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2012年1月の4件の記事

2012年1月29日 (日)

【時習26回3-7の会 0378】~「01月27日:深尾光洋氏講演『日本経済の展望~欧州sovereign危機に対応する~』を聴いて」「01月27日:『横山大観記念館』を訪れて」

■皆さん、今泉悟です。《会報》【0378】号をお届けします。
 大学受験生達は、今月14(土)~15(日)に大学センター入試を終え、来月25日からの前期日程二次試験準備の最中にある。
 そこで今週最初の話題は、母校【時習館高校】ではないが、最近では全国Top levelの進学校となった【岡崎高校】についてである。
 岡崎高校は、東大合格者数で旭ヶ丘高校を抜き県下No.1となって既に久しい。最近では全国の公立高校の中で第1位の実績を挙げ続けてもいる。
 そこで今日は、この【岡崎高校】躍進の理由について迫ってみたい。
 以下に【近年における岡崎高校の東大合格者数推移】を挙げる。

 2008年:40名(全国第11位。公立でTop)〔参考〕【時習館25名】【旭丘25名】
 2009年:42名(同12位。公立でTop)
 2010年:41名(同12位。公立でTop)〔参考〕【時習館18名】
 2011年:38名(同11位。公立でTop)

 我々の学生時代は、【2637の会】membersの飯田君や金子君の様に、西尾市や安城市という岡崎高校の方が近くても時習館高校に通って来る優秀な人材が少なからず存在したのである。
 ところが今では逆に、豊橋市内在住者でも岡崎高校に通う者がいる。時代は変わったのである。(汗)
 それでは何故、この様に岡崎高校が「超」進学校へと変貌したのであろうか?
 それは様々な要因があるが、一つにはトヨタ自動車の成長が挙げられる。同社が世界に冠たる大企業へと成長していくと共に優秀な人材がトヨタ自動車本社のある豊田市内及び周辺市町村に集積し出したことが大きい。
 因みに10年近く前のことであるが、小生が豊田市内に勤務していた頃、関係者から聞いた処によると、その当時「トヨタ自動車本体だけで、正社員のうち(‥東大出身者数は聞かなかったが‥)京大出身者が500名強、名大出身者は700名を優に超え」ていた。現在はもっと増えているだろう。
 刈谷市に本社のあるデンソー、アイシン精機、豊田自動織機等、西三河にあるトヨタ自動車関連企業も含めると相当な人数になる。従業員数は単体に限っても、トヨタ自動車約7万人、デンソー約4万人に及ぶ、という具合であるから‥。
 これに加えて見逃せないのが、文部科学省所管の研究機関である【岡崎国立共同研究機構】の岡崎進出である。昭和56年愛知教育大学図書館跡地〔岡崎市明大寺町〕に設立された同機構は、分子科学研究所・基礎生物学研究所・生理学研究所から成り、3研究所の研究教育職員・技術職員数は300人近くに及ぶ(2009年現在)。当該研究所における研究経験者で東大や京大の物理学者や化学者になっている者がかなりの数に及ぶという。
 事程左様に、トヨタ自動車及び同社の主要関連企業と岡崎国立共同研究機構に勤務する優秀な役職員の子弟が岡崎高校に進学した結果が現在の【岡崎高校】躍進に結びつき、そのsynergy効果として、岡崎市周辺市町村で、従来、時習館高校に進学していた蒲郡市や豊川市の中学卒業者まで岡崎高校に進学する様になったのである。
 愛知県の公立の進学校は、現在岡崎高校を頂点に、旧No.中学〔第一:旭ヶ丘、第四:時習館、第五:瑞陵、第六:一宮、第七:半田、第八:刈谷(因みに、岡崎高校は第二、津島高校が第三である)〕等がそれに続くという構図になっている。

■さて話変わって、小生、一昨日27日に上京した折、都内で慶應義塾大学商学部教授で公益社団法人日本経済研究センター理事・研究顧問の深尾光洋氏の講演『日本経済の展望~欧州sovereign危機に対応する~』を聴いて来たのでその概略についてご報告する。概略は以下の通りである。

 欧州sovereign危機は凡そ以下の流れで起こった。
 EU通過統合〔ギリシアがEuro通貨統合が発効した2001年〕以降、EUは統合bubbleに浮かれた恰好になった。
 即ち、通貨統合前PIIGS(葡・愛蘭・伊・ギ・西の5箇国)の10年もの国債金利は10%を超えていたが、Euro通貨統合後は、何れの国も独仏並みの5%を下回る低位安定で推移した。
 これにより、Euro圏各国は、低金利を背景に積極的な設備投資景気に湧き、またIreland等は、金利低下の下、CDS(Credit default swap)取引を積極活用。2008年半ば迄は順調な景気拡大(=実態はかなりbubbleの色彩が強い‥)がEuro圏で進み繁栄を謳歌した。
 が、欧州の好景気も2008年09月に起こったLehman Shock後は急降下。当該Euro圏の主要金融機関がCDS取引等で大量の不良債権を抱え、当該国政府は多額の財政出動で当該金融機関の信用危機を一応は封じ込めた。
 この時より、同じEuro通貨圏各国国債の金利の格差が再び拡大し始めた。PIIGS、中でもギリシアは足許年率30%超という異常事態に直面している。所謂《ギリシア危機》である。
 ギリシア以外でも、IrelandやPortugalも10%を超えた異常な状況下にある。
 ギリシアがEuro圏内の中で問題であるのは、
 ①財政規律がかなりlooseであり、徴税systemも機能しにくい
 ②外貨を稼ぐ主要産業が、観光・海運くらいしかなく、資金をギリシア国内に呼び込む力に乏しい
 ③ギリシア政府が財政健全化を図る為歳出を抑制すると、景気が悪化し、経常収支が更に赤字拡大するという悪循環に繋がる。
 私(深尾)は、ギリシアは結局は財政破綻〔Default〕は避けられないであろう、と思う。
 ギリシアの財政が破綻すると、同国の預金保険機構も支払不能に陥り、同国金融機関もほぼ同時に破綻する。
 ただ私は、ギリシアが破綻した程度ではEuro圏は大丈夫だと考えている。
 ギリシアのGDPは、独一国の1割程度の規模と小さいことから、ECB(欧州中央銀行)とEFSF(The European Financial Stability Facility:欧州金融安定化ファシリティ)の支援等で何とか持ち堪えられる。
 問題はItalyである。同国が財政破綻を起こすと、GDP世界7位と規模が大き過ぎる為、流石の独も支えら切れずEuro圏の瓦解が不可避となる。
 《ギリシア危機と従来型の途上国通貨危機との違い》
 ①従来型通貨危機の場合、当該国は独自通貨と中央銀行を持っていたので、通貨切下げと、独自の金利政策を実施出来た。
 ②しかし、ギリシアには、いま独自通貨と中央銀行を持たない為、通貨切下げによる景気刺激策が打てない。
 ③独等Euro圏主要国は、ギリシアに対して長期間に亘る金融支援を迫られる。これは独等主要国内でのギリシア支援反対世論増大を招き、Euro危機が深刻化する。
 《日本の財政危機の可能性》
 ①日本は、伊・ギリシア・愛蘭との違いを理解する必要がある‥日本は最後の手段として日本銀行借入が可能
 ②日本は純対外資産がGDP比60%あり、うち外貨準備額がGDP比20%ある世界最大の債権国
 ③万一、資本が国外へ逃避した場合円安となるが、円建借財の多い日本国政府と輸出産業の民間部門はその円安の恩恵を被る
 ④財政赤字による国債残高の急増が懸念材料だが、当面長期金利も上昇しない
 ⑤日本は対外債権国であり、当面経常黒字が見込まれる〔←資金が世界から日本に流入する〕
 ⑥しかし、財政赤字はGDP比10%近くあり、政府純債務(=政府の総債務残高から、政府が保有する金融資産を差し引いたもの)GDP比率も100%を超え、ギリシアや愛蘭より悪い状況にある
 ⑦近未来に、長期金利が上昇し始めるriskはある
【小生comment】
 ギリシア危機の発生原因と現状等についてはよく解った。
 が、今後どうなるか? 日本経済に与える影響度合や日本財政破綻回避への方策についてはこれといった妙手がなかったのは残念であった。

