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2011年5月の4件の記事

2011年5月27日 (金)

【時習26回3-7の会 0343】~「05月24日:豊橋技術科学大学副学長兼教授 菊池洋氏講演『人体に対する放射線の影響』を聴いて」「松原久子著『驕れる白人と闘うための日本近代史』から第七章~第九章』」

■今泉悟です。前号の《会報》出状からもう一週間経ちました。【0343】号をお送りします。

 時の経過は早いものです。しかし一方で、福島第一原発事故の復旧作業は、なかなか進んでいない様な感じですね。
 最近になって第1~3号基がいずれも炉心溶融(melt down)していると東電の福島原発事故報告書で明らかとなりました。
 03月11日の事故発生から2箇月半が経とうというのに、事故解決に向けての確かな足取りというのが感じられない。
 炉心溶融していたことにより、今後どの様な risk が顕在化するのか。素人の国民に解る様な説明が欲しいものです。
 そうでないと、不安感だけが増幅されてしまいます。
 事故で破損した原発設備を今後どの様にしていくのか、更には放射能汚染が人体に及ぼす影響がどの数値迄なら安全なのか等、政府は、「根拠を明確に示して」説明していないため、原発の危険度合いをよく知らない国民に徒(いたずら)に不安感を醸成させてしまっています。実に拙い対応だと思います。

■そう思っていた矢先、掲題・副題にあります様に一作昨日の05月24日、豊橋市内で開催された豊橋技術科学大学の菊地副学長・教授の講演会「人体に対する放射線の影響」がありましたので聴いて来ました。
 そもそも小生、「放射能がどうして人体に悪影響を及ぼすのか」すら知らない原発の門外漢です。
 そういうことが解っただけでも聴いた甲斐がありましたのでその概略について【2637の会】members の皆さんにご報告します。多くの皆さんは既にご存知かもしれませんね。ご存知の方はここは読み飛ばして下さい。
 ではちょっとのお時間、中学か高校の物理のお勉強の時間にお付き合い下さい。(笑)

【「物質」は何で出来ているのか‥元素と放射性同位元素‥】
※ 全ての「物質」は「原子」から出来ている。「原子」は「原子核」とその周りを回る「電子」から出来ている。更に「原子核」は「陽子」と「中性子」から出来ている。
※ 「原子」の化学的性質は「陽子」の数によって決まり、「陽子」の数(=化学的性質)が同じで「中性子」の数が違うものを「同位元素」という。
※ 「同位元素」のうちで「原子核」が崩壊し放射線を出し、他の「原子」に変わる性質をもつものを、「放射性同位元素(ラジオアイソトープ/Radioisotope :RI)」という。

【「放射能」と「放射線」】
「原子核」は「陽子」と「中性子」で出来ている。その比率の balance が悪いと「原子核」は崩壊し、その際、「放射線(= energy を持つ粒子や電磁波)」を放出する。この性質を「放射能」という。

【「放射線」の種類と浸透力】
「放射線」の種類には、α線、β線、γ線・X線、中性子線がある。
 α線:紙1枚程度で遮断出来る。
 β線:アルミニウム板1㎜ or アクリル板10㎜で遮断出来る。
 γ線:鉛板10cm or コンクリート板50cmで遮断出来る。
 中性子線:最も透過力が強く、水やコンクリートの厚い壁に含まれる水素原子により遮断出来る。

【半減期】
「放射性同位元素」は、「放射線」を出して別の「原子」に変わり、それ自身は減っていく。丁度半分になる時間を半減期と言い、「放射性同位元素」の種類によって固有の値を持つ。
[例] ヨウ素131=8.04日 セシウム137=30.174年 ストロンチウム90=28.8年 etc.
※ 尚、半減期が8日といっても16日でゼロにはならない。16日で1/4、24日で1/8、32日で1/16、という様に、半減期経過毎、半減していく。

【主な単位】
※ 吸収線量=グレイ( Gray, 記号:Gy:定義 J/kg):ある物質が放射線に照射されたとき、その物質の吸収線量を示す単位がグレイ。
〔‥次の二つの単位が、最近ニュースで使われる「シーベルト(Sv)」と「ベクレル(Bq)」です‥〕
※ 線量等量=シーベルト( Sievert, 記号:Sv:定義 J/kg ):吸収線量値(グレイ)に放射線の種類ごとに定められた放射線荷重係数を乗じて線量当量((シーベルト)を算出。←人体が受けた放射線の影響は、受けた放射線の種類(α線・γ線等)により異なる為〔 Sv = 放射線荷重係数 × Gy 〕
※ 放射能量=ベクレル( Becquerel, 記号: Bq )とは、放射能の量を表す単位で、SI組立単位の1つ。単位記号は[Bq]。1秒間に1つの原子核が崩壊して放射線を放つ放射能の量が1 Bq。
※ 尚、マイクロ(μ)=1/1,000,000 ミリ(m)=1/1,000 

【ベクレルとシーベルトの換算】
 ベクレル(Bq)は、崩壊数という物理量であり、シーベルト(Sv)は実効線量(線量等量)という生物学を加味した影響度の単位の為、換算は難しい。
※ 換算式:Bq 値/kg × 1日当たり食べた量(kg) × 日数 × 係数 = 被ばく量(mSv)
〔例〕ホウレンソウ1kg当たり500Bqのヨウ素131が入っているとする。それを毎日100gずつ1カ月食べ続けた場合
  500Bq/kg × 0.1kg × 30日 × 0.000016 = 0.024 mSv

【我々自身が体内に抱えている放射線】
 人体の重量の18%は炭素(C)、0.2%はカリウム(K)である。
 体重60kgの人の場合、10.8kgの炭素と120gのカリウムを持っている。
 炭素もカリウムも(放射性同位対比により)放射能を持っており、それから換算すると、カリウム 3,960Bq、炭素 2,700Bqの放射能を持っている為、その分周囲の細胞は放射能を浴びていることになる。

【自然放射線】
 地球は、年間、宇宙線と地殻から 1mSv(外部被ばく) + ラドン(気体)1mSv(内部被ばく) = 2mSv/年 被ばくしている。

【人体への影響‥生きているとはどういうことか?‥】
 常に、物質交代〔代謝〕が起こっている = 設計図DNAによってタンパク質が renewal されている。
「放射線」は、この大切なDNAに傷をつけてしまう ‥ これにより「がん細胞」が生成される →「発がん」に至る
 大量の「放射線」を浴びた場合、DNAはズタズタに切れてしまう。すると細胞は再生されなくなり死に至る。

【放射線によるがん発症率】〔以下、国立がんセンターの Home Page より〕
〔‥喫煙によるがん発症率と比べてみると‥〕
※ 「能動喫煙者」の肺がん発症率は「非喫煙者」の何倍か?
〔男〕4.39倍 〔女〕2.79倍
※ 「受動喫煙〔←但し、男女別の date なし〕」
〔家庭内〕1.29倍 〔職場〕1.14倍

