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2009年8月の5件の記事

2009年8月30日 (日)

【時習26回3-7の会 0253】~「金美齢『老後は人生の総決算』を読んで」「沖藤典子〔楽天力でお金に向き合おう『健康と楽しみに投資すればいい人生がやってくる』〕」

■今泉悟です。 皆さん如何お過ごしですか。 さぁ、今日も【2637の会】会報【0253】号をお送りします。
 今日は、【2637の会】関連でお伝えすることはありません。・・で、徒然に綴ってみました。
 今日は、衆議院選挙投開票日です。 皆さんは国民の一人として投票に出かけられましたか?
 今、我々日本国民は、国民としての権利と義務をきっちり果たして行かないと、我々の将来に大きな禍根を残す大変重要な岐路に立っていると言えます。 この「選挙」という言葉で、小生一年程前に購入して読んだ、金美齢氏の『老後は人生の総決算』という本を思い出しました。〔添付写真ご参照〕
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 女史が同著の中の「選挙を軽視していませんか?自分の一票で政治が、自身の人生が変わる」・・のところで、●一票の重みを知る、●政治に対してモノいう高齢者になる、と題して次の様に述べていますので早速ご紹介します。

●一票の重みを知る、
 私〔金美齢氏〕が生まれて初めて自分の一票を投じたのは、1996年の台湾総統を選ぶ直接選挙でした。
 台湾に籍があれば、外国にいる人でも帰国して投票できるようになったそのとき、私はすでに六十二歳。清き一票を投じる権利を使えるまで、実に長い歳月を要したのです。
 少々説明しておくと、台湾は十七世紀のオランダとスペインによる植民地支配に始まり、1895年から1945年までの五十年間に亘る日本統治を経て、大陸からやって来た蒋介石率いる国民党政府に支配されました。長い間、外来政権の下に置かれています。
 1947年には、国民党支配に民衆が「二・二八事件」と呼ばれる抵抗運動を起こしたものの、それが結果的に国民党による二万八千人の大虐殺に発展。多くの罪のない台湾人と、将来の台湾を担うエリートが犠牲になりました。
 以後、国民党一党独裁体制が敷かれた台湾では、政治的発言が一切許されない恐怖政治が続いたのです。それを不条理と感じつつも、当時の私はまだ政治意識が希薄な人間でした。政治の話はタブーだと、徹底的に教え込まれていたからです。
 そんな私が早稲田大学第一文学部に留学した翌年、日本は「六十年安保」の真っ只中。日米安全保障条約の改定を巡って、学園紛争が巻き起こっていました。政治的発言が許されない社会から、人々が「安保反対!」と叫ぶ、政治一色に染められた社会へ。私が政治に目覚めたのは、この時です。
 ただ、台湾からの留学生であった私は、デモに繰り出す当事者にはなり得ません。かと言って、他の多くの留学生の様に傍観者であった訳でもありません。敢えて言うなら、安保について直に知りたいと思い、行動する「観察者」でした。
 それで学んだのは、安保闘争は一部の人が大きな声をあげ、よくわからない儘多くの学生が追随し、更にメディアがそれを煽る様に世論を焚きつけた結果、どんどん騒動が大きくなって行ったのではないか、ということです。
 実際、「安保改定は日本にとって、実は必要なことなんだ」という考えを持った人は、決して少数派ではなかったと思います。それにも拘らず、安保改定を是とする声があまり表に出て来なかったのは、賛成派が「サイレント・マジョリティ」と化していたからでしょう。
「モノ言わぬことは、大勢に同意したのも同じ。『黙して語らず』は間違いである」
 私は六〇年安保を通してこのことを学び、以来、日本だけでなく台湾の政治についても真剣に考える様になりました。そして、「台湾は一国家として独立すべし」と主張する政治運動へと身を投じたのです。
 数年後、志を同じくする夫の周英明とともに、私の名は国民党政府のブラックリストに載りました。パスポートも剥奪されました。早稲田の大学院に在学し、幼子二人を抱えた私たち夫婦は以後、三十一年にも及ぶ”パスポートを持たない暮らし”を続けたのでした。その間ずっと、選挙権を持ち得なかったことは言うまでもありません。
 前置きが長くなりましたが、それだけに「一票を行使できる権利」は私にとって、大変な重みのあるものです。投票権を持ちながら棄権するなど、もってのほか。一票を投じもしない人には、政治が悪い、社会が悪いと愚痴を言う権利はありません。

●政治に対してモノいう高齢者になる、
 それはさておき、私が始めて投票したのは「第一回総統直接選挙」で、国民党の候補者は台湾人の李登輝〔りとうき〕氏でした。
 私は筋金入りの独立派にして反国民党。普通に考えれば、検討の余地なく野党候補に投票するところです。
 しかし私は、日本のテレビで台湾の民主化の過程を語る李氏の姿を見たり、司馬遼太郎の『街道をゆく 台湾紀行』に掲載された司馬氏と李氏の対談で「台湾人のために働く」と明言した記事を読んだりしたこと等から、李登輝氏こそが台湾のリーダーに相応しい政治家ではないかと考えていました。
 その判断が正しいかどうかを見極めるために、司馬氏にお会いして「李登輝氏は本物か」と聞きました。
 また、ポケットマネーで二度、台湾に帰りました。〔中略〕
 実際に氏の講演会を聞き、直接お話する機会も得て、自分で判断したことです。だから、氏が国民党の支持者だけでなく、台湾人全体の支持を得て総統に当選すれば、全台湾人のための政治も実現すると思い、敢えて公言したのです。〔中略〕 台湾独立を託して氏に投票した一人だからこそ、言うべきことは言わなければならない。清き一票は利権のための一票であってはならないのです。
 そんな一票に対する私の思いは、日本人にはあまりピンと来ないかもしれません。多分、心の何処かで、「このまま自民党政権が続いても、民主党が政権を取っても、社会が変わることはないだろう」と考えている人が少なくない様に思います。
 投票率の低さはときに、政治への諦めや無関心、政治家に対する失望などとセットで評されます。
 でも私には、それよりむしろ、「今の生活が変わらないことに対する安心感」に起因する部分が大きい様に思えます。
 つまり、「平和ボケ」――。
 逆説的に言うと、一票の重さに無関心でいられるくらい、日本は平和だということです。
 それは幸せだという見方もできますが、これからの高齢社会を考えると、誰しも安穏としていられない筈。
 今の平和と幸せを失う辛さを、もっと身近に感じて、一票の重みを再認識すべきだと思います。
 〔中略〕「高齢者が国を引っ張る時代」がもうすぐそこまで来ています。高齢者は今後の日本を元気にするカギを握るマジョリティとして、一票を通して、より良い国づくりに積極的に関わって行かなくてはなりません。
 選挙にも行かずにグチや泣き言を言っている場合ではないのです。
 「政治に対してモノ言う高齢者」になることで国を動かす気概を持って頂きたい。
 その積極性がひいては、自らの人生を一層豊かに美しくすると同時に、若い人たちの政治関心の惹起に繋がるのではないでしょうか。
 自分の一票で政治は変わる。自身の人生も変わる。 
 そのことを体現できるのは、高齢者なのです。
【小生comment】
 今、30日午後9時半。テレビの選挙速報では、民主党の圧勝を告げるニュースが続いている。
 金美齢女史の書かれたこの本は昨年2008年8月、即ち、リーマン・ショック〔2008年9月15日〕の一月前の出版なので、日本がまだ大不況に陥る前の時点での話である。
 今日の投票結果が確定するには、まだ十時間余り要すると思われるが、国民が「今の儘ではダメなんだ」という判断を下したことは間違いないだろう。細かいことは申すつもりはないが、今回の選挙は、「自分の国の将来は、自分の責任で、自分の一票で決めるのだ」という国民の期待感を反映した結果なのだと、新政権は重く受け止め、国民の期待に誠実に応えて行って欲しい。
 ま、ともかく、これから、民主党の政治手腕がどの様に発揮されていくか、注意深く見守って行きたい。
 政治の混迷も予想されるが、明るく新しい日本をつくってくれる国会と新政府であることを期待したい。

