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2012年4月の4件の記事

2012年4月28日 (土)

【時習26回3-7の会 0391】~「04月22日:『第27回時習26会ゴルフコンペ』開催報告」「04月20日:山種美術館『桜 さくら SAKURA』展&講談社 野間記念館『竹内栖鳳と京都画壇』展を見て」

■皆さん、今泉悟です。《会報》【0391】号をお届けします。
 月日の移ろいは本当に早いものです。2012年04月も今日を含めあと3日。今年も三分の一が終わろうとしています。今日からGolden Weekですね。
 皆さんは、このGWをどの様にお過ごしになる予定ですか?
 小生は、好きな名画鑑賞をしようと思っています。
 具体的には、2回に分けて以下の4つの美術館巡りをしてみようと思っています。

1.名都美術館『日本画に描かれた動物たち』展[後期]〔長久手市(2012.01.04市制へ移行)〕
 http://www.meito.hayatele.co.jp/
2.メナード美術館『田渕俊夫展~技のひみつ』〔小牧市〕
 http://museum.menard.co.jp/
3.豊田市美術館『ジェームズ・アンソール展 ―写実と幻想の系譜―』
 http://www.museum.toyota.aichi.jp/home.php
4.岡崎市美術博物館『巨匠たちの英国水彩画展 ~ターナーからブレイク、ミレイまで~』
 http://www.city.okazaki.aichi.jp/museum/bihaku/exhibition/exhibition.html

 いずれもなかなか良さそうなので、とても楽しみです。この模様は後日の《会報》にてご報告させて頂きます。

 さて話変わって、拙宅がある所は用途地域で言うと「第1種中高層住宅専用地域〔http://www.city.toyohashi.aichi.jp/bu_toshikeikaku/toshikeikaku/youtotiikizu/pdf/youtotiikizu046.pdf で黄緑色の場所‥〕なので典型的な宅地専用地域であるものの、いい意味で田舎でありまだまだ沢山の田畑が点在している。
 小生は、健康の為に毎日自転車で豊橋駅前近くの勤務先まで通っているが、その道すがらその畑に目をやると、雨が降った翌朝など、葱(ネギ)坊主が朝露に濡れキラキラと輝いて実に美しい。

[00]葱坊主
 00

「朝露」と言えば、ホトトギス同人(1934年)であった川端茅舎の「金剛の露ひとつぶや石の上〔【意】石の上の朝露がdiamondの様に輝き光って見える〕」という名句が直ぐ浮ぶが、「これは秋〔【季語】露〕の句だなぁ‥」と思っていたら、茅舎の俳句がもう一つ浮かんだ。

 葱の花 ふと金色の 仏かな  茅舎

【意】俗に葱坊主という葱の花。この花を見ていたら「ふと(=突然)」金色(こんじき)に輝いて仏になった様に見えた。

 川端茅舎は、日本画家の巨匠川端龍子の実弟。彼は、師である高浜虚子をして「花鳥諷詠漢」と言わしめた程、研ぎ澄まされた感性の持ち主。彼の作品は、絵画的で巧みな比喩が真骨頂である。また仏教的表現も多い。上記俳句でも、「金剛=diamond→金剛界」「金色の仏」と仏教関連の言葉が用いられている。

■今日最初の話題は、掲題・副題にあります様に、04月22日(日)、額田ゴルフ倶楽部に於いて、「第27回時習26会ゴルフコンペ」が開催されましたので、まずその模様をお伝えします。
 今回の参加者は16名。09時31分から4組、額田ゴルフ倶楽部 西course OUTから始まりました。
 その日は早朝からかなりの荒天だった為、開催が一時危ぶまれましたが、start時間が比較的遅かったこともあり、competition開始時点では雨脚もかなり収まりました。ただ風は結構きつかったです。
 40分間の昼食休憩を挟んで、最終組が終了したのが15時半少し前。参加者全員無事にhall outしました。

[01]時習26会Golf Competition〔start前〕 額田GC
 0126golf_competitionstart_gc

––––––––––––––––––––––––[02]今回優勝者 酒井君に優勝cupを手交する前回優勝幹事の嘉森君
 02_cup

[03]時習26会Golf Competition〔表彰式&懇親会〕 額田GC
 0326golf_competition_gc

 試合結果ですが、優勝は酒井T夫君【3-9】。
 表彰式が終わり懇親会になった時点で、『時習26回生卒業40周年記念旅行&懇親会』に向けて、次回代表幹事に指名されている小生から参加者の皆に、現状に於ける考えを説明させて頂きました。
 【2637の会】membersの皆さんには、04月05日付《会報》【0388】号にて‥「あくまでも【私案】だが、【『京都』及びその周辺】を考えており、05月26日(土)夜、中嶋Y行君【3-2】と谷山K君【3-3】等と宿泊旅館候補先にも試宿してみる予定でいます」と申し上げましたが、このゴルフコンペ懇親会ではもう一歩踏み込んだ発言をさせて頂きました。
 その骨子は以下の通りです。旅行先を『京都方面』とすることについては参加者15名から異論はありませんでした。

[1]過去2回の卒業記念旅行『上高地・松本』『浜名湖舘山寺』の折衷方式〔=いいとこ取り〕を採用
[2]即ち、「豊橋支部&名古屋支部」は貸切バス1台に乗り合わせ「京都駅」へ
[3]「東京支部」と「関西支部」は「京都駅」へ直行
[4]「京都駅」で全員集合後、5~6courseのoptional tourを企画し、分散して夫々京都市内の観光名所等を巡る
[5]夕方、宿泊予定旅館〔いろは旅館(所在:三条京阪)〕にて懇親会〔二次会・三次会を含む〕と宿泊
[6]二日目は、宿泊旅館にて朝食をとりcheck out後、参加者全員で京都市内の観光名所を1~2箇所観覧
[7]参加者全員で昼食をとった後、「京都駅」にて散会
[8]「豊橋支部&名古屋支部」は往路同様貸切busにて帰名・帰豊し散会〔了〕

