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2013年2月の4件の記事

2013年2月23日 (土)

【時習26回3-7の会 0434】~「浜田宏一著『アメリカは日本経済の復活を知っている』を読んで」「02月16日:一宮市三岸節子記念美術館『View‥まなざしの軌跡、生まれくる風景‥津上みゆき展』を見て」

■皆さんお元気ですか、今泉悟です。
 時の移ろいは実に早いもので、二月もあと残す処5日となりました。
 我々の人生も今年で58年が経とうとしている。本当に人生は長い様で短いものだと実感する今日この頃です。
 さぁ、今日も《会報》【0434】号をお送りします。

 只一つ、今、小生に大きな事件が発生しました。
 本《会報》の直近の200本のblog【0234】~【0433】がどういう訳か消えています。
 先程、providerのnifty customer centerに照会し、原因を調べて貰っていますが、理由が分かりません。
 2009年04月から約4年間の記録が消えて仕舞いました。Shockです!

■今日は、掲題・副題にあります様に、安倍晋三首相が提唱する所謂『アベノミクス』の理論的『後ろ盾』となっているリフレ【注】派の代表の一人とされる浜田宏一氏の著作をご紹介したいと思います。
 【注】『リフレ』とは、リフレーション(reflation)のこと。「通貨再膨張」と訳される。経済活動が停滞していた処から回復しつつある〔‥インフレ(inflation)に迄行かない‥〕状態を指す。
 浜田氏は、本著の「終章/日本はいますぐ復活する」の処で、その題名の如く「いますぐ復活する」処方箋を論じている。
 以下にその抜粋をご紹介する。

 〔前略〕各国とも原油価格の高騰という逆風の中を航海しているのだが、その中で日本だけが一層置いてきぼりにされている理由は何だろうか‥‥。
 それは、日本経済だけが、デフレや円高に伴う需要不足に悩んでいるからだ。諸先進国が、Lehman Shock以後、金融緩和を極端に拡大した中、日本だけが拡張しなかった。その為に日本が通貨高で苦しんでいるのである。〔本文P.248、以下同じ〕〔中略〕
 変動相場制下では、一国の金融拡張は当国の為替rateを切り下げ、貿易相手国の為替rateを切り上げる。自国の金融拡張は通常、他国の景気を悪化させるのだ。
 諸先進国のLehman Shockに対応した金融拡張により、対応しなかった「円」の実質実効為替rateは切り上げられ、輸出産業の競争条件、そのhurdleは極めて高くなって仕舞った。
 日本国内で金融危機は起きなかったが、世界の為替市場は直結している。その為、諸先進国の金融拡張の衝撃が、「円の独歩高」という形で日本を直撃出来したのである。
 これは、日銀が金融を緩めれば防げたものだ。〔中略〕日銀の対応は全く不十分であった。P.250〔中略〕
 日銀が長年続けて来た、言わば「デフレ志向」の金融政策の結果、買いオペ【注】はインフレを齎さない。長い間国民がデフレに苦しんだ後なので、拡張政策も、直ぐには将来的な物価上昇(=インフレ)期待を生まない。〔中略〕
 【注】『買いオペ』とは、金融緩和する為中央銀行が市中金融機関が保有する国債等債券を買い入れ、その反対対価として資金(=貨幣)を撒布(さっぷ=振り撒く)すること。P.256

 金融緩和をせずに消費税率を一挙に上げれば、所得が減り、つまりは税収が減り、日本経済は壊滅する。しかし、政府や政治家が上手く日銀を説得して金融緩和を行い、デフレ圧力を払拭してから増税すれば、消費者、産業界、そして財務省の三者にとって「三方一両得」となるのだ。〔中略〕
 一般的な物価(=生鮮食料品を除くコア消費者物価指数=CPI)2~3%程度のインフレ・ターゲット(inflation target)を設定し、デフレだけでなくインフレへの歯止めも設けておけばいい。Inflation targetは、デフレ脱却の為だけでなく、インフレ防止の為にも一層有効なのである。P.257〔中略〕

 金融緩和をしない儘消費税を引き上げるのは、最悪の場合、消費税収そのものが減ってしまいかねない。〔中略〕
 税率上昇による経済活動の鈍化の為に、所得税や法人税の減収が消費税の増収を帳消しにすることは、既に述べた橋本龍太郎内閣の教訓からも明らかだ。
 当時、僅か2%の増税でも、財政収入が減少して仕舞ったのだ。まして今、災害後の国民の苦しむ時期を狙ったかの様に税負担をかけようとするのは、順序からしてもおかしい。P.258〔後略〕

