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2013年12月の5件の記事

2013年12月27日 (金)

【時習26回3-7の会 0479】~~「12月27日現在:時習26回生卒業40周年記念懇親会 in 京都2014‥■第1回『案内状』のresponse状況■」「12月21日:杉本美術館『杉本健吉没後10年 記念作品展Ⅱ(1939-1950)/戦中戦後の時代‥杉本健吉が描いた奈良・名古屋』展を見て」「池谷裕二『脳には妙なクセがある』を読んで」

■皆さん、お元気ですか、今泉悟です。《会報》【0479】号をお届けします。
 今日も先ず最初の話題は、掲題・副題にあります様に、今日12月21日(土)現在の「時習26回生卒業40周年記念懇親会 in 京都2014」‥第1回『案内状』のresponse状況です。前《会報》をお届けしたから今日27日迄に1通の返信ハガキを頂戴しました。
 井澤N泰君【2】から「○2 参加する方向で考える」の回答を頂戴しました。嬉しいですね。!(^-')b♪

 これで学年全体では「◎出席する59人」「○出席する方向で考える‥39人」「△まだ先のことなので何とも言えない‥44人」「×残念ながら参加できない‥47人」「■宛先不明により返却‥12人」「物故者であることが判明‥2人」の計203人となりました。
 1名の追加だけですので、今週も【◎1・○2・△3】のクラス別一覧は割愛させて戴きます。

 【2637の会】membersでまだ返信ハガキを出状されていない皆さんへ今週も重ねてお願いです。
 「△3 まだ先のことなので何とも言えない」で結構ですから、小生宛に投函して下さい。
 宜しくお願いします。m(_ _)m

■さて今日最初の話題です。
 去る12月21日 杉本美術館にて明日(28日)迄開催中の『杉本健吉没後10年 記念作品展Ⅱ(1939-1950)/戦中戦後の時代‥杉本健吉が描いた奈良・名古屋』展を見て来ましたので、その模様についてお伝えします。
 その日は、午後に名古屋へ私用で行く用事があったので、国道23号線を使って知多郡美浜町美浜緑苑にある『杉本美術館』を車で訪ねた。
 走行距離は60km。08時50分発で11時05分着であった。
 今回の『杉本美術館』訪問は、2013年6月30日付《会報》【0452】号にて6月30日に‥杉本健吉(1905-2004)没後10年作品展の第1回目‥『若き日の杉本健吉』展を見に訪問して以来である。
 今回は、同じく第2回目。以下、本展leafletの解説から引用する。

 〔前略〕戦時体制下の1940(昭和15)年頃から杉本は頻繁に奈良へ出かけ、写生を続けた。この奈良の写生は高い評価を得、1942年 文部省美術展覧会「新文展」で『博物館中央』が特選、1946年 日展(日本美術展覧会)で『博物館彫刻室』が特選に選ばれた。
 物資のないこの時代にやっとのことで手に入れた墨や紙で厳しい写生の修行に励んだ結果、戦後「奈良風景を題材としてタブロー(bableau=easel画の完成画)としての素描」として、第1回中日文化賞を受賞。
 「墨絵奈良」という杉本独自の白黒表現の世界は、のちに吉川英治の歴史小説の挿絵の基礎にもなっていく。
 この間 杉本は、奈良の風物を敬愛した〔‥【小生補足】会津弥一(1881-1956)、志賀直哉(1883-1971)、入江泰吉(1905-92)をはじめとする‥〕多くの人々との交流を深め、終生の友をこの時期に得たのである。

[01]杉本美術館entrance
 01entrance

[02]杉本美術館『杉本健吉が描いた奈良・名古屋』展leaflet
 02leaflet

[03]杉本健吉『仏頭』1944年
 031944

 展示作品は、leafletにある絵が中心。
 流石に脂の乗り切った時代の作品なので、多くの作品に力強さを感じることが出来た。
 Leafletの中心の絵は『自画像』1948年。
 あと反時計回りに、左上:『大仏殿 興福寺塔』1944年、『名古屋市街鳥瞰図』1946年、『防空(市役所)』1944年、左下:『阿修羅像』1960年、右下:『埴輪 仏像 壷』1944年、『那古野神社』1939年、『仏頭』1944年、右上:『瑞垣』1940年。

【小生comment】
 杉本は、岸田劉生に師事。岸田没後は、梅原龍三郎に私淑した。
 『大仏殿 興福寺塔』1944年 を見ると梅原の影響を受けていると納得出来る。
 Leafletの絵をご覧になってお解りの様に、彼の作品は、写実的なものから、梅原流に大胆にdeformerしたもの迄色々あって夫々が面白い。

