« 【時習26回3-7の会 0455】~「07月13(土)~14(日):『真田庵』『慈尊院』『華岡青洲の里』『高野山』を巡って」 | トップページ | 【時習26回3-7の会 0457】~「文藝春秋SPECIAL 2013年 季刊秋号:「百年前の純愛の記録‥『藤田嗣治「巴里からのラブレター」』‥」から」「07月27日:メナード美術館『collection展Ⅳ~世界の名画を見ませんか?~』を見て」 »

2013年7月26日 (金)

【時習26回3-7の会 0456】~「07月20日:トヨタ記念館・鞍ヶ池アートサロン『五感を澄まして/視る・聞く・かぐ・こころに触れる―それぞれの絵画』展&名都美術館『collection展/初夏の響き』を見て」「NHK取材班/『空海の風景』を旅する‥を読んで」

■皆さんお元気ですか、今泉悟です。《会報》【0456】号をお届けします。
 今日も先ず【2637の会】「クラス会」の出欠表明状況についてからご報告します。
 朗報です。24日、井上N生君から「出席」表明のmailが届きました。

Sent: Wednesday, July 24, 2013 9:30 PM
井上N生です。今年は出席させていただきます。よろしくお願いします。

 井上君、「クラス会」への参加表明有難う! 久し振りの再会ですね。 08月10日は楽しいひとときを過ごしましょう!

 これで、「出席」表明者は、菰田君、伊東君、千賀君、井上君の4名になりました。嬉しいですね!(^-')b♪
 まだお返事を頂戴していない【2637の会】membersの皆さん、来月10日の「クラス会」の件、朗報を心よりお待ちしています。
 これ迄「クラス会」に参加されたことのない皆さんも、一度この機会に是非参加してみて下さい!

■さて今日の話題は、去る07月20日(土)に、豊田市鞍ヶ池にある「トヨタ記念館・鞍ヶ池アートサロン」と、長久手市にある「名都美術館」へ行って来ましたのでその模様をお伝えします。

※ 最初は、鞍ヶ池アートサロンで現在開催中の「五感を澄まして/視る・聞く・かぐ・こころに触れる‥‥それぞれの絵画」展である。
 以下、出品目録の内容をご紹介します。

【聴覚】
01.西村計雄((けいゆう)1909-2000)『カスタネット(castanet)の夏』1959年作02.掘 浩哉((こうさい)1947-)『風の音に』1980年作
03.ズデンカ・ティレセク(チェコ共和国(1948-))2000年作
04.アレクセイ・アレクセイヴィッチ・ハラモフ(露(1840-1925))『リュートを奏でる婦人』1900年作
05.フランシス・シドニー・ムシャンプ(英(1851-1929))『ピアノの憩い』1882年作
[01]01185119291882a

06.ジャン・ピエール・カシニョ―ル(仏(1935-))『ないしょ話』1988年作

【味覚】
07.安井曾太郎(1888-1955)『白桃』1936年作
------------------------[02]02188819551936_2

 安井曾太郎の絵は、小生の親父が大好きで、小生のその所為でかなり以前から好きになった画家である。
 本作品『白桃』をご覧頂けばお解り戴けると思うが、彼の絵は単純な写実ではない。彼流にデフォルメして あり、それが作品に独特の品格を与えている。
 因みに、安井曾太郎は、洋画家としては、岡田三郎助(1937年)、藤島武二(同左)、和田英作(1943年)に続き、梅原龍三郎(1952年)と共に4番目の文化勲章受章者である。

08.小磯良平(1903-1988)『静物』1960年代作
09.藤田嗣治(Leonard FUJITA(1886-1968))『forkを持つ少女』1951年作
[03]鞍ヶ池アートサロン『五感を澄まして』展leaflet/絵は「藤田嗣治『forkを持つ少女』」
 03leafletfork

 小磯良平は、小生大好きな洋画家である。肖像画、中でも群像が特に上手い。それ等に比べると静物画は今一つかな‥。
 藤田嗣治の絵はいつ見ても魅力的でいいものだ。彼の絵には、何故だか余裕の様なものを感じる。

