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2013年12月21日 (土)

【時習26回3-7の会 0478】~~「12月21日現在:時習26回生卒業40周年記念懇親会 in 京都2014‥■第1回『案内状』のresponse状況■」「12月07(土)~08(日):『奈良/山の辺の道』南courseを踏破&『室生寺』『長谷寺』『聖林寺』を巡って〔その2(完)〕」「12月15日:『第113回 豊橋交響楽団定期演奏会』を聴いて」「12月19日:名都美術館/所蔵品展『冬』&特別展示『堀文子-生命の輝きを求めて-』を見て」

■皆さん、お元気ですか、今泉悟です。《会報》【0478】号をお届けします。
 今日も先ず最初の話題は、掲題・副題にあります様に、今日12月21日(土)現在の「時習26回生卒業40周年記念懇親会 in 京都2014」‥第1回『案内状』のresponse状況です‥と申し上げたい処ですが、残念乍ら今週は1通の返信ハガキもありませんでした。

 【2637の会】membersでまだ返信ハガキを出状されていない皆さんに重ねてお願いです。
 「△3 まだ先のことなので何とも言えない」で結構ですから、小生宛に投函頂ければ幸甚です。
 現状は、先週と変わりありませんから、「◎出席する59人」「○出席する方向で考える‥38人」「△まだ先のことなので何とも言えない‥44人」「×残念ながら参加できない‥47人」「■宛先不明により返却‥12人」「物故者であることが判明‥2人」の計202人の状況の儘です。
 変更ありませんので、今週は【◎1・○2・△3】のクラス別一覧は割愛させて戴きます。

 因みに、我等が【2637の会】membersでは、「井上君・渡辺さん・山中(高木)さん・菰田君・林(K)さん・竹内君・小生‥◎」「伊東君‥○」「太田君・伊庭さん・彦坂君‥△」「犬飼さん・中村君・中山君・夏目君・守田君・山田君・下浦(原田)さん‥×」の18人の皆さん以外で、これ迄にクラス会に参加頂いたことのある11人の皆さんから残念乍らまだresponseがありません。
 時効の中断という意味からも「△」で返信ハガキを送って戴けないでしょうか?
 宜しくお願いします。m(_ _)m

■さて今日最初の話題です。前《会報》に引き続き、去る12月07日(土)~08日(日)《中嶋君等との『山の辺の道』南courseを踏破して&『室生寺』『長谷寺』『聖林寺』を巡って》から〔その2〕=二日目08日(日)「『室生寺』『長谷寺』『聖林寺』を巡って」の模様についてご報告します。

【二日目】2013年12月08日(日)
07時00分 朝食=Viking
08時35分 美榛苑発:08時40分に宿を出て、最初の訪問先『室生寺』へ向かった〔→11.4km 20分〕

【室生寺】
09時00分 室生寺着〔拝観時間09時00分~/拝観料@600円〕:09時05分室生寺近くの駐車場に到着
 室生寺への訪問は、学生時代中嶋君と二人で訪ねた昭和50年か51年の秋以来だから、もう37~8年前という遠い昔の出来事である。
 中嶋君もその時以来の再訪だ言っていた。

《縁起》
 寺伝では、670(白鳳09)年役小角に拠る創建、のち空海により真言宗の三大道場の一つとして修営されたとある。
 〔‥環境庁・奈良県に拠る東海自然歩道の看板では681(天武天皇09)年 役行者に拠って開かれた、とあった‥〕。
 ただ確かな文献に拠ると、宝亀年間(770~80年)に皇太子山部親王(のちの桓武天皇)の病気平癒の為、この霊山にて浄行僧5人が延寿法を祈願したことに始まる。
 平安時代初期 興福寺の僧 修円が入山。現存する五重塔をはじめとする伽藍を造営。
 空海から最澄に宛てた有名な書簡 国宝「風信帖」の中に「室山」とあるのが修円。
 爾来、室生寺は興福寺の所管にあった。

