« 2010年5月 | トップページ | 2010年7月 »

2010年6月の4件の記事

2010年6月26日 (土)

【時習26回3-7の会 0296】~「★〔2010年【時習26回3-7の会】《クラス会》〕★『出欠』状況」「06月18日:『グレゴリー・セドフ/Piccolo Violin Concert』を聴いて」「06月23日:『西本智実指揮/リトアニア国立交響楽団 Concert』を聴いて」「06月25日:『時習26回ミニミニ同期会』開催報告」「石原結實&渡部昇一〔健康対談~長寿の極意をさぐる〕~長生きのために筋肉と記憶力を鍛えましょう~から」「World Cup 決勝T進出を決めた Japan 11!」

■今泉悟です。皆さん如何お過ごしですか。さぁ、今日も【2637の会】《会報》【0296】号をお送りします。

■さて今日最初の話題は、掲題・副題にあります様に〔2010年【時習26回3-7の会】《クラス会》〕の出欠表明状況です。
 本日06月26日20時00分現在、1.「出席」2名〔千賀君〕〔林K子さん〕、2.「欠席」0名、3.「ギリギリまでわからない」1名〔渡辺さん〕

 千賀君!、林K子さん!、早々なる『出席表明』有難う!《クラス会》での再会を楽しみにしています。

 mail を配信させて頂いている30名強の【2637の会】members の皆さんから、是非とも【mail】での返信にご協力頂ければ幸甚です。

 念の為《クラス会》の〔ご案内〕を再掲載します。

 ★〔2010年【時習26回3-7の会】《クラス会》のご案内〕★

1.開催日時 : 【一次会】2010年08月14日(土) 18時00分~20時00分
       【二次会】2010年08月14日(土) 20時00分~
2.開催場所 : 【一次会】「歩亜麗〔ポアレ〕」住所:豊橋市大橋通1-95-1
       〔羽子吾寿司の南隣り〕℡ 0532-52-2045
       【二次会】「トライアゲイン」
       住所:豊橋市駅前大通2-33-1開発ビル地下1階 ℡ 0532-55-0255
3.予  算 : 【一次会】4,000円+【二次会】1,000円=計5,000円

■さて、続いての話題です。06月18日、小生、06月18日豊橋市民文化会館にて開催された『グレゴリー・セドフ(Grigory Sedukh)/Piccolo Violin Concert』を聴いて来ましたのでご紹介させて頂きます。
[01]
01grigory_sedukh_violin_recital_201

 この concert は時習26回【3-9】の同期、杉原(小林)K○子さんからのご紹介で参加させて頂いたもの。Piccolo Violin 奏者の Piano 伴奏を担当したのが野田典子さんで、杉原さんの従姉妹なんだそうである。Program は、全て小品の omnibusで、Glinka、Rachmaninov、Tchaikovsky、Prokofiev と4人のロシアの作曲家の作品であった。Prokofiev 以外の3人の小品は Romantic な佳品揃い。Prokofiev の作品は、Opera『3つのオレンジへの恋』~行進曲、Ballet『ロミオとジュリエット』~モンタギュー家とキャピュレット家、Ballet『シンデレラ』~5曲、いずれも著名作品ではあるが、現代曲の為不協和音が多く万民受けするとは言いにくい。偶然ではあるが、06月24日の日経新聞朝刊に Piccolo Violin 奏者 Grigori Sedukh 氏自身が書いた記事が掲載されていましたので添付します。
[02]
0220100624

 なかなかいい Concert でありました。が、「此処まで高音域〔従来の Violin より1octave 高い〕の演奏が必要か?」という若干の疑問も生じた。
 Piano 伴奏をしていた野田典子さんの演奏も大変上手かったと思います。
 此処で余談を一つ。この Concert 会場で時習26回の同期3人に会った。このConcert Ticket を手配してくれた杉原(小林)さんをはじめ、武野S郎君【3-10】、森田S子さん【3-2】である。豊橋はやはり狭い街でありますね。(笑)

■続いてはこれも classical concert の話題です。小生、中嶋Y行君【3-2】に誘われて、アクトシティ浜松にて開催された「06月23日:『西本智実指揮/リトアニア国立交響楽団 Concert』」に行ってきました。西本智実氏(1970.04.22- )は大阪市出身。Classic 界のオスカルの容貌が印象的。(笑)
[03]
03

 さて演奏曲目は、①Verdi/歌劇『運命の力』序曲、②Schumann/Piano Concerto in a Op.54、③Rimsky-Korsakov/Symphonic-poem"Scheherazade"Op.35、④Ravel/Bolero 以上の4曲。
 この Concert は、まず選曲が素晴らしい。Verdi の Opera 序曲の中でも切れ味爽快な『運命の力』で始まり、Tamara Stefanovich の Piano による Schumann のRomantic な Piano Concert。休憩を挟み、後半は、各楽器演奏者の技量の良し悪しが直ぐ解る難曲2曲、③Rimsky-Korsakov「Scherazade」と④とRavel/Bolero。
 大変充実した2時間であった。

■続いては、今回の《会報》の mail event 「06月25日:『時習26回ミニミニ同期会』開催報告」についてです。
 今回は、旧【3-2】飯田H祥君、中嶋Y行君、【3-3】谷山K君、【3-6】嘉森M俊君、【3-7】林K子さん&小生、以上の6人が会場の「トライアゲイン」に18時から三々五々参集し、9時半過ぎ迄楽しいひとときを過ごしました。当初は、【3-4】金子T也君や、【3-6】水藤T詳君、鈴木(金沢)K生君、【3-10】手塚T君の4人も参加する予定でしたが、仕事の関係等で欠席となり残念でした。出席者6人の元気な姿をご覧下さい。
[04]
042620100625

 林さんが手に持っている花束2束は、当日の06月25日が林さんの誕生日のお祝いということで、金子T也君からと、中嶋Y行君から present された flower arrangement です。中嶋君のは、彼の奥様お手製のものです。綺麗ですね。
 同期の集まりは、心が和み、精神的な若さを惹起出来て本当にいいものです。
 08月14日(土)【2637の会】《クラス会》もきっと楽しいひとときとなるものと思います。
 今回も、昨年同様、中嶋君と谷山君に、二次会への参加をお願いするつもりです。
 勿論、鈴木鉄三先生にも、7月に入ったらご参加賜る様お願いする予定です。「先生、お願いの際はまた電話させて頂きます。宜しくお願いします。」m(_ _)m

■さて今日最後の話題は、PHPほんとうの時代2010年07月号から「石原結實&渡部昇一〔健康対談~長寿の極意をさぐる〕~長生きのために筋肉と記憶力を鍛えましょう~から」をご紹介させて頂きます。ではどうぞ‥
[05]
05


【よく歩き、下半身の筋肉を鍛えることが大切】
〔石原〕 筋力が低下した時は、必ず内科の病気である高血圧や糖尿病、がん、脳卒中等といった病気も同時に発症します。
 筋力は、身体を支えたり、動かしたりするだけではないのです。筋肉を動かすだけで、体温が上がり免疫力が増します。また、筋肉の中を走っている血管が収縮、拡張して、心臓の働きを助けます。だから心臓病の予防になるし、血圧も低くなります。脳の海馬という記憶中枢の血流が良くなって、ボケの予防にもなります。テストステロン(testosterone)というホルモン(Hormon)が筋肉細胞から出来て、自信が湧いて来ます。
〔渡部〕 筋肉はとても大切な働きをしていますね。
〔石原〕 そうなんです。そして、90歳になっても、筋肉はまだ発達することが最近、運動生理学の研究で判りました。
 ところで、漢方の考え方では「生命力」そのものを「腎」といいます。歳を取ると、この腎に力がなくなってくる。これが「腎虚」、即ち「老化」です。老化は腎虚の病気なのです。簡単に言うと、下半身の筋力低下です。尻が下がる、大腿部が細くなる、腹筋、特にお臍から下が弱くなります。
〔渡部〕 腎を強くするにはどうしたらいいのですか。
〔石原〕 足腰を強くする。よく歩くことが必要です。筋肉の75%は下半身にありますから、下半身の筋肉を鍛えることが大切です。全身の筋肉を強くすることが、何と言っても老化の予防になります。筋肉を鍛えることは、代謝を上げて、metabolic syndrome(代謝症候群)の予防になるのです。〔中略〕

