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2009年5月31日 (日)

【時習26回3-7の回 0240】~「伊丹敬之氏講演『「日本の経営」を創る』を聴いて」「養老孟司「たかが経済 されど経済『百年に一度を愉しむ』」

■【2637の会】membersの皆さん、如何お過ごしでしょうか。 今泉悟です。 さぁ、今日も《会報》【0240】号をお送りします。
 時節は移ろい、明日はもう6月。今週末5日は、二十四節気でいう『芒種』。西日本では、早いところでは入梅となる。
 七十二候では、〔初候〕:螳螂生(とうろう しょうず)~・螳螂が生まれ出る(日本・中国)/〔次候〕:腐草為蛍(ふそう ほたると なる)~・腐った草が蒸れ蛍になる(日本)/鵙始鳴(もず はじめて なく)~・鵙が鳴き始める(中国)/〔末候〕:梅子黄(うめのみ き なり)~・梅の実が黄ばんで熟す(日本)/反舌無声(はんぜつ こえ なし)~・鶯が鳴かなくなる(中国)という。そう言えば、庭の梅の木の実も、大分大きくなったが、まだ黄色く熟れてはいない。一方、紫陽花の蕾が大分膨らみ、暫くすると美しい花を咲かせることだろう。紫陽花は、カマキリ(蟷螂)の出現の頃咲き始める。

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■さて今日は、先々週の話になりますが、去る5月19日、豊橋市内のホテルで開催された東愛知サロン会にて「伊丹敬之氏(添付写真ご参照)講演『「日本の経営」を創る』(←伊丹氏には、同名の共著がある(添付写真ご参照))を聴いて」来ました。 なかなか面白い講演でしたので、ご紹介させて頂きます。
 プレジデント社刊〔 『PRESIDENT』2009.06.15 〕最新号に、伊丹氏の記事が出ていました。《経営持論》「日立トップ交代劇に見る経済危機『攻めの活用法』(前掲の写真ご参照)」がその記事です。その記事で、伊丹氏は、「今回の経済危機に関し、危機の効用」として、①新しい事業構造への挑戦、②経営陣の大幅刷新、の二つを上げています。 そして新しい事業構造への挑戦として、第一次オイルショックの後の不況を契機として、「コンビニ」と「宅配便」がスタートした、と紹介しています。 いずれも、経済危機へのレスポンスが、その後の事業発展に大きなプラスになったいい例である」として・・。
 伊丹敬之氏は、我等時習館高校第15回卒の先輩で、豊橋市新川生まれ。一橋大学商学部・同大学修士課程卒業後、米国カーネギー・メロン大学博士課程終了。 スタンフォード大学准教授、一橋大学教授、同大学商学部長等を歴任後、昨(2008)年より東京理科大学経営研究科教授、同研究科長。

【小生comment】
 伊丹氏は、同氏と高校時代同期であった人から聞いた話によると(その方も大変優秀な方であるが)、「実力試験で千点満点の自分の合計点より、一橋大学を目指す伊丹氏の九百点満点の合計点の方が高かったなぁ」と述懐される程の逸材だったそうだ。
 伊丹教授は、自分の家は、豊橋市新川の狭間公園近くにあった。氏曰く、「親父は、繊維問屋の三代目のボンボンで育ち、倒産を経験。その後、親父は一人でカメラ屋を開業し、自分が大学に入る頃にはかなり羽振りが良くなっていた。自分は、企業の倒産から発展迄、身近に経験しているので、普通の机上の話しか出来ない経済学者とは違う」と仰る。
 伊丹教授の講演の要旨を一言でいうと、「今回の大幅な景気後退も、過度な不安は不要! とくに中小企業の経営者の皆さん、日本の強みを今こそ活かして復活しよう!」ということでしょう。 では、どうぞ・・

