« 2013年3月 | トップページ | 2013年5月 »

2013年4月の4件の記事

2013年4月26日 (金)

【時習26回3-7の会 0443】~「04月21日:『時習26会ゴルフ・コンペ/2013年春期』開催報告」「04月22日:愛知県芸術劇場『辻井伸行(Pf.)&佐渡裕(Co.)/BBCPhilharmonic演奏会』を聴いて」

■皆さんお元気ですか、今泉悟です。《会報》【0443】号をお届けします。
 今年のGolden Week(←和製英語)は明日04月27日から始まる。
 ところが、今年は04月27(土)~29(月祝)の三連休の後、3日間平日が続き、05月03(金祝)~05月06(月祝)の四連休という前後2回に分断された連休である。
 トヨタ自動車groupは、04月27(土)~05月05(日)までの9連休だが、大半の一般企業はcalendar通りのGWであると思われる。
 小生は、GWの混雑はなるべく避けて、県内の美術館を幾つか見る以外は、「晴耕雨読」ならぬ、「家の片付け事&読書」になりそうである。(^^;)

■さて今日最初の話題は、掲題・副題にあります様に、先週04月21日(土)に開催された『時習26会ゴルフコンペ/2013年春期』の模様についてご報告します。
 コンペ会場は、額田ゴルフ倶楽部東course 08時56分 out start。
 今回の参加者は総勢16名。今回は東京支部から常連の鈴木H彦君【3-9】に加えて掘K生君【3-9】も参加してくれ、前回より4名増えました。
 天候は予想通り、スタートこそ小雨でしたが、徐々に回復し、後半は強風に若干悩まされた他は良好なgolf condetionとなりました。
 試合の結果は、嘉森君【3-6】が3回目の優勝を飾りました。
 次回コンペは、2013年11月10日(予備日:17日(日))「ザ・トラディションGC」で開催の予定です。
 【2637の会】membersの皆さん、奮ってご参加下さい!
 添付写真は4枚です。ご覧下さい。

[01]start前の全体写真01
 0126_at_in_20130421b

------------------------[02]同上02
 0226_at_in_20130421b

[03]表彰式&懇親会で前回優勝幹事酒井君【3-9】(右)から優勝杯を受け取る嘉森君(左)
 03_k_a

------------------------[04]懇親会での全体写真(‥波田野君【3-8】が都合により試合終了後、懇親会欠席して帰宅したので15名での撮影となった‥)
 04_at_rest_room1

■さて、続いての話題である。04月22(月)、名古屋へ仕事で出張した帰り、愛知県芸術劇場concert hallで開催された辻井伸行君のpiano soloと佐渡裕指揮BBC Philharmonicの演奏会を聴いて来ましたのでご報告致します。

[05]佐渡裕指揮/BBC Philharmonic&辻井伸行(piano) leaflet
 05bbc_philharmonicpiano_leaflet

------------------------[06]pianist/辻井伸行
 06pianist

《演奏曲目》
1.Benjamin Britten(1913-76)作曲/4つの海の間奏曲 Op.33-a
 Ⅰ.夜明け‥〔静けさの中に不気味な影の存在を感じる〕
 Ⅱ.日曜日の朝‥〔村人達が教会のミサへ急ぐ様子〕
 Ⅲ.月光‥〔海辺の夜景を描く〕
 Ⅳ.嵐‥〔暴風雨の夜にpubへ集まった村人達の不安を掻き立てる〕
2.Peter Tchaikovsky(1840-93)作曲/ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調 Op.23〔piano solo/辻井伸行〕
3.Antonin Dvorak(1841-1904)作曲/交響曲第9番ホ短調「新世界より」Op.95

【小生comment】
 1曲目の作品は、今年生誕100周年を迎える英国の大作曲家Brittenが作曲した歌劇『ピーター・グライムズ(Peter Grimes)』Op.33(1945年07月初演)の中で演奏される間奏曲6曲のうちの4曲を纏めたもの。
 この歌劇は英国の漁村が舞台。周囲の人間達と馴染めず孤独に暮らす主人公と、街を見守る海を描いた作品。
 Ⅰ.「夜明け」は静かな聴き易い名曲である。
 2曲目のTchaikovskyのピアノ協奏曲第1番、3曲目のDvorakの新世界交響曲は、言う迄もなくclassic音楽の中でも最もpopularな2曲である。
 2009年6月のヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールで優勝して以来、世界中で演奏し、いずれも高い評価を得ている盲目のpianist辻井伸行。
 彼のpianoでTchaikovskyのpiano concerto No.1という難曲の生演奏を初めて聴いた。
 眼が全く見えないのに、何故あんなに上手く演奏出来るのだろう? 
 素晴らしい演奏に感動し、そして彼の卓越した技量に感服し、更に又「彼が今迄どれ程努力を重ねて来たのだろう?」と思い、気が付いたら目頭が熱くなって仕舞っていた。
 彼のこれ迄の弛まない努力を思うと、小生のこれ迄の人生は「まだまだ甘い!」と反省すること頻りであった。

 演奏会最後の曲は、Dvorakの新世界交響曲。
 この曲は、小生が幼稚園の年長組時代(‥だから昭和36年‥)、カワイ・オルガン教室の発表会で有名な第2楽章の主旋律を演奏した思い出が懐かしい。
 先日聴いた、マゼ―ルのBeethoven/第7交響曲同様、あっと言う間に演奏時間の40分程が終わって仕舞った様に感じた。
 名演奏で聴く名曲は文句無く素晴らしい!
 因みに、この日のencoreは、辻井君が、Chopinの練習曲(Etude) Op.10-3「別れの曲」、BBC PhilharmonicがDvorakのスラブ舞曲(Slavonic Dances)第8番の2曲であった。

