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2009年11月29日 (日)

【時習26回3-7の会 0266】~「京都の紅葉『長岡京~光明寺』」と「奈良・西ノ京『唐招提寺』&『薬師寺』」を訪れて

■今泉悟です。 皆さん如何お過ごしですか。 さぁ、今日も【2637の会】会報【0266】号をお送りします。
***先週26日は大変失礼しました。今日はその《会報》【0266】号の正式のものです。ご査収下さい。m(_ _)m ~(^_^;)~***

 さて、今日最初の話題は、掲題・副題にある様に、「京都の紅葉『長岡京~光明寺』」の模様をご覧に入れたいと思います。

【長岡京~『光明寺』】
 時節は、11月22日に『小雪』を迎えた。流石にこの時期になると朝晩も確り冷え込み、晩秋を感じさせる。自宅の周りの落葉樹もかなり色付いて来た。そこで小生、23日(月)に、久しぶりに京都の紅葉を見に行きたくなり、自家用車で朝5時に拙宅を発ち「東名高速→伊勢湾岸道路→新名神高速→名神高速」を経て、京都南ICで降り、一路長岡京市内にある『光明寺』を目指した。
[01]「そうだ、京都、行こう」~〔長岡京~『光明寺』〕
01jr

 この寺は、JR東海の東海道新幹線の写真広告「そうだ、京都、行こう」〔添付写真[01]ご参照〕で一躍有名になりましたね。
 かく言う小生も、この真っ赤に紅葉した美しい写真に魅せられ、引寄せられる様に訪れた次第。(笑)
 自宅から『光明寺』までは、ナビで調べると207キロ。所要時間2時間15分。7時15分に到着。しかし、開門が9時00分からという訳で、この時節に臨時駐車場となったところで1時間余りwaiting。開門時間30分前に門前に行ったが、既に開門待ちの人々が30mばかり並んでいた。開門時間の9時には、人の列は100m程になった。このwaitingの30分間に大型観光バス数台、TAXIも10台位観光客を乗せてやって来た。一大boomと言っていい程の盛況ぶりであった。
 開門と同時に観光客は、順路に従い、真っ赤に紅葉して綺麗な表参道を本堂に向かい歩き出した。が、臍(へそ)曲がりの小生、途中からまだ参詣客のまばらな帰路に当たる「薬医門」に直行。この薬医門の前の参道である「もみじ参道」が、「そうだ、京都へ行こう」の写真のところだ。やはり期待に違(たが)わず美しかった。添付写真〔[02]~[06]〕をご覧下さい。
[02]
            [03]
                        [04]
                                    [05]
                                                [06]薬医門~もみじ参道
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 『光明寺』の素晴らしい紅葉を30分程堪能した後は、一路、車を奈良・西ノ京へ。


【奈良・西ノ京『唐招提寺』】〔添付写真[08]~[11]ご参照〕
 二つ目の訪問地『唐招提寺』である。小生、学生時代に訪れて以来の三十有余年ぶりの訪問であった。
 過日、《会報》【0162】号にてご案内した會津八一の短歌を思い出した。

 おほてらの まろきはしらの つきかげを
     つちにふみつつ ものをこそ おもへ  會津八一
(大寺の円き柱の月影を土に踏みつつものをこそ思へ)

【解説】唐招提寺のエンタシスの円い列柱が春の月の光で、大地にくっきりと影を落としている、その影を踏みながら、深い物思いに耽っている。
  (原田清著『會津八一鹿鳴集評釈』)

 小生、『唐招提寺』を訪れた翌日、書店で芸術新潮2009年12月号「金堂平成大修理記念特集『唐招提寺』よみがえる天平の甍」〔添付写真[07]ご参照〕を見つけた。
[07]芸術新潮2009年12月号
             [08]唐招提寺・金堂前にて
                         [09]唐招提寺・金堂・列柱廊の柱の前にて
                                       [10]薬師如来像台座の葡萄唐草文様
                                                    [11]苔生す唐招提寺の庭
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 そして知った。平城京に創建後1250年。天平文化の面影を伝える金堂が約十年に及ぶ解体修理を終え、今月1日、落慶法要が営まれたことを。
 この解体修理は、一旦更地にして原状回復したもので、建物を構成する木製部材2万点超、屋根瓦4万4千枚の一大 jigsaw puzzle である。
 添付写真〔[08]~[11]〕をご覧下さい。
 芸術新潮の中に井上章一国際日本文化研究センター教授著「唐招提寺から見えること、見えないこと」という面白いessayがあったので一部をご紹介する。

