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2011年11月の4件の記事

2011年11月27日 (日)

【時習26回3-7の会 0369】~「11月26日:【2637の会】《クラス会 2011 Part2》開催報告」「11月17日: 山種美術館『The Best of 山種 Collection』展を見て」「11月23日:アイプラザ豊橋(豊橋勤労福祉会館)「名フィル『第九』」を聴いて」

■今泉悟です。【2637の会】《会報》【0369】号をお届けします。
 掲題にあります様に、昨日11月26日【2637の会】《クラス会 2011 Part2》を豊橋市内のトライアゲインにて開催しましたのでご報告致します。
 今回もホント、とっても楽しい4時間20分でした。クラス会って、なんでこんなに早く時間が経ってしまうのだろう?(笑)
 まずは全員での記念撮影と寄書きの色紙をgetした中山君のsnap shotをご覧下さい。
 [01]2637の会《クラス会 Part2》全体写真
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 ––––––––––––––––––––––––[02]寄書きをgetした中山君
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 当日は、開始時間の定刻18時00分に参加予定の菰田、千賀、中山、林(K)、牧野、山中、各氏&今泉の【2637の会】members7名と助っ人【3-2】中嶋君の計8名が揃いました。
 当初参加予定の石田君が前日に風邪をひいて参加出来なくなってしまいましたが、牧野君が参加表明してくれて結果的に先週お伝えした予定の人数で挙行することが出来ました。万年幹事として正直ホッとしています。(汗)(笑)
 今回の目玉は何と言っても中山Y敬君です。中山君は、2006年に始めた【2637の会】《クラス会》初参加です。30有余年ぶりの再会を果たした人もいました。
 《クラス会》のいい点は、昔の高校生時代の一個人に戻って心おきなく話が出来ることです。
 8人という数も、多からず少なからず丁度いい人数ですね。
 全員が一つの話題でずっとワイワイガヤガヤ出来る点がいいと思います。
 勿論、参加者一人ひとりの近況も楽しく拝聴させて頂きました。
 各人の近況の一部をご紹介してみますと‥
 小生の場合は、毎週更新している【2637の会】の《会報》とblogの話、そして毎日続けているの筋トレの話。
 林さんは、最近(?)kgの減量を果たした秘訣についてのお話。
 牧野君は、2歳になられたとても可愛らしい女の子のお孫さんのお話。
 山中さんは、ご自宅のある滋賀県大津市や近江八幡市にある美味しいお店の話やご家族のお話。
 菰田君は、会社関係で、タイ国の洪水の話やBrazilの話。
 中山君は、5年半の単身生活をしたタイ国での色々な面白い話。
 千賀君は、現住の名古屋で奥様とご一緒に地元医療に貢献されていることと、この1年間で体重を5kg減量できた話。
 中嶋君は、本業医療業務の傍ら趣味の音楽や史跡巡りで今泉(=小生)をsupportして結構楽しみ乍らも苦労しているという話

 今回も、昨年同様カラオケもなく4時間半近く色々な話に花咲きました。

 小生からは、2014年06月初旬の土日に、「時習26回卒業40周年記念旅行」の件について提案させて頂きました。
 卒業記念旅行を挙行するについて、「今日参加してくれた皆さんには是非協力して欲しい」とお願いしました。
 幹事の小生が今考えている概略は以下の通りです。

 [1] 旅行先は、一泊二日で京都
 [2] 豊橋・名古屋からの参加者は観光bus利用。東京・関西方面からの参加者は現地「京都」駅辺りで集合
 [3] 旅行初日は、「Optional tour京都or琵琶湖」= ①社寺仏閣等史跡巡り、②食と文化巡り、③Golf、④琵琶湖周航、等の4班構成
 [4] 旅行初日の晩、宿泊所は三条京阪辺りの旅館。参加者全員による懇親会を開宴
 [5] 当該旅館にて宿泊した翌日午前中、参加者全員で京都市内2~3ヶ所を周遊・散策
 [6] 全員で京都市内で昼食ご解散

 今後、徐々に計画を煮詰めて行き、来年の6月初旬頃にでも一度【2637の会】の現地視察会をやってみたいと思います。
 勿論、【2637の会】membersの皆さんだけでなく、時習26回豊橋支部の有志の皆さんのご協力も是非頂戴しないといけません。
 【2637の会】の皆さんには、今後改めてお声を掛けさせて頂きたいと思いますのでその際はご協力の程お宜しくお願いします。

■さて続いての話題です。今日は、前《会報》にてお話した通り、11月17日仕事で上京し仕事を終えた後立ち寄った、山種美術館『The Best of 山種 Collection』展の模様をお伝えしたいと思います。

 11月17日は、プラド美術館所蔵「ゴヤ」展のあった国立西洋美術館を後にして、JR上野駅から京浜東北線線に乗り田町で山手線に乗り換え恵比寿駅を下車。北北東へ徒歩約10分で広尾にある山種美術館に到着。
 今月11月12日~12月25日に前期、そして来年01月03日~02月05日に後期、の2回に分け『The Best of 山種 Collection』展が開催中である。
 山種美術館が所蔵する約1,800点を数える日本画は、その質の高さに定評がある。
 今年は同美術館創立45周年という節目に辺り企画されたものである。
 以下に、創業者山﨑種二の孫で現館長の山﨑妙子氏の「ごあいさつ」からその抜粋をご覧下さい。

