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2011年10月の5件の記事

2011年10月30日 (日)

【時習26回3-7の会 0365】~「【2637の会 Part2】開催に向けて(10月30日現在)」「10月09日:大阪市立美術館『岸田劉生展』を見て〔その3(最終回)〕」「10月21日:『浜矩子講演会』を聴いて」「10月21日:国立新美術館『The Phillips Collection モダン・アート・アメリカン』展を見て」

■皆さん、如何お過ごしですか? 今泉悟です。今日も【2637の会】《会報》【0365】号をお送りします。
 まず、あと三~四週間に迫って参りました【2637の会】《クラス会 Part2》への出欠状況ですが、大変嬉しい【朗報】があります!!!
 実は、classmateの林K子さんから《クラス会 Part2》「出席」表明のmailを頂戴したのです。しかも19日&26日両日いずれもOKの由。
 そこで、意を決した小生、林さんに電話しました。「19日しか都合がつかない伊庭さんと、26日しか都合のつかない中山君・山中さんのお二人を満足する方法はないものか?」と。
 林さん曰く、「私は19日は若干開始時間に遅刻するかもしれないけれど参加できるわよ。勿論26日も。今泉君さえ良ければ2週連続でやればいいじゃぁない?」と‥。
 これこそ神の言葉、「そうなんだ! 2回やればいいじゃぁないか!!」。
 林さんに「11月19日(土)と26日(土)二週間連続開催でもいいですか?」と再度お尋ねした処‥、
 林さん曰く、「私はいいわよ。19日は生徒達の発表会があって18時の開始時間には間に合わないけど‥。19日&26日の二週連続でも私いいわよ!」。
 小生、正直救われました。「これで参加表明してくれた伊庭さん、中山君、山中さん、林さんの皆さんに会えるんだ!」と。
 勢い付いた小生、困った時の神様じゃぁないけれど(笑)中嶋君【3-2】に電話して、「林さんが《クラス会 Part2》に両日出てくれるけど、助っ人として両日参加して貰えないか?」とお願いした処、「僕は【3-7】のclassmateでないけど、いいの? 僕は両日OKだよ!」と言ってくれました。
 これなら、現状、人数の少ない方の11月19日(土)も、「伊庭さん、林さん、今泉、助っ人中嶋君の4人」、mainの26日(土)も、「中山君、林さん、山中さん、今泉、中嶋君と5人」の参加者は確定。2回とも《ミニクラス会》の恰好はつける様になりました。
 あとはどれだけ一人でも多くの皆さんが《クラス会 Part2》に参加頂けるか?‥という数の問題だけになりました。
 「これで参加表明してくれた皆さん全員に会えるぞ!」。
 万年幹事としてこれ程嬉しいことはありません。
 厳しい経済環境が閉塞した我国日本を覆い、暗くなりがちな現実を暫し忘れて楽しいひとときを過ごしませんか?
 【2637の会】万年幹事からの切なる想いです。 皆さんからの朗報をお待ちしています。m(_ _)m

 【《クラス会 Part2》出欠状況 2011.10.30現在】
 [1] 11月26日に参加:5名〔中山、山中、林(K)、今泉、助っ人中嶋【3-2】〕
 [2] 欠席:3名〔彦坂、渡辺、伊東〕
 [3] 11月19日に参加:4名〔伊庭、林(K)、今泉、助っ人中嶋【3-2】〕
 ※ 回答者合計:9名
 〔以上、mail 当着順、敬称略〕

■さて今日は、前《会報》に続いて『岸田劉生展』〔その3(最終回)〕をお伝えします。今回は【3.京都・鎌倉(1923年~1929年12月20日逝去)】です。
 今回も該当の時代の略歴を示す。

 1925年 07月09日 日記が突然途絶える
 1926年 03月生活改善の為、鎌倉に転居 同月28日長男鶴之助誕生
 1929年 09月29日満州へ旅立つ、11月29日帰国し山口県徳山(現・周南市)に逗留、12月20日慢性腎炎にて逝去(享年38歳)

 今回ご紹介する【3.京都・鎌倉】時代の作品5枚と『岸田劉生日記』から「『麗子像』を完成した大正10年10月15日の日記の挿絵」等をご紹介します。

 [01]『四時競甘』1926年(愛知県美術館)
 011926

 –––––––––––––––––––––––––[02]『鎌倉長谷風景』1923年
 021923

 [03]『冬瓜葡萄図』1927年10月
 03192710

 –––––––––––––––––––––––––[04]『麗子十六歳之像』1929年05月
 04192905

 [05]『ギヤマンのある静物』1929年01月
 05192901

 –––––––––––––––––––––––––[06]1921(大正10)年10月15日付の日記挿絵
 0619211010151

 [07]1924(大正13)年 向かって左より木村荘八 横堀角次郎 岸田劉生 尾高鮮之助
 07192413_1

【小生comment】
 岸田劉生の「日本画」([01])も味があってなかなかいい。が、劉生の真骨頂は何といっても「洋画」である。
 劉生は、『冬瓜』の絵([03])を、洋画・日本画の両画法で何枚も残している。
 [04]『麗子十六歳之像』は、『麗子像series』の掉尾を飾る。
 [07]のsnap-shotは劉生33歳の時のものだが、流石にまだ若さを感じる。しかしあと5年の命だった‥。
 [06]の絵は上述した通り、彼の日記に彼自身が描いた挿絵である。絵の向かって右が日記を描いたその日に完成した『麗子像』。左上が親友椿貞雄と相撲を取った場面。左下がその日の昼写生した「風景」である。

 それでは「摘録 劉生日記」から大正13(1924)年03月03日(月)「晴」の日記を覗いてみよう。尚、[ ]内は編者、〔 〕内は小生補足。

 朝七時頃省線のような電車にのっている夢をみていたら岸田さん岸田さんという門外の声で目がさめる。電報かなと思ったら椿〔貞雄〕が来訪したのだ。展覧会の後に来る事と思っていたのでちょっと意外。弟が京都にいるので同伴、何しろ地震〔前年の関東大震災〕の前七月十幾日かに鵠沼へ来たぎり会わないのでなつかしく思った。一緒に朝めしをたべる。昼少し前から麗子立像の仕事にかかる。〔中略〕椿の弟も来る。仕事の後、武者〔小路実篤〕約束で来訪。今夜東京へ行くとか。〔中略〕夕方になって志賀〔直哉〕、谷川[徹三(てつぞう)]君と来訪、画巻ものの話など出て、信貴山縁起の複製があった事を思い出し探し出して皆でみる。内藤君、村田君と来訪、夕食後、武者と内藤さん帰る。〔中略〕志賀たち九時過帰り、椿と十二時頃まで話してねる。
 麗子のところへ御ひな様の御客に佐竹の娘さん二人と御隣の御嬢さんが来て遊んでいた。(了)

 ここで『摘要 岸田劉生日記』の編者酒井忠康氏の解説を一部ご紹介しよう。

 江ノ電鵠沼駅から藤沢駅まで出、それから新橋駅までの東海道線の列車の中での、人との出会いも面白いことの一つだ。〔中略〕よくもまあ連日の様に上京したものだと呆れてしまう。須らくこれは好奇心の塊の如き劉生だったからのことだが‥。〔中略〕
 何事にも並でない器用人だった劉生の一面を〔中略〕親友の武者小路実篤は〔中略〕次の様に書いている。
 「何でも器用で、うたもうまかった。それも和洋両方がやれた。殊に落語がうまかった。その方に行っても真打になる重味があった。又五題話〔‥5つのkey wordsを折り込み即興の物語をつくり語ること‥〕がうまかった。その方でも玄人はだしで、いろいろ皆に題を出さして、即座にその言葉をおりこんで、どど逸や何かにして唄った。一度も出来ない処を見たことがない」(『岸田劉生』小山書店、昭和23年)〔中略〕
 演説などもおもしろかったし、速記しておけばよかった、と、中川一政は武者小路との対談(「回想の岸田劉生」『芸術新潮』昭和30年06月号)の中で語っている程である。その話しぶりはと言えば、まるで「レオナルド・ダ・ヴィンチが三越に買物に行くような」ぐあいだったという。〔後略〕

■さて次の話題は、10月21日(金)仕事で上京する機会があり、同志社大学大学院ビジネス研究科教授 浜矩子氏の講演を聴いて来ましたのでその概略をご紹介します。
[08]浜矩子氏
 08

 「tokyo_koenkai_no.7 Noriko hama 20111021_.docx」をダウンロード ←ここclick願います。

 詳細は添付 file「第7回東京講演会2011」をご覧頂くとして、講演会で浜氏が言っていたことを掻い摘んでお話しますと‥
 Lehman Shock後、各国は経済立直しの為巨額な財政出動をして乗り切ろうとした。しかし、此処に来てベルギー・フランスの合弁金融会社Dexia破綻に表象される様にEU各国いずれも更なる財政出動を余儀なくされ『財政危機』は更に深刻化。日米の財政赤字も深刻の度合いを増している。
 これからは、我国日本で言えば、多く蓄積された国富の「分配」を上手く機能させることが重要だと唱えている。
 そして市民共同体の力が国境を越えglobalに発揮出来る様になれば再度成長の道も開かれる。
 そのglobal経済化に対処する担い手こそ(①心が寛容、②他人依存度が高い、③腕力が弱い)Don Quixoteたる市民達である。(了)

