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2009年5月の5件の記事

2009年5月31日 (日)

【時習26回3-7の回 0240】~「伊丹敬之氏講演『「日本の経営」を創る』を聴いて」「養老孟司「たかが経済 されど経済『百年に一度を愉しむ』」

■【2637の会】membersの皆さん、如何お過ごしでしょうか。 今泉悟です。 さぁ、今日も《会報》【0240】号をお送りします。
 時節は移ろい、明日はもう6月。今週末5日は、二十四節気でいう『芒種』。西日本では、早いところでは入梅となる。
 七十二候では、〔初候〕:螳螂生(とうろう しょうず)~・螳螂が生まれ出る(日本・中国)/〔次候〕:腐草為蛍(ふそう ほたると なる)~・腐った草が蒸れ蛍になる(日本)/鵙始鳴(もず はじめて なく)~・鵙が鳴き始める(中国)/〔末候〕:梅子黄(うめのみ き なり)~・梅の実が黄ばんで熟す(日本)/反舌無声(はんぜつ こえ なし)~・鶯が鳴かなくなる(中国)という。そう言えば、庭の梅の木の実も、大分大きくなったが、まだ黄色く熟れてはいない。一方、紫陽花の蕾が大分膨らみ、暫くすると美しい花を咲かせることだろう。紫陽花は、カマキリ(蟷螂)の出現の頃咲き始める。

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■さて今日は、先々週の話になりますが、去る5月19日、豊橋市内のホテルで開催された東愛知サロン会にて「伊丹敬之氏(添付写真ご参照)講演『「日本の経営」を創る』(←伊丹氏には、同名の共著がある(添付写真ご参照))を聴いて」来ました。 なかなか面白い講演でしたので、ご紹介させて頂きます。
 プレジデント社刊〔 『PRESIDENT』2009.06.15 〕最新号に、伊丹氏の記事が出ていました。《経営持論》「日立トップ交代劇に見る経済危機『攻めの活用法』(前掲の写真ご参照)」がその記事です。その記事で、伊丹氏は、「今回の経済危機に関し、危機の効用」として、①新しい事業構造への挑戦、②経営陣の大幅刷新、の二つを上げています。 そして新しい事業構造への挑戦として、第一次オイルショックの後の不況を契機として、「コンビニ」と「宅配便」がスタートした、と紹介しています。 いずれも、経済危機へのレスポンスが、その後の事業発展に大きなプラスになったいい例である」として・・。
 伊丹敬之氏は、我等時習館高校第15回卒の先輩で、豊橋市新川生まれ。一橋大学商学部・同大学修士課程卒業後、米国カーネギー・メロン大学博士課程終了。 スタンフォード大学准教授、一橋大学教授、同大学商学部長等を歴任後、昨(2008)年より東京理科大学経営研究科教授、同研究科長。

【小生comment】
 伊丹氏は、同氏と高校時代同期であった人から聞いた話によると(その方も大変優秀な方であるが)、「実力試験で千点満点の自分の合計点より、一橋大学を目指す伊丹氏の九百点満点の合計点の方が高かったなぁ」と述懐される程の逸材だったそうだ。
 伊丹教授は、自分の家は、豊橋市新川の狭間公園近くにあった。氏曰く、「親父は、繊維問屋の三代目のボンボンで育ち、倒産を経験。その後、親父は一人でカメラ屋を開業し、自分が大学に入る頃にはかなり羽振りが良くなっていた。自分は、企業の倒産から発展迄、身近に経験しているので、普通の机上の話しか出来ない経済学者とは違う」と仰る。
 伊丹教授の講演の要旨を一言でいうと、「今回の大幅な景気後退も、過度な不安は不要! とくに中小企業の経営者の皆さん、日本の強みを今こそ活かして復活しよう!」ということでしょう。 では、どうぞ・・

【今回の不況は本当に百年に一度の経済危機か?!】 
 今回の様な経済危機は、案外、いい効果もある。躊躇している人の背中を押すことが出来る。ダメ社長を更迭もできる。
 そして、過大な不安は持たない方がいい。「百年に一度」と言われているが、(第二次世界大戦直後の苦しかった時代と比べてみても明らかな様に)「冗談を言うな!」と言いたい。この「百年に・・」という言葉は、FRBのグリーンスパン(議長(当時))が、「50年か100年に一度の・・」と言った、100年の方だけが増幅されて広まったもの。今回の経済危機は第一次石油危機程度のもの。 第一次石油危機当時は、石油依存度が高く、息の根を止められた感があったが、これに比べれば今回の経済危機は大したことはない。
◆日本は、過去50年間に7回の経済危機を経験している。
〔1〕1973(昭和48)年 第一次オイルショック ~・狂乱物価・日本沈没
〔2〕1979(昭和54)年 第二次オイルショック
〔3〕1985(昭和60)年 円高(ドル安)ショック ~・〔【注】プラザ合意〕
〔4〕1991(平成03)年 日本発=バブル崩壊 ~・日本のキャピタル・ロスはGDPの2倍強
〔5〕1997(平成09)年 アジア通貨危機 ~・日本の大手金融機関が続々と破綻(【注】拓銀・日長銀・日債銀)
〔6〕2001(平成13)年 米国同時多発テロ、米国ITバブル崩壊
〔7〕2008(平成20)年 リーマンショック ~・米国大手証券会社リーマン・ブラザーズの経営破綻
◆今回の経済危機の、その原因面からの本質は・・
〔1〕本質は、米国の構造的歪みの崩壊と過剰な証券化の破綻である。この2008年の危機をリーマンショックと呼ぶのは正しくない。
〔2〕これは、巨大な経常赤字、巨大な財政赤字、過剰消費、という米国の巨大な構造的歪みが長く続いたことによるもの。住宅バブルとは別のバブルと言っていい。
〔3〕『資本主義の勝利』のユーフォリア(=【小生注】陶酔的熱狂。設備投資や資産投機が盛り上がる理想的な状態)は、「証券化の跋扈」という鬼子を生んだ。その破綻が『過剰証券化の危機』。
→・証券化は、最初のリスクを取る段階を甘くする。証券化によりリスクを転嫁。~・貸し手にリスクが残らない。判断が甘くなるのは当然。
→・証券化は、その甘くなった初動リスクを、増殖させ乍ら、あちこちにばら撒く。
→・そのリスク顕在化の発端は、2007年8月の(フランスの銀行)パリバショック。~・この時ファンド閉鎖により損害額2,400億円。今、損失額は200兆円。
◆今回の危機の、危機後の現象面からの本質は・・
〔1〕原油価格をはじめとする、資源価格の急降下 ~・国際価格体系の大混乱が起こると、その調整に時間がかかる。
〔2〕金融の世界的大収縮が同時に発生 ~・これが投機資源価格急落の原因
〔3〕巨大な構造的歪み(=米国の過剰消費)の修正には、長期間必要。
◆1929年の大恐慌の後、米国経済は深刻な状況に・・
〔1〕3年でGDPは4割減少、失業率は25%を超えた。
〔2〕当時の米国のキャピタルロスは、GDPの2倍強。
→・日本のバブル崩壊後も、同程度のキャピタルロスを経験したが、日本経済は緩やかな経済成長を持続。~・寧ろ、90年代の日本経済の強靭さに自信を持つべき。
【人本主義がバブル崩壊後の日本を支えた】
◆人本主義こそ、企業システムとして、日本の経営の基本・・
〔1〕『人本主義』とは、「経済組織の編成原理として人のネットワークを安定的に作ることを極めて大切な基本原理と理解し組織化する」考え方。
〔2〕企業の競争力の源泉とは、「カネでなく、働く人達の知恵とエネルギー」で、「カネで買えないものに競争力の源泉がある」
【中小企業がつくる日本の経営】
◆3つの基礎環境の変化
〔1〕IT革命
〔2〕日本社会の高齢化
〔3〕東アジアの発展
◆インターネットとITというとてつもない技術革新
〔1〕日本の情報化の遅れの壁はなくなった ~ 「宅配便」・「コンビニ」・「携帯電話」は、インターネット時代のインフラ整備に大きく寄与。
→・情報のネット(『網』)だけでなく、「物流」のネット化が確立しないと、人々の生活は変わらない。
→・日本は、「宅配便」・「コンビニ」網により、「物流」のネット化が伸展。
〔2〕世界に先駆けてユビキタス社会を創出する日本
→・2011年、地上はアナログ停止により、デジタル元年がテレビの世界でも開始。~・〔世界初〕
→・高速デジタル通信ゼロ地域がまもなくなくなる。~・〔世界初〕
〔3〕ユビキタス時代は、中小企業の制約を解放
→・インターネット関連の、或いはそれを利用した新しい産業が生まれる時代。~・市場を利用する中小企業の活躍の場を創出。
→・ITが企業が大きいことのメリットをかなり削減。~・中小企業の「中小」のデメリットの低減を促進。
→・インターネットは、地域間の情報格差を小さくし、地域企業に活躍の場の提供の機会が増加。
◆中高年層の拡大、社会の高齢化、という日本の人口構造の変化
〔1〕増えるシニアマーケット ~・元気な高齢者が19百万人に
〔2〕シニアのニーズの特徴は「バラツキ」 ~・「バラツキ」=(多品種・少量・便利・割高)←人生の長い経験の累積がニーズにこのバラツキを生む。
〔3〕日本の有利さ
~・この「バラツキ」需要へ上手く対応できるのが日本企業の強み。←割高容認は、日本の高い人件費があまりデメリットにならないことを意味する。
~・世界に先駆け、この巨大市場を経験する日本 →・この経験が中国他の国にも到来する将来の高齢化市場の先例となり日本に有利に作用。
〔4〕シニア時代は中小企業の時代
 ~・「バラツキ」需要は、小回りが効く中小企業の時代。←シニアニーズは広範囲の地域にばらつき、地域企業の出番。
 ~・高齢者労働力を上手く使う中小企業の出番到来。←①高齢者需要は高齢者が理解できる ②技能の蓄積を持った高齢者が増加 ③大企業ではこうした高齢者を使いにくい。・・・だから、中小企業の出番となる。
◆東アジアの発展も追い風
〔1〕東アジアとの分業が日本を助ける ~・東アジアは日本の脅威ではない。
〔2〕空洞化は全体としては、それ程心配ない ~・日本は「開発工場」「部品供給」「高級需要」としての役割を果たす。
〔3〕地方の中小企業の不利さが減少 ~・①東京経由せず、直接東アジアと繋ぎ得る時代が到来 ②中小企業が真剣に国際展開を図る時代が到来
〔4〕驚くべき強靭さの中国経済
【中小企業こそ、国の基礎、国の宝】
◆新しい時代に活性化する中小企業の、二つのイメージ
〔1〕基盤技術を守り、先端化させる中小企業 ~・①こだわり職人の伝統を護持 ②柔軟な発想と経営センスを醸成
〔2〕新しい時代の息吹を先取りして、ユニークなニーズに応える中小企業 ~・求められる、センスある、豊かな生活感ある中小企業経営者


