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2011年3月の4件の記事

2011年3月28日 (月)

【時習26回3-7の会 0334】~「歴史街道2011年03月号『100年先を見据えた国家指導者~児玉源太郎~明治日本の危機を救ったもの』から」「03月26日:『パウル・クレー展』を見て」&「高台寺・圓徳院・建仁寺を訪ねて」

■今泉悟です。《会報》【2637の会 0334】号を昨日迄に配信しようと思っていましたが、先週は流石に年度末で平日は仕事等に追われ、この26(土)~27(日)の二日間は「京都」と「名古屋&小牧」へと動き回り、ゆっくりPCの前に座る時間が殆どありませんでした。故に《会報》の配信が遅れましたこと先ず以てお詫び申し上げます。
 今月03月の天候はやはり異常ですね。「春の訪れ」は、通常『三寒四温』を繰り返して暖かくなって実感できるものなのですが、今年は『寒』が非常に厳しく、一昨日訪れた京都も桜はまだ固い蕾で、一昨日の時点で桜の開花時期は03月29日だと言っていました。
 因みに、今日28日のTVニュースで京都市と岐阜市は今日開花宣言があった由。

 話題は東日本大震災の件に移りますが、それにしても福島第1原発の事故は大変ですね。【2637の会】members の皆さんの中で原発に詳しい方、教えて頂けませんでしょうか。
 1~4号基の事故の件ですが、ある人の話では、「1~4号はもう使えないが、冷却し続けなければならない」。しかもその期間は「何年かかるか分からない」らしい。冷却に失敗すると、「炉心溶融[meltdown]が起こり原子炉が破壊され大量の放射性物質が周囲に拡散する懸念大」という。原発の知識を殆ど持たない小生には、そうならないことを祈るばかりだ。
 被災地に「行く」と周囲を騒がせて置き乍ら、その日雨が降ったので訪問を「取り止めた」日本の現首相。危機管理能力ゼロと手厳しい批判が富に増しています。日に日に存在感がなくなる日本の現首相‥。
 小生、憤りを禁じ得ないのですが、皆さんはどう感じられているのでしょう。

■さて暗く腹立たしい話題はちょっと横に置き、気分だけでも明るくなりたいと思い、まず最初の話題をお贈りします。
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 小生、最近掲題・副題にある様に雑誌「歴史街道2011年03月号『100年先を見据えた国家指導者~児玉源太郎~明治日本の危機を救ったもの』」を読み、感動しましたのでご紹介させて頂きたいと思います。
 児玉源太郎については、これまでの《会報》でも【0289】号をはじめ何回かご紹介させて頂いていますが、「日露戦争」という明治維新後最大の国難を迎えた日本を救った大人物であります。彼の様な偉人が登場した「明治の日本」は大変幸運であったと思います。或いは「彼の偉業は成るべきにしてなった」のかもしれません。
 「それに引き換え今の日本は‥」と言いたくなる程の体たらくになってしまった日本。
 児玉源太郎の様な「洞察力・理解力・実行力に優れ、私心なく、明るい性格」を併せ持つ偉人がいたら、福島第1号原発事故もこれ程の大事故にならずに済んだかもしれません。

 今回は、本誌の中から「『台湾統治』を成功に導いた為政者としても素晴らしい児玉源太郎の魅力」についてご紹介したいと思います。
 ではどうぞご覧下さい。

 日清戦争の講和条約の結果、台湾が清国から割譲された。しかし、最初の三人の台湾総督〔樺山資紀、桂太郎、乃木希典〕は、統治に手を焼いた。台湾は「化外(けがい)の地」と称されていた。文化の外にある地域という意味である。殆ど無政府状態で、悪疫が流行し、土匪(どひ:強盗集団)の横行もあった。〔中略〕
 明治31(1898)年、第四代総督となった児玉源太郎は、明治28(1895)年の日清戦争後の復員将兵の検疫対策を成功裏に収めた名コンビ後藤新平を抜擢する。〔中略〕 二人は明治31(1901)年から39(1906)年の8年6カ月という長きに亘り「最強のコンビ」を組み、台湾に奇跡的な発展を齎したのである。
 
 児玉は台湾総督であった〔桂太郎内閣〕時期に、陸軍大臣・内務大臣・文部大臣も随時兼務していた。日露開戦の直前の明治36(1903)年10月12日には、同月01日急逝した田村怡与造(いよぞう)の補任という降格人事を受入れ陸軍参謀本部次長に就任。さらに明治37(1904)年06月、満州軍総参謀長として日露戦争遂行の立役者になった。その間も台湾総督を兼任しているのである。

 ここで、時計の針を明治31年03月に戻す。

【「宥和」と「信頼」から台湾の発展は始まった】
 「植民の業は凡そ、地方人民を安堵せしむるより切なるものはなし。而して人民を安堵せしむるの要は、一に疑懼(ぎく:疑いおそれる)の念を懐かしめざるにあるのみ」。
 台湾総督として赴任した児玉は、まず現地の状況を精査した上で、06月に全地方長官を総督府に集め、施政方針を演説。そこで強調したのは、地元の人々との「宥和」であった。それまでの軍隊が全面に出た統治は地元民の反発をかい、特に土匪と呼ばれる者たちが激しく抵抗した。これに対して児玉は「自分の任務は台湾を治むるにあって、征討するに非ず」とし、更に「土匪の徒の心情を推察すれば、憐れむべく、痛むべきものがある」と語り、以後、土匪にも後藤新平が局長を務める民政局が対応し、協力を要請していくことにしたのである。
 勿論、掛け声だけではなかった。言葉の真偽を質そうと土匪の頭目が訪ねて来ると、児玉は集団の長として丁重に対応した上で、過去は一切問わず、希望するのなら道路整備の仕事を斡旋することを約束。これに安堵し感謝した土匪頭目の情報は各地の土匪に伝播。他の集団も続々と帰順した。時には局長の後藤新平自ら土匪が本拠とする山中に赴き盛大な帰順式を行うこともあり、台湾の新聞も大きく報じた。多くの土匪が仕事に就いた道路整備事業は、彼等の組織が上手く機能し、工事も大いに捗ったという。
 次に翌明治32(1899)年、児玉は後藤の進言を受入れ「饗老典(きょうろうてん)」を催す。これは敬老会。老人を敬う土地の慣習を尊重したもの。80歳以上の老人を介添人と共に招き昼食・芝居・音楽・記念品で饗応。児玉・後藤による施政は地元民の厚い信頼を勝ち取っていく。
 更に翌明治33(1900)年には、「揚文会(ようぶんかい)」を開催し、全島の秀才や有識者を招待。地元の優れた人材の登用と教育振興を呼び掛けた。
 土地の徳望家にも児玉は積極的に会った。台南巡視の折、この地方の徳望家・陳文遠に面会を求めると、外出しているという。児玉は日頃の陳の善行を讃え感謝の印に日本刀を一振り贈って帰った。後日、陳がお礼に総督府を訪れると、児玉は彼を地元の区長に任命する。陳は児玉の期待に応え、統治に協力する者にはそれに見合う処遇が約束されることを自らの行動で示していくのである。
 こうした人心の機微を重んじた児玉の、きめ細かい「宥和」への努力によって、台湾の人々は少しずつ心を開き、信頼を深めていった。台湾の奇跡的な発展は、児玉が齎した「地元の人々の心の変化」から始まるのである。