[08a]『誰が「地球経済」を殺すのか』
 08a

 因みに浜氏は、2011年最新の著書『誰が「地球経済」を殺すのか』([08a]参照)の「おわりに」でこうも述べている。
 「誰が地球経済を殺したか」」或いは「殺しつつあるか」と言えば、それは人間の「我が身かわいさ」のぶつかり合いです。別書で、筆者(浜)はこれを「僕富論」のせめぎ合いだという風に書きました。Adam Smith(1723-90)の「国富論」のもじりです。僕の富さえ増えればいい。僕の富さえ減らなければいい。このego(ism)一色の自己保存本能のぶつかり合いが地球経済にとって命取りになっていく。そう思えてならないのです。では「僕富論」の対峙概念は何でしょうか。
 こういう時こそ〔中略〕「正反対思考法」が威力を発揮〔中略〕。(それは)「君富論」です。君の富を増やしてあげよう。君の富が減らない様に工夫を凝らそう。G20の会合等で、この精神を共有出来る様になると、地球経済の寿命は随分伸びることになるでしょう。(了)
 
■浜氏の講演会を聞いた後、国立新美術館『The Phillips Collection モダン・アート・アメリカン』展と山種美術館『知られざる歌舞伎座の名画』展を見て来ました。
 そこで今日はまず、前者をご紹介します。後者は来週ご紹介させて頂きます。
 本展覧会は、米国美術の優れた収蔵品で知られるThe Phillips Collection から110点の作品を紹介。同美術館は、首都Washington中心部から程近い緑豊かな美しい住宅街にある。

 [09]Duncan(1886-1966) & Marjorie(1894-1985) Phillips 1922 at main gallery
 The Phillips Collection の創始者、ダンカン&マージョリー・フィリップス夫妻である。
 09duncan18861966_marjorie18941985_p

 –––––––––––––––––––––––––[10]The Phillips Collection leaflet表
 10the_phillips_collection_leaflet

 [11]同leaflet裏
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 –––––––––––––––––––––––––[12]Edward Hopper [1882.07.22-1967.05.15]
 12edward_hopper_1882072219670515

 [13] Hopper『日曜日(Sunday)』1926年
 13_hoppersunday1926

 –––––––––––––––––––––––––[14] Hopper『都会に近づく(Approaching a City)』1946年
 14_hopperapproaching_a_city1946

 [15]国吉康雄[1889.09.01-1953.05.14]
 151889090119530514

 ここで国吉康雄について少し触れる。彼は岡山県生れ。
 1906年 岡山県立工業学校を中退。単身渡米。Los Angelesの美術学校で3年間学ぶ。
 1910年 New Yorkに移る。
 1916年 The Art Students League of New Yorkに入学。パスキン(Jules Pascin)と親交を結ぶ。
 1921年 New Yorkの画廊で初個展。徐々に米国の画壇で認知されていく。
 1925年&28年 2回度欧。これを契機に画風は幻想的なものから写実的なものに変化していく。
 1933年 母校The Art Students League of New York教授に就任。爾後、没(1953)年まで20年間その職にあった。日米開戦後は友人達の尽力で強制収容所入りは免れた。

【評価】現在では、Ben Shahn(1898-1969)、E.Hopper等らと共に、20世紀前半の米国を代表する画家の1人として評価されている。
 小生は、国吉の絵は「寂寥感ある背景と暗い表情をした美しい女性」を描いた作品が多いという印象を持っている。
 [16]国吉康雄『メイン州の家族(Maine Family)』1922-23年頃
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 –––––––––––––––––––––––––[17]Georgia O'Keeffe [18871105-1986.03.06]
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 [18]O'Keeffe『葉のかたち(Pattern of Leaves)』1924年
 18okeeffepattern_of_leaves1924

 –––––––––––––––––––––––––[19]O'Keeffe『Ranchos Church No.2 New Mexico』1929年
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 [20]John Marin(1870-1953)『ブライアント広場(Bryant Square)』1932年
 20john_marin18701953bryant_square19

 –––––––––––––––––––––––––[21]Jackson Pollock(1912-1956)『コンポジション(Composition)』1938-41年
 21jackson_pollock19121956compositio

【小生comment】
 本展覧会の展示作品の中では、leafletにも mail で掲載されている [13]Edward Hopper『日曜日(Sunday)』が何といっても素晴らしかった。
 ある日曜日の朝、街の店先の道脇に座り込む独りの老人。その老人を明るく乾いた光が照らし出している。秀美&秀逸な作品である。

【後記】
 最後に、岸田劉生展の後立ち寄った四天王寺五重塔前での小生&今年09月07日に満87歳になった親父のsnap-shotと、同寺を見て詠んだ拙歌を一首ご覧に入れてお別れします。

 秋天にすっくと映ゆる五重塔 四天王寺の古思ほゆ  悟空

【意】真っ青に晴渡った秋空の下、五重塔が屹立している。それを間近に見るにつけ、聖徳太子が建立した四天王寺の往時が偲ばれる。

 [22]四天王寺の『五重塔』前にて、父と
 22

 では、また‥。(了)

2011年10月22日 (土)

【時習26回3-7の会 0364】~「【2637の会 Part2】開催に向けて(10月22日現在)」「10月09日:大阪市立美術館『岸田劉生展』を見て〔その2〕」「09月28日:名古屋ボストン美術館『恋する静物―静物画の世界』展から」

■皆さん、如何お過ごしですか? 今泉悟です。今日も【2637の会】《会報》【0364】号をお送りします。
 まず、あとひと月に迫って参りました【2637の会】《クラス会 Part2》への出欠状況ですが、此処一週間は残念乍ら皆さんからの〔回答〕はありませんでした。
 引き続き皆さんからの〔回答〕をお待ちしています。m(_ _)m

 【《クラス会 Part2》出欠経過状況 2011.10.22現在】
 [1] 11月26日に参加:2名〔中山、山中〕
 [2] 欠席:3名〔彦坂、渡辺、伊東〕
 [3] 11月19日に参加:1名〔伊庭〕
 ※ 回答者合計:6名
 〔以上、mail 当着順、敬称略〕

■さて今日は、前《会報》に続いて『岸田劉生展』〔その2〕をお伝えします。 今回は【2.鵠沼(1916年~23年09月)】です。
 今一度略歴の該当箇所を示すと‥

 1916年 肺結核と診断され、荏原郡駒沢村(現・世田谷区)に転居
 1917年 転地療養の為神奈川県鵠沼(現・藤沢市)に転居
 1919年 白樺10周年記念主宰岸田劉生個人作品展覧会開催
 1920年 劉生、元旦から絵入りの日記をつけ始める
 1922年 01月春陽会が創立、木村荘八、中川一政、椿貞雄と共に客員として参加
 1923年 09月関東大震災で自宅が半壊、10月京都へ転居

 今回ご紹介する【2.鵠沼】時代の作品を以下に示します。

 [01]岸田劉生『林檎三個』1917年02月
 01191702

 ––––––––––––––––––––––––[02]同『壜と林檎と茶碗』1917年06月
 02191706

 [03]同『初夏の小路』1917年05月
 03191705

 ––––––––––––––––––––––––[04]同『静物(赤き林檎二個とビンと茶碗と湯呑)』1917年11月
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 [05]同『静物(湯呑と茶碗と林檎三つ)』1917年08月
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 ––––––––––––––––––––––––[06]同『霽(は)れたる冬之日』1917年12月
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 [07]同『静物(白い花瓶と台皿と林檎四個』1918年04月(福山県立美術館)
 07191804

 ––––––––––––––––––––––––[08]同『卓上林檎葡萄之図』1918年02月(豊橋市美術博物館)
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 [09]同『五月の砂道』1918年05月
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 ––––––––––––––––––––––––[10]同『麗子(麗子五歳之像)』1918年10月(東京国立近代美術館)
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 [11]同『麦二三寸』1920年03月(三重県立美術館)
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 ––––––––––––––––––––––––[12]同『初夏の麦畑と石垣』1920年05月(神奈川県立近代美術館)
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 [13]同『路傍初夏』1920年05月(埼玉県立近代美術館)
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 ––––––––––––––––––––––––[14]同『窓外夏景』1921年07月(茨城県近代美術館)
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 [15]同『麗子像』1921年10月15日(東京国立博物館)【国 重要文化財】
 1519211015

 ––––––––––––––––––––––––[16]同『石垣ある道(鵠沼風景)』1921年(平塚市美術館)
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 [17]同『二人麗子図(童女飾髪図)』1922年03月(泉屋博古館分館)
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 ––––––––––––––––––––––––[18]同『夏の道(鵠沼海岸)』1922年07月
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 [19]同『窓外早春』1922年03月
 19192203

