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2013年11月の4件の記事

2013年11月23日 (土)

【時習26回3-7の会 0474】~「11月23日現在:時習26回生卒業40周年記念懇親会 in 京都2014‥■第1回『案内状』のresponse状況■」「11月13日:東京都美術館『ターナー展』&「山種美術館『小林古径&奥村土牛展』&「ナカジマアート『堀文子展』&ブリヂストン美術館『カイユボット展』を見て」「鎌田實『○に近い△を生きる‥「正論」や「正解」にだまされるな‥』を読んで」

■皆さん、お元気ですか、今泉悟です。《会報》【0474】号をお届けします。
 今日も最初の話題は、掲題・副題にあります様に、今日11月23日現在の「時習26回生卒業40周年記念懇親会 in 京都2014」‥第1回『案内状』のresponse状況です。
 現状は、「◎出席する‥49人」「○出席する方向で考える‥23人」「△まだ先のことなので何とも言えない‥29人」「×残念ながら参加できない‥32人」「■宛先不明により返却‥12人」「物故者であることが判明‥2人」の計147人といった状況です。]
 以下に、【◎1 参加する】【○2 参加する方向で考える】【△3 まだ先のことなので何とも言えない】のクラス別一覧をお示しします。

【◎1 参加する‥49人】〔以下、到着順・五十音順、敬称略〕
 【1】榊原・鈴木(斎藤)(I)・西沢・細井・山田‥5人
 【2】織田(亀井)・鈴木(Y)・中嶋(Y)・斉藤(夏目)‥4人
 【3】井垣・市原・谷山・原口‥4人
 【4】前田・金子・北川‥3人
 【5】鈴木(杉浦)・平田(倉内)・白井(N)・山本‥4人
 【6】水藤・吉福(小出)・大谷・黒柳・鈴木(M)・安田(加藤)・嘉森‥7人
 【7】井上・今泉・渡辺・山中(高木)・菰田・林(K)・竹内‥7人
 【8】小野・杉浦・筒井(波多野)・長坂(山口)・安井・矢野‥6人
 【9】杉原(小林)・鈴木(H)・林・酒井・丸山‥5人
 【10】今泉・黒柳・武野・太田‥4人/全49人

【○2 参加する方向で考える‥23人】
 【1】‥
 【2】中村・繁田(林)・森田‥3人
 【3】天野(山本)・庭山‥2人
 【4】前田(平松)・中島(六峰)‥2人
 【5】小椋・中島‥2人
 【6】今泉(伴野)・澤井・林・山田(Y)・有留‥5人
 【7】伊東‥1人
 【8】鈴木(Y)・三田・宮路‥3人
 【9】竹中(千田)・加藤(神野)‥2人
 【10】小林(杉浦)・高山・手塚‥3人/23人

【△3 まだ先のことなので何とも言えない‥29人】
 【1】熊谷・鈴木(Y)・竹内(小笠原)・長谷川・浅沼‥5人
 【2】杉浦・熊谷(伊奈)‥2人
 【3】窪田・小林(石河)・岡田(伊藤)‥3人
 【4】日比・岩手・黒柳(鈴川)・高木(河合)‥4人
 【5】松野尾・鳥居(河合)弘子‥2人
 【6】‥
 【7】太田‥1人
 【8】荒川・伊藤(H)・内藤・河合(×)‥4人
 【9】青木・白井・渡辺・小林(内田)‥4人
 【10】鈴木(M)・相楽・朝倉‥3人
 【?】氏名無記名にて不明‥1人/全29人
《◎1(49人)+○2(23人)+△3(29人)=101人》

 今回で「1参加する」「2参加の方向で考える」を合わせ72人になりました。
 取り敢えずの締切日11月末日迄一週間あります。
 引き続き、仲良しの仲間にお声をかけて「卒業40周年記念懇親会 in 京都2014」にお誘い合せの上ご参加頂ければ幸甚の到りです。
 因みに、我等が【2637の会】membersでは、「井上君・渡辺さん・山中(高木)さん・菰田君・林(K)さん・竹内君・小生‥◎」「伊東君‥○」「太田君‥△」「犬飼
さん・中村君・中山君・夏目君・守田君・山田君‥×」の15人から返事を頂戴しています。
 まだ熟慮中の【2637の会】membersの皆さんも、是非「◎1 出席する」か「○2 出席する方向で考える」と返信ハガキに書いて送って下さい!
 朗報をお待ちしています。m(_ _)m

■さて、続いての話題は、今回も10日程前の話になりますが、去る11月13日に、仕事で上京した帰りに時間があったので、4時間余りで4つの美術館&画廊を巡って来ました。
 その日は、午前中上京し、仕事で勤務先の取引銀行を訪問。
 仕事を終え、4時間余りで4つの美術館を疾風怒濤の如く(笑)巡った。

 14時25分着 上野 東京都美術館『ターナー展』
 15時40分着 広尾 山種美術館『小林古径&奥村土牛展』
 16時55分着 銀座5丁目 ナカジマアート『堀文子展』
 17時20分着 八重洲(京橋1丁目) ブリヂストン美術館『カイユボット展』

【東京都美術館『ターナー(Turner)展』】
[01] 『ターナー(Turner)展』leaflet 絵は『Vaticanから望むRome/La Fornarinaを伴って回廊装飾の為の絵を準備するRaffaelle』1820年
 01_turnerleaflet_vaticanromela_for

------------------------[02]Turner『嵐の近づく海景』1803-04年
 02turner180304

[03]同『Chiled Haroldの巡礼―Italy』1832年
 03turnerchiled_harolditaly1832

------------------------[04]同『Venice, the Bridge of Sighs(嘆きの橋)』1840年
 04turnervenice_the_bridge_of_sighs

 Londonのテ―ト美術館(Tate Britain)が所蔵する英国最高の巨匠と称賛されるジョセフ・マロ―ド・ウィリアム・ターナー(1775-1851)の展覧会。
 同美術館から、油彩画30点余り、水彩画&sketchbook等約110点が紹介されている。今日はその中から4点を紹介させて頂いた。

【山種美術館『小林古径&徳村土牛展』】

[05]山種美術館『古径と土牛』展leaflet 絵は左上:奥村土牛『醍醐』1972年/右下:小林古径『観音』1940年
 05leaflet_19721940

------------------------[06]【左】奥村土牛(1973年(84歳))と【右】小林古径(1949年(66歳頃))
 06197384194966

[07]小林古径『富士』1944年
 071944

------------------------[08]奥村土牛『富士宮の富士』1982年
 081982

[09]同『鳴門』1959年
 091959

------------------------[10]小林古径『紅梅』1943年
 101943

[11]奥村土牛『早春』1976年
 111976

 本展は、2013年が小林古径(1883-1957)の生誕130周年にあたる。そして古径の兄弟弟子 奥村土牛(1889-1990)との交流を辿る展覧会である。〔中略〕
 古径は、欧州留学を経て、中国画を基本とする東Asiaの線描の美に目覚め、古典を基礎とし乍らも近代的な感覚を取り入れた新様式を確立。
 再興院展では、横山大観等に次ぐ世代として、安田靫彦(1884-1978)・前田青邨(1885-1977)と共に「三羽烏」と称され、後進画家達に多大な影響を与えている。
〔以上、本展図録より引用〕
 本展では、第1章/小林古径の芸術で、古径の作品29点を紹介し、第2章/古径と土牛では、同じthemeの作品をほぼ交互に対比する形で38点が展示されていた。
 流石に両巨匠の作品だけあって甲乙付け難い名勝負を繰り広げていた。
 添付写真の絵では実物のマチエール(Matiere)を実感出来ないので残念であるが、その雰囲気の一端でも汲み取って頂ければ幸いである。

【ナカジマアート『堀文子展』】

[12]堀文子『萩』2012年
 122012

------------------------[13]同『蓮』2013年
 132013

[14]同『たびらこ』2013年
 142013

------------------------[15]同『檜扇水仙』2013年
 152013

 ナカジマアートは、『堀文子展』がある都度案内のハガキを送ってくれる。
 堀文子は1918年生07月02日生まれだから満95歳。
 画家は長命だが、彼女の先達に当たる女流画家達も長寿者が少なくない。
 例を挙げると‥
 吉田ふじを(1887.10.05-1987.05.01)歳(享年99歳)
 小倉遊亀(1895.03.01-2005.07.23)(同105歳)
 片岡球子(1905.01.05-2008.01.16)(同103歳)といった具合である。
 本展は、昨年から今年にかけて制作された堀氏の最新作である。
 彼女の作品は、年を追って円熟さに若々しさと清々しさが加わり、上品に仕上がっていると小生には感じられた。
 素晴らしい作品群であった。脱帽!

