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2012年11月の5件の記事

2012年11月30日 (金)

【時習26回3-7の会 0422】~「11月24日:浜松市美術館『レーピン(Ilya Repin)』展を見て~」「11月29日:水野和夫氏講演『日本再生戦略と今後の日本経済』を聴講して」

■今泉悟です。皆さん如何お過ごしですか。さぁ、今日も【2637の会】《会報》【0422】号をお送りします。

 時節は11月22日から『小雪』。
 このところ急に寒くなって来ましたが、皆さんお元気でお過ごしですか。

■さて今日最初の話題は、掲題副題にある様に、去る11月24日浜松市美術館で現在開催中の『レーピン(Ilya Repin)』展を見て来ましたのでご紹介致します。
 本展は、Russiaの首都Moscowにある国立トレチャコフ美術館が所蔵する、19世紀後半から20世紀初頭にかけて活躍した画家イリヤ・レーピン(Ilya Repin(1844-1930))の傑作選99点の展覧会である。
 トレチャコフ美術館館長による《message》の中で、「Ilya Repinは、同時代の最も雄弁な語り手であり、その極めて力強い作品によって、偉大な文豪レフ・トルストイに並んで高く評価されている‥〔中略〕‥国内外で最も敬愛されているRussiaの画家のひとり」と紹介している。そして、「日本の皆様は、この画家の創作の力強さと魅力を、彼の同時代人達の肖像画に見出される‥〔中略〕‥農民に始まり、作家、芸術家、社会活動家、Repinの身近な人々や愛した人々‥〔中略〕‥Russia社会のあらゆる社会層が描き出されている」と同館長は付け加えている。
 早速、添付写真をご覧下さい。
 19世紀Russiaで活躍した「Russia 5人組」の中の2人[11]キュイ(Cui(1835-1918))・[12]ムソルグスキー(Mussorgsky(1839-1881))も描かれている。
 とくにムソルグスキーの絵は、高校で音楽を専攻した人には馴染み深い絵だと思う。
 因みに、「Russia5人組」の他の3人は、ミリイ・バラキレフ(1837-1910)、アレクサンドル・ボロディン(1833-1887)、ニコライ・リムスキー=コルサコフ(1844-1908)。

[01]浜松市美術館入口
 01

––––––––––––––––––––––––[02]イリヤ・レーピン(Ilya Repin)1884年
 02ilya_repin1884

[03]Repin『ワシリー・レーピン(1853-1918)』1867年
 03repin185319181867

––––––––––––––––––––––––[04]Repin『ウラジミール・スターソフの肖像』1873年
 04repin1873

[05]Repin『幼いヴェーラ・リーピナ(1872-1948)の肖像』1874年
 05repin187219481874

––––––––––––––––––––––––[06]Repin『畔道にて―畝を歩くヴェーラ・レーピナと子供達』1879年
 06repin1879

[07]Repin『休息―妻ヴェーラ・レーピナの肖像』習作1882年
 07repin1882

––––––––––––––––––––––––[08]Repin『ユーリー・レーピン(1877-1954)の肖像』1882年
 08repin187719541882

[09]Repin『ユーリヤ・レープマンの肖像』1881年
 09repin1881

––––––––––––––––––––––––[10]Repin『鉄道監視員、ホチコヴォにて』1882年
 10repin1882

[11]Repin『工兵将校アンドレイ・デーリヴィクの肖像』1882年
 11repin1882

––––––––––––––––––––––––[12]Repin『作曲家モデスト・ムソルグスキーの肖像』1881年
 12repin1881

[13]Repin『エリザヴェータお演じる女優ペラゲーヤ・ストレーペトワの肖像』1881年
 13repin1881

––––––––––––––––––––––––[14]Repin『思いがけなく』1884-88年
 14repin188488

[15]Repin『自画像』1887年
 15repin1887

––––––––––––––––––––––––[16]Repin『pianistゾフィー・メンターの肖像』1887年
 16repinpianist1887

[17]Repin『作曲家セザール・キュイの肖像』1890年
 17repin1890

––––––––––––––––––––––––[18]Repin『コンスタンチン・コンスタンチーノヴィチ大公の肖像』1891年
 18repin1891

[19]Repin『手術室の外科医エヴゲーニー・パーヴロフ』1888年
 19repin1888

––––––––––––––––––––––––[20]Repin『文豪レフ・トルストイの肖像』1887年
 20repin1887

[21]Repin『レフ・トルストイの肖像』1901年
 21repin1901

––––––––––––––––––––––––[22]Repin『キャベツ』1884年
 22repin1884

[23]Repin『日向で―娘ナジェーンジダ・レーピナ(1874-1931)の肖像』1900年
 23repin187419311900

––––––––––––––––––––––––[24]Repin『パーヴェル・トレチャコフの肖像』1901年
 24repin1901

【小生comment】
 Repinの作品は如何でしたか?
 彼の若い時の作品は、極めて写実的で[03][04]など写真と見紛う程精緻に描けている。
 [06][10]などは、同時期Franceで盛んだった印象主義的な画風である。
 ご覧の様に、彼の作品は「人物画に傑作が多い」が、[22]『キャベツ』の様に静物画も素晴らしい。
 因みに、[24]のトレチャコフが、本展覧会の所蔵品を所有する国立トレチャコフ美術館の創立者である。
 小生、Repinの作品を今回初めて目にしたが、気品ある精巧な絵に感服した。
 そして、一遍に大好きな画家になって仕舞った。
 皆さんは、これ等の絵をご覧になってどう思われましたか?
 本展は、本年12月24日まで浜松市美術館にて開催中です。「お薦め!」の展覧会ですヨッ!

■続いて、地元の東愛知新聞社主催で、水野和夫氏の講演会『日本再生戦略と今後の日本経済~歴史の危機と資本主義の将来~』を聴いて来ましたので、その概要をお届けします。

[25]水野和夫氏
 25

 水野和夫氏は、三菱UFJモルガン・スタンレー証券等のchief economist、内閣府大臣官房審議官等を経て、本年05月より内閣官房内閣審議官(国家戦略室)。
 1953年生まれ。愛知県出身。県立旭丘高校、早稲田大学大学院修士課程卒。
 小生、2011年02月27日付本《会報》【0330】にて、水野氏の著書『超マクロ展望~世界経済の真実~』〔萱野稔人氏との共著〕を紹介させて戴いたことがある。
 〔参照〕:http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/26-0330-0217-64.html
 爾来、氏の隠れたfanになっていて、今回の講演会を楽しみにしていた。
 講演会は60分と短かった為、氏の22頁に及ぶresumeで説明するにはちょっと無理があったかもしれない。
 それと、引用事例がちょっと高尚過ぎた嫌いがある。
 小生、氏の著書を読んでいたことで内容に何とか追いついて行けて良かった。
 本講演会の概要を示すと以下の通りである。

【日本再生戦略と今後の日本経済~歴史の危機と資本主義の将来~】
 1.『歴史の危機』
 [1]日・独・米・英の10年国債利回りが2.0%を下回っている理由
 ‥→・「長期金利は下がり続ける」(1974年をpeakに金利は低下し続けている)
 ‥→・「投資とreturn」の関係は、当該business modelが出来上がると、常に「return:不変」「投資:増大」
 ‥→・その結果、「投資利回り低下」=「長期金利が低下」し続ける
 [2]日本の「失われた20年」が終わらない理由
 ‥→・1,000兆円の国家債務、deflationの長期化、景気回復下に於ける賃金下落、無産階級の誕生、等
 ‥→・『金利を下げられない国』:「過去の歴史に於いて、『文明破綻』は「利子率=金利が下げられない」ことから起きる
 ‥→・『文明国は金利が下がる』
 ‥→・しかし、下がり続けても需要が回復せず、人々の暮らしの不満が払拭出来ないと『金利を下げられない国』と同じことが起きる
 ‥→・これが1997年以降の日本であり、2011年以降の米英独‥これを『利子率革命』という

 2.「蒐集」からの撤退~〔資本主義の歴史〕
 [1]「蒐集〔‥「『社会秩序』の本質」は『過剰』に行き着く‥〕
 ‥→・〔古典的〕『帝国』とは、「軍事力」を通じて「諸国」「諸民族」を支配〔=「蒐集」〕する
 ‥→・『近代国民国家』とは、『市場(ex. Globalization)』を通じて、「諸地方・諸部族」「money」を「蒐集」する
 ‥→・『蒐集』家は、常に『過剰・飽満・過多』を欲する‥=「collection」とは常に「必要以上のもの」
 [2]「強欲」に始まって「強欲」に終わる
 ‥→・13~14世紀:「資本家」が誕生‥資本家の「強欲」をダンテが糾弾している
 [3]Shakespeareの『リア王』の中で言う‥「分配が余剰を無くし、人はめいめい満ち足りることになろう」‥
 ‥→・16~17世紀:「分配」の重要性が唱えられる
 [4]アダム・スミス『道徳感情論』(1759年)‥「『徳』への道」v.s.「『財産』への道」
 ‥→・「『社会秩序』を基礎づける原理」(=『道徳原理』)は「『感情』に基づく」とアダム・スミスは言う
 ‥→・「人間の感情や行為の適切性を測る基準として求めるのは、利害関係のない、『公平な観察者』の是認である」
 ‥→・「中流・下層階級」の人々は、「『徳・叡智』ある人」が「『富・高い地位』に地位に相応しい」と考え行動する
 ‥→・「上流階級」の人々は、「『徳』の道」から『堕落』を招く可能性が高い

 3.2013年の経済
 [1]景気回復と賃金情報は別問題
 [2]21世紀になって、日本の輸出入構造に大きな変化
 ①輸出構造の大きな構造変化
 ‥→・2004年02月以降、(‥日本の花形産業で稼ぎ手であった‥)「電気機器」の輸出額が鉱物性燃料・原料品の輸入額を下回る様になった
 ‥→・2011年04月以降、「電気機器」+「輸送機器」の輸出額で以てしても、鉱物性燃料・原料品の輸入額を下回る様になった
 ‥→・輸出総額のpeakの2008年03月を基準として、2012年08月の輸出額は34.3%減した
 ②業種別輸出の構成比の変化
 ‥→・「1997年~2001年」と「2012年06~08月」の3ヶ月間の構成比の変化を見ると、「電気機器」の構成比率の低下(24.2%→18.7%‥▲5.5 point)が顕著
 [3]2013年の課題
 ・世界経済‥米国財政の「崖」
 ・Euro‥南欧諸国のsovereign risk(=国家破綻リスク)
 ・中国‥過剰設備問題
 ・日本‥
 ‥→・deflationとminus成長
 ‥→・1,000円兆円の国家債務問題
 ‥→・energy問題
 ‥→・少子高齢化問題
 ‥→・社会保障問題

【小生comment】
 60分という短い時間での講演で以上のことを述べられた。
 だから、上記を読んでも実際の処、あまり理解出来ないかもしれない。
 講演内容を確り纏め上げる力がなく申し訳なく思います。
 ただ小生にとって大変関心ある話題だったので、氏の著作を一度また読んで考察してみたい。

【後記】小生、明日明後日は、中嶋Y行君【3-2】と「時習26回卒業40周年記念旅行兼懇親会」の「懇親会場兼宿泊所」「同bus tourの場合の二日に亘る『昼食場所』2ヶ所」「同bus tourの訪問史跡」の候補地を踏査して来る予定です。
 その模様は、次号《会報》でご報告します。
 お楽しみに‥!(^-')b‥

 明後日の訪問予定史跡の一つに嵯峨野『大覚寺』がある。
 この寺は、前《会報》でご紹介した源融の父君、嵯峨天皇(786-842(在位809-823))が造営した離宮である。
 天皇は、広大な庭園の中に滝を造り、その滝を見る為に滝殿も設営したと伝えられる。
 次にご紹介する歌の作者藤原公任(きんとう)(966-1041)の時代には、既に滝の水は枯れ寂れていたという。
 その旧跡を前にして懐旧の情を胸に読んだ歌‥

 滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ

【意】滝の音は聞こえなくなって久しいが、その名声は今日迄流れ伝わって、聞こえて来る様だ。
    〔『千載集』雑上1035〕

【小生comment】この歌は、平易だが、格調高い名歌である。小倉百人一首55番の歌でもあり、皆さんもよくご存知だと思います。
 ではまた‥。(了)

2012年11月25日 (日)

【時習26回3-7の会 0421】~「11月18日:『京都逍遥‥ひとり旅‥〔東福寺→本能寺→木屋町通り・先斗町→京都国立近代美術館から円山公園経由京都駅迄〕‥』」「前記『京都逍遥』からのclose-up~京都国立近代美術館『山口華楊』展を見て~」「浜矩子著『恐慌の歴史~"100年に一度"の危機が3年ごとに起きる理由』を読んで〔その3〕(完)」

■今泉悟です。皆さん如何お過ごしですか。さぁ、今日も【2637の会】《会報》【0421】号をお送りします。

 時間は止まらない‥。11月03日の《クラス会 Part2》からあっと言う間に三週間余りが経った。
 人間はこうやってあっと言う間に一生を終えるのだろう‥と思うと何故か儚さを感じる。
 「人間の一生」を「地球の誕生から今日迄の時間」と比べて見た。地球の誕生は46億年前である。
 「地球誕生から今日迄の時間」の「長さ」を「400mのtrack」に例えると、「1mm=11,500年」に相当する。
 となると、我等、現生人類(Home sapiens)(=新人)のクロマニョン(Cro-Magnon)人が地球上に現れたのが数万年前だからgoalから僅か数mm前である。
 因みに日本人男子の平均寿命である80年生きて僅か7micron(=0.007mm)となる。(笑)
 だから「人間ひとりの一生なんか『小せえ、小せえ!』って言いたくなる。
 毎日をゆったりと『泰然自若』に生きていくべきなんだろうな、我々人類は‥。(嘆息)

■さて今日最初の話題は、掲題副題にある様に、『京都逍遥‥ひとり旅‥』である。
 去る11月18日、小生、京都に小旅行した。
 来る12月01(土)~02(日)にかけて、「時習26回生卒業40周年記念旅行兼懇親会」の宿泊旅館兼懇親会場への試宿を計画しているが、今回はその又前哨戦である。
 具体的には、『東福寺・通天橋』に始まり、『本能寺』を見て『木屋町通り・先斗町』→『京都国立近代美術館』から『円山公園』経由『京都駅』迄の電車と徒歩の旅であった。
 公共交通機関を利用したのは、JR奈良線で「京都駅→東福寺」と京阪電車「東福寺→三条」、同じく「清水五条→三条」(‥「清水五条→三条」間は二度乗った‥)。
 これ等以外は全て徒歩。徒歩の距離は約10km。丁度golfを1roundした位のだろうか‥。
 一日の行程を地図にplotしてみた。添付写真[01]の地図をご覧下さい。

[01]京都市内観光地図と小生の京都逍遙行路20121118
 0120121118

 まず最初の訪問地は紅葉が絶景の『東福寺・通天橋』である。

[02]京阪「東福寺」駅入口
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 08時50分頃JR奈良線「東福寺」駅に到着した。もう数多くの観光客が駅から東福寺までの道程を歩いていた。
 流石は京都市内の紅葉の超人気spotである。駅から「東福寺」への案内看板が沢山出ていた。
 東福寺の開館時間は通常は09時00分なのだが、紅葉seasonは08時半から開いている。
 徒歩7分程で『東福寺・日下門』に到着。その入口から程なく紅葉が絶景の『通天橋』が目に入った。
 朝日を浴びた『通天橋』は絶景の紅葉で正に輝いて見えた。
 今春「賢人会旅行」の時見た新緑の東福寺も綺麗であったが、やはり紅葉の美しさは素晴らしい。素直に感動した。
 『日下門』を入った小生、『通天橋』観覧券購入の為並んだ。四列渋滞で70~80m並ばされた。待ち時間は十数分だった。
 観光客でごった返す『通天橋』から見える紅葉を何枚かcameraに収めたが、speakerを持った案内人が次の様に言っていた。
 「この『通天橋』からcamera撮影している皆さ~ん! 有名な東福寺の『通天橋』の紅葉はここから撮っても仕方ありませ~ん。入口附近から『通天橋』を写さないと‥ネッ。ハハハッ」
 関西人は案内人もhumorの持ち主である。確かに彼(=案内人)の言う通りだ。(笑)

[03]「東福寺」入口附近から絶景の朝日を浴びる『通天橋』遠望その1
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–––––––––––––––––––––––[04]同上その2
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 東福寺は45分程度で切り上げ、今度は京阪電車「東福寺」駅から「三条」駅まで北進した。
 同駅北口を出て「御池通り」を右手に京都市役所が見える所迄来ると、其処が「本能寺」である。
 小生、「本能寺」は生まれて初めて訪れた。

[05]『本能寺』入口
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 織田信長のお墓をお参りした後、御池通りを東へ戻ること50m程で「木屋町通り」。此処を右折し南進した。
 森鴎外の小説「高瀬舟」で有名な「高瀬川」である。
 高瀬川は、江戸時代初期(1611年)に角倉了以(すみのくら りょうい)・素庵父子によって、京都の中心部と伏見を結ぶために物流用に開削された運河。 開削から大正9年(1920年)迄の約300年間京都・伏見間の水運に用いられた。(以上、ウィキペディア)
 その高瀬川をcameraに収めていると、11時を少し過ぎた頃であっただろうか‥、「ちょっとすみません。Shutterを押して頂けますか」との声が聞こえた。
 その声の方を振り返ると、compact cameraを持った、小生と同じくらいの背格好(177cm)の気品ある一人の老紳士が立っていた。
 その紳士は「貴方は何処からお見えになったのか?」と小生に尋ねた。
 小生は、「愛知県は豊橋から参りました。貴方はどちらからですか?」と尋ね返した。
 「私は、四国、高松から今日来ました。貴方は一人旅ですか? 私も一人旅です」
 そして、続けて次の様に話された‥。
 「私は今年で74歳になります。最近、心肺停止状態になって身体が無理出来ないので日帰り旅行しか出来ないのですが、大学が京都だったし、就職した会社の最初の赴任先も京都で、この街がとても懐かしくこうしてやって来ました。高松から3時間で来れるんですよ」
 ‥と、その老紳士は自分の半生を省みる様に懐かしみの感傷の雰囲気を醸し出し乍ら、
 「写真をどうもありがとう」と言って去って行かれた。
 以下の写真は、その老紳士にお願いして撮影して貰った小生のsnap shotである。

[06]木屋町通り『高瀬川』をbackに‥
 06back

 程なく、先斗町である。以下の写真の様に『先斗町・木屋町・河原町』史蹟mapと書いた看板があった。そして、『先斗町』の細い道を歩いてみた。

[07]『先斗町・木屋町・河原町』史蹟map
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–––––––––––––––––––––––[08]『先斗町』の1scene
 081scene

 歩いたのは、11時20分~30分という真昼であった。(笑)
 先斗町を南進すると『先斗町』の南入口の看板が見えた。この入口を左折(=東進)すると四条大橋の袂である。
 小生はこの四条を高瀬川沿いに更に南進した。
 十数分歩いたであろうか、もう其処は「料理旅館『鶴清』」である。
 小生、『鶴清』には12月01日に中嶋君【3-2】と一緒に訪れる予定なので立ち寄らず、その儘通り過ぎ鴨川を東岸に渡った。

[09]料理旅館『鶴清』その1
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–––––––––––––––––––––––[10]料理旅館『鶴清』その2‥鴨川の東側対岸からの遠望
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 小生、その橋の東岸にある京阪『清水五条』から今日二度目の『三条』迄乗った。

[11]京阪『清水五条』駅
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 『三条』駅の1番出口を出て三条通りの右手(=南側)を見ると、今春「賢人会旅行」で中嶋君・谷山君等と泊まった修学旅行生専門旅館『いろは旅館』が見えた。

[12]京阪『三条駅』東側にある『東山三錠交差点』から東山遠望
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 小生は、この三条通りを東進し、東山三条を東大路通り沿いに北進。
 東山二条を右折(=東進)し、岡崎公園に至った。
 添付写真[13]は岡崎公園の美しい紅葉である。

[13]岡崎公園の紅葉
 13

 公園内を東進し、左手(=北側)に「平安神宮」の応天門、右手(=南側)に大鳥居が見えた。この大鳥居の西側が「京都国立近代美術館」である。
 今日は、現在開催中の『山口華楊』展を見るのが目的の一つである。
 この展覧会の模様は、本mailの二番目の話題の項をご覧下さい。

[14]京都国立近代美術館入口『山口華楊』展の看板
 14

 『山口華楊』展を見終えた小生は、京都駅迄『逍遙』し乍ら京都の昼下がりを満喫した。
 京都国立近代美術館を出て南進すると、徒歩10分で以前にもご紹介した「青蓮院」が左手に見えて来た。
 そして、更に南進すること徒歩05分で、「知恩院」の国宝「三門」が威容を誇るかの様に堂々とした姿を眼前に表した。

[15]知恩院・国宝『三門』
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 そして、「知恩院」を過ぎると直ぐに『円山公園』である。

[16]紅葉が綺麗な『円山公園』の一角
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–––––––––––––––––––––––[17]円山公園でcountry westernを歌う米国人(?)
 17country_western

 米国人(?)の歌うcountry westernはとても上手だった。
 『円山公園』の由来は、次の様に書いてあった。

 「平安の昔、今の円山公園の一帯は、真葛や薄が生い茂り、真葛ヶ原と呼ばれていた。鎌倉時代、慈円僧正が‥
 『わが恋は松を時雨(しぐれ)の染めかねて 真葛ヶ原に風さわぐなり』(新古今和歌集)
 と詠んでから、一躍和歌の名所となり、以来多くの和歌に歌われた。
 江戸時代に入ると、安養寺塔頭の六阿弥が席貸を始め、次第に賑やかさを増して来た。
 この頃から『慈円山・安養寺』の『円山』がこの辺りの呼び名となった。

 「円山公園」を過ぎると、これも7分程で高台寺である。
 その道すがら、ご覧の様に二人連れの『舞妓』さんに遭遇した。
 添付写真[18][19][20]の三枚がその写真である。
 [20]の写真にある様に『だらりの帯』が『舞妓』さんの証明である。

[18]高台寺附近で出会った二人の舞妓その1
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–––––––––––––––––––––––[19]同上その2
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[20]同上その3
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 高台寺を過ぎると、これも3~4分で左手(=南側)に『八坂の塔』が見えた。

[21]八坂の五重塔
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 そこから真っ直ぐ西進して東大路通りに出て、左折(=南進)して「東山五条」を右折(=西進)し、京阪「清水五条」駅に戻った。
 そこから更に「五条大橋」を渡り、直ぐに左折(=南進)し、高瀬川沿いに七条通りまで歩いた。
 その途中の六条辺りに、「源融『河原院跡』」の石碑と榎の大樹があった。
 その案内板には次の様に解説されていた‥

 「源融とは嵯峨天皇の皇子であり、源氏物語の光源氏のmodelと言われる人で、宇治の平等院の傍にも別荘を持っていた。
 この左大臣、源融が、摂政・藤原基経の台頭により隠棲した邸第「河原院」がこの(六条)辺り、東西・鴨川の中央辺りから西へ柳馬場、南北・五条以南正面通辺りまでの大邸宅であった。この榎の大樹は邸内にあった森の名残りと言われる。〔中略〕 また、この「河原院」の名から「河原町」という通り名が生まれたと言われている」