■今日最後の話題は、最近読んだ池谷裕二著『脳には妙なクセがある』をご紹介したい。

[04] 池谷裕二『脳には妙なクセがある』
 04

 池谷裕二氏は、1970年静岡県藤枝市出身。薬学博士。東京大学大学院薬学系研究科 准教授。
 今年最後にご紹介する本としては中々面白い本でした。

 先ず最初に、indexから面白い項目をchoiceしてご紹介したい。
【01】脳は妙に「IQに左右される」‥脳が大きい人は頭がいい?‥◆運動が得意な生徒程、勉強の成績も良い?
【02】 〃 「自分が好き」‥他人の不幸は蜜の味‥◆他人の不幸を気持ちよく感じて仕舞う脳
      ‥◆「誇り」と「喜び」とは別の感情である
【03】 〃 「信用する」‥脳はどの様に「信頼度」を判定するのか?‥◆整理整頓の極意は「使えるものは捨てる」
      ・←‥「勿体ない」感情を押し殺し「使える」ものは捨て、「使う」ものを残す
【04】 〃 「運任せ」‥「今日はツイている!」は思いこみではなかった!‥◆運勢は朝 既に決っている
      ・←‥testosteroneが多い朝は、その日に設ける金額が多い‥単なる思い込みでない「何か」がある!
【05】 〃 「知ったかぶる」‥「○○しておけば良かった」という「後知恵bias」とは?
      ‥◆『所持効果』という奇妙な現象=所有することに拠り、そのモノへの主観的価値が高まる心理的傾向のこと
      ・‥=他人が所有する時にはそれ程気にならなかったが、自分が持つと「実際以上に良いモノ」に思えて仕舞うという心理
      ‥『所持効果』の2つの理由
      【理由1】所持しているモノに愛着を感じるから(positiveな面の過大評価)
      【理由2】所持しているモノを失いたくないから(損失への過敏)
【06】 〃 「brandに拘る」‥Aura、Mood、Charisma…見えざる力に動いて仕舞う理由‥◆脳はそもそも「brand」に反応する様につくられている
      ・→‥自分に宿るbrand意識を素直に認めた時、自分の嗜好や決断方法に新しい展開が生まれるかも!?
【07】 〃 「自己満足する」‥「行きつけの店」しか通わない理由‥◆用意されていた絶対価値を推量する回路
      ・→‥「相対価値」専用の脳部位「眼窩前頭皮質」に「絶対価値」を評価する脳回路が存在することが発見された
【08】 〃 「恋し愛する」‥「愛の力」で脳の反応もmotivationも上がる!?‥◆恋をすると脳の処理能力が上がる!?
      ・←‥恋人の名前が画面にsubliminal(潜在意識に働きかけ)表示されると、「紡錘状回」や「角回」といった大脳皮質領域に加えて、遣る気やmotivationに関わる脳深部が活性化する、しかもこれは愛情が強い程強く活性化する
      ・‥=「恋の魔力」を忘れかけているということは、それだけ「老化した」ということかも‥!?
      ‥◆母親の経験は子供に遺伝する!?
      ‥◆良い環境に恵まれた生活が何故大切か!
      ・=‥エピジェネティクス(Epigenetics(=遺伝子と環境要因の架け橋となる機構))の知見からも言える。
      ・→‥何故なら、染色体やDNAへの後天的な化学修飾は、精子ではresetされるが、卵子では子孫に引き継がれるから
      ・→‥女性は、将来に授かる子供の為に、良い環境に恵まれる事も視野に入れ乍ら若い頃の生活を送る事は、念の為に良いかも‥
【09】 〃 「Gameに嵌まる」‥ヒトは取分け「映像的説明」に弱い生き物である‥◆‥
      ・=‥笑顔に近い表情を作ると、dopamine系の神経活動が変化する
【10】 〃 「人目を気にする」‥何故か自己犠牲的な行動をとる様にprogramされている‥◆何故私達は人の物を盗まないのか?
      ・←‥「他人の所有物を自由に盗んで良いとすると、回り回って、結局は自分の物も盗まれる可能性が高い」=結局は「自分の為」
【11】 〃 「笑顔をつくる」‥「先ずは形から」で幸福になれる!?‥◆笑顔を作るから楽しいという逆現象=「逆因果」が脳にはある
      ・←‥笑顔は、それを見る人だけでなく、笑顔を作る人にとっても、良い心理効果がある
【12】 〃 「Pheromoneに惹かれる」‥汗で「不安」も「性的message」も伝わる‥◆性的妄想は女性にバレている!?
【13】 〃 「勉強法に拘る」‥「入力」よりも「出力」を重視!‥◆‥
【14】 〃 「赤色に魅了される」‥相手を怯(ひる)ませ、優位に立つセコイ色?‥◆‥
【15】 〃 「聞き分けが良い」‥‥音楽と空間能力の意外な関係‥◆‥
【16】 〃 「幸せになる」‥歳をとると、より幸せに感じる様になる‥◆‥
【17】 〃 「酒が好き」‥「嗜好物」は本人の預かり知らぬ処で形成されている‥◆‥
【18】 〃 「食に拘る」‥脳に良い食べ物は何か?‥◆健全な「精神」は健全な「胃腸」に宿る
      ・←‥胃腸の具合が脳の状態とlinkしている事を理解する必要がある
      ・=‥内臓を含めた全身がbalance良く機能して、初めて脳の健康を保てる
【19】 〃 「議論好き」‥「気合い」「根性」は古臭い大和魂?‥◆‥
【10】 〃 「お喋り」‥「Metaphor(暗喩)」が会話の主導権を変える‥◆Metaphor(喩え表現)を利用する
      ・←‥Metaphorを聴くと、言語野に加えて「下前頭回(かぜんとうかい)=前頭葉の一部」等 脳の広い範囲が活動
      ・=‥Metaphorを解釈する事は、単語と文章を統合し、裏の意味を推定するという脳高次機能が関わっている、と推測されている
【21】 〃 「直感する」‥脳は何故か「数値」を直感するのが苦手‥◆「閃き」と「直感」の違いとは?
      ・‥・「ふと思い付く」という状況は似ているが、思い付いた後の様子がまるで違う!
      ・←‥【閃き】は、思い付いた後、その答えの理由を言語化(=説明)出来る=【知的な推論】
      ・←‥【直感】は、本人も理由が解らない「確信」を指す=【動物的な勘】
【22】 〃 「不自由が心地良い」‥ヒトは自分のことを自分では決して知り得ない‥◆「自由意志」は脳から生まれない
      ・←‥「意志」は、「周囲の環境」と「身体の状況」で決まる
      ・=‥「そう思って」仕舞った以上、もはや一種の「反射」でしかない
      ・←‥何故なら、「他の感情」を抱くという自由があった筈なのにその「他の感情」を選択しなかったのだから
      ・=‥この選択は、その人の「思考癖」や「環境因子」が決めたものなのである
      ‥◆「自己認識された自分」と「他者から見た自分」
      ・←‥ヒトという生き物は自分のことを自分では決して知り得ない作りになっている様である
      ・=‥「頭頂葉」を強く刺激すると、実際に動いていない身体が「動いた」様に感じ、本人に「動いていない事」を伝えてもその事実を信じない
      ・←‥この事実は、「動きたいと感じる」事と「動く」事が別な現象である事のみならず、「動いたと感じる」事と「動く」事さえ、脳にとっては別である
      ‥◆『脳の正しい反射』を齎すものとは
      ・←‥「意識上の自分を余り過信せず、どうせ無意識の自分では考えが決まっているんでしょ」と考えると気が楽になる
      ・=‥脳という『自動判定装置』に任せて置けば良いのである
      ・←‥勿論、『自動判定装置』が正しい『反射』をしてくれるか否かは、本人が過去にどれ程良い経験を積んだかに依存する
      ・=‥だから、私(池谷)は、「良く生きる」事は「良い経験をする」事だと考えている、すると、「良い癖」が出る
      ・←‥「頭の良さを『反射が的確であること』と解釈」している
      ・=‥(「頭が良い」という表現には多義性があるので一概には論じることが出来ないが)
      ・=‥その場その場に応じて適切な行動が出来る事である
      ・=‥communicationの場では、瞬時の判断で、適切な発言や気遣いが出来ること
      ・←‥だからこそ、人の成長は「反射力を鍛える」という一点に集約される
      ・=‥そして、『反射』を的確なものとする為には、「良い経験をする」ことしかない
      ・←‥「sense」や「直感」等も全て「経験の賜物」なのである

【結論】・だからこそ私は、「良い『反射』をする事に専念する生き方」を提案している。
 これが「脳を最大限に活用する為の一番の近道」だと確信するから。
 『良い経験』をしたら、あとは「脳の自動的な『反射』に任せて置く」だけ‥。
 これ程前向きで、健全な生き方が他にあるだろうか!?

【23】 〃 「眠たがる」‥「催眠の成績」も肝心!‥◆就寝前は記憶のGolden hour
      ・←‥眠って居る間は、身体こそ休息しているが、脳活動を記録してみると、neuronはほぼフル稼働している事が解る。
      ・=‥つまり、脳は私達が眠っている間も休んでいる訳ではない
      ・=‥「睡眠」の役割は、少なくとも一つは「記憶の整序と固定化」にあると言って良い
      ・→‥「睡眠の効果を最大限に利用する為には、起床後の朝ではなく、睡眠直前の夜に習得した方が良い」
      ・=‥これが「就寝前は記憶のGolden hour
      ・←‥因みに、「REM睡眠」と呼ばれる浅い眠りが多い人程成績が良い結果が出ている
      ・←‥浅い眠りの時には「海馬」がθ(シータ)波という脳派を出し、「情報の脳内再生」を行い
      ・=‥深い眠りの時には「大脳皮質」がδ(デルタ)派を出し、「記憶として保存する」作業を行っている
      ・→‥つまり寝ている間には、記憶の「整理」と「定着」が交互に行われているという訳である

【24】 〃 「オカルトする」‥幽体離脱と「俯瞰力」の摩訶不思議な関係‥◆「自分」という存在は?‥
      ・←‥脳内の時空の中で創作されていることが想像される
【25】 〃 「瞑想する」‥「夢が叶った」のはどうして?◆「老ける」とは夢を持てなくなること?
【26】 〃 「使い回す」‥遣り始めると遣る気が出る‥◆「心」は脳回路に於ける身体性の省略
      ‥◆身体運動するとneuronが10倍強く活動する

【小生comment】池谷氏の本著は如何でしたでしょうか?
 脳の特性を大変解り易く説明してくれていたと思う。
 そして、小生も池谷氏助言に従い、「良い『反射』をする事に専念する生き方」を実践して行きたいと。
 これからも「名画」「名曲」「名詩」「名歌」「名句」を沢山吸収して、機会を捉え「出力」して「sense」や「直感」を鍛えて行きたい。

【後記】今日のお別れは、今からもう7年前になる2006年12月31日付《会報》【0058】号にてお届けした、盛唐の詩人高適((こうせき)707?-765)の『除夜の作』を再度ご紹介したい。
 高適は、滄(そう)州渤海(現・山東省浜県)出身。唐第9皇帝玄宗(685-762(在位712-756))の代に有道科に推挙され、封丘尉となる。
 左拾遺、観察御史、淮南節度使、剣南西川節度使等を歴任。
 のち第10代皇帝代宗(726-779)の時、渤海侯に封ぜられ、その地で没した。
 李白(701-762)や杜甫(712-770)と親交があり豪放磊落で、任侠放浪の生活から学問に進み、50歳にして初めて詩を学んだという。
 辺塞詩に優れ、沈痛慷慨の詩風で知られ、岑参((しんじん)715-770)と並び『高岑』と称された。

 高適の作品を紹介する前に、辺塞詩人「岑参」の名詩を一つご紹介したい。

  磧中作
走馬西來欲到天
辭家見月兩囘圓
今夜不知何處宿
平沙萬里絶人煙

馬を走らせて 西来(せいらい) 天に到(いた)らんと欲す
家を辞してより 月の両回円(まど)かなるを見る
今夜は知らず 何れの処にか宿(しゅく)するを
平沙(へいさ) 万里 人煙(じんえん)絶ゆ

【意】馬を走らせ西へと進んでゆくと、此の儘天に辿り着いて仕舞いそうだ
 私は既に家を出てから二回満月になるのを見た
 今夜は何処に仮寝の宿をとったら良いだろうか
 見霽かす砂漠には、人家の煙一筋さえ見えない