 以上のconceptを基に、6月頃から豊橋支部のかつての卒業記念旅行の幹事経験者の皆さんに声かけしてimageを固めていこうと思います。
 【2637の会】membersの皆さんから積極的なご意見やご協力を頂戴出来れば幸甚です。

■さて次の話題です。小生、今月04月20日(金)に仕事で上京する機会があり、空いた時間を利用して掲題・副題にある様に2つの美術館を見て来ました。

【山種美術館『桜 さくら SAKURA』展】

 まずは添付写真の絵をご覧下さい。展覧会場入口を入った正面に[05]奥村土牛『醍醐』の桜の樹が圧倒的な迫力で観る者に迫って来た。
 洛南にある『醍醐寺』と言えば、まず思い浮かぶのが『醍醐の花見』である。これは豊臣秀吉が、慶長3年3月15日(1598年4月20日)に当寺で近親者や諸大名等約1,300人を集め盛大な花見を催したもの。
 ここで秀吉の正室おねと淀君が競って詠んだ歌をご紹介する。いずれもなかなかの名歌である。

《おね》
 君が代の 深雪(みゆき)の桜 咲きそひて 行く千世(ちよ)かけて 眺めあかさむ
【意】秀吉様の為に咲いた醍醐寺の桜をずっと見て居ましょう

《淀》
 花もまた 君のためにと さきそひて 世に並びなき 春に逢ふらし
【意】桜の花も秀吉様の為に咲き誇っているのです 世に並びない春ですこと!

 この歌を聴いた秀吉はきっと満面の笑顔だったことだろう。秀吉はこの『醍醐の花見』から5箇月後に亡くなった。
 小生、この二人の名歌に触発されて夫々二人の歌を本歌取りしてvirtual realtyの恋歌をつくってみた。ご笑覧下さい。

《おねの作品より》
 咲き誇る 醍醐の花を 君と我 愛しく永久に 眺め明かさむ  悟空

《淀君の作品より》
 我は今 君への想ひ 日毎増し 世に並びなき 愛となるらし  悟空

 山種美術館の本展覧会の桜は、奥村土牛や石田武の作品の様に、前《会報》で小生が「満開の桜花咲く吉野山 溢るる色香に霞む山際」と詠ったその儘に本当に美しく素晴らしかった。
 本美術館訪問の5日前、04月15日に見て来たばかりの絶景の『吉野千本桜』がはっきりと脳裏に蘇った。

[04]山種美術館『桜 さくら SAKURA 2012』展
 04_sakura_2012

––––––––––––––––––––––––[05]奥村土牛『醍醐』1972年
 051972

[06]奥村土牛『吉野』1977年
 061977

––––––––––––––––––––––––[07]石田武『吉野』2000年
 072000

[08]山本丘人『走春ノ或ル日』1980年
 081980

【講談社 野間記念館『竹内栖鳳と京都画壇』展】

 野間記念館は、JR山手線目白駅から都営busで数分の停留所「目白台3丁目」から南へ徒歩1~2分の所にあった。
 本美術館は、講談社創業者野間清治(1878-1938)がその在世中に蒐集した所謂野間collectionを中心に、講談社が2000年04月にこの地に開館した。
 因みに野間collectionの規模だが、野間清治以下歴代社長等により蒐集され続けられて来た作品群は凡そ10,000点に及ぶ。うち著名画家に直截依頼して描いて貰った「十二ヵ月図」等の色紙は6,000枚に達するという。

[09]目白台3丁目交差点
 093

––––––––––––––––––––––––[10]講談社野間記念館[左]&美術館 永青文庫[右]案内看板
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[11]講談社 野間記念館 正面外観
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––––––––––––––––––––––––[12]講談社 野間記念館『竹内栖鳳と京都画壇』展 leaflet(表)
 12_leaflet1
[13]同上leaflet(裏)
 13leaflet

 ではまた‥。(了)

2012年4月20日 (金)

【時習26回3-7の会 0390】~「04月14日:松坂屋美術館『春の院展』を見て」「04月15日:『満開の吉野千本桜』を見て」

■皆さん、今泉悟です。《会報》【0390】号をお届けします。
 最近漸くそよ風が肌に心地良く、春らしい季節到来を実感出来る様になりましたね。皆さん、ご健勝のことと慶び申し上げます。
 さて今日04月20日は、二十四節気でいう『穀雨』。
 今の時節は晴天と雨点が二~三日毎交互にやって来る。『穀雨』と言う様に実際雨が比較的多い時期で今日も雨が降った。
 昔からこの時期に米等穀物の種蒔きが行われる。この時期、確り雨が降るかどうかでその年の秋の収穫の良否が決まるとも言われている。
 種蒔きを詠んだ水原秋櫻子(1892-1981)の俳句にこういう作品がある‥[1952年作]

 種蒔いて明日さへ知らず遠きをや  水原秋櫻子

■今日最初の話題は、掲題・副題にあります様に、松坂屋美術館にて04月14日から開催中の『第67回 春の院展』を見て来ましたのでご報告させて頂きます。
 『春の院展』は、日本美術院主催の現在では日本画のみの展覧会。『院展』は『秋』もあり、その『秋』の方が規模が大きい。
 今回の出品総数は346点。うち「同人」作品点数は32点と1割近くを占め全体の雰囲気を上質な感じにしている。
 一口に日本画といっても、絵具も岩・水干・胡粉(ごふん)等々数多くある為、作品夫々マチエール[matiere(=画面上の材質効果)]が大きく異なっている。だから現物のmatiereは図録の写真撮影した絵には上手く反映出来ていない。図録の絵は現物より明らかに貧相に見える。絵画の良さは現物を見ないと分からない。