2009

■続いては、「新潮45〔2009.06〕」から「養老孟司「たかが経済 されど経済『百年に一度を愉しむ』」の抜粋をお届けします。
 養老氏のessayは、いつ読んでも、淡々とした口調で、視点というか文章の切り口が凡人とちょっと違うが、論旨は核心をついていて面白い。
 前掲の伊丹氏がお話されていた「百年に一度の・・」を、養老氏も次の様に述べている。

【便乗不況に騙されるな】
 「百年に一度の未曾有の事態だ」とい言われてはや半年ほどが経ちました。しかし、あまり外に出て歩き回らないせいか、どうもピンと来ません。(中略)
 周囲に聞いても「百年に一度」を実感しているようには思えません。(中略)
 何となく昭和最後の年に似た感じがします。天皇陛下の危篤が伝えられて以来、「自粛」といって忘年会などをやめた企業が多かった。どこかがそう言い出したら、次々右にならえとなったのです。(中略)
 今度の不況に関してもそういう便乗的な側面がかなりある様な気がします。いわば便乗不況です。(中略)
【本当の「未曾有」は終戦】
 「百年に一度」とか「未曾有」といった言葉だけは飛び交っていますが、そこまで大きな変化は来ていないし、来ないのではないか。何となく世の中が平坦になるだけではないか。そんな気がします。
 七十年ほど生きてきた中で、未曾有の経験と言えば、終戦以上のもはありません。私は当時、満七歳でしたが、あれほど短期間でがらっと世の中が変ったということに、あきれ返るしかありませんでした。(中略)
【下克上を期待する】
 ある種の不景気に応じて、みんなが「足るを知る」生活を送ると、最終的に景気が悪循環に陥るのではないかという懸念があるかもしれません。でも、私はそれでいいんじゃないかとすら思うのです。石油のこと、資源のことを考えるたら今は絶対に「使い過ぎ」です。
 個人のレベルでも、国や地球レベルで言っても、ある程度、縮小再生産に向かった方がいい訳です。食うに困る訳じゃない。だから、一次産業を進めよと言うのです。
 戦時中から戦後の食糧難の時には農家が大儲けしました。軽井沢の八百屋が骨董屋になったことがありました。金持ちがお宝を持って、「これと食糧を換えてください」と次々にやって来る。戦後になって、鎌倉に骨董屋を開くまでになった。その店は六月になると閉まって「御用の方は軽井沢店へどうぞ」と張り紙がしてありました。
 これから先、時代が変われば、今まで恵まれなかった一次産業の人が儲けられる様になるかもしれません。世の中、そういうことも大事でしょう。ずっと同じ様な人間が金を儲けているのではつまらない。
 このところ、ずっと日本でも「階級が固定化された」「下流化が進んだ」と問題になっていました。未曾有の事態が進行すれば、下克上が起きるかもしれない。「大会社なんかに勤めているから、酷い目にあうんだよ」。そんな台詞が使われる様な時代になるかもしれません。それは必ずも悪いことではない筈です。
 私が終戦の時に乗り切れたのは、人生が広かったからだと思っています。仮に人生の全てを軍隊に賭けていたら、もっと大きなダメージを受けていたでしょう。その狭い世界しかないのですから。
 実際、終戦後は本当に虚無的になって自暴自棄になった人が沢山いた訳です。そうならなくて済んだのは、子供だったからですし、その後も楽しく暮らしていけたのは、「人生が広い」からだと思っています。
 虫捕りは戦争と関係がありません。世間がどうだろうと、私にとっての虫捕りの楽しさとは関係ないのです。
 世間とは関係のない楽しみは沢山あります。多くの人は世間で生きているから、世間が成り立ってくれないと困ると本気で思っています。一方で、世間なんて要らないというふうに私はどこかで思っています。開き直りみたいなものがあるのです。
 人生を全部バーチャルなものに賭けているつもりになっていて、だからもうダメだと思っている人もいることでしょう。でもそういう人だって、実態はそんなことはないのです。脳だけで生きているつもりでも、身体は毎日飯を食わなくてはいけないのですから。(了)

【後記】■今日の締め括りは、皆さん、【2637の会】《クラス会》のご案内の件ですが、前にもお願いしましたが、このmail送信による確認で宜しいでしょうか。勿論、mail登録のない皆さんへは、従来通り、往復葉書にてご案内&出欠確認を取らさせて頂きます。このmailで来週辺り、確認のmaiを送信させて頂きますので、「出欠」のお返事を返信mailでお応え頂けると大変助かります。宜しくお願い申し上げます。
 それから、従前よりお願いしています、「青春のうた Part4」候補曲のリクエストの件も是非ご協力お願いします。 m(_ _)m

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 それでは、今日は、良寛全句集から、一句ご紹介してお別れしたいと思います。

