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2013年8月の6件の記事

2013年8月31日 (土)

【時習26回3-7の会 0462】~「吉成真由美[interview編]:『知の逆転』~「トム・レイトン(Tom Leighton)とのinterview『第五章/サイバー(cyber)戦線異状あり』から」「08月29日:徳川美術館『徳川慶勝‥知られざる写真家大名の生涯‥』展を見て」

■皆さんお元気ですか、今泉悟です。《会報》【0462】号をお届けします。
 前《会報》を配信した08月24日を最後に翌25日(日)夜から急に涼しくなって来ました。
 秋の到来です‥と思いきや、昨日08月30日から今日31日両日は又暑さがぶり返して来ました‥(^^;
 ま、兎に角、「秋」をthemeとした名歌と名句を一つずつご紹介します‥

 『立秋』の頃はまだまだ暑く見た目には秋の到来など感じられないが‥と歌った名歌‥

  秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞ驚かれぬる  藤原敏行朝臣

 『処暑』も半ばを過ぎた今日この頃では、確りと「秋」の到来を目や肌で実感出来る様になる‥

  秋来ぬと目にさや豆のふとり哉(かな) 大江丸※

 ※大江丸(おおえまる(1722-1805):江戸時代中期の俳人。姓は安井。晩年には大伴大江丸(おおともの おおえまる)と号した。大坂出身。飛脚問屋・嶋屋の主。

■さて、今日最初の話題は、吉成真由美氏著『知の逆転』の第5回目「トム ・レイトン(Tom Leighton)とのinterview『第五章/サイバー(cyber)戦線異状あり』から」ご紹介します。

[01] トム・レイトン(Tom Leighton)
 01_tom_leighton

《profile》
 Tom Leighton:数学者。現・Massachusetts工科大学(MIT)応用数学科教授。1998年08月にアカマイ※1・テクノロジーズ社(以下アカマイ社)を共同設立。現・同社chief scientist兼取締役。Networkへのアルゴリズム(algorithm)※2の応用に於いて世界有数の権威者。

 ※1 アカマイ:Hawaii語で「intelligence(情報)」を意味する
 ※2 algorithm:数学、computing等の分野に於いて、問題の解法手順を定式化した形で表現したもののこと
   情報がどういうrouteで伝わるか決める「算法(さんぽう)」と言ってもいい
   因みに、computerにalgorithmを指示する為の(電子)文書がprogram
   情報量の急激な増大と情報伝達の迅速化が急速に進展している現在、programが正しく且つ効率的なalgorithmに基づかれることが求められている

《Internet社会のインフラを支える会社》
★数学を武器に★
【吉成】アカマイ社の戦略の基礎には数学がある訳ですが、数学理論が実践的にも威力を発揮するというのは、素晴らしいことです。数学は情報社会に於いて、実用的な学問になって来ているのでしょうか?
【Leighton】私は〔中略〕今でもMITの数学教授です。〔中略〕
 我々の場合、Internetの交通渋滞を避ける為の経路決定algorithmを作る処から始まって、様々な課題に取り組んで来ました。〔中略〕
 例えば、n人の人がいてm個のserverがあった場合〔中略〕nとmが非常に大きな数字であった場合、皆がhappyに映画にaccessするにはどれ位の時間を必要とするか、という問題を解決するalgorithmをdesignし、それに関する理論を証明する訳です。
 この問題について最初に書いた論文が最終的に〔中略〕DARPA(国防高等研究計画局)に採用され、その時の理論がアカマイ社の基になったんです。P.205〔後略〕

★誰も知らないInternet上最大の会社★
【吉成】〔前略〕私達は知らず知らずのうちに毎日アカマイ社のお世話になっている訳です。御社が一体どの様な仕事をしているのか、何故大変な急成長を遂げているのか、簡単に説明して頂けますか。
【Leighton】アカマイ社は恐らく、『誰も知らないInternet上最大の会社』という風に表現してもいいかもしれません。当社は、ほぼ全てのweb上最も人気の高いsiteの内容を配信したりspeed upしたりしているので、誰もがアカマイ社を使っていることになります。毎日13万以上のweb site※3がアカマイ社を通じて配信されています。P.206〔後略〕
 ※3 web site:Internet上で、WWW※4の方式に基づいてserver※5からの情報の提供等のserviceが行われる場所
 ※4 WWW:world wide webの略。Internet上の情報検索・表示system。文字に加え、静止画・動画の情報も取り扱える
 ※5 server:Network上で、Dataやprogramを供給するcomputerやsoftware
【吉成】どういった会社が御社の主要な顧客なのですか?
【Leighton】GoogleやYahoo等の主要なsearch portal siteは全て当社を使っています。〔中略〕
 北米では、e-commerceの96%、世界では同じく60%が当社の顧客で、日本でも大体(世界と)同じ状況です。P.208〔後略〕

《大学の研究と産業との新たな関係》
★これからは研究がcyber warsで勝ち残る為の重要な武器となる★
【吉成】アカマイ社は研究に重点的に投資しているので、この分野の裾野の方で競争が厳しくとも、頂上の方では向かう処敵なしだと仰っておられましたが、この辺を少し説明して戴けますか。
【Leighton】我々のbusiness分野では、裾野の方には沢山の競争相手が犇(ひし)めいていますが、それでも当社のserviceにはどれも及ばないと自負しています。
 その上、例えば信号の加速化やsecurity、確実性等を提供するという上位のserviceとなって来ると、我々がやっている様な内容を提供出来るところは何処にもない訳です。その内容の主要部分は数学で、我々が此処に到達する為に研究して来たものです。裾野にいる競争相手には、それだけの研究投資をする体力はないですし、そういった基礎研究が重要だという認識もないでしょう。
 彼等は、serverを幾つも用意して、data centerを作って、取り敢えず配信を始めようと考えます。でもそれでは巧く行きません。何処にどういうdataを保存し、何千、何万もの場所で本当に分散処理型の体制を作って配信するにはどうしたら良いか‥。それは取りも直さず、n人のuserに速く確実に質の高い配信をするということを意味するので、我々以外にそれが出来るところはない訳ですから、business上大変有利になります。P.238〔後略〕

★将来の展望★
【吉成】アカマイ社の将来についてはどの様な展望を持っておられますか?
【Leighton】将来は‥無限の可能性があると思います。恐らく、アカマイ社内に幾つかのアカマイ社を作るという形になろうかと思います。
 先ず一つ目は「media分野」です。〔中略〕二つ目は「商業分野」。〔中略〕三つ目は「企業分野」。〔中略〕四つ目は(TV)Network部門です。〔中略〕
 以上4つの柱夫々が10億ドルのbusinessになると考えている訳です。P.246〔後略〕

【吉成】最近最もexciteしていることや心配していることは何ですか?
【Leighton】businessで言えば、我々のserviceを劇的にspeed upさせる新しいtechnologyを開発中です。我々のbusinessはspeedが重要な鍵となります。これに拠って、data送信の負荷がグッと減り、特にwireless機器にとって大きな朗報となるでしょう。これからは全てがwirelessになりますから、このtechnologyには非常にexciteしています。
 もう一つは、次世代の新たなonline security serviceを展開することになっており、これに拠ってありとあらゆるcyber攻撃に太刀打ち出来る予定です。〔中略〕
 心配していることは、現在我々は短い時間で、世界中で3千人を擁する10億ドルの会社に成長し、近い将来50億ドルを視野に入れている訳ですが、大会社になってもこの儘成長を続けていくというのが、大きな課題です。P.247〔後略〕

【小生comment】
 Leighton氏が経営に参画しているアカマイ社は、彼と彼の仲間(=MITの数学者)達が有する極めて高度な数学理論を活用して、現在急激に増大するonline上の情報処理の迅速化・高度化を具現化していくserviceの提供を業とする会社ということになろうか。
 GoogleやYahooの検索engineの処理speed upと検索領域の拡大に、アカマイ社の数学理論が反映されている。
 換言すれば、我々が毎日利用しているNetwork serviceの利便性向上にアカマイ社の機能が発揮されている。
 情報が世界中で高度化高速化し、かつ増殖している‥‥そんな時流の大きなウネリの中で、ふと「‥『自分』という個の存在が何と小さいことか‥」と思った。

■さて続いての話題である。
 一昨日の08月29日名古屋へ出張した際、時間があったので、名都美術館と徳川美術館を訪れてみた。
 今日は、そのうちの徳川美術館『徳川慶勝(よしかつ)‥知られざる写真家大名の生涯‥』展についてをご紹介する。
 小生、今回、本展を見ることに拠って初めて確信したのである。幕末に於いて尾張藩の当主慶勝が、能動的に日本史上にレーゾンデートル(raison d'etre『存在価値』)を示していたのだ、ということを。
 以下、本展図録等より時系列的に引用してご紹介したい。

[02]徳川美術館『徳川慶勝‥知られざる写真家大名の生涯』展leaflet
 02leaflet

------------------------[03]徳川慶勝(1824-1883)系図
 0318241883

第一章/尾張徳川十四代
【1】高須松平家
 慶勝は、文政07(1824)年に尾張徳川家分家、高須松平家10代義建(よしたつ(1799-1862))※1の二男として、江戸の高須藩四谷上屋敷で生まれた。

※1 慶勝の父・義建は、水戸徳川家06代治保(はるもり)の二男・保右(もりすけ)で、のち高須藩09代松平義和(よしより)となる。
 正室は、慶勝の実母・規(のり)姫で、水戸徳川家07代治紀(はるとし(1773-1816))の五女。彼女と間に四男・一女を含め、十男・九女をもうけた。
 因みに、後に慶勝と共に『高須四兄弟』と呼ばれる、茂栄((もちはる)=茂徳(もちなが)(1831-1884))・容保(かたもり(1835-1883))・定敬(さだあき(1847-1908))は夫々義建が側室との間にもうけた子〔後掲添付写真[07]ご参照〕。
 尚、子の多さでは慶勝も父に負けていない。慶勝と子をなした側室は4人。十二男・九女を授かったが、成人したのは僅か5人。以上、余談まで。

 長男・源次郎が既に没していた為、慶勝は誕生時より嫡男として養育された。
 当時の高須家は尾張徳川家の分家乍ら、慶勝は、父の従兄弟で、且つ母の弟・水戸徳川家09代徳川斉昭(=徳川慶喜の実父)から強い影響を受けた。
〔‥【小生comment】蓋し、斉昭からの影響が、安政の大獄での蟄居と尾張徳川家当主の座の明渡し、徳川御三家であり乍ら大政奉還後の維新政府(=朝廷)側への鞍替え、という決断・行動に結びついていったのであろう‥〕
 天保12(1841)年、従四位下侍従・中務大輔(なかつかさたゆう)に叙任。名を「義恕(よしくみ)」とした。
〔‥【小生補足】慶勝は、天宝12年閏正月四日に五位下中務大輔に叙任されると同時に従従四位下・侍従に叙任。高須松平家は、03万石の小藩乍ら侍四位下少将迄昇進、又、家督相続前の嫡子も従四位下となる国持大名の高い家格を有していた‥〕
 慶勝の正室は、二本松・丹羽家09代長富(ながとみ)の娘・矩(かね)姫。嘉永02(1849)年結婚。
〔‥【小生補足】二本松・丹羽家は、丹羽長秀(1535-1585)の嫡孫・光重を初代藩祖とする‥〕

【2】尾張徳川本家相続
 尾張徳川家は、09代宗睦(むねちか(1733-1800))で初代・義直の血統は途絶えた。10代斉朝(なりとも(1793-1850)=第11代将軍徳川家斉の弟で一橋家嫡子・徳川治国の長男)以降4代続けて将軍家周辺から養子を迎えた後、嘉永02(1849)年、慶勝26歳の時、尾張徳川家14代を相続。将軍家慶の一字を賜り、名を「慶恕(よしくみ)」とした。

【3】失脚と復権
 慶勝の治世時代、米国との開港の是非や、13代将軍家定の継嗣(けいし)を巡る対立が表面化した時代。開明派大名と親交を持った慶勝は、開国を時期尚早として富国強兵優先の立場を取り、一橋慶喜を後継とする考えに与(くみ)した。
 安静05(1858)年に井伊直弼(1815-60)が大老となり、将軍後継は紀伊徳川慶福(後の家茂)に決定。井伊は日米修好条約を締結。慶勝は、水戸徳川斉昭等と、江戸城で井伊の政治姿勢を糾弾するも、この時の不時登城(=定式登城日以外の登城)は重罪であるとして、隠居・謹慎を命じられた(慶勝その時35歳)。
 2年の謹慎生活の後、桜田門外の変で井伊が暗殺された万延元(1860)年に謹慎が解かれ、名を「慶勝」に改めた。
 そして、隠居の身乍ら、再度幕政に参加、文久02(1862)年 従二位権大納言を経て、元治元(1864)年 正二位となる。

第二章/幕末の動乱
【1】将軍輔翼
 復権した慶勝は、攘夷問題に揺れる幕府と朝廷間の仲立ちに尽力、文久03(1863)年初めて上洛。将軍補佐役である「将軍輔翼」に就任。
 慶勝の復権で、尾張藩内の対立再発を危惧した実弟の尾張家15代茂徳(もちなが)は、慶勝の嫡男・元千代(もとちよ(当時6歳))に藩主の座を譲り、慶勝はその後見職に就任。
 これにより慶勝は尾張藩の実権を掌握し、幕末の舵取りを担うことになった。
 朝廷・幕府から信任された慶勝は、元治元(1864)年 第一次長州征伐の征長総督に任命され、広島迄出征する。
 そして、内乱の長期化を懸念した慶勝は、軍事行動を回避して長州藩の降伏せしめた。
 しかし、一橋慶喜や実弟の松平容保からその姿勢を弱腰と批難されされた為、慶勝は政治の表舞台から退いた。