 それでは、高適の「除夜の作」をご高覧下さい。

  除夜作
旅館寒灯独不眠
客心何事転凄然
故郷今夜思千里
霜鬢明朝又一年

旅館の寒灯 独り眠ら(れ)ず
客心 何事ぞ 転(うた)た凄然(せいぜん)
故郷 今夜 千里を思う
霜鬢(そうびん) 明朝 又一年

【意】旅館の寒々とした灯火の下、私は独り眠られぬ夜を過ごしている
 旅愁が、何故か込み上げて来て心に沁みる
 故郷の肉親達では、きっと今夜、千里も遠く離れた私のことを思っているだろう
 一夜明けた明朝、元旦には、この白髪の身にまた一つ齢を重ねなければならない

■暦は、あと5日で2014年。
 来(平成26)年は我等【2637の会】membersの皆さんも数えで六十路(むそじ)の齢を迎えます。
 でもせめて気持ちだけは、昭和48年当時のうら若き18歳の儘で居たいものですネッ。
 ちょっと複雑な気持ちですが感無量です。(^^;
 それでは、皆さん、良いお年をお迎え下さい。
 では、また‥。(了)!(^-')b♪

2013年12月21日 (土)

【時習26回3-7の会 0478】~~「12月21日現在:時習26回生卒業40周年記念懇親会 in 京都2014‥■第1回『案内状』のresponse状況■」「12月07(土)~08(日):『奈良/山の辺の道』南courseを踏破&『室生寺』『長谷寺』『聖林寺』を巡って〔その2(完)〕」「12月15日:『第113回 豊橋交響楽団定期演奏会』を聴いて」「12月19日:名都美術館/所蔵品展『冬』&特別展示『堀文子-生命の輝きを求めて-』を見て」

■皆さん、お元気ですか、今泉悟です。《会報》【0478】号をお届けします。
 今日も先ず最初の話題は、掲題・副題にあります様に、今日12月21日(土)現在の「時習26回生卒業40周年記念懇親会 in 京都2014」‥第1回『案内状』のresponse状況です‥と申し上げたい処ですが、残念乍ら今週は1通の返信ハガキもありませんでした。

 【2637の会】membersでまだ返信ハガキを出状されていない皆さんに重ねてお願いです。
 「△3 まだ先のことなので何とも言えない」で結構ですから、小生宛に投函頂ければ幸甚です。
 現状は、先週と変わりありませんから、「◎出席する59人」「○出席する方向で考える‥38人」「△まだ先のことなので何とも言えない‥44人」「×残念ながら参加できない‥47人」「■宛先不明により返却‥12人」「物故者であることが判明‥2人」の計202人の状況の儘です。
 変更ありませんので、今週は【◎1・○2・△3】のクラス別一覧は割愛させて戴きます。

 因みに、我等が【2637の会】membersでは、「井上君・渡辺さん・山中(高木)さん・菰田君・林(K)さん・竹内君・小生‥◎」「伊東君‥○」「太田君・伊庭さん・彦坂君‥△」「犬飼さん・中村君・中山君・夏目君・守田君・山田君・下浦(原田)さん‥×」の18人の皆さん以外で、これ迄にクラス会に参加頂いたことのある11人の皆さんから残念乍らまだresponseがありません。
 時効の中断という意味からも「△」で返信ハガキを送って戴けないでしょうか?
 宜しくお願いします。m(_ _)m

■さて今日最初の話題です。前《会報》に引き続き、去る12月07日(土)~08日(日)《中嶋君等との『山の辺の道』南courseを踏破して&『室生寺』『長谷寺』『聖林寺』を巡って》から〔その2〕=二日目08日(日)「『室生寺』『長谷寺』『聖林寺』を巡って」の模様についてご報告します。

【二日目】2013年12月08日(日)
07時00分 朝食=Viking
08時35分 美榛苑発:08時40分に宿を出て、最初の訪問先『室生寺』へ向かった〔→11.4km 20分〕

【室生寺】
09時00分 室生寺着〔拝観時間09時00分~/拝観料@600円〕:09時05分室生寺近くの駐車場に到着
 室生寺への訪問は、学生時代中嶋君と二人で訪ねた昭和50年か51年の秋以来だから、もう37~8年前という遠い昔の出来事である。
 中嶋君もその時以来の再訪だ言っていた。

《縁起》
 寺伝では、670(白鳳09)年役小角に拠る創建、のち空海により真言宗の三大道場の一つとして修営されたとある。
 〔‥環境庁・奈良県に拠る東海自然歩道の看板では681(天武天皇09)年 役行者に拠って開かれた、とあった‥〕。
 ただ確かな文献に拠ると、宝亀年間(770~80年)に皇太子山部親王(のちの桓武天皇)の病気平癒の為、この霊山にて浄行僧5人が延寿法を祈願したことに始まる。
 平安時代初期 興福寺の僧 修円が入山。現存する五重塔をはじめとする伽藍を造営。
 空海から最澄に宛てた有名な書簡 国宝「風信帖」の中に「室山」とあるのが修円。
 爾来、室生寺は興福寺の所管にあった。

[01]【国宝】「金堂」に到る「鎧坂」にて中嶋君と
 01

[02]金堂 内陣に安置されている【国宝】「釈迦如来立像」‥榧(かや)材の一木彫刻
 02

[03]&[03a]金堂 内陣に安置されている【国宝】「十一面観音菩薩立像」全体像と部分
 03
 03a

 「鎧坂」と呼ばれる石段を登り切ると正面に、側面5間の単層寄棟造/柿葺(こけらぶき)の国宝「金堂」がある。
 奥行き5間のうち前1間は江戸時代に庇部分を増築したもので、奥4間が平安時代初期創建。
 平安時代初期の山寺の仏堂としては室生寺「五重塔」と共に日本で唯一現存する建物。
 金堂 内陣には、腰高い須弥檀の内に、本尊【国宝】「釈迦如来立像」(添付写真[02])を中心に、向かって右へ「薬師如来立像」、右端「地蔵菩薩立像」。
 向かって左へ「文殊菩薩立像」、左端【国宝】「十一面観音菩薩立像」(同[03])の5尊像が安置されている。
 5尊像の中でも、【国宝】「十一面観音立像」は彩色も結構残っていて女性的な豊満な優しい顔だちが印象的で美しい。
 この日訪問予定の『長谷寺』『聖林寺』にも「十一面観音菩薩立像」があり、それ等との対面がとても楽しみになった。

[04]【国宝】「五重塔」の前の石段にて
 04

 国宝 五重塔は、高さ16.1m。屋外に建つ五重塔では最小。
 九輪の上には通常「水煙」だが、「宝瓶」を載せ宝鐸を吊り巡らせ天蓋を造ってある。これは他に例がない珍しい相輪である。
 1998(平成10)年 台風に拠り大きな損傷を被ったが、2000年修復。
 『室生寺』というと、「女人高野」という言葉が、小さくて可愛らしい「五重塔」といつもoverlapして浮かぶ。
 すると、拙い一句が浮かんだ

 錦秋や 女人高野と 五重塔  悟空

09時50分 室生寺発〔→17.4km 30分〕

【長谷寺】
10時35分 長谷寺着〔拝観時間09時00分~/拝観料@500円〕

《縁起》(leafletより引用)
 長谷寺は、山号は豊山(ぶざん)。
 686(朱鳥(あかみどり)元)年 道明(どうみょう)上人が天武天皇の為に「銅板法華説相図(どうばんほっけせっそうず)」を初瀬山(はつせやま)西の岡に安置したことに始まる。
 727(神亀04)年 聖武天皇の勅願に拠り、徳道(とくどう)上人が本尊 十一面観音菩薩を東の岡に祀った。
 1588(天正16)年 専誉(せんにょ)僧正が入山後は、関係寺院3千箇所を有する真言宗豊山派総本山となった。
 長谷寺は、西国三十三所観音霊場第8番札所。
 四季を通じて「花の御寺(みてら)」として親しまれている。

[05]長谷寺「仁王門」前にて中嶋君と
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[06]「登廊(のぼりろう)」の前にて青木さんと
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 「登廊」は上中下の3廊に分かれ、74間 399段ある。

[07]上登廊から【国宝】「本堂」を望む(‥写真ほぼ中央にある社は「三百余社(さんびゃくよしゃ)」1651年創建‥)
 071651

[08]【重文】本尊「十一面観音菩薩立像」
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 現在の本尊は、1538(天文07)年 大仏師運宗(うんしゅう)等に拠って造立された。像高1,018cm、日本一の木造仏である。

[09]「本堂」外廊下欄干にて中嶋君と
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 「本堂」から初瀬の山々を眺めていたら拙い歌が一首浮かんだ‥

