【時習26回3-7の会 0372】~「12月03(土)~04(日):『吉野山&奈良〔西ノ京・当尾・柳生街道・高畑〕旅行』〔その2〕」
■今泉悟です。【2637の会】《会報》【0372】号をお届けします。
今日(12月19日)のNewsで、隣国北朝鮮の金正日総書記が一昨日12月17日(土)朝、国内視察の為、移動中の列車において心筋梗塞で死去したと報じられた。金総書記の後継者は20代後半と言われる同氏の三男正恩氏だが、この儘平穏に権力承継が進んで行くかどうか予断は許されない。当面、朝鮮半島の政治・軍事動向から目を離せなくなってしまった。
欧州の金融危機と極東の政治不安。それに加えて、来(2012)年はRussia大統領選(03月04日)・米国大統領選(11月予定)・中国国家主席交替(10~11月)の超大国元首交替が行われる(or交替の可能性ある)年でもある。日本の国益を守る為にも注視して行くことが肝要な一年である。
■さて今日は、前《会報》にてお約束した通り旅行2日目(12月04日)『吉野山&奈良〔西ノ京・当尾・柳生街道・高畑〕旅行』〔その2〕の模様をお送りします。
【12月04日(日)】
我々が今回宿泊所に選んだのは、吉野山・新吉野温泉 辰巳屋。
食事は夕食・朝食とも立派で美味しかった。宿泊料金もreasonable。
女将や仲居さん達の対応は大変親切で感じがとても良かった。
久しぶりに本物の「日本の温泉旅館」に出会えたと感じた。
旅行初日の夜は、青木さんと中嶋君が囲碁対決している最中に小生は一足先21時前に就寝。
二日目は一人04時20分に起床し布団の上で06時過ぎ迄100分間の腹筋。
06:30露天風呂で入浴
07:00朝食
辰巳屋の朝食は通常07時30分からであるが、出発時間の関係から30分繰り上げて貰った。
出立の準備をしていた時、一眼レフ(reflex)cameraを誤って床に落として仕舞い、28-80mm zoom lensを壊してしまった。
その為、2日目の写真は70-300mm zoom lens での撮影となり満足した angle からの撮影が確り出来なくなったことが悔やまれる。
07:45 check outし、一路48km北上。
我々が最初に向かったのは、奈良《西ノ京》の3つの社寺「喜光寺」→「菅原天満宮」→「西大寺」。
09:30喜光寺着[拝観料500円]
本寺は、行基が721(養老5)年に創建。彼が東大寺大仏殿建立の際に当寺本堂を参考にしたと伝承され、今も本堂は「試みの大仏殿」と呼ばれる。
本尊は阿弥陀如来像〔平安時代の作〕。
本寺の拝観受付で対応してくれた美しい女性の対応が大変親切で心地良かった。我々が次に向かう菅原天満宮への道順を尋ねると、一旦退出した我々に喜光寺境内への再入場を勧め本坊脇の門まで誘導してくれたのである。
奈良の女性は、吉野山・辰巳屋の女将といい、この女性といい、親切で温かい人柄に感銘を受けた。
[01]喜光寺本堂

喜光寺の東側にある道を北へ100m程行くと‥
09:52菅原天満宮がある。
[02]菅原天満宮の前にて

菅原道真の誕生の地であり、菅原家発祥の地である。祭神は天穂日命(あめのほひのみこと)、野見宿禰(のみのすくね)、菅原道真の3柱である。
「菅公の生誕の地がここなのかぁ‥」と感慨一入(ひとしお)であった。
ここから車で1km少し行くと西大寺である。
10:08西大寺着[拝観料:本堂400円・四王堂300円・愛染堂300円]
本寺は、真言律宗総本山。天平宝字08(764)年09月、孝謙上皇(同年10月重祚し称徳天皇)が恵美押勝の乱平定を祈願、金銅四天王像造立を発願。
翌天平神護元(765)年、西大寺が創建され、造立された当該四天王像は今も西大寺四王堂に安置されている。但し、各像は後世の作のもので、足許に踏みつけられている邪鬼だけが創建当時のものである。
本寺は、平安時代に一時衰退したが、鎌倉時代になり叡尊(1201-90)により復興された。
[03]西大寺本堂

10:35西大寺を後にした我等が次に向かったのが、京都の南東端・当尾(とうの)の岩船寺(がんせんじ)である。因みに、岩船寺もその次に行く浄瑠璃寺、そして二日目最後の訪問地の白毫寺の3寺はいずれも西大寺を総本山とする真言律宗である。
車は途中、平城京跡の最南端を東進。移動中11:00丁度に車窓から捉えた平城京朱雀門(1998年復元)が見えた。
[04]平城京朱雀門