 当館のcollectionは、創立者山﨑種二の「絵は人柄である」という信念に基づき、画家と直接交流を深める中で集められた日本画が核となっています。
 また「幻の画家」と呼ばれた日本画家、速水御舟のcollectionは質量共に国内外随一を誇ります。〔中略〕
 今回は、〔中略〕竹内栖鳳《斑猫》等の重要文化財、切手になったことでも知られる村上華岳《裸婦図》、速水御舟《炎舞》[重要文化財]をはじめ、日本史や美術の教科書にも取り上げられてきた当館の代表的な作品から、知る人ぞ知る隠れた優品まで、これぞ”The Best”と呼べる作品群を厳選してご紹介します。〔後略〕

 山﨑館長が自信を持って紹介してくれる数々は、観る者を「流石だ!」と唸らせるものmasterpiecesばかりである。
 今日は、前期展示作品80点の中から5点ご紹介します。

 [03]竹内栖鳳(1864-1942)『斑猫』1924年【重要文化財】
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 ––––––––––––––––––––––––[04]村上華岳(1888-1939)『裸婦図』1920年
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 [05]速水御舟(1894-1935)『名樹散椿』1929年【重要文化財】
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 ––––––––––––––––––––––––[06]横山大観(1868-1958)『心神』1952年
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 [07]山口蓬春(1893-1971)『梅雨晴』1966年
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■今日最後の話題は、一昨々日の11月23日、アイプラザ豊橋(豊橋勤労福祉会館)にて開催さいれた浮ヶ谷孝夫指揮&名フィル演奏によるBeethoven作曲交響曲第九番ニ短調作品125「合唱付」です。
 [08]名フィル・第九concert leaflet〔blog参照〕
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 ––––––––––––––––––––––––[09]指揮 浮ヶ谷孝夫〔blog参照〕
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 [10]第九solisteの4人〔blog参照〕
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 ––––––––––––––––––––––––[11]合唱指揮 近藤惠子〔blog参照〕
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 本concertは、今年が日独修好150周年に当たり、豊橋文化振興財団の設立10周年記念特別公演として企画されたもの。
 solisteには、soprano: Romeria Lichtenstein(ロメリア・リヒテンシュタイン), messo-soprano: Beate Mewes(ベア―テ・メ―ヴェス), tenor: Andreas Glaesmer(アンドレアス・グレースマー), baritone: Karsten Mewes(カルステン・メ―ヴェス)という今ドイツで活躍中の4人を招聘。
 そして、今回もう一つの注目点は、(programに掲載されていた合唱者数を数えると237名に上る)「2011第九を歌う会」が合唱することで、この237人の中に【時習26会】の同期の仲間が2人いることです。
 Sopranoの森田S子さん【3-2】と、baritoneの中野K彦君【3-6】です。お二人ともいい趣味を持っていますね。
 ただ目が悪い小生、沢山いる合唱団の中から歌っている二人を見つけることは残念乍ら出来ませんでしたが‥。

 更に、これは時習館高校ではなく、岡崎高校の話になりますが、この日合唱指揮を担当したのは近藤惠子(さとこ(と読む))さん。近藤さんは岡崎高校chorus部を全国Top levelの合唱団に導いたことで有名な先生です。
 彼女の略歴は以下の通り。ご覧の様に合唱指揮者として凄い実力の持ち主なのですね。
 1968(昭和43)年 愛知教育大学音楽科卒業後、岡崎高校に新任音楽教諭として着任。
            爾来30余年、chorus部を高校混声合唱で全国Top levelの合唱団に育成。
 2002(平成14)年 岡崎高校chorus部を合唱Olympic青年混声部門で二連覇を達成させ、優秀指揮者賞(Conductor's prize)受賞。
 2004(平成16)年 独Bremenで開催された第3回合唱Olympicに青年混声部門日本代表として岡高chorus部を率い出場、金賞受賞。
 2006(平成18)年 岡崎混成合唱団を、部門一位である文部科学大臣賞に導く。
 2008(平成20)年 岡崎高校chorus部を、部門一位の文部科学大臣賞に導いている。

【後記】クラス会で千賀君との話の中で彼もクラシック音楽でマーラーの交響曲は全部好きだということを知りました。
 小生、実は今日11月27日、昨日クラス会に参加してくれた中嶋君から「都合で行けなくなったから代わりに聴いて来てくれ」と頂戴した伊勢管弦楽団によるマーラーの交響曲第九番ニ長調の演奏会を愛知県芸術劇場concert hallで聴いて来ました。
 そしての演奏会の直前には、会場と同じビル10階にある愛知県美術館にて開催中の「生誕100年 Jackson Pollock展」を見て来ました。
 それ等模様については次号《会報》にてご報告させて頂く予定です。
 では、また‥。(了)

2011年11月20日 (日)

【時習26回3-7の会 0368】~「小宮山宏氏講演「日本『再創造』―プラチナ社会の実現に向けて―」「坂根正弘氏講演『ダントツ経営』」を聴いて」「ナカジマアート『堀文子展 2011…現在(いま)』を見て」

■今泉悟です。【2637の会】《会報》【0368】号をお届けします。
 【2637の会】《クラス会 Part2》もいよいよ一週間後となりました。

 今日迄のここ一週間には、鈴木Y次君から「欠席」のご連絡を頂戴しました。

 Sent: Saturday, November 12, 2011
 今泉悟様
 クラス会のお誘い、及び会報の配信、いつも有難うございます。
 大変遅くなって申し訳ありませんが、今回は欠席させていただきます。
 宜しくお願いいたします。
〔回答〕
 2.都合により「欠席」します。 鈴木Y次
           以上

