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2009年6月21日 (日)

【時習26回3-7の会 0243】~「【2637の会】《クラス会》出欠状況経過報告」「6月13日:『時習26回卒業35周年記念旅行』からoptional course『ザ・ウォーキング:舞阪~新居関所』記」「6月9日:江口克彦氏講演『松下幸之助に学ぶ元気の出る経営』を聴いて」「日野原重明著『いのちと勇気のことば』より」「『斎藤茂太:【心も体も使わないとダメになる。日記でアタマを活性化しよう】』」

■今泉悟です。 皆さん如何お過ごしですか。 さぁ、今日も【2637の会】会報【0243】号をお送りします。

■さて今日も最初の話題は、掲題・副題にあります様に、先々週7日に配信させて頂きました、2009年【2637の会】《クラス会》出欠状況報告の《続報》についてご報告させて頂きます。
 先週以降から今日までに、既に返信mailを頂戴した8名の皆さんのほか、犬飼(石田)さん、伊庭さんから返信mailを頂戴しました。どうもありがとうございます。
 mailの到着順に、横田君、金子君、井上君、渡辺さん、J司君、守田君、Y次君、彦坂君、以上8名の皆さんから、返信mailが届きました。mailをお送り下さった皆さん、ご協力ありがとうございます。
 お返事の〔出欠〕状況についてご経過報告させて頂きます。(以下五十音順)(敬称略)

1.〔出 席〕 : 【報告頂いている方々】井上、金子、鈴木(淳) 〔3名〕
2.〔欠 席〕 : 【報告頂いている方々】鈴木(雄)、彦坂、守田、横田 〔4名〕
           欠 席 します。 犬飼R子
3.〔考慮中〕 : 【報告頂いている方】渡辺 〔1名〕
           3.今しばらく、時間を下さい。
8月15日はお盆の送りの日でありますので、時間的にゆとりがあるかどうかはっきりしません。
 毎週、豊富な内容ありがとうございます。私は今年より国際学級担当となり、ブラジル、韓国の子に日本語を指導する立場となりました。何気なく話している日本語を改めて見直し、わかりやすく説明しながら国語の授業をしています。
 仕事に追われている毎日ですので、皆さんといろいろな話題について話ができ、いい刺激となればと思っていますが…。
 たぶん、間際まではっきりしなくて、幹事さんにはご迷惑をおかけいたしますが、よろしいでしょうか。
          伊庭 R○子

 現状、以上の通り10名の方々から返信mailを頂戴しています。
 まだお返事を頂戴していない皆様、是非とも〔出席〕表明をお願いします。期待しています。m(_ _)m

■さて次は、今日は、前【0242】号にてお約束させて頂きました様に、先週13~14日かけて実施された『時習26回卒業35周年記念旅行』から「optional course『ザ・ウォーキング:舞阪~新居関所』記」をご報告させて頂きます。
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 6月13日、天候は薄日が指し、少し蒸し暑い程度で、薄暑に近い陽気と言えようか。
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 事前に名古屋幹事の、酒井君(旧【3-6】)やからマイカー組は10時半にJR舞阪駅に来てくれれば、同窓会幹事が駐車場のある雄踏体育館案内してくれるいうことで時間前に舞阪駅に到着。三々五々参加者が集まると共に、雄踏体育館から再びマイカー組を車で舞阪駅迄送ってくれ、11時頃から、まず腹ごしらえということで、〔ウォーキング組〕と〔バトミントン組〕合同で、ご当地では天丼が美味しいことで有名な「魚あら」まで語らい乍ら早速ウォーキングを開始。10分程経ったであろうか、11時半少し前にその「魚あら」に到着。〔添付写真ご参照〕
 この「魚あら」の天丼は、評判通りの美味しさ。これには、参加者全員ご満悦・・。(笑)
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 一時間ほど昼食休憩ととった後、我等〔ウォーキング組〕はまず、「魚あら」に程近い「舞阪脇本陣」を訪問。資料館の人にいろいろ案内して貰い説明して頂いた。
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 食後、ウォーキング参加者は、各自のpaceで、目的地の「新居関所」を目指した。



