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2012年11月16日 (金)

【時習26回3-7の会 0420】~「11月09日:山種美術館『没後70年 竹内栖鳳 ― 京都画壇の画家たち ―』展を見て」「11月09日:東京国立近代美術館『60周年記念特別展 美術にぶるっ! ベストセレクション 日本近代美術の100 年』展を見て」「浜矩子著『恐慌の歴史~"100年に一度"の危機が3年ごとに起きる理由』を読んで〔その2〕」

■今泉悟です。皆さん如何お過ごしですか。さぁ、今日も【2637の会】《会報》【0420】号をお送りします。

 今日、衆議院が解散された。今度こそ日本政治がいい方向に進む様、祈っている。
 でも、どの政党に入れたらいいのか? ‥分からない‥。

 さて今日は、前《会報》でお伝えした様に11月09日上京した折に立ち寄った2つの美術館・展覧会の模様をご覧頂きたいと思います。

 先ず最初は、山種美術館にて11月25日迄開催中の『没後70年 竹内栖鳳 ― 京都画壇の画家たち ―』展である。

[01]竹内栖鳳
 01

 今年は、『東の(横山)大観、西の(竹内)栖鳳』と並び称された日本画家・竹内栖鳳(1864-1942)の没後70年にあたる。京都に生まれた栖鳳は、早くからその才能を開花させ、30代で京都画壇を代表する画家に昇り詰めた。栖鳳が描き出す、生物や自然がみせる一瞬の姿を軽やかに捉えた作品は、今尚精彩に富み、新鮮な魅力を放っている。
 Paris万博が開催された1900(明治33)年、欧州遊学を果たした栖鳳は、渡欧先で西洋美術に直に触れることで大きな刺激を受けた。帰国後、円山四条派の写生を軸にした画風に、西洋美術の要素を採り入れた新しい表現を生み出していく。洗練された感性と優れた筆技に拠り動物、風景、人物と様々な主題を手掛け、日本画の近代化に積極的に取り組んだ。〔以上、山種美術館主催者『ごあいさつ』より〕
 昭和12年、第一回文化勲章を洋画家の藤島武二・岡田三郎助、日本画家として横山大観と共に受賞。
 国の【重要文化財】に指定されている彼の代表作『斑猫(はんびょう)』などは日本画と洋画の昇華させた類稀なる傑作である。
 弟子に上村松園、福田平八郎、等がいる。因みに両氏も文化勲章受章者である。

[02] 『没後70年 竹内栖鳳 ― 京都画壇の画科たち ―』展leaflet
 02_70_leaflet

––––––––––––––––––––––––[03]竹内栖鳳『斑猫』1924年【重要文化財】
 031924

[04]同『蹴合』1926年
 041926

––––––––––––––––––––––––[05]同『鴨雛』1937年
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[06]同『風かおる』1937年
 0619371

■山種美術館を後にした小生、徒歩で十数分の地下鉄日比谷線「広尾」駅から「茅場町」経由、東西線で竹橋にある東京国立近代美術館を訪れた。
 以前05月13日に親父と訪れた時(《会報》【0394】参照)にもお話したが、本美術館は一部の作品を除きcamera撮影が可能(‥但しflash撮影は不可‥)という粋な計らいをしてくれる。今回は、『東京国立近代美術館 60周年記念特別展 美術にぶるっ! Best selection 日本近代美術の100年』という企画展である。
 05月に見た作品も結構あったが、初めて見た作品も沢山あった。
 今日は、その小生が初めて見た作品で撮影して来たものを幾つかご紹介したい。
 流石は「東京の!国立の!近代美術館」である。日本画も、洋画も「highlight corner」を見ると国の【重要文化財】が15点も展示されていた。
 「フーム‥」と長嘆息した。「当美術館の所蔵品展なのにこの充実ぶりは流石に国立の美術館だな!」と関心し乍らcameraに収めた。
 因みに、[14]新海竹太郎『あゆみ』1907年〔石膏〕は、〔bronze〕のものと同じ作品が2点あり、いずれも【重要文化財】に指定されている。
 〔bronze〕の作品は、05月に見ている。以下↓のURL《会報》【0394】号で『あゆみ』〔bronze〕versionをご高覧下さい。
 http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/26-039405130515.html