 雄次君へ、今夏のクラス会に出席してくれて有難う。
 来年も宜しくお願いします。

 そして、昨日19日千賀君から「出席」表明を頂戴しました。

 Sent: Saturday, November 19, 2011
 千賀S始です。
 11月26日 参加できることになりました。
 よろしくお願いいたします。

 千賀君へ、「参加」表明ありがとうございます。
 11月26日は再会を楽しみにしています。

 さて、【2637の会】membersの皆さん! まだあと一週間近くあります。
 引き続き、皆さんからの朗報をお待ちしています。m(_ _)m

 【《クラス会 Part2》出欠状況 2011.11.20現在】
 [1] 11月26日に参加:8名〔中山、山中、林(K)、菰田、石田(Y)、千賀、今泉、助っ人中嶋【3-2】〕
 [2] 欠席:6名〔彦坂、渡辺、伊東、守田、犬飼、鈴木(Y)〕
 [3] 11月26日の可能性あり&ギリギリまで分からない:1名〔伊庭〕
 ※ 回答者合計:13名
 〔以上、mail 当着順、敬称略〕

■さて今日は、前《会報》にて【予告】しました11月09日と10日の両日、名古屋金城埠頭にあるポートメッセなごやで開催されたbusiness seminarを2つの模様をご紹介させて頂きます。

 [00]メッセナゴヤ2011 leaflet
 002011_leaflet

 まず最初の講演は、[1]三菱総合研究所理事長・前東京大学総長、小宮山宏氏講演「日本『再創造』―プラチナ社会の実現に向けて―」です。
 内容の詳細は添付fileをご覧下さい。以下に要点を記します。

 [01]小宮山宏氏『日本「再創造」―プラチナ社会の実現に向けて―』
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 「business_seminarh_komiyamanippon_saisouzou20111109.docx」をダウンロード

 いま全世界は、皆「『需要』不足」で苦しんでいるのであり、その理由は「人工物の飽和」なのである。
 需要は「普及型」と「需要型」に二分出来、これまで人類は「普及型」を追求して来たが、「人工物は必ず飽和」する。そして過当競争となる。
 また、世界人口は21世紀半ば迄は増加し続け、その間、資源価格は高騰し続ける。
 しかし、21世紀半ばを過ぎると、全世界が「人工物の飽和」を迎え、人口こそ90億人超に増加するものの、energy効率も大幅に向上するのでCO2排出量総量は現在よりむしろ減少するのである。
 日本のpresenceは、省エネ等高いenergy効率等で世界をleadしていくことだ。
 つまり『ものづくり』でenergy効率を向上させ、『日々の暮らし』でenergy消費を削減させる。これ等を日本が得意とする高度な技術力で世界をleadしていくことこそ21世紀における日本のあるべき姿なのである。省エネとrecycle推進によりEnergy自給国家に成り得るのが日本である。
 また、間違いなく高齢化社会がやって来るが、「創造型需要」の一典型として、高齢化社会の周辺に新たな需要を見出すことが出来る。
 ①栄養、②運動、③人との交流、④柔軟性と好奇心、⑤前向きな志向、というkey wordsの周辺にbusiness chanceが存在するのである。この分野で日本の高度技術を活かす絶好のchanceが到来すると捉え、新たな『ものづくり』の創生を私(小宮山)は期待して止まないのである。(了)

 続いては、[2]コマツ取締役会長、坂根正弘氏講演「ダントツ経営」の模様です。

 [02]坂根正弘氏『ダントツ経営』
 02

 「business_seminarm_sakane_dantotsu_keiei_20111110.docx」をダウンロード

 コマツは、2001年大幅な赤字決算となった。2000年のITbubble崩壊という本格的なrecessionの煽りを受けたのである。
 その年社長に就任した私(坂根)は、これを機に「構造改革」推進を宣言し、その際「成長とcost」というconceptを打ち出した。
 赤字の原因は「固定費」にあった。高すぎる固定費の本質は成長とcostをキッチリ分けて考えず、社内に蓄積されて来た「無駄な事業と業務」にあったことを突き止めたのである。
 この為、私はまず「cost」の削減、即ち一回限りの外科的大手術を断行。大幅人員削減を柱に固定費削減を実行したのである。
 一方で、「成長」分野への投資にも注力。「ダントツ商品」開発と需要が伸張する「Asia重視施策」展開を推進し続けたのである。
 その結果、営業赤字は一年で収束、その後の継続的なコマツ躍進へと繋がって行ったのである。
 そして「ダントツ」なのは、「商品」だけに留まらず、顧客への「service」や「経営」へと対象を拡大して行き現在に至るのである。

【小生comment】
 知の巨人、東京大学前総長小宮山氏、今最も元気な代表的企業コマツを事実上再創生した坂根氏の話は夫々大変興味深く聞くことが出来ました。
 皆さんも添付資料の講演内容をご覧になって、ご気軽にご意見をお聞かせ下されば幸甚です。

【後記】さて、今日は真面目な講演を二つお届けしましたが、ちょっと肩が凝りましたね。(笑)
 実は小生、先週17日に仕事で上京する機会があり、その仕事を片付けてから3つの美術館と画廊を夫々20~30分という短時間で巡って来ました。
 上野にある、国立西洋美術館『プラド美術館所蔵―ゴヤ―光と影』展、広尾にある、山種美術館『The Best of 山種 Collection』展、銀座5丁目にある、ナカジマアート『堀文子展 2011…現在(いま)』です。
 その中から今日は、最後に見て来た『堀文子展 2011』から作品4枚をご紹介します。うち2枚が本年の作品です。

 [01]堀文子(19180702- )『想い出のやつがしら』2011年
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 ––––––––––––––––––––––––[02]堀文子(19180702- )『メキシコの民芸より』2011年
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 [03]堀文子(19180702- )『椿』2008年
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 ––––––––––––––––––––––––[04]堀文子(19180702- )『幻の花 Blue Poppy』2008年
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 彼女は1918年07月生れなので、現在満93歳。何歳になっても品格ある実にいい作品を制作してファンを魅了し続ける堀文子さんに最敬礼!