西大寺から奈良市街を横断した後、車は北東へ向かった。走行距離15km程になる。京都と奈良の県境に位置し、住所は京都府木津川市加茂町。
11:30岩船寺着[拝観料300円]
本寺は、天平元(729)年、聖武天皇の勅願、行基が創建。本尊の阿弥陀如来座像・三重塔(嘉吉02(1442)年建立)・十三重石塔(正和03(1314)年造立)等、国の重要文化財が数多くある。本寺は別名アジサイ寺とも。
[05]岩船寺・三重塔の前にて

岩船寺から次の目的地まで2km余りなので時間に余裕があれば徒歩で当尾の石仏群を3つ「一願不動(不動明王立像)」「笑い仏」「藪の中の三尊」を見たかったのだが全て見ることは諦め、岩船寺から300mと最も近い「一願不動」だけ徒歩で見に行った。
11:55一願不動(不動明王立像)着
[06]一願不動


踵を返して岩船寺に戻った我々は、車で浄瑠璃寺へ。
12:25浄瑠璃寺着[拝観料300円]
本寺は、水原秋桜子が「馬酔木より低き門なり浄瑠璃寺」と詠んだ北側に位置する『山門』を入ると、『浄土式庭園』の世界が広がる。
西側が『西方浄土=【彼岸】』の世界を表わしている。正面の宝池を挟んで、右手(西側)に西の本尊である国宝・九体阿弥陀仏のある国宝・本堂〔=阿弥陀堂〕(嘉承02(1107)年建立)、左手(東側)に東の本尊である重文・薬師如来(=秘仏)が安置されている国宝・三重塔(治承02(1178)年京都一条大宮より移建)がある。
九体阿弥陀仏の真ん中「中尊」の右手隣にある厨子の中に重文・吉祥天女立像(=秘仏)がある。この像は、写真家土門拳をして「最も美しい仏像」と言わしめた傑作である。流記(るき)によると建暦02(1212)年頃の作とされる。確かに写真を見ると凛とした気品ある天女像で美しい。
残念乍ら、この天女像は三重塔の薬師如来座像と同様「秘仏」で、訪れた日は非公開の日であった。ただ「秘仏」と言っても、公開期間は、毎年01月01日~15日、03月21日~05月20日、10月01日~11月30日と04カ月半あるので、いつの日にか是非御尊顔を拝したいものである。
岩船寺の阿弥陀如来に続いて、浄瑠璃寺本堂の九体阿弥陀仏の尊顔を配した小生、程なく一首が浮かんで来た‥
ゆく秋の当尾 岩船 浄瑠璃寺 阿弥陀如来の慈悲数多(あまた)充つ 悟空
------------------------[08]浄瑠璃寺山門

------------------------[10]九体阿弥陀仏01

------------------------[12]吉祥天女立像

当初予定では、浄瑠璃寺を見た後、本寺入口付近にある食事処で昼食の予定であったが、この後の訪問地を当初予定通り見られる様時間を節約。
小生から同行者3人に昼食を暫く我慢する様頼み、浄瑠璃寺から南東へ10km余りの所にある次の訪問地円成寺(えんじょうじ)へと車を進めた。
車の移動中にconvenience storeに立ち寄り弁当等を買うこととしたが、そのコンビニは結局1軒もなかったのである。(笑)
13:15円成寺着[拝観料400円]
円成寺は、柳生と奈良を結ぶ《柳生街道》のほぼ中間地点にある。ここは運慶20代の(安元元(1175)年)作とされる国宝・大日如来座像が本寺の仏像彫刻の白眉である。中嶋君が是非見てみたいと言っていたが頷けた。
本寺にも浄土庭園が広がり、浄瑠璃寺とはまた違った荘厳な雰囲気で訪れた者を魅了してくれた。
[14]円成寺庭園

------------------------[15]国宝・大日如来像

円成寺から奈良市街南部である《高畑》に向かう為、車を西南西へ約13km進めた。今回の旅行も大詰め、最後のareaである。
訪問予定地の「志賀直哉旧居」「新薬師寺」「白豪寺」は、小生の希望で行程に入れさせて貰ったものである。
14:23新薬師寺
行程表通り、まず志賀直哉旧居へ向かったが近くに駐車場がないので「新薬師寺」に先に向かった。
本寺は、聖武天皇眼病平癒祈願の為、光明皇后により天平19(747)年勅願によって建立。「新薬師寺」の「新」は「あたらしい」ではなく、「あらたかな(=「灼」:神仏の霊験や薬の効き目が著しいこと)」薬師寺という意味である。
本寺は、本堂、薬師如来座像、十二神将像11体が国宝〔ハイラ大将(昭和6年補作)を除く〕。
奈良時代作という最古最大の十二神将が本尊・薬師如来座像を囲繞(いじょう)する姿は実に壮観である。
[16]バサラ大将

