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2010年10月の5件の記事

2010年10月30日 (土)

【時習26回3-7の会 0314】~「磯田道史:『龍馬史』を読んで」「10月28日:松坂屋美術館『古代カルタゴとローマ展』を観て」

■今泉悟です。 皆さん如何お過ごしですか。 さぁ、今日も【2637の会】《会報》【0314】号をお送りします。
 時節は「霜降」も半ば。七十二(しちじゅうに)候では10月28日~11月01日を次候『霎時施(しぐれときどきほどこす)』という。
 『時雨』というと次の俳句が浮かびます‥

  旅人と我名(わがな)よばれん初しぐれ  芭蕉

【解説】貞享四(1687)年、芭蕉44歳の作。『笈の小文』の旅の出立吟。
【意】今年初めての時雨模様の日、こういう日こそ自分の旅立ちに相応しい。行先を定めない漂泊の「旅人」と呼ばれたいものだ。

 さて今日もまず、【2637の会】2010年《クラス会 Part2》開催のご案内関連のお話からお伝えしたいと思います。
 今日は(10月30日)は、大変残念なお話から一つ‥。
 先週、《クラス会 Part2》参加を検討してくれていました今井さんから「欠席」のmail が届きました。

「(日程上)都合がつかないので(今回は)出席できません。次回には参加したいと思っています」 今井

 大変残念ですが、次回の「参加」を大いに期待しています。今井さん、宜しく!
 さて引き続き、皆さんからの朗報を期待しています。出欠状況を以下に記します。
 一人でも多くの皆さんからの朗報をお待ちしています。m(_ _)m

 【参加】菰田君、林(K)さん、山中さん、今泉〔04名〕
 【欠席】市川君、今井(土方)さん、二橋君、原田君、峯田君、山田君、渡辺さん〔07名〕
 【調整中】伊庭さん、石田君、伊東君、犬飼(石田)さん、千賀君、牧野君〔06名〕

01

■さて今日最初の話題は、掲題・副題にあります様に、「磯田道史:『龍馬史』を読んで」をお届けします。
02

 人気のNHK大河ドラマ『龍馬伝』も11月いっぱいで最終回。「『龍馬暗殺』の刺客は誰か?」に対しての明確なる「龍馬暗殺に最終結論くだる」という大変面白い本が最近上梓されました。
 その「結論」をご紹介する前に、坂本龍馬という人間が登場して、歴史に大きく名を残し得た背景・土壌について、この本に従い、概略をご説明します。

 龍馬が生まれた坂本家は、高知城下でも有数の富商、才谷(さいたに)屋から分家した郷士の家柄であった。坂本家は、近江国(滋賀県)坂本の出身。
 土佐に移住した坂本家は、四代目、八兵衛門守之の時代に高知城下・上町に進出。質屋業を皮切に酒造業・呉服業へと事業を拡大。寛文年間(1661-73)には、高知城下屈指の豪商に迄成長。
 龍馬が生まれた坂本家の屋敷の広さは約500坪。これは五百石classの上級藩士の武家屋敷に匹敵する。因みに、土佐藩24万石には五百石取りの上級藩士は数十名しかいない。龍馬はそれ程の金持ちの家の次男坊として生まれたのである。後年、龍馬が亀山社中や海援隊で所謂 business を行い得たのも、豪商としての DNA が彼をしてそうさせたに違いない。
【経歴】
◆天保06(1835)年 11月15日、高知城下上町に生まれる。
◆嘉永06(1853)年 (18歳)03月、剣術修行の為、江戸京橋桶町の北辰一刀流「千葉定吉道場」に入門。06月ペリー、浦賀来航。12月佐久間象山に砲術を学ぶ。
◆安政01(1854)年 (19歳)01月、ペリー、再び来航。06月江戸より土佐に帰国。絵師・河田小龍【注1】と出会う。

 【注1】河田小龍は土佐藩士。米国より帰国した中浜(ジョン)万次郎を取り調べたが、万次郎と意気投合。米国事情を自ら描いた挿絵を入れ「漂巽紀畧(ひょうそんきりゃく)」5巻を表した。龍馬の姉乙女の夫、藩御用格医師、岡上樹庵と小龍は親しい間柄であり、龍馬は小龍から大船を使い、「『貿易』によって異国に追いつくこと」が日本のとるべき道だ〔=『海運立国』〕と教えられたという。

◆安政03(1856)年 (21歳)08月、再度、剣術修行の為江戸へ。
◆安政05(1858)年 (23歳)01月、千葉定吉より「北辰一刀流長刀兵法目録」を授かる。04月井伊直弼が大老に就任。09月「安政の大獄」始まる。同月土佐に帰国。
◆文久01(1861)年 (26歳)09月、龍馬は武市半平太率いる土佐勤王党に加盟。この時より、龍馬の人生が大きく飛躍する。
◆文久02(1862)年 (27歳)01月、龍馬は武市半平太の命で、長州萩に久坂玄瑞を尋ねる。03月24日脱藩。08月江戸に入府した龍馬は、経緯は不明だが福井藩主松平慶永〔春嶽〕(添付写真[03]ご参照)に拝謁することが出来、大阪近郊の海防策などを語ったという。春嶽は、龍馬の話を聞き、思う処があってか自らの政治顧問である横井小楠と、幕府軍艦奉行並、勝海舟への紹介状を認めてやる。紹介状を貰った龍馬は10月勝海舟に会い直ぐ弟子入りしたという。【注2】
[03]松平慶永〔春嶽〕
03

【注2】勝海舟は彼の著『追賛一話』で龍馬についてこう評している。
「坂本氏かつて剣客千葉重太郎と伴ひ、余を氷川の僑居に訪へり。時に半夜、余ために我邦海軍の興起せざる所以(ゆえん)を談じ、娓々(びび)(=【意】ずっと)止まず。氏大いに会する所あるが如く、余に語りて曰く「今宵の事秘かに期する処あり。もし公の説明如何によりては敢て公を刺さんと決したり。今や公の説を聞き大いに余の固陋(=【意】見識が狭く頑固なこと)を恥づ。請(こ)ふ、これよりして公の門下生とならん」と。爾来、氏意を海軍に致す、寧日(=【意】平穏無事な日)なし‥

◆文久03(1863)年 (28歳)02月、勝海舟の執成で脱藩罪赦免に。05月16日勝海舟の命により、神戸海軍操練所(=「私塾・神戸海軍塾」)の運営資金援助懇請の為、越前福井・松平春嶽を尋ねる。この時、旧知の横井小楠を訪ねた【注3】。同月長州藩、下関海峡で米国船を砲撃。07月薩英戦争勃発。10月神戸生田海軍塾塾頭に。12月土佐藩の帰国命令に応じず、再び脱藩。

【注3】福井を訪れた龍馬は、小楠とともに三岡八郎(=『五箇条の御誓文』起草者の一人「由利公正(きみまさ)」)邸に向かう。その時の模様を三岡がこう述べている。
「小楠邸と拙宅は足羽川を隔て向いにあった。ある日宴会で遅く帰った処、夜中に大声で戸を叩く者がある。みると小楠が坂本と一緒に小舟に棹差て来た。そこで三人は炉を抱えて飲み始めた。そして、坂本が愉快極まり歌ったが、その声が頗る妙であった」と。その歌とは‥

 君がため捨つる命は惜しまねど心にかかる国の行末  〔坂本龍馬〕

◆元治(1864)01年 (29歳)06月、京都にて池田屋騒動【注4】。07月禁門の変。08月お龍と内祝言。勝の使者として西郷隆盛に面会。08月、第一次長州征伐。

 【注4】池田屋騒動:元治01年6月5日(1864年7月8日)、京都三条木屋町の旅館・池田屋で新撰組が、潜伏中の長州藩・土佐藩等の尊皇攘夷派を襲撃した事件。

◆慶応01(1865)年 (30歳)05月、長崎にて「亀山社中」設立。08月、英国商人Gloverより薩摩藩名義にて小銃を買い付け、長州に運ぶ。11月、第二次長州征伐。
◆慶応02(1866)年 (31歳)01月、22日薩長同盟成立。23日京都伏見・寺田屋で幕吏の襲撃を受ける。03月妻お龍と薩摩に新婚旅行。07月亀山社中解散。12月徳川慶喜、第15代将軍に。孝明天皇崩御。
◆慶応03(1867)年 01月、長崎で土佐参政・後藤象二郎と面会。04月、脱藩罪が赦され、土佐藩海援隊隊長に任命される。04月23日「いろは丸」沈没事件起きる。後に紀州藩より賠償金7万両を勝ち取る。06月、後藤象二郎等と「船中八策」を作成。京都にて薩土盟約を成立させる。10月14日大政奉還。10月30日福井で三岡八郎と新政府の財源について話し合い。11月05日帰京。11月10日永井玄蕃と接触開始。11月15日京都・近江屋で刺客に襲われ、中岡慎太郎(添付写真[04]ご参照)と共に絶命。
[04]中岡慎太郎
04

––––––––––––––––––––––––[05]龍馬暗殺関連京都地図
05

 それでは、龍馬を襲ったのはいったい誰であったか?
 結論から先に述べよう。
 龍馬暗殺〔襲撃〕の立案者は、京都守護職会津藩公用人、手代木勝任(てしろぎかつとう)。実行犯の長は、勝任の実弟、佐々木只三郎である。手代木は、嘉永六年、藩主・松平容保の側近として仕えた。文久03(1863)年、藩主・容保が京都守護職を拝命すると勝任は会津藩公用人として上洛し、渉外関係や不逞浪士逮捕の任を任され、(会津)藩士は勿論、新撰組や京都所司代、町奉行所の指揮を執った。手代木が明治37(1904)年、死の直前それまで隠していた龍馬暗殺について話し始めたのである。家族たちはそれを『手代木直右衛門伝』に纏め出版。詳細は、本書を読んで頂くとして「坂本(龍馬)を殺したるは実弟只三郎なり」と手代木が語ったという。因みに、只三郎は京都見廻組で、従前、浪士組の長、清河八郎も斬っている。
 龍馬暗殺は、本書では手代木勝任と佐々木只三郎兄弟が謀り、京都守護職松平容保の命令が出て実行されたものであろう、という。只三郎指揮下で、渡辺篤、今井信郎ら数名。容保から今井信郎に長刀と褒状が出ていることからも、彼が承認した可能性が高い。現在判っている資料からは、龍馬暗殺は会津藩が見回り組に命じて行った、政治的暗殺であった。(了)