200909
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■さて、続いては、PHP社刊「ほんとうの時代 2009年09月」号から「沖藤典子〔楽天力でお金に向き合おう~『健康と楽しみに投資すればいい人生がやってくる』〕」の一部をご紹介します。 この記事の巻頭で、同書は「介護をはじめ、老後を上手に過ごすにはお金とどう向き合っていけばいいのか、そのコツと方法を教えて頂きました」と紹介している。 では、どうぞ・・

【いい人生は天からは降ってこない】
 最近、私は近所の「筋トレ教室」に通っています。月額五千九百円ですから、年間で凡そ七万円を健康に投資していることになります。主婦にとって月六千円を出すのは度胸が要ることですが、中には八十四歳の方もいます。私は元を取ろうと(笑)、月五回は行く様にしていますが、、ウェストが細くなっただけでなく、とにかく健康によいし、、気持ちがいい。友達も増えました。筋トレやスポーツをしていれば、認知症にもなりにくい様です。
 〔中略〕
 いい人生は天から降っては来ません。そのためには投資が必要。お金を貯めるのに汲々とするよりは、元気に生きる為に健康や楽しみに投資した方がいい。病気も遠のきます。長寿社会ではお金をいくら貯めるかに悩むより、投資して健康を獲得する方が安心・安全に繋がりますね。
 安心を得るには、役立つ情報を集めることも大事です。そうすれば選択肢も増えます。〔中略〕どんどん相談する様にしましょう。老い上手は相談上手でもあります。
 こうして、あらましの計画を立て、情報の在り処も知っておけば、あとは「まあ、何とかなるさ」と腹を括れます。深刻にならず、心を明るい方向へ切り替える力を持ちましょう。私はそれを楽天力と呼んでいます。
 〔中略〕
 未来に正解はありません。ですから取り越し苦労はやめましょう。〔中略〕「何とかなるさ」がお勧めですね。
 昨今、アンチエイジング、サクセスフルエイジングという考え方が注目されています。従来の老人観を覆すものとしては解りますが、いつも頑張ったり、闘っていたりするのは、ちょっと辛いもの。私は「ウィズエイジング」、つまり「歳とともに」がいい。その方が楽です。「これでまずまず」と思える自己肯定力こそ大事です。そんな「楽天力」を磨いて、明るく大らかに生きたいですね。 


【後記】■以上で今日は締め括りたいと思います。 
 では、また・・。〔了〕

2009年8月23日 (日)

【時習26回3-7の会 0252】~「【2637の会】『《クラス会》寄書について』」「石田君からの《クラス会》感想mail」「8月20日:『中部経済サミット~今こそ拓く!中部、日本のあす』を聴講して」

■今泉悟です。 皆さん如何お過ごしですか。 さぁ、今日も【2637の会】会報【0252】号をお送りします。
 8月15日の《クラス会》が無事終了して一週間が経過しました。 みんなに会えて良かったという満足感と共に、もう一週間が経って、《クラス会》が遥かな過去のことの様に遠くに感じる。 この寂寥感は一体全体何なんだろう・・?
 ま、それはともかく、掲題の最初の副題にある様に、前回ご紹介した【2637の会】《クラス会》の時に、金子君がgetした「寄書」に寄せてくれた参加者12名各人のcommentがとても素晴らしかったので、ここで改めてご紹介させて頂きます。
 この「寄書」を改めて読んでみると、「今年も《クラス会》をやって本当にに良かった」と、万年幹事の小生、心が救われる思いがします。
 以下に五十音順にて、ご紹介しますので、ご高覧下さい。 まず、T三先生の「寄書」です。

酒酣心自開

酒酣〔たけなわ〕にして心自ずから開く 李白  鈴木T三先生

【小生注】流石は碩学のT三先生、お得意の漢詩である。 今回は有名な李白の「月下獨酌」。 とは言っても「其一」ではなく「其四」を引用されているところが粋で心憎いですねぇ・・。(汗)(笑)
 因みに、一般に知られている李白の「月下獨酌」と言えば「其一」。 人口に膾炙した名詩。 まずそれから一部をご紹介します。

   月下獨酌 其一

花間一壺酒
獨酌無相親
擧杯邀明月
對影成三人
月既不解飮
影徒隨我身
暫伴月將影
行楽須及春
〔以下略〕

花間〔かかん〕 一壺〔いっこ〕の酒
独り酌みて相い親しむもの無し
杯〔さかずき〕を挙げて明月を邀〔むか〕え
影に対して三人と成る
月 既に 飲むを解せず
影 徒〔いたずら〕に 我身に随う
暫く月と影とを伴って
行楽 須く春に及ぶべし
〔以下略〕