[22]源融『河原院跡』石碑と榎の大樹
 22

–––––––––––––––––––––––[23]同上「案内板」
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【小生comment】
 京都の「河原町」の名の由来が、源融「河原院」から来ていると初めて聞いたが、「さもありなむ」。
 この歳になっても、「新しい発見=新しい感動!」である。!(^-')b

■続いて、お届けするのは、京都国立近代美術館で開催中の『山口華楊』展についてである。
 小生、同じ日本画家である、山口蓬春(1893-1971)はよく知っていたが、山口華楊(1899-1984)は今回の展覧会で漸く詳しく知ることが出来た。
 まず彼の略歴を以下に記す。

《略歴》
1899(明治32)年 10月03日 京都市下京区に生まれる。
1916(大正05)年 04月 師の薦めで、京都市立絵画専門学校別科入学。02年先輩に徳岡神泉、01年先輩に福田平八郎が居た。
1918(大正07)年 10月 第12回文展にて『角とぐ鹿』が入選
1920(大正09)年 10月 第02回帝展にて『赤松の山』『嵐』が入選
1921(大正10)年 03月 京都市立絵画専門学校研究科修了 10月第03回帝展に『葉ざくら』が入選
1927(昭和02)年 10月 第08回帝展にて『鹿』が特選
1928(昭和03)年 10月 第09回帝展にて『猿』が特選
1936(昭和11)年 06月 京都市立絵画専門学校教授就任
1937(昭和12)年 10月 新文展に《洋犬図》出品し、政府買い上げとなる
1942(昭和17)年 04月 京都市立絵画専門学校教授就任
1981(昭和56)年 11月 文化勲章受章
1984(昭和59)年 03月 16日逝去

 山口華楊氏の作品を先ずはご覧下さい。
 写実的な動物画は、氏の穏やかな為人(ひととなり)が表れているのか、とても優しい目をしている。
 静物画についても、精緻な写実的技法をbaseに、モノに拠っては、デフォルメ(deformer)してあったりして、見るものを唸らせる卓越した技量を実感出来る。
 彼の作品は、総じて癒やし系の作品であり、一生安心して付き合っていける佳品ばかりである。

[24]京都国立近代美術館『山口華楊』展:絵は『黒豹』1954年
 241954

–––––––––––––––––––––––[25]山口華楊
 25

[26]山口華楊『深秋』1935年頃
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–––––––––––––––––––––––[27]同『椿』1941年
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[28]同『犢(こうし)』1941年
 281941

–––––––––––––––––––––––[29]同『白い馬』1952年
 291952

[30]同『青蓮院の老木』1973年
 301973

–––––––––––––––––––––––[31]同『晨(しん:=朝・夜明)(茄子)』1969年
 311969

[32]同『丹頂の里』1973年
 321973

–––––––––––––––––––––––[33]同『桃果』1968年
 331968

[34]同『牡丹』1973年頃
 341973

–––––––––––––––––––––––[35]同『青柿』1978年
 351978

[36]同『白露』1974年
 361974

–––––––––––––––––––––––[37]同『行潦』1977年
 371977

[38]同『長春』1977年
 381977

–––––––––––––––––––––––[39]同『春雪』1980年
 391980

[40]同『雨歇む』1980年
 401980

■今日最後は、今回で3回目のご紹介になる、浜矩子著『恐慌の歴史~"100年に一度"の危機が3年ごとに起きる理由』を読んで〔その3〕(最終回)である。

第六章/bubbleなき「財政恐慌」へと向かう欧米諸国 ~国家破綻の連鎖という危機へのcountdown~
・大規模な景気刺激策に疲弊する国家財政
〔→Lehman Shock後、各国政府は財政を大出動し、恐慌を食い止め様とした。国家財政を危機に陥らせることを覚悟して財政支出を大幅に増やした〕
〔→当該財政支出額は、米国7870億ドル(74兆円)、EU加盟27ヶ国6000億Euro(75兆円)、中国56兆円、日本32兆円、豪州16兆円等々〕
〔→その結果、日本の政府債務は2011年GDP対比210%を超える迄に至った〕
・欧州危機は「財政恐慌」に発展しかねない
〔→もし、ギリシャ発の連鎖的なdefaultが起きれば、いずれLehman Shockと同等か、それ以上の金融危機に発展する〕
〔→その場合、景気後退を回避すべく経済政策を行おうにも、各国に大規模な財政出動をする余力がないのが現状である〕
・社金infrastructure(=基盤)が機能せず、暴動が相次ぐ事態に
〔→財政恐慌が起これば、行政serviceが大幅に削減され‥延いては、治安の悪化等、当り前の社会infrastructureが吹き飛んで仕舞う〕
・日本の「国債は暴落しない」は楽観論なのか
〔→欧州の債務危機が日本に飛び火しないと考えるのはあまりに楽観的だ〕
〔→国債は国の借金、親の世代のつくった借金を親自身が返せなければ子供が返すしかない、それが出来なければ子供は泣くしかない〕
・日本が乗り越えるべき課題
〔→日本はflowがあってstockがなかった高度成長時代と違って、今はその正反対だ〕
〔‥→ Infrastructure、生産設備、教育体制等あらゆる面で、世界で最も充実したstockを持つ国になった〕
〔→「flowよ、もう一度」とばかりに企業も政府も成長戦略を練っている〕
〔‥→豊かなstockに流動性を持たせて『効率的な分配』を行うべきなのに、日本は経済成長への幻想に支出を増やしている〕
・「ドル高修正」の最終局面に来ている
〔→2011年夏に米国で国債のdefault懸念が浮上した〕
〔‥→債務上限引上げでひとまずdefault懸念を回避したが、これは『ドル安』を決定づけた〕
・米国の財政赤字を悪化させた理由
〔→一言で言えば『巨額な軍事支出』である〔‥2001年09月11日以降、Afghan戦争、Iraq戦争に突入し、米国財政収支の大幅悪化を齎した‥〕〕
〔→「基軸通貨国」と「軍事大国」は表裏一体だ〕
〔‥→「軍事大国」の地位が揺らげば、「基軸通貨国」としての役割も終焉を迎える〕
・ドルは基軸通貨でなくなった
〔→「米国がdefaultに向かわざるを得なくなった」ことは「ドルが『基軸通貨』でなくなった」ことの証左である〕
〔‥→破綻と向き合わせの通貨が「基軸通貨」である筈がない〕
・IMFでは通貨危機を救済出来ない理由
〔→「IMFは『基軸通貨ドルの番人』」という任務を負う〕
〔‥→ブレトンウッズ体制下‥即ち「ドル不足時代に誕生したIMF」は、ドル過剰時代の今、存在意義の再構築に苦慮している〕
・Lehman Shock後の財政出動は誤りだったのか
〔→巨額な財政支出により、企業倒産等一時的なshockは実際より大きかったことは間違いない〕
〔‥→企業倒産により、失業者への失業給付金等社会政策的支出は増えていただろう〕
〔→しかし、より早く、よりbalanceがとれた経済に辿り着くことが出来た筈である〕
・「global imbalance」が次の恐慌に繋がる可能性
〔→「財政赤字」が膨らむ日米欧の先進国、貿易黒字が急激に増える新興国。先進国の投資資金は新興国へ向かい、通貨の乱高下や景気のbubble化を生んでいる〕
〔‥これを『global imbalance』と呼ぶ〕
〔→『global imbalance』を放置すると次の恐慌に繋がる〕
〔→『ドルの過大評価』‥これにより、米国の国内経済が不振で対外収支が赤字の儘でも米国内への資金流入が止まらない〕
〔→『global imbalance』を解消するために不可欠なこと、その一つが『ドル安』である〕

第七章/恐慌後の「新global経済」における日本の役割 ~基軸通貨のない新たな経済systemへの移行~
・基軸通貨国も覇権国もない新global時代
〔→「基軸通貨国」の最もsimpleな定義は、「基軸通貨国にとって良いことが世界にとって良いこと」〕
〔‥→この関係が崩れると、もはや「基軸通貨」ではない〕
〔→1971年の「Nixon Shock」の時「米国ドルの基軸通貨」の地位が揺らいだ〕
〔‥→その後の40年間、米国が世界の基軸通貨国であり続けようとしたことが全ての経済的混迷の大元になっていた面がある〕
・世界は多極化ではなく、「無極化」する
〔→先進国の力は「どんぐりの背比べ」〕
〔→こらからの世界は『無極化』へ向かい、「基軸通貨のない経済に突入する」〕
・「China Risk」が要警戒
〔→中国は今迄の様な勢いで、高成長することで問題を隠蔽・吸収しようとすることは上手くいかなくなるだろう〕
〔→日本は中国との関係を友好的すべきである。が、中国人は「日中関係をドイツとPoland」に例えている。即ち、「中国は日本に一時期にせよ軍事的に支配されていた」という中国人が持つ(‥被害者的な‥)感覚を忘れてはならない〕
・global経済の肝心要を担っている日本の責務
〔→歴史的流れからみて、ドルが通貨の王様でなくなることははっきりしている〕
・global時代に適した付加価値税
〔→global化の進展により、「人・モノ・カネ」が国境を越える時代に見合った租税体系の改革を行う上で、「消費税の引上げ」は避けて通れない〕
・消費税率一率引き上げ以外の選択肢
〔→消費税で目処をつけるとしたら、ザックリ言って20%程度に引上げる必要がある〕
〔→低所得者等、社会的弱者や子育てをする人が日常的に使うモノ・serviceについては、消費税を免除するか低率にすることを日本はもっとやるべきである〕
・富裕層のcapital flight懸念
〔→「capital flight」とは、国外に資産が逃避することだ〕
〔→富裕層の国外退避を恐れて、増税出来ずに財政機能を果たせないことの方が問題だ〕
・今の日本は間違いなくstock大国
〔→豊富なstockを分配するために知恵を絞るのが、stock大国のあるべき姿だ〕
〔→豊富なstockを分配することで、失業者や非正規雇用者等社会的弱者を救済し、疲弊しきった地方経済に喝を入れてshutter街を蘇らせる〕
〔→中央政府の権限を地域に分散し、日本が開かれた小国からなる、活力に満ちた連合体に変貌させる〕
〔→成熟度を増した経済では、成長率は結果であって目標ではない〕
〔‥→成熟度に相応しい豊かで、賢い分配の構図を構築出来れば、結果的に成長率が高まることは有り得る〕
・成長戦略をとった英国の末路
〔→日本にとって、英国は格好の反面教師だ〕
〔‥→若返りの成長戦略をとれば英国の様に一極集中が進んで地域経済は荒廃し、益々居心地が悪い国になる〕
〔‥→格差社会の中で貧困が問題化し、税収も上がらない〕
〔‥→その貧困対策への財政支出は増え、負の連鎖に繋がっていく〕

・人類は協調し合う価値観に転換しなければならない
〔→「恐慌」は、bubbleという行き過ぎた経済を矯正する力学だ〕
〔→古い時代が終わり、新しい時代が到来する節目の時、人類は「大恐慌」を経験する〕
〔→今回のLehman恐慌、財政恐慌は正に時代の節目を予感させる規模の衝撃を世界に齎している〕
〔→だからこそ、日本も変わらなければいけない‥「輸出立国として、がむしゃらに突き進んで来た」時代の日本はもはやない〕
〔→「永遠の若さ」を手に入れる様な成長など目指すべきではない‥成熟した債権大国の通貨が高いのは当然である〕
〔→その大いなる富を国内に回し、世界の為に働かせるかを考えていくと、全く違う世界が広がっていくに違いない〕

【小生comment】
 浜氏が最後に述べていること、これが日本の今後に進む方向なのであろう。
 莫大な金融資産というstockを如何に市場に出させるか。
 これは「税制」「社会保障制度」という大枠を抜本的に見直す必要があると思う。
 来月の衆議院選挙で政治を変えて、真に日本国民の為になる国をつくって行かねばならない。
 正に日本の将来の浮沈が決定される分水嶺に我々は立っている。