【詞書】‥長谷寺「本堂」欄干から眼下の景色を望み、初冬の風景を実感して詠める‥
 山肌一杯にその美しさを誇っていた木々の紅葉も流石に今は色褪せて見え、侘しさが伝わって来る。
 ※ 隠処の=隠国(こもりく)の:泊瀬(はつせ)は山々に囲まれた土地であるから言う‥泊瀬に掛る枕詞。

 隠処(こもりく)の泊瀬(はつせ)の古刹訪ぬれば 冬枯れ兆す錦繍(きんしゅう)の杜(もり)  悟空

 以下は余談である。
 「日本書紀」次の様な歌が載っている。

 隠国(こもりく)の 泊瀬(はつせ)の山は
 出で立ちの 宜しき山 走り出の 宜しき山の
 隠国の 泊瀬の山は あやにうら麗(ぐは)し あやにうら麗し
  『日本書紀』巻第14 雄略天皇(雄略06年春)

【意】泊瀬の山(々)は 家から出て直ぐ所、家から走り出て直ぐの所に見える素晴らしい山々だ
 泊瀬の山(々)は 何と美しい 何と美しいのだろう!
【注】雄略天皇:第21代、五世紀後半の天皇。允恭(いんぎょう)天皇の第5皇子。名は大泊瀬幼武(おおはつせ わかたける)。
 478年 中国六朝の宋(/順帝)~斉(/初代 高帝時代)へ遣使した倭王「武」や、埼玉県行田市稲荷山古墳出土の鉄剣にある「辛亥(471)年(?)」の表銘文と共に裏銘文に記載ある「獲加多支鹵大王」と比定されている。

 「泊瀬」=「初瀬(はつせ)」=「長谷(はせ)」の様に、「長谷」の語源は「初瀬」であると言ってほぼ間違いあるまい。

11時40分 長谷寺発〔→08km 17分〕

【聖林寺】
12時00分 聖林寺着〔拝観料@400円〕

《略記》(leaflet拠り引用)
 聖林寺の創建は古く、712(和銅05)年に談山妙楽寺(現 談山神社)の別院として、藤原定慧(定恵、貞恵(じょうえ)鎌足の長子)が建立したとされる。
 【国宝】「十一面観音菩薩立像」は、1868(慶応04)年 フェノロサ、岡倉天心等に拠って開扉されて以降、その美しさで人々を魅了し続けている。
 尚、当寺院の本尊は「子安延命(こやすえんめい)地蔵」である。

[10]聖林寺入口近くにて中嶋君と
 10

[11]聖林寺
 11

[12]【国宝】「十一面観音菩薩立像」
 12

 『室生寺』『長谷寺』『聖林寺』と三寺の「十一面観音菩薩立像」を見て来たが、『聖林寺』の観音様が一番proportionが良い。
 『聖林寺』に来て、受付にあった図録『大和路秀麗/八十八面観音巡礼』で初めて知ったことがある。
 それは、上記3寺の他に、奈良県下に『西大寺』『法華寺』『海龍王寺』『大安寺』『法輪寺』の5寺ある。
 この5寺のうち『法華寺』と上記の『室生寺』『聖林寺』の3寺の「十一面観音菩薩立像」が【国宝】でその他はいずれも【重文】である。

 『聖林寺』の「十一面観音菩薩立像」を拝観していたら、「百済観音」を見て詠んだという水原秋櫻子の名句が浮かんだ‥

 春惜む おんすがたこそ とこしなへ  水原秋櫻子

 小生も、秋櫻子の名句に触発されて拙句を作ってみた‥

 冬寺に 数多(あまた)溢るる 観音観  悟空

【注】観音観:観無量寿経に説く十六観の一。極楽浄土に往生することを念じ、観世音菩薩の相を観想する観法。

12時45分 聖林寺発〔→208.8km 04時間25分〔60分の昼食休憩を含む〕〕
16時05分 中嶋宅着
16時35分 青木宅着
16時40分 今泉宅着

 ※ ※ ※ ※ ※

■続いては、12月15日(日)午後2時00から、ライフポートとよはしconcert hallにて開催された『第113回 豊橋交響楽団定期演奏会』を聴いて来ましたのでその模様をお伝えします。
 今回のconcertは、時習26回生の同期 安形修二君【3-1】から誘われた豊響の定期公演である。

[13]『第113回 豊橋交響楽団定期演奏会』leaflet
 13113_leaflet

[13a]指揮者 松本宏康氏
 13a

 安形君とは小生時習【1-4】のclassmateである。
 今回は、中嶋良行君【3-2】と一緒に聴いた。
 曲目は以下の通りである。

1. J. Brahms / Hungarian Dace No.1, No.4, No.6, No.15 2. J. Brahms / Haydnの主題に拠る変奏曲
3. J. Brahms / Symphony No.3
Encore. Hungarian Dance No.5

指揮者:1:下谷剛嗣、2&3&Encore:松元宏康
演奏:豊橋交響楽団

 本公演は、ご覧の通り Brahms Zyklusである。
 今回は、指揮者についてご紹介する。
 下谷剛嗣氏は、我等が時習館の一年後輩の27回生。名大工学部卒
 松元宏康氏は、1975年生まれ(38歳)。洗足学園音楽大学卒
 2012年琉球フィル正指揮者
 「基礎の確りした音楽づくりが底流にあり、松元の構成観の確かさと、雄弁な棒のテクニックが説得力に直結している」(レコード芸術)と評される等今注目される若手指揮者〔以上、本公演leaflet拠り引用〕。

 実際、聴いてみて彼の指揮の巧みさに感心した。
 Orchestraも彼のタクト(‥と言っても、彼は指揮棒を持たずに素手で指揮をした‥)に真摯に応えていた。
 心地良い緊張感と、指揮者とorchestraの一体感が聴き手迄伝わって来た好演であった。
 Brahmasの交響曲第3番の演奏が終わった時、館内からbravoの声が上がった。
 そして、hornのsection leaderである安形君とhorn奏者達が指揮者に讃えられて起立した。
 あとから、安形君に「hornの第3楽章の有名な第一主題の演奏が巧かったから讃えられたんだね」とmailで祝いの言葉を伝えたら、
 彼は「Brahmasの交響曲第3番ではhornがいつも褒められるんだよ」と謙遜していたが‥。
 「松元氏がこの程豊響のmusic adviserに就任した」と演奏終了後、彼の自己紹介の際、自ら語った。
 小生は思った、「松元氏は若年だが、基礎が確りしたいるので将来を期待出来る。豊響もこれからの成長が楽しみだ」と。
 これからの松元氏と豊響に期待したい。

■今日最後の話題である。一昨日の12月19日 仕事で名古屋に出張した帰り、長久手市杁ヶ池公園にある名都美術館にて現在開催中の「名都美術館所蔵品展『冬』&特別展示『堀文子-生命の輝きを求めて-』を見て来ましたのでその模様についてご紹介します。
 本展は、名都美術館所有の日本画のうち、『冬』をthemeにした伊東深水8点、鏑木清方5点、横山大観3点、川合玉堂2点、小林古径、酒井三良、徳岡神泉、安田幸彦各1点の計22点と、特集展示として堀文子20点と同じく堀文子のsketch45点からなっている。
 無条件に楽しめる日本画展であった。
 今日は、その中からpostcardになっている作品から幾つかご紹介したい。

[14]伊東深水(1898-1972)『吹雪』1942年
 14189819721942

[15]伊東深水『縫い針』1945年
 151945

[16]鏑木清方(1878-1972)『洋燈』1947年
 16187819721947

[17]鏑木清方『雪』制作年不詳
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[18]川合玉堂(1873-1957)『橋畔雪後』1955年
 18187319571955

[19]小林古径(1883-1957)『初冬』1935年
 19188319571935

[20]徳岡神泉(1896-1972)『鯉』制作年不詳
 2018961972

[21]安田靫彦(1884-1978)『わびすけ』1941年
 21188419781941

[22]横山大観(1868-1958)『天長地久』1940年
 22186819581940

[23]堀文子(1918-)『紫の雨』1965年
 2319181965

[24]堀文子『離山凍る』1986年
 241986

[25]堀文子『芥子(けし)』2003年
 252003

 名画は如何でしたでしょうか?
 ホント、名画って何回見てもいいものですね。
 心が洗われる様に癒され、愉快な気分になります。
 では、また‥。(了)

2013年12月15日 (日)

【時習26回3-7の会 0477】~~「12月14日現在:時習26回生卒業40周年記念懇親会 in 京都2014‥■第1回『案内状』のresponse状況■」「12月03日:松坂屋美術館『再興第98回《院展》』を見て」「12月07(土)~08(日):『奈良/山の辺の道』南courseを踏破&『室生寺』『長谷寺』『聖林寺』を巡って〔その1〕」