【記憶力を鍛え、多くの記憶を持つことが大切】
〔渡部〕 私は、矍鑠たる先輩が好きなのですが、何人もの百歳前後の方々と対談し、ある法則性を見出しました。
〔石原〕 それはどんな法則性ですか。
〔渡部〕 90を超えた位だと、まだこの世の中に未練ががる様ですが、95を超えた人は、皆、もう十分生きたから命が惜しくない。死も怖くないという感じでした。生きていることに未練が無く、死が怖くなければ、これは悟りを開いた聖人の境地ではないかと思うのです。
 こうなれば、『聖書』も『論語』も、経典も、何も要らなくなる。そういう結論に達しました。我々俗人は、勿論修行するのも結構ですが、長生きしていれば、修行したのと同じになるんです。(笑)
〔石原〕 凄い境地ですね。
〔渡部〕 私は五十歳を過ぎた辺りから「老い」を実感し、何か新しい挑戦をしなければと思って、Latin 語の暗記を始めました。正直、当初は「生きているうちに終わるだろうか」と心配でした。そんな時、私の人生観を変える様なことが起こったのです。
〔石原〕 それは何ですか。
〔渡部〕 若い頃には出来なかった漢詩八行をちょっと読んだだけで丸暗記出来たんです。原文と対照すると、二、三の漢字の間違いを除けば、ほぼ全部書けていました。Latin 語で鍛えているから、記憶力自体が強まったんだなと、確信を持ちました。記憶力、つまり能は老年になっても発達する様です。
 私は記憶力が、知力の基本だと思います。記憶の絶対量が少ないと、「独創性」や「個性」も生れて来ません。
 初老以降の人間が知力を維持したいと思うなら、何でもいいから何か暗記せよ、と言いたいですね。人生とは記憶です。もし全ての記憶が失われたら、肉体は人間であっても、人格はその人ではなくなります。晩年を生きるに当たって、最も大切なことは記憶力を鍛え、多くの記憶を持ち続けることではないでしょうか。〔次号に続く〕

【小生comment】
 小生、石原結實氏と渡部昇一氏の対談を読んでみて、「尤もである」と感得した。
 小生の場合、下半身の筋力は、毎日、「腹筋」「dumb-bell」「木刀の素振り」、そして最近、三浦雄一郎氏の真似〔彼は4kg×2〕をして、彼の半分の重さ〔2kg×2〕の錘を足首に巻き付けて歩いている。「百歳まで現役」を目指して。〔呵々〕
「記憶力」の鍛錬は、これから何か暗記モノを選んで challenge してみようと思う。

■World Cup Soccer 南アフリカ大会予選league で Japan Elevenがやってくれました。対 Denmark 戦で3-1の快勝。今回の岡田 Japan は初戦の対 Cameroun 戦、第2戦の対 Holland 戦と共に、いずれも素晴らしい試合を見せてくれました。我国日本も捨てたもんじゃぁありません。
 来る06月29日の決勝 tournament 初戦は、対 Paraguay 戦。好 game を期待しています。そして、決勝 tournament 初勝利を !〔添付写真[06]ご参照〕
[06]
06world_cup_soccerleaguedenmarktou

■今日お別れは俳句を2句をお届けします。。

 樹も草もしづかにて梅雨はじまりぬ  日野草城

 で始まった梅雨も、今は二十四節気でいう「夏至」。新緑も青さが深まり「緑蔭」という季語がピッタリの時節。この季節、無心に的に向かい矢をその的を目がけて射る弓道は様になる、と思う。

 緑蔭や矢を獲ては鳴る白き的  竹下しづの女

【訳】梅雨の終わりに差し掛かる頃、木々の緑が深みを増し清々しさを醸し出す。その静寂の中、矢を放ち「ポーン!」と的を射抜く音が余韻を響かせながら聞こえて来る。射手の残心(ざんしん)の姿が木々の緑を背景として浮き出て見える。絵になる美しさである。

2010年6月19日 (土)

【時習26回3-7の会 0295】~「2010年【2637の会】《クラス会》開催要領」「06月13日:メナード美術館『パスキンとパリを愛した画家たち』展を観て」「〔文藝春秋2010年07月号〕~丹羽宇一郎『2015年中国バブルに日本の勝機あり』」「藤森克彦『単身急増社会の衝撃』を読んで」「求められる『財政健全化』に向けての一考察」「06月13日:『はやぶさ』7年ぶり帰還!〔世界初、小惑星往復〕」

■今泉悟です。皆さん如何お過ごしですか。さぁ、今日も【2637の会】《会報》【0295】号をお送りします。
 東海地方も、梅雨の季節の真っ只中にあります。ジメジメした毎日は鬱陶しいですね。皆さんも時節柄精々ご自愛下さい。

■さて今日最初の話題は、掲題・副題にあります様に、「2010年【2637の会】《クラス会》開催要領」についてです。

 時の移ろいは大変早いもので、2010年の【2637の会】《クラス会》開催まで2ヶ月を切りました。
 そろそろ皆さんにご案内を出状しようと思います。その前に、前号の《会報》でお知らせしました様に、昨年と一部内容が異なる事態になりましたので、ご案内申し上げます。
 実は、一昨年から《クラス会》会場として利用している「トライアゲイン」ですが、今年は美鈴ママのご子息の初盆に当たり、一次会の準備が出来なくなりました。
そこで、今年は、豊橋駅前〔住所:大橋通1丁目95-1〔℡ 0532-52-2045〕〕にある「歩亜麗(ポアレ)」という処に予約を入れました。
 詳細は、以下の「歩亜麗」のURLをご覧下さい。
 尚、二次会は、昨年同様「トライアゲイン」を予定しています。

 会場:「歩亜麗(ポアレ)」の
URL :http://www.poare.jp/shopdata.html
同 : http://www.870.ne.jp/poare/

 従いまして、以下の要領にて〔2010年【時習26回3-7の会】《クラス会》のご案内〕を、本 mail とは別便にて配信させて頂きます。
 お返事を、取り敢えず今月、06月末日を目処に、返信 mail にて頂戴頂ければ幸甚です。
 皆さんからの朗報を心よりお待ちしています。
 そして今月06月末時点で、まだ何らかの理由により e-mail 便でお返事を頂戴していない【2637の会】members の皆さんと、mail address を把握していない為毎週mail 便【2637の会】《会報》を配信出来ていない皆さん宛に、往復葉書のご案内を、7月初旬を目処に出状する予定です。
 往復葉書代金の節約にご理解とご協力頂き、極力 e-mail の返信 mail でお返事を頂戴出来れば幸甚です。m(_ _)m

 ★〔2010年【時習26回3-7の会】《クラス会》のご案内〕★

1.開催日時 : 【一次会】2010年08月14日(土) 18時00分~20時00分
         【二次会】2010年08月14日(土) 20時00分~
2.開催場所 : 【一次会】「歩亜麗〔ポアレ〕」住所:豊橋市大橋通1-95-1
        〔羽子吾寿司の南隣り〕℡ 0532-52-2045
         【二次会】「トライアゲイン」
       住所:豊橋市駅前大通2-33-1開発ビル地下1階 ℡ 0532-55-0255
3.予  算 : 【一次会】4,000円+【二次会】1,000円=計5,000円

■さて、続いての話題です。06月13日、小生、親父を車に乗せて小牧市にあるメナード美術館へ『パスキンとパリを愛した画家たち』展を見に行って来ました。

[01]パスキンとその model たち〔右端がパスキン〕
01model

 ジュール・パスキン(Jules Pascin)〔[01]添付写真(=右端がパスキン)ご参照〕は、本名をユリウス・モルデカイ・ピンカス(Julius Mordecai Pincas (1885.03.31-1930.06.05))と言い、ユダヤ系ブルガリア(Bulgaria)人画家。
Pascin と言う名は、本名 Pincas の alphabet を入れ替えた通称。 Ecole de Paris (=第一次世界大戦後、繁栄と安定を回復した Paris に来住した外国人の美術家群)全盛の1920年代、モンパルナス(Montparnasse : Paris南部の一区域)やモンマルトル(Montmartre : Paris北部の一区域)を転々とし、仲間達とカフェに屯(たむろ)したりして華やかな浪費生活をし乍ら、娼婦、model、身近な友人、中でも多くの女性達を描き続けた。
 Pascin にとって、女性達は、彼の絵画に於いても、私生活に於いても、大変重要であった。1905年 Paris に来た Pascin は程なくエミール・ダヴィッドと結婚。
1914年に一時渡米後、1920年再び Paris に戻ると、かつての彼の model リュシー・クローグと激しい恋に落ち、この危うい三角関係は彼が死ぬまで心の葛藤を引き起こし続けた。
 彼の代表的な作品群の特徴である「震える線描」「真珠母(しんじゅぼ)色の淡い色調」そして作品が醸し出す「アンニュイ(annui(=倦怠))感」が魅力的である。
 それでは、それ等の代表的展示作品5点と、同時に展示されていた〔Paris に渡った日本人画家たち 1910s-30s〕から小磯良平〔渡仏:1928-30年〕と佐伯祐三〔同:1923-26, 1927-28年〕の作品、及び同じく渡仏した日本人画家、安井曾太郎〔渡仏:1907-14年〕、梅原龍三郎〔同:1908-13, 1920-21年〕で今回展示されてはなかったがメナード美術館収蔵作品5点の合計10点を blog にご紹介します。
尚、添付写真は、容量の関係から Pascin ・小磯・安井の作品計5点です。