【ブリヂストン美術館『―都市の印象派―カイユボット(Caillebotte)展』】
 その日最後に訪れたのは、銀座5丁目から北東へ1㎞の所にあるブリヂストン美術館。
 ギュスターヴ・カイユボット(Gustave Caillebotte(1848-1894))について、主催者のブリヂストン美術館が「ごあいさつ」から引用して以下に紹介する。

 Caillebotteは、Monet、Renoir、Pissarro、Sisley、Cézanne等印象派の仲間の作品を購入することに拠って、経済的に彼等を支えたばかりでなく、印象派展の開催等でも意見調整や経済支援羅を行った人物として名を知られている。
 近年では、印象派画家としての活動にも関心が集まり、作品の再評価が進んでいる。

 Caillebotteは、1848年、織物業を営む裕福な事業家の息子としてParisで生まれ、NapoleonⅢに拠る第二帝政時代に上流階級が居を構える様になったParis 8区のミロメニル通りの邸宅で青春時代を送った。法律学校に通った後、〔中略〕1873年にParisの官立美術学校〔エコール・デ・ボザール〕へ入学。間もなく〔中略〕絵画の革新を志す若い画家等と知り合った。1874年に最初のに印象派group展を開くのは彼等であった。Caillebotteは、MonetやRenoir等をはじめとした印象派の画家等との交流を持つ様になる。自らも1876年の第2回印象派展意向、第6回、第8回以外の印象派展に参加し、以後、印象派の画家等を支援し乍ら自らも作品を精力的に制作した。〔中略〕
 Caillebotteの作品は、印象派の主流に位置づけられ乍ら、古典的な表現手法を順守し、当時のacademismの自然主義的表現とも通じる処があり、特異な位置を確立している。画題としては労働、家族、生活等近代的な都市生活を多く取り上げたが、後年に手掛けた風景画等も高い評価を受ける様になる。〔以下略〕

[16]Caillebotte『夏帽子の自画像』1872-78年頃
 16caillebotte187278

------------------------[17]同『Europe橋』1876年
 17caillebotteeurope1876

[18]同『建物のペンキ塗り』1877年
 18caillebotte1877

------------------------[19]同『ペピ二エールの兵舎』1877-78年
 19caillebotte187778

[20]同『セーヌのプティ・ブラ、アルジャントゥイユ近く』1886-87年
 20caillebotte188687

------------------------[21]同『アルジャントゥイユの風景』1889年
 21caillebotte1889

[22]同『セーヌ河に係留されたボート』1892年
 22caillebotte1892

【小生comment】
 13日に駆け巡った4つの美術展覧会は、いずれも画家の個性が良く表れていて素晴らしかった。
 が、そのなかで特に気に入った展覧会を1つ選べと言われたら、『Caillebotte展』をとる。

■今日最後の話題は、鎌田實『○に近い△を生きる‥「正論」や「正解」にだまされるな‥』を読んでである。

[23]鎌田實『○に近い△を生きる』
 23

 本書は、2時間程で通読出来て仕舞った。
 それ程この本は面白かった。
 この本は、「健康長寿と明るく人生を生きる」為に役立つ名著である。
 日頃から座右に置いて読み返してみたくなる本だ。
 今日は本書から特に気に入った処を幾つかご紹介したい。

【はじめに】
〔前略〕
 無数の△の生き方があることに気づいて欲しい。

「正解」や「正論」に拘らなくなると、考え方が自由になる。
 若い人に気づいて欲しい。
「正解」に囚われないと、多様な価値観が解って来る様になる。
〔中略〕
 ○に近い△を生きるということは、
「別解力」を付けるということだ。〔中略〕

 ○に近い△=「別解」を見つけていこう。
 ×でも○でもない、無数の新しい△を信じて、生きてみよう。
 人生が輝いて来るだろう、きっと。
 生きるのが間違いなく、面白くなる。信じていい。〔P.07〕

第1章/「正論」や「正解」に騙されるな

〔前略〕○に近い△を生きていると、「別解力」がついて来る。
 どんな状況に自分の人生が陥っても、新しい答えを見つけることが出来る。〔中略〕
「別解力に磨きをかければ、意見の不一致を乗り越え易くなる。〔後略〕〔P.52〕

第2章/絶望と希望の間にある幸福論

〔前略〕「正解」が○で、それ以外は×と考えるのではなく、○と×の間に△があって、其処に「別解」があるんじゃないか。
 例えば原発はない方がいいという解が○で、あった方がいいという解が×としたら、この二項対立ではもう議論にならなくなる。
 そうではなく○に近い△を探そうよという話だったら、もう一回議論が出来るんじゃないか。お互い何度も何度も議論をし合って、○に近い△を探すのが、日本の生きる道なんじゃないかなと思う。〔後略〕〔P.69〕

第4章/「別解力」を磨けば「幸せ」なんて簡単

【人は必ず変われる】
 都道府県別平均寿命が2013年2月に発表され、長野県が男女共に日本一になった。〔中略〕1960年代には、脳卒中の死亡率が全国1位。「不健康で早死に」の県だった。中でも、諏訪中央病院がある茅野市は、長野で最も脳卒中の人が多い市だった。
 此処でも「別解力」が役に立った。〔中略〕〔p.157〕
 相手の身になっていると、古ぼけた「正解」ではなく役に立つ「別解」が見つかって来る。

 僕等は、積極的に地域に出かけ、脳卒中を防ぐ為の生活指導を始めた。
 生活を少し変えることを行動変容というが、これが大事なのだ。

 ①血圧安定の為、塩分を減らす
 ②抗酸化力を増す為に野菜を沢山食べる
 ③繊維の多いキノコや海藻やコンニャクを食べ、発酵したものを食べ、腸を整え、免疫力を上げる
 ④魚、エゴマ、クルミ等「オメガ3系」と呼ばれる油を摂る
 ⑤運動をする

 この5つを目標にした。〔中略〕〔P.159〕
 今、長野県は野菜の摂取量は日本一だ。抗酸化力の高い野菜が動脈硬化や、ガンを起こすと言われるフリーラジカルの働きを抑えてくれるのだ。〔中略〕
 僕の理論からすると、肉は食べても良いが、程々に。大切なことは、野菜を徹底的に食べること。
 これが鎌田の「別解」。○に近い△である。
 絶対的な健康法なんてない。でも、「正解」に近い△はあるのだ。〔後略〕〔P.162〕

第5章/○に近い△を見つけるなんて簡単だ

「別解力」は誰にでもある。気がつかないだけだ
 隠れている「別解力」を引き出す為にには、warming upが必要
 冷た心の中では、「別解力」はつかない
 心を温めなければ「別解力」はつかない
 心を温めるには、「感動する」ことが大切
 景色に「綺麗」と感動したり、お昼のラーメンに「旨い」と感動したり
 自分の仕事の中でちょっとしたいい兆しに感動したり
 心を温めるwarming upの中で、身についた「別解力」は
 温(あった)かな「別解力」になる
 自分を幸せにし乍ら、同時にいつも
 必ず誰かの為にという新しい「別解」を見つけることが出来る様になる
 温かな「別解力」を持った人は、生きるのが楽になる
 いい風が吹いて来るのだ
 自分の為だけに生きている人より、生き易くなる
 人生が楽しくなる
 生きているのが面白くなる
 自分流のcommunication法を磨け!〔P.188〕