【小生comment】
 児玉源太郎は、百石取りの長州藩支藩の徳山藩士の子として生まれるが、幼少時代に父を亡くし困窮して辛酸を嘗めた。
 が、彼は持ち前の明るさと明敏な頭脳と行動力で周囲の信頼を得ていく。幕末・明治維新は下士官から start するが、西南の役以後、順調に昇進を重ねて行き、明治16(1883)年には32歳で大佐に昇進している。
 明治18(1885)年、ドイツから名将軍モルトケの愛弟子メッケル参謀少佐を教授に迎えたその翌年、児玉は陸軍大学校幹事を兼務。更に翌明治20年、同校長を兼務。この間メッケルから学ぶ。明治37(1904)年、日露が戦端を開いた時、そのメッケルをして「児玉ある限り、日本は敗れない」と言わしめた。
 「児玉って凄い!」と、小生この一言で思ってしまった。(笑)

■次の話題は、掲題・副題にあります様に、「03月26日:『パウル・クレー展』を見て」&「高台寺・円徳院・建仁寺を訪ねて」です。
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 今回の「クレー展」は、京都と東京の二か所の国立近代美術館だけでの開催である。
 是非見たかった小生、一昨日の03月26日(土)、家人への家庭 service の一環という名目にして車で見て来ました。
 ドイツ語圏以外では、日本ほどスイス生まれのドイツ人画家クレーの人気が高い国はないという。
 今回の展覧会は過去日本で数多開催された従来のクレー展と趣がちょっと違う。「作品はどの様につくられたか」に着目した展覧会なのである。
 だからと言っては何だが、彼の作品の質の高さに感心したのであるが、作品の美しさに興味がある小生には今回の展覧会は正直な処、感動するまでには至らなかった。添付写真は次の3枚です。

[03]クレー『卵のある』1917年
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––––––––––––––––––––––––[04]クレー『庭園建築のプラン』1920年
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[05]クレー『花ひらいて』1934年
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[06]高台寺・圓徳院庭園・建仁寺 leaflet
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 「クレー展」のあった京都国立近代美術館を後にした小生、次に向かったのが「高台寺」である。ここは皆さんも良くご存知だと思いますが、豊臣秀吉の正室ねねの菩提寺である。この寺と同寺の塔頭である「圓徳院」を訪れて感じたことは、受付から全て従業員スタッフが女性であったこと。だからからかもしれないが、庭の手入れから全てにおいて細やかな気遣いと気品が寺中に漂い大変心地良かった。

[07]高台寺庭園
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––––––––––––––––––––––––[08]圓徳院庭園
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[09]建仁寺入口にて
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 その良さは、高台寺&圓徳院の後訪問した京都五山第三位「建仁寺」を見て更に際立って感じた。
 因みに、建仁寺は建仁2(1202)年、開基は鎌倉幕府第2代将軍源頼家、開山は栄西である。更に京都五山はいずれも禅宗・臨済宗の寺院で、別格「南禅寺」、第1位「相国寺」、第2位「天龍寺」、第3位「建仁寺」、第4位「東福寺」、第5位「萬壽(万寿)寺」である。
 また、建仁寺は、俵屋宗達の屏風絵「風神雷神図」〔国宝〕があることでも有名。とは言っても本物は「京都国立博物館」に寄託。

【後記】今日03月28日は、Russia(現ベラルーシ)出身マルク・シャガール(Marc Chagall,1887.07.07-1985.03.28)の命日である。昨日03月27日に小牧市のメナード美術館にて開催中のシャガール版画展を見て来た模様は次会《会報》にてお伝えします。

 では、また‥(了)

2011年3月21日 (月)

【時習26回3-7の会 0333】~「03月19~20日:中嶋君【3-2】との『湖南三山』旅行」実施報告

■今泉悟です。今日03月21日は「春分」。本当に時の移ろいは早いものです。こんな調子で一生が終わるとすると、百歳まで生きてもあっという間の『泡沫(うたかた)の人生』だ‥なんていう感じがしますネッ。
 だからと言っては何ですが、小生決して刹那主義ではありません。がしかし、今、出来ること、楽しめることはキッチリやって置きたい、と思う今日この頃です。(笑)

 今朝の朝日新聞報道では、「東日本大震災の発生から、20日で10日目を迎えた。警察庁によると、確認された死者が8千人を超え(=8,277人)、行方不明者との合計は2万人を超えた。避難者は12都道県で約34万4千人」という。
 被災者者の皆様には心よりお見舞い申し上げます。そして、一日も早く災害から立ち直って頂く様心よりお祈り致します。
 それにしても「大地震」→「津波」→「原子力発電所」の爆発という流れは、大変辛いものがありますね。東京電力も、地震対策は施していたのですが、「津波」による被災は想定外だった様です。1千年に一度の大地震とも言われていますが、現実に起こってしまった訳ですから、「想定外」だと言って免責される訳にもいかないでしょう。
 警視庁の機動隊が自衛隊の消防隊の応援を得乍ら「福島第1原子力発電所3号機の使用済核燃料冷却」の為、放水車が突入したことを聞き、役目とは言え、関係者の皆さんの活動に心より敬意を表します。