[02]Pascin『花束をもつ少女』1925年〔北海道立近代美術館所蔵〕
021925

–––––––––––––––––––––––––[03]同『ばら色のリボンの少女』1926年〔メナード美術館所蔵〕
03_2

[04]同『白いリボンの少女』1928年〔北海道立近代美術館所蔵〕〔blog 参照〕
041928

–––––––––––––––––––––––––[05]同『ジナとルネ』1928年〔同上〕〔blog 参照〕
051928_2

[06]同『シンデレラ』1930年〔同上〕
061930

–––––––––––––––––––––––––[07]小磯良平『競馬場にて』1969年〔メナード美術館所蔵〕
07

[08]佐伯祐三『街角の広告』1927年〔同上〕〔blog 参照〕
081927

–––––––––––––––––––––––––[09]安井曾太郎『薔薇図』1934年〔同上〕
091934

[10]同『果物図(柿と林檎)』制作年代不詳〔同上〕〔blog 参照〕
10

–––––––––––––––––––––––––[11]梅原龍三郎『桜島の朝』同上〔同上〕〔blog 参照〕
11


【小生comment】
 小生が気に入った10作品を厳選して添付しました。本 mail に載せなかった5点も素晴らしいです。blog をご高覧頂ければ幸甚です。

■続いては、ちょっと堅い政治経済のお話にお付合い下さい。
[12]
1220157

〔1〕丹羽宇一郎『2015年中国バブルに日本の勝機あり』
〔2〕藤森克彦『単身急増社会の衝撃』
〔3〕【求められる『財政健全化』に向けての一考察】
〔4〕06月13日:『はやぶさ』7年ぶり帰還!〔世界初、小惑星往復〕
まで長文ですが一気に読んで下さい。

 まず、文藝春秋今〔2010年07〕月号から〔1〕【丹羽宇一郎『2015年中国バブルに日本の勝機あり』】の抜粋です。

 今年、中国のGDP(国内総生産)は5兆ドル(460兆円)を突破し、日本を追い抜き、世界第2位となることは確実だ。
 その現実を前にして、「中国に負けて、日本はダメになる」という悲観論ばかりが聞こえて来る。〔中略〕
 私(丹羽)は1978年の「改革・開放」に始まる、ここ30年の中国の経済成長を注視して来た。また、99年から北京市の経済顧問もしているし、ここ数年は毎年、中国を訪れ、その成長の猛烈な勢いを体感して来た。中国の「バブル崩壊」はないし、これからも成長し続ける。それが私の導き出した答えだ。〔中略〕
 1966年に始まった文化大革命〔中略〕89年の天安門事件は「改革・開放」の speed を鈍らせた。また何かがあるのではないか、と訝る気持ちも解らない訳ではない。
 しかし、上海〔中略〕に林立する超高層ビル、〔中略〕高速道路や瞬く間に建設される巨大な工場地域〔中略〕の様な堅固な infra が整うと、人々はそれを破壊するのを躊躇い、騒乱を起こそうとしなくなるものだ。
 〔中略〕中国の経済成長を活用することで、日本は再び経済大国になれると考えるべきだ。日本復活の根本は中国にあるのだ。
 日本が進むべき道は、これから十年の日本と中国の経済の推移を予測すれば自ずと見えて来る。
【十年後の中国経済】
 中国が〔中略〕本格的な経済成長が始まったのは、1980年頃〔中略〕。以降、現在に至る迄実質経済成長率は8~10%をほぼ維持している〔中略〕。
 日本の「高度経済成長」期に当たる1955~73年の18年間の平均経済成長率は約9%。つまり中国は既に日本の倍に近い30年間も「高度経済成長」を続けていることになる。〔中略〕
 日本は、「高度経済成長」期(1955~73年)に続き「中位安定成長」期(1973~90年)が続いた。
 日本では、「高度‥」期の18年間を経て、サラリーマン(salaried man)を主体とする分厚い中間層が形成され、その所得は年々増えて行った。中間層は「三種の神器」を競って購入し、生活の質を高めて行った。中国では今まさに同様のことが起こっている。〔中略〕
 中国が「中位‥」期に入るのは、日本より人口が多く国土も広いので日本の「高度‥」期18年より長く、今後5年位「高度‥」期が続いた2015年頃だ。
 その(2010年)頃、日本のGDPは現在と左程変わらない5兆ドル程度の儘で、中国のGDPは8兆ドル以上になっているだろう〔【注】IMF見通しでは、2010年5.3兆ドル、2015年9.4兆ドル〕。
 その後は中国も、経済成長を支える資源の調達や infra の更なる整備が追いつかなくなり、人口の増加率が鈍り、少子高齢化が進む社会になって行く。〔中略〕
 日本では、この「中位‥」期に中間層の消費の質が「高品質の商品や service 消費」に変わり、それに伴い経済の主役も第二次産業から第三次産業に移行して行った。
 中国でもやはり同じ様な変化が起こるだろう。
 そして、中国の「中位‥」期は、やはり日本(の17年間)の倍、35年程は続くと見ている。即ち2015~50年位までは年率4~5%の成長を続けるのではないだろうか。〔中略〕
【「一党独裁」が「強み」になった】
 中国が「高度‥」から「中位‥」へ smooth に移行するか否かは中国共産党の舵取り次第だ。かつての中国の経済成長への阻害要因は全て政治に起因した。〔中略〕
 ところが、「共産党一党独裁」という長らく中国の「弱み」「China crisis」と見られて来たことは、今の中国の「強み」となっている。〔中略〕
 「強み」の源泉は、中国共産党が持つ強大な権限だ。それを国土や国民、企業、銀行、市場等に対して行使し、「国家資本主義」によって、「高度‥」を実現して来た。
〔【小生注】強力な権限が成せる speed と効率性の高さが「高度‥」を具現化した訳である。〕〔中略〕
 戦後日本の「高度‥」もまた、「国家資本主義」によって実現された面があると言えるだろう。政府の官僚が民間企業と銀行の経営に介入し、統制したからこそ、「高度‥」が可能だったからだ。
 しかし、どんな国も「国家資本主義」によって、いつまでも経済成長が出来る訳ではない。「国家資本主義」は、自国の経済の主役を農業等の第一次産業から、工業を主とする第二次産業に変えていく工業化の過程で、最も力を発揮する。〔中略〕
〔【小生注】国家資本主義は、インフラや工業製品の大量生産の為に巨額な資金を使い重厚長大産業を短期間で創設するのに威力を発揮する。〕
【勝負のときは迫っている】
「強み」が「弱み」に転じる理由は、5年後、10年後に中国で起きるだろう社会と経済の変化に隠されている。
〔【小生注】ここで丹羽氏の論旨を要約すると‥、
 ①中国が2015年頃「高度‥」→「中位‥」に移行するに従い、中国沿海部の富裕&中間層は、かつての日本がそうであった様に「高品質と様々なサービス」を求める様になり、その規模が急成長。因みに、中国の個人消費は2009年:175兆円→2015年に2009年の日本の個人消費283兆円の規模に到達する見込み。
 ②中国は、産業構造の変換と消費市場(= needs の多様化)の出現に対して、重厚長大産業を担っていた国営企業群が(消費者が求めるきめ細かな service )に上手く対応出来なくなる。
 ③中国沿海部に新たに出現する高品質な商品やきめ細かな service を求める巨大な市場に適応し、制するのは、当該分野で長らく激しい競争を繰り広げ、適応して来た「日本企業」だと考える。日本企業が培った「市場の変化に即応出来る経営判断と意思決定」の力が、中国の新しい消費市場では大きな武器となって行く。
 ④その時肝腎なのが「新技術・新産業」。他の企業や国が真似出来ない最先端の新技術を business の核に据えて置くことが必要。
 ※今こそ、made in Japan (日本国内でつくる) → made by Japanese (日本人が造る)への転換が求められる。そこにしか日本の生き残る道は残されていない。〕
【活路は新技術・新産業にあり】
 〔前略〕中国が今、日本に追いつき追い越そうと懸命にやっていることは、かつて日本が米国対してやっていたことだ。〔中略〕
 〔【注】今、日本が〕国を挙げてやるべきことは一つ。〔中略〕新技術と新産業の開発と育成によって、国際競争力を高めることだ。
 その為に日本政府は教育と先端技術の研究開発に国家予算をもっと投じるべき。
 しかし、日本の高等教育に対する財政支出のGDP比率は0.5%とOECD加盟国中最低だ。しかも、先端技術の研究開発費に占める政府の負担割合は17.4%〔米国27.7%、中国24.7%〕と低い。日本政府の取り組みは不十分と言わざるを得ない。〔中略〕
【これからの中国との付き合い方】
 中国の business 流儀を心得ておくことも重要。
 ①性悪説でまず対処すべき〔中国人は歴史の教訓から人を容易に信用しない〕。
 ②経営者同士の家族的な付き合いを通じて信頼を得れば、儒教精神が根底にあるので、強固な信頼関係を構築できる。中国人は、孔子の五常「仁・義・礼・智・信」の中でも特に「仁(=愛)」と「信(=信用)」を重んずる。
【陽はまた昇る】
 〔前略〕日本がこれまで培って来た安心で安全な暮らしが出来る社会は今、世界の人々が希求してやまないものだ。安全で美味しい食糧に恵まれ、治安が良く、教育水準が高い人々が住む「21世紀の楽市・楽座」として、日本は世界中から人やモノが集まる魅力的な国になれる筈だ。そこに日本の勝機がある。陽はまた昇ると私は確信している。
【小生comment】
 日本はこの儘では、汎用品は、海外で生産された廉価品に、国内市場は駆逐され続ける。従って、国内の消費者向けに製品・商品を供給している maker は廉価な輸入品との競争により売価を値上げできない。加えて、売上原価を構成する「労務費」「原材料費」「経費」のうち、資源・energy 価格の上昇により「原材料費」と「経費」は大幅に上昇。maker は利益確保の為、「労務費」つまり人件費を cut するしかない。
 このことは、そこで働く従業員に支払われる給与総額の減少を意味し、一般消費者となった彼等の財布の紐は固く、供給者側〔maker〕は売上増進の為、更なる値下げを余儀なくされる、という デフレ・spiral に陥る。
 これが現在の日本経済の実態である。