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 途中、浜名湖弁天島で、今切の浜名大橋の方を望むと、夏霞に煙る赤い鳥居が見えた。このうっすらと霞んで見えるところが今の時節にあっていい。この時、小生の脳裏に「『舞阪宿』→『新居宿』」と「夏霞」で一句が浮かんだ。
 宿場町を歌った松尾芭蕉の俳句に、「『御油』→『赤坂』」を詠んだ俳句・・

 夏の月 御油より出でて 赤坂や  芭蕉

がある。この俳句について、山本健吉は、その著書「『芭蕉』その鑑賞と批評」の中で、次の様に述べている。

 (前略)(【小生注】この俳句は延宝8年以前の作とされるが、芭蕉の延宝時代の作は)比喩も以て詠ずるのが常であったから、この句も道中の実景を詠んだものと取ることはできない。御油と赤坂との間は十六丁(【小生注】= 1.7km )であって、東海道五十三次のなかで、距離が最も短いのである。そのことを前提として、これは夏の夜が明け易くて、月の出の短いのを、喩えて言っただけの句なのである。自分が御油を立ってその夜赤坂へ着いたというのでも、御油から月が出て赤坂へ入ったというのでもない。眼目は「夏の月」を詠むことであって、北村季吟の『山之井』に「夏月(みじか夜の月、明けやすき月)の項目中、「夕の影の涼しさをめで。いる事のはやきをおしみて。めぐるは扇車哉とも鳴門や落す月の舟などもつらね」云々と言っているのを、そのまま実行したまでのことである。言うまでもなく、季吟は芭蕉の師と言われ、『増山井』(山之井の改訂版)は芭蕉が人にもすすめ、座右にも置いた歳時記であった。
 だが、それだけの理窟ならば、いっこうにつまらない句である。(中略)思い出すのは、芥川(【小生注】龍之介)がこの句のついて書いた次の様な文章である。「これは夏の月を寫(うつ)すために、『御油』『赤坂』等の地名の與(あた)へる色彩の感じを用ひたものである。この手段は少しも珍しいとは云はれぬ。寧ろ多少陳套の譏(そし)りを招きかねぬ技巧であらう。しかし耳に與へる效果は如何にも旅人の心らしい、悠々とした美しさに溢れている」(芭蕉雑記)さらにまた彼は、この句を「リブレットオ(【小生注】リブレット = libretto:歌劇等の台本・歌詞)よりもスコアア((【小生注】score = 楽譜)の優れてゐる句」と言っている。つまり、歌詞台本よりも楽譜の方が優れている歌劇に比しているのである。このことは、この句の意味するものの陳腐さや無内容にもかかわらず、美的効果の素晴らしさを、彼が言っているのである。(以下略)

 小生、この芭蕉の句に触発されて、このwalking course 『自舞阪至新居関所記』〔・・とでも命名しようか・・(笑)〕に参加して、その感動を拙句に表してみました。

〔詞書〕ときは六月、薄暑の正午前。新居の関所を目指して舞阪宿を発った我等時習26回の同期十数名は、語らい合い乍ら歩みを進め、ふと浜名湖を今切の方に目をやる。すると、遠州灘が白々と薄っすら霞んで見えた。 「これが『夏霞』というものか・・」と感動して詠める。