[00]浜田宏一著『アメリカは日本経済の復活を知っている』
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【小生comment】
 Lehman Shock以降、欧米の諸先進国中央銀行が大胆な「金融緩和」を施して来た時、我国も大規模な「金融緩和」をすべきであったのにして来なかった日銀への浜田氏の批判は実に痛烈である。
 氏は、日銀は戦後、石油危機のインフレを含め、インフレ抑制施策は実に上手く実行して来たが、デフレ脱却に関しては積極的でなかった、その姿勢が日本の超円高によるデフレを齎したと糾弾している。
 そして、デフレを脱却する処方箋が上記の「終章/日本はいますぐ復活する」(抜粋)である。
 足許の景気動向は、浜田氏が提言した「アベノミクス」が上手く機能しつつある様に感じられ、現在の処、1ドル=93円台、株価も1万1千円台を回復している。
 株価上昇は、これ迄塩漬けになっていた個人の纏まった資金の流動化が促進され、住宅や自動車等の高額商品が販売増加、延いては景気回復に一層の弾みがつくという、好循環を齎す。
 引き続き、「アベノミクス」が上手く機能し、日本経済回復が本格化することを願ってやまない。

■さて、今日のお別れは、前回《会報》でご紹介した加藤栄三・東一記念美術館を訪れた後、一宮市〔旧・尾西市〕にある一宮市三岸節子記念美術館を訪れ、『View‥まなざしの軌跡、生まれくる風景‥津上みゆき展』を見て来ましたのでご紹介したいと思います。
 先ずは、津上みゆき(1973-)氏の略歴から‥

〔略歴〕
1973(昭和48)年 東京に出生、大阪育ち
1995(平成07)年 京都造形芸術大学卒
1996(平成08)年 第7回関口芸術基金賞受賞により、半年間ニューヨークに滞在
1998(平成10)年 京都造形芸術大学大学院芸術研究科修了
2003(平成15)年 「VOCA展2003 現代美術の展望-新しい平面の作家たち」VOCA賞を受賞
2005(平成17)年 第1回ARIKO(大原美術館によるアーティスト・イン・レジデンス・プログラム)にて、岡山県倉敷市に滞在制作

 津上みゆきは「View」と名付けた風景画を一貫して描き続け、VOCA賞、京都市芸術新人賞を受賞するなど、現在最も注目されている画家。
 目に見える世界を忠実に再現した作品の、時に柔らかで温かく、時に厳しく真っ直ぐな色彩は、「世界は本当に美しい」という共感の念を抱かせてくれる〔本展覧会leafletより〕。
 「風景とは誰彼の人生の背面にも、滔々と漠々と流れ続けているもの」と津上の言葉が表わす様に、この風景との出会いは私達各々の記憶を呼び起こし、新しい物語を見せてくれるでしょう〔以上、本展覧会場入口挨拶より〕。

[01]一宮市三岸節子記念美術館入口〔中央bronze像は三岸節子〕
 01bronze

------------------------[02]津上みゆき
 02

[03]津上みゆき展leaflet
 03leaflet

------------------------[04]津上みゆきのsketch bookに描かれたsketch画
 04sketch_booksketch

[05]津上みゆき『View-Cycle 26 Feb.-10 Apr.05[Places]』2005年
 05viewcycle_26_feb10_apr05places2_2

------------------------[06]同『View-at11:15a.m., 30 Mar., 06-09』2009年
 06viewat1115am_30_mar_06092009

[07]同『View-at2:50p.m., 15 Oct., 09-10』2010年
 07viewat250pm_15_oct_09102010

------------------------[08]同『View-at10:30a.m., 11 Mar., 11』2011年
 08viewat1030am_11_mar_112011

[09]同『View-at1:55p.m., 17 Apr., 11-12』2012年
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【小生comment】
 本展では、津上みゆきの作品全56点が展示されている。
 作品は、彼女自身のsketch bookを見る限り全作品明らかな「風景画」であるが、完成作品は、いずれも抽象化されていて殆ど「風景」という原形を留めていない。
 ただ、彼女の確りした構図と鮮やかな色彩は実に素晴らしく、それが為、作品全体に新たな概念としての「風景画」が創造され、且つ、それ等に気品が備わっている。
 それにしても、彼女は1973(昭和48)年生まれ、ということは我等【2637の会】membersが正に高校三年生の時生まれた訳である。
 津上みゆき氏は1973年生まれ。何と小生等が【3-7】に在学中に生まれた訳で、あれから実に40年が経過しようとしている。
 「えっ、そんなに時間が経ったのか‥」。‥小生、暫し絶句して仕舞った‥ (^^;

 小生、三岸節子記念美術館を訪れたのは、実は、常設展cornerにある三岸節子作品を久し振りに見てみたくなったからでもある。
 今日は、常設展corner等に展示されていた彼女の作品をchoiceして6点ご紹介する。
 三岸節子の作品は、いつ見ても、何度見ても、素晴らしい‥。
 彼女の作品は、抜群の色彩感覚と斬新で力強い画面構成力〔=構図〕で見る者を魅了する。
 1930~40年代の彼女の作品は、何処かHenri Matisseを彷彿とさせる。『室内』『静物』などは特にそう感じさせる。

[10]三岸節子『自画像』1925年
 101925

-----------------------[11]同『月夜の縞馬』1936年
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[12]同『室内』1939年
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-----------------------[13]同『静物』1941年
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[14]同『花と魚』1952年
 141952

-----------------------[15]同『花』1952年
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【後記】依然毎日、寒い日が続いています。空気も乾燥していますので皆さんもインフルエンザ(influenza)には十分気をつけ、ご自愛下さい。

 それにしても、何故直近の200件の【会報】blogだけ消えて仕舞ったのだろう??