■さて、今日のお別れは、今日の『京都逍遙』でご紹介した、源融(822-895)「河原左大臣」の歌である。
 この歌は小倉百人一首(14)にも取り上げられている。

 陸奥(みちのく)の しのぶもぢずり 誰(たれ)ゆゑに 乱れそめにし われならなくに

  〔『古今集』恋四(724)〕

【意】陸奥の「しのぶもぢずり」の様に、他の誰のせいで乱れ始めて仕舞ったのか、私のせいではないのに‥。
 ほかでもない、あなたのせいですよ。

【解説】しのぶもぢずり:現在の福島県信夫(しのぶ)地方から産出された、乱れ模様の摺り衣
「陸奥のしのぶもぢずり」=序詞(じょことば)‥→「乱れそめにし」に続く
「忍ぶ恋」は、この時代の恋歌の重要な類型の一つ。恋してはならない高貴な人や人妻への恋を詠んだものが多いという。

 ではまた‥。(了)

2012年11月16日 (金)

【時習26回3-7の会 0420】~「11月09日:山種美術館『没後70年 竹内栖鳳 ― 京都画壇の画家たち ―』展を見て」「11月09日:東京国立近代美術館『60周年記念特別展 美術にぶるっ! ベストセレクション 日本近代美術の100 年』展を見て」「浜矩子著『恐慌の歴史~"100年に一度"の危機が3年ごとに起きる理由』を読んで〔その2〕」

■今泉悟です。皆さん如何お過ごしですか。さぁ、今日も【2637の会】《会報》【0420】号をお送りします。

 今日、衆議院が解散された。今度こそ日本政治がいい方向に進む様、祈っている。
 でも、どの政党に入れたらいいのか? ‥分からない‥。

 さて今日は、前《会報》でお伝えした様に11月09日上京した折に立ち寄った2つの美術館・展覧会の模様をご覧頂きたいと思います。

 先ず最初は、山種美術館にて11月25日迄開催中の『没後70年 竹内栖鳳 ― 京都画壇の画家たち ―』展である。

[01]竹内栖鳳
 01

 今年は、『東の(横山)大観、西の(竹内)栖鳳』と並び称された日本画家・竹内栖鳳(1864-1942)の没後70年にあたる。京都に生まれた栖鳳は、早くからその才能を開花させ、30代で京都画壇を代表する画家に昇り詰めた。栖鳳が描き出す、生物や自然がみせる一瞬の姿を軽やかに捉えた作品は、今尚精彩に富み、新鮮な魅力を放っている。
 Paris万博が開催された1900(明治33)年、欧州遊学を果たした栖鳳は、渡欧先で西洋美術に直に触れることで大きな刺激を受けた。帰国後、円山四条派の写生を軸にした画風に、西洋美術の要素を採り入れた新しい表現を生み出していく。洗練された感性と優れた筆技に拠り動物、風景、人物と様々な主題を手掛け、日本画の近代化に積極的に取り組んだ。〔以上、山種美術館主催者『ごあいさつ』より〕
 昭和12年、第一回文化勲章を洋画家の藤島武二・岡田三郎助、日本画家として横山大観と共に受賞。
 国の【重要文化財】に指定されている彼の代表作『斑猫(はんびょう)』などは日本画と洋画の昇華させた類稀なる傑作である。
 弟子に上村松園、福田平八郎、等がいる。因みに両氏も文化勲章受章者である。

[02] 『没後70年 竹内栖鳳 ― 京都画壇の画科たち ―』展leaflet
 02_70_leaflet

––––––––––––––––––––––––[03]竹内栖鳳『斑猫』1924年【重要文化財】
 031924

[04]同『蹴合』1926年
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––––––––––––––––––––––––[05]同『鴨雛』1937年
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[06]同『風かおる』1937年
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■山種美術館を後にした小生、徒歩で十数分の地下鉄日比谷線「広尾」駅から「茅場町」経由、東西線で竹橋にある東京国立近代美術館を訪れた。
 以前05月13日に親父と訪れた時(《会報》【0394】参照)にもお話したが、本美術館は一部の作品を除きcamera撮影が可能(‥但しflash撮影は不可‥)という粋な計らいをしてくれる。今回は、『東京国立近代美術館 60周年記念特別展 美術にぶるっ! Best selection 日本近代美術の100年』という企画展である。
 05月に見た作品も結構あったが、初めて見た作品も沢山あった。
 今日は、その小生が初めて見た作品で撮影して来たものを幾つかご紹介したい。
 流石は「東京の!国立の!近代美術館」である。日本画も、洋画も「highlight corner」を見ると国の【重要文化財】が15点も展示されていた。
 「フーム‥」と長嘆息した。「当美術館の所蔵品展なのにこの充実ぶりは流石に国立の美術館だな!」と関心し乍らcameraに収めた。
 因みに、[14]新海竹太郎『あゆみ』1907年〔石膏〕は、〔bronze〕のものと同じ作品が2点あり、いずれも【重要文化財】に指定されている。
 〔bronze〕の作品は、05月に見ている。以下↓のURL《会報》【0394】号で『あゆみ』〔bronze〕versionをご高覧下さい。
 http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/26-039405130515.html

[07]東京国立近代美術館入口『Best Selection 日本近代美術の100年』展看板
 07best_selection_100

––––––––––––––––––––––––[08]菱田春草(1874-1911)『賢首菩薩』1907年【重要文化財】
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[09]川合玉堂(1873-1957)『行く春』1916年【重要文化財】
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––––––––––––––––––––––––[10]土田麦僊(1887-1936)『湯女』1918年【重要文化財】
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[11]安井曾太郎(1888-1955)『金蓉』1934年
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––––––––––––––––––––––––[12]藤田嗣治(1886-1968)『自画像』1929年
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[13]藤田嗣治『五人の裸婦』1923年
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––––––––––––––––––––––––[14]新海竹太郎(1868-1927)『あゆみ』1907年〔石膏〕【重要文化財】
 14186819271907

[15]佐伯祐三(1898-1928)『ガス灯と広告』1927年
 15189819281927

––––––––––––––––––––––––[16]須田国太郎(1891-1961)『歩む鷲』1940年
 16189119611940

[17]小磯良平(1903-1988)『娘子関を征く』1941年
 171941

––––––––––––––––––––––––[18]梅原龍三郎(1888-1986)『北京秋天』1942年
 18188819861942

[19]宮本三郎(1905-1974)『山下、パーシバル両司令官会見図』1942年
 19percival1942

––––––––––––––––––––––––[20]藤田嗣治『アッツ島玉砕』1943年
 201943

[21]藤田嗣治『サイパン島同胞臣節全うす』1945年
 211945

––––––––––––––––––––––––[22]上村松園(1875-1949)『母子』1934年【重要文化財】
 22187519491934

[23]小倉遊亀(1895-2000)『浴女 その一』1938年
 2318952000_1938

––––––––––––––––––––––––[24]福田平八郎(1892-1974)『雨』1953年
 24189219741953

[25]オスカー・ココシュカ(Oskar Kokoschka)(1886-1980)『アルマ・マーラーの肖像(Portrait of Alma Mahler)』1912年
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––––––––––––––––––––––––[26]ニコラ・ド・スタール(Nicolas de Stael)(1914-1955)『コンポジション(湿った土) Composition(Humid Earth)』1949年
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【小生comment】
 Austriaの画家Oskar Kokoschka(1886-1980)と大作曲家(兼指揮者)Gustav Mahler(1860-1911)未亡人Alma Maher(1879-1964)のlove romanceは夙(つと)に有名。
 1913年には二人でItaly旅行もしているが、二人の関係は、Kokoschkaが1914年第一次世界大戦に従軍中の1915年アルマがグロピウスと電撃結婚し終わった。
Kokoschkaの油彩画『風の花嫁(1914年)』は二人を描いた作品として知られる。当該作品は《会報》【0306】号にupしてある。以下↓のURLをclickしてご覧下さい。
 http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/26-0306372mahle.html

【小生comment】
 11月09日は、仕事を終えてから、上野にある東京都美術館を皮切りに、京浜東北線快速・山手線を乗り継ぎ「恵比寿」から徒歩で広尾にある山種美術館、そして竹橋にある東京国立近代美術館へと数時間での強行軍であったが無事3美術館に立ち寄り拝観出来た。
 絵画というgenreだけでも、大都会東京の文化の厚みというか充実ぶりに昂揚感を覚えた。

 帰りの新幹線の中で考えてみた。
 日本の未来は、経済成長というflowを追い求める時代から、『国富』の集積に拠り獲得した「『文化』という日本の良質な資産(=stock)」を活用していくことが重要になって行くだろう。
そして、『物質的』から『精神的』な豊かさへ、希求対象を転換することで、日本の未来に明るい展望が開けて来るのではないか‥、と最近よく思うのである。
 小生、海外旅行は数少ない。が、その中で『Italy』に行き感動した。古代ローマ帝国が築いた高度な文明の遺産が今も尚世界中から多くの観光客を惹きつけている。
 これなどは、財務諸表に例えれば‥「『Italy』という貸借対照表には【古代ローマ帝国】という歴史的『特許権』『商標権』『意匠権』等の無形固定資産があり、当該資産が観光客という取引先からpatent料という収益を獲得し続けている」のである。
 日本の将来の在り方に一つのhintを与えてくれている。

■続いて、今日ご紹介する本は、浜矩子著『恐慌の歴史~"100年に一度"の危機が3年ごとに起きる理由』を読んで〔その2〕である。
 当初予定では、今回でこの本の紹介を完了する予定であったのであるが、論旨を分かり易く解説した為に予想以上のvolumeになって仕舞った。
 ついては、結論は次号〔その3〕に譲ることとする。

第四章/global化する世界経済に潜む「負の連鎖」~21世紀型恐慌が内包していた日本のbubble崩壊~

・西独との経済的対立が生んだ【Black Monday】
《【小生注】この絡繰は、「風が吹けば桶屋が儲かる」以上に込み入っている(笑)ので逐次解説する》
‥以下をご覧下さい‥
〔→【レーガノミクス(Reaganomics)】というドル高に依存した幻想のinflationなき高成長の構図は完全に化けの皮を剥がされる〕
〔→(通称Star Wars計画※=国防予算等の)財政膨張で(経済)成長を無理矢理に牽引〕

※ 戦略防衛構想(Strategic Defense Initiative、SDI): 通称『Star Wars計画』=衛星軌道上にmissile衛星やlaser衛星、早期警戒衛星などを配備、それ等と地上の迎撃systemが連携して敵国の大陸間弾道弾を各飛翔段階で迎撃・撃墜、米国本土への被害を最小限に抑える計画。これには当然大幅な国防予算が費やされた。

〔→これ等(‥巨額なドル資金投下(財政出動)‥)が齎すinflation圧力ををドル高と輸入拡大に拠ってgas抜きする〕
〔→この無痛の経済運営を続けているうちに、ドル高と大量の輸入品による「洪水」に叩きのめされ、米国産業が衰退した〕
〔→その結果、米国の成長率は低下、inflationが顕在化‥【レーガノミクス(Reaganomics)】の大いなる逆噴射〔‥米国経済の停滞‥〕が始まった‥〕
〔→(‥米国が高金利だからこそ世界からカネが集まったのであり‥)米国は金利引き下げする際には、自国のみならず日本や西独等他の先進諸国にも求めたのである。各国も『協調利下げ=【G5(先進五国蔵相会議):プラザ合意(1985年09月)】』に応じた(←これは、(相対的に米国の金利が高いという)米国への金利差から来る資金流入促進と、各国が内需刺激策をとることにより米国の輸出増加を企図した)〕
〔【小生補足】‥→米国は不況対策として金利引下げを実施。これにより資金の米国流入は鈍り、通貨ドルの大幅下落が進んだ〕
〔→その結果、翌1986年、日本は深刻な『円高不況』に陥り、日銀は公定歩合を5%→2.5%迄引下げた※《‥これが日本のbubble景気へのtriggerとなった‥》〕