[07]東京国立近代美術館入口『Best Selection 日本近代美術の100年』展看板
 07best_selection_100

––––––––––––––––––––––––[08]菱田春草(1874-1911)『賢首菩薩』1907年【重要文化財】
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[09]川合玉堂(1873-1957)『行く春』1916年【重要文化財】
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––––––––––––––––––––––––[10]土田麦僊(1887-1936)『湯女』1918年【重要文化財】
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[11]安井曾太郎(1888-1955)『金蓉』1934年
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––––––––––––––––––––––––[12]藤田嗣治(1886-1968)『自画像』1929年
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[13]藤田嗣治『五人の裸婦』1923年
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––––––––––––––––––––––––[14]新海竹太郎(1868-1927)『あゆみ』1907年〔石膏〕【重要文化財】
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[15]佐伯祐三(1898-1928)『ガス灯と広告』1927年
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––––––––––––––––––––––––[16]須田国太郎(1891-1961)『歩む鷲』1940年
 16189119611940

[17]小磯良平(1903-1988)『娘子関を征く』1941年
 171941

––––––––––––––––––––––––[18]梅原龍三郎(1888-1986)『北京秋天』1942年
 18188819861942

[19]宮本三郎(1905-1974)『山下、パーシバル両司令官会見図』1942年
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––––––––––––––––––––––––[20]藤田嗣治『アッツ島玉砕』1943年
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[21]藤田嗣治『サイパン島同胞臣節全うす』1945年
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––––––––––––––––––––––––[22]上村松園(1875-1949)『母子』1934年【重要文化財】
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[23]小倉遊亀(1895-2000)『浴女 その一』1938年
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––––––––––––––––––––––––[24]福田平八郎(1892-1974)『雨』1953年
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[25]オスカー・ココシュカ(Oskar Kokoschka)(1886-1980)『アルマ・マーラーの肖像(Portrait of Alma Mahler)』1912年
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––––––––––––––––––––––––[26]ニコラ・ド・スタール(Nicolas de Stael)(1914-1955)『コンポジション(湿った土) Composition(Humid Earth)』1949年
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【小生comment】
 Austriaの画家Oskar Kokoschka(1886-1980)と大作曲家(兼指揮者)Gustav Mahler(1860-1911)未亡人Alma Maher(1879-1964)のlove romanceは夙(つと)に有名。
 1913年には二人でItaly旅行もしているが、二人の関係は、Kokoschkaが1914年第一次世界大戦に従軍中の1915年アルマがグロピウスと電撃結婚し終わった。
Kokoschkaの油彩画『風の花嫁(1914年)』は二人を描いた作品として知られる。当該作品は《会報》【0306】号にupしてある。以下↓のURLをclickしてご覧下さい。
 http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/26-0306372mahle.html

【小生comment】
 11月09日は、仕事を終えてから、上野にある東京都美術館を皮切りに、京浜東北線快速・山手線を乗り継ぎ「恵比寿」から徒歩で広尾にある山種美術館、そして竹橋にある東京国立近代美術館へと数時間での強行軍であったが無事3美術館に立ち寄り拝観出来た。
 絵画というgenreだけでも、大都会東京の文化の厚みというか充実ぶりに昂揚感を覚えた。

 帰りの新幹線の中で考えてみた。
 日本の未来は、経済成長というflowを追い求める時代から、『国富』の集積に拠り獲得した「『文化』という日本の良質な資産(=stock)」を活用していくことが重要になって行くだろう。
そして、『物質的』から『精神的』な豊かさへ、希求対象を転換することで、日本の未来に明るい展望が開けて来るのではないか‥、と最近よく思うのである。
 小生、海外旅行は数少ない。が、その中で『Italy』に行き感動した。古代ローマ帝国が築いた高度な文明の遺産が今も尚世界中から多くの観光客を惹きつけている。
 これなどは、財務諸表に例えれば‥「『Italy』という貸借対照表には【古代ローマ帝国】という歴史的『特許権』『商標権』『意匠権』等の無形固定資産があり、当該資産が観光客という取引先からpatent料という収益を獲得し続けている」のである。
 日本の将来の在り方に一つのhintを与えてくれている。

■続いて、今日ご紹介する本は、浜矩子著『恐慌の歴史~"100年に一度"の危機が3年ごとに起きる理由』を読んで〔その2〕である。
 当初予定では、今回でこの本の紹介を完了する予定であったのであるが、論旨を分かり易く解説した為に予想以上のvolumeになって仕舞った。
 ついては、結論は次号〔その3〕に譲ることとする。

