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2012年3月 3日 (土)

【時習26回3-7の会 0383】~「『高峰秀子』大特集その1」「02月23日:山種美術館『和のよそおい―松園・清方・深水―』展から」

■皆さん、今泉悟です。《会報》【0383】号をお届けします。
 前《会報》でお示しした拙宅の紅白梅の花も、ご覧の通り「青天に万華鏡の様紅白梅」と詠んだ小生の拙句の様に沢山咲き出しました。綺麗でしょう!

[00ab]拙宅の白梅
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[00cde]拙宅の紅梅
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 一昨日03月01日は、東山工業高校(02月26日)と鳳来寺高校(02月27日)を除く愛知県下の公立高等学校160校39,843人の卒業式。小生の一番下の愚息も時習館高校を卒業した。第64回卒業生、小生達の38年後輩になる。換言すれば、我々は時習館高校を卒業して38年が経ったという訳である。隔世の感がある。
 尚、愚息は今月12日に開催される国公立大学入学二次試験後期日程に向け受験勉強中である。

■さて今日は、今週の週刊現代を読んだ。その中に、【週現スペシャル】いまいてほしい「12人の誇れる日本人」として、渥美清・伊東正義・向田邦子・千石正一・盛田昭夫・遠藤周作・高峰秀子・松本清張・河合隼雄・猫田勝敏・岡本太郎・立川談志の著名人のepisodeが関係者の想い出のessayという形で紹介されていた。そして小生、その中の一人、高峰秀子氏の記事に目が止まった。
 当該記事は、古美術鑑定家、中島誠之助(1938.03.05)氏による高峰秀子氏の想い出で、次の様に書かれていた‥

【日本人が失った美しい所作の人、高峰秀子】‥〔中島誠之助〕
 僕(中島)と高峰秀子さんは、有楽町にある新国際ビルで「ピッコロモンド」なる骨董屋を4年程一緒に開いたことがありました。
 1970年頃だったと思いますが、私の麻布の店に高峰さんがjaguarで乗り付け、「手伝って」と言われたんです。〔中略〕
 そう言えば一度、客が間違った講釈を垂れて来たから、僕が色をなして怒ったことがあった。客が帰った後に言われましたよ。
「誠(セイ)ちゃん、あんた顔がすうっと青くなったろ。ああいう時はね、いいこと教えて頂きました、と言っておけばいい。まだまだ修行が足りないね」
 高峰さんの言葉はstraightなんだけど、後に引かないんだよ。僕らが言ったらケンカになる様なことでもsmartに言える。そこが高峰さんの魅力だったね。
 人に渾名を付けるのが好きで、それがまた上手いんだ(笑)。仲代達矢さん=大名時計、森光子=タコ唐草、越路吹雪=Bohemian glassといった具合で。〔中略〕
 60代で「人生の店じまい」についてessayを書き、簡素な家に住んで、夫婦が使う食器だけを残して飾り家具やtrophyなんかも全部処分した。僕も手伝ったけど、その潔さったら、如何にもアネさんらしい。今の日本人が忘れかけている慎ましさを見ました。(了)

[01]24歳頃の高峰秀子1950年頃
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––––––––––––––––––––––––[02]1956年頃の高峰秀子
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[03]中島誠之助氏
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 小生が今丁度読んでいる本の著者が彼女であったからでもあるが、当面の《会報》の話題を決めた、「ヨシ! これから暫くは高峰秀子seriesで行こう」と。

[04]芸術新潮2011年12月号「没後一周年特集~『高峰秀子の旅と本棚』」
  高峰秀子著『にんげん住所録』『人情話 川口松太郎』『おいしい人間』『コットンが好き』
 04201112

