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2013年7月21日 (日)

【時習26回3-7の会 0455】~「07月13(土)~14(日):『真田庵』『慈尊院』『華岡青洲の里』『高野山』を巡って」

■皆さんお元気ですか、今泉悟です。《会報》【0455】号をお届けします。
 今回も先ず、【2637の会】「クラス会」の出欠表明状況についてのご報告から‥。
 千賀君から「出席」表明の、渡辺さんから「欠席」のmailを頂戴しました。
 先ず、千賀君からの返信mailをご紹介します。

・クラス会に参加する

  千賀 S始

千賀君へ
 昨年はお会い出来なかったので二年振りの再会ですね。楽しみにしています。

 続いては、渡辺さんからのmailです。

 クラス会の件ですが、欠席します。
 8月10日 東京支部総会があり、その後「東京不老会」の暑気払いがありますのでそちらに参加します。
 クラスの皆さんにお会いできないのは残念ですが、同級生の皆さんと友好を深めて来ます。
 来年6月の京都でお会いできたらいいですね。

渡辺さんへ
 08月10日が、時習館高校東京支部総会とbattingしたのはunluckyでした。
 残念ですが、致方ありません。
 東京不老会に参加される同期の皆さんに「来年06月07(土)~08(日)京都で開催する【時習26回生卒業40周年記念旅行兼懇親会】」に参加頂ける様お伝え頂ければ幸甚です。
 
【2637の会】membersの皆さんへ
 来月10日の「クラス会」の件‥、皆さんからの朗報をお待ちしています。m(_ _)m

■さて今日の話題は、掲題・副題にあります様に、去る07月13日(土)~14日(日)の両日、時習26回の同期の中嶋Y行君【3-2】と谷山K君【3-3】、そしてお城跡巡りの会の先輩青木K○夫さんの4人で、春と秋の年2回実施している旅行の模様である。
 今春は、来年06月開催予定の【時習26回生卒業40周年記念旅行兼懇親会】の「下見旅行」を05月18(土)~19(日)に実施したりして日程が上手く合わなかった為、今月13・14日両日に変更となったものである。
 今回の行き先は、「『高野山』とその周辺」ということで、先ず『真田庵』『慈尊院』『華岡青洲の里』を見て『高野山』に登った。
 『高野山』は標高820mの処に東西6km、南北3kmの平坦なareaに、幼稚園から大学迄あって、人間社会として自己完結している町である。
 以下に、今回の旅行の『行程表』を示し乍ら、これに基づいて概略をご紹介したい。
 又、その解説を、司馬遼太郎著『街道をゆく9』の中の「高野みち」から一部引用する〔以下、『高野みち』という〕。

           《賢人会「『高野山』行程表」》
【13日(土)】
05時50分 中嶋宅発‥10㎞‥
06時10分 青木宅発‥0.7㎞‥
06時15分 今泉宅発‥06km‥
06時35分 谷山宅発‥245㎞/266.7km‥東名・伊勢湾岸・東名阪・西名阪〔[01]高速道路料金休日割引2000円÷4=@500円〕‥郡山IC→国道24号線他‥
11時00分 善名称院(「真田庵」)着〔[02]宝物資料館@200円/700円〕

 最初の訪問地「真田庵」には、ほぼ定刻通りに到着した。
 時節は「小暑」であり、車から降りると熱気が肌に纏付く様に凄く暑い。
 15分程度境内を散策したが、ほうほうの体(てい)で早々に次の訪問地「慈尊院」へと向かった。

【善名称(ぜんみょうしょう)院】
 当院は、真言宗寺院。慶長05(1600)年、関ヶ原の戦いで西軍に属していた真田昌幸(1547-1611)・信繁((=幸村)1567(70)-1615)父子は、女人禁制の高野山・蓮華定院(れんげじょういん)に配流となったが、二人共、妻を連れていた為、九度山(くどやま)の当院に移され蟄居生活を送った。
 のち寛保元(1741)年、九度山出身の大安上人が真田昌幸の墓所に地蔵菩薩を安置した一堂を創建。これが当院で、「真田庵」の別称で親しまれている。
 奇遇なことであるが、真田昌幸の命日は慶長16年06月04日。今の暦に直すと1611年07月13日であり、正に訪問した日が没後402年後の命日だったのである。
 〔‥以下、『高野みち』からの引用である‥〕

 九度山での真田父子は、紀州の領主浅野(【小生注】幸長((よしなが)1576-1613):浅野長政の嫡子)氏から五十石の養い料を貰っていたし、信州の伊豆守(【同】真田信之((昌幸の長男・信繁の実兄)1566-1658))からの仕送り等もあって、窮乏はしていなかったらしい。しかしそれでも畑仕事をしたり、のちに「真田紐」とよばれた信濃ふうの組紐を打ったりしていた。〔後略〕