【小生 comment】
 一介の脱藩浪士でしかない龍馬が、遠縁の武市半平太はともかく、吉田東洋、後藤象二郎、松平春嶽、勝海舟、横井小楠、久坂玄瑞、桂小五郎〔木戸孝允〕、西郷隆盛、大久保利通、Glover等、錚々たる人物達と太い関係を構築できる力の源泉は何処にあるのであろうか? 本書の著者磯田氏はこう述べている。
「龍馬の手紙の顕著な特徴は、家族に、政治活動の内容、自分が知った様々な内幕等を全部喋ってしまうことである。〔中略〕このお喋りな性格は、龍馬暗殺に大きく関係している。今何処にいて何をしているかを直ぐ手紙に書いてしまう。だから、龍馬の居場所等の情報は直ぐ外部に漏れる。龍馬が人並み外れた求心力を持ち、数々の大胆な周旋を可能にしたのも、この公明正大さ、明るさ、警戒心のなさ、無邪気さによるところが大きいのは間違いない。ただ、しばしば、最大の長所が最大の欠点になる様に、結局彼の長所が彼の命を奪うことにもなった」と。
 NHK大河ドラマ「龍馬伝」も第4部に突入して、最大のクライマックス龍馬暗殺が秒読みになってきた。暗殺シーンは、来月11月28日放送の最終回の予定だ。
 ドラマでは誰が龍馬暗殺の真犯人とされるのか‥! 注目して見てみたい。

06leaflet_20101028

■幕末の「日本史」に続いては、「世界史」の話題です。10月28日に仕事で名古屋に出かけた帰り道、松坂屋美術館で開催中の『古代カルタゴとローマ展』を見て来ましたのでご紹介させて頂きます。
 「カルタゴ(Carthage)」と言えば、フェニキア人。
 前1200-1100年 フェニキア(Phoenicia)人は、フェニキア地方(現・レバノン(Lebanon))の都市を基点に盛んな海上交易を行った。
 前1050年頃 アルファベット(alphabet)の原型、フェニキア文字が誕生。
 前264-241年 第1次ポエニ戦争(First Punic War) 前241年ローマが最終的に勝利し、カルタゴはシチリアを失う。
 前218-201年 第2次ポエニ戦争(Second Punic War)
〔前216年 カンネ―(Cannae)の戦でハンニバル(Hannibal Barca 前247-前183年)率いるカルタゴ軍の大勝利。〕
〔前202年 ザマの戦(Battle of Zama)でスキピオ(Publius Cornelius Scipio Africanus Major)率いるローマ軍ががハンニバルのカルタゴ軍を殲滅。〕
 前149-146年 第3次ポエニ戦争(Third Punic War) ローマ軍カルタゴを3年間包囲し壊滅。
 前29年 皇帝アウグストゥス(Gaius Julius Caesar Octavianus Augustus)、カルタゴ植民市に入植者募集。
 帝政ローマ以降3世紀末頃 カルタゴはローマ・アレクサンドリアに次ぐ地中海世界の大都市として隆盛。
 310年 コンスタンティヌス1世と覇権を争っていたマクセンティウスがカルタゴを荒らす。
 430年 ヴァンダル族、アフリカ州北部を侵略。
 533年 ビザンティン軍、ヴァンダル王国を破り、カルタゴは東ローマ帝国の支配下に入る。
 647年 イスラム教徒のアラブ軍、カルタゴを征服、カルタゴに代わってチュニスが誕生。

《添付資料》
[07]カルタゴ遺跡01
0701

––––––––––––––––––––––––[08]展示作品を示した leaflet〔左上〕現存する唯一のハンニバル軍関連の『鎧』 〔右上〕金銀自然合金製のコイン
08leaflet_electrum_coin_264bc241bc

[09]カルタゴ遺跡02
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––––––––––––––––––––––––[10]ハドリアヌス帝像東部119年
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[11]マルクス・アウレリウス帝像東部2世紀末
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【後記】今日のお別れは、今日の《会報》冒頭でご紹介した芭蕉の俳句から、「初時雨」をtheme にもう一句ご紹介してお別れしたいと思います。

 初しぐれ猿も小蓑をほしげ也(なり)  芭蕉

【解説】元禄二(1689)年『猿蓑』の巻頭の俳句。伊賀越えの山中の景。
【意】山路に初時雨が降りかかる。その時雨に濡れて猿がいるのが見える。猿はこちらを向いて小蓑を欲しがっている。そんな顔に見えるのだ。〔山口誓子『芭蕉秀句』より〕

 時の移ろいは本当に早いものです。猛暑だと思っていたら、もう晩秋の様な冷え込みを感じる今日この頃ですね。風邪をひかぬ様ご自愛下さい。
 では、また‥。(了)

2010年10月23日 (土)

【時習26回3-7の会 0313】~「11月27日開催予定の《クラス会 Part2》に向けての進捗状況と皆さんからの便り」「10月19日:『イツァーク・パールマン・violin recital』を聴いて」「10月21日:寺島実郎講演会『世界の構造転換と日本の針路』を聴いて」

■今泉悟です。 皆さん如何お過ごしですか。 さぁ、今日も【2637の会】《会報》【0313】号をお送りします。

 まずは、【2637の会】2010年《クラス会 Part2》開催のご案内関連のお話からお伝えしたいと思います。
 出欠のお返事については、今日(10月23日)現在、前《会報》【0312】号でお伝えした時点から幾人かの皆さんと連絡が取れました。そこでその中から mail を頂戴した方々3名の皆さんを mail 到着順にご紹介致します。
 まず、菰田君から「出席」表明を頂戴しました。

Sent: Tuesday, October 18, 2010
 菰田です。クラス会についてなんとか参加できる見通しがつきました。

 菰田君へ 「参加表明」有難う!《クラス会》での再会を楽しみにしています。

 続いて峯田君からは、11月27日は所要があり欠席されるとのことですが、近況を教えてくれましたので、その mail 文の一部と、当該 mail 文掲載の了解 mail を頂戴した際の《追伸》を併せご紹介します。
 classmates から便りがあると、ホント! 嬉しいです。
 峯田君が言ってくれている様に、「‥みんなの情報が行き交うことができればいい‥」と思います。

Sent: Tuesday, October 19, 2010 12:09 AM
今泉君
 いつも(2回分くらいまとめて)、楽しみに読んでいます。レスポンスをせず今泉君にさびしい思いをさせていることをお詫びします。
 つい最近私の身にふりかかったことをお話します。何かの参考にしていただけたら幸いです。
 今まで全くといっていいほど検診を受けたことがありませんでした。医者の不養生とはよく言ったものです。何か異常がでたら困るではないかと、
たかをくくっていました。しかし、検査を受けろと、嫁さんが言うもので受けてみました。
 〔中略〕
 やはり検診は大切だと痛感しました。50歳すぎたら、1年に一回は胃カメラと大腸カメラをおすすめします。
 11月27日は所要があって出席できません。夏の会には出席させていただきます。
 今泉君はじめ皆様方のご健勝をお祈りします。
              峯田
《追伸》
 今泉君
 ありがとうございます。みんなの情報が行き交うことができればいいですね。
これを機会にまたメールします。
              峯田

 続いて3本目の mail は今井(土方)さんからです。これまでに今井さんからは、往復葉書でお返事を頂戴したことは何回かあるのですが、mail でのご紹介は初めてとなります。今井さん、返信 mail 有難うございます。大変嬉しく思います。それではご紹介します。

Sent: Tuesday, October 19, 2010 9:29 AM
 定期的なメール配信には本当に頭が下がります。忙しい中、内容も充実しすぎて、私には難しいです。
 〔中略〕
 来月中旬、奈良に行こうと、計画しています。できれば欲張って、一週間延期して、クラス会に参加させて頂こうとも検討しているところです。
 息子の修習地の津にも、立ち寄ってきたいと?
 クラス会のお誘い頂きながら、いつも偶然タイミング悪く、参加せず申し訳ないと思ってます。
              今井

今井さんへ
 mail を有難うございます。ホント、お久しぶりです。
 11月27日の《クラス会 Part2》は、是非参加して下さい。再会を楽しみにしています。

 それから、結論がまだ出なく【調整中】という方々6人から連絡を取ることが出来ました。
 石田君、伊東君、犬飼(石田)さん、今井(土方)さん(上記にてご紹介済)、千賀君、牧野君〔以上五十音順〕
 犬飼さんは「前向きに!」検討頂けるそうです!

 皆さんからの朗報を期待しています。
 尚、今日現在、17名の皆さんからお返事を頂戴しております。
 また、二橋君と原田君は、11月27日は都合つかず欠席ですが、一度また3人で東京で会おうかと調整しているところです。
 それが実現したらその模様は、後日ご報告させて頂きたいと思います。

 【参加】菰田君、林(K)さん、山中さん、今泉〔04名〕
 【欠席】市川君、二橋君、原田君、峯田君、山田君、渡辺さん〔06名〕
 【調整中】伊庭さん、石田君、伊東君、犬飼(石田)さん、今井(土方)さん、千賀君、牧野君〔07名〕