終章/鎌田がカマタに再び聞きました

5.打たれ強い出る杭になりたい
〔前略〕僕が寄り掛かるだけの人だったら、一度は寄り掛からせて貰っても、そう長く、何度も寄り掛からせてはくれないだろう。寄り掛かったり、寄り掛かられたり、これが△の生き方だ。〔中略〕
 △に生きる生き方をしていたら、憎しみや怒りや恨みは、ちょっと横に置いておけばいい、ってことに気がついた。時間が経つと、怒りが、少し形を変えているのに気がつく。お新香の古漬けの様に、ちょっと長く漬けて置くと、憎しみがいい味を出して来ることがある。
 嫌な奴に遣り返してやろうなんて気は失せて、その怒りや憎しみや恨みが、自分の生きるpowerとなっていく。ちょっとした「別解力」を持っていると、生き方がもの凄く楽になって来る。〔中略〕〔P.250〕
 △に生きていると、息がし易くなった。〔P.251〕(了)

【小生comment】
 TV dramaの「半沢直樹」の生き方はスカッとするが、敵になった者からは一生恨まれることは必定。
 鎌田流「○に近い△」に生き方なら完全な敵を作らない。
 この「○に近い△を生きる」ことは、小生が信条としている「六分の利」と良く似ている。
 即ち、相手と競争・取引する時も、「10割のうちの6割だけこちらの主張が通れば残り4割は相手方の主張を受け入れる」という相手のメンツを建てる遣り方である。
 鎌田氏が例えに出していた「原発は是か非か?」もそうであるし、日露領土交渉の「北方領土四島変換交渉の「四島一括の是非」も然りである。
 交渉相手と平和裏に決着をつけようと思ったら、「相手方に4割程度の妥協をして当方の実利を6割方確保すれば良し」とするこれが「六分の利」。
 現状の国際法で行けば100%獲得しようとすれば「戦争」で勝利するしかない。
 例えば、北方四島変換問題で行けば、「面積を等分して、歯舞・色丹諸島と国後島と択捉島の南一部を変換して貰う。択捉島の北部の主権ろ放棄する変わり、Russia国民と同等の権利を有して自由に往来可能区域とする」という位の譲歩をしないと実効支配しているRussiaは歯牙にも掛けないだろう。
 「○に近い△の生きる」‥小生にとって、納得出来る生き方だと強い共感を覚えた。

【後記】次号《会報》も、引き続き■第1回『案内状』のresponse状況■、11月15日~16日の京都市美術館『竹内栖鳳』展と奈良市登美ヶ丘にある松伯美術館『松篁を育んだ学び舎/画塾・青甲社』展、奈良市 興福寺『国宝館』、東大寺『戒壇院堂/四天王像』、同『二月堂と同じく参道』、『奈良山の辺の道』北courseを踏破して‥の模様他をお届けします。お楽しみに!
 では、また・・。(了)

2013年11月17日 (日)

【時習26回3-7の会 0473】~「11月17日現在:時習26回生卒業40周年記念懇親会 in 京都2014‥■第1回『案内状』のresponse状況■」「11月03日:一宮市三岸節子記念美術館『ヴェネチア展~日本人が見た水の迷宮~』&「メナード美術館『collection名作展Ⅴ~近代日本洋画~』&「古川美術館『藤森兼明』展を見て」「11月14日:愛知県芸術劇場concert hall『ラトル指揮ベルリン・フィル演奏会 in 名古屋』を聴いて」

■皆さん、お元気ですか、今泉悟です。《会報》【0473】号をお届けします。
 今日も最初の話題は、掲題・副題にあります様に、今日11月17日現在の時習26回生卒業40周年記念懇親会 in 京都2014‥第1回『案内状』のresponse状況です。
 現状は、「◎出席する‥44人」「○出席する方向で考える‥17人」「△まだ先のことなので何とも言えない‥24人」「×残念ながら参加できない‥30人」「■宛先不明により返却‥6人」「物故者であることが判明‥1人」の計122人といった状況です。]
 以下に、【◎1 参加する‥44人】【○2 参加する方向で考える‥17人】【△3 まだ先のことなので何とも言えない‥24人】のクラス別一覧をお示しします。

【◎1 参加する‥44人】〔以下、五十音順、敬称略〕
【1】榊原・鈴木(斎藤)・西沢・細井・山田‥5人
【2】織田(亀井)・鈴木(Y)・中嶋(Y)・斉藤(夏目)‥4人
【3】井垣・市原・谷山・原口‥4人
【4】前田・金子‥2人
【5】鈴木(杉浦)・平田(倉内)・白井(N)・山本‥4人
【6】水藤・吉福(小出)・大谷・黒柳・鈴木(M)・安田(加藤)‥6人
【7】井上・今泉・渡辺・山中(高木)・菰田・林(K)‥6人
【8】小野・杉浦・筒井(波多野)・長坂(山口)・安井・矢野‥6人
【9】杉原(小林)・鈴木(H)・林・酒井・丸山‥5人
【10】今泉・黒柳‥2人/全44人

【○2 参加する方向で考える‥17人】
【1】‥
【2】中村‥1人
【3】天野(山本)・庭山‥2人
【4】前田(平松)・中島(六峰)‥2人
【5】小椋・中島‥2人
【6】今泉(伴野)・澤井・林・山田(Y)・有留‥5人
【7】伊東‥1人
【8】鈴木(Y)‥1人
【9】竹中(千田)‥1人
【10】小林(杉浦)・高山‥2人/全17人

【△3 まだ先のことなので何とも言えない‥24人】
【1】熊谷・鈴木(Y)・竹内(小笠原)・長谷川‥4人
【2】杉浦・熊谷(伊奈)‥2人
【3】窪田・小林(石河)・岡田(伊藤)‥3人
【4】日比・岩手・黒柳(鈴川)‥3人
【5】松野尾・鳥居(河合)弘子‥2人
【6】‥
【7】太田‥1人
【8】荒川・伊藤(H)・内藤‥3人
【9】青木・白井・渡辺‥3人
【10】鈴木(M)・相楽‥2人
【?】氏名無記名にて不明‥1人/全24人
《1+2+3=85人》

 今回で「1参加する」「2参加の方向で考える」を合わせて61人と60人の大台に乗りました。
 引き続き、仲良しの仲間にお声をかけて「卒業40周年記念懇親会 in 京都2014」にお誘い合せの上ご参加頂ければ幸いです。
 因みに、我等が【2637の会】membersでは、「井上君・渡辺さん・山中(高木)さん・菰田君・林(K)さん・小生‥◎」「伊東君‥○」「太田君‥△」「犬飼さん・中村君・中山君・夏目君・守田君・山田君が‥×」の14人から返事を頂戴しています。
 【2637の会】membersの皆さんも、是非「◎1 出席する」か「○2 出席する方向で考える」と返信ハガキに書いて送って下さい!
 朗報をお待ちしています。

■さて、続いての話題は、今回もちょっと前の話になりますが、去る11月03日に、一宮市三岸節子記念美術館『ヴェネチア展~日本人が見た水の迷宮~』&「メナード美術館『collection名作展Ⅴ~近代日本洋画~』&「古川美術館『藤森兼明』展と、3つの美術館を見て来ましたのでその模様をご報告致します。

【一宮市三岸節子記念美術館『ヴェネチア展~日本人が見た水の迷宮~』】
[01]一宮市立三岸節子記念美術館『ヴェネチア展』leaflet 手は 矢崎千代二『ヴェニス』1923年
 01leaflet_1923