––––––––––––––––––––––––[05]高峰秀子氏の著書「わたしの渡世日記(上)(下)」「私の梅原龍三郎」「にんげんのおへそ」「台所のオーケストラ」
  【写真】梅原夫妻と松山・高峰夫妻 伊・ストレーザにて1958(昭和33)年(?)
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 実は小生、芸術新潮2011年12月号で、=没後一周年特集=「高峰秀子の旅と本棚」を読み、彼女の美貌と賢さに好感を持ち、随筆家としてもwitに富み、読み易く小気味いい文章に惹かれてずっと彼女の作品を読み継いで来たのである。
 そこで今日から【2637の会】《会報》にて複数回に分けてご紹介させて頂きたいと思います。

 彼女は大正13年03月27日生れ。2010年12月28日に肺癌にて死去。夫は脚本家・映画監督の松山善三(大正14年04月03日-)氏。
 実父・養父を幼少時に亡くし、3人目の父が東海林太郎。
 1929年映画『母』の子役でdebut。爾来、戦前・戦後を通じて日本映画界の大star。愛称「デコちゃん」。1979年に女優引退。その後はessayistとしても活動。
 本人曰く「学歴は文化学院中退」と卑下しているが、読み易く機知に富んだ彼女のessayを読むと、高い知性を感じる。単に美人の大女優に留まらないのである。父の様に慕い、夫婦で我が子の様に可愛がってくれた梅原龍三郎夫妻。渡仏すれば藤田嗣治をして「ボクの名前、これからヘチャプリでいいや、ボクも君たちをお善〔夫君松山善三氏のこと〕、お秀って呼ぶから」と言わしめる。
 文豪の谷崎潤一郎や志賀直哉にも可愛がられた。高峰の「わたしの渡世日記 鯛の目玉」には次の様にある。

 谷崎潤一郎と志賀直哉は、「谷やん、志賀やん」と呼び合う間柄だった。谷崎家へ行けば「志賀やんに」とことづてを頼まれ、志賀家へ行けば「谷やんに」と品物を託された。私は格好なmessenger girlだったらしい。

[06]谷崎潤一郎と
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––––––––––––––––––––––––[07]志賀直哉と1950年
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 今日は、『高峰秀子』大特集その1として、彼女の著書「私の梅原龍三郎」をご紹介したいと思う。才気溢れる彼女の話を体感できるものと思います。まずは「はじめに」から‥

 今回、文春文庫から再販されることになった「私の梅原龍三郎」を、あらためて読み直した私はビックリ仰天した。
 かんじんかなめ、著書のオヘソともいうべき「なぜ、この本を作ったのか」という理由と目的がポロリと抜け落ちていたからである。
 この本を書いたのは、梅原画伯が亡くなった昭和61年からまだ一年も経たなかった時だったから、画伯への諸々の思いがこみあげる儘に、つい筆が突っ走ってしまったのかもしれないが、そんなことは言い訳にもならない。つまり、私のアタマが抜けていた、ということである。
 この本の冒頭にある様に、私たち夫婦は大きかった家を、老人向き、三間こっきりの家に建て直した。家中に溢れていた家具調度の整理処分も面倒だったが、いちばん困ったのは、長い間に溜りに溜った写真の始末だった。〔中略〕
 あれやこれやと思案投首、取り敢えず一枚ずつ眺める内に、梅原画伯と写っているsnap写真がめっぽう多いのに気がついた。それもその筈、梅原画伯とは、昭和23年から、画伯が亡くなった昭和61年迄の、40年近いお付き合いで、私が一緒に暮らした親や夫との年月より長い。
 どのsnapも、梅原画伯の招集を受けて同行させられた個展会場、party会場、restaurantや料亭等に於けるもので、cameraを向けられるchanceが多かったせいだろうか、兎に角その枚数はハンパなものではない。それらの写真を年代順に並べてみると、昔は黒々としていた画伯の頭髪が徐々に薄くなり、恰幅のよかった体躯が一回り小さくなって、と、さながら画伯の生きた歴史を見る様で、私はこれ等の貴重な写真がうやむやのうちに散じて仕舞うのが、堪らなく淋しく、残念になった。〔中略〕
 いっそ、これ等の写真に短いcaptionをつけて、一冊の本に仕立ててみようかしら? そう思いついた途端に、早くも私は、原稿用紙と鉛筆を持ち出して机に向かっていた。それが「私の梅原龍三郎」誕生の発端だった。〔後略〕1997年08月