■皆さん、お元気ですか、今泉悟です。《会報》【0477】号をお届けします。
 今日も先ず最初の話題は、掲題・副題にあります様に、今日12月14日(土)現在の「時習26回生卒業40周年記念懇親会 in 京都2014」‥第1回『案内状』のresponse状況です。
 11月末の締切日は過ぎ、最近はメッキリ返信ハガキの到着が少なくなりました。
 返事をまだ出しかねている【2637の会】membersの皆さんも「△3 まだ先のことなので何とも言えない」で結構ですから、お返事を頂戴戴ければ幸いです。
 現状は、「◎出席する59人」「○出席する方向で考える‥38人」「△まだ先のことなので何とも言えない‥44人」「×残念ながら参加できない‥47人」「■宛先不明により返却‥12人」「物故者であることが判明‥2人」の計202人といった状況です。
 以下に、12月14日(土)現在の【◎1 参加する】【○2 参加する方向で考える】【△3 まだ先のことなので何とも言えない】のクラス別一覧をお示しします。

【◎1 参加する‥59人】〔以下、到着順・五十音順、敬称略〕
【1】榊原・鈴木(斎藤)・西沢・早川・細井・山田‥6人
【2】織田(亀井)・菅沼・鈴木(Y)・中嶋(Y)・斉藤(夏目)・柳田(鈴木)‥6人
【3】井垣・市原・谷山・原口‥4人
【4】前田・金子・北川・芳村・田中(中島)・岩瀬・澤田(丸山)‥7人
【5】鈴木(杉浦)・平田(倉内)・白井(N)・山本・松岡‥5人
【6】水藤・吉福(小出)・大谷・黒柳・鈴木(M)・安田(加藤)・嘉森・山本(YS)‥8人
【7】井上・今泉・渡辺・山中(高木)・菰田・林(K)・竹内‥7人
【8】小野・杉浦・筒井(波多野)・長坂(山口)・安井・矢野‥6人
【9】杉原(小林)・鈴木(裕)・林・酒井・和泉(不破)・丸山・‥6人
【10】今泉・黒柳・武野・太田‥4人

【○2 参加する方向で考える‥38人】
【1】菰田(中澤)‥1人
【2】中村・繁田(林)・森田・田村・大矢‥5人
【3】天野(山本)・庭山・中嶋・小林‥4人
【4】前田(平松)・中島(六峰)‥2人
【5】小椋・中島‥2人
【6】今泉(伴野)・澤井・林・山田(Y)・有留・鈴木(金澤)・山本(R)‥7人
【7】伊東‥1人
【8】鈴木(Y)・三田・宮路・波田野・三輪(小栗)‥5人
【9】竹中(千田)・加藤(神野)・長谷川・鈴木(久)・西野‥5人
【10】小林(杉浦)・高山・手塚・水沼(坂寄)・葉山・岸田(石田)‥6人

【△3 まだ先のことなので何とも言えない‥44人】
【1】熊谷・鈴木(Y)・竹内(小笠原)・長谷川・浅沼・土方(小石)‥6人
【2】杉浦・熊谷(伊奈)‥2人
【3】窪田・小林(石河)・岡田(伊藤)・伊藤(鈴木)・杢野(井上)・西尾‥6人
【4】日比・岩手・黒柳(鈴川)・高木(河合)・森川‥5人
【5】松野尾・鳥居(河合)弘子・北川・松尾・花井‥5人
【6】‥0人
【7】太田・伊庭・彦坂‥3人
【8】荒川・伊藤(H)・内藤・河合((H)×?)・柴田‥5人
【9】青木・白井・渡辺・小林(内田)・本多・中西・井上’・兵藤‥8人
【10】鈴木(M)・相楽・朝倉‥3人
【?】氏名無記名にて不明‥1人
《◎1(59人)+○2(38人)+△3(44人)=141人》

 今回で「1参加する」「2参加の方向で考える」を合わせ【97】人になりました。
 因みに、我等が【2637の会】membersでは、彦坂君から返信ハガキを頂戴し、「井上君・渡辺さん・山中(高木)さん・菰田君・林(K)さん・竹内君・小生‥◎」「伊東君‥○」「太田君・伊庭さん・彦坂君‥△」「犬飼さん・中村君・中山君・夏目君・守田君・山田君・下浦(原田)さん‥×」の累計18人の皆さんから返事を頂戴しています。
 毎年の【2637の会】クラス会に参加頂いている幾人かの方から返信ハガキを頂戴出来ていません。
 此処でまだ返信ハガキを出状されていない皆さんにお願いがあります!
 返信ハガキを頂戴しないと来春に出状する正式な『案内状』を送付出来ません。
 従って、まだ熟慮中の方は、「☑△3 まだ先のことなので何とも言えない」という風に「☑‥check‥して返信ハガキをご返送下さい。
【2637の会】membersの皆さんからの返信ハガキを心よりお待ちしています。m(_ _)m

■今日最初の話題は、去る12月03日(火)仕事で名古屋出張した帰り、松坂屋美術館にて開催中の「再興第98回『院展』」を見て来ましたので、その模様から先ずお伝えします。
 日本美術院は、岡倉天心が1898年 東京美術学校を退任。その直後彼と共に同校を去った橋本雅邦等と創立した団体。
 日本美術院〔=『院展』〕の三羽烏と言われた、横山大観・下村観山・菱田春草も創立当時からの正員である。
 その後、経営不振等の紆余曲折を経て、1913年09月02日創始者 岡倉天心が病死を機に、日本美術院の再興を企図。
 翌1914年09月開院、「芸術の自由研究を主とす。故に教師なし先輩あり、教習なし研究あり」と宣言。
 10月「再興第1回展覧会=《院展》」を開く。
 今秋《院展》は「再興《院展》」の第98回目を迎えた。
 日本美術院は、同人(32人)に、招待(8人)・特待(118人)・院友(597人)・研究員(498人)の計1,253人〔2013年09月現在〕で構成されている。
 小品が主体の《春の院展》に比べ、秋に催される《院展》は大作が主体。
 因みに小生は、昨年《春の院展》を見ている。2012年04月20日付《会報》【0390】号にて04月14日に見ている旨紹介している。
 http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/26-039004140415.html
 しかし残念乍ら、その後開催された昨秋の《院展》と今春の《春の院展》は見ることが出来なかった。
 名古屋地区の会場 松坂屋美術館での展示日数が9日間と短い為に日程が合わかったからである。
 以下に、《院展》leafletと展示作品の幾つかをご紹介する。全て同人の作品である。
 同人の作品は、現代日本画界の第一線で活躍している巨匠・実力者揃いなので流石に見応えがある。
 本当に素晴らしい作品群である。

[01]再興第98回《院展》leaflet/絵は西田俊英『月の兎』
 0198leaflet

[02]小田野尚之『発電所跡』‥文部科学大臣賞
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[03]後藤純男『大和の秋』
 03

[04]福井爽人『木陰』
 04

[05]田渕俊夫『春爛漫』
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[06]手塚雄二『遠望立山』
 06

[07]福王子一彦『月光』
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[08]今井珠泉『流氷幻想』‥内閣総理大臣賞
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■今日最後の話題は、去る12月07日(土)~08日(日)《中嶋君等との『山の辺の道』南courseを踏破して&『室生寺』『長谷寺』『聖林寺』を巡って》から〔その1〕=初目07日(土)「『山の辺の道』南courseを踏破して」の模様についてご報告します。
 先ずは、初日07日の行程表をご覧に入れたい。

★《賢人会旅行「『山の辺の道』と『室生寺』『長谷寺』『聖林寺』巡り」全行程表》★

【初日】2013年12月07日(土)
05時45分 今泉宅発
05時50分 青木宅発〔中岩田〕
06時15分 中嶋宅発 東名音羽蒲郡→伊勢湾岸→名阪国道→針IC西・針IC→榛原駅
09時35分 榛原駅・イ―ジ―パーク榛原南着〔車を駐車し、徒歩3分で榛原駅へ〕
09時43分 榛原駅発〔近鉄 大阪線急行〕→〔@290円〕「桜井駅」でJR桜井線に乗り換え→〔@230円〕→
10時18分 天理駅着〔徒歩で『山の辺の道』南course 16kmをwalking〕
17時00分 桜井駅着
17時04分 桜井駅発〔近鉄大阪線〕→
17時19分 榛原駅着〔徒歩でイ―ジ―パーク榛原駅南へ〕
17時30分 イージーパーク榛原駅南発〔車で1.6km 約5分〕
17時40分 保養センター『美榛苑』着〔宿泊〕