 ––––––––––––––––––––––––[20]同『籠中脂香』1923年03月(茨城県近代美術館)
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 ※ 上記岸田劉生の静物画は如何ですか? 彼としては2枚目の【国 重文】となる『麗子像』は、見る程摩訶不思議な魅力を感じる。小生、昔初めてこの絵を見た時は少しも「いい」とは思わなかったのであるが‥。更にまた、誰かが「『モナリザの微笑』に似た印象を与える様な絵だ」と言っていたことを思い出す。
 『静物画』の傑作選というと、小生09月28日に仕事で名古屋出張があった帰途、名古屋ボストン美術館にて開催中の『恋する静物―静物画の世界』を見て来ましたので、その中から静物画の傑作の幾つかをご紹介します。岸田劉生の作品と見比べて鑑賞してみて下さい。印象派を中心とする巨匠等の作品と比べても遜色ない、劉生の画家としての技量の確かさを改めて感じます。

 [21] 名古屋ボストン美術館『恋する静物―静物画の世界』leaflet
 21_leaflet

 ––––––––––––––––––––––––[22]アンリ・ファンタン・ラトゥール(Henri Fantin-Latour(1836-1904))『桃を盛った皿』1862年 22henri_fantinlatour183619041862 ラトゥールが静物画家として活動を開始した初期の頃の作品。桃の丸さ・柔らかさとナイフの直線・硬さの対比が上手い。

 [23]マネ(Edouard Manet(1832-83))『果物籠』1864年頃 
23edouard_manet1832831864
 マネのこの作品は、写実的な細部の表現がない点に特徴がある。そしてその描き方がまた上手い。

 ––––––––––––––––––––––––[24]シスレー(Alfred Sisley(1839-99))『卓上の葡萄と胡桃』1876年 
24alfred_sisley1839991876
 風景画家であるシスレーが1862年から99年迄の間に製作した静物画は9点に過ぎない。味がある佳品である。

 [25]モリゾ(Berthe Morisot(1841-95))『鉢の中の白い花』1885年 
25berthe_morisot1841951885
 モリゾの肖像画や室内画に花は頻繁に登場する。が、静物画そのものの作品数は少ない。

 ––––––––––––––––––––––––[26]セザンヌ(Paul Cezanne(1839-1906))『卓上の果物と水差し』1890-94年 
26paul_cezanne18391906189094
 作品の制作速度の遅いセザンヌにとって静物画の motif は果物が最適であった。花は直ぐに枯れてしまうからであった。

 [27]ジェームズ・ピール(James Peale(1749-1831))『果物を盛った磁器の鉢』1830年 
27james_peale174918311830
 米国最初期の静物画家で本作品は彼82歳、最晩年期の作品。古典主義からロマン主義への移行の萌芽も見受けられる。

 ––––––––––––––––––––––––[28]リーヴァイ・ウェルズ・プリンティス(Levi Wells Prentice(1851-1935))『ブリキ製バケツの中のリンゴ』1892年 
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 この極めて写実的な作品は見る者に強いimpactを与える。ブリキと傷のあるリンゴが浮き出て見える。

 [29]ヴュイヤール(Edouard Vuillard(1868-1940))『ガラスの花瓶のバラ』1919年頃
29edouard_vuillard186819401919
 ガラスの花瓶に生けられた花は、彼の描く室内画によく登場する。Table cloth や壁紙・敷物もしっとりした感じがとても良い。

 ––––––––––––––––––––––––[30]マティス(Henri Matisse(1869-1954))『花瓶の花』1924年 
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 仏二―ス(Nice)で暮らしていた時代の作品。明るく装飾的な作品であり、色彩が静穏で見る者に安心感を与える。

 [31]ロジャース(Gretchen W. Rogers(1881-1967))『静物』1923年 
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 この静物画は見る者を洗練された優美な空間に惹き入れる魅力を持った作品である。

【小生 comment】
 『静物画』は直ぐ手に入る手頃な model だが、それ故画家としての技量の度合が如実に判る、ある意味怖い絵の genre だ。
 ボストン美術館所蔵の印象派を中心とする『静物画』は masterpieces が多く見る者を魅了する。
 小生も、もう少し仕事に時間的余裕が出て来たら、『静物画』辺りから油彩画の勉強をしてみようかと考えている。しかし、いつのことになるだろうか。(笑)

 さて続いては、これも先週に引き続き岸田劉生関連3冊の本の2冊目『岸田劉生随筆集』の中からその幾つかをご紹介します。
 皆さんも読んで納得される思いますが、劉生の文章力はかなり高い。ではどうぞ‥

【思い出及今度の展覧会について~『白樺』の十周年に際して】
『白樺』の十周年に際して僕も御祝いを言わして貰うのを光栄に思う。
『白樺』を初めて買ったのは第二巻か三巻の四月号だったと思う。丁度その頃印象派というものが解り出していてそれに興味を持っていた。その号の『白樺』にルノアールの事とその作品が載っていたので興奮して買ったのを覚えている。もう十年になるのかと漫(そぞ)ろに月日が経つのが早く思われる。〔中略〕
 (友達の)清宮(せいみや[彬(ひとし)])の紹介で柳(宗悦(むねよし))の家へ初めて行き、また此処で沢山のゴオホやセザンヌや、ゴーガン、マチス等に驚いた。全くその時分はただただ驚嘆の時代だった。絵を見てウンウン言って感動した。涙ぐむ程興奮したものだ。画も全く、後印象派の感化というより、模倣に近い程変わった。露骨にゴオホ風な描き方をしたものだ。それについて、『白樺』同人たちの暖いそして独立的な、品のある空気が僕の心を引き付けた。『白樺』を見る度に、無車(むしゃ)という名でかいてある六号雑感に引かれた、その強い、自分を曲げない処が特に自分を感心させた。無車が何処迄も自己を尊敬して立って行く態度に殊(こと)に引かれそれを羨ましく思った。そして自分ももっと強くなりたいと思った。柳を通じて武者〔武者小路実篤〕ともじき知り合になった。始めは画を見に行ったものだが、それより話をするのが何とも言えぬ楽しみだった。これ迄、そういう友達を持つ機会のあまりなかった僕にとってこの事は本当に、第二の誕生といっていい位の力強い事だった〔中略〕。
 こうして僕は同人ではないけれど、『白樺』とは離れられない間になってしまった。〔中略〕十周年御祝いに際してつまらぬ事だが思い出をかいた。『白樺』の将来に幸を祈らせて貰う。
    〔1919(大正08年).03.01〕

【製作余談~ゴッホの向日葵】
 ゴッホの向日葵の画の本物が日本に来て、それを見たがゴッホの中ではなかなかいいものだと思い、また芸術としても相当立派なもの、少なくとも「本物」だとは思ったが、頭は下がらなかった。
 ゴッホの画は、忌憚なく言えば、少し急ぎ過ぎる故か粗い。
 興奮がまだ生(なま)だ、そして生の儘、芸術化されずに、興奮の儘に表わされている。否、あれでは本当に興奮を表わすことは出来ない。大切なものを逃がしてしまう恐れがある。手が少し出鱈目に動き過ぎる。
 芸術上の興奮としてみる時、ゴッホの興奮はまだ幼稚である。〔中略〕受ける心の素養の貧しさを語る、つまり、純真なる、そして素質良き芸術家の初歩の感じである。〔中略〕
 表現が生なのは芸術として、推奨すべき事ではない。〔中略〕芸術は、味をつけて「煮たもの」でなくてはならない。〔中略〕生のやつを、一度、芸術的に殺して、料理して、煮て、食わすのが芸術である。〔後略〕
    『中央美術』第八巻第一号 大正11(1922)年01月

【草土社今昔談―美術界今昔話―】
 草土社を始めてから足掛十年になる。〔中略〕
 草土社の起こりは十年程前巽(たつみ)画会の洋画部の鑑査に私と木村[荘八]とがいってやった事があったが、此処へ出品した人の中(うち)、私がいいと思った人を十人程選(え)って、小展覧会をやってみようとした事から始まっている。〔中略〕
 中川[一政]君は巽の第一回に極めて小さい画が入選したがそれがなかなかいいものである事を私が覚えていて、次の巽の展覧会では椿と共に二等賞を得、その頃から知り合いになった。〔中略〕
 大正四(1915)年の夏頃に、その人選がほぼ極(き)まった。〔中略〕
 清宮彬、木村荘八、高橋三千夫、中島正貴、高須光治、椿貞雄、中川一政、横堀角次郎、飛田角一郎、柳沢菊次郎、岸田劉生。
 多分こんな事であった様に思う。〔中略〕
 が、この会を始める当時はこの会に草土社と言う名はついていなかった。目録も印刷に回り、いよいよ蓋を開けるという二、三日前、秋のいい日に私は椿君か誰かと、多分武者[武者小路実篤]の家を訪ねようと、代々木の道を歩き乍ら、会の名を考えていて、ふと、道端の草を見て、「草土社」と言う名を思いついたのであった。
 大そう、皆も気に入ってくれて、早速カタログに入れたかったが、表紙も印刷してしまったので、カタログの中に殊に、謹告として、
「此(この)展覧会は次回に開く時から草土社展覧会と称(よ)ぶ事にしました。〔中略〕」と書き入れた。〔後略〕
    〔大正13(1924)年06月18日記〕

