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2011年1月の4件の記事

2011年1月30日 (日)

【時習26回3-7の会 0326】~「和田秀樹『「がまん」するから老化する』を読んで」「01月10日:松坂屋美術館『手塚雄二〔一瞬と永遠のはざまで〕』展を見て」

■今泉悟です。【2637の会】membersの皆さん、二週間ぶりのご無沙汰でしたが、お元気でお過ごしでしたでしょうか。
 さぁ、今日も【時習26回3-7の会 0326】をお送りします。
 先週一週間、誠に勝手乍ら《会報》をお休みさせて頂きました。
と申しますのは、配信を予定していました01月22日(土)と23日(日)の両日、21日(金)未明に他界した義父の通夜式と葬儀・告別式が重なってしまい、《会報》を書いている時間がなかったからです。義父の死因は、桑田佳祐や小澤征爾が罹患した「食道がん」。このがんは、自覚症状が出るのが遅く、症状が出た時はだいたい手遅れになることが少なくないとのことです。近しい人の「死」は、「〔 Man is mortal.〕という言葉が冷厳な真実なのだ」と訴え迫って来ます。前《会報》でご紹介させて頂いた大伴旅人の「生ける者(ひと) 遂にも死ぬる ものにあれば この世にある間は 楽しくをあらな〔【訳】生きている者はいずれは死ぬ。だから、せめてこの世にいる間は楽しくありたいものだ〕」という歌が正に実感として‥。
 【2637の会】も、いつかは終焉の時を迎えます。でもだからこそ、続けられる間はより元気に明るくこの会を盛り上げて参りたいと思います。
 皆さんから気軽に mail 等を頂戴できれば幸甚であります。引き続き宜しくお願い申し上げます。m(_ _)m

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 余談ですが、小生、義父の通夜式終了後、【2637の会】の会場であるトライアゲインにて、東三河と遠州在住の大学弓道部時代の同期等と「同窓会=新年会」に途中から参加しました。翌日が葬儀・告別式ですから、勿論、親族の了解を貰ってからですが‥。小生が企画・準備した「同窓会=新年会」なのですが、多忙な参加者等の日程調整が難しかった為、義父の「通夜式」と開始時間まで同じ時間になってしまいましたが、延期せずに決行しました。尚、【時習26回】からは、小生以外に旧【3-2】の飯田H祥君が参加してくれています。〔‥ということもあって、【2637の会】《会報》にも up させて頂きました‥〕小生は、添付写真にある様に黒 necktie こそ外しましたが、略礼服を着た儘で参加。そして「同窓会=新年会」終了後は、再び通夜式&葬儀・告別式会場へ戻り徹夜の対応をしました。自動車で移動しましたので、勿論 non-alcoholでした。
 あれから今日(01月29日)で一週間経ちましたが、もう若くないですね‥。今も徹夜の疲れがずっと残っています。(笑)


■さて今日は、掲題・副題にあります様に、最近読んだ本、和田秀樹著『「がまん」するから老化する』をご紹介させて頂きます。〔添付写真ご参照〕
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 我々は、まだ老け込む歳では決してないが、かと言って20代の若さはもう戻って来ないのも事実である。何をするにしても「健康」が第一である。
「健康」とは「病気でないこと」で事足ることでないことは当然である。「元気にそして、active に行動出来る」だけの体力がなくてはならない。
 今日ご紹介する本書は、anti-aging の How to 本として出色の内容だと思います。それでは早速ご紹介させて頂きます。

【第1章 老化とは何か】
◆身体の機能は、使い続けることで高い level を維持出来る。逆に、歳を取る程、使わないことによる衰えが酷くなる。
◆年齢と共に Alzheimer 型認知症は急増する。→ 80歳代半ば以降の人は、認知機能が正常だった人を含めて、脳を切って見た時、Alzheimer 性変性がない人は皆無である。つまり、〔変性が重度=Alzheimer〕&〔変性が軽度=正常老人に見える〕‥ただそれだけの違い。Alzheimer とは、病気というより「老化現象・老化の程度」であるとも考えられる。
◆動脈硬化も、ガンも老化病である。→ 解剖した時に80歳代後半で動脈硬化が起きていない人はこれまた皆無である。食事や運動等、生活習慣によって改善は出来るにしても、動脈硬化自体は老化現象。〔中略〕ガンも老化病と言える。これも〔中略〕高齢者の遺体を解剖すると、多くの人は何処かに小さなガンが見つかる。ガンが死因でない人も、ガンを抱えているのだ。
 先述した様に、私達の身体の中では細胞分裂が一生涯ずっと続いている。特に子供から成人になるまで、ほぼ綺麗に細胞を copy して成長する。〔中略〕(ところが、)年齢を重ねる程、copy に miss が出易くなる。〔中略〕
「異物=DNA情報が違うものは免疫細胞が殺す」という仕組みがあるから、通常、miss copy された細胞は処理されている。この免疫機能は歳を取る程衰えて来るのだが、逆に出来損いの copy は歳と共に増えるのだ。
 出来損いの細胞が勝手に増えてしまうのがガンだから、歳を取る程多くなるのも道理である。〔中略〕高齢者の大多数は小さなガンを抱えているのに、気がついていないだけなのだ。
 日本人の死因の Top はガンである。三人に一人がガンで死ぬ程の「ガン大国」だが、そうなった大きな要因は長寿化だ。年齢を重ねる程ガンを抱えている人が増えるのだから、ガンによって死ぬ人は当然増えることになる。
◆怖いのは心の老化、感情の老化 →〔前略〕体力の要素は年齢ではなく、動かなくなること=活動量が下がることで衰える。脳も使っていないと衰える。その裏返しで積極的に身体を動かして、頭を使い続けようという心の若い人は、最終的には老化が起きにくいのだ。だからこそ「感情の老化予防」が必要なのである。〔中略〕
 人間の老化は体力や知力よりも、まず感情から始まると言ってよい。なぜ「感情が老化する」のかと言えば、大きく「三つの原因が存在」している。
【一つ目】が、脳の中で前頭葉という部位が縮むこと‥前頭葉は意欲や好奇心に関わっている部分なので、歳を取って委縮すると意欲が失われていく。所謂「枯れた」老人になるのだ。
【二つ目】が、動脈硬化 ‥〔中略〕進行すると「自発性」が低下する。〔後略〕
【三つ目】が、所謂セロトニン( serotonin )等の脳内の神経伝達物質が加齢と共に減って来ること ‥ Serotonin の減少によって、「うつ」になり易くなるし、意欲が低下する。〔後略〕
◆外見と老化の意味 →〔前略〕外見の若返りは、心を若返らせる簡単な方法だ。〔後略〕

【第2章 メタボのウソ】
〔省略〕

【第3章 クロード・ショ―シャ博士の anti-aging method】
◆身体を若返らせることで slim な身体に →〔前略〕「食べても太らなかった時代の身体」に戻すこと。〔後略〕

【第4章 心の若返りの意味】
◆人は感情から老化する → 血管の老化である「動脈硬化」は、早い人は40歳代から始まっている。〔中略〕
 現実に30代・40代からうつ病が増加して「何もやる気が起きない」と苦しむ人が目に見えて多くなる。〔中略〕様々なことにガツガツしなくなる「まあ、いいや症候群」が現れ易くなる。〔中略〕「同 症候群」で頭を使っていないと、脳も衰弱していくのである。「まあ、いいや」的な消極的生活によって感情が老化すると、追いかける様に身体や脳、生殖器等の老化を進めてしまう。
 感情の老化は、一番最初の段階で食い止めなければいけない防波堤なのである。〔後略〕
◆感情の老化予防の為の三大要因
〔1〕前頭葉老化 → 前頭葉の委縮により神経細胞が減少し、感情の老化を齎す。
〔2〕動脈硬化 → 自発性の低下や、泣き出すと止まらなくなる「感情失禁」が起こり易くなる。
〔3〕セロトニン(神経伝達物質)の減少 → 加齢により減少する。他の神経伝達物質のドーパミン(dopamine 喜びや快楽)や、ノルアドレナリン(nor-adrenaline 恐れ、驚き)等の情報を control して、神経を安定させるのが serotonin である。〔中略〕
 Serotonin の原料は、肉類に含まれるトリプトファン( tryptophan )というアミノ酸( amino acid )だ。この点でも、「粗食が健康にいい」というのは迷信で、中高年こそ肉類を食べたほうがよい。