 鳰の巣の ところがへする 五月雨(さつきさ(あ)め)  良寛

【意】降り続く五月雨のため、カイツブリ(=鳰)が造った巣がまさに「鳰の浮き巣」そのままに、水面上を漂い、場所を替える様である。
【解説】「浮き巣」をつくるのは、カイツブリだけだと言われ、寄辺無きものとして、古来より詩歌によく詠まれた。琵琶湖の鳰の巣は有名。

 五月雨に 鳰の浮き巣を 見に行かむ  芭蕉

 芭蕉もこの様に、鳰の浮き巣を見るために、遥々江戸から琵琶湖湖畔に行ってみたいと言っている。
 良寛は、この句で、浮き巣が五月雨の雨脚の変化で流れが変わり動いていく様(さま)をじっと見つめている。良寛の温かい眼差しを感じる句である。(了)

2009年5月24日 (日)

【時習26回3-7の会 0239】~「5月18日:時習26回『ミニミニ同窓会』開催報告」「五木寛之『人はみな大河のの一滴』~『見えない風に吹かれて』より・・」

■今泉悟です。 皆さん如何お過ごしですか。 さぁ、今日も【2637の会】会報【0239】号をお送りします。
 景気が悪いせいだろうか、最近どうも小生、精神が不安定気味である。 blueな気分である。 まだ軽い躁鬱病にもなっていないとは思うが・・。(笑)(汗)
 こういうblueな気分の時こそ、気の置けない同期の仲間達との気楽な語らいは萎えた心を慰めてくれて本当に助かる。ストレスがかなり軽くなった。
 小生、掲題・副題にある様に「5月18日:時習26回『ミニミニ同窓会』開催報告」を例のトライアゲインにて18時過ぎから22時半まで行なった。
 参加membersは、4月8日に実施した面々に再び嘉森君を加えた5人である。添付写真ご参照下さい。
 いつも林K子さんにはご自宅が会場に近いもともあり、会の直前電話して無理にお誘いしても嫌な顔をせず参加して下さる。この場を借りて改めて謝意も申し上げ度。

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 私事であるが、小生、昨日23日夕刻17時半~20時半まで、名古屋駅前の食事処で、大学時代の弓道部の5期(5代)合同の同窓会があり、参加した。
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 ここでも自称宴会部長である小生が総合司会。どうもこういう催事にはあっているのかもしれない。(笑) この合同同窓会も、今年3月に創部五十周年記念式典があった際に、年次の近い先輩から「今泉、お前幹事で、合同同窓会をやれ」という下知があり、開催したもの。準備から開催まで凡そ一月で結構忙しかったが、挙行してみると、やはり同窓会というものはいい。全国に散らばった先輩・同期・後輩が39名一堂に会して、それこそ大学卒業以来の人との再会もあり懐かしく楽しかった。因みに、時習26回の旧【3-2】の飯田H祥君も参加している。ご参考に写真を添付します。
 最近、こういう同窓会・同期会・クラス会というものに凄く愛着を持つ様になって来た。歳を取ったということなのか、それとも残された人生が少なくなったという焦燥感からなのか、自分自身でもよく解らない・・。(笑)

■さて、今日は、最近入手した、五木寛之語りおろし全集『人はみな大河の一滴』から、第9集《見えない風に吹かれて》で、五木氏が述べていることに感銘を受けましたので、その抜粋をお届けします。
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【青春・朱夏・白秋・玄冬】
 まず生きているということを尊敬し大事にしようじゃないかと、そして、私たちが生きているということが、心と体の危ういバランスの上に立って、そして私たちの将来待ち構えている死という大きなものをちゃんと意識しつつ青春、朱夏、白秋、玄冬を生き続けているのだと、こういうふうに考えたいと思います。
 人の一生というものを、(中略)中国では四神(ししん)思想という影響の中で、人生をやはり(【小生注】インドと同様に)4つに分けているところが大変面白いと思います。青春という言葉だけを独立させて使うと、何か薄っぺらで甘ったるい感じがするのですが、本来の言葉としてはそうではありません。その次に朱夏というコントラストがあります。それに続く白秋、そして最後に玄冬という言葉が来ます。玄は玄米の玄で黒いという意味です。青春という言葉は一つだけ独立して使われるのではなく、この四つがセットになっていると考えたほうがよいと思います。
 青春・朱夏・白秋・玄冬。これが人間の一生と重なりあうところがあるので、いつの間にか人間の十代から二十代にかけての華やかな時期を青春などと言う様になりました。社会に出て世の中のために頑張ると、この時期が朱夏。人生の後半に差し掛かって、白秋期に入る。なんとなく澄み切った秋空の下で、風が吹くススキの道でも歩いている様な、透明な感じもして、なかなか悪いものではありません。
 そして最後が玄冬。玄とは黒い、暗いという意味ですが、それだけではないんですね。老子の言葉の中に「玄の玄」という言葉が出て参ります。玄牝(げんびん)というのは生命の源というふうに解釈されておりますけれども、玄というのは、背後に一抹の赤みを帯びた黒だというふうに道教の権威者である福永光司先生はおっしゃっていました。玄冬とはただ暗い冬というのではなくて、若い時には見えなかった様な、微かな明日への光が見えて来る時期であると、こんなふうに私は、勝手に善意に解釈して、やがて玄冬を迎えようとする時期に差し掛かっています。
 人生をこの様に分けて考えるところでは何処でもそうなのですが、興味深いことには、以前は社会からリタイアする時期が非常に早く考えられていました。今は長寿社会ですから七十歳まで働こう、という感じなんですけれども、鴨長明は山に引っ込んで『方丈記』などを随分歳を取って書いた様な気がするんですが、彼は五十歳位で山に入った筈です。(中略)
 働くということを生き甲斐と感じるというのは、やっぱりある意味で独特の考え方の様な気がするんですね。(中略)ルターの思想といいますか、大きな宗教改革を経て、プロテスタンティズムというものが確立されてきますと、その中で勤労の倫理というものが生まれて来ます。
【人事を尽くすとはどういうことか】
 勤労の中に喜びを見出すことに尊い倫理を探すという考え方も、プロテスタンティズムの中に生まれて参ります。(中略)恐らく、勤めた先に応じてその仕事に生き甲斐を見出そうと努力することによって、その仕事に興味が湧いてくるというのが実際の状況じゃないかと思います。
 しかし、その中で私たち人間は永遠に生きて行くことが出来ない(中略)。今自分が続けている仕事は、生涯自分がこのために命を賭けてもいいと思っている仕事でないという実感があった(中略)場合、悩み続けるのが人間(中略)で、迷ったらやってみるのも一つの選択かもしれないと思います。それは、自分の思う様には世の中は進まない、という考えを私はもっているからです。(中略)
【他力という不思議な力】
 (中略)他力というのは、目に見えない自分以外の大きな力が、自分の生き方を支えていてくれているんだなあという感覚なんですね。自分以外の他の者が、自分という存在を支えている。謙虚に受け取るということが、他力の一番根のところにある言葉だろうと思います。
 他力という言葉が生まれて来る前の段階にあるものは、諦めるという感覚ですね。これは(中略)「明らかに究(きわ)める」、ぎりぎりの最後の真実まで眼をそらさず確りと確かめる。親鸞は最終的に一つの諦めの境地に到達するんですね。自力では諦めきれぬと諦めた、他力に縋(すが)る他に術なしと。(中略)
【見えない風に吹かれて】
 (中略)他力の考え方のいいことは、他力を意識している人間は、有り難いとかお蔭様でとか、いやあ自分の力でやったことじゃありませんとかいう感覚が自ずと心の中に生じて来ることなんですね。親鸞の有名な「わがはからいにはあらず」という感覚を、暮らしの中でちゃんと大事にしているかしていないかということで、相当違う感じがするんですね。
 他力を一つの信仰の大きな力と考える様になったのは、やはり私たち二十世紀の人間は傲慢過ぎたのではなかろうか、ということがあります。人間は何でも出来るんだ、あらゆることが可能である、という傲慢さの故に私たちは人間が寄生虫の様に暮らしている地球というものを随分無茶苦茶にしたな、と考える様になって来た訳ですね。(中略)
 人間の生きる日々というものを考える時に、人の世にはどうしようもないことが沢山ある。そして、どんなに努力しても、それを避けることが出来ないこともある。そういうものを諦める、つまり明らかに認めて、それを受け容れるということが、私たちの人生にとっては非常に大事なことだと思います。私たちは本当は聞こえない声に囁かれてそれを選んでいるだけかもしれない。他力の光を浴び乍ら生きていることが人間らしい生き方であるという考え方もできるんですね。(以下略)