[01]【国宝】「金堂」に到る「鎧坂」にて中嶋君と
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[02]金堂 内陣に安置されている【国宝】「釈迦如来立像」‥榧(かや)材の一木彫刻
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[03]&[03a]金堂 内陣に安置されている【国宝】「十一面観音菩薩立像」全体像と部分
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 「鎧坂」と呼ばれる石段を登り切ると正面に、側面5間の単層寄棟造/柿葺(こけらぶき)の国宝「金堂」がある。
 奥行き5間のうち前1間は江戸時代に庇部分を増築したもので、奥4間が平安時代初期創建。
 平安時代初期の山寺の仏堂としては室生寺「五重塔」と共に日本で唯一現存する建物。
 金堂 内陣には、腰高い須弥檀の内に、本尊【国宝】「釈迦如来立像」(添付写真[02])を中心に、向かって右へ「薬師如来立像」、右端「地蔵菩薩立像」。
 向かって左へ「文殊菩薩立像」、左端【国宝】「十一面観音菩薩立像」(同[03])の5尊像が安置されている。
 5尊像の中でも、【国宝】「十一面観音立像」は彩色も結構残っていて女性的な豊満な優しい顔だちが印象的で美しい。
 この日訪問予定の『長谷寺』『聖林寺』にも「十一面観音菩薩立像」があり、それ等との対面がとても楽しみになった。

[04]【国宝】「五重塔」の前の石段にて
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 国宝 五重塔は、高さ16.1m。屋外に建つ五重塔では最小。
 九輪の上には通常「水煙」だが、「宝瓶」を載せ宝鐸を吊り巡らせ天蓋を造ってある。これは他に例がない珍しい相輪である。
 1998(平成10)年 台風に拠り大きな損傷を被ったが、2000年修復。
 『室生寺』というと、「女人高野」という言葉が、小さくて可愛らしい「五重塔」といつもoverlapして浮かぶ。
 すると、拙い一句が浮かんだ

 錦秋や 女人高野と 五重塔  悟空

09時50分 室生寺発〔→17.4km 30分〕

【長谷寺】
10時35分 長谷寺着〔拝観時間09時00分~/拝観料@500円〕

《縁起》(leafletより引用)
 長谷寺は、山号は豊山(ぶざん)。
 686(朱鳥(あかみどり)元)年 道明(どうみょう)上人が天武天皇の為に「銅板法華説相図(どうばんほっけせっそうず)」を初瀬山(はつせやま)西の岡に安置したことに始まる。
 727(神亀04)年 聖武天皇の勅願に拠り、徳道(とくどう)上人が本尊 十一面観音菩薩を東の岡に祀った。
 1588(天正16)年 専誉(せんにょ)僧正が入山後は、関係寺院3千箇所を有する真言宗豊山派総本山となった。
 長谷寺は、西国三十三所観音霊場第8番札所。
 四季を通じて「花の御寺(みてら)」として親しまれている。

[05]長谷寺「仁王門」前にて中嶋君と
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[06]「登廊(のぼりろう)」の前にて青木さんと
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 「登廊」は上中下の3廊に分かれ、74間 399段ある。

[07]上登廊から【国宝】「本堂」を望む(‥写真ほぼ中央にある社は「三百余社(さんびゃくよしゃ)」1651年創建‥)
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[08]【重文】本尊「十一面観音菩薩立像」
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 現在の本尊は、1538(天文07)年 大仏師運宗(うんしゅう)等に拠って造立された。像高1,018cm、日本一の木造仏である。

[09]「本堂」外廊下欄干にて中嶋君と
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 「本堂」から初瀬の山々を眺めていたら拙い歌が一首浮かんだ‥

【詞書】‥長谷寺「本堂」欄干から眼下の景色を望み、初冬の風景を実感して詠める‥
 山肌一杯にその美しさを誇っていた木々の紅葉も流石に今は色褪せて見え、侘しさが伝わって来る。
 ※ 隠処の=隠国(こもりく)の:泊瀬(はつせ)は山々に囲まれた土地であるから言う‥泊瀬に掛る枕詞。