【第5章 ガマンは老化の元】
 〔省略〕

【第6章 日本人はなぜ若返ったのか?】
◆食生活の欧米化は本当にいけないのか →〔前略〕魚に加えて肉を確り食べる様になって、日本人の皮膚も若返った。同様に血管も若返っている。昭和40年代まで日本人の死因 Top は脳卒中だった。これは肉を殆ど摂っていなかった為に、蛋白質不足だったことが大きい。〔中略〕蛋白質が不足している人の血管は脆いのだ。〔後略〕
◆理想的な日本人の食生活 →〔前略〕日本人の平均寿命が延びた過程は、肉を食べる量が増えて行った過程と確実に重なる。食卓に肉が増えていく process において、植物性蛋白質や魚を減らす訳でもなかったから、期せずして世界でも稀に見る balance のいい食卓を実現したのである。〔中略〕現在の balance を維持する限り、食生活の欧米化は merit が大きかったことになる。〔後略〕

【小生comment】
 和田氏の話で印象に残ったところを要約すると以下通りである。
日本人の戦後の食生活は、従来の魚と野菜中心に、肉を加え、balance のとれた理想的なものとなり世界一の長寿国を現出した。
 だから、「粗食がいい」と言って、肉を食べないことはよくないし、摂取カロリーも現在はむしろ多くないので闇雲に diet するべきでない。
 老化は、まず「感情の老化」から始まる。だから、外見からも若返りを図るべき。何にでも前向きに生きることが大切。
「あれもダメ、これもガマン」ということが却って老化を進めてしまう。だから、やたらにガマンするものではないのである。
和田氏が、本書の「まえがき」で次の様に述べている。

 膨大な数の高齢者と接するに当たって、高齢者というのは、非常に個人差が大きいことを痛感する。〔中略〕
 私〔和田〕自身も昨年(平成22年)で50歳〔【小生注】和田氏は1960年生まれ。東京大学医学部卒。現・国際医療福祉大学大学院教授〕になったこともあって、自分自身も、あまり老けこんだ高齢者になりたくないという気持ちがどんどん強まって来た。
 そういうこともあって、どういう人の老化が激しく、どういう人の老化が目立たないのかという分析を行ったり、様々な文献を読む機会が増えて来た。〔中略〕
 結論から言うと、今の多くの医者が推奨している、「予防医学的、節制的健康法は老化を逆に進めてしまう」というのが私の信念になったし、またそれを裏付ける様な統計数値も数多く存在することを知った。〔中略〕メタボ検診〔中略〕にしても、〔中略〕太めの人のほうが、痩せ型より6~8年も長生きすることが明らかになっている。これは太めの人のほうが、免疫機能が高かったり、うつ病になりにくかったりするためだと想定されている。〔中略〕
Key word は、「我慢や diet は老化を却って進めてしまう」ということだ。〔中略〕
 必要な栄養を摂らないと却って老化が進む。〔中略〕(従って)身体を酸化させない食生活〔中略〕(等により)食べても太らない頃に身体を若返らせるほうが、遥かに老化予防に役立つし健康にいいとされる。〔中略〕
 現時点での老化予防、anti-aging に纏わる私の考えや具体策を提示したいと思ったのが本書である。
 これ等の仮説や考え方が全部正しいかどうかは、将来にならないと分からないことも多い、〔中略〕しかし、折角ある程度分かっていることを実践しないのも恐らく損な話である。特に私の様な50を過ぎた人間にとっては、正解を待っていたら手遅れになりかねない。
 これが正しいかどうかはともかくとして、私自身は信じているし、実践もしている。そして、多くの人に私の実年齢をを話すと驚かれるのも事実である。〔後略〕


■今日、二つ目の話題は、01月10日名古屋の松坂屋美術館にて開催されていた『手塚雄二〔一瞬と永遠のはざまで〕』展を見て来ましたのでご紹介させて頂きます。
 手塚雄二氏の略歴を以下に記します。
[手塚雄二]
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〔略歴〕
1953(昭和28)年 02月 04日神奈川県鎌倉市の友禅染の絵付師・手塚隆雄、美恵子の次男として生まれる。
1976(昭和51)年 04月 東京藝術大学美術学部絵画科日本画専攻入学。
1980(昭和55)年 03月 同大学卒業。04月同大学大学院美術研究科入学。
1982(昭和57)年 03月 同大学院修士課程修了。同大学日本画専攻非常勤助手。
1986(昭和61)年 09月 院展に《泉》出品、初の奨励賞受賞。以後、奨励賞受賞常連に。
1992(平成04)年 04月 同大学同科講師。
1995(平成07)年 04月 同大学同科助教授。
2000(平成12)年 09月 院展に《風神雷神》を出品、内閣総理大臣賞受賞。
2004(平成16)年 01月 同大学教授就任。

 以下に展覧会への出品作品の幾つかをご紹介します。
 小生には、彼の作風は‥と論ずる程の力量がない為、実際に添付写真の絵を見て感じてみて下さい。
 強いて言えば、かつて《会報》【0227】号にてご紹介した、東京藝術大学の先輩、田渕俊夫氏に少し似ているカナ‥。
 ↓↓↓
 http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/26-022720093-40.html

[01]手塚雄二『気』1984年
011984

––––––––––––––––––––––––[02]『朝霧』2008年
022008

[03]『雨明(あめあける)』2010年
032010

––––––––––––––––––––––––[04]『嶺(れい)』1990年
041990

[05]『裏窓』1992年
051992

––––––––––––––––––––––––[06]『閑(かん)』1985年
061985

[07]『弥生残月』2001年
072001

––––––––––––––––––––––––[08]『静刻』1986年
081986

[09]『炫(げん)』1988年
091988

––––––––––––––––––––––––[10]『こもれびの坂』1996年
101996

[11]『風宴(かぜうたげ)』2004年
112004

––––––––––––––––––––––––[12]『華』2005年
122005

[13]『きらめきの森』2005年
132005

––––––––––––––––––––––––[14]『春』2007年
142007

[15]『こかげみち』2009年
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【後記】今日のお別れは、これまでの《会報》でご紹介して来ました一連の萬葉集の傑作から一首お届けします。
 年の移ろいは本当に早い。今週金曜日の02月04日は、もう「立春」ですネ。
「早春」を詠う萬葉集の代表的な歌の一つで、皆さんもいつか何処かで聞いたことがある大変有名な歌をご紹介します。

 萬葉集巻第八 春の雑歌(ざんか)