【訳】春の夜、花咲く木々の下、一壺の酒壺に満ちた酒を、私は独り飲む。
杯を持つ手を高く挙げ、大空から明月を招き寄せる。
私の影と一緒に三人の仲間になった。
月はもちろん飲むことは出来ぬし、影も私に纏わっているだけ・・。
でも、暫くは月と影とを友として、春の宵を楽しむとしよう。
〔以下略〕

 先生が引用された「其四」は以下の通りである。

窮愁千萬端
美酒三百杯
愁多酒雖少
酒傾愁不來
所以知酒聖
酒酣心自開
〔以下略〕

窮愁〔きゅうしゅう〕 千万端〔たん〕
美酒 三百杯
愁い多くして酒少なしと雖〔いえども〕も
酒傾くれば 愁い来らず
酒の聖なるを知る所以〔ゆえん〕なり
酒 酣〔たけなわ〕にして 心自〔おのずか〕ら開く
〔以下略〕

【訳】愁いは窮まり計り知れない一方、飲める酒は僅かだ。
だけれど、酒を飲めば愁いは消えて行く。
酒が聖なる〔尊いの〕はこの点にあるのだ。
酔えば心は自ずから開かれて来る。

【小生comment】
【2637の会】《クラス会》で飲む酒は、まさに忙中閑の一服の清涼剤である。  美味しい酒に酔えば、心は自然と開かれて、友との語らいに花が咲く・・。

◆以下が、classmatesみんなの「寄書」です。 ご覧下さい。

皆さんお久しぶりです。楽しい時をありがとう。
来年もまた来ます。  石田Y博

はやくメタボを卒業しなくちゃ・・・言うだけ・・。  市川Y○郎

だんだん落ちついた話をするようになってきました。
前からそうだったかな。
年を重ねてきました。  伊東M弘

お盆はいつもこの会があると思うと楽しい。  井上N生

お盆は3-7クラス会! 毎年楽しみにしています。
40周年の企画は?  金子T久

当時と変わらないけれど、新しい発見も。  千賀S始

相変らずです。 次回はスリムになって参加します。  林K子

ボチボチ元気にやって行きましょう。  原田M史

毎年楽しみにしています。
来年はもっと多くの参加を!  牧野M孝

田舎から時習舘に来てよかった。 来年もよろしく!  峯田H幸

2637の会 細く!長く!暖かく!
これからも頑張るぞ~~!  今泉悟

■さて続いては、掲題・副題の二つ目「石田君からの《クラス会》感想mail」です。

今泉悟様

昨日はクラス会で楽しい時を過ごさせていただいて有難うございました。
T三先生と同級生の皆さんののお元気そうな姿を見せていただき、僕も励まされました。
頂いたCDはしばらく車で聴いた後、手術室で50代の患者さんの意識下の手術用として使わせていただこうと思います。
また来年を楽しみにしています。

石田 Y博

【小生comment】▼石田君、mailをありがとう! 万年幹事として、貴君のお心遣い大変嬉しく思います。 小生が選曲した「青春のうた Part4」が、医療に間接的にでもお役に立つことを聞き、身に余る光栄に思います。

 参加されなかった皆さんの為に、全19曲の曲目をお披露目します。

〔01〕これが青春だ〔ドラマ主題歌〕
〔02〕わたしの城下町
〔03〕シクラメンのかほり
〔04〕オリビアを聴きながら
〔05〕俺たちの旅
〔06〕けんかをやめて
〔07〕長い夜
〔08〕いい日 旅立ち
〔09〕さよなら
〔10〕サイレント・イヴ
〔11〕ワインレッドの心
〔12〕Mr.サマータイム
〔13〕妹
〔14〕池上線
〔15〕春だったね
〔16〕春一番
〔17〕走れコータロー
〔18〕若い明日〔「青春とはなんだ」主題歌〕
〔19〕群青

【小生comment】▼次回参加される方には来年の「青春のうた Part5」と共に、この「Part4」もご用意させて頂く予定です。 乞うご期待!

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02
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■続いては、「8月20日:『中部経済サミット~今こそ拓く!中部、日本のあす』を聴講して」についてです。
全部で2時間に及ぶ講演内容の要旨を纏めてみました。ご興味ある方は、以下をclickしてご覧下さい。 ボリュームはA4版4頁分です。
     ↓↓ここをclickして下さい。↓↓
「chukei_summit_090820.doc」をダウンロード

 尚、このシンポジウムの模様は明晩8月24日午後24時55分〔=25日0時55分〕、東海テレビにて放映されますので、詳細はこの番組をご覧下さい。

【後記】■今日の締め括りは、去る6月13~14日に開催された「時習26回卒業35周年記念旅行」の「記念DVD集」についての最新情報です。
 先週初、ついに旅行参加者全79名用の「記念DVD集」の焼付が完了し、20日夜、幹事の黒柳M利君〔旧【3-6】〕に手渡しました。
 これで「卒業記念旅行」に関して、小生の仕事は完了しました。 「記念旅行」参加者の皆さんへは、早晩、黒柳君から送って頂けます。
 菰田君、竹内君、山中〔高木〕さん、渡辺さん、楽しみにしていて下さいネ。 〔収録時間 全56分強、収録写真点数 900枚強、収録曲全14曲〕の大作〔笑〕です。
 では、また・・。

(了)

2009年8月16日 (日)