【2】明治維新
 朝廷からの信任厚い慶勝は、慶應03(1867)年の王政復古で新たに設けられた三職(=総裁・議定・参与)の一つである議定(ぎじょう)に就任。
 しかし、翌慶應04年正月の鳥羽伏見の敗戦・十五代将軍慶喜の逃走に拠り、慶勝は徳川一門としての決断を迫られ、新政府側の立場を明確にする。
 急ぎ名古屋に戻った慶勝は、幕府側とされた重臣を粛清(※2 青松葉事件)、勤王の姿勢を鮮明にし、東海道・中山道沿道の諸般・旗本・寺社に家臣を派遣して新政府側に味方する様「勤王誘引」活動を展開。
 慶勝は、僅か半年の間に、派遣先全てから誓書を取り付け、沿道の軍事指揮権を掌握、新政府軍の江戸進撃を可能にした。

※2 青松葉(あおまつば)事件:15代将軍慶喜の敵前逃亡に拠って窮地に立たされた慶勝は、徳川一門としての立場を明確にする必要に迫られ、慶應04(1868)年正月08日に新政府側に付くことを朝廷に奏上した。そして同月20日に名古屋へ戻り、幕府側とされた渡辺新左衛門・榊原勘解由・石河内蔵允(くらのじょう)の3重臣を即日斬罪に処した。25日迄に更に11名の家臣を処刑、連座する多くの者を処分して藩論を勤王に統一した。しかし、処刑された者が明確に反勤王の行動をとった形跡はなく、明治03(1870)年には早くも関係者は赦免されており、当時から不可解な事件と認識されていた。青松葉の名の由来は不明で、渡辺新左衛門の異名との説がある。

 慶應04年閏04月21日(1868年06月11日) 議定を辞任
 明治02(1869)年 王政復古時の功績に拠り従一位に叙任される〔徳川御三家初となる破格の昇進〕
 明治03(1870)年 12月03日(1871年01月23日) 名古屋藩知事に就任
 明治04(1871)年 07月13日(1871年08月28日) 廃藩置県に拠り名古屋藩知事を免じられる
 明治08(1875)年 尾張徳川家の当主を再継承
 明治09(1876)年 第二部華族(旧徳川一門)の宗族長となる
 明治13(1880)年 当主を退き隠居する(57歳)
 明治16(1883)年 08月01日 薨去(60歳)

第三章/文人・写真家大名
【1】慶勝の教養
 慶勝は、殿様として必須の教養である書画・和歌・漢学等を等しく修めており、いずれも多くの作品が現存している。博物学者としての側面も持っていた。

【2】写真術開花
 慶勝が生涯最も注力した趣味が写真である。隠居・謹慎中から写真術に着目し、謹慎が解けた万延元(1860)年拠り本格的に研究に着手。
 身近な人々の肖像画や、名古屋・江戸・京都・長州征伐で出征した広島等の風景、静物等数多くの写真を残しており、歴史資料としても価値が高い。

【小生comment】
 幕末維新にかけて尾張徳川家の当主として尾張藩を存続させただけでなく、内乱回避に拠り欧米列強による日本の被植民地化を未然に防いだと言っても過言ではあるまい。
 尾張藩の求めに応じて岡崎藩本多家をはじめ、東海道・中山道沿道の諸藩から『勤王誘引書』が提出された。その証書の数は750通に及ぶ。
 僅か半年の間に沿道全てからの証書取り付けに成功、慶應04年02月21日には東征大総督有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみや たるひとしんのう(1835-95))を名古屋に迎えている。大藩尾張藩の藩主慶勝に確かな政治指導力が無かりせば、新政府軍の慶應04年03月~04月にかけての江戸無血開城も実現出来なかったか、出来たとしてもかなり遅れたものと思料する。

【後記】今日は、新人物往来社[編]『カメラが撮らえた‥最後の将軍と徳川一族』から」から徳川一族の写真の幾つかをご紹介したお別れします。
 昔の徳川の殿様とその奥方の写真です。
 [07]高須四兄弟の写真は有名ですね。兄弟で新政府軍側と旧幕府軍側として闘った。凄い運命を背負った兄弟達です。
「一会桑政権(いちかいそうせいけん)」は、幕末の政治動向の中心地京都において、徳川慶喜(禁裏御守衛総督、一橋徳川家当主)、松平容保(京都守護職・会津藩主)、松平定敬(京都所司代・桑名藩主)の三者により構成された体制。「一(橋)・会(津)・桑(名)」の頭文字からとった名称。
 慶勝は御三家筆頭尾張徳川家第14代・第17代当主。又、茂徳(もちなが)は、同じく尾張徳川家第15代当主で後、一橋家第10代当主となり茂栄(もちはる)と改名。因みに一橋家第09代当主が徳川慶喜である。

[04]徳川慶喜1867.03.29大阪城にて撮影
 0418670329

------------------------[05]徳川宗家第16代徳川家達(いえさと)‥因みに、第15代は最後の将軍徳川慶喜
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[06]家達夫人泰子(ひろこ)(1867-1944)‥左大臣・近衛忠房(1838-73)の長女‥彼女の甥〔長兄・篤麿(1863-
1904)の長男〕が近衛文麿(1891-1945)
 061867194418387318631904

------------------------[07]高須四兄弟1878年09月撮影(左より定敬(31歳)・容保(42歳)・茂栄(もちはる(茂徳(もちなが)(47歳)))・慶勝(54歳))
 071878093142

[08]徳川義親(1886-1976):福井藩主松平春嶽の5男。尾張徳川家の養子となり第19第当主。
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 徳川宗家・御三家・御三卿‥これに幕末に名を残したご家門〔越前・会津・桑名〕松平家の婚姻・養子縁組を見ていると頭が混乱する。
 これ等の関係について理解を深めることは日常生活に何の役にも立たないが、幕末日本史の理解とボケ防止には効果がありそう‥。(^^;
 それ程複雑なのである。
 ではまた‥(了)

2013年8月24日 (土)

【時習26回3-7の会 0461】~「吉成真由美[interview編]:『知の逆転』~「マービン・ミンスキー(Marvin Minsky)とのinterview『第四章/なぜ福島にロボットを送れなかったか』から」「08月16日:ヤマザキマザック美術館『夏の思い出‥森の夢‥不思議ないきものたち』展を見て」「土橋重隆著『50歳を超えても‥ガンにならない‥生き方』を読んで」

■皆さんお元気ですか、今泉悟です。《会報》【0461】号をお届けします。
 毎週同じことを申し上げていますが、今年の猛暑は異常ですね。
 ご当地豊橋は水不足が深刻化。水源の宇連damの貯水率は平年67%の処08月19日時点で11%という異常な低さ。
 豊川用水節水対策協議会は同日、農業・工業・水道の節水率を一律10%→20%に引き上げた。豊川用水の節水率20%は2005年08月以来との由。
 更に同協議会は、昨日08月23日、農業・水道・工業用水で実施している20%の節水を、26日午前09から農業・工業用水を30%、水道用水を25%へ引き上げることを決めた。農業・工業用水30%節水は2005年07月以来、水道用水25%節水は2002年10月以来。深刻な事態になりつつある。
 因みに、豊川用水最大の水瓶「宇連(うれ)dam(新城市)」の貯水率は23日現在5.8%に低下。今のpaceで水を使うと01週間以内に枯渇する。05~08月の新城市の降水量が平年比36.8%と極端に少ないことが原因という。

■さて、今日最初の話題です。今回も、元NHK directorでscience writer吉成真由美氏が世界の著名な大科学者6名とinterviewして著した『知の逆転』の今日はその第4回目「マービン・ミンスキー(Marvin Minsky)とのinterview『第四章/なぜ福島にロボットを送れなかったか』から」ご紹介します。

[01]マービン・ミンスキー((Marvin Minsky)1927-)
 01marvin_minsky1927

《profile》
 Marvin Minskyは、米国New York生まれ。Computer科学者・認知科学者。専門は人工知能(AI)。現・Massachusetts工科大学(MIT)教授。1959年ジョン・マッカーシーと共にMIT人工知能研究所を創設。「人工知能の父」とも呼ばれる。

《Emotion Machineとしての人間》
★感情とは思考の単純形だ★
【吉成】工事現場の爆発事故に拠って、鉄棒が脳を貫通し、大脳辺縁系(脳のほぼ中央にある旧皮質)と大脳皮質(脳の前頭葉にある新皮質)との連絡網が切れて仕舞ったという、フィニアス・ゲージの例があります。事故後も彼のIQは変わらなかったし、行動も一応OKだったけれども、色々な人間関係の手懸りを失って仕舞う訳です。人の感情を読んだり会話をする為の手懸り等ですね。そして将来に対する計画性や、欲望の抑制力というものを失って仕舞った。ゲージのこの例を踏まえると、感情(‥主として大脳辺縁系を使った本能的思考‥)と思考(‥大脳皮質を使った思考‥)、両者の関係性というものが重要なのだと思います。
 最近のご著書『エモーション・マシーン(The Emotion Machine)』の中で、感情とは、思考の一種であると言っておられますが、感情の重要性とはいったい何でしょうか? 日常溢れる情報に曝されて、私達は感情を失いつつあるのでしょうか?
【Minsky】何千年もの間人々は、「思考」即ち理性的で論理的で機械的なものと、「感情」即ち自然で論理的でないもの、という風に区別して来た訳です。従来の心理学は、自然な行動というものは二種類に分けられるという考え方に基づいていました。
 因みに私に言わせれば、何にせよ世界や物事を二つに分けようとする試みは、大きな間違いです。そうすると、全てを「これ」か「あれ」であると言わなければならず、両者の間に位置するものに対して、橋を架けられない。私の発見の大半は、少なくとも三つの事柄があるという考え方に基づいたものです。ですから、「此処」も「彼処」へ行こうとした時に、障害(三つ目の事柄)があれば、それを迂回するという考え方が出て来る。
 本来「思考」と「感情」に分けて考えるべきではないと思います。「思考」というのは非常に複雑で、我々は実に多様な物事の理解の仕方をする。一方、僅か10-20位(くらい)の別の遣り方でも物事を理解していて、これ等を「感情」と読んでいる訳です。従来、「思考」というのはsimpleで論理的であるのに対し、感情は非常に複雑で強力で神秘的だと考えられて来た訳ですが、これが大間違いなんですね。
「感情」というのは非常に単純な動物でも持っている。ある状態ではとてもお腹が空いているから、食物が欲しいと思ってそれが行動を独占する。別の状態では危険を感じる、だから即逃げる。〔中略〕単純な動物はこういった反応の仕方をする訳です。
 これに対して、哺乳類や鳥類の一部(‥鸚鵡や烏‥)、蛸(タコ)等の複雑な動物は、状況に応じて実に様々な反応の仕方をする訳で、これ等を「思考」と呼んでいるのです。
 従来の考え方とは逆に、「感情」というのは単純かつ機械的であり、「思考」は実に様々な状況の判断や反応の仕方をするものだという風に、見方を変える必要があると思います。
「思考」は複雑な過程なので、IQ testの様に「頭の良さを一つの数字で表す」試みというのは全く意味がない。心理学者のハワード・ガードナーが言う様に、数学知能・図工知能・言語知能・運動知能等、「複数知能説」の方がより近いと思う。実際、脳について是迄解って来ていることを考慮すると、一度に何百というcomputerが脳内で作動している訳で、それだけとってみても、「思考」というものが単純で論理的な過程であると考えるのは、全く間違いであることが解るでしょう。
 単純で機械的なのは、怒っているとか、恋をしているとか、お腹が空いているといった「感情」の方です。ただ、感情が複雑な思考と結びついて仕舞った場合を除いてですが‥‥。

★ユング(Jung, Carl Gustav(1875-1961))とフロイト(Freud, Sigmund(1856-1939))について★
【吉成】貴方は人工知能に関連して心理学の分野も研究されておられる訳ですが、以前「ユングの人気は全くおかしい」と仰っておられました。何故その様に考えておられるのでしょうか?
【Minsky】Jungは科学分野からとうの昔に消え去っているでしょう。

【小生comment】
 Jungの主張する「シンクロ二シティ(英語:Synchronicity)=「共時性」:意味のある偶然の一致」や「集合的無意識(独語:Kollektives Unbewusstes 英語:Collective unconscious)=個人の経験による無意識より深く、同じ種族や民族、或いは人類等に共通して伝えられている無意識」について、小生は「脳足りん(ノータリン)」なのか、考えれば考える程解らなくなる‥。Minsky氏が「Jungは科学分野からとうの昔に消え去っている」ということを知り、納得出来た様な気がする。

【吉成】それについて異存はありませんが、フロイトの方はどうですか?
【Minsky】Freudは中々興味深い人物です。沢山の新しいideaを持っていましたが、余りにも時代に先駆けていた。例えば、神経系の中を如何に情報が伝わって行くかについての理論を、早くから論文にしていたけれども、1950年代になる迄活字にならなかった。神経細胞がどの様に情報を伝達するか、それが経験に拠って如何に変わって行くか等、様々なideaが入っていたのですが、余りにも当時の他の理論と異なっていた為に、中々出版されなかったのです。
 Freudの学生だったJungは、面白い理論を構築し始めます。その過程で、異なる色々な文化が実は同じ様なideaを持っていたことに気づく訳です。例えば、夫々の文化の伝説や神話がやたらと似ていると‥。悪い行いをすると神様が出て来てその行いを懲らしめるといった話ですね。だからJungは、全ての人々の心は、何かtelepathyの様な神秘的な方法でcommunicateしているんじゃないか、と考えた訳です。これに対してFreudが怒って、以来、二人は二度と口を利かない様になった。お互い相手の主張が馬鹿げていると思ったんですね。
 馬鹿げていたのは明らかにJungの方でしょう。でも、いまだに多くの人々が、彼の説を良しとして、意味のある心理学だと思っている様です。