 一方、「昨日03月17日の外国為替市場では1995年04月につけた最高値〔1ドル=79円75銭〕を更新し、76円25銭に急騰した後、東京市場でも79円台前半を中心に揉み合う展開が続いた。主要7カ国〔G7〕の財務相・中央銀行総裁は本日〔18日〕朝に緊急の電話会議を開き、過度の円高が世界経済や金融に悪影響を与えないよう協調することで意見が一致した」と03月18日付日経新聞朝刊は報道しています。
「大震災」発生は、経済にとってはマイナス要因、即ち、一般的に「円安」に振れる筈が、逆に急激な「円高」になった理由は一体何か。
 その理由を経済専門家等は、「今回の震災の保険履行の為に円資金を必要とする生保、そして大手の銀行や企業が不安感から『円』を現金預金として確保する動きが活発化」、即ち、〔 「『円』資金の確保」→「『円』資金の需要増」→「円高」という流れ 〕が、投機資金の思惑と相俟って円の急騰に繋がったものと分析されています。

■さて今日はまず、朋友中嶋君【3-2】と一昨日と昨日、滋賀県にある「湖南三山」と「『MIHO MUSEUM』『滋賀県立近代美術館「小倉遊亀」所蔵品展』『佐川美術館』」等を見て来ましたのでご紹介します。
 03月19日06時20分、中嶋君が拙宅まで車で迎えに来てくれました。
Mihomuseum
Miho_museum
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Miho_museumu_1

 そして、最初に向かったのが、滋賀県甲賀市信楽町にある「MIHO MUSEUM」。ここは或る親しい人から紹介された美術館で、「神慈秀明会」という宗教団体が営む美術館。1997年竣工。設計者イオ・ミン・ペイ(I.M.ペイ(貝 聿銘):Ieoh Ming Pei 1917.04.27-)は、20世紀のアメリカを代表する中国系米国人建築家。ルーヴル美術館のガラスピラミッドを設計した建築家として有名。この美術館に来て先ず感じたことは、ペイ氏が設計した建物が素晴らしいことだ。或る人が推薦する理由が建物を見た瞬間解った。
 そして次に感じたのは、常設展展示物も世界の一級品ばかりということだ。世界史や世界美術史が好きな人には大変魅力的な美術館であると言えよう。まだご覧になったことがない方は一度ご覧になってみて下さい。「一見の価値あり」です。

 さて我々が続いて向かったのが、滋賀県立近代美術館にある小倉遊亀の常設展 corner。滋賀県出身の小倉は、上村松園に続いて女流画家として二人目の文化勲章受章者である。小生、従前から彼女の味がある作風が大好きである。今回同美術館所蔵作品の添付写真の絵がないのが残念であるが、ご参考にこの美術館所有作品ではないが、静物画を2作品程blog に添付して置きますのでご覧下さい。
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 更に向かった3件目の美術館は「佐川美術館」。ここは、日本画家の巨匠「平山郁夫」館、彫刻家「佐藤忠良」館、陶芸家「樂吉左衛門」館の3つで構成されている。
 先ず最初に向かったのが樂吉衛門の茶室。ここは事前予約が必要。この茶室は樂氏の設計、竹中工務店施工。凄い「こだわり」を感じさせる茶室で、四季折々の風情がある。茶室から眺める景色は湖西の比良山系が『借景』として見られ絶景である。添付写真は初夏の頃の景色であるため「葦の青さ」が美しい。今の季節は「枯れた葦」が風情があってこれがまたいい。
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「平山郁夫」館は、期待通りの名作ばかりで満足。
[ 平山郁夫『楼蘭の月(楼蘭遺跡三題)』1991年 ]
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––––––––––––––––––––––––[ 平山郁夫『楼蘭の朝(楼蘭遺跡三題)』1991年 ]
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「佐藤忠良」館も大変良かった。
[ 佐藤忠良『帽子・夏』1972年 ]
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––––––––––––––––––––––––[ 佐藤忠良『若い裸』1974年 ]
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 小生、佐藤氏の作品を一度にこれ程沢山見たのは初めてであるが、彼が造る女性像は slender で凛とした味わいある作品が多く「いいな」と感じる作品が多かった。因みに、佐藤氏の長女が『男はつらいよ』シリーズの第2作『続・男はつらいよ』のマドンナ・坪内夏子役を演じた女優、佐藤オリエ(1943.03.25-)である。

 次に向かったのが、宿泊温泉の「信楽たぬき温泉 小川亭」である。ここの夜の食事の main は「近江牛のしゃぶしゃぶ」と「牛刺し」。絶品であった。これで一泊二食付で15,200円はお得感バッチリ。(笑)

[ 近江牛のしゃぶしゃぶを前にご満悦の中嶋君 ]
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 旅行二日目は、「善水寺・長寿寺・常楽寺」の『湖南三山』巡りである。三山いずれも本堂が国宝に指定されている。
 先ず向かったのが「善水寺」〔09時過ぎ到着〕。比較的若い住職による懇切丁寧な説明には感服した。

[ 善水寺・本堂 ]
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 二つ目は「長寿寺」。しかし、ここは住職不在で本堂の中は見ることが出来なかった。

 三つ目が「常楽寺」。ここは事前予約の電話を二日前にしてあった為、smooth に行った。住職自身が受付に居て曰く「常楽寺はいつもは住職不在。事前予約ある場合にこうしてここに居る。自分は比較的最近まで salaryman だった。現在最近3つの寺の住職を兼務している」という。因みに、常楽寺は、本堂のほか三重塔も国宝である。
[ 常楽寺・三重塔 ]
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 我々が次に向かったのは、「水口城資料館」。この寺は江戸幕府の将軍家光上洛の為に作られたもの。将軍家光が一回利用しただけだという。

[ 水口城跡・資料館 ]
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 続いて向かったは、「近江日野商人」館。日野商人は「近江八幡商人」とはまた違う。渋沢栄一の「論語と算盤」の原型を見る様な「商人魂」を「近江日野商人」は持っていたという。