【小生comment】
 五木寛之氏のこのCDessay集は、小生、最近毎朝腹筋をし乍ら聞いているのですが、BGMが無伴奏チェロの演奏で、カタロニア民謡の『鳥の歌』(~この作品はチェロのmaestroパブロ・カザルスが世界に紹介した名曲~)で始まり、そして終わる。 雰囲気がちょっと暗くなりそうなのですが、よく聴くと心にじ~んと来る素晴らしいessay集です。
 「我々は生かされている」「私たちは本当は聞こえない声に囁かれてそれを選んでいるだけかもしれない」本当に小生も最近そう思う様になって来ました。『他力』という言葉を、これまで小生〔 『他力本願』=『阿弥陀様に助けて貰う』 〕と、短絡的に理解していましたが、決してそれだけではない。
 「一生懸命努めても、『自力』では決して叶えることができないことが存在するのだ」ということを素直に受け入れ、努力した後は、自分の力ではどうしようも出来ない『他力』によって「『あるが儘』に任せる」、そういう心境になって来ました。
 今日ご紹介させて頂いた作品も、なかなか含蓄あるお話だと思います。

【後記】■今週は、上記の合同同窓会の準備に奔走したため、【2637の会】の準備が御座なりになってしまいました。お詫び申し上げます。
 今日の締め括りは、最近購入した「校注『良寛全歌集』」(春秋社)から一首お届けします。
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白浪の よする渚さを 見渡せば 末は雲井に 続く海原  良寛

【意】白い波が寄せる波打ち際から沖を見渡すと、その果ては、雲にまで続いていることよ
【小生comment】
 極めて写実的な歌である。砂浜に寄せては返す白波の音が耳元にまで聞こえて来る様だ。その海原を見渡すと、その果ては白雲迄届いている。爽やかな情感も醸し出している秀歌である、と思う。
 「末は雲井に 続く海原」というところは、李白の「黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る」の「孤帆の遠影 碧空に尽き/惟(た)だ見る長江の天際に流るるを」を想起する。(了)

2009年5月17日 (日)

【時習26回3-7の会 0238】~「時習26回卒業35周年記念旅行《続報》」「【2637の会】《クラス会》『青春のうた Part4《続報》』」「文藝春秋2009年6月号〔塩野七生『地震国日本ができること』から〕&〔枕頭の歴史書「人物の対話」から『佐々淳行~プルターク英雄伝』「齋藤茂太著『「あなただけは特別な人」と思われる人の共通点』&同著『「なぜか人に思われる人」の習慣』」

■【2637の会】membersの皆さん、如何お過ごしです? 五月ももう半ばを過ぎようとしています。 今週21日は二十四節気でいう『小満』。 時の移ろいは速く、そして淡々と過ぎ去って行きます。
 さて、今日も【2637の会 0238】号をお届けします。 

■今日は、まず掲題にある様に「時習26回卒業35周年記念旅行~《続報》」の件からお伝えします。名古屋の幹事の皆さんからの情報では、5月13日現在で、74名の参加表明まで漕ぎ付けたそうです。 我等【2637の会】membersの皆さんは、先週より1名増え5名になりました。
 前《会報》を配信した翌日、金子T久君からmailが届きました。『時習26回卒業35周年記念旅行』は参加したかったそうですが、丁度、海外出張と重なって出席できないそうです。残念ですね。 でも、我々には8月15日に【2637の会】《クラス会》があります。
 金子君からは《クラス会》の件について、〔 いつもどおり楽しみにしています。 〕という嬉しいyellを頂戴しました。事実上の参加表明第一号と理解したいと思います。 金子君へ、《クラス会》での再会を楽しみにしています。(^o^)/ 

■更に、「【2637の会】《クラス会》『青春のうた Part4』」のリクエストの件につきましては、金子君からmailを頂いた翌日、J司君から request-mail が届きました。〔 曲数など考えずに無作為に選びました。/よろしくお願いします。 〕 と mai l にありました。リクエスト曲数は13曲。 J司君、どうもありがとう。 【2637の会】membersの皆さんからのrequestを心待ちにしています。 今回は、青春時代によく聞いた歌謡曲や、夏木陽介、竜雷太等が主演した青春ドラマシリーズ『青春とはなんだ』『これが青春だ』『でっかい青春』のテーマソングも候補曲に入れました。是非、request して下さい。皆さんからの request-mail を心よりお待ちしています。m(_ _)m

■さて、今日は、10日に発売された文藝春秋2009年6月号を見ましたら〔塩野七生『地震国日本ができること』から〕&〔枕頭の歴史書「人物の対話」から『佐々淳行~プルターク英雄伝』『古井由吉~タキトゥス「年代記」からティベリウス帝』〕」と、歴史好き、世界史、特に「ローマ帝国」が好きな小生には興味の尽きない記事が載っていましたので、その中から今日は『佐々淳行~プルターク英雄伝』をご紹介させて頂きます。 まずその前に、「塩野七生『地震国日本ができること』から」をご紹介します。 

【日本人へ・七十三 地震国・日本ができること】~塩野七生
 中川問題で地に堕ちた感のあった日本の評判が、イタリアでは今、二つのことを契機にV字回復している。
 第一は、ローマで開催中の広重の展覧会。(中略)
 第二は、四月六日の午前三時半に、中部イタリアのアブルッツォ州を襲った地震である。日本に似てイタリアも地震帯の上にのっている国だが、その州都、日本ならば県庁所在地にあたるラクィラを中心にした周辺一帯が、マグニチュード6の地震によって壊滅状態になったのだ。
 (中略)石を積み上げた造り(中略)の建物は、地震が起きると上からぐしゃっとと潰れる。中性の石造建造物が多いイタリアでは、地震が起きても火事にはならない(中略)。但し上から垂直に潰れて来るから、逃げ遅れ様ものなら命はない。
 それで、山岳地帯のため人口密度の低いアブルッツォ州だというのに、三百人を超える死者が出てしまったのである。ここでイタリア中から声が挙がったのだった。
 先進国の中ではイタリア同様に地震大国の日本では、この程度の地震では、死者は出ないというではないか、と。これにイタリアのその分野の専門家達が、ここぞとばかりに答えたのだった。
「日本人は、耐震技術の向上とその普及に熱心に取り組んでいるのです」
 それ以来だ、日本に学ぼう。という声がわきあがったのは。連日テレビや新聞で、日本の地震対策が賞賛され始め、それは地震から二週間が過ぎようとしている今(4月18日記)でも続いている。
 ここへ来て私も意を決したのだった。地震の二日後、在イタリア大使館に電話し、広報担当官に聞いたのだ。客人としてイタリアに滞在している日本人もこの不幸に何かしなければと思いますが、日本側は、何をなさるおつもりですか、と。
 (中略)そして翌朝、大使から電話があり、その午後には早くも、私が大使館に出向いたのである。
 (【小生注】 そして、塩野氏は、大使と話し合い、①在伊の日本法人と個人への募金の呼びかけ、②日本の耐震技術の粋をつくした建造物を建てて贈る、ことが決まった。)
 大使が私に教えてくれた今日(4月18日)現在までの進行状態は次の通りである。
 これまでに集まった見舞金の総額は15万7千ユーロ(約21百万円)。
 首相の外交顧問との会談では、見舞金に加えて次のことも伝えたという。
 一、地震国日本としてイタリアに、全面的助言なり協力なりを行なう用意があること。
 二、崩壊した公的施設の再建への協力も、現在検討中であること。
 一・二共に相手側は、謝意と共に今後の緊密な連絡を約束したという。また、経団連とも連絡をとりつつあるということだ。
「顔が見える外交」が我々日本人の望みなれば、我々自らが顔を見せる様努めねばならない。それも、あちらがトクするすると同時にこちらもトクする形で。