 隠処(こもりく)の泊瀬(はつせ)の古刹訪ぬれば 冬枯れ兆す錦繍(きんしゅう)の杜(もり)  悟空

 以下は余談である。
 「日本書紀」次の様な歌が載っている。

 隠国(こもりく)の 泊瀬(はつせ)の山は
 出で立ちの 宜しき山 走り出の 宜しき山の
 隠国の 泊瀬の山は あやにうら麗(ぐは)し あやにうら麗し
  『日本書紀』巻第14 雄略天皇(雄略06年春)

【意】泊瀬の山(々)は 家から出て直ぐ所、家から走り出て直ぐの所に見える素晴らしい山々だ
 泊瀬の山(々)は 何と美しい 何と美しいのだろう!
【注】雄略天皇:第21代、五世紀後半の天皇。允恭(いんぎょう)天皇の第5皇子。名は大泊瀬幼武(おおはつせ わかたける)。
 478年 中国六朝の宋(/順帝)~斉(/初代 高帝時代)へ遣使した倭王「武」や、埼玉県行田市稲荷山古墳出土の鉄剣にある「辛亥(471)年(?)」の表銘文と共に裏銘文に記載ある「獲加多支鹵大王」と比定されている。

 「泊瀬」=「初瀬(はつせ)」=「長谷(はせ)」の様に、「長谷」の語源は「初瀬」であると言ってほぼ間違いあるまい。

11時40分 長谷寺発〔→08km 17分〕

【聖林寺】
12時00分 聖林寺着〔拝観料@400円〕

《略記》(leaflet拠り引用)
 聖林寺の創建は古く、712(和銅05)年に談山妙楽寺(現 談山神社)の別院として、藤原定慧(定恵、貞恵(じょうえ)鎌足の長子)が建立したとされる。
 【国宝】「十一面観音菩薩立像」は、1868(慶応04)年 フェノロサ、岡倉天心等に拠って開扉されて以降、その美しさで人々を魅了し続けている。
 尚、当寺院の本尊は「子安延命(こやすえんめい)地蔵」である。

[10]聖林寺入口近くにて中嶋君と
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[11]聖林寺
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[12]【国宝】「十一面観音菩薩立像」
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 『室生寺』『長谷寺』『聖林寺』と三寺の「十一面観音菩薩立像」を見て来たが、『聖林寺』の観音様が一番proportionが良い。
 『聖林寺』に来て、受付にあった図録『大和路秀麗/八十八面観音巡礼』で初めて知ったことがある。
 それは、上記3寺の他に、奈良県下に『西大寺』『法華寺』『海龍王寺』『大安寺』『法輪寺』の5寺ある。
 この5寺のうち『法華寺』と上記の『室生寺』『聖林寺』の3寺の「十一面観音菩薩立像」が【国宝】でその他はいずれも【重文】である。

 『聖林寺』の「十一面観音菩薩立像」を拝観していたら、「百済観音」を見て詠んだという水原秋櫻子の名句が浮かんだ‥

 春惜む おんすがたこそ とこしなへ  水原秋櫻子

 小生も、秋櫻子の名句に触発されて拙句を作ってみた‥

 冬寺に 数多(あまた)溢るる 観音観  悟空

【注】観音観:観無量寿経に説く十六観の一。極楽浄土に往生することを念じ、観世音菩薩の相を観想する観法。

12時45分 聖林寺発〔→208.8km 04時間25分〔60分の昼食休憩を含む〕〕
16時05分 中嶋宅着
16時35分 青木宅着
16時40分 今泉宅着

 ※ ※ ※ ※ ※

■続いては、12月15日(日)午後2時00から、ライフポートとよはしconcert hallにて開催された『第113回 豊橋交響楽団定期演奏会』を聴いて来ましたのでその模様をお伝えします。
 今回のconcertは、時習26回生の同期 安形修二君【3-1】から誘われた豊響の定期公演である。