[ 近江日野商人館・入口看板 ]
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––––––––––––––––––––––––[ 山中兵右衛門宅外観 ]
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[ 近江日野商人・山中兵右衛門宅奥座敷 ]
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[ 日野椀 ]‥この漆器職人を蒲生氏郷が新領地会津へ連れて行き、会津塗へと発展‥
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 今回の旅行は、このほか「大池寺」とその庭園、紫香楽宮跡、擽野寺、油日神社を回ったが説明は割愛させて頂く。


【後記】
 今日は、『湖南三山旅行』実施報告で全てです。時間的余裕がなくって‥。(汗)(笑)

 では、また‥(了)

2011年3月12日 (土)

【時習26回3-7の会 0332】~「03月07日:中山君からの mail 」「03月07日:『ミニミニ同期会』開催報告」「03月08日:辻井伸行Piano&佐渡裕指揮BBCPhil.Concertを聴いて」

■今泉悟です。
 昨日11日午後2時45分頃発生した東北地方の太平洋岸を中心に東日本を襲った大震災は、地元豊橋でも大きな揺れを長いと感じる時間、かつ断続的に複数回の揺れを感じました。小生、その時は会社で勤務中で〔‥なんか頭がふらふらするなぁ、歳かなぁ‥〕と思っていた処、周りにいた職員達が騒ぎ出したので「地震」であることに気が付きました。
 そして時間が経過するにつれ、今回の地震が宮城県沖を震源地とする magnitude (マグニチュード) 8.8という明治以降観測史上最大規模の大地震であること、関東以北の、特に東北地方の太平洋岸地方が大きな津波で甚大な被害が発生していること等、を知りました。
 先ず以て、被災された皆さんが一日も早く立ち直って頂くことを祈っています。そして一日も早い日常生活と経済復興も‥。
 地震関連のお話等につきましては、関東地方にお住まいの【2637の会】members の皆さんからの mail をお待ちしています。
 次回《会報》【0333】号は一週間後を予定しています。皆さんからのお便りをお待ちしています。m(_ _)m

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 昨日の「東日本大震災」発生により【2637の会】《会報》の配信を見合わせるかどうか逡巡しましたが、今回は【2637の会】関連の記事もありますので配信させて頂くことにしました。
 今回《会報》の原稿作成時点が大震災発生以前であったことも申し添えます。(為念)

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 前【0331】号からの一週間は、小生、昨日の大震災の他に印象的な事象が一件あります。それは、喜劇俳優で萩本欣一さんと「コント55号」を組み、昭和40年代半ばの日本高度成長代、一世を風靡した坂上二郎(1934.04.16-2011.03.10)さんが一昨日の10日脳梗塞で亡くなられたこと(享年76歳)です。好き嫌いは別として、「コント55号」は、我々が少年時代「お笑いの代表」の一つであったこととして今も記憶に残る存在です。次郎さんのご冥福をお祈りします。(合掌)

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 今日03月12日は、深夜〔=厳密には13日午前01時半〕に東大寺の「お水取り」がある。
 この「お水取り」として知られている東大寺の修二会(しゅにえ)の本行は、3月01日~14日〔旧暦02月01日~15日〕までの2週間行われ、この「お水取り」が climaxとなる。そしてこれが終わると「春」である。
 さあ、今日も【2637の会】《会報》【0332】号をお送りします。

■さて今日はまず、久しぶりに【2637の会】members の仲間から嬉しい mail が届きました。タイ国在住の中山K敬君からの mail です。
 早速ご紹介させて頂きます。

「2011/03/07 (月) 19:44
 今泉君

お久しぶりです。
さて、小生は4/1付の異動で日本に戻ることになりました。
今度は名古屋製作所でサーボモータの仕事に従事します。
新城工場勤務も含めると、8年ぶりに名古屋に戻ります。
この間、高校入学したばかりの娘も昨年は社会人になり、振り返ってみれば長い期間でした。
タイでは人生の約1割を過ごしたことになります。
思い出から、考えさせられることから、いろいろなことが思い浮かびます。
今は、土日も含めて毎日送別会が続き、少々お疲れモードです。
また元気なときに、メールを書きます。
なお、日本へは20日朝着予定です。
日本人の皆さん、これからよろしくお願いいたします。 」

【小生comment】
 中山君お久しぶりです。
 そして、8年間のタイ国勤務だったのですねぇ‥、本当にお疲れ様でした。
 04月から名古屋勤務との由。日程調整できれば、今夏から【2637の会】《クラス会》へも参加出来そうですね。
 再会を楽しみにしています。
 その前に、貴君からの「また元気なときに、メールを書きます」‥を楽しみにしています。

【小生注】※「サ-ボ・モーター( servo-motor )」って比較的よく耳にしますが、一体何だろうと思い、広辞苑で調べてみました。
 「サーボ機構の制御信号をトルク( torque =物体を回転させる能力の大きさ )または力に変換し、負荷に回転或いは変位を与える為に用いる原動機。電動機・油圧motor 等がある」と書いてあったが、今度は「サーボ機構」の意味が解らないので更に調べてみました。
「サーボ機構( servo-mechanism)」とは、機械的位置や速度を制御する為の自動制御系。自動制御装置」と書いてある。
 文科系の小生には、広辞苑で調べてたくらいではよくわからん。(笑)
 中山君、またいつか教えて下さい。(汗)(笑)

■さて続いては、中山K敬君から mail が届いた同じ日の03月07日(月)の夜、掲題・副題にもあります様に『ミニミニ同期会』を開催しましたのでご報告致します。
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 実はこの4週間余り、《会報》の話題が政治経済関係の話という堅くて面白くない話が続いてしまいました。
 万年幹事として反省した小生、「だったら、『クラス会・同期会』関係の記事を作ればいいじゃん」と思い立ち、早速行動に移しました。
 小生の勤務先がある所から程近くに在住され、『クラス会』等に参加をお願いした時もいつも快く協力して下さる、林K子さんと、小生の朋友でかつ主治医〔←特に精神面(笑)〕である中嶋Y行君【3-2】に急遽連絡を入れ、『ミニミニ時習26回同期会』を開催しました。因みに、林・中嶋・今泉の三人は、市川君や渡辺さんと同じく旧【1-4】のclassmates でもあるので『クラス会』でもあります。(笑)
 話題は、山本Y和君【3-6】がこの春の愛知県議会議員選挙にみんなの党から立候補に向け事務所開きをした話とか、多方面に及びました。
 ところが小生、お酒の pitch が早かったせいで不覚にも後半は寝てしまい、お二人には大変失礼しました。林さん、中嶋君、ごめんなさい。
 添付写真は、sleeping time に入る前に撮影した三人の全体写真です。