   志貴皇子(しきのみこ)の懽(よろこ)びの御(み)歌一首

 石ばしる垂水の上のさ蕨(わらび)の 萌え出づる春になりにけるかも 志貴皇子

【原文】石激 垂見之上乃 左和良妣乃 毛要出春尓 成来鴨

【訳】岩の上を迸(ほとばし)り流れる 垂水〔=滝〕の畔の早蕨〔芽を出したばかりの蕨〕が萌え出る春に なったことだ。

【解説】春の到来を祝った宴席での歌。大変視覚的で鮮やかな作品。とても rhythmical でもある。全く古さを感じさせない萬葉集屈指の傑作と言ってよい。水量が増した滝の水が岩を迸って流れていく‥。と、そこに芽を出したばかりの蕨があり、早春の到来を告げている。そういう清々しい風景が読者の眼前に浮かんで来る。
 志貴皇子〔?-716年没〕は、天智天皇の第7皇子。優れた歌人として知られており、萬葉集に6首収められている。湯原王、白壁王〔のちの光仁天皇=桓武天皇の父〕の父。770(宝亀元)年光仁天皇が即位すると、御春日宮天皇〔かすがのみやにおおましましし すめらみこと〕と追尊された。田原天皇〔たはらてんのう〕とも称された。以上余談まで。

 では、また‥。(了)

2011年1月16日 (日)

【時習26回3-7の会 0325】~「山中伸弥&畑中正一『ひろがる人類の夢 iPS 細胞ができた! 夢の万能細胞を語る!』を読んで」「01月09日:一宮市三岸節子記念美術館『三岸節子 光と風景-ヨーロッパの輝く景色-』展を見て」

■今泉悟です。皆さん、今日の《会報》【0325】号もまず萬葉集の作品を三首ご紹介して始めたいと思います。

 あ、そうそう‥。
 その前に、前《会報》にてご紹介させて頂いた我等が【2637の会】members の年賀状・mail 関連で、その後の一週間に、牧原(金子)M○子さんから、返信の年賀状が届きました。「いつも、連絡、ありがとうございます」との comment を添えて‥。
 牧原(金子)さん、賀状を有難うございます。引き続き応援お願いします。これで全部で24名の皆さんから年賀状& mail を頂戴致しました。皆さんのご協力に心よりお礼申し上げます。

 さてさて、話は戻りまして、萬葉集の作品三首についてです。
 これ等の作品の作者はいずれも大伴旅人です。
 大伴旅人は、《会報》前々号にてご紹介した萬葉集編者である大伴家持の父。
 大伴氏は、大化の改新のずっと以前から、蘇我氏・物部氏等と覇権を争った大連(おおむらじ)の大豪族であった。ところが、天武天皇の御代に、「八色(やくさ)の姓(かばね)」制度〔684(天武13)年10月制定〕が導入された際、[1]真人、[2]朝臣の次の rank である[3]宿禰(すくね)に大伴氏は留め置かれたのである。その理由は明らかではない。壬申の乱でも大伴旅人の父、安麻呂は大海人皇子側の重臣として勲功もあったとされるのだが‥。
 まずは、歌を読んでみて下さい。

〔1〕 世の中は 空しきものと 知る時し いよよますます かなしかりけり
〔2〕 この世にし 楽しくあらば 来(こ)む世には 虫に鳥にも 我はなりなむ
〔3〕 生ける者(ひと) 遂にも死ぬる ものにあれば この世にある間(ま)は 楽しくをあらな

【原文】
〔1〕余能奈可波 牟奈之伎母乃等 志流等伎子 伊與余麻須萬須 加奈之可利家理
〔2〕今代尓之 楽有者 来生者 虫尓鳥尓毛 吾羽成奈武
〔3〕生者 遂毛死 物尓有者 今生在間者 楽乎有名

【訳】
〔1〕 世の中が空しいものだと知ると、いよいよ益々悲しくなることだ。
〔2〕 この世さえ楽しくあるのなら、来世は虫にも鳥にも私はなってもかまわない。
〔3〕 生きている者はいずれは死ぬ。だから、せめてこの世にいる間は楽しくありたいものだ。

【出典】
〔1〕萬葉集 五巻793
〔2〕同上 三巻348
〔3〕同上 三巻349

【小生comment】
 大伴旅人が歌で詠んでいる「酒と人生観」は、1300年近く時代を下った現代日本でも十分共感が持てますね。街中の居酒屋で一盃やりながら、最近の閉塞感に苛まれている日本を「酒でも飲まなきゃあ、やってられないよなぁ!」などと憂いている我々と、少しも変わらない。「日本人としてのDNAは、奈良時代の昔から21世紀の現代へと脈々と引き継がれて来たのであろう」と、変に納得してしまった次第である。(笑)

[山中伸弥・畑中正一「iPS細胞ができた!」]
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–––––––––––––––––––––––[山中伸弥教授]
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■さて、今日続いての話題は、昨年暮れから年初にかけて、元気の出る記事と本を読んでみようと探していたところ、ちょっと前になるが2008年05月に上梓された本、「山中伸弥・畑中正一対談集『ひろがる人類の夢~iPS細胞ができた!~夢の万能細胞を語る!』」という本を見つけた。
 山中伸弥教授は、今、最もノーベル(医学)賞に近い人と世界中が注目している人物である。
 ということで、多くの皆さんが既にご存知のことと思いますが、「元気の出る(?!)」内容ですので、皆さんにご紹介したいと思います。
 この対談集で、山中教授の相手をされた畑中正一名誉教授の comment が「あとがき」で簡潔に纏められていますので、その essence をご紹介させて頂きます。

 昨(2007)年11月20日、米国の科学誌『セル』の電子版で、京都大学・山中伸弥教授の team が、ヒトの皮膚から iPS細胞(= induced pluripotent stem cell : 人工多能性幹細胞)の作製に成功した、と発表されました。その big news は世界を駆け巡り、日本では翌11月21日、全国紙の一面 top を飾りました。
 私は、本当に驚かされました。細胞の初期化、つまり成長した細胞が初期の細胞に「戻る」というのです。ヒトでも、細胞の成長の時計を逆回転させ、受精卵の未分化な状態に「戻せた」のです。植物や下等動物では一部あったのですが、霊長類では「ありえない」と一般的には考えられていたのです。
 自分自身の細胞を使って、病気になった組織を治したり、将来的には臓器を作り出すことも可能になるという、「人類の夢」に大きく一歩を踏み出したのです。
 ヒトの皮膚細胞から様々な細胞になれる様に、遺伝子ウィルス( virus )を運ばせて作った細胞が、「万能細胞」の一つであるiPS細胞であります。
 今迄にある「万能細胞」といいますと、受精卵を壊して作るES細胞(= embryonic stem cell : 胚性幹細胞 ← ES細胞は受精卵を壊して利用する為、倫理的な問題が指摘されている。また拒絶反応が起きるという問題点もある)があります。これと非常によく似た万能性を有している細胞として mouse で成功され、山中教授は人工多能性幹細胞=iPS細胞と名付けられました。〔中略〕
 こうしたお仕事が更に発展するには、①安全性、②遺伝子を挿入する効率の問題、③医療に実用化させる為の大量生産化、等、克服しなければならない沢山の課題があります。これ等の課題が解決されていきますと、所謂「再生医療」がどんどん広がっていくと思います。〔後略〕

 畑中名誉教授は、この様に山中教授の偉業について解説されています。爾来、日本の報道各社も、山中教授の研究動向自体だけでなく、日本を代表する識者として日本の将来はどうあるべきか、等について山中氏に折に触れて訊いています。
 昨年末12月29日の日経新聞朝刊では、「2011年 日本と世界〔上〕~人づくりへ総力結集を」と題して、山中教授に interview している。