10.梅原龍三郎(1888-1986)『静物』1940年作
11.中川一政(1893-1991)『いちぢく』1960年代作
12.宮本三郎(1905-1974)『海の幸』1958年作
 http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/26-0420110970-1.html ←ここをclickして下さい
 [19]宮本三郎『山下、パーシバル両司令官会見図』1942年‥←これがご覧頂けます

【触角】
13.藤田吉香(よしか(1929-1999))『伊予手毬』1979年作
14.藤田嗣治(Leonard FUJITA(1886-1968))『親子猫』1940年作
15.地主悌助(じぬし ていすけ(1889-1975))『石』1970年作

【視覚】
16.パトリック・ヒューズ(英(1939-))『BOOKS ARE LIKE PEOPLE』1990年代作
 この絵を見た途端、目線をずらすと図書館を描いた画面が動き出す摩訶不思議な絵である。
 よく見ると、立体画になっていて、目線をずらすに従い、絵も動くという仕掛けになっている。
 これは「百聞は一見に如かず」なので、是非「鞍ヶ池アートサロン」に行って御自分の眼で直接確かめてみて下さい。
 ホント、良く出来ただまし絵の様ですね。ご覧になったら必ず吃驚されますヨッ!(^^;

【嗅覚】
17.木下孝則(1894-1973)『バラ』1960年代作
 この『バラ』も素晴らしかった。非常に品があっていい。何処か安井曾太郎の『薔薇図』にも似た雰囲気を持っている‥。

18.中川一政(1893-1991)『夏花図』1960年代作
19.牧野虎雄(1890-1946)『朝顔』1940年頃作
20.上永井正(かみながい ただし(1899-1982))『アネモネ』1979年作
21.鬼頭鍋三郎(1899-1982)『洋蘭図』1960年代作

※ 続いて向かったのが、長久手市にある名都美術館である。この美術館は、日本画のcollectionで有名である。
 現在(2013年06月11日~21日)開催中の企画展は『初夏の響き』。
 展示作品は、著名な日本画家17名全25点。その内訳は‥
 伊東深水(1898-1972)『七夕』『清涼』『緑庭』『緑蔭』『竹椽』『夜会巻』『ボンボン時計』『赤と白』8点
[04]伊東深水『緑庭』
 04

 酒井三良(1897-1969)『水郷閑日』『山路』2点
 伊藤小坡(1877-1968)『青楓』
------------------------[05]0518771968

 小倉遊亀(1895-2000)『初夏の花』
[06]名都美術館『初夏の響き』展leaflet表面/絵は「小倉遊亀『初夏の花』1972年」
 06leaflet1972

 小山硬(おやま かたし(1934-))『飛翔』
------------------------[07]名都美術館『初夏の響き』展leafletの裏面左側の2羽の鶴「飛翔」の絵
 07leaflet2

 鏑木清方(1878-1972)『白雨』
 加山又造(1927-2004)『牡丹』
 川合玉堂(1873-1957)『水聲鳥語』
 杉山寧(1909-1993)『紫陽花』
 関主税(1919-2000)『湖』
[08]0819192000

 土田麦僊(1887-1936)『露草図』
[07] 名都美術館『初夏の響き』展leafletの裏面左下の「露草」の絵

 堂本印象(1891-1975)『新しい水』
 橋本明治(1904-1991)『カトレヤ』
 前田青邨(1885-1977)『立葵』
 まつ(=「ウ」冠に「公」、その下に「木」)本一洋(1893-1952)『蛍』
 横山大観(1868-1958)『海暾(かいとん)』
[07] 名都美術館『初夏の響き』展leafletの裏面左下の「露草」の絵の右隣の「海岸と松林」の絵

 横山操(1920-1973)『赤富士』、各1点

 本展には、併設企画として、愛知県立芸術大学日本画研究室の教授・院生・学部4年生15名全18作品と、同大学所蔵の片岡球子『松竹梅の赤富士』・田渕俊夫『青木ヶ原』の2点が特別出品されていた。
 本展出品作品の中では、小生、leaflet表面[06]小倉遊亀『初夏の花』が一番気に入っている。
 ガラスの花瓶に桃色の山躑躅の花、そして黄色い果実‥不思議と清涼感が伝わって来て気持が良い‥名画だと思う。