■今日は、時習26回生の同期、金子T也君【3-4】とのsnap shotをご紹介してお別れします。

[07]金子君【3-4】と20130425
 0720130425_

------------------------[08]金子・中嶋・林、各氏と2008年11月19日〔当時〕
 0820081119

 昨日04月25日(木)夜、時習26回生同期の金子君と豊橋駅前近くの某所で久し振りに一杯やった。
 彼は、現在、医療法人K/K病院院長を務めている。彼は現職になって今年で満6年だそうだ。
 彼とは、2009年01月17日(土)に名古屋・金山にて、中嶋君【3-2】と岩瀬君【3-4】と一緒に4人で歓談して以来だからもう4年以上も前のことになる。
 更に遡ると、2008年11月19日に、金子君、中嶋君、林K子さんとトライアゲインで一献傾けたことがあった。
 金子君は、「林さんは元気ですか?」と小生に尋ねた。彼もその時のことを覚えていた様である。

 気の置けない仲間とはホントいいものである。楽しい宴(うたげ)は、時間が経つことを忘れさせる。あっという間に数時間が経過した。
 彼と別れる時間となった。外に出ると、深夜であるが明日満月となる月の光は明るい。
 彼と別れた後、去って行く友の後ろ姿を見送った。春の明るい月光が彼を優しくも煌々と照らしていた‥。
 その情景を、先日ご紹介した拙句2句連作に新たに1句を追加し三連作にして詠んでみましたのでご笑覧下さい。(^^;

 来(き)ぬ春を 友と一献 愉しまむ 悟空

 盃重ね 知る友情ぞ 春の宵  悟空

 宴終(うたげお)へ 友を見送る 春の月  悟空

 ではまた‥(了)

2013年4月20日 (土)

【時習26回3-7の会 0442】~「04月12日:古川美術館『松村公嗣~いのちの輝き~』展を見て」「04月12日:愛知県芸術劇場『ロリン・マゼ―ル指揮/ミュンヘンP.O.演奏会』を聴いて」「04月14日:『「コヒガンザクラ満開の高遠城跡公園」と「岩村城跡」』を見て」

■皆さんお元気ですか、今泉悟です。《会報》【0442】号をお届けします。
 今日04月20日は二十四節気でいう「穀雨」。
 自転車通勤の途上、毎朝、豊橋市内の中世古町にある通称クスノキ通りを横切るとき眼に映る、街路樹の花水木(ハナミズキ)が樹毎に白色やpink色の花を咲かせていて実に美しい。
 通りのクスノキの老大樹も、大きく広げた枝いっぱいに新緑を湛え、その枝々から心地良い小鳥達の囀りが聞こえて来る。
 正に清々しい春の到来を感じさせ、爽快な気分にしてくれるひとときである。
 そんな情景を写真に収めてみました。ご覧下さい。

[00]クスノキ通りの楠とハナミズキ
 00

 新緑の大樹から小鳥のさえずりが聞こえて来る情景を詠った星野立子の名句がある‥

 囀りをこぼさじと抱く大樹かな 星野立子

■さて今日最初の話題は、掲題・副題にあります様に、先週12日(金)に仕事で名古屋へ行く機会があり、それが終わってから、池下にある古川美術館にて開催中の日本画家『松村公嗣~いのちの輝き~』展を見て来ましたので、先ずその模様からご覧下さい。

 松村公嗣(こうじ)氏は、いま小生が最も注目している日本画家である。
 氏は、2010年に故郷の奈良・春日大社へ『平成おん祭絵巻』全6巻を奉納。2011年01月~2012年12月迄月刊誌『文藝春秋』の表紙絵を手掛ける等、急速に全国的に注目されている。氏の略歴を以下に記す。

【略歴】
1948年 奈良県桜井市に生まれる
1972年 愛知県立芸術大学美術学部絵画戦功(日本画)卒業
    同大学大学院絵画専攻(日本画)に進み片岡球子に師事
    第27回春の院展『漁婦』初入選、日本美術院再興57回展『漁夫』初入選
1974年 同大学大学院(日本画)修了、日本美術院「院友」推挙
1979年 第34回春の院展『大地』「奨励賞」受賞
1983年 愛知県立芸術大学(日本画)助手就任
1984年 同専任講師就任
1994年 同助教授就任
1995年 第50回春の院展『連』「春季展賞」受賞
1997年 春の院展『どんど』「外務大臣賞・奨励賞」受賞
1998年 日本美術院再興第83回展『なおい』「日本美術院賞(大観賞)」受賞
     日本美術院「招待」推挙 同「同人」
2000年 愛知県立芸術大学美術学部日本画専攻教授就任
2004年 日本美術院再興第89回展『ベナレス』「文部科学大臣賞」受賞
2007年 日本美術院再興第92回展『はだか祭』「内閣総理大臣賞」受賞
2013年 03月愛知県立芸術大学美術学部日本画専攻教授退任
    04月同大学学長就任(現任)

 ご覧の様に、経歴もさること乍ら、以下の作品群をご覧戴きたい。
 気品があって、見る者をして「成程!」と唸らせる傑作が目白押しである。
 なかでも小生は、文藝春秋の表紙絵の2点「2011年09月『舟歌』」「2012年01月『金閣寺』」が気に入っている。白眉である。
 皆さんの御感想は如何でしょうか?

[01]古川美術館『松村公嗣~いのちの輝き~』展leaflet
 01leaflet

------------------------[02]松村公嗣『漁夫』1972年
 021972

[03]同『白毫寺』1998年
 031998

------------------------[04]同『花にほふ』1999年
 041999

[05]同『マラケシュ』2000年
 052000

------------------------[06]同『ベナレス』2004年
 062004

[07]同『舟唄』2011年09月
 07201109

------------------------[08]同『金閣寺』2012年01月
 08201201

■さて、続いての話題である。12(金)は、古川美術館の後向かったのが愛知県芸術文化center。同所4階の愛知県芸術劇場concert hallで開催されるロリン・マゼ―ル指揮ミュンヘン・フィルの演奏会を聴く為である。
 到着してから演奏会の開始時間迄45分程時間があったので、同所10階にある愛知県美術館にて開催中の『円山應挙』展を覗いた。
 円山應挙(1733-1795)は江戸時代中期の画家。丁度、現在脚光を浴びている伊藤若冲(1716-1800)の生涯とほぼ重なる。
 当時の日本画としては平易で即物的な画法であるとの指摘もされている。
 そうは言っても、やはり江戸時代の日本画である。現代の日本画の様な艶やかさはなく、全体的に褐色系の色合いで地味な絵である。