【小生 comment】
 これ等随筆により、岸田劉生と白樺派、特に武者小路実篤との関係や、草土社発足の経緯が良く分かった。
 また【製作余談‥ゴッホの向日葵】で、劉生はゴッホの画について大変上手い批評を行っている。
「芸術的に殺して、料理して、煮て、食わすのが芸術」とは蓋し名言だ。安井曾太郎の薔薇図や肖像画などはまさにそうである。
 更に余談である。10月19日付のSANKEI EXPRESS で「ゴッホは自殺ではなかった? 少年に撃たれ死亡説」という記事が載っていた。その内容とは、「1890年07月29日、Paris郊外オーヴェル・シュル・オワーズで拳銃自殺したとされるOlanda の伝説的な画家 ゴッホ(Vincent van Gogh(享年37歳))の死因について、不慮の事故による“他殺説”が浮上し、欧米で物議を醸している」というもの。撃たれた真相は「ゴッホは10代の少年2人とcowboyごっこをしていたが、その際、少年の一人が持っていた整備不良の銃が暴発。Goghは銃弾を腹部に受けて重傷を負ったが、2人を庇う為自殺説を敢えて否定せず、2日後にその儘落命した。3人は大酒を飲んで酔っぱらっていた」というのだが、真偽の程は如何に??‥

【後記】上記以外では、10月08日(土)にトヨタ鞍ヶ池記念館内:鞍ヶ池アートサロン『朱(あか)と藍(あお)~四季を綾なす日本~』展、10月16日(日)に愛知県芸術劇場concert hallにて開催されて『Wiener Philharmoniker Week in Japan 2011』公演の模様についてごく簡単にご紹介させて頂きお別れします。

[1]鞍ヶ池アートサロン『朱(あか)と藍(あお)~四季を綾なす日本~』展

 [32]同上 leaflet 32_leaflet

 この展覧会は12月11日まで開催されている。小生、leaflet に記載されていた日本人洋画日本画の大家12人の名に惹かれて見に行って来た。
 実際に行ってみると、21名の巨匠達による24作品が展示されていた。受付で展示作品の図録や poster の販売の有無を尋ねると「ない」という。「但し、enquete に応えてくれたら leaflet に掲載されている2枚の絵の post card を無料進呈する」という。物欲を捨て切れない小生は勿論 enquete に応えて post cardを貰った。以上は余談。(笑)
 流石は天下のトヨタ自動車の所蔵画だ。みな素晴らしい作品ばかりであった。絵をご紹介出来ないのは残念であるが、拝観料は無料なので、鞍ヶ池湖畔にあるトヨタ鞍ヶ池記念館を是非訪ねて実際にご覧下さい。「絶対に見て良かった」と実感されることと思います。
 以下に展示作品全24点を上から下へ画家名の五十音(同じ画家作品に制作年代)順に記す。但し[ ]内の数値は展示順〔為念〕。
 Leaflet と post card になった2枚は[01]と[05]である。
 展示作品の中では、小生[07]和田英作『静物』が最も気に入った。水分と甘味をたっぷり含んだ赤い果肉の西瓜が絶品であった。

 [24]麻田鷹司『遍昭寺山広沢池』1977年
 [09]上村敦司『爽秋』1990年
 [06]上村松篁『燦』1989年
 [02]梅原雄三郎『鯛』1950年代
 [08]奥田元宋『遠山早雪』1994年
 [03]片岡球子『めで多き富士』1997年
 [19]加藤東一『漁火』1985年
 [04]北川民次『四月の花』1973年
 [15]鬼頭鍋三郎『芦ノ湖新緑』1950年代
 [10]児島善三郎『薔薇』1950年代
 [23]鈴木信太郎『静物』1970年以前
 [05]髙山辰男『朝』1996年
 [18]髙山辰男『白いトルコ桔梗』2001年
 [17]中川一政『箱根駒ケ岳』1970年代後半
 [21]平山郁夫『法隆寺の月』1990年代
 [16]福田平八郎『鮎』1969年
 [11]前田青邨『静物』1961年
 [13]前田青邨『紅白梅』1970年頃
 [14]松尾敏男『富貴花』1982年
 [12]山口華揚『晨雪』1973年
 [22]山下新太郎『白金御料林の朝』1950年代
 [01]吉岡堅二『薔薇』1986年
 [07]和田英作『静物』1936年
 [20]和田英作『夏雲』1950年

[2]『Wiener Philharmonikar Week in Japan 2011』公演
 ~クリストフ・エッシェンバッハ指揮ウィーンフィルとpianistランラン~

 ––––––––––––––––––––––––[33]同上 leaflet 33wiener_philharmonikar_week_in_jap

 愛知県芸術劇場concert hall にて16日(日)15時00分開演。
 曲目は以下の3曲。
 [1] Liszt作曲 ピアノ協奏曲第1番 変ホ長調 S124 Pianistはランラン。
 [2] Mozart作曲 交響曲第34番 ハ長調 K338
 [3] Schubert作曲 交響曲第7番 ロ短調 D759「未完成」
 そして、[1]曲目の Encore はランランの独奏で次の①②、[3]曲目終了後に Christoph.Eschenbach(1940.02-)指揮WPOにより③が演奏された。
 ①Liszt Consolation 第2番
 ②Liszt ラ・カンパネッラ (la Campanella)
 ③J.Strauss ワルツ(waltz)『美しく青きドナウ(An der schönen blauen Donau)』
 ランラン(Lang Lang(1982.06-))の演奏は、2009年01月23日、2011年02月15日に続き3回目。WPOは、1973年春のアバド(Claudio Abbado(1933.06-))指揮、2001年10月のサイモン・ラトル(Sir Simon Rattle(1955.01-))指揮以来のこれも3回目。ランランの超絶技巧の演奏技術は期待に違わぬ素晴らしい(ちょっと over gestureだけれど(笑))ものであったし、WPOの演奏は、弦楽器が透明感溢れる演奏乍ら独特の温かみがあり聴衆を魅了して止まなかった。Mozart、Schubert、J. Strauss という独墺の作品はまさしく彼等の十八番で、「未完成」も「美しく青きドナウ」もこんなに美しく素晴らしい曲だったのかと改めて感心させられた。
 最近、仕事上で思う様に行かないことが重なり、鬱な気分が暫く続いていたのだが、この様な名画や名曲を見聴きしている時は現実を忘れさせてくれ、本当に疲れた心が癒される。有難いことだと思っている。
 では、また‥。(了)

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2011年10月15日 (土)

【時習26回3-7の会 0363】~「【2637の会 Part2】開催に向けて(10月15日現在)」「10月09日:大阪市立美術館『岸田劉生展』を見て〔その1〕」

■皆さん、如何お過ごしですか? 今泉悟です。今日も【2637の会】《会報》【0363】号をお送りします。
 まず、先週に引き続いて11月開催予定の【2637の会】《クラス会 Part2》のご案内 mail の回答が届きましたのでご紹介させて頂きます。
 山中さんから mail を頂戴しました。
 お返事有難うございます。

【1.山中さん】
 山中です。
〔回答〕1.11月26日(土) 18時~ の《クラス会 Part2》に参加します。
 宜しくお願いします。

【小生comment】
 山中さん、mail と参加表明ありがとうございます。
 再会を楽しみにしています。

■さて今日は、先週の三連休の中日10月09日に今月23日まで大阪市立美術館にて開催中の『岸田劉生展』を見て来ました。
 今回は、絵が好きな、先月満87歳になった親父を車に乗せて行って来ました。親父も小生も岸田劉生は、藤島武二や安井曾太郎と共に大好きな日本人洋画家です。
 本展覧会では、岸田劉生の2つの国の重要文化財に指定されている絵「麗子像(青果持テル)」と「道路と土手と塀(切通之写生)」を始め全部で241点。通常、1回の企画展のおける展示数は100点弱程度ですからその規模の大きさの程がご理解頂けると思います。
 本展覧会の岸田の作品は、ご紹介した絵が沢山ありますので、今回から、時代別に【1.東京(1907~16年02月)】【2.鵠沼(1916年~23年09月)】【3.京都・鎌倉(1923年~1929年12月20日逝去)】の3回に分けてお届けします。