 〔前略〕所謂古建築の修復は、〔中略〕今日〔中略〕小屋組〔注1〕を根本的に変えたりはしない筈である。
 19世紀に始まる修復は、その点で今と違っていた。建物の外観を整えるためなら、内側の構造を変えてもいい。場合によっては、西洋のトラス〔注2〕を持ち込むことも許される。〔中略〕唐招提寺金堂のキングポストトラス〔注3〕は、その大胆さにおいて際立つが。
 1891年の濃尾地震〔中略〕で多くの古建築が倒壊した。その光景も、様式工法への傾斜を強めた様な気がする。〔中略〕
 百年前には理に適っていると看做されたトラスだが、万全な解決策ではなかったらしい。〔中略〕
 唐招提寺の金堂には、列柱廊がついている。建物の正面に吹きさらしの空間があり、そこには八本の柱が並べられた。ちょっと、ギリシアやローマの神殿風に、見えないこともない。
 そのせいだろう。ここの柱を、エンタシスのあるそれとして紹介する解説が、沢山ある。〔【小生注】上述の短歌「おほてらの まろきはしらの つきかげを・・」の原田清著『會津八一鹿鳴集評釈』はまさにそれだ。〕
 エンタシスは、中程がやや膨らんだ柱の形状を指す言葉である。アルカイック期のギリシア建築に、この形でできた柱をよく見る。それと同じ柱は唐招提寺の金堂にもあると記した本が、少なくない。
 しかし、このよくある話は間違っている。ここの柱に、エンタシスと呼べる程の膨らみはない。並んでいるのはただの円柱である。
 法隆寺の中門と金堂には、鮮やかなエンタシス状の柱がある。そんな法隆寺の柱と、唐招提寺のそれを、一緒には括れない。両者の形状は、はっきり違っている。にも拘らず、唐招提寺にもエンタシスがあると言いたがる人はなくならない。
 19世紀末以後、法隆寺にはヘレニズムの文明が届いていると、しばしば語られた。地中海の古代文明が、アレクサンダー大王の遠征で、インドのガンダーラ経由の仏教伝来で、飛鳥にも伝わったとされてきた。法隆寺のエンタシスもその証として取り沙汰されることがある。
 この話には、しかし、全く根拠がない。今では、考古学者や建築史家から、顧みられなくなっている。実際、文化伝播の中継地となっているガンダーラの遺跡に、エンタシスの柱はまだ見つかっていない。法隆寺の膨らんだ柱は、ギリシアとは関りなく、東アジアで芽生えている。ギリシアからの伝来説は間違っていたのである。〔以下略〕
【小生comment】
 小生、唐招提寺の明治の改修で、西洋建築工法が使われていたことを初めて知った。それから唐招提寺金堂の柱がエンタシスの様に柱の中程が膨らんでいないということも。
 確かに写真をよく見るとただの円柱の様だ〔添付写真[09]の列柱をご参照下さい〕。
 また井上氏は、「19世紀の日本が、西洋に憧れ、その勢いが余って、自分達の歴史にも、舶来の文物があったと思い込む、思いたがる。そんな心の動きが、法隆寺にもヘレニズムは届いたとする物語を紡ぎあげた。文明開化の延長線上に、ギリシア文明の伝来を幻視した言うしかない」と手厳しい。
 そう言えなくもないが、果たして本当にそうだろうか。であれば、この後にご紹介する『薬師寺』~『薬師如来像台座』(添付写真[10]ご参照)〔国宝・白鳳時代〕~に描かれている葡萄〔=添付写真上部の帯状の図柄〕は西域、ヘレニズムの影響ではないのか? 浅学の小生にはよく解らない。
 ただ、我々が「唐招提寺のエンタシスの列柱」や「ヘレニズム〔Hellenism〕が飛鳥時代の日本に届いた」と、高校の日本史で習ったことが、研究が進み否定されることに何処となく新鮮さを感じた。何か新しい発見をした様な・・。 