【時習26回3-7の会 0251】~「『209年【2637の会】《クラス会》』開催報告」

■今泉悟です。 皆さん如何お過ごしですか。 さぁ、今日も【2637の会】会報【0251】号をお送りします。
 さて今日は、掲題にあります様に、昨日8月15日、豊橋市駅前通2丁目、開発ビル地下1階にあるトライ・アゲインにて、『2009年【時習26回3-7の会】《クラス会》』が開催されましたので、その模様についてご報告させて頂きます。
 《会報》【号外】号にて、ご報告させて頂いた時点〔8月11日〕では、9名の参加予定人数でしたが、その後、石田(T)君、牧野君、峯田君が参加表明をしてくれまして、最終的にはT三先生を含め12名が参加下さいました。
 参加して下さったT三先生、石田(Y)君、市川君、伊東君、井上君、千賀君、金子(T)君、林(K)さん、原田君、牧野君、峯田君、本当にありがとう!
 それから、二次会〔と言っても場所は一次会と同じ(笑)〕から応援参加してくれた助っ人谷山君【3-3】、中嶋君【3-2】!ありがとう。
 都合14名が集い賑やかな、そして懐かしく楽しい至福の数時間を過ごすことが出来ました。
 万年幹事の今泉、皆さんのご協力に感謝致します。
 添付写真をご覧下さい。
 《クラス会》の開宴時間は18時00分。当初から会社の都合で参加時間が遅れると連絡あった伊東君を除く11名が予定通り集合。T三先生のご挨拶&乾杯の後、早速一回目の全員での記念撮影。(添付写真〔01〕(ここには伊東君が入っていません)ご参照)
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 今年で4回目〔プレを入れると5回目〕を迎える今回も寄書きを書きました。(添付写真〔02〕ご参照)
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 因みに、プレから五回連続の皆出席賞は、市川君と峯田君。 両君へ、本当にご協力ありがとう。
 井上君がどうしても抜けられない所用があるということで18時50分に中座。 井上君は中座を本当に残念がっていました。 そして帰り際に言ってくれました。「来年も参加するよ!」と。・・嬉しいですネ・・
 丁度、井上君が帰った直後、伊東君が登場・・。
 会場に入って来た伊東君も「今、入口で井上君に会えたよ・・」と。
 さて、楽しい時間が過ぎるのは早いもので、あっと言う間に20時近くに・・。
   *  *  *
 《クラス会》は、デザートも出て自然に二次会へと移って行きました。
 そこへ、何処かで一次会をやって来たという谷山君〔3組〕と中嶋君〔2組〕が二次会に合流してくれました。そこで二回目の全体写真。(添付写真〔03〕ご参照)
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 実は小生、今年の《クラス会》の参加者が7~8名から増えない時に、とても心細くなり、「二次会からなら許してくれるだろう」と、2006年の《クラス会》二次会では、故人となられた菅沼君〔5組〕や、昨年の中嶋君が参加してくれてた実績に則り、今回も城址巡りの仲間である時習26回の同期の両君に助っ人をお願いしました。
 という訳で、延べ総数14名の参加で《クラス会》は大変賑やかに進みました。
 会場のトライ・アゲインの全面的な協力により、BGMは、今回参加者にお渡しした「青春のうた Part4」〔全14曲〕。
 そして今年の目玉は、《クラス会》に参加してくれた【2637の会】membersの皆さんに、6月13~14日開催の「時習26回卒業35周年記念旅行」の「記念DVD集」のロード・ショーをお披露目したことです。
 そして、楽しい時間はあっと言う間に当初予定時間の22時を過ぎ、二次会も一応終了。
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 その二次会終了間際、例の「寄書きを1名の方にプレゼントする」ということで、ジャンケンを実施。 見事金子君が手中に収めました。(添付写真〔04〕ご参照)
 これで一応《クラス会》はお開きになりました。 先生もこれでお帰りになられました。
   *  *  *
 それでも名残り惜しい数名は、会場トライ・アゲインさんの協力により三次会に変貌。
 11時20分過ぎまで【2637の会】と仲間との会話は続きました。
 本当に楽しかったですよ。
 参加して下さった鉄三先生、そして皆さんありがとう!
 これまで《クラス会》で司会と写真ばかり撮っていた小生も、今年は、会場も一次会から三次会迄同じ場所であったため、移動時間や都度ある会計の手間も省け、《クラス会》所要時間も5時間半近くもあったため、みんなとジックリ話すことができてとても良かったです。

■さて、ここで皆さんに、今後の【2637の会】《会報》ご案内方法について変更点を一つお伝えします。
 参加してくれたある方から、「《会報》はいいけれど、文章が長すぎるので、PCが重くて開かんことがある。 ・・なので《会報》mailには《クラス会》関係だけ載せて、他の長い文章はブログに載せろよ!」と貴重な意見を頂戴しました。
 小生も、《会報》のレベルを落さない様に腐心して来ましたが、往々にして長文になり、これも複数の方々から「忙しくて全部は読んでおれん」ということも伺っています。
 以上から、皆さんの貴重なご意見を踏まえ、
〔1〕《クラス会》関係の記事だけmailに掲載する。
〔2〕その他の記事は、ブログにのみ掲載する。
 ※〔2〕の記事にご興味ある方だけ以下に常に掲載しているURLをclickしてご覧頂くこととする。
 ということに変更させて頂きます。

【後記】■つきましては、今回は《クラス会》以外の記事はございませんので、ブログ掲載記事は上記の文章だけとなります。
 なお、《クラス会》の模様をsnap shot撮影したものを沢山ご用意させて頂きましたので、ご興味ある方々はブログ右欄外にあります「マイフォト〔01【時習26回3-7の会】2009年度《クラス会》090815開催〕」をご覧下さい。
 収録写真枚数は重複分を含め24枚掲載してあります。〔為念〕

(了)

2009年8月 9日 (日)

【時習26回3-7の会 0250】~「【2637の会】《クラス会》『出欠経過報告』〔8月09日現在〕」「時習26回卒業35周年記念旅行『記念DVD』制作について」「「渡部昇一『日本史百人一首』」と「勝海舟語録『氷川清話』から」」

■今泉悟です。 皆さん如何お過ごしですか。 さぁ、今日も【2637の会】会報【0250】号をお送りします。

■さて、今日もまず最初は「【2637の会】《クラス会》『出欠経過報告』〔8月09日現在〕」についてです。
 いよいよ【2637の会】《クラス会》当日まで6日となりました。

 先週一週間で嬉しいことが1件と、残念なことが2件ありました。

 まず、大変嬉しいお話から・・。
 市川Y○郎君から《クラス会》「出席表明」のmailを頂戴しました。 市川君ありがとう!!
 早速、市川君からのmailをご紹介させて頂きます。

 返事が遅くなってゴメンナサイ。
 予定が決まらず申し訳ありませんでした。
 15日のクラス会今日になって「出席」の返事をしていいですか。
 よろしくお願いします。 ・・市川Y○郎・・

 続いては、残念なお話を2件ご案内させて頂きます。
 最初は、伊庭R○子さんからです。 彼女から返信mailが来ました。
 今回も大変残念乍ら「欠席」されるとのことです。
 彼女からのmailをご紹介します。 伊庭さんへ、大変残念ですが、来年の参加を心よりお待ちしています。