[13]『第113回 豊橋交響楽団定期演奏会』leaflet
 13113_leaflet

[13a]指揮者 松本宏康氏
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 安形君とは小生時習【1-4】のclassmateである。
 今回は、中嶋良行君【3-2】と一緒に聴いた。
 曲目は以下の通りである。

1. J. Brahms / Hungarian Dace No.1, No.4, No.6, No.15 2. J. Brahms / Haydnの主題に拠る変奏曲
3. J. Brahms / Symphony No.3
Encore. Hungarian Dance No.5

指揮者:1:下谷剛嗣、2&3&Encore:松元宏康
演奏:豊橋交響楽団

 本公演は、ご覧の通り Brahms Zyklusである。
 今回は、指揮者についてご紹介する。
 下谷剛嗣氏は、我等が時習館の一年後輩の27回生。名大工学部卒
 松元宏康氏は、1975年生まれ(38歳)。洗足学園音楽大学卒
 2012年琉球フィル正指揮者
 「基礎の確りした音楽づくりが底流にあり、松元の構成観の確かさと、雄弁な棒のテクニックが説得力に直結している」(レコード芸術)と評される等今注目される若手指揮者〔以上、本公演leaflet拠り引用〕。

 実際、聴いてみて彼の指揮の巧みさに感心した。
 Orchestraも彼のタクト(‥と言っても、彼は指揮棒を持たずに素手で指揮をした‥)に真摯に応えていた。
 心地良い緊張感と、指揮者とorchestraの一体感が聴き手迄伝わって来た好演であった。
 Brahmasの交響曲第3番の演奏が終わった時、館内からbravoの声が上がった。
 そして、hornのsection leaderである安形君とhorn奏者達が指揮者に讃えられて起立した。
 あとから、安形君に「hornの第3楽章の有名な第一主題の演奏が巧かったから讃えられたんだね」とmailで祝いの言葉を伝えたら、
 彼は「Brahmasの交響曲第3番ではhornがいつも褒められるんだよ」と謙遜していたが‥。
 「松元氏がこの程豊響のmusic adviserに就任した」と演奏終了後、彼の自己紹介の際、自ら語った。
 小生は思った、「松元氏は若年だが、基礎が確りしたいるので将来を期待出来る。豊響もこれからの成長が楽しみだ」と。
 これからの松元氏と豊響に期待したい。

■今日最後の話題である。一昨日の12月19日 仕事で名古屋に出張した帰り、長久手市杁ヶ池公園にある名都美術館にて現在開催中の「名都美術館所蔵品展『冬』&特別展示『堀文子-生命の輝きを求めて-』を見て来ましたのでその模様についてご紹介します。
 本展は、名都美術館所有の日本画のうち、『冬』をthemeにした伊東深水8点、鏑木清方5点、横山大観3点、川合玉堂2点、小林古径、酒井三良、徳岡神泉、安田幸彦各1点の計22点と、特集展示として堀文子20点と同じく堀文子のsketch45点からなっている。
 無条件に楽しめる日本画展であった。
 今日は、その中からpostcardになっている作品から幾つかご紹介したい。

[14]伊東深水(1898-1972)『吹雪』1942年
 14189819721942

[15]伊東深水『縫い針』1945年
 151945

[16]鏑木清方(1878-1972)『洋燈』1947年
 16187819721947

[17]鏑木清方『雪』制作年不詳
 17

[18]川合玉堂(1873-1957)『橋畔雪後』1955年
 18187319571955

[19]小林古径(1883-1957)『初冬』1935年
 19188319571935

[20]徳岡神泉(1896-1972)『鯉』制作年不詳
 2018961972

[21]安田靫彦(1884-1978)『わびすけ』1941年
 21188419781941

[22]横山大観(1868-1958)『天長地久』1940年
 22186819581940

[23]堀文子(1918-)『紫の雨』1965年
 2319181965

[24]堀文子『離山凍る』1986年
 241986

[25]堀文子『芥子(けし)』2003年
 252003

 名画は如何でしたでしょうか?
 ホント、名画って何回見てもいいものですね。
 心が洗われる様に癒され、愉快な気分になります。
 では、また‥。(了)