[01]第67回 春の院展 leaflet~絵は 西田俊英[同人]『神鹿』
 0167_leaflet

–––––––––––––––––––––––––[02]倉島重友[同人]『桜花』の道
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[03]小田野尚之[同人]『映』‥春の足立美術館賞
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–––––––––––––––––––––––––[04]北田克己[同人]『三月の気流』
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[05]岡田眞治『夢路』‥外務大臣賞・奨励賞〔無鑑査出品〕
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■さて次の話題「04月15日『満開の吉野千本桜』」についてである。
 小生、縁あって阪急交通の観光busで「日帰りbus tour」に参加することになりました。行き先は奈良県吉野。
 吉野桜は昔より山肌一面に咲き誇る絶景の「下千本/中千本/上千本/奥千本」の桜花が著名であることは皆さんもよくご存知のことと思います。
 小生は、昨年12月03(土)~04(日)の、谷山君・中嶋君等との城址史跡巡りで吉野に行って来て以来2度目の訪問である。
 晩秋初冬の美しい紅葉の吉野山も良かったのであるが、何と言っても「吉野山」は桜花である。
 小生、死ぬ迄に一度は訪れて見たかった場所で、思い掛けず念願が叶ったという次第。
 添乗員が吉野の観光協会に確認して説明してくれた処に拠ると、吉野は今年2~3月の冬が大変寒かった為、今春の桜の開花が遅れ、いつもは開花時期が異なる、ソメイヨシノ・早咲きの枝垂れ桜等が一斉に咲き乱れ、近年にない当たり年だという。嬉しいことである。
 満開の吉野桜を見た感動を俳句と短歌にしてみました。ご笑覧下さい。

 花霞 ゆかし美し 吉野山  悟空

 揺蕩(たゆた)ふと 流るる如き 吉野桜花(おうか)  悟空

 満開の 桜花(さくらはな)咲く 吉野山 溢るる色香に 霞む山際  悟空

 ※ ※ ※ ※ ※

[06]吉野桜~下千本 その1
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–––––––––––––––––––––––––[07]吉野桜~下千本 その2
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[08]吉野桜~中千本をbackに
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–––––––––––––––––––––––––[09]吉野桜~中千本 その1
09_1

[10]吉野桜~中千本 その2
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–––––––––––––––––––––––––[11]吉水神社「一目千本からみた『上千本&下千本』の桜花」
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[12]吉水神社境内で署名活動中の北朝鮮拉致被害者横田めぐみさんのご両親(滋さん・早紀江さん)
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【小生comment】
 皆さんも添付写真[12]をご覧になって吃驚されたことと思います。
 小生も吃驚しました。吉水神社境内の一角で、北朝鮮拉致被害者横田めぐみさんご両親横田滋さん・早紀江さんご夫妻がvolunteerの人達と共に観光客相手に署名をお願いしていました。小生、勿論喜んで署名をさせて頂きました。一日も早い拉致被害者の皆さんの無事な帰国を祈っています。

 http://blogs.yahoo.co.jp/yoshimizushrine/archive/2012/01/25 ← ここをclickして下さい。

■それでは今日のお別れに、小生がたまにつくる「豆腐spaghetti」をご紹介し乍らお別れしたいと思います。
 小生は、料理はあまり得意ではないが、今日ご紹介する「豆腐spaghetti」は数少ないrepertoryの中で唯一自慢出来る料理である。(笑)
 先日ご紹介した高峰秀子の『台所のオーケストラ』に触発されてご紹介させて頂きました。
 添付写真をご覧下さい。小生がつくった「豆腐spaghetti」です。家族からは美味しいと言われています。(笑)

[13]★小生の自信作『豆腐spaghetti』tomato puree version★
 13spaghettitomato_puree_version

《食材〔4~5人分〕》
 ・大蒜4~5粒 ・consommé 4~5個 ・塩胡椒 少々 ・醤油 ・olive油 ・ごま油 ・赤wine 以上を適当に(笑)
 ・味醂 少々 ・mayonnaise 少々 ・鷹の爪 4~5個 ・tomato puree 1本
 ・ホウレン草1~2把 ・green asparagus 8~10本 ・bacon 200~300g ・茄子 3~4本 ・椎茸 1pack ・舞茸 1pack ・エリンギ 1pack ・シメジ 1pack ・木綿豆腐 2丁
《つくりかた》
 料理は至って簡単。ただ食材を切り刻むのに時間を要する為、最初に各種食材を細かく刻むことからstartする。
 また、今回はtomato pureeを使ったので、soup spaghetti風になるが、tomato pureeを使わなくても美味しくつくれる。その場合水の多寡によりsoup spaghettiにも、普通のspaghettiにもなるので、お好みに応じて対応。
 1. 1mm程度の厚さにsliceする食材〔大蒜、椎茸、舞茸、エリンギ、シメジ〕
 2. 1cm程度の厚さに  〃    〔茄子〕
 3. 2cm程度の厚さに  〃    〔green asparagus、bacon〕
 4. 3~4cm程度の厚さに 〃    〔ホウレン草〕
 5. 木綿豆腐は、水切りしておく
 ※ これからいよいよ料理である。4人分だとフライパンでなく厚手の鍋を使う。
 1. 鍋にolive油、bacon、大蒜、塩・胡椒を加え過熱する。
 2. 茄子とgreen asparagusを入れ、olive油を少々追加。
 3. 椎茸・舞茸・エリンギ・シメジを炒め、コンソメ・醤油・ごま油を好みに応じて入れる。
 4. ホウレン草を入れ暫くboilする。
 5. この時、soup spaghettiにするかしないかを水を加えるか否かで決定する。
 6. tomato pureeと赤wineを入れ、引き続きboilする。
 7. 仕上げに木綿豆腐を手で解しながら入れboilして、温まったら出来上がり!

