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2010年5月15日 (土)

【時習26回3-7の会 0290】~「05月10日:『中山君からのmail・・』」「05月08日:森arts center gallaery『Boston美術館―西洋絵画の巨匠』展を見て」「05月13日:『諏訪内晶子&バシュメットconcert』を聴いて」「白州正子&河合隼雄『縁は異なもの』から」「『柴五郎』について〔第1回〕」

■今泉悟です。 皆さん如何お過ごしですか。 さぁ、今日も【2637の会】《会報》【0290】号をお送りします。

■まず最初の話題は、掲題・副題にあります様に、「タイからの『特派員報告』予告編」として、中山君から mail が届きましたので、ご紹介させて頂きます。
 中山君! mail をありがとう!
 貴君の『特派員報告』楽しみに待っています。宜しく!
 では、どうぞ・・

Sent: Monday, May 10, 2010 2:47 PM
今泉様

お久し振りです。
毎日夏バテのタイに、まだいます。
実は今週から3週間ほど、日本人がわんさか押し寄せて大変忙しくなります。
それ以降で少し余裕ができたら、また硬軟織り交ぜた特派員報告でも送らせていただきます。

            中山


■続いては、05月08日(土)に東京・六本木ヒルズ52階にある森 arts center gallery 『Boston 美術館 ― 西洋絵画の巨匠』展を見て来ましたのでご報告致します。

〔添付写真〕
[101]森 arts center gallery 入口にて
101arts_center_gallery20100508_2

––––––––––––––––––––––––[102]六本木ヒルズ52階展望台からの遠望
10252

 その日は、午前06時丁度に車で拙宅を出発。途中、海老名SAで小休止20分を取り、09時55分に会場入口に到着。
 15世紀後半から16世紀に活躍したエル=グレコ、ベラスケス、ムリーリョや、レンブラント等、正統派の絵画から始まり、ミレー、コロー、クールベの写実主義・Barbizon 派、テオドール・ルソー、マネを経てモネ、ルノアール、ドガ、セザンヌ、ピサロ、シスレー、ゴッホ、シニャック等の印象派・後期印象派、そしてPicasso、ラトゥール、マティス迄、本当に楽しませてくれました。
 米国でも、Washington の National Gallery、New York の Metropolitan Museum と並び称されるボストン美術館( Museum of Fine Arts, Boston )は、各分野の作品を広く収蔵していることでも有名だが、やはり何と言っても印象派の作品がいい。
 皆さんに、沢山名画をご紹介しようと思い、45枚程用意しましたが、また容量 over して添付出来なくなる懸念が大きい為、今回は、厳選した7枚だけの添付に留めました。ご了承下さい。ではどうぞ・・

[103]ベラスケス(Velazquez)『ルイス・デ・ゴンゴラ・イ・アルゴテ(Luis de Gongora y Argote)』1622年
103velazquezluis_de_gongora_y_argot

––––––––––––––––––––––––[104]ドガ(Edgar Degas)『男の肖像(Portrait of a Man)』1860年代
104edgar_degasportrait_of_a_man1860

[105]ミレー(Jean-Francois Millet)『馬鈴薯植え(Potato Planters)』1861年頃
105jeanfrancois_milletpotato_plante

––––––––––––––––––––––––[106]ピサロ(Camille Pissarro)『エラ二―、自宅の窓からの眺め(View from the Artist's Window, Eragny)』1885年
106camille_pissarroview_from_the_ar

[107]同(Camille Pissarro)『ポントワ―ズ、冬のジゾールへの道(Morning Sunlight on the Snow, Eragny-sur-Epte)』1895年
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––––––––––––––––––––––––[108]シスレー(Alfred Sisley)『サン=マメスの曇りの日(Overcast Day at Saint-Mammes)』1880年
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[109]ゴッホ(Vincent van Gogh)『オーヴェールの家々(Houses at Auvers)』1890年
109vincent_van_goghhouses_at_auvers


【小生comment】
 名画って、本当にいいですね。

■さて続いては、05月13日(木)夜、18時45分から名古屋・愛知県芸術劇場 concert hall にて開催された:『諏訪内晶子&バシュメットconcert』についてです。
 小生、諏訪内の violin、バシュメット( Bashmet )の viola のCDは幾枚か持っていて二人共に好きな演奏家であるが、生演奏&しかも共演で聴いたのは今回が初めてであった。