■さて、今日最後の話題は、NHK取材班「『空海の風景』を旅する」についてである。
[09]09nhk

 前《会報》にて「空海」が開創した「高野山」についてご報告させて頂いたが、やはり「空海」についてもう少し詳しいことを知りたくなって、以前から買い置きしていた本書を読みな直してみた。少し、ご紹介させて戴くこととする。
 因みに、小生、本著の他には、本著が上梓される源泉となっている、司馬遼太郎『空海の風景(上・下)』(1975年刊)と、陳舜臣『曼荼羅の人(空海求法伝)(上・下)』(1984年刊)も積ん読の儘となっている。これ等を通読してから纏めてご紹介しようとも思ったが近未来的には難しそうな為諦めた。(^^;
 そこで今日は、空海が入唐を決意した理由と真言密教を日本へ齎した経緯をepisodeと共にお伝えしてみたい。

 先ず、空海の略歴から‥
774(宝亀05)年 06月15日、讃岐国多度郡屏風ヶ浦(現・香川県善通寺市)で生まれる
        父は郡司・佐伯直田公(さえきあたいたぎみ)
        母は、伊予親王(桓武天皇の子)の教師であった儒学者・阿刀太足(あとのおおたり)の妹(‥娘という説あり‥)
        宝亀05年06月15日は、新暦でいうと774年07月27日‥そう、1239年前の丁度明日が空海の誕生日なのである
788(延暦07)年 (15歳)平城京へ
789(延暦08)年 (16歳)阿刀太足の許で、論語・孝経・史伝・文章等を学ぶ
791(延暦10)年 (18歳)京の大学明経科に入学
793(延暦12)年 (20歳)大学に於ける勉学に飽き足らず、阿波国大瀧嶽((だいりゅうだけ)=舎心ヶ嶽)等の山林での修行を始める
804(延暦23)年 (31歳)04月 東大寺戒壇院で具足戒を受ける。「空海」を名乗り、
        05月12日第16次遣唐使の一行に加わり、難波津を出帆
        07月06日 肥前国松浦(まつら)郡田浦(たのうら)を出港、翌日より暴風雨に遭い漂流
        
 〔「『空海の風景』を旅する」を以下『空海の‥』という)‥「第五章/渡海」から‥〕
 日本から唐迄は凡そ700㎞の航路であり、記録に拠れば、最短でも約10日を要す。空海は漂着迄34日間かかった。P.143〔中略〕

 空海は生来、山岳を好み、厳しい肉体的精神的鍛錬を経て力を得た。かたちの上では私度僧乍ら、実としては都の官僧を上回る知識と実践を積んで来た自信があったことだろう。深い個の自覚と自信に支えられた空海が、いきなり人生の方針を転換して今更国家承認の僧侶になろうとする理由が見当たらない。空海の得度受戒の理由は、惟一つ、唐に渡りたいと願う何らかの理由が突如発生し、その目的を達する為の手段として行われたと考えるのが自然だ。P.148
 司馬遼太郎は、その「動機」を、空海がある経典を発見したことに拠ると考えた。
『大日経』と呼ばれる密教の根本経典の一つである。
『大日経』は、従来の仏教経典とは全く異質の新鮮さを持っていた。それ迄の経典が実在の仏陀(釈迦)が説法する形式をとるのに対し、『大日経』では、歴史上の実在人物ではない法身((ほっしん)=永遠なる宇宙の理法そのものとして捉えられた仏の在り方)の大日如来が、直接、仏の最高の悟りの知恵とは何かを説く。
 インドで成立したのは七世紀末頃と言われ、それが唐に伝えられ漢訳されたのは724~5年のことだという。〔中略〕多くの経典を読破し、山岳修行を積んで断片的な密教(【小生注】「雑密」=呪術的な要素が仏教に取り入れられた段階で形成されていった初期密教)を次々と身に付けていた空海も、この時既にインドでは雑密を超えて『大日経』を中心に据えた新しい密教体系が成立していることは知らなかったに違いない。『大日経』は思想的年代的に当時最先端の経典だったということが出来る。P.148〔中略〕