 まずは劉生の略歴から‥
〔略歴〕
 1891年 06月23日、東京市京橋区(現中央区)銀座に生まれる、父58歳、母36歳、七男七女の第9子四男
 1897年 東京高等師範学校附属小学校入学
 1903年 同校附属中学校入学
 1905年 06月07日父、吟香死去、12月09日母勝子死去
 1906年 附属中学校三年で中退、この頃キリスト教洗礼を受く
 1908年 白馬会絵画研究所(赤坂)に三年通い、黒田清輝に師事
 1910年 05月白馬会第13回展に油彩を出品し入選 10月第4回文部省美術展覧会に油彩を出品し入選
 1911年 03月雑誌『白樺』購読し後期印象派に感銘、この年、武者小路実篤(1885.05.12-1976.04.09)と知り合う。
 1913年 07月01日 前年知り合った小林蓁(しげる)と結婚、西大久保(現・新宿区歌舞伎町)にある蓁の実家の二階に住む
 1914年 04月10日 長女麗子誕生
 1915年 劉生、中川一政、高須光治、木村荘八等と草土社を立ち上げる
 1916年 肺結核と診断され、荏原郡駒沢村(現・世田谷区)に転居
 1917年 転地療養の為神奈川県鵠沼(現・藤沢市)に転居
 1919年 白樺10周年記念主宰岸田劉生個人作品展覧会開催
 1920年 劉生、元旦から絵入りの日記をつけ始める
 1922年 01月春陽会が創立、木村、中川、椿貞雄と共に客員として参加
 1923年 09月関東大震災で自宅が半壊、10月京都へ転居
 1925年 07月09日 日記が突然途絶える
 1926年 03月生活改善の為、鎌倉に転居 同月28日長男鶴之助誕生
 1929年 09月29日満州へ旅立つ、11月29日帰国し山口県徳山(現・周南市)に逗留、12月20日慢性腎炎にて逝去(享年38歳)

 岸田劉生の若年期〔鵠沼へ転居する迄〕の展示作品を以下に示す。

 [01]岸田劉生と妻蓁、長女麗子1916年撮影
 011916

 ––––––––––––––––––––––––[02]岸田劉生展 leaflet
 02_leaflet

 [03]同『落合村ノ新緑』1907年
 031907

 劉生16歳の時の作品だが、天賦の才であろう、見る者を魅了して止まない。

 [04]同『自画像』1908年07月(東京国立近代美術館)
 04190807

 ––––––––––––––––––––––––[05]同『風景』1909年頃
051909
 
 [06]同『夕陽』1912年01月
 06191201_2
 
 ––––––––––––––––––––––––[07]同『虎の門風景』1912年03月
 07191203

 [04]~[07]:これ等の作品群のうち[05]を除く3点は、後期印象派の影響を色濃く受けている。[04][06]は Gogh、[07]は Gauguin の作品によく似ている。また[05]『風景』は、実物の絵を目の前で見たが、何とも言えぬ温盛が伝わって来て素晴らしい。

 [08]~[15]:これ等の作品のうち、[10]『居留地(築地明石町)』は、何処となく初期の頃のVasily Kandinsky の作品を髣髴とさせる、印象に残る佳品である。また[14]『武者小路実篤像』の model は、劉生が生涯最も厚い交友関係を保ち続けた人物である。残る6点は全て劉生の『自画像』。本展覧会には1912~14年の短期間に16点の『自画像』が展示されていた。その多さに驚かされた。
 これ等一連の『自画像』も、時間の経過と共に『後期印象派』から『写実主義』への回帰というか変化が読み取れる。
 [08]同『外套を着た自画像』1912年03月
 08

 ––––––––––––––––––––––––[09]同『樹と道 自画像其四』1913年10月
09_191310
 
 [10]同『居留地(築地明石町)』1913年
 101913

 ––––––––––––––––––––––––[11]同『自画像』1913年12月(豊田市美術館)
 11191312

 [12]同『自画像』1914年01月(島根県立美術館)
 12191401

 ––––––––––––––––––––––––[13]同『黒き帽子の自画像』1914年03月
 13191403

 [14]同『武者小路実篤像』1914年03月(東京都現代美術館)
 14191403

 ––––––––––––––––––––––––[15]同『自画像』1914年10月(岐阜県美術館)
 15191405

 劉生の風景画は、この頃より「草と土と道」を theme とするものが多くなる。
 [16]同『道と電信柱』1914年10月(メナード美術館)
 16191410

 劉生の妻「蓁」である。
 [17]同『画家の妻』1914年11月(高知県立美術館)
 17191411

 【小生comment】の処で後述するが、model は豊橋市出身の画家である。
 [18]同『高須光治君之肖像』1915年01月(愛知県美術館)
 18191501

 今日の第一回目の岸田劉生展の「一番の推薦作品」がこの『道路と土手と塀(切通之写生)』である。くっきりとした明暗と強調された遠近法により、日陰の表現が電柱から草木に至る迄心憎い程上手い。
 [19]同『道路と土手と塀(切通之写生)』1915年11月(東京国立近代美術館)【国 重要文化財】
 19191511

 以下に記す[20]と[21]は、上記[19]『切通之写生』と一連の写生作品である。[19]と[21]は、同じ場所を違う視点から描いたもの。
 [20]同『門と草と道』1916年06月
 20191606

 ––––––––––––––––––––––––[21]同『代々木附近(代々木附近の赤土風景)』1915年10月(豊田市美術館)
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 [22]も「草土社」時代の作品である。
 [22]同『冬枯れの道路(原宿附近の写生)』1916年01月(新潟県立近代美術館・万代島美術館)
 22191601

 [23]は、これまでの「首刈り」という異名をとる肖像画群と異なり、制作期間も10日余りを要したと劉生自身が記している。
 [23]同『古屋(こや)君の肖像(草持てる男の肖像)』1916年09月(東京国立近代美術館)
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 劉生が、結核療養の為、1917年02月鵠沼に転居する。この作品はその3箇月前のもの。病気の為、屋外写生が困難となり、この頃より「静物画」の作品数が増えて来る。
 劉生自身この絵について「今度の絵は随分難しかった‥」と述べている。壺とリンゴが放つしっとりとした質感が秀逸である。
 [24]同『壺の上に林檎が載って在る』1916年11月(東京国立近代美術館)
 24191611

【小生 comment】
 1912年10月、劉生は高村光太郎(1883.03.13-1956.04.02)等と第1回ヒュウザン会(第2回はフューザン会に改名しこの会は終了)を結成した頃から、作品数が急に増える。翌年結婚する小林蓁との出会いもこの会に始まる。劉生は、第1回展に14展出品し画壇に debut を飾る。
 皆さんも添付写真の絵をご覧になって「劉生はなんと自画像が多いのだろう?」と感じられたと思います。
 彼は38年の短い生涯に30点以上自画像を書いているが、その大半がこの1913~14年に集中している。彼が基督教の牧師を一時目指していた頃の内省的な感情の表れの一形態であろうか。此処まで沢山自画像を描くのは narcissistic な面を持っていたのでは‥と思ってしまう。とは言え、どの作品も技工的には高い level にあり感心させられる。
 ところで【2637の会】の皆さんは、[18]『高須光治君之肖像』の model 高須光治(みつじ(1897.08.13-1990.12.25))氏をご存知ですか?
 氏は、1914年10月、劉生と共に『草土社』結成の member で、豊橋市出身。同市の本屋の老舗『豊川堂』の owner 一族である。彼は、前年の1913年画家を目指し上京。翌14年岸田劉生を訪ね、劉生を介して武者小路実篤、長与善郎、千家元麿等「白樺派」文人と交友する様になる。
 以上は余談である。

 更に余談を一つ‥。
 いま此処に「岸田劉生著・酒井忠康編『適録 岸田劉生日記』」「酒井忠康編『岸田劉生随筆集』」「岸田麗子著『父 岸田劉生』」の本がある。
 [25]『適録 岸田劉生日記』『岸田劉生随筆集』『父 岸田劉生』
 25

 昔から岸田劉生に強い関心を寄せていた小生、これ等の本をここ十年余りの間に購入していた。が、三冊纏めて読み齧ったは今回が初めてである。
 今日は、これらの本の中から3回 series の第1回目として「岸田麗子著『父 岸田劉生』」をご紹介したい。