[09]愛知県美術館『円山應挙』展leaflet
 09leaflet

------------------------[10]指揮者ロリン・マゼ―ル
 10

[11]ロリン・マゼ―ルとミュンヘンP.O.
 11po

《演奏曲目》
1.Respighi作曲/交響詩『ローマの噴水』
2.Paganini作曲/Violin 協奏曲第1番ニ長調〔五嶋龍Vn.〕
3.Beethoven作曲/交響曲第7番イ長調Op.92

【小生comment】
 ロリン・マゼール(Lorin Maazel 1930.03.06-)はFrance Parisパリ近郊、ヌイイ=シュル=セーヌ)生まれ。
 ユダヤ系Russia人の父と、RussiaとHungaryのhalfの母の間に生まれる。05歳の時に渡米。以来米国出身の指揮者・Violinist・作曲家。Pittsburgh大学卒。
 今年83歳と高齢だが矍鑠としていて立派な指揮ぶりであった。本人曰く、彼の父も106歳迄生きたそうで長寿の家系の様である。
 一方、ミュンヘン・フィルは、1893年に創立されたカイム管弦楽団がその前身。1928年にミュンヘン市のオーケストラとなったことに伴い現在の名称に変更。
 戦後設立されたバイエルン放送交響楽団と共に、ミュンヘン市を代表する交響楽団である。
 大指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラーがこの楽団を指揮して楽壇デビューしたのが1906年。
 時代は前後するが1901年、グスタフ・マーラー自身の指揮で交響曲第4番を、また1910年、同第8番を初演。1911年、交響曲「大地の歌」をブルーノ・ワルターの指揮で初演された。
 歴代指揮者をみると、ルドルフ・ケンペ(1967-76)→セルジュ・チェリビダッケ(1979-96)→ジェイムズ・レヴァイン(1999-2004)→クリスティアン・ティーレマン(2004-2012)→ロリン・マゼール(2012-15予定)→ワレリー・ゲルギエフ(2015予定-)と、錚々たる顔ぶれが続く。
 演奏会programでマゼ―ルが述べていたが、ティーレマンが素晴らしい楽団に育ててくれたと述べている。
 が、第一黄金期を言われたケンぺや、チェリビダッケの演奏も素晴らしい。
 この日の曲目は3曲とも大変素晴らしいものであった。
 Respighiの『ローマの噴水』では、弦や管楽器が織りなす透明度の高いclearな音色が素晴らしく、4部形式からなるが、冒頭第1部の「夜明けのジュリアの谷の噴水」のmelodyが流れた瞬間から夜明けの朝靄に煙るローマの噴水の情景が頭に浮かんだ。
 2曲目のPaganiniのViolin Concerto No.1は、五嶋龍(1988.07.13-)のViolin独奏が素晴らしかった。彼の演奏は、2010年5月29日に今回と同じ会場でウィーン交響楽団をbackにブラームス/ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 Op.77の演奏を聴いて以来であった。彼自身曰く「07歳の頃から弾いた曲」だけあって、かなりの難曲であったが軽々と弾いてみせ聴衆を魅了した。弱冠24歳であれだけ円熟した演奏が出来るのは驚異という他はない。
 3曲目のBeethovenの第7symphonyは文句なしの名演であった。TV drama「のだめカンタービレ」のtheme曲として有名になったが、ミュンヘン・フィルの名演奏に全四楽章の終わる迄の時間が実に短く感じられた。

■今日最後の話題は、演奏会の翌々日14日(日)に「コヒガンザクラ満開の高遠城跡公園」と「岩村城跡」の模様をお届けしてお別れしたいと思います。
 前日13日『豊橋支部幹事会』を小生は二次会の誘いを断り08時で切りあげた。翌朝未明に家を出発する為であった。
 
 「高遠城址公園さくら祭」は04月01日~30日迄、08時00分(‥最盛期06時00分)~22時00分迄開催されている。
 臨時の駐車場がかなり用意されていても直ぐに満杯となって仕舞うので、「朝一番に行って早く帰る」ことが得策と考え、14日(日)は拙宅を午前02時05分に出発。
 東名・豊川IC→東海環状経由→中央自動車道・伊奈IC→高遠城址公園というrouteで、片道220km。途中20分の小休憩を含め、3時間半の所要時間で目的地に到着。
 城址公園直ぐ横にある大型bus専用駐車場は当該bus使用の為午前10時迄に退去しなければならない。05時半過ぎに駐車場の半分が埋まり、城址公園も開園していた。
 桜は正に満開であった。が、訪れた13日は二三日前からの花冷えにより花に霜が降りた様で、本来の薄いピンク色が脱色して少々残念であった。
 以前にもご紹介したことがあるが、高遠と言えば、水戸藩徳川光圀、岡山藩池田光政と並び江戸時代初期の名君とうたわれた、3代将軍徳川家光の異母弟で、会津・松平藩祖、保科正之(1611-1673)が06歳から25歳迄の青春期を育った地である。
 因みに、保科正之は1636年、高遠藩3万石から山形藩20万石へ、そして、加藤氏が改易された1643年、会津23万石(‥預り地/南山御蔵入領5万石を含めると28万石で御三家の水戸藩25万石を上回る‥)へ移封。そう、大河drama「八重の桜」の舞台である会津藩の藩祖である。

[12]高遠城址公園にて
 12

------------------------[13]高遠城址公園の満開のコヒガンザクラ
 13

 07時半過ぎに高遠城址公園を後にして、帰途に就いた。
 途中、岩村城跡に立ち寄り、本丸を見て、麓の歴史資料館入口にある当地岩村藩出身の江戸時代の儒学者・佐藤一斎(1772-1859)の有名な「三学戒」を見た。

 有名な「三学戒」とは‥

 少にして学べば、則ち壮にして為すことあり
 壮にして学べば、則ち老いて衰えず
 老にし学べば、則ち死して朽ちず

 皆さんもきっと何処かで一度は聞いたことがある名言ですね。

[14]岩村城跡・本丸にて
 14

------------------------[15]岩村城跡・本丸からの風景
 15

[16]佐藤一斎「三学戒」碑の傍らにて
 16

 ではまた‥(了)