[01]善名称院(真田庵)
 01

------------------------[02]「真田昌幸墓碑と地主権現」解説
 02

11時30分 同寺 発‥1.2km/267.9km‥
11時35分 慈尊院着‥高野山町石道「入口」&「丹生官省符神社」〔拝観無料〕‥
12時00分 同寺 発‥13km/280.9km‥j

【慈尊(じそん)院】
 当院は、弘仁07(816)年弘法大師((空海)774-835)が、高野山開創に際して、高野山の表玄関として伽藍を創建したことに始まる。2004年07月世界遺産に登録された。
 この地九度山から高野山「大塔」迄の21kmの道程に1町(109m)毎道標として180本の五輪卒塔婆石(=町石(ちょういし))が建てられている。その一番麓に当たる180番目の町石が、此処「慈尊院」から隣地『丹生官省符神社』へ向かう119段ある石段の途中「一ノ鳥居」の直ぐ下右脇にある。
 「町石」は、高野山「大塔」~高野山奥の院「弘法大師御廟」迄の約04㎞の道程にも36基あるので、全部で216基ある。以上、これは余談。

 〔‥以下、『高野みち』からの引用である‥〕
 高野山麓のこの慈尊院は、空海在世中に建立されたと言われる。『高野略記』という古い本に、この家が空海の当時から下院(げいん)と言われ、空海は厳寒の時期は降りて避寒したと言われる。
 空海の母は、讃岐の阿刀(あと)氏の出である。
『紀伊続風土記』等に拠ると、承和元(834)年に遥々空海を高野山迄訪ねて来たという。空海はこの慈尊院に住まわせた、となっている。『野山名霊集』に拠ると、空海はその母を「此所に室を構(へ)て留置(とどめおか)れ、現当の御孝養を尽され、常光といふものを御給仕に附置せ玉ひ」等とある。この母は訪ねて来た翌承和02年02月05日、83歳で「娑婆の縁尽」きて逝き、この寺が廟所となり、以後慈尊院と呼ばれる様になった。空海も、それから一ヵ月余ののち62歳で入定(【注】高僧の死をいう)する。〔後略〕

[03]「慈尊院」入口にて
 03

------------------------[04]「慈尊院」と土塀と多宝塔(1624年再建)
 041624

 〔‥以下も『高野みち』から引用する‥〕
 官省というのは奈良朝・平安朝の行政用語であることは言う迄もない。官とは太政官のことであり、省とは民部省のことである。両機関を併称する時に官省という。この社名には「符」がついている。丁寧に言うには、「官省符荘」と言わねばならない。官省符荘とは、平安期の荘園の一種(法的性格としての)である。〔中略〕 官省符荘とは「その荘園の持ち主は国家に租税を納めなくてよい」ということを太政官の官符と民部省の省符で以て認められた荘園のことである。〔中略〕
 社殿の前に立てられた由緒書を読むと、
「官省符荘二十一箇村の総氏神である」
 という旨のことが書かれている。富裕な紀ノ川流域の21箇村の荘園というのは大変な富の源泉と思われるが、官省符荘である為には、高野山がその荘園の隷民達の行政・警察権を握っていたことになる。具体的には、政所(まんどころ)である慈尊院が、江戸期の代官の様にその実務を執っていたのであろう。〔後略〕

[05]「慈尊院」境内から『丹生官省符(にうかんしょうぶ)神社』拝殿への119段の「石段」と「一の鳥居」
 05119

------------------------[06] 180町石
 06_180

[07]「二ノ鳥居」前から『丹生官省符神社』拝殿を望む
 07

 添付写真をご覧になれば、中々風情があっていい寺院と神社だということが解って頂けると思う。が、何せ猛暑の為少し歩いただけで汗がどっと出る。
 兎に角暑い。中嶋君が「暑さで眩暈がしたよ」と言っていた位だから、観光するには適しない時期であることは間違いない。

 次に向かったのは、『華岡青洲の里』である。
 華岡青洲(1760-1835)の診療所「春林軒」を見る前に腹ごしらえである。「青洲の里」には座席数50のViking restaurant「華(はな)」があり、@1,380円で美味しい手作り料理を堪能出来た。これはお薦めである。
 「春林軒」は、Restaurantから徒歩で2~3分の所にあった。
 華岡青洲と言えば、有吉佐和子(1931-1984)著『華岡青洲の妻』(1966年作)が著名である。皆さんも作品名はよくご存知のことと思います。
 青洲は、字を伯行と言い、祖父・尚政、父・直道、に続き三代目「随賢」を名乗る。外科医の家に生まれ育った。
 青洲の偉業は、朝鮮アサガオ(曼陀羅華)を主体に‥
 ①世界初の全身麻酔薬『通仙散(つうせんさん)』を約20年の動物実験・人体実験の果てに創出することに成功
 ②世界初の「乳癌」の手術に成功
 この全身麻酔薬開発の人体実験に、母・於継、妻・加恵の献身的な協力があったという訳である。
 妻・加恵は人体実験の副作用で失明する。