 美味しいですよ。一度騙されたと思ってつくってみて下さい。
 ではまた‥。(了)

2012年4月13日 (金)

【時習26回3-7の会 0389】~「04月06日:『二橋君とのミニミニクラス会』開催報告」「04月07日:名古屋市美術館『いのち煌めき 田渕俊夫』展&錦織健produce Opera Rossini:歌劇『セビリアの理髪師』全2幕を鑑賞して」

■皆さん、今泉悟です。《会報》【0389】号をお届けします。

■まず今日最初の話題は、掲題・副題にあります様に、前《会報》で予告した『二橋Y彦君とのミニミニクラス会』を、04月06日(金)トライアゲインにて開催しましたことをご報告させて頂きます。
 二橋君と豊橋での再会は、2007年08月11日(土)の【2637の会】《クラス会》以来、その後東京の神田で原田君と3人で一杯やった2010年11月12日(金)夜以来の再会である。
 四日市に仕事で出張の帰り、豊橋に立ち寄ってくれた。約束時間である18時半から22時近く迄の3時間半近く会場のトライアゲインにて、大変懐かしく、そしてとても楽しいひとときを過ごすことが出来た。
 今回彼が豊橋に泊るのは、小生と再会した日の翌08日、彼の実家にてご両親とご祖父母4人の十三回忌法要に出席の為との由。彼は今から10年以上前にご両親とご祖父母を短い期間に亡くされている。彼からその話を聞いた時小生は思った。
「彼はきっと『人間到る所青山あり』と『青雲の志』を以て上京し、現在の彼がある訳だが、彼の苦労・悲哀も相当だったのだろう。人は夫々、色々な運命を背負って生きている。我々も齢は今年で57になる。皆夫々「山あり谷ありの人生」を歩んで来ているのだ。正に『禍福は糾える縄の如し』である」と。
 添付写真は、彼とのsnap shotsである。小生もホント、何ヶ月振りかでカラオケのマイク(microphone)を握り、彼と交互に数曲ずつ歌った。

[01]二橋君と
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–––––––––––––––––––––––[02]二橋君の熱唱
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[03]小生も久し振りにカラオケを‥
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■さて、次の話題である。小生は二橋君と再会した翌日の07日(日)、【時習26回】同期の中嶋Y行君と一緒に、名古屋市美術館での『いのち煌めき 田渕俊夫』展と、愛知県芸術劇場大hallに於いて催された「錦織健produce Opera ‥ Rossini作曲:歌劇『セビリアの理髪師』全2幕」を鑑賞して来ましたのでご報告させて頂きます。

[04]いのち煌めき『田渕俊夫展』図録cover
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–––––––––––––––––––––––[05]田渕俊夫氏
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《略歴》
1941年 08月15日 東京・江戸川区小岩に生まれる
1961年 04月 東京藝術大学美術学部絵画科日本画専攻に入学
1965年 03月 同卒業、同月同大学院[岩橋英遠教室]に進学

【田渕様式の萌芽 1966-1969】
1967年 03月 同大学院卒業、修了制作『水』が大学買上げとなる 春の院展にて『陽』初入選
1969年 09月 院展にて『青木ヶ原』入選
[06]『青木ヶ原』1969年
 061969

【開花・充実期 1970-1984】
1970年 12月 愛知県立芸術大学美術学部絵画専攻日本画助手就任
1974年 04月 同講師就任
1982年 09月 院展に『流転』出品し、日本美術院賞受賞
1984年 04月 同助教授就任
[07]『流転』1982年
 071982

【発展・拡張期 1985-2000】
1985年 11月 日本美術院同人に推挙さる
1995年 04月 東京藝術大学大学院美術研究科教授就任
1996年 02月 日本美術院評議員就任
[08]『春萌ゆ』1987年
 081987

–––––––––––––––––––––––[09]『木の間』1993年
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【水墨画、障壁画への挑戦 2001- 】
2005年 12月 東京藝術大学副学長就任
2006年 06月 日本美術院理事就任
2009年 03月 東京藝術大学定年退官 04月 同大学名誉教授就任 05月 日本美術院理事代行就任 10月 愛知県立芸術大学客員教授就任 12月 日本美術院常務理事就任2011年 04月 日本美術院代表理事就任
[10]『緑溢れる頃』2005年
 102005

【小生comment】
 田渕俊夫氏は、essay【画業をふりかえって】で、「私は東京藝大に入学した直後ある先生から君はビリから2番目の成績だったと言われ」、「大学院修了まで劣等生の儘で過ごした」と自らを語っている。
 そして、「そんな私の転機になったのは、大学院修了制作が何故か大学買い上げになり、劣等感が少し無くなったこと、〔中略〕1969年の秋の院展に出品した『青木ヶ原』が高名な美術評論家や片岡球子先生の目に止まり、'70年12月に愛知県立芸術大学の助手として採用されたこと」だとも振り返っている。
 最後に氏は、「本格的に日本画を描く様になって50年を超えましたが、〔中略〕私はその時その時を、ただ只管頑張って絵を描いて来ただけだった」、そして「いつも誰かに支えられ、好機を与えられて来た」‥「そのことに心から感謝しています」と述べている。
 田渕氏は、画家の世界に於いて、天運・地運・人運の三運が整った人なのである。持って生まれた画家としての天賦の才という【天運】に恵まれ、平山郁夫氏等大学の師・先輩の引き立てられるという【地運】に恵まれ、自身の弛まぬ努力という【人運】の【三運】が揃った結果、現在の地歩を得ることが出来たのである。
 田渕俊夫氏の展覧会は、現在メナード美術館と同時開催中である。期間中にそちらの方も是非見に行きたいと考えている。