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コメント

【古代史は石渡信一郎から始まる】
と信じています。ぜひ 以下の文 感想聞かせてください。。

『大和民族大移動』
*日本書紀編集者の良心の呵責を見抜いた石渡信一郎と林順治*

失礼無礼きわまりない話ですが、あなたが家系図を作成するとして、
実は、あなたのおじいさんが泥棒だったら、あなたはどうしますか?
昭和18年に隣の酒屋から酒5升盗んだ人だと正直に書けないですね。
でも、良心の呵責から、なんとかして泥棒行為を書き残したいですよね。
簡単です。じいさんに弟があり その架空人物が、盗んだ事にしましょう。
おっと、じいさんの弟はお墓が無くばれますね。では干支60年古くして
明治16年に、ひいひいひいじいさんの妹の夫が盗んだ事にしましょう。 

書紀は天皇様の見事な万世一系の家系図を書いた推理小説です。
太古から日本を統治していた事としたい。でも本当の事も書きたかった。
そのため、架空人物を多数創造した。時代も原則60年単位で古くした。
これが、真実を残すために書紀が取らざるを得なかった編集方針です。
もちろん、真実そのままの事も、どうしても書けない真実もありました。

では、架空実在人物が新旧入り混じった小説からの真実の救出法は?
 ①実在したご先祖のお墓や使用物の年代を正しく求めましょう。
 ②貴重な金石文を正確に読みましょう。
 ③地名や人名の語源を冷静に考えましょう。
この3つを追求整理したあとで 初めて日本書紀を読むべきですね。

石渡信一郎は、まず先に、上記①②③を 徹底的に、探究しました。 
①古墳や須恵器・土師器・埴輪の絶対年を正しく定めました。
 (過去の気象や磁気の変化を考古学の原則で追及した後に)
 例えば、弥生後期(5期)は260年頃から350年頃までとしている事
  及び 稲荷山古墳550年頃 で、鉄剣の辛亥年=531年
②七支刀・隅田八幡鏡・武寧王陵碑・稲荷山鉄剣を正確に解読した。
 (すみません。解読結果詳細は石渡氏と林氏の本を読んで下さい。)
③地名人名の語源を音韻変化の基本原則にのっとり追求しました。
 韓(カラ)⇒加夜(かや)・軽(かる)・茶屋(けや)・秦(はた)
大韓(カカラ)⇒大軽(おおかる)・各羅(かから)
南韓(ナムカラ)⇒難波(なには)・長柄(ながら)・中(なか)
東韓(スカラ) ⇒菅谷・早良(さわら)・日十(そか)・蘇我(そが)
大東韓(カスカラ)⇒飛鳥・春日・足柄・橿原・八幡(はちはた)
大東韓(キスカラ)⇒一須賀・石川・鬼前(きせ)・去来紗(いざさ)
大東韓(クスカラ)⇒樟葉・太秦・宇治(うじ)・太(ふつ)
昆支(コンキ)  ⇒誉田(ほむた)
  
今では信者のむらかみからむですが、石渡論の理解に半年以上です。
通説の古墳年代の根拠を知らず、通説年代は当たり前の事でした。
即ち、誉田山も大仙古墳も5世紀初頭と 無意識に思っていました。
さらに、百済皇子余昆が書紀では昆支だという事を忘却してました。

その昆支が倭の5王の武で、誉田山古墳に眠る応神でもある。
その弟が継体であり仁徳でもあり仁徳から武列までは架空である。
獲加多支鹵は欽明であり継体の子ではなく昆支の子である。
その息子がアメノタリシヒコで用明で蘇我馬子で聖徳太子でもある。
とくれば、なんでもありの飛んでも説をよくもここまでまじめに書くなあ。
石渡信一郎も林順治も トンデル人だ。と思ってしまいますよね。