〔米国に1勝10敗〕
【質問】日本の実力をどう評価しますか?
【山中】iPS細胞の研究で日本は米国に『1勝10敗』の状態が続いている。予算、研究者数、論文数のいずれも米国の10分の1程度だ。この状況は今後も変わらないだろう。綱引きを1人対10人でやったら10人が勝つのは当たり前。それなら国を挙げて綱そのものを作り、日本なしには綱引きができない様にしようと考えている。iPS細胞を作る基盤技術や安全性等、一番大切なところを押さえる。中国・韓国も頑張って研究している。〔中略〕この儘では日本は Asia の中での地位も維持できなくなる。
【質問】力を高めるためには何が必要ですか?
【山中】課題は人だ。大学は研究者と事務の定員枠があるが、それだけでは駄目。知的財産や広報の専門家、高度な技術をの持つ研究支援者が多数必要だ。現実は post がなく非常勤でしか雇えない。京大iPS細胞研究所の教員百数十人中、100人近くは非常勤職員だ。日本全体で必要な人材を揃える必要がある。〔中略〕
〔日本に自信持て〕
【質問】若手研究者も育ちにくい様です。
【山中】日本は理科離れで研究者になる人が減っている。大学院で学位をとっても2~3年の短い任期の職しかない。研究者が自分の行く末ばかりを心配する様になった。Innovation の為には頭を出来るだけ真っ白にして考えに耽るのも必要だが余裕を持てない。海外に出る人が減っているのも心配。僕等が留学していた20年前に比べ、今は外国でなければできない研究は殆どない。ただ研究の中心地である米国などに行き、人の繋がりをつくったり(研究の) system を学んだりすることは大切。日本に職がなく戻れない不安も大きいのだろうが、絶対に行く必要がある。
【質問】日本は元気を取り戻せますか?
【山中】日本人の良さは努力すること。よく働き、手を動かしてコツコツ取り組む。互いを思い遣る気持ちが凄く強い。米国で色々な国の人と接し、それを強く感じる様になった。今、みんなが自信を失いかけているのが一番怖い。学校でも日本の素晴らしさをあまり教えていない様だ。政治の場でも、強い leader が素晴らしさを appeal することが大切だ。科学技術も日本の将来を支える大切なものの一つ。研究者がいい研究をしなければ駄目なのは勿論だが、一般の人に分かる言葉で説明する努力も非常に大切だ。それによって社会的な地位も上がり、若い人が研究者を目指す機会も増えていくと思う。〔了〕
【小生comment】
 山中教授の略歴は次の通り。
 1962年生まれ。
 1987年神戸大医学部卒。
 1993年大阪市立大学大学院医学研究科修了。
 米グラッドストーン研究所博士研究員等を経て
 2004年京都大学教授〔現任〕。大阪府出身。

 畑中氏が、紹介してくれた様な偉業を山中氏は成し遂げた。日本人の知力は世界に十分通用する水準にあるのだと、もっと自信をもっていい。
 ただ、日本が経済成長を遂げ、豊かになるに従って冒険心や hungry 精神が衰え、逆に既得権益を保守しようと護り中心になって行った。
 中国や韓国が、今、日本より頑張っている背景には、両国共に日本以上に厳しい競争社会がある。中国は日本の10倍以上の人口を抱え、つまり上澄みの1割でも1億3千万人と日本の全人口より多い。この様に人口の多い国では他人との競争で勝ち残って行かざるを得ないのであろう。韓国はと言えば、Asia 通貨危機以降、サムスンやLG、現代自動車等の大企業は世界に通用する大企業になったが、日本と違い、日本の様に幾重にも重なった企業群が少なく、中堅中小企業の産業基盤に厚みがない。だから韓国の労働者は、数少ない大企業に就職出来ない人達の多くは若者を中心に海外に打って出て働かざるを得ない。
 換言すれば、これまでの日本は、中国・韓国に比べ労働環境が遥かに恵まれていたのである。500兆円のGDPを生産できる産業基盤が日本にはあったのである。

■【後記】今日のお別れは、小生先週01月09日、愚息〔長男〕が今年09月に結婚することになり、fiancee 宅に息子と一緒に挨拶に行って来た帰り道、同市内にある、一宮市三岸節子記念美術館で開催中であった「三岸節子 光と風景―ヨーロッパの輝く景色―」展を見て来ましたので、その一部をご紹介します。
 三岸(みぎし)節子の略歴は次の通り。
 1905(明治38)年 01月03日愛知県中島郡小信中島村((旧・尾西市)現・一宮市)に吉田永三郎・きく、の第6子(四女)として生まれる。本名「節(せつ)」。
 1921(大正10)年 上京。岡田三郎助が開いた本郷洋画研究所と女子研究所に通う。
 1922(大正11)年 女子美術学校2年に編入学。
 1924(大正13)年 女子美術学校を首席で卒業。同年、画家三岸好太郎と結婚。
 1934(昭和09)年 好太郎、胃潰瘍で急逝。
 1999(平成11)年 04月18日急性循環不全の為逝去。享年94歳。

 [00]三岸節子1985年ヴェロンにて
 001985

 ––––––––––––––––––––––––[00a]三岸節子 光と風景―ヨーロッパの輝く景色― 展
00a
 
 [00b]三岸節子記念美術館20110109
 00b20110109
 
 ––––––––––––––––––––––––[01]三岸節子『自画像』1925年
 011925
 
 [19]三岸節子『カ―ニュ風景』1969年
 191969
 
 ––––––––––––––––––––––––[22]三岸節子『朝が来た(ヴェネチア)』1971年
 221971

 [23]三岸節子『霧』1973年
 231973
 
 ––––––––––––––––––––––––[24]三岸節子『小運河の家(Ⅰ)』1972年
 241972

 [25]三岸節子『細い運河』1974年
 251974

 ––––––––––––––––––––––––[27]三岸節子『スペインの白い町』1972年
 271972

 [28]三岸節子『ブルゴーニュの麦畑』1978年
 281978

 ––––––––––––––––––––––––[29]三岸節子『ブルゴーニュのブドー畑』1979年
 291979

 [34]三岸節子『アンダルシアの町』1987年
 341987

 ––––––––––––––––––––––––[40]三岸節子『花』1989年
 401989


【小生comment】
 三岸節子の作風は、大胆にデフォルメ( deformer )された対象物である風景や静物が、彼女の優れた色彩感覚と構図の balance 感覚によって、canvas いっぱいに踊っている様に活写されている。彼女の絵は、色彩も構図も微妙な balance を保っていて、これが観る者を捉えて離さないのだと思う。小生が彼女の真似をしたら、多分、デフォルメとは「破綻」を意味し、〔‥要するにグチャグチャになって‥〕絵の体をなさないであろうことは想像に難くない。(笑)
 今回、「一宮市三岸節子記念美術館」へは初めての訪問であったが、期待以上に素晴らしい作品群を見ることが出来、大変満足であった。彼女は、日本人の本格的な女流西洋画家と言っても過言ではあるまい。
 そう言えば、名古屋市美術館も三岸節子の作品を蒐集していると聞く。これからも彼女の作品をもっと見たくなった。

 では、また‥。(了)

2011年1月 8日 (土)

【時習26回3-7の会 0324】~「【2637の会】members 皆さんからの年賀状等のお便りのご紹介」「萬葉集から〔巻一、45-49〕&梅原猛『水底の歌〔柿本人麿論〕』」「榊原康彦『天武天皇の秘密と持統天皇の陰謀』を読んで」

 東(ひむがし)の 野にかぎろひの立つ見えて かへり見すれば月傾きぬ


【原文】
    東 野炎 立所見而 反見為者 月西渡

               柿本人麻呂 萬葉集 一巻48

■今泉悟です。皆さん、元旦からもう一週間が経ちました。ホント、恐ろしい位に早い勢いで毎日が過ぎ去って行きますね。(長嘆息)
 今日《会報》【0324】号の巻頭にてご紹介させて頂いた柿本人麿の歌も、萬葉集の中では屈指の名歌であると思います。