■今日最後の話題は、27日に上京した折、講演会場の近くにあった「横山大観記念館」と三菱一号館美術館へ、開催中の「ルドンと象徴主義~1880年代を中心に」展を見て来たので、今日はまず「横山大観記念館」訪問の模様をお伝え致したい。
 「横山大観記念館」は、明治・大正・昭和前期の日本画界の巨匠、横山大観が明治42(1909)年から起居し、数々の名作を生み出した由(ゆかり)の場所である。
 戦災後、昭和29年に再建した邸を、昭和51年より美術館として公開している。木造の邸は上野の不忍池の西畔にある。
 余談だが、大観記念館の南西至近に湯島天神があったので、同館を訪れる前に愚息の合格祈願の御札&御守りを買った。親バカである‥。(笑)
[01]湯島天満宮北口
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––––––––––––––––––––––––[02]湯島天満具社殿前に掲げられた膨大な合格祈願「絵馬」
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[03]横山大観記念館入口
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––––––––––––––––––––––––[04]横山大観記念館leaflet
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[05]横山大観記念館leafletの内容
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 横山大観の略歴を以下に記す。
【略歴】
明治01(1868)年 09月18日、水戸藩士酒井捨彦の長男に生まれる
明治26(1893)年 東京美術学校(東京藝術大学)卒業(第01期生)
明治31(1898)年 師、岡倉天心を中心に、日本美術院を創立
明治36~38(1903-05)年 菱田春草とインド・米国・欧州を廻る
明治43(1910)年 中国を旅行
昭和05(1930)年 ローマ開催の日本美術展の為訪伊
昭和12(1937)年 竹内栖鳳、安井曾太郎、岡田三郎助と共に第一回文化勲章受章
昭和33(1958)年 02月26日死去(享年90歳)、谷中墓地に埋葬さる

 ここで、横山大観自身が書いた「大観のことば」の中から面白い話を一つご紹介したい。
 お酒をこよなく愛した「大観ならでは‥」のことばである‥(笑)

  【 酒の話 】
 酒といえば、この大観を大酒飲みと思っている人があるかもしれないが、これは違う。
私はただ酒を愛するだけだ。酒を愛するの徒ということがあるが、ただそれだけだ。昔は二升位はやったが、今は一升というところだろう。一升といっても一時にやるのではない、朝、ひる、晩、三回に分けてやるのだから大したことはない。『大観自叙小伝』

 それでは、添付写真の絵をご覧下さい。
[06]横山大観『村童観猿翁図』1893年
 061893
 
––––––––––––––––––––––––[07]同『無我』1897年
 071897

[08]同『杏〔習作〕』1924年
 081924

––––––––––––––––––––––––[09]同『梅花』1929年
 091929

[10]同『霊峰春色』1952年
 101952

––––––––––––––––––––––––[11]同『霊峰飛鶴』1953年
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[12]同〔絶筆〕『不二』1957年
 121957

【小生comment】
 大観の「(酒を一升飲むといっても)朝、ひる、晩と三回に分けてやるのだから大したことはない!???」。
 朝から三合ずつ酒を飲んでへっちゃらで、齢、数え90歳まで生き抜いたのだから凄い。添付写真[12]〔絶筆〕『不二』は89歳の作品という。頭が下がる。小生も大観先生を見習いたい。(笑)

【後記】上野の不忍池(しのばずのいけ)の西畔に静かな佇まいの横山大観邸があった。大都会東京にもこういう落ち着いた場所があるのだと変に感心した。(笑)
 正午前であったが、不忍池には添付写真の様にカモメや鴨たちが羽を休めていた。風情があってとてもいい。忙中閑の絵画的一コマである。
 ここで小生、また拙い俳句が一句浮かんだ。

 不忍に杭毎(くいごと)休む冬鷗  悟空

[13]不忍池で羽を休める海鳥・水鳥たち
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 ではまた‥。(了)


2012年1月22日 (日)

【時習26回3-7の会 0377】~「01月17日:伊藤元重講演『2012年の経済展望と今後の企業経営』を聴いて」「01月18日:山種美術館『The Best of 山種collection』&損保ジャパン東郷青児美術館『日本赤十字社所蔵Art展』を見て」「白澤卓二『100歳までガンにならない食べ方 ボケない食べ方』を読んで」