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■さて今日最初の話題は、掲題・副題にあります様に、10月19日、愛知県芸術文化Center 芸術劇場Concert Hallにて開催された『イツァーク・パールマン(Itzhak Perlman(1945.08.31-))・violin recital』についてご報告させて頂きます。
 Piano 伴奏は、スリランカ(Sri Lanka)出身のロハン・デ・シルヴァ(Rohan de Silva)。
 彼は、現役の maestro と呼ばれる著名な violinist の中でも、文句なしの第一人者と言っていい。彼の演奏は、どんな難曲も簡単そうにサラリと弾いてしまう卓越した技量を持っているだけでなく、彼が奏でる violin の音色には人間的な温かみがある。楽器は、Stradivarius の名器"Soil(ソイル)"(1714年製)。
 演奏曲目は、
〔1〕Mozart : Sonata for Piano & Violin №32 in F major K.376
〔2〕Beethoven : Violin Sonata №9, Op.47,"Kreutzer (クロイツェル)"
〔3〕Brahms : Scherzo for Violin & Piano in C major
〔4〕Schumann : 3 Fantasy Pieces for Violin & Piano Op.73
〔5〕Violin 小品集 6曲。
 Mozart の Violin Sonata は Piano と Violin の為の Sonata であり、歴史的には、次代の Beethoven のクロイツェルほど Violin 主導ではなく、Piano のweight も小さくない。Mozart の作品は、如何にも Mozart の作品らしく、青春の息吹を感じさせる様な清々しい melody が大変心地良い。Beethoven のクロイツェルはこれぞ Violin Sonata だという醍醐味を伝えてくれた。いずれにしても、パールマンは 作曲者夫々の特徴を大変上手に表現して、聴く者に音楽を聴く悦びを確り伝えてくれた。まさに至福の時を過ごすことが出来た2時間であった。
 さて〔5〕Violin 小曲集の曲目は当日発表という趣向で、パールマンが曲目を発表して全6曲を演奏した。そのうち最初と最後の曲は、クライスラー(Fritz Kreisler(1875-1962))の作品。第1曲:タルティーニ・コレルリの主題による変奏曲 & 第6曲:タンブーラン〔中国の太鼓〕だ。まるで現代に名手 Kreisler が蘇って来て自作自演した如く、実に巧く心地良い演奏を聴かせてくれた。また、4曲目の Brahms : Hungarian Dance №1、5曲目:映画「シンドラーのリスト」から等も実に良かった。
 参考までに彼の経歴を以下に記します。
【略歴】
1945年 8月31日、イスラエル(Israel)、Tel Aviv 生まれ。両親は、Poland から移住。
1948年 (3歳) violin を習い始める。
1949年 (4歳3ヶ月) 小児麻痺に罹患、下半身が不自由に。その後、米国=イスラエル文化財団奨学金でTel Aviv 音楽院へ。
1955年 (10歳) 最初のRecital。
1958年 (13歳) 米国の人気番組「エド・サリヴァン・ショー(The Ed Sullivan Show)」の Talent Concours で優勝。
1959年 (14歳) 2月上記番組に再出演。Rimsky=Korsakov 「熊蜂の飛行」・ヴィエニャフスキ(Wieniawsky)「華麗なるポロネーズ」で喝采を浴びる。その後、アイザック・スターン(Isaac Stern, 1920.07.21-2001.09.22)の強い推薦を得てジュリアード音楽院(The Juilliard School)に入学、名教師イヴァン・ガラミアンに学ぶ。
1963年 (18歳) 3月5日、17歳の時にカーネギー・ホール(Carnegie Hall)にて米国debut。曲目は Wieniawsky の Violin Concerto №1。
1964年 (19歳) 8月、レーヴェントリット国際コンクールで優勝。
1965年 (20歳) 故国 Israel へ帰国。
1966年 (21歳) recording 開始 〔これまでにグラミー賞(Grammy Award) 15回、 エミー賞(Emmy Award) 4回受賞〕。
1967年~68年 (22-23歳) 欧州 debut。
1974年 (29歳) 初来日。
1993年 (48歳) 映画「シンドラーのリスト」に出演。
1998年 (53歳) ジュリアード音楽院教授就任。

20101021

■続いての話題は「寺島実郎講演会『世界の構造転換』を聴いて」です。10月19日、豊橋市内の某所で講演会があり聴いて来ましたのでご報告させて頂きます。
寺島氏の講演会は、最近2年間で今回が3回目。氏の講演は何回聴いても、毎回勉強させて頂ける。それでは、その内容の抜粋をご紹介します。
 詳細は、別添「講演録」をご覧下さい。
   ↓↓↓↓↓
「jitsurou_terashimsekai_no_kouzoutenkan_to_nippon_no_shinro20101021.doc」をダウンロード


《寺島実郎講演会『世界の構造転換と日本の針路』》

【消費の伸びない根源的要因~①資産家の没落】
 〔省略〕(‥土地神話の崩壊と考えてよい‥)
【上・中・下流で景況感が異なる日本の業界】
 しかし、ここに消費が増えない新たな理由が出て来た。〔中略〕日本の業界は「川上=インフレ」「川下=デフレ」と、業界により景況感が違う。最終財は大変厳しく、素材原料分野は儲かっている。インフレとデフレが混在した時代なのだ。
【消費の伸びない根源的要因~②低所得者層の急増】
 年収200万円以下の労働人口は、2009年、労働人口6,272万人の34%に相当する2,165万人。都市中間所得者層に当たる勤労者可処分所得も、2000年の月額47.3万円→2009年1~7月の月額41.2万円、9年半で12.9%減少。収入が減り、年金等の公的負担増加がその主因。
 ※就労人口の3人に1人が年収200万円以下では消費が伸びる訳がない!
 また、生活保護受給者は2008年に159.3万人。勿論、生活保護を受けなければいけない人には確り手を差し延べるべきではあるが‥、生活扶助基準額〔東京標準3人世帯〕194.6万円。雇用保険〔失業保険〕給付は2008年に60.7万人。平均支給額152.4万円。生活保護を受けていない2千万人を超える年収2百万円以下の低所得者層の存在と年額200万円近く受領している生活保護受給者159万人の存在。生活扶助基準額や失業保険支給額の在り方も再検討してみることが必要な段階に来ている様だ。
【低所得者層急増の理由】
 では何故低所得者層が急増してしまったのか? こうなった理由を敢えて言えば、『Global化』と『IT化』の impact が主因である。分り易い事例で言えば、コンビニ等のレジ( register )を思い浮かべて欲しい。時給1,000円では年収200万円を超えることはない。昔は、金銭を取り扱う為熟練者が担当していたものだが、今ではバーコード( bar code )で読み取りさえ出来ればレジを担当出来る。未熟練労働者で十分賄える訳だ。〔中略〕
【実態はより厳しくなった勤労者の可処分所得】
 企業は社宅の使用料を受益者負担として増額したり、保養所を売却処分したりして、現実には salaried man の所得はもっと減っている。この苛立ちが、彼等の政治不審に繋がっている。政治家も馬鹿でないので直接家計に飴を与えるべく、麻生内閣時代には12,000円の給付金を、民主党政権になってからは高校無償化や子供手当てを支給した。
 私は思うに、最近の日本人の感覚にズレが生じていると感じる。例えば、義務教育の義務を、「子供が学校へ行く義務だ」と心得違いをしている親がいるのがその好例だ。義務教育とは、親が子供を学校に行かせなければいけない「義務」を言うのである。子供も「(親のお蔭と考えずに)自分は『高校無償化』で育った」と言い出すかもしれない。かつての日本には、日本人の人間関係の根底に「親が自分を学校に入れてくれた」という確りした家族の絆の様な感覚が存在した。事程左様に、現代の日本では『分配の機軸』が揺らいで来ている。
【円高が齎す皮肉な spiral 】
 〔1〕内需不振から外需志向へ → 〔2〕日本人は cost cut して所謂赤字覚悟の「飢餓輸出」(= 利幅の薄い無理な輸出) → 〔3〕貿易収支が黒字化 → 〔4〕さらなる「円高」へ ‥ という spiral だ。
 「円」の為替 rate を歴史的に紐解くと、明治03年、1米ドル= 1円だった。昭和15年でも公的 rate は1米ドル= 2円〔実勢 rate でも1米ドル= 4円〕だった。それが、第二次大戦後の昭和24年ドッジ・ライン (Dodge Line)により、1米ドル= 360円に固定された。爾後、1970年代初頭まで我国は売る物がない為買いたい物も買えなかった。だがその後、オートバイ・自動車をはじめ輸出産業が発展するに従い、円が強くなって行った。1971年 Nixon Shock、1985年 プラザ合意を経て、どんどん円高が進んで行った。そして、現在では Dodge Line 時代の1米ドル = 360円 → 82円まで、4倍に円の価値が跳ね上がった〔= 円高になった〕。
 我々は、むしろこれから、この「円高」を戦略的に活用しなくてはならない。今、(‥海外に生産拠点を持つ‥)大企業ほど円高 merit を享受している。例えば、日産はマーチを海外(タイ)から逆輸入して儲けている。円高で大変なのは輸出企業であることは言うまでもない。〔中略〕
【SWF活用により活路を見いだせ】
 SWFとは、"Sovereign Wealth Funds"の略。「政府系ファンド」や「国家ファンド」とも呼ばれる。各国の政府及び政府系投資機関)が運営するファンド。UAE、サウジアラビア、クウェート、中国、ロシア、シンガポール等が有名。日本も、現在の円高 merit を十分活用し、このSWFを活用すべきだ。戦略的に、例えば米国のGoogleや国際石油資本会社等、世界の優良企業や成長企業を買収して傘下に収める様な国家戦略を取るべきだ。そうすれば、買収される側の国々は、国防の為に「円高」から「円安」に方針転換するだろう。日本政府には、国家としてのこうした戦略を持っていない。そもそも、実力以上の「円高」は、実力以上の「円安」になるよりずっとマシなのだ。我が国は未来に向かって投資すべきなのだ。
【大中華圏及びアジアの Net work 活用の重要性】
 今、何故中国だけ発展しているのだろうか? 中国の台頭は単純な話ではない。昨年来、私(寺島)は、中国・北京と台湾を訪れ、識者達と話をする機会を持ったが、中国人は「大中華圏」という言葉を嫌う。代わりに「Net work 型発展」だというのだが、まさにその通り。その例が、1997年の香港返還後の香港の発展だ。当時は、「『香港』=『長崎・出島』論」という「長崎・出島が開港により衰退した」という歴史的事実から香港も衰退するだろうと見られていた。ところが、現実は、香港は全く衰えていない。予想外のことが起こったのだ。中国の海外渡航者数は 2008年 4,584万人だが、うち2,000万人は香港・マカオへの出国者。本土の中国人が香港を支えているのである。一方、台湾も2008年05月から総統を務める馬 英九(ば えいきゅう、Ma Ying-jeou (1950.07.13 -)法学博士(Harvard大学)政権は、実質的に親中国路線にある。既に100万人の台湾人が中国本土に進出。統計上、中国の輸出となっているものの大半は、実質的に台湾の資本と技術を取り込んでいるのである。
 因みに、日本の中小企業で、中国本土で成功した事例は少ない。一方、日本は親密な台湾企業が多く、当該企業との連携は意味がある。現実に上手く行っている例が多い。〔中略〕
【生業(なりわい)を大きく変えつつある日本】
 従来、日本の最大の貿易相手国は米国であったが、今では対米 share は12%しかない。〔中略〕
 日本は、Asia との取引の時代が到来している。既に全貿易額に占める対Asia の share は50%、大中華圏でも 30%に達し、対米国を凌駕する。
【求められる低すぎる国内自給率の是正】
 現在、日本の国内自給率は2008年で41%。他の先進諸国で最も低いのが英国だが、それでも70%ある。日本は1965年( calorie base ) 73% → 1980年( 同 ) 51%。日本は、外貨を稼ぐ様になって食糧は海外から調達すればいいという考え方になってしてしまった。ところが、今、日本の食品は海外で「高いが安全で美味しい」との評価を得て、輸出規模は年間05千億円に達する(因みに、輸入額は06兆円)。今後05年以内に輸出額が1兆円を超すだろう。
【裾野の広い産業構造の転換へ】
 また、中型航空機を日本の輸出産業の柱にすることが有望視される。〔中略〕
 皆が恩恵を受ける分野に資金・資源を集中すべきである。羽田空港の国際化も然りだ。観光立国を目指すのもその一つだ。だが、台湾人の知人が私に尋ねた。「日本人に国際化する覚悟があるか?」と。年間15百万人の Asia からの観光客を repeater として繋ぎ止める〔 repeater をつくれる〕soft を完備出来るか? 日本(人)の今後の在り方が真剣に問われている。(了)