 ではまた‥(了)

2013年2月17日 (日)

【時習26回3-7の会 0433】~「02月16日:加藤栄三・東一記念美術館『所蔵作品展』を見て」「02月17日:『伊勢屋酒造・蔵開き』に参加して」

■皆さんお元気ですか、今泉悟です。《会報》【0433】号をお送りします。

■今日は、掲題・副題にあります様に、昨日02月16日、岐阜公園の金華山ロープウェイ乗場直ぐ傍にある、加藤栄三・東一記念美術館へ、加藤栄三・東一兄弟の『所蔵作品展』を見に行って来ましたので、その模様からお伝えします。まずは、二人の略歴から‥

【加藤栄三】
1906(明治39)年 08月岐阜市美殿町に生まれる
1923(大正12)年 03月県立岐阜商業学校(現・県立岐阜商業高校)卒業
1926(大正15)年 03月東京美術学校日本画科入学
1931(昭和06)年 03月同校卒業
1936(昭和11)年 文部省美術展覧会監査展に「薄暮」出品、文部大臣賞受章
1939(昭和14)年 第03回新文展に「月夜」出品、特選受賞
1952(昭和27)年 日展審査員となる
1955(昭和30)年 千葉県市川市から三浦郡葉山町へ転居
1969(昭和44)年 日展理事就任
1972(昭和47)年 05月24日逝去(享年65歳)

【加藤東一】
1916(大正05)年 01月岐阜市美殿町に生まれる
1934(昭和09)年 03月県立岐阜中学校(現・岐阜高校)卒業、画家を志したが父に許されず稼業を手伝う
1941(昭和16)年 04月東京美術学校日本画科入学
1947(昭和22)年 03月同校卒業
1948(昭和23)年 山口蓬春に師事する
1952(昭和27)年 第08回日展出品作「草原」が特選受賞
1962(昭和38)年 日展会員となる
1975(昭和50)年 日展理事就任
1984(昭和59)年 日本芸術院会員となる
1985(昭和60)年 日展常務理事就任
1995(平成07)年 文化功労者顕彰
1996(平成08)年 12月31日、肺炎の為逝去(享年80歳)

 「流離の灯〔加藤栄三追想集〕(平成03年05月刊)」より、加藤東一著「兄栄三を想う」〔抜粋〕をご紹介する。実弟にしか解らない兄、栄三の人となりの一端が分かる記述である。

 大雑把に言えば、兄は極めて天衣無縫であった半面、恐ろしく細やかな神経の持ち主であり、ひどく淋しがり屋であった。〔中略〕
 私達の郷里は岐阜市であるが、東京美術学校在学中の兄が夏休み、冬休みになると帰ってくる。とたんに家の中がパッと明るく華やいで、笑いが絶えなかった。かつて中村岳陵先生が、山口蓬春は話術の大家、加藤栄三は話の名人だと言われたということを聞いたことがある。〔中略〕
 兄は平素は誰彼と別け隔てなく優しく、一木一草、一羽の小鳥にもその命をいとおしんでいたのだが、こと絵に関しては実に酷しかった、自分に対しても、他人に対しても‥。〔中略〕
 とくに写生の時なぞは鬼のようであった。ある年、厳寒の秩父夜祭りの写生に同行したのであるが、群衆の真只中で出車の写生を始めた。はじめのうちは警備のおまわりさんもひどく迷惑そうな態度であったが、次第にその真剣な姿にうたれ、自ら人垣を遠ざけ、写生のし易いよう協力してくれるようになった。人を納得させるのは言葉でなく真摯な行動であることを教えられた。〔中略〕
 兄はよくこんなことも言っていた。作家は、いつも美の受信器にスイッチを入れていなければならない。そうしておけば、そのレシーバーが粗悪なものでも何かは聞こえてくる。スイッチオフだと何も聞こえない。「この道、片時も忘るべからず」と言っている。
 兄には剽軽で粗忽な処があった。ある日山口蓬春先生宅に伺った折、飾棚に置かれているワイングラスを大変褒めた。すると、そばにおられた奥様が、加藤さん、これはあなたにいただいたものですよと言われ、すごく赤面したよと笑っていた。またある日、今は亡き我妻碧宇さん、中村正義さん、兄、私が同席したことがあった。その折正義さんが、栄三先生は鉄砲玉のように家を出たら帰って来ないと言った。兄は、そうかも知れない、でも君は無鉄砲だよと言って大笑いになった。〔以下略〕

[00]加藤栄三・東一記念美術館
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––––––––––––––––––––––––[01]加藤栄三・東一記念美術館/所蔵品展20130216 leaflet/絵は加藤東一『らん気』
 0120130216_leaflet

[02]加藤栄三(1906-72)
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––––––––––––––––––––––––[03]加藤栄三『水浴』1950年
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[04]加藤栄三『5月』1957年
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––––––––––––––––––––––––[05]加藤栄三『流離の灯』1971年
 051971