 暑中お見舞い申し上げます。いつも豊富な内容の会報をありがとうございます。
 ようやく梅雨が明け、本格的な夏となりましたね。
 さて、クラス会の件で返事が遅くなりましたが、今年はやはり送り盆の日と言うことで、片づけもあり欠席させていただきます。
 また、次の機会に皆さんとお会いできるのを楽しみにしています。  ・・伊庭R○子・・

 それから、もう一人、鈴木J司君から「欠席」の連絡がありました。
 実は、J司君からは先月23日に「欠席へ変更」のmailを頂戴していました。
 そこで小生、いつも協力してくれていた淳司君なので何とか繰り合わせできないかお願いしていました。
 しかし、彼もいろいろ調整してくれたのですが、多忙のためどうしても調整仕切れなかったそうです。
 大変残念ですが、仕方ありません。 J司君からのmaiをご案内します。
 J司君へ、次回はまた是非参加して下さい。 楽しみにしています。

 悟君へ
 突然で恐縮ですが、出席表明していましたが、終戦記念日の当日でもあり、何かと忙しく出席を取りやめさせていただきます。
 会の意義には賛同していますが、多忙が理由です。
 欠席とさせていただきます。あしからず、皆さんによろしく。 ・・鈴木J司・・

 今年も何とか10名以上の参加を目指したいと思います。
 万年幹事として、あと6日。 最後のお願いです!・・、今月末の衆議院選挙みたいですね・・。(笑)
 これまでの《クラス会》に出席頂いた方々で、今回まだお返事を頂戴していない皆さんには、一両日中に、個別にご案内のmailを配信させて頂こうかと考えています。
 ご都合をお聞かせ下さい。m(_ _)m
 以下に、出欠及び考慮中のmail及び返信葉書を下さった皆さんをご紹介します。

1.〔出 席〕 : 【報告頂いている方々】鉄三先生、市川、伊東、井上、金子、千賀、林K子、今泉 〔8名〕
2.〔欠 席〕 : 【報告頂いている方々】犬飼(石田)、伊庭、今井(土方)、太田、下浦(原田)、鈴木(淳)、鈴木(雄)、竹内、中村、夏目、二橋、彦坂、牧原(金子)、守田、山田、山中(高木)、横田、渡辺 〔18名〕
3.〔考慮中〕 : 【報告頂いている方々】石田(義)、菰田〔2名〕(以上、五十音順、敬称略)

■さて、今日続いての話題は、「時習26回卒業35周年記念旅行『記念DVD』制作について」です。 《会報》の前々号【0248】にて概略はお話しましたが、その後の状況につきましてご報告致します。
 実は小生、先週8月2日(日)の午後、今回の卒業記念旅行の名古屋幹事の皆さんが反省会を兼ね、小生が作った『記念DVD集』を見たいという話になり、名古屋幹事代表の矢野君【3-8】宅に幹事とその応援者の面々が全員で7名集合。 早速試写会となりました。 そして、都合50分弱の『記念DVD集』の「合格=承認」を頂戴した後、次の要望が出ました。
 即ち、小生が参加しなかった「 optional course のバドミントン組の写真や、二日目の催しである「龍ヶ岩洞(りゅうがしどう)」「奥山半僧坊(おくやまのはんそうぼう)」での全体写真、及び昼食風景等の模様を追加で入れて欲しい 」と。
 小生も「尤もだ」と即座に快諾。 ということで、これまで全四章形式であった『記念DVD集』ですが、第五章目を「追補」章として加えることにしました。この〔追補〕章の収録時間が7分余りですので、『記念DVD集』の総収録時間は56分強の大作となる予定です。 BGMも青春時代の懐かしい名曲が14曲されています。
 《時習26回卒業35周年記念旅行》に参加された皆さん、あと一月ほどお待ち下さい。 お楽しみに・・。 

■さて、続いては、最近購読した「「渡部昇一『日本史百人一首』」と「勝海舟語録『氷川清話』から」」についてご紹介させて頂きます。
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 景気が悪い、政治もどうもいけない・・。 気分が滅入る様な時は歴史に学ぶのいい様だ・・。
 ビスマルクも言っていた・・「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と。

 愚者だけが自分の経験から学ぶと信じている。私はむしろ、最初から自分の誤りを避けるため、他人の経験から学ぶのを好む。(直訳)
 Nur ein Idiot glaubt,aus den eigenen Erfahrungen zu lernen. 
 Ich ziehe es vor,aus den Erfahrungen anderer zu lernen,um von vorneherein eigene Fehler zu vermeiden.
 愚者は自分の経験に学ぶと言う、私はむしろ他人の経験に学ぶのを好む。(英語版)
 Fools say they learn from experience; I prefer to learn from the experience of others.

 そこでまず、「渡部昇一『日本史百人一首』」からご紹介します。 今日はその中から「幕末の巨人」74『西郷隆盛』です。

 ふたつなき 道にこの身を 捨小船(すてこぶね)
               波たたばとて 風吹かばとて  西郷隆盛

【意】二つとないこの命を、海の道に小舟の様に捨ててしまおう。 例え波が立とうが、風が吹こうが、構わない。

◎【西郷隆盛と勝海舟】◎
 西郷隆盛がいなければ、あの時点で明治維新はなかったであろう。 勝海舟と響き合う様なところがあって、江戸城は無血開城になった。 西郷が城山で亡くなった後も、海舟は西郷を「高士」として尊敬していた。 勝海舟の辞世、「結ぶうへに
いやはりつめし 厚氷 春のめぐみに 解けてあとなき」も西郷への思いがあったのではないだろうか。 明治政府のために絶対必要だった廃藩置県の大業も、西郷の威信のお蔭でスムーズに実現したと言えよう。
 〔〔小生注〕著者渡辺氏の故郷山形。その旧藩である・・〕庄内藩は会津藩とともに幕末の幕府を支える柱であった。 会津藩が京都の治安に当たっていた時、庄内藩は江戸の治安に当たり、幕末江戸ゲリラの策源地であった薩摩屋敷を焼き討ちし、戊辰戦争でも最後まで官軍側と戦っている。 しかし、西郷の指示で、庄内藩は復讐的措置を受けなかった。 西郷は、「自分も庄内藩士だったら、庄内藩士の如くしたであろう」という趣旨のことを言っていたという。 そのため庄内藩は挙げて西郷ファンになり、西郷のもとを訪ねては、その片言隻語を集め、後に、『西郷南洲翁遺訓』を出版した。
 私の通った小学校は、旧藩校明倫致道館であり、旧藩士の先生方も多かったせいか、南洲翁の詩の素読暗記をさせられたものである。 西郷は文学的センスが抜群で、その漢詩は乃木将軍と並んで、近代日本漢詩の宝玉であると思う。(了)