【吉成】詰まる処私達の脳は、人種文化を超えて殆ど違わない訳ですから、それが生み出す伝説や昔話や童話が似ていたとしても、当然だという気がしますが‥。
【Minsky】そうですね。しかし、Jungの言う神話や伝説を見てみると、例えば、殆どの文化で近親結婚がタブー(taboo)となっています。我々は沢山の劣性遺伝子を持っていて、それが二つ揃うと、多くの場合胎児は死亡して仕舞う。生まれたとしても、何らかの病気になり易い。両親が近親者であった場合、子供にそういったことが共通して起こるので、全ての文化で、自分の妹と結婚してはならないという物語が出て来ることになります。
 Jungは、何故全ての文化に共通する様な、こういった物語が出て来るかという問いに対して、実にsimpleな答えがあるのだということに考えが及ばなかった。〔後略〕

【小生comment】
 「第四章/なぜ福島にrobotを送れなかったか」については、質問した吉成氏に対してMinsky氏が、「1980年に雑誌に、例え「知能robo」tを作ることが出来なくても、少なくともどうやったらリモコン操作出来るrobotを作ることが出来るか、という記事を書いた。それは前年(1979年)米国のスリ―マイル島で原子力発電所が故障して、誰も修復作業の為に中に入ることが出来ない、という事態が発生した為、「リモコン操作robot」なら比較的容易に出来る筈だ、ということを説明した。あれから30年経っても、その〔‥問題解決型robotの‥〕進歩が殆ど止まって仕舞っている」。そして、その原因の一つが「企業経営者に長期的visionというものが失われてつつあり、長期的視野に立った研究をするのが難しくなっている」ことにあると述べている。
 確かにその通りである。国の将来を決める国の統治者である為政者や、産業界に於ける企業経営者は、常に長期的視野に立ってvisionを構築しなければ、その国やその会社にとって明るい未来を展望出来ないことは解る。しかし現実は、具体的に短期的に確実な結果を求められる。事程左様に現在の為政者や企業経営者は厳しい立場に置かれている訳だ。

■さて今日続いての話題である。
 前《会報》にてご紹介した古川美術館訪問に続いて訪れた「ヤマザキマザック美術館『夏の思い出‥森の夢‥不思議ないきものたち』展」についてご紹介したい。
「本展は、エミール・ガレを始めとするアール・ヌーヴォーのガラスや家具を所蔵する同美術館に於ける最初の現代美術展で、植物や虫、生き物といった自然のmotifを、金属やガラス、陶、アクリル等様々な素材や手法に用いて表現した現代の作品を、ガレやマジョレル等アール・ヌーヴォーの作品と合わせて展示する」とleafletは紹介している。
 なんやかんや言っても小生は、orthodoxな絵画が一番いい。
 そこで今日は、本展展示作品からエミール・ガレの作品を3点と、常設展cornerに展示されていた絵画の中から幾つかをご紹介する。

[02]ヤマザキマザック美術館『夏の思い出‥森の夢‥不思議ないきものたち』展leaflet
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------------------------[03]Emile Galle(1846-1904)『Applied and engraved pen tray "small good people in green"』1900年
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[04]同『"L'Hippocampe," applied and engrave vase with seahorse design』1903年頃
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------------------------[05]同『Engraved and painted vase with pine design』1902-04年
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[06]ドンゲン(Van Dongen, Kees(1877-1968))『花(Flowers)』1931年
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------------------------[07]同『乗馬(Horseback Riding)』制作年不詳
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[08]同『オレンジ色のサングラス(Orange Sunglasses)』制作年不詳
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------------------------[09]マルケ(Marquet, Albert(1875-1947))『Paris, the Louvre Quay』1906年
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[10]ドニ(Denis, Maurice(1870-1943))『エウリュディケ((Eurydice):《Orpheusの妻》)』1906年
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------------------------[11]ヴュイヤール(Vuillard, Edouard(1868-1940))『アネモネ(Still life with Anemones)』1906年
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【小生comment】
 以上[06]~[11]の常設展corner展示作品のうち、ドンゲン・マルケ・はフォービスム(Fauvisme)、ドニとヴュイヤールはナビ派。
 何れも個性豊かな印象に残る素晴らしい佳品である。

 ※ 野獣派(Fauvisme):20世紀初頭Franceで起こった絵画運動 衰微した印象派に反発、原色主体の粗野で力強い画風が特徴
 ※ ナビ派((Les Nabis):1880~90年代、ゴーギャンの崇拝者であるヴュイヤール、ボナール、ドニ、ランソン等がParisで結成、「ナビ」とはヘブライ語で預言者 象徴主義的性格を表現し、フォービスムへの橋渡し役を担った

■今日最後の話題は、「土橋重隆(つちはししげたか)著『50歳を超えても‥ガンにならない‥生き方』を読んで」である。

[12] 土橋重隆著『50歳を超えても‥ガンにならない‥生き方』
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 先ず、土橋氏の略歴から‥〔本書より〕
1952年 和歌山県生まれ
1978年 和歌山県立医科大学卒業
1981年 西日本初の食道静脈瘤内視鏡的栓塞療法を手掛け、その後2000以上のの食道静脈瘤症例に内視鏡的治療を施行
1991年 和歌山県初の腹腔鏡下胆嚢摘出手術を施行後、8年間で750件以上の同手術を行う
2000年 帯津三敬病院にて終末期医療を経験
現在は、三多摩医療生協・国分寺診療所にて外来診療を行う

《はじめに》
〔前略〕20年以上に亘る先端内視鏡的治療、進行ガン患者の執刀経験、又、統合医療※分野での末期ガン患者を診察した経験を数多く積み、ガンという病気と向き合っていく中で、「人がガンになるのには必ず理由がある。そこに偶然はない」‥そう確信を持つに至りました。〔中略〕
 ガンはそんなに心配しなくても治る病気なのです。〔中略〕「不治の病」などではありません。
 50歳を過ぎ、人生の折り返し地点を超える様になると、ガンという病気を少なからず意識する機会が増えて来ます。
 潜伏期間を考えれば、30~40代も、ガンを意識すべき年代でしょう。
 と言っても、それは「ガンになったらどうしよう」と不安を抱くことではありません。
 大事なのは、自分の生き方と向き合い、それ迄当り前だと思っていた「常識」を、ほんの少し飛び越えてみるということ。そうすれば、新しいガンとの付き合い方が見えて来ます。
 そして、それが「50歳を超えても‥ガンにならない‥生き方」に繋がっていきます。〔後略〕

※ 統合医療:Integrative Medicine=西洋医学による医療と代替医療を合わせ患者を治療すること
※ 代替医療:alternative medicine=「通常医療の代わりに用いられる医療」。「補完医療」、「相補医療」とも呼ばれる。
 尚、「補完医療(complementary medicine)」とは「通常医療や代替医療に取って代わるものではなく補完する医療」。日米の学会等正式の場では「代替医療」と「補完医療」を総称して「補完代替医療」(Complementary and Alternative Medicine: CAM)と称される。

 本書は、以下の七章から構成されている。
第一章/人は何故ガンになるのか?
第二章/ガンになる人ならない人
第三章/ガンの部位で生き方がわかる
第四章/ガンが治った人の生き方
第五章/どうしたらガンが防げるのか?
第六章/病気には意味と価値がある
第七章/「脱ガン」宣言‥会社や社会との付き合い方

 今日は、これ等の中から「第六章/病気には意味と価値がある」の中から幾つかご紹介したい。

 ※ ※ ※ ※ ※

 1973年、California大学のブレスロー博士は一般市民7千人を対象にした7年間に及ぶ調査から、「七つの健康習慣を守れば健康度が高まり、死亡率も下がる」と報告した。その「七つの健康習慣」とは次の通りです。

・適正な睡眠時間(7~8時間)をとる
・過労を避け、十分な休息をとる
・喫煙をしない
・過度の飲酒をしない
・適度な運動を定期的に続ける
・低塩分、低脂肪のbalanceの良い食事をする
・間食をせずに朝食をとる規則正しい食生活を送る

〔中略〕ところが、東京慈恵医科大学健康医学centerの和田高士氏らに拠れば、「ブレスローの七つの健康習慣のうち、睡眠に関しては、疲労回復に必要な睡眠時間には個人差があり、4~6時間睡眠者よりも8時間睡眠者の方が死亡率は高く、睡眠時間が短いと感じている人が健康の為に長く眠ろうとすると、却って睡眠の質が低下して仕舞う」といいます。
 更に、七つの健康習慣を全部守ると血圧は高くなり、生活習慣病はよくならない、という研究結果を発表しています。
 健康である為に、体に良いことは何でも取り入れ、生真面目に取り組まなければという強いこだわりが仇(あだ)になるということでしょう。
 逆に、「自分で心地良いと思える健康習慣なら守るが、そうでもないものはちょっと守れる自信がないなあ」と、七つの健康習慣を程々に守った人達の方が、高血圧にもならず生活習慣病のriskを減らせる可能性がある訳です。P.147〔後略〕

【病気の原因にapproachする方法】
〔前略〕病気という悪いものを排除する為に「体にいいこと」を自分に強制しているだけですから、頑張っても楽しくはありません。余計なstressを生むだけで、上手くいっているという手応えは得られない筈です。
 逆に言えば、食事療法や運動療法が上手くいったという人は、何かのきっかけで覚醒し、これ迄の生き方を変えていく意味が掴めたということです。
 つまり、『生活習慣を変えることに意味と価値を見い出せた。だから、前向きに食事療法や運動療法を続けることが出来、症状も改善されていった』のです。P.157〔後略〕

【病気は「爆発」だ!】
〔前略〕病気を治すのは治療法ではない。症状を分析して、正しい診断をすることでもありません。そうした方法論や分析も必要ですが、そればかりに囚われていると、病気が何故治るのかという肝心なことがよく解らなくなって行きます。
 勿論、患者さん自身も「治して貰う」という依存心から離れ、もう少し主体的に病気と向き合っていくべきでしょう。
「病気は爆発である!」ということをよく理解し、病気になったということを、自分の内面に目を向けるきっかけにして欲しいのです。P.166〔後略〕

★ガンが治癒する3つのkey words★
【「本音の自分」を優先させること】
[1]一つ目は「ガンの原因を作った現実から離れる」こと
 ガンをつくった原因が自分自身の生き方にあるのだとしたら、自分で確り向き合って、具体的に何処を変えていけばいいかを考えていく必要があります。〔中略〕
 自分の生活全体を見渡し乍ら、どの場面にどれだけのstressを感じているのか、ジックリと検討していくといいでしょう。〔中略〕
 真面目な人は、まずは「不真面目な生き方」を目指すことです。
 サボったり、手を抜いたり、うさを晴らしたり、こうした羽目を外すことを上手にやって、stress careの方法を身につけて行きましょう。〔中略〕
 ガンになるtypeの人には、基本的には本音の自分(=本能的に感じる心)を押し殺して生きて来たcaseが数多く見られます。P.173〔後略〕

【key wordは「忘れる」】
[2]二つ目は「ガンになった現実を忘れる」こと
〔前略〕「ガンに囚われるな」と言っても難しいでしょうから、別の何かに夢中になることです。
 意図的に夢中になるのは難しいので、まずは自分の好きなこと、やりたいことを優先するということから始めて下さい。〔中略〕
 日常の生活の中で心地良さを感じる時間が増えて来れば、その分、夢中になることが出来、ガンであることが自然と忘れられる様になる筈です。P.174

【ガンから遠ざかる生き方とは】
[3]最後の一つは「確りした『自分流』の人生観を持つ」こと
〔前略〕「ガンになる人には真面目な人や頑張り屋の人が多い」とお話して来たことを思い出して下さい。〔中略〕
 真面目すぎる、頑張りすぎる生き方は、決して「自分流」とは言えません。
 むしろ、世の中の常識に従うあまり、自分流=originalityを排除して仕舞っている様な処があるかもしれません。〔中略〕
 ある種のいい加減さが、自分流を確立させていく大事な一歩になるのです。
 自分流=originalityが確立されて来れば、日常の振る舞いも自由になり、stressの発散がとても上手くなります。
 すると、ガンになる様な生き方からどんどん遠ざかっていくことになるでしょう。〔中略〕
 「融通無碍※」になる。〔中略〕
※ 融通無碍(ゆうずうむげ):〔‥滞りなく通じて妨げのない意から‥〕考え方や行動が何物にも囚われず自由で伸び伸びしていること

 それはガンになった人だけに心がけて欲しい生き方ではありません。ガンになろうがなるまいが、そうしたoriginalityのある、自由な生き方こそ、貴方の体が望んでいることである筈なのです。P.176〔後略〕