 **********

 放射線の発がん影響について[2011.03.28]
 詳しくは、http://www.ncc.go.jp/jp/information/pdf/shiryo3.pdf をご参照下さい。
 それによると、
 1. 放射線被曝と発がんリスク‥「広島長崎の原爆被曝者の追跡調査では、被爆後2-3 年でまず白血病が増加し始め、5-10 年でピークに達し、その後時間の経過とともに低くなっています。白血病以外のがん(固形がんと総称:乳・甲状腺・食道・結腸・胃・肝臓・肺・卵巣・皮膚・膀胱がん等)は、被曝後10年目位から増加が始まる」
 2. 被曝線量と発がんリスクの関係‥「広島・長崎の原爆被曝者では、固形がんの合計でみると、200 ミリシーベルト(mSv)以上の被曝線量で、線量の増加と発がんリスクの増加が直線的な比例関係にある」とし、「成人が1000 mSvを一度に被曝すると全固形がんの発がん risk 1.6 倍に増加する」という。
 3. 低線量域での発がんリスク‥「200 mSv以下の低線量域では、広島長崎の原爆被曝者においても明らかな発がんリスクの増加は確認されていない」が、「100 mSvでは risk 比は1.06 倍と推定出来る」。

【小生 comment】
 講演会に於ける菊地先生の話では、全国大学協力による各地の空間放射線量測定結果〔05月21日(土)~22日(日)現在〕によると、福島県福島市で2.54 mSv/年。Risk 比は1.0015倍と極めて低い。因みに、東京都文京区:1.14 mSv/年、愛知県豊橋市:0.70 mSv/年、であるから更に低くなるとのことである。

 カナダのオタワに事務局を置く、国際放射線防護委員会(ICRP:International Commission on Radiological Protection)が原発事故から10日後の03月21日に、「放射性物質の被曝限度を、一般人で20~100 mSv/年に「引き上げ」る様、勧告を出した。
※ http://www.icrp.org/docs/Fukushima%20Nuclear%20Power%20Plant%20Accident.pdf ←※ ICRP勧告原文〔2011.03.21〕

 以上から言えることは、現状、福島第一原発事故による放射能漏れによる被曝問題については安全域にある、ということだ。
 ただテレビの報道で福島県の母親達が訴えていた様に、子供たちへの被曝については、放射線がDNAを傷つけるので「がん発症の risk が高まる」と心配するのも無理からぬことである。
 政府は、国民宛に、確りとした化学的根拠を示して、上限 20 mSv/年までの被曝の安全性について説明しなければいけないと思う。それだけの accountability(説明責任)を果たすべきだと思料する。

■続いての話題です。前々号の《会報》から続いている、松原久子著『驕れる白人と闘うための日本近代史』から、今日はその detail の第三弾『第七章~第九章』をご紹介したいと思います。以下は、その detail です。ご覧下さい。

【第七章】誰のものでもない農地:欧米式の「農地改革」が日本に大地主を生んだ

 第二次世界大戦で、日本は敗戦した。〔中略〕GHQの指導により、1946年「農地改革」によって日本の農民は、〔中略〕「何百年も続いた農奴的存在から救い出され、長い間認められなかった人間の尊厳を与えられた」と当時の記録の中で称賛されている。この考え方は、今日も変わることなく生きている。
〔【小生注】しかし、松原氏は、「GHQ主導で今日の我々日本人が理解しているこの考え方は間違っている」と明言している‥〕
 即ち、1946年の「農地改革」以前の大地主は実は、1872(明治05)年の「農地改革」以降農地を所有していった僅か75年に満たない短期間に作り上げられた人達だからである。
 1872年の「農地改革」は、それまで「土地の所有」を「賃貸権と使用権」だとする従来の考え方から、〔中略〕新しく「個人的な土地所有権の概念」が取り入れられた為、これ以後、農地の共同所有や賃貸契約の申し合わせといった長年培われてきた system が崩壊してしまった。零細農民たちは生活に困窮する都度、自身の手許にあった所有権を二束三文で手放し小作人に転落していった一方、金を持った都会の商人たちはこれを chance とばかりにあっと言う間に農地を手にし、大地主〔=不在地主〕になっていったのである。

【第八章】大砲とコークス:日本はなぜ「自発的に」近代化しなかったのか

〔【小生注】この章で松原氏は、鎖国時代の日本が、近代化出来る実力があり乍らそれをしなかった理由を、①辺境の地に立地、②豊かな国土、③供給過剰、にあると説明している‥〕

 欧州の近代化の代表である「工業化」は、英国で始まったのが最初だが、それは何故か?
 英国に産業革命を促した理由を一つだけ挙げるとすれば、それは「16世紀におけるスペインの脅威」だと言わねばならない。
 当時英国では、スペイン国王のフェリペ二世が、ローマのカトリック教会から離反した英国を征服し、罰する為に強力な無敵艦隊を組織しているとうい情報伝えられていた。フェリペ二世の父親は〔中略〕「我が帝国には、太陽の沈むことがない」と豪語した神聖ローマ帝国皇帝カール五世である。
 英国は戦力確保の為に、国内で産出される「鉄」で大砲で作った。〔中略〕1588年、英国は無敵艦隊を破った後も、鉄製の大砲の生産を続け、戦艦・商船・英国王室認可の海賊船にも装備され、英国は世界最大の海軍国になった。1600年前後に於ける鉄生産量は年間1万トンに達した。
 その結果、鉄1トン溶解するには数トンの木炭が、木炭1トン生産する為に数トンの木材が必要だった為、1630年頃迄に、英国の森林保有量は激減。
 それ以降、英国内で豊富に産出される「石炭」から石炭を蒸し焼きして出来る発熱量の高い「コークス」製造が考え出され、約1世紀後、コークスは蒸気機関を動かすことになるのである。〔中略〕
 それ以降、資源にも気候にも恵まれているとは言えない島国の英国が生き残る道は、海外貿易しかなかった。〔中略〕全ての海洋を超えた領土の拡張、諸国の征服、征服による原料と製品の確保、植民地の建設、〔中略〕武器と航海計器の弛まぬ開発、〔中略〕
 そして最後に、蒸気機関の発明であった。蒸気機関は、殆ど無限の energy 源として、世界の姿を一変させた。蒸気機関のお陰で、生産過程は次々と機械化され、飛躍的な進歩が齎された。〔中略〕商品の生産能力は数倍にも上がり、工業化時代が始まった。

 日本では、状況は全く違っていた。日本は欧州から遥か彼方の片隅に位置し、〔中略〕防衛に関しては英国とは比較にならぬ程良い立地条件にあった。その為、鎖国によって国を守るという贅沢を享受することが出来たのである。〔中略〕
 日本は自然が豊かで、気候にも恵まれていたので、鎖国をしていたのにも拘らず、三千万人の人間を養うことが出来た。工業化以前の英国の三倍の人口である。
 〔中略〕商品と service は供給過剰にあった為、日本では工業化が「発明」されることはなかった。国内だけで過剰になっている生産を機械の助けを得て更に増加することは、不合理で馬鹿げたことだったからである。〔後略〕