2013年4月13日 (土)

【時習26回3-7の会 0441】~「04月13日:『第3回豊橋支部幹事会‥時習26回生卒業40周年記念旅行兼懇親会に向けて‥』開催報告」「04月07日:松坂屋美術館『山下清』展を見て」「04月07日:『名古屋国際音楽祭 2013』を聴いて」「04月16日:『川端康成』命日」

■皆さんお元気ですか、今泉悟です。《会報》【0441】号をお届けします。
 当地豊橋では、四月に入り暖かくなったかにみえたのですが、06日(土)には午後から台風級の強風が吹き荒れ、気温も急に寒くなりました。
 「強風」に「花冷え」。皆さんの所は如何でしたでしょうか。

■さて今日最初の話題は、掲題・副題にあります様に、本日夕方06時から【2637の会】《クラス会》会場となっているトライ・アゲインにて『第3回豊橋支部幹事会〔‥時習26回生卒業40周年記念旅行兼懇親会に向けて‥〕』を開催しましたので、先ずその模様をご報告致します。

 参加者は21人の幹事のうちの13人が集合。添付写真は、幹事会終了後の記念写真である。
 小生のウッカリで、中座した平田【3-5】さん、そして幹事会終了時に記念撮影を直ぐ思いつかなかった為に長谷川君【3-3】と武野君【3-10】が帰って仕舞い、10名での撮影となった。
 尚、今日の参加者は、上記3人の他は、市原・谷山【3-3】、鈴木・山本【3-5】、大谷・黒柳【3-6】、林K・今泉【3-7】、長坂・安井【3-8】の10人である。

[00]第3回豊橋支部幹事会 at Try Again
 00_at_try_again

 『幹事会での決定・確認事項』は大凡以下の通り‥
 ①来月05月18(土)~19(日)に予定している「京都事前旅行」の参加者募集と訪問先の選定
 ‥→・本日、市原・谷山両君が参加表明してくれ、累計13名がstand by。訪問先の選定は参加者に近々お尋ねする
 ②宿泊旅館「鶴清」の夜宴の後、福井君【3-9】の昔の馴染みの店〔祇園「一力茶屋」傍のスナック『寿満子』〕参加者募集
 ‥→・「京都事前旅行」参加者に別途確認する
 ③時習26回生への「卒業記念旅行&懇親会」の〔‥掲示済の不老荘掲示板以外への‥〕告知方法とその時期
 ‥→・来週以降、可及的速やかに、水藤幹事よりmail address登録者宛へ【『卒業記念旅行兼懇親会』開催通知に係るmail addressを活用することの了解確認mail】を送信
 ‥→・その際、mail addressを知っている同期生の当該mail addressを知らせて欲しい旨の依頼を行う
 ‥→・最新の同期生のクラス別「住所録」を、各class幹事に配布、同幹事から【『卒業記念旅行兼懇親会』の案内】を出状する〔‥但し、mail address配信先が確定した以降‥〕
 ④豊橋支部幹事の役割分担〔以下、敬称略〕
 ‥→・豊橋支部幹事会内に【執行部】を設置する〔‥今後円滑な業務運営を図る為‥〕
 代表幹事:今泉【3-7】、情報担当:水藤【3-6】、中嶋【3-2】、市原・谷山【3-3】、林K【3-7】+〔女性有志を都度招集〕
 ‥→・会計担当:井澤君【3-2】に就任要請〔←安井君【3-8】から依頼〕
 ⑤福井君【3-9】からの依頼事項〔=前回支部幹事会にて飯田君【3-2】から説明あった件と同じ=〕
  ・平成25年10月27日(日)開催予定の「時習館高校創立120周年記念事業『JISHUKAN OPEN FORUM 2013(仮称)』式典後に開催される「フォーラムに於ける『講師』選任の件」
 ‥→・鈴木Y君【3-8】(関西TV)への講師要請を全会一致で採択〔‥尚、既に福井君から本人内諾を取り付けている‥〕
【小生comment】
 ⑤については、細かいことをいうと、当豊橋支部幹事会には時習26回生の代表「講師」を決める権限を有してない為、同期の総意とはならないのであるが、他にauthorizeする決議決定機関が見当たらないことから「ま、いいか」という感じが正直な感想である。
 来月の「京都事前旅行兼懇親会」募集について、関西地区在住で《会報》をお送りしている、下浦さん・林君・山中さんからの朗報をお待ちしています。m(_ _)m

■さて、続いての話題である。
 04月07日(日)は、小生の一番下の愚息の下宿引越に名古屋へ出かけた。前日の06日(土)から二日がかりである。
 その引越作業を終えた後、松坂屋美術館にて開催中であった『山下清』展を見て来た。
 本展は、昨(2012)年に生誕90周年を迎えた、放浪の天才画家・山下清(1922-1971)が遺した少年時代から晩年迄の作品(遺品や資料を含め)200点余りを一堂に会して催したもの。
 今日は、本展の作品から幾つかをご紹介したい。

[01]山下清『遠足』1950年‥貼絵
 011950

------------------------[02]同『学園附近の景色』1943年‥貼絵
 021943

[03]同『神宮外苑』1950年‥貼絵
 031950

------------------------[04]同『富士山』1957年‥ペン画
 041957

[05]同『市川の風景』1951年‥油彩
 051951

------------------------[06]同『開聞岳』1956年‥油彩
 061956

[07]同『菊』1949年‥油彩
 071949

------------------------[08]同『群鶏』1960年‥油彩
 081960

[09]同『ロンドンのタワー・ブリッジ』1965年‥貼絵
 091965

------------------------[10]同『ベニスのサンマルコ寺院』1961年‥水彩画
 101961

[11]同『いなり様の大将(豊川・番外)』制作年不詳‥版画
 11

【小生comment】
 『山下清』展は、以前2008年10月の《会報》【0208】にて二川本陣にて開催された模様をお伝えしたことがあるが、断然今回の方が規模が大きい展示会だった。彼の貼絵は、印象派の点描と作風が似て魅力的な作品が多い。
 尚、彼の油彩画は、生涯通算しても十数点と数は少ない。今回4点紹介したが『市川の風景』はHenri Rousseau、『菊』はGoghを髣髴とさせる。
 『開聞岳』の構図と色彩は一見平凡に見えるが凝視すると見る者を唸らせる魅力を持っている。また『群鶏』は、原画は江戸中期の画家・伊藤若冲(1716-1800)の『群鶏図』をmotifとしているが、何処となくhumorを感じさせる。『ロンドンのタワー・ブリッジ』の細緻な貼絵や、『ベニスのサンマルコ寺院』の水彩画も、天才画家・山下清の面目躍如である。