■今泉悟です。【2637の会】《会報》【0377】号をお届けします。
 最近、時習館高校関係者から聞いた処によると、同校の制服が来(平成25)年04月から変わります。
 変更理由は、「時習館高校が(コア)SSHに指定され、英国の提携高校と関係強化していく過程において、旧軍服を想起させる旧態依然とした現在の制服は好ましくない」ということの様です。
 因みに、時習館高校の公式Home Pageを見ると以下の説明があります。
 【コアSSH(海外の理数教育重点校との連携)】
 ◆本校の姉妹校であるセント・ポールズ(St. Paul's)校等の英国Public Schoolとの国際交流を通して、最先端の理科学研究を学ぶとともに、国際人としての資質を磨き、英語によるcommunication能力を身につけさせることを目的としています。
【小生comment】
 旧来の男子学生服が軍服をmodelにしていてcontemporaryでなく不適当、という考え方も一理ある。しかし、伝統を重視する英国人なら百年以上の歴史ある我々も着た、現在使用中の制服の良さを理解してくれる筈である。伝統的のことについては、「多くの時習館高校OBの意見も訊いて決めて欲しかったナ」と個人的には思っている。

■さて今日最初の話題は、掲題副題にあります様に01月17日に名古屋市内で開催された東京大学大学院経済研究科教授伊藤元重氏の講演『2012年の経済展望と今後の企業経営』を聴いて来ましたのでご報告させて頂きます。
 詳細は添付資料を御高覧下さい。
 「itou_motoshige_seminar_20120117.docx」をダウンロード
 講演内容最初と最後を略記すると以下の通りです。

 「円高とそれに伴う企業の海外進出」、「デフレ定着が財政悪化の元凶で、これが為の日本の財政破綻懸念」等々、足下、日本企業を取り巻く経営環境は大変厳しい状況にある。
 〔中略〕
 良い可能性から、悪い可能性まで幅広く存在するので、実際どの方向へ今後の日本経済が進んでいくのかよく分からない。でもそんなに心配することはない。もうこれ以上悪くならないのだから‥。

【小生comment】
 国内外の景気見通しについて、今程、可能性が多様化し「今後どうなるか分からない」という「不確実性の増大」は企業経営者にとっては大変厳しいsituationにある。「本講演を聴いて明るい希望が少しでも持てるか?」と期待したが、無理であった。伊藤氏が講演の締め括りで言っていた「もうこれ以上悪くならない」という言葉を信じて前に進むしかないのだろう、多分‥。

■次の話題です。小生01月18日仕事で上京する機会があり、その帰途時間があったので、山種美術館『The Best of 山種collection』&損保ジャパン東郷青児美術館『日本赤十字社所蔵Art展』と2つの美術館を梯子して見て来ました。その中から名作を幾つかご紹介します。
 前者は、《会報》【0369】号にてご紹介した既報が【前期】「江戸絵画から近代絵画へ」日本画45点、今回は【後期】「戦前から戦後へ」洋画9点+日本画39点=48点である。全て前期で見られなかった名作ばかりで感動した。名作は見る者を「骨の髄まで魅了」してくれることを実感した。
 後者は、日本赤十字社が所蔵する内外の名画を一挙公開。これも著名画家の名品群を堪能できた。しかも入場料500円という安価で‥。(笑)
 早速御高覧下さい。

[01]山種美術館『ザ・ベスト・オブ・山種コレクション』展看板‥[左]松岡映丘『春光春衣』1917年 [右]速水御舟『炎舞』【重要文化財】1925年
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–––––––––––––––––––––––[02]和田英作『黄衣の少女』1931年
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 昭和06年作という80年前の作品だが、全く古さを感じさせないcontemporaryな作品。Modelの少女の凛とした芯のある美しさが赤色の背景と黄衣のcontrastで引き立って見える。

[03]小出楢重『子供立像』1923年
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–––––––––––––––––––––––[04]梅原龍三郎『バラと蜜柑』1944年
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 梅原の作品は何と言っていいんだろう。一見稚拙に見えるが「いや、違う! ホント素晴らしい!」といつも感心させられ「一本取られた」様な心地好い「敗北感」を実感する。

[05]佐伯祐三『クラマール』1925年
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–––––––––––––––––––––––[06]佐伯祐三『レストラン(オ・レヴェイユ・マタン)』1927年
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 9点しかない本展の洋画のうち2点とも紹介したくなる佐伯祐三作品ってやはり「素晴らしい!」のである。

[07]奥村土牛『城』1955年
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–––––––––––––––––––––––[08]奥村土牛『鳴門』1959年
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[09]奥村土牛『醍醐』1972年
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 今回の39点ある日本画に奥村の『城』『鳴門』『醍醐』の3点が展示されていたが、実に素晴らしい。とくに『鳴門』と『醍醐』は近代日本画の中でも傑作中の傑作と言って過言でない、と思う。淡い抹茶色の鳴門の海、同じく淡い桃色の醍醐寺の枝垂桜、というpastel colorの美しさに、構図の巧さと精緻な筆力。見る者を唸らせる巨匠の実力というものを感じ取ることが出来た。

–––––––––––––––––––––––[10]福田平八郎『筍』1947年〔blog参照〕
 101947

[11]小倉遊亀『涼』1973年
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–––––––––––––––––––––––[12]伊東深水『婦人像』1957年
 
121957

[12a]木暮実千代
 12a

–––––––––––––––––––––––[12b]木暮実千代
 12b

 [10]福田平八郎の「図柄の堅さと精緻な貼り絵」の様な独特の画風
 [11]小倉遊亀の「自然なimbalanceな中に保たれたbalance」の確かさ
 [12]伊東深水の「女優木暮実千代(こぐれみちよ/本名:和田つま(1918.01.31-1990.06.13)をmodelとしたという洋服姿の(=和服でない‥)」美人画
 いずれも素晴らしい。以下は余談。Vamp(妖艶)な女優として名を馳せた木暮実千代ですが、改めて見ると流石美人ですね。(笑)