 ※ ※ ※ ※ ※

 続いて、【錦織健produce Opera/Rossini作曲:歌劇『セビリアの理髪師』全2幕】についてである。
 中嶋君とは、最近屡一緒にclassic音楽のconcertに行っている。彼とは時習館高校【1-4】の時のclassmate。当時から彼は、同じくclassmateの宮田T康君と共にかなりhigh levelのclassic音楽通であった。で、いつも彼とは名曲等を紹介、演奏家の出来の良し悪しを批評、し合ったりしていた。
 中嶋君曰く「最近僕は、『歌劇』『浪曲』『お経』に嵌まっている。でもカミサンから、歌劇は兎も角、浪曲・お経は「家の中ではよしてくれ」と言われて困ってるヨッ(笑)」。
 小生は即答した、「そりゃぁ、そうだ。僕でも君の奥さんと同じ意見だヨ」と(笑)。

 冗談は兎も角、今回の錦織健produceによるRossini作曲、歌劇『セビリアの理髪師(Barber of Seville)』はとても良かった。
 簡単な【あらすじ】は次の通りである‥。

 Spainの南部セビリア(Sevilla)の街。アルマヴィーヴァ(Almaviva)伯爵〔=リンド―ロ(Lindoro)/tenor:錦織健〕はこの街一番の美人ロジーナ(Rosina)〔soprano:森麻季〕に一目惚れし、Sevilla迄やって来る。貧乏学生(= Lindoro)に身分を隠した伯爵は彼女を口説き、RosinaもLincoroに恋心を寄せる。
 しかし、Rosinaの家に居る後見人で医者のバルトロ(Doctor Bartolo)(bassbaritone:志村文彦)が、彼女の財産を目当に結婚を画策。彼女は外出も儘ならない。伯爵は、街の何でも屋で床屋のフィガロ(Figaro)(baritone:堀内康雄)に助けを求め、Figaroも伯爵の報酬を目当にideaを出す。
 Bartoloは、音楽教師バジリオ(Don Basilio)(bass baritone:池田直樹)の助けを借り、Rosinaを厳しく監視。
 伯爵はFigaroの機転で、Basilioに変装してRosinaの家に乗り込み、彼女から一度は駆落ちして結婚の約束を得る。が、Basilioが伯爵の正体を見破り、その旨Bartoloに告げる。そこでBartoloは偽の手紙をRosinaに見せ、「LindoroはRosinaを伯爵に売り飛ばすつもりだ」と告げる。彼女は落胆し、LindoroへのあてつけにBartoloとの結婚を承諾する。
 Figaroと伯爵は嵐の夜、verandaからRosinaの家に忍び込む。伯爵はRosinaに本当の身分を明かし誤解が解け改めて結婚を申し込む。彼女がproposeを受け、Bartoloも彼女の財産を分与して貰うことで渋々承諾し大団円となる。(了)

[11]Rossini:歌劇「セビリアの理髪師」全2幕programから「大団円」の場面
 11rossini2program

–––––––––––––––––––––––[12]Rosinaの森麻季(http://www.makimori.com )
 12rosina

[13]Figaroの堀内康雄
 13figaro

–––––––––––––––––––––––[14]Almaviva伯爵の錦織健
 14almaviva

【小生comment】
 ご覧の通り、筋書きは単純なOpera buffa〔≒喜歌劇〕である。イタリア語が解らなくても、字幕を見乍ら演技を見ていればよく解る。楽しい作品である。
 Figaroが歌う「私は町の何でも屋(http://meikyoku.exblog.jp/14875616/ )」と、Rosinaが歌う「今の歌声は(http://meikyoku.exblog.jp/10702535 )」がとくに有名なariaである。この2曲は、皆さんもいつか何処かで聞いたことのある名曲だと気付かれると思います。
 配役の中で印象的だったのは、Rosina役の森麻季。日本人離れした美形で、可愛らしさも軽やかさも備えた美声が魅力的であった。
 原作では、前編となるRossini作曲「セビリアの理髪師」の初演(1816年02月20日)の方が、この作品の続編となるMozart作曲「フィガロの結婚」(初演:1786年05月01日)より30年も後に作曲されたことになる。以上余談まで。

■それでは今日は、今の時節を詠んだ拙句を一句御披露目し乍らお別れしたいと思います。

【詞書】先週04月12日(木)の朝、前日の大雨とは打って変って目に沁みる様な青さが実に清々しかった。桜など春の花々が満開で絶好の御花見日和である。因みに、「芳春(ほうしゅん)」とは「花盛りの春」をいう。
 拙宅の庭も「花盛りの春」を迎えました。海堂と花桃の花をご覧下さい。

[15]海堂の花
 15
–––––––––––––––––––––––[16]花桃の花
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 芳春や 晴れ渡るなり 雨後の朝  悟空

 ではまた‥。(了)

2012年4月 5日 (木)

【時習26回3-7の会 0388】~「2014年開催予定【時習26回生卒業40周年記念旅行&懇親会】に向けて‥の一考察」「03月31日:鞍ヶ池アートサロン『花咲くとき 希望のとき』展&名都美術館『日本画に描かれた動物たち』展を見て」「『高峰秀子』大特集その6(完)」