[06]加藤栄三『星夜』1967年
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––––––––––––––––––––––––[07]加藤栄三『フィレンツェの夜明け』1968年
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[08]加藤栄三『風光る』1949年
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––––––––––––––––––––––––[09]加藤栄三『烟雨の中』1970年
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[10]加藤栄三『鵜飼(総がらみ)』制作年不詳
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––––––––––––––––––––––––[11]加藤東一(1916-97)
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[12]加藤東一『麦秋』1941年
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––––––––––––––––––––––––[13]加藤東一『夜明』1976年
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[14]加藤東一『山湖』制作年不詳
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––––––––––––––––––––––––[15]加藤東一『篝火』1979年
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[16]加藤東一『春土の香り』制作年不詳
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––––––––––––––––––––––––[17]加藤東一『雪山』制作年不詳
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■最後の話題は、今日10時から、豊橋市内の花田町齋藤にある「伊勢屋酒造の蔵開き」に行って来ましたのでその模様をお送りします。
 実は、去る01月26日に開催した「時習26回生卒業40周年記念旅行懇親会に向けての豊橋支部幹事会」の席上、幹事の杉原K○子さんから「うちの実家の蔵開きに来てよ」とお誘いを受けたのである。
 今日は、中嶋Y行【3-2】、谷山K【3-3】、山本A司【3-5】、大谷A代・水藤T詳【3-6】、杉原K○子【3-9】、武野S郎【3-10】の各氏と小生の8人が伊勢屋酒造の酒蔵前に揃った。その時の全体写真を添付したのでご覧下さい。
 新酒は流石に美味であった。これは来年も来なくては‥‥(^^;
 天気は悪くはなかったが、気温は零度に近かったと思われる。結構寒かった。
 明日はもう「雨水」である。ここで即興の一句‥

 蔵開き 新酒が薫る 雨水かな  悟空

[18]伊勢屋酒造・蔵開きに参集した時習26回生有志の面々01 20130217
 182601_20130217

––––––––––––––––––––––––[19]同02 20130217
 192602_20130217

[20]伊勢屋酒造の蔵の中 20130217
 20_20130217

––––––––––––––––––––––––[21]タンクの中の醪(もろみ)
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 ではまた‥。(了)

2013年2月10日 (日)

【時習26回3-7の会 0432】~「三橋貴明『2013年/大転換する世界=逆襲する日本=』を読んで」「102月09日:トヨタ鞍ヶ池記念館・鞍ヶ池art salon『荻須高徳とParisの街角』展を見て」「同:豊田市美術館『岸田劉生とその時代 1910-1930』展を見て」「同:名都美術館『清水公照』展を見て」

■皆さんお元気ですか、今泉悟です。《会報》【0432】号をお送りします。

■今日は先ず、三橋貴明著『2013年/大転換する世界=逆襲する日本=』についてである。なかなか面白い本である。本著を読んで印象に残った処をご紹介したい。

[00]三橋貴明『2013年/大転換する世界=逆襲する日本=』
 002013

【globalismは今後数年をかけて終焉に向かう】p.91
 Globalismが民主主義を危機に陥らせ、且つ国際的紛争を引き起こすという、従来から信じられていたのとは逆の効果を引き起こすことが、次第に明らかになって来たからだ。
 中国はglobalismに取り込まれているが故に、民主化することはない。先進国でモノ・カネ・ヒトの移動を自由にするglobalismを推進しようとすると、民主主義の危機になる。
 〔中略〕何しろ、この世界には関係が密なことを利用して、安全保障上の交渉で優位に立とうとする国(‥代表は中国‥)が少なくないのだ。

第四章/2013年、Euroが終焉する日
【増税しても増えないPIGS諸国の歳入】
 ×「税収増→対外債務問題解消→経済成長」‥この考え方は存在し得ない
  ‥→・緊縮財政では企業収益が伸びず税収も伸びない‥したがって‥→・経済成長も有り得ない
 ○「対外債務問題の解消→経済成長→税収増」があるだけだ
【国家や国民の自由を奪うEuroの実態が明らかに】p.193
 「国民の自由を制限しているのが共通通貨Euroである」という現実について、加盟国の国民が理解した時、Euroは終焉の時を迎える。

 【小生補足】ここで三橋氏が明快にEuro終焉を断言するのは、換言すれば「共通通貨Euroがあるが故に、PIGS等経済力の乏しい南欧諸国は、丁度ベリー来航後の日本の様に『関税自主権を放棄』した『不平等条約を結ばされた江戸幕府=日本』と同じことが起きている」ということである。
 即ち、経済的に優位にある独が常勝する。PIGSの様に自国の技術力を持たない国々は消費する一方で、貿易赤字の帳尻は国の借金〔‥即ち、Euro建ての国債‥〕増発が避けられない。
 通貨が違えば、経済的に劣位にある国は関税率を上げて輸入を抑えたり、通貨の切下げを行って輸入を抑えることが出来るが、PIGS諸国にはそれが出来ない。
 PIGS諸国の政府には国をguardする手段がないのである。
 また、三橋氏は【「財政健全化」とは国の借金を減らすことではない】と明言する。
 これは小生、眼からウロコが落ちる程吃驚したが良く理解出来た。
 簡単に言えば、「国の借金の実額が増加しても、その借金を払える国としての「財」があればいい」ということである。
 即ち、国の借金が増えてもGDPが増加すれば、借金の返済能力は低下しない。これは米国が実際にそうして来たのである。
 更に補足すると‥、米国は世界中〔‥なかでも中国と日本が大半‥〕から借金を重ねて大幅な経常収支の赤字を補填しているが、その借金である米国国債は当然ドル建てである。
 ドル紙幣の増発によりドル安を誘発し、ドル建て負債の実質価値を減価する。米国はインフレに拠ってGDPを増加させ、多額の債務を更に減価する。こういう手法で米国は財政破綻を回避出来るのである。
 因みに、GDPが増えるのは、「①経済成長」と「②インフレ」に拠ってである。