[13]損保ジャパン東郷青児美術館『日本赤十字社所蔵アート展』看板‥小磯良平『集い』1977年
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 日本赤十字社は1877年の西南戦争の折、負傷者を敵味方なく救護する為に誕生した。創立100周年記念に名だたる美術家達から寄贈された絵画を今回一挙展示。本展覧会の観覧料は東日本大震災で被災された方々の生活再建の為の義捐金として損保ジャパン東郷青児美術館が日赤に寄付するという。入館料金500円と安価です。関東在住の方々や西新宿にお立ち寄りされる方は是非一度本美術館を訪れ名画を堪能し乍ら震災被災者支援にご協力して下さい。m(_ _)m
 個々の作品へのcommentは省略しますが、何れも素晴らしい名作ばかりです。
 本展も必見の絵画展覧会ですヨッ!
[14]東山魁夷『晴ゆく朝霧』1979年
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–––––––––––––––––––––––[15]結城天童『爛漫(月山)』制作年不明
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[16]鬼頭鍋三郎『信濃の春(森林杏花)』1960年頃
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–––––––––––––––––––––––[17]杉本健吉『牡丹』1977年
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[18]増田誠『オンフルール』制作年不明
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–––––––––––––––––––––––[19]東郷青児『望郷』1959年
 191959

■次の話題は「白澤卓二著『100歳までガンにならない食べ方 ボケない食べ方』を読んで」である。
[20]白澤卓二『100歳までガンにならない食べ方 ボケない食べ方』
 20100

 この本では、健康長寿を実現する為の毎日の食生活を、きめ細かに紹介してくれている。
 本書の中で小生、最後の章が気に入りましたのでその一部をご紹介したいと思う。
 前《会報》でご紹介した南雲氏も本書の白澤氏も、空腹感を実感できる毎日を送ることが長寿の秘訣であると同じことを言っている。「食べ過ぎたらアカン!」だけでは足りず、「空腹感を持った食生活を続けよ」ということである。

【長寿遺伝子をオンにする生活習慣】
1.誰もが長寿遺伝子を持っている
 〔前略〕人間の体の中にには、寿命や老化をcontrolする長寿遺伝子というものがあることが、最近の研究で解っています。〔中略〕
 (普段は眠っている)この長寿遺伝子「Sir2遺伝子」のswitchをONにして活性化出来れば、私達は「実年齢より若い外見」も「健康長寿」も手に入れることが出来るのです。〔中略〕‥そして、長寿遺伝子をONにする3つとは‥

2.《colorie制限「腹7分目」》
 MIT(Massachusetts Institute of Technology)生物学部教授レオナルド・ガレンテ(Leonard Guarente)氏が実験した結果、「腹6 or 7分目」の条件下で長寿遺伝子が活性化することを、「8年かけて、単純な構造を持つ酵母菌という生物で寿命に影響を及ぼす遺伝子を探した続けた結果、『サーツー(Sir2)遺伝子』を」発見したのです。この条件下で長寿遺伝子が活性化され、寿命が伸びたのです。
 Colorie制限した時に長寿遺伝子が活性化されることは〔中略〕アカゲザル等の動物実験等が、これを証明しています。Colorie制限された餌を与えられたアカゲザルは、血液中のDHEA(デヒドロエピアンドロステロン(Dehydroepiandrosterone):副腎や性腺で産生される男性hormonの一種)という若返りhormon値がとても高くなっていて、脳も活性化かれていることが判りました。
 但し、長寿遺伝子の活性化の為には、colorie制限を継続して行うことが必要で、一度満腹迄食べてしまうと、直ぐにOFFの状態に戻ってしまいます。〔後略〕

3.《抗酸化力》
 〔前略〕野菜や果物の「皮」を摂取すること〔中略〕
 レスベラトール(resveratrol)というpolyphenolの一種は、葡萄の「皮」等に含まれ、人間が摂取すると、血管が若返り記憶力がupすることが判っています。
 ハーバード大学医学部(Harvard Medical School)のデービド・シンクレア(David Sinclair)教授は、colorie制限した時と同様、resveratrolが長寿遺伝子を活性化すさせることを明らかにしました。〔後略〕

4.《適度な運動》
 〔前略〕最近の研究では、運動により「AMPK(AMP活性化プロテインキナーゼ)」という長寿遺伝子が活性化することが判っています。この長寿遺伝子は、運動で筋肉が収縮することでswitchがONになります。
 激しい運動は不要。日常で出来る運動を、定期的に継続して行うことが大切です。〔後略〕

5.「何をするか」ではなく「何をやめるか」
 健康長寿の為には、良くない生活習慣を止めることがまず第一です。
 以下に【加齢制御の基本】を纏めてみましょう。

 ①体の部位毎に、機能毎に老化の速度は異なる
 ②男女別で老化し易い部位が異なる
 ③老化の進捗度合は、遺伝より環境に大きく左右される
 ④老化に関わる三大要因は「食事・運動・生き甲斐」
 ⑤colorie制限と抗酸化力ある食品摂取で、長寿遺伝子がswitch ONになる
 ⑥老化は対抗するのではなく、生活の中でcontrolするもの

 健康長寿のswitchをONにするには、遅すぎるということはない。直ちに始めよう!
 但し、継続をstopしたら直ぐに健康長寿のswitchはOFFになってしまうので、無理しなくていいからやり続けること!

【後記】今日のお別れは、01月18日、西新宿の損保ジャパン東郷青児美術館に立ち寄った時撮影した西新宿の高層ビル群の写真と小生がその時詠んだ拙歌をお届けします。御高覧下さい。因みに今(2012)年の「大寒」は昨日01月21日です。
[21]西新宿の高層ビル群20120118夕暮
 2120120118

 大寒の夕闇迫る摩天楼 仰ぎ見た眼に冷たく聳ゆ  悟空

 「大寒」という時節の響きはvirtualな世界に小生を誘(いざな)う。
 寒風吹き荒ぶ冷たく乾いたconcreteの無機的な超高層ビル群を見ていると、愛しいひとの温かなやさしさが思い出される‥

 大寒の西新宿の摩天楼 愛しきひとを忘れやはする  悟空

 ではまた‥。(了)

2012年1月14日 (土)

【時習26回3-7の会 0376】~「01月10日『時習26回『ミニミニ同期会』開催報告』「01月07日:『老父と師範学校時代からの父の友人宅を訪ねて』」「01月11日:メナード美術館 所蔵企画展『光〔絵画にみる光の表現〕』を見て」「南雲吉則『50歳を超えても30代に見える生き方』を読んで」