※ 『前川レポート』:1986年4月、中曽根内閣の諮問機関「経済構造調整研究会(座長:前川前(当時)日銀総裁)」が纏めた日本の経済政策の基本方針‥「円高不況」の解決策として内需拡大、市場開放、金融自由化等を柱とした。この報告書は、日本の市場開放と内需拡大を迫る諸外国(=に米国=)の外圧に対応した内容となっていた。
 内需刺激策として講じた金融緩和策が国内のmoney supply急増→《bubble経済》を生んだのである

〔→先進諸国の協調利下げは当該国にinflation圧力がかかる様になり、西独が短期金利の引上げを繰り返す様になる〕
〔→米国より金利の高い(高くなる)欧州へと資金移動が始まる‥→ドル売り‥→ドル安へ〕
〔→ドル安になる前に投資家達は米国から資金を引き揚げ始めた‥→これが【Black Monday(1987年10月19日(月))】である‥→米・西独の対立が世界同時株安を生んだ〕
・米国の圧力で決まった日本の金融自由化
・見境なく貸出拡大路線を突き進む銀行
・日銀は何故利上げをしなかったのか
〔→「中長期的な『成長持続』説(‥【日本経済への過信】‥)」が世間一般の認識であって、金利引上げが受け入れられる状況になかったのである〕
・東側陣営の思わぬ崩壊
・bubble崩壊は予見出来なかったのか
〔→これも【日本経済への過信】が原因〕
・金融・不動産の問題が実体経済に波及した
・米国の財政収支が黒字化
〔→1995年、Microsoft社が「Windows95」を発売。爾来、Internetが急速に普及。米国でIT(情報技術)産業を中心に経済成長が顕在化〕
・IT革命とglobal化が世界経済を大きく変えた
〔→米国の株価は1995年~96年末迄の間で65%上昇‥→《拡大する「global市場」と「情報革命」に基盤を置く【New economy】が米国経済を牽引〕
・Asia通貨危機の主役はJapan money
〔→1997年07月、タイ・バーツ暴落に端を発した通貨危機は、投資家が一斉にAsia諸国から資金を引き揚げたことで被害が甚大となった〕
・「失われた10年」の後にやって来たもの
〔→日本は1997年に準大手証券会社の三洋証券、都銀の北海道拓殖銀行、四大証券の一つ山一証券の破綻、翌98年日本長期信用銀行、日本債券信用銀行が破綻〕

第五章/世界同時不況を齎した「Lehman Shock恐慌」の正体 ~ドル破綻の最終局面として世界に拡散した金融危機~

・100年に一度の経済危機
〔→2008年09月17日、米国大手投資銀行Lehman Brothersが破綻、1929年以来80年ぶりの世界恐慌に〕
・shockの震源地はFranceだった
〔→2007年08月09日、仏銀行最大手のBNPパリバがsub-prime loanを証券化し組成したfund 3本に買い手がつかない事態に〕
・米国を凌駕する高leverage投資に明け暮れた欧州
・金融危機を招いたderivative
・derivativeの市場規模は世界経済の役2.6倍
〔→1998年当時、世界経済の規模は30兆ドル。これに対し、derivativeの市場規模は80兆ドルに達した‥→2008年Lehman Shock直前には世界経済の規模60兆ドルに対し、derivativeはその10倍の規模6000兆ドル超に迄膨張した〕

【小生comment】
 derivativeを使った数理で信用riskを軽減。Sub-prime loanという本来 high riskなものをlow riskにしてhigh returnを求めた金融商品(‥クレジット・デフォルト・スワップ(Credit default swap:CDS※))が世界規模で巨額化
‥→この為、平時に於けるriskの顕在化には対応可能であった当該derivative商品もriskを負担する側(‥主にAIG等の巨大金融機関‥)の財務体力を超えた
‥→この代表例が米国の大手投資銀行Lehman Brothersの破綻であり、これに端を発した世界的金融恐慌が皆さんもよくご存知の『Lehman Shock』である
‥→当たり前と言えば当たり前の話であったが、浜氏の言葉を借りればMoney gameと化した金融投資は「解っちゃいるいるけど止めららない」のである。

※【クレジット・デフォルト・スワップ(Credit default swap:CDS)】:小生、厳密に説明するだけの知識を有しない。が、ごく簡単に言えば以下の通り。
 Credit Derivativeの一種で、債権自体を移転することなく『信用risk』だけを移転する取引。通常、投資とreturnは「high-risk=high-return」&「low-risk=low-return」が大原則。その「high-riskの『信用risk』だけを第三者に移転すれば、「低-risk=高-return」という投資家にとって都合の良い商品が出来上がる‥という理屈である。
実際に2005年頃以降、Sub-prime loanの様なhigh-riskな金融商品もその他の健全な債権の中に一定割合blend(混合)した商品して当該金融商品の格付けをAAAやAA+という高格付けにして拡販されていた。欧米の金融機関がこぞって、巨額high-returnな投資商品に投資をして結果的に巨額損失計上を余儀なくされた。これが現在のEuro危機の原因の一つになったのである。

・default情報のないsub-prime loanへの邁進
・「次のbubbleのネタ」が住宅loan市場だった
〔→しかも住宅loan市場も過熱化し、住宅loan全体に占める割合が2001年に9%だったsub-prime loanは2006年には20%に達した←‥異常な水準に迄高まった〕
・日本の余剰資金が米国bubbleを生んだ
〔→日本は2000年以降、日本の株価が低迷したことも手伝い、日本人投資家の外貨投資が増え続けた‥→公募投資信託で見ると、2000年初頭には外貨建ては3.6兆円で公募投信全体に占めるshareは6%に過ぎなかったものが、2007年07月には34.9兆円(同44%)を占める様になっていた(2006年には毎月約7千億円もの資金が外貨投信に向かっていた計算になる)〕

【小生comment】
 小生が銀行員生活最後の4年半(2002年~2006年)は丁度外貨投信が増加した時期と重なる。小生、支店の現場責任者として銀行本部から『貯蓄から投資へ』というcatch phraseを以てしてretail業務に於いて正に外貨投信の販売に注力していた。
 小生も当時New York株式市場が続伸するのをみて、「米国景気は何故こんなに調子がいいのだろう?」と思っていた。
 浜氏の本書を読み、「米国bubble発生の片棒を担いでいた」のだと思うと、今更乍らだがちょっと複雑な気持ちがする。

・global化に過剰適応していた日本
・誤ったglobal化がdeflationを生んだ〔‥欧米のglobal化に追いつく為、日本企業が模索した経済modelは『均一化』『巨大化』『一極集中』『自己責任』『成果主義』‥〕
〔→2000年代の日本は『選択と集中』という言葉が流行‥→大規模小売店舗法(=大店法)が廃止され、集約の論理で「企業の合併・買収」が進み、地方は駅前商店街はshutter通りと化す一方、郊外のbypass沿いには全国同じ様なshopping center、fast food、消費者金融等の電飾と巨大な駐車場ばかりに‥〕
〔→日本経済は、bubble崩壊後は2009(=Lehman Shockの翌)年を除きplus成長を続けている(←‥もし供給過剰という指摘が調整されるprocessが働いていれば、(日本経済は)minus成長になっている筈‥)〕
〔→日本は「成長を止めたくない」と、無理に押し込み販売して成長を保持‥→その皺寄せが「人件費の削減」「非正規雇用の拡大」となった〕
〔→2002~07年にかけて「いざなぎ景気を上回る戦後最長の景気拡大」と言われ乍ら、deflationが続く異様な状況だったのは、成長率をminusにしないためにモノの値段を下げ、人件費を買い叩いた為〕

【小生comment】
 http://ecodb.net/country/JP/imf_bca.html ←これは「日本の経常収支の推移」を表したgraphと表である。
 日本は、1981年に「経常収支〔=貿易収支+service収支+所得収支+経常移転収支〕」が黒字になってから今(2012)年迄、一貫して黒字を計上し続けている。
 端的に言えば、「日本の『国富』は増え続けている」‥故に‥
 ‥→当然に通貨「円」の価値は上がる=「円高」基調になる
 ‥→円高の中でも日本は一貫して「経済成長」を果たして来ている
 ‥→円高になると「海外から安価な製品・商品が流入する」
 ‥→国内業者にとって、当該「安価な輸入商品」との「価格競争は販売価格(=販売単価)の値下げ」に繋がる
 ‥→販売価格の低下は売上高の減少を齎す
 ‥→売上高減少の中で利益を確保するには「売上原価」を圧縮するしかない
 ‥→売上原価の構成要素は「労務費+原材料費+経費(≒燃料費等)」であり、円高の恩恵は原材料費と経費にも及ぶが、新興国の成長により原油をはじめとする資源価格が大幅に上昇し、円高のmeritも吹き飛んで仕舞っている(←‥製品・商品の品質は落とせないから「原材料費」と「経費」の大幅削減は困難‥)
 ‥→その様な状況下で圧縮可能な費目は「労務費(=工場等で働く労働者の賃金)」しかない
 ‥→労務費の圧縮は、「賃金の引下げ」又は「労働者の削減」か両者の併用
 ‥→その結果、企業経営者は「正規労働者(≒高賃金)を解雇(restructuring)し、非正規労働者(≒低賃金)へshift」する
 日本は、こうした経営努力を失われた20年間、営々と行い低成長とは言え、経済成長を遂げて来た。
 ‥→その結果、労働者の賃金は抑えられ、日本全体の消費購買力が落ちる(≒『国富』が減少する)
 ‥→その結果、安価な商品しか売れなくなる
 ‥→その結果、供給側も安価な製品・商品を提供せざるを得なくなり、販売単価の値下げを繰り返す所謂『デフレ・スパイラル(deflation spiral)』に陥いる
 日本は、労働者の所得減少という犠牲の上に経済成長をし続けた結果、1981年以降、経常収支の黒字を計上し続けた
 ‥→その結果、「円高」が一層進み、輸出依存型企業は輸出採算が取れない状況になった
 ‥→当該輸出依存型企業は、生き残りを賭けて工場を人件費の安価なAsia新興諸国に移転
 ‥→そこで生産された製品が、安価な輸入品として国内市場に流入し、国内市場のデフレ進行に拍車がかかった
 ‥→当該工場が海外に移転したことにより、当該国内工場の労働者の雇用が奪われ、当該企業から労働者に支払われていた賃金が消失
 ‥→当該労働者の所得が奪われ‥→当該「国内工場労働者」の失職(←‥当該労働者は、国内市場では「消費者」であった)
 ‥→「国内の消費者」の消費購買力の消失‥→国内重要(=内需)の減少=‥を意味する
 ‥→このようにして、日本の購買者側の「内需」と供給者側の「GDP(国内総生産)」が共に減少していくことになる
 ‥→日本に於いては‥、こうした「内需」減少要因は、以上の他、「少子化による人口減少」という減少要因が加わる
 従って、日本は今後新規需要を創出していかない限りGDPが減少、即ち「経済はminus成長が続いていく」ことが不可避となる

※ 日本は、一所懸命働き続けて来たのに「所得が増えない」‥→いい就職先がない‥→明るい展望が開けない。
 こうした閉塞感に覆われているが、間違いないことは、世界最大の債権国であり、日本国(個人・法人共に)全体では莫大な資産を保有していることである。
 浜氏は、その「莫大な資産(=主に金融資産=)を活用して日本経済を活性化すべきだ」と提言している。
 次回「浜矩子著『恐慌の歴史』〔その3=最終回〕で、第六章/bubbleなき「財政恐慌」へと向かう欧米諸国、第七章/恐慌後の「新global経済」における日本の役割、についてご紹介し、結論を詳論してみたい。
 お楽しみに‥。