【第九章】高潔な動機:「白人奴隷」を商品にした欧州の海外進出

 〔前略〕如何に中部・北部欧州が貧しかったかは、Orient から欧州へ流入して来た商品と欧州が近東に届けることの出来た商品を比較してみると良く分かる。〔中略〕Orient からは香辛料を始めとする様々な商品が運ばれて来た。
 一方、欧州から近東への商品 list はささやかで簡単だった。羊毛、皮革、毛皮そして蜜蝋である。〔中略〕15世紀半ば迄の欧州の対 Orient 貿易は慢性的な赤字続きであった。〔中略〕欧州の上流階級の人々の Orient 商品への渇望は、貪欲で飽くことを知らなかった。需要拡大に反比例して欧州の金・銀の貯蔵量は減少していった。そこで、何世紀にも亘って Asia への輸出の為に特別な商品が用意されたのだった。その商品とは欧州人の奴隷である。〔中略〕
 中世初期に、北部のヴァイキング(Viking)が Russia の川筋に沿って黒海迄南下して来た時、奴隷は、極北の国で捕れる毛皮に次いで主要な商品だった。〔中略〕
 この利益の多い生きた商品の交易は、キリスト教国だったアルメニア(Armenia)を繁栄させた。〔中略〕「奴隷(slave)」は、語源的に「スラブ人(Slav)」と同じである。大掛りな奴隷狩りが行われた。Poland からボルガ(Volga)河に沿ってウラル(Ural)山脈に至る Russia の平原で、欧州の奴隷狩り専門家たちによって、スラブ人の男女が捕えられたのである。
 1453年頃にコンスタンチノープルがオスマン・トルコによって征服される迄は、特にジェノヴァの商人たちが奴隷貿易を行っていた。〔中略〕
 今日、欧州人のダイナミズムは、元を正せば彼等の絶望と怒りの産物である。彼等が渇望している香辛料、絹、染料、薬、陶器〔中略〕等と引き換えに、彼等から金・銀、そして白い肌の女性を奪い取ったアラブ人に対する激しい怒りの産物なのである。
 海洋国家と呼ばれて世界史に登場した国々は、執拗な粘り強さで、Orient の財宝を直接我が物にする為に邁進した。彼等は堅牢な船舶、完成された航海術、強力な軍事力を備えて航海に出発したのである。そして発見者と呼ばれるに相応しい行為を成し遂げたのである。それは過酷な戦いだった。〔中略〕こうして欧州人はインドへ、アジアへと進出していったのである。〔中略〕
 欧州人はアラブの商船を見つければ、予告することなしに攻撃し、沈めた。
 こういったことを可能にした決定的な要因は、欧州艦隊の圧倒的な軍事力と乗組員たちの確固たる目的意識であった。〔中略〕ポルトガル人は20年程でインド洋西側のアラブの商船を殆ど壊滅させ、攻撃して来たトルコの全艦隊を打ち破ってしまった。〔後略〕

【小生comment】
 【第七章】では、戦後の「農地改革」が鎖国時代よりずっと以前の「日本古来」からいた大地主から農民たちを解放したと間違った理解をして来たこと。
 【第八章】では、英国が何故産業革命の先駆けとなり得たのか、一方、日本が工業化出来る実力を持ち乍ら何故能動的に「工業化」に踏み切らなかったのか。
 【第九章】では、欧州人が何故大航海時代という一時代を作り上げ世界に羽ばたいていったのか。
 以上のことについて、松原氏は大変解り易く説明してくれたと思う。

 人類の歴史は、簡単に言ってしまえば、結局の処、「強者が(欲望を満たす為に)弱者を征服する」その繰り返しだった、ということである。

■牡丹の花が美しい季節です。
Photo

 ちりてのちおもかげにたつ牡丹かな  与謝蕪村

【解説】牡丹の花は、散った後も往時の美しい花の姿が思い浮かぶほど強い存在感で迫って来る。

 明日・明後日は、中嶋君【3-2】、谷山君【3-3】両君、そして、城跡巡りがご縁で親しくさせて頂いている青木さんの4人で、北陸路の城址巡りに行って来ます。
 その模様は、次回《会報》にてご報告させて頂きます。
 では、また‥。(了)

2011年5月20日 (金)

【時習26回3-7の会 0342】~「05月20日:「今日の新聞から『日本を救ったつぶやき』」「05月13日:「時習館高校、平成23年度『コアSSH』指定さる」「松原久子著『驕れる白人と闘うための日本近代史』から第四章~第六章』」

■今泉悟です。時の移ろいは早いものですね。明日05月21日は、時節で言えば「小満」。薫風とか緑風という季語が現実味を帯びて来る今日この頃です。豊橋の街にも燕が飛んでいる姿を見つけました。そろそろ巣作りが始まる頃です。昨年は、小生の勤務先のビルに2つの燕の巣が出来、いずれも無事巣立って行きました。さて、今年はどうなるでしょう。
 皆さんお元気でお過ごしですか。さぁ、今日も【2637の会】《会報》【0342】号をお送りします。

■さてまず最初の話題は、今日05月20日のMSN産経ニューズ〔経済・ITニュース〕に心温まる以下の記事を見つけました。
【 from editor 】
《 日本を救ったつぶやき 》2011.5.20 07:36
 今月初め、実にうれしい外電に接した。3日付の台湾紙「自由時報」と「聯合報」に、東日本大震災への支援に対する日本の感謝広告が載ったという記事である。
 「ありがとう、台湾」という日本語と、「愛情に感謝します。永遠に忘れません」という中国語のメッセージ。広告主は日本政府ではない。川崎市のフリーデザイナーらネットユーザー約6千人だという。そのことに、いたく心を動かされたのだ。
 話は4月11日にまで遡(さかのぼ)る。大震災から1カ月がたったこの日、日本政府は国際英字紙インターナショナル・ヘラルド・トリビューンと米英仏中韓露の1紙ずつの計7紙に支援感謝の広告を掲載した。支援の手を伸ばしてくれたのは、134カ国・地域もあったにもかかわらずである。
 日本政府の感謝の対象にならなかった台湾は大震災直後、早々と救援隊28人を送ってくれた。約160億円もの義援金も集めてくれた。「台湾にもお礼したい」。フリーデザイナーがその思いをツイッターでつぶやいたところ、賛同者が集まり、感謝広告を出すためのお金が約1930万円も集まった。その額は台湾2紙への広告費240万円を軽く上回った。余ったお金は日本赤十字社に寄付されたという。

 注目してほしいのは240万円という広告費である。台湾は人口約2300万人。物価レベル等も考えると、この金額は世界標準とも言える数字だろう。そうだとすれば、134カ国・地域すべてに感謝広告を出しても、予算は3億円前後ではないか。その金額を出さなかった理由を外務省は、衆院外務委員会でこう言っている。
 「復興にお金を振り向けるなかで、ぎりぎりの範囲で予算の枠を設けたため」
 いかにも情のない菅直人首相が率いる内閣らしい答弁である。さすがにまずいと思ったか、外務省はその後、感謝広告を他の国々でも順次出し、今月11日までに64カ国・地域で掲載した。それでもまだ、道半ばという遅々とした仕事ぶりも菅内閣らしい。
 ネットユーザーらが出した広告を見た台湾行政院(内閣)の楊永明・新聞局長はこうコメントしている。

 「お礼を期待していたわけではないが、みんな感激している」

 これが人情というものだろう。菅内閣の失政を見事にカバーしたネットユーザーたちは日本の信用と品位を守ってくれた。厚く感謝したい。(編集長 安本寿久)

【小生 comment】
 東日本大震災に支援の手を差し延べてくれた134カ国・地域の全てに対し、日本政府は速やかにお礼をして欲しいですね。
 そして、日本の信用と品位を守ってくれたネットユーザーの皆さんに最敬礼! (^^)ゝ