 話は丹羽宇一郎氏の話題に戻るが、氏は、伊藤忠商事前会長。愛知県出身。7月から中国大使に就任予定。
 氏の深い見識と大手総合商社 Top としての広い視野、豊富な経験を生かして、日中関係の発展、延いては我国日本の経済再生や Asia area の発展に貢献して頂きたい。

■さて続いて〔2〕【藤森克彦『単身急増社会の衝撃』】です。衝撃的なこの本の要約をごく簡単にご紹介します。
 今から20年後の2030年に、50歳代の3人に1人が「一人暮らし」となり、「単身急増〔2005年:30%→2030年:37%〕」により「貧困」「介護」「社会的孤立」という負の影響が大きくなって行く。そして55~74歳の単身世帯の年収では、男性は未婚者、女性は離別者に於いて低所得者の割合が高く、今後、高齢化した単身世帯の増加に伴い、貧困問題が深刻化して行く。
 その結果、「生活保障」「介護」関係の社会保障費の歳出の増大が不可避となる。

■続いて、小生の〔3〕【求められる『財政健全化』に向けての一考察】を申し述べたい。

〔問題提起に至った背景〕
 ここで申し上げたいのは以下の通りである。
 即ち、これまでの我が国政府の政策である‥
 ①「不況時は赤字国債を発行しても公共投資により産業を活性化し、企業収益向上による法人税&所得税等の税収増により国債償還する」という仕組みが、
 ②「公共投資」の恒常化により、景気浮揚のカンフル(kampher)剤の機能を果たさず、即ち、機能不全に陥り、
 ③バブル崩壊後、20年近い長期間、本来なら市場から淘汰される筈の事業者の実質的な延命治療薬として機能して来た。
 換言すれば、「建設国債」が実質的に「赤字国債」化してしまい、これがバブル崩壊後恒常的に繰り返され、国債の発行残高推移が882兆円にまで膨れ上がり、このままでは本当に日本という国が財政破綻する懸念が出て来た為である。以下のURL我が国日本の「国債発行額と税収の推移」並びに「国債発行残高の推移」の図をご覧下さい。
 http://www.jiji.com/jc/v?p=ve_pol_kokusai091215j-02-w300 ←時事ドットコム「【図解・行政】 国債発行額と税収の推移」
 http://www.jiji.com/jc/v?p=ve_pol_kokusai091210j-02-w260 ←時事ドットコム「【図解・行政】 国債発行残高の推移」
 国債発行残高の対GNP比率と、国の財政破綻懸念の関連性は直截にはないと思うが、参考にはなる。
 日本は国債発行残高882兆円/GDP475兆円≒185%と、主要先進国では断トツの worst である。

             *  *  *  *  *  *  *  *  *

 日本は、戦後最大の危機に直面している。GDPで世界2位の座を中国に明け渡すという事実認識と比べ格段に重い重要な危機だ。
 それは、日本の raison d'etre〔存立基盤〕である、「高い moral で培った勤勉な国民の不断の努力により築き上げた高い技術力、そしてその高い技術力で高付加価値製品・商品を産み出し全世界に提供し続け、その結果、平和裏に国を富ませ、しかも国民の8割が中間層だと実感する程の平等な、安全・安心・安定した社会を実現した」、これまでの success story の仕組みが大きく崩れつつある。
 我国の「財政悪化の深刻化」が、sovereign risk を増大化させ、「財政破綻」→「『円』の信用力失墜」→「極端な円安」→「 hyper inflation (超インフレ)」→「円建金融資産の資産価値が大幅に下落」→「日本国民の総貧困化」という、悪夢がいつ現実のものになるか、という懸念である。
 しかも、上述した様に、今後日本は世界最速で超高齢化社会となり、「生活保障」「介護」関係の社会保障費の歳出の増大が避けられず、経済が回復して税収が増えない限り、我国の財政は悪化の一途で、先述の懸念の顕在化が早まる恐れすらある。
 では、「財政破綻」の時期はいつか? それを、これから簡単に説明する。

 ①政府の歳入不足を国債の新規発行で調達。2010年度予算における国債の新規発行〔=増加〕額44兆3千億円。国債累計発行残高882兆円〔2010年03月末現在〕。
 http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/budget/
 〔国家財政 - Yahoo! ニュース〕ご参照
 ②国債は、現状、結果的に日本国民が購入させられている。
  国民の金融資産は14百兆円。住宅 loan 等の借金4百兆円を除くと1千兆円保有。
  国民は、今、運用先がない為、大半を銀行・郵便局等の金融機関に預貯金として仕方なく低利〔現在:ex.1年定期預金金利0.06%〕で預入。
  一方、金融機関も預かった預貯金の運用先が少なく、仕方なく10年物国債〔現在:1.235%〕を購入。
  因みに、海外投資家は、低金利の日本国債は魅力なく全く見向きもしない。
 ③従って、日本国債の新発債の消化余力は国民の純金融資産相当額が限界となる。
  しかし、その消化余力も限界に近づきつつある。即ち、消化余力は、日本国民の純金融資産額1千兆円-国債累計発行残高882兆円=120兆円程度となる。
  しかし、2010年度1年だけで国債44兆円増発。この pace で行くと、あと3年で日本国債は発行しても買い手がなくなる。
 ④国債の新発債の買い手がなくなると、仮に日本が国家破綻しないと世界の投資家が見てくれても、10年物で1.2~3%の低利では、投資商品としての魅力なく引受者がいない。投資商品として魅力を付けるには国債価格を下げ〔例えば、100円を、仮に80円に2割下げると単利で10年物ならは2%の利回りに相当し、2%+1.2~3% = 3.2~3%となり投資商品として価値が出て来て国債が売れる。
 ⑤その結果、この場合、国債保有者は資産価値2割が減少しことになる。これを繰り返されると日本人が国内に持っている金融資産価値がどんどん減少する。
 ⑥一方、金利の上昇は、国債費、中でも支払金利の増大を招く。金利が現行より仮に2%上昇すると、累計880兆円が全て10年物で88兆円ずつ均等に発行されていると仮定すると、毎年88兆円の2%、1兆7600億円が支払金利が増加。10年後には現在比17兆6千億円金利負担が増加する。国家財政は益々悪化する。

 それでは、我国日本は今後どうすればいいのか? 喫緊の課題は‥、それは、【primary balance〔簡単に言えば歳入と歳出の均衡〕を黒字化】すること。これにより少なくとも上記の様な最悪の scenario は避けられる。
 では、primary balance を均衡させると共に、日本経済の悪化を食止める方策は?
〔参考〕【2010年度予算92兆円の歳入内訳】
 ①税収37兆円+②雑収入12兆円+③国債の増発44兆円≒92兆円
 ①税収37兆円=所得税13兆円+法人税5兆円+消費税10兆円+諸税9兆円