------------------------[02]吉田ふじを『ヴェニス』1906年
 021906_2

[03]三岸節子『大運河の家』1973年
 031973

------------------------[04]福本章『ラグーナの花 ヴェネツィア』2005年
 04_2005

 三岸節子記念美術館を所管する一宮市が2013年01月に伊・ヴェネト州トレビーゾ市と友好都市提携を結んだ。
 そのトレビーゾ市が属するヴェネト州の中心都市がヴェネチア。
 明治時代以降、数多くの日本人画家がヴェネチアを訪れ、ヴェネチアを主題に沢山の絵を描いており、本展はその作品展である。
 出展総数は60点。その中から幾つかをご紹介する。

【メナード美術館『collection名作展Ⅴ~近代日本洋画~』】
[05]メナード美術館『collection展Ⅴ 近代日本洋画』leaflet 絵は岸田劉生『笑ふ麗子(部分)』1922年
 05collection_leaflet_1922

------------------------[06]安井曾太郎『焼岳』1941年
 061941

[07]梅原龍三郎『浅間山』1950年
 071950

------------------------[08]林武『富士』1965-67年頃
 08196567

 明治以降、日本人に拠る洋画も数多くの傑作が描かれて来た。
 本展では、メナード美術館が所蔵する「近代日本洋画」の名作が60点展示されていた。
 今日は、その中から「山」を描いた安井曾太郎・梅原龍三郎・林武の作品をご紹介する。
 三者三様の「山」の絵であるが、夫々に味があっていい雰囲気を醸し出していると思う。

【古川美術館『藤森兼明~祈りの美 イコン・彩飾写本とともに』展】
[09]古川美術館『藤森兼明』展leaflet 絵は『アドレーション・デミトリオス』2004年
 09leaflet_2004

------------------------[10]藤森兼明『ビザンチウムへのオマージオ』1998年
 101998

 その日最後に訪れたのは、名古屋の池下にある古川美術館。
 先ずは、藤森兼明氏の略歴をご紹介する。
《略歴》
1935年 富山県砺波市庄川町生まれ
1958年 金沢美術工芸大学油彩科卒〔在学中に日展、光風会展に入選〕
1964年 名古屋市に転居
1980年 日展特選
1984年 再度日展特選
1996年 日展会員就任
2004年 日展評議員就任
2008年 日本藝術員会員就任 日展理事就任
2009年 日展常務理事就任

 以下、主催者のcommentを引用する。
 中性キリスト教美術と現代女性の肖像とを組み合わせたその荘厳な作風は、圧倒的な存在感を放つ。
 本展では、”祈り”の世界を描き始めた1980年代から今日迄の崇高な美の世界を紹介する。

【小生comment】
 藤森氏の作風は、確かな技量に裏付けられた綺麗な作品である。
 ただ、同じ女性を何枚も描かれていて、少々食傷気味になったというのが個人的な感想である。

■続いての話題は、11月14日に愛知県芸術劇場concert hallで開催された『Sir Simon Rattle指揮ベルリン・フィル(Berliner Philharmoniker)演奏会』を聴いてである。

[11]サイモン・ラトル指揮ベルリン・フィル演奏会leaflet
 11leaflet

------------------------[12]サイモン・ラトル((Sir Simon Rattle)1955.01.19- )
 12sir_simon_rattle19550119

[13]竪山大進(1979- )
 131979

 小生は、丁度一先週前ウィーンフィルの演奏を同じ愛知県芸術劇場concert hallで聴いている。
 世界のclassic音楽界で、WienフィルとBerlinフィルという最高峰の二大オケを名古屋に居ながらにして聴ける日本国民であるという幸せを神に感謝したい。
 余談だが、本concertには、時習26回生の同期で旧【1-4】のclassmateの宮田T康君【3-2】も聴きに来ていて偶然彼と会った。世の中は狭いものである。

 演奏曲目は、以下の3曲‥

1.Schumann Symphony No.1 in B flat-major Op.38 "Spring"
2.Prokofiev Violin Concerto No.1 in D major Op.19
 Violin 樫本大進
Encore:J.S.Bach 無伴奏ヴァイオリン・パルティータ ロ短調からブーレ
3.Stravinsky The Rite of Spring「春の祭典」

 Berlinフィルの来日公演は通算20回目で、ラトルとの組合せは2004年・2005年・2008年、2011年に続き今回が5回目。
 2曲目のViolin独奏者は、1979年London生まれの日本人 樫本大進。
 彼は、1996年のフリッツ・クライスラー国際音楽コンクール第1位、ロン=ティボー国際音楽コンクールで優勝。
 ドイツを拠点にソリストとして世界中で活躍中。
 2010年12月 日本人として2人目のBerlinフィルの第1concertmasterに就任〔2008年09月内定〕。
 使用楽器は、1674年製のアンドレア・グヮルネリ。

 ストラヴィンスキーの「春の祭典」について、サイモン・ラトルが次の様に語っている。
「ストラヴィンスキーの『春の祭典』は20世紀という時代にとって、計り知れない影響を持つ作品です。それが1913年、つまり世界が凡そ経験していなかった災禍(【小生補足】第一次世界大戦)の直前に事件を起こしたのも、全くの偶然とは思えません。ストラヴィンスキーは凶暴な迄の力を再現しようとしました。彼が幼い頃にRussiaで経験した、大地が音を立てて裂ける様な春の訪れを‥。しかし更に深い次元で、これは音楽的なメタファー(metaphor:隠喩=ある名辞※の元の概念から、よく似てはいるが別の概念に変えて、その名辞を使う比喩的表現(※名辞:論理学で、概念を言語で表したもの))なのです。全てを消耗し尽くして仕舞う歴史の激流を招き入れる、一つの亀裂が生じたことの」
 ラトルは次の様にも述べて『春の祭典』紹介している。
「『春の祭典』は、世界に大きな衝撃を与えた歴史上最も革命的な作品の一つです。ストラヴィンスキー自身も、作曲出来たことを不思議に思っていました。”死ぬ迄踊る少女”の夢を見て、この曲を作ったそうです。彼は、こう語っています。”何かが『春の祭典』を書かせた””私は、この曲を生み出す為に使われたに過ぎない”。とは言え楽に作曲が進んだ訳ではありません。彼はRussiaの古い民族音楽を数多く取り入れ、育った村で親しんだ音楽家達を懐かしみました。そして、それ等をバラバラにし、キュビズム(cubisme)の絵画の様に仕上げたのです。これが、かつてない曲を生みだせた理由でしょう。初演から100年が経ちますが、今でも『春の祭典』は他に類を見ない偉大な作品です」

【小生comment】
 Berlinフィルは、楽団員一人ひとりが超がつく程の素晴らしいsolisteの集団である。だから音色が素晴らしいし、rhythm感も完璧である。
 先週聴いたWienフィルが「完璧な演奏に気品と優雅さ(=elegant)を備えている」とすれば、Berlinフィルは「完璧に精緻な演奏にcool&cleverな雰囲気を備えている」と言ったらいいだろうか‥。
 樫本大進君のViolin soloも完璧な演奏だった。
 本当に素晴らしい演奏会であった。

【後記】次号《会報》では、引き続き■第1回『案内状』のresponse状況■の模様と、10月13日に仕事で上京した折見て来た「東京都美術館」「山種美術館」「ナカジマアート」「ブリヂストン美術館」の模様他をお届けします。お楽しみに!
 では、また・・。(了)

2013年11月10日 (日)

【時習26回3-7の会 0472】~「11月10日現在:時習26回生卒業40周年記念懇親会 in 京都2014‥■第1回『案内状』のresponse状況■」「10月19日:名都美術館『奥田元宋&小由女』展&鞍ヶ池art salon『日本画にみる心の原点‥ふるさと日本』展を見て」「11月07日:愛知県芸術劇場concert hall『ティーレマン指揮ウィーン・フィル演奏会』を聴いて」「『B1グルメ in 豊川2013』に参加して」「『時習26会ゴルフ会』に参加して」