第七章/日本経済の逆襲が始まる
 更に三橋氏は【「自国通貨建て」と「(Euro等の様な)共通通貨建て」の問題を混同するな!】という。P.288
 ギリシャ政府の借金は共通通貨Euroであり、且つ債権者は主に独と仏の銀行である。独と仏から緊縮財政を強いられているが、これは両国が自国の銀行を守る為である。
 これに対し、日本政府が借りているおカネは円建で、且つ債権者の9割以上が国内の金融機関や国民である。
 日本の金融機関が国債を購入するのは、貸出先がないからである。
 貸出先がない、その元凶が『デフレ』なのである。企業が売上減少に躊躇し投資に慎重になっているからである。
 先述したGDPが増える要因の一つには「②インフレ」がある‥その正に逆であるGDP減少の元凶が『デフレ』なのである。
 三橋氏は本著の最後の辺りの【2013年03月に迫る中小企業の危機(P.307~)】で「中小企業円滑化法」の再延長を強く主張している。
 小生もその通りだと思う。この儘では日本国民の7割が就業している中小企業の多くが倒産の憂き目に遭う懸念が大きいからである。
 氏は次の様に繰り返す‥。
 何度も繰り返すが、日本経済の問題は、政府の負債〔‥国の借金‥〕の増加そのものではなく、GDPが成長していないことだ。即ち、所得が拡大していないことである。
 【GDPを拡大させれば財政は健全になる】のである。
 そして、日本のGDPが拡大しないのは、政府が中途半端な景気対策と緊縮財政を繰り返し、正しいデフレ対策を実行に移さなかったからだ。P316
【小生補足】
 本著の最後に安倍晋三自民党総裁〔‥政権奪取前(当時)‥〕のphraseを引用されていたのでこれで締め括りたい。
 「やるべき金融政策を大胆に行い、そして経済成長の為の成長戦略をつくり、実行していくことに拠って、日本は黄昏ではなくて、新しい朝を迎えることが出来る」と‥。
 政治家は、やはり国民が苦しい時こそ明るい希望を与えてくれるヒトでなくてはならない。
 安倍総理に頑張って欲しいものである。〔了〕

■続いては、昨日02月09日に掲題副題にある様に、3つ美術館を梯して来ましたのでその模様についてご紹介したい。
 因みに、入館料であるが、鞍ヶ池art salonは無料、豊田市美術館300円、名都美術館600円、3美術館合計で900円と安価であった。(^^
 まずはトヨタ記念館・鞍ヶ池art salon『荻須高徳とParisの街角』展である。

[01]鞍ヶ池 art salon『荻須高徳とParisの街角』展
 01_art_salonparis

––––––––––––––––––––––––[02]荻須高徳『Paris風景』1960年代作
 02paris1960

[03]佐伯祐三『洗濯屋』1925年作
 031925

 展示作品総数は24点といつも乍ら多くはない。が、珠玉の名品ばかりであり驚嘆と感動の連続であった。
 先ず1点目のヴラマンク(1876-1958)『風景』の家屋と緑草が、安定した構成で且つ力強い自然の息吹を感じさせる傑作で感動の為か身体が震えた。
 次いで、荻須高徳(1901-1986)4点、佐伯祐三(1898-1928)、ユトリロ(1883-1955)、ジャン・デュフィ(1888-1964)、小磯良平(1903-1988)、各1点のParisの街角の風景画が続いた。
 これ等を見ていたら、ふとParisの街角に降り立った様な錯覚に陥った。
 続いて、マリー・ローランサン(1883-1956)の群像、ベルナール(1868-1941)とモーリス・ブリアンション(1899-1979)の静物画、児島善三郎(1893-1962)、岡鹿之助(1898-1978)、林武(1896-1975)、児玉幸雄(1916-1992)、増田誠(1920-1989)、アンドレ・ブラジリエ(1929-)の風景画が1点ずつと、最後は再び荻須高徳の風景画6点が締め括った。
 もう、本当に素晴らしい傑作ばかり‥恋をした様に心がときめいた30分であった。

 続いて向かったのは、豊田市美術館である。
 本美術館が所蔵する岸田劉生作品を「全部見せます」というcatch phraseに誘われて訪れた。
 本館所蔵品は、名作揃いであることで有名である。
 以下に常設展cornerでの幾つかをお示しする。
 シーレの作品は何回見てもいつも感動する。
 それから豊田市出身の画家、牧野義雄(1869-1956)と、名古屋市中区出身の画家、小堀四郎(1902-1998)の作品をジックリ見ることが出来た。