しかし、音韻変化の原則から『飛鳥の語源は大東韓(かすから)だ』
の説明を熱心に 語っている文章の迫力には心を打たれました。
で、稲荷山鉄剣の辛亥年=531年で古代史を語る人は誰もいない。
の文章を読んだ時、この理論が他説を圧倒する事に気づきました。
通説の古墳年代を無意識に受け入れていた私がトンでいたのです。

なんと、小6の私の息子の社会の参考書にも書いてありましたが、
通説は稲荷山鉄剣の獲加多支鹵大王を書紀の中の雄略大王として
辛亥年=471年としてた。これを絶対基準に古墳年代を決めていた。
ワカタケルは大泊瀬幼武じゃない可能性の追求が甘いままでした。
おかしな話ですよね。書紀の記述が真実かどうか検討しているのに
書紀の記述の大泊瀬幼武の実在は真実からスタートしていたなんて。

結果的に、通説での全古墳の絶対年は60年以上古すぎたのです。
4世紀前半は弥生時代で、古墳時代はAD350年からなのです。
これは寒かった弥生後期5期が260年~340年頃でも裏付けれます。
『通説の古墳年代を 60年以上新しくして古代史を見直すべき』
との提案が石渡説の基本で他説との相違点で最重要ポイントです。
これが理解できないと石渡論はトンでる空想物語になります。

では、531年の根拠は?『完本聖徳太子はいなかった760円』より
①草冠ぬきの獲の字は 中国でも6世紀に初めて使用した。
②発掘関係隊長の斎藤忠も副葬品(銅わん等)から 531年説。
③稲荷山古墳と同年代の野々上窯の熱残留磁気測定結果。
④少し新しい江田船山古墳履が武寧王の墓の履と文様が似る。

石渡論は辛亥年=531年で須恵器や土師器や埴輪の年代を求めます。
典型例は『須恵器大成(田辺昭三)』を60年新しくしている事です。
で、全国の主要古墳年代を通説より基本的に60年新しく求めます。
さらに古鏡&刀の金石文と中国の文献で実存した人物の中から
その生存&死亡時期と照らし、各々の古墳披葬者を選び出します。
これで書紀に全く頼っていない石渡論の基本年表が完成します。

古墳------年代----被葬者
①箸墓-----385年頃-倭王旨(七支刀)   
②渋谷向山古墳-410年頃
③行燈山古墳--430年頃-倭王讃(宋書)
④五社神古墳--440年頃-倭国王珍(宋書)
⑤中ツ山古墳--450年頃-倭国王済(宋書)
⑥石津山古墳--475年頃-倭国王興(宋書)
⑦誉田山古墳--510年頃-倭王武・余昆(宋書)・日十(隅田鏡)
⑧大仙古墳---520年頃-男弟王(隅田鏡)
⑨見瀬丸山古墳-570年頃-獲加多支鹵(稲荷山鉄剣)
⑩太子西山古墳-585年頃
⑪石舞台古墳--620年頃-阿毎多利思比孤(隋書)
⑫天武陵(旧)-645年頃-ワカミタフリ(隋書)
⑬持統陵(旧)-645年頃

で、ここから初めてこの年表を書紀の記述と照らして検証していきます。
このとき、先述の音韻変化の原則から求めていた語源が役に立ちます。
コンキ⇒ホムタ や スカラ⇒ソガ や ウズ⇒フツは典型例でしょう。
こうして以下の本当の大王様の家系図の一覧表が探し出せました。

