いたと思いますが、一応、締め切りが今週4月30日(木)となっています。ご都合のつく方は是非ご参加下さい。
さて、【2637の会】からは何名の方が参加されるでしょうか? 楽しみです。
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■続いての話題は、最近読んだ「斉藤茂太『「あなただけは特別な人」と思われる人の共通点』」からご紹介致します。
最近、【2637の会】《会報》を配信させて頂いているなかで、ここ暫く、J司君以外の皆さんからmailを頂戴していませんので、「皆さんにご迷惑なのかなぁ」と、ふと不安が過ります。小生のbiorythmがいま「鬱」局面にあるためそう感じるのかもしれません。それならいいのですが、小生が「KY」なのかもしれないし・・。本当のところよく解りません。ご意見mailを頂戴できれば幸甚です。(汗)
その様な状況下、最近、斉藤茂太氏のこの本を読んで、少し元気を取り戻せました。そこで、気に入ったところをご紹介させて頂きます。
文章の中に出て来る『特別な人』を、「【2637の会】membersの皆さん」に置き換えたら、何故か心が救われました。
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【33.「相手の顔」を思い描けば、相手にうまく伝わる】
旅先から葉書を出したり、何か珍しいもの、おいしそうなものを見つけたときに、「あの人へのお土産にしよう」と、ふと心に浮かぶのは、あなたにとっての「特別な人」だ。
ある人によると、旅に行ったときに、お土産を買って帰る相手がいるかどうかで、日頃の生活の幸福度がわかるのだそうだ。買えば買うほど幸福というわけでもないだろうが、受け取った人には、「特別な思い」が伝わってゆくものだ。
「遠くの地にあって、ありがたいことに、ふと、私の顔を思い出してくれたのだなあ」と感じる。この「うれしい」が、生きていく力となる。旅先で書く一枚の便りが、大きな生きる力を与えるということだ。
また、知人から貰う葉書や手紙を読みながら、相手のイキイキとした表情が浮かんで来て、まるで会話をしているかの様な思いがするのであれば、その人は、あなたにとっての「特別な人」なのではないか。
同じ様な内容の文面であっても、なぜか、ある人のものは心のこもった印象が伝わって来て、何故か、ある人のものからはとくに伝わってくるものがない。
その理由は、その人が、こちらのイキイキとした顔を思い浮かべながら文面を書いているかどうか・・・・ではないだろうか。「心をこめる」とは、そういうことだ。
手紙を書くにしても、贈り物を贈るにしても、手料理で持て成すにしても、その人の嬉しそうな顔、笑っている顔、イキイキした顔を思い浮かべながら文字を書く、贈り物を選ぶ、料理を拵(こしら)える・・・・これで随分「心のこもり方」が違って来る。その人への「特別な思い」は、そうやって伝わってゆく。「相手の顔」が「見えない」儘では手紙も贈り物も、また電話にしても、相手の都合や人柄や好みを全く考慮しない、不躾なものに成り易い。役所からの通知や企業からのDMに、何とも言えぬ嫌な気持ちになるのは、そういう理由からだ。
その人の顔がイキイキと頭に浮かんで来る様であれば、あなたの「特別な思い」はきっと伝わって行く。それが、いい手紙であり、いい贈り物であり、相手の心でいつまでも生きているものになる。そういう「思い」が行き来する関係であれば、お互いに「なくてはならない人」だ。
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■さて、今日も、ここら辺りで締め括りとさせて頂きます。
「イタリア旅行〔その5(最終回)〕『ナポリ・カプリ島』→(ローマ経由)→『アムステルダム』」です。
イタリア旅行も5日目が事実上の最終日。
この日は、「ローマ市内一日自由観光」と、「ポンペイ遺跡」・「カプリ島」の二つのOptional tourlの選択肢があり、小生は迷わず「カプリ島」を選びました。
その理由は、以下の通り・・。
カプリ島は、ローマ帝国2代皇帝ティベリウスが、死を迎える年までの晩年(西暦27~37年)の10年をこの島で起居し、ここからローマの元老院に指令を出していた島。
小生、アウグストゥスの後を受け、ローマ帝国を磐石な大帝国として仕上げた、この冷徹でネクラな賢帝ティベリウスが大好きで、彼が愛したこの島を死ぬまでに是非一度訪れてみたかったのである。
ティベリウス帝が執務をとったカプリの別邸「ヴィラ・ヨヴィス(orジョヴィス)」跡地は今回の観光routeに入っていないため、実際に見ることは出来ず残念であった。
が、時間こそ二千年近く隔てられてはいるものの、ティベリウス帝が住んで(=存在して)いたこの島を訪れることが出来たという満足感が体中に満ち大変嬉しかった。
【小生がティベリウス帝を好きな理由】
ティベリウス帝は、ローマ時代の大歴史家タキトゥス以降、悪帝としての評価がなされて来たが、最近、彼は再評価されてきている。
即ち、カエサルとアウグストゥスで築いたローマ帝国の土台を、ティベリウスが磐石なものとし、「パックス・ロマーナ」を確立した「賢帝」として・・。
しかし、彼は、生い立ちからして波瀾万丈であった。 故に彼は、精神的にも屈折していたかもしれない。
即ち彼は、ローマの最高権力者となったアウグストゥスがみそめ、正妻となったリヴィアの連れ子。ティベリウスの父は、アウグストゥスによって(話し合いによる合意によってであるが)離婚させられている。
さらに、彼は成人したのち、これもアウグストゥスから、アウグストゥスのただ一人の実の娘ユリア(彼女はアウグストゥスの盟友アグリッパの妻)とアグリッパの死後、正妻として再婚させられている。このため、ティベリウスはヴィプサーニアという妻がいたが、彼女とは離婚させられている。ユリアはティベリウスより三歳姉さん女房。ユリアとの間に子は出来ず、前妻との子ドゥルーススが36歳で早世してからは、次代皇帝カリグラが決まるまで、あくまで「繋ぎ役」の皇帝として生きて来(ざるを得なかっ)た。華麗なる一族の中の「偉大な」脇役。肉体だけでなく、余程精神力が強くないと生きて行けなかったであろう。しかし、ティベリウスにはその体力と精神力があった。当時の実年齢で78歳の天寿を全うしたのだから・・。
彼は、三十代に数年ロードス島での隠遁生活を経験している。最晩年のカプリ島での生活も、ローマ元老院への指令を的確に出していたとは言え、ローマ社交界と無縁な隠遁生活であった。彼の数奇な半生が「人間嫌い」にしてしまったのかもしれない。
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〔01ティベリウス帝〕