 先ずこのお話に入る前に、掲題・副題にあります様に、「【2637の会】members 皆さんからの年賀状等のお便りのご紹介」をさせて頂き度思います。
 皆さんのご協力により、今年の年賀に関しては、classmates の過半数に相当する23名の方々から mail やお葉書を頂戴しております。
 年賀状・e-mail 等を出状・配信して下さった皆様、ご協力どうも有難う!
 それでは、23名の方々を順次ご紹介させて頂きます。〔添付写真[01]ご参照〕
[00]【2637の会】members の皆さんから頂戴した年賀状等 2010秋~2011年年賀状
002637members_20102011blog

 昨年中にお母様を亡くされた、内藤君と渡辺さんからは昨年晩秋に喪中葉書を頂戴しております。慎んでお悔やみ申し上げます。〔合掌〕
 一方、年賀状につきましては、五十音順に、石田君、市川君、伊東君、伊庭さん、金子(T)君、河合君、小久保君、菰田君、下浦(原田)さん、千賀君、田中君、中村君、二橋君、林(K)さん、原田君、彦坂君、牧野君、峯田君、山田君、山中さん、から頂戴致しました。
 そして、年賀 mail については、正月元旦未明に、鈴木(雄)君から頂戴致しました。
 そこで今日は、Y次君からの mail 文をご紹介させて頂きます。〔Y次君掲載ご了解済(為念)〕

Sent: Saturday, January 01, 2011 12:24 AM
To: 今泉悟
Subject: 謹賀新年

今泉様
 あけましておめでとうございます。
 昨年は会報の配信、クラス会のお誘いありがとう御座いました。
 敷居の高かったクラス会に参加でき大変うれしく思っています。
 今後はバリアフリー状態で参加できると思います。
 またメールでいただいた私の印象(福耳、仏様の様な姿)ありがとう。
 見かけに負けないよう精進いたします。
 ご健康とご多幸をお祈り申し上げます。
 本年もよろしくお願いします。
                 鈴木Y次

【小生 comment】
Y次君へ
 年賀 mail 有難う!
 【2637の会】《クラス会》は、barrier-free でいつもお待ちしています。今年も楽しい《クラス会》をご一緒に過ごしましょう!

【2637の会】members の皆さんへ
 一月元旦早朝、前回の《会報》を配信した直後、読んだ新聞の朝刊に、大女優の高峰秀子さんの訃報(享年86歳)が載っていました。
 前号の《会報》でも述べましたが、いみじくも残された人生が有限であることを実感しました。
 限られた人生を有意義なものにして行く為にも、【2637の会】という一つの Identity を大切に護って行きたいと決意を新たにしました。

 今年も、08月と11月の2回、《クラス会》開催を予定していますので、出来れば両方共、ないしはどちらか一方に是非ご参加頂ければ幸甚です。
 2010年は、犬飼(石田)さんと鈴木(Y)君が2006年から始めたこの《クラス会》に初めて参加して下さり大変感動しました。
 「今年は、何方が初参加してくれるかな?」‥と期待して幹事を務めて参りたいと思います。
 こういう嬉しい話題が豊富な《会報》を書いていると、自然にワクワクした大変爽快な気分になります。
 万年幹事をやっていて本当に良かったと実感できる「ひととき」です。
 今年も引き続き皆様のご協力を何卒賜ります様宜しくお願い申し上げます。m(_ _)m

■さて、話題は戻りまして、今日の《会報》巻頭にてご紹介させて頂いた柿本人麿についてです。
 最近、小生、「萬葉集と壬申の乱を中心にした天智・天武朝の時代」の歴史に興味を持って色々読み出しています。〔添付写真[01][02]ご参照〕
〔01〕萬葉集から
01

[02]榊原康彦『天武天皇の秘密と持統天皇の陰謀』&梅原猛『水底の歌〔柿本人麻呂論〕』
02

 萬葉集の歌人については、小生、今、柿本人麿に一番関心を寄せています。

 巻頭にてご紹介させて頂いた歌は、国学者、賀茂真淵の和訓したもので今に伝えられているものです。が、彼が訓する前までは、以下の様に読まれていました。
 原文の「月西渡」を「月かたむきぬ」と詠むより「月西に渡る」の方がずっと原文に忠実で且つ自然であると、小生は思います。

 あづま野に 煙の立てる所見て 反(かへ)り見(み)為者(すれば) 月西に渡る

【意】東方の 野に陽炎の 立つのが見えて 振り返ってみると 月は西に傾いている


 この「東の(ひむがしの)‥」或いは「あづま野に‥」の歌は、人麿が歌った1つの長歌[45]の後に詠まれた4つの反歌[46-49]のうちの三番目[48]の歌である。
 これ等の長歌と反歌の全てをご紹介したいところだが、説明が長文となってしまうので概略を以下に記すことにします。

 【概略】草壁皇子(662-689年)〔天武天皇(631(?=生年不明)-686年(40代:在位673-686))と持統天皇(645-702年(41代:在位690.02-697年))の長子で文武天皇(=軽(かる)皇子)(683-707年(42代:在位697-707年))の父〕が薨去され、軽皇子と呼ばれた時代(即ち689年~697年間)の文武天皇が、冬の阿騎野〔現・宇陀市阿騎野神社周辺〕の荒野にやって来た。この地は、昔、軽皇子の父君草壁皇子が馬に乗って狩りによくおいでになった所で、大変懐かしく思われることだ。

 柿本人麿は、草壁皇子薨去の年(689年)から700年までの十年余りは、萬葉集の歌から彼の生存が確認出来ている。「人麿の死」については、梅原猛氏の著『水底の歌』で次の様に考察している。

 大宝元(701)年が彼(=柿本人麿)の人生における運命の急変の時とすれば、もう一度運命の急変が和銅の初め、奈良遷都の直前に起きる。〔中略〕和銅元(708)年とすると、『続日本紀』に「柿本人佐留卒(しゅつ)す(=死ぬ)」とあるが、佐留(さる)は〔中略〕人麿その人と考えられなくもないと私は思う。〔中略〕(そして、)この二つの年はいずれも政治的にも大変革の年であった。
 大宝元年、それは『大宝律令』成立の年。〔中略〕聖徳太子によって始められた律令国家の建設が完了したのである。その中心に藤原不比等がいて、皇位の行方に不安な、太上天皇・持統の心を確り握っていた。言ってみれば大宝元年は藤原政権が成立した時と言えるのである。
 そして和銅元年、それは文武天皇が死に、その母・元明天皇が即位した時であった。持統太上天皇の死以後、ひ弱な息子・文武の背後にその母・元明があり、元明が政治の実権を握っていたらしいが、この元明は藤原不比等と深い関係を持っていた様に思われる。文武天皇の死後の元明の即位は、当然、不比等の権力を一層強化することになる。和銅元年、不比等は右大臣になり、その時大幅な人事異動がある。藤原不比等の専制体制の確立であった。〔中略〕この様に考えると、人麿にとって運命の下降の転回点が、丁度不比等にとって運命上昇の転回点となっている。〔後略〕

 梅原猛氏は同書で、上記考察に続いて、小生が今日巻頭にてご紹介した人麿の歌を含む長歌・反歌5首について、次の様に引用して言っている。

 (人麿が)藤原氏と、よくない関係にあったことを示すものであろう。注意すべきことに、この藤原不比等と君臣一体となって政治を執った元明女帝を讃える歌が人麿には一首もなく、またその子文武帝の阿騎野の猟に扈従(こじゅう=こしょう(=貴人に付き従うこと))した歌(巻一、45-49)があるが、その中でも彼は軽皇子(=文武)よりむしろその死んだ父、草壁皇子をしきりに思い出して讃えているのはどういう訳であろうか。恐らく、専制体制の下にあっての一種の抵抗だったのであろう。〔後略〕