 [26]岸田麗子
 26

【岸田麗子『父 岸田劉生』~「満州へ」の最終段‥】
 11月27日父は大連を発った。まっすぐ言家へ帰ればよかったのに、田島氏(【注】劉生の patron の一人)の郷里である山口県徳山市に立ち寄った。初期の念願と違って、あまりに収入が少なかったのを気にして、徳山でもう少し懐を温かくして妻子を喜ばせたいと考えたのだろうけれど、命を絶って迄するべきではなかったのだ。〔中略〕徳山の人々は喜んで父を歓迎して下さった。ここでも父は油絵、日本画を休むことなく制作している。昼は仕事をし、夜は宴会宴会で、父は丼酒を飲んでいたという。〔中略〕
 12月19日の朝、〔中略〕電報が来た。〔中略〕廊下を小走りに母が近づいて来て、〔中略〕私に、
「お父様のご病気がお悪いのよ」と言った。〔中略〕
「早く帰っていらっしゃればよかったんだよ‥〔中略〕」
 母はじっと考え込み、小さく呟き乍ら、手はてきぱきと旅行の仕度をしていた。仕度が出来ると荷物を持って、銀座の本家へまず相談に行った。そしてそこで「危篤」の電報を受け取ったのだ。
 夕方母から電話が掛かって来た。
「お父様が酷くお悪いので一緒に徳山へ行きますから仕度して藤沢の駅で待っている様に」と言うのだった。慌ただしく仕度して何も知らずに機嫌良く女中に抱かれている鶴之助を見て、私は胸がいっぱいだった。(【注】関東大)震災の時貨物列車に乗った時からその日まで、行ったことのなかった藤沢の駅に立って、私は母の汽車が来るのを待った。やがて汽車がホームに滑り込み、一つの列車の出入口の所に母が立って私を呼んでいるのが見えた。〔中略〕
 汽車は直ぐ出発した。私を送って来てくれた書生さんが〔中略〕ホームを走り乍らついて来る。母が「あとをたのみますよ」と言っている。その人が「大丈夫です」と言っている。そしてその人の姿は暗い夜の中に消えて行った。
 
 翌日の午後三時頃だったか、列車ボーイの手から父の死を知らせる電報を受け取った。母は泣き通しだった。同車している人々の目が、それとなく不幸な家族の、ひと目も憚らず泣いている女の姿に注がれていた。(了)

 掲載順序は逆になるが、武者小路実篤がこの本に次の様に「序」を書いている。
【「序」 武者小路実篤】
 今、麗子さんの書いた父岸田劉生を読み上げた。確かに麗子さんでなければかけない父としての岸田劉生の人となりがかけている。劉生が如何に麗子さんを愛していたかは、麗子像を見た人は誰でも感じる事だ。岸田の画業の中でも麗子像の占める位置は高い。〔中略〕
 僕は序文をかくのを引き受け、この本の本文を短時間で読む事を頼まれ、実は一部分を読む事で序文をかくつもりでいたが、読み出したら引き込まれて後半は一気に読み、劉生の事を思い出し、懐かしい気持ちをしみじみ味わゝされた。晩年劉生がお金に困って、金をつくる為に絵を描いている気持、今の劉生の画の値を知る僕達には歯痒さと気の毒さが感じられた。満洲での劉生の様子も僕はこの本で知る事が出来た。
 劉生の事を知りたい人は是非この本は読まねばならない本だ。この本を読まずに劉生の事を知ろうとする人は、劉生の絵を麗子像をぬかして話そうとする人に似ていると言いたい。
 僕はこの本を読み上げた時、そう思った。麗子さんは貴き父に対し立派に親孝行したと言っていゝのだと思う。
     昭和37年6月

【後記】
■時の移ろいは早いものです。《クラス会 Part2》の開催予定日が一箇月余りに迫って参りました。
 万年幹事の希望としては、第一希望日11月26日、第二希望日11月19日で考えています。
 皆さんからの〔回答〕をお待ちしています。
 m(_ _)m
 【《クラス会 Part2》出欠経過状況 2011.10.15現在】
 [1] 11月26日に参加:2名〔中山、山中〕
 [2] 欠席:3名〔彦坂、渡辺、伊東〕
 [3] 11月19日に参加:1名〔伊庭〕
 ※ 回答者合計:6名
 〔以上、mail 当着順、敬称略〕

 では、また‥。(了)

2011年10月 8日 (土)

【時習26回3-7の会 0362】~「【2637の会 Part2】開催に向けて」「10月03日:ミニミニ同期会開催報告」「10月02日:名古屋市美術館『平松礼二展』&愛知県美術館『島田章三展』を見て」

■今日から始まる三連休は清々しい好転が続く模様です。一方、朝晩はめっきり肌寒さを感じる様になりました。
 明日10月09日は、二十四節気でいう「寒露」。
 最近目にした「秋」の風情を詠んだ名句を3つご紹介させて頂きます。

 あきかぜのふきぬけゆくや人の中  久保田万太郎
【解説】前書「銀座」。人々が集う華やかな銀座と吹き抜ける風の冷気との対比が面白い。

 柿色の日本の日暮柿食へば  加藤楸邨
【解説】日本の日暮れ全体が柿色だという表現が上手い。「柿食へば」は子規の名句と同じだが、品格の高さでは楸邨に軍配が上がる。

 旧姓に振り向く笑窪(えくぼ)秋麗(うらら)  源鬼彦
【解説】秋晴れの下旧知の彼女を(旧姓で)呼び止める。振り返った彼女の変わらぬ笑窪が懐かしい昔日の想い出を呼び起こす。

  ※ ※ ※ ※ ※

 皆さん、如何お過ごしですか? 今泉悟です。今日も【2637の会】《会報》【0362】号をお送りします。
 11月開催予定の【2637の会】《クラス会 Part2》のご案内 mail を前号の《会報》と相前後して配信させて頂きました。
 そうしましたら、彦坂君、伊庭さん、中山君、渡辺さん、伊東君〔以上、到着順〕の5名の方々から mail を頂戴しました。
 早々なるお返事有難うございます。
 5名の皆さんの mail(の一部)をご紹介させて頂きますと‥
【1.彦坂君】
いつもお世話になっております。〔中略〕元気ですか。
予定日の11月19日、26日はとても出席できる状況ではありませんので、欠席させてもらいますが、今後ともよろしくお願いします。
彦坂

【2.伊庭さん】
 いつもありがとうございます。
〔回答〕3.11月19日(土) 18時~ なら参加します。
 11月26日は翌27日が勤務校の学習発表会の準備のため、心落ち着かず参加できそうな状態ではないと思います。
            伊庭

【3.中山君】
 中山です。
〔回答〕1.11月26日(土) 18時~ の《クラス会 Part2》に参加します。
 ちなみに土曜日は、26日を除く 11/5から12/3までは予定が入っています。

【4.渡辺さん】
〔回答〕2.都合により「欠席」します。
 岡崎の史跡めぐり、楽しく読ませていただきました。
 大樹寺は小学校の遠足で行きました。
 子ども心に立派なお寺だと感心した覚えがあります。〔中略〕
 11月26日はお友達達と湯河原に行く予定でいます。
 一年に一回のお喋り会です。
 来年の夏に行けるかな?
           渡辺

【5.伊東君】
 いつもお世話になります。
 19日・26日両日共仕事・東京出張等の予定があり、残念ですが都合がつきません。
 又の機会に参加させて頂きます。
           伊東

【小生comment】
 彦坂君、quick response 有難うございます。こちらこそ今後とも【2637の会】《会報》の応援宜しく!
 伊庭さんは4年ぶりの、中山君は何十年ぶりの初めての、参加表明をして下さっています。
 ウ~ム、弱りましたネ。お2人の希望日が一致しない‥。
 皆さん全員の希望日が一致すればいいのですが、ちょっと難しそうかな‥。
 その場合は、希望者の多い日に決定しようと思います。
 そして、人数的に拮抗した場合は‥悩みます‥。(汗)
 参加を予定される皆さんからの朗報をお待ちしています。m(_ _)m
 
■さて今日は、突然『ミニミニ同期会』開催報告からです。
 [01]
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 ––––––––––––––––––––––––[02]
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 と言っても、【時習26回】であっても【3‐7の会】ではありません。
 小生今週初の10月03日、【2637の会】《クラス会 Part2》予定会場であるトライアゲインにて旧銀行時代の同期等と4人で飲み会を開催しました。
 そのうちの一人が、時習26回【3-10】の手塚T君です〔添付写真[01][02]向かって左から2人目(小生の右隣)〕。
 小生を除く3人は、旧行の国際畑での同僚。手塚君と小生は【時習26回】の同期。手塚君の右隣のY君は小生と大学の同期。向かって右端のK君はY君と東海高校の同期。我等4人は全員既に旧行を退職し第2の人生を歩んでいる。
 午後6時から飲み始めて9時半まで楽しい同期の語らいのひとときを過ごすことが出来ました。
 気の置けない同期の仲間という存在はいいものである。
 この会も、名古屋在勤在住のY君が arrange してくれたもので、彼同様名古屋在勤在住のK君と、蒲郡在勤豊橋在住の手塚君に声をかけてくれて実現したものである。

【翌日の話】
 開催日翌日、小生、参加者3人に同期会の snap shots 2枚(添付写真[1][2])を送ったら、直ぐに全員からお礼の mail が来た。
 その中で、K君から「写真を見るとお互い背負ってきた人生の長さを感じますね」という言葉があったのが印象的だった。
 蓋し名言。「そうなのだ、我等4人は大学を卒業して以来、同期として約30年間営々と切磋琢磨して来たのだ‥」。
 この間、病魔に倒れ逝きし者、はたまた病気療養中の幾人かの友の話が出て、互いに「『健康』の重要さ」を再認識した次第。(了)