■今泉悟です。【2637の会】《会報》【0376】号をお届けします。
 今週から《会報》も巡航速度で参ります。それではまずお目出度いお話を一つ‥。
 小生、正月三が日は大人しく過ごしましたが、01月04日に勤務先の仕事が始まったその日の晩から活動を開始。
 大学弓道部時代の同期±01代の同窓会を例のトライアゲインにて開催し全部で9名が参加しました。
 【時習26回】関連の話題として本《会報》にて取り上げさせて頂いたのは、参加者の一人が飯田H祥君【3-2】であったからです。
 余談ですが、この日の弓道部同窓会にはBigな happyな happening がありました。添付写真[01]で小生の隣に座っているお二人が目出度く結ばれるのです。
 五十路半ば同士の Happy Story に同窓会は大変盛り上がりました。我々もまだ決して老け込む年齢ではないのですネ。
 「お二人が末長くお幸せであります様に!」と出席者全員で祝いました。今年は年初から縁起がいい! ‥これがお目出度い話!
[01]大学弓道部第18±01代東三河支部&有志同窓会20120104
 0120120104_a1_2

■続いては、掲題副題にあります様に01月10日に上記と同じ場所にて【時習26回ミニミニ同期会】を開催しましたのでご報告させて頂きます。
 時習26回同期会関連では、昨秋11月26日の【2637の会】《クラス会 Part2》以来です。
 18時半過ぎには4人全員が集合し、これもあっと言う間に時計は21時半を回っていました。同期会ってホントいいですネッ。
[02]時習26回ミニミニ同期会20120110
 0226_at_try_again_201201101

■次の話題です。私事ですが、満87歳の小生の親父が最近どうも元気がない。食欲があるのが救いだが、最近はwalkingの距離も極端に減った。
 とくに心配なのが「生き抜こうとする『意欲』」がなくなったこと。連れ合い〔=小生の亡母〕に先立たれて7年。同期の仲間の訃報を毎月の様に聞くに至り「生きていてもつまらんぞ」とよく呟く様になった。
 そこで小生一計を案じた。親父と浜松師範学校時代からの親友で、いつも自作のsketch画を葉書に書いて送って来て下さる渡辺さん〔以下先生と呼ぶ〕を訪ねることにしたのである。昔から二人は絵画が得意で浜松師範学校時代、絵画の教官からとくに二人は可愛がって貰ったという。爾来、親友としてお互いにsketch画をpost cardに描きずっと文通を続けていた。そのことを小生親父からよく聞かされていた。
 渡辺先生から父に送られてきたsketch画の葉書が今手許に二十数枚ある。学生時代からの二人の厚き友情を肌で実感出来る文章である。この先生に一度会ってみたいと思いついた小生、「渡辺先生の『元気』を父にお裾分けして頂く」ことと、「渡辺先生が得意とされる油彩画・水彩画」を見せて頂きだきたい旨を親父に提案。親父は喜び早速渡辺先生に連絡、01月07日の午後、時習26回卒業35周年記念旅行の2日目の訪問先「奥山半僧坊」のある奥山にあるご自宅を訪ねたのである。
 渡辺先生は奥様と共にご壮健で矍鑠とされていた。とても親父と同じ87歳には見えない。渡辺先生が親父に向かい、曰く「今泉君〔←父のこと〕! 食欲はあるのか、それならいい。あとは確り歩くこと。そして何でもいい。目標を持って前向きに過ごすことだよ」と仰ってくれた。
 小生、渡辺先生に元気の秘訣を訊いた。先生曰く「毎日規則正しい食事と生活、そして快眠。毎朝1時間の犬を連れての散歩は欠かしたことはない。帰宅後朝食。朝食後一段落してから書きものをする」。このほか先生は、「月2回水彩画教室で教え」、「月1回俳句教室に通う」。「毎週方向寺〔奥山・半僧坊〕にて観光volunteerをやっている」という。
 先生の元気な様子を拝見し「(先生は)百寿間違いないな」と直感した。
 以下に渡辺先生が親父に送ってくれたsketch画の幾つかをご紹介します。
 渡辺先生は浜松師範入学時、親父のclassmateで副級長。因みに親父は卒業時の副級長だった由。渡辺先生は、現職時代、引佐郡中学校長会会長だけあって人徳あり、また詩文の文才も流石である。
 渡辺先生の生き方を見て、「小生にとっての模範像」を見出した。「小生もかくありたい」と。
 因みに、添付写真[09]の絵は、小さな額縁に入れ、我家の一隅に飾ってある。とてもいいsketch画だと思う。
[03]親父(左)と渡辺さん(中) 2011年04月撮影
 03_1_2

––––––––––––––––––––––––[04]渡辺氏から父への葉書「詩と絵」01-2005年08月
 0401200508

[05]同葉書02-2006年05月
 0502200605

––––––––––––––––––––––––[06]同上03-2009年10月
 0603200910

[07]同上04-2009年06月
 0704200906

––––––––––––––––––––––––[08]同上05-2010年06月
 0805201006

[09]同上06-2010年06月
 0906201006

■次の話題です。小生、01月11日仕事で名古屋へ行った折り、帰途小牧市にあるメナード美術館にて現在開催中の所蔵企画展『光〔絵画にみる光の表現〕』を見て来ましたので、その中の傑作7枚をご紹介させて頂きます。
 今日は個別のcommentは割愛させて頂きます。企画展Themeの『光』を意識して名画の良さを堪能して下さい。
[10]メナード美術館『絵画にみる光の表現』展~ボナール『青いジレを着たブロンドの女』1922年
 101922

––––––––––––––––––––––––[11]佐伯祐三『静物=パリ・ソアル』1925年頃
 111925

[12]梅原龍三郎『桜島の朝』1935年
 121935

––––––––––––––––––––––––[13]モーリス・ド・ヴラマンク『雪景』1945-50年頃
 13194550

[14]ニコラ・ド・スタール『黄色い背景の静物』1953年
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––––––––––––––––––––––––[15]須田国太郎『池の畔の鳥』1950-55年頃
 15195055

[16]小絲源太郎『初空』1971年頃
 161971

【後記】■今日の締め括りは、「南雲吉則著『50歳を超えても30代に見える生き方』を読んで」です。
[17]南雲吉則著『50歳を超えても30代に見える生き方』
 175030

 この本は、何と言っても南雲氏自身の若返り実践の成果に驚嘆する。南雲氏は1955年生れだから我々と同年齢。
 実年齢が56歳であるのに、脳年齢‥38歳、骨年齢‥28歳、血管年齢‥26歳、という若さなのである。
 詳細はこの本を一読されることをお薦めしますが、この本の要点を言えば次の通りです。
 