■皆さん、今泉悟です。《会報》【0388】号をお届けします。

■まず、時習館高校関連の話題から‥。我等【時習26回】のGolf Competitionが今月22日(日)額田ゴルフ倶楽部西courseにて開催されます。
 参加予定者は小生を含めて16名。【2637の会】からの参加者は最近は小生1人だけというちょっと寂しい状況です。
 親睦の会でもありますので、是非参加頂けたらと思います。また、Competition結果は後日ご報告する予定です。

 それから、【2637の会】membersの皆さんへ、ご連絡とお願いです。

★2014年開催予定【時習26回生卒業40周年記念旅行&懇親会】に向けて‥の一考察★
 ちょっと先の話になりますが、再来年2014年06月頃に【時習26回生卒業40周年記念旅行&懇親会】が開催される予定です。
 前回【時習26回卒業35周年記念旅行&懇親会】は、2009年06月13日(土)~14日(日)浜名湖舘山寺温泉「山水館欣龍」にて開催されました。
 その時の参加者総勢は79名。そのうち【2637の会】からは、菰田君、竹内君、山中(高木)さん、渡辺さんと小生の5名が参加しました。
 記念旅行初日(6月13日(土))の催物として、〔Golf〕〔Badminton〕〔Walking〕〔浜名湖遊覧船〕の4つのOptional courseが設けられ、小生は、竹内君と共にWalkingに参加。菰田君は、Badmintonに参加しました。山中さんと渡辺さんは懇親会のみだった様に記憶しています。〔←もし記憶違いでしたらご容赦下さい。〕
 今度の【時習26回卒業40周年記念旅行&懇親会】の代表幹事に、不肖、小生が仰せつかっています。故に、これから徐々に計画を固めて行かなければなりません。
 前回の【‥卒業35周年‥】の開催月と同じ季節に開催するとなると、あと残す処2年2ヶ月となりました。
 そろそろ旅行先辺りから決めて行こうかなと考えています。
 大凡のimageを固めたら、前回【‥卒業35周年‥】で幹事をやっていた豊橋支部の同期の仲間達に相談してみようと考えています。
 勿論、【2637の会】membersの皆さんにも色々とご相談したいと思っています。忌憚のないご意見を頂戴出来れば幸甚です。
 因みに、【‥卒業25周年記念‥】以降の当番幹事支部・旅行先等の概要は以下の通りでした。

【卒業25周年(1999年05月)〔当番幹事支部:全支部〕=〔宿へ直行〕→蒲郡三谷温泉→時習館同窓会総会〔於:時習館高校〕】
【同30周年(2004年06月)〔同:東京支部(代表幹事:松葉T彦【3-2】)〕=上高地→松本泊→美ヶ原】
【同35周年(2009年06月)〔同:名古屋支部(同:矢野S介【3-8】)〕=新居・舞阪他→舘山寺温泉→奥山半僧坊他】
【同40周年(2014年?月)〔同:豊橋支部(同:今泉悟【3-7】)〕=未定→未定泊→未定】

 小生の現時点での、あくまでも【私案】ですが、これまでに同期の仲間の幾人かに個別にhearingした結果と、過去開催した旅行先を勘案して、【『京都』及びその周辺】がいいかな、なんて考えています。
 05月26(土)~27(日)に、中嶋Y行君【3-2】と谷山K君【3-3】等といつもの「城址巡り」に換えて、「京都の史跡巡り」をする予定ですので、宿泊旅館候補先にも試宿してみる予定でいます。
 【2637の会】membersの皆さんも、ご意見等をドシドシお寄せ下さい。皆さんのご参加とご協力を宜しくお願い申し上げます。

■さて、次の話題は、掲題・副題にあります様に、先週03月31日(土)に私事で名古屋へ行く用があり、その途中に豊田市内のトヨタ鞍ヶ池記念会館内にある鞍ヶ池アートサロンにて『花咲くとき 希望のとき』展を、そして長久手市内の名都美術館にて『日本画に描かれた動物たち』展を見て来ましたのでその模様をお伝えします。
 まず、鞍ヶ池アートサロン『花咲くとき 希望のとき』展についてである。
 本《会報》にて、鞍ヶ池アートサロンでの美術展覧会の企画展の模様を変更があった都度ご紹介して来ているが、今回で3回目になる。
 同美術館では、入館料は無料でmasterpiecesを拝観出来るので大変嬉しい。が、図録がない為皆さんにご紹介出来ないのが残念である。
 いつもenquete用紙に感想等を書いて受付嬢に渡すと2~3枚来館記念としてpostcardをくれるのだが‥。
 そこで、せめて名画揃いの全23点の展示作品を「画家名『作品名』制作年」だけでもご紹介したい。出品目録をご覧下さい。

 [00a][00b][00c][00d]出品目録4頁分
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[01]鞍ヶ池アートサロン『花咲くとき 希望のとき』展leaflet‥絵は「09.Moise Kisling(Poland)(1891-1953)『花』1944年」
 01_leaflet09moise_kislingpoland1891

––––––––––––––––––––––––[02]「03.Pierre-Auguste Renoir(仏)(1841-1919)『読書』1900年」
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[03]「07.Paul Cezanne(仏)(1839-1906)『女性水浴図』1883-87年」
 0307paul_cezanne18391906188387

【小生comment】
 小生個人的には、「16.林武(1896-1975)『バラ』」が最も良かった。流石にトヨタ自動車が所有する名画の数々である。展示数は少ないが素晴らしい作品ばかりであった。〔脱帽!〕