■皆さん、お元気ですか、今泉悟です。《会報》【0472】号をお届けします。
 今日最初の話題は、掲題・副題にあります様に、今日11月10日現在の時習26回生卒業40周年記念懇親会 in 京都2014‥第1回『案内状』のresponse状況‥は、「◎出席する‥30人」「○出席する方向で考える‥12人」「△まだ先のことなので何とも言えない‥16人」「×残念ながら参加できない‥24人」「■宛先不明により返却‥6」の計88人といった具合です。]
 以下に、【◎1 参加する‥30人】【○2 参加する方向で考える‥12人】【△3 まだ先のことなので何とも言えない‥16人】のクラス別一覧をお示しします。

【◎1 参加する‥30人】〔以下、五十音順、敬称略〕
【1】榊原・鈴木(斎藤)(I)・西沢・細井・山田‥5人
【2】織田(亀井)・鈴木(Y)・中嶋(Y)‥3人
【3】井垣・市原・谷山‥3人
【4】前田‥1人
【5】鈴木(杉浦)・平田(倉内)‥2人
【6】水藤・吉福(小出)‥2人
【7】井上・今泉・渡辺‥3人
【8】小野・杉浦・筒井(波多野)・長坂(山口)・安井・矢野‥6人
【9】杉原(小林)・鈴木(H)・林‥3人
【10】今泉・黒柳‥2人/全30人

【○2 参加する方向で考える‥12人】
【1】‥
【2】中村‥1人
【3】‥
【4】前田(平松)‥1人
【5】小椋‥1人
【6】今泉(伴野)・澤井・林・山田(Y)‥4人
【7】伊東‥1人
【8】鈴木(Y)‥1人
【9】竹中(千田)‥1人
【10】小林(杉浦)・高山‥2人/全12人

【△3 まだ先のことなので何とも言えない‥16人】
【1】熊谷・鈴木(Y)・竹内(小笠原)・長谷川‥4人
【2】杉浦‥1人
【3】窪田・小林(石河)‥2人
【4】日比‥1人
【5】松野尾‥1人
【6】‥
【7】‥
【8】荒川・伊藤(H)・内藤‥3人
【9】青木・白井・渡辺‥3人
【10】鈴木(M)/全16人

 今回の締切が今月末なので、相応に纏まった人数の参加が期待出来そうです。
 機会があれば、仲良しの仲間にお声をかけて「卒業40周年記念懇親会 in 京都」にお誘い合せの上ご参加頂ければ幸いです。
 因みに、我等が【2637の会】membersでは、「井上君・渡辺さん・小生‥◎」「伊東君‥○」「犬飼さん・中山君・夏目君・守田君・山田君が‥×」の9人から返事を頂戴しています。
 【2637の会】membersの皆さん、奮って「◎1 出席する」か「○2 出席する方向で考える」と返信ハガキに書いて送って下さい。お願いします!m(_ _)m

■さて、続いての話題は、ちょっと前の話になります。
 去る10月19日(土)に、車で長久手市にある 名都美術館『奥田元宋&小由女』展と、豊田市鞍ヶ池公園にある鞍ヶ池art salon『日本画にみる心の原点‥ふるさと日本』展の2つの美術館を訪れて来ましたのでご紹介させて頂きます。

[01] 『奥田元宋&小由女』展leaflet‥絵は 奥田元宋『煌』1991年
 01_leaflet_1991

【名都美術館『奥田元宋&小由女』展】
[02]奥田元宋(1912.06.07-2003.02.15)
 021912060720030215

------------------------[03]奥田元宋『紅嶺』1987年
 031987_2


[04]同『新雪一ノ倉』1992年
 041992

------------------------[05]同『秋耀細瀑』2000年
 052000

1912(明治45)年 広島県双三郡八幡村(現・三次市吉舎町)に地主農家の三男(5人兄弟の末子)として生まれる。本名厳三
1930(昭和05)年 日彰館中学校卒業後、上京して遠縁に当たる児玉希望(1898-1971)の内弟子となる
1936(昭和11)年 文展に『三人の女性』が初入選
1969(昭和44)年 日展が改組され、理事就任
1977(昭和52)年 日展理事長就任〔1979年退任〕
1984(昭和59)年 文化勲章受章
2003(平成15)年 逝去(90歳)、従三位に叙せらる

[06]奥田小由女(さゆめ(1936.11.26-))
 0619361126

------------------------[07]奥田小由女『風花』1976年
 071976

[08]同『海への誘い』1994年
 081994

1936(昭和11)年 大阪府堺市に生まれる。旧姓川井小由女
1939(昭和14)年 父病死の為、母の郷里 広島県双三郡吉舎町(現・三次市)に転居
1955(昭和30)年 日彰館高等学校卒業、人形作家を志して上京、紅実会人形研究所で林俊郎に師事
1966(昭和41)年 第52回光風展に『響』が初入選、爾来、入選・特選を重ねる
1976(昭和51)年 日本画家 奥田元宋と結婚
1980(昭和55)年 日展会員となる
1998(平成10)年 日本芸術院会員に任命される
1999(平成11)年 日展常務理事就任
2011(平成23)年 日展副理事長就任〔現任〕

【小生comment】
 本展は、奥田元宋&小由女夫妻の故郷 広島県三次市に2006(平成18)年開館した「奥田元宋・小由女美術館」所蔵作品から成っている。
 元宋の本展作品はご覧頂けばお解りの様に、有名な「元宋の赤」と評される作品が主体である。
 又、奥田小由女の初期作品は、欧州旅行をして親しんだ彫刻等の影響が見てとれる、白一色に拠る造形的な作品で、風や音を表現しようとした抽象的で清新な世界を目指している。その後1978年以降は、豊な色彩が加わり、優しさや穏やかさが作品を表れる様になっている。〔以上、『奥田元宋 小由女美術館 所蔵作品図録』の刊行にあたってより引用〕
 なかなか面白い企画展であった。

[09] 『日本画にみる心の原点‥ふるさと日本』展‥絵は 加藤東一『漁火』1985年
 09_1985

【鞍ヶ池art salon『日本画にみる心の原点‥ふるさと日本』展】
 今回も、本展出品目録〔点数24〕を以下に記す。

01.大山忠作(1922-2009)『暁鶴』1985年
02.小倉遊亀(1895-2000)『紅梅古九谷』1983年
03.中嶋千波(1945-)『鶴岡八幡宮の牡丹』1998年
04.[10]堀文子(1918-)『楽園に遊ぶ』1994年
 1019181994

05.髙山辰雄(1912-2007)『白いトルコ桔梗』2001年
06.松尾敏男(1926-)『花菖蒲』1985年
07.奥村土牛(1889-1990)『栗』1950年
08.[11]那波多目功一『秋桜』2001年
 112001

09.上村淳之(1933-)『爽秋』1990年
10.松尾敏男(1926-)『寒牡丹』1982年
11.山口華楊(1899-1984)『晨雪』1973年頃
12.上村淳之(1933-)『雪中遊禽』1990年
13.前田青邨(1885-1977)『富士』1963年
14.吉田善彦(1912-2001)『薬師寺の春』1969年
15.加倉井 和夫(1919-1995)『白莫』1975年頃
16.田渕俊夫(1941-)『大仏殿遠望』1987年
17.平山郁夫(1930-2009)『那智の滝』1997年
18.[09]加藤東一(1916-1996)『漁火』1985年
19.稗田一穂(1920-)『時雨る湖』1980年
20.山本丘人(1900-1986)『火山の見ゆる峠』1973年
21.吉田善彦(1912-2001)『法隆寺の秋』1969年
22.麻田鷹司(1928-1987)『内の倉』1976年
23.松村公嗣(1948-)『深深』1987年
24.加山又造(1927-2004)『雪晴れの火山』1980年