【小生 comment】
 寺島氏の今回の講演では、円高になった理由や、貧困層増加の理由について説明してくれた。切り口は鋭く指摘してくれたことは一面その通りであると思う。が、従前ご紹介した藤巻氏や大前氏の指摘した点の方が核心に近いと思われる。円高 merit を享受している企業・業界就労者は、日本の全労働人口の7%しかいない。残り93%が円高を merit を享受出来ていない企業・業界に就労している。だから不況感を払拭出来ない。低所得者層の増大も寺島氏の言う通りであるが、これも一面的な切り口である。
 要は、日本の消費者の主体者の majority を占める salaried man 達が勤めている企業・業界が稼ぎ出す利益が絶対的に減少したことが主因なのである。
 当該企業・業界が稼ぎ出す利益は、ここ数年は輸出型企業・産業が稼ぎ出したものである。デフレ spiral はこういうことだ。
〔1〕輸出型企業・産業が円高進行により輸出採算の悪化により利益を出せなくなり、当該企業・産業就労者全体の家計に入る所得が減少。
〔2〕当該輸出型企業は、採算確保する為に海外生産に shift することにより、日本国内の就労者に入るべき所得が更に減少。
〔3〕当該輸出型企業により海外生産された【国内で製造する製品より安価な】製品が逆輸入され、国内企業の収益を更に圧迫。
〔4〕国内商品市場は、商品・製品の値下げ競争の激化。この為、当該商品・製品の製造業者や販売業者の事業採算(=収益)悪化と販売価格の下落を齎す。
 円高を demerit とする就労者が多いということは、短期的な政府戦略としては、日本は「円安誘導」すべきなのである。今も中国が頑なに「元の切り上げ」を拒んでいるのは「元安による輸出採算確保」を少しでも長引かせ様とする戦略があるからだ。この「円安誘導」で収益確保の時間を稼いでいる間に、高付加価値を生み出す新産業を育成していく。これが政府の長期戦略であるべきなのだ。
 寺島氏の講演会の話に戻るが、氏は、日本の産業の構造変換について事例を交えて話してくれたが、もっと沢山の事例を紹介して欲しかった、と思ったのが正直な処である。(了)

【後記】今日のお別れは、俳句の天才久保田万太郎が詠んだ秋の俳句です。彼の作品は、極めて叙事的なことを抒情的に表現していると思います。美しい俳句です。

 このみちのこのしづけさにいでし月
 あきかぜのふきぬけゆくや人の中
 秋風や水に落ちたる空のいろ
 佇めば身にしむ水のひかりかな
【解説】いずれの句も説明がいらぬほど、情景が目に浮かび、秋の風情が伝わって来ますね。名句ってホント素晴らしい。

 では、また・・。(了)

2010年10月16日 (土)

【時習26回3-7の会 0312】~「大前研一『民の見えざる手~デフレ不況時代の【新・国富論】』を読んで」「魯迅の命日(10月19日)と藤島武二の誕生日(10月15日)」

■今泉悟です。 皆さん如何お過ごしですか。 さぁ、今日も【2637の会】《会報》【0312】号をお送りします。

 まずは、【2637の会】2010年《クラス会 Part2》開催のご案内関連のお話からお伝えしたいと思います。
 尚、今日現在、6名の皆さんからお返事を頂戴しております。

 【参加】林(恭)さん、山中さん、今泉
 【欠席】市川君、山田君、渡辺さん
 【調整中】伊庭さん

 返信mailの進捗状況は以上の通りです。【2637の会】members の皆さんからの朗報をお待ちしています。m(_ _)m

■さて今日最初の話題は、掲題・副題にあります様に、最近読んだ本から「大前研一『民の見えざる手~デフレ不況時代の【新・国富論】』」をご紹介させて頂きます。
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 先日09月19日付《会報》【0308】にて、藤巻健史氏の『日本破綻』を theme とした講演会記録及び著作をご紹介させて頂きました。
 今回ご紹介させて頂く大前氏の著作も、藤巻氏同様、日本の財政破綻を懸念していますが、氏が示している「日本経済復活への提言」に共感を覚えましたので、その主だった処をご紹介させて頂きます。内容が大変豊富な為纏めるのが大変でちょっと長文となりましたが我慢してご覧下さい。

【大前研一『民の見えざる手~デフレ不況時代の【新・国富論】』】

【prologue】 経済学は、もう未来を語れない
 省略

【第1章】 《現状認識》”縮み志向”ニッポンと「心理経済学」
 勢いある韓国企業の中でもサムスン電子は、半導体・液晶 panel・薄型TV・携帯電話の主力4部門の利益が最高水準を維持し、2009年度の連結営業利益が前年比1.9倍の約8,700億円に達した。(【小生注】日立・東芝等日本の総合電気大手8社の営業利益合計8,300億円を上回る。)
 1997年IMF(=【同】アジア通貨)危機で辛酸を舐めた韓国は、翌98年発足した金大中政権下で人材の global 化&IT化の推進、及び elite ・俗人の峻別を開始。大学・企業が世界に通用する人材育成を一大目標に、韓国の将来を牽引する leader 育成に注力。その結果、実力ない中高年者の淘汰&若人達の shape up が進み、企業が見違える程強くなったのである。
 人材の global 化に関しては特に英語を重視。今では一流大学の入試でTOEIC800点(990点満点)が基準に。更に一流企業入社は900点、課長昇進は920点が目安とされる。日本では「世界のSony」の入社の目安は650点。故に、この10年で韓・日の人材の力は大差がついてしまった。これら台湾・韓国・中国の経営者に比して最近の日本の経営者は、みんな「縮み志向」になっている。世界に打って出るという気概もなく cost down 一辺倒だ。

【第2章】 《目前にある鉱脈》拡大する「単身世帯」需要を狙え
 重要な点の一つは、「夫婦+子供二人」が majority ではなくなったこと。単身世帯は1960年の約4百万世帯から2010年中には15百万世帯を超えて全体の3割以上を占めると推計される。更に「夫婦のみ」「一人親と子供」の世帯も漸増中で、日本の家庭は、従来のimage とは様変わりした。
 もう一つ重要な点は、単身世帯の年代分布である。未婚・晩婚・死別により今や日本の”標準家庭”は全年代で「単身世帯」化している。
 こうした消費者動向の様変わりによる需要の変化に供給者側が即応出来ていない。だから総合スーパーの低迷は「必然」なのだ。即ち、「単に単価を下げ『数多く』」提供することが、単身世帯の「単価は多少高くても少量の物が欲しい」という消費者needs に match していない。単純な安売り競争が自らを苦しめている。
 
【第3章】 《外なる鉱脈》「新興国&途上国」市場に打って出る
 『新興国が繁栄し始めた二つの理由』は‥
〔1〕より高い return を求め世界中を徘徊する巨額資金が global 金融 system により自動的に新興国に向かう仕掛けが出来たこと
〔2〕21世紀の新しい「雁行 model 」が誕生したこと
 ※ 即ち、1970~90年代の Asia で、先頭の日本をNIEs( 新興工業経済地域/韓国・Singapore・香港・台湾 )が追いかけ、その後ろにASEANが続くという雁行形態の発展 model が、現在の新しい雁行 model に変貌。その model の先頭は勿論中国。そして、その大きな雁の上に跨って鞭を入れているのが台湾。更にその後を他のBRICs各国(Brazil・Russia・India)やVISTA(Vietnam・Indonesia・南ア(South Africa)・Turkey・Argentina)が一斉に追いかけ始めた。
 こうした世界市場の変貌を踏まえ、大前氏は更に、消費市場として Asia の存在感が高まって来ているので、日本企業は「新興国の中間所得層」という新たな”獲物”に商品開発や営業の照準を移すべきだ、という。即ち、Asia には年間所得3,000ドル以上の中間所得層が14億人いる。うち中国4億人、India 2億人、Indonesia 8,000万人と、これ等3カ国だけで日本の全人口の5倍に達する。年間所得3,000ドルの水準は、購買力平価でみると、既に彼等は日本の中流以上の購買力を持っていると言ってよく、教育・家電製品・自動車・家具・海外旅行等に非常に関心を持っている。言わば1960年代の日本の「3C(クーラー・カラーTV・自家用車)時代」と同じ様な状況にある。そういう成長 market が世界中に広がっているのだから、その【現地】へ「行って」「作って」「売れば」良い。この3カ国の中でも Indonesia が超・親日的な国で巨大市場もであり、market として有望だとも言い添えている。
 
【第4章】 《規制撤廃が生む鉱脈》真の埋蔵金=潜在需要はここにある
 大前氏は、日本復活の為には「『国民の Good Life 』を agenda (=取り組むべき課題・行動計画 )として打ち出せと提言している。即ち‥
 一言で言えば「経済のパイ( pie )を大きくし国民生活を豊かにする」こと、即ち「全ての人の Good Life (充足感や充実感のある人生)の為」である。
 Good Life には、安全・安心が不可欠だが、それだけでは Godd Life にならない。菅首相の言う「最小不幸社会」では Good Life に程遠い。人々が「充実した毎日」「人生が楽しい」「この国に生まれて良かった」と思わなければ Good Life と言えない。民主主義の政治目標は〔【同】ベンサム(Jeremy Bentham (1748,02.15 - 1832.06,06)の言う〕「最大多数の最大幸福(the greatest happiness for the greatest number =【意】個人の幸福の総計が社会全体の幸福であり、社会全体の幸福を最大化すべき)」なのである。

 氏は更に言う。日本経済を立て直すには「増税」「税金財源」「外国頼み」は全部ダメ。民間が持っている「財」の活用策を訴える。具体策は以下の3つだとを提言。それは、〔1〕大都市「市街化調整区域」の広域開発、〔2〕湾岸100万都市構想~「湾岸再開発」の大規模再開発、〔3〕建物「容積率」の大幅緩和、これ等〔1~3〕に要する資金は、該当地域自治体の公債発行で賄う為、税金は不要。当該不動産は容積率緩和により投資利回り7~8%で回るので、当該公債は預貯金として眠っている個人金融資産の掘り起こしはもとより、世界中の投資家が買うだろう、と。