【方策】06月17日の日本経済新聞の一面記事でも取り上げられているが、小生私案は以下の2点。
 〔1〕法人税率の大幅な〔現行:39.54%→18%〔=Singapore〕へ〕引下げ
 〔2〕消費税の大幅な〔現行:5%→〔最終的に〕25%へ〕引き上げ
http://www.777money.com/torivia/syouhizei_world.htm ←世界各国の消費税率
  〔但し、間接税の逆進性防止の為納税者に25万円程度の定額還付を実施〕
   ※消費税引上げによる歳入増加の効果は実質的に5%→15%と同程度となる。
【効果】〔1〕により、高い法人税率を避け、日本から海外〔とくに中国・香港・Singapore ・タイ等〕へ逃避している内外の法人を呼び戻し、経済活性化を図る。
〔2〕の「消費税引上げ+定額還付」により逆進性を緩和し、低所得者層を救済。
〔例〕①消費税率5%→25%により税収は10兆円→50兆円へ。40兆円税収増[a]。
②法人税率39.54%→18%により税収は5兆円→2兆円。3兆円税収減[b]。
③全納税者60百万人に一律定額還付25万円[×60百万人]=15兆円税収減[c]。
∴a-b-c=22兆円税収増[d]。国債増発44兆円-[d]22兆円=22兆円の歳入欠陥を歳出削減と、法人税率軽減による経費回復による税収増により cover する。 
 消費税を現行の5%から25%に引き上げても、弱者救済策を施すと、私見の案では増収効果は22兆円に留まり、歳入欠陥は22兆円抱え、新規の国債増発も覚悟しなければならなくなる。
 実に頭の痛いところである。
 本当は、法人税率を上げたいところだが、そうすれば、主要国で米国と並び最高税率である日本へは、国内外の有力企業が本社を置かず、逆に今まで日本に本社を置いていた企業が次々に海外へ逃避している現状を踏まえると、早急な法人税率引き下げを行わなければならない。
 因みに、現在、東京都心の一等地の貸しビルは、一頃外資系企業の到来で大変潤っていたが、今は、高額な法人税率に嫌気を感じ、また business chance 減少している日本から、増大している、中国・上海、香港、税率が18%と低い Singapore へ移している企業が多く、空室率が急上昇していると聞く。
 日本には、この先大きな試練が待ち構えている‥。
(嘆息)

 小生は支持政党は持っていないことを念の為申し添える。(笑)
 また、これだけは言える!「この儘じゃぁ、日本はダメになる」と。

【小生comment】
 気が滅入る様な話ばかりでごめんなさい。
 そこで、今日のお別れは、【06月13日:『はやぶさ』7年ぶり帰還!〔世界初、小惑星往復〕】の「小さな」でも、Big な News である。
 「技術立国日本」の面目躍如である。小生には新聞記事の写真「大気圏に突入した『はやぶさ』の光跡」(添付写真[12]ご参照)を見て、我国日本にとって数少ない
希望の星として燦然と輝いて見えた。
 では、また‥。(了)

2010年6月12日 (土)

【時習26回3-7の会 0294】~「06月05~06日:『信州・川中島古戦場』を中心に~『松代(海津)城跡』『佐久間象山邸跡』『八幡原史跡公園』『明徳寺』『長野県信濃美術館・東山魁夷館』『長野・善光寺とその周辺』『大峰城』他巡り」

■今泉悟です。皆さん如何お過ごしですか。さぁ、今日も【2637の会】《会報》【0294】号をお送りします。
 東海地方も、一両日中に入梅する天気予報ですね。この時節に因んだ無季の俳句を一句ご紹介します。

 雨季来りなむ斧一振りの再会  加藤郁乎

【解説】七・七・四、無季、型破りな句である。雨季と言えば我国では梅雨の季節。
「斧一振り」が何か雨脚の強い五月雨を連想させ、「再会」で一年ぶりの到来を告げる。「雨季来りなむ」と上の句が断定的な力強さと品格を与えている。

■今日最初の話題は、前号にてお約束した「06月05~06日:『信州・川中島古戦場』巡り」についてです。
 毎回【2637の会】《会報》にてご紹介させて頂いている通り、谷山【3-3】、中嶋【3-2】と小生の3人は、初夏5月~6月と、晩秋初冬11月~12月の年ニ回、一泊二日で「城(跡)・寺院・温泉」巡りをやっていて、今回も掲題・副題にもあります様に、『松代(海津)城跡』『佐久間象山邸跡』『八幡原史跡公園』『明徳寺』『長野県信濃美術館・東山魁夷館』『長野・善光寺とその周辺』『大峰城』他を見て来ました。Trip の二日間はいずれも天候に恵まれ中々充実した内容でした。また宿泊した『千曲上山田温泉』の温泉の質も大変素晴らしく良かったです。それでは早速ご報告させて頂きます。Trip の行程と寸評・記念写真をご覧下さい。

【6月5日(土)】
05:30中嶋宅発→06:00拙宅→06:20谷山宅→06:40東名音羽蒲郡IC→(296km)→(恵那SAにて小休止SA20分)→岡谷JCT→(長野自動車道)→更埴(こうしょく)JCT→(上信越自動車道)→長野IC→長野市松代町→10:20【松代〔別名:海津(かいづ)〕城跡】※1に到着.

※1.【松代(海津)城跡】[01]松代(海津)城跡の前にて
0120100605

 この城は歴史は次の通りである。
 1560(永禄3)年、甲斐の武田信玄が、越後の上杉謙信の侵攻に備える為、家臣山本勘助に命じ築城。初代城主(代)は信玄配下の高坂弾正昌信(春日虎綱)。
 1622(元和8)年、真田信之が入城。爾来、松代藩藩庁として明治維新まで真田氏の居城。因みに、信之(信幸)は昌幸の長男で信繁(幸村)の実兄。

【松代城跡】→10:55真田宝物館→真田邸→佐久間象山記念館〔拝観料@250円〕→12:15佐久間象山邸跡→12:20象山神社※2.

※2.【象山(ぞうざん)神社】[02]象山神社前にて谷山君と
0220100605

 この神社は、元大審院長横田秀雄博士の主唱により、佐久間象山(1811.02.28-1864.07.11)を祭神として、1938(昭和13)年11月03日、県社として創建。因みに、横田秀雄(1862(文久2).08.18-1938(昭和13).11.16)は松代藩士族の家に生まれた。大学の法学部出身者なら誰もが勉強した大審院判例「一厘事件」※2-2.を判決した裁判官として知られる。

※2-2.【一厘事件】[03]「横田秀雄頌徳の碑」案内看板
03

 葉煙草耕作者(=農民)が約2g隠匿・消費した処、葉煙草専売法の不納付違反で訴えられた。一審「無罪」、二審「有罪」を受け、1910年10月11日、大審院(院長=横田秀雄)は、「一厘(という現在の価格で1円に満たない軽微な)葉煙草を私的消費する、些細な反法行為は犯罪にならない〔=この判例は、「可罰的違法性(=個別の刑罰法規が刑事罰に値するとして予定する違法性のこと)論の典型的な判例とされた〕」という判決を下した。世にいう『一厘裁判』である。
 因みに、刑法で犯罪が成立する為には、〔1〕構成要件(=刑法の条文)に該当する、〔2〕違法性がある、〔3〕(法律行為者に)責任がある、ことが条件とされる。当該事件では、〔1〕〔2〕〔3〕のいずれにも該当し、有罪になりそうであるが、「刑罰を科する」に値するかどうか、と言えばそれには値しない軽微なものである為「無罪」という、「例外」判決である。

→12:40松代造山地下壕〔松代大本営跡〕※3.

※3.【松代造山地下壕〔松代大本営跡〕】
 この洞窟は、大東亜戦争末期の昭和19年11月11日から終戦の日迄の9ヶ月間に亘り、2億円(当時)の巨費と延300万人の住民・朝鮮人労働者が強制的に動員し、突貫工事を続け全工程の75%完成。総延長10㎞余りの大地下壕。見学を通じて、戦争が齎す無意味さと犠牲の大きさを感じた。

→《昼食》13:00【沙羅樹庵】〔とろろ蕎麦@850円〕〕13:45発→(4km)→13:55着
【川中島古戦場〔八幡原史蹟公園※4.~

※4.【川中島古戦場〔八幡原(はちまんばら)史蹟公園〕】
[04]川中嶋・八幡原史跡公園~謙信・信玄一騎打ちの象の前にて
04

 ここでは、首塚、信玄・謙信一騎打ちの像、等を見た。この信玄・謙信一騎打ちは、全5回〔1552(天文22)年~1564(永禄7)年〕の川中島の戦いの1561(永禄4)年の第4
回目で最大の激戦(八幡原の戦い)。戦死者は、上杉軍3,400人、武田軍4,600人、計8,000人に上ったという。

~首塚→14:15信玄・謙信一騎打ちの像~執念の石~逆エンジュ〕】15:00発→(2km)→15:05【山本勘助の墓】→15:25【大鋒寺〔真田信之隠居所・墓〕】※5.