■続いては、話は前後しますが10月02日(日)、所用で名古屋に行く機会があり、その用事の帰途、2つの絵画展を見て来ましたので、その模様をご紹介します。
 まずは‥
[1]【名古屋市美術館『平松礼二展』】についてである。
 小生、日本画家「平松礼二」については、彼が月刊誌『文藝春秋』表紙絵担当(2000年01月号~2010年12月号)した画家であること位しか正直知らなかった。
 しかし、展覧会に行って良かった。氏の絵画作品を目の辺りに見て本当に感動した。素晴らしい作品がズラリと並んでいたのである。
 まずは彼の略歴を記す。

 1941年 09月13日、東京都中野区上高田に生まれる、本名邦夫
 1946年 名古屋市に転居
 1948年 名古屋市立城北小学校入学
 1954年 名古屋市立志賀中学校入学
 1958年 前年04月一旦普通科高校に入学後中退、この年旭丘高校美術科入学
 1960年 川端龍子主宰の第32回青龍展に《廃船》を初出品し入選
 1961年 旭丘高校美術過程卒業、愛知大学法経学部入学
 1965年 愛知大学卒業
 1977年 創画展創画会賞受賞、以後各大会で受賞を重ねる。同年名前を礼二に改める
 2006年 町立湯河原美術館に「平松礼二館」開館

 [03]平松礼二
 03

 [04]平松礼二『2011311-日本の祈り』(部分)2011年~展覧会 leafletより~
 0420113112011

 leaflet にある絵[04]は、本展覧会の為に描かれた新作で、今年03月11日の東日本大震災に対する鎮魂の思いが込められている。
 以下順次、平松氏の作品をご紹介する。
 彼の絵は、時代の変遷により作風も変化している。leaflet の解説から一部引用してみたい。

 平松邦夫(当時)が青龍社の展覧会に初めて出品し入選を果たしたのは旭丘高校在学中の時。その後愛知大学を卒業し、青龍社解散後は孤独のうちに創作を進め、既成の権威や固定した価値観への反発を胸に秘め乍ら、一方で日本美術の伝統に深く根差しつつ、多様にして膨大な作品群を生み出して来た。
 横山操を師と仰ぎ、日本画の革新を志した若き日の重厚にして鮮烈な作品から、苦闘の果てに生まれ、現在に迄続く lifework となった「路(みち)」series。日本画の原点としての装飾性に立ち帰り乍ら、Monet をはじめとする印象派の Japonisme 研究を経て生まれた近年の華麗な作品。

 [05]平松礼二『入江風景』1967年頃
 051967

 ––––––––––––––––––––––––[06]同『近江山田寺 廃寺の庭にて』1975年頃
 06_1975

 [07]同『路-冬日』1979年
 071979

 氏の lifework とも言える「路」series 1977年から始まる。この年の春創画展に出品した『路A』『路』の2作品からだ。
 [08]同『路-波の国から巡りくる』1991年
 081991

 ––––––––––––––––––––––––[09]同『路-「この道」を唄いながら』1989年
 091989

 1984年、「現代日本画の低迷期と自信の仕事の反省と危機意識」から結成した「横の会」。期間10年として活動。
 この期の作品は本展覧会で13作が披露された。うち2点をご紹介する。

 [10]同『NEW YORK-WHITE MOON』1994年
 10new_yorkwhite_moon1994

 1990年代に何度か訪れた New York を theme に幾つかの作品を制作。斬新的だが余裕も感じられる。

 [11]同『モネの池・雲』2001年
 112001
 
 ––––––––––––––––––––––––[12]同『とんぼ舞う』2002年
 122002
 
 1994年、氏は初めての訪仏。彼の Japonisme に対する関心は現在迄続いているという。

 [13]同『睡蓮の池』2008年
 132008
 
 ––––––––––––––––––––––––[14]同『山水ジャポン四季』2008年
142008
 
 [15]同『帰帆』2009年
 152009
 
 2003年、平松氏は10年続いた Japonisme に一区切りをつけ、印象派の Japonisme に対峙する新しい作風を確立した。
 桜梅の花、富士山等、日本の伝統的な画題に回帰した豪奢で絢爛な作品群が創出されている。

【小生 comment】
 小生、平松作品は、大変解り易く綺麗な作品が多いので大好きになった。これから氏の作品展には足を運びたいと思う。

 続いては‥
[2]【愛知県美術館『島田章三展』】についてである。
 小生、島田章三については従前から名前はよく聞いており、嘗てメナード美術館で同美術館所蔵の『はなかたちひとかたち』([20]参照)を見たこともある。
 『かたちびと』‥これは彼の絵の代名詞と言ってもいいだろう。まずは彼の略歴から

 1933年 07月24日、神奈川県三浦郡浦賀町大津(現・横須賀市大津町)に生まれる
 1954年 東京藝術大学美術学部油画科入学
 1957年 04月、第31回国画会展に出品した『ノイローゼ』で国画賞受賞
 1958年 同大学卒業
 1961年~国画会会員
 1967年 12月、『母と子のスペース』で洋画家の登竜門として名高い安井賞受賞
 1969年 09月、愛知県立芸術大学助教授就任
 1974年 04月、同大学美術学部教授就任
 1999年~日本芸術院会員
 2001~2006年 愛知県立芸術大学学長
 2004年 文化功労者顕彰

 1957年、国画賞を受賞した《ノイローゼ》で、若くして(23歳)画壇に登場。『母と子のスペース』で安井賞を受賞した翌1968年、愛知県在外研究員として渡欧。Paris に主に滞在し西・伊等を廻る。そこで彼は「キュビスム(cubisme)を日本人の言葉(=造形)に翻訳」することを自らの課題として絵画制作に取り組んだ。翌年09月帰国し、愛知県立芸術大学助教授就任後は、同大学を活動拠点に実績を積み上げていく。
 彼の画風の真骨頂である『かたちびと』は、幾何学的に構成された日常の情景に組み込まれた独自の人間像を具現化したものである。
 〔以上 leaflet より一部を引用〕
 島田氏の cubism の延長線上にある『かたちびと』の世界〔添付写真[19][20]ご参照〕をご覧下さい。

 [16]島田章三
 16_2

 ––––––––––––––––––––––––[17]島田章三『ノイローゼ』1957年
 171957

 [18]同『母と子のスペース』1967年
 181967
 
 ––––––––––––––––––––––––[19]同『課題制作』1980年〔『島田章三展』leaflet より〕
 191980leaflet

 [20]同『はなかたちひとかたち』1983年
 201983

【小生comment】
 島田氏の『かたちびと』の絵にはよく若い女性が登場する。これ等『かたちびと』の絵は、見る者に強い impact を与えて迫って来る。
 小生も、島田氏の『かたちびと』の絵群は強く脳裏に焼き付き暫く記憶が消えないから不思議である。皆さんは如何感じましたか?

【後記】■10月6日(日本時間)のBig Newsは、民主党の小澤元代表の公判とスティーブ・ジョブ氏逝去の速報である。
 特に米アップル社創業者で前CEOのスティーブ・ジョブズ(Steven Paul Jobs 1955.02.24-2011.10.05)氏は我等と同年。一代で米アップル社を世界最大の情報通信産業の企業に育て上げた傑物で、情報端末を触ったことがある人なら彼の名は誰もが知っている。

 [21]
 Steven_paul_jobs_1955022420111005

 死因は膵臓がんだそうだが、「太く短い人生も良し」とすべきだろうか。(合掌)

 では、また‥。(了)

2011年10月 1日 (土)

【時習26回3-7の会 0361】~「09月25日:3つの美術館を梯子して~メナード美術館『コレクション名作展【前期】』&豊田市美術館『小川待子/生まれたての《うつわ》』&岡崎市美術博物館『収蔵品展/名品コレクション100選 ~ピカソから村上隆まで~』」

■この処急に涼しくなって来ました。夜中に窓を開けた儘だと寒さを感じる今日この頃です。
 皆さん、如何お過ごしですか? 今泉悟です。今日も【2637の会】《会報》【0361】号をお送りします。
 先刻、11月開催予定の【2637の会】《クラス会 Part2》のご案内 mail を本《会報》とは別の mail にて配信させて頂きました。
 皆さんからの朗報をお待ちしています。m(_ _)m

 さて、《会報》の前々号で正岡子規の絶筆三句をご紹介しましたが、彼の弟子である高浜虚子の作品にこんな俳句があります。

 摂りもせぬ糸瓜垂らして書屋かな  虚子

 糸瓜水に痰を切る効果がある為子規に糸瓜は欠かせないものであった。しかし、虚子の様な糸瓜を必要としない者にとってはこの様な俳句になるのでしょう。

 秋の旬の物を詠んだ子規と虚子の句を並べてみました。

 柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺  子規
 落花生喰ひつゝ読むや罪と罰  虚子

 因みに、子規の「柿くへば‥」の俳句には下敷きとなった夏目漱石の次の句がある。

 鐘つけば銀杏(いちょう)ちるなり建長寺  漱石

■さて今日は、掲題・副題にあります様に、小生09月25日に車を飛ばして、小牧市にあるメナード美術館と、豊田市美術館、そして岡崎市美術博物館の3つの美術館を梯子して見て来ましたので、その模様をお伝えしたいと思います。