【第5章】 《20年後の grand design(=長期的視野に立つ全体構想)》「人材力」と「地方分権」で国が変わる
 大前氏は、success story として隣国韓国の例を多く引用して次の様にいう。
 「日韓逆転」は20年前から始まっていた。McKinsey 時代に Harvard や Stanford 大学等米国の一流大学生を採用した際、韓国人と日本人の留学生を比べると、30年前までは明らかに日本人の方が優秀だったが、20年前の1990年位から逆転し始めた。その理由は、韓国人留学生が欧米人と渡り合える level の英語力を身につけてきたことだ。
 学生の基礎能力に加え‥、韓国企業は global 化を進める為の人材育成でも、日本企業より大胆で優れた仕掛けを持っている。その先頭を走るのは、やはりサムスン電子。同社は、1994年頃からBRICsに本格的に進出する準備を進め、この戦略がその後の新興国 boom によって爆発的な return を生み、現在の大躍進の原動力となった。6~7年前には、新興国・途上国への留学制度を作り、3,000人の社員をBRICsやVISTA等に派遣。派遣された彼等は、1年間は仕事をせず人脈作りと、語学力を磨き乍ら歴史や文化を学び、将来、夫々の国で責任者になる為の土台固めに専念している。この program の費用が年間1,000億円。因みに、当該社員達は全員TOEIC920点以上の英語力保持者。
 韓国の元首である李明博大統領は、経営者出身でソウル市長も経験しているだけに、経済についての地肌感覚と不屈の leadership を持っている。彼が社長・会長を務めた現代建設は、cost 競争力を武器に世界中の企業と競って Asia 太平洋や中東等で難工事を受注。日本企業が尻込みする様な劣悪な環境地域でも、韓国から建設機械と労働者が”人馬一体”で乗り込んで行く強靭な会社。そういう過酷な Business の第一線で修羅場をくぐり抜けて来た人物だから、非常に強かで、世界の要人とも電話一本で直接交渉出来る。
 ただ、今の韓国の「人材力」「企業」「国家元首」の level は日本のそれ等より優れているが、この韓国の好調さも今後10年は続かないだろう。
 それは、韓国が急速に米国化した為に、日本の機械産業や部品工業の様なコツコツと積み上げた領域が少なく、産業の裾野が狭いといった米国の産業と同じ体質〔=弱点〕を持っている。加えて韓国は日本以上に少子化が進んでいる〔一人の女性が一生の間に産む子供の数は、日本1.37に対し韓国1.19(2008年)〕。故に日本に追いついた韓国は、国民の緊張感が緩み日本と同じく衰退国家になるのは避けられないと思う、と。

 とは言え「人材力」において日本が韓国に見習うべき点は多い。民主党政権は格差是正や弱者救済といった社会民主主義的な方向にどんどん傾斜し、個人の資質や能力を高めて世界で戦える人材を育てようという議論は皆無に等しい。しかし、それでは韓国との「人材格差」は埋まらない。これは企業の競争力に直接影響するだけに、深刻な問題だ。
 「人材力」を高めるためには、大学をはじめとする教育改革が第一だ。例えば、有名大学が入試の条件をTOEIC800点以上にすれば、高校が変わる。高校が変わると中学校が変わり、中学校が変わると小学校も変わる。韓国の場合は大学が変わってから10年で、優秀な人材を続々と輩出する様になった。親たちが一気に変わるからである。ここで日本が教育改革を進めなければ、益々凋落するのは間違いない。21世紀は「人材力」即ち「国力」の時代なのだから。

《大前氏の民主党・基本政策への改善案①~④》
【改善案①「基礎自治体」構想】
 人口30万人規模で全国300前後の基礎自治体をつくり、そこに財源や権限を委譲する
 ※この個々の基礎自治体を出発点として、個々の予算から議論を積み上げていったほうが、中央集権の国主導より余程 cost down に繋がる。
【改善案②成人年齢を18歳に引き下げよ】
 「18歳以上を成人」とするのは世界の趨勢。高校まで無償化=義務教育化し、社会人としての権利と義務〔責任〕を確り教育する。
 投票・飲酒・喫煙・運転・婚姻・借金など社会人が有する全ての権利を付与される反面、納税・刑罰などの責任も負う。
【改善案③個人IDで更に行政カット】
 我国には、国家と国民を結ぶ data base がない。個人ID( identity card )が確立されれば、総選挙の都度1,000億円近くかかる費用が削減可能。行政の重複も避けられる。
【改善案④新興国を支援する多極外交へ】
 BOT( Build Operate Transfer )方式により、長期 finance を前面に立て、建設・運営を数十年かけ一体管理し責任を負う。その後、資金回収終了時には現地政府に当該施設を返却する。ODAの様な「やりっぱなし」という無責任なものとは異なる。

【epilogue】 《発想の転換》そして個人は「Good Life 」を求めよ
【1】「国が富む」とは個人が生活を楽しむこと
 ※ 団塊の世代が受け取る退職金は約80兆円。借金約20兆円を差し引いても60兆円手元に残る。彼等が「貯金は死ぬまでに使い切る」という考え方に転換して second life を楽しむ。政府・地方自治体も、これを実現すべく規制緩和や支援を行うこと。これこそ、日本に残された数少ない「打ち手」だと思う。
【2】定年後の life plan なき50代日本人
 ※ 省略
【3】老後は「会社にいた時間」よりずっと長い
 ※ retire 後の second life を充実したものにする趣味を見つける為の key word は、「好奇心」と「向上心」。「向上心」は、少し高めの「目標」を設定し、それを達成しようとすることが重要。高めの目標達成の為には、かなりの自助努力が要求されるが、そのほうが生活に rhythm が出来て、張りのある second life になる筈だ。そして、自助努力を続ける為に必要なのが、一緒に練習したり競い合ったりする「仲間」と、努力の成果を披露することの出来る「舞台(=発表の場)」である。一人でやるより、上達は早くなるし、楽しさも倍増するだろう。
【4】現役時代と違う community に入れ
【5】どんな趣味にも「遅すぎる」ことはない
【6】「価格破壊 weekend house 」のすすめ
【7】定年後に「毎年250万円」捻出する方法
 ※ 【4】~【7】:省略
【8】”いざ鬱病(=相応に豊富な金融資産を持ち乍ら「将来が心配」という国民病)”が国の無駄遣いを助長する
 ※ ”いざ鬱病”の患者が「いざという時」の為に貯めたお金は、国債の default(債務不履行)などを通じて、本当に国がいざとなれば、二度と返って来なくなるのだ。”いざ鬱病”の人々が自分の人生を enjoy する為に、将来ではなく今、余裕資金を使うことが、国の為にも、国の「いざ」を起こさない為にも必要。
【9】もう「政」「官」には頼まない
 次の3項目が、私(大前)が提案する知的 coup d'e-tat である。まず‥
 【1】 この国が何故長期低迷に陥ったのかを理解すること。
 ※ 「国民が増税を拒否しているのにも拘らず、巨大政府としての無駄遣いをしている。税収の2倍以上の歳出を賄う為に国債の増発を続け、累積債務がGDP比200%を超え、世界 worst №1を更新中である。そもそも政府そのものの巨大化を許していては財政の悪化は直らないことを我々が等しく認知する必要がある。日本の場合、もう政府に期待せず、ひたすら無駄を削って財政再建優先でやれ、というしかない。景気刺激には、税金でなく「民の見えざる手」を使うという条件で、だ。
 【2】 国債から資金を移動する
 ※ 国債から他の金融資産に一斉に移したのでは、国債が暴落するから、このことに気付いた人から徐々に shift していくべき。モノと借金は hyper inflation に強い。国に召し上げられる前に、自分の納得のいく life style に転換する為、自己資金や借金能力をフル稼働させるのだ。早い者勝ちではあるが、皮肉なことに多くの人々がこの route を通ると、経済は次第に上向いて来る。「民の見えざる手」のお出ましである。その結果、税収も上がり、国は無駄遣いこそ出来ないが、国債破綻 risk も遠のく。
 【3】 「基礎自治体」が動き出す
 ※ weekend house の受入れ側の自治体も、都会の人々が移り住んで来て田舎生活を enjoy して貰う為の基盤整備をするのだ。自治体毎独自な方法で「街並み・学校の整備」や「 community 活動支援」により、定年後に定住してもよいと思わせる様な場所づくりをする。

 日本は、この数年で今後の国家の命運が決まる。最後の決定権を持っているのは、その”再起動”の為の原資を握っている「民」である。以上の様な私(大前)の見解に、読者諸賢の知見と情報(そして行動!)を加えて頂き、この国の経済と企業を変える”駆動力”になって貰えれば嬉しい。(了)

【小生comment】
 現状の日本の財政破綻懸念を嘆いてばかりいても何も生まれない。「日本国が復活するにはどうすべきか」「我々日本国民が安心して生きていくにはどうすべきか」幾つかの hint を大前氏は教えてくれた。
 最悪の scenario で、日本の財政破綻となったら、従前藤巻氏が言う hyper inflation がやって来る。例えると、日本円は1ドル=1,000円と大幅な円安である。そうなれば、今(1ドル=82円とすると)と同じものを買うのに実質12倍以上の日本円が必要となる。その時の1,000万円が今の82万円の価値に暴落。日本円換算の金融資産は、実質的に今の12分の1以下に暴落するのだ。恐ろしいことが起き得るのである。
 そうなる前に、他国通貨建てに金融資産を shift するなり、貴金属等、価値ある動産・不動産に資産を shift する必要がある。
 小生も、ポートフォリオ( portfolio )の一環として、先日国内預金の幾らかを豪ドルの1年定期預金に shift しました。豪州は、資源大国で将来資源獲得競争が厳しくなる時に強みを発揮〔対円で豪ドル高=円安〕するであろうこと、及び、主要国通貨で1年定期預金金利 3.13%というのも魅力だ。
 因みに、三菱東京UFJ銀行で、主要国の外貨預金金利を調べてみた。3万米ドル未満・1年定期預金金利で比較すると、米国&スイス:0.010%、英国&ユーロ:0.100%、豪州:3.130%、ニュージーランド:1.590%、日本〔スーパー定期〕:0.030%である。〔以上、2010年10月15日現在〕

【後記】気候も丁度いい「秋の夜長」を実感する今日この頃です。今日のお別れは、「文学」と「名画」からご紹介してお別れしたいと思います。
 今月10月19日が命日の魯迅(1881.09.25-1936.10.19)と昨日15日が誕生日の藤島武二(1867.10.15-1943.03.19)についてである。