【今回の不況は本当に百年に一度の経済危機か?!】 
 今回の様な経済危機は、案外、いい効果もある。躊躇している人の背中を押すことが出来る。ダメ社長を更迭もできる。
 そして、過大な不安は持たない方がいい。「百年に一度」と言われているが、(第二次世界大戦直後の苦しかった時代と比べてみても明らかな様に)「冗談を言うな!」と言いたい。この「百年に・・」という言葉は、FRBのグリーンスパン(議長(当時))が、「50年か100年に一度の・・」と言った、100年の方だけが増幅されて広まったもの。今回の経済危機は第一次石油危機程度のもの。 第一次石油危機当時は、石油依存度が高く、息の根を止められた感があったが、これに比べれば今回の経済危機は大したことはない。
◆日本は、過去50年間に7回の経済危機を経験している。
〔1〕1973(昭和48)年 第一次オイルショック ~・狂乱物価・日本沈没
〔2〕1979(昭和54)年 第二次オイルショック
〔3〕1985(昭和60)年 円高(ドル安)ショック ~・〔【注】プラザ合意〕
〔4〕1991(平成03)年 日本発=バブル崩壊 ~・日本のキャピタル・ロスはGDPの2倍強
〔5〕1997(平成09)年 アジア通貨危機 ~・日本の大手金融機関が続々と破綻(【注】拓銀・日長銀・日債銀)
〔6〕2001(平成13)年 米国同時多発テロ、米国ITバブル崩壊
〔7〕2008(平成20)年 リーマンショック ~・米国大手証券会社リーマン・ブラザーズの経営破綻
◆今回の経済危機の、その原因面からの本質は・・
〔1〕本質は、米国の構造的歪みの崩壊と過剰な証券化の破綻である。この2008年の危機をリーマンショックと呼ぶのは正しくない。
〔2〕これは、巨大な経常赤字、巨大な財政赤字、過剰消費、という米国の巨大な構造的歪みが長く続いたことによるもの。住宅バブルとは別のバブルと言っていい。
〔3〕『資本主義の勝利』のユーフォリア(=【小生注】陶酔的熱狂。設備投資や資産投機が盛り上がる理想的な状態)は、「証券化の跋扈」という鬼子を生んだ。その破綻が『過剰証券化の危機』。
→・証券化は、最初のリスクを取る段階を甘くする。証券化によりリスクを転嫁。~・貸し手にリスクが残らない。判断が甘くなるのは当然。
→・証券化は、その甘くなった初動リスクを、増殖させ乍ら、あちこちにばら撒く。
→・そのリスク顕在化の発端は、2007年8月の(フランスの銀行)パリバショック。~・この時ファンド閉鎖により損害額2,400億円。今、損失額は200兆円。
◆今回の危機の、危機後の現象面からの本質は・・
〔1〕原油価格をはじめとする、資源価格の急降下 ~・国際価格体系の大混乱が起こると、その調整に時間がかかる。
〔2〕金融の世界的大収縮が同時に発生 ~・これが投機資源価格急落の原因
〔3〕巨大な構造的歪み(=米国の過剰消費)の修正には、長期間必要。
◆1929年の大恐慌の後、米国経済は深刻な状況に・・
〔1〕3年でGDPは4割減少、失業率は25%を超えた。
〔2〕当時の米国のキャピタルロスは、GDPの2倍強。
→・日本のバブル崩壊後も、同程度のキャピタルロスを経験したが、日本経済は緩やかな経済成長を持続。~・寧ろ、90年代の日本経済の強靭さに自信を持つべき。
【人本主義がバブル崩壊後の日本を支えた】
◆人本主義こそ、企業システムとして、日本の経営の基本・・
