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2013年1月20日 (日)

【時習26回3-7の会 0429】~「01月18日:山種美術館『生誕100年/高山辰雄・奥田元宋―文展から日展へ―』展を見て」「01月19日:田原市博物館『杉浦明平の眼』展を見て」

■皆さんお元気ですか、今泉悟です。《会報》【0429】号をお送りします。
 一週間が経つのが本当に早い。歳月は淡々と不可逆的に過ぎ去っていく‥。
 この一週間だけでも01月15日に大島渚監督(80)、01月19日に元横綱大鵬幸喜(72)が亡くなった。
 ‥( )内の数字は享年〔敬称略〕‥
 昨年秋10月からだけでみても次の様な具合である。
 10月02日 俳優・大滝秀治(85)
 10月03日 俳優・馬渕晴子(75)
 10月18日 (仏映画エマヌエル夫人主演)女優・シルビア・クリステル(60)
 10月26日 歌手・桑名正博(59)
 10月30日 作家・藤本義一(79)
 11月10日 俳優・森光子(92)、comedian俳優・桜井センリ(86)
 12月05日 歌舞伎俳優・中村勘三郎(57)
 12月10日 俳優・小沢昭一(83)
 12月18日 日本将棋連盟会長、永世棋聖・米長邦雄(69)
 この人が居るだけで映画・dramaがピシッと引き締まった名脇役の大滝秀治氏、将棋をやったことがある人なら知らない人はいない米長邦雄氏は特に印象に残っている。
 が、何と言っても、我々が小学生だった1960年代「巨人・大鵬・卵焼き」と愛され、親しまれた大横綱『大鵬』関が亡くなったことは今は良き「昭和時代」の終焉を実感させる。
 又、我々と同い年の、中村勘九郎(5代)として親しまれて来た中村勘三郎氏の若すぎる死はshockingだった。我々も五十路の後半。若くはない。健康には十分留意したいものである。
 改めて、亡くなられた方々のご冥福をお祈りする。(合掌)

■さて今日は難しい話はやめて、絵画と文学の話をお伝えします。先ず最初の話題は、掲題・副題にある様に、一昨日01月18日、仕事で上京した帰りに立ち寄った山種美術館で開催中の『生誕100年/高山辰雄・奥田元宋―文展から日展へ―』展を見て来ましたのでその模様をお伝えします。
 小生、昔から絵画と言えば西洋画、なかでも油彩画が大好きであった。一方、日本画は何となく辛気臭く感じられて一歩引けていたというのが正直な気持であった。
 ところが、ここ数年、上京する都度異なる企画展を見られる山種美術館での素晴らしい日本画に巡り会って、日本画に対するimageが良い方に一変したのである。
 それからというものは、名古屋で日本画の名画が多い名都美術館と古川美術館、小牧のメナード美術館に足繁く通う昨今である。その模様については、毎週お届けする【2637の回】《会報》でのご報告をご覧頂いている皆さんもご承知のことと思います。

 高山辰雄と奥田元宋について、本店のleafletで次の様に紹介されている。
 「命あるものの、何をしたいのかを、絵の上に探している」と語り、人間の内面的実像を追い、深い画境を切り開いた高山辰雄(1912-2007)。一方、「半心半眼」で「対象をありのまま描写するのではなく、心で捉えた姿を描く」ことに一生を捧げ、鮮やかな色彩による静謐な風景を数多く描いた奥田元宋(1912-2003)。山種美術館ではこの度、この二人の巨匠が共に生誕100年を迎えることを記念して展覧会を開催します。〔後略〕