[08]「春林軒」入口にて
 08

------------------------[09]「春林軒」入口至近の内部と華岡青洲
 09

12時25分 (華岡)青洲の里着‥昼食〔[03]Viking@1,380円/2,080円〕〔[04]春林軒・展示室入場料@600円/2,680円〕
14時00分 同所 発‥29㎞/309.9km‥
14時50分 高野山「奥之院」前駐車場着〔駐車場料金:無料〕‥0.7㎞(徒歩)‥2本のうち東側の参道を奥の院迄散策

[10]高野山「奥之院」前駐車場から「奥之院」への参道にて
 10

------------------------[11]高野山『奥の院』への参道にて
 11

15時20分 弘法大師御廟着〔経蔵・燈籠堂〕
15時50分 「奥之院」発‥1.6km(徒歩)‥西側の参道を徒歩で供養塔〔豊臣家他大名墓所〕を見乍ら「一の橋」へ

[12]豊臣秀吉墓所
 12

------------------------[13]薩摩・島津家墓所
 1320130713_

 恥ずかし乍ら‥であるが、今回は、どういう訳か拙い短歌や俳句がどんどんと浮かんで来た。
 以下、先ず高野山「奥之院」参道で詠んだ拙い短歌を一首ご覧に入れたい。

【詞書】高野山「奥之院」の参道には、吉川英治(1892-1962)・山岡荘八(1907-78)・池波正太郎(1923-90)・司馬遼太郎(1923-96)等の歴史小説に登場する主人公や脇を固める戦国の名将達、そして、江戸時代三百余藩の中でも十万石以上の雄藩の大名達の供養塔や五輪塔(=五輪塔)が所狭しと並んでいた。これ等を眺め乍ら小半時も歩いていたら、無性に、人生の儚さ・虚(空)しさ・寂寥感、そして終には「無常観」を感じるに至った。

 参道に 苔むす数多(あまた)の (‥五輪‥) 塔を見て
              盛者(じょうしゃ)必衰の 理(ことわり)を知る  悟空

16時30分 「一の橋」から「奥之院」前駐車場〔‥01km‥〕迄徒歩にて戻る
16時45分 「奥之院」前駐車場着
16時50分 同駐車場発‥1.3km/311.2km‥
16時55分 宿坊「福智院」(同院駐車場)着

【14日(日)】
06時00分 朝の読経
07時00分 朝食&宿坊境内3庭園見学〔重森三玲作庭〕

[14]福智院『愛染庭』‥本庭のみ朝の読経した後の一時だけ撮影出来る‥
 14

------------------------[15]福智院『蓬莱遊仙庭』
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[16]福智院『登仙庭』
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08時20分 宿坊「福智院」発〔[05]宿泊料金@11,256円+追加料金@2,744円/16,680円〕‥0.4㎞/311.6km‥
08時25分 金剛峯寺〔の南にある〕駐車場着〔駐車場料金:無料〕
08時30分 「総本山金剛峯寺」〔[06]拝観料:@500円/17,180円〕
 ‥正門・天水桶・経蔵・鐘楼・大玄関&小玄関・大広間&持仏間・梅の間〔伝・狩野探幽筆襖絵〕
 ・柳の間〔豊臣秀次自刃の間〕 ・別殿・新別殿・蟠龍(ばんりゅう)庭・奥殿(非公開)・新書院
 ・真松庵(非公開)・阿字観道場・書院上段の間・中庭・奥書院・稚児の間・土室(つちむろ)・台所

[17]総本山「金剛峯寺」表門前にて
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------------------------[18]金剛峯寺『蟠龍庭』
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 別殿廊下から「奥殿」前に広がる『蟠龍庭』‥石庭としては我国最大(2,340㎡)の広さ。龍は四国産の青い花崗岩、雲海は京都の白川砂が使用されている

「総本山金剛峯寺」の歴史を紐解くと‥
 空海の甥と言われる真然大徳(?-891)の住坊があった所である
 天承元(1131)年 10月覚鑁(かくばん)上人(1095-1143)が鳥羽上皇の勅許を得て小伝法院を建立
 文禄02(1593)年 豊臣秀吉が亡き母の菩提を弔う為、木食応其(もくじきおうご)上人(1536-1608)に命じて建立、寺名も「剃髪寺」→「青厳寺」と変え、木食上人の寺坊になってからは、法印〔=「法印大和尚位(ほういんだいしょうい):大僧正・僧正・権僧正という僧位の最高位」〕の御坊〔=寺坊〕となった
 その後、何度も火災焼失し、現在の本殿は文久03(1863)年に再建されたものである