【小生comment】
 鞍ヶ池art salonは、展示数こそ二十数点と少ないが、傑作揃いなのでいつ此処を訪れても感動して心の底から癒される。
 添付写真の絵は、leafletに記載されている加藤東一の作品と、観覧後にアンケートを提出すると無料で戴けるpostcard2枚。
 色々とご紹介したい処だが、blogではご紹介する術がない。
「百聞は一見に如かず」です。ご興味があったら一度訪れて拝観してみて下さい。豊田市北部の鞍が池公園の一角にあります。

■続いての話題は、11月07日に愛知県芸術劇場concert hallで開催された『クリスティアン・ティーレマン(Christian Thielemann)指揮ウィーン・フィル(Wiener Philharmoniker)演奏会 ベートーベン・ツィクルス〔Beethoven Zyklus〕』を聴いてである。
 小生は、ウィーンフィルの演奏は、一昨年2011年10月以来通算で4度目である。
 そしてWien Philharmonikerと言えば小生には40年来のとても懐かしい思い出がある。
 それは、【2637の会】の【3-7】になる直前の春休みの一日だったと思うが、八町小・豊城中・時習館と同窓同期の松岡信君【3-1】と一緒にクラウディオ・アバド指揮のWien Philharmonikerの演奏会を金山の市民会館〔‥当然のことだが、昭和48年当時は愛知県芸術劇場concert hallはなかった‥〕に聴きに行ったことを覚えている。当時のconcert masterはWilhelm Hyubnerでconcertが始まる前のrestaurantで見かけたことを不思議と良く覚えている。
 その日の演目も40年前のことだが不思議と鮮明に全部覚えている。
 なかでも、Mozartの交響曲第40番の透き通る様な、そして甘美なmelodyが今でも心に響いて聞こえて来る。

 1.W.A.Mozart Symphony No.40 in g minor K.550
 2.L.V.Beethoven Symphony No.3 in E-flat major op.55 "Eriuca"
 Encore: Schubert 「ロザムンデ」間奏曲

 因みに、ウィーンフィルの来日コンサートは今回で通算30回目。
 小生は、このうち、第4回(1978年03月)クラウディオ・アバド指揮/第21回(2001年10月)サイモン・ラトル指揮/第29回(2011年10月)クリストフ・エッシェンバッハ指揮と今回の4回である。
 演目は、以下の3曲のBeethoven Zyklus(=全てベートーベンの曲目の演奏会)であった。
 40年前と同じ英雄交響曲を聴くことが出来た。
 だからなのであろうか‥、第2楽章の葬送行進曲を聞いていたら胸が熱くなって仕舞った。
 CDやDVDでは何回ともなくWien Philharmonikerの演奏を聞いているが、生演奏の素晴らしさは実際に聴いた人でないと納得出来ないと思う。

 指揮者:クリスティアン・ティーレマン(1959年Berlin生まれ)
 作曲者:Ludwig van Beethoven

[12] クリスティアン・ティーレマンとWien Philharmoniker
 12_wien_philharmoniker

 1.「エグモント(Egmont)」序曲 op.84
 2. Symphony No.1 in C major, op.21
 3. Symphony No.3 in E-flat major, op.55"Eroica"「英雄」

【小生comment】
 流石は、ベルリンフィルと世界のトップ2と言われるorchestraだけあって、ベートーベンの3曲を完璧に演奏した。
 その完璧な演奏は、彼等の十八番(‥世界の超一流オケだから十八番だらけだと思うが‥)を余裕をもって、透明感に柔らかさが加わり、極めて優美に奏でられた。
 演奏者が皆、名曲を楽しみ乍ら演奏しているという風に感じられる程、手慣れた演奏に見えた。
 最近、仕事が忙しくblueな気分になっていたが、ウィーンフィルの演奏を聴いて、少し元気を取り戻せた様に感じられた。
 「超」がつく名演奏を聴いて、生きていることの素晴らしさを実感出来た。
 Classic音楽の素晴らしさを実感出来る自分を幸せな奴だと思う。

■続いては、11月09日(土)、豊川で今日10日(日)の二日間開催された「B1gourmet in 豊川」に行って来ましたのでご報告致します。
 今日も天気は良かった。若干寒く感じたが、温かい食事を摂ることができたので丁度良い気温だった。
 今回は、全国から64団体が参加する「ご当地グルメでまちおこしの祭典!」である。
 前回の開催市 北九州市が人口97万人の政令指定都市で61万人の来場者であった。
 今回豊川市は人口18万人に対して40万人の来場者を目指すという極めて意欲的な目標を持っていると聞く。
 その来場者数達成の成否は兎も角、大混雑が予想されるのは間違いないので、今日は自宅を07時に出発した。
 09時半のstart時間の90分前の8時00分に5つの会場の一つ「豊川市野球場会場」に到着した。
 目的は、No.56.三重県 『亀山みそ焼きうどん』本舗とNo.59.広島県 『備後府中焼き』を広める会である。
 start迄の90分辛抱強く立って待った。
 その甲斐あって09時半過ぎには食にありつけたので気分よく隣接の次の目的会場「豊川市陸上競技場会場」のNo.43.岩手県『久慈まめぶ汁』の久慈めめぶ部屋とNo.38.福岡県 『田川ホルモン鍋』の田川ホルモン喰楽歩(クラブ)に朝鮮した。いずれも30分程待って食することが出来た。
 そして、11時過ぎには会場を切り上げ帰途についた。会場の「陸上競技場」の入口では、既に入城制限がかかっていた。
 何でも先手必勝である。

[13] No.59.広島県 『備後府中焼き』
 13_no59

------------------------[14]「豊川市野球会場」に詰めかけた来場者たち
 14

[15] No.43.岩手県『久慈まめぶ汁』の久慈まめぶ部屋01
 15_no4301

------------------------[16]同上02
 16_no43021

[17]『久慈まめぶ汁』を食する小生
 171

■今日最後の話題は、今日岡崎市のザ・トラディションゴルフクラブにて開催された、時習26会ゴルフ会の模様です。
 天気が心配されましたが、何とか後半のhalfは雨も止みまずまずのプレイconditionで良かったです。
 今回の優勝者は常連の野末T君【3-8】。
 楽しいひととき過ごすことが出来ました。
 添付写真は、表彰式での優勝者野末君(右)と参加者の全体写真です。

[18]幹事の中嶋君から優勝賞品を授与される優勝者の野末君
 18

------------------------[19]参加者全体写真 at ザ・トラディションゴルフクラブ20131110
 19_at_20131110

 では、また・・。(了)

2013年11月 2日 (土)

【時習26回3-7の会 0471】~「10月12(土)~14(日):西国3つの【ウッドワン・平山郁夫・大原】美術館&3つの【岩国・広島・福山】城&2つの【安芸宮島「厳島神社」・広島原爆dome】世界遺産巡りの旅‥その3(完)‥」

■皆さん、お元気ですか、今泉悟です。《会報》【0471】号をお届けします。

 10月26日に台風27号が今朝東海地方のかなり南方を通過してから冬型の気圧配置となり急速に冷えて来た。
 名古屋の今日11月02日現在、「日の出06時14分、日の入り04時57分」とかなり日が短くなった。
 特に日没が04時代になると、何故か物悲しい気分になる。
 この様な時は、情緒的な文学作品が相応しい。
 其処で今日は、中国 五大十国最後の南唐第3代の後主(こうしゅ=王朝最後の君主)李煜(りいく※1)の詞(※2)をご紹介したい。

※1 李煜(937-978)は、五大十国の中の十国 南唐の2代国主 李璟の第6子、961年皇太子、同年第3代の王として24歳で即位
  彼の作品は、華麗な宮廷生活を詠った若かりし時代と、北宋に敗れ、後主として北宋の都開封で幽閉され没する迄の晩年と、作風が大きく2分される
  後者は詞風に深い憂愁を帯びており作品的価値が高い
  彼が詠う深い哀愁に満ちた憂悶の詞は千古の絶唱と高く評価されている
※2 詞(し)=填詞・詩余・長短句とも言う
  中国 韻文の一形態で、特に宋代に栄え、唐詩・宋詩・元曲と共に時代を代表する文学形式
  晩唐の温庭筠(おんていいん(812-?))、五代の李煜、北宋(961-1127)の晏殊(あんしゅ(991-1055))・欧陽修(1007-1072)等の作品が有名