 夏霞 舞阪を発ち 荒井関  悟空

お粗末様です。(笑)
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【新居(荒井)宿の歴史】~「新居関所・新居宿の変遷Ⅰ(平成19年10月刊)」から抜粋
 〔添付写真ご参照〕
 (前略)元和5(1619)年頃には将軍上洛のための施設である新居御殿が設置され、元禄9(1699)年には、関所奉行の役屋敷が中町に、元禄12(1699)年までは遠江代官の出張陣屋がありました。
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 今切関所は慶長5(1600)年に設置されてからは幕府が直轄していましたが、元禄15(1702)年閏8月から三河国吉田藩の管理となりました。(中略)同年12月吉田藩領になりました。(以下略)
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◆最後に訪れた新居宿旅籠紀伊国屋の中庭に咲いていた『萩』の花・・可憐であった・・
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【小生comment】
▼新居関所の案内の人の話によると、関所では有名な「入り鉄砲と出女」が厳しく詮議されたとのことで、新居関所から西の女性は関所より東へはほとんど嫁がなかったという。現在の新居町と湖西市は、江戸時代の元禄15年以降、吉田藩領であったため、豊橋との関係は、婚姻をはじめ浅からぬものであったそうだ。
 浜松市が平成の大合併を実現した時も、湖西市と新居町は合併を拒否している。
 豊橋が東三河市として政令指定都市を目指す過程で、県境を越えた、東三河市が実現する可能性もなしとしない、と誰かが言っていた。ホントかなぁ・・。
【こぼれ話】
 小生、ウォーキング の途中、一緒に参加した杉浦君(旧【3-8】)から「なぁ今泉、お前ゴルフ〔~ゴルフ(組)に参加する~〕行くんじゃぁなかったのかぁ?」と聞かれた。 小生、即座に応えて曰く、「野郎ばっかりの、ゴルフは僕はつまらないよ。この様に綺麗な淑女((笑)←失礼)の皆さんが沢山いる方がずっといいよ、ハハハ」と。 つい、本音が出てしまった。(笑)
 僅か数時間の「旅」であったが、ご当地の名物料理「魚あら」の天丼を堪能して、「舞阪宿」→「舞阪脇本陣」→「舞阪港」→「新居関所」→「旅籠紀伊国屋」と歩いたが、この地区の事情に詳しい斉藤K○子さんの解説に加え、「舞阪脇本陣」や「新居関所」では地元の方による解説を聞くことが出来、とても勉強になった。
 同窓会記念旅行のこの〔ウォーキングcourse〕に参加したことで、「城址・旧跡巡り」が出来てとても良かった。賢人会membersの「中嶋君や谷山君も参加すれば良かったのになぁ・・」と思った。添付写真をご覧になって、皆さんも「『舞阪』→『新居関所』」までの〔ウォーキング〕を疑似体験してみて下さい。良かったですよ~。それから、竹内君へ、この snap shot には沢山写っていますのでジックリご覧下さい。〔バトミントン組〕の菰田君も1枚写っていますヨ。

 これも余談ですが、新居の関所というと、次の様な思い出があります。
 小生は、生まれたのは豊橋の病院ですが、その時分は、親父が新居高校に勤めていた関係で、生まれてから小学校二年(昭和39年3月)まで、新居町新弁天に住んでいました。
 昭和34年9月26日のことです。名古屋で甚大な被害を出した『伊勢湾台風』がこの浜名湖を襲いました。高波と潮の関係から、新弁天が海面下に沈んでしまう危険性が大きくなったということで、その夜、豊川陸上自衛隊が住民の救助活動にやって来たのです。
 まだ小さかった小生は、若い自衛隊員のお兄さんの背中におんぶして貰い、この「新居関所」までジープかトラックで避難したことを、物心ついた最初の事象として今も鮮烈に覚えています。小生の誕生日が9月24日なので、満4歳と2日の出来事でした。

 さぁ、さて次号では、いよいよ、同窓会・懇親会&二次会・三次会の模様を、snap-shot の写真を沢山交えてご紹介したいと思います。
 因みに、小生が参加した optional course の walking courseを含め、今回撮影した写真枚数は小生分だけで800枚強になります。(笑)(汗) 小生、これ等の写真をDVDに編集して、まず、幹事の皆さんに見て貰い、「そのDVDでよし」とするか、他に撮影した写真も加えて、再編集するか、検討して貰う予定です。 これ等の制作・編集作業にかなりの時間を要する予定です。従いまして、参加された菰田君、竹内君、山中(高木)さん、渡辺さん、お手許に届くまで、暫くの猶予を下さい。(汗)(笑)
 実は、5月に開催した、小生の大学の弓道部時代の合同同窓会の記念DVDを現在制作中で、結構凝ったproduceを考えていますので時間が掛ってしまっています。しかも、作成枚数が40枚程を予定。その後、学年同窓会の分が80名分。それに、【2637の会】《クラス会》のご案内も、PC配信していない方々に向けて郵送の準備に入らないと・・、「 時間がな~~い!」と焦っています。(笑)
 従いまして、【2637の会】membersの皆さんで、PCのご案内を差し上げている方々で、まだ出欠のお返事を出していない皆さんへのお願いです。
 是非、PCの返信mailで回答をお送り下さい。ご協力の程、宜しくお願い申し上げます。m(_ _)m