09時30分 同寺 発‥0.6km(徒歩)‥
09時40分 「金剛三昧(さんまい)院」着‥同院入口より入院せず国宝「多宝塔」を撮影

[19]金剛三昧院・国宝『多宝塔』前にて
 19

09時45分 同院 発‥01km/312.6km‥
09時50分 「高野山霊宝館」前駐車場着〔駐車料金:無料〕〔[07]@600円/17,780円〕

 丁度前日の13日より企画展「高野山の名宝」展が始まった処であった。目玉は、鎌倉時代の仏師・運慶(生没年不詳)作に拠る「八大童子」である。

10時30分 同館 発‥0.1km(徒歩)‥
10時35分 「壇上伽藍着」〔「根本大塔」&「金堂」の拝観料@200円×2=[08]@400円/17,980円‥その他は無料〕

[20]巨大な根本大塔前にて
 20

 ご覧の様に巨大な根本大塔。高さは16丈(約50m)ある。中嶋君・谷山君達が小さく見える。
 空海に拠って日本で初めて建てられた多宝塔で、創建当時も現在とほぼ同じ高さであった。
 現在の根本大塔は1937年に再建された。
 この壇上伽藍の大塔を見終えた処で、大粒な雨がポツリポツリと降って来た。
 遠くで雷の音が聞こえる。
 谷山君が「大雨になるかも‥かなりヤバイよ!」と警鐘を鳴らしてくれたので、まだ金堂を拝観していなかったが、観光を打ち切り、諦めて駐車場に向かった。
 駐車場に到着した途端、大雨が降りだした。この雨は、高野山をほぼ降り切る迄降り続いた。
 中嶋君が「谷山君! 素晴らしい判断だよ!」と盛んに褒め讃えていた。車の外は土砂降りの雨である。
 それ程、谷山君の判断は的確であったのだ。谷山君! 有難う!

11時25分 同伽藍発‥0.1km(徒歩)‥霊宝館前駐車場へ
11時30分 同駐車場発‥0.8㎞/313.4km‥
11時35分 「大門」着‥「大門」前にて記念撮影‥

 大雨が降り続いていたので、全員での記念撮影は諦め、急ぎ大門だけ撮影。従って、本《会報》へのupは省略する。

11時45分 同所 発‥帰路へ‥
〔昼食は帰途中に橋本市辺りの一般街道、或いは高速道路沿いのdrive-inにて食することにする〕
18時00分 谷山宅着
18時25分 今泉宅着
18時30分 青木宅着
19時00分 中嶋宅着‥287㎞/600.4㎞‥〔[09]高速道路料金2,000円÷4=@500円〕
 ‥+[10]gasoline代:150円×600㎞÷(10㎞/L)=9,000円÷4=@2,250円/=【費用概算合計】@20,730円〕

                                           以上

【後記】高野山の「奥之院」は空海が「入定」した所‥とても荘厳な感じがして良かった‥。

 緑蔭や 矢を獲(え)ては鳴る 白き的  竹下しづの女

 この時季、弓道を経験した者にとってこの名句は本当に心に迫って来る。
 小生も、「奥之院」と、この名句で詠われている「緑陰」という季語に触発されて拙句を一句‥

 緑陰が 眼前に在る 奥之院  悟空

 そして今、宿泊先の「福智院」に3つある、昭和の著名な作庭師、重森三玲作の「遊仙之庭」の前で涼んでいた時に浮かんだ一句‥。 「福智院」は涼風が心地良くホント素晴らしいかった。 !(^-')b

 炎暑下も 頬に涼風 福智院  悟空


【詞書】昭和の天才作庭師・重森三玲(しげもり みれい)は、全国500カ所の庭を実地見聞した上での作庭だからだろう‥彼が作庭した庭は、新しさの中にも古き庭の良さが滲み出ている。

 苔庭や 温故知新の 三玲かな  悟空

 以下は余談である。
 京都の東福寺「方丈庭園」、同じく東福寺塔頭・光明院「波水庭」の作庭で著名な三玲が人生の締め括りに作庭したのが此処「福智院」の「愛染庭」「蓬莱遊仙庭」「登仙庭」の3つの庭。
 中でも「愛染庭」が三玲の遺作となった庭である。昭和49年作。彼は完成を見る前に逝去。翌昭和50年に彼の弟子達が完成させたと、福智院の僧侶が説明してくれた。「愛染庭」だけは、朝06時からある読経の後の十数分のみ読経参加者宛に見ることが許されているのだそうだ。

 今回もお粗末様でした。(^^;

 繰り返しますが‥、今夏の【2637の会】『クラス会』‥、皆さんからの朗報をお待ちしています。
 ではまた‥(了)

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