  烏夜啼

 無言獨上西樓
 月如鈎
 寂寞梧桐深院 鎖淸秋

 剪不斷
 理還亂
 是離愁
 別是一般滋味 在心頭

  烏夜啼(うやてい)

 言(げん)無く 独り西楼に上れば
 月 鈎(かぎ)の如し
 寂寞たる 梧桐の深き院 清秋を鎖(とざ)す

 剪(き)りても断てず
 理(ととの)へども還(ま)た乱るるは
 是(これ) 離愁
 別に是 一般の滋味の心頭に在り

【意】
 独り無言で西側の楼閣に上れば
 三日月の様に細く鈎型の月が出て〔辺りは暗闇に包まれて〕いる
 寂しげな梧桐(アオギリ)の繁る中庭には寒々しい秋を封じ込めている

 剪(き)ろうとしても断ち切れない
 (理=)整えてもまた直ぐ乱れて仕舞う
 (是=)それは別離の〔‥故郷の金陵から遠く離れている為湧いて来る万感の‥〕愁いなのだ
 何とも言い表せない特別な一種独特の味わいが心に生じてくる

【解説】最後の句は李煜の絶唱である。抑えようとしても抑えきれない望郷の念が深い憂愁となって彼の心に湧き出て来る
 ※一般:一種独特の/滋味:味わい/心頭:心‥頭は名詞などの後ろに付く接尾辞

【小生comment】
 この詞を、李煜が今幽閉されている北の開封から遠く離れた南の金陵〔今の南京〕に住む愛しい女性に対する情愛の歌と見ると解り易いかもしれない。
 李煜は、五代の最後の王朝「後周」の属国となっていた十国の一つ「南唐」の最後の王。
 因みに「五代十国」の五代は、唐を滅ぼした朱全忠(852-907)が建国した後梁から始まる。
 御梁(907-923)→後唐(923-936)→後晋(936-946)→後漢(こうかん(947-950))→後周(951-961)迄のことである。
 後周の2代皇帝 柴栄(さい えい)(=世宗)は五代で随一の名君とされるが、38歳で死去。
 嗣子(しし)が7歳だった為、南唐征伐で勲功のあった彼の配下の趙匡胤(927-976)が禅譲を正式に受け「北宋」を立国する。
 趙匡胤は、自身が軍人であったにも拘らず文治主義を進め、唐末以来の戦乱の時代に終止符を打った。
 趙匡胤は、中国歴代王朝の君主としては、稀代の名君とされる。
 具体的には、前王朝の後周の柴氏一族を尊重し貴族として優遇し続けた他、降伏した国々の後主等を貴族として遇しいる。その中に南唐の李煜もいた。
 しかし李煜は、976年趙匡胤の死後跡を継いだ弟の太宗(趙匡義(939-997))の代になった978年 毒殺されたと伝えられている。

 参考迄に、趙匡胤が歴代皇帝が就任する時に必ず読ませた有名な【石刻の遺訓】とは以下の2つ‥
 1.趙匡胤に皇位を譲った柴氏一族を子々孫々にわたって面倒を見ること
 2.言論を理由に士大夫(官僚/知識人)を殺してはならない

■さて今日は、掲題・副題にある様に、去る10月12(土)~14(月)の三連休に山口・広島・岡山、西国3県にある3つの美術館、3つの城、二つの世界遺産、巡り3回seriesの最終回〔第3回目〕をお届けする。
 最終日〔三日目〕の行程は、以下の通りである。

【14(振月)】
 05時30分起床〔腹筋45分、風呂15分〕
 07時00分朝食

 三日目も天気晴朗。自称「晴れ男」の面目躍如である。(^^

 07時45分発 旅館「つつ井」→〔全44km〕一般道6.4km→生口島北IC→〔しまなみ海道(19km)〕→西瀬戸尾道IC→→松永道路(11km)→福山城博物館近隣駐車場
 09時00分着 福山城博物館

[01]福山城天守閣
 01

------------------------[02]福山城天守閣前にて
 02

【福山城の歴史】
 1619(元和05)年 前《会報》の広島城と処でご紹介した通り、関ヶ原の戦以降、18年間 備後国&安芸国(498,223石)の領主であった福島正則が改易
 ‥→・同年、徳川家康の従兄弟 水野勝成(※1)が西国外様大名に対する抑えとして10万石で大和国の郡山藩(6万石)から転封
 ※1 水野勝成(1564-1651)は、徳川家康の従兄弟。家康の生母 於大の方(1528-1602)の弟水野忠重(1541-1600)の嫡子

 1619(元和05)年 福山城 築城開始
 1622(元和08)年 竣工
 ‥→・福山城は五重天守&三重櫓7基(櫓総数20超)という10万石として破格の大きさを誇る〔‥天下普請に準じる扱い‥〕
 1698(元禄11)年 水野家5代藩主勝岑(かつみね)早世により断絶〔‥代官による天領時代を経て‥〕
 1700(元禄13)年 出羽国山形藩より松平忠雅(ただまさ)が入封
 1710(宝永07)年 松平忠雅が伊勢国桑名藩に10万石て転封、代わって阿部正邦(まさくに)が下野国宇都宮藩から10万石で入封
 ‥→・以後、明治維新迄、2代 正福(まさよし)→正右(まさすけ)→正倫(まさとも)→正精(まさきよ)→6代 正寧(まさやす)→

 【7代 正弘(まさひろ)(1819-1857)/(藩主1836-1857)】
 若年の時から秀英の誉れ高かった正弘は、兄 正寧の嗣養子となり
 1836年 家督相続
 1843年 老中就任
 1845年 老中首座就任〔数え27歳から1855年堀田正睦(まさよし(1810-1864))に譲る迄10年間老中首座を務めた〕この間‥
 1853(嘉永06)年 Perry提督率いる米国艦隊の浦賀来航、米国大統領の国書を受け取り、諸大名に意見を求める
 1854(安政元)年03月 日米和親条約を締結、同年夏 英国と、同年冬 ロシア、翌年France・オランダと和親条約を締結
 欧米諸国に門戸を開いた阿部は、直ぐにこれ等の国の持つ軍事・経済・技術・文化を学ぶ為に学問所を整備
 福山藩に藩校 誠之館を開校、幕府としては「天文方蕃書和解(わげ)御用掛(かかり)」を洋学所として独立、長崎に海軍伝習所を創設
 1853年 阿部は大船建造を解禁‥→・浦賀奉行所や薩摩等の雄藩と並び福山藩軍艦(西洋式帆船)「順風丸」を中浜万次郎(ジョン万次郎)の手を借り建造に着手
 →8代 正教(まさのり)→正方(まさかた)→10代 正桓(まさたけ)〔‥明治維新を迎える‥〕

【小生comment】
 阿部正弘は1857年38歳という若さで急死する。
 彼が老中筆頭の時、幕府は1639(寛永16)年の南蛮船入港禁止以来215年ぶりに「鎖国」を解いた。
 開国派で譜代筆頭石高35万石格の譜代筆頭彦根藩主 井伊直弼(1815-(‥1850年第15代彦根藩主‥)1860.03.24)と、攘夷派で徳川御三家石高35万石の徳川斉昭(1800-(1829年第09代水戸藩主)1860.09.29)の間に立ち調整に苦慮、1855年堀田正睦に老中首座を譲った。