【小生comment】
 外交交渉が上手いとは言えない日本も、塩野さんの後押しもありイタリアで評価が高まりそう。いいことですね。世界の中で、経済規模に比して存在感の薄い日本。こういう非常時下に、被災国から喜んで貰えることを実行することで点数を稼ぐことは決して悪いことではない。今後の日本のイタリアでの貢献に強く期待したい。

■続いては、〔 枕頭の歴史書「人物の対話」から『佐々淳行~プルターク英雄』 〕からご紹介します。
 小生も、プルターク英雄伝は、小学校4年生の時、親父からプレゼントされ、テミストクレス、ペリクレス、アレクサンドロス〔以上、ギリシア〕、ユリウス・カエサル、(ティベリウス&ガイウス)グラックス兄弟〔以上、ローマ〕等を読み、感動した記憶がある。

【沢田謙『プルターク英雄伝』】
 私の「枕に置きたい一冊の本」は『プルターク英雄伝』である。それも筑摩書房刊『世界文学大系』にある本式の『プルタルコス英雄伝』ではなくて、昭和十一年九月五日初版の、大日本雄弁会講談社刊、沢田謙著、定価一円五十銭の、所謂「少年講談本」である。それは、言わば時の青少年教育用のギリシャ、ローマ英雄偉人列伝のダイジェスト版で、難解な原著よりも遥かに読み易く、かつ面白い。
 感受性豊かな少年達に大志を抱かせ、英雄崇拝を植えつける歴史物語で、読み進めば居乍らにして、アレキサンダー、シーザー、哲人プラトン、賢者シセロ達と空想の世界で遭うことが出来る。著者が日本の青少年向きに編集したところもあり、原著にはない章立てもある。著者のまえがきによれば「ナポレオンが少年時代、一番愛読したのは『プルターク英雄伝』で、人に馬鹿にされたり、ガッカリした時は、これを読んで心を慰め、気分を奮い立たせた」という。また、ナポレオンがこの本を『決断』の見取り稽古の教科書にしていたとの逸話もあり、シーザーがルビコン河を前に悩むところで本を閉じ、「私ならどうするだろう」と考え、さらに本を開いて読み進んだともいう。(中略)
 私(佐々氏)が『プルターク英雄伝』にのめり込んだのは、十三歳の時だ。爾来この本は、私の書斎のすぐ手が届くところにあって、青、壮年期から老年期と長ずるにつれ、読み返してみると、その都度味わいある私の貴重な蔵書の一冊である。スパルタ教育に明け暮れた軍国少年の頃、私が憧れた英雄は、テルモピレーの戦で名高いスパルタの優勝レオニダスだった。神風特攻隊のパイロット達を神と崇めていた時代のことである。昔から私は、楠正成、真田幸村といった悲劇の武将が好きで徳川家康が嫌いだったから、このスパルタの名将が好きになった。(中略)
 ペルシャ王クセルクセスは、亡父ダリウス大王の遺恨を晴らすべく、大軍を率いて再びギリシャを攻めるのだが、この大軍を、一方は断崖絶壁、一方は海というテルモピレーの天険で、一騎当千のスパルタ兵三百名で阻んだのが名将レオニダスだった。スパルタ人は、決死の戦いの前には髪の毛を梳(くしけず)る習慣があったという。玉砕覚悟で髪を梳る三百のスパルタ兵の気概は、神風特攻隊にも似て、私達軍国少年の心をうつものがあった。
〔01〕ダヴィッド『テルモピレーの戦』
Photo

(以下略)

【小生comment】
 流石は少年時代を戦時下で過ごしただけあって読むものが違う。とは言え、戦後20年経ち平和になった昭和40年に読んだ『プルターク英雄伝』は小生の様に軟弱な少年(笑)でも心躍る魅力満載の伝記書であった。「レオニダス」と言えば「テルモピレー(テルモピュライ)の戦い(B.C.480年8月)」→「第二次ペルシア戦争」→「第一次ペルシア戦争」→「ダリウス大王(ダレイオス1世)」「マラトンの戦い(B.C.490年)」「サラミスの海戦(同年)」→「テミストクレス」「陶片追放」・・、と連想が果てしなく続く。

【後記】
 5月13日の中日新聞朝刊に次の記事が載っていた。
 「ダイハツ工業と日野自動車を含むgroup全体の2009年のトヨタ自動車の自動車世界販売台数が2008年実績(924万台)比で約三割減668万台と計画していることがわかった、と発表があった。 この水準は2003年(683万台)とほぼ同じ水準。 因みに、過去最高はGMを抜き生産台数世界一になった2007年の950万台。」
 愛知県は、トヨタ自動車のお膝元なので、「同社が前期に続き今期も赤字決算の見通し」ということは、県や関連市町村に与える影響は甚大である。そして、同社や同社groupと直接・間接に取引ある中小零細企業に与える影響も・・。
 こういう経営環境の下では、どうしても気分が滅入ってしまう。だから、こういう時こそ明るい気分になる様に工夫が必要となる。
 ということで、「明るい気分になる」ための処方箋として、今日のお別れに、先日ご紹介した齋藤茂太著『「あなただけは特別な人」と思われる人の共通点』と、同じく齋藤茂太著『「なぜか人に思われる人」の習慣』(いずれもぶんか社文庫)から二つご紹介したいと思います。

【齋藤茂太著『「なぜか人に思われる人」の習慣』~〔 20.まず体力を鍛えよう、体力が気力を支える 〕】
 (前略)例えば水泳やランニングをすることで、心肺機能を高める。全身に酸素のめぐりが良くなれば、体の調子だけでなく、頭の働きも良くなり、物事を進め易くなる。
 腕力などの、見て直ぐわかる筋力がアップすれば、男性の場合は相手に対し、精神的に優位に立てるだろう。
 足腰の筋肉や持久力がつけば、それまでは直ぐに疲れて嫌になったことが、苦もなくできる様にもなる。
 体力的に落ちているために、面倒になったり、直ぐに止めたくなったりしたものが続けられる様になれば、それまで見えなかった世界が見えてくる。それがきっかけとなり、評価されなかった「今いち」の世界から、抜け出せる可能性も高くなる。
 前向き人間達を見ていると、意識的か無意識かは別として、生活の何処かで体力の維持となる何かをしている。彼等の体力が、気力を支えている様に見える。
 勿論体力だけの問題ではないけれども、気力アップは体力アップによって容易になることは確かなことだと思うのだ。

【齋藤茂太著『「あなただけは特別な人」と思われる人の共通点』~〔 32.いとおしい人の笑顔ががんばるエネルギーになる 〕】

 (前略)確かに、仕事のライバルの顔、職場の上司の顔、会社の社長の顔よりも、「愛する人の笑顔」のほうが、私達の心を力づけてくれることは間違いない。
「あの人のことを考えると、不思議と力が漲って来る」・・・・・そういう相手は、間違いなく、あなたの「特別な人」である。私達は、一人で生きていけない。「あの人のために」という人が身近にいてこそ、力強く生きていける。その人と過ごす「無邪気な時間」があるからこそ、また、頑張れる。また、その人は私達を「危機」から救ってくれもするし、人生に充実を感じさせてもくれる。だから、、いま「立っていられる」のだ。

では、また・・。

2009年5月10日 (日)

【時習26回3-7の会 0237】~「【2637の会】《クラス会》いよいよ始動!・・『青春のうたPart4』アンケートにご協力を!」「『時習26回卒業35周年記念旅行』の募集状況」「白州正子『花にもの思う春』から『俊成』→「平家物語」→『千載和歌集』→【能】『忠度』&【狂言】『薩摩守』」