 続いて「勝海舟語録『氷川清話』からご紹介します。 勝海舟は、「古今の人物について」というところで次の様に回想している。
1860
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 「西郷隆盛の人物」

○坂本龍馬が、かつておれに、「先生はしばしば西郷の人物を賞せられるから、拙者もいって会ってくるにより添え書きをくれ」といったから、さっそく書いてやったが、その後、坂本が薩摩から帰ってきていうには、「なるほど西郷というやつは、わからぬやつだ。 少したたけば少しく響き、大きくたたけば大きく響く。 もし馬鹿なら大馬鹿で、利口なら大きな利口だろう」といったが、坂本もなかなか鑑識のあるやつだよ。
 西郷に及ぶことのできないのは、その大胆識と大誠意とにあるのだ。 おれの一言を信じて、たった一人で、江戸城に乗り込む。 おれだってことに処して、多少の権謀を用いないこともないが、ただこの西郷の至誠は、おれをしてあい欺くことができなかった。 このときに際して、小籌(しょうちゅう)浅略を事とするのは、かえってこの人のためにはらわたを見透かされるばかりだと思って、おれも至誠を以ってこれに応じたから、江戸城受け渡しも、あの通り立談(たちばなし)の間にすんだのさ。
〔中略〕

 「西郷の大きさ」

○西郷の大度洪量について、維新当時の模様を、もう少し細かに言うと、官軍が品川まで押し寄せてきて、今にも江戸城へ攻め入ろうという際に、西郷は、おれが出した僅か一本の手紙で、芝、田町の薩摩屋敷まで、のそのそ談判にやって来るとは、なかなか今の人ではできないことだ。
 あの時の談判は、実に骨だったよ。 官軍に西郷がいなければ、話はとても纏まらなかっただろうよ。 その時分の形勢と言えば、品川から西郷などが来る、板橋からは伊知地〔正治〕などが来る。 また江戸の市中では、今にも官軍が乗り込むといって大騒ぎさ。 しかし、おれはほかの官軍には頓着せず、ただ西郷一人を眼中に置いた。
 そこで、今話したとおり、ごく短い手紙を一通やって、「双方どこにか出会いたるうえ、談判いたしたい」との旨を申し送り、また、「その場所は、即ち田町の薩摩の別邸がよかろう」と、こっちから選定してやった。 すると官軍からすぐ承知したと返事をよこして、いよいよ何日の何時に薩摩屋敷で談判を開くことになった。

 「品川での談判」

○〔前略〕
 さて、いよいよ談判となると、西郷は、おれのいうことを一々信用してくれ、その間一点の疑念も挟まなかった。
 「いろいろ難しい議論もありましょうが、私が一身にかけてお引き受けします」
 西郷のこの一言で、江戸百万の生霊〔人間〕も、その生命と財産とを保つことが出来、また徳川氏もその滅亡を免れたのだ。 もしこれが他人であったら、〔中略〕いろいろうるさく責めたてるに違いない。 万一そうなると、談判はたちまち破裂だ。 しかし西郷はそんなやぼは言わない。 その大局を達観して、しかも果断に富んでいたには、おれも感心した。〔後略〕

 「西郷の礼儀正しさと肝の大きさ」

○この時、おれがことに感心したのは、西郷がおれに対して、幕府の重臣たるだけの敬礼を失わず、談判の時にも、始終坐を正して手を膝の上にのせ、少しも戦勝の威光で以って敗軍の将を軽蔑するという様なふうが見えなかったことだ。 その肝量の大きいことは、所謂天空海闊〔=度量が広くさっぱりしていること〕で、見識ぶるなどということは、もとより少しもなかった。〔中略〕
 知識の点においては、外国の事情などは、かえっておれが話して聞かせたくらいだが、その気肝(きも)の大きいことは、この通り実に絶倫で、議論も何もあったものではなかったよ。
 今の世に西郷が生きていたら、話し相手もあるに――

 南洲の 後家と話すや 夢のあと

【小生comment】
 江戸城開城の時、勝海舟は44歳。 西郷隆盛39歳。 大久保利通36歳。 坂本龍馬がその時まで生きていれば31歳。 明治維新の志士たちは実に若かった。 そして豪胆でもあった。 なかでも西郷は・・。 勝海舟をして豪胆の傑物と尊敬させる器量を持つ。 実際、西郷隆盛は、近代日本国が産んだ超弩級の英雄である、と小生も思う。 時代が彼等〔勝、西郷、大久保、坂本等〕をスケールの大きな人物にしたのであろう。 渡部氏や勝海舟の話を聞いて幾分か爽快な気分になった。
 因みに、西郷隆盛が城山で最期を遂げた日〔明治10年9月24日〕は、小生が生まれた日〔昭和30年9月24日〕から丁度78年前だったと、最近知った。・・蛇足でした・・。(笑)

2009年8月 2日 (日)

【時習26回3-7の会 0249】~~「【2637の会】《クラス会》『出欠経過報告』〔8月01日現在〕」「南雲吉則『錆びない生き方』を読んで」

■今泉悟です。 皆さん如何お過ごしですか。 さぁ、今日も【2637の会】会報【0249】号をお送りします。

■さて、今日もまず最初は「【2637の会】《クラス会》『出欠経過報告』〔8月01日現在〕」についてです。
 先週一週間で、牧原(金子)M○子さんから返信はがきが来ました。今回も残念乍ら「欠席」ですが、彼女からの〔近況報告〕をお伝えします。
 お元気なご様子でなによりです。

 「長女の子〔男 2歳〕 次女 6月に結婚 三女来年3月に結婚決まりました。」・・牧原・・

 【2637の会】membersの皆さんへ、8月15日の《クラス会》の回答期限は一応7月末日になっていますが、今年はなかなか回答し辛いと思いますのでもう少し様子をみます。 まだ回答を頂戴していないmembersの皆さん、朗報を心よりお待ちしています。m(_ _)m