■続いての話題です。一週間前の05月13日、地元の東日新聞に【時習館高がコアSSH指定】という記事が掲載されました。〔以下の URL ご参照 http://www.tonichi.net/news.php?mode=view&categoryid=1&id=36088
 これは、先月11日、文部科学省が、「平成23年度スーパーサイエンスハイスクール・コアSSH(Core Super Science High school)』を20校指定したのですが、その中に母校・時習館高校が選ばれたという次第である。〔添付資料[01]ご参照〕
23ssh20

 因みに、昨年平成22年度・コアSSHに指定された9校〔福井県立藤島高等学校、愛知県立岡崎高等学校、京都市立堀川高等学校、大阪府立天王寺高等学校、兵庫県立神戸高等学校、岡山県立玉島高等学校、広島県立広島国泰寺高等学校、長崎県立長崎西高等学校、大分県立大分舞鶴高等学校〕は、引き続き平成23年度も取組を実施する為、全部で29校が指定されたことになる。
 時習館高校がコアSSHに指定されたのは、「海外の理数系重点校との連携」。具体的には、英国セント・ポールズ校( St Paul's School, London. ) と来年、合同で研究発表する計画である。記事によると、既に岡崎高校や旭丘高校等からも参加者希望が相次いでいるという。後輩達の頑張りを期待したい。

■さて続いての話題です。前号の《会報》に続いて、松原久子著『驕れる白人と闘うための日本近代史』から、今日はその detail の第ニ弾『第四章~第六章』をご紹介したいと思います。以下は、その detail です。ご覧下さい。

〔【小生 comment】以下の三章で松原氏は、鎖国時代の江戸時代日本の政治経済がその当時の先進西洋諸国と比べても遜色ない水準に達していたことを例証している‥〕
【第四章】税のかからない商売:商人は独自の発展を遂げていた
〔【小生 comment】江戸時代の日本は、既に〕国内市場が統一されていた。陸路・水路共に全国的な流通網があり、度量衡も統一されていた。〔中略〕
 通貨も全国的に統一されていた。ドイツで1870年代に至る迄徴収されていた国内関税等というものは、日本では既に17世紀が始まる前からなかったのである。〔中略〕
 江戸時代の日本は、とにかく働きたい人間が多すぎるのである。日本は供給過剰社会であった。〔中略〕
 それは「売らせて頂く」「買ってやる」社会である。市場で生き残りたい手工業者は、製品の品質改良をするとか絶えず競争して努力した。〔中略〕品質が良く信頼性の高い製品だけが chance を摑める市場が発達した。商人達の商いも「顧客の信用」こそが第一だった。〔中略〕
 今日、日本の工業製品は、細部に於いて欧米製品より優れたものが多いと一般に言われている。Design 良く、compact で、高品質、高機能、〔【小生注】本書が上梓された1989年当時を基準として〕数十年前迄はまだ全盛を極めていた欧米諸国の工業部門を奈落の底に落した日本人のこの能力は〔中略〕統一した経済圏として纏まり、鎖国という条件の中で、品質に対する高度な意識と商人的能力とを発展させた。そしてそれは、四百年前に既に始まっていたのである。

【第五章】金と権力の分離:サムライは官僚だった
〔【小生注】当時日本の総人口三千万人のうち〕武士階級は凡そ二百万人いた。人口の7%である。彼等は言わば salaried man である。給与は米で支払われ、全体としてはほぼ一定に定められていた。ということは、サムライの給与は、その間生活費は高くなっていったにも拘らず、鎖国時代の初めから終わりまで固定されていたということである。
 給与が唯一の収入源であったサムライにとって、その他の階級の人達、特に商人と比較すると、生活は苦しくなる一方だったのである。〔中略〕
 彼等の貧しさは、鎖国状態が続けば続く程、益々目に見えて深刻になった。
 社会の最上級の身分に位置し、人々の手本とならねばならない彼等は、倹約を旨として慎ましく生きなければならなかった。〔中略〕倹約の美学は、「サムライは貧困などものともしない、我々は学問と高い理想を持っている」と言える様に彼等の意識は教育されていた。〔中略〕

 サムライ階級の内部で昇進の可能性が限られていたことは、鎖国時代の末期に於いて不穏な状況を引き起こす要因となった。自分達にはその能力があると信じてい乍ら、役職への昇進が阻まれていると感じている下層身分のサムライ達が沢山いた。その様な若く野心的な地方出身の身分の低いサムライ達が、鎖国時代の終わりに率先して幕府に反抗し、将軍の退位を要求したのだった。〔後略〕

【第六章】一人の紳士:初代英国駐日公使・オ―ルコックが見た日本
 開国した当時、日本を訪れた欧米人達の多くは確りと日本を観察し、その印象について詳細に報告しているのに、「当時の日本は遅れた未開の国であった」という考えが、欧米人の深層心理の中に、何故これ程根強くあるのか、この疑問についてもう少し考察したい。〔中略〕
 開国当時の最も興味ある目撃者と言えるのは、ラザフォード・オ―ルコック卿である。彼は英国の初代駐日公使だった。〔中略〕彼の在任期間は1859~64年迄である。彼は決して、フェノロサやラフカディオ・ハーンの様な日本愛好家ではなかった。〔中略〕当時の日本について記した著作「大君の都」には、彼が思わず意に反して吐露してしまった感嘆と、植民地王国の矜持とが綯交(ないまぜ)になっている。彼は書いている。
「将軍の都は心を奪われる程美しい。〔中略〕将軍の居城のある町の中心部の官庁街は、〔中略〕仮に占領出来ても、その後、安全に確保し続けることは出来ないだろう」。
 またオールコックは、開国したばかりの江戸の町中を馬に乗って見物して回った。冷静沈着なこの英国人が観察した結果は、次の通りである。
「表面的に見れば、日本は封建国家である。比較するとすれば、欧州の歴史では12世紀が該当すると思われる。ところが実際に今、我々がこの国で目にするものは、(12世紀の欧州では見られない様な)平和と物質的な豊かさ、そして人々の満足した顔である。
 ‥‥二百万人以上の人口を持つ江戸は、恐らく欧州のどの首都にもないものを持っている。例えば、最高に手入れの行き届いた道路である。〔中略〕‥‥どの道も清潔である。ゴミ一つ落ちていない。〔中略〕不快な人の姿を見ることもない」。〔中略〕
 オールコックの本から長々引用したのには、二つの理由がある。まず第一は、日本人の生活や行動について、目に見える様に具体的で詳細な記述をしている点で、他を凌駕していること。二つ目は、彼が信用に足る過去の重要証人であるから。何故ならは、彼は日本のこの時代を終わらせる為に行動した一人だからである。
 国土が美しいこと、道路、家々、庭、田畑の手入れが行き届いていること、人々が豊かなこと、日常生活が活発なこと、日本人は器用であること、楽しそうで満足していること等全て、オ―ルコックは自身の目で見て評価している。にも拘らず、彼は、日本人は能力を持った民族で、その balance のとれた文化と生き方は、英国や欧州文化圏と比べて何ら遜色のないものであるという結論には達することはなかった。〔中略〕彼には、日本人はやはり自分達とは本質的に異なった奇妙な民族でしかなく、そして何よりも異教徒に過ぎなかった。〔中略〕オールコックはその本の中に書いている。
「彼等(【小生注】日本人)は偶像崇拝者であり、異教徒であり、畜生の様に神を信じることなく死ぬ、呪われ永劫の罰を受ける者たちである。〔中略〕我々と比べて、日本人は劣等民族である」。
 率直で不気味なこの言葉は、1860年頃の欧州の知識人の大多数を支配していた時代精神を忠実に反映している。