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〔その1〕魯迅『阿Q正伝・狂人日記他12編【吶喊】』~自序(1922年)より~
 私(魯迅)も若い頃は、沢山夢を見たものである。あとではあらかた忘れてしまったが、自分でも惜しいとは思わない。思い出というものは、人を楽しませるものではあるが、時に人を寂しがらせないでもない。精神の糸に、過ぎ去った寂寞の時を繋いでおいたとて、何になろう。私としてはむしろ、それが完全に忘れられないのが苦しいのである。その忘れられない一部分が、今となって『吶喊(【小生注】(とっかん)=雄叫び)』となった、という訳である。〔中略〕
 のちに私の学籍は、日本の地方の医学専門学校〔【同】東北大学医学部の前身〕に置かれることになった。私は甘い夢をみていた。卒業して国に帰ったら、父と同様のあしらいを受けて苦しんでいる病人を救い、戦争の時は軍医になり、傍ら、国民の維新への信念を高めようと考えた。いま微生物学を教える方法がどんな進歩を遂げたか、私は全く知らないが、その頃はスライド(slide(映写機))を使って、微生物の形態を映して見せた。そこで、講義が一段落してまだ時間があると、教師は風景やニュースを映して学生に見せて、時間の穴を埋めたものだ。丁度日露戦争の最中とて、当然のこと乍ら、戦争関係のスライドが割に多かった。その度に私は、この教室で、同級生達の拍手と喝采とに自分も調子を合わせるほかなかった。ある時私は、思いがけずスライドで沢山の中国人と絶えて久しい面会をした。真ん中に手を縛られた男、それを取り囲んで大勢の男、どれも体格がいいが、無表情である。解説では、縛られているのはロシア軍のスパイを働き、見せしめに日本軍の手で首を切られるところ、取り囲んでいるのは、その見せしめの祭典を見に来た連中であった。
 その学年が終わる前に、私は東京に戻っていた。あのことがあって以来、私は医学などは肝要でない、と考える様になった。愚弱な国民は、たとい体格がよく、どんなに頑強であっても、精々下らぬ見せしめの材料と、その見物人になるだけだ。病気したり死んだりする人間がたとい多かろうと、そんなことは不幸とまでは言えぬのだ。むしろ我々の最初に果たすべき任務は、彼等〔【同】愚弱な中国国民たち〕の精神を改造することだ。そして、精神の改造に役立つものと言えば、当時の私の考えでは、無論文芸が第一だった。そこで文芸運動をおこす気になった。〔後略〕
 1922年12月03日、北京において魯迅(当時41歳)記す
【小生comment】
 魯迅が生きた時代は、清朝末期から中華民国の激動の時代である。彼にとっての「思い出」は寂寞というよりも、もっと陰鬱で痛々しいものの様な気がする。それがまさに本の副題の【吶喊】という言葉に表わされている、と思う。

〔その2〕
 昨日10月15日は、日本人洋画家の泰斗、藤島武二氏(以下敬称略)の誕生日(1867.10.15)である。時習館高校美術科教諭であった冨安昌也先生〔朝倉先生の前任〕の東京美術学校時代の恩師であることは従前ご紹介させて頂いた。
 2008年03月15日付《会報》【0162】 http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/index.html をご覧下さい。
 尚、このURLは〔2008年03月〕一カ月分が7件〔【0165】~【0159】の順で〕 up されますので【0162】号まで scroll してご覧下さい。

 藤島武二は、美人画でも傑作が多い。岡田三郎助、小磯良平と並ぶ美人画の巨匠でもあると言って過言ではあるまい。今日は彼の美人画の中でも飛切りの6枚をご紹介してお別れしたいと思います。ではどうぞ‥

[01] 藤島武二『天平の面影』1902年〔部分〕
011902

––––––––––––––––––––––––[02] 藤島武二『蝶』1904年〔部分〕
021904

[03] 藤島武二『婦人と朝顔』部分1904年〔部分〕
031904

––––––––––––––––––––––––[04] 藤島武二『黒扇』1908-09年
04190809

[05] 藤島武二『官女と宝船』1920年頃
051920

––––––––––––––––––––––––[06] 藤島武二『芳惠』1926年
061926


 では、また‥。(了)

2010年10月 9日 (土)

【時習26回3-7の会 0311】~「10月02日:『修学院離宮→二条城→桂離宮→荒神山観音寺』巡り」「10月03日:『カツァリス・Piano Recital』を聴いて」

■今泉悟です。 皆さん如何お過ごしですか。 さぁ、今日も【2637の会】《会報》【0311】号をお送りします。

 まずは、【2637の会】2010年《クラス会 Part2》開催のご案内関連のお話からお伝えしたいと思います。
 前々回【0309】号の《会報》の直後の別便 mail にてご案内させて頂きました【2637の会】《クラス会 Part2》についてですが、候補日を 【11月27日(土)】 の午後06時~とさせて頂きました。
 ご賢察の上、万障お繰り合わせ頂きご参加賜りますよう宜しくお願い申し上げます。
 今日も、09月25に配信させて頂いた別便 mail の《続報版》をご用意し配信させて頂きました。
 お返事をお待ち申し上げております。
 尚、今日現在、5名の皆さんからお返事を頂戴しております。

 【参加】林(K)さん、山中さん、今泉
 【欠席】市川君、山田君、渡辺さん
 〔以上、五十音順〕

 我々は、淡く儚い、まさに泡沫人(うたかたびと)です。
 池内淳子(本名:中澤純子 1933.11.04-2010.09.26)さんや、『あっぱれ』の大沢親分こと大沢啓二(本名:大沢昭 1932.03.14-2010.10.07日)氏の訃報を聞くにつけ、人生の儚さを実感します。
 だから、【2637の会】membersの皆さん! 限りある残された人生を有意義に過ごすべく、楽しいひとときを過ごしましょう。
 皆さんからの朗報をお待ちしています。
 最近、皆さんからの reaction が一頃に比べると少なくなっている様に感じ、小生の「不徳の致す処」と反省至極であります。
【小生・雑感】
 昨今の日本は、不況下における摩訶不思議な円高や我国の財政破綻問題や、尖閣列島における中国との軋轢、と言う暗い話ばかりではありません。
 マリナーズのイチロー選手(36歳)が前人未到の10年連続200安打を達成〔対ブルージェイズ戦。200安打10回は、ピート・ローズ(Peter Edward "Pete" Rose Sr.:1941年04.14-)(元レッズ))に並ぶタイ記録〕したり、2010年10月06日、ノーベル(Alfred Bernhard Nobel)化学賞に鈴木章・根岸英一両氏が受賞。日本もまだまだ捨てたものではありません。

■さて、今日最初の話題は、掲題・副題にあります様に、10月02日、時習館の同期、谷山君【3-3】と中嶋君【3-2】、そして3人の共通の仲間で城跡巡りの先生でもある青木さんの4人で『修学院離宮→二条城→桂離宮→荒神山観音寺』を巡って来ましたので、ご報告させて頂きます。

 10月02日午前04時30分に中嶋君が車で拙宅まで迎えに来てくれ小生を、ついで04時40分青木さん宅、05時00分谷山君宅と3人を pick up して出発。
 東名高速道路・音羽蒲郡IC→伊勢湾岸道路→東名阪道路→新名神・名神高速道路・京都東IC→08時10分【修学院離宮】『下離宮表総門』前着。
 会館の09時00分まで入口にて待機。「修学院離宮には駐車場がない」と案内にあったので心配したが、離宮から100mない場所に十数台だけ駐車できる Parking があり、そこを利用出来たのは助かった。離宮に一番乗りして「早起きは三文の【徳】」=【得】として実感できた。(笑)
 余談だが、京都では、宮内庁管轄である修学院離宮は、同日訪問した桂離宮や京都御所、仙洞御所と共に、完全な事前予約制であるので注意が必要。今回の旅行では、青木さんに尽力頂き、往復葉書で予約をとって頂いた。同日2箇所の離宮を見ることが出来る様に setting して下さった。大変有難かった。更に言えば、予約の取り方がちょっとややこしいのである。こういう具合だ‥。

【予約方法】
 1.手段:往復葉書による「宮内庁京都事務所参観係(宛)」郵送か直接事務所に出向くかの二つ。
 2.申込人数:最大4人まで。
 3.参観可能日:土日・祝祭日・年末年始(12月28日~01月04日)を除く日。
   但し、土曜日は、3・4・5・10・11月は全部、1・2・6~9・12月は第3土曜日のみ参観可能。
 4.申込期間:参観希望日の3ヶ月前月の01日~参観希望日の1ヶ月間の、消印あるもの。

 人気の11月の土曜日は、募集開始初日である08月01日付消印ある葉書で抽選になるほどの人気なのだそうだ。
 話が横道のそれてしまいました。(笑)
 09時00分の参観 group第1組は22人。案内人の話によると一日5回の参観時間帯があるという。
 上・中・下離宮を一周する所要時間は1時間15分。高低差は150mあり、結構しんどい。
 修学院離宮について、簡単にご説明します。ご高覧下さい。

【修学院離宮】
 修学院離宮は(第108代)後水尾(ごみずのお)天皇が京都の東北部、比叡山の山麓に、万治(まんじ)02(1659)年、上皇63歳の時完成された山荘である。〔中略〕
 〔【小生注】時計で北を12時とすると、02時の方向の山腹に〕上、〔【同】06時の方向に〕中、〔【同】09時の方向に〕下の夫々に独立した御茶屋〔【同】=離宮〕を配し、赤松並木の連絡路で結ぶ。面積は54万㎡に及ぶ。〔[01]修学院離宮全景の鳥瞰図〕ご参照。
[01]
01_2

 これ等3つの離宮を結ぶ赤松並木の間にある田畑は、昭和22年の農地改革により民間のものとなったが、昭和39年政府が当該土地を再度買い上げ、耕作だけ民間に委託している。赤松並木から上離宮を望むところの比叡山や、上離宮・隣雲亭から浴龍池を望むところの鞍馬・岩倉等の【借景】が庭園美を雄大なものにしていて素晴らしい。
 上・下離宮は、万治年間に造営。一方、中離宮は、後水尾上皇の第8皇女光子(てるこ)内親王の為に、寛文08(1668)年造営された朱宮(あけのみや)御所が前身。その後、林丘寺となった後、明治18(1885)年、「楽只(らくし)軒」と「客殿」等が離宮に併合された。
 中離宮の客殿は、もとは後水尾天皇の中宮・徳川和子〔東福門院〕の女院御所にあった奥対面所を、東福門院の没〔延宝06(1678)年〕後、ここに移築されたもの。気品のある建物である。
 後水尾上皇は、85歳で崩御されるまで、修学院離宮への行幸は七十数回に及んだという。
 09時00分の開館と共に控室にて待機し、程なく案内人の解説を聞きつつ、下→中→上・離宮の順に回った。添付写真をご覧頂ければ判る様に、天気は上々。若干汗ばむ気温であった。修学院離宮で撮影した写真は【267】枚。その中から厳選した2枚〔‥blogには6枚‥〕を添付します。
 [02]下離宮・表総門前にて
 02