■今泉悟です。 皆さん如何お過ごしですか。 さぁ、今日も【2637の会】会報【0237】号をお送りします。
 今日はまず、今年2009年夏の【時習26回3-7の会】《クラス会》に向け始動したというお話から・・。
 掲題・副題「【2637の会】《クラス会》いよいよ始動!・・『青春のうたPart4』アンケートにご協力を!」にあります様に、添付fileをご覧頂きたいと思いますが、「青春のうた」候補曲を全51曲nominateさせて頂きました。この中から皆さんがお好みの曲を複数選曲して、小生宛に返信して頂きたくお願いするものです。
〔 このアンケートは小生から【2637の会】membersの皆さん宛にmail送信した方々のみが対象です。その他の皆さんは悪しからずご了承下さい。m(_ _)m 〕
 アンケートの方法は昨年と同様です。当該添付flile「青春のうた PartⅣ 2009年」を一度、デスクトップかマイドキュメントにplotして頂き、ご希望曲の頭左横にある「check-box」を左clickして頂きますと「レ(check-mark)」が付きます。こうしてcheckして頂いた当該fileを、本mailの返信に添付して頂き、返信釦を押して頂ければOKです。ご希望曲の件数が多い順に選曲させて頂きます。充実した『青春のうた Part4』と致し度、ご協力の程宜しくお願い申し上げます。m(_ _)m
 それから、《クラス会》会場の件ですが、以前ご案内しました様に、今回は、昨今の不況下の中、費用節減を考え、前回の二次会会場である、『トライ・アゲイン』で一次会・二次会と一気通貫で行おうと考えていますが、宜しいでしょうか。従って、会費も5千円ポッキリで考えています。

 日時 : 8月15日(土)18時00分~
 場所 : トライアゲイン〔豊橋市駅前大通2-33-1 開発ビル地下1F〕
 予算 : 5000円(税金・サービス料込)

 後日今月末頃、正式にご案内を出状しようと思います。それから、もう一つご協力を・・。このmailをお送りしている皆さんへのご案内状は、葉書を出状しないで行こうと思いますが、宜しいでしょうか。OKの方はその旨返信mailを頂戴できると有り難いのですが・・。当該返信mailはご本人のご了解なしには皆さんに公表しませんので。(為念)(^ ^;)
 正直なところ、往復はがきの準備枚数が減るだけでも負担感がかなり軽減されますので、ご協力頂ければ幸甚です。m(_ _)m
 これ等の件につきまして、【2637の会】members皆さんから忌憚のないご意見をお待ちしています。m(_ _)m

■さて続いては、「時習26回卒業35周年記念旅行」の募集状況ですが、幹事〔名古屋在住〕の皆さんに確認したら、5月9日現在で61名。80名は集めたいそうです。
 【2637の会】membersの皆さんの参加者は、「宴会」のみ参加者を含め現状4名。ちょっと少ないですね。我等26回卒は10クラスあったのですから、1割として現状6名強で平均ですから、6~8名は参加して頂けると有り難いのですが・・。是非ともご協力のほど、宜しくお願い申し上げます。m(_ _)m 今日は、やけに「m(_ _)m」が多いですね。(笑)

■さて小生、このGWの前3日間(5月2(土)~4(月))は、庭の草取りで殆ど終わってしまいました。 後半の5(火)~6(水)は生憎の雨で、部屋の掃除と読書と勉強(←嘘(笑))。晴耕雨読の五日間でした。(笑)
 その読書の中で、最近購入した白州正子著『花にもの思う春』(平凡社ライブラリー)がなかなか良かったので、その中から「俊成」巻頭の一部をご紹介します。
〔白州正子『花にもの思う春』から『俊成』と新日本古典文学大系「勅撰和歌集『千載和歌集』」〕
01

 そして、「白州正子『花にもの思う春』から『俊成』→『【平家物語】から〔忠度都落(ただのりみやこおち)〕』→『千載和歌集』→【能】『忠度』&【狂言】『薩摩守』」と想像逞しく連想してみました。
 添付写真は、「白州正子『花にもの思う春』&新日本古典文学大系『千載和歌集』」と「【能】『忠度』の武装姿の『忠度の霊(後ジテ)』〔喜多流〕」。
 それでは、、「白州正子『花にもの思う春』から『俊成』」をご紹介します。

 平家物語「忠度の都落の事」には、平家の一門が総崩れになって、西海へ落ちて行った時、薩摩の守忠度は何を思ったのか、急に途中から引き返し、藤原俊成の館へ馳せ参じた。すわ、落人が帰って来たと、門の中では騒ぐ様子であったが、「忠度」と聞いて、俊成は、直ちに内へ招じ入れた。〔←【小生注】ここのところは、【平家物語】〔忠度都落〕が詳しく記している〕
 忠度は俊成の和歌の弟子であったが、ここ二、三年は戦いにあけくれて、ご無沙汰したとの詫びをいい、今度ばかりは平家の運命もつき果てました。ついては今もし世の中が静まって、勅撰集を撰ぶようなことがあれば、せめて一首なりとも入れて頂きたい。生涯の思い出に、草葉の蔭から嬉しく存じましょうと、自作の歌を集めた巻物を取出し、俊成に託して去って行った。
 その後、世の中が静まって、後白河法皇の院宣により、千載集が編纂された時、あまたある忠度の秀歌の中から、「故郷の花」の一首が撰に入った。ただし、平家は勅勘の身であるため、「詠み人しらず」としてである。

【千載和歌集】〔巻第一〕(春歌上)
   故郷(ノ)花といへる心をよみ侍(はべ)りける    よみ人しらず

 さゞ波や 志賀のみやこは あれにしを むかしながらの 山ざくらかな

【意】さざ浪の志賀の古い都は荒れ果ててしまったが、長等(ながら)の山の山桜は昔の儘に美しく咲いているよ。
【解説】「さざ浪(楽浪)」は琵琶湖南西岸の古名。「さざなみや」で志賀(滋賀)の枕詞。「志賀のみやこ」は天智天皇の大津京のこと。壬申の乱後、廃都となる。「むかしながら」は「昔ながら」に「長等の山」をかける。俊成は、平氏への鎮魂の意を込め、滅びの世界の中に花の美の永久を讃えたこの一首を千載和歌集に選び入れた。
〔以上、新日本古典文学大系『千載和歌集』から〕

 この逸話は、意外に多くのことを物語っていると思う。それは、源平時代に、俊成が和歌の世界で重要な位置を占めていたこと、歌人にとって勅撰集に撰ばれるというのが、どんなに名誉なことであったか、忠度ほどの武将が、危険を冒して頼みに行くほど執念を燃やしたこと、一時は天下をわが物にした平家の公達が、宮廷歌人には全く頭があがらなかったことなどが、目に見える様に描かれている。
 後にこの逸話は、能の『忠度(添付写真ご参照)』と『俊成忠度』に脚色されたが、ともに言われる「夢幻能」で、忠度の幽霊が現れて、「詠み人しらず」と書かれたことに対する恨みを述べ、最後は一の谷で討死したいきさつを再現して終わる。
 この二作のうち『忠度』は、世阿弥の作と伝えられ、花も実もある武士の妄執を、心ゆくまで描きつくしている。時代を俊成の死後に設定し、その子の定家に、『千載集』の歌に作者の名をつけてくれと伝言するなど、細かい工夫が凝らしてあるのも、世阿弥らしい。室町時代の芸能人にとって、俊成・定家父子は神の如き存在で、「幽玄」の歌論を、猿楽に取り入れたのも世阿弥であった。(以下略)