 ※ 空海は、この(【同】『大日経』)漢訳を読むことに拠って大日経の理論は理解出来た。
 但し、空海にも解せない部分がある。大日経には、仏と交感して其処から利益(りやく)をひき出すという方法が書かれている。その部分は、秘密(=宇宙の内面の呼吸の様なもの)であるが為に、宇宙の言語である「真言」を必要とし、又交感の為には真言だけでなく「印(いん)を結ぶ(【同】=両手の指を様々に組み合わせて宗教的理念を象徴的に表現すること)」等の所作を必要とした。〔中略〕こればかりは手をとって伝授されることが必要であった。
 空海はこれが為に入唐を決意した。大日経に於ける不明の部分を解く為であった。空海の入唐目的程明解なものはない。※ p.149
 〔※~※『空海の風景』六より引用〕

804(延暦23)年  08月10日 福州長渓県赤岸鎮に漂着‥空海は大使・藤原葛野麻呂(かどのまろ)と共に第一船に乗船〔cf:最澄は第二船に乗船〕
        10月03日 福州に廻航させられる。大使・葛野麻呂の為に、福州の長官宛に上陸許可を求める書を代筆
        11月03日 福州を発って長安へ向かう

 空海を乗せた遣唐使船第一船が唐の赤岸鎮に漂着してから長安へ出発する迄の3箇月間に起きたepisodeを『空海の‥』で以下の様に述べている。

 必死の思いで浜辺に辿り着いた空海達だったが、上陸は許されなかった。〔中略〕
 運の悪いことには、第一船に乗っていた遣唐大使の藤原葛野麻呂は、国使であることを証明する書類を一切持っていなかった。葛野麻呂は、〔中略〕何度も書状を書き、地方長官に提出したが、無視された。〔中略〕
 万策尽きた葛野麻呂は、唐語に優れると評判の空海に助けを求めることになったのだ。P.168〔中略〕

 空海は、大使の代筆を引き受けた。
 その文章は『性霊集』に収められた「大使の為に福州の観察使に與うるの書」に残されている。代筆して相手に渡した筈の手紙の文章がどうして残っているのだろう。〔中略〕いずれにしても、『三教指帰(さんごうしいき)』(797年空海24歳の作)を記してからプッツリと消息を絶っていた空海の「空白」期は、この代筆書簡の執筆に拠って打ち破られるのである。P.169
 空海の手紙は、福州の地方長官を驚かせた。それは、この後、一行の扱いが急変したことで解る。船の封は解かれ、一行は正式な国使として上陸を許され、衣食住のもてなしを受けた。
 空海の手紙は、何故中国の人々の心を動かしたのだろう。
 福建省には「空海研究会」という有志の集まりがあると聞いていた。
 私達は、彼等に集まって貰い、中国人から見た空海の手紙の印象を尋ねることにした。
「空海研究会」は、現在、霞浦県役場の中にある。会員は、此処だけで50人。全国では大学の研究者を含め120人を超す。P.170
 地元の研究会を主宰者陳さん(76歳)は〔中略〕「空海大師を単に宗教者と捉えるだけでは浅いのです。空海大師は中国人にとっても優れた書家であり、文学者でした〔中略〕」という。〔中略〕
 又、研究会の重鎮である二人に「現代の中国の方が読んでもこれは優れた手紙なのでしょうか?」と尋ねてみた。P.171
「恐ろしい迄のlevelの高さです。当時、空海は31歳の青年で、しかも日本人でした。その様な人がこれを書いたとはとても信じられません。でも事実なのです。恐らく空海は子供の頃から日本の中でも飛び抜けた中国文化の中で生活して来たのではないでしょうか。私は国語の教師でしたが、こんな文章がかける中国の青年にお目にかかったことは、終にありませんでしたよ(笑)」P.172
 前述の陳さんはこうも言った。
「全国で使われている高校の教科書には、日本人の名前が3人出て来るんです。吉備真備、阿倍仲麻呂、そして空海」。
 いずれも遠い遥かな時代の遣唐使であることが、現代を生きる私(=本稿の著者鎌倉英也氏)に複雑な思いを抱かせる。P.173〔中略〕