■続いては、ちょっと前の話題です。去る6月9日、豊橋市内のホテルにて開催された東三河懇話会総会における記念講演で、PHP総合研究所、代表取締役社長の江口克彦氏による『松下幸之助翁に学ぶ元気の出る経営』を聴きました。 この不況下、大変参考になるお話でしたので、その要約をお示しします。 ただ小生が講演会の模様を筆記したものですので、若干ニュアンスが違っていることがあるかもしれないということをお含み置き願います。では、どうぞ・・

〔松下幸之助翁に学ぶ元気の出る経営~10箇条~〕
 江口克彦氏講演
【01 好況よし、不況もまたよし】
 不況になっても落胆する必要はない。経営者にとって、頭が真っ白になりオロオロすることが一番いけない。
 不況の時には、不況の時で、やるべきことがある。
 不況により、経営の「節」が出来る。不況は企業活動に「節」をつくり、「節」が出来れば強くなれる。
 不況は成功のチャンスでもある。
 不況の時でも、気持ちは前向きでおれ。~◆松下翁は、如何なる時も後ろ向きに考えることはなかった。明日の話、前向きの話に終始した。私(江口)は、23年間松下幸之助と一緒に仕事をした。特に真ん中の15年間は休みがなかった。大晦日の日、翁から「明日(正月元旦)は、うち(=翁の自宅)に来んでいい」と、一年で一日だけ休みを貰った。(笑) 毎年、正月3日の日は、松下翁と今年一年何をやるかを話した。例えば、翁が90歳の時、翁は「今年は大学をつくろう。自分が一番最初の学生になる。理事長、学長にはならない。カネは出すけどな。どうしたら大学ができるか調べよ」と言った具合・・。
 ナントカできると思えば、ナントカなる。~松下翁はこう言った。「『何とかできるんや』と思い、失敗しても繰り返すと、必ずできるんや・・」と。
 道は必ず開けて来る。
【02 不況のときこそ、経営の原点に帰れ】
 経営理念を思い起こし、考えを練り直せ。
 他諸事に目を向けず、本業を守り抜け。~◆ただ、これは「今やっていることを漫然とやる」というのではない。
 多角経営〔ex.自動車産業や銀行業に進出〕でなく、「多柱経営〔ex.電機(器)を中心に事業展開を図る〕」に徹せよ。
【03 執念をもって不退転の覚悟で取り組め】
 新しいことをやるには、それなりの執念を持たなければ駄目。
 成功しないのは、成功する前に止めてしまうからだ。~◆「成功するまでやり続ければ必ず成功する」と松下翁は言った。(笑)
【04 旧来の常識〔慣習・慣行・仕組等〕を打ち破れ】
 企業〔組織〕は永く続けていると「制度疲労」を起こすものだ。
 今日のベストは、明日のベストではない。
 【組織】が崩壊するには、次の4つの理由がある。
〔1〕成功体験に味をしめると腐り始める。
  →◆ex.松下翁は、三年前の製品を三年間、当時その儘に作り続けていた部下に激怒した。翁は「三年間お前は何をやっていたのだ! どういう改善努力をしていたんだ!」と。
〔2〕現状に甘んじていると腐り始める。
  →◆現状がいいに決まっている。楽な毎日を繰り返す。改革・向上心の欠如。これ等が悪因。
〔3〕「人」「物」「カネ」等と馴れ合いになると腐り始める。
  →◆企業にとって好ましくない部下に対して「彼は30年間会社に貢献してくれていたし・・」と見逃すことが悪因。 諸葛亮(孔明)が「泣いて馬謖を斬った」様に、冷徹な判断が経営に求められる。
〔4〕虚栄に走ると腐り始める。
  →◆ダイエーやJALの様に業績が苦しい時に冠スポーツ大会スポンサーになる様なことは、止めて行かないと組織は崩壊する。