※5.【大鋒寺〔真田信之の隠居所・墓〕】[05]
05

 真田家についてお復習いしてみると‥
〔真田幸隆(=幸綱)(1513-1574)〕
 信濃小県郡小領主。武田氏の小県侵攻で上野国へ一時敗走。後、武田氏の家臣団に帰属し旧領回復後は信濃先方衆として活躍し上田領主に。1574年病没(62歳)。
〔真田昌幸(1547-1611)〕
 幸隆の三男。7歳で人質として信玄の下へ。昌幸は父幸隆譲りの才能を信玄から評価される。幸隆死去(1574年)の翌1575年、真田氏の家督を継いだ長兄・信綱、次兄昌輝が長篠の戦で討死。昌幸が真田氏を家督相続。武田氏滅亡後は、織田家家臣となり滝川一益、のち、北条、徳川、上杉、豊臣に、夫々臣従。上田の本領は安堵。昌幸は、関ヶ原の戦前、真田氏存続を賭け、信繁と共に西軍、信幸は東軍に属す。昌幸は、東軍の秀忠軍を上田城に釘付け、関ヶ原参戦をさせなかったことは有名。関ヶ原の戦後、信之の助命嘆願により昌幸・信繁は高野山山麓の九度山に蟄居。彼の地にて1611年病没(65歳)。
〔真田信幸(=信之)(1566-1658)〕
 昌幸の長男。関ヶ原の戦後、昌幸の旧領に加え3万石を加増、9万5千石(含む沼田3万石)。上田藩主に。信「幸」は昌幸らとの訣別を表す為、信「之」に改名。
 1614年 大坂の陣は病気の為出陣出来ず、長男・信吉、次男・信政が代理出陣。
 1622年 信濃松代藩に加増移封。13万石(含む沼田3万石)に。
 1656年 信吉、嫡孫(信吉・長男)熊之助が既に死去。信政に家督を譲り隠居。
 1658年 11月12日逝去(93歳)。
 信政の後、信政の六男・幸道が真田家を家督相続。これを不満として信之の長男・信吉の次男・信利が幕府へ提訴し騒動へ。幕府裁定により、幸道が松代10万石、信利が沼田3万石、と確定。
 1681年、幕府は、圧政等〔治世不良、幕命工事遅滞の責任〕を理由に信利を改易。一方、真田松代藩10万石は、明治維新まで続く。維新後は華族、子爵(のち伯爵)。
〔真田信繁(=幸村)(1567-1615.06.03)〕
 一般には「幸村」で知られているが本名は「信繁」。昌幸の次男。信之の実弟。大阪の陣で武名を轟かせた。

→(6km)→15:55着【妻女山】16:30発→(23km)→17:10着

[06]妻女山から川中島遠望
06

【千曲上山田温泉:ホテル亀屋本店】
 このホテルの温泉は、「源泉かけ流し」。硫黄温泉で、肌がすべすべになるのが実感出来た。源泉の温度が47度Cと若干低めなので、湯船にジックリ浸かっていることが出来、且つまた、硫黄温泉だからか、後からジワ~ッと暖かさが体中から湧いて来る様で大変気持ちが良かった。
 ここ数年入った温泉の中では一番質が高いと思う。

【6月6日(日)】 
 08:20ホテル発→(19km)→09:10着【明徳寺〔高坂弾正の墓〕・〔栗林大将の墓〕】※7.

※7.【明徳寺〔高坂弾正の墓〕・〔栗林大将の墓〕】

[07]明徳寺・本堂前にて
07

 この寺は、海津城の初代城主、高坂弾正昌信の墓と、大東亜戦争末期、硫黄島玉砕時の司令官陸軍大将栗林忠道の墓があった。

【高坂弾正昌信】(1527-1578.06.12)
 本名は春日虎綱。信玄・勝頼2代時代の武田四名臣の一人。他の3人〔馬場信春、内藤昌豊、山県昌影〕は長篠の合戦で戦死。
 1560(永禄03)年 海津城代となり、越後の上杉謙信の攻撃に備える。
 1561(永禄04)年 第4次川中島の戦では、妻女山攻撃の別働隊として戦功を挙げ、引き続き北信濃の治世にあたった。
 その後、第4次川中嶋の戦で亡くなった武田・上杉両軍合せ8千人の将兵を敵味方の別なく埋葬。これを聞いた謙信は痛く感心。
 1567(永禄10)年 桶狭間の戦(1560年)で父・義元を失った今川氏真は、武田信玄が13年間に及ぶ今川氏(駿河国)との同盟を破棄し自国領内侵攻するに及び、北条氏康(相模国)と協力し武田領内への「塩留め」を行った。この措置に「義」を重んじる謙信は、高坂弾正の厚誼への返礼として武田氏への塩の提供を実施したという。
 1578(天正06)年 病没(52歳)。

【陸軍大将栗林忠道】[08]栗林忠道
08

––––––––––––––––––––––––[09]栗林忠道大将の墓 ‥blog ご参照
09

 1891(明治24)年 長野市松代町西条欠(かけ)生まれ。
 1944(昭和19)年 小笠原方面軍最高指揮官就任。
         陸軍13,500人、海軍7,300人の兵力。
 1945年02月19日、米軍の攻撃が開始され、03月17日、栗林中将は大本営に決別を打電後、残存兵士数百人と共に総攻撃し玉砕。日本軍の硫黄島戦での戦死率96%。
 栗林大将の辞世の歌は次の通りである。

 国のため重きつとめを果たしえて矢弾(やたま)尽き果て散るぞ悲しき

09:30発→(7km)→10:10着【長野県信濃美術館・東山魁夷館】※8.11:45発~

 続いて訪れたのは、『長野県信濃美術館・東山魁夷(1908年生-1999年没)館』。長野・善光寺の東100m程のところにある。
 彼は、専ら風景画を描き続けた日本画家である。彼は若い頃ドイツへ留学しており、西洋画の雰囲気を日本画に取り入れた彼独自の絵世界を形づくっている。
 『東山魁夷館』に展示されていた作品の中から次の4枚をご紹介する。彼の作品を見つめていると頭の中がα波で満たされ、えも言われぬ心地よい気分になる。
※8.【長野県信濃美術館・東山魁夷館】
[10]『夏に入る』1964-66年〔習作〕‥blog ご参照
10196466

––––––––––––––––––––––––[11]『人形芝居の小屋』1969年 ‥blog ご参照
111969

[12]『白馬の森』1972年
121972

––––––––––––––––––––––––[13]『木枯らし舞う』1997年 ‥blog ご参照
131997

~(80m)11:50【善光寺】※9.

※9.【善光寺】を前にして記念写真[14]中嶋君と
1420100606

~〔門前町散策《昼食》おやき〔野沢菜@160円+杏@180円=340円〕~【横山城跡〔健御名方(たけみなかた)富命彦(とみのみことひこ)神別(かみわけ)神社〕】13:50着【大峰城跡】14:00発→長野IC→恵那SA《夕食》→18:40谷山宅→1915拙宅→20:00中嶋宅

■続いては、ちょっと『川中嶋の合戦』の話題から離れて‥‥前号でお伝えした高浜虚子の俳句関連の話題を一つ‥。
[15]昭和文学全集4
1504

 虚子が、愛弟子森田愛子について綴った詩文と随筆集は、昭和文学全集4~高浜虚子~〔[15]添付写真blogご参照〕の中に、愛子が死ぬ少し前から愛子の埋葬迄を『虹』『愛居』『音楽は尚お続きおり』『小説は尚お続きおり』『寿福寺』と5連作で綴っている。
 前号で虚子の「虹たちて忽ち君の在る如し」をご紹介したが、その俳句が出来上がる迄の経緯を『虹』で知ることが出来る。そして『愛居』『音楽は‥』で愛子の死の直前から直後迄のことを、更に其の後について『小説は‥』で述べ、最後の『寿福寺』※10.には、虚子の墓と共に森田愛子の墓がある。
 『寿福寺』の最後の phrase は次の様に締め括られている。

 程なく掘り上ったので、其処に骨壺を置き其上に墓標を置くことになった。私は一握りの土を骨壺の上に投げた。墓標をどちらに向けるかということになって、柏翠は私の墓の方に向けると云って筋かいにした。
 すべて墓は皆、碁盤目の様に正しく縦横に向いているのに、愛子の墓標のみが筋かい(=【小生注】斜めに交差して)に立っているのはおかしい様に思った。が、やがて其前に花いけを置いたり茶碗に水を入れたりして墓らしくなって来るのを見ているうちに、そうおかしくも思われなくなった。かわるがわる礼拝をして立ち去ろうとしていると、坊さんが今帰ったところだと云って鉦(かね)を持ってやって来た。立ちながら観音経の一節を読誦(どくじゅ)した。(了)