 現代の欧州では、流石にここ迄の極端な見方はない。〔中略〕だからといって、〔欧州人が〕一神教が内包する不寛容性から完全に自由になった訳ではない。二千年間キリスト教文明の優位性、絶対性を叩き込まれて来たのであるから、その心地良さから脱皮して、他の文明をも同等に受け入れるというのは大変なことである。〔中略〕
 ともあれ、オールコックから百五十年を経た今日、日本がキリスト教国か否かを評価の基準にする欧米人は〔中略〕〔表面的には〕いない。
 しかし乍ら、日本を全く対等の国と見做すには、何処か深い抵抗感がある。どうしても上等下等、善悪正邪の烙印を押さなければ気が済まない。〔中略〕
 西洋人の不滅の日本観は、オールコックがその本の最後に〔中略〕次の様に書いて締め括っている。
「‥‥日本人は、我々を医者として受け入れる様に心がけるべきだ。患者が苦い薬を与える医者に反感を持つのは当然であるが、重要なことは、治癒する希望を持つことである」
 オールコックは日本の社会は病んでいると見ていた。〔中略〕そして自分達を、病んだ日本人よりも上の立場の医者だと自任しているのである。〔了〕

【小生comment】
 オールコックの日本観は、その当時の西洋の知識人の代表的な認識であったことはまず間違いない。
 一神教のキリスト教の教義が心底に根付いている西洋人から見た日本は、偶像崇拝をする未開な国の劣等民族たちであると映ったであろう。
「劣等な民族・辺境の国」だから、自然が美しいのは当然にしても、街並が整然としている、人々が豊かに暮らしている、という意外性に驚いたことであろう。日本が鎖国時代の以前から高度な文明を持っていたことを、彼等は知らなかったから当然と言えば当然であるが‥。
 次回は、第七章以下についてご紹介したいと思います。

 今日の《会報》の巻頭でお話した薫風をつかった小生の拙句を一つご紹介してお別れしたいと思います。

 薫風(くんぷう)が 水面(みなも)を撫でる 三河湾  悟空

 では、また‥。(了)

2011年5月15日 (日)

【時習26回3-7の会 0341】~「05月09日『渡辺さんからのmail』」「05月14日:『愛知県高等学校総合体育大会サッカー 県大会一回戦~時習館高対春日井高戦』観戦報告」「松原久子著『驕れる白人と闘うための日本近代史』から序章・第一章~第三章』」

■今泉悟です。時の移ろいは実に早いものですね。05月15日は、時節で言えば05月06日から始まる「立夏」も末候となり、略本歴では「竹笋生(ちくかんしょうず)」と言います。「筍(たけのこ)が生えて来る」という意味です。朝晩は時折ひんやりとすることがありますが、日中は雨の日の除き「夏」の到来を感じさせる湿潤な暖気を感じる今日この頃ですが、皆さん如何お過ごしですか。
 さぁ、今日も【2637の会】《会報》【0341】号をお送りします。

■さてまず最初の話題は、【2637の会】《会報》の万年幹事としては大変嬉しいお話を一件お届けします。掲題・副題にあります様に【2637の会】member の渡辺S○子さんから mail を頂戴しました。
 早速、ご紹介させて頂きます。

From: watanabe
Sent: Monday, May 09, 2011
To: 今泉 悟
Subject: ご無沙汰してます

息子さん頑張ってますね。

姪【3-5】とは接点がないようで残念です。
でも飯田先生(【小生注】旧【3-2】)は昨年甥の担任でした。
持ち上がりでなく3年の担任とは大変ですね。
浪人が増えたのが理由でしょうか?
それにしても塾に行ってない子に補習授業をして下さっているとか。
先生方も大変ですね。
県大会でのご活躍、お祈りしています。

【小生 comment】
渡辺さんへ

 大変お久しぶりです。
 そして、mail を有難うございます。
 【2637の会】members からのお便りは最近では、約2ヵ月前の《会報》【0332】号にてご紹介させて頂いた中山君からの mail 以来です。
 Classmate から response があると、小生大変嬉しいです。
 引き続き応援して下さいネ。
 因みに、文中に飯田君【3-2】が話題に上がりましたが、渡辺さんと飯田君と小生の3人は、旧【1-4】の classmates でした。(為念)

■さて続いての話題です。昨日05月14日(土)午後01時00分から、豊川高校 ground にて、掲題・副題にもあります様に、『愛知県高等学校総合体育大会サッカー 県大会一回戦《時習館高校 対 春日井高校》戦』があり、観戦して来ましたのでご報告致します。
 結果を先に申し上げますと、母校・時習館高校は、春日井高校に0対2で敗れました。〔添付写真[01]ご参照:白のuniformが時習館〕
01

 試合経過の概略は以下の通りです。
 試合開始直後の1分、春日井高校が先制 goal を決め、時習館高は攻撃の出鼻を挫かれた感じであった。
 時習館、春日井の両校共に type が良く似た combination を得意とする攻撃方法である為か、その後の攻防は膠着状態が続き、shoot 回数もお互いに多くなかったのが印象的であった。
 Court を change して後半に入った僅か数分後、春日井高が2点目を入れた。試合開始直後の1点目と良く似た動きの中での追加得点であった。
 その後は、お互い劇的な goal もない攻守が続き、試合終了の whistle が鳴った。
 観戦者にとっては何か物足らない感じを与えられた試合だった。時習館高校の選手達の心中はきっと穏やかでない筈である。
 その晩、帰宅した愚息に聞いてみると、「(時習館の)部員のみんなは春日井高には負けるとは思っていなかった」とのことで不完全燃焼で終わってしまった様だ。
 試合には、時習館高校の林校長先生も応援に来ていて、試合終了後に soccer 部員皆のこれまでの活躍ぶりを労った後「今日の試合終了を区切りとし、気分一新して勉学に勤しむ様に(云々)‥」と挨拶があったそうだ。(笑)
 愚息にとっては、自身の高校時代の大切な思い出が築かれたことであろう。
 偶然だが、対戦相手の春日井高校の soccer 部員で対戦した選手の中に、愚息が小学校時代名古屋東区の soccer 倶楽部時代に一緒に練習したY君という仲間がいて試合本番の中で互いに ball を取り合いした場面を見ることが出来た。これなんかも彼にとっては懐かしい思い出の一つとなっていることだろう。
 これで、愚息の時習館高校での部活動も終了‥。来春の大学受験までの苦難(!)の8~9ヵ月が始まる訳だが、今後の彼の健闘を期待したい。

■これが今日最後の話題です。掲題・副題にあります様に、前号の《会報》にてご紹介させて頂いた、松原久子著『驕れる白人と闘うための日本近代史』から、今日はその detail の第一弾『序章・第一章~第三章』をご紹介したいと思います。
 以下、その detail について順を追って概略をご紹介させて頂きます。