 我等人間の生きる力は、危機の中で培われ、受け継がれて来たことを念頭に置き、次の『生活習慣』を身に付ければ若返り&長寿を実現出来る。

 1.早寝早起き〔睡眠Golden Time(22:00-02:00)には就寝する〕‥〔早起きするとセロトニン分泌が促進され幸せな気分になる〕
 2.完全栄養〔野菜・果物は皮さら全部、魚は丸ごと食する〕の摂取と一汁一菜で腹『六分目』の食事〔いつも空腹感を実感すること〕
 3.薄着をして身体を内面から温める
 4.朝一杯の濃いめのゴボウ茶〔サポニン(=ポリフェノールの一種)とイヌリン(=ムコ多糖類の一種で吸水性に富む‥むくみの改善)の効果大〕
 5.沢山歩いて電車では座らない〔歩くことにより第二の心臓(=ふくらはぎ)を刺激する〕
 6.スキンシップや感謝の気持を大事にする

 以上を実践して、健康長寿を実現したいですね。
 ではまた‥。(了)

■【2637の会】ブログへは、 URL: http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog ← ここをclickして下さい。

2012年1月 6日 (金)

【時習26回3-7の会 0375】~「時習館高の後輩・山本修平君『箱根駅伝・早稲田往路anchorで2位死守の活躍!』」「野見山暁治著『四百字のデッサン』から「巨匠の贈りもの―坂本繁二郎」

■皆さん、今泉悟です。本年も何卒【2637の会】をご支援下さいます様宜しくお願い申し上げます。
 本来なら、年賀の祝辞を申し上げる処ですが、義父の一周忌が今月下旬に控えている為今回は控えさせて頂きます。
 その変わり、『寒中見舞い』を昨日01月05日夕刻出状させて頂きました。
 『寒中見舞い』は「寒の入り=二十四節気の『小寒』」から「『大寒』の最終日である『節分』」の間に出せばいいので、今日(=『小寒』)以降ならOKだそうです。
[00]『寒中見舞い』の文面例
 002637members2012

 本年も引き続き【2637の会】《会報》をお引き立ての程宜しくお願いします。
 《会報》もお陰様で今日は2006年01月に産声を上げた【時習26回3-7の会】《会報》も回を重ね今回で【0375】号になります。そして、いつも巻末でお示ししている【2637の会】blogもaccess件数が10万件を超えました。これも偏に【2637の会】members皆さんのご支援の賜物と感謝致しております。
 それでは、2012年の年頭に辺り、編者大伴家持が『萬葉集』の締め括りで歌った名歌で始めたいと思います。

 新(あらた)しき年の始の初春の今日降る雪のいや重け吉事(よごと)

 【意】新しい年の初めの正月の今日降る雪の様にもっと積もってくれ、良い事よ!〔古来、正月の大雪は豊年の瑞兆(=良いことのある前兆)とされた〕 この歌は全20巻の末尾を飾る4516番目に詠まれた歌である。
 この歌の様に、今年が良い年であります様に‥。

■さて、今年最初の時習館高校の話題は、正月02日、東京箱根間往復大学駅伝競争〔通称:箱根駅伝〕に時習館高校の後輩で早稲田大学1年の山本修平君が同大学の往路anchorで出場し、見事な走りを「魅せて」くれた。
 東洋大学に次いで2位で襷を受けた山本君が3位の明治大学大江君(3年)と激しい dead heat を繰り広げた。山本君は二度に亘り大江君に追い抜かれたが、二度見事に抜き返して14秒の差をつけ往路2位を死守した。
 往路優勝は、箱根の山登りの天才anchor柏原君(大学4年)が自らが持つ区間記録を13秒も縮める圧倒的強さを見せた東洋大学。
 柏原君は、4区のrunnerから襷を受けた時、2位の早稲田との時間差01分54秒を、goalした時は05分07秒に広げた。
 TV観戦して山本君を応援したが、彼は東洋大学に敗れたとは言え、第5区の区間第3位という立派な結果を残してくれた。

 以下は余談である。山本君は、小生の一番下の愚息の時習館で2年先輩になる。山本君は高師台中学から時習館入学。彼は中学時代から陸上部。しかし、部員数が5人と少なく駅伝に出たくても人数不足。そこで彼は他の運動部に駅伝に出てくれる様頭を下げお願いして応援者を確保、出場を果たしたという。愚息のsoccer部の同期の親友が高師台中1年の時、山本君から頼まれて他の部員であったが駅伝で一緒に走ったのだそうだ。
 TV実況中継のannouncerが「山本君は希望した早稲田受験に失敗して浪人して再び早稲田を受験、合格した努力家だ」「前年の箱根駅伝で総合優勝した選手層の厚い早稲田大の中にあって往路5区〔箱根の山登り〕は1年生山本修平とすぐ決まった」と賞賛していた。
 それでは、山本君の駅伝での勇姿をご覧下さい。母校・時習館高校の後輩がsportsで活躍する姿は清々しくていいですね。
 TV画面下の字幕に〔2位 W 早稲田大 山本修平 1年 【愛知・時習館高】〕と表示される度に嬉しく感じました。
 【時習館高校】という名前は『字面&言葉の響き』共に実にカッコいいと思います。(笑)

[01]第4走者を待つ山本君
 014

––––––––––––––––––––––––[02]第3位の明治・大江君に抜かれる
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[03]明治大を抜き返し2位で独走する山本君
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––––––––––––––––––––––––[04]再び明治・大江君に追いつかれる
 04

[05]明治・大江君に追い抜かれる
 05

––––––––––––––––––––––––[06]第2位明治・大江君に引き離される
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[07]往路優勝のtapeを切る東洋大anchor柏原君
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––––––––––––––––––––––––[08]再び早稲田・山本君、明治・大江君に追いつく
 08

[09]明治・大江君を抜く瞬間の早稲田・山本君
 09

––––––––––––––––––––––––[10]明治・大江君を抜き去る山本君
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[11]明治・大江君を更に引き離そうとする山本君
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––––––––––––––––––––––––[12]第3位の明治との差を広げつつある山本君
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[13]第3位の明治との差を広げた山本君
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––––––––––––––––––––––––[14]往路2位でgoalする早稲田・山本君
 142goal

■さて話変わって、前々回《会報》でお約束した「野見山暁治著『四百字のデッサン』から【巨匠の贈りもの―坂本繁二郎】の〔抜粋〕をお届けしたいと思います。それではどうぞ‥