【後記】
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 今日のお別れは、03月08日夜、前々から一度是非聞いてみたかった 2009年ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール(The Van Cliburn International Piano Competition)に優勝した盲目の Pianist 辻井伸行君(1988.09.13 - )と佐渡裕(さどゆたか(1961.05.13 - ))指揮BBC Philharmonic の Concert が名古屋の愛知県芸術劇場 concert hall であり聴いて来ましたのでご報告致します。
 辻井君をご存じの方も多いと思います。2009年06月のクライバーン国際ピアノコンクール優勝以来01年09カ月が経過しましたが、彼の演奏が更に一段と level up したと concert を聴き実感しました。
 この日の演奏曲目は、concert としては、佐渡裕指揮BBC Philharmonic の演奏による Mendelssohn の序曲「真夏の夜の夢」Op.21に続き2曲目の Rachmaninov の Piano Concerto №2 in c minor Op.18。
 期待に違わぬ名演奏であった。曲はやや遅めの tempo で始まったが、小生、いつの間にか感動して興奮した為か身体中が熱くなった。
 全盲の為、指揮者のTakt も見えないのに完璧に rhythm が合っていて、最初から最後まで piano と orchestra の combination が絶妙で我々聴衆に驚嘆〔←①暗譜、②演奏に miss touch がない、③指揮者& orchestra との 呼吸の合わせ方、等が完璧!〕と感動を与えてくれた。
彼の encore 曲は、本人作曲の original 曲「コルトナ(Cortona※)の朝 http://www.youtube.com/watch?v=TTv1xHNOIeA (←ここを click して下さい。辻井君の演奏が You Tube でご覧頂けます)」という曲。小生は初めて聴いた曲であるが、曲想に一部素人っぽい面もあるが総体的にはなかなかの佳品であった。
 ※ コルトナは、伊・トスカーナ州にある人口2万人余りの街。シエナ(Siena)からは東へ約50kmの所にある。
 彼の演奏を或る人はこの様に評している。「伸行君の演奏するピアノの一音一音には「命」がこもっています。音楽でこんなにも聞く人を感動させ幸せにする演奏家を私はあまり多くは知りません。どんな難曲も楽しそうに、そして何より幸せそうにピアノに向かい合っている伸行君を見ていると私も幸せな気持ちになってしまいます」と。
 Rachmaninov の Piano Concerto №2 という難曲を完璧に演奏し切った。聴き終わった時の感想は『感嘆措(お)く能(あた)わず』だ。
 辻井君は、我々に「日本もまだまだ捨てたものではないぞ」という「希望」も一緒にくれた、と小生は感じた。
 《会報》次号では、「辻井伸行 奇跡の音色~恩師・川上昌裕との12年間の物語」という本から、辻井君が一流の Pianist となっていく軌跡をご紹介してみたい。辻井君は昭和63年生まれだから、小生の上二人の子供より年少なのに、あの努力と成果! 驚嘆だ! 正に辻井君は努力が培った天才だ! 次号《会報》を、乞う!ご期待!
 また03月10日の News によると、辻井君は、「2011年11月、Classic音楽の殿堂 カーネギーホール( Carnegie Hall )で recital を開き、New York での本格Debut を飾ることが9日までに分かった」。「『鍵盤の達人2』と銘打った series の1つで 11月10日夜に開催。同 series にはマウリツィオ・ポリーニ( Maurizio Pollini, 1942.01.05 - )等世界的な Pianist も名を連ねている」とのこと。活躍を期待したい。

 ついでと言っては失礼だが、concert 3曲目は、佐渡とBBC Phil.による Berlioz作曲 幻想交響曲 Op.14。そして encore 曲は同じく Berlioz の「 Hungarian march (ハンガリー行進曲) 」。この2曲の演奏も確かな技量と迫力があってとても素晴らしい演奏であったことを申し添えて置きたい。

 では、また‥(了)

2011年3月 5日 (土)

【時習26回3-7の会 0331】~「薮中三十二『国家の命運』を読んで」「白澤卓二『100歳までボケない101の法~脳と心のAnti-aging』を読んで」

■今泉悟です。月が変わり弥生。明日03月06は二十四節気でいう「啓蟄」。このところ依然として冷気は残っているものの陽射は明るくなりめっきり春めいて来ました。さぁ、今日も【2637の会】《会報》【0331】号をお送りします。
 小生、前《会報》迄、「大前研一『お金の流れが変わった』」「藻谷浩介『デフレの正体』「水の和夫&萱野稔人『超マクロ展望~世界経済の真実』」と3週連続で、今、日本が置かれている状況と日本の将来像について論じた著書をご紹介させて頂きました。
 皆さんは、どの様な感想を持たれたでしょうか?

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■さて今日は、また1冊本をご紹介させて頂きます。それは掲題・副題にある様に「薮中三十二『国家の命運』」についてです。
 本書は、実は小生昨年10月上梓された直後に購読済だったのですが、今回これもご紹介した方がいいという考えに至りました。
 昨年09月の著作で若干前の本ですが今でも十分通用します。
 まずは著者薮中三十二〔みとじ〕氏の略歴からご覧下さい。
【略歴】
1948(昭和23)年大阪府生まれ
[大阪大学法学部三年在学中ESS部長時代に外交官試験〔専門職試験〕を受験し合格]
1969年 03月阪大中退 04月外務省入省後、外務公務員Ⅰ種〔=上級職〕試験合格
1971年 米国研修〔1971~3年南Illinois大学、そしてCornell大学へ〕
1973年 Cornell大学卒業後、06月在韓大使館2等書記官
1981年 06月在Indonesia 大使館1等書記官
1983年 06月在米大使館1等書記官
1986年 08月経済局国際機関第2課長
1987年 11月北米局北米第2課長
 〔中略〕
2002年 12月アジア大洋州局長
[在任3年間に北朝鮮核問題交渉担当者[六者会合第1~3回日本代表]を務めた
2005年 01月経済担当外務審議官
2007年 01月政務(政治)担当外務審議官
2008年 01月外務事務次官
2010年 退職後、立命館大学教授(現任)