【序章】「西洋の技術と東洋の魅力」
 (前略)欧州人は 、非欧州社会が欧州の技術・文化を借用しようとすると、厳しい批判を巻き起こす。
「日本人は相変わらず猿真似をしている。彼等は役に立つと思われるものは何でも取り入れる。百年間彼等は西洋を copy し続けた、政治機構であれ、法制度であれ、工業製品であれ、そしてそれを恥だと思ったことがない、真似という芸当は大昔からの伝統だからだ」
 欧州人が他民族、他文化圏から何か役に立つものを取り入れれば、彼等は自分達が如何に文化的に開かれ、受容能力があるかを誇らしげに語る。そこに何かを付け加えて成功したならば、「独創的」だと評価する。ところが、もともと欧州の発想であったものを何処か他の国で、例えば日本が借用し、応用した場合には、この「独創的」という言葉はまず使われない。
 私(松原)は、欧州の内容豊かな独創性に疑いを抱くとか、ましてや過小評価する気などさらさらない。欧州は間違いなく、その優れた独創性を賞賛されるに値する。
 ただ私が不思議に思うのは、欧州文化の対面を堅持する際の、あの balance の欠けた態度である。自分達が、自分達だけが、独創的なのだと主張するあの断固たる態度である。その態度が、私にはどうしても我慢ならないのである。

【第一章】世界の端で:「取るに足らない国」だった日本
 (前略)欧州人は、古代ギリシャから現代に至る欧州の歴史が「世界史」だと、特に大航海以降、科学技術、医学、経済学から法体系、社会思想の全てが欧州から発信されたと考えている。
 その間、日本などという島国は、寺を建て、米を作る以外に殆ど眠り続けている人間の如き存在で、開国後、我々欧州人から学び、瞬く間にのし上ったが、常に我々の猿真似をしてえらくなっただけである。その後、いくらかは自分なりの工夫を重ね、先端技術を駆使した経済大国になったが、これが何処まで続くのは疑問である。というのは、日本人には、自分達が拠って立つ歴史の蓄積がないからである―。いささか極端な言い方をすれば、大体こう言った処が彼等の日本観なのだ。こうなる原因は何か。
 それは、自分達の歴史を誇り、その蓄積に自信を抱く欧米人が、日本の歴史の水準を知らないからである。自分達以外の文明がどうやって形成されたのか、真面目に考察しようとしないからである。
 欧米諸国が外へ外へと出て行った時、日本は鎖国の中で何を蓄積していたのか。これについての認識が皆無であることが、欧米の日本に対する偏見の土台となっているのである。
 そこで私はこの書において、鎖国以降の日本の歴史を辿ってみたいと思う。

【第一点】 鎖国時代に作り上げられた日本社会の仕組みをよく知っていれば、日本が開国後、迅速かつ徹底的に近代化を実現出来たことは全く驚くに足りないこと。
【第二点】 鎖国時代の日本社会を正確に考察すれば、今日の日本を理解することが出来ること。というのは、今日、日本人を良きにつけ悪しきにつけ、動かしていることの多くは、鎖国時代と一直線で繋がっているからである。
【第三点】 限られた資源の中で平和に暮らしていた鎖国時代の日本人の知恵は、21世紀の地球全体にとっても、大いに重要であること。鎖国時代、日本では三千万人もの人々が限られた面積の国土で生きなければならなかった。にも拘らず二百年以上もの間、驚くほど穏やかに、平和に仲良く暮らすことに成功したのである。極端な貧富の差もなく、人々は概ね豊かであった。今日、膨大な人口を抱える地球では、天然資源が如何に貴重であり、人間と環境の見妙な balance は如何に簡単に崩されてしまうかという意識が芽生えて来ている。だからこそ今、鎖国時代の日本について知る必要があるのである。

【第ニ章】劣等民族か超人か:「五百年の遅れと奇跡の近代化」という思い込み
 (前略)〔日本は欧州より五百年遅れていたのではなく〕現実には、工業化の為の前提条件は、当時既に十分に満たされていたのである。国を開いた19世紀半ばには、日本には貧富の極端な差はなく、富は広く分配されていた。また手工業の教育訓練を受け、学習意欲旺盛な、というより学習熱に取りつかれた若者が沢山いた。見事に運営された学校制度があった。総人口の比率で比較すると、殆ど全ての欧州諸国よりも多くの人達が読み書き出来た。
 数世紀前から国内市場が栄え、見事に張り巡らされた交通網と、それに付随する道路、運河、船の航路といった産業基盤も完備していた。〔中略〕日本には革命がなかった。〔中略〕結局日本ほど、貧富の差、上層と下層の差が極端でない国は、世界の何処の国、何処の民族にもないということである。

【第三章】草の根民主主義:江戸時代の農民は「農奴」ではなかった
 (前略)稲作には、綿密な灌漑 system が必要である。貯水池、用水路等である。
 稲作では、水田づくり、病害虫の駆除、除草作業、いずれも共同作業と協調が要求される。
 村に関する問題で、何かを決定するには、農民達の話し合い、代表者たちの談合がなされ、意見が纏められた。
 こういった課題解決の為、日本の農民の多くは読み書き算盤が出来た。欧州の農民が読み書き出来る様になる、遥か以前のことである。殆どの村には寺子屋と呼ばれる学校があった。〔中略〕
 日本の農民に課せられた最も重要な拘束は、他の土地で働く為に村を出ることが厳しく禁じられていたことだった。〔中略〕

【小生comment】
 実は、上記に挙げた松原氏が述べている最後の「農民が、他の土地で働く為に村を出ること、具体的には都市への流入を極端に制限していた」ことは、都市の slum 化を防ぐ面で大きく寄与していたことを記しておきたい。
 次回は以下の【第四章】~【第六章】をお伝えしたい思います。

【第四章】税のかからない商売:商人は独自の発展を遂げていた
【第五章】金と権力の分離:サムライは官僚だった
【第六章】一人の紳士:初代英国駐日公使・オ―ルコックが見た日本

 大航海時代以降の「世界史」は、欧米人が全ての分野で創り出して来たという誇りが、一方で非欧州人蔑視の感情を欧米人の心底に根付かせてしまっている。上記では割愛させて頂いたが本書【第一章】で松原氏はこうも述べている。

 アヘン戦争を仕掛けて中国を屈服させた欧米列強が、今度は、虎視眈々と日本を取りに囲む様になって初めて、日本は開国に踏み切った。ここで特筆されるべきは、日本が欧米の植民地にされなかった、という一点である。当時の状況からして、はたまた欧米人の精神風土からして、可能ならば何処でも植民地化するのが当然だったからである。
 当時の欧米人は、日本人がどんな人間なのか、殆ど知らなかった。〔中略〕
 19世紀が終わりが近づいた頃には、日本人は、鎖国による技術分野での遅れを取り戻し、欧米の水準に追いつく為に必死の努力をしている唯一の非白色人種であることが、誰の目にも明らかとなった。
 しかしその後でも、〔中略〕日本人は西洋風に仮装した奇妙な人達だとしか映らなかった。
 彼等の見方を変えたのは日露戦争である。日本人が20世紀初頭、欧州の強国 Russia 帝国を短期の陸戦と劇的な海戦で打ち破ってしまったことは世界を震撼させた。「白人は征服されない」という数世紀に亘って築かれた信仰が砕かれたのである。植民地支配に甘んじなければならなかった人々は喝采し、勇気を与えられた。一方、欧米人は警戒感を抱き始めた。日露講和条約を斡旋した米国も、「要注意」の目を日本に向ける様になった。「奇妙な黄色い人間がのさばって来た」という不快感が欧米に広がったのである。
 中でも独帝国皇帝ヴィルヘルム2世は、黄禍論(おうかろん・こうかろん)(yellow peril)を唱えて日本を危険視した。〔後略〕