■さて、ちょっと堅苦しい経済の話で頭の中がチリチリ熱くなったことでしょう。そんな時は文学の名作で気分転換しましょう。
今日のお別れは、晩唐の風流詩人、杜牧(803-852(3?))の詩『山行』である。ご覧下さい。

 山行(さんこう)  杜牧

 遠上寒山石径斜
 白雲生処有人家
 停車坐愛楓林晩
 霜葉紅於二月花

 遠く寒山に上れば 石径斜めなり
 白雲生ずる処 人家有り
 車を停(とど)めて坐(そぞろ)に愛す楓林(ふうりん)の晩(くれ)
 霜葉は二月の花よりも紅なり

【意】遠く、物寂しい山に登っていくと、石ころの多い小道が斜めに続いている
 そして、その遥か上の白雲が生じる辺りに人家が見える
 車を止めて、気の向く儘に夕暮の楓の林の景色を愛で眺めた
 霜のため杠葉した楓の葉は、春二月頃咲く(桃の)花よりも、尚一層赤かった

【小生comment】
 11月も中旬になって急に寒さが厳しくなった。このため紅葉も漸く本格的に色づき始めた。
 「楓の葉の赤色は、春に咲く桃花より赤いよ!」と杜牧は詠う。
 この詩は、恰も絵画の様に視覚的な美しさを巧く表現している、素晴らしい七言絶句だと思う。

 今週になって急に寒くなって来ました。風邪に十分ご注意下さい。
 ではまた‥。(了)

2012年11月11日 (日)

【時習26回3-7の会 0419】~「11月08日:愛知県美術館『美しき日本の自然』展を見て」「11月09日:東京都美術館『メトロポリタン美術館展』を見て」「浜矩子著『恐慌の歴史~"100年に一度"の危機が3年ごとに起きる理由』を読んで〔その1〕」「薄田泣菫『ああ大和にしあらましかば』を詠んで〔その3(完)〕」

■今泉悟です。皆さん如何お過ごしですか。さぁ、今日も【2637の会】《会報》【0419】号をお送りします。
 【2637の会】《クラス会 Part2》が終了してもう一週間経ちました。
 さて今日は、一昨々日11月08日、名古屋の金城ふ頭・ポートメッセなごやで昨日10日迄開催されていた「メッセナゴヤ2012」に参加した後、愛知県美術館にて現在開催中の『美しき日本の自然』展を見て来たことからご紹介します。
 本展は、開館20周年/愛知県美術館・愛知県陶磁資料館collection企画で、入館料もone coin(500円)と良心的な展覧会。
 愛知県美術館は、3千点を超える木村定三(1913-2003)collectionをはじめ傑作が数多く収蔵されている。
 今回も大変見応えのある傑作が展示されていた。
 以下に本展展示作品(絵画)の幾つかをご紹介したい。

[01]愛知県美術館『美しき日本の自然』展leaflet
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––––––––––––––––––––––––[02]黒田清輝『暖き日』1897年
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[03]Raul DUFY『サンタドレスの浜辺(The Beach of Sainte-Adresse)』1906年
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––––––––––––––––––––––––[04]Ernst Ludwig KIRCHNER『グラスのある静物(Still Life with Glasses)』1912年
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[05]Pierre BONNARD『賑やかな風景(Animated Landscape)』1913年頃
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––––––––––––––––––––––––[06]Lyonel FEININGER『夕暮れの海Ⅰ(Sunset on the Sea I)』1927年
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[07]瑛九『黄色い花』1957-58年
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––––––––––––––––––––––––[08]Sam Francis『消失に向かう地点の青(Blue on a Point Towards
Disappearance)』1958年
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[09]熊谷守一『漁村』1954年
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––––––––––––––––––––––––[10]熊谷守一『雨滴(Raindrops)』1961年
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[11]東山魁夷『雪の山郷』1991年
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■続いて翌11月09日は東京出張した。取引銀行への勤務先の中間決算報告の為である。
 そして、仕事が終わった後、3つの美術館を見て回った。そのうち今日は、上野の東京都美術館で開催中のmetropolitan美術館展についてご報告します。
 本展覧会は、東京都美術館のrenewal記念に当該美術館でのみ開催されるもの(2012年10月06日~2013年01月04日)。
 展示作品は、New York市にあるメトロポリタン美術館(Metropolitan Museum of Art)所蔵34万点の中から、紀元前2千年の古代Mesopotamia文明の石彫~近・現代のGoghやHopperの絵画迄、「『人類の美の遺産』のessence」の紹介‥と案内されていた。
 小生は、正直な処、Gogh『糸杉(Cypresses)』(添付写真[18])とE. Hopper『トゥーライツの灯台』(添付写真[24])を見たくて入館した。
 両作品とも、期待を裏切らない素晴らしい傑作であり感動した。

[12]新装なった東京駅丸の内駅舎・北口
 12_2

––––––––––––––––––––––––[13]新装なった東京駅丸の内駅舎・北口構内天井
 13_2

[14]東京都美術館入口のmetropolitan美術館展poster
 14metropolitanposter_3

※ ※ ※ ※ ※
 
––––––––––––––––––––––––[15]Rembrandt van Rijn(1606-69)『フローラ(Flora)』1654年頃
 15rembrandt_van_rijn160669flora16_2

[16]Millet(1814-1875)『麦穂の山:秋(Haystacks, Autumn)』1874年頃
 16millet18141875haystacks_autumn1_2

––––––––––––––––––––––––[17]Redon(1840-1916)『中国の花瓶に活けられたブーケ(Bouquet in a Chinese Vase)』1912-14年頃
 17redon18401916bouquet_in_a_chine_2

[18]Vincent van Gogh(1853-1890)『糸杉(Cypresses)』1889年
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––––––––––––––––––––––––[19]Henri-Edmond Cross(1856-1910)『海辺の松の木(Pines Along the Shore)』1896年
 19henriedmond_cross18561910pines__2

[20]A ビアスタット(Albert Bierstadt)(米 1830-1902)『マーセド川、ヨセミテ渓谷(Merced River, Yosemite Valley
 20a_albert_bierstadt_183019021866

––––––––––––––––––––––––[21]クールベ(Gustave Courbet)(1819-1877)『オルナンの風景(View of Ornans)』1850年代頃
 21gustave_courbet18191877view_of_or

[22]ハートリー(Marsden Hartley)(米 1877-1943)『カターディン山、メイン州、2番(Mt. Katahdin, Maine, No
 22marsden_hartley_187719432193940

––––––––––––––––––––––––[23]ロイスダール(Yacob van Ruisdael)(1628-82)『穀物畑(Grainfields)』1665-70年頃
 23yacob_van_ruisdael162882grainfiel

[24]Edward Hopper(1882-1967)『トゥーライツの灯台(The Lighthouse at Two Lights)』1929年
 24edward_hopper18821967the_lighth_3

––––––––––––––––––––––––[25]Georgia O'Keeffe(1887-1986)『骨盤Ⅱ(Pelvis ll)』1944年
 25georgia_okeeffe18871986pelvis_ll1

[26]J. M. William Turner(1775-1851)『ヴェネツィア、サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂の前廊から望む』1835年頃
 26j_m_william_turner177518511835

––––––––––––––––––––––––[27]Claude Monet(1840-1926)『マヌポルト(エトルタ)(The Manneporte(Etretat))』1883年
 27claude_monet18401926the_manneport

[28]Paul Cezanne(1839-1906)『レスタックからマルセイユ湾を望む』1885年
 28paul_cezanne183919061885

––––––––––––––––––––––––[29]Maurice de Vlaminck(1876-1958)『水面の陽光(Sunlight on Water)』1905年
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[30]Winslow Hormer(米 1836-1910)『月光、ウッドアイランド灯台(Moonlight, Wood Island Light)』1894年
 30winslow_hormer_18361910moonlight_

【小生comment】
 同日は、東京都美術館のほか、広尾にある山種美術館、竹橋にある東京国立近代美術館にも立ち寄ることが出来た。
 東京国立近代美術館は、金曜日は午後08時まで開館していたので助かった。欲張ったが3つの美術館全て一通り見ることが出来た。
 これ等2美術館・展覧会の模様は、次号会報にてご紹介する予定である。

■続いて、今日ご紹介する本は、浜矩子著『恐慌の歴史』〔その1〕についてである。

[31]浜矩子『恐慌の歴史』
 31

 これまでの《会報》【0415】柴山桂太著『静かなる世界恐慌』、【0416】James Rickard著『通貨戦争(Currency Wars)』、【0417】榊原英資著『円はなぜ強いのか』&同著『日本経済「円」の真実』と、世界経済の動向を、「米ドル」「Euro」「円」という通貨に焦点を当ててご紹介して来た。
 今回ご紹介する浜矩子氏の『恐慌の歴史』も、これ迄3冊の本と同じ範疇に属するものである。柴山桂太氏が言う「静かなる世界恐慌」を、本書で著者浜氏は、「21世紀型恐慌」と称している。
 今回も、目次をご紹介し乍ら、概略をご紹介したいと思う。

第一章/なぜ「恐慌」は起きるのか?
・恐慌とは行き過ぎた経済の健全化へ向けた動き
・ケインズ経済学が提唱した恐慌対策
・ケインズ経済学が齎した新たな恐慌の火種
〔→ケインズ経済学による大規模な「財政出動」による恐慌回避策は、今や巨額な財政出動が各国の財政赤字を急激に拡大させ、当該国が借金を返せない財政破綻という新たな恐慌の発生要因となって仕舞っている。この「国の財政破綻に起因する『恐慌』」を「21世紀型恐慌」と浜氏は呼んでいる〕
・なせ恐慌は繰り返されるのか
・人の欲が創り出すbubbleは必ず崩壊する
・bubbleに踊った日本経済~景気対策の筈の低金利政策がbubbleを生んだ
・恐慌は時代と共に進化する
・global恐慌時代の到来

第二章/資本主義経済と共に誕生した「悪魔」~10年に一度の周期で繰り返される金融恐慌~
〔中略〕

第三章/ドル支配=「歪んだ経済」の内幕~米国の虚勢に世界各国が翻弄されたインフレ時代~
・ブレトンウッズ体制=ドル基軸制の成立=【金ドル本位制(金1ounce=35ドルで固定)】〔→1944年~1971年〕
・膨張するドルに見え始めた「陰り」〔→1950年代に入り欧州各国が経済復興を果たし強いドルに翳り〕
・金ドル本位制を維持出来なくなった米国の内情〔→1964年08月Vietnam戦争に全面介入を開始→1969年04月Vietnam派兵総数55万人=大幅な財政負担発生〕
〔→米国は、第二次世界大戦後20年間はブレトンウッズ体制が機能していたが、1964年経常収支と貿易収支が7億ドル黒字のpeakを計上したのを最後に減少に転じ、1971年のNixon shock以降、経常収支と貿易収支が収支トントンに迄転落。1978年以降今日に至る迄35年間、クリントン政権時代(1998年)の一時期、財政収支が黒字に回復した(※)ことを除くと、慢性的な貿易収支と財政収支の赤字、所謂「双子の赤字」が続き、その赤字幅は近時大幅に拡大して来ている〕

※ 一時期、米国の財政収支が黒字化した理由:この時代はルービン財務長官・サマーズ財務副長官コンビの時代で、強いドルを提唱。レーガン時代の様に高金利策で世界中から資金を米国に集め、金融工学を駆使して金融立国を目指した。2000年に一旦IT bubbleが崩壊するがその損失は比較的軽微に終わり、2008年のLehman Shockによる恐慌発生迄、米国はsub-prime loanに代表される住宅bubble等個人消費の好調な伸びに支えられ経済成長を続けた。

[32]米国の双子の赤字[折線グラフ : 赤色=貿易収支、 黒色=財政収支]
 32

・ニクソンショックの衝撃=金ドル本位制の終焉〔→Vietnam戦争の戦費が拡大、これ等によりドル紙幣増刷→hyperインフレ時代となる〕
・対日貿易赤字がNixon Shockの最大の理由
・「石油危機」がインフレを加速させた
・レーガノミックスが生み出した幻想〔→1980年代、ドルの高金利政策下に於いて、所得減税、スターウォーズ計画推進=国防予算の大幅増額、等の超需要拡張政策を敢行。その結果、物価は安定したが高金利の為、米国の重厚長大産業(=製造業)は衰亡(←米国の産業の空洞化が深刻化)〕
・米国がドル相場への決定力を失った「→『プラザ合意(1985年)』」
〔→この結果、高金利が齎した米国の大幅な双子の赤字抑制の為、行き過ぎたドル高是正が大幅な「円高(=『円高不況』)を齎した」〕
〔→日銀は当該『円高不況』克服の為、金融緩和策に転じ、これが『bubble景気』を産むこととなる〕

〔第四章/global化する世界経済に潜む「負の連鎖」~21世紀型恐慌が内包していた日本のbubble崩壊~以下、次号へ〕

【小生comment】
 これから佳境ですが、本《会報》のvolumeが嵩みますので、この後は次号でご説明します。お楽しみに!