 余談だが、井伊直弼は31歳(※2)迄、徳川斉昭も29歳(※3)迄、長年「部屋住み」を経験している。
 ※2 直弼は1846(弘化03)年 第14代藩主で兄直亮(なおあき)の世子直元(なおもと(これも兄))が死去し直亮の養子として彦根藩の後継者に決定する迄部屋住み
 ※3 斉昭は水戸藩第7代藩主徳川治紀(はるのり)の三男。長兄で第8代藩主斉脩(なりのぶ(1797-1829))が死去に拠り家督を継ぐ迄部屋住み
 井伊直弼と徳川斉昭‥この政敵の2人が同じ様に同じ歳頃迄部屋住みであったこと、死去したのが同じ1860年というもの偶然とは言え興味深い

 話を阿部正弘に戻す。如何に秀英の誉れ高い阿部とは言え、譜大筆頭の井伊家と徳川御三家の水戸家の狭間に立ち、二分する国論を纏め上げることに相当腐心したことは想像に難くない。
 阿部の急死は、「開国を要求する欧米列強との外交交渉」と「幕府内の開国派と攘夷派の対立への対処」という極度に高まった内憂外患がstressとなって彼の身体を蝕んだのではないかと小生は推察する。

 09時50分発 福山城博物館→〔全58㎞〕福山東IC→山陽道〔40㎞〕→倉敷IC→国道429号線→倉敷市民会館駐車場→徒歩0.8km→
 11時00分着 児島虎次郎記念館

 車を停めた市民会館から大原美術館迄は歩いて10分程だった。
 開館の西隣が倉敷アイビースクエアである。
 このアイビースクエアの西側の一画に大原美術館の施設に一つである「児島虎次郎記念館」がある。
 因みに、同記念館から一筋西に倉敷川が流れる「倉敷美観地区」のmain streetとなっている。
 児島虎次郎記念館から西進すること7~80mで倉敷川東岸に出る。
 そこを川伝いに100m程北上すると、進行方向右手に大原邸の別邸「有隣荘」がある。
 この日は特別公開日であり中を屋敷内を見学出来た。
 有隣荘のほぼ正面に橋があり其処を渡ると「大原美術館」がある。
 大原美術館は、「本館」「分館」「工芸・東洋館」が同一敷地内に建っている。
 これに「児島虎次郎記念館」と「有隣荘」を観覧出来るpassport券で全5施設を廻った。

[03]倉敷Ivy Squareの一画にある「児島虎次郎記念館」の前にて
 03ivy_square

------------------------[04]児島虎次郎『朝顔』1916/1920
 0419161920

[05]同『アルハンブラ宮殿』1920年
 051920

------------------------[06]同『Spainの風景』1920年
 06spain1920

[07]同『Stockholm風景』1922年
 07stockholm1922

 児島虎次郎(1881-1929)は、岡山県川上郡下原村(現・高梁市成羽町)に生まれた。
 1904年 東京美術学校西洋画科選科卒
 1907年『里の水車』が宮内省買上げとなり、大原孫三郎は喜び、児島に渡欧を薦める
 1908年 渡仏
 1909年 ベルギー北西部ゲント美術アカデミー校長ジャン・デルヴァンが児島に入学を薦める
 1910年 ベルギー印象派の画家エミール・クラウスを訪ね、以後彼の指導を受ける
 ‥→・エミール・クラウスについては2013.07.07付《会報》【0453】をご参照
 http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/26-04530704stat.html ←ここをclickして下さい
 1912年 04月ゲント美術アカデミーを首席卒業/07月France Parisに親交のあったアマン=ジャンを訪ね『髪』を購入(←大原美術館collectionの第1号作品)
 『髪』の購入に当たっては、児島は大原孫三郎に手紙で資金的援助を依頼している。
 1929年 児島虎次郎 心臓麻痺の為死去(享年47歳)
 志半ばで死去した児島虎次郎の意思を引継ぎ‥
 1930年 大原美術館が開館した
 西洋近代美術を対象にした日本初の常設展示施設である大原美術館は、クラレの創業者大原孫三郎(1880-1943)が友人でもある児島虎次郎の支援者となり、児島が第一次世界大戦後の二度に亘る渡欧の際、精力的に作品収集に努めたものがbaseとなっている。

[08]有隣荘
 08

------------------------[09]倉敷川にかかる橋の欄干にて01
 0901_2

[10]同02
 1002

------------------------[11]大原美術館の中庭にて
 1101

[12]E.F.Aman-Jean『髪(Hair)』1912年頃
 12efamanjeanhair1912

------------------------[13]El Greco(1541-1614)『受胎告知』1590頃-1603
 13el_greco1541161415901603

[14]Albert Marquet(1875-1947)『Marseillesの港(Port of Marseilles)』1916年
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------------------------[15]Maurice de Vlaminck(1876-1958)『サン=ドニ風景(Landscape, Saint-Denis)』1908

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[16]Pablo Picasso(1881-1973)『鳥籠(Bird Cage)』1925年
 16pablo_picasso18811973bird_cage192

------------------------[17]児島虎次郎(1881-1929)『ベゴニアの畠』1910年
 17188119291910

[18]同『和服を着たベルギーの少女』1911年
 181911

------------------------[19]佐伯祐三(1898-1928)『広告"ヴェルダン"(Poster Verdun)』1927年
 1918981928poster_verdun1927

[20]藤島武二(1867-1943)『耕到天(たがやし てんにいたる)』1938年
 2018671943_1938

------------------------[21]林武(1896-1975)『梳(くしけず)る女』1949年
 21189619751949

[22]北城貴子(1975-)『Reflection-muison-so-』2006年
 221975reflectionmuisonso2006

【小生comment】
 大原美術館は、日本の近代美術館の先駆けとなっただけあって、展示作品の質の高さといい、その数の多さといい、日本を代表する美術館である。
 時間さえあればもっとジックリ見ていたかったのであるが、1時間余りで大原美術館「本館」「分館」「工芸・東洋館」と一通り見て、帰りに倉敷川畔のお店で簡単な昼食を摂り帰路についた。「ウッドワン美術館」「平山郁夫美術館」と此処「大原美術館」いずれも素晴らしかった。
 お城も「岩国城」の吉川広家、「広島城」の毛利輝元・福島正則・浅野長晟、「福山城」の水野勝成・阿部正弘、古の歴史絵巻を紐解くことが出来て良かった。

 12時15分発 大原美術館→倉敷川畔にて〔昼食〕→倉敷市民会館駐車場
 12時30分発 倉敷市民会館駐車場→倉敷IC→山陽道→中国自動車道→名神高速→新名神高速→東名阪自動車道→伊勢湾岸自動車道→東名・音羽蒲郡IC→
 19時20分着 自宅〔了〕

【後記】今日は、久し振りにprivateでgolfをした。其処で本当に久し振りに時習26回生【3-2】のclass担任であった松井K晏先生にお会いしてgolfを松井先生の【3-2】の教え子である中嶋君共々ご一緒させて頂いた。小生、先生に前回お会いしたのは数年以上前の時習26会ゴルフ会だったと思う。
 添付写真を御覧下さい。
 写真向かって左から二人目が松井先生。その右隣が中嶋君【3-2】、右端が鈴木さん。
 松井先生と鈴木さんは中学校~高校の同期同窓の親友。昭和10年生まれで鈴木さんが05月、松井先生が09月生まれ。
 だから我々より丁度20歳年長の満78歳。
 失礼な言い方だが、とても後期高齢者とは思えない若々しさである。
 今日早朝07時15分に東courseをstartし、throughで北courseを廻り、play終了が12時15分。
 中島君に、小生羨望の気持ちを抱き乍ら「僕等も先生と鈴木さんの様に歳をとっても元気で居たいね」と話した。
 懐かしくも、とても楽しい5時間であった。

[23]新城CCにて松井啓晏先生&中嶋君達と‥
 23cc

 先週10月26日(土)の午後、来年06月07日(土)18時00分から京都・清水五条の料理旅館『鶴清』にて開催予定の「時習26回生卒業40周年記念懇親会」の『案内状』を投函しました。
 既に【2637の会】members皆さんのお宅にも『案内状』が届いていると思います。
 ご賢察の上、是非参加頂けたらと思います。

 ではまた‥(了)

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