〔注1〕【小屋組(こやぐみ)】 屋根を支える骨組み構造で、和風小屋組と洋風小屋組がある。
〔注2〕【トラス】木造屋根や鉄骨屋根の架設に使われる部材の節点がピン接合になる三角形が基本単位の構造骨組みのこと。
〔注3〕【キングポストトラス】中央に真束〔注4〕のある山形トラス。
〔注4〕【真束(しんづか)】洋小屋の棟木の下に位置する束〔注5〕で、陸梁を吊る関係で引張応力を受けること。
〔注5〕【束(つか)】横架材を支えるため垂直にはめ込む短い角材のこと。吊り束・真束・小屋束・床束など。
〔注6〕【切妻造】住宅建築に用いられる本を開いて伏せたような形の屋根形式。
〔注7〕【入母屋造】屋根の構造形式の一つ。上部は二方へ(切妻造)、下部は四方へ(寄棟造)勾配をもつもの。寺院などの造りに多く見られる。
〔注8〕【寄棟造】四方向の勾配屋根で棟のある屋根。ちなみに勾配が一点に集まり棟がない形は方形という。
〔注9〕【棟(むね)】屋根の最も高い部分、屋根面が交差する部分のこと。大棟、降棟、稚児棟、隅棟などの部位がある。
〔注10〕【大棟(おおむね)】屋根の頂部の水平な棟で、切妻、寄棟(よせむね)、入母屋(いりもや)等。


 続いて3つ目の訪問地『薬師寺』についてである。

【奈良・西ノ京『薬師寺』】〔添付写真[12]~[16]〕
 『薬師寺』というと、《会報》【0128】号にてご紹介した佐々木信綱の短歌「ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なる一片の雲」をすぐ思い出す。
 その薬師寺の東塔を見たくて今回の訪問地の殿〔しんがり〕に入れた。唐招提寺から南に程近い〔車で2~3分〕ことも大きな理由だが。
 『薬師寺』について、少しだけ日本史の復習をしてみよう。
 大海人皇子は壬申の乱の戦に勝利を収め、飛鳥浄御原宮〔あすかきよみがはらのみや〕にて第40代天武天皇として即位。
 そして、天武9〔680〕年、皇后の病気平癒を祈願し、藤原京にて建立を発願したのが薬師寺の始まり。
 それから7年後、天武天皇崩御の後は、亡夫の遺志を継ぎ即位した皇后〔第41代持統天皇〕は、薬師寺七堂伽藍を文武2〔698〕年に完成させた。
 その後、平城遷都に伴い、養老2〔718〕年に現在地に移った。
 その後幾度かの盛衰を繰り返し、享禄元〔1528〕年9月、東塔を除くほとんど全ての建物が灰燼に帰した。

[12]薬師寺・西塔 [13]薬師寺西塔の前にて
                       [14]薬師寺・金堂   [15]薬師寺・大講堂
                                                [16]解体修検査理中の東塔
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 時代は下り、昭和42〔1967〕年に高田好胤和上が住職に就任後、写経勧進運動を全国に展開。昭和51年に金堂〔添付写真[14]〕、昭和56年に西塔〔添付写真[12]〕、昭和59年に中門、平成7年に回廊の一部、そして平成15年に大講堂〔添付写真[15]〕を次々に再建。現在の大伽藍にまで回復した。
 そして現在、添付写真にある様に東塔の解体修理のための検査を行なっている〔添付写真[16]ご参照〕、という状況である。
 因みに、薬師寺は平成10〔1998〕年12月に世界文化遺産に登録された。
【小生comment】
 三十有余年ぶりの薬師寺であったので、大変懐かしかった。薬師三尊〔薬師如来、日光菩薩、月光菩薩〕に再会できたのは嬉しかった。
 しかし、東塔が解体修理中で、写真でご覧の通り仮設資材に囲まれていたのはとても残念であった。仕方のないことではあるが。
 また、再建された建造物が伽藍の多数を占め、朱・緑・白に彩られた煌びやかな世界となっていたことは大変結構なことであるが、半面、古都の鄙びた情緒が失われていまい、少々残念ではある。


【後記】■今日は、先程21時20分、城址巡りの会『賢人会』の旅行から帰って来たところです。今回は、「福知山城」→「出石城址」→「兵庫県立コウノトリの郷公園」→「城崎温泉〔泊〕」→「丹後半島~『丹後松島』&『伊根の舟屋』」→「天橋立」のcourseです。この詳細は次号の《会報》にてお伝えします。お楽しみに。
 では、また・・。

(了)

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