[00]高山辰雄
 00

––––––––––––––––––––––––[01]山種美術館『高山辰雄&奥田元宋生誕100年記念展』leaflet
 01100leaflet

[02]高山辰雄『緑の影』1976年
 021976

––––––––––––––––––––––––[03]高山辰雄『春を聴く』1979年
 031979

[04]高山辰雄『中秋』1986年
 041986

––––––––––––––––––––––––[05]高山辰雄『聖家族Ⅲ』1993年
 051993

[06]高山辰雄『裸婦』1948年〔個人蔵〕
 061948

––––––––––––––––––––––––[06a]中村正義『谿泉』1950年
 06a1950_

[07]高山辰雄『室内』1952年〔世田谷美術館〕
 071952

––––––––––––––––––––––––[08]高山辰雄『朝』1954年〔大分県立芸術会館〕
 081954

[09]高山辰雄『胡錦鳥のいる静物』1963年〔個人蔵〕
 091963

––––––––––––––––––––––––[10]高山辰雄『穹(きゅう)』1964年〔東京国立近代美術館〕
 101964

[11]高山辰雄『あけぼの』1974年〔個人蔵〕
 111974

––––––––––––––––––––––––[12]高山辰雄『少女』1993年〔個人蔵〕
 121993

[13]奥田元宋『山潤雨趣』1975年
 131975

––––––––––––––––––––––––[14]奥田元宋『松島暮色』1976年
 141976

[15]奥田元宋『奥入瀬(秋)』1983年
 151983

––––––––––––––––––––––––[16]奥田元宋『湖畔春耀』1986年
 161986

[17]小林古径『闘草』1907年
 171907

––––––––––––––––––––––––[18]上村松園『蛍』1913年
 181913

[19]荒木十畝『四季花鳥のうち/冬(山澗雪霽)』
 19

––––––––––––––––––––––––[20]川合玉堂『山雨一過』1943年
 201943

[21]橋本明治『月庭』1959年
 211959

––––––––––––––––––––––––[22]加藤栄三『流離の灯』1971年
 221971

[23]東山魁夷『春静』1968年
 231968

––––––––––––––––––––––––[24]東山魁夷『緑潤う』1976年
 241976

 今回は、高山辰雄氏にspotを当てご紹介したい。略歴を記すと以下の通りである。

【略歴】
1912(明治45)年 06月26日、大分市生まれ
1930(昭和05)年 02月上京。東京美術学校受験するが失敗。03月大分県立大分中学校卒業
1931(昭和06)年 東京美術学校(現・東京藝術大学)日本画科入学
1933(昭和08)年 03月日本画会展覧会に『冬の庭』入選。松岡映丘主宰の画塾・木之華社に入門、師事
1934(昭和09)年 10月第15回帝展にて『湯泉』初入選
1936(昭和11)年 03月東京美術学校日本画科を首席卒業
1946(昭和21)年 10月第02回日展に裸婦2人を描いた『浴室』を出品、特選
 この頃、山本丘人の薦めでゴーギャンの伝記を読み感銘を受け、その後の作風にはゴーギャンの影響が見られる様になる
1949(昭和24)年 10月第05回日展にて『少女』特選。この頃から独自の幻想的な画風が定着する。
 本《会報》【0426】号にてご紹介した豊橋が生んだ日本画家中村正義が高山辰雄を知る
 この頃の中村の作風は高山辰雄の影響を強く受けている。このことについて名古屋市美術館学芸員山田諭氏は「限りなく変貌を続ける絵画‥中村正義の芸術について‥2.高山辰雄への憧憬」にて次の様に述べている。

※ この(1949年の第05回日展の特選候補になった風景画の大作『夕陽』が制作された)年の春、我妻碧宇の紹介で、(中村)正義は若い画家達の研究group一采社の同人となり、一回り上の子年の先輩になる日本画家・高山辰雄と出会った。戦時下の1940年に結成された一采社は、日本画の〔‥比較的穏健で良識的な‥〕革新を目指した。〔中略〕その中心的な存在であった高山の影響で、新しい主題や技法の探求を進めて、次第に鮮やかな色彩と厚塗りの画肌による傾向を見せ始めていた。(中村)岳陵の画風からの脱皮しようとしていた正義にとって、高山の影響は圧倒的で、これ以降、急速に、しかも濃厚に現れて来る。
 1950年の第06回日展で特選となった作品『谿泉(けいせん(添付写真[06a]))』は、谿川に湧く泉の辺に休む三人の裸婦を落ち着いた色調で描いている。背景の重量感のある巌の描写にはpalette-knifeが使用され、一人の若い女性をmodelとして描き分けた肉感的な姿態の三人の裸婦は、簡略化されてはいるが写実的に描かれていて、画面の全体として、「洋画調」と呼ばれた新しい日本画の典型的な作品であった。〔中略〕(『谿泉』は、)直背的には、高山の先行する作品『裸婦(添付写真[06])1948年』が意識されていた。高山の場合には、二人の裸婦が無地の背景に寝そべっている構図によって、画面全体の色面構成と裸婦の形態の組合せに制作意図が絞られていたのに対して、正義は現実的な背景に写実的な裸婦を配置している。〔後略〕