〔以下は再び【小生comment】〕
 日本は第一次世界大戦後の1919年01月パリ講和会議に元老・西園寺公望を全権として派遣。
 日本代表団は国際連盟の規約に「人種差別撤廃条項」加えるよう提案。人種差別撤廃を明確に主張した国は日本が世界初である。
 しかしこの案は、英・豪等反対する中、出席者16名中11名の賛成多数を得るも、議長を務めた米国ウィルソン大統領が全会一致を主張、多数決を無視し本提案を退けた。
 米国はまた1924年07月、排日移民法で米国への日本人移民を厳しく制限した。
 事程左様に、欧米人は、日露戦争後世界で確固たる地位を築きつつあった、非欧州人の国、日本を苦々しく思う様になって行ったのである。
 これ等が、日本が米国と第二次世界大戦で戦火を交える遠因であると言われている。

 小生、世界の歴史的事実を知れば知るほど、今迄の世界が欧米列強の思うが儘で動いて来たことを痛感させられる。
 そして現在、中国をはじめとする新興諸国の台頭によって、鉱物・工業・食糧資源獲得に向けた争奪戦が日増しに熾烈となっている。
 その様な世界情勢の下、人材以外にこれといった資源を持たない島国日本は、これからどの様に生きて行かなければならないか。
 地球環境保護を重視し、限られた地球上の資源を有効に活用して、繰りまわして行かなければならない時代になって来たのである。
 そこら辺りを、今少し松原氏の本書を皆さんとご一緒に読み進めて、理解を深めて行きたいと思います。

では、また‥。(了)

2011年5月 7日 (土)

【時習26回3-7の会 0340】~「05月03日:『愛知県高等学校総合体育大会サッカー東三河支部予選会・決勝戦~時習館、豊橋東に延長戦逆転、惜敗!』観戦報告」「松原久子著『驕れる白人と闘うための日本近代史』を読んで」

■今泉悟です。Golden Weekも残すところ明日一日になってしまいましたが、皆さん如何お過ごしでしたか。さぁ、今日も【2637の会】《会報》【0340】号をお送りします。

■さてまず最初の話題は、05月03日、豊川高校groundにて開催された『愛知県高等学校総合体育大会サッカー東三河支部予選会・決勝戦~時習館高校 v.s.豊橋東高校』の模様です。掲題・副題にもあります様に、試合結果は残念乍ら延長の末 2対3の逆転敗けでした。
 高校サッカーは、前評判では先日時習館に負けた豊川高校〔=昨年の東三河支部優勝校〕と、決勝で時習館の対戦相手となった豊橋東高校の2校が本命であった。
 事情通によれば、個人の技術力では豊橋東が上。時習館はこの個人levelの劣勢を、得意とするteamwork・combinationでどれだけ coverし、結果を出せるかがpointであった。
 決勝戦の得点経過は以下の通りである。

 13時06分、定刻より数分遅れて試合開始。
 試合開始僅か05分後の13時11分、まず時習館が先制の1点目を入れた。〔添付写真[01]〕
[01]
0151get

 さらにその3分後(13時14分)、時習館は2点目を追加。〔添付写真[02]〕
––––––––––––––––––––––––[02]
02382

 試合開始8分で既に2点目をもぎ取った。素晴らしい速攻である。予想外の極めて順調な試合運びであった。
 同15分を過ぎた頃から脚力に優る豊橋東が試合の主導権を徐々に奪い返し優勢に試合を進めて行った。

[03]
03181
 同18分後の13時24分、豊橋東が1点を入れ返した。〔添付写真[03]〕

––––––––––––––––––––––––[04]
0429free_kick
 更に同29分後(13時35分)、豊橋東は free kick から直接 goal を決め同点とし、試合を振り出しに戻した。

[05]
05522
 その後は、後半の half(35分)と延長戦(10分×2)の前半は0対0の膠着状態が続いた。

––––––––––––––––––––––––[06]
0673
 しかし、時習館が得点力 up の為、守備力より攻撃力に優る選手に交代した後の延長戦後半の7分、終に豊橋東が3点目の逆転 goal を決め、残り3分を守り切り優勝を飾った。

 延長戦を含め全部で90分余りの試合であった。試合を振り返ってみての感想はというと、母校・時習館は、残念乍ら負け試合となってしまったものの、若きeleven が持ち前の combination を上手に発揮し、躍動感と爽快感に溢れた見ていて大変気持ちのいい試合で観戦者達を魅了した。
 優勝校・豊橋東、準優勝校・時習館高校、及び決勝戦前に行われた3位決定戦に於いて5対1で豊川工業高校を下した豊川高校、以上の3校が、05月14~15日に開催される県大会に出場することとなった。因みに、豊橋東は去年こそ豊川高校に決勝で敗れたものの、一昨年とその前の年の2年連続優勝という地元の強豪である。
 今年2011年愛知県高校総体サッカー東三河予選会の試合結果一覧表は以下の URL をご覧下さい。
 http://higashimikawa-f.sakura.ne.jp/2/soutai/11/11soutai-higashimikawa.pdf

■今日続いての話題です。《会報》の前々号【0338】にて「藤原正彦『日本人の誇り』の結論【第八章 日本人をとり戻すために】から「『誇り』を回復するために何が必要か」という締め括りだけをご紹介させて頂き、今後複数回に亘りその詳細をお届けする旨お伝えしたかと思います。
 その後小生、藤原氏の本と趣旨がよく似た本で、Berlin の壁が 崩壊した1989年にドイツにて上梓された、松原久子著(田中敏訳)『驕れる白人と闘うための日本近代史(原題:Raumschiff Japan(=宇宙船日本))』を読んでいたことを思いつき、これを先にご紹介した方がいいと思い直しました。

07raumschiff_japan1989


 松原久子氏(1935.05.21-)は、京都市出身。1958年国際基督教大学卒業後、米ペンシルベニア州立大学舞台芸術科にて修士号取得。1970年独ゲッティンゲン大学大学院にてヨーロッパ文化史学で博士号を取得。独ペンクラブ会員。