それでは本書の中から印象的な paragraph のいくつかをご紹介します。
【第一章 「アメリカ離れ」のすすめ】
 〔省略〕
【第二章 日本外交の限界】
◆ 世界が嘆くODAの激減
 薮中氏は言う。「ODAは軍隊派遣とは異なり、日本ならではの人的貢献 style だ」「世界の隅々で専門家達が現地の人々と共に働き技術指導をし、多くの日本人の若者が青年協力隊員として活動している」「現地の人々と同じ目線に立って汗水を流す、このやり方は他の先進諸国にはみられない」と。
 援助を受ける側がこの様な日本の対応を高く評価している好事例として氏は、2010年05月にTanzania で開かれた Africa 開発会議(TICAD : Tokyo International Conference on African Development)閣僚級会合の模様ことを「会合の席でキクウェテ大統領は日本における Africa 支援について、「日本くらい、きちんと約束を守ってくれる国はない。技術移転や投資等、これからも日本には大いに期待している」と絶賛。岡田克也外相の為に大統領特別機を手配して、Tanzania での全行程に自国の外相を同行させた程だった」と紹介し、「私(薮中)は、こうした実情があることを日本の人々にもっと知って欲しいと思う」と述べ、こう締め括っている。「財政が厳しいから海外へのODAはどんどん減らせ、というのは、極めて内向きの短絡的な考えと言わざるを得ない」と。

【第三章 衰退する国家から転回を】
◆ガラパゴス( Galapagos )現象への危機感
 氏は、Galapagos 現象への危機感を次の様に述べている。
「日本経済が21世紀においても引き続き活力を持ち続けるには、国内ではなく世界市場を相手にしなくてはいけない。日本が優れた技術を持っている分野、今後更に発展が期待出来る様な分野で日本型 system を世界standard と出来る様、外交力を活用し乍ら All Japan で取り組むということだ」。
「この Galapagos 現象の元は、これまでの日本が system が世界標準とならなくても『日本国内だけでも成功を収めれば企業としてやって行けた』こと。携帯電話がその代表格」。
「だが、これから人口は減少し国内市場縮小が不可避な為、世界標準で世界市場を相手にしないとダメ。system を世界に売り込まなくては日本経済は生き残れない。世界標準を巡る勝負が生死を分ける。如何に日本system を世界標準とするか、それを巡る戦いだ」。
「世界標準の分野ではEUが抜きん出た力を持つ。が、今後の日本の成長[=生き残り]戦略は、どれだけ世界標準作りで主導権をとれるかがカギだ。東 Asia で日本が主導権をとり、中・韓・ASEAN 諸国を巻き込み Asia 標準を作るというのが一つの道だ。成長する Asia 市場での標準化は事実上の世界標準に繋がる可能性がある。日本はそこで所謂創業者利益を最大化する様な取り組みが必要だろう」。「一つの明るい兆しは、南米における地デジ system の売り込みに成功したことだ。EUとの system の売込競争に日本が勝利した。 Brazil の日本 system の採用決定に続き Peru、Argentine、Chile へと広った。経済発展する南米で、地デジに関しては日本 system が標準 system となったのである」。「日本よ、世界を目指せ、それにつきると思う」のだ。

◆ 「今のニッポンは素晴らしい」
 氏は、日本人は今の日本が素晴らしい国であることは確り認識していい、と紹介している。
「話は日本論に戻る。外交官として各国の人々と接していると、「今の日本は世界でも最も素晴らしい国だ」とはっきり言う人が少なくない。では、日本はどう素晴らしいのか。任期を終え帰国する大使達に聞くと、「自然が綺麗」「文化が素晴らしい」「食べ物が美味しい」「安全で何処へでも安心して行ける」「日本人は親切」― 等が共通した評価だった。日本人にとっては当たり前だが世界標準で考えるとやはり素晴らしいこと」なのである。
「国を愛し、堂々と日本の良さを主張することが外交官には求められる」として、薮中氏は、ここで十年程前の Chicago 在勤時代の episode を紹介する。当時既に日本人の存在感がかなり薄くなったことに危機感を募らせた氏は、日本文化についての特別講演を行ったのである。氏は、「『源氏物語』に代表される平安・貴族文化、同じく『能&茶の湯』と戦国・武士文化、『浮世絵、歌舞伎』と江戸・町人文化を紹介し、過去一千年の日本文化は独自の、世界に冠たるものだと訴えた。日本人としての矜持を持って‥」と振り返っている。

◆ 危機的デモグラフィー( demography )
 氏は、日本人口の減少に強い危機感を持ち次の様に述べている。
「今の日本は素晴らしい国、と述べた。だが、問題はこれから先のことである。
2009年現在、65歳以上の高齢者が人口に占める割合は、22.8%と世界に例をみない水準にある(米国:同12%)。2050年には40%近くが高齢者になるという。少子高齢化‥心配なのは、誰も真剣にこの問題に向き合っている様には見えない点である」。
「他国は、日本が抱える最大の問題は demography、即ち人口動態の変化と理解している。高齢者が増えそれを支える現役時代が反比例して減少し、人口そのものが減少して行く社会は、常識的には生活水準が下落し続ける、先行き不安だらけの世の中だ。外国企業もその様な日本への投資は二の足を踏む。巨額な財政赤字は勿論問題だが、元気で活力のある社会であれば将来的に克服することは出来る。だが、老化し人口が縮小する一方の国家では、その見通しさえ立てられない。だから多くの外国人識者が、「何故日本では demography が差し迫った問題だとして受け止められないのか、全く不思議だ」という」。〔中略〕
 氏は、ここでフランスが少子化に歯止めをかけた実績をシラク大統領(当時)の言葉として紹介しているが長くなるので省略する。また同氏は、具体的な人口減少防止策として「外国人労働者の受入れ」を主張している。