 まだ日本がマッカーサーの支配下にあった戦後まもない頃、アメリカ軍司令部とのパイプ役として外務省の高官が福岡の街へ赴任して来た。このエラい人の奥さんが絵を描くというので評判になった。小柄な美人だったからだ。〔中略〕ところがこのマダムこともあろうに、坂本繁二郎先生について絵を習いたいと言いだしたのだ。そうして或る日、御亭主を口説きおとし、坂本先生の家まで車を走らせたのだ。同行、福岡県知事、久留米市長それに県警本部長の車も出たと聞いたが、殆ど車を見なかった時代に、それぞれの公職の車がつらなって八女(やめ)郡の田舎まで、細い道に砂煙をあげた訳だ。
 目がショボショボとしてどうも冴えない。坂本先生というのは体も小作りだが頭も小さい。頭といったらいいのか、ともかく小さい頭蓋骨がそのまま乗っかってる感じだ。小さい家に住んで、近所の小母さんから回覧板の声がかかると、ハイ只今、とか何とか言って、よく見えない目で、小さい抽出しの中に判コはないかとかきまわす。それが坂本繁二郎なのだから巨匠としては始末が悪い。それから数年のちに私が訪ねていった時でさえ、その村の店屋で聞いてもなかなか解ってくれなかった。何でもお花の先生をしておられる坂本さんのご主人がエカキさんとか聞きましたが、その家だったらああ行ってこう行って、といったあんばいの教え方だ。可哀想に巨匠は、国のお偉いさん達をどうお迎えしたらよいものか、まるっきり見当もつかなかっただろう。ましてお偉い夫人が携えた可憐なお花の絵を何枚もみせられるのだ。
 マダムが私たちに語ってくれたその日の模様はこうだ。先生は他の人は入れないで彼女とだけ奥の部屋に絵をならべてご覧になった。

 ‥〔中略〕‥

 マダムが最後に八女の田舎に先生を訪ねたとき、なんで私が同行したのかは知らないが、ともかく彼女の横に腰かけて長いこと田舎道を揺られた。〔中略〕今日はお別れに参りました。マダムは歩きながら言った。こんど私の夫はストックホルムに赴任することが決り、その準備のため早々に東京に戻ることになりました。先生のところへお訪ねするのもこれが最後かと思います。と、その時だった。先頭を歩いていた老人の脚がことりと止り、前方を見据えたまま動かなくなった。
 ― ストックホルム、それは遠いところ ― 私は舞台の科白(セリフ)の様な微かな呟きを聞いた。〔中略〕老人は空を見あげ、それからまた畔道を歩きはじめた。お別れのしるしに、私がいま創っている版画のシリーズを持ち帰っていただきたい、と老人は申し出た。版画はいや、厭、いや。首に巻きつけていたスカーフを手に持って彼女はとつぜん体をよこに振りはじめた。老人がなんとなだめても、その畔道で動かないのだ。厭、いや、油絵でなきゃいや。とうとう今、描いている油絵の十号をくれることになってマダムはようやく機嫌ををとりなおした。
 いがぐり頭の坂本繁二郎が、空を見上げたまま、いつ遠いところへ発つのですかと聞き、その飛行機はこの空の上を飛ぶだろうかと質し、その日はこの畔で、あなたと最後のお別れを致しましょう、と決意をこめたように彼女に告げたのを、私は芝居の幕切れのように聞いた。〔了〕

 坂本繁二郎の略歴は以下の通り。
【略歴】
1882(明治15)年 03月02日、現在の福岡県久留米市京町に生まれた。父金三郎は旧久留米藩藩士で馬廻り役を務めた。
1887(明治20)年 久留米両替尋常小学校入学
1891(明治24)年 久留米男子高等小学校入学 同級生に青木繁がいた
1892(明治25)年 繁二郎は幼少時より日本画を習うが、この年より久留米在住の洋画家森三美(みよし)の森画塾通う
1900(明治33)年 京都第三高等学校在学中の兄麟太郎の突然死により、母一人子一人の生活を支える為森三美の口ききで久留米男子高等小学校代用教員となり図画を担当
1902(明治35)年 既に東京美術学校に学び、兵役検査の為一次帰省中の青木繁が東京に戻る際に同道し上京 小山正太郎の画塾不同舎に入門
1907(明治40)年 この頃より画壇で認められる様になる 10月第1回文展『北繁安村の一部』入選
1910(明治43)年 母方の従姉妹権藤薫と結婚 第4回文展『張り物』入選 modelは妻の薫
1921(大正10)年 渡仏
1924(大正13)年 帰国 久留米の家族のもとへ帰る
1931(昭和06)年 福岡県八女の町営住宅に転居、近くに旧友から土地の提供を受けatelierを構え、終の棲家と作業場とする
1947(昭和22)年 芸術院会員に推挙されるが辞退
1956(昭和31)年 文化勲章受賞
1969(昭和44)年 07月14日、八女市の自宅で老衰の為死去(享年87歳)
 
[15]坂本繁次郎
 15

––––––––––––––––––––––––[16]坂本繁二郎『秋の朝日』1899年
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[17]同『大島の一部』1906年〔blog参照〕:1907年東京府主催勧業博覧会3等入選
 171906

––––––––––––––––––––––––[18]同『北繁安村の一部』1907年〔blog参照〕:1907年10月、第1回文展入選
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[19]同『張り物』1910年:同年第4回文展入選
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––––––––––––––––––––––––[20]同『牛』1920年
 201920

[21]同『ヴィラ・グルネー』1922年
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––––––––––––––––––––––––[22]同『ヴァンヌ風景』1923年
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[23]同『眠れる少女』1923年
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––––––––––––––––––––––––[24]同『自像』1923-30年
 24192330