古墳---被葬年-本名-書紀の中の名前【家系図】
①箸墓---393-旨-ミマキイリヒコ【初代】
②渋谷向山-409-?-イクメイリヒコ【①の子】
③行燈山--438-讃-イニシキイリイコ【②の子】
④五社神--442-珍-ワカキニイリヒコ&ワカタラシヒコ【③の弟】
⑤中ツ山--462-済-ホムタノマワカ&尾張連草香【③の孫】
⑥石津山--477-興-カワマタナカツヒコ&凡連【⑤の子】
⑦誉田山--507-武・日十・余昆-昆支&ホムタワケ【⑤の子の婿】
⑧大仙---531-男弟-ヲホト&オホサザキ【⑤の子の婿。⑦の弟】
⑨見瀬丸山-571-ワカタケル-アメクニオシヒラキヒロニワ&蘇我稲目【⑦の子】
⑩太子西山-585-?-ヌナクラノフトタマシキ【⑨の子】
⑪石舞台--622-アメノタリシホコ-タチバナノトヨヒ&聖徳&馬子【⑨の子】
⑫旧天武陵-645-ワカミタリフ-善徳&蘇我蝦夷【⑪の子】
⑬旧持統陵-645-?-蘇我入鹿【⑫の子】

大和民族は『うるわしの土地』を求め大陸から大量に移動してきました。
まずは西暦330年頃から半島南部を、460年頃からは百済を通って。
1回目の代表は旨(崇神)、2回目は武(応神)&男弟(継体)です。
で、各々の起因は1回目が楽浪郡の崩壊、2回目は高句麗の南下です。
書紀の隠したこの事実は、現代日本人には小説(書紀)よりも奇です。
というより、受け入れがたく、石渡論を無礼者と思いますよね。

しかし、考えようによっては当たり前だったのではないでしょうか?
大陸は寒かった。温暖な飢えない日本列島は『うるわしの土地』だった。
新羅を置き去り、自ら大和民族大移動し、海を渡り来ていたのですよね。
さあもう21世紀です。石渡論が世に出て4半世紀も経ってしまった。
ぼちぼち古墳を60年新しくして、真実を考え、受け入れませんか?。

隣家の酒樽から酒5升分のお金が入ったじいさんの名前の財布が
見つかった。稲荷山古墳の鉄剣・隅田八幡鏡・七支刀のことですよ。
じいさんはお酒を飲んでお酒を買いに行き転んだ。よかった。無実です。
ひいひいひいじいさんに妹夫妻はいなかった。雄略大王もいなかった。

まだまだまだまだ書きたいことありますが 最後にまとめを書きます。

石渡論は古墳年代を正しく求めスタートします。そのあとで書紀です。
ところが 不幸な通説は架空雄略大王の実在からスタートし迷走中。

石渡信一郎が真にすばらしいのは 日本書紀編集者たちが持つ
・ひとりの実在人物をふたり・さんにん・・と分けざえるを得ない苦悩。
・架空大王をひとりふたり・・30人31人と創造せざるを得ない苦悩。
・時代を60年120年180年240年・・神話へと古くせざえるを得ない苦悩。
すなわち、『真実が書きたい』と言う叫びを痛切に理解している事です。

見事な万世一系の筋書とは異なる飛んでた真実があるのだから
書紀は真実を書けば書くほどでたらめになる自己矛盾を持つ。
書紀は でたらめではない。でたらめにならざるを得なかった。
石渡説がトンでるのではない。飛ばされた真実を探しているのです。
『飛ばして申し訳ないという良心の呵責を持った家系図』も眠るはず。
これを見抜き信じるから、真実が救い出せるのです。すばらしいです。

私は近日、以上を前書きに『大和民族大移動』という本を買きます。
石渡信一郎を東大か京大の古代史教授に推挙するために。。で、
副題は『書紀編集者の良心の呵責を見抜いた石渡信一郎と林順治』


で、聖徳太子と蘇我馬子と用明大王 そして アメノタリシホコは
すべて たった一人の人物です。その人を分けて書いているのです。

とにかく皆さん 両先生の本 読んで古代史考えましょう。で、早いのは、
『古代史の謎を探る』か『倭韓交差』か『むらかみからむ』でネット検索。

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