1972(昭和47)年 日本芸術院会員に任命される
1975(昭和50)年 03月日展理事長(~1977年)就任
1979(昭和54)年 11月文化功労者顕彰
1982(昭和57)年 11月文化勲章受章
2007(平成19)年 9月14日、肺炎のため東京都世田谷区の自宅で死去。享年95歳

【小生comment】
 ご覧の様に、終戦後間もなくの頃、高山辰雄氏と中村正義氏の作風は大変よく似ていた。
 その後、特異な道を邁進した中村正義氏と、点描画により神秘的な独自の日本画の世界を創作した高山辰雄氏。二人とも素晴らしい画家であると思う。

■続いては、昨日01月19日、今、田原市博物館にて開催中の『杉浦明平の眼』展を見て来ましたので簡単にご報告致します。
 実は、昨日・今日と拙宅の次男が豊橋技術科学大学を会場として、大学入試センター試験だったのである。そして愚息の送迎をした訳である。
 試験初日、愚息を技科大へ送ったついでに、そこから15km南方にある田原市博物館を訪れた。
 杉浦明平は、旧渥美町が生んだ文豪。高山辰雄・奥田元宋と同い年の1913年生まれ。今年生誕100年である。
 詩人立原道造とは、東京大学時代文芸部で杉浦が一年先輩で親交を重ねた。
 文芸部時代の記念写真と二人の葉書での遣り取りを添付します。ご覧下さい。

[25]田原市博物館『生誕百年/杉浦明平(1913-2001)の眼』leaflet
 2519132001leaflet

––––––––––––––––––––––––[26]1933年第一高等学校文芸部委員(前列右から立原道造・杉浦明平)
 261933

[27]立原道造から杉浦明平宛葉書1938年03月30日付
 2719380330

 今日は、高等学校現代国語三に掲載された杉浦明平氏の随筆『伊良湖岬(いらござき)』の中程の一部と最後の処をご紹介する。ご覧下さい。

※ 〔前略〕

 元禄の昔芭蕉が、罪を得て名古屋から伊良湖岬の近く保美の里に流された門人の杜国を訪れ、共に伊良湖岬に遊んで、

 鷹一つ見付けてうれしいやらご崎

 と詠んだのは、こういう風の凪いだ日だったにちがいない。

 〔中略〕

 伊良湖岬は最近台風銀座と言われるほど台風の通り道になったが、九月に入れば、菊の苗を植えた数千棟の温室とフレームとに電燈がともり、半島の夜空は大都会の空よりも明るく映える。山の中腹まで折り重なるように建て並ぶ温室には人っ子一人いないのに、電燈だけが晃々とついているのは、おとぎ話の眠りの城に入って来たようにかえって薄気味悪く感じられる。
 この温室の明かりは十月から次々に消されていって十二月末にはもとの暗い夜空となるが、その頃にはまた寒い伊吹おろしが伊勢湾をまっしぐらに突っ走って、厳しい冬が訪れるのだ。
 いくつかの台風が通過し、やがて伊吹おろしの吹き荒れるまで、しばしのどかな秋日和が続くのを見計らって、ある早朝、伊良湖の山々から数千羽の鷹がいっせいに飛び立つ。鷹の渡りだが、観光客の少ない季節の頃だし、一日か二日の間に渡り終わるので、この壮観を見た人は少ない。が、伊良湖岬は今もこの鷹の通り路なのである。

【小生comment】
 毎年09~10月にかけて、伊良湖岬と伊勢・鳥羽の渡りをする鷹は、サシバやハチクマである(添付写真[28][29]参照)。

[28]サシバ
 28

––––––––––––––––––––––––[29]ハチクマ
 29

【後記】01月18日上京した際に立ち寄った大手町にある銀行の34階から西方、富士山遠望です。銀行の人も「こんなに綺麗に見える富士は久し振りです」と言っていました。

[30]東京大手町にある銀行34階から富士山遠望
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 では、また‥。(了)

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