[201]Bashmet & 諏訪内晶子
201yuri_bashnet_program_cd

 期待に違わぬ名演奏を聞かせてくれ、至福のひとときを過ごすことが出来た。
 曲目は、以下の通り。

◆ユーリー・バシュメット(Yuri Bashmet, 1953.01.24- ))(指揮 & viola)&国立ノーヴァヤ・ロシア交響楽団(State Symphony Orchestra "Novaya Rossia")

[1]ショスタコーヴィチ(Dmitrii Dmitrievich Shostakovich, 1906.09.25-1975.08.09):祝典序曲Op.96
【小生comment】演奏時間は10分に満たぬが、高らかに鳴る fanfare が彼の作品中では大変聴き易い軽快な作品。演奏会の幕開きで時々取り上げられる。グリンカ(Glinka)「ルスランとリュドミラ(Ruslan & Lyudmila)」序曲(Overture)やバーンスタイン(Bernstein)「キャンディード(Candide)」序曲(同)と雰囲気が似ている佳品。Bashmet の指揮捌きは的確で、楽団の演奏も迫力あり上手かった。

[2]同:Violin Concert No.1 in a minor Op.77※(1)
〔第1楽章〕Nocturne - Moderato
〔第2楽章〕Scherzo - Allegro
〔第3楽章〕Passacaglia - Andante
〔第4楽章〕Burlesque - Allegro con brio
※(1):violin/諏訪内晶子(1972.02.07-)、

––––––––––––––––––––––––[202]諏訪内晶子
202

 作品番号を[Op.99]とする例がある。これは、作曲が発表された1955年としたことによる。作曲が完成したのは、作品発表から遡ること7年前の1948年03月24日。現在では、作品番号を作曲年代順に修正し[Op.77]とされる。
[初演]:1955.10.29、Evgeny A. Mravinsky、指揮 Leningrad P.S.O.、violin solo : David F. Oistrakh
【小生comment】2曲目は、待望の諏訪内晶子が violin solo 演奏。この曲は難曲として有名。諏訪内は、この日は真っ赤な dress を身に纏い登場。現在38歳だが、美貌は相変わらずである。彼女は、1990年 Tchaikovsky 国際 concours において最年少(18歳(当時))で第1位受賞。彼女が弾く violin は、巨匠ハイフェッツ(Jascha Heifets)が使っていた「世界3大Stradivarius」の名器「Dolphin」(1714年製)。
 彼女の確かな技量と名器の collaboration により、演奏も期待違わぬ素晴らしいものであった。特に第3楽章パッサカリア第8変奏の後のカデンツァ(cadenza)が、J.S.Bach の無伴奏 violin sonata & partita を想起させ圧巻だった。

[3]ベルリオーズ(Louis Hector Berlioz, 1803.12.11-1869.03.08):交響曲「イタリアのハロルド』(Harold en Italie)」 Op.16 ※(2)
〔第1楽章〕山におけるハロルド、憂愁、幸福と歓喜の場面
〔第2楽章〕夕べの祈祷を歌う巡礼の行列
〔第3楽章〕アブルッチの山人が、その愛人によせるセレナード
〔第4楽章〕山賊の共演、前後の追想
[初演]:1834年11月23日、パリ音楽院ホール(Conservatoire de Paris))。この初演には、ユゴー、デュマ、ハイネ、リスト、ショパン等が訪れたと言う。
※(2):この曲は「viola 独奏付きの4楽章からなる交響曲」と言われる。
【小生comment】英国の詩人バイロン(George Gordon Byron, sixth Baron, 1788.01.22-1824.04.19)の長編詩「チャイルド・ハロルドの巡礼」物語に基づく交響曲。viola がハロルド(Harold)の theme を表わし、最後は山賊の手にかかって命を落とすところで話、つまりこの曲は終わる。Harold の theme は明るく伸びやかに、時にmelancholic に奏でられ、melody は心地よい。Bashmet の viola solo と指揮による演奏も良かった。この曲はCDで聴くより生演奏の方が聴きやすい、と感じた。
 演目の3曲の後の encore 曲は、J.Brahms のハンガリー舞曲第一番と、タンゴ(曲名は思い出せず)。至福のひとときであった。