 ––––––––––––––––––––––––[03]下離宮・寿月観
 03

 [04]中離宮・楽只軒&客殿の前庭
04
 
 ––––––––––––––––––––––––[05]中離宮・客殿の霞棚〔桂離宮の桂棚・醍醐寺の醍醐棚と共に天下の三棚と言われる〕
05
 
 [06]上離宮・隣雲亭から浴龍池(よくりゅうち)ほかの眺望を back にして
06_back
 
 ––––––––––––––––––––––––[07]上離宮・浴龍池にある中島と万松塢(ばんしょうう)に架かる千歳橋
07

【二条城】
 10時半過ぎに修学院離宮を後にした我々が次に向かったのが、『二条城』である。ここは昭和14年まで宮内庁が管轄した離宮であり、leaflet にも「元離宮・二条城」と記されている。11時10分到着。
 二条城は、徳川家康が慶弔07(1602)年に造営。往時は五層の天守閣があり、城郭としての威厳と風格を備えていたが、江戸中期の寛延03(1750)年に落雷により焼失。
 二条城が誇る【国宝】はなんと言っても『二の丸御殿』。「二の丸」の重要文化財の「東大手門」から入城し、左手前方にあるこれも重要文化財の「唐門」をくぐると正面に『二の丸御殿』の「車寄」が見える。この「車寄」がある「1.遠侍(とおざむらい)」(を筆頭に)→「2.式台」→「3.【大広間】」→「4.蘇鉄の間」→「5.黒書院」→「6.白書院」と、北西方面に後退(ずさ)りする様に6つの御殿が続く。これ等6つの「御殿」はいずれも「書院造」で【国宝】。寛永期(1624-1644)大幅に手が加えられている。障壁画も近世初頭の美術の精華である。
 「3.【大広間】」は、第15代将軍徳川慶喜が「大政奉還(注)」した場所である。「意外に狭い」というのが率直な感想である。
〔注〕大政奉還 : 慶応03年10月13日(1867年11月08日)、慶喜は京都・二条城に上洛中の40藩の重臣を召集し大政奉還を諮問。翌14日、慶喜は統治権返上を明治天皇に上奏。翌15日、天皇が上奏を勅許した政治的事件。
 御殿内部は撮影禁止だったのは残念だったが、「二の丸御殿」前での snap shot を撮影した(添付写真[08]ご参照)。
 [08]二の丸御殿:「車寄&遠侍」前にて
08

 ––––––––––––––––––––––––[09] 二の丸庭園〔小堀遠州が作庭した池泉回遊式庭園〕
09
 
 [10] 二の丸庭園前にて
10
 
 ––––––––––––––––––––––––[11] ニの丸・大広間
11

【桂離宮】
 12時20分、二条城を後にした我々が三番目に訪れた先は、「桂離宮」である。13時過ぎに到着。
 約束の集合時間13時半までに若干の時間があった我々は、途中のコンビニで弁当を仕入れ、離宮近くの駐車場にて束の間の昼食休憩をとった。
 桂離宮は、後陽成天皇〔1571-1617〕の弟、智仁(としひと)親王〔1579-1629〕が造営した八条宮家(注)の別荘。

 【注】八条宮家は伏見宮・有栖川宮・閑院宮と並ぶ江戸時代の四親王家の一つ。智仁親王は一時、実子に恵まれない豊臣秀吉の猶子(ゆうし)に迎えられたが、秀吉に鶴松が生まれるとこの養子縁組は(‥智仁親王12歳‥)解消。八条宮家は、この智仁親王の為創設されたもの。

 桂離宮は面積5万8千㎡。桂川から水を引き、細流や苑池、大小の築山を築き人工的な自然景観を現出した廻遊式庭園である。
 修学院離宮が「自然美を離宮の景観の一部に取り入れた美しさ」であるのに対し、桂離宮は「人の手により自然景観を造り出した人工的な自然美」と言えよう。
 建築物を例にとっても、古書院・中書院・楽器の間・新御殿ら雁行して(=雁の群れが斜めに飛ぶ様に)斜めに配置されたり、月波(げっぱ)楼・外腰掛(そとこしかけ)・卍(まんじ)亭・松琴(しょうきん)亭・賞花(しょうか)亭・園林(おんりん)堂・笑意(しょうい)軒、等の茶亭や詞堂が、築山・野筋・入江・州浜(すはま)・遣水(やりみず)、等変化に富んだ自然景観を取り入れて、建築と庭園が見事に調和した空間を創出している。
 桂離宮を撮影した写真は今回129枚。どの camera angle をとっても美しい。その中から今日皆さんにご紹介するものは以下の5枚です。ご覧下さい。
 [12]州浜より松琴亭を望む
12

 ––––––––––––––––––––––––[13]州浜と天の橋立
13
 
 [14]松琴亭を望む
14
 
 ––––––––––––––––––––––––[15]笑意軒・船着場から園林堂・土橋を望む
15
 
 [16]月波楼から松琴亭を望む
16

【小生・雑感】
 ここの参観も、案内人に従う crew の人数は20名ほど。修学院離宮もそうでしたが、参観者のうち2~3割は外国人。二条城はもっと外国人が多かった。日本人の様な顔をしていても言葉から明らかに中国人や韓国人の couple もいた。

【荒神山〔高山寺〕観音寺】
 14時45分に桂離宮を後にした我々が最後〔四番目〕に訪れた先は、「荒神山(こうじんやま)観音寺(かんのんじ)」。名神高速道路京都南ICから新名神高速道路を経由して東名阪道路・鈴鹿ICを降りて暫く行った所にあった。住所は三重県鈴鹿市高塚町1777番地。16時10分に到着。
 前者の3離宮(元離宮・二条城を含む)と「荒神山‥」とは gap を感じる方も少なくないと思います。
 その理由は、「荒神山‥」への訪問は今回の旅行 member 中島君の強い request によるもの。彼は広沢虎造の大ファン。広沢虎造と言えば浪曲『次郎長伝』である。清水次郎長の一時期子分であった吉良の仁吉が「〔慶応02(1866)年04月〕【荒神山の喧嘩】の場所となったこの寺とこの喧嘩で死んだ吉良の仁吉〔享年28歳〕の石碑があるのでお参りしたい」という希望で実現したもの。
 高山寺観音寺は、弘仁03(812)年、弘法大師が日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の御神霊を仏像としてまつり神事山(こうじやま)と称したのが始まり。
 我々が訪問した時、この寺の住職に偶然出会った。そして、住職から寺の由緒・縁起について教えて頂いた。本堂の中を見せて頂き堂内の写真撮影もOKを頂いた。本堂に向かって手前右側にある鐘楼堂には徳川家光の乳母春日局が寄進した梵鐘が収められている。
 因みに、「こうじんやま」が「高神山」→「荒神山」になったのは、明治時代、歌人・天田五郎(愚庵)が「東海遊侠伝」の中で「荒神山」と書いてから、この呼名の方が有名になったからだという。
 関連の写真を以下に記します。ご覧下さい。
 [17]荒神山観音寺境内の前にて
17
 
 ––––––––––––––––––––––––[18]本尊「十一面観音像」が安置してある本堂・仏壇
18
 
 [19]鐘楼堂と梵鐘〔←正保04(1647)年 春日局が寄進~梵鐘には「御旦那 春日之局」と刻印されている〕
19
 
 ––––––––––––––––––––––––[20]吉良仁吉の石碑〔←昭和26(1951)年 03月二代目広沢虎造等が建立〕
20

【小生 comment】
 最後に訪れた「荒神山観音寺」は、吉良の仁吉の石碑を拝むだけのつもりが、住職による懇切丁寧な説明を受けるという、予想外の嬉しい収穫があった。
 16時55分、我々は「荒神山」を後にして帰りの途についた。大変充実した日帰り旅行であった。

■さて今日最後の話題は、翌10月03日、カツァリス(Cyprien Katsaris) の Piano Recital を聴いて来ましたのでご報告致します。
 前日の日帰り旅行の疲れが若干残っていたが、名古屋の愛知県芸術文化センターConcert Hall での Katsaris の All Chopin Program は、著名な mellow な曲を完璧なtechnic で聴衆を魅了してくれた。えも言われぬ音色の美しさであった。「えも言われぬ」ところを強いて言えば、「‥甘美で、且つふんわりとした綿菓子の中に入って聴いている様な極上の甘さの心地よさ‥」とでも言えばいいか‥。
 Recital の締め括りは、Chopin の Piano Concerto №2 f minor Op.21 を Piano solo で聴かせてくれた。これも哀愁に充ちた名曲である。
 因みに、Katsaris は今から四半世紀前に、Beethoven の交響曲全9曲を、Liszt の編曲による Piano solo で録音しており、小生もその中の第6番「田園」のCDを持っているが、これもなかなかいい演奏である。
 素晴らしい Chopin の夕べであった。
 添付写真は、[21]C. Katsaris Piano Recital の Ticket とCD です。
21_piano_recital_ticket_cd

 では、また‥。(了)

2010年10月 1日 (金)

【時習26回3-7の会 0310】~「09月28日:『琵琶湖博物館視察会』に参加して」【09月25日:『あいちトリエンナーレ2010~《名古屋市美術館》常設展』を見て」「新谷弘実著『20歳若返る力』を読んで」

■今泉悟です。 皆さん如何お過ごしですか。 さぁ、今日も【2637の会】《会報》【0310】号をお送りします。

 まずは、【2637の会】2010年《クラス会 Part2》開催のご案内関連のお話からお伝えしたいと思います。
 前《会報》にて、ご案内させて頂きました【2637の会】《クラス会 Part2》についてですが、候補日を絞りたく思いますので、ご希望の日を返信 mail にご記入の上、返信下さい。11月13日・20日・27日の3日〔いずれも土曜日〕のいずれかに○を記して返信下さい。
 宜しくお願い申し挙げます。
 皆さんからの朗報を期待しています。

■さて、今日最初の話題は、掲題・副題にあります様に、地元豊橋にある某団体主催の『琵琶湖博物館視察会』に参加して来ましたので、その件についてご報告致します。

 来る10月11日(月)~29日(金)にかけ、愛知県名古屋市で『生物多様性条約第10回締約国会議【COP10】』が開催されます。
 【生物多様性】とか【Cop10】という言葉はよく耳にしますが、解っている様で解っていない。そこでちょっとお浚いしてみました。

 【生物多様性】とは、 地球上に多様な生きもの〔=生物・植物〕が生息し、それ等が支え合って balance を保っている状態のこと。
 因みに、現在地球上の生きものは、3千万種とも言われる。
 【COP10】とは、Conference of the Parties の略。国際条約に批准した国(=締約国)が集まる会議。【10】は10回目の会議という意味。
 1994年11月に【COP1】をバハマの首都ナッソーにて開催。以後各国にてほぼ2年毎開催され、今月名古屋での開催が【10】回目。