〔02カプリ島とナポリ湾〕

塩野七生「ローマ人の物語『悪名高き皇帝たち[一]』(第17巻)〔皇帝ティベリウス(〔01〕添付写真ご参照)(在位、紀元14年9月17日~37年3月16日)〕」の冒頭のところで、〔カプリ島(〔02〕添付写真ご参照)〕と題して、次の様に始まっている。
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ナポリの南三十キロの会場に浮かぶ小さなカプリには、現代ならば水中翼船で三十分もあれば着いてしまう。(中略)ナポリ湾はボートやカヌーの練習も可能なくらいに波静かで、気候もローマと並んでイタリア半島最高の穏和さで有名だ。(中略)ティベリウスが必要としていたのは(中略)政務のための船だった。(中略)ナポリからも商港ポッツォーリからも軍港ミセーノからも、三時間もあればカプリに渡れたのではないかと思う。
現代でも地中海屈指の保養地ゆえ誰でも行けるカプリ島だが、二千年昔は島全体が皇帝の私有地だった。所有者だったナポリとの間にイスキア島と交換することを条件に、アウグストゥスが取得に成功したからである。ローマ世界の最高権力者をして、四倍の広さを持ち温泉もわくイスキアを手離してまで欲しいと思わせたカプリは、温泉の利点も忘れさせてくれるほどに美しい。「ナポリ湾の真珠」とは、ローマ時代からの呼称である。だが、これほども惚れこんだカプリなのに、アウグストゥスはこのカプリを満喫することもなく死んだ。(中略)
切り立った断崖絶壁に囲まれた砂浜も皆無のカプリ島では、船を着けられそうな場所は島の北辺部の一ヵ所(=(注)マリーナ・グランデ)しかない。アウグストゥスが建てさせたという別邸は、そこからほんの少し登った高台にあったといわれている。(中略)
ヨーロッパ中の高級店が軒を連ねるスノッブ(=snob(紳士きどり))な保養地に変った現代のカプリでは、船着場からはケーブルカーで、たちまち海抜百四十六メートルにある島の中央広場に連れて行かれる((注)小生たちは小型バスで港から10分そこそこで中央広場に着いた)。
(中略)ティベリウス帝の別邸の遺跡を訪れるには、(中略)海抜百四十六メートルから海抜三百三十六メートルに向かって登るのだが、道は険しくはない。(中略)ティベリウスの望みどおりに島の最東端の断崖の上に建てられた別邸までは、(中略)道は、ローマ人のことだから直ちに舗装されたに違いない(中略)。老いてもなお鉄の健康を誇っていたティベリウスだ。(中略)自らの足で登ったのかもしれない。(以下略)
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イタリア旅行の最後の行程は以下の通り。
〔行程〕
06:30 モンディアル・ホテル発。
06:45 optional tour集合場所であるホテル・レックスに集合。
◆集合場所のホテルは、宿泊ホテルの隣りのblockにあり迷わす助かった。
06:55 ローマ発。観光バスでナポリへ向かう。
08:30頃 アッピア街道を観光バスで横切る。
〔03~05アッピア街道〕