 〔「『空海の‥』‥「第六章/長安」から‥〕
        12月24日 遣唐使第一船の空海等23人は長安入城を果たす。
 この23人の中には遣唐大使・藤原葛野麻呂をはじめ、のちに空海と共に日本三筆の一人に数えられた橘逸勢の姿もあった。

805(延暦24)年 (32歳)長安・青龍寺で「恵果(けいか)」に師事
        02月10日 大使の一行は長安を去る。空海は橘逸勢と共に長安に留まり、西明寺に入る
        06月13日 青龍寺にて阿闍梨「恵果」から『胎蔵』の灌頂を受ける
        07月上旬 同じく、『金剛界』の灌頂を受ける
        08月10日 同じく、『伝法阿闍梨位(でんぽうあじゃりい)』の灌頂を受け遍照金剛の密号を授かり、「真言密教」の『第八祖』となる
        12月15日 「恵果」入滅

 青龍寺の縁起は、隋の時代、6世紀後半に遡る。当初は霊感寺といった。その後、寺名を変え、青龍寺となったのは唐代(711年)のことである。それから凡そ60年後、恵果がこの寺に入ってから本格的な密教の道場として栄えたが、845年、唐皇帝武宗の命に拠る徹底的な廃仏の嵐を受けて青龍寺も破壊された。〔中略〕宋代、11世紀初頭を以て終に青龍寺は潰えた。〔中略〕
 かつて中国密教の聖地であったこの寺は、漸く再建の端緒に就いたばかりなのだ。
 9世紀に及ぶ間、中国に於ける密教の伝統は消えていた。青龍寺の中国人僧達も1990年代末になって漸く集まった者達で、失われた密教は改めて一から学ぶ他ない。1200年前、恵果から空海が受け継ぎ、中国から日本へ伝えられた密教の所作が、今では逆に空海の教えを引く日本の僧侶から伝えられている。〔中略〕

 果たして恵果と空海はどの様に出会い、師弟となっていったのだろうか。
 以下のことは、空海自身が書いた『御請来(ごしょうらい)目録』の文章に拠る。

 恵果は空海を見るなり笑(えみ)を含んで喜歓したというのである。

 和尚、乍(たちま)チ見テ、笑ヲ含ミ、喜歓シテ曰ク、我、先(まへ)ヨリ汝ノ来ルヲ待ツヤ久シ。
 今日相見ル、大(はなはだ)好(よ)シ、大好シ P.207

 恵果は空海に出会ってから一月も経たないうちに、最初の灌頂(【同】=密教独特の法の伝授の儀式)を行い、以後矢継早に2回目の灌頂を授け、僅か2箇月後の8月には終に密教最高位の法王(大日如来)を意味する阿闍梨(=師匠)位を譲り渡す灌頂(=伝法灌頂)を終えている。恵果は、空海に法の全てを注ぎこんだ。その様子は、恵果の弟子呉慇(ごいん)に拠れば、「瓶へ水を移すが如くであった」、という。
 恵果は齢60歳であり、実はこの時病の床にあった。
 自らの死期を悟った恵果は、空海が訪ねて来る3年前から、一千人いたという弟子の中から7人を選抜し、既に法灯を護ることを伝え灌頂も済ませていた。しかし、最後の伝法灌頂に迄は至っていなかった様である。其処に空海が入って来た。20年も修行を重ねて来た弟子の中には、異例の抜擢に反発する者もいただろうし、その様な痕跡もあるが、恵果は頑として空海への譲位の意思を曲げなかったという。P.209

【小生comment】
 『空海の‥』では、この空海の抜擢と伝法の速度が如何に異常であったかを示す証拠として「阿闍梨位」の重さを示す。
 密教は、体系的な宇宙観を持つ思想としての純粋密教として成長していく仮定で『大日経』と『金剛頂経』の2つの流派を生んだ。
 そして、夫々の法は、師から弟子へ阿闍梨位を相伝することで引き継がれて来た。
 『金剛頂経』系の法の伝授でいうと、第一祖「大日如来」→第二祖「金剛薩埵(さつた)」→第三祖「龍猛(りゅうみょう)」→第四祖「龍智」→第五祖「金剛智」→第六祖「不空」→第七祖「恵果」→第八祖「空海」となり、空海は大日如来から数えて第八代の祖師になる。
 加えて、恵果はそれ迄別々の流れの中にあった「大日経」系・「金剛頂経」系の二系統を初めて一人で受け継いだ阿闍梨だった。空海はその阿闍梨位を恵果から正式に授かったのである。