〔1〕『人本主義』とは、「経済組織の編成原理として人のネットワークを安定的に作ることを極めて大切な基本原理と理解し組織化する」考え方。
〔2〕企業の競争力の源泉とは、「カネでなく、働く人達の知恵とエネルギー」で、「カネで買えないものに競争力の源泉がある」
【中小企業がつくる日本の経営】
◆3つの基礎環境の変化
〔1〕IT革命
〔2〕日本社会の高齢化
〔3〕東アジアの発展
◆インターネットとITというとてつもない技術革新
〔1〕日本の情報化の遅れの壁はなくなった ~ 「宅配便」・「コンビニ」・「携帯電話」は、インターネット時代のインフラ整備に大きく寄与。
→・情報のネット(『網』)だけでなく、「物流」のネット化が確立しないと、人々の生活は変わらない。
→・日本は、「宅配便」・「コンビニ」網により、「物流」のネット化が伸展。
〔2〕世界に先駆けてユビキタス社会を創出する日本
→・2011年、地上はアナログ停止により、デジタル元年がテレビの世界でも開始。~・〔世界初〕
→・高速デジタル通信ゼロ地域がまもなくなくなる。~・〔世界初〕
〔3〕ユビキタス時代は、中小企業の制約を解放
→・インターネット関連の、或いはそれを利用した新しい産業が生まれる時代。~・市場を利用する中小企業の活躍の場を創出。
→・ITが企業が大きいことのメリットをかなり削減。~・中小企業の「中小」のデメリットの低減を促進。
→・インターネットは、地域間の情報格差を小さくし、地域企業に活躍の場の提供の機会が増加。
◆中高年層の拡大、社会の高齢化、という日本の人口構造の変化
〔1〕増えるシニアマーケット ~・元気な高齢者が19百万人に
〔2〕シニアのニーズの特徴は「バラツキ」 ~・「バラツキ」=(多品種・少量・便利・割高)←人生の長い経験の累積がニーズにこのバラツキを生む。
〔3〕日本の有利さ
~・この「バラツキ」需要へ上手く対応できるのが日本企業の強み。←割高容認は、日本の高い人件費があまりデメリットにならないことを意味する。
~・世界に先駆け、この巨大市場を経験する日本 →・この経験が中国他の国にも到来する将来の高齢化市場の先例となり日本に有利に作用。
〔4〕シニア時代は中小企業の時代
 ~・「バラツキ」需要は、小回りが効く中小企業の時代。←シニアニーズは広範囲の地域にばらつき、地域企業の出番。
 ~・高齢者労働力を上手く使う中小企業の出番到来。←①高齢者需要は高齢者が理解できる ②技能の蓄積を持った高齢者が増加 ③大企業ではこうした高齢者を使いにくい。・・・だから、中小企業の出番となる。
◆東アジアの発展も追い風
〔1〕東アジアとの分業が日本を助ける ~・東アジアは日本の脅威ではない。
〔2〕空洞化は全体としては、それ程心配ない ~・日本は「開発工場」「部品供給」「高級需要」としての役割を果たす。
〔3〕地方の中小企業の不利さが減少 ~・①東京経由せず、直接東アジアと繋ぎ得る時代が到来 ②中小企業が真剣に国際展開を図る時代が到来
〔4〕驚くべき強靭さの中国経済
【中小企業こそ、国の基礎、国の宝】
◆新しい時代に活性化する中小企業の、二つのイメージ
〔1〕基盤技術を守り、先端化させる中小企業 ~・①こだわり職人の伝統を護持 ②柔軟な発想と経営センスを醸成
〔2〕新しい時代の息吹を先取りして、ユニークなニーズに応える中小企業 ~・求められる、センスある、豊かな生活感ある中小企業経営者