[04]豊田市美術館『岸田劉生とその時代1910-1930』‥豊田市美術館の劉生、全部みせます
 0419101930

––––––––––––––––––––––––[05]Jenny Holzer(1950-)「豊田市美術館の為のinstallation 1995」
 05jenny_holzer1950installation_1995

[06]岸田劉生『鯰坊主』1922年
 061922

––––––––––––––––––––––––[07]Egon Schiele『Portrait of Karl Grunwald(グリュンヴァルト)』1917年
 07egon_schieleportrait_of_karl_grun

[08]牧野義雄(1869-1956)『Chelsea Embankment(チェルシー・エンバンクメント)』1909-10年
 0818691956chelsea_embankment190910

––––––––––––––––––––––––[09]牧野義雄『満月』1912年
 091912

[10]小堀四郎(1902-1998)『イタリアの少年』1929年
 101929

––––––––––––––––––––––––[11]安井曾太郎『花と少女』1928年
 111928

 そして、最後に向かったのが長久手市にある名都美術家である。清水公照(しみずこうしょう(1911-1999))展を見た。
 清水氏は、東大寺第207・208世別当を務めた高僧である。
 が、ご覧の様に絵の登場人物は、ほのぼのと、またhumorousな表情であり、見る者を癒してくれる。
 ホッとした30分を過ごすことが出来た。

[12]名都美術館『清水公照』展leaflet/絵は『松風迎風』
 12leaflet

【後記】清水公照氏は書の展示作品も多く、その中で気に入ったものがあったのでご紹介する。

 《‥瑞気集門(ずいきしゅうもん)‥》
  ‥→・「良いことがある前兆の運気が集まって来る」の意。←‥人生こうありたいものである。
 では、また‥。(了)

2013年2月 3日 (日)

【時習26回3-7の会 0431】~「01月30日:伊藤元重講演会『2013年の経済展望と今後の企業経営』を聴いて」「01月30日:古川美術館『美の旅路~海へ、山へ、そして異国へ‥。画家が旅した美の世界~』展を見て」

■皆さんお元気ですか、今泉悟です。《会報》【0431】号をお送りします。

■今日は先ず、01月30日名古屋市内のHotelで開催された東京大学大学院経済学研究科教授伊藤元重氏講演会『2013年の経済展望と今後の企業経営』を聴いて来ましたのでその【summary】と【講演内容】をご紹介したい。

[00]伊藤元重東京大学大学院教授
 00_2

【summary】
 安倍新政権になって日本経済に確かな変化が出て来つつある。安倍総理は、インフレ・ターゲット2%を明言し、思い切った金融緩和策と大型補正予算による公共投資でデフレ脱却と経済再生への強い決意を内外に示した。これを内外の株式・為替市場が反応し、足下では政府の目論見の方向に動きつつある。
 これまで日本はriskを回避してその結果デフレと超円高を招いた。
 これからは、日本は国も企業もrisk takeして、行動を起こさねばならない。「坐して待っていただけでは『死』しかない」。
 日本再生の為、成長の鍵は「成長を続ける近隣Asia諸国との交易強化」である。
 日本の強みである①素材・②部品・③製造装置を核に「Only One」企業となれば必ず生き残れる。
 そして、今後も成長し続けていく為のKey Wordは①高齢化と②エネルギーである。

【講演内容】
 今、正に経済は動いている。足許僅かの期間に日経平均株価25%、為替も10円程円安になった。市場がアベノミクスに反応している。
 この動きは日本独自のものでは当然ない。欧州・韓国ウォン安・新興国全体の話等色々な要因が重なり合っている。
 Lehman Shock後、日本はrisk off〔=risk takeしたくないという考え〕で来た為、その結果極端な円高になった。
 それが今ここに来て緩んで来た。Risk takeする投資家が増えて来た。その証拠に日・独の長期国債金利が若干上昇傾向に転じている。米国では自動車販売が1,500万台に復活した(‥ただ回復の足取りはまだ鈍いが‥)。
 今世界経済回復に一番貢献したのは欧州である。Spain・Portugal他の国債を無制限に買い上げると宣言〔ドラギ欧州中央銀行総裁〕したことが大きい。
 中国の成長率は7%程度がやっとだ。もう10%成長は無理。
 今回の日本の国会開催は絶妙なtimingだった。経済が大きく変わるのに政権交代が非常に良い。
 安倍政権は、triple A〔=AAA(Abe総理/Aso財務相/Amari経産相)〕が打ち出した『金融緩和』策が時宜を得ていた。
 「『経済成長2%』と目標設定」を明言した。『inflation target 2%』。欧米の世界主要国では既にやっていたことであるが、日本もより一歩踏み込んだ緩和策を打ち出した。実際、これは大きなimpactになっている。これに株価・為替・金利が逸早く反応しているのが現在の状況。
 ただ金利動向は要注視すべき。悪質なbubble等で金利が上昇することに気をつける必要はある。
 「『消費税引上げ』が日本の財政再建の鍵」。それを実現する為には、『景気回復』が必須。それ故、景気浮揚〔=確りとした経済成長〕が急務。
 その為には、5~10兆円の国債発行は已むを得ない。1,000兆円を超える国の債務問題。最大の課題は社会保障費。これを何とかしないと‥。早急に議論して早く処方箋を構築しなければならない。