【05 常に自分〔会社・組織〕の能力を再点検せよ】
 再点検して、自らの力を把握する。
 (【小生注】排水口が開いた水の入った風呂桶は)目減りした分の水は絶えず補給しないといけない、ということ。
 「経営者としての実力をつけよ」とは、「経営者として、今、何をしなければいけないのか? 自分が経営者としての実力があるか点検することが大切だ」ということ。
 思い切ったリストラを断行し日産自動車を再建したとされるゴーン社長も、彼が日産に乗り込んで成功したのは、cost cut が奏功したからだ。 これだけでは力不足だった。だからトヨ
タ・ホンダの後塵を拝す様になってしまった。
 松下翁は、次の二つのことを同時にやっていた。
〔1〕経費削減
〔2〕新規事業を作り出していった。
【06 苦しい時には、時として『一服して待つ心』も必要だ】
 心を許して遊ぶ。心の余裕も必要。
 ジタバタせずに、十分な対応をした上で、静かに考える時間を持て。
 但し、何もしなくて一服して待つのではなく、「不況の風に対処しつつ・・」。
【07 人材を育てよ】
 苦しい時期の苦労が骨身に沁みて社員は育つ。
 社員教育、研修、自己啓発に時間とおカネを掛けよ。
 「松下は人をつくっています」→◆創業から70年で7兆円の会社をつくって来たが、人を育てることに全力を傾注して来た。
【08 「責任は我に有り」を思い知れ】
 そもそも不況を読めなかった自分に、社員を良き方向に導いてやれなかった自分に、責任があるのだ、と思い知れ。
 逆に、業績が上手く行くのは、「部下のお蔭」と思え。
【09 打てば響く組織をつくれ】
 スピード経営に徹せよ。
 迅速な意思決定と確実な実施。 浮いた時間は教育に回せ。→◆スピード経営により、時間的余裕が出て、良い策が打てる様になる。
 経費の節減は経営の問題ではなく、倫理、道徳の問題だ。
【10 治に居て乱を忘れるな】
 →◆「『易経』繋辞(けいじ)下/治而不忘乱」から・・。 「太平の世にも戦乱の時を忘れず準備を怠らない」という格言。
 日頃から、為すべきことを為しておけ。
 「朝の来ない夜はない」。好況の後に不況、不況の後に好況がきっと来る。
 好況の時は、不況に備え、不況の時は力を養え。

 講演の最後に、江口氏は、次の様に言った。
〔1〕リストラはするな。
〔2〕赤字を出すな。
〔3〕借金はするな。
 景気回復に要する時間は、諸説あるが、完全回復には後5年は掛ると思う。
 この間、「どれだけ我慢が出来るか」が繁栄と没落の分水嶺になる。(了)

【小生comment】
 江口氏の講演は、時としてジョークを交え、大変楽しく勉強になった。 一日も早い「景気回復」が待ち望まれるところである。

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■ここで、これも最近購読した「日野原重明著『いのちと勇気のことば』より」なかなか良かったところをご紹介します。

老化によるからだの衰えや、
不幸にして治る見込みのない病いに見舞われても、私たちは、
「欠陥があるにもかかわらず健やかである」
という生き方を求めていくべきだと思います。


老化は避けられなくとも、
自分をだめにしないことはできます。
頭でもからだでも、毎日、
休みなく、
切れ目なく、
使い続ければよいのです。
使わないまま錆びてしまう状態を
医学では
廃用症候群(disuse syndrome)といいます。