【小生comment】
 本書は、ガンになる原因が人間の内面・精神面にあり、長年溜まったstressがその大きな要因の一つである。だからガンを治すのは、患者自身がそのガンになった原因であるstressを根源的に除去することが必要で、その為には病気になったことを契機に「ガンの原因を作った現実から離れる」「ガンになった現実を忘れる」「確りした『自分流』の人生観を持つ」という3つのkey wordsに従った生き方を実践して行くことが大事である、と述べている。
 小生は、まだガンになったことはないが、母をガンで失っており、ガンへの恐怖感は正直ある。
 幸いなのは、小生、第二の人生になってから『自分流』に生きることを実践しているということだ。
 引き続き、『自分流』に生きて行き、PPK(ピン・ピン・コロリ)の人生を全うして行きたいと思っている。(^^;

【後記】イチローが日米通算4000本安打達成!‥

[13]イチロー日米4000本安打達成の瞬間20130822
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【イチロー選手の快挙について‥『雑感』‥】
 The Major Leagues, The New York Yankeesのイチロー外野手(鈴木一朗(1973.10.22-))が08月21日(日本時間08月22日)、New York Yankee stadiumでのToronto Blue Jays戦の一回にleft前hitを放ち、プロ22年目で日米通算4000安打を達成。イチロー選手は「2番right」で先発。昨季、サイ・ヤング賞(=league最優秀投手賞)を受賞したR.A.ディッキー投手のKnuckleball)を流し打ちleft前打した。
 顧みれば、イチロー選手がオリックスに入団したのは1992年。Draft4位。初安打は1992年7月12日ダイエー(現Soft Bank)戦。爾来、9年間の日本で1278安打。
 The Majors 13年間では2722安打。"ルー" ヘンリー・ルイス・ゲーリッグ(Henry Louis "Lou" Gehrig(1903-41))の2721安打を抜いた。
 因みに、日本記録は、張本勲の3085安打が最多。The Majorsで4000安打を達成しているのは4256安打の最多記録を持つピート・ローズ(Peter Edward "Pete" Rose Sr.(1941-))と、4191安打のタイ・カッブ(Tyrus Raymond Cobb, 1886-1961)の2人。
 イチロー選手が第1打席hitを決めると、一塁側のYankeesのダッグアウトから選手達がイチローのもとに歩み寄り祝福。Toronto Blue Jays二塁手、川崎も笑顔で拍手。イチロー選手はhelmetを取りstandに向かって頭を下げた。
 その時の模様を後刻イチロー選手は、「試合を止めて、僕だけの時間をつくってくれるとは想像も出来なかった。ただただ感激しました。記録が特別な時間をつくるのではなくて、人がつくるのだな、と」。感想を述べfanやteammatesに謝した。
 イチロー選手の徹底した体調管理と身体づくりは有名だが、必要以上の筋肉をつけず、関節の可動域を広げる調整法に辿り着いたのが1998年という。
 The Majorsの13年間で故障者listに入ったのは一度だけ。
 彼の偉業を改めて考えてみると、「〔‥徹底した‥〕継続は力なり」という一言に尽きる。
 余談だが、イチロー選手が生まれたのは、我等【2637の会】が正に高校三年生だった昭和48年10月。
 僕等が受験勉強していた最中に彼が生まれたのかぁ‥。〔溜息〕

 ではまた‥(了)

2013年8月17日 (土)

【時習26回3-7の会 0460】~「吉成真由美[interview編]:『知の逆転』~「オリバー・サックス(Oliver Sacks)とのinterview『第三章/柔らかな脳』から」「08月16日:古川美術館『放課後美術(Fine arts of an after school)』展を見て」「祝田秀全『歴史が面白くなる‥東大のディープな世界史』~東大入試問題から【朝鮮の『小中華思想(小中華意識)』】をみる」

■皆さんお元気ですか、今泉悟です。《会報》【0460】号をお届けします。
 あっと言う間のお盆休みでしたね。多くの勤務先では、週明けの明後日からは通常の勤務が始まります。
 それにしても、この残暑の極端な暑さは尋常ではありません。
 毎日のニュースで、全国各地で35℃以上の猛暑日を記録していることを報道していますが、皆さんはお身体大丈夫ですか?
 確り水分をとって熱中症対策に万全を期して下さい。「命あっての物種」ですから、精々ご自愛下さい。

■さて、今日最初の話題です。前回と前々回の《会報》でご案内した通り、今回も、元NHK directorでscience writer吉成真由美氏が世界の著名な大科学者6名とinterviewして著した『知の逆転』の今日はその第3回目「オリバー・サックス(Oliver Sacks)とのinterview『第三章/柔らかな脳』」をご紹介します。

[01]オリバー・サックス((Oliver Sacks)1933-)
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《profile》
 Oliver Sacksは、英国London生まれ。Oxford大学卒業後渡米。アルバート・アインシュタイン医科大学で脳神経科医として診療を行う傍ら、精力的に作家活動を展開。現・Colombia大学medical center神経学・精神医学教授。担当した患者の症例を詳しく描く執筆styleで知られる。『妻と帽子を間違えた男』『レナードの朝』『タングステンおじさん』『音楽嗜好症』等best sellerの著者でもある。

《音楽の力》
★音楽の処理には脳のどの部分が関係しているのでしょう?★
【Sacks】言語処理の機能は左の前頭葉と側頭葉に偏在している訳ですが、音楽は、rhythm、pitch、感情、音程等、様々な要素が絡んでいるので、その処理には実に沢山の脳の部位が関与しています。音楽や視覚の能力は一般的に右脳で処理されている様ですが(プロの音楽家は左脳で音楽処理をするというdataもある)、二、三歳になる頃に言語の発達即ち左脳の発達に拠って、右脳の発達がやや抑止される様になっているらしい。従って、一旦抑止する側(左脳)に損傷が起こると、抑止されていた側(右脳)が解放されるという見方も出来るかもしれません。P.144

★音楽の才能には、他の知能は必要ないのかもしれない★
【吉成】盲目でかなりの学習障害を持った英国のpianist、デレク・パラヴィチーニの場合、彼は障害にも拘らず感情を十分表現出来ますし、弾いている楽曲に対する深い理解というものを表すことが出来ます。又ご著書『妻を帽子と間違えた男』に出て来るイディオ・サヴァン(idiot savant=白痴の天才:特殊な能力を発揮する精神薄弱者)のマーティンも、J.S.Bachの音楽に対して大変な碩学ぶりと理解の深さを示す訳ですが、これ等の現象をどの様に説明されますか? 「自己」というものを持たずにartistや音楽家になれるものでしょうか?〔後略〕
【Chomsky】それは実に興味深い問題です。音楽の才能或いは感受性というものは、それ自体が独立していて、知能が低い或いは強い自閉症の場合でも、驚くべきlevel迄到達出来る様です。〔中略〕
 音楽には、音楽の経験以外のことは必要ないのでしょう。音楽自体の世の中の経験ということが内在されているのでない限り、世の中の経験というものは音楽をする上で必要ないということになると思います。P.145~7
【吉成】要するに音楽の力は領域特定化している、即ち他の領域と関連していないということですね。
【Sacks】はい、領域特定化している様です。数学も似ているのではないでしょうか。多くの数学者は現実とかけ離れた超自然の世界に籠って仕事をするという状態にあります。文字や政治の世界では、こういう形での早熟ないし天才というのはないでしょう。こういう分野は、経験や感情、回顧、自己確立等が重要になって来て時間がかかるからです。P.147

《人間に特有の能力について》
★没頭している「平和な時間」こそが科学や芸術の基盤になる‥★
【Sacks】一般的に自閉症の芸術天才というのは、あまり先に伸びない傾向にあります。〔中略〕ただ、軽症な自閉症であるアスペルガー症候群(Asperger Syndrome, AS)※の人々については、めざましい創造性が開花する可能性は十分あると思います。
【小生補足】※ 興味やcommunicationについて特異性が認められる広汎性発達障害。興味ある分野について驚異的な迄の集中力と知識を持つ一方、会話(communication)能力を苦手とする。その場の雰囲気を察知する能力(所謂KY)がないのが特徴。一般的に自閉症とは区別される。
 18世紀の科学者ヘンリー・キャベンディッシュ※は、殆ど他の人間との接触というものを避けて生きていたそうです。裕福な人でしたが、使用人は家の別棟に住んでいて、彼に話しかけることを禁じられていた。想像も及ばない静寂と孤独の中で暮らしていたそうです。彼は大変な知性とoriginalityを備えており、地球の重量計測から始まって、新元素の発見等を成し遂げているのですが、科学者によく見られる野心や競争心とは全くかけ離れていたそうです。P.148
【小生補足】※ Henry Cavendish(1731–1810):英国の化学・物理学者。貴族の家に生まれ、Cambridge大学に学ぶ。寡黙で人間嫌いな性格であったことで知られる。「金属と強酸の反応によって水素が発生すること」や、「電気火花を使い、水素と酸素が反応し水が生成することを発見、水が化合物であること」、同じく「電気火花に拠る水素と窒素の反応で硝酸が得られ、空気中からこれ等の方法で酸素と窒素を取り除くと、アルゴン(argon)が容器内に残ること」を示した。

【吉成】それで思い出しました。パートランド・ラッセル(Bertrand Arthur William Russell, 1872-1970)が、「最も高い教育を受けたもの達の中で、一番幸福なのは科学者である。何故なら、彼等の脳は仕事の内容で一杯で、感情面では非常にsimpleで居られる。余りにsimpleなので、食べることや結婚すること等に楽しみを見出せる程だ(笑)」と言っていました。能力が領域特定化しているのではなく、才能が脳の大半を使って仕舞っているということでは‥‥。
【Sacks】私が敬愛し尊敬する科学者については全くその通りであろうと思います。40年来の友人である英国の心理学者リチャード・グレゴリー(Richard L. Gregory)は、最近亡くなったのですが、24時間全く休みなしに科学のことを考えている風でした。食べることも、simpleな人間関係もある程度楽しんでいた様でしたが、ある意味、下界の喧騒から隔絶していた様に思います。
 私自身も、書き物をしたり考えたりすることに没頭している時、或いはpianoを弾いたり音楽に浸っている時、神経症やうつ病が消えて、時間というものを意識しないで平和な時を過ごすことが出来ます。我々は誰もがそういう時間を必要としているのです。フロイト(墺 Sigmund Freud(1856-1939))の精神分析では、楽しいことに没頭している時の平和な時間という部分が見過されていると思います。彼の分析では、生は緊張として捉えられ、緊張が解けると何もしない状態になると解釈されている訳です。
 しかし、positiveな平和な時間というものは芸術や科学の基盤であり、最も望ましい状態ではないでしょうか。そういう意味ではフロイト自身も考えたり仕事をしたりしている時間、或いは夏に家族でキノコ狩りに行ったという様な記述も残っているので、そういう時間を楽しんだ筈です。〔中略〕彼自身は、音楽が引き起こす感情については分析して理解することが出来ないので、自分は音楽を避けていると書いています。〔後略〕P.148~50

【小生comment】
 Oliver Sacks氏は、以上の他、教育について、「最も生徒を生き生きと興奮させるのは、先生の情熱だ」と述べている。重要なことは先生と生徒のpositiveな関係だと。
 又、遺伝子と環境は、共に双方が深く関与しているが、両者をハッキリと区別することが益々難しくなって来ている。「経験が遺伝子の発現を促す」即ち、環境に拠って遺伝子の発現そのものが左右されることがわかって来た。だから、遺伝子を持っていても、環境の助けがなければ宝の持ち腐れになって仕舞うとも‥。
 ということは、我々でもまだ環境を変えればこれ迄眠っていた遺伝子の発現、即ち新しい能力を発揮することもまだ可能性が残っているかも‥?
 「自分は凡人だ」と諦めるのはひょっとしたらまだ早い?(笑)

■さて今日続いての話題である。
 小生、昨日08月16日(金)に、私用で名古屋へ行き、古川美術館の『放課後美術』展と、ヤマザキマザック美術館『夏の思い出‥森の夢‥不思議ないきものたち』展を見て来た。そこで今日は、古川美術館の『放課後美術』展をご紹介したい。
 本展は、同美術館所蔵作品を、神話や物語の「国語」、数や図形を探す「算数」、図鑑代わりの「理科」、歴史の「社会」という教科別に配列し、解説展示しているちょっとuniqueな試みであった。
 小生は、単純に古今の名画が見られれば満足なので一つひとつ見て行った。
 その中から気にった作品を幾つかご紹介する。

[02]古川美術館『放課後美術』展leaflet
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------------------------[03]小杉放菴(ほうあん) (1886-1977)『岩戸』
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[04]伊藤小坡(1877-1968)『夏之朝』
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------------------------[05]上村松園(1875-1949)『初秋』1943年頃
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[06]徳岡神泉(1896-1972)『白鷺』1935年頃
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------------------------[07]前田青邨(1885-1977)『木菟(つく)』
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[08]安田靫彦(1884-1978)『花菖蒲』1965年
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------------------------[09]吉田善彦(1912-2001)『肥後菊』
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[10]森田りえ子(1955-)『咲』1988年
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------------------------[11]安田靫彦(1884-1978)『神皇正統記』1943年
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[12]レオナール・フジタ(1886-1968)『femme』
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------------------------[13]市野龍起(1942-1997)『子』
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【小生comment】
 以上の[03]~[11]の9点が本展展示作品である。その中では、菊を描いた[10]森田りえ子『咲』がなかなかいいと思った。
 二ヶ月前の2013年06月14日付《会報》【0450】号にて紹介させて頂いた『紫陽花・宙』の作者である。我々と同い年の日本画家。これからが楽しみである。
 又、本展展示作品ではないが、帰りがけに売店でpostcardを見ていた中で、古川美術館所蔵品である[12]レオナール・フジタ(1886-1968)『femme』と[13]市野龍起(1942-1997)『子』の2つが気に入ったのでご紹介させて頂いた。なかなかいいでしょ!?
 小生、名画を見ているとホント心が癒される。何処かときめきに似た感動が脳内に充満して大変心地が良い。だから美術館巡りが止められないのである。(^^;