■さて、今日最後にご紹介するのは「榊原康彦『天武天皇の秘密と持統天皇の陰謀』」についてである。
 この本は、5年近く前、当時の勤務地の田原の書店で購入したものである。小生、この正月に「柿本人麿関連と萬葉集」「大化の改新〔乙巳(いつし)の変〕から壬申の乱」の歴史に興味を持ち読み出した書籍の中の一冊である。この生年不明で天智天皇の弟ではないという説が根強い天武天皇の秘密と、持統太上天皇の三河行幸についての話である。
 推量が中心の信憑性に乏しい歴史小説とは違い、著者の榊原氏は、「東三河の神社約30社を実際に巡り、その神社の祭神や由緒を掲載する様に努めた」と言っているだけあってなかなかの力作だと思う。昔から三河に伝わる「徐福伝説」や「大和朝廷成立時代から連綿と続いていた朝鮮半島〔高句麗・新羅・百済〕からの日本への渡来人達の足跡」、更には、「壬申の乱を中心に『日本書紀』が書かれている持統天皇の代までの古代の三河史」について大変興味深く読ませて頂いた。
 因みに、著者の榊原康彦氏は、「あとがき」でご自身が述べられている様に我等が時習館高校第13回卒の先輩である。

 それでは、『天武天皇の秘密と持統天皇の陰謀』の中身をザックリとご紹介させて頂きます。ご高覧下さい。

【第1章 古人大皇子(ふるひとのおおえのみこ)(623?-645)】
 古人大皇子は、舒明天皇の第一皇子であり、同天皇の皇后であった皇極天皇の皇位継承権第一位と自他共に認めていた皇子である。
 『日本書紀』巻24皇極天皇条は、次の様に伝えている。
 皇極02(643)年11月 蘇我入鹿は、古人大皇子を擁立。山背大兄王を襲う。
 皇極04(645)年06月 古人大皇子は、大極殿に侍し、中大兄皇子・中臣鎌子等の蘇我入鹿殺害を目撃し、「韓人が、鞍作臣(くらつくりおみ=蘇我入鹿)を殺した。我も心痛む](乙巳(いつし)の変)と。
 出家することにより皇極帝よりの譲位を辞退、吉野に入る。
 〔更に榊原氏は言う〕。「乙巳の変」は、皇位継承権で後れをとる中大兄皇子の coup d'Etat であったと思われる。これについては、中大兄皇子の母である皇極天皇が認知していたとの見方もある。
 『日本書紀』は古人大皇子が「殺された」という記述はせず、〔中略〕殺害の断定は避けている。
 〔小生は、古人大皇子が「吉野」に逃れことに注目した。大海人皇子も天智天皇から自分の後を継いでくれとの依頼があった時、その依頼を辞し出家し、「『吉野』へ入る」とあるが、そこの所が凄く気になる。大海人皇子が壬申の乱の直前に逃れた所がいみじくも『吉野』なのである。そして、古人大皇子が生きていたと榊原氏は言う。〕
 天智07年02月、古人大皇子の娘・倭姫王(やまとひめのおおきみ)が天智天皇の皇后になっており、03月の(古人大皇子の)薨去は、古人大皇子の安全宣言と解釈することも出来よう。〔と言っている〕。

【第2章 渡来人】
〔榊原氏は、第2章で、日本と渡来人について次の様に述べている〕。
 三河には渥美郡に幡太郷(はたごう)があるが、これ等は秦(はた)人の居た郷だという。三河渥美郡には幡太(はた)・和太(わた)の両郷がある。幡太は今の豊橋市西南部花田で、羽田本郷という地が存在する。(今の)の和地は和太の誤りで伊良湖半島の西部、今の泉村・福江町・伊良湖村であろう。〔中略〕和太は、日本語では「ワタ」であるが、朝鮮語では「ハタ」であるという。〔中略〕

【第3章 壬申の乱~第3節「壬申の乱」と三河】
 現・豊川市音羽町赤坂にある『宮道(みやじ)天神社』の伝承が不思議である。祭神の一人に草壁皇子が祀られている。この社は、持統太上天皇三河行幸の頓宮とされた社である。〔何故、草壁皇子が三河に? これについて、榊原氏は次の様に言っている〕。
 「壬申の乱」の勝敗の帰趨は、実に、三河・静岡・長野伊那地方に展開する舎人騎馬集団の支持をどれだけ集められるかに懸かっていたのである。〔草壁皇子について榊原氏はこうも言っている〕
 草壁皇子は、決してひ弱な無能な皇子ではなかったと思う。「壬申の乱」の表舞台で活躍した武市皇子(たけちのみこ)と比較しても、裏舞台の草壁皇子の貢献は、「壬申の乱」を勝利に導いた点では、勝るとも劣らない功績であったと思われるのである。〔氏は、「壬申の乱」を一言で言うと次の様に喝破している〕。
 「壬申の乱」は、大海人皇子の皇位継承権に留まらず、近江朝廷から弾き出された地方官僚・豪族、百済系渡来人に対する朝廷の優遇に対して反発する反百済系渡来人による近江朝廷への反乱であった。この反乱勢力は、三河・信濃・遠江の倭漢(やまとあや)氏・秦(はた)氏・新羅系渡来人を主力にする軍事力によって支えられていた。これこそ「東倭(ひがしやまと)」により大和朝廷政権の「近江百済王朝」からの奪還であった。

【第4章 三河とは】
〔榊原氏は、「応神天皇は、仲哀天皇08年に渡来した「沙州(現・敦煌)」の王であり、始皇帝第14世「功満王」その人の可能性が高い」と言う。大和朝廷成立〔3世紀後半~4世紀前半〕から白村江の戦(663年)迄の間、朝鮮半島〔高句麗・新羅・百済・任那(加羅)〕からの渡来人は、枚挙に遑(いとま)がない程である。であるから、日本人の roots は、①縄文人、②紀元前3世紀の中国からの弥生人渡来〔=徐福伝説〕、③邪馬台国・大和朝廷成立期から百済滅亡まで間の朝鮮半島から渡来人、の混合体であろう、と小生は思う〕。

【第5章 天武天皇の秘密】
〔榊原氏は、古人大皇子の死が確定されていないこと、大海人皇子の生年不明であること等から、古人大皇子と天武天皇同一人説を唱えている。余りに奇抜で、眉唾ものとも言えるが、強ち全否定も出来ない、その位面白い説である。即ち、氏は天智天皇の皇后と天武天皇の皇后・妃達についてこう述べている〕。
『日本書紀』巻27天智天皇・天智07年02月条に「古人大皇子の女(むすめ)、倭姫王(やまとひめのおおきみ)を立てて皇后とす」と記載されている。
 古人大皇子は、大和朝廷にとっては謀反人の筈であり、天智天皇はよりによって謀反人の女、倭姫王を皇后にするのである。これは、一体、何を意味するのだろうか。
 一方、天智天皇は、実弟であるとする大海人皇子に対し、菟野皇女(うののひめみこ=後の持統天皇)・太田皇女・大江皇女・新田部(にいたべ)皇女の4人の女(むすめ)を妃に供しているにも拘らず、大海人皇子は一人の女(むすめ)も天智天皇の妃に供していない。人質という意味では balance が取れていないのである。〔中略〕しかし、大海人皇子=古人大皇子と仮定して考えたら如何であろうか。多少は、納得し得るのではないか。〔確かに4対1と〕均衡は欠いている。
 〔親・百済派の〕天智天皇にとって最大の恐怖は、大海人皇子(=古人大皇子)の軍事力とその背景に見え隠れする新羅勢力であったと思う。〔後略〕