806(大同元)年 (33歳)帰国。大宰府や和泉国(現・大阪府南部)に滞在
809(大同04)年 (36歳)京、高雄山寺(=神護寺)に滞在
812(弘仁03)年 (39歳)高雄山寺で最澄等に学修灌頂(かんじょう)
818(弘仁09)年 (45歳)高野山に禅院開創
823(弘仁14)年 (50歳)東寺を根本道場に
835(承和02)年 (62歳)高野山で入定
921(延喜21)年 醍醐天皇が「弘法大師」号を贈る

【小生comment】
 空海は、唐から帰ってから、博多で一年雌伏していた時期を経て、畿内に戻り、まず和泉国「槇尾山寺」、そして「高雄山寺」。
 この間、空海が最澄の為に金剛界灌頂・胎蔵灌頂を行う。
 「東寺」、「高野山」そして、入定。
 空海の生涯の足跡を辿って行くとまだまだ沢山の話がある。
 これ等については、お話する機会があったらその時にまた‥。!(^-')b

 繰り返しますが‥、今夏の【2637の会】『クラス会』‥、皆さんからの朗報をお待ちしています。
 ではまた‥(了)

« 【時習26回3-7の会 0455】~「07月13(土)~14(日):『真田庵』『慈尊院』『華岡青洲の里』『高野山』を巡って」 | トップページ | 【時習26回3-7の会 0457】~「文藝春秋SPECIAL 2013年 季刊秋号:「百年前の純愛の記録‥『藤田嗣治「巴里からのラブレター」』‥」から」「07月27日:メナード美術館『collection展Ⅳ~世界の名画を見ませんか?~』を見て」 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 【時習26回3-7の会 0455】~「07月13(土)~14(日):『真田庵』『慈尊院』『華岡青洲の里』『高野山』を巡って」 | トップページ | 【時習26回3-7の会 0457】~「文藝春秋SPECIAL 2013年 季刊秋号:「百年前の純愛の記録‥『藤田嗣治「巴里からのラブレター」』‥」から」「07月27日:メナード美術館『collection展Ⅳ~世界の名画を見ませんか?~』を見て」 »

2020年9月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      
フォト

最近の記事

05【時習26回3-7の会】【2008年8月16日】《クラス会》於:ブラウンズ&トライ・アゲイン

  • Dsc_0217
    ■2008年8月16日【時習26回3-7の会】《クラス会》を豊橋市内にある『ブラウンズ(一次会)』と『トライアゲイン(二次会)』にて開催しました。T三先生をはじめ全国から15名が集い大変楽しい5時間を過ごしました。 ■名残惜しいなか、23時すぎ、来年の再会を誓って散会しました。

101【2007年6月2~3日】■「千手院」でお会いした皆さんへ←clickでalbumへ

  • Cimg1428
    ■朝護孫子寺にて撮影した写真のほとんとを追加しました。ご高覧下さい。 ■2007年6月2~3日、「賢人会」のmember谷山・中嶋両氏と大和七福神・八宝廻りをしました。 ■七福神の一つ毘沙門天を祭る「信貴山朝護孫子寺」の宿坊【千手院】で一泊。 ■そこで、ご一緒した皆さんとの楽しかったひとときをアルバムにしました・・。      * * * ■瀬尾君、浅田さんとそのお供達の皆さんへ、「感想をお聞かせ」頂ければ幸甚です。 ▼『【時習26回3-7の会】のブログ画面』の【左上欄外】の「メール送信」を左clickして頂くと、今泉宛のmail address ~ < si886@nifty.com > ~ が開きます。 どうぞ、ご気軽に感想をmailにてお知らせください。 ▲【2637の会】のURL・・・  → URL: http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog

最近のコメント

無料ブログはココログ