 日本は、これまで蓄積した資産は金融資産となっていて投資に回っていない。個人も企業も無借金の先が多い。だから景気が悪いのである。
 [1]将来に向かって、投資しない国は滅びる〔‥→・若者への教育、技術開発etc.〕
 [2]デフレが何年も続くと日本は滅びる〔‥→・デフレが続くと投資意欲等が減退‥→・何もしないrisk offが最後は財政破綻でドカン!だ〕

 今、〔我国は〕これから脱却しようとしている。
 最近、ソフトバンクの孫さんに会った。そして、例の〔‥米携帯電話3位のスプリント・ネクステルの買収(※)案‥〕件で孫氏曰く‥
 「ここで勝負しなけりゃ男じゃぁない。だっておカネは今じゃぶじゃぶに余っているのだから」。
 (※) 因みに、米司法省と国土安全保障省が、連邦通信委員会(FCC)に対し、ソフトバンクによる米携帯電話3位スプリント・ネクステル買収の審査を中断するよう求めたことが、29日分かった。FCCが両省からの書簡を公開した資料に拠ると、国家安全保障面への影響等につき調査完了する迄、FCCは買収計画の審査を中断し、調査完了後はその結果に基づいた「適切な対応」が求められるとなっている。スプリント側は「重要な買収案件で安保面の調査は通常の手続」であり、買収計画見直しとなる事態は想定していない模様。ただ、調査結果次第では携帯事業の世界展開を目指すソフトバンクの戦略に影響しかねない。 

 事程左様に、「何もしない〔=行動を起こさない〕ことが最大のrisk」という雰囲気になって来ている。今は「risk take」が必要な時なのだ。
 「何もしない」場合、将来金利が上昇したらどうなるか!? 今、「何もしない」と、将来必ず潰れる〔倒産する〕。

 株価・為替が今(大きく)変わっている。経済が変わり出したのだ。これに対応して〔‥risk takeして‥〕動き出すべきだ。
 「そうしないと大変なことになる」という危機意識が世の中・日本経済を変える。
 我国日本の伝統的なbusinessを冷静に俯瞰してみれば‥、〔今日此処で聴講されている‥〕皆さんの業界の市場規模は人口減少で必ず逓減していく。
 例えば、市場規模が2割減れば、供給側企業の3割が淘汰される。
 でも大丈夫! 今、もの凄いchanceがあるのだと考えて頂きたい。理由は、日本に近いAsiaという市場がどんどん拡大しているから。

 そして、「only one」となって生き残って戴きたい!
 日本はこれまでGDPに占める輸出比率が14%しかなく、ドイツ38%に比べても極端に低い。日本は「失われた20年」と言われているが輸出が正に失速した。
 グラビティ理論という言葉がある。Gravityとは引力のこと。各国間の貿易量は、各国の経済規模に比例し、各国間の距離に反比例するという考え方。
 【小生補足】伊藤教授が取り纏めた「日本経済の実態と政策の在り方に関するワーキング・グループ」中間報告〔案〕
 (▼以下URLご参照▼)
 http://www5.cao.go.jp/keizai2/keizai-syakai/k-s-kouzou/shiryou/k-s-5kai/pdf/1.pdf ←ここをclickして下さい

 日本は、①素材〔ex.鉄鋼〕、②部品〔ex.精密電子部品〕、③製造装置〔ex.半導体製造装置〕の輸出力はまだまだ強い。これ等分野のonly one企業となって生き残りを図れ! アップルが何故世界を圧倒出来たか? それは世界中から最高の部品を調達出来たから最高の製品が出来たのである。
 日本の企業も、生き残る為には「前に出なければならない」。
 幸い日本には、Asiaという成長する市場が近隣にある。そのAsia市場は、中国が最近10年間でGDPが3倍になり(‥日本を凌駕する規模に迄成長した‥)、同国の中間所得層は8倍に増加した。成長を続ける近隣Asia諸国の持つ市場は今後も拡大を続け、益々その存在価値を強めていく。Gravity理論に拠れば、日本はこれ等近隣Asia諸国との交易のパイプを太くすることに拠り、business chance が大幅に拡大することになる訳である。
 日本企業の強みである①素材、②部品、③製造装置、の各分野で、世の中の変化に的確に対応し「Only One企業」になれば必ず生き残れる。「変化のない処にはbusiness chanceがない」と心得よ。

 最後に、これからのbusinessに置ける「Key Word」を2つご紹介する。それは「高齢化」と「energy」だ。
 特に、energyはどの方向に向かっても不可欠の分野である。ここを変えて行かなくてはならない。
 かつての日本は、第一次石油危機に直面し、見事それを乗り越えたからこそ、その後の成長を成し得たのである。
 今、正にそのenergy変革の時期にある‥。〔了〕