【小生comment】
 虚子は、「観音経の一節」が何かを示していない。その時小生は、ふと「悲体戒雷震/慈意妙大雲/澍甘露法雨/滅除煩悩燄 (ひたいかいらいしん/じいみょうだいうん/じゅかんろほうう/めつじょぼんのうえん)」の一節ではないかと思った。
 【訳】あわれみの体(すがた)である戒(かい)は雷の如く/慈しみの心は美しい雲にも似る/教えの雨を降らせて/悩みの火を鎮める
 
※10.【寿福寺】
 鎌倉五山 3位。
 1200(正治02)年、頼朝没後一年に、妻政子が栄西禅師を招き創建。亀谷山金剛寿福寺と称される。源実朝の墓がある。
 来年初夏、谷山君と中嶋君と3人で鎌倉を訪れる計画であるが、この寿福寺は間違いなく訪れてみたい寺である。

【後記】
 さて今日のお別れは、第4回川中島の合戦について詠った頼山陽の詩をお届けしてお別れしたいと思います。

 不識庵(ふ しきあん)の機山(きざん)を撃つ圖(=図)に題す
〔別名:川中島〕 / 頼 山陽

鞭聲粛々夜過河
暁見千兵擁大牙
遺恨十年磨一剣
流星光底逸長蛇

鞭聲(べんせい)粛々 夜河を過(わた)る
暁に見る千兵(せんぺい)大牙(たいが)を擁するに
遺恨なり十年 一剣を磨き
流星光底 長蛇を逸す

【訳】上杉軍は、軍馬を鞭(むち)打つ音も聞こえぬ様に粛々(=ひっそり)と深夜の闇に乗じて河(=千曲川)を渡り、夜が白み始めた頃、大牙(=大将信玄の旗)を擁して陣取っている武田の千の軍兵の前に突然現れた。
 十年をかけ磨き上げて来た謙信の武略にも拘らず、振り上げた名刀(=流星)の下(=光底)、長蛇(=邪悪な武田信玄)を逃がしてしまった。

【小生comment】頼山陽(1780-1832)の名詩である。久し振りに全文と訳を読んでみたが、やはり正真正銘の傑作ですね。

 次号では、今夏08月14日開催予定の【2637の会】《クラス会》のご案内について、昨年の開催要領と異なる点を中心にお伝えしたいことがあります。
 それでは、次号をお楽しみに。(了)

2010年6月 4日 (金)

【時習26回3-7の会 0293】~「05月29日:『五島龍 Violin & ルイジ指揮ウィーン交響楽団 = Brahms Zyklus』を聴いて」「05月30日:茶臼山高原『芝桜まつり』を見て」「05月31日:鈴木(金澤)君の店『かっちゃんの店』」「06月01日:ブリヂストン美術館『印象派はお好きですか?』展を見て」

■今泉悟です。皆さん如何お過ごしですか。さぁ、今日も【2637の会】《会報》【0293】号をお送りします。
 明後日06月06日は、二十四節気でいう『芒種』。語源は、「芒(のぎ) = 禾」のある穀物(の種)を播く時期の意。
 入梅は、平年では関東甲信越から東海地方にかけては6月8~11日頃です。
 最近、毎週土曜日にこの【2637の会】《会報》を配信させて頂いていますが、今日はいつもより一日早く配信させて頂きます。
 と申しますのは、実は小生、谷山君【3-3】と中嶋君【3-2】と3人で、明日と明後日、北信濃の「川中島古戦場」巡りをして来ます。明朝5時半に中嶋君が my car で自宅を出発し、6時00分に拙宅に迎えに来てくれます。そして6時20分に谷山宅に立ち寄り谷山君を pick up し、trip が start します。帰宅は明後日の21時過ぎになる模様です。尚、詳細は、来週ご報告させて頂きますのでお楽しみに。

[01]ファビオ・ルイジ指揮ウィーン交響楽団
0120100529concert_hall

––––––––––––––––––––––––[02]五島龍
02violin_solo_201010529_concert_hal

■さて今日最初の話題は、掲題・副題にあります様に、「05月29日:『五島龍Violin & ルイジ指揮ウィーン交響楽団 = Brahms Zyklus』を聴いて」をお届けします。 ブラームス・ツィクルス(Brahms Zyklus)とは、Johannes Brahms の作品の連続演奏会のこと。今回の演奏曲目は次の3曲。

〔1〕大学祝典序曲( Academic Festival Overture ) Op.80
〔2〕ヴァイオリン協奏曲 ニ長調( Violin Concert in D major ) Op.77
〔3〕交響曲第1番 ハ短調( Symphony No.1 in c minor ) Op.68

 いずれも Brahms の作品の中でも「超」が付くほどの masterpiece である。
 〔1〕大学祝典序曲は、音楽に興味がない方でも、我々が高校生時代に旺文社の大学受験ラジオ講座を聴いたことがある人であれば、その thema music だと言えば思い出されることと思います。
 そして、〔2〕Violin Concert は、五島龍(1988.07.13 - )(添付写真[02]ご参照)の violin solo。彼は、1995年、07歳の時、札幌で Paganini の violin concert No.1 で debut。
 因みに、彼が演奏する楽器は、stradivarius の エクス・ピエール・ローデ(1715年)。中々の名演奏であった。この2曲目が終わり満場の拍手に答えて、彼は、Paganini の名曲「カプリース第24番」の主題を、往年の名 violinist ナタン・ミルスティン( Nathan Milstein )が無伴奏 violin の為に編曲した「パガニーニアーナ」を披露した。この演奏も素晴らしかった。因みに、彼の異父姉が、同じくviolinist五島みどり(1971.10.25-)である。
 休憩を挟んで〔3〕交響曲第1番を Fabio Luise 指揮、ウィーン交響楽団の演奏で聴いた(添付写真〔01〕ご参照)。各楽器演奏者の技量が冴え、確り音量も出ていて感服した。
 これも満場の拍手の後、2曲の encore 曲を披露した。まず、ポルカ( Polka )『雷鳴と電光( Thunder and Lightning )』、続いて、同『ピチカート・ポルカ( Pizzicato Polka )』。Wiener Symphoniker の演奏による本場の Wiener Walz を聴けて、大変得をした気分の至福の二時間の夕べであった。

■続いての話題です。 小生、翌(05月30)日は早朝05時半に拙宅を自動車で出発し、一路「茶臼山高原で05月08日~06月06日まで開催中の『芝桜まつり』を見て来ました。拙宅から目的地までは走行距離77km。1時間半後の7時過ぎには目的地手前 3kmまで順調で行けたのですが、その後が大渋滞。残り3kmを実に50分程要し、到着は8時丁度でした。
 冬季に ski 場で活躍する lift で標高 1,358m の萩太郎山へ。そこでの芝桜の綺麗な景色をご覧下さい(添付写真[03]~[05]ご参照)。今年は寒い日が続いたのか、あと1週間で芝桜まつりが終了だと言うのに、まだ満開前のものもありました。

[03]芝桜を back に
0320100530

––––––––––––––––––––––––[04]綺麗な萩太郎山の芝桜
0420100530

[05]茶臼山高原『芝桜まつり』の案内看板
052010050

 大変綺麗でしたが、小生、もっと広大な芝桜畑を想像していたのでチョッピリ残念に思いました。それもその筈で、この花畑は2007年から5年をかけ2012年には40万株/22,000㎡の広さになる予定なのですが、今年は30万株/16,000㎡と、まだ7割強の進捗率にある為です。でも、「この芝桜は、茶臼山高原の新名所として認知」されたことは間違いありません。来場者は毎年大幅に増えて来つつあり、豊根村の『村興し』には多大な貢献をしていると言えます。

[06]豊根村の道の駅『豊根~グリーンポート宮嶋』のランチ『元気の出る定食』
06_in

 帰途、豊根村の道の駅『豊根~グリーンポート宮嶋』で昼食として食べた『元気の出る定食』(添付写真[06]ご参照)は、新鮮な山の幸がふんだんに使われ volume 感あり、美味しい lunch 定食でした。

■今日、三つ目の話題は、05月31日(月)、仕事が終わってから、嘉森君【3-6】と中嶋君【3-2】と一緒に、鈴木(金澤)君【3-6】が営んでいる『かっちゃんの店』にて楽しいひとときを過ごしたことについてのご報告です。
『かっっちゃんの店』内で撮影した4人の記念写真をご覧下さい(添付写真[07]ご参照)。

[07]『かっちゃんの店』にて
0720100531

 平日の月曜日だというのに、我々のほかにも複数組が常に入れ替わりで座っているという、盛況ぶりでした。
 お店は、鈴木(金澤)君の実家をお店に改装したものだそうで、彼の母校、青陵中学校から南西へ300m程のところにある。お店はカウンター( counter )一列で最大で10席程度ある。
 みんなお誘い合わせてご利用下さい。彼からも「是非皆さんに紹介して来て下さい」と頼まれましたので、【2637の会】members の皆さんで、豊橋在住の人は是非一度顔を出してあげて下さい。
 地図を添付します。[08]「かっちゃんの店」周辺の地図をご参照下さい。