 開催日まで残り僅か数日となりました【2637の回】《クラス会 Part2》! 
 皆さんからの朗報を心よりお待ちしています。 m(_ _)m
 では、また‥。(了)

2011年11月12日 (土)

【時習26回3-7の会 0367】~「【2637の会 Part2】開催に向けて(11月12日現在)」「11月03日:名古屋市美術館『中村正義』展を見て〔その2(完)〕」

■今泉悟です。【2637の会】《会報》【0367】号をお届けします。
 早速ですが、【2637の会】《クラス会 Part2》への出欠状況をお伝えします。
 が、その前にお知らせです。これまで11月19日と26日の2回開催を計画していましたが19日の希望者が26日に出席予定の林K子さん、中嶋君と小生以外にいませんので募集を取り止め、11月26日(土)18時00分~の一本にさせて頂きます。
 ということで、《クラス会 Part2》開催日まであと2週間に迫って参りました。

 今日迄のここ一週間には、犬飼さんから「欠席」のご連絡を頂戴しました。
 犬飼さん、来年朗報を期待しています。

 引き続き、皆さんからの朗報をお待ちしています。m(_ _)m

 【《クラス会 Part2》出欠状況 2011.11.12現在】
 [1] 11月26日に参加:7名〔中山、山中、林(K)、菰田、石田(Y)、今泉、助っ人中嶋【3-2】〕
 [2] 欠席:5名〔彦坂、渡辺、伊東、守田、犬飼〕
 [3] 11月26日の可能性あり&ギリギリまで分からない:1名〔伊庭、千賀〕

 ※ 回答者合計:11名
 〔以上、mail 当着順、敬称略〕

■さて今日は、前《会報》にてお約束しました豊橋市出身の日本画家中村正義の『日本画壇の風雲児~中村正義~新たなる全貌』展〔その2(完)〕をご紹介します。
 今回は、氏の画風が大きく変貌して行く過程を、制作作品をご紹介し乍ら追い掛けてみたいと思います。

 まず、彼の略歴を少し振り返ってみる。
 氏は大正13年05月現在の豊橋市大橋通三丁目に生まれた。小生の親父と同い年である。
 昭和06年03月松葉小学校を卒業し、同年04月現・豊橋商業高校の前身豊橋商業学校に入学するが、肺結核に罹り休学・自宅療養を繰り返す。この頃より南画を習い始める。まだこの時代に星野眞吾(1923-1997)と知り合う。

 [01]『斜陽』1946年10月
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 1946(昭和21)年 08月中村岳陵の画塾「蒼野社(そうやしゃ)」に入門/10月第2回日展に《斜陽》が初出品で初入選する
 氏は、この《斜陽》の下絵を持参して中村岳陵の門を叩いたとされ、入門後2箇月後の日展で初入選を果たした。伝統的な日本画の画法を踏襲した佳品であると言えよう。
 岳陵に才能を認められた証に、70人いる岳陵の塾生の中で「塾では正義だけが特別扱いで、小さな下絵をもっていくだけで出品の許可が下りた(「日本画家・飯田史朗の証言」より)」という
 1947(昭和22)年 02月豊橋の小山ふみ子と結婚するが二人共肺結核を患い療養生活を送る

 [02]『風景(袴線橋)』1947年頃
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 この一見何の変哲もない《風景(豊橋の袴線橋)》というsketch風の絵も、洗練された美的senseに溢れた魅力ある作品である

 [03]『少女』1948年
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 1948(昭和23)年 10月第4回日展にて《少女》入選/この年の秋、豊橋新美術家協会を結成し第1回展を開催
 余談だが、小生の親父も当時この豊橋新美術家協会のmembersに入っている。
 親父は「中村正義と直接会ったことはなかったという」‥親父って、この会に本当に入会していたのかしらん?(笑)

 [04]『夕陽』1949年(豊橋市民病院所蔵)
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 1949(昭和24)年 10月第5回日展にて《夕陽》入選、特選候補に
 豊橋郊外の田園地帯から海岸線の松並木の向こうに沈む真っ赤な夕陽を遠望する。
 茜色に染まった空と暗闇が迫って来る田園地帯に広がる光の表現が巧みである
 この《夕陽》の光の表現の上手さは、実は彼の師・中村岳陵の指導によるものであることを、正義氏本人が次の様に述べている

 「正義君、どう?」と顔を出される。「ああ、よくなった。よくなった」と先生のお顔がとても嬉し相で、我が事の様に喜んで下さる御慈愛に、ぎゅっと締めつけられる様に座り込んで終った。丈夫でもない体に大分無理をして続けて来た制作で、此の年、院展に落選するし、『今年はとても駄目だ』と諦めていたのです。丁度、先生の御指導を頂く様になって四年目の秋で、《夕陽》と題して、夕日の野に落ちる絵を描いた年です。
 どうにもわからなくなって終って、結局、先生のお宅に持ち込んで見て頂きますと「これは君、昼の太陽だよ」と私の絵具箱の中から、「この緑青と朱を混ぜて、全体にかけてご覧なさい」と、教えて頂いた処です。落選になると思っていた画が特選候補になりました。〔以下略〕 『萌春』第63号1959年01月25日より

 彼は、この後第8回日展まで順調に日展に入選を重ねていく。
 これ等に描かれた一連の女性は岳陵仕込みの清楚かつ上品な女性である

 [05]『谿泉』1950年
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 1950(昭和25)年 10月第6回日展にて《谿泉》入選、特選受賞
 [06]『空華』1951年
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 1951(昭和26)年 10月第7回日展に《空華》を「無鑑査※」出品する
 ※ 特選受賞者に与えられた、永久に審査を経ることなく出品し得る特権のこと
 1952(昭和27)年 10月第8回日展にて《女人》入選、2度目の特選受賞、政府買上げ作品に