◆Look Korea の時代
 薮中氏は、ここで韓国の global 化や、FTA(自由貿易協定)への積極的対応を見習え、と述べている。事例として、日本の地デジ system を採用してくれた Brazil で売れている地デジTV はサムスン、LG等韓国製品ばかりだった、というのだ。

◆若者よ、今こそ世界へ
 氏は、「近年、日本の若者が内向きになっている」ことを危惧し、「自分達の将来の為にも、日本の未来の為にも、若い人達に奮起して貰いたい、今、そう願ってやまない」と締め括っている。

 氏は、続いて以下の章の話をするが、容量が嵩むので省略する。

【第四章 外交交渉の要諦】
【第五章 北朝鮮はなぜ手ごわいか】
【第六章 海洋国家の矜持】
【第七章 Asia の中の日本】
【第八章 先進国首脳会議の裏側】

 薮中氏は、【終わりに】で、本書を執筆した訳を次の様に語って締め括っている。

 本書の執筆を進めるなかで、今世紀の国際社会で日本が生きていく道が何処にあるのか、それを考えることが、私達にとって急務であるとの感を強くした。
 世界各国からやって来る駐日大使の声を聞くまでもなく、今現在の日本は、いまだに素晴らしい国だと思う。しかし、問題は、この国の将来なのだ。
 増え続けた財政赤字は、債務残高904兆円、GDP 比では世界各国を圧倒する197%にも上る。これは世界の主要国が60%強という中で、天文学的な大きさである。
 今は、戦後これまでに蓄えた1400兆円の個人金融資産があるが、demography を見れば、どんどん目減りして行くのは明らかだ。1990年、日米経済摩擦時代に米国がしきりに非難していた、高すぎる日本の家計貯蓄率(当時15%)、これも、いつの間にか米国並みの2%台にまで落ち込んでいる。また一人当たり GDP も世界の Top から23位にまで沈み込んでいる。
 世界に例を見ない少子高齢化の speed は、日本を確実に、かつ、急速に衰退の方向へ向かわせつつある。また、雇用と年金への不安に代表される様な、人生そのものへの不安が社会を覆い尽くしている。
 ところが、日本人一人ひとりの生活ぶりや、世の中の論調を見ると、それ程の危機感は伝わって来ない。漠然とした不安はあるが、今の処生活が出来ている、少なくとも飢えてはいないし、当面の暮らしに困る様なこともない、というのが平均的な感覚ではないだろうか。〔中略〕
 何故もっと真剣に、今の日本が直面する課題に立ち向かわないのか、本当に不思議でならないのだ。
「日本は、少子高齢化、巨額な財政赤字等、世界的にみて全く絶望的な課題を抱えている。何とか状況を打開する為に、大胆な行動を起こす必要がある。例えば、百万人単位で外国人労働者を入れるとか、なりふり構わず、思い切った対策を取らなければならないのでは」
 そう問いかけた処で、何処か他人事の様に、「確かに難問山積だ。しかし外国人労働者を入れれば問題が起きるだろうし、焦らず、もう少しじっくり対策を考えるべきではないかね」という反応が返って来る。そして、何の対策も取られない儘時間だけが過ぎて行く。
 世界各国、世界の投資家達が険しい眼差しで見つめる日本の demography、近い将来、労働力が急速に失われて行く国に、誰も本格的な投資などしようとしない。
 日本は待ったなしの状況にあることを、我々国民一人ひとりが認識しなくてはならない。その上で、超党派で政策を打たなければならない。整合性のない政党間合意、各省持ち寄りの継ぎ接ぎ政策ではなく、少子化に歯止めをかけ、demography を反転させることが決定的に大事である。その具体策を本書で示したつもりである。〔中略〕

 外交も、その戦略の中で重要な役割を果たさなくてはならない。今後、世界の重心は Asia を中心に新興国家に移って行くであろうが、これは日本にとって大きなchance だ。これから先の経済は、system 作りがカギを握る。欧州諸国の専売特許だった system 作りで、日本が主導的役割を果たす chance が巡って来たとも言える。Asia を舞台にした「Asia 版標準」、それを世界の「de facto standard ※」として行く様な姿勢をとることだ。
 ※デファクト・スタンダード=「結果として事実上標準化した基準」のことで、先行者が作った system や rule が事実上の基準となること。

 言うは易く行うは難しだ〔中略〕だが、chance とは掴み取るものだ。日中韓三ヶ国の summit が軌道に乗って来た。〔中略〕Brazil や India 等他の新興国家も日本との協力を大いに進めたいという姿勢を示している。忘れてならないのは、今はまだ、日本が技術力で Top を走っていることだ。多くの新興国家は、日本の技術力に憧れに近い感情を抱いている。ここで日本が技術力を発揮し、system を標準化し、創業者利益を最大化することだ。〔中略〕
 この為にも、日本が、特に日本の若者が世界にもう一度目を向け、内向きにならず、世界の舞台に飛び出して行くことだ。そこでは、ぜひ、本書で指摘した様にしゃべれる英語を master し(これは決して難しいことではない)、logic 力をつけ、攻撃力をつけ、世界と堂々と渡り合って欲しい。

 2010年06月、小惑星探査機「はやぶさ」が七年、60億キロもの長い旅を終えて、地球に帰還した。日本が持っている技術力の高さ、そして伝統的な teamwork の見事さに多くの国民が拍手を送り、また誇りを持った筈である。同じことは、W杯 soccer 南 Africa 大会での日本代表の活躍にも具現化されていた様に思う。
 時代を嘆いているだけだは何も始まらない。時代は人間が作って行くものだ。若い人達には未来があり、その未来を示すことが出来れば、この国にはまだ希望がある、私はそう信じている。 2010年09月 薮中三十二