◆レスピーギの交響詩「ローマの松」の第4曲「アッピア街道の松」のmelodyが頭に浮かんだ。横切った時間は1秒ほどのほんの僅かな時間であったが、ちょっと感動した一瞬。(〔03〕〔04〕〔05〕添付写真ご参照)
10:00 ナポリ着。程なくナポリ港へ。港の向こうにベスビオ火山が見える。
10:39 ナポリ港発。200人乗りの高速船でカプリ島へ。
◆(〔06a〕添付写真ご参照)(〔06〕高速船乗船券)


◆(〔08ナポリ湾からベスビオ火山を望む〕)

◆目的地「青の洞窟」に行けるかどうかは、カプリ島へ行って初めて分る。
◆青の洞窟が綺麗に見えるのは、採光の関係から午前中に限られる。
11:30 カプリ島着。直ぐ「青の洞窟」行きの船に乗り換える。
◆今日は大丈夫ということでtour membersから歓声が沸く。
11:45 「青の洞窟」に入る。綺麗なcobalt blueの海面をどうぞ。
◆青の洞窟の入口はご覧の通り、本当に狭い。
◆観光客は仰向けに、船頭はうつ伏せになって入口に入る。
◆〔09〕〔10〕〔11〕〔12〕〔13〕〔14〕添付写真ご参照)



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◆ちょっと海が荒れれば見られなくなるのも頷ける。
◆青の洞窟内でのsnap shotです。(〔15〕〔16〕添付写真ご参照)


◆この洞窟はローマ帝国二代皇帝ティベリウスも遊んだという。
◆神秘的で本当に美しかった・・。
14:30 カプリ島発
15:30 ナポリ発
20:30 ローマ着(〔17〕添付写真は「ローマ歌劇場」)

◆「このローマ歌劇場で、カラスやテバルディ、デル・モナコやディ・ステファノの歌唱や、トゥリオ・セラフィンの名演奏が毎夜奏でられていたのだなぁ・・」と一人感動・・。その旨説明をしても家族は何の興味も示さず「ふ~ん・・っ」(笑)
20:40 モンディアル・ホテル着、(4時間余り)仮眠
01:00 起床
01:55 観光バスが迎車
02:30 tourが宿泊しているホテル着
03:10 ローマ空港着
06:10 ローマ発(KLM)
08:50 アムステルダム、スキポール空港着(〔18〕添付写真ご参照)

10:50 スキポール空港発、国鉄でアムステルダム中央駅へ
11:20 アムステルダム中央駅着
11:30 同駅発、「Van Baerlestraat」までトラム(路面電車)に乗る
◆ファン・ゴッホ美術館に入館しようとしたが、ご覧の通り入場券を求める人の長蛇の列に、入館を諦める。
(〔19〕添付写真ご参照)

◆トラムの車窓から見たアムステルダム市街と運河の様子、及びファン・ゴッホ美術館・国立美術館周辺の街の様子
(〔20〕〔21〕〔22〕〔23〕添付写真ご参照)


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12:50 スキポール空港着(上記と同じ経路を逆戻りする)
15:20 スキポール空港発
08:30 3月21日(土)成田空港着
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【小生comment】
慌しい旅行だったが、充実した8日間でもあった。因みに、撮影した写真は約三千枚に及んだ。(笑)
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では、また・・・。(了)









































































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