––––––––––––––––––––––––[08]「かっちゃんの店」周辺の地図
08


■さて、今日最後の話題は、06月01日(火)、仕事で上京する機会があり、その仕事が終わってから、ブリヂストン美術館にて現在(~07月25日迄)開催中の『印象派はお好きですか?』展を見て来ましたので、ご報告致します。
 実は、正直なお話、当初は、国立新美術館にて開催中の『オルセー美術館( Musee d'Orsay ) 』展を見に地下鉄で乃木坂駅迄行って知ったのですが、毎週火曜日が同美術館の休館日だったのです。美術館は、毎週月曜日が休館日だと思い込んでいた小生、またもやそそっかしさの真骨頂を発揮してしまいました。(笑)(汗) 「来月に2回、公用と私用で上京する機会があるから、ま、いいや」と、直ぐ気を取り直し『ブリヂストン美術館』を訪れたという次第。
 ブリヂストン美術館については、この《会報》でも過去に2回ご紹介している様に確り見ているので、鮮烈な感動こそなかったものの、「昔の恋人」に会えた様な嬉しい気分を味わうことが出来ました。展示作品も絵画だけで一流作品が126点。
【印象派以前】アングルやコロー、ミレー、クールベ等13点
【印象派&後期印象派】ピサロ2、マネ2、ドガ1、シスレー3、モネ7、セザンヌ5、ルノワール4、ゴーガン3、ゴッホ1、シニャック1 計29点
【19世紀から20世紀】アンリ・ルソー2、ロートレック1、ボナール3、マティス5、ピカソ8、ブラック1、ルオー4、ヴラマンク1、デュフィ2、ユトリロ1、マリー・ローランサン2、モディリアーニ1、シャガール1、他
【日本の近代洋画】浅井忠3、黒田清輝2、藤島武二7、安井曾太郎5、梅原龍三郎3、藤田嗣治2、岸田劉生3、佐伯祐三2、青木繁2、岡田三郎助1、岡鹿之助1、他
 今日は、これ等の中から、既《会報》【0149】号にてご紹介していない以下の5点をご紹介させて頂きます。

[09]ピカソ( Pablo Picasso )『プルゴーニュのマール瓶、グラス、新聞紙( Bottle of Marc de Bourgogne, Wineglass, and Newspaper )』1913年
09_pablo_picasso__

––––––––––––––––––––––––[10]デュフィ( Raoul Dufy )『静物( Still Life )』1915-20年
10_raoul_dufy_0001_2

[11]佐伯祐三『ガラージュ』1927-28年
11192728

––––––––––––––––––––––––[12]ボナール( Pierre Bonnard )『ヴェルノン付近の風景( Landscape near Vernon )』1929年
12_pierre_bonnard

[13]安井曾太郎『薔薇』1932年
131932_

〔以上、制昨年順〕

【小生comment】
 上記作品は、内外の5人の画家のものであるが、何れも各人の originality が確り表現されており、グッと訴えかける強い魅力を持っており、それが見る者に感動を与える。

【後記】
 さて今日も、今の時節、「初夏」に相応しく、魅力的・魅惑的な俳句を二句お届けしてお別れしたいと思います。

 谺(こだま)して山時鳥(やまほととぎす)ほしいまゝ  杉田久女

【解説】「この下五の『ほしいまゝ』の五字がどうしても最初は出て来ず、何とか神社にお参りした帰りに白蛇を見たんですのよ、その日、家に帰ってから『ほしいまゝ』の五字を感得しました」と言っていたという。〔中略〕女らしくない雄渾な句である。〔山本健吉『定本 現代俳句』より〕
「写生が平明写生に終わらず、現実世界とは次元を異にする高次の作品の世界に移調する力を持っている」と、山本健吉はこの久女の作品を高く評価している。

 虹たちて忽(たちま)ち君の在る如し  虚子
 *
【解説】〔山本健吉『定本 現代俳句』より〕虚子の写生文「虹」の中に挿まれた「虹消えて忽ち君の無き如し」「浅間かけて虹のたちたる君知るや」と共に詠んだ三句の一つ。「虹の橋かゝりたらば渡りて鎌倉に行かんといひし三国の愛子におくる」という注記がある。〔中略〕
 三国の若い弟子森田愛子に送ったもの。虚子が三国を訪ねた時、愛子は母と愛人の(伊藤)柏翠と三人で、敦賀まで送って来た。汽車の中で、三国の方角に鮮明な虹が立っているのが見えた。「あの虹の橋を渡って鎌倉へ行こう」と、愛子が独り言の様に言った。虚子は小諸に帰って、浅間山にかけて素晴らしい虹が立っているのを見た。そしてこの句を愛子に書いた。愛子も柏翠も肺結核であった。
 後に愛子は病気が重くなって(昭和22年に29歳の若さで)死んだが、〔中略〕虚子は)虹というと愛子を思い出すのだった。〔中略〕
 死ぬ前に愛子から電報が来た。〔ニシ゛キエテステ゛ニナケレト゛アルコ゛トシアイコ 〕(虹消えて既に無けれど在る如し 愛子)〔中略〕
 単純だが、淡々とした中に何か豪華な美しさを持っていて、老いてなお情感の瑞々さを思わせる。〔後略〕

~〔福井県立図書館〕の解説から~
伊藤柏翠(いとう・はくすい) 明治44(1911)~平成11(1999)
 東京浅草生まれ。鎌倉に結核療養中の1932年から高浜虚子に師事する。森田愛子との縁で、1945年三国町(現坂井市)に移住し、俳誌「花鳥」を創刊主宰、全国的な同人誌となる。1981年福井県文化賞、1985年文部大臣地域文化賞を受賞。東尋坊、永平寺などに句碑がある。著書に句集『虹』『虚子先生の思い出』など。

森田愛子(もりた・あいこ) 大正6(1917)~昭和22(1947)
 三国町(現坂井市)の豪商・森田三郎右衛門と名妓・田中よしの娘として生まれる。肺湿潤を患い、鎌倉での転地療養中、伊藤柏翠と出会い、俳句を始め、高浜虚子に師事する。高浜虚子の名作「虹」のヒロインとして知られる。1947年に29歳の若さで生涯を終える。東尋坊に高浜虚子、伊藤柏翠と並んで句碑がある。

【小生comment】
 昭和19年10月20日作とあるから、虚子(1874.0.02.22-1959.04.08)70歳の時の作品だ。肺湿潤を患う愛弟子、森田愛子への清廉な情愛が伝わって来る。小生もこう言う気品があって情感豊かな名句を作ってみたいものだ。
 また、杉田久女の句は、新緑が目に沁みる深山にあって、ホトトギスの耳を劈(つんざ)く様に甲高い鳴き声が山々を独り占めする様に谺している様子が、「ほしいまゝ」の下五に凝縮されている。これも文句ない名句だと思う。

 以下、次号をお楽しみに。ではまた・・(了)

« 2010年5月 | トップページ | 2010年7月 »

2017年5月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
フォト

最近の記事

05【時習26回3-7の会】【2008年8月16日】《クラス会》於:ブラウンズ&トライ・アゲイン

  • Dsc_0217
    ■2008年8月16日【時習26回3-7の会】《クラス会》を豊橋市内にある『ブラウンズ(一次会)』と『トライアゲイン(二次会)』にて開催しました。T三先生をはじめ全国から15名が集い大変楽しい5時間を過ごしました。 ■名残惜しいなか、23時すぎ、来年の再会を誓って散会しました。

101【2007年6月2~3日】■「千手院」でお会いした皆さんへ←clickでalbumへ

  • Cimg1428
    ■朝護孫子寺にて撮影した写真のほとんとを追加しました。ご高覧下さい。 ■2007年6月2~3日、「賢人会」のmember谷山・中嶋両氏と大和七福神・八宝廻りをしました。 ■七福神の一つ毘沙門天を祭る「信貴山朝護孫子寺」の宿坊【千手院】で一泊。 ■そこで、ご一緒した皆さんとの楽しかったひとときをアルバムにしました・・。      * * * ■瀬尾君、浅田さんとそのお供達の皆さんへ、「感想をお聞かせ」頂ければ幸甚です。 ▼『【時習26回3-7の会】のブログ画面』の【左上欄外】の「メール送信」を左clickして頂くと、今泉宛のmail address ~ < si886@nifty.com > ~ が開きます。 どうぞ、ご気軽に感想をmailにてお知らせください。 ▲【2637の会】のURL・・・  → URL: http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog

最近のコメント

無料ブログはココログ