■さて、今日のお別れは、前《会報》に引き続き薄田泣菫の詩「ああ、大和にしあらましかば」の今回は最終回〔その3〕である。
 前回同様、詩人三好達治氏の著『詩を読む人のために』の解説を基にご紹介したい。

【ああ大和にしあらましかば】 ‥ 薄田泣菫(1877-1945)

日は木(こ)がくれて、諸(もろ)とびら
ゆるにきしめく夢殿の夕庭寒(ゆふ(う)にはさむ)に、
そそ走(ばし)りゆく乾反葉(ひそりば)の
白膠木(ぬるで)、榎(え)、楝(あふ(おう)ち)、名こそあれ、葉廣(はびろ)菩提樹、
道ゆきのさざめき、諳(そら)に聞きほくる
石廻廊(いしわたどの)のたたずまひ(い)、振りさけ見れば、
高塔(あららぎ)や、九輪の錆(さび)に入日(いりひ)かげ、
花に照り添ふ(う)夕ながめ、
さながら、緇衣(しえ※)の裾ながに地に曳きはへ(え)し、
そのかみの學生(がくじや(ょ)う)めきし浮歩(うけあゆ)み、──
ああ大和にしあらましかば、
今日(きょう)神無月(かみなづき)、日のゆふ(う)べ、
聖(ひじり)ごころの暫しをも、
知らましを、身に。

※ 緇衣:「緇」は出家の意。「え」は「衣」の呉音。仏語。鼠色がかった黒色の法衣。また、それを着る僧侶。

【解説】勿論、今回も三好達治氏の解説をご紹介する。ではどうぞ‥

 第三者節は、勿論前節に続いて暮景であります。
   日は木がくれて、諸とびら
   ゆるにきしめく夢殿の夕庭寒に
 はそれを明らかにしてここには疑問の余地もありますまい。夢殿は法隆寺内の有名な夢殿観音を安置した建物です。この一節はだから明らかに法隆寺境内を背景にしていると見ていいでしょう。「そそ走りゆく乾反葉」は境内の広庭を折から風に吹かれて、落葉の乾ぞった(※)のがひと方に走ってゆくのを言うのでしょう。
 ※ 乾(ひ)ぞる(=乾反る):乾いて水分がなくなり反り返ること

 次にその落葉の、其々の樹木の名を言います。それ等を数えた後で、「名こそあれ」と言うのは、その最後の菩提樹の菩提(仏果を得て浄土に至る)と言う名を讃えてそう言うのであります。〔中略〕
 さて、そんな風に落葉のそそ走りゆく庭を、うちつれて何事かを語らい乍らゆく〔中略〕人影があります。主人公はそれに耳をとられて、心をその方に寄せて聴き惚れます。それが「諳(そら)に」であり、「ほくる」であります。その人声は「石廻廊」をゆくのでありましょう。〔中略〕「たたずまひ」という語〔‥中略〕廻廊などの柱が立ち並んで見えるのを言うのでしょう。さてそこから「振りさけ見みれば(※)」なか空に高く五重塔が見え、塔の上にそそり立った九輪の青く錆びたのに入日(【小生注】=夕日)がぱっと照りつけています。
 ※ 振り放(さ)け見みる:遠くを仰ぎ見ること

 またそこら辺りには、その季節の何かの花が美しく咲いています。そんな「花に照り添ふ夕眺め」に、いくらか気持も浮き立つ様に覚えるのは自然なことでありましょう。そこでこの主人公は、「さながら」黒い法衣の裾を長く地に曳く様にして、往昔の「学生(=学問専修の僧)」たちがそこを行き交い歩んだ、そんな風に、彼もまた、やや気取ったふりで「浮歩み」をしてみる(だろう)、というのです。〔中略〕
 詩はそこで一段落して、「ああ大和にしあらましかば」と、もう一度この詩一篇の主題をそこで繰り返します。〔中略〕
 神無月のある夕方に、ほんの暫しであろうとも、つくづくと、身に沁みて、「聖心(ひじりごころ)」を体験したいものよ、と言うのはその収束の結語であります。〔後略〕
【小生comment】
 三好達治氏は、「象徴的な作品は、その読み方の上で、読者に多くの自由を残している作品と言うことが出来る」とし、「読者めいめいに於いて自由な解釈が成り立つ」と述べている。
 この詩は、格調高く何となくいい詩だと感じていたが、意味がよく解らなかったというのが本当の処だが、流石詩人の泰斗三好達治氏が、「『初めて現代詩を読もうとする年少の読者のために』という書店の依頼によって筆を執った」と「詩を読む人のために」の前書きで書いてある様に、実に解り易く解説してくれている。
 前にも書いたが、この詩は日下武史氏の朗読を聴くと、歯切れが良く品格のある名詩だと実感出来る。
 皆さんも機会があったら一度是非聴いてみて下さい。

 ※ ※ ※ ※ ※

 それから、蛇足ですが、先月下旬10月28日、小生の長男夫婦に長女が生まれました。出産予定日より一ヵ月早く体重も2,100gとちょっと心配しましたが、11月12日には退院できる予定で安堵しています。
 とうとう小生も57歳で爺さんになって仕舞いました。
 添付写真は、長男に抱かれた生後7日目(11月04日)の初孫のsnap shotです。

[33]生後7日後の初孫
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 小生、まだまだ「じいちゃん!」と呼ばれたくないです!(^^;

 ではまた‥。(了)

■【2637の会】ブログへは、 URL: http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog ← ここをclickして下さい。

2012年11月 4日 (日)

【時習26回3-7の会 0418】~「10月28日:『時習26会ゴルフコンペ2012年秋期』開催報告」「11月03日:「【時習26回3-7の会】《クラス会2012 Part2》開催報告」「10月30日:東三河の調査研究団体主催『①愛知大学笹島campus・②トヨタテクノミュージアム・③キリンビアパーク名古屋』視察会に参加して」「薄田泣菫『ああ大和にしあらましかば』を詠んで〔その2〕」

■今泉悟です。皆さん如何お過ごしですか。さぁ、今日も【2637の会】《会報》【0418】号をお送りします。
 さて今日は、昨日10月28日(日)、額田ゴルフ倶楽部西courseにて開催された『時習26会ゴルフコンペ2012年秋期』開催報告からです。
 この模様は、以下の通り10月30日(火)、不老荘掲示板にupしました。
 尚、文中のN君は中嶋Y行君【3-2】、S君は酒井T夫君【3-9】である。

 ※ ※ ※ ※ ※

 一昨日10月28日、額田ゴルフ倶楽部西courseにて【時習26会コルフコンペ】が開催されました。
 参加者は12名。
 天候は予報では「曇りのち雨」でしたが、実際には「曇りのち一時小雨」程度とまずまずのconditionで開催出来ました。
 試合の結果は、前回優勝のS君が連覇を達成。
 以下に、「start前の全体写真」「表彰式&懇親会で幹事N君(左)から優勝trophyを受け取るS君(右)」「懇親会での全体写真」をお披露目します。
 次回コンペは、2013年04月21日(日)「額田ゴルフ倶楽部」、今度は「東course」を予定しています。
 【時習26回生】の皆さん、奮ってご参加下さい!

[01]時習26会ゴルフコンペ(start前の全体写真)20121028
 126start20121028_2

––––––––––––––––––––––––[02]同「表彰式&懇親会で幹事中嶋君(左)から優勝trophyを受け取る酒井君(右)」
 226ntrophys_2

[03]同(懇親会での全体写真)20121028
 32620121028_2

■つづいて、11月03日(土祝)にココラフロント、ホテル・アークリッシュ豊橋16階Restaurant "Kei"にて開催された「【時習26回3-7の会】《クラス会2012 Part2》」についてです。

 その前に《クラス会》開催前に頂戴した菰田K己君からのmailと、11月01日に会った峯田H幸君とのepisodeをご紹介させて頂きます。
 まず、菰田君からのmailです。

Sent: Monday, October 29, 2012

今泉君
 菰田です。やはり木曜から来週いっぱいの北米出張が決定しました。非常に残念ですが今回は欠席させていただきます。来年は絶対出席します。多分海外出張はこれで最後と思います。皆さんによろしくお伝え下さい。

菰田君へ
 今年は08月と11月共に会えず残念でした。海外出張は今年が最後になるとの由、来夏08月に再会出来ることを今から楽しみにしています!(^-')b

 続いて、峯田君へは思う処あって小生電話を入れました。
 そして、彼曰く「11月03日は東京で学会があって《クラス会》開催時間には間に合わないな、悪いけど欠席だな」。
 でもすかさず彼曰く、「来年08月は出るよ!」。
 来夏08月の《クラス会》は大いに期待しています。

 実は小生、峯田君に電話したのは以下の理由があったからである。
 小生「最近、[1]人の話声が聞き取りにくくなっている、[2]ちょっと大きめな声を出すと直ぐに声枯れして仕舞うし、人から「今泉、声が変わった」とよく言われる様になった」‥「とくに『声枯れ』はひょっとして咽頭がん?」という不安が脳裏を過(よぎ)る様になったのである。
 そこで、「一人で悩んでも仕方がない。病院で専門医に診て貰おう!」と、思い付いたのが、耳鼻咽喉科(Otolaryngology)科学のexpertである峯田君。
 先週初、診断して貰うべく彼に直接電話してappointmentを入れた。
 そして、11月01日の日中、会社を半休して浜松医科大学付属病院に行って来た。
 「持つべきものは『友』」である。
 峯田君は、アポ通り正午に耳鼻咽喉科を訪れたら、直ぐに診察してくれた。
 聴力の精密検査を事前にしてから彼の診察を受けた。
 内視鏡を使って「声の擦れ(=声枯れ)」の原因を調べてくれた。
 彼の診察は実にテキパキと手際が良かった。
 内視鏡で撮影した患部の説明が簡潔明瞭。
 「心配ない。「がん」ではないよ」。
 この一言でまず大きな安堵感!(笑)
 早速、撮影した内視鏡の写真をもとに説明してくれた。
 「声帯の一部に皺があるだろ。こちら(の声帯)は少し盛り上がっている。更に、ここ(別の声帯の部位を指して)に逆流性食道炎が原因の腫れがある」。
 「声帯に皺が出来るのは、早い話【老化】だよ」
 「逆流性食道炎は胃酸を抑えることでスッキリすると思う。今日はその薬を処方する。三ヶ月後経過を診よう」。
 そして‥「耳だけど、やはり聴力がかなり落ちている。右が特に悪い」。
 「左(の聴力)は一応許容範囲だから、この儘でまずいい。どうしても聴き取りにくかったら集音機を使うといい」。
 「補聴器はまだ早い。今の段階で(補聴器を)つけたら通常の音が大き過ぎて聞くに耐えないだろう」。