■今日最後の話題は、「祝田秀全著『歴史が面白くなる‥東大のディープな世界史』~東大入試問題から【朝鮮の『小中華思想(小中華意識)』】をみる」についてである。

[14]祝田秀全『歴史が面白くなる‥東大のディープな世界史』
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 一昨日08月15日は日本の『終戦の日』である。大韓民国では同日を日本による朝鮮半島統治からの「解放」を祝う日『光復節』と呼んでいる。
 因みに、米・英・加・露は9月2日を対日勝戦記念日『V-J Day』と呼び、中華民国(台湾)と中華人民共和国は、旧ソ連同様9月3日を『軍人節』『抗日戦争勝利の日』としている。
 今日は、本書で述べられている『東大世界史は中華思想に基づく東Asiaの国際関係』について色々な角度から展開させているので、過去の東大入試問題から解説を試みてみたい。因みに著者の祝田秀全氏は、東京外国語大学Asia・Africa言語文化研究所研究員を経て、代々木ゼミナール世界史講師で、「東大世界史」「早慶世界史講座」を担当。
 予め感想を述べて置くが、東大や早慶の世界史の入試問題がこれ程高levelにあるとは恐れ入ったというのが正直な感想である。
 18歳でこれ程の専門的知識を修得しているという、日本の有識者予備軍達のlevelの高さに改めて敬意を評したい。
 日本は本当にまだまだ自信を持って「世界と伍す」どころか、「世界を確りleadする」ことが出来ると思う。

《東京大学1979年度・第1問》
【問題】4世紀から18世紀迄朝鮮半島に存在した諸王朝の変遷について、中国との政治的関係を重視し乍ら、250字以内で述べよ。必要な年代は世紀で示せばよい。句読点も1字に数える。

【解答例】4世紀、高句麗、百済、新羅に拠る朝鮮三国時代が出現すると、三国は南北朝下の中国に朝貢し、各々優位に立とうとした。しかし北朝が中国を統一すると、新羅は唐と連合して百済と高句麗を倒し、半島の統一に成功した。新羅を倒した高麗は、13世紀「モンゴルの平和」に組み込まれ、元の属国となったが、元に代わって中華帝国の明が成立すると、高麗を倒した(李氏)朝鮮が、その冊封を受け、事大主義を顕彰した。ところが17世紀、朝鮮は清国に侵攻され、臣従の礼を強いられて属国となったが、18世紀には、これに反発して小中華意識を発揮した。

 ※ ※ ※ ※ ※

【小生comment】
 現代の韓国が中国と共に日本に高飛車な態度に出る源泉が「朝鮮の下に日本、対馬、野人(女真)、琉球があり、これを『四夷』とする世界観」にあることを理解する必要がある。彼等が抗日・反日を叫ぶ理由が日韓併合の被征服国民であることだけではないのである。
 以下、【解説】で祝田秀全氏の説明を引用する。

【解説】
1. 朝鮮半島の統一は中国の政治と不可分だった
 4世紀、朝鮮半島では、高句麗(37B.C.-668年)・百済(366-660年)・新羅(359-935年)の「三国時代」が成立する。
 三国は、抗争する一方、「以小事大〔小国は大国に事(つか)えることで自らを保全する〕」という事大主義に倣って、中国の南朝(420-589年)と北朝(438-581年)に朝貢し、外交闘争を展開。
 589年、隋(581-618年)が中国を統一。
 その隋滅亡後の7世紀後半、唐(618-907年)と連合した新羅が、百済、高句麗を倒し、676年、朝鮮半島を統一。
2. 17世紀朝鮮を襲った『三田渡(さんでんと)の屈辱』
 次の高麗(918-1392)は13世紀末期、モンゴル軍の侵攻を受けて、元(1271-1368年)の属国になる。ところが元が滅ぶと、高麗を打倒した李成桂(イソンゲ)は、朝鮮(李朝 1392-1910)を開いて、1401年、「中華帝国」明国の冊封(さくほう)を受ける。
 朝鮮は「元が滅んだ今、明国こそが中華に相応しい。中華の理想だ」と考え、自らが考え出したハングルの使用も禁止。「中華文明観」に則り、文字は漢字漢文以外の使用は許さなかったのである。
 ところが1636年、朝鮮は女真族の清国の侵攻に見舞われ、その属国にされるという事態が起こった。
 翌1637年、朝鮮国王は清国皇帝の太宗(ホンタイジ(1592-1643年)在位1626-1643年)を前にして、「事大(じだい)の礼(=『三跪九叩頭(さんききゅうこうとう)の礼』:属国としての臣従の礼)」を、今のソウルを流れる漢江(ハンガン)の「三田渡」で行った。これに拠り朝鮮は、「中華帝国」明国と断交。
3.「中華は、我が方(=朝鮮)にあり」という着地点
 朝鮮は清国の満州〔女真〕族を「夷狄」と蔑み、女真族のことは未開、野蛮として「野人」と呼んでいた。朝鮮は朱子学を官学にしてから250年近く経っていたが、中華思想に基づく明国との関係も連綿と続いていた。
 ところが、この間、朝鮮の事大主義は本来の政治哲学を越えて、「朝鮮は中華に尽くす為に存在し、自らは『二番目の中華』である」という意識を持つ様になった。朝鮮こそが「中華の後継者」という自負心である。
 朝鮮王朝がハングルを制定(1446年)し乍らも、自らの手でそれを禁止し、公的な文字と出来なかったのは、ここに理由があったのである。〔中略〕
 既に朝鮮では、朝鮮なりの「華夷秩序」があった。朝鮮の下に日本、対馬、野人(女真)、琉球があり、これを「四夷」とする世界観である。
 だから朝鮮にとって、清国に屈して「事大の礼」をとるというのは、屈辱以外の何者でもなかった。
 夷狄である清国の中原(ちゅうげん:黄河中域の河南省‥昔より中原を制する者が天下をとると言われた‥)支配が始まると、朝鮮は、「中原は汚れ、中華文明は消滅する」と考える様になった。「中華文明=明国」を絶対視していた為、明国に代わる「中華文明の継承者こそ朝鮮」という思想が台頭。
 これを『小中華思想(小中華意識)』と言う。18世紀の朝鮮国王・英祖(ヨンジョ:在位1724-76年)は、明国の太祖・洪武帝(1328-1398年:在位1368-98年)を祀り、次の正祖(チョンジョ:在位1776-1800年)は明王朝を称える「崇明(すうみん)」意識を継承。大国・清国には勝てない。だからこそ、思想文化面で夷狄の「野人(女真)」は中華たり得ない、という自己主張を行なったのである。

 もうお解りでしょう。東大世界史は、こう言っているのです。
 「朝鮮諸王朝は中華思想に基づく対外関係を展開して来た。ところが明国が亡び、清国が中国を支配する様になると、外交的には臣従という形をとり乍らも、精神や思想に於いては、朝鮮が中華であるとした」。
 東大世界史は、こうした「落とし穴」をsetして、朝鮮では思想・文化に於いて「中華≠中国」というどんでん返しを用意したのです。

【後記】李氏朝鮮時代から韓国・朝鮮の人は、日本・対馬・琉球と女真族を「四夷」と上から眼線で見ていたということを理解すると、1910年の日本に拠る韓国併合〔=『日韓併合』〕以来の両国関係が、良い方向に向かうことが簡単でないことがよく分かる。
 だからこそ、長い目で辛抱強く、健全な隣国関係を構築する努力を怠ってはなるまい。

 ではまた‥(了)

2013年8月11日 (日)

【時習26回3-7の回 0459】~「【2637の会】「クラス会」開催報告」「吉成真由美[interview編]:『知の逆転』~「ノーム・チョムスキー(Noam Chomsky)とのinterview『第二章/帝国主義の終わり』から」「08月03日:静岡県立美術館『夏目漱石の美術世界』展を見て」

■皆さんお元気ですか、今泉悟です。《会報》【0459】号をお届けします。
 前《会報》は、一昨日08月09日(金)に配信したばかりなので、約一週間後の今週末に配信するのが通常のpatternですが、昨日【2637の会】「クラス会」というBig eventが開催されましたので、配信させて頂くことにしました。ご承知置き下さい。

 昨日08月10日(土)18時00分の定刻に7名、そして18時15分に予定の8人全員が集合。
 楽しい【2637の会】「クラス会」でした。
 今回も、カラオケなしで22時半近く迄、四時間半近くのとても楽しいクラス会を催すことが出来ました。
 参加してくれた、伊東君、井上君、菰田君、千賀君、林(K)さん、牧野君、山中さん〔以上、五十音順〕、有難う!
 そして、参加してくれた皆さん全員が、来年06月07日(土)京都五条の料理旅館『鶴清』にて開催予定の【時習26回生卒業40周年記念懇親会】に参加してくれると言ってくれました。これで、特に異変が起きない限り旧【3-7】からは8名の参加が見込めそうです。
 今回参加されなかった【2637の会】membersの皆さんも、来年06月07日「京都五条『鶴清』卒業40周年記念懇親会」と予定に入れて置いて下さい。
 お願いします。m(_ _)m !(^-')b♪
 4時間半の長時間、カラオケなしで何を話したかっていいますと‥
 知っている範囲内でのclassmatesの現況は勿論、結構固い最近の政治経済情勢から、最近の朝の連ドラ「あまちゃん」や、この大人気の「あまちゃん」を視聴率で抜いた人気drama「半沢直樹」の話等々、硬軟混ぜてホントあっと言う間の4時間半でした。

[01][02]【2637の会】「クラス会」at Try Again 20130810
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 添付写真[01][02]は、林さんが20時20分過ぎに中座される直前に撮影した参加者全員の全体写真です。
 皆さん笑顔でいい顔(#^.^#)しているでしょ!!(^-')b♪
 今回は欠席された渡辺さんは、《会報》【0455】号でご紹介させて頂いた様に、同日同時間帯に時習26回生東京支部の同期会「不老会」に参加されていた筈です。
 「不老会」の有力幹事の吉福(小出)Y○○さん【3-6】からも先日「東京で『不老会』を10日に開催するので、来年の『卒業40周年記念旅行兼懇親会』の件で伝えたいことがあったら言って下さい」と支援の手を差し伸べてくれました。実に嬉しいことです。

■さて話題を変えます。前《会報》でご案内した通り、今回も、元NHK directorでscience writer吉成真由美氏が世界の著名な大科学者6名とinterviewして著した『知の逆転』の今日はその第2回目「ノーム・チョムスキー((Noam Chomsky)1928-)とのinterview『第二章/帝国主義の終わり』」をご紹介します。

[03]ノーム・チョムスキー((Noam Chomsky)1928-)
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《profile》
 Noam Chomskyは、プラトン、フロイト、聖書と並んで、最も引用回数の多い著者であり、「生きている人の中では恐らく最も重要な知識人」(The New York Times)と形容される。Massachusetts工科大学(MIT)言語学教授にして、哲学者かつ政治活動家である。P.67

《資本主義の将来は?》
★市場原理だけでは必ず破綻する★
【吉成】まず資本主義の将来についてはどうお考えですか? 私達は常に短絡的な利益を追い求め、長期的な影響というものを無視しがちで、結果として世界的な危機を招くことになっている訳ですが‥。
【Chomsky】資本主義とか社会主義という言葉〔中略〕はもう殆ど何の意味も持たなくなって来て仕舞っています。Computer、Internet、飛行機、薬‥人々が使う殆ど全ての物は、実は経済の公共部門から出て来たもの、元々政府のprojectとして開発されたものなのです。米国では経済の公共部門(政府に拠る資金供与)は非常に強力で、MITはその中心とも言えるでしょう。実際約50年前、此処(MIT)でcomputerが開発されましたし、利潤追求を目的とする民間部門(私企業)に手渡される迄、何十年も政府が研究資金を供与していたのです。
 恐らく近年の米国最大の民間輸出品目は、民間航空機でしょうが、民間航空機とは、要するに改良を加えた爆撃機のことですね。複雑な航空電子工学、計測工学等、厄介な部分の研究は、国家防衛の名目で全て政府の支援に拠って行われた。滑稽な話ですが、米国のボーイング社と欧州のエアバス社という世界の二大民間航空会社は、世界貿易機関(WTO)の会合で、どちらが政府の資金援助をより多く貰っているかという点で、しょっちゅう揉めているのです。いずれの会社も、多かれ少なかれ政府の援助を受けて生き残っているので、問題が複雑になる訳です。そうなると資本主義とは一体何なのかということになる。
 唯一市場原理だけで動いているのが金融部門です。だから何度も破綻する。市場原理だけでは破綻は避けられません。〔中略〕市場原理に従っている経済の金融部門は、繰り返し破綻し、その度に政府が救済することを余儀なくされています。P.71