■次に向かったのが、愛知県芸術劇場concert hall。そこで開催された「名古屋国際音楽祭」の模様をお伝えする。
 CBC主宰の本演奏会では、cellist宮田大(Dai Miyata)によるドボルザーク/チェロ協奏曲、pianistエマニュエル・スヴィエルチ(Emmanuelle Swiercz)によるラヴェル/ピアノ協奏曲、そして、clarinet奏者シャーリー・ブリル(Shirley Brill)によるモーツァルト/クラリネット協奏曲が演奏された。
 皆、新進気鋭の若手奏者であるが、確かな技量で聴衆に満足感を与えてくれた。
 名曲は何度聴いてもいいものである。

[12]名古屋国際音楽祭:Vc 宮田大・:Pf マニュエル・スヴィエルチ:Cl シャーリー・ブリル
 12vc_pf_cl

■今日最後の話題は、川端康成(1899.06.11-1972.04.16)についてである。
 小生、最近、川端康成の『伊豆の踊子』の映画を、吉永小百合の「踊子」、高橋英樹の主人公「私」でDVDを見る機会があった。
 小生、恥ずかし乍ら原作を読んだことがなかったので、本を取り寄せ早速読んでみた。
 文庫本で僅か三十数頁という短編であるので、読了するのは直ぐであった。
 流石はノーベル賞作家であると感じたのは、本小説の巻頭であった。

 道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思う頃、雨足が杉の密林を白く染めながら、すさまじい速さで麓(ふもと)から私を追って来た。

 川端の文体は「美文」である。この一行を読んだだけで、辺りの情景が頭に浮かび、小説の舞台へすーっと入っていける。
 川端康成というと、彼より26歳若い三島由紀夫(1925.01.14-1970.11.25)との交友が有名である。
 添付写真[13]をご覧下さい。

[13]川端康成ノーベル文学賞受賞決定の翌日 鎌倉、長谷の川端邸にて三島由紀夫と
 13

------------------------[14]ノーベル文学賞受賞決定の日、祝い客・報道関係者帰宅後、深夜の書斎にて
 14

[15]鎌倉・長谷の川端邸(1946年10月鎌倉・二階堂より転居)
 15194610

 三島由紀夫が、詩人で当時の「文藝」編集長、野田宇太郎(1909-1984)を通して川端に著書『花ざかりの森』を献呈。
 昭和20年03月08日、川端から三島へ宛てた礼状が二人の往復書簡の始まりである。
 川端からの礼状への返書が以下の文章である。
 川端の『伊豆の踊子』も美文であったが、当時二十歳になったばかりの三島の返書の文章もまた品格が備わって感じが良いので以下にご紹介する。(‥尚、( )内のふりがなは小生による‥)

 先日は野田氏を通じ突然拙書を差上げました無躾(ぶしつけ)をお咎(とが)めなきのみか、御丁寧な御手紙たまはり、厚く御礼申し上げます。
 都もやがて修羅の衢(ちまた)、冱(こおり)返る寒さに都の梅は咲くかと思へばしぼみながら、春の魁(さきがけ)らしい新鮮さを失つてゆきます。当分の閑暇をたよりに、頼政と菖蒲前(あやめのまえ)の艶話を書いてみたいと思つてをりますが、如何(いかが)なりますか。
 ――きのふ青山の古本屋で「雪国」をみつけもとめてまゐりました。何卒御身御大切に。御礼まで(後略)
 昭和20年03月16日付 (‥この手紙の日付の6日前03月10日が東京大空襲で都が焦土と化した‥)

 川端康成がノーベル文学賞を受賞したのは昭和43年10月。
 三島由紀夫が自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自殺を遂げたのが昭和45年11月25日。
 翌昭和46年01月24日、川端康成が三島由紀夫の告別式にて葬儀委員長を務めた。
 そして更に翌昭和47年04月16日、川端は神奈川県逗子市のマンション「逗子マリーナ」の自室・仕事部屋にて自殺。
 そう、明々後日が川端の命日である‥。

 ではまた‥(了)

2013年4月 6日 (土)

【時習26回3-7の会 0440】~「03月30日:大垣市守屋多々志美術館『春の訪れ―守屋多々志の花―』展→『大垣城』→『大垣市郷土館』→『奥の細道むすびの地記念館』を巡って」

■皆さんお元気ですか、今泉悟です。《会報》【0440】号をお届けします。
 卯月に入り、時節も昨日04月05日が「清明」。
 今年の桜前線の北上は極めて早く、満開であった当地豊橋の桜花も04月02日の雨でかなり散って仕舞った。
 満開の桜花を見乍ら酒を飲む春の宵は絵になる‥其処で拙句を連作で‥