 しかし、再び肺結核の病状が悪化、1952年暮、豊橋の河合病院に入院。日展は第9回~12回まで出品を中断
 1953(昭和28)年 10月退院し豊川市に転居し療養生活を送る。この年より1960年頃まで愛知県立旭丘高校美術科日本画特別講師を務める

 [07]『自画像』1953年
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 ––––––––––––––––––––––––[08]『自画像(ノイローゼ(Neurose))』1954年
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 1954(昭和29)年 08月病状回復が思わしくないふみ子と協議離婚/09月大府療養所に入院/病気療養が長引くに従い、画風が次第に内省的になっていく
 1955(昭和30)年 05月大府療養所退院/06月鷹野あやと結婚、名古屋市中村区に新居
 1956(昭和31)年 04月肺結核が悪化し千葉大学附属病院に入院/07月名古屋第二日赤病院に転院
 1957(昭和32)年 02月第二日赤病院退院、名古屋市昭和区天白町八事表山に転居後、制作活動を再開/以下3年連続で所謂「舞妓三部作」を委嘱出品
 1957(昭和32)年 11月第13回日展に「舞妓三部作」第1作《女〔赤い舞妓〕》
 1958(昭和33)年 11月第1回新日展に「同」第2作《舞妓〔白い舞妓〕》(前《会報》[31]参照)
 1959(昭和34)年 11月第2回新日展に「同」第3作《舞妓〔黒い舞妓〕》(同[32]参照)
 特に3作目の〔黒い舞妓〕は、これまで清純なimageとして捉えられていた舞妓を裸体化したことで従来の日展の日本画の概念を破壊するものとして当時の日本画壇に衝撃を与えた作品。当時騒がれた「日本画滅亡論」と無関係ではないだろう
 この作品の出展に当たっては、彼の師、中村岳陵の厳命に反抗し、制作・発表されたものだという
 この〔黒い舞妓〕は彼の画風のepoch making的な作品であり、翌年の《太郎と花子》もその延長線上にある
 そして、中村岳陵の「蒼野社」脱退、「日展」をも脱退へと突き進んでいく
 1960(昭和35)年 07月36歳の若さで新日展の審査員に推挙される/11月第3回新日展に《太郎と花子》を審査員として出品
 1961(昭和36)年 01月川崎市細山へ転居/03月中村岳陵の「蒼野社※」を脱退/06月『日展』を脱退する
 ※ 蒼野社を脱退した経緯について豊橋市美術博物館home page「蒼野社と白子会」のURLをご覧下さい
  http://www.toyohaku.gr.jp/bihaku/frame-soyasya.htm 

 これ以後死ぬ迄15年余りの短い生涯を、正義氏は、まさに疾風怒濤の如く新しい日本画に挑戦をし続けた。
 氏の主な作品を制作年順にご紹介させて頂きます。とても従来の日本画とは思えない作品が続きます。
 が、そんな中でも折にふれ、写実的な美しい傑作も創り出している。そこで本《会報》ではその美しい作品を中心にお届けします。
 これ等の傑作を見ると、彼の後半生の多くを占めるサイケデリック(psychedelic)な作品群とは違う彼の腕の確かさを実感出来ると思います。

 [09]『頭でっかちの自画像』1961年(豊橋市美術博物館)
 091961

 ––––––––––––––––––––––––[10]『雪』1961年頃
 101961

 [11]『鳥(二)』1961年(豊橋市美術博物館)
 111961

 ––––––––––––––––––––––––[12]『花』1962年
 121962

 [13]『花(アネモネ)』1962年(刈谷市美術博物館)
 131962

 ––––––––––––––––––––––––[14]『源平海戦絵巻第3図』1964年(東京国立近代美術館)
 1431964

 [15]『自画像』1965年(中村正義の美術館)
 151965

 ––––––––––––––––––––––––[16]『三島由紀夫像』1968年
 161968

 [17]『雪景色』1969年(岡崎市美術館)
 171969

 ––––––––––––––––––––––––[18]『日』1969年(山種美術館)
 181969

 [19]『遠い日[遠山]』1969年
 191969

 ––––––––––––––––––––––––[20]『朝』1969年
 201969

 [21]『雪』1969年
 211969

 ––––––––––––––––––––––––[22]『樹間』1969年
 221969
 
【小生comment】
 享年52歳。早すぎる死‥。
 「日展」脱退後、死ぬ迄の15年程の僅かな年月で展示作品だけでも190点。驚く程凄く早い制作pitchである。
 中でも5枚ある『源平海戦絵巻第1~5図』は、縦212.5cm×横334cmの大画面に、小指の指先程の大きさの何百という源平の兵士達の顔が一人ひとり違った表情でキッチリと描き出されている。これ等の多くの兵士を描くだけでも〔しかも5枚も‥〕相当な時間を要する筈である。驚くばかりである。
 彼の精魂は絵画創造に絞り出し尽くされ、52歳の太く短いが凡人では到底達成出来ない立派な生涯を全うしたのだ、としか言い様がない。

【次回《会報》の予告】
■小生、11月09日と10日の両日、名古屋金城埠頭にあるポートメッセなごやで開催されたbusiness seminarを2つ聴いて来ました。
 そこで次回《会報》にて、この2つの講演、[1]三菱総合研究所理事長・前東京大学総長、小宮山宏氏講演「日本『再創造』―プラチナ社会の実現に向けて―」と[2]コマツ取締役会長、坂根正弘氏講演「ダントツ経営」の模様をお伝えします。
 本当はそのうちの一つを今日ご紹介したかったのですが、時間が足りなく纏め切れなかったので‥。すみません((^^))。