 松原氏の主張するところは、彼女が「著者あとがき(2005年06月20日付)」のところで端的に以下の様に述べている。

 この本は1989年9月、冷戦終結(‥Berlin の壁崩壊は同年11月10日から始まった‥)の数週間前にミュンヘンで出版され、その年の国際書籍見本市で大きな話題となった。
 話題となったのは他でもない。
 大航海時代の到来以後、全世界を発見、征服した「偉業」に対する欧米人の誇りを根底から覆す本だったからである。
 欧米においては、自分達の歴史こそ世界史であり、自分達の生き方こそ文明の名に最も相応しく、地球上のあらゆる民族は欧米文明の恩恵に浴することによって後進性から救われたと教えられて来た。だから彼等の潜在意識の奥深くには、確固たる優越感が入り込んでいる。
 この優越感は常時には顔を出さない。しかし一旦利害の衝突が起きると、やおら頭をもたげる。このことは国際的な場において、すでに多くの日本人が経験済みである。
「何だ、お前たちは我々の恩恵によって今日を作ったではないか。はっきり言うならば猿真似によってだ」という優越感である。
 この意識を根底から挫く為に本書を書いた。
 同時に日本の歴史水準に対する再認識を迫る為である。
 鎖国日本には革命も戦争もなかった。250年の平和を保ちつつ、欧米とは正反対の立地条件の下、正反対の思想に基づいて高度な知的水準を持った文明を築いていた。〔中略〕
 欧米人の優越感を覆す為に独語で出版された本が、今度は日本人の劣等感を打ち破る為に日本語に翻訳された。〔中略〕
 大航海時代を通して発達した欧州の対外姿勢をその儘受け継いだ米国は、欧州より一段と大きな規模で複眼的に国益を追求している。それは全世界を網羅し、唯一の超軍事大国として地球上に375の基地を擁し、いざとなれば、内政干渉、coup d'Etat、marionnette(=傀儡)政権樹立、言うことを聞かねば経済制裁、或いは軍事行動も辞さぬ覚悟である。
 同時に globalism の掛け声によって全ての市場を開放させ、経済の大元である石油を control し、石油の世界的配分を control する。欲しいものは欲しいのであり、その獲得に邁進する。
 19世紀の英国に於いて、王室、議会、大衆が一体となって犯罪的なアヘン戦争を正義の闘いとして支持したが、その時に決定的な役割を演じたのがマスコミであった。
 この知恵を受け継いだ米国は、マスコミ操作にかけては驚くべき巧妙さと傍若無人ぶりを発達させた。大新聞や三大TVの sponsor が軍需産業であり、石油Majors であるから、彼等が政権と一体となってマスコミを動かすことは容易である。
 例えばイラクの石油利権等という浅ましい目的を超えて、正義の為に闘うのだ、自由と民主主義を打ち立てるのだ、神の摂理と意志を遂行するのだ、とマスコミは何カ月にも亘り日夜繰り返し、同時に相手国の政権を悪魔化する。大衆は脅威に慄き、狂信的となり、やるのだと叫び、議会もそれに追従する。
 こうして始めた戦争が次第に泥沼化した頃、石油Majors は「法的に」イラク油田に対する独占権を手に入れ、彼等を守る為に政府は永久的に軍を駐屯させる。欲しいものは必ず獲得する。
 米国の国益とは何か。戦略は国防総省や国務省、CIAのみならず、各地の think tank で長期的展望のもとに練られている。戦略実行となれば、マスコミはなんのかんのと議論しつつ様々な leak を伝え、扇動し、重要な反論は後方の page の隅に小さく載せ、結局は戦略を正当化する。全ては複雑にして巨大な system であり、これこそが世界を震撼させる米国の武器である。〔後略〕

【小生comment】イラク戦争への米・英国の突入は石油利権。リビアのカダフィ政権への圧力も仏・伊のリビアでの石油利権。米国特殊部隊によるウサマ・ビン・ラ―ディン殺害は米国世界貿易センター爆破への復讐。これ等は全て欧米人諸国の国益追求の所作である。
 松原久子氏のこの著書に上梓された1989年頃に日本人の多くの知識人がこの本の趣旨を理解出来ていたら、日本人の日本人としての矜持と責任感をもっと早く取り戻せたのではないかと悔やまれる。でも「もう遅すぎる」と諦めることもない。まだ間に合うと思う‥。
 松原久子氏が〔著者あとがき〕で述べている様に彼女は「白人たちが世界史を築き上げたという優越感を根底から挫く為、そして同時に日本の歴史水準に対する再認識を迫る為に(1989年に)独語で」、そして「今度は日本人の劣等感を打ち破る為(2005年)日本語に翻訳して」本書を書いた。
 本書を読むと、「日本人が冷徹な眼で俯瞰して西洋と日本の歴史を再認識すれば、自ずと我等日本人の将来に向けての方向性が見えてくる」ことが理解できると思う。
 そこで次回以降の《会報》でも何回かに分けて本書の detail をご紹介してみたいと思います。
 その後に藤原正彦氏の『日本人の誇り』を読むと、ストーンと納得されるのではないかと思うからです。

 数日前の05月02日、米国同時多発テロ事件の首謀者でイスラム過激派 terrorist の領袖ウサマ・ビン・ラ―ディンが米国軍特殊部隊との銃撃戦の末射殺された。そのNewsを伝えたTV Newsで世界貿易センタービルで犠牲となった日本人businessman の父親が interview に応え印象的な発言をしていた。「『射殺されたことは残念』だ。できることなら捕捉して彼の意見も訊いてみたかった‥」と。一方、国益の為には(パキスタン政府の事前了解を取ってあったとは思うが ※←【2011.05.17追記】今回の襲撃は「通告なし」に行われ、Pakistan 政府は恥をかかされる結果となった‥)オバマ大統領の承認の下、特殊部隊を潜入させラ―ディン容疑者を射殺する米国。
 イスラム教・ユダヤ教・キリスト教はいずれも同じ旧約聖書を教典とする、ある面では同じ宗門とも言える。そしてこれら3つの宗教は全て一神教である。自らの正義の為に相手を討ち滅ぼすことを「是」とし正当化する国が、白人の支配する西欧先進諸国であり、その代表格が米国である。

 翻って、日米安全保障条約も結局のところは米国の国益に適うか否かが、米国が日本を守ってくれるかどうかの判断基準なのである。
 平和に慣れ切ってしまっている我国日本も、自分の領土は自分で守らなければならない時期が到来したと最近痛感するのである。
 かなりの政治音痴である小生でも、昨年秋09月07日尖閣列島沖での中国漁船による海上保安庁の巡視船への衝突事件〔= URL http://www.youtube.com/watch?v=PO3icKluj7o&NR=1 参照〕や、同年11月01日ロシアのメドベージェフ大統領の国後島訪問等、我国領土侵犯事件に遭遇した際の日本政府のしどろもどろの対応を見せつけられて危機感を抱く様になったのである。小生、これ等の事件が起きる前までは、「非武装中立国」を『世界平和』実現に向けてのあるべき姿と真剣に思っていたのだが、これがやはり幻想に過ぎないことが明確に示されたからである。
 小生は、政治的に右とか左とかいう考えは持っていないことを予め申し添えます。〔為念〕

では、また‥。(了)

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    ■朝護孫子寺にて撮影した写真のほとんとを追加しました。ご高覧下さい。 ■2007年6月2~3日、「賢人会」のmember谷山・中嶋両氏と大和七福神・八宝廻りをしました。 ■七福神の一つ毘沙門天を祭る「信貴山朝護孫子寺」の宿坊【千手院】で一泊。 ■そこで、ご一緒した皆さんとの楽しかったひとときをアルバムにしました・・。      * * * ■瀬尾君、浅田さんとそのお供達の皆さんへ、「感想をお聞かせ」頂ければ幸甚です。 ▼『【時習26回3-7の会】のブログ画面』の【左上欄外】の「メール送信」を左clickして頂くと、今泉宛のmail address ~ < si886@nifty.com > ~ が開きます。 どうぞ、ご気軽に感想をmailにてお知らせください。 ▲【2637の会】のURL・・・  → URL: http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog

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