【詞書】春の宵は、夜桜見物でも遣り乍ら気の置けない友と旨い酒を酌み交わそう
 さすれば、飲み語らう程に朋友がいるという幸せを噛みしめる‥

 来(き)ぬ春を 友と一献 愉しまむ  悟空

 盃(はい)重ね 知る友情ぞ 春の宵  悟空

■さて今日は、前《会報》にて予告した通り、桜の満開が大変美しい大垣市の模様をお伝えします。暫しお付き合い下さい。
 実は小生、前《会報》でご紹介した豊川市桜ヶ丘ミュージアムで大垣市出身の日本画家、守屋多々志の作品を幾つか見ることが出来た。
 前《会報》【0439】号で、[05]『朧月夜の君』1970年代頃/[06]『おぼろ』1988年/[14]『みだれ髪(与謝野晶子)』2001年の3点をご紹介した。
 小生、守屋氏の作品については、東京の山種美術館所蔵の『慶長使節支倉常長』を同美術館で見て知ってはいた。
 今般、彼の作品を纏めて見たくなり「大垣市守屋多々志美術館」を訪ねて見ることにした。
 03月30日(土)午前07時半過ぎに拙宅を発った。天気晴朗、温かな陽気でdrive日和である。美術館には10時少し前に到着。所要時間2時間余り、片道約120㎞の行程であった。
 美術館受付で「守屋多々志美術館」「大垣城」「郷土館」「奥の細道むすびの地/記念館」4館共通券(総額600円=これはお買い得!(^^;=)を購入。
 主な所蔵作品をleafletとpost cardからご覧下さい。

[01]大垣市守屋多々志美術館leaflet/左下の絵『ウィーンに六段の調べ(Brahmsと戸田伯爵極子夫人)』1992年
 01brahms1992

------------------------[02]守屋多々志『桃ひらく』制作年不詳
 02

[03]同『パリスの審判』1935年
 031935

------------------------[04]同『ピサ 斜塔』1955年
 04_1955

[05]同『星と武者』1968年
 051968

------------------------[06]同『楊四娘』1969年
 061969

[07]同『水艶』1973年
 071973

------------------------[08]同『住吉燈台(夏祭)』1985年
 081985

[09]同『更科』1997年
 091997

 以下に守屋氏の洛歴を記す。
【略歴】
1912(大正元)年 08月10日、大垣市船町、味噌だまり製造元「四代目孫八」の四男として生まれる。
        本名:正。生後100日に分家守屋貞吉(米穀商)の養子となる
1930(昭和05)年 岐阜県立大垣中学校(現・大垣北高等学校)卒業。上京し、前田青邨に師事
1931(昭和06)年 東京美術学校(現・東京藝術大学)入学。在学中に特待生となる
1936(昭和11)年 東京美術学校卒業。卒業制作『白雨』により川端玉章賞を受賞
1941(昭和16)年 再興日本美術院(院展)第28回展に『継信忠信』が初入選
1943(昭和18)年 第30回院展に『陸奥ノ宿』が入選し院友に推挙。この年より雅号「多々志」とする
1944(昭和19)年 陸軍に召集され、中国へ(1946年 復員)
1953(昭和28)年 10月、黒沢明監督「羅生門」の衣装designをする
1954(昭和29)年 12月、総理府留学生として渡伊(1956年12月帰国)
1972(昭和47)年 文化庁より高松塚古墳壁画模写事業に従事。第10号壁「薬師浄土」を担当。(総監修:前田青邨)
1992(平成04)年 大垣市名誉市民となる
2001(平成13)年 11月03日、文化勲章受章
2003(平成15)年 12月22日、逝去(享年91歳)

【小生comment】
 歴史画家として高名な守屋氏の絵は、卓越した技量に、落ち着いた色調と構図が上手くbalanceしている為見ていて安心感を覚える。
 絵に登場する女性達も夫々がoriginalityを備え、見る者を飽きさせない。
 本展leafletの絵『ウィーンに六段の調べ(Brahmsと戸田伯爵極子夫人)』1992年は、11代大垣藩主戸田氏共(うじたか)伯爵の夫人極子(きわこ)(1857-1936)とドイツの大作曲家 Johannes Brahmas(1933-1897)を描いたもの。
 極子は、明治の元勲・岩倉具視の長女。陸奥宗光の妻女亮子と共に「鹿鳴館の華」と称された美人。箏・山田流の名手でもあった。
 戸田氏共伯爵は1887~90年迄、Austria・Hungary兼Swiss特命全権大使を務め、一家がViennaに滞在した折、Brahmasは極子の箏の演奏を聴いた。
 Brahmasは、戸田家の音楽教師であった友人ボクレットが出版した「六段」の楽譜に演奏の特徴を書き込み、彼女に献じた。
 戸田家から当該楽譜がVienna学友協会に寄贈された。
 1984(昭和59)年、Austriaと日本で当該楽譜の調査が行われ、本episodeが明らかになった。
 以下の添付写真[09]をご覧下さい。戸田極子さんは現代風の美人ですね。(^^

[10]戸田極子(1857-1936)
 1018571936

■さて、1時間弱で守屋多々志美術館を後にした小生、次に向かったのが美術館から200m程の至近距離にある大垣城である。
 大垣城の天守閣は、慶長元(1596)年、伊藤祐盛に拠って造営、元和06(1620)年に改築。四重四階建て総塗りごめ様式。大変優美な城として知られ、昭和11年に国宝に指定されたが、昭和20年07月29日戦災で焼失。昭和34年、現在の天守閣を再建。

[11]大垣城公園から大垣城天守閣遠望
 11_2

------------------------[12]大垣城公園にて大垣城天守閣をbackに‥小生‥
 12back

[13]大垣城天守閣から西方遠望‥左手山際:関ヶ原‥右手:(山頂に残雪の)伊吹山
 13

 大垣城の起源は、1535(天文04)年(一説には1500(明応09)年)に遡るが、歴史の表舞台にて脚光を浴びる様になったのは「本能寺の変」翌年の1583(天正11)年、池田恒興が15万石(岐阜・大垣)へ入府してからである。以下に池田恒興以降の歴代城主を記す。