2009

■続いては、「新潮45〔2009.06〕」から「養老孟司「たかが経済 されど経済『百年に一度を愉しむ』」の抜粋をお届けします。
 養老氏のessayは、いつ読んでも、淡々とした口調で、視点というか文章の切り口が凡人とちょっと違うが、論旨は核心をついていて面白い。
 前掲の伊丹氏がお話されていた「百年に一度の・・」を、養老氏も次の様に述べている。

【便乗不況に騙されるな】
 「百年に一度の未曾有の事態だ」とい言われてはや半年ほどが経ちました。しかし、あまり外に出て歩き回らないせいか、どうもピンと来ません。(中略)
 周囲に聞いても「百年に一度」を実感しているようには思えません。(中略)
 何となく昭和最後の年に似た感じがします。天皇陛下の危篤が伝えられて以来、「自粛」といって忘年会などをやめた企業が多かった。どこかがそう言い出したら、次々右にならえとなったのです。(中略)
 今度の不況に関してもそういう便乗的な側面がかなりある様な気がします。いわば便乗不況です。(中略)
【本当の「未曾有」は終戦】
 「百年に一度」とか「未曾有」といった言葉だけは飛び交っていますが、そこまで大きな変化は来ていないし、来ないのではないか。何となく世の中が平坦になるだけではないか。そんな気がします。
 七十年ほど生きてきた中で、未曾有の経験と言えば、終戦以上のもはありません。私は当時、満七歳でしたが、あれほど短期間でがらっと世の中が変ったということに、あきれ返るしかありませんでした。(中略)
【下克上を期待する】
 ある種の不景気に応じて、みんなが「足るを知る」生活を送ると、最終的に景気が悪循環に陥るのではないかという懸念があるかもしれません。でも、私はそれでいいんじゃないかとすら思うのです。石油のこと、資源のことを考えるたら今は絶対に「使い過ぎ」です。
 個人のレベルでも、国や地球レベルで言っても、ある程度、縮小再生産に向かった方がいい訳です。食うに困る訳じゃない。だから、一次産業を進めよと言うのです。
 戦時中から戦後の食糧難の時には農家が大儲けしました。軽井沢の八百屋が骨董屋になったことがありました。金持ちがお宝を持って、「これと食糧を換えてください」と次々にやって来る。戦後になって、鎌倉に骨董屋を開くまでになった。その店は六月になると閉まって「御用の方は軽井沢店へどうぞ」と張り紙がしてありました。
 これから先、時代が変われば、今まで恵まれなかった一次産業の人が儲けられる様になるかもしれません。世の中、そういうことも大事でしょう。ずっと同じ様な人間が金を儲けているのではつまらない。
 このところ、ずっと日本でも「階級が固定化された」「下流化が進んだ」と問題になっていました。未曾有の事態が進行すれば、下克上が起きるかもしれない。「大会社なんかに勤めているから、酷い目にあうんだよ」。そんな台詞が使われる様な時代になるかもしれません。それは必ずも悪いことではない筈です。
 私が終戦の時に乗り切れたのは、人生が広かったからだと思っています。仮に人生の全てを軍隊に賭けていたら、もっと大きなダメージを受けていたでしょう。その狭い世界しかないのですから。
 実際、終戦後は本当に虚無的になって自暴自棄になった人が沢山いた訳です。そうならなくて済んだのは、子供だったからですし、その後も楽しく暮らしていけたのは、「人生が広い」からだと思っています。
 虫捕りは戦争と関係がありません。世間がどうだろうと、私にとっての虫捕りの楽しさとは関係ないのです。
 世間とは関係のない楽しみは沢山あります。多くの人は世間で生きているから、世間が成り立ってくれないと困ると本気で思っています。一方で、世間なんて要らないというふうに私はどこかで思っています。開き直りみたいなものがあるのです。
 人生を全部バーチャルなものに賭けているつもりになっていて、だからもうダメだと思っている人もいることでしょう。でもそういう人だって、実態はそんなことはないのです。脳だけで生きているつもりでも、身体は毎日飯を食わなくてはいけないのですから。(了)

【後記】■今日の締め括りは、皆さん、【2637の会】《クラス会》のご案内の件ですが、前にもお願いしましたが、このmail送信による確認で宜しいでしょうか。勿論、mail登録のない皆さんへは、従来通り、往復葉書にてご案内&出欠確認を取らさせて頂きます。このmailで来週辺り、確認のmaiを送信させて頂きますので、「出欠」のお返事を返信mailでお応え頂けると大変助かります。宜しくお願い申し上げます。
 それから、従前よりお願いしています、「青春のうた Part4」候補曲のリクエストの件も是非ご協力お願いします。 m(_ _)m

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 それでは、今日は、良寛全句集から、一句ご紹介してお別れしたいと思います。

 鳰の巣の ところがへする 五月雨(さつきさ(あ)め)  良寛

【意】降り続く五月雨のため、カイツブリ(=鳰)が造った巣がまさに「鳰の浮き巣」そのままに、水面上を漂い、場所を替える様である。
【解説】「浮き巣」をつくるのは、カイツブリだけだと言われ、寄辺無きものとして、古来より詩歌によく詠まれた。琵琶湖の鳰の巣は有名。

 五月雨に 鳰の浮き巣を 見に行かむ  芭蕉

 芭蕉もこの様に、鳰の浮き巣を見るために、遥々江戸から琵琶湖湖畔に行ってみたいと言っている。
 良寛は、この句で、浮き巣が五月雨の雨脚の変化で流れが変わり動いていく様(さま)をじっと見つめている。良寛の温かい眼差しを感じる句である。(了)

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