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■続いては、先週は小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクトX「フンパーディンク作曲:歌劇『ヘンゼルとグレーテル』」を、7月29日に名古屋愛知県芸術劇場大ホールにて、昨日8月1日はアクトシティ浜松 大ホールにて、と二度観る〔聴く〕機会に恵まれ、至福のひとときを過ごすことができました。
 添付写真は、このオペラのプログラムと演奏・出演者一覧です。 当初はグレーテルはバーバラ・ボニーが、眠りの精はジェニファー・ウェルチ=バビッジの予定でしたが、バーバラ・ボニーは風邪で、ジェニファー・ウェルチバビッジはおめでたで来日ならず、グレーテルはカミラ・ティリング、眠りの精はモーリーン・マッケイが務めることになりました。 代役の二人の歌唱力は良かったですよ。
 そしてそのプログラムの中にあった池田香代子氏のessay「ヘンゼルとグレーテル」の物語~グリム兄弟からフンパーディンク兄妹、そして未来の子供たちへ~が結構面白かったので、その抜粋をお贈りします。

 昔むかし、今から100年ともう少し昔、正確ににいうと116年前、ドイツのある町に仲のいい兄と妹がいました。
 兄さんはエンゲルベルト、妹はアーデルハイトといいました。ふたりはもう大人で、
 アーデルハイトには小さな子どもがいました。
 ある時アーデルハイト母さんは、いつも子どもたちに詠んで聞かせているメルヒェンの本から
 お話を一つ選んで、お芝居にしました。 家族みんなで上演しよう、というのです。
 お芝居は大成功。 兄さんのエンゲルベルト、つまり子どもたちのおじさんも大喜びしました。
 〔中略〕
 ところで、エンゲルベルトおじさんには特別の技がありました。 何でもかんでも音楽にしてしまうのです。
 おじさんは、このお芝居も音楽にしました。 お芝居を音楽にして、登場人物はせりふを歌うことにしたものを、オペラといいます。
 おじさんはオペラをつくったのです。 それが「ヘンゼルとグレーテル」、きょうこれからあなたが聴くオペラです・・。

 当時出回った民話集のなかでも有名なのが、グリム兄弟のメルヒェン集だった。これは1812年の出版当時から大変評判になり、グリム兄弟は生涯を通じて6回も〔中略〕版を改めている。 最後の第7版が出たのは、オペラがつくられる40年近く前だった。〔中略〕
 グリム以前の、この話が語り伝えられた時代には、飢饉に襲われたら、嫌でも何でも子供を捨てるしかなかったのだ。〔中略〕
 食べ物がない時に子供を捨てるのは、過酷な現実が支配していた時代には、合理的な選択だったのだ。
 そうは言っても、人間として親として、これ程惨いことはない。子供の犠牲のうえに生き延びても、心の傷は残る。〔中略〕
 そこで、人々は語りだす。
 「昔むかしどこかの森のはずれに、貧しい木こりがかみさんと、二人の子どもと住んでいた」と。
 自分達の村を飢饉が襲い、〔中略〕あの家からもこの家からも子どもの声が消えたのはいつのことだったか、忘れようにも忘れられない。そこを、「昔むかし」と、時を曖昧にした。〔中略〕場所を曖昧にした。その上で、痛ましい出来事を後世に伝えた。 子捨ての昔話は、飢饉の悲劇を集団で密かに記憶するための仕掛けなのだ。
 〔中略〕昔の人々は平然と子どもを捨てたのではない。 昔話の結末で捨てられた子どもたちが必ず幸せになることが、その証拠だ。〔中略〕 人々は、せめて虚構の語りのなかでだけでも、哀れな子どもたちを幸せにしてやりたかったのだ。 そんな思いを秘めて語るとき、物語は供養に限りなく近づく。
 グリム兄弟は、そんな伝承を新たな時代に相応しく、やんわりとと書き直した。 それでも、オペラがつくられた19世紀末〔中略〕ドイツが帝国として目覚しい経済発展を遂げていた当時、飢饉というテーマは時代遅れだった。 そこで、台本作家は飢饉という社会的背景を台本から消し去り、代わりにただの貧しさを強調することにした。〔中略〕子どもたちが森で迷子になったのではと、父親と共に必死で探し回る母親・・。 二人とも根は善良なのだ。 こうして、飢饉と共に子捨てもオペラから抹消された。〔中略〕
 オペラ「ヘンゼルとグレーテル」は、こうして新しい生命を得た。 原作より豊かに、親しみ易くするために、他の伝承で補ってもいる。 例えば、グレーテルが歌う「かわいいズーゼ」や「こびとが森に」は、古い童謡そのままだし、迷子になった兄妹が眠りにつく前に歌う「14人の天使」は、ドイツ民謡集『少年の魔法の角笛』に収められている童謡「夕べの祈り」だ。〔中略〕
 フンパーディンクが〔中略〕つけた素晴らしいメロディーに、幾つになっても幸せな気分になるのは、私だけでない筈だ。(了)

【小生comment】
 グリム童話の「ヘンゼルとグレーテル」と言えば、皆さんもよくご存知の「メルヘン=おとぎ話」である。 フンパーディンクはグリム童話以上にストーリーもやさしい、マイルドなものにしてあり、全編を通して流れる曲調も、聴き易い、まさに子供向けのオペラにしている。 
 池田氏が紹介している様に、原作のグリム童話の元になっている伝承「飢饉による『子捨て』」話は、このオペラには全くない。
 しかし、この「飢饉と子捨て」の話を聞くと、人類が、所謂「飢餓」から解放されたのは、我々の世代になってからのごく最近のことでしかない、と言っても過言でない。
 それまでの人類史上、ごく最近までは「飢餓との闘いの連続」であったのだ。
 小生の親父は、大正13年生まれだが、小学生時代は飢餓は日常茶飯事のことだったという。 腹が減ったら「大きめの石を着物の腹の処に入れ抑え付ける様にすると空腹感を紛らすことが出来た」と・・。 また亡母からは戦時中の学徒動員時代の貧しい食生活の話をよく聞かされたものだ。
 ともかく・・25分の休憩時間を含めても全部で2時間半の上演時間は、綺麗なメロディーと安心して観られるストーリーと綺麗な舞台装置に魅せられてあっと言う間に過ぎ去った。

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【後記】■今日の締め括りは、最近読んだ、南雲吉則『錆びない生き方』(PHP研究所)からお贈りします。 南雲氏は昭和30年生まれと、我々と同い年の53歳。 なのに、本のプロフィールには脳年齢38歳、骨年齢28歳、血管年齢26歳という。
そこで今日は、南雲氏のこの本からいくつかご紹介します。