 因みに「池田氏」は、池田恒興の父・恒利から系譜上確実な者として歴史に登場する。以下はそれについての余談である。
 池田恒利の妻・養徳院が信長の乳母。のち信長の父・信秀の側室になった為、恒興と信長は乳兄弟・義理兄弟にあたる。
 池田恒興は、1582(天正10)年、山崎の合戦で羽柴秀吉側に加わり戦功をあげた。信長の後継者を決めた清州会議には四宿老(柴田勝家・丹羽長秀・羽柴秀吉・池田恒興)の一人として出席した。
 1584(天正12)年、小牧・長久手の合戦で豊臣方として参戦。家康の本拠・三河国を攻めようとしたが逆に長男・元助、娘婿・森長可(ながよし←森成利(蘭丸)の兄)と共に戦死。
 恒興・元助の戦死により家督(大垣城主(13万石))は次男・照政(輝政)が継いだ。
 輝政は、同年、岐阜城主(13万石)に。九州征伐をはじめ秀吉の主要な合戦に参戦。天正18(1590)年には吉田城主((渥美・宝飯・八名・設楽4郡)15万2千石)。豊臣時代は豊臣一族に準ずる厚遇を受けた。その象徴的な事件が、文禄04(1595)年、豊臣秀次失脚の際、最上義光の娘はじめ39名の妻妾が処刑されたが、秀次の正室・若御前(=池田恒興の娘・輝政の妹)は特別に助命されている。また輝政は、前年1594年、秀吉の仲介で家康の次女・督姫を継室として娶っている。
 慶長03(1598)年08月秀吉が死に、翌慶長04(1599)年閏03月前田利家が死ぬと、武断派・七将の一人として石田三成襲撃に加わった。七将は翌慶長05(1600)年の関ヶ原合戦ではいずれも家康に味方している。戦後、姫路52万石に加増・移封。
 慶長18(1613)年輝政が50歳で急死後、長子(嫡子)・利隆(1584-1616)が2代姫路藩主となるが3年程で32歳という若さで死去。嫡子・光政(1609-1682)が3代藩主(42万石)となるが7歳と幼少である為、鳥取藩(32万5千石)に減転封。輝政の次男(実際は五男)忠継(=生母:督姫(1599-1615))が岡山藩(31万5千2百石)初代藩主が17歳で早世すると、同母弟の忠雄(ただかつ(1602-1632))が(岡山藩)2代藩主に。忠雄の嫡子・光仲(1630-93)が幼少だった為、鳥取藩主・光政とtradeする形で鳥取(32万石)へ転封。代わって、光政が岡山藩(31万5千石)へ転封となった。光政は、水戸藩主・徳川光圀、会津藩主・保科正之と共に江戸初期の名君として有名な人物。

 ※ 七将:福島正則(尾張清州城主)・加藤清正(肥後熊本城主)・池田輝政(三河吉田城主)・細川忠興(丹後宮津城主)・浅野幸長(甲斐甲府城主)・加藤嘉明(伊予松山城主)・黒田長政(豊前中津城主)

 余談が長くなって仕舞いました‥(笑)

 池田照政(吉田藩当時の名)は、我等が故郷(‥豊橋の前身‥)吉田藩主の中で歴代最高の禄高(15万2千石)を記録している。
 輝政は、秀吉からも、家康からも、準一族の厚遇を受けていたというから、人格的にも優れた人物だったのだろう。
 孫・池田光政については、またいつの日にかご紹介してみたい。
 さて、大垣藩の話に戻る‥

【歴代・大垣城主】
1583(天正11)年 池田恒興((信輝)(1536-1584)(13万石)
1584(天正12)年 池田輝政(1565-1613)/三好(羽柴)英次/木下(羽柴)秀長
1585(天正13)年 加藤光泰(4万石)/一柳直末(2万5千石)
1589(天正17)年 羽柴秀勝
1590(天正18)年 伊藤祐盛(3万石→3万4千石)
1599(慶長04)年 伊藤盛宗(3万4千石)
1600(慶長05)年 関ヶ原合戦の際、西軍石田三成の本拠となる
1601(慶長06)年 石川康通(5万石)
1607(慶長12)年 石川家成(〃)
1609(慶長14)年 石川忠総(5万石)
1616(元和02)年 松平(久松)忠良(2万石)
1624(寛永元)年 松平(久松)憲良(〃)/岡部長盛(5万石)
1632(寛永09)年 岡部宣勝(〃)
1633(寛永10)年 松平(久松)定綱(6万石)

 大垣藩主の戸田氏については、初代氏鉄の実父戸田一西((かずあき)1543-1604)からご紹介したい。
 一西は三河国吉田(現・豊橋市)に生まれた。永禄年間(1558-70)には三河国渥美郡多米(現・豊橋市多米町)を領有。
 永禄03(1560)年桶狭間合戦後の吉田城攻めの頃には徳川家康に仕え、三河譜代の家臣となった。

 天正18(1590)年の小田原征伐に参陣、山中城を攻略。
 家康の関東入りに従い、武蔵国鯨井(現・川越市鯨井)に5千石を賜る。
 慶長05(1600)年の関ヶ原合戦では秀忠に従い信濃上田城の真田昌幸を攻略。上田城攻めに固執する秀忠を一西が唯一人反対。これを戦後、家康に賞された。
 慶長06(1601)年、家康の命に拠る近江国膳所城築城を成功させ、膳所藩3万石を興し初代藩主となった。

 さて戸田大垣10万石初代藩主の戸田氏鉄(うじかね(1576-1655))についてである。
 氏鉄は、父一西と同じ三河国仁連木(現・豊橋市仁連木町)に生まれた。

【小生補足】仁連木町と言えば、拙宅から徒歩でも北へ20分そこそこの所である。
 其処の地には、昔、仁連木城というお城もあった。

 1589(天正17)年 徳川家康の近習
 1603(慶長08)年 父、一西の死に拠り家督相続、近江膳所藩主
 1614(慶長19)~15(同20)年の大阪の陣では居城膳所城の守備に徹す
 1616(元和02)年 摂津尼崎5万石へ移封
 1624(寛永元)年 大阪城修復
 1635(寛永12)年 美濃大垣10万石へ移封
 1637(寛永14)~38(同15)年 島原の乱では上使・松平信綱の下、副使として戦功をおさめた
 藩政に於いても、新田開発や治水事業に成功、大垣藩の治世を確固たるものとした

1635(寛永12)年 戸田氏鉄(初代(うじかね):10万石)‥以下11代戸田氏共迄続き明治維新となる
1651(慶安04)年 戸田氏信(02代(うじのぶ):〃)
1671(寛文11)年 戸田氏西(03代(うじあき):〃)
1684(貞享元)年 戸田氏定(04代(うじさだ):〃)