以下に、その【能】『忠度』と、【狂言】『薩摩守』のあらすじをご紹介しますのでご高覧下さい。
【能】 〔 忠度 〕修羅物・夢幻能、世阿弥作
02

 時は春。藤原俊成没後、身内に仕えていた人が出家し僧(ワキ)となり西国行脚の旅に出た。須磨の浦に着く。以前より噂に聞いていた桜を愛でていると、塩を焼く薪を背負って現れた老漁夫(前ジテ)と出会う。その老人は桜の木に手向けをする。日が暮れ、僧が老人に宿をと頼むと「今宵はこの木陰に宿るが良い」と言いい、この桜木が「行き暮れて木(こ)の下蔭(したかげ)を宿とせば、花や今宵の主ならまし」と詠んだ薩摩守忠度の墓標の木だと言う。忠度と俊成は和歌の子弟関係にあったので俊成縁の僧が手(た)向けをすると、老人は回向を喜び自らが忠度の亡霊であると仄めかし花蔭に消える。 
 後刻、仮寝の僧の眼前に甲冑姿の忠度の霊が出現。『千載和歌集』に入れられた歌が「読み人知らず」となった無念を告白。そして和歌へ寄せる思いと、一の谷の合戦で岡部六弥太と組んで落命したことを再現し、僧に回向(えこう)を頼み花の下に消える。.『源氏物語』須磨巻の雰囲気が漂う風雅な修羅能。

 この【修羅能】のmain themeである歌、とてもいい歌なので、もう一度ご紹介したい。

 行き暮れて 木の下蔭を 宿とせば 花や今宵の 主ならまし

【狂言】 〔 薩摩守 〕
 茶屋は無一文の僧に同情して、天王寺参詣のために船をただ乗りする方法を教える。その方法とは、秀句(洒落)好きの船頭に「船賃は、薩摩守」と言うこと。そのこころは忠度(タダノリ=只乗り)なのだが、いざ船を下りる段になって秀句の心(オチ)を忘れてしまった僧は、渡守の問いに「青海苔(アオノリ)」と答えてしまう。

【筆者comment】
▼平忠度の官職は薩摩守。「忠度(タダノリ)」=「只乗り」=「無賃乗車」(←狂言では車でなく船)を「サツマノカミ」と称する隠語はこの狂言『薩摩守』がrootsという。でも、この「サツマノカミ」という隠語も現代ではほとんど死語ですね。(笑)
 いずれにしても、「 さゞ浪や 志賀のみやこは あれにしを むかしながらの 山ざくらかな 」の歌を中心に、「平家物語」「勅撰和歌集『千載和歌集』」「【能】『忠度』」「【狂言】『薩摩守』」、果ては隠語の『サツマノカミ』と・・、「平忠度」という一人の人物の存在が、感動的な史実として奥ゆかしく、美しい『日本文化』の調べとなって花開き発展して行く。この日本文化の流れが脈々と現代にまで継承され続けている・・。 久し振りに感動的な余韻漂う『日本の美』を見つけた様な気がした。

【後記】

 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり
 娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす
 おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。

 おなじみ「平家物語」の冒頭の件(くだり)だが、これを読む度、滅びの世界の空しさを感じる。
 その時、何故かふと、「紫蘭(シラン)」の花が思い浮かんだ。 拙宅の近所の庭先に群生して咲いていたシランの花。 その花の可憐さが、滅びの世界とどう結びつくのか理由は定かには解らないが、至極自然に感じられた。
 そこで今日の締め括りは、可憐な花「紫蘭(シラン)」(添付写真〔03〕〔04〕ご参照)を詠んだ句をお届けしてお別れします。
〔03〕〔04〕紫蘭
0301
0402


 紫蘭咲いていささかは岩もあはれなり  北原白秋

【意】紫蘭の美しさがしみじみと伝わって来る秀句。

 ついでに、小生の拙句も・・

 雨脚に 煙りて映える 紫蘭かな  悟空

【意】五月雨が降っている庭に、煙ってもなお赤く明るく輝いて見える紫蘭の花のえも言われぬ美しさ・・。

 では、また・・。(了)

2009年5月 3日 (日)

【時習26回3-7の会 0236】~「映画『ローマの休日』こぼれ話」「『ゴーギャン展』を観て」「高樹のぶ子~ときめき脳でいきいき暮らす『いくつになっても男と女でいることが大切です』から」

■今泉悟です。 皆さん如何お過ごしですか。 さぁ、今日も【2637の会】会報【0236】号をお送りします。
 GW真っ只中ですが、皆さん如何お過ごしですか。 時習26回卒業35周年記念旅行の申込は済まされたでしょうか。沢山の皆さんが参加されるといいですね。
 時節は・・、いつもこの切り出しばかりで済みません。(笑) 昨日5月2日が「立春」から数えて88日目の「八十八夜」。 そして、明後日5月5日が『立夏』。 暦の上では、もう夏なのですね。

 さて、『立夏』と言えば、「卯の花のにほふ垣根に・・夏はきぬ」という佐佐木信綱の歌が思い出される。
 また、こんな句もある。

 プラタナス 夜もみどりなる 夏は来ぬ  石田波郷

 さてまた、5月5日は端午の節句。 この節句に「鯉幟」を立てる様になったのは江戸時代中期頃からという。 「鯉幟」は、中国黄河上流、龍門の滝を鯉が登ると龍になるという「登竜門」の伝説に因んだ慣わしである。

 鯉幟 牡丹ばたけに とほきかな  久保田万太郎

 俳句の天才(と小生は確信する)万太郎の作品を眺めていたら、『立夏』から『初夏』の時期の、こんな秀作に出会った。

 薄暮、微雨、而して薔薇しろきかな  久保田万太郎

【解説】「薄暮(はくぼ)」、「微雨(びう)」とnuanceの異なった薄物がかけられたgradationの様な形容。その上で(=而して)「薔薇白き」と続く。 写真で撮った一枚の白い薔薇花の傑作が眼前にある様だ。 「春燈」所収(昭和34年7月)

■さて、今日は、ある人から「ローマの休日」のスペイン広場でのこぼれ話を聞き、果たしてその通りでしたので、一つの薀蓄として(笑)そのことについてご報告致します。
 その人曰く、TVの「トレビアの泉」で放映されたから、「知っている人は結構いるよ!」とのこと。
 【2637の会】membersの皆さんの中でも、かなりの人が知っているお話かも・・。 小生は知らなかった・・。(^ ^;)
 そこで、好奇心だけは人一倍ある小生、「よし、調べよう!」ということになった次第。 添付写真を順にご覧下さい。 モノクロの写真は映画からのカット。 カラー写真の方は、先月イタリア旅行で撮影した際のものである(ご参考までに)。
 ここの場面のstoryは、以下の通り。

〔1〕アン王女が理容店で髪をカットして貰い(添付写真〔01〕)、コンドッティ通りをスペイン広場の階段の処へと進んで行く(同〔04〕〔05〕〔06〕)。
〔01〕
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〔04〕
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〔05〕〔06〕
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〔2〕アン王女が広場前の売店でアイスクリームを買い(同〔07〕)、アイスクリームを食べている(同〔09〕)と、新聞記者ジョーが偶然出合ったふりをしてアン王女に近づき話しかける(同〔11〕)。
〔07〕
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〔09〕
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〔11〕
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〔3〕アン王女は「白状することがある」とジョーに嘘の告白をする(同〔12〕)。


〔12〕
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〔4〕その後、二人は一日ローマ市内を遊んで回ることで意見が一致し(同〔13〕〔14〕〔15〕)、ジョーの誘われる儘、カフェ・テラスへと・・。

〔13〕〔14〕
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〔15〕
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 さて皆さん、この映画のsceneを眺めていて「何か変だなぁ・・」と感じた方は流石に「鋭い!」。
 そうです。この映画のロケの時間帯が4つに別れ、トリ二タ・ディ・モンティ教会の時計の時間が、「12時35分頃(写真〔05〕)」「08時10分頃(同〔09〕〔11〕)」「10時25分頃(同〔12〕〔13〕)」「15時50分頃(同〔14〕〔15〕)」と、明らかに前後している(尚、長針と短針が不明確で、例えば最後の「15時50分頃」が実際は「09時20分頃」かもしれませんが・・)。 いずれにしても、映画のstoryの時間の流れの通りに時計の針は進行せず、時間が前後している。 添付写真の時計をご覧頂くと、ロケの時間が4回にコマ切れになっていることにお気づき頂けたと思います。
 勿論、これはtrivialな、枝葉末節な話であり、小生、畏れ多くも、この「不朽の名作」『ローマの休日』にケチをつけるつもりは毛頭ありませんので、念の為。
 それにしても、往年のオードリー・ヘップバーンは美しい・・。(嘆息)(笑)