[1] まず最初に訪れたのがメナード美術館。09月15日~12月23日迄(◇前期09/15-10/30 ◆後期11/01-12/23の2回に分けて)同美術館が所蔵する1,400点を超える masterpieces の中から92点が展示される。この美術館の作品は、著名画家の数の多さと作品の質の高さに定評がある。
 小生は、既に何回も訪問しているので今回もそのうちの約半数は見たことがある。しかし、名画は何度見てもその魅力は色褪せない。
 今回展示作品の中では、洋画の、今回が本邦初公開となるライオネル・ファイニンガ―(Lyonel Feininger)『プロポーズ(The proposal)』、日本画の、入江波光『烏骨鶏(うこっけい)』、小倉遊亀『白椿(しろつばき)』、そして日本洋画の、藤島武二『西洋婦人像』、安井曾太郎『薔薇図』、レオナ―ル・フジタ『花を持つ少女』、が小生特に気に入っている。添付写真をご高覧下さい。

 [01] L・ファイニンガ―『プロポーズ』1907年~『コレクション名作展』leafletより
01_l1907leaflet

 –––––––––––––––––––––––––[02] 入江波光『烏骨鶏』1933年頃
02_1933

 [03] 小倉遊亀『白椿』1977年
03_1977

 –––––––––––––––––––––––––[04] 藤島武二『西洋婦人像』1906-7年
04_19067

 [05] 安井曾太郎『薔薇図』1934年
05_1934

 –––––––––––––––––––––––––[06] オナ―ル・フジタ『花を持つ少女』1952年
06_1952

[2] 続いての訪問先は豊田市美術館である。
 今回の『小川待子/生まれたての《うつわ》』展は unique である。
 本展覧会の索引録巻頭に上手い説明があったので引用する。〔以下敬称略〕
 [07]小川待子
07

 小川待子は現代を代表する陶による作家であるが、「うつわ」に拘り乍らも、近年では空間的な表現に向かい、これまでの陶芸おける表現の幅を拡張している。
 小川は東京藝術大学工芸科を卒業後、Paris 滞在を経て、人類学者の夫〔【注】川田順造〕と共に Africa に調査に入り、そこで文字通り大地で暮らし、型を駆使した叩き伸ばしという技法に出会う。
 またその地で材料探しから始め、始原的な土器つくりの経験をする。
 帰国後はその Africa での技法を基盤にし乍らも、技巧的で装飾性に富んだものではなく、亀裂、縮み、傾き等、通常 minus の要素として排除してしまうものを制作過程で促して、むしろ土に内在する力を引き出しているのである。
 添付写真[08]にある作品について、小川氏は次の様に説明している。

 意図的につくるのではなくて、自然に焼いていくうちに土自身の力で生まれる空隙が凄く好きで。それは[08]の一連の作品の、陶土と磁器の性質の違い、磁器が収縮することによって生まれる自然の空間の美しさに繋がっていくる。

 [08]『小川待子/生まれたての《うつわ》』展 leaflet
08_leaflet

 –––––––––––––––––––––––––[09]同上 leaflet の裏面
09_leaflet

 [10]小川待子《2011-TO-3》2011年
102011to32011

 以下は陶磁器についての余談である。
【陶磁器(pottery & porcelain)】
 土を練り固め焼いてつくったものの総称。関西以東で「瀬戸物」、中国・四国以西で「唐津物」とも呼ばれる。
 陶磁器は釉薬の有無及び焼成温度で以下の様に大別される。
【1.土器】素焼きのやきもの。窯を使わず、年度を野焼きの状態で700~900℃で焼いたもの。釉薬はかけない。
【2.炻器(せっき)】窯を使い、焼成温度は1,200~1,300℃。「焼き締め」とも。原料に珪酸・鉄を多く含んでいる為、赤褐色か黒褐色をしている。吸水性はない。軽く叩くと澄んだ音がする。備前焼・常滑焼・信楽焼が代表例。古墳時代に朝鮮半島から齎された登り窯を用いて焼成する【須恵器】が起源。
【3.陶器】カオリン(カオリナイト)やモンモリロナイトを多く含んだ粘土を原料とし、窯で1,100~1,300℃の温度で焼いたもの。釉薬を用いる。透光性はないが吸水性はある。厚手で重く、叩いた時の音も鈍い。粗陶器と精陶器に分類される。瀬戸焼・伊賀焼・唐津焼・大谷焼等が代表例。
【4.磁器】半透光性で、吸水性は殆どない。陶磁器の中では最も硬く、軽く弾くと金属音がする。粘土質物や石英、長石→陶土を原料として1,300℃程度で焼成。焼成温度と原料により軟質磁器と硬質磁器に分類される。有田焼(伊万里焼)・九谷焼等が代表例。

[3] さて最後は、その日3つ目最後の訪問先、岡崎市美術博物館『収蔵品展/名品コレクション100選~ピカソから村上隆まで~』」である。当日が本企画展の最終日であった。Leaflet には「岡崎市が誇る収蔵品の数々を、初めて一堂に展示」すると謳ってあったので訪れてみた。具体的には、岡崎市美術館(愛知県美術館に次いで2番目の[術館として昭和47年08月10日開館~郷土岡崎ゆかりの作家作品)、おかざき世界子ども美術博物館(昭和60年05月04日開館)、岡崎市美術博物館(平成08年07月06日開館~Dada・Surrealisme 作品中心)、以上三美術館の代表作品の一挙展示であった。だから500円の入館料はかなりお得かも‥。(笑)
 中でも「おかざき世界子ども美術博物館」が所蔵する絵画作品の一番の sales point は、国内外の巨匠達が10代の頃制作した作品を開館当時から収集していることだ。本展覧会では、当該国内外の巨匠作家35人(=画家33人、彫刻家1人、poster作家1人)の10代の作品40点を展示してあり、これには本当に感動した。素晴らしかった!
 その35人とは以下の通り。

《海外》モネ、ピカソ、ムンク、デュフィ、ロートレック、クレー、シ―レ、ビュッフェ、以上8人12作品
《日本》池田満寿夫、伊東深水、奥村土牛、桂ゆき、鏑木清方、岸田劉生、坂本繁二郎、清水登之、島田章三、杉全直、関根正二、高村光太郎、田中一光、田中佐一郎、田淵俊夫、寺崎廣業、東郷青児、堂本元次、中村岳陵、野田英夫、平福百穂、平山郁夫、星野眞吾、安井曾太郎、山口華揚、山下清、横尾忠則、以上27人28作品、

 彼等が10代の時作成した素晴らしい作品の幾つかをご紹介します。ご高覧下さい。

 [11]岡崎市美術博物館『名作コレクション100選』leaflet
11100leaflet18811617

 –––––––––––––––––––––––––[12]Picasso『男性頭部石膏像の dessin』1895年14歳
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 [13]Egon Schiele『Melanie Schiele, the Artist's Sister』1906年16歳
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 –––––––––––––––––––––––––[14]伊東深水『髪』1913年15歳
14191315

 [15]奥村土牛『高士竹林』1905-08年16-19歳
151905081619

 –––––––––––––––––––––––––[16]鏑木清方『寿星老松』1894年16歳
16189416

 [17]岸田劉生『秋』1907年16歳
17190716

 –––––––––––––––––––––––––[18]坂本繁二郎『鐘』1897年15歳
18189715

 [19]島田章三『椿花』1948年15歳
19194815

 –––––––––––––––––––––––––[20]平山郁夫『武者絵』1945年15歳
20194515

 [21]平山郁夫『花鳥図』1948年18歳
21194818

 –––––––––––––––––––––––––[22]星野眞吾『風景』1937年14歳
22193714

 [23]安井曾太郎『帽子と手袋』1903-04年15-16歳
231903041516

 –––––––––––––––––––––––––[24]安井曾太郎『帽子と手袋』1904年16歳
24190416

 [25]山下清『八幡様のお祭り』1936年14歳
25193614

【小生 comment】
 如何でした? 巨匠は10代でも巨匠の風格がありますね。Picasso など10代で orthodox な絵画を卒業していることを実感出来た。ホント、凄い!

【後記】■今日巻頭にご案内した漱石・子規・虚子が秋を読んだ三句は繰り返しますと‥

 鐘つけば銀杏ちるなり建長寺  漱石
 柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺  子規
 落花生喰ひつヽ読むや罪と罰  虚子

 これに触発されて小生も一句‥

 柿の種喰ひつつ飲むは鬼ころし  悟空

 毎度、お粗末様‥。(呵々)
 でも小生は、秋の夜はやはりお酒がいい。
 お酒というと、やはり若山牧水のこの名歌が最高!

 白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり  牧水

 では、また‥。(了)

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