【二日目】2013年12月08日(日)
07時00分 朝食=Viking
08時35分 美榛苑発〔→11.4km 20分〕
09時00分 室生寺着〔拝観時間09時00分~/拝観料@600円〕
10時00分 室生寺発〔→17.4km 30分〕
10時30分 長谷寺着〔拝観時間09時00分~/拝観料@500円〕
11時35分 長谷寺発〔→08km 17分〕
11時55分 聖林寺着〔拝観料@400円〕
12時45分 聖林寺発〔→208.8km 04時間25分〔60分の昼食休憩を含む〕〕
16時05分 中嶋宅着
16時35分 青木宅着
16時40分 今泉宅着

 ※ ※ ※ ※ ※

 07日(土)は、朝05時45分に拙宅を車で出発。青木さん、中嶋君を各自宅でpick upし、東名・音羽蒲郡ICから高速に乗り榛原駅にほぼ予定通り09時半に到着。
 桜井駅で、近鉄大阪線からJR桜井〔万葉まほろば〕線に乗り換え、天理駅に予定通り10時54分に到着した。
 さぁ、此処から16km南の桜井駅迄『山の辺の道』南course walkingが始まる。
 小生、天理駅に降り立つのは生まれて初めてである。
 天理市は1954年周辺町村が合併し奈良県下4番目の市としてstartし、現在人口67千人。
 天理教の本部がある日本唯一宗教団体名が市名になっている街である。
 天理駅を10時25分に出発し、駅前arcade街を通り抜けると左手に天理教本部である。

[09]JR天理駅東口前にて中嶋君と
 09jr

[10]天理教本部前にて中嶋君と
 10

 天理駅から2㎞徒歩にて東進すること30分弱で「石上(いそのかみ)神宮」に着いた。
 二週間前、小生一人旅で立ち寄った場所である。

[11]「石上神宮」入口にて
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 愈々此処から『山の辺の道』の本courseである。
 石上神宮にて握り飯の簡単な昼食を摂り、11時40分同神宮を出発。

[12]『山の辺の道』脇に咲いていた四季桜をbackに中嶋君と
 12back

[13]『山の辺の道』脇の「道標」を前に中嶋君と
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[14]『山の辺の道』を歩く青木さんと中嶋君
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 南進すること8km、石上神宮より所要時間2時間15分、start地点の天理駅から3時間30分にて、丁度中間地点崇神(すじん)天皇陵に到着。
 JR桜井線でいうと柳本駅の東方1.2kmに位置する。
 崇神天皇は、「欠史八代」最後の開化天皇の第二皇子。
 学術上、実在可能性見込める最初の天皇であると言われている。

[15]行燈山(あんどんやま)古墳=崇神天皇陵:濠の向こう側の杜が陵
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[16]行燈山古墳=崇神天皇陵:濠の右手の杜が陵
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[17]行燈山古墳=崇神天皇陵の案内看板
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[18]『山の辺の道』風景1
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[19]『山の辺の道』風景2
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[20]『山の辺の道』風景3
 203

 崇神天皇陵から南進すること1km 15分で第12代景行(けいこう)天皇陵である。
 此処等辺りからが『山の辺の道』のmain street。
 冬ざれの風景が其処此処に広がって実に風情がある。〔添付写真[18][19][20]ご参照〕
 景行天皇陵を右手に見乍ら南進していたら、右斜め前方〔南西の方角〕に小高い山が2つ見えて来た。
 大和三山の「耳成(みみなし)山」と「畝傍(うねび)山」である。
 此処は正(まさ)しく「大和の国」だ!
 『山の辺の道』walkingの醍醐味を目と肌、身体中で実感出来た!
 高揚感で身体中が熱くなって来た。実に愉快である。

 景行天皇は、崇神天皇の第3皇子 第11代垂仁(すいにん)天皇の第3皇子とされるが、垂仁天皇と共に実在性が疑問視されている。
 記紀では、景行天皇の在位の記事は日本武尊の物語で占められている。
 もし実在したとすると、4世紀前半と考えられている。

[21]渋谷向山(しぶたにむかいやま)古墳=景行天皇陵の案内看板
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[22]渋谷向山古墳=景行天皇陵:濠の右手の杜が陵
 22_2

[23]渋谷向山古墳=景行天皇陵(右)の左手 写真中央の彼方の見える耳成山と畝傍山
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[24]望遠cameraで捉えた「耳成山(右手前 標高139m)」と「畝傍山(左手奥 標高199m)」
 24camera_139m_199m

[25]景行天皇陵よりやや南下した『山の辺の道』の「道標」脇にて中嶋君と
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[26]『山の辺の道』を「檜原神社」に向かう青木さんと中嶋君‥正面の山は檜原神社のご神体「三輪山 標高467m」
 26_467m

[27]『山の辺の道』風景4:全山紅葉した大和の山
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[28]檜原神社よりやや北の『山の辺の道』にて青木さんと〔背景の山は「三輪山」〕
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『薄』が美しい。
 晩秋から初冬にかけての風物詩として最適である。
 此処で飯田蛇笏(1885-1962)の名句が一句浮かんだ‥

 をりとりて はらりとおもき すすきかな

 そして、拙句も浮かんだ‥

【詞書】柿やススキが『山の辺の道』の道端や周辺に点在している
 初冬の午後は直ぐに黄昏が遣って来る
 「柿」「薄」「山の辺の道」「黄昏」と並べただけで俳句になるから面白い‥

 柿・薄(すすき) 山の辺の道 黄昏れぬ  悟空

[29]『山の辺の道』風景5:秋の風物詩「柿」
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[30]『山の辺の道』を只管歩く青木さんと中嶋君
 30

 檜原(ひばら)台地に建つ「檜原神社」は、大神(おおみや)神社付近の摂社群の中では、最北端にある。社格は最上級で創建も古い。
 天照大神が伊勢神宮に遷される前に、当神社にて祀られていた為、「元伊勢」の名で親しまれている。
 第10代崇神天皇の06年 皇女 豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)に託して天照大神を宮中から大和の笠縫邑(かさぬいのむら)に遷し、その場所に堅固な石の「磯堅城(しき)神籬(ひもろぎ)」を造り祀ったという〔『日本書紀』の崇神記〕。
 檜原神社は、大神神社と同様、三輪山がご神体の為、「本殿」がなく、更に大神神社にはある「拝殿」もない。
 三輪鳥居があるだけである。

[31]檜原神社「三輪鳥居」前にて中嶋君と
 31

 檜原神社から南へ1.7km進むと、大和国一宮「大神(おおみわ)神社」である。
 同神社の直ぐ西に、大和平野が一望出来る「大美和の杜展望台」があるというので登ってみた。

[32]『山の辺の道』脇の晩秋の風景6
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[33]大美和の杜展望台から大和平野遠望
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[33a]大美和の杜展望台から太陽光が後光の様に降り注ぐ「大和三山」
 33a

 写真[33]及び[33a]の中断に見える小高い三山が大和三山:左〔南〕から右〔北〕へ「天香(あまのかぐ)山」→「畝傍山」→「耳成山」
 「耳成山」の右手前の鳥居が、大神神社の大鳥居。
 昭和天皇御在位60年を奉祝して建立(1986年05月竣工)。
 高さ32.2m、柱間23m、日本一の大鳥居である。
 また、大和三山の背景になっている奥の連山が、左〔南〕から右〔来た〕へ「金剛山」→「葛城山系」→「二上山」。
 右端、二瘤駱駝の瘤の様に見える山が二上山。

[34]大神神社「拝殿」前にて中嶋君と
 34

 大神神社前に、「三輪そうめん」の店があった。
 三人共小腹が減ったので食することにした。

[35]大神神社前にある「そうめん處『森正』」
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[36]三輪そうめん
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[37]「三輪そうめん」を食する小生
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 最後に、「金屋の石仏」に立ち寄り、17時03分に桜井駅に到着。