------------------------[17]バサラ大将〔CG復元画像〕

新薬師寺から北へ数百米歩いて行くと志賀直哉旧居である。志賀邸へ至る道は詩情があって落ち着いた雰囲気が大変心地良かった。
14:50志賀直哉旧居着[拝観料350円]
文豪志賀直哉(1883.02.20-1971.10.21)が昭和04(1929)年04月から13(1938)年04月(46歳~55歳)迄9年間住んだ家で、志賀自身が設計した和洋折衷の当時としてはmodernな high senseな建物である。彼はここで9年間放置されていた有名な著作『暗夜行路』を仕上げた。
志賀の日記に次の様に記されている。
昭和十二年三月一日 月「暗夜行路」五十三枚とうとう書上げた、
三月四日 木「暗夜行路」清書出来る、八分の通りの出来、夜明けの描写割によく、満足する、夜不ニ木 加納 松田来て麻雀、文藝春秋の柳澤来る
余談だが、添付写真[20]は志賀直哉55歳当時の写真。ハッキリ言ってとても handsomeである。
また武者小路実篤(1885-1976)は志賀の奈良・高畑の書斎で原稿を書いている。
奈良の志賀さんに会ひに、小林秀雄(1902-1983)君とぼく(=【注】武者小路実篤)と、二人で行った。上高畑の土塀の所の、例の中の口の戸開けて入ると、「仕事中面会謝絶」の貼紙の字に向いて、ぼくは一寸ためらつた。上がつて行くと、裏庭の方から志賀さんは「おう」とぼくらを見て、そして、南向の椅子の部屋で三人は向き合つた。(後略)
小林秀雄も『志賀直哉論』(昭和13年)において「暗夜行路」について、敬愛しているこの作家の世界を次の様に語っている。
「暗夜行路」は、傑(すぐ)れた恋愛小説である。通読して幾年ぶりでほんとうの恋愛小説に出会ったろうと思ったが、それほど現代では恋愛小説と呼ぶ事の出来るものが払底している。〔中略〕
「暗夜行路」には、恋愛の戯画に類する様なものの片鱗さえない。登場する男女の間に、心理上の駈引なぞ一切見られない。〔中略〕恋愛とは、何を置いても行為であり、意志である。〔中略〕だから、恋愛小説の傑作の美しさ、真実さは、例外なく男女が自分等の幸福を実現しようとする誓言に基づくのである。〔中略〕
そこから「暗夜行路」の強い倫理的色彩が発する。〔中略〕生活の何んたるかを生活によって識(し)った者には、誰にでも備わった智慧だ。「暗夜行路」は、この確かな智慧だけで書かれている。〔中略〕この主人公〔=時任謙作〕の掴んだものは、恐らく深い叡智だが、その根は一般生活人の智慧のうちにある。〔後略〕
------------------------[20]「暗夜行路」最終章を執筆の頃(55歳)志賀直哉」

------------------------[22]志賀直哉旧居「表門から玄関へ」

------------------------[24]同「2階書斎」

15:20志賀直哉旧居を後にして程なく我々は、流石に空腹となり喫茶店風の店でcurry & riceを注文し遅い昼食を摂った。
一休憩を終えた我々は再び新薬師寺へ歩いて戻った。
そして今度は車で更に南へ1.4km程行くと白毫寺である。
16:30白毫寺(びゃくごうじ)着[拝観料400円]
陽が釣瓶落しの様に西に大分傾き、日没間近となった。流石に晩秋である。日が短い。
本寺は、関西「花の寺」25霊場18番で、「もう少し前だと、萩の花が咲き大変綺麗だ」と拝観受付の女性が言っていた。
本寺は、霊亀元(715)年、天智天皇の第7皇子の志貴皇子(しきのみこ)の没後、勅願により皇子の山荘跡を寺にしたのが始まりと伝えられる。
因みに志貴皇子は、万葉集の名歌「石走(いわばし)る垂水の上のさわらびの萌えいづる春になりにけるかも」の作者である。
そして、志貴皇子の第6皇子白壁王が桓武天皇の父、弘仁天皇である。
境内から西を遠望すると、空が燃える様に真っ赤に奈良盆地が一望出来た。最高に美しい晩秋の夕暮れであった‥。
その絶景を前にして、次の様な恋歌が小生の脳裏に浮かんだ。拙歌ですがどうぞ‥
茜さす君思ほゆや白毫寺(びゃくごうじ) 深紅に燃ゆる晩秋の暮 悟空
------------------------[26]紅白の萩の花が咲き乱れる白毫寺参道

17:00に白毫寺を発ち、我等は200km近くを約5時間かけて家路を急いだ。帰宅時間は最終の中嶋君が22時半を廻っていたと思う。〔了〕
■今日も、文中で詠んだ俳句と短歌を再度纏めてお示ししてお別れしたいと思います。
馬酔木より低き門なり浄瑠璃寺 水原秋櫻子
石走る垂水の上のさわらびの萌えいづる春になりにけるかも 志貴皇子
ゆく秋の当尾 岩船 浄瑠璃寺 阿弥陀如来の慈悲数多充つ 悟空
茜さす君思ほゆや白毫寺 深紅に燃ゆる晩秋の暮 悟空
では、また‥。(了)
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