【小生comment】
 薮中氏の言葉は、極めて自然であり、説得力を持っている。「日本は待ったなしの状況にあることを、我々国民一人ひとりが認識しなくてはならない。その上で、超党派で政策を打たなければならない」と氏の言う通り、この国難を超党派で迅速かつ果敢に対処し乗り越えて行かなくてはならない。
 現状の国政は、時宜を得た的確な政策決定が為されず機能不全の状態で、明らかに典型的な衆愚政治〔= mobocracy, ochlocracy〕に陥ってしまっている。
 小生思うに「政体が『民主主義』→『寡頭政治』→『帝政』へと移行して行った古代ローマのことを現代の日本政治に重ね合わせ、人類の思考形態は2千年前も今も基本的には変わっていない。民主主義の限界を Caesar という賢人の出現を得て乗り越えた古代ローマのほうが幸せだったかも知れない」と。
 即ち、古代ローマ時代、ローマ市民の中核を為す自営農民の救済に尽力するも元老院等の反対により失敗したTiberius(163-133b.c.) & Gaius(153-133b.c.) Gracchus兄弟の死から、Marius(157-86b.c.)、Sulla(138-78b.c.)夫々の独裁政治を経て、Pompeius(106-48b.c.)・Caesar(102-44b.c.)・Crassus(114-53b.c.)の第一次三頭政治、Octavianus(63b.c.-14a.d.)・Antonius(82-30b.c.)・Lepidus(?-13b.c.頃) 等による第二次三頭政治、そして Caesar の終身独裁官、更に Octavianus 即ち Augustus による帝政への移行‥。これ等政体の移行は、歴史的にみれば制度疲労を起こし機能不全を発症した多数決至上主義の民主主義の限界を、寡頭政治を経て Caesar や Augustus 等の賢人による独裁政治で改革を具現化し成功へと導いたのである。この二人の賢人の独裁者出現により古代ローマは一大発展を成し遂げていくのである。

 上記事柄を現代に当て嵌めると、共和制末期に当たるのが現代日本であり、共産党一党独裁の中国が寡頭政治に近いと言えるであろうか。
 となると、現代日本の政体では、寡頭政治や帝政は憲法上可能性はゼロである為、現状の議会制民主主義の paradigm の中で超党派による善政を期待するしかないことになる。しかしこれも、立派な政治家が皆無に等しく所謂「政治屋」しかいない様な現状では、「座して死を待つニッポン」にならざるを得ないのであろうか。〔長嘆息〕

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■さて気分が重くなったところで、気分転換しましょう。最近読んだ本からまた一つご紹介します。「白澤卓二著『100歳までボケない101の法~脳と心のAnti-aging』」についてです。
  白澤氏は、「ボケない人ほど長生きできます」と述べているが、その『100歳までボケない101の法』の中から印象に残った2つをご紹介したいと思います。

◆[73]彫刻家や画家はなぜ長生きするのか
 彫刻家では、平櫛田中(でんちゅう)さん(107歳)〔中略〕、画家では小倉遊亀(ゆき)さん(105歳)、片岡珠子さん(103歳)、Marc Chagall(97歳)、Pablo Picasso(91歳)と長生きが多い。〔中略〕脳の中で手を動かしている部分は足より大きい。手をしょっちゅう動かしているのは、それだけ脳を動かしていることになります。
 創造的な仕事について、それが好きでずっと続けられたということは、常に脳も生き生きとしていたといってもいいでしょう。
 もう一つ注目したいのは、絵にしても彫刻にしても、それを描いている時は勿論ですが、普段から描くべき theme を持っていることです。〔中略〕描きたいことがある。これが重要なのではないでしょうか。
 生きがいと言い換えてもいい〔中略〕、これを一生持ち続けたことが長生きに繋がったと思っています。芸術家、経営者の中で長寿者が多いのは、自らの生きがいが仕事にあったからとは言えないでしょうか。
 健康長寿の為に食事や運動、更に生活の改善を提案して来ていますが、これ以上に重要な要因が生きがいにあると思います。
 生きがいがあるから、やりたいことがあるから、長生き出来るのです。〔中略〕百名山を登る、世界遺産を訪ねる、日本の風景を写真に撮る、何でもいいのです。〔後略〕

◆[70]いつまでも男と女
 ある sport club で少し年齢の高い人向けの course に参加している人から、いい話を聞きました。
 Instructor の女性が、健康7カ条というものを教えてくれたそうです。この本を読んでいる人に大変参考になりますので、ご紹介させて頂きます。

 ①1日に20分は歩く
 ②声を出して新聞を読む
 ③料理をする
 ④2日前のことを思い出してみる
 ⑤人と積極的に会う
 ⑥公共の乗り物を利用する
 ⑦恋をする

 以上の中で、注目したいのが7番目の「恋をする」です。〔中略〕
 Communication の基本は相手と共感することです。相手と深く共感するのは、恋愛でしょう。好きになる、恋をする。
 若者でもあるまいし、と思われるかもしれませんが、人に会ってときめくことは脳の活性化には非常に有効です。恋愛とまではいかなくても、素敵な人だなと思うだけでもいいのです。恋心、ときめく感情は、若々しくさせてくれます。おしゃれにも繋がって行きます。異性に対して関心を失うと一気に若々しさが失われて行きます。〔了〕

【小生comment】
 PPK〔ピンピンコロリ〕運動推進者の小生には白澤氏の上記の suggestion は大変参考になります。共感できます。(笑)
 皆さんはどう思われますか?

【後記】
 今日のお別れは、前号に引き続き「春」を theme にした俳句をご紹介させて頂きお別れしたいと思います。
 今週初日曜日の夜半から月曜日にかけて久しぶりに雨が降った。「春」の訪れを「雨」の情景を遣い表した秀句をご紹介します。
 小生、この句が好きで、【2637の会】《会報》でも2008年02月【0152】号、2010年03月【0280】号と二度ご紹介させて頂いています。

 春暁やひとこそ知らね木々の雨  日野草城

【意】春の早朝、目覚めた床で耳を澄ますと、外は雨の様だ。木々を濡らして降る雨音が微かに聞こえて来る。まだ誰も気づいていない様だ。

 草城には他にも次の様な「春の雨」を詠った句がある‥

 ゆふぐれのしづかな雨や水草(みくさ)生(お)ふ  草城

 小生も、草城の句に触発されて virtual な拙句を一句‥

 春宵、雨 而して浮かぶ 君の影  悟空

【注】影=面影
 毎度のことですが、お粗末様でした‥(笑)

 では、また‥(了)

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