【第6章 持統天皇の陰謀】
〔持統天皇が、天武天皇崩御(686年09月)後、天皇を継承したのは690年02月。即ち、3年半近く皇位は空位の儘であったのである。しかも、即位した場所は藤原不比等の私邸という異例な場所であった。持統天皇は、自分の子草壁皇子を天皇にすべく奔走する。その為、天武天皇崩御(686年09月)直後の同年10月、最大の rival 大津皇子を謀反の罪で自害に追い込んだ。ところが689年今度は実子の草壁皇子が即位しない儘病没。その後、草壁皇子の子、軽皇子(後の文武天皇)を天皇に就ける為、自らが天皇に即位。697年、文武天皇に譲位後、自らは太上天皇となり、病弱な文武天皇を護って行く。氏は言う〕。
 702年、持統太上天皇の死の2ヶ月前まで行われた『三河行幸』は、朝廷内では、三河反朝廷勢力の征討であったのである。太上天皇は、天武天皇のご落胤風聞を封じ込めることも忘れずに‥。(了)

【小生comment】
 歴史の事実は一つであるが、見る立場を変えてみると、全く違った事象ともなる。大化の改新と呼ばれる乙巳の政変も、見方を変えれば、中大兄皇子・中臣鎌足による、蘇我政権打倒の coup d'Etat である。蘇我入鹿が悪人とされる所以はないことになる。蘇我入鹿からすれば、中大兄皇子と中臣鎌足こそ terrorist ということになる。
 政治の世界は、昔から「勝利者が『正義』」なのである。

 では、また‥。(了)

2011年1月 1日 (土)

【時習26回3-7の会 0323】~「榊原英資『世界同時不況がすでに始まっている!』を読んで」「渡部昇一『知的余生の方法』を読んで」」

 三年春正月一日、因幡国庁にして、饗(あへ)を国郡の司(つかさ)等に賜ふ宴の歌一首

 新(あらた)しき年の始めの初春の 今日降る雪のいや重(し)け吉事(よごと)

 右の一首は、守大伴宿禰家持作れり

【原文】 三年春正月一日、於因幡國廳、賜 饗國郡司等之宴謌一首

   新 年乃始乃 波都波流能 家布敷流由伎能 伊夜之家餘其騰

     右一首、守大伴宿禰家持作之。

                大伴家持 万葉集 二〇巻4516

■今泉悟です。 皆さん、明けましておめでとうございます。旧年中は大変お世話になりました。
 今年も宜しくお願いします。
 そして【2637の会】members の皆さん宅には、小生からの年賀状が届いているものと思います。
 文面欄には、昨年08月の《クラス会》、同じく11月の《クラス会 Part2》の参加者全員の記念写真を載せてあります。
 そして、文面にもあります様に、今年も08月と11月の2回、【2637の会】《クラス会》を挙行しますので、奮ってご参加下さい。
 我々に残された人生がどのくらいあるかは誰も解りません。
 でも、残された人生が有限であることは厳然たる事実です。
 【2637の会】という一つの Identity を共有した我等45名、年に1~2回、厳しい現実を忘れる為、或いは厳しい現実への対処方法を模索する為、気の置けない classmates の集いに参加して心の洗濯をしてみませんか。
 参加してくれたみんなは、「《クラス会》楽しかったよ」と言ってくれています。
 今年の《クラス会》も「楽しく有意義」なものとしたいと思います。
 添付写真[01]は、【2637の会】members の皆さん宛だけにお送りした年賀状です。ご覧下さい。
0126372010_2



■さて皆さん、この年末年始は如何お過ごしですか。さぁ、2011年の初っ端の《会報》です。今日も【2637の会 0323】号をお送りします。

 今日最初にお贈りした上記の歌は、昨年01月03日付《会報》【2637の会 0271】にてご紹介させて頂いていますが、目出度い歌なので今年もご紹介させて頂きました。
 大意は以下の通りです。

【訳】天平宝字三年正月一日、因幡の国の庁舎で、食事を国や郡の役人に賜った宴での歌一首
 新しい年の初めの新春の今日降る雪の様に、益々重なってくれ、良いことが。

【解説】『万葉集』の最後を飾る第二〇巻4516首目の歌。天平宝字三(759)年の元日、因幡の国庁(鳥取県岩美郡国府町)で催された宴での歌。家持(やかもち)が因幡の守に任命されたのは前年6月。赴任して初めての正月であった。この年は、正月と立春が重なる目出度い年の始めとなった。その日は雪が降り、純白の銀世界を見た家持は、その雪を更なる吉兆と見て取り、これから始まる年が良い年であらんことを願った歌である。「いや」は、いよいよ、益々の意。また、「重(し)け」は次々と続く(重なる)ことを意味する。

 作者である大伴家持は、『万葉集』の編者として、皆さんも名前はよくご存知であると思います。が、彼の一生についてご存知の方は多くないと思います。
 家持は、歌人であると共に、政治家でもあった。名門・大伴氏の嫡流に生まれた。
 祖父の安麻呂は壬申の乱で大海人皇子の下で功を上げている。
 父、大伴旅人は山上憶良と共に「筑紫歌壇」を形成。政界に於いても征隼人持節大将軍となり、728(神亀05)年、太宰帥(そち)となり筑紫に赴任。
 家持は、746(天平18)年、越中国守となり5年間赴任。その当時、中央で政権を掌握していたのが橘諸兄。大伴氏はそのシンパ( sympathizer )。橘氏と大伴氏は台頭する藤原氏に対抗するも、755(天平勝宝07)年、諸兄が失脚。翌756(同07)年、聖武天皇が崩御し、更にに翌757(天平宝字元)年、諸兄の長男、橘奈良麻呂の乱により、同乱には加わらなかったものの、藤原仲麻呂暗殺計画に連座して薩摩に左遷。その後、赦され、持節征東大将軍として陸奥(現・岩手県)滞在中の785(延暦04)年、多賀城にて没する。
 『万葉集』に収められた歌は飛び抜けて一番多く、短歌431首をはじめ、長歌・旋頭歌・連歌を合わせ全479種に及ぶ。

■さて、今週の《会報》は、掲題・副題にあります様に最近読んだ本2冊をご紹介させて頂きます。
02

 まず最初は、「榊原英資『世界同時不況がすでに始まっている!』を読んで」です。題名こそ大仰ですが、なかなか示唆に富む面白い内容でしたのでご紹介させて頂きます。

 榊原氏がいうところを要約すれば、以下の通りです。

 大きくいうと、世界経済が、「『G07〔=米・英・仏・独・日・加・伊]という先進諸国が先導する時代の終焉』と、『G20※からG07を除いた13の国及び連合に代表される新興経済発展諸国の台頭』により、『経済価値の収斂=【先進国の地位低下と新興諸国の地位向上(【小生注】=国富の平準化)】』が進む」、ということです。

【筆者注】G20-G07=【G13の国及び連合】=伯(Brazil)・露(Russia)・印(India)・中(China)の BRICs 04カ国と、豪(Australia)・亜(Argentine)・墨(Mexico)・韓(South Korea)・蘭印(Indonesia)・サウジ(Saudi Arabia)・南ア(South Africa)・土(Turkey)の08カ国、そしてEU。因みに、G20の国々合計のGNPは世界の85%、人口は世界の三分の二を占める。

 我国日本と中国の二国間で言えば、「中国と日本の価格や賃金が緩やかに収斂(【小生注】=国富が平準化)していく」のである。即ち、日本の賃金が下がり、中国の賃金が上がる。その結果、日本の物価が下落傾向にあり、デフレが続いているのである。通貨量はあまり関係がない。だから、「現在のデフレをあまり恐れる必要はない」。
 但し、自社製品が中国製と同じ品質のものであれば、価格は当然中国製と同じでないと太刀打ちできない。当然、淘汰される事業者も少なくない。
 だから、現在のデフレや日本と中国の cost の平準化は、最近の日本経済を語る時に欠かせない構造問題である。それは、business の成功にも失敗にも繋がる諸刃の剣なのだということを理解する必要がある。