★民主主義の限界について★
【吉成】ある意味、市場原理を政治に当て嵌めたのが民主主義ではないかと思うのですが、様々な問題が出て来ている。〔中略〕
 19世紀の英国の思想家アクトン卿(Lord Acton(1834-1902))は、「過激な民主主義というものは、国外では帝国主義的であり、国内では独裁的である。古代アテネの民主主義は、「個人の良心」というものが「多数派の意志」というものに従属させられて仕舞っていた。これは全く理不尽である」と言った訳ですが、米国の過激なtalk show司会者達や、極端な原理主義者の台頭を目の当たりにすると、この先現在の様な民主主義の形態が、その儘続いて行けるのだろうかという疑問を持つ訳ですが‥。
【Chomsky】〔前略〕問題は「民主主義の限界」ということです。人類にとって、核の脅威や環境破壊よりも大きな問題かもしれません。
 米国は世界中で最も自由な国の筈ですが、国内で力の不均衡がある。情報system、media、広告等がほんの一部の手に集中しているのです。〔中略〕
 自由国家では、国内の支配が極僅かの巨大なpower playerに集中して仕舞いがちになる。〔中略〕
 組織というものに対する民衆の態度を見てみるといい。政府、共和党、民主党、銀行等、人々はそれ等を嫌悪しているか、猜疑心をもって見ています。共和党は民主党より嫌われているくらい。議会の支持率は一桁台です。民衆はこれ等の組織を信用していないし、組織が彼等の意見を反映しているとも、彼等の為に働いているとも思っていません。形式上は民主主義であり、人々は選挙に行く訳ですが、実質上は違っています。P.99

《理想的な教育とは?》
★早期教育は労働者を生むことは出来るが‥★
【吉成】産業国において教育は、専ら産業用労働者を産出する為にdesignされている訳ですが、教育には、どの様な要素が最も大事だとお考えですか? また将来、どの様な教育が最も望ましいのでしょう。
【Chomsky】理想とする教育とは、子供達が持っている創造性(Creativity)と創作力(Inventiveness)を伸ばし、自由社会で機能する市民となって、仕事や人生に於いても創造的で創作的であり、独立した存在になる様に手助けすることです。こういう教育だけが、進んだ経済というものを生み出すことが出来る。
 MITの様な世界的に優れたengineeringとscienceの大学では、授業に出てnoteをとり、それを試験で再確認する様なことは一切期待されていない。むしろ、例えば教授の言っていることに見事に挑戦出来ること、或いは、他の人達と協力して独自の創造的な仕事をすることが期待されている。本当に重要な仕事は、大抵他の人との協力の下に行われるからです。
 最近亡くなった世界的な物理の教授は、一年生がとる物理のclassを教えていたのですが、学生に「今学期はどんな内容をカバー(cover(=成り立っているかを理解))するのですか」と聞かれて、「何をcoverするかは問題じゃない、重要なのは君等が何をディスカバーする(discover(発見する、見出す))かだ」と答えたんですね。これが教育の理想です。人々を教育して労働者にすることは出来る。しかしそれでは企業にとって短期の利益は得られても、人間の発展や経済の発展には繋がっていかない。P.112

【小生comment】
 Noam Chomskyの言う通りである。「民主主義の限界」‥頷ける。
 現代社会の様に、多くの人間が存在し、世の中が複雑になって仕舞うと、民主主義の原理〔‥結果的に多数決に拠り‥〕が機能しにくくなる。
 世の中の複雑化・細密化に伴い、人々の価値観も多様化する。
 これは即ち、物事を決定するに際して人々の総意を醸成する〔=Vektorを合わせる〕ことを極めて困難にしているのである。

■さて今日最後の話題である。
 小生、去る08月03日(土)に、前《会報》にてご紹介したJR静岡駅前にある静岡市美術館の『Redon』展を見た後、其処から東北東へ7km余りの所にある静岡県立美術館を訪れた。企画展『夏目漱石(1867-1916)の美術世界』展を見る為である。
 主催者の「ごあいさつ」で本展を次の様に紹介している。

 〔前略〕これ迄、こうした漱石文学が同時代の日本美術や英国美術と深く関わっていたことは多くの研究者が指摘して来ました。本展は、漱石の文学作品や美術批評に登場する画家達の作品を可能な限り集め、漱石が持っていたimageを読み解こうとする、初めての試みです。Turner(1775-1851)やJohn Everett Millais(1829-96)、Waterhouse(1849-1917)等のラファエル前派(Pre-Raphaelite Brotherhood)、或いは青木繁(1882-1911)、黒田清輝(1866-1924)、横山大観(1868-1958)、安田靫彦(1884-1978)といった近代日本の作品を、漱石の眼を通して見直す機会となればと考えています。
 又、漱石と同時代に生き、深い交友をもった浅井忠(1856-1907)、中村不折(1866-1943)、橋口五葉(1881-1921)、津田青楓(1880-1978)等に拠る装幀や挿画等、当時流行したアール・ヌーボー(注1)を取り入れたbook designは、design史の上でも見過ごせません。更に漱石自筆の文人画等も併せて展示し、漱石文学に於ける美術世界を多角的に紹介します。
(注1) Art Nouveau:1890~1910年迄欧州各地で流行した美術様式。1895年Parisで開店した美術商S.ビングの店の名称に由来

[04]静岡県立美術館入口付近の企画展『夏目漱石の美術世界』展看板
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------------------------[05]静岡県立美術館のentrance
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[06]静岡県立美術館『夏目漱石の美術世界』展leaflet 右上の絵:青木繁(1882-1911)『わだつみのいろこの宮』1907年[重要文化財]
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[07]藤島武二『池畔納涼』1898年
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 この作品の発表当時、漱石は熊本の第五高等学校(現・熊本大学)の英語教師をしている時代。又この作品は1900年のParis万博にも出展されており、London留学の為にParisに立ち寄った漱石は実際にこの作品を見る機会があったという

------------------------[08]John William Waterhouse(1849-1917)『人魚(A Mermaid)』1900年
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 漱石と同時代に活躍したラファエル前派を継承する英国の画家で、漱石お気に入りの画家でもあった
 漱石が『三四郎』執筆の際、Waterhouseの本作を参考にしたことは間違いない様である

 「一寸御覧なさい」と美禰子が小さな声で云ふ。〔中略〕
 画はマーメイドの図である。裸体の女の腰から下が魚になって、魚の胴が、ぐるりと腰を廻って、向ふ側に尾だけ出てゐる。女は長い髪を櫛で梳きながら、梳き余ったのを手に受けながら、此方(こっち)を向いてゐる。背景は広い海である。〔『三四郎』四の十四〕

[09]浅井忠(1856-1907)『ベニス』(表)1902年
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 殆ど水彩ばかりである。三四郎が著しく感じたのは、其水彩の色がどれも是も薄くて、数が少なくなって、対照に乏しくつて、〔中略〕地味に描いてあるといふことである。〔中略〕こゝにもエ゙ニスが一枚ある。〔『三四郎』八の十〕

------------------------[10]浅井忠『雲』1903年
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 青い空の静まり返つた、上皮に、白い薄雲が刷毛先で掻き払った痕の様に、筋違(すじかひ)に長く浮いてゐる。
「あれを知つていますか」と云ふ。三四郎は仰いで半透明の雲を見た。
「あれは、みんな雪の粉ですよ。かうやつて下から見ると、些(ちつ)とも動いて居ない。然し、あれで地上に起こる颶風(ぐふう(【小生注】強く激しく吹く風))以上の速力で動いてゐるんですよ。‥‥君はラスキンを読みましたか」
 三四郎は憮然として読まないと答へた。野々宮君はたゞ
「さうですか」と云つた許(ばか)りである。〔『三四郎』二の五〕

[11]石井柏亭(1882-1958)『チャチャラ』1911年
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 柏亭は浅井忠と中村不折に師事。漱石にとって親しい画家の一人。本作は柏亭が渡欧時に描いた水彩画で、彼の代表作と言っていい

------------------------[12]浅井忠『収穫』1890年[重要文化財]
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 本作は、日本の農村風景を描いた浅井忠の代表作

【小生comment】
 本『夏目漱石の美術世界』展は、今春05月14日~07月07月迄、東京・上野の東京芸術大学美術館にて開催されていたものと同じである。
 大文豪夏目漱石の審美眼は、洋画・日本画の別を問わず極めて高いlevelにあると言って良いだろう。
 本《会報》で紹介させて頂いた名画の数々は、かつて他所の美術館で見たものも幾つかあったが、藤島武二『池畔納涼』やWaterhouse『A Mermaid』等、初めて見た作品も沢山あった。
 質の高い、いい展覧会であった。夏目漱石fanには必見の展覧会である。

【後記】昨日の【2637の会】「クラス会」で旧交を温めることが出来、ホント良かった。井上君と菰田君の2人は二年ぶりの再会である。
 我等時習26回生の高校卒業は昭和49年03月。あと7箇月余りで満40年が経つ。
 一言に40年と言うが、振り返ってみれば、「青春の蹉跌」あり、「運命の人との出逢い」あり等々、人夫々に悲喜交々の思い出がある。人生40年の道程は大樹の年輪の様でもある。
 「クラス会」は、年に一度、純粋であった青春の一時代を、気の置けない仲間達と、或いは共感をし、或いは意見し乍ら振り返ることが出来る素晴らしい集いだ。
 8名の集いは一見少ない様に感じるかもしれないが、一つの話題で一緒に談笑出来るのは精々10名程度なので丁度いい人数なのかもしれない。
 そして、クラス会で話題になるのは矢張り健康のこと‥

 盂蘭盆に 健勝確認 クラス会  悟空

 ではまた‥(了)

2013年8月 9日 (金)

【時習26回3-7の会 0458】~「吉成真由美[interview編]:『知の逆転』~「ジャレド・ダイアモンド(Jared Diamond)とのinterview『第1章/文明の崩壊』」から」「08月03日:静岡市美術館『夢の起源‥幻想のふるさと、ボルドー(Bordeaux)~‥オディロン・ルドン(Odilon Redon)』を見て」「08月07日:『東三河の地場産業を知ろう〔渥美半島編〕』視察会に参加して」

■皆さんお元気ですか、今泉悟です。《会報》【0458】号をお届けします。
 愈々【2637の会】「クラス会」が明日に迫って来ました。
 今週初の08月04日(日)夕刻、《会報》前号を配信した後、「クラス会」への出欠最終確認のmailも配信させて頂きました。
 その直後、彦坂T孔君と石田Y博君から、次いで一昨日の07日(水)に二橋Y彦君から、そして昨日08日(木)には牧野孝君から電話を、更に峯田H幸君からc-mailを頂戴しました。
 牧野君が「出席」表明をしてくれました。以下に電話の概要を記します。

 〔2013.08.08.〕
 おはよう、牧野です。
 パソコンの調子が悪くて電話で恐縮だけど、10日のクラス会参加します。宜しく。

牧野君へ
 有難う! 貴兄には毎回クラス会に参加頂き感謝しています。10日は楽しいひとときを過ごしましょう!

 彦坂君、石田君、二橋君、峯田くん、今回は欠席される由。大変残念ですが、来年以降も、不肖小生が元気な限りクラス会は続けますので参加して下さいね!
 来年は、06月07日(土)に京都・清水五条にある料理旅館『鶴清』にて、「時習26回生卒業40周年記念」の「旅行&懇親会」がありますので、これにも是非参加して下さい。お願いします!
 それでは、4人の皆さんからのmailを以下にお伝えします。
 mail到着順に先ずは彦坂君からです。

Sent: Sunday, August 04, 2013 7:23 PM
今泉悟様
                        金沢市 彦坂
 メールをいつもどうもありがとうございます。
 今年は,仕事の都合上,残念ながら欠席させていただきます。
 又の機会にお目にかかれることを楽しみにしております。
 藤田嗣治の絵は,とてもチャーミングで素敵ですね。
 それでは,暑さ厳しき折,ご自愛ください。

彦坂君へ
 レオナ―ル・フジタの絵は小生大好きです。
 彼の絵は、溢れんばかりの才能と技量が画面に余裕を以て反映されていて、写実性・機知・humor・色彩の美しさ等が作品にbalance良く描かれていますね。
 貴兄は、現在金沢市ですか。金沢は石川県なので中部地方なので名古屋高裁の支部なのですが、いつも京都高裁と勘違いして仕舞います。
 金沢から京都は近いです! 来年は06月07日「京都」で是非再会しましょう!

 続いて石田君からのmailです。

Sent: Sunday, August 04, 2013 7:46 PM
今泉悟 様

いつもメールを有難うございます。
今回は用事があり、残念ですが参加出来ません。
お返事が遅くなり申し訳ありませんでした。

石田Y博

石田君へ
 今年も再会出来ず残念ですね。
 来年も開催する予定ですが、来年は06月07日「時習26回生卒業40周年記念懇親会」を京都・清水五条にある料理旅館「鶴清」で開催します。
 是非、京都で会いましょう!

 続いては、二橋君からのmailです。

Sent: Wednesday, August 07, 2013
今泉殿

 現在自宅のPC mailは殆ど見てません。
 今年は案内ないので遂に中断かと心配しておりました。継続して何よりです。
 これも一重に貴兄の努力 忍耐 人徳のなせる業と感銘しております。

 先日家の模様替えをした際貴兄作成の懐メロCDが出てきましたので久振りに聞きました。
 太田裕美いいですね。
 暫し過去にワープしました。

 ご案内頂きましたが今年も参加できそうもありません。重ね重ね申し訳ありません。
 ついでながら私仕事内容も何も変わらず元気してます。
 猫2匹飼い始め(昨年1匹 今年追加で1匹)ました穏やかな気分にはなるのですが、何処へも旅行いけなくなってます。
 最近はそちら方面の出張の機会も殆どない状態ですが、機会あれば連絡いたします。

二橋

 暑さにはくれぐれも油断めさぬよう

二橋君へ

 お元気でお暮らしの様で何よりです。
 今年は再会叶わず残念ですが、来年は06月07日に、先ず京都の五条にある料理旅館「鶴清」でお会いましょう!
 「時習26回生卒業40周年記念」の懇親会を料理旅館「鶴清」で開催しますので‥。是非参加して下さい。

 ご紹介の最後は峯田君からのc-mailです。

 〔2013.08.08.〕
 お久しぶりです。
 博多に出張です。
 来年参加させてもらいます。
 皆さんによろしく。〔峯田〕

峯田君へ

 「クラス会欠席」の件、了解しました。来年は是非参加して下さい。
 06月07日(土)の京都(・五条の『鶴清』)と、(恒例の)08月お盆の「クラス会」に!