 【2637の回】《クラス会 Part2》の朗報をお待ちしています。m(_ _)m
 では、また‥。(了)

2011年11月 5日 (土)

【時習26回3-7の会 0366】~「【2637の会 Part2】開催に向けて(11月05日現在)」「10月21日:山種美術館『知られざる歌舞伎座の名画』展を見て〕」「11月01日:佐渡裕指揮『ベルリンドイツ交響楽団演奏会』を聴いて」「11月03日:名古屋市美術館『中村正義』展を見て〔その1〕」

■今泉悟です。今日も【2637の会】《会報》【0366】号をお送りします。
 この一週間皆さんは如何お過ごしでしたか? 穏やかな毎日が続いていましたが、明明後日11月08日はもう『立冬』。

 まず、あと二~三週間に迫って参りました【2637の会】《クラス会 Part2》への出欠状況ですが、【朗報】があります。
 菰田君と石田(Y)君から「出席表明」を頂戴しました。菰田君、石田君有難う! 再会を楽しみにしています。

 以下にまず菰田君からのmailをpasteします。
 タイ国の洪水災害は、全世界に悪影響を与えていますね。

 今泉君へ
 菰田です。回答遅くなりました。なんとかして参加します。
 19日でも26日でも両方空けておきます。
 ただタイ洪水対応でどたばたしているので確定とは言い切るのは難しいです。
 よろしくです。

 続いて、石田君からのmailです。

 いつも力作のメールを有難うございます。〔中略〕
 さて、何度も催促されているクラス会への出欠の返事ですが、なんとか都合がつきそうなので参加させて頂きます。
 出欠の確認が出来ないことは幹事さんにとって大変なストレスになることが分かっていながら、いつもお返事が遅くなって申し訳ありません。
 当日は宜しくお願い申し上げます。

〔回答〕
 1.11月26日(土) 18時~ の《クラス会 Part2》に参加します。
 石田Y博

 続いて、伊庭さんからmailが来ました。伊庭さんからのお話ですと、これまで参加表明して下さっていた11月19日に急用が入り「参加出来なくなった」そうです。11月26日は翌日の発表会の準備の進捗度合により参加出来るか否かが決まるそうです。

 伊庭さんへ
 11月26日は【2637の会】classmates全員で励まして差し上げますから、楽しいひとときを過ごして緊張を解してみては如何ですか?
 朗報をお待ちしています。如何に伊庭さんからのmail文をpasteします。

 今泉 悟様

 いつも会報を送っていただき、ありがとうございます。
 早速ですが、只今メールを読ませていただき、取り急ぎ返信させていただきます。
 実は、急用で19日・20日は岐阜へ出かけることになりました。
 いろいろご配慮していただきありがたく思います。
 林さんとは久しぶりに話ができることを楽しみにしていましたが、申し訳ありません。
 26日に都合がつくかは、今後の子どもたちのがんばり(笑)で、発表会の見通しがつけば、私にもゆとりが持てるようになるかもしれません。

 いい加減なことばかりで申し訳ありません。よろしくお願いいたします。

                 伊庭 R○子

 続いては、守田君からmailを頂戴しました。残念乍ら所用の為「欠席」される由。
 来年は是非参加して下さい。お待ちしています。

 最後は、千賀君からのmailです。

〔回答〕
 4.ギリギリまで分からないので、後日改めて連絡します。

                 千賀 S始

 段々と《クラス会》の恰好がついてきました!
 引き続き、皆さんからの朗報をお待ちしています。m(_ _)m

 【《クラス会 Part2》出欠状況 2011.11.05現在】
 [1] 11月26日に参加:7名〔中山、山中、林(K)、菰田、石田(Y)、今泉、助っ人中嶋【3-2】〕
 [2] 欠席:4名〔彦坂、渡辺、伊東、守田〕
 [3] 11月19日に参加:3名〔林(K)、今泉、助っ人中嶋【3-2】〕
 [4] 11月26日の可能性あり&ギリギリまで分からない:1名〔伊庭、千賀〕