第四章/global化する世界経済に潜む「負の連鎖」~21世紀型恐慌が内包していた日本のbubble崩壊~

・西独との経済的対立が生んだ【Black Monday】
《【小生注】この絡繰は、「風が吹けば桶屋が儲かる」以上に込み入っている(笑)ので逐次解説する》
‥以下をご覧下さい‥
〔→【レーガノミクス(Reaganomics)】というドル高に依存した幻想のinflationなき高成長の構図は完全に化けの皮を剥がされる〕
〔→(通称Star Wars計画※=国防予算等の)財政膨張で(経済)成長を無理矢理に牽引〕

※ 戦略防衛構想(Strategic Defense Initiative、SDI): 通称『Star Wars計画』=衛星軌道上にmissile衛星やlaser衛星、早期警戒衛星などを配備、それ等と地上の迎撃systemが連携して敵国の大陸間弾道弾を各飛翔段階で迎撃・撃墜、米国本土への被害を最小限に抑える計画。これには当然大幅な国防予算が費やされた。

〔→これ等(‥巨額なドル資金投下(財政出動)‥)が齎すinflation圧力ををドル高と輸入拡大に拠ってgas抜きする〕
〔→この無痛の経済運営を続けているうちに、ドル高と大量の輸入品による「洪水」に叩きのめされ、米国産業が衰退した〕
〔→その結果、米国の成長率は低下、inflationが顕在化‥【レーガノミクス(Reaganomics)】の大いなる逆噴射〔‥米国経済の停滞‥〕が始まった‥〕
〔→(‥米国が高金利だからこそ世界からカネが集まったのであり‥)米国は金利引き下げする際には、自国のみならず日本や西独等他の先進諸国にも求めたのである。各国も『協調利下げ=【G5(先進五国蔵相会議):プラザ合意(1985年09月)】』に応じた(←これは、(相対的に米国の金利が高いという)米国への金利差から来る資金流入促進と、各国が内需刺激策をとることにより米国の輸出増加を企図した)〕
〔【小生補足】‥→米国は不況対策として金利引下げを実施。これにより資金の米国流入は鈍り、通貨ドルの大幅下落が進んだ〕
〔→その結果、翌1986年、日本は深刻な『円高不況』に陥り、日銀は公定歩合を5%→2.5%迄引下げた※《‥これが日本のbubble景気へのtriggerとなった‥》〕

※ 『前川レポート』:1986年4月、中曽根内閣の諮問機関「経済構造調整研究会(座長:前川前(当時)日銀総裁)」が纏めた日本の経済政策の基本方針‥「円高不況」の解決策として内需拡大、市場開放、金融自由化等を柱とした。この報告書は、日本の市場開放と内需拡大を迫る諸外国(=に米国=)の外圧に対応した内容となっていた。
 内需刺激策として講じた金融緩和策が国内のmoney supply急増→《bubble経済》を生んだのである

〔→先進諸国の協調利下げは当該国にinflation圧力がかかる様になり、西独が短期金利の引上げを繰り返す様になる〕
〔→米国より金利の高い(高くなる)欧州へと資金移動が始まる‥→ドル売り‥→ドル安へ〕
〔→ドル安になる前に投資家達は米国から資金を引き揚げ始めた‥→これが【Black Monday(1987年10月19日(月))】である‥→米・西独の対立が世界同時株安を生んだ〕
・米国の圧力で決まった日本の金融自由化
・見境なく貸出拡大路線を突き進む銀行
・日銀は何故利上げをしなかったのか
〔→「中長期的な『成長持続』説(‥【日本経済への過信】‥)」が世間一般の認識であって、金利引上げが受け入れられる状況になかったのである〕
・東側陣営の思わぬ崩壊
・bubble崩壊は予見出来なかったのか
〔→これも【日本経済への過信】が原因〕
・金融・不動産の問題が実体経済に波及した
・米国の財政収支が黒字化
〔→1995年、Microsoft社が「Windows95」を発売。爾来、Internetが急速に普及。米国でIT(情報技術)産業を中心に経済成長が顕在化〕
・IT革命とglobal化が世界経済を大きく変えた
〔→米国の株価は1995年~96年末迄の間で65%上昇‥→《拡大する「global市場」と「情報革命」に基盤を置く【New economy】が米国経済を牽引〕
・Asia通貨危機の主役はJapan money
〔→1997年07月、タイ・バーツ暴落に端を発した通貨危機は、投資家が一斉にAsia諸国から資金を引き揚げたことで被害が甚大となった〕
・「失われた10年」の後にやって来たもの
〔→日本は1997年に準大手証券会社の三洋証券、都銀の北海道拓殖銀行、四大証券の一つ山一証券の破綻、翌98年日本長期信用銀行、日本債券信用銀行が破綻〕