 続いて、高峰秀子氏の言う「カニ」こと『高峰秀子嬢』誕生についてのepisodeについてである。

[08]梅原龍三郎『高峰秀子嬢〔カニ〕』1950年
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––––––––––––––––––––––––[09]「カニ」のmodelを務めた高峰秀子
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[10]高峰秀子『私のご贔屓・松竹梅』原稿
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【カニ】
 私が最初に梅原先生のmodelになったのは、昭和25年の夏だった。
 日本最初のcolor映画、木下恵介監督演出の「カルメン故郷に帰る」の長期location撮影で、私は軽井沢千ヶ滝の宿に滞在していたが、梅原先生も夏の浅間山をお描きになる為に軽井沢にいらしていた。〔中略〕
 先生の、ただでも鋭い眼がカッと見開かれ、鉛筆が素早く動いて、あッと言う間に最初のdessinが出来上がった。〔中略〕
 また来てくれますか? が何回か続いて、ついに完成した絵を見て、私は仰天した。黒くふちどられた眼窩から目玉がはみ出していたからである。真っ赤な上衣を来て眼の飛び出した私は、今迄私の見たことのない私だった。
「なんだか‥‥カニみたいだな」
「ふふーん、カニねぇ、そういや、カニみたいだ‥‥」
 以来、梅原先生と私は、この絵を「カニ」と呼ぶ様になった。〔中略〕
 私はそれから5回の引越しをしたけれど、どんな家でも「カニ」のお陰で見栄えがし、私本人よりも「カニ」のほうが主人の様なものであった。
 その後、25年経って、私は私の最も大切な「カニ」を、東京国立近代美術館に寄贈した。「カニ」は現在、近代美術館の梅原龍三郎cornerに収まっている。(了)

 添付写真[10]は、高峰秀子『私のご贔屓・松竹梅』原稿である。

【小生comment】
 高峰秀子氏については「私の渡世日記」を読むといい。5歳の子役debutから松山氏との結婚迄の波瀾万丈の半生を知ることが出来る。
 彼女は、外面的な美しさは言うに及ばず、内面的にも人格的に優れていたのであろう。各界の大御所と言われる多くの人々から可愛がられた。
 そんな魅力ある高峰秀子氏のepisodeを彼女の沢山あるessay集から選り選ってお届けして行きたいと考えています。お楽しみに!

■さて今日のお別れは、去る02月23日仕事で上京した折見て来た、山種美術館で開催中の『和のよそおい―松園・清方・深水―』展から名画をご紹介させて頂き乍ら失礼します。」

[11]山種美術館『和のよそおい』展leaflet
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––––––––––––––––––––––––[12]小林古径『河風』1915年
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[13]上村松園『春のよそをひ』1936年
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––––––––––––––––––––––––[14]上村松園『庭の雪』1948年
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[15]鏑木清方『伽羅』1936年
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––––––––––––––––––––––––[16]伊東深水『雪中美人』1949年頃
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[17]伊東深水『春』1952年
 171952

––––––––––––––––––––––––[18]伊東深水『吉野太夫』1966年
 181966

[19]奥村土牛『舞妓』1954年
 191954

––––––––––––––––––––––––[20]橋本明治『月庭』1959年
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[21]林武『立てる舞妓』1962年
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––––––––––––––––––––––––[22]小倉遊亀『舞う(舞妓)』1971年
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[23]小倉遊亀『舞う(芸者)』1972年
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【小生comment】
 日本画の巨匠達の美人画の競演です。「美人画三巨頭の上村松園・鏑木清方・伊東深水」をはじめ、小林古径・奥村土牛・橋本明治・小倉遊亀の作品も添付しましたので見比べてみて下さい。いずれも魅力あるとても綺麗な作品ですね‥。但し、[11]林武『立てる舞妓』だけは油彩画です。美人画とは言いにくいですが味わいがあっていいですね、やはり名画だと思います。(笑)

 ではまた‥。(了)

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