【細胞の分裂回数は年とともに減っていく】
 ひとりの人間を形作る、最初の1個の細胞は「受精卵」です。この受精卵は、めまぐるしい勢いで細胞分裂を行い、人体を形作っていきます。
 胎児の段階の人体から細胞をひとつ抽出して培養すると、その細胞は「45回」まで分裂できるといいます。
 これが「胎児期の細胞の分裂」です。 この細胞は、45回以上の分裂を行うことはありません。 言い換えれば、45回の分裂で人体ができるということです。
 お腹の中の赤ちゃんは、体が完成するまでの細胞分裂は行いますが、細胞が死ぬことはありません。 これは非常にありがたいことです。 10か月の間に細胞がどんどん死んでしまったら、アカや便がどんどん産出されて、お腹の中は大変なことになってしまいますから。
 では、生まれたあとはどうでしょうか。 今度は「新陳代謝」が始まります。 髪や爪が伸び、皮膚や粘膜は日々死んでは新たに生まれます。〔中略〕
 ところが思春期になると、細胞分裂の階数はだんだん減ってきます。〔中略〕細胞分裂が25回で止まることが分かります。
 25回くらいまで減ると、生まれる細胞と死ぬ細胞の数は一致します。 これが即ち、成長期の終わりです。〔中略〕
 老人の細胞分裂回数は、10回で終わってしまいます。 新陳代謝が衰え、新たな組織を作り出さなくなってきた人体は、だんだんと瑞々しさを失い、萎れた様子を見せ始めます。
 そして最後に、全ての細胞が完全に分裂を停止した時が、生命の終わりです。
 これが「自然死〔アポトーシス〕」と呼ばれるものであり、即ち「寿命」なのです。

【細胞時計「テロメア」とは何か?】
 〔前略〕細胞の中には、分裂の回数を決める「時計」が仕込まれているのです。
 その時計の正体は、「テロメア」というものです。
 「テロ」とは「端」、「メア」とは「部分」という意味。 テロメアは、細胞核の中のDNAの「端の部分」にある、結び目の様なものです。〔中略〕 このテロメアには限界があるのです。
 DNAは、分裂の時に「DNAポリメラーゼ」という複製酵素の働きによって完璧に複製されます。〔中略〕分裂すればするほど、テロメアは磨耗していくことになります。〔中略〕
 細胞分裂の数はその生物によって、生まれ乍らに決まっていて、どんなに健康でもそれ以上生きることができません。
 だからテロメアは「細胞時計」と呼ばれているのです。

 手入れをしない刀が自ずと錆びて来る様に、体に悪いことを分かっているのにやめられない私たちの体は、日々「錆び」に蝕まれているのです。 老いも病もその延長線上にあると考えて下さい。

【「錆びない生き方十箇条」】
 分かっちゃいるけどやめられなかった悪しき生活習慣とは、今日から決別しましょう。 そうすれば、いつまでも若く美しく健康で長生きできることうけあいです。
 実践し易い様に十箇条に纏めましたので、忘れかけた時はこのあとがきを読み返して下さい。

【1.睡眠―「ゴールデンタイム」に眠ろう!】
 「早寝早起き」と漠然と言われてもピンと来ないでしょう。「夜の10時から夜中の2時まで」の「ゴールデンタイム」に寝る、と覚えて下さい。 この時間は脳が休養をとる「ノンレム睡眠」の時間で、脳下垂体から「若返りホルモン」とも呼ばれている「成長ホルモン」がなみなみと出ます。〔後略〕
【2.食事の量と回数―腹八分目で長寿遺伝子を活性化しよう!】
 人類は飢餓との闘いでしたので、食べた物を内臓脂肪として、効果的に体内に蓄える「倹約遺伝子」を誰もが持っています。 逆に飢餓状態では「長寿遺伝子」とも呼ばれる「延命遺伝子」が作用します。 延命遺伝子を活発にするためには、食事の回数を減らします。 朝・昼を抜いて、空腹を感じてから夕食を摂りましょう。〔後略〕
【3.食事のバランス―食材は丸ごと食べて「完全栄養」を摂ろう!】
 〔前略〕ご飯なら玄米で。白米を食べる時は糠漬けを添えて下さい。 そして魚は「頭・はらわたから骨まで」、小魚や烏賊を丸ごと食べて下さい。 野菜ならば「葉ごと・皮ごと・根っこごと」、大地や海の恵みを丸ごと頂きます。〔後略〕
【4.食事の味付け―薄味で食材本来の旨みを味わおう!】〔後略〕
【5.野菜・果物―栄養の宝庫・皮ごと食べよう!】〔後略〕
【6.肉―栄養の過剰摂取に要注意!】〔後略〕
【7.運動―ウォーキングで基礎代謝を上げよう!】
 〔前略〕息が上がらない程度の歩行ならば、心臓に負担をかけないばかりか、滞りがちな抹消の血液も心臓に送り返してくれます。
 具体的には、車に乗らずよく歩く、電車やバスに乗る時は座らない、座る時は背もたれに寄りかからない、などです。〔後略〕
【8.煙草―やめよう。その日から、病気と老化のリスクは減っていく!】〔後略〕
【9.パートナー―大切な人を思う気持ちが心身を輝かせる!】
 〔前略〕地球上のあらゆる生物は、生殖機能が終了すると細胞分裂が停止して死亡する様に仕組まれているのです。 しかし、女性は孫の子育てをすることによって、寿命を延長することが出来ます。 男性は、性的関係がなくてもパートナーを持つことが大切です。〔後略〕
【10.地球環境、他の生物との共生―私たちの健康は地球の健康から!】
 地球の環境を汚染しているのは私たち人間です。〔中略〕大気汚染が進めば私たちの体内も汚染されるのです。 いつまでも若く健康で長生きしたいと思うなら、地球全体が健康でなければなりません。 地球環境とは私たちの体内とも直結した問題なのです。〔後略〕

【小生comment】
南雲氏は、テロメア〔「細胞時計」〕の寿命を121歳とした。 因みに、人間が一生涯にて打つ脈拍数は20億回という。 氏が言う「錆びない生き方―十箇条」はいずれも分かり易く、実践できるものばかりである。 従って、あとは実践あるのみ・・、か・・。

 では、また・・。(了)

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