 ※ 回答者合計:11名
 〔以上、mail 当着順、敬称略〕

■さて今日は、前《会報》にてお約束しました山種美術館『知られざる歌舞伎座の名画』展の模様についてをお伝えします。

【洋画】
 [01]『知られざる歌舞伎座の名画』展leaflet
 01leaflet

 –––––––––––––––––––––––[02]高橋由一(ゆいち)『墨堤櫻花』1876-77年頃
 02187677

 [03]亀井至一(しいち)『山茶花の局(さざんかのつぼね(美人弾琴図))』1890年
 031890

 –––––––––––––––––––––––[04]浅井忠『牛追い』1906年
 041906

 [05]和田英作『くものおこない(衣通姫(そとおりひめ))』1905年
 051905

 –––––––––––––––––––––––[06]橋本邦助『幕間(まくあい)』1909年
 061909

【日本画】
 [07]横山大観『富士山』1951年
 071951

 –––––––––––––––––––––––[08]上村松園『円窓美人』1943年頃
 081943

 [09]鏑木清方『さじき』1945年頃
 091945

 –––––––––––––––––––––––[10]伊東深水『春宵』1950年
 101950

 [11]川端龍子『青獅子』1950年
 111950

 –––––––––––––––––––––––[12]堂本印象『婦女と卓子(たくし)』1950年
 121950

 [13]中村岳陵『竹林に雀』1951年
 131951

 –––––––––––––––––––––––[14]片岡球子『花咲く富士』昭和期
 14

 [15]速水御舟『花ノ傍』1932年
 151932

 –––––––––––––––––––––––[16]東山魁夷『秋映』1959年
 161959
 
【小生comment】
 [01]Leafletの女性の絵は、「岡田三郎助『道成寺』1908年」modelは五代目中村芝翫(しかん:[五代目中村歌右衛門])である。
 展示作品([02])の仰けから高橋由一(1828-1894)の傑作である。江戸時代生まれで、工部学校の御雇画科教授フォンタネージ(Fontanesi)に本格的な洋画法を学んだ頃の彼の作品。彼の代表作は『鮭』だが、この『墨堤櫻花』は見る者をtime slipして明治初期の隅田川の花見に誘(いざな)ってくれる。
 作品[03]のmodelは煙草王村井吉兵衛の妻日野西薫子。明治天皇の女官を務め「山茶花の局」と称された女性。ここで描かれている美人、何処かで見た様な気がしますがきのせいかな?
 浅井忠も高橋由一同様、Fontanesiから油彩画を学んでいる。作品[04]の実物は101.5cm×162.5cmと大きく本物を見ている様で感動した。牛を追っている大原女も存在感があっていい。
 [05][06]の美人画、[07]横山大観『富士山』と名画が続々と続く‥。それにつけても、山種美術館の絵画の質の高さは凄いですね。
 日本画の美人画genreだけで直ぐ思い浮かぶのは次の三巨匠。「西の(上村)松園、東の(鏑木)清方」、更ににもう一人は伊東深水。この三人の絵がデ・デ・デ~ン!と3枚([08][09][10])並べて展示してあるのには恐れ入った! 実に粋な取扱いである。尚、松園・清方・深水の作品は容量の関係から本《会報》には添付していません。blogご高覧頂ければ幸甚です。
 尚、伊東深水の実娘が女優 朝岡雪路であることは有名ですね。〔為念〕
 俳人川端茅舎の異母兄川端龍子の[11]『青獅子』、堂本印象『婦女と卓子』もなかなか味があっていい。
 作品[13]の作者中村岳陵は、後述する中村正義の師である。
 皆さん、(‥blogの絵も含めて‥)ご覧になって如何でしたか? 大家のon paradeでmasterpiecesばかりなので、小生大好きな[16]東山魁夷の傑作『秋映』でさえ目立たなくなってしまう程素晴らしい展覧会でした。

■さて次の話題は、11月01日(火)の夜、名古屋の愛知県芸術劇場Concert Hallで開催された、佐渡裕指揮ベルリン・ドイツ交響楽団演奏会の模様についてご紹介します。
 佐渡氏は、いま世界で最も注目されている日本人指揮者の一人で、今年05月にウィーン・フィルと並ぶ世界最高峰のOrchestraであるベルリンフィルの客演指揮者として、近年日本人としては小澤征爾に次ぎ二人目として招聘され、ShostakovichのSymphony No.5と武満徹の管弦楽曲"From me flows what you call time"を指揮、成功を収めました。
 この日の演奏曲目は以下の通りです。いずれの作品も良かったですが、Richard Strauss / Beethoven / Brahmasのドイツ人作曲家がやはり聴き応えがあり良かったです。Beethovenの第7は『のだめカンタービレ』の主題歌としても有名になりましたがいつ聴いてもいい曲です。佐渡氏の指揮は素晴らしく名曲を名演奏で楽しませて貰いました。

[1]R.Strauss 交響詩(Symphonic Poem)『ドン・ファン(Don Juan)』作品20
[2]Rachmaninov ピアノとオーケストラの為の「パガニーニの主題による狂詩曲」作品43
  Piano エフゲニ・ボジャノフ(Evgeni Bozhanov(1984-))Bulgaria生れ
  Encore曲:Chopin ワルツ第5番変イ長調
[3]Beethoven 交響曲第7番イ長調作品92
  Encore曲:Brahms ハンガリー舞曲第5番 

 [17]佐渡裕指揮ベルリン・ドイツ交響楽団演奏会program & 佐渡裕著『僕はいかにして指揮者になったのか』『僕が大人になったら』
 17_program

 佐渡裕氏の略歴を以下に記す。〔実に奇遇だが、後述する画家「中村正義」氏と誕生日が同じである〕

 1961年 05月13日京都市右京区太秦に生まれる。
 1984年 京都市立芸術大学音楽学部フルート科卒。
 1987年 タングルウッド音楽祭((Tanglewood Music Festival)= 米国Massachusetts州(州都Boston)西部Tanglewoodにて毎夏催されるClassic音楽祭)でLeonard Bernstein(1918.08.25-1990.10.14)や小澤征爾(1935.09.01)に認められる。
 1989年 仏ブザンソン(Besançon)国際指揮者コンクールで優勝。
 1993年 ~2010年 コンセール・ラムルー管弦楽団首席指揮者
 
 氏は、小澤征爾と最晩年のBernsteinに実力を認められ可愛がられた。187cm 80kgという日本人離れした大柄な体躯でenergischな指揮振りは見る者を魅了する。
 氏の著『僕が大人になったら』からepilogue「夢はまだかなっていないけれど‥」から【その世界でも大事な才能とは、「好奇心、探究心、勇気」の三つ】の一部をご紹介させて頂きます。