[301]白州正子 & 河合隼雄『縁は異なもの』
301_

■次の話題は、「白州正子(1910.01.07-1998.12.26)&河合隼雄(1928.06.23-2007.07.19)『縁は異なもの』([001]添付写真ご参照)から『揺れる世紀末日本』」をご紹介します。
【小生comment】
 この対談は、今から13年前の1997年、白州正子氏が亡くなる前年のものであるが、現在の混迷する日本が既にこの時に顕在化していたことは二人の話を聞いていてよく分かる。
 では、どうぞ・・

《 揺れる世紀末日本 ― まず自分再生から 》
【物あふれ心さまよう】

◆Q◆ 今の世相について、どうお考えですか。〔中略〕
【河合】 欧米をお手本の先進国として、何とか追いつけ追い越せと頑張って来た。しかし、自分達は、こういう考えだから、この道を行くんだ、というのが無い。仏教や儒教が入ると、よし中国に負けない様に頑張るとか、よそのものを種にして頑張っていくのは、中々良く出来ていたんです。だから、経済的にちょっと一番みたいになった途端、心のことをどう考えるかという、もの凄い難しい問題が突きつけられ、何していいか分からなくなった。
【白州】 物が無い、少ない、貧しいから頑張ろう、ということで日本の考え方がつくられて来た。それなのに、急激に物が豊かになったでしょう。そうすると、これ程物が豊かになった時に、宗教、倫理、教育とかがどうなるかというのは、日本人の初めて経験することじゃないでしょうか。
◆Q◆ こういう心の問題というのは、何処に落とし穴があったのでしょうか。
【河合】 日本人は、物と心を分けていないのです。日本の伝統では。例えば、もったいないっていうのは、物を大切にしているだけじゃなく、心を大切にしている訳です。ごはん一粒でも大切ですよ、という言い方で心のことを教える。それから日本の伝統的な、それこそ作法なんか考えたら分かると思いますが、型から整えていったりしますよね。型が整えば心はついて来るっていう、これは日本の考え方なんです。
【白州】 そうですね。物と心が一体でしたね。
【河合】 戦後なんか物が全然無かったから、物があればもっと心の方も上手く行くと思った。ところが、我々が手本にしている欧米の方は物と心を、かっちり分けている。分けたから、自然科学も発達し、technology も出て来る。その物と心を完全に分けて、物の世界をどんどん豊かにして行くことを日本は取り入れた訳ですが、日本
の伝統が合わない訳ですよ。この難しさがね、あらゆる所に出ていると思うんです。〔中略〕

【反抗の武器ない】~【家族のことちゃんと】
◆Q◆ 「今どきの若者」ではありませんが、若い人達はどうですか。
【河合】 うーん。今の若者は特に悪いとは、あんまり思いませんけどね。〔中略〕ただ、今の若者達が難しいのは、大人に反抗していく武器が無いんです。僕等の若い頃には、例えばマルクス( Marx )主義とか合理精神で、バッと大人を攻撃出来た。この頃は、大人が皆もう合理的・科学的になっているし、それからマルクス主義は
どうも失敗みたいやったしね。で、唯一あるのがオカルト( occult )位なものです。逆になって来る訳ね。大人は理屈言うとるけど、occult で面白いことあるぞ、なんて。〔中略〕
◆Q◆ 本来、家族でやることを学校が背負い込んでて、上手く行かない。家庭が大事だってことは分かるんですが、その家庭もかなり傷んでいる。〔中略〕どういう点が問題なんでしょうか。
【河合】 それはね、今迄の日本の家は、家庭というより「家」だった訳ですよね。で、急に核家族になった訳です。しかし、核家族になったら、どうしたらいいか知らん訳ですよ。〔中略〕
◆Q◆ 最後に、今後我々日本人が21世紀に向けて、多少なりとも、いい精神状態になる為には、どういうことを一番心掛けるべきでしょうか。
【白州】 私は、その日その日をちゃんと生きて行くこと。やっぱり80幾つになったら、もう生きててもしょうがない、早く死にたいと思ったですよ、一度は。私の書いた本、皆さん親切に読んで下さったりするとね、やっぱり生きている間は自分を大事にしなくちゃと思います。
【河合】 本当に同感です。やっぱり自分のことからちゃんとする、自分の家族のこと、ちゃんとする。僕は今、好きで日本の古典を読んでるんですけど、それから仏教とか、やっぱり凄い、とこの頃想い始めたんですね。つまり昔のことであり乍ら将来に向かっての光は十分ある様に思います。
 だからこれから頑張って、それをもうちょっと勉強しようと思ってますね。それは、何も物好きの勉強じゃなくて、今生きていることに直接関係することとして意味があると思っています。(了)