【小生comment】
 「声枯れ」の原因が、「咽頭がん」でないことを確認出来ただけで気分が楽になった。
 一方、「声枯れ」と「聴力低下」が顕在化した原因が『老化』ということで、納得したが「寂しさ」を感じた。
 峯田君が別れ際に小生の肩を軽く叩き乍ら笑顔で小生に向かってこう言った「もう、若くないんだヨ、我々は‥」。
 病院を後にした小生、車を運転し乍ら「良き友を持っている満足感・充実感を実感」しつつ帰途に就いた。
 因みに、峯田君は浜松医科大学医学部附属病院のhome page「診療科案内‥【耳鼻咽喉科・頭頸部外科】」に「診療責任者 峯田周幸教授」と紹介されている。
 http://www.hama-med.ac.jp/hos_clinic_otolaryngology.html ←ここをclickしてみて下さい。峯田教授の写真入りで【耳鼻咽喉科】が紹介されている。

※ それでは、11月03日の18時から開催された【時習26回3-7の会】《クラス会2012 Part2》の模様についてご報告致します。
 開始予定の午後06時00分に参加予定の、林K子さん、山中K子さん、牧野M孝君、助っ人の中嶋Y行君【3-2】と小生の5名全員が揃った。
 林さんと牧野君は、今夏08月11日開催の《クラス会 Part1》に引き続いて参加してくれた。
 林さん、牧野君、いつも協力してくれてホント有難う!
 とくに牧野君は、名古屋からの参加で、当日夜は小学校時代の同窓会があり、double bookingの中参加してくた。本当に有難かった。
 会場のrestaurant "Kei"は、ココラフロント:ホテル・アークリッシュ豊橋の16階にある。
 豊橋市内が一望出来る、眺望の大変良いRestaurantである。添付写真[06]がその絶景の夜景をbackに記念撮影したものである。
 今回はいつもよりかなり高級感溢れる上品な《クラス会》となった。食事も美味しかった。
 秋の夕べ、気の置けない仲間との楽しい至福のひとときを過ごすことが出来、幹事として大変感謝している。
 牧野君は、18時00分の《クラス会》開始から1時間余りで中座して、三ヶ日で行われる高師小学校の同窓会へと向かった。
 万象繰り合せて参加してくれた、林さん、山中さん、助っ人の中嶋君に最大級の感謝を申し上げる。万年幹事としてこれ程嬉しいことはない。
 出席してくれた4人の皆さん、本当に有難う!(^-')b

[04]《クラス会 Part2》全体写真01
 0426_part2_01

––––––––––––––––––––––––[05]同02
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[06]同03
 0626_part2_03

■続いての話題です。小生、10月30日(火)、東三河の調査研究団体主催の『①愛知大学笹島campus・②トヨタテクノミュージアム・③キリンビアパーク名古屋』視察会に参加して来ましたのでご報告致します。

 先ず、最初に向かったのが、名古屋駅至近にある「愛知大学笹島campus」である。豊橋が愛知大学の本部ではあるが、やはり名古屋駅近くにある大学は学生達に人気が高い。この名古屋campusが出来た為に、愛知大学は従前に比して数多くの学生達が入学して来ているという。
 佐藤元彦学長の挨拶の後、係員の先導で校舎内を隈なく見学させて貰った。
 笹島campusは、厚生棟と講義棟の二つで現状構成されている。
 厚生棟には、最近の私立大学の特徴として、専門職員による就職斡旋業務がかなり充実しているという。
 厚生棟4階にMedia zoneという、学生向けに図書・Internet検索・就職斡旋cornerが一体となった場所があり、学生たちが積極的に活用している様子を見ることが出来た。

 続いて訪れたのは、平成06年6月11日、トヨタ自動車創業者である豊田喜一郎生氏(以下敬称略)生誕100年記念に、豊田佐吉氏(以下敬称略)が創業した豊田自動織機栄生(さこう)工場に開業したトヨタ・テクノ・ミュージアム〔産業技術記念館〕である。
 産業技術記念館の建つ栄生の地(現・名古屋市西区則武新町4)は、トヨタgroupの始祖豊田佐吉が1911年10月、自動織機や環状織機を完成させる為に約3,000坪の用地を取得し、試験工場を建設することに始まる。
 1924年、豊田佐吉は織機の高速運転中にspeedを落とさず円滑に杼(ひ)を交換出来る「無停止杼換(ひがえ)式豊田自動織機(G型)」をこの地で完成させた。
 このG型自動織機は、世界で最高性能の機械として歴史を刻み、今日のトヨタgroupの礎となり、トヨタ生産方式の原点の一つにもなっている。
 〔以上、『トヨタテクノミュージアム/産業技術記念館―guide book―』より〕
 添付写真[10]にある様に、本館は原始時代から現代に至る「紡績から織機の歴史的変遷」が係員の懇切丁寧な解説で逐一理解出来る仕組みになっている。
 また本館は、大きく分類して「繊維機械館」と「自動車館」から成っている。
 見学時間は1時間半もあったのだが、内容が充実し過ぎているので、この程度の時間では、係員の説明を全部聞けない。
 真面目に全部聞いていたら数時間はかかって仕舞うだろう。
 本館は、小中学生の自由研究の場として、最高の場所だと実感した。
 今でこそ衰退して仕舞った繊維産業だが、自動織機の技術は豊田佐吉が発明したG型自動織機により、日本が世界一の繊維産業立国で一時代を築いたことを実感出来た。
 そして、トヨタ自動車が今あるのは、豊田佐吉が発明したこの自動織機の極めて優れた技術が遺した有形無形の資産・資本が礎となったことも初めて知った。

 最後に訪れたのは、清須市寺野花笠にあるキリンビール名古屋工場〔キリンビアパーク名古屋〕である。
 本工場は、1962年創業で今年で丁度創業50周年を迎えた。
 ここでキリンビールの歴史について、同社のleafletからごく簡単にご紹介する。
 1870年 W.コープランド、横浜山手にスプリングバレー・ブルワリー(醸造所)を開設
 1888年 Japan Breweryより「キリンビール」発売
 1907年 Japan Breweryの事業を継承し、麒麟麦酒株式会社創立
 1962年 麒麟麦酒名古屋工場竣工〔敷地26万㎡〕
 2012年 麒麟麦酒名古屋工場創業50周年

【小生comment】
 添付写真[11]にある様に、我々に説明してくれた女性は、明るくハキハキした好感度抜群であった。
 最後に試飲が一人三杯までOKということで大変美味しい工場見学となった。(笑)

[07]愛知大学笹島校舎campus全景
 07campus

––––––––––––––––––––––––[08]愛知大学笹島campusのconcourse
 08campusconcourse

[09]トヨタ・テクノ・ミュージアムの玄関
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––––––––––––––––––––––––[10]トヨタ・テクノ・ミュージアム「繊維機械館」での係員による説明
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[11]キリンビール名古屋工場での一コマ‥工場全景の航空写真で説明を受ける
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––––––––––––––––––––––––[12]ビール工場内での缶ビール生産工程の一コマ
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■さて、今日のお別れは、前《会報》に引き続き薄田泣菫の詩「ああ、大和にしあらましかば」の今回は〔その2〕である。
 前回同様、詩人三好達治氏の著『詩を読む人のために』の解説を基にご紹介したいと思う。
 今回は、全三節のうちの第二節「斑鳩の寺院と周辺の夕暮れ近くの情景」についてである。

【ああ大和にしあらましかば】 ‥ 薄田泣菫(1877-1945)

新墾路(にひ(い)ばりみち)の切畑(きりばた)に、
赤ら橘(たちばな)葉がくれに、ほのめく日なか、
そことも知らぬ靜歌(しづうた)の美(うま)し音色に、
目移しの、ふとこそ見まし、黄鶲(きびたき)の
あり樹の枝に、矮人(ちひ(い)さご)の樂人(あそびを(お))めきし
戯(ざ)ればみを。尾羽(をば)身がろさのともすれば、
葉の漂(ただよ)ひとひるがへり、
籬(ませ)に、木(こ)の間(ま)に、──これやまた、野の法子兒(ほふ(う)しご)の
化(け)のものか、夕寺深(ゆふ(う)でらふか)に聲(こわ)ぶりの、
讀經(どきょう)や、──今か、靜(しづ)こころ、
そぞろありきの在り人の
魂(たましひ(い))にしも泌(し)み入らめ。

【解説】三好達治氏は、上記第二節について懇切丁寧に以下の様に解説している。
 詩はここで一転して再び野外の景になります。新墾の切り開かれたばかりの新しい畑、その間の新しい道路を主人公は歩んでゆくのであります。奈良朝の盛時にもそういう小路はきっとあったに違いありません。「赤ら橘」は赤い橘ではなく、明るく輝く橘の無論それは白い花であります。その(白い)花が葉隠れに、葉隠れだから顕(あらわ)に眼にとまる訳ではありませんが、折からの日射しに蒸されて芳香を伝えて来ます。そういう辺りを行きますと、何処からともなく「静歌」の美しい音色が聞こえます。「静歌」は神楽歌(かぐらうた)の一つで静かな調子で歌うものと辞書には見えますが、ここでは神楽歌とのみは限らずに、ただ静かにうたわれる歌、機(はた)織り歌の様なものでいいかと思われます。〔中略〕その歌声に耳を貸し乍ら、と目を移すと、「ふとこそ見まし」、ふと眼にとまるであろうと、ここは明らかに仮定想像の形式になっています。〔中略〕作者の空想想像は、直ちに憧憬の感情を裏に表わしているのであります。詩はそういう感情の上に進んでゆきます。〔中略〕小さな黄鶲(きびたき)が一羽、そこら辺りの樹の間を、身体の大変小さな、「楽人」即ち面白可笑しい身振りをする俳優(わざおぎ)か何かの様に、身を翻して飛び移る‥‥。そんなものに眼がとまるだろうというのであります。〔中略〕それは一つの想像としての、しかし乍ら一つの「現実」となったのであります。詩人の歌いぶりは、だから詳しく細かく、いよいよ生彩を加え緊密となってゆきます。「尾羽身がろさのともすれば/葉の漂ひと翻へり/籬(ませ)に、木の間に」という風に黄鶲の動作の後を追ってゆくのであります。と突然そこへ一つの、もう一つの一層力強い空想想念が横合いから加わります。今迄面白げに眼をとめていた主人公は、そこでぞっとして恐怖に似たある感じを覚えるのです。即ち「――これやまた」とこの小鳥に向かって、不思議な怖れを初めて覚えるのであります。「野の法子児の/化けものか」とその黄鶲を何か化性(けしょう)のものの様に改めて見直します。〔中略〕辺りが夕かたまけて、漸く暮色が迫ろうとしている、〔中略〕「法子児」というのは、将来僧になる為に寺に預けられている少年、その〔中略〕「野の法子児」が、化けてこの黄鶲になったのではなかろうかと、ふとそんな想像に脅かされる、というのがこの件(くだり)であります。そんな恐怖に襲われた折から、「声ぶりの」即ち何か有限な趣きを込めた声づかいの、読経の声が聞こえて来る、という風に、詩は曲折して、この辺りは技巧の妙を極めています。その読経の声は、今しも、静かな心持で漫(そぞ)ろ歩きをしている、そこ等に見かける人々(主人公もその中に含めて、しかしそれを表には言わないで置くのが、それも一つの技巧でありましょう)、それ等の人々の魂深く、染み入ることであろう、といくらか余所事(よそごと)めいた口吻(くちぶり)で、それだけまた品良く、この一節は終わります。〔後略〕

【小生comment】
 この第二節も僅か12行の詩なのにこれだけの解説が必要である。
 黄鶲→法子児→読経‥夕暮れ間近の斑鳩の寺院の周辺を想像逞しく漫ろ歩いている‥12行を簡単に表わすとこんな処だろうか。
(以下、次号‥)
 ではまた‥。(了)

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