第五章/世界同時不況を齎した「Lehman Shock恐慌」の正体 ~ドル破綻の最終局面として世界に拡散した金融危機~

・100年に一度の経済危機
〔→2008年09月17日、米国大手投資銀行Lehman Brothersが破綻、1929年以来80年ぶりの世界恐慌に〕
・shockの震源地はFranceだった
〔→2007年08月09日、仏銀行最大手のBNPパリバがsub-prime loanを証券化し組成したfund 3本に買い手がつかない事態に〕
・米国を凌駕する高leverage投資に明け暮れた欧州
・金融危機を招いたderivative
・derivativeの市場規模は世界経済の役2.6倍
〔→1998年当時、世界経済の規模は30兆ドル。これに対し、derivativeの市場規模は80兆ドルに達した‥→2008年Lehman Shock直前には世界経済の規模60兆ドルに対し、derivativeはその10倍の規模6000兆ドル超に迄膨張した〕

【小生comment】
 derivativeを使った数理で信用riskを軽減。Sub-prime loanという本来 high riskなものをlow riskにしてhigh returnを求めた金融商品(‥クレジット・デフォルト・スワップ(Credit default swap:CDS※))が世界規模で巨額化
‥→この為、平時に於けるriskの顕在化には対応可能であった当該derivative商品もriskを負担する側(‥主にAIG等の巨大金融機関‥)の財務体力を超えた
‥→この代表例が米国の大手投資銀行Lehman Brothersの破綻であり、これに端を発した世界的金融恐慌が皆さんもよくご存知の『Lehman Shock』である
‥→当たり前と言えば当たり前の話であったが、浜氏の言葉を借りればMoney gameと化した金融投資は「解っちゃいるいるけど止めららない」のである。

※【クレジット・デフォルト・スワップ(Credit default swap:CDS)】:小生、厳密に説明するだけの知識を有しない。が、ごく簡単に言えば以下の通り。
 Credit Derivativeの一種で、債権自体を移転することなく『信用risk』だけを移転する取引。通常、投資とreturnは「high-risk=high-return」&「low-risk=low-return」が大原則。その「high-riskの『信用risk』だけを第三者に移転すれば、「低-risk=高-return」という投資家にとって都合の良い商品が出来上がる‥という理屈である。
実際に2005年頃以降、Sub-prime loanの様なhigh-riskな金融商品もその他の健全な債権の中に一定割合blend(混合)した商品して当該金融商品の格付けをAAAやAA+という高格付けにして拡販されていた。欧米の金融機関がこぞって、巨額high-returnな投資商品に投資をして結果的に巨額損失計上を余儀なくされた。これが現在のEuro危機の原因の一つになったのである。

・default情報のないsub-prime loanへの邁進
・「次のbubbleのネタ」が住宅loan市場だった
〔→しかも住宅loan市場も過熱化し、住宅loan全体に占める割合が2001年に9%だったsub-prime loanは2006年には20%に達した←‥異常な水準に迄高まった〕
・日本の余剰資金が米国bubbleを生んだ
〔→日本は2000年以降、日本の株価が低迷したことも手伝い、日本人投資家の外貨投資が増え続けた‥→公募投資信託で見ると、2000年初頭には外貨建ては3.6兆円で公募投信全体に占めるshareは6%に過ぎなかったものが、2007年07月には34.9兆円(同44%)を占める様になっていた(2006年には毎月約7千億円もの資金が外貨投信に向かっていた計算になる)〕

【小生comment】
 小生が銀行員生活最後の4年半(2002年~2006年)は丁度外貨投信が増加した時期と重なる。小生、支店の現場責任者として銀行本部から『貯蓄から投資へ』というcatch phraseを以てしてretail業務に於いて正に外貨投信の販売に注力していた。
 小生も当時New York株式市場が続伸するのをみて、「米国景気は何故こんなに調子がいいのだろう?」と思っていた。
 浜氏の本書を読み、「米国bubble発生の片棒を担いでいた」のだと思うと、今更乍らだがちょっと複雑な気持ちがする。