■今日、最後の話題は、『柴五郎〔その1〕』についてである。
 ここに丁度一ヵ月前に入手した『歴史街道』(2010年05月号)がある。その巻頭を飾る「総力特集」に『柴五郎と北京籠城~「武士道」を世界に示した男』が全67頁に亘り載っていた。通読した小生「ここにもう一つの『坂の上の雲』があったのだ」と感動。柴五郎という人物に強い関心を持ち、早速、村上兵衛著『守城の人~明治人 柴五郎大将の生涯』、石光真人著『ある明治人の記録~会津人柴五郎の遺書』、星亮一著『会津武士道~「ならぬことはならぬ」の教え』をざっと通読して見た。
[401]柴五郎関連の書籍
401

––––––––––––––––––––––––[402]柴五郎
40201


 謂れ無き朝敵の汚名を着せられ、戊辰戦争では祖母・母・二人の姉と妹を自刃で失い、その後実質流刑に近い下北半島の斗南藩での極貧生活、そして給仕・下僕を経験し乍らも、会津藩士の痛みを乗り越え、情報将校の道を歩んだ柴五郎。60余日の北京籠城戦を指揮して守り抜き、その功績が事実上『日英同盟』として結実するという、正に近代日本の命運を切り開いた。彼は、朝敵とされた会津藩士出身であり乍ら陸軍大将まで上り詰めた明治のサムライである。

 小生、この柴五郎という人物の生き方に、現代日本社会の行きすぎた自由主義・拝金思想により失いかけている「人として品格のある生き方」を見出すことが出来た。
 そこで、今回から3回に分けて『柴五郎』についてご紹介させて頂きます。

 第1回:『柴五郎』の人格形成の backbone となっている【会津武士道】について
 第2回:戊辰戦争に破れ辛酸を舐め乍ら成長していく少年時代の『柴五郎』
 最終回:中国北清事変下、北京籠城戦での『柴中佐』を中心にして、その後・・

【第1回 会津武士道】
 「武士道」を世界に示した男、柴五郎という人物の人格を作り上げた backbone には、厳格な「会津武士道」の教えがある。
 それでは「会津武士道」とはどう言った教えであろうか。

 会津藩には、享和3(1803)年造営の藩校「日新館」があり、会津藩の子弟は10歳になると入学する。鶴ヶ城の西側に位置し生徒数は千人に及んだ。
 授業は朝8時から、教師二人が付き、中国古典の素読の練習から始まる。教科書は孝経、四書、小学、詩経、書経等。
 会津藩の子供は6歳から勉強を始める。午前中は近所の寺子屋で論語や大学の素読を習い、一旦家に帰り、午後一箇所に集まり、組の仲間と遊ぶのである。仲間は十人一組を意味する「什」と呼ばれる。全員集合すると、揃って八つの格言を唱和した。「什の掟」である。いうまでもなく、会津精神の基本である。

【什の掟】
一 年長者の言うことに背いてはなりませぬ
二 年長者にはお辞儀をしなけれはばなりませぬ
三 虚言を言うことはなりませぬ
四 卑怯な振舞をしてはなりませぬ
五 弱い者をいぢめてはなりませぬ
六 戸外で物を食べてはなりませぬ
七 戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ
● ならぬことはならぬものです。

 そして、日新館の生徒達は、二つの校則、
〔1〕家訓(かきん)15ヶ条
〔2〕六行(りっこう)
            及び
〔3〕日新館心得
            が定められていた。

〔1〕家訓15ヶ条
 これは、3代将軍徳川家光の異母弟藩祖保科正之(1611.06.17日-1673.02.04)が定めた藩の憲法で、会津藩は幕府と一心同体であると、基本理念に謳った。
 (因みに、会津藩は「親藩」。3代藩主正容の時代から松平の姓と葵の紋(会津葵)を使用。御三家に継ぐ家格)
 15ヶ条文と概略は以下の通り。