 この間、1999年02月、第1回締約国【特別】会議 【ExCOP1】コロンビア・カルタヘナ(= Cartagena )及び、翌2000年01月、カナダ・モントリオールの再会合にて「バイオセーフティーに関するカルタヘナ議定書【注】」が採択された。
 ※【注】「バイオセーフティー」とは、遺伝子組換生物(Living Modified Organism = LMO )が、生態系・生物多様性へ悪影響を及ぼさぬ様講じる措置・その考え方を言う。
 「カルタヘナ議定書」は、当該 LMO が生物の多様性の保全及び持続可能な利用に及ぼす可能性のある悪影響を防止するための措置を規定している。具体的に議定書の条文を一つ例示すると以下の様に規定されている。
 ※ 輸入国は、輸出国又は輸出者から提供されるLMOに関する情報を受領した後、当該LMOに関する危険性の評価を行った上で、当該LMOの輸入の可否を決定する【第10条】。

【生態系 service の恵み】→【生物多様性の危機】
 我々人間の生活は、様々な生態系からの恵み〔=生態系 service 〕に支えられて存在している一方で、多くの生きものに影響を及ぼしている。
【4つの危機】
 〔1〕開発・乱獲による生態系の破壊、生息地の減少
 〔2〕里地里山等のおける人間の働きかけの減少による諸環境の悪化
 〔3〕人間により持ち込まれた外来生物等による生態系の撹乱・破壊
 〔4〕地球温暖化による生きもの「絶滅」risk の上昇
 以上の危機の顕在化により、人間が、自身の生命を支える生物多様性を減少させ、自らのの「絶滅」の危機を招きつつある。

 そこで、生物多様性条約の目的を3つ定めた。
【COP10における、生物多様性条約の目的】
 〔1〕地球上の多様な生物をその生息環境と共に保全すること
 〔2〕生物資源を持続可能〔=sustainable〕な方法で利用すること
 〔3〕遺伝資源の利用から生ずる利益を公正かつ衡平に配分すること

[01]]COP10&生物多様性国家戦略2010、leaflets
01cop102010leaflets

※ 日本政府も【生物多様性国家戦略2010】を策定し、「生物多様性の状態を現状以上に豊かなものとする」《中期的目標 : 2050年》、及び、3つの《短期目標 : 2020年》を定めた。3つの短期的目標のうち2つは、【COP10における、生物多様性条約の目的】の〔1〕〔2〕と同じだが、【生物多様性国家戦略2010】の〔3〕は‥「生態系 service の恩恵に対する理解を社会に浸透させ、〔1〕と〔2〕を、地球的規模から身近な市民生活の level 迄の様々な社会経済活動の中に組込み〔‥『生物多様性の主流化』‥〕、常態化させる」というもの。

【小生comment】
 【COP10】って、ちょっと難しく聞こえますが、簡単に言えば、こういうことだと思います。
〔1〕【COP10】とは、『生物多様性条約第10回目の同条約を批准した国々の国際会議』のこと。
〔2〕【COP10】を通じて、『これまで、地球上に存在する多様な生きものが互いに支え合って生きて来た〔‥これを【生物多様性】という‥〕が、人間が齎した‥
 ①生態系破壊、
 ②里地里山等への働きかけ懈怠による環境悪化、
 ③外来種持込による生態系撹乱、
 [02]生態系を撹乱する外来種11種
0211
 ④地球温暖化による絶滅 risk 上昇、
という4つの危機の顕在化によって、人類自身が「絶滅」の危機を招きつつあることを認識させる。
〔3〕以上を踏まえ、【COP10】参加諸国が、
 ①地球上の多様な生物の生息環境を保全し、
 ②生物資源を持続可能な方法で利用して、
 ③地球上の多様な生物から得られる生態系 service の恩恵を理解する社会をつくり、
①と②を、全人類が日常の社会経済活動や生活の中に取り込み、常態化させていき、持続可能〔sustainable〕な地球環境と社会経済活動を確立する。

[03]琵琶湖博物館
03
––––––––––––––––––––––––[04]ミヤタナゴ
04

 今回、【COP10】と『琵琶湖博物館視察会』の関係は何かと言えば、同博物館には、「絶滅危惧種の淡水魚」や、逆に「生態系撹乱の元凶となる外来種」もいて、色々勉強になりました。添付写真[04]は絶滅危惧種で天然記念物の「ミヤタナゴ」です。上手く写っていないので残念ですが‥。
 また、添付写真[05a]~[05g]は、琵琶湖博物館売店で手に入れた琵琶湖の風景写真です。7枚を一枚ずつ添付しました。四季折々、暮色等々の大変美しいものです。どうぞご覧下さい。

[05a]琵琶湖の風景『比良山残雪(近江八幡市佐波江)』
05a
––––––––––––––––––––––––[05b]琵琶湖の風景『早春の湖上(滋賀県尾上より竹生島を望む)』
05b
[05c]琵琶湖の風景『春爛漫(滋賀県海津大崎より竹生島を望む)』
05c
––––––––––––––––––––––––[05d]琵琶湖の風景『竹生島暮色(滋賀県湖北町)』
05d
[05e]琵琶湖の風景『夕もやの中に(滋賀県湖北町尾上)』
05e
––––––––––––––––––––––––[05f]琵琶湖の風景『夕色に染まる湖面に(滋賀県びわ町南浜)』
05f
[05g]琵琶湖の風景『秋色の湖畔(滋賀県西浅井町二本松)』
05g


■続いては、少し時間を遡って、09月25日(土)に名古屋市美術館に行って来ました。08月21日~10月31日まで、名古屋市内の数箇所で開催中の[あいちトリエンナーレ2010」という催し物です。
062010

 小生は、名古屋市美術館の常設展を見て来ました。この美術館は、洋画家では、キスリング(Kisling)、モディリアーニ(Modigliane)、スーティン(Soutine)等、日本の洋画家では、荻須高徳や三岸節子等の作品を中心に収集しているそうだ。今日はその中から以下の7点をご紹介させて頂きます。

〔07〕三岸節子『室内』1942年
071942

–––––––––––––––––––––––––〔08〕荻須高徳『Amsterdamの運河』1954年
08amsterdamcanal1954

〔09〕荻須高徳『洗濯場』1960年頃
091960

–––––––––––––––––––––––––〔10〕Amedeo Modigliani『おさげ髪の少女(Girl with pigtails)』1918年頃
10amedeo_modiglianigirl_with_pigtai

〔11〕Maurice Utrillo『ラパン・アジール(The Lapin Agile)』1913年
11maurice_utrillothe_lapin_agile191


[12]新谷弘実『20歳若返る力』
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■さて今日最後の話題は、最近読んだ、新谷弘実著『20歳若返る力』からご紹介します。氏の本は、従前2006年05月02日付《会報》【0027】等にてご紹介したことがあります。volume が嵩まない様に、結論だけ申し上げます。

【1 よい食事のための8つの rule】
〔1〕 酵素が豊富な生野菜や果物を食べる
〔2〕 よい水で水分補給をする(1.5~2ℓが目安)
〔3〕 肉類や牛乳・乳製品等の動物性食品の摂取を減らす
〔4〕 砂糖の入った菓子、ケーキ、パン等の摂取を減らす
〔5〕 主食を白米から玄米に切り替える
〔6〕 オメガ3系〔α-リノレン酸(ex. 亜麻仁油・シソ油・エゴマ油)〕を中心によい油を balance よくとる
〔7〕 調味料を食塩から天然塩に切り替える
〔8〕 質のいい supplement をとる(マルチビタミン・ミネラル・酵素等)

【2 よい生活を送るための6つの rule】
〔1〕 朝のファスティング(fasting = 断食)を毎日の習慣にする
〔2〕 腸のデトックスを(detox = 解毒)習慣にする
〔3〕 腸のマッサージ(massage)を実践する
〔4〕 ゆったりした呼吸法や walking を心がける
〔5〕 睡眠時間を確りとり、疲れをためない生活を心がける
〔6〕 自然に触れる機会を増やす

【後記】新谷弘実氏の suggestion は、すぐ納得できるものと、なかなか実行しにくいものがある。実行しにくものとしては、「朝の fasting (断食)」や「腸の detox (= cleaning)」がある。
 氏がいう前者は、「加熱したものをとらない」=「生の食品をとる」。一日のうちの三分の二、夕食を20時に終わったら、翌日の昼食時間の正午までの16時間、果物や生野菜等の生の食品だけで過ごすと、腸を休ませることができることになるという訳である。なぜ生の食品ならいいかというと、生の食品には「酵素」があり、その力を借りて消化するので腸を休ませることができる。一方、加熱した食品は「酵素」が死んでしまっているので、自分自身の体内酵素の力で食べ物を消化しなければならず、腸を休ませることができない。
 また、腸の detox も、実際にはコーヒーに常温の水を加えた液を大腸下部へ流し込む、即ち、浣腸をするというものである。腸の cleaning により腸相を良くするというものだ。小生、話は解るが、まだ実行に移す勇気はない。(笑)
 皆さんは、どう思われますでしょうか‥?

 では、また‥。(了)

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05【時習26回3-7の会】【2008年8月16日】《クラス会》於:ブラウンズ&トライ・アゲイン

  • Dsc_0217
    ■2008年8月16日【時習26回3-7の会】《クラス会》を豊橋市内にある『ブラウンズ(一次会)』と『トライアゲイン(二次会)』にて開催しました。T三先生をはじめ全国から15名が集い大変楽しい5時間を過ごしました。 ■名残惜しいなか、23時すぎ、来年の再会を誓って散会しました。

101【2007年6月2~3日】■「千手院」でお会いした皆さんへ←clickでalbumへ

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    ■朝護孫子寺にて撮影した写真のほとんとを追加しました。ご高覧下さい。 ■2007年6月2~3日、「賢人会」のmember谷山・中嶋両氏と大和七福神・八宝廻りをしました。 ■七福神の一つ毘沙門天を祭る「信貴山朝護孫子寺」の宿坊【千手院】で一泊。 ■そこで、ご一緒した皆さんとの楽しかったひとときをアルバムにしました・・。      * * * ■瀬尾君、浅田さんとそのお供達の皆さんへ、「感想をお聞かせ」頂ければ幸甚です。 ▼『【時習26回3-7の会】のブログ画面』の【左上欄外】の「メール送信」を左clickして頂くと、今泉宛のmail address ~ < si886@nifty.com > ~ が開きます。 どうぞ、ご気軽に感想をmailにてお知らせください。 ▲【2637の会】のURL・・・  → URL: http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog

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