 この連載〔【小生注】本の原典は『CDjournal』にessayとして4年間連載したもの‥〕を始めたのが1997年。だから、もう四年も経ったことになる。この四年間、新しく振ったOrchestraは随分と増えた。その中にはパリ管弦楽団、フランス国立管弦楽団、ローマ・サンタ・チェチリア音楽院管弦楽団、ロンドン・フィルハーモニーやチェコ・フィルハーモニー等、どれもが、ベルリン・フィルと同じ様に、僕が子供の頃から憧れたorchestraだった。
 ブザンソンのconcertに優勝し、正式に指揮者としてdebutをして十年も過ぎ、時分のOrchestra、コンセール・ラムルーとも8年の歳月が過ぎた。〔中略〕指揮者としての自分の足跡を振り返ってみると、やっと、一つの山場を超えた様な気がする。それは、全く自分が自信も経験もなかった十年前に比べ、「なんとかやっていけるやん」という様な安心感であり、そしてまた、世界の頂点を目指すなら、「とことんまで行ってみたい」という、新たな挑戦の思いを感じる。〔中略〕
【才能について】
 指揮者という世界は、その人に才能がなければとっても不幸な世界だと思う。その才能とは、聴力、統率力、読譜力、分析力、想像力等、色々必要だけれど、それ等は、あくまでも指揮者としての特別な能力であり、結局の処枝葉にしか過ぎないと思う。どの世界でもそうだろうが、もの凄く大事な才能とは、「好奇心、探究心、勇気」という三つの言葉だ。まず「面白い」と思うことに出会うこと。次に、それを何処迄も突き詰めてみたいと思うこと。そして、それを試そうとする勇気。このどれが欠けても、才能としては十分でない。面白いと思えることが、周りにいっぱいあると思えるかどうか。また、人間一つの心だけでなく、人其々、色んな思いが存在することを踏まえた上で、違う世界にも、大いに興味を持って行きたいと思う。
【小生comment】
 「好奇心、探究心、勇気」のどれが欠けても、才能としては十分でない。佐渡氏はいいことを言いますね。更に言えば、それに目標に向かって「継続していく力」、「『努力』と『実行力』」と言い換えてもいい。これがあれば才能は花開くと言えるでしょう。が、これがなかなか難しい。(笑)

■続いて今日最後にお届けするのは、11月03日文化の日に今回も親父を連れて名古屋市美術館にて今月01日から始まった豊橋市出身の日本画家中村正義の『日本画壇の風雲児~中村正義~新たなる全貌』展を見て来ましたのでご紹介させて頂きます。彼は52年の短い生涯乍ら作風の変貌が著しく多岐に亘ります。そして本展覧会の展示品数も230点を超えます。
 そこで、今回は彼の略歴と epoch makingとなった特徴的作品を例示するに止め、詳細は次号の《会報》にご紹介したいと思います。
 中村正義の52年という短い生涯は、病弱な身体を酷使して精力的に絵画制作に打ち込んだ過労から来る免疫力低下が齎したものと推察します。
 展覧会場で彼の数多くの作品を見て、「これ程多くの作品を描き続けていたら間違いなく身体を壊してしまうだろうなぁ」と痛感しました。

 [18]中村正義(1953年)
 181953

 まずは、彼の略歴からご紹介します。
 1924(大正13)年 05月13日 豊橋市大字花田(現・大橋通3丁目)に生まれる
 1931(昭和06)年 豊橋市立松葉小学校入学
 1937(昭和12)年 03月 同小学校卒業/04月 豊橋市立商業(現・豊橋商業高等)学校入学
 1939(昭和14)年 病弱で休学・自宅療養を繰り返す。日本画家・星野眞吾と出会う
 1940(昭和15)年 豊橋市立商業学校中退〔学校の記録では卒業扱との由〕
 1943(昭和18)年 03月父死去
 1946(昭和21)年 06月母死去/08月中村岳陵の画塾「蒼野社」に入門/10月第2回日展に《斜陽》が初出品で初入選する
 1948(昭和23)年 10月第4回日展にて《少女》入選
 1949(昭和24)年 10月第5回日展にて《夕陽》入選、特選候補に
 1950(昭和25)年 10月第6回日展にて《谿泉》入選、特選受賞
 1951(昭和26)年 10月第7回日展に《空華》を無鑑査出品する
 1952(昭和27)年 10月第8回日展にて《女人》入選、2度目の特選受賞、政府買上げ作品となる
 1960(昭和35)年 07月新日展の審査員に推挙される
 1961(昭和36)年 01月川崎市細山へ転居/03月中村岳陵の「蒼野社」を脱退/06月『日展』を脱退する
 1967(昭和42)年 03月直腸癌の手術を受ける
 1977(昭和52)年 04月16日肺癌の為死去(享年52歳)
 
 以下に中村正義作品の中から『舞妓』の絵を例にとり、dynamicに変遷していく彼の作風をご一緒に見乍らお別れしようと思います。

 [31]『舞妓〔白い舞妓〕』1958年
 311958

 –––––––––––––––––––––––[32]『舞妓〔黒い舞妓〕』1959年
 321954

 [42]『舞妓』1962年(豊橋市美術博物館)
 421962_2

 –––––––––––––––––––––––[43]『舞妓』1962年(豊橋市美術博物館)
 431962

 [44]『舞妓』1963年(中村正義の美術館)
 441963

 –––––––––––––––––––––––[48]『舞妓』1965年(中村正義の美術館)
 481965

 [49]『舞妓』1966年(豊橋市美術博物館)
 491966

 –––––––––––––––––––––––[51]『舞妓之図』1968年(中村正義の美術館)
 511968

 [59]『舞妓』1974年(中村正義の美術館)
 591974

 –––––––––––––––––––––––[60]『舞妓』1976年(豊橋市美術博物館)
 601976

【小生comment】
 我等が故郷豊橋市の豊橋市美術博物館には、中村正義の作品が沢山所蔵されています。街の宝として大切にして行きたいと思います。
 中村正義の絵は、日展を脱退した1961年から大きく変わります。『舞妓』像も歳を経るに連れドンドン不気味になって行きますね。(笑)
 詳しくは、次号の《会報》で‥。

 【2637の回】《クラス会 Part2》の朗報をお待ちしています。m(_ _)m
 では、また‥。(了)

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