 氏定と赤穂藩主・浅野内匠頭長矩は母方の従兄弟同士。即ち、志摩国鳥羽藩02代藩主・内藤忠政の娘・姉妹が両人の母。

1723(享保08)年 戸田氏長(05代(うじなが):〃)
1735(享保20)年 戸田氏英(06代(うじひで):〃)
1768(明和05)年 戸田氏教(07代(うじのり):〃)
1806(文化03)年 戸田氏庸(08代(うじつね):〃)
1841(天保12)年 戸田氏正(09代(うじまさ):〃)
1856(安政03)年 戸田氏彬(10代(うじあきら):〃)
1865(慶應元)年 戸田氏共(11代(うじたか):〃)

 11代藩主氏共は、09代藩主氏正の四男
1865(慶應元)年 氏共は、10代藩主で長兄・氏彬の病没により12歳で家督相続
1867(慶應03)年 09月、幕命により大阪を警護
1868(慶應04)年 正月、鳥羽伏見の戦で薩摩藩と戦い朝敵となるが、その後、藩論を勤王に統一
        氏共が上京し朝廷に謝罪。戊辰戦争に朝廷側として従軍、戦功をあげた
1869(明治02)年 版籍奉還により、氏共は大垣藩知事就任
1871(明治04)年 藩知事辞任後、米国へ留学
1884(明治17)年 伯爵授爵
1887(明治20)年 特命駐墺全権公使(~1890年帰国)
1898(明治31)年 式部次長
1900(明治33)年 宮中顧問官
1908(明治41)年 式部長官
1936(昭和11)年 逝去

■次に向かったのが、大垣城公園から西南直ぐの所にある「大垣市郷土館」。
 館入口傍にあった枝垂桜が満開でとても綺麗であった。
 冨安風生の名句が浮かんだ‥

 まさをなる空よりしだれざくらかな  風生

[14]大垣市郷土館入口にある満開の枝垂桜
 14

------------------------[15]郷土館入口近くの『麋城(びじょう)の井戸』‥大垣市には到る所に湧水がある.
15
 
■4館共通券最後は、「奥の細道むすびぼ地記念館」である。

[16]水門川両岸の桜と辛夷の花と「水の都おおがき舟下り」
 16

------------------------[17]水門川と住吉燈台傍の船町港跡
 17

 大垣城公園から南西へ「奥の細道むすびの地/記念館」がある、谷木因((ぼくいん)1646-1725)の旧宅「木因邸」迄、水門川「水の都おおがき舟下り」を見乍ら車で数分である。
 『奥の細道』は、松尾芭蕉が元禄02(1689)年03月27日、江戸・深川を出立し、秋09月03~05日、美濃国・大垣に到着する迄の5箇月余りの奥羽・北陸巡歴の旅である。

 今日のお別れは、『奥の細道』の【大垣】を「現代語訳」にてご紹介したい。

 露通〔‥近江蕉門の一人・八十村路通(やそむら ろつう)‥〕もこの敦賀の港迄迎えに来て、美濃国へ伴ってくれる。馬に助けられて大垣の庄に入ると、〔山中温泉で別れた〕曾良も伊勢から合流して、越人((ゑつじん)‥越智越人:尾張蕉門の重鎮、蕉門十哲の一人‥)も馬を駆って近藤如行((じょこう)‥大垣蕉門の重鎮‥)の家に皆が集った。〔‥津田前川・宮崎荊行はいずれも大垣藩士で大垣蕉門‥〕津田前川(ぜんせん)や荊行父子(=宮崎荊行(けいこう)と3人の息子)の他、親しい人々が日夜訪ねて来てくれて、まるであの世から生き返った人にでも会う様に、喜んだり労わったりしてくれる。
 旅の疲れた気分もまだ抜け切らないうちに、9月6日になったので、伊勢神宮の遷宮を拝もうと、また舟に乗って‥

 蛤(はまぐり)の ふたみにわかれ 行く秋ぞ

【句意】蛤の蓋と身が分かれる様に、親しい人々と別れ、私は(伊勢の)二見に行く
 季節は、秋が終わろうとしており寂寥感がつのる

 今回は、桜花満開の春の大垣を訪ねたが、次回は芭蕉の気持ちを体感すべく是非晩秋に訪れてみたいと思う。
 ではまた‥(了)

« 2013年3月 | トップページ | 2013年5月 »

2017年5月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
フォト

最近の記事

05【時習26回3-7の会】【2008年8月16日】《クラス会》於:ブラウンズ&トライ・アゲイン

  • Dsc_0217
    ■2008年8月16日【時習26回3-7の会】《クラス会》を豊橋市内にある『ブラウンズ(一次会)』と『トライアゲイン(二次会)』にて開催しました。T三先生をはじめ全国から15名が集い大変楽しい5時間を過ごしました。 ■名残惜しいなか、23時すぎ、来年の再会を誓って散会しました。

101【2007年6月2~3日】■「千手院」でお会いした皆さんへ←clickでalbumへ

  • Cimg1428
    ■朝護孫子寺にて撮影した写真のほとんとを追加しました。ご高覧下さい。 ■2007年6月2~3日、「賢人会」のmember谷山・中嶋両氏と大和七福神・八宝廻りをしました。 ■七福神の一つ毘沙門天を祭る「信貴山朝護孫子寺」の宿坊【千手院】で一泊。 ■そこで、ご一緒した皆さんとの楽しかったひとときをアルバムにしました・・。      * * * ■瀬尾君、浅田さんとそのお供達の皆さんへ、「感想をお聞かせ」頂ければ幸甚です。 ▼『【時習26回3-7の会】のブログ画面』の【左上欄外】の「メール送信」を左clickして頂くと、今泉宛のmail address ~ < si886@nifty.com > ~ が開きます。 どうぞ、ご気軽に感想をmailにてお知らせください。 ▲【2637の会】のURL・・・  → URL: http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog

最近のコメント

無料ブログはココログ