 榊原氏は言う、「米国のEUもすでに日本が経験した『失われた10年』に突入した」と。そして、「中国と India がこれからの世界経済を牽引して行く」と。
 氏は更に、「2050年の経済大国は、1位:中国、2位:米国、3位:India 」だと予言。そして、「経済のヘゲモニー( hegemony )[=主導権]が大きく変動する歴史的変革期がまさに今である」とも言う。
 歴史は断言する、「かつて、中国とIndiaを中心とするAsia が世界の中心」であったし、これからもそうなると。だから日本は、Asia で生きるという道を本格的に模索しなければならないのである。

 戦後日本の産業復興は、「1ドル=360円」に助けられた。そして、漸次円高が進み、今では「円高ドル安」が常態化。というより「ドル安」が常態化したと認識すべき。この理由は、「米国経済の長期低落」に尽きる。

〔【小生注】:これに米国の今回の量的緩和策が一層拍車をかけた恰好となっている。通貨ドルが市場に余っている。それが商品先物に再び向かっており、例えば石油価格の再上昇を齎している。榊原氏はさらに言う。〕

「財務大臣が『強い円は日本の国益だ』と言う時代が来ている」と。

〔【小生注】:強い円を武器に、国家施策として、「世界中の優良企業や資源を保有する企業をM&A等により傘下に収める」。そうすれば、円の独歩高を世界各国は自国産業・資源防衛の為放置して置けない筈である。強い円による世界の優良企業や資源企業の買収が続けば自然と円高から円安に為替は是正されるのである。現・民主党政権は何故ここら辺りを強調して vision を示さないのであろうか??〕

 榊原氏は、最終章で次の様に提言している。

【第6章 pinch を chance に変える「世界同時不況」時代の生き方】

【『モノ』から『人』への転換】だ。
【日本の真価を知らないの日本人だけだ~日本ほど環境が素晴らしい国は世界にない】
【21世紀を lead する為の3つの key word ~『環境』『安全』『健康』~この3分野は日本のお家芸!】
【若者が目指すべき道は何処にあるか~やる気のある者が報われる社会に作り替える必要がある】
 →1.能力の違いによる一人ひとりの賃金格差拡大を容認〔←さもなくば、高報酬で優秀な『人材』とその人が持つ『技術』が海外に流出〕
 →2.海外に積極的に出て行く〔=business chance の国際化とその重要性〕
 →3.世界共通の市場で生き抜く為、英語力向上が必須〔=世界標準に合わせる必要性〕
 →4.「大局観」を掴む力〔=①歴史に学ぶ、② data を客観的に掴む力〕を持ち、適切な判断力を見につける

■続いての話題は、掲題・副題「渡部昇一『知的余生の生き方』を読んで」です。
 渡部氏のこの評論については、全部読むと賛否両論あると思います。
 そこで、皆さんが納得できるところに焦点を当て、今回は、氏のいう『夫婦の在り方』についてご紹介させて頂きます。

【夫婦は組み合わせの妙】
 夫婦の関係については、古今東西、いろんな人が、様々なことを言っている。それ程、夫婦関係というのは難しいということだろう。
 オスカー・ワイルド( Oscar Wilde )などになると、「結婚とは、まさしく相互の誤解に基づくものである」などということになる。〔中略〕
 最も有名な言葉は「良妻を持てば幸福者に、悪妻を持てば哲学者になる」と言ったソクラテス( Socrates )の実感のこもった言葉だろう。彼の妻のクサンティッペ( Xanthippe )は、悪妻の典型とされていて、とにかく口煩く、のべつまくなし夫 Socrates に文句を言っていた女性とされている。だが果たしてそうだったのだろうか。〔中略〕
 夫への貢献の仕方は、妻によって様々だろう。〔中略〕
 いずれにせよ、夫を出世させるか否かは、夫々の妻個人がいい悪いというのはなく、夫と妻の組み合わせが上手くいったかどうかということだ。〔中略〕
 だから、結果が良ければ、いい夫婦なのである。いい女といい男が結婚しても、いい夫婦になるとは限らないのは、結婚が組み合わせで、しかも結果のみが問題だからだ。そしてその結果とは、男の場合で言えば、どういう業績を残せたかが目安になる、という訳だ。〔中略〕とにかく Xanthippe は口煩い悪妻とされて来た。
 しかし業績ということを念頭に置くと、image も変わって来る。Xanthippe が悪妻だったが故に、Socrates は哲学者としてあの様に偉大な業績を残せた例となるということだ。〔後略〕

【夫婦の絆と夫々の空間】
〔前略〕夫婦生活にとって重要になって来るのは、年を重ねれば重ねるほど、夫婦夫々の空間が必要となって来ることだ。なるべくなら広い家に住む。そして、顔を合わせる機会を少なくする。その方が、お互いに不平・不満が少なく、また、それを聞かずに済む。より快適に生活出来ると思う。
 若い頃には考えられないことかもしれないが、年齢を重ねるに従って、生活の rhythm が少しずつ違って来るのだ。勿論、若い夫婦にも rhythm の違いはあるだろう。けれどもそれ等は、お互いの生活力や若さ、行動力で意識せずとも乗り越えることが出来る。だから気にならない。
 しかし、年と共に、rhythm の違いを意識する様になる。しかも、お互いに我儘(【小生注】=頑固)になっていく。こうして、自分の rhythm を主張する様になる。だから、時間的にも空間的にも、お互いに束縛せず、自由に生活するのがいい。〔中略〕私の夫婦はむしろ「仲良し夫婦」であり、金婚式も今年祝うのだが。(了)

【小生comment】
 渡部氏の【夫婦論】は示唆に富んだ言葉である。小生も確り参考にさせて頂くことにする。(笑)

■【後記】
 一昨日の12月30日。小生は、玄関に『注連飾り(しめかざり)』を飾りました。
 家人がめずらしく自信を持った口調で、「明日大晦日の飾りは『一夜飾り』といって縁起が良くないから今日やってね。昨日(29日)も縁起が悪いから‥」と。
 小生、家人の言葉に暫く絶句。そう言えば、小生、こう言う「年中行事」については「ずぶの素人」であることに気付き赤面した。
 そうなんですね。
 「一夜飾り」とは、明日以降の盛会の為に、一晩で準備し飾り立てること。正月飾りの様に事前に判っていることを直前の一晩でやる愚挙を諫めた言葉である。

 話変わって、今日正月は、皆さんのご家庭も色々な行事があり、結構忙しい一日(だった)と思います。
 その忙しい元旦の一日が終わる頃の感慨を、文豪・芥川龍之介が次の様に表わしています。

 元日や 手を洗ひをる 夕ごころ  芥川龍之介

 【解説】この句は、1921(大正10)年、芥川龍之介が、香取発真(ほつま)※宛に「元日の句一つ / 元日や手を洗ひ居る夕心」と送った書簡が最初だという。元日の諸行事が終わり、一息ついた情景である。暮れかかる家の中庭を見乍ら、縁側に置いてある手水鉢の水で手を洗う。当時としてはごく当たり前の風景だが印象的な秀句だと思う。
 
 ※香取発真(1874.01.01-1954.01.31):本名は秀治郎。鋳金工芸作家・歌人。美術工芸家として初の文化勲章受章。東京美術学校(現・東京藝術大学)教授。芸術院会員。芥川龍之介、高浜虚子とも親交があった。

 今年が、皆さんとご家族にとって幸多い年でありますように、切に祈っています。
 では、また‥。(了)

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