 ※ ※ ※ ※ ※

 さて続いては、名都美術館『日本画に描かれた動物たち』展についてである。
 小生、名都美術館『日本画に描かれた動物たち』展leafletを手に取るまで、恥ずかし乍ら当該美術館の存在を知らなかった。
 本美術館は、名古屋に本社を置く林テレンプ株式会社のowner林軍一氏が昭和62年に名古屋市上前津・林ビル2Fに開館したことに始まる。
 平成04年05月、長久手市杁ヶ池に移転開館し、現在に至る。
 名都美術館の400点近い日本画collectionは、上村松園(1875-1949)、伊藤小坡(1877-1968)、鏑木清方(1878-1972)、伊東深水(1898-1972)等、東西の巨匠による『美人画』がmainであるという。
 ただ本展覧会は、『日本画に描かれた【動物】たち』が主人公である為、これ等4巨匠の出典作品はなく、代わりに小山硬(おやまかたし)(1934-)9点、山口華楊(1899-1984)5点、上村松篁(1902-2001)3点、奥村土牛(1889-1990)、川合玉堂(1873-1957)、徳岡神泉(1896-1972)各2点、入江波光(1887-1948)、岩橋英遠(1903-1999)、上村淳之(1933-)、大橋翠石(1865-1945)、小倉遊亀(1895-2000)、岸竹堂(1826-1897)、児玉希望(1898-1971)、堂本印象(1891-1975)、菱田春草(1874-1911)、平山郁夫(1930-2009)、福田平八郎(1892-1974)、橋本関雪(1883-1945)、前田青邨(1885-1977)、マツ(=「窓」の下心に換えて木【小生注】)本一洋(1893-1952)、安田靫彦(1884-1978)、横山大観(1868-1958)各1点、の以上全39点が展示されていた。うち27点が本美術館所蔵作品である。
 それでは、本展覧会展示作品の中から4点ご紹介します。ご覧下さい。

[04]児玉希望『枯野』1936年‥『日本画に描かれた動物たち』展leaflet‥
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––––––––––––––––––––––––[05]岸 竹堂『猛虎図』1895年
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[06]奥村土牛『子犬』1965年
 061965

––––––––––––––––––––––––[07]山口華陽『黒豹』1960年
 071960

[08]同『仔鹿』1976年
 081976

––––––––––––––––––––––––[09]同『原生』1981年
 091981

【小生comment】
 日本画専門の美術館として、名画の数々に改めて感心した。質の高さでは東京の山種美術館に決して引けを取らない。
 本展覧会は、前期と後期で殆ど作品が入れ替わるという。後期が04月24(火)~05月27(日)なので、これも是非見てみたいと思っている。

■さて今日最後の話題。今週も『高峰秀子』大特集をお届けする。6回目の今日は、高峰秀子(1924.03.27-2010.12.28)の夫で、映画監督・脚本家の松山善三(1925.04.03-)氏のessay【女優・妻・師/松山善三】〔キネマ旬報社刊/斉藤明美・監修『高峰秀子』(2010年04月30日初版第2刷)より‥故に本書出版時点で高峰秀子は存命中‥〕をご紹介する。

[10]斉藤明美・監修『高峰秀子』のcover
 10cove

––––––––––––––––––––––––[11]食卓での松山・高峰夫妻
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[12]近年の松山・高峰夫妻
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 私が初めて高峰秀子という存在を意識したのは、神奈川県立第三中学校に籍を置いていた、多分16~7歳の時だったと思う。
 映画starのbromideを沢山持っている友人がいて、その中から高峰のものを1枚貰った。してみると、その時、既に私は高峰秀子を好きになっていた訳だ。勿論、当時日本中にいたであろう、何十万、何百万という「デコちゃん」fanの一人に過ぎないが。
 高峰を好きになったのは、「希望の青空(1942年【小生注】)」という映画だ。
 冒頭で、多摩川に架かる鉄橋の上から高峰扮する女学生が水筒を落っことして仕舞い、それが下の河原にいた池部良(1918-2010)の頭に当たる。「ごめんなさーい」というのが高峰の第一声だった。顔がupになった。
 なんて可愛らしいんだろう。
 少年だった僕は一目で彼女を好きになった。
 勿論、当時日本にいたであろう、何十万、何百万の「デコちゃん」fanの一人であるが。
 その後、中学を卒業して岩手医学専門学校に進み、亀のコ記号がさっぱり理解出来ない私は、二年で中退して、親父に勘当され、職を転々とする。列車boy、Cabaretのboy‥〔中略〕‥どうにか神田にある小さな出版社に雇えて貰えることになった。
〔中略〕
 私の人生を決めたのは、その小さな出版社に勤めていた先輩だった。〔中略〕彼が言った。「松山君、僕は脚本家になるつもりだ。今度、松竹にscenario writer養成所が出来たから、そこを受ける。君も一緒に受けないか?」
 脚本の何たるかを知らない私は、先輩の強引な誘いを断り切れず、受けて仕舞った。そして先輩が落ちて、私が受かった。
 先輩は我が事の様に喜んでくれたが、それから数ヶ月もしないうち、結核で死んだ。〔中略〕
 私は松竹に入り、〔中略〕その間、私は高峰秀子のことなどすっかり忘れていた。それどころではなかった。果たして此の儘自分は食っていけるのか、仕事をして行かれるのか、そればかり考えていた。
 だから木下(惠介(1912-1998))監督の「カルメン故郷に帰る(1951年)」に高峰が主演した時も、嬉しいだのという気持ちは全くなかった。本当にそれどころではなかったのだ。偶(たま)さか付いて仕舞った助監督という仕事を覚えるのに一生懸命で、毎日を新米の助監督として走り回り、下宿に帰って寝る、その繰り返しだった。
 今考えても、よく高峰秀子に求婚したものだと、自分でも驚く。若さの無謀か、愛というものの強さか‥‥。〔中略〕
 現在の私があるのは、全て、高峰秀子という女性のお陰であるということだ。
 紛(まご)う方(かた)無き、師である。
 彼女は全てを教えてくれた。そして未熟児で生まれ「十歳迄生きられないだろう」と言われた弱い私(松山)を、この歳迄無事に生かしてくれたのは、他ならぬ高峰の健康的な手料理のお陰であると、確信する。
 高峰が私にしてくれたこと―。
 それはとても書き尽くせない。語り尽くせない。大袈裟でなく、高峰秀子は松山善三という私自身を作り上げてくれたのだから。
 映画人としての血肉、男としての生き方、人間としての過ごし方。高峰は私という人間を育て上げてくれた。
 男として情けないじゃないかと人は言うかも知れない。事実、私はずっと「高峰秀子の亭主」と呼ばれた。今もそうだろう。
 だが、私はそのことに何ら痛痒を感じたことがない。負け惜しみではない。
 高峰秀子という人はそれ程の女性なのだ。
 追いついてやろう、追い抜いてやろうなどと思わせない人だ。
 恐らくそのことは、彼女が女優として優れていることと無縁ではないと思う。
 人間に対する時の、彼女の限りない慈愛。それがscreenの高峰秀子には横溢している。観る者に限りない愛情を注ぎ、生きることを励ます女性だと、私は思う。
 だが私に解ることは、精々その位かも知れない。
 氷山の一角を辛うじて見ている様な、そんな不思議な気がしてくるのだ、彼女のことを考える時。
「善三さーん、ご飯ですよぉ」
 あ、ヨメさんが呼んでいる。
 五十年の余も付き合い乍ら、今以て、高峰秀子は私にとって最大の謎かも知れない。
 だが、彼女は私を大事にしてくれる。
 それだけでいいじゃないか。(了)