[38]Goalの「近鉄&JR桜井駅」に到着!
 38goaljr

 近鉄大阪線で榛原駅迄行き、車に乗り換え、宿泊場所の「保養センター 美榛(みはる)苑」に17時40分に到着。
 一日目が終わった。

【後記】冬晴れの『山の辺に道』を散策したが、暑くもなく、寒くもなく、風も殆どない絶好の行楽日和‥。
 正に『冬日和』の一日であった。

 初冬は、荒涼とした風景‥即ち、『冬ざれ』という言葉が似合う。
 其処で、山の辺の道を歩み乍ら拙い一首を詠んだ。

 冬ざるる 山の辺の道 歩む時 遥かに夢む 君との逍遥  悟空

 旅を同行した中嶋君もご満悦の様子を以下の様に後日mailに綴って送ってくれた。

「前略 今泉様
 昨日、一昨日は御苦労さまでした。〔中略〕
 今回の山辺コースは本当に良かったです。谷山君がいなかったのが残念です。
 次回の春は青木さんには申し訳ないのですが諸事情(京都での卒業40周年記念同窓会行事)によりパスしましょう。
 来年は大和三山を歩くのもいいですが、〔中略〕「湖西エリア」はいかがですか?
 聖林寺の国宝 十一面観音立像を見た時「白洲正子」の話が出ましたので以下のURLで「湖西エリア」を一度見てください。
 http://www.biwako-visitors.jp/shirasu/
 なお、開催時期としては、2014年12月6日(土)~7日(日)はいかがですか?(晩秋から初冬の雰囲気が好きです)」

 ※ ※ ※ ※ ※

 『山の辺の道』の締め括り、終点の桜井駅から北へ2km程の所にある「大神神社」近くの展望台から見た大和平野を眺望した。
 金剛山、葛城山系、二上山へと連なる山々を遥かに望み、手前の大和平野には大和三山が横たわっている。
 西に傾きかけた太陽が明るく温かな光を大和平野に、そして大和三山に注ぎ、西方浄土の如く実に素晴らしかった。
 ふと、柿本人麻呂の名歌が浮かんだ‥

 東(ひんがし)の 野に炎(かぎろい)の立つ見えて かへり見すれば月傾(かたぶ)きぬ

【原文】東 野炎 立所見而 反見為者 月西渡

 そして、virtual realな拙歌が一首ふと浮かんだ。
 ご笑覧下さい。(^^;"

【詞書】風もない温かな冬晴れの一日
 大神(おおみわ)神社直ぐ西にある大美和の杜展望台からは眼前に大和三山や二上山、葛城山系がpanoramaに広がる
 西に傾きかけた太陽の陽射しが、棚引く雲間から後光の様に大和平野の大和三山にキラキラと降り注いでいる
 実に美しい‥恰も貴女の様に‥!!(^-')b♪

 見霽(はる)かす 大和平野の 冬日和(ふゆびより) 輝く陽射しは 美しき君  悟空

 では、また‥。(了)

2013年12月 6日 (金)

【時習26回3-7の会 0476】~「12月06日現在:時習26回生卒業40周年記念懇親会 in 京都2014‥■第1回『案内状』のresponse状況■」「11月15日~16日:《京都&奈良/一人逍遥》から〔その2〕『奈良山の辺の道』北courseを踏破して」「11月30日:日帰り社員bus旅行『石山寺~比叡山延暦寺~坂本・西教寺』を巡って」「林成之著『脳に悪い7つの習慣』を読んで」

■皆さん、お元気ですか、今泉悟です。《会報》【0476】号をお届けします。
 今日も先ず最初の話題は、掲題・副題にあります様に、今日12月06日現在の「時習26回生卒業40周年記念懇親会 in 京都2014」‥第1回『案内状』のresponse状況です。
 11月末の一応の締切日は過ぎましたが、返事をまだ出しかねている皆さんも「△まだ先のことなので何とも言えない」で結構ですから、お返事を頂戴戴ければ幸いです。
 現状は、「◎出席する56人」「○出席する方向で考える‥38人」「△まだ先のことなので何とも言えない‥41人」「×残念ながら参加できない‥45人」「■宛先不明により返却‥12人」「物故者であることが判明‥2人」の計194人といった状況です。
 以下に、【◎1 参加する】【○2 参加する方向で考える】【△3 まだ先のことなので何とも言えない】のクラス別一覧をお示しします。

【◎1 参加する‥56人】〔以下、到着順・五十音順、敬称略〕
【1】榊原・鈴木(斎藤)・西沢・早川・細井・山田‥6人
【2】織田(亀井)・菅沼・鈴木(Y)・中嶋(Y)・斉藤(夏目)‥5人
【3】井垣・市原・谷山・原口‥4人
【4】前田・金子・北川・芳村・田中(中島)・岩瀬‥6人
【5】鈴木(杉浦)・平田(倉内)・白井(N)・山本・松岡‥5人
【6】水藤・吉福(小出)・大谷・黒柳・鈴木(M)・安田(加藤)・嘉森‥7人
【7】井上・今泉・渡辺・山中(高木)・菰田・林(K)・竹内‥7人
【8】小野・杉浦・筒井(波多野)・長坂(山口)・安井・矢野‥6人
【9】杉原(小林)・鈴木(裕)・林・酒井・和泉(不破)・丸山・‥6人
【10】今泉・黒柳・武野・太田‥4人/全56人

【○2 参加する方向で考える‥38人】
【1】菰田(中澤)‥1人
【2】中村・繁田(林)・森田・田村・大矢‥5人
【3】天野(山本)・庭山・中嶋・小林‥4人
【4】前田(平松)・中島(六峰)‥2人
【5】小椋・中島‥2人
【6】今泉(伴野)・澤井・林・山田(Y)・有留・鈴木(金澤)・山本(R)‥7人
【7】伊東‥1人
【8】鈴木(Y)・三田・宮路・波田野・三輪(小栗)‥5人
【9】竹中(千田)・加藤(神野)・長谷川・鈴木(久)・西野‥5人
【10】小林(杉浦)・高山・手塚・水沼(坂寄)・葉山・岸田(石田)‥6人/38人

【△3 まだ先のことなので何とも言えない‥41人】
【1】熊谷・鈴木(Y)・竹内(小笠原)・長谷川・浅沼・土方(小石)‥6人
【2】杉浦・熊谷(伊奈)‥2人
【3】窪田・小林(石河)・岡田(伊藤)・杢野(井上)・西尾‥5人
【4】日比・岩手・黒柳(鈴川)・高木(河合)・森川‥5人
【5】松野尾・鳥居(河合)弘子・北川・松尾‥4人
【6】‥
【7】太田・伊庭‥2人
【8】荒川・伊藤(H)・内藤・河合((H)×?)・柴田‥5人
【9】青木・白井・渡辺・小林(内田)・本多・中西・井上’・兵藤‥8人
【10】鈴木(M)・相楽・朝倉‥3人
【?】氏名無記名にて不明‥1人/全41人
《◎1(56人)+○2(38人)+△3(41人)=135人》

 今回で「1参加する」「2参加の方向で考える」を合わせ94人になりました。
 因みに、我等が【2637の会】membersでは、伊庭さんから返信ハガキを頂戴し、「井上君・渡辺さん・山中(高木)さん・菰田君・林(K)さん・竹内君・小生‥◎」「伊東君‥○」「太田君・伊庭さん‥△」「犬飼さん・中村君・中山君・夏目君・守田君・山田君・下浦(原田)さん‥×」の累計17人から返事を頂戴しています。
 返信ハガキを頂戴しないと次回の本番での『案内状』を送付出来ません。
 まだ熟慮中の【2637の会】membersの皆さんからの返信ハガキを心よりお待ちしています。m(_ _)m

■さて、続いての話題は、《会報》前号に引き続き、去る11月15日(金)~16日(土)《京都&奈良/一人逍遥》から〔その2〕=二日目16日(土)「『奈良山の辺の道』北courseを踏破して」の模様についてご報告します。

 16日(金)は、奈良ホテルを08時にcheck outし、車は同ホテル駐車場に置き、ホテル正門を右折し、東七坊大路を徒歩にて南進すること20分余り‥。JR桜井線「京終」駅に着いた。桜井線は、2010年03月より「万葉まほろば線」とも称される様になった。
 余談だが、「京終」は何と読むか解りますか? そう、京の終わり=京の果(は)て→「きょうばて」。
 因みにこの路線は、「京終」→「帯解(おびとけ)」→「櫟本(いちのもと)」と続くが、まず初めて見た人は大半の人が読めない難読駅名だ。
 そして、この日の目的地は「櫟本」から更に南下して→「長柄(ながら)」→「天理(てんり)」→「巻内(かんない)」→「柳本(やなぎもと)」である。
 では、何故今回「柳本」駅迄行くかと言うと、『山の辺の道』南北courseを全32kmを踏破する為である。
 実は、明日12月07(土)~08(日)の両日、毎年晩春と晩秋の年2回行っている中嶋君【3-2】・谷山君【3-3】・青木さんと3人〔‥尚、いつものmember谷山君【3-3】は体調が整わず今回は不参加‥〕で城跡&史跡巡りの旅がある。
 そして、今回は『山の辺の道』南courseと「長谷寺」&「室生寺」&「聖林寺」を巡るのである。
 その『山の辺の道』南courseが「天理」から16kmの、或いは「柳本」から11kmの「桜井」迄南下するrouteの予定である。
 11月16(土)に歩いたのは「『山の辺の道』北course全26㎞」+「『山の辺の道』南courseの北部1/4:5km」=31km。
 「天理」~「柳本」間を小生が踏破したことにより、07(土)の南courseは「柳本」~「桜井」の11㎞で全部行程を小生は踏破出来るのである。
 16kmを4人旅で歩くかどうかは、明日車中で相談して決めるつもりである。(^^;