[01] 大君の義、一心大切に忠勤存ずべく、列国の例をもって自ら処するべからず。若し二心を懐かば則ち我子孫にあらず、面々決して従うべからず
   〔【意】=会津藩は親藩である。幕府に対する忠節は他藩と同じであってはならない。幕府に不忠な心を持つ子孫は我が子孫ではない。従ってはならない〕
[02]武備は怠るべからず、士を選ぶに本(もと)とすべし。上下の分を乱すべからず
[03]兄を敬い弟を愛すべし
[04]婦人女子の言、一切聞くべからず
   〔【小生注】※=これは保科正之が側室に係る毒殺事件に対応したもの。特殊事情と考えた方が良い〕
[05]主を重んじ法を畏るべし
[06]家中風儀〔※=行儀作法〕を励むべし
[07]賄を行い媚を求むべからず〔※=質素倹約の励行〕
[08]面々依怙贔屓(えこひいき)すべからず
[09]士を選ぶに便辟便侫(べんぺきべんねい(※=心が偏り、口先が上手い))の者を取るべからず
[10]賞罰は家老の外これに参知すべからず。若し位を出ずる者あらば、これを厳格にすべし
[11]近侍の者をして人の善悪を告げしむべからず
[12]政事は利害を以て道理を枉(ま)げるべからず。詮議は私意を鋏み人言を拒ぐべからず。思う所を蔵せず、以てこれを争うべし。甚だ相争うといえども、我意をここに介すべからず
[13]法を犯す者宥(ゆる)すべからず
[14]社倉は民の為にこれを置く。永利の為のものなり。歳餓、則発出して、これを済(すく)うべし。これを他用すべからず
[15]若しその志を失い、遊楽を好み、驕奢を致し、士民をしてその所を失わしめば、則ち何の面目あって封印を戴き、土地を領せんや、必ず上表蟄居すべし

〔2〕六行〔※=六つの行い、行儀作法のこと〕
[01]善く父母に孝なる者
[02]善く兄に事へ善く弟を愛し、長を敬し幼を恵む者
[03]善く家内及び親族に和睦なる者
[04]善く外親に至るまでを親み、本を忘れざる者
[05]友に信ありて人に任せられ、其のことを担当して久きに耐ふる者
[06]親族朋友に災厄疾病貧窮等あれば、厚く之を救恤(きゅうじゅつ)すること、己の憂に逢ふが如くする者
※六行のほか、六科、八則も定められていた(説明省略)。

〔3〕日新館の心得 〔低学年用〕
[01]毎朝早く起きて手を洗い、口をすすぎ、髪を整え、衣服を正して父母に挨拶し年齢に応じて家の掃除をしなさい。
[02]父母や目上の者には朝晩、食事の給仕をしなさい。父母と一緒に食事をする時には父母が箸を取ってから食事をしなさい。早く食事をする時は、その理由を告げなさい。
[03]父母や目上の者の出入りには必ず送迎しなさい。
[04]家を出るときは、父母に行き先を告げ、帰ったときも報告しなさい。
[05]父母や目上の人の前では立ちながら物を言ったり、立ちながら物を聞いてはならない。寒くても手を懐に入れず、暑くても扇を使ってはならない。肌を見せたり、衣のすそを上げたりしてはならない。
[06]父母や目上の言いつけは謹んで承り、呼ばれたときは、速やかに答えて走って行きなさい。
[07]父母から重ね着を命ぜられたときは、寒く感じなくてもその命に従いなさい。新しい衣服を賜ったときは好みでなくても謹んで頂きなさい。
[08]父母がいつも座る畳に座ってはならない。道の真ん中は身分の高い尊者(そんじゃ)が通る道なので片側を歩きなさい。
[09]身分の高い人に出会った時には道の傍らに控えて礼をしなさい。
[10]人を謗り、人を笑い、あるいは戯れに高いところに登ったり深いところへ行ったりしてはならない。
[11]学習する際は顔を正し、自分はへりくだり相手を敬ってその業を受けなさい。
[12]人に逢う時は不敬不遜な態度をとってはならない。どんなに親密に交わっていても言葉を崩したり野卑な言葉を使ってはならない。

【小生comment】
 藩祖保科正之が定めた『家訓15ヶ条』の第12条にある『社倉』は、後世、田原藩家老、渡辺崋山が飢饉に備えて設置した穀物収納庫『報民倉』のmodel と言われている。
 会津藩士は、若干6歳の時から「什の掟」の唱和や四書等の中国古典の素読を通じて「仁義礼智信」を初めとする倫理観を骨の髄まで叩き込み育った。高潔な人格を持った青年が多く輩出された素地がここにある、と思われる。
 柴五郎も、こうした土壌で確り育ったのである。

 以下、次号をお楽しみに。ではまた・・(了)

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