[25]八名のatelier
 25atelier

––––––––––––––––––––––––[26]同『放牧三馬』1932年
 261932

[27]同『雨中馬』1934年
 271934

––––––––––––––––––––––––[28]同『水より上る馬』1937年
 281937

[29]同『松間馬』1938年
 291938

––––––––––––––––––––––––[30]同『柿』1944年
 301944

[31]同『壁』1954年
 311954

––––––––––––––––––––––––[32]同『能面』1955年
 321955

[33]同『八女の月』1969年
 331969

––––––––––––––––––––––––[34]同『幽光』1969年
 341969

【小生comment】
 坂本繁二郎が上京後、第1回文展入賞を果たした頃の作風は黒田清輝等の外光表現の影響が大きく見られたが、渡仏後は印象主義的な光と色彩を取り入れた彼独自の画風が徐々に確立されていく。
 彼が福岡県八女に定住してからは、「馬series」に、「青色と茶色」を色彩の基調とした作品が多くなる。
 そして昭和20年代後半から30年代にかけては「能面series」が、そして彼の人生の締め括りの昭和40年代は「月series」が続く。
 いずれにしても、坂本繁二郎の作品は、見る者に「落ち着きと安心感」を与えてくれる名品が多い。小生は好きな画家である。

【後記】さて、本《会報》の締め括りです。前《会報》で、「この正月、日本のあるべき将来について一寸真面目に考えてみたいと思う」と申し上げたましたが、去る01月03日の朝日新聞に hint となる記事が載っていたので、少々論じてみたいと思います。

 『若者の渇きにポピュリズム(populism)』と題して、仏大統領サルコジ〔ニコラ・ポール・ステファヌ・サルコジ・ド・ナジ=ボクサ(Nicolas Paul Stephane Sarkozy de Nagy-Bocsa, 1955.01.28-)〕氏と、日本の大阪市長橋下徹〔はしもと とおる(1969.06.29-〕氏についての論評があった。
 「二人は、共に若き弁護士からの転身。過激な発言を使った率直な物言い。迅速な決断と行動力」とあり、続けて次の様に記されていた。

 橋下氏を例に取れば、昨年11月大阪市長選で、橋下氏は若者達に投票を呼びかけた。
 「05年10年経ったら若者の給料は3割下がる。この儘行けばジリ貧だ」
 橋下氏の大阪維新の会はdouble選挙を制し、市長選の投票率は前回より17point高い60.92%。40年ぶりに60%を超えた。
 これは従来政治に無関心であった若年層の「浮動票」が橋下氏に票を投じた結果と言っても過言でない。
 大阪の生活保護率は全国平均を大幅に上回り、府民所得も減る。演説は若者等の先の見えない不安を刺激した。〔中略〕
 大阪市内の食品会社に就職した若者(22歳)は保険料や税負担の重さを実感し、橋下氏に投票した。
 「(大阪)市職員は給料が高くてクビにならない。公務員の人件費を下げて欲しい」と。

 ところが一方、別の機会で次の様に説得力ある話にも遭遇した。

 小生、正月元旦、豊橋市内にある小生一族の本家に一族郎党30名近く集った。この集いは「盆と正月」の恒例行事である。その席上、県立高校教諭の職にある義従弟の発言が印象的であった。
 彼曰く「愛知県教職員はここ数年給料を減らされている。そしてまたしても削減すると言っている。これでは motivation が下がる一方だ。愛知県教職員は東京都や大阪・京都と比べ公立高校の大学進学率を見ても分かる様に相当頑張っているのだ。であるのに愛知県は県教職員の給与を更に減らそうとしている。これじゃぁ、(教師の)教育への熱意も失われてしまうヨ」と。

 翻って、消費税が2014年04月01日に5%→8%へ3%、2015年10月01日に8%→10%へ2%、段階的に引上げられる。
 これは換言すると、物価や賃金が現行と変わらなければ、国民の実質賃金が、累計で5%減ることを意味する。
 これ等増税は、昭和22年生れから始まる団塊世代が今年65歳を迎え年金源資の枯渇することに対応する必然的措置である。
 しかし乍ら高齢化の進展が大き過ぎる為に、この消費税増税だけではまだ不足し、将来の年金支給額の一層の削減も考えざるを得ないという。
 我々の親より我々が受け取る65歳時の年金受取予定額が実額で少なくなるなんて信じられないが、この信じられない事態が現実なのである。

 この儘超円高が続きmakerの海外へのsiftが続くと、更に数年から十年後には、日本の国内生産(GDP)が減じて経常収支が赤字となる。すると急激に hyper inflationが現実味を帯びて来る。さすれば、国民の国内における現金価値は激減し、大多数の国民が貧困化する。

 こうした由々しき事態を想定して、我々は如何に行動すべきか?
 答えは明確「自分の命は自分で守る」しかない。では、どうやって‥?
 「円」の価値が大幅下落し、所得も実質的に激減する訳だから、食糧を自給自足して栽培し餓えに備えるか、高齢になっても自らが働き続けその日の食い扶持に相当するおカネを稼ぐか、しかない。
 豊橋には、農業就労者の高齢化により荒廃しつつある農地が数多ある。そこで米・麦・芋・野菜等を栽培して自給自足するのも健康で長生きするにはいいことであるかもしれない。(笑)

 ところが一方で、それ迄にかなりの金融資産を蓄えた一握りの富裕層は、portfolio〔資産選択〕を駆使し世界中にrisk分散を果たし、国家〔財政〕破綻とは無縁の優雅な生活を担保している。
 「一握りの大富裕層と大多数の貧困層の存在」‥これが日本をはじめ21世紀半ばの世界主要国の姿となる。
 同じ体制の長期化は当該体制の支配層と被支配層の固定化を意味し、それは例外なく『大多数』を占める「被支配層の貧困化定着」となる。
 「富」が極一部の超富裕層に偏在し長期化すると、大多数の貧困層は当該少数大富裕層打倒という「革命」へと繋がっていったのがこれ迄の厳しい歴史の現実である。
 そうならない為にも、賢明な為政者は国内に於ける「国富=所得の分配」について貧困層の不満低減に繋がる政策を施すことが極めて重要な課題となって来るのである。
 財政が潤沢な時代は社会保障費で貧困層を救うことが出来たが、財政が逼迫すると社会保障費は減らされ、弱者=貧困層が切り捨てられる。
 この儘貧困層が増え続ければ、それが為に不遇を強いられる貧困層が政治に強い関心を示し始める。
 これが本稿最初にお話した橋下大阪市長を実現させた若年層の票の力の源泉なのである。
 国民は馬鹿ではない。換言すれば「日本の政治がこれから変わっていく」。これが日本の近未来の姿でもある。
 また重苦しい話になって仕舞いましたネ。(笑)(汗)

 寒の入り されど心は 日本晴れ  悟空

 時節は「小寒」=寒の入り。でも今(2012)年の我国経済が『日本晴れ』であって欲しいと切望します。

 では、また・・。(了)

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