心健やかに人生を楽しむためには、「憎む」という気持ちを持たないことです。
もちろん、私の周囲にも、いやなことを言ったり、失礼な行動をとったりする
人がいないわけではありません。
でも、私の場合、そういう人に対しても憎しみを抱くということはありません。
いつかはわかってくれるだろうと、気長に待つことにしています。

【小生comment】
 日野原重明氏は、1911(明治44)年10月04日生まれなので、現在満98歳。2005年文化勲章受章。 氏は、現代の長寿社会を「立派な人間として生き抜くための心構えと長寿の秘訣」を身を以って実践して教えて下さっている老年医療の泰斗。
 小生は、日野原先生の行き方を、立派に高齢化社会を生きて行く際の手本として、氏の著書を参考にさせて頂いて日々試し実践している。
 今日ご紹介させて頂いた氏の『いのちと勇気のことば』の phrase は、それなりに説得力を持った心に残る名句である、と思う。
 元気な長寿を目指す者たちの手本として、氏にはいつまでも元気に長生きして頂きたいと願っている。
 尚、日野原重明氏が『廃用症候群(disuse syndrome)』と言っていたところのことなのですが、前号にてご紹介させて頂いた斎藤茂太氏も、「モタさんの楽ラク人生術」の中で、同じ様なことを次の様に仰っています。
 *
斎藤茂太:【心も体も使わないとダメになる。日記でアタマを活性化しよう】
 〔【小生注】茂太氏は、『苦しいときにこそジョークを。自分も周りも愉快になる』ことが大事なことだと述べた後に次の様に話されている・・〕
 人生でもう一つ大切なことは、「廃棄用性萎縮にならないこと」と言えるかもしれません。廃用性萎縮とは、要するに使わないとだめになるということです。例えば、車ばかり乗っていて足を使わないと、足は弱ります。同じ様に、ぼんやりして頭をちっとも使わなければ、頭はだめになる。老人性の痴呆やアルツハイマーも起こり易くなります。人生を全うするためには、廃用性萎縮にならないことが大切ですね。頭は使えば使うほど長持ちします。勿論肉体も、ほどほどに使わなくてはいけませんね。
 私はメモ魔であるという評価が立っておりまして、実際に、何でもメモします。これは、指の運動や頭を使うことになります。
 しかし、人様に「あなたは日記をつけていますか?」と聞くと、ほとんどの方は「つけていない」と仰いますね。私は「せめて日記くらいはお書きなさい」とお薦めしたいと思います。それも、晴れとか雨とかいうだけではなく、世界情勢や、家庭内のいいこと、悪いことを日記につけておく。兎に角書くことで、廃用性萎縮を妨げると思います。

【後記】■今日の締め括りは、6月18日の中日新聞朝刊第一面に掲載された、辻井伸行氏の piano concert の模様です。
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 以下の記事をご参照下さい。 久しぶりに感動したニュースです。 リストの超絶技巧のピアノ曲である「ラ・カンパネラ」を感動的に聴かせる素晴らしい技巧! この難曲を、全盲の青年が弾けること自体、奇跡としか言えません。 ただただ感激(!)です。 最近、不景気で暗い話ばかり聞いてblueな気分が続いていましたが、この明るく、感動的なニュースを聞き、心が洗われました。彼の努力に比べれば、小生なんか、足許にも及ばない。

〔ご参考〕 ~ MSN・産経ニュース ~ 
「バン・クライバーン国際ピアノコンクールで盲目の辻井伸行さんが優勝〔2009.6.8 09:37 〕」
              ↓↓↓↓↓
 sankei.jp.msn.com/entertainments/music/090608/msc0906080937000-n1.htm  

 最後の写真は、今、我が家で満開の紫陽花の花をお示ししてお別れします。
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 では、また来週・・。(了)

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06【時習26回3-7の会】【2006年プレ同窓会】←ここをクリックするとアルバムの画面へ!

  • プレ同窓会2次会で・・
    ■2006年6月24日開催の【時習26回3-7】プレ同窓会の写真です。 ■二次会の模様の写真も掲載しました。
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