■伊藤教授の講演会を終了して少し時間があったので、地下鉄にのり名古屋市内の池下にある古川美術館を訪れた。今月02日から開催中の同美術館所蔵品を紹介した『美の旅路~海へ、山へ、そして異国へ‥。画家が旅した美の世界~』展を見るためである。日本画17点、西洋画21点、計38点いずれも日本人画家の作品である。
 本展は、leafletにある様に「日本画家・洋画家が描いた国内外の「美の旅路」を巡る」。
 今日は、その中から洋画に絞って幾つかをご紹介する。日本人である彼等がどの様に外国を感じたかが分かる作品が並ぶ。
 画家達の溢れる感性、そして其処に描かれた美しい風景を堪能して下さい。

[01]古川美術館『美の旅路』展leaflet
 01leaflet_2

––––––––––––––––––––––––[02]梅原龍三郎(1888-1986)『巴里風景―Seine河畔よりMontmartre、サクレクールを望む』1961年
 0218881986seinemontmartre1961

 梅原は、20歳の時に渡仏。尊敬するルノワール(Renoir)の指導を受け研鑽を積んだ。
 Franceでの絵画の修行を終え帰国後も、Parisには10回以上訪れ制作を繰り返している。本作は73歳のもの。
 「かつてRenoirが『Dessinは努力だが色彩は天分だ』と私に言ったことがあるが、この考えに私も賛成だ」、とは梅原の言葉だが、正に水彩画の本作品は彼の色彩画家としての真骨頂を発揮している。

[03]高畠達四郎(1895-1976)『Cannes、海とyacht』1969年
 0318951976cannesyacht1969

 作者の高畠は江戸ッ子で慶應boyだったが、画家になりたくて中退。1916年に渡仏し、梅原龍三郎も通ったアカデミー・ランソンに通う。サロン・ドートンヌに出品する等Parisで活躍し1928年帰国。
 本作品は、色彩・構図・主題のyachtと背景の家々のbalanceが絶妙で、見る者を絵の前で釘付けにする魅力ある作品。

––––––––––––––––––––––––[04]青山義雄(1894-1996)『地中海岸(南仏)』1970年
 04189419961970

 青山は、1921年渡仏し、Henri Matisseに師事。Matisseは青山に「君には色彩がある。君の色彩を大切にしろ」と言われたという。
 確かに本作品を見ると、地中海の浜辺に憩う人々の絵を描いているが、「個々の被写体が発する様々な色彩がcanvasに載っていて微妙なbalanceを保っている」と言える。

[05]伊藤継郎(1907-1994)『城のある景』
 0519071994

 大阪生まれ。1930年 第17回二科展に初入選/1937年二科会会友。1941年 二科会退会、第6回新制作展に出品、会員に推挙。以後同会を中心に作品を発表。1961年 大阪芸術大学教授(~1965)/1965年 京都市立美術大学教授(~1970)/1970年 大手前女子短期大学教授(~1981)。1990年 兵庫県文化賞受賞。
 本作品は、焼き煉瓦の様なゴツゴツとした伊藤独特のmatiereが崩れそうな不安感を見る者に与え迫って来る。

––––––––––––––––––––––––[06]鬼頭鍋三郎(1899-1982)『Napoli』1954年頃
 0618991982napoli1954

 鬼頭は名古屋市千種区生まれ
 1915年 岡田三郎助・辻永に師事/帝展に出品
 1934年 帝展特選
 1943年 陸軍大臣賞受賞
 1954-1955年 渡欧
 1956年 日本芸術院賞受賞
 1958年 日展評議員
 1963年 日本芸術院会員、日展理事
 1969年 日展常務理事
 1975年 日展顧問

[07]野口彌太郎(1899-1976)『Veniceの風景』
 0718991976venice

 野口は東京生まれ
 1920年 関西学院中学部卒後、川端画塾に学ぶ
 1922年 二科展で初入選
 1929年 渡仏、サロン・ドートンヌに出品
 1933年 帰国、独立美術協会会員となる
 1949年 日本大学芸術学部教授(~1970年)
 1973年 芸術選奨文部大臣賞受賞
 1975年 日本芸術院会員
 本作品は、夕陽に照らされたVeniceのサン・マルコ寺院。茜色と黄金色の染まった天上の美しさをcanvasに表現している。
 Simpleであるが実に美しい風景画になっている。

––––––––––––––––––––––––[08]鶴岡義雄(1917-2007)『Suisse風景(Interlaken近く)』
 0819172007suisseinterlaken

 茨城県土浦市出身/日本美術学校卒
 1941年 二科展初入選
 1950年 二科会員
 1974年 二科展総理大臣賞
 1980年 二科会常務理事
 1990年 二科展で日本芸術院賞受賞
 1994年 日本芸術院会員
 2000年 二科会理事長
 2006年 同名誉理事
 ザックリ言っていい味が出ている風景画である。

【後記】
 昨日02月02日(土)18時00分から、【2637の会】の会場になっているトライアゲインにて、大学時代の弓道部の同期±01代の同窓会「新年会」を開催した。
 総勢11名が集った。一番遠い仲間は千葉県柏市から来てくれた。
 学生時代の仲間ってホントいい奴ばかりです。
 参加者全員による記念写真を2枚お示しします。
 最初は10人、途中から1名が加わり11名での盛会となりました。

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 では、また‥。(了)

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