・global化に過剰適応していた日本
・誤ったglobal化がdeflationを生んだ〔‥欧米のglobal化に追いつく為、日本企業が模索した経済modelは『均一化』『巨大化』『一極集中』『自己責任』『成果主義』‥〕
〔→2000年代の日本は『選択と集中』という言葉が流行‥→大規模小売店舗法(=大店法)が廃止され、集約の論理で「企業の合併・買収」が進み、地方は駅前商店街はshutter通りと化す一方、郊外のbypass沿いには全国同じ様なshopping center、fast food、消費者金融等の電飾と巨大な駐車場ばかりに‥〕
〔→日本経済は、bubble崩壊後は2009(=Lehman Shockの翌)年を除きplus成長を続けている(←‥もし供給過剰という指摘が調整されるprocessが働いていれば、(日本経済は)minus成長になっている筈‥)〕
〔→日本は「成長を止めたくない」と、無理に押し込み販売して成長を保持‥→その皺寄せが「人件費の削減」「非正規雇用の拡大」となった〕
〔→2002~07年にかけて「いざなぎ景気を上回る戦後最長の景気拡大」と言われ乍ら、deflationが続く異様な状況だったのは、成長率をminusにしないためにモノの値段を下げ、人件費を買い叩いた為〕

【小生comment】
 http://ecodb.net/country/JP/imf_bca.html ←これは「日本の経常収支の推移」を表したgraphと表である。
 日本は、1981年に「経常収支〔=貿易収支+service収支+所得収支+経常移転収支〕」が黒字になってから今(2012)年迄、一貫して黒字を計上し続けている。
 端的に言えば、「日本の『国富』は増え続けている」‥故に‥
 ‥→当然に通貨「円」の価値は上がる=「円高」基調になる
 ‥→円高の中でも日本は一貫して「経済成長」を果たして来ている
 ‥→円高になると「海外から安価な製品・商品が流入する」
 ‥→国内業者にとって、当該「安価な輸入商品」との「価格競争は販売価格(=販売単価)の値下げ」に繋がる
 ‥→販売価格の低下は売上高の減少を齎す
 ‥→売上高減少の中で利益を確保するには「売上原価」を圧縮するしかない
 ‥→売上原価の構成要素は「労務費+原材料費+経費(≒燃料費等)」であり、円高の恩恵は原材料費と経費にも及ぶが、新興国の成長により原油をはじめとする資源価格が大幅に上昇し、円高のmeritも吹き飛んで仕舞っている(←‥製品・商品の品質は落とせないから「原材料費」と「経費」の大幅削減は困難‥)
 ‥→その様な状況下で圧縮可能な費目は「労務費(=工場等で働く労働者の賃金)」しかない
 ‥→労務費の圧縮は、「賃金の引下げ」又は「労働者の削減」か両者の併用
 ‥→その結果、企業経営者は「正規労働者(≒高賃金)を解雇(restructuring)し、非正規労働者(≒低賃金)へshift」する
 日本は、こうした経営努力を失われた20年間、営々と行い低成長とは言え、経済成長を遂げて来た。
 ‥→その結果、労働者の賃金は抑えられ、日本全体の消費購買力が落ちる(≒『国富』が減少する)
 ‥→その結果、安価な商品しか売れなくなる
 ‥→その結果、供給側も安価な製品・商品を提供せざるを得なくなり、販売単価の値下げを繰り返す所謂『デフレ・スパイラル(deflation spiral)』に陥いる
 日本は、労働者の所得減少という犠牲の上に経済成長をし続けた結果、1981年以降、経常収支の黒字を計上し続けた
 ‥→その結果、「円高」が一層進み、輸出依存型企業は輸出採算が取れない状況になった
 ‥→当該輸出依存型企業は、生き残りを賭けて工場を人件費の安価なAsia新興諸国に移転
 ‥→そこで生産された製品が、安価な輸入品として国内市場に流入し、国内市場のデフレ進行に拍車がかかった
 ‥→当該工場が海外に移転したことにより、当該国内工場の労働者の雇用が奪われ、当該企業から労働者に支払われていた賃金が消失
 ‥→当該労働者の所得が奪われ‥→当該「国内工場労働者」の失職(←‥当該労働者は、国内市場では「消費者」であった)
 ‥→「国内の消費者」の消費購買力の消失‥→国内重要(=内需)の減少=‥を意味する
 ‥→このようにして、日本の購買者側の「内需」と供給者側の「GDP(国内総生産)」が共に減少していくことになる
 ‥→日本に於いては‥、こうした「内需」減少要因は、以上の他、「少子化による人口減少」という減少要因が加わる
 従って、日本は今後新規需要を創出していかない限りGDPが減少、即ち「経済はminus成長が続いていく」ことが不可避となる