■続いては、小生、先週4月25日(土)に、親父を連れて、名古屋・金山にある名古屋ボストン美術館開館10周年記念企画展「ゴーギャン」展を観てきましたので、その模様について簡単にご紹介します。まずは、彼の略歴から・・
〔16〕名古屋ボストン美術館『ゴーギャン』展
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ポール・ゴーギャン(Eugene Henri Paul Gauguin, 1848.06.07-1903.05.08)は、フランスの後期印象派画家。
【略歴】
1848年(00歳) 6月7日、パリに生まれた。彼の父クロヴィスは共和派ジャーナリスト。母アリーヌは、女性解放運動家フローラ・トリスタンの娘。
1849年(01歳) ナポレオン3世の弾圧を危惧し、一家で親戚のいるペルーへ。船中で父が病死。母、姉と共にリマにある母方の大叔父ドン・ピオ家で暮らす。
1855年(07歳) フランスに帰国。
          その後、一時期、オルレアンの神学学校に通う。
1865年(17歳) 中学校を卒業。見習い海員として商船に乗り込む。南米やインドを訪問。
1867年(19歳) 7月、航海中に母死去。
1871年(23歳) この年まで海軍に在籍。普仏戦争にも参加。
1872年(24歳) パリのベルタン商会で株式仲買人となる。
1873年(25歳) デンマーク女性メット・ソフィー・ガットと結婚。後年5人の子の父となる。
1876年(28歳) サロンに風景画が初入選。
1879年(31歳) 第4回印象派展に出品。所有するピサロの作品も展示。以後1886年最後の印象派展まで出品。マネ・ドガ・ルノアール・ピサロ等と交流開始。
〔17〕「オスニー村の入口」(1882-83) 〔18〕「森の中」(1884) 
              〔19〕「白いテーブルクロス(グロアネクの下宿)」(1886)
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1883年(35歳) (前年、フランス経済恐慌)株式仲買人の職を辞し、画家を志す。
1886年(38歳) 7月ブルターニュ地方のポン=タヴェンへ。 8月ベルナールと、11月ゴッホと知り合う。


〔20〕「ブルターニュの少年の水浴」(1886) 〔21〕「ボン・タヴェンの木陰の母と子」(1886)
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1888年(40歳) 10月ゴッホとの共同生活開始。12月ゴッホの耳切り事件後破綻、パリに帰る。







〔22〕「アリスカンの並木路、アルル」(1888) 〔23〕「ブルターニュの子供」(1889)
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〔24〕「家畜番の少女」(1889) 〔25〕「二人のブルターニュ女のいる風景」(1889)
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1891年(43歳) 6月タヒチへ。



〔26〕「かぐわしき大地」(1892) 〔27〕「小屋の前の犬、タヒチ」(1892)
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1893年(45歳) 8月フランスへ帰国。
1895年(47歳) 7月マルセイユを発ち再びタヒチへ。
1896年(48歳) 1月タヒチの14歳の女性パフラと同棲。4月貧困、精神的落込み、脚の激痛からモルヒネを注射。
1897年(49歳) 4月妻メットからの手紙で愛娘の死(1月)を知り衝撃を受ける。12月大作『我々はどこから来たのか、『我々は何者か、我々はどこへ行くのか』を書き始める。
〔28〕『我々はどこから来たのか、『我々は何者か、我々はどこへ行くのか』
28gauguin8189798

1898年(50歳) 11月『我々はどこから・・』がパリに到着。
1899年(51歳) パフラが男子出産。
1901年(53歳) 2‐3月入退院を繰り返す。9月マルキーズ島のラ・ドミニック(現ヒヴァ・オア)島へ。11月14歳の少女ヴァエオホを迎える。
1902年(54歳) 8月ヴァエオホ妊娠、実家へ帰る。9月女児出産。
1903年(54歳) 5月8日心臓発作により死去。

【小生comment】
▼後期印象派の中でも、特異な存在の巨星Gauguin。彼の画家としての人生は、二十代後半以降、アンリ・ルソーの様に日曜画家からstartした。初期の作品は添付写真〔17〕〔18〕〔19〕〔20〕をご覧の様に、彼が一時期傾倒したピサロの作風の影響を受け、大変受け容れ易い作品を幾つも創作した。
 彼の中期以降の作品は、段々と絵がデフォルメされて、一見稚拙の様に見えるが、絵の対象物の構図と色彩のバランスが微妙に合っていて見る者を魅了する。不思議な画家である。添付写真〔22〕アリスカンの並木路や、〔25〕二人のブルターニュ女のいる風景、〔27〕小屋の前の犬、タヒチ、のいずれも、「構図のバランスと色彩の微妙な調和の妙」をご覧下さい。
 それから、彼の大作『我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか』についてであるが、大変有名な絵であるので、細かな評価は他者に譲りたい。
 ただ、この作品のモチーフの殆どは、Gauguinが持っていたローマにある「トラヤヌス記念柱」の写真から取られている。
 この記念柱は、ローマ皇帝トラヤヌスが、ダキア(現ルーマニアの辺り)征服の戦勝記念としてレリーフを施したものである。
 この《会報》ではご紹介していないが、Gauguinの木彫レリーフの作品「戦争と平和:戦争」「戦争と平和:平和」等も、この記念柱からinspirationを得て創作されたものと思われる。
 いずれにしても、ゴーギャンは存在感の大きな印象派の画家であることは間違いない。いろんな意味から「感動」した展覧会であった。

【後記】■今日の締め括りは、「高樹のぶ子~ときめき脳でいきいき暮らす『いくつになっても男と女でいることが大切です』から」をお届けしてお別れしたいと思います。 御年63歳とは思えない艶っぽい高樹のぶ子氏のessayのessenceをどうぞ・・

 最近は日本でも漸く、手を繋いで歩く中年のカップルを見かけるようになりました。(中略)今では高ぶる様な恋愛感情はなくても、若い頃の燃える様な恋心を互いに思い出したりしている。そこには(中略)男と女としての関係がある。折角男と女がカップルとしているのですから、常にそれを感じることです。(中略)
 また結婚していても、互いに別の異性と交流を持てばいい。男友達とお酒を飲みに行ったり、お茶を楽しんだりすればいい。そしてそれをご主人に話せばいいんです。夫も若い女性と食事に行けばいい。「今日は、○○ちゃんと食事に行ったんだよ」と奥さんに言えばいい。そこでは俺も男として見られているんだとアピールすればいいんです。浮気をするとかそういうことではなく、互いに男と女でいる場所を持つことも大事なのです。
 ヨーロッパに行くと、レストランの照明はあえて暗くしてあります。それは、大人のカップルが食事をする場所だからです。薄暗い照明は、互いの白髪や皺を隠してくれる。男と女であること、そして恋愛の幻想をキープできるように演出されている。これは素晴らしい文化の成熟だと思います。(中略)
 男や女を捨てることは、ある意味では楽なことです。でもそれは寂しいこと。人生のジグソーパズルがいつまで経っても完成しない様なもの。男の部分や女の部分が枯れてしまったら、きっと脳も枯れてしまう。そうならないために、夫婦で手を繋いで、互いに名前で呼び合って、パズルのかけらを探しに行って下さい。(以下略)
【小生comment】
▼高樹氏のcommentは尤もだと思う。だが、straightに受容できないのは、小生の頭が旧いからだろうか。(笑) でも、彼女の言う通りに行動してみたいという願望は正直ある。(笑)(汗)

では、また・・。(了)

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