 ※ ※ ※ ※ ※

 これで、「出席」表明者は、菰田君、伊東君、千賀君、井上君、林恭子さん、山中さん、牧野君の7名〔小生を含めると8名〕になりました。嬉しいですね!(^-')b♪
 まだお返事を頂戴していない【2637の会】membersの皆さん、明日の「クラス会」への参加、まだ今日(08月09日)中なら受け付けていますよ。朗報をお待ちしています。
 それでは、参加される皆さん、明日夕方06時00分、いつものトライアゲインにてお待ちしています。!(^-')b♪

■さて今日最初の話題は、元NHK directorでscience writer吉成真由美氏が世界の著名な大科学者6名とinterviewして著した『知の逆転』をご紹介します。

[01-1]吉成真由美著『知の逆転』
 011

------------------------[01-2]吉成真由美氏
 012

 吉成氏(1953-)は、津田塾大学英文科卒/NHK入局/NHK退職後、マサチューセッツ工科大学(MIT)卒/ハーバード大学大学院修士課程修了(心理学部脳科学専攻)
 夫君はノーベル賞受賞者の利根川進(1939-)氏

 吉成氏は、「まえがき」でinterviewに到る動機について次の様に語っている。一部を紹介する‥

【失われしロマンを求めて】
 この世からRomanが失われつつある。
 文学も、音楽も、芸術も、恋愛も、結婚も‥‥あらゆることが少しずつromanticではなくなって来ている。〔中略〕
 同じ文学作品を読んでも、その解釈の仕方に大きな違いがあるのは至極当然。書かれた文字情報には限りがあるから、受け取る方が自分の想像力を働かせて、Romanを膨らませる。殆どのRomanは見事な誤解の上にこそ成り立っていて、誤解が大きい程、感動も大きかった。
 崇高な音楽に涙するのは、それが自分の感情を刺激して、想像力を羽ばたかせるから。其処に確かな神の存在や介入があるからではなく、あると自分が想像するから。むしろ人間の想像力の多彩さを表していた。
 文学も音楽も芸術も、思い込みと想像と誤解に支えられて来たけれど、沢山の情報が夫々本来の姿をよく映し出す様になると、思い込みと想像と誤解が減った分、それ等の世界が必要以上に大きく見えることもなくなって仕舞った。
 中東紛争はじめ、Internetを通して世界中様々な人間の生き様を目の当りにする様になると、この生は仮のもの、この世にあるものは全て儚いものという、『方丈記』の意識が、時代精神となって来る。勢い深い関わりを避ける様になる。静物として自分をappealする為に、他の人間と少しは違っていたいけれど、拘る程の、突き詰める程のことはない、と―。
 潤沢な情報は、かくしてRomanを奪い去りつつある。唯一Romanが残っているとすれば、それは人と人、人と物、人と雰囲気とのchemistry、波長と言ってもいいかもしれない。波長が合うかどうか、人はまだ制御出来ないものだから。
 人生は出会いが全てかもしれない。人や動物や物との出会い、色彩や音楽や一文との出会い‥‥。全くこの世で生きるのは難儀だが、例え僅かでも強く心に残る出会いがあれば、それで結構やっていける様な気もする。
 生きて行くこと自体がその人独自のartなのだろう。持って生まれた遺伝子と、環境即ち出会いがそのartを紡いでいく。人に拠って絵葉書の様であったり、大絵巻の様であったりして、夫々に趣があり味わいがあり、長ければ長い程良しというものに有らず。P.9〔後略〕

 6名の大科学者とのinterviewは夫々が興味深く面白い。其処で6人の大科学者一人ずつについてこれからの《会報》にて6回に分けてご紹介して行こうと思う。

[01-3]ジャレド・ダイアモンド(Jared Diamond(1937-))
 013jared_diamond1937

 今日はその第1回目。ジャレド・ダイアモンド(Jared Diamond (1937-)現・California大学Los Angeles校教授)とのinterview。
 本書indexでは、「第1章/文明の崩壊」と題されている。
 Diamond氏は、西欧の覇権が、民族の能力の違いに拠るものではなく、単なる地理的な有利性の結果に過ぎないと喝破した『銃・病原菌・鉄』の著者でもある。

★国家間格差がある限り、紛争は続く★
【吉成】「米国は崩壊寸前のローマ帝国の様」であり、先進諸国はGreenlandのノ―ス人やマヤ族、Easter島の社会が崩壊したのと同様に、突然の崩壊に至っても可笑しくない様な行動を採っている、と仰っておられますが、米国や欧州等の先進諸国は、生き残る為に何をすべきなのでしょうか?
【Diamond】日本や米国、欧州、豪州等の先進諸国がすべきことは、ある意味simpleなことです。今から数十年先に世界が安定している為には、消費量が今より少なくなり、世界中で消費の量が何処でもほぼ均一になる必要があります。日本や米国、欧州に於いて消費量が高く、Africaや南米でずっと低い場合、世界は決して安定に向かいません。消費量の低い国々は高い国々に対して敵意を持ち、terroristを送ったり、低い方から高い方へと人口移動が起こるのを止められない。
 現在の様に消費量に格差がある限り、世界は不安定な儘です。ですから安定した世界が生まれる為には、生活水準がほぼ均一に向かう必要がある。例えば日本がモザンビーク(Mozambique)より100倍も豊かな国ということがなくなり、全体の消費量が現在より下がる必要があります。P.30

【吉成】では、貴方が「中国、India、Brazilその他の開発途上国が、先進国と同じlevelで機能しようとすると、資源の面から見ても世界はそれを支え切れない」という場合、将来は持てる国と持たざる国の格差が縮まっていくということを意味しているのですか?
【Diamond】縮まらざるを得ないのです。もし格差が広がる様なら、持たざる国は益々効果的に自分達の不満を相手に伝える手段を獲得する様になります。
 例えば、持たざる国が核兵器を持つのは時間の問題でしょう。既にして高層ビルに航空機を衝突させる処迄来ている。ですから、解決策は世界中の生活水準の均衡化ということにならざるを得ません。中国やIndia、南米、Africaの水準が上がると同時に、日本、米国、欧州の水準が下がる必要があります。P.31

★5つの国際問題とその解決法★
【吉成】4.人間に拠る環境への衝撃をどうやって減らすか?
【Diamond】日本では、歴史的には徳川幕府が森林の保存に成功して、人口増加に伴う日本列島の環境破壊を未然に防ぎましたが、Easter島では、最後の一本迄切り倒されて、食料にする動物や鳥も消え、魚を捕る為のカヌー(canoe)も作れず、終には食人に迄追い詰められて、社会が崩壊して仕舞った。〔中略〕
 要は、あらゆる国で適切な制御を行っていくことです。それに必要なのは政治的意思だけで、それだけあれば十分です。P.36

【小生comment】
 Diamond氏の指摘は的を得ている。「先進諸国の消費水準が下がる必要がある」「国々の適切な制御に必要なのは政治的意思だけで十分」と言っている、
 ただ、氏が言う解決方法については、具体化するに当たってはかなり難しいと言わざるを得ない。
 何となれば、その政治的意思を適正に機能させるには、健全な判断を下せる国家社会の中堅層がmajorityを持つ民主主義政体が不可欠であるからである。
 しかし現実問題としては、現在の欧米や日本の様に成熟化した資本主義体制下では、健全な中堅層の没落が明確となり、ごく少数の大富豪と大多数の低所得者層への分化〔‥即ち、所得格差の拡大‥〕が進むことに拠り、民主主義は大衆迎合主義(populisme)に拠る『衆愚政治(mobocracy = ochlocracy)』に陥る。
 こうなると、国民に痛みが伴う政治的決断が出来なくなる懸念が大きくなる。
 だから米欧日の先進諸国民が、新興諸国民と同levelの消費水準になる迄、生活levelを下げることが果たして可能なのか、難しいと言わざるを得ないのである。
 が、こうも言える。先進諸国は日本を筆頭に押し並べて財政破綻に向かいつつある。だからこの財政破綻が現実のものとなればdefaultを起こした国の国民の大多数は生活水準を下げざるを得なくなる、‥と。
 数十年経った未来の世界と日本は果たしてどうなっているであろうか?
 優れた為政者と懸命な中堅層が、わが祖国日本に存立し続けているであろうか??

■さて続いての話題である。
 小生、去る08月03日(土)に、静岡市美術館にて開催中の『夢の起源‥幻想のふるさと、ボルドー(Bordeaux)~‥オディロン・ルドン(Odilon Redon)』展と、静岡県立美術館にて開催中の『夏目漱石の美術世界』展を見て来た。
 そこで、今日は先ず前者についてご紹介したい。
 leafletで以下の様に本展についてとても上手く照会してくれているので、そのほぼ全文を引用する。

[02-1]静岡市美術館『Odilon Redon』展leaflet:絵は『神秘的な対話』1896年頃
 021odilon_redonleaflet1896

------------------------[02-2]同『Odilon Redon』展leaflet裏面
 022odilon_redonleaflet

 France象徴主義(symbolisme)を代表する画家オディロン・ルドン((Odilon Redon)1840-1916)。
 Redonは「黒」一色の怪奇で空想的な世界を展開した後、50歳を過ぎて夢想的な色の世界へと変貌した特異な画家として知られています。
 彼と同時代にMonetやRenoirといった印象派(impressionnistes)の画家達が活躍していました。彼等が〔中略〕現術世界の光の表現を求めていた中で、内面を重視し夢の世界を描いたRedonは、次世代の画家や文学者、批評家達から注目を集めました。
 本展では、Redon芸術の源泉である「夢」と「自然」のrootsを、生まれ故郷であるFrance南西部の都市ボルドー(Bordeaux)に求めました。青年期に触れた自然科学や19世紀中頃には時代遅れになりつつあったRoman主義を、その後「黒」→「色彩」へどう昇華し展開していったのか。故郷のBordeaux美術館、国内最大のRedon collectionを所蔵する岐阜県美術館の全面協力の下、各地から集められた約150点で孤高の画家Redonの全貌を辿ります。

[03]Redon『ペイルルバードのポプラ』制作年不詳〔岐阜県美術館〕
 03redon
 Redonが子供時代を過ごした荘園屋敷の一部。1890年代後半Redon家は財政困難からこのペイルルバード(Peyrelebade)の所有地を売却した
 ペイルルバードはBordeauxから東へ20㎞の所にある

------------------------[04]同『船』1885年〔Bordeaux美術館〕 04redon1885bordeaux
 画面下部の2つの黒っぽい塊が船。厚く塗った絵具がクールベ(Courbet(1819-1877))の絵を連想させる

[05]同『薔薇色の岩』1885年頃〔岐阜県美術館〕
 05redon1885
 ブルターニュ(Bretagne)の海岸の岩を描いた作品

------------------------[06]同『サン=ジョルジュ=ディドンヌの街路』1897年以降〔ボルドー(Bordeaux)美術館(=オルセー(Orsay)美術館からの寄託)〕
 06redon1897bordeauxorsay
 サン=ジョルジュ=ディドンヌ(Saint-Georges-de-Didonne)は、Bordeaux市から100㎞程北北西の所にあるジロンド(Gironde)川沿いの街
 1898年以降、Peyrelebadeの所有地売却後Redonは、冬をParisで、夏をこのSaint-Georges-de-Didonneで過ごした

[07]同『若き日の仏陀』1905年〔京都国立近代美術館〕
 07redon1905
 1921~23年に渡仏していた日本画家土田麦僊(ばくせん)が現地で購入し日本へ持ち帰った

------------------------[08]同『アポロンの戦車』1909年〔Bordeaux美術館〕
 08redon1909bordeaux
 「アポロンの戦車」は、1851年ドラクロワ((Delacroix)1798-1863)がルーヴル(Louvre)宮のアポロンの間に描いた天井画を、Redonは1878年に見て感銘
 本展では、この絵の他、同名の1906-07年〔岐阜県美術館〕と、「アポロンの馬車」という名の1907-08年〔愛媛県美術館〕も展示されていた

[09]同『ペガサスに乗るミューズ』1907-10年頃〔群馬県立近代美術館〕
 09redon190710

------------------------[10]同『丸い光の中の子供』1900年頃〔新潟市美術館〕
 10redon1900

[11]同『鐘楼守』1905-10年〔大原美術館〕
 11redon190510
 上掲の[07]『若き日の仏陀』と共に日本に最初に入ったRedon作品
 本作品は、先月07日付《会報》【0453】号でご紹介した通り、児島虎次郎が大原美術館の創立者大原孫三郎の為にParisで購入
 http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/26-04530704stat.html

------------------------[12]同『花の中の少女の横顔』1900-10年頃〔岐阜県美術館〕
 12redon190010

[13]同『聖母』1916年〔Bordeaux美術館(Orsay美術館からの寄託)〕
 13redon1916bordeauxorsay

 これはRedonが亡くなった時、そのイーゼル(easel)にあった彼の遺作となった未完作品

【小生comment】
 小生は、暗く、grotesqueな絵は好きでない。従って「黒」の時代の版画等は本《会報》でご紹介していない。
 [02-2] 静岡市美術館『Odilon Redon』展leafletの裏面に一部載っているので興味ある方はご覧下さい。
 日本の地方の美術館がこれ程Redonの作品を所蔵していることに正直驚いた。