※ 日本は、一所懸命働き続けて来たのに「所得が増えない」‥→いい就職先がない‥→明るい展望が開けない。
 こうした閉塞感に覆われているが、間違いないことは、世界最大の債権国であり、日本国(個人・法人共に)全体では莫大な資産を保有していることである。
 浜氏は、その「莫大な資産(=主に金融資産=)を活用して日本経済を活性化すべきだ」と提言している。
 次回「浜矩子著『恐慌の歴史』〔その3=最終回〕で、第六章/bubbleなき「財政恐慌」へと向かう欧米諸国、第七章/恐慌後の「新global経済」における日本の役割、についてご紹介し、結論を詳論してみたい。
 お楽しみに‥。

■さて、ちょっと堅苦しい経済の話で頭の中がチリチリ熱くなったことでしょう。そんな時は文学の名作で気分転換しましょう。
今日のお別れは、晩唐の風流詩人、杜牧(803-852(3?))の詩『山行』である。ご覧下さい。

 山行(さんこう)  杜牧

 遠上寒山石径斜
 白雲生処有人家
 停車坐愛楓林晩
 霜葉紅於二月花

 遠く寒山に上れば 石径斜めなり
 白雲生ずる処 人家有り
 車を停(とど)めて坐(そぞろ)に愛す楓林(ふうりん)の晩(くれ)
 霜葉は二月の花よりも紅なり

【意】遠く、物寂しい山に登っていくと、石ころの多い小道が斜めに続いている
 そして、その遥か上の白雲が生じる辺りに人家が見える
 車を止めて、気の向く儘に夕暮の楓の林の景色を愛で眺めた
 霜のため杠葉した楓の葉は、春二月頃咲く(桃の)花よりも、尚一層赤かった

【小生comment】
 11月も中旬になって急に寒さが厳しくなった。このため紅葉も漸く本格的に色づき始めた。
 「楓の葉の赤色は、春に咲く桃花より赤いよ!」と杜牧は詠う。
 この詩は、恰も絵画の様に視覚的な美しさを巧く表現している、素晴らしい七言絶句だと思う。

 今週になって急に寒くなって来ました。風邪に十分ご注意下さい。
 ではまた‥。(了)

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05【時習26回3-7の会】【2008年8月16日】《クラス会》於:ブラウンズ&トライ・アゲイン

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    ■2008年8月16日【時習26回3-7の会】《クラス会》を豊橋市内にある『ブラウンズ(一次会)』と『トライアゲイン(二次会)』にて開催しました。T三先生をはじめ全国から15名が集い大変楽しい5時間を過ごしました。 ■名残惜しいなか、23時すぎ、来年の再会を誓って散会しました。

101【2007年6月2~3日】■「千手院」でお会いした皆さんへ←clickでalbumへ

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    ■朝護孫子寺にて撮影した写真のほとんとを追加しました。ご高覧下さい。 ■2007年6月2~3日、「賢人会」のmember谷山・中嶋両氏と大和七福神・八宝廻りをしました。 ■七福神の一つ毘沙門天を祭る「信貴山朝護孫子寺」の宿坊【千手院】で一泊。 ■そこで、ご一緒した皆さんとの楽しかったひとときをアルバムにしました・・。      * * * ■瀬尾君、浅田さんとそのお供達の皆さんへ、「感想をお聞かせ」頂ければ幸甚です。 ▼『【時習26回3-7の会】のブログ画面』の【左上欄外】の「メール送信」を左clickして頂くと、今泉宛のmail address ~ < si886@nifty.com > ~ が開きます。 どうぞ、ご気軽に感想をmailにてお知らせください。 ▲【2637の会】のURL・・・  → URL: http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog

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