【小生comment】
 松山善三氏が語った高峰秀子像である。彼のヨメさん自慢の様に聞こえるが、賢女で良妻、良き師‥完成度の極めて高い人間への畏敬の念であろう。
 キツイ言い方になって仕舞うが、高峰秀子程の器量を持っていれば、松山氏を手懐けるのは造作ないことだろう。
 5歳の時から天才子役として大人達に可愛がられ、55歳で映画界を引退する迄常にTop女優として評価され続け、多くの大家・知識人等から可愛がれた高峰秀子。
 才気ある彼女にしてみれば、松山氏との良好な夫婦関係も、実際の処、「良き妻として生きた」のであろうが、「良き妻を演じ続けることが出来たから‥」なのかも知れない、と邪推して仕舞った。
 では一体高峰秀子が如何にして、人格的完成度の極めて高い人間に育ち得たのか?
 それは、養母平山志げ〔‥養母は芸名を高峰秀子と言った‥〕との複雑な関係にあったことが少なくない。この辺りについて、作家・essayist沢木耕太郎氏は【高峰秀子著『わたしの渡世日記』解説】の中で次の様に述べている。

 高峰秀子の『わたしの渡世日記』は松山善三との結婚で終わっている。結婚後のことも様々な形で本文の中に織込めれているが、《松山善三と私の結婚式は、昭和30年03月26日の午後03時から15分で終わり、私はこの日から、第二の人生と言うべき結婚生活の道を歩き出した》が〔中略〕最後の一文だと考えられる。〔中略〕独りで世を渡って行かなければならなかった30年は終わった。
 では、それから更に40年以上が経った今、『続・わたしの渡世日記』は成立し得るか。恐らく、成立し得ない。〔中略〕満たされた結婚生活が続いているからと言うだけでなく、絶対的対立項として『わたしの渡世日記』の一方の主人公であった養母が、完全にfade outして(=映像が次第にぼんやりと消えて【小生注】)仕舞っているからだ。〔中略〕
 娘に執着し、金に執着した養母が存在したからこそ『わたしの渡世日記』に於ける「渡世」が存在した。結婚してからは〔中略〕波瀾の少ない「生活」があるだけになった。〔中略〕

 〔‥掲載文字数が多くなるので、以下、小生が要約して記す‥〕

 彼女が敬愛する二人の都会人、川口松太郎と梅原龍三郎の「生き様」の中に、彼女は‥『潔さ』‥を読み取っている。
 即ち、高峰秀子の最大の願望は、「人生に於いて常に潔くありたい」ということであり、それが達成された時、〔【小生注】結婚後25年経った時、夫松山が高峰を、カワイコちゃんから「毅然とした雌lion」に変貌したと評したことを受けて‥〕「毅然とした雌lion」は真の「高峰秀子」になっている筈である。(了)

 ※ ※ ※ ※ ※

 皆さん、6回に亘った「高峰秀子series」は如何だったでしょうか。話題は尽きませんが、取り敢えず今回の〔その6〕を以て終了としたいと思います。

 更に話は変わりますが、明晩(06日)、【2637の会】のclassmate二橋君が豊橋の小生に会いに来てくれます。嬉しいですね。
 クラス会の会場となっている、トライアゲインにて二人で一献傾け、懐かしく楽しいひとときを過ごす予定です。
 この模様の詳細は、次号の《会報》【0389】号にてお伝えしますので、お楽しみに!(^_^)

 尚、最近公私共に忙しい小生、明後日の04月07日(土)も一日中予定が入っている為、最近、毎週土曜日に配信している《会報》が今回は配信出来なくなりそう‥。そこで、無理して今日(04月05日(木))配信させて頂きました。悪しからずご了承下さい。
 ではまた‥。(了)

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