■さて今日最後の話題は、一昨日08月07日(日)に地元研究機関主催の「『東三河の地場産業を知ろう〔渥美半島編〕』視察会に参加して」である。
 今日は幾つか訪問した中から、田原市小中山町(‥中部電力渥美火力発電所の直ぐ南‥)にある「愛知県栽培漁業センター」についてご紹介させて戴く。
 当センターは、昭和53年10月開設。
 愛知県農林水産部水産課が、公益財団法人 愛知県水産振興基金栽培漁業部に当センターの業務を委託して事業を行なっている。
 その業務内容は、水産資源となる海の生物〔‥現在は、車海老・ガザミ(ワタリガニ)・黒鯛(クロダイ)・鮎・鮑(アワビ)・海鼠(ナマコ)・虎河豚(トラフグ)・ヨシエビの8種‥〕について、採卵→孵化、そしてある程度大きくなる迄育て、漁業関係者に売却している。
 現在では、運営も軌道に乗っているそうだが、当初は孵化後の幼魚・幼生の餌の開発に大変苦労をしたそうである。
 トラフグやガザミは、餌を確りと与えても共食いをして仕舞うとのこと。
 又、添付写真[16]に写っている若草色の石ころの様なものが鮑の稚貝である。
 本年3月末迄の2年間、小生の長男が技師としてこの栽培センターに出向し勤務していた。以上余談まで‥。

[14-1]愛知県栽培漁業センターleaflet表面
 141leaflet
------------------------[14-2]同上 裏面
 142

[15]栽培漁業センター:魚類・甲殻類棟[ヨシエビ水槽]
 15

------------------------[16]同上:鮑棟[鮑の稚貝]
 16_2

【後記】明日は愈々【2637の会】「クラス会」。楽しみです。
 ではまた‥(了)

■【2637の会】ブログへは、 URL: http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog ←ここをclickして下さい。

2013年8月 4日 (日)

【時習26回3-7の会 0457】~「文藝春秋SPECIAL 2013年 季刊秋号:「百年前の純愛の記録‥『藤田嗣治「巴里からのラブレター」』‥」から」「07月27日:メナード美術館『collection展Ⅳ~世界の名画を見ませんか?~』を見て」

■皆さんお元気ですか、今泉悟です。《会報》【0457】号をお届けします。
 今日も先ず【2637の会】「クラス会」の出欠表明状況についてからご報告します。
 朗報です! 07月30日 林K子さんから、08月02日 山中K子さんから夫々「出席」表明を頂戴しました。
 林さん! 山中さん! 「出席」表明有難う!!
 女性陣2名の「参加」表明は、【2637の会】「クラス会」の万年幹事として無上の喜びです。重ねて御礼申し上げます。!(^-')b♪
 お二人からのmailをご紹介させて頂きます。

 林です。08月10日の「クラス会」はちょっと遅れますが出席させて頂きます。宜しくお願いします。

林K子さんへ
 いつも「クラス会」に「出席」してご協力頂き有難う! 08月10日は精一杯楽しいひとときを過ごしましょう!

 山中K子さんからは07月29日と08月02日の2回mailを頂戴しました。
 最初は「欠席」の、そして二回目が「出席」表明のmailです。

今泉君へ〔2013.07.29〕
 10日のクラス会、残念ですが欠席します。〔中略〕出席の皆さんには来年京都でお会いしましょうとお伝え下さい。
                     山中

今泉君へ〔2013.08.02〕
 来週のクラス会ですが、今から出席に変更してもいいですか? この土日に用事が済ませられる目処が立ちました。
 皆さんとの再会を楽しみにしています。
                     山中

山中さんへ
「クラス会」欠席されるとお聞きした時はとても残念に思いましたが、「出席」して頂けるとの由、大変嬉しく思います。
 08月10日の再会を楽しみにしています。
 そう、「クラス会」では、来年06月07日、京都・五条の料理旅館『鶴清』にて開催予定の「時習26回生卒業40周年記念旅行兼懇親会」にも出席して頂ける様、classmatesの皆さんに直接お願いする予定です。

 これで、「出席」表明者は、菰田君、伊東君、千賀君、井上君、林恭子さん、山中さんの6名〔小生を含めると7名〕になりました。嬉しいですね!(^-')b♪
 まだお返事を頂戴していない【2637の会】membersの皆さん、08月10日「クラス会」が一週間に迫って参りました。朗報をお待ちしています。
 また個別にmailと電話をさせて頂くかもしれません。皆さんからの朗報を心よりお待ちしています。

■さて今日最初の話題は、文藝春秋SPECIAL 2013年 季刊秋号「百年前の純愛の記録‥『藤田嗣治「巴里からのラブレター」』‥」についてである。

[01]藤田嗣治「巴里からのラブレター」~文藝春秋SPECIAL2013季刊秋号
 01special2013

------------------------[02]新婚時代の嗣治ととみ(富美子)‥1912年
 021912

[03]パリ留学時代の藤田嗣治1913年頃
 031913

 去る06月14日付《会報》【時習26回3-7の会 0450】( http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/post-cdd3.html )にて、06月09日(日)に静岡市美術館にて開催されていた『レオナ―ル・フジタとパリ 1913-1931』の模様についてご紹介させて頂いたが、現在は08月25日迄熊本県立美術館で開催中である。今後も北九州・京都・秋田・岡山へも巡回する予定という。
 本書では、「百年前、栄光への階段を駆け上がった「世界のフジタ」誕生の軌跡を、直筆の手紙の息遣いと共に辿る初めての試み‥」と紹介されている。
 その内容はいずれも大変興味深いので、その一部を引用してみたい。

 百年前(‥1913年‥)、Franceから送られて来た夥しい数の手紙。小さい文字でびっしりと描かれた紙面には熱き思いが迸(ほとばし)り、驚嘆すべき”筆まめ”ぶりを伝える。送り主は、1920年代のParisで一世を風靡した画家、藤田嗣治(Leonard FUJITA)。日本に居る妻・鴇田(ときた)とみ(富美子)に宛てたもので、107通の封書と72通の葉書、併せて179通の書簡類が残されている。
 綴られているのはParisでの暮らしぶりや美術界の状況、芸術家達との交友等である。中でも、母国に残して来た妻への思慕やParisでの再会を待ち焦がれる文面には、切々とした一途さが溢れかえる。挿絵が随所に描き込まれているのは、絵描きならでは。芸術の都からの恋文というべきこの貴重な書簡類が、藤田嗣治の渡仏百周年を記念して全国を巡回中の特別展で初めて公開され、話題を呼んでいる。

【渡仏直後の藤田を伝える一級資料】
 とみ(富美子)宛の手紙は、1913(大正02)年06月、Franceに向かう日本郵船・三島丸の船上で書かれた書簡に始まる。〔中略〕

【二人は「激しい雷雨の夜に結ばれた」】
 藤田が日本に残して来た妻、鴇田とみ(富美子)は、藤田と同年同月の1886(明治19)年11月の生まれ。千葉県市原郡に実業家の鴇田友七の次女として育ち、東京の女子美術学校(現・女子美術大学)を卒業後、帰郷して東金(とうがね)高等女学校の教師となった。
 藤田ととみ(富美子)が出逢ったのは1909(明治42)年の夏、千葉・房総半島の海岸と伝えられる。当時、東京美術学校の画学生だった藤田は、卒業制作の為写生旅行に来ており、とみ(富美子)も避暑の為房総に来ていた。画家という職業への憧れを抱いていたとみ(富美子)は、同僚と連れ立って、毎日、藤田の居る海岸に訪れる。二人はたちまち恋に落ち、藤田の言葉を借りれば「激しい雷雨の夜に結ばれた」という。真偽はともあれ、二人の出会いは房総の夏に相応しく熱いものであった様だ。
 〔中略〕そののち二人は駆け落ち同然の逃避行をするが、やがて双方の親に認められて、1910年10月に結納を交わし、東京の大久保に新居を構えたのであった。
 二人が婚約した1910年、武者小路実篤等の主宰する雑誌『白樺』は、MonetやPissarro等の作品を掲載し、Franceの印象派が本格的に紹介された。Parisへの憧れが募る中、父が渡仏を勧めたことにも後押しされ、藤田はとみ(富美子)に見送られて横浜港からParisへと旅立つ。〔中略〕出航前の三島丸の寝室で唇を交わしたこの逢瀬が、二人の永遠の別れとなった。
 Parisに渡った藤田は、画家として研鑽に励む傍ら、とみ(富美子)を呼び寄せる準備を着々と進めた。妻に着せる為の洋服を自ら仕立て、渡航費用を工面することを書き送る等渡仏を頻繁に促し、母国に一人残して来た新妻を励まし続けている。
 しかし、書簡に三島丸での別れが綴られた1914(大正03)年07月、第一次世界大戦が勃発。戦火の混乱の中、郵便事情も悪化し音信も途絶えた為、藤田不在の儘、両家の話し合いに拠って離婚が決められたのである。その後、とみは再婚するが夫と死別、再々婚していた1932年、45歳の若さでこの世を去る。南米を旅していた藤田が日本に帰国したのは、その翌年の1933年秋。熱い青春の日を共に過ごした二人が、再会を果たすことはなかった。

【すべての芸術はこのラブだ】
 〔前略【小生補足】妻とみ(富美子)へ書かれたこれ等の書簡は〕あまりに膨大な文字量である。怒涛の如く押し寄せる言葉の洪水は、時として赤裸々な心情の吐露となり、自己を凝視しようとする魂の独白となる。とすれば、情熱に満ちたこれ等の書簡類は、愛する妻に送られた恋文であると同時に、Parisで生き抜こうと自らを鼓舞する画家自身へのlove letterでもあった。
 この一群の書簡資料は、1980年代半ばに千葉県市原市の鴇田家の蔵で発見され、1980年代後半から歴史研究者の加藤時男氏を中心に調査と翻訳が進んだ。そして2003年に千葉県で『「パリ留学初期の藤田嗣治」研究会』が設立され、『藤田嗣治書簡―妻とみ宛―』が出版されたのである。〔後略〕

【小生comment】
 レオナール・フジタは、世界でも屈指の天才画家として活躍したが、最初の妻とみ(富美子)との恋物語は正に「事実は小説より奇なり」の悲しい物語である。
 フジタは、生涯5度の結婚をするが、1935年に知り合い翌1936年49歳の時、結婚した25歳年下の最後の君代夫人とは生涯仲睦まじく過ごした。
 尚、彼の父、藤田嗣章は、森鴎外の後任の陸軍軍医総監(=中将)。実兄嗣雄(法制学者・上智大学教授)の妻は陸軍大将・台湾総督他を歴任した児玉源太郎の四女。
 以上余談まで。

■さて今日最後の話題は、去る07月27日(土)に、私用で名古屋へ行くのに合わせ、小牧市にあるメナード美術館にて開催中の『collection展Ⅳ~世界の名画を見ませんか?~』を見て来ましたので、その模様をお伝えします。

 本展は、メナード美術館が保有している西洋人画家・彫刻家・工芸家に拠る西洋絵画・彫像・工芸品展である。
「世界一流の‥」というconceptだけで出品されていたから、本展に統一性はないのであるが、名作は名作であって、名画は見ているだけで気分が良くなるから不思議だ。
 以下にpost cardになっている作品からその一部をご紹介する。

[04]Vincent van Gogh『石膏トルソ(女)』1887-8年
 04vincent_van_gogh18878

------------------------[05]Moreau『サロメの舞踏(The Dance of Salome)』1876年頃
 05moreauthe_dance_of_salome1876

[06] Redon『夢想(Reflections)』1900~05年頃
 06_redonreflections190005

------------------------[07]Fernand Khnopff『婦人像(Portrait of a Woman)』1905年頃
 07fernand_khnopffportrait_of_a_woma

[08]Nicolas de Stael『黄色い背景の静物(Still Life on Yellow Background)』1953年
 08nicolas_de_staelstill_life_on_yel

------------------------[09]Bernard Buffet『石油ランプ(Oil lamp)』1951年
 09bernard_buffetoil_lamp1951

【小生comment】
 展示作品総点数は80点。そのうちのかなりの作品は小生既に何回か見ている。
 今日ご紹介させて頂いた6点の中では、小生、ニコラ・ド・スタールとビュッフェの作品が好きである。

【後記】小生の勤務先のKビル1階にある燕の巣の4羽の雛達も大きくなってもう今日辺り4羽共に巣立ちしたかもしれない。
 燕の子供達よ! これからも元気に生きて、又来年、この古巣に新しい子供達を育てにおいで!

【詞書】巣の中の燕子達を見ていると、劉希夷『代悲白頭翁(白頭を悲しむの翁に代る)』の七言古詩の中にある「年年歳歳花相似(‥花相い似たり)/歳歳年年人不同(人同じからず)」が思い浮かんだ。
 新しい生命の誕生は喜ばしいことだが、この燕子達も劉希夷の詩に出てくる花と同じで、毎年同じではない。
 「生あるものは死す」という死生観を改めて思い起こさせる‥

 燕之子 歳歳年年 不同也(ふどうなり)  悟空

[10]&[11]Kビルの巣立ち間近の4羽の燕子達2013年08月02日撮影
 10k41
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 繰り返しますが‥、今夏の【2637の会】『クラス会』‥、皆さんからの朗報をお待ちしています。
 ではまた‥(了)

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