09時03分 京終駅発
[00]「京終」駅外観
 00

------------------------[01]「京終」駅platform
 01platform

 「京終」の次の駅「帯解」から先生に引率された小学生の一団がざわめきと共に乗車して来た。
 そして、彼等も小生と同じ「柳本」で下車した。
 地元小学生達も「山の辺の道」史跡巡りをやる様だ。偶然ではあるが、暫くの間彼等と行動が同じになった。〔添付写真[02]参照〕

09時35分 柳本駅着
 
[02]「柳本」駅(左)と「帯解」駅から乗った小学生達
 02

------------------------[03a]黒塚古墳1
 03a1_2

[03b]黒塚古墳2
 03b2

 黒塚古墳は古墳時代初期の前方後円墳。全長は約130m、後円部の高さは約11mある。

11時00分 天理 石上神宮 着
[04a]石上神宮1
 04a1

------------------------[04b]石上神宮「拝殿」
 04b

 黒塚古墳を見てから、「山の辺の道」迄東進せず、国道169号線を北上。1時間10分程で、石上(いそのかみ)神宮に到着した。
 当神宮は、日本最古の神社の一つ。武門の棟梁たる物部氏の総氏神として古代信仰の中でも異彩を放ったとされる。
 平安時代後期、白河天皇は当神宮を特に崇敬され、現在の拝殿(国宝)は天皇が神嘉殿を寄進されたものと伝えられる。

11時18分 石上神宮発

 石上神宮から一路北上する。
 流石に天理市は、其処此処に天理教関連施設が建っていた。
 石上神宮の次に訪れたのは、豊日神社。
 其処から北東に向かい、県道51号沿いに暫く北上した後、樹木に覆われた杜の中を更に北上した。
 すると、樹林の中、左手に「石上大塚古墳」の標識が見えた。標識がなければ只の小山だ。
 其処から数分北上すると、発掘中と思われる「ウワナリ古墳」が見えて来た。
 更に北上を続けると、名阪国道である。
 その下を横断して程なく、「白川dam」に到着。
 白川damで堰き止められた「白川溜池」を右手に見乍ら「古墳公園」を過ぎ十数分歩くと「弘仁寺」に到着した。

13時50分 弘仁寺着
[05a]弘仁寺1
 05a1

------------------------[05b]弘仁寺2
 05b2

 当寺縁起は二つある。一つは、嵯峨天皇が建立したとする説。
 もう一つは、弘法大師を開基とする説である。
 いずれも1,200年昔の話で定かではない。

13時01分 弘仁寺発

 弘仁寺から北西に30分程歩く。そしてY路地を右折して8分程で、「圓照寺」への導入路となる階段を上る(=北上する)。
 暫く行くと参道に出る。其処を右折すると直ぐに「山門」。
 当寺は、奈良市山町にある臨済宗妙心寺派の尼寺。
 拝観は出来ないが、山門を入った境内を散策する人々がいた。
 縁起は、後水尾天皇の第1皇女 文智女王1640(寛永17)年(1640年)22歳で出家。
 大通文智尼となり、翌(1641)年 京都の修学院の地に草庵を結んだことに始まる。
 しかし、後水尾による修学院の山荘(修学院離宮)造営に伴い、圓照寺は1656(明暦02)年 継母 中宮東福門院(徳川秀忠の娘)の支援で、大和国添上郡八嶋の地(奈良市八島町)に移転。
 次いで、1669年(寛文09)年 八嶋の近くの山村(奈良市山町=現在地)に再度移転。
 当寺は、爾来歴代住持として皇女が入寺、「山村御所」と呼ばれた。
 以下の写真が、圓照寺のsnap shotsであるが、格式の高い尼寺の所為か、気品があり且つ何処となく女性らしい優しい雰囲気が漂っている。

13時41分 圓照寺着
[06]圓照寺 山門
 06

------------------------[07]圓照寺境内の一風景
 07

13時56分 圓照寺発

 圓照寺を出た時に時計を見たら、「柳本」駅を出発して04時間20分が経過していた。
 次に目指したのは、「白毫寺」である。
 途中、嶋田神社を左手に、そして直ぐの所に白山神社を見て更に歩く。
 そして、八坂神社を右手に見て、畑の畔道の様に「山の辺の道」を北へ北へと歩いていく。
 左手に高円高校が見えた。同行校庭脇に何故か、大きな石がゴロゴロと置いてあった。
 あとで調べてみたら、同校は、美術・デザイン科があることが解った。その材料なのだ。

 15時12分 白毫寺着
[08a]白毫寺と山の辺の道の標識
 08a

------------------------[08b]白毫寺参道
 08b

 15時15分 白毫寺発
 15時27分 新薬師寺の前を通り
 15時45分 終点の奈良ホテル駐車場へ到着
 19時20分 帰宅〔了〕

■次の話題である。去る11月30日(土)に、日帰り社員bus旅行『石山寺~比叡山延暦寺~坂本・西教寺』を巡って来た模様をお伝えする。
 朝07時00分豊橋駅前を出発し、岡崎で乗り換え、一路、滋賀県大津市にある『石山寺』へ向かった。
 当寺は、東寺真言宗。本尊は如意輪観音。開基は良弁(689-774)。西国三十三所観音霊場第13番札所。
 また『蜻蛉日記』の作者、右大将道綱母〔従一位摂政関白太政大臣 藤原兼家の妻〕が「石山詣」を書き、紫式部がこの「石山寺」で『源氏物語』の着想を得たとされる。
「近江八景」の1つ『石山秋月』でも知られる。
『石山寺』の紅葉は、絶景であった。
〔添付写真の点数が多く、容量が嵩む為、極めて小さい写真となって仕舞っている。是非、末尾URLで【2637の会】blogを御高覧下さい〕

[09]国宝『多宝塔』の前にて
 09

------------------------[10]石山寺境内の紅葉〔その1〕
 10

[11]同〔その2〕
 11

------------------------[12]同〔その3〕
 12

「石山寺」を後にした我々は、琵琶湖ホテルでlaunch Vikingを食べ、そして、比叡山『延暦寺 根本中堂』へ向かった。

[13]延暦寺 根本中堂入口にて
 13

 最後に向かったのは、坂本。此処でbusを降りて70分の散策をした。ある者達は日吉大社を、小生は、明智光秀一族の菩提寺『西教寺』を訪ねた。

[14]明智光秀とその一族の墓
 14

------------------------[15]西教寺境内の紅葉
 15

[16]西教寺附近からの琵琶湖越しに三上山遠望
 16

■今日最後の話題は、最近読んだ林成之著『脳に悪い7つの習慣』についてである。

[17] 林成之『脳に悪い7つの習慣』
 177

 本書は、上梓されたのが2009年09月。だから、既に4年余り経っているが、全然古さを感じない処か、益々輝いて見える。
 本書を簡単に要約すると、「『脳のしくみ』を理解して、悪い7つの習慣を止めれば、脳のperformanceを最大限に発揮出来る」〔P.05〕ことだ。
 具体的には、以下をご覧戴きたい。

 ※ 脳神経細胞の持つ3つの本能【生きたい】【知りたい】【仲間になりたい】〔P.20〕
 ※ 脳が持つ2つのクセ【自己保存】【統一・一貫性】
 《補足》【自己保存】:脳は自分を守ろうとする /【統一・一貫性】:脳は統一性・一貫性が保てなくなる様な情報を避けようとする〔P.26〕

第1章/脳に悪い習慣①「興味がない」と物事を避けることが多い
 ・脳神経細胞の本能を磨くこと~興味・関心の幅を広げ、何事にも明るく前向きな気持ちで取り組む様に心掛ける〔P.32〕

第2章/脳に悪い習慣②「嫌だ」「疲れた」とグチを言う
 ・意見が合わない相手について、脳のクセの所為で「違う」が「嫌い」に転化して仕舞うことを理解する〔P.41〕
 ・素直に「凄いな」と感動することは非常に大切〔P.48〕
 ・表情が暗いと脳も曇る〔否定的な感情が脳のperformanceを落とす〕~逆に、笑顔を浮かべていると、否定的なことや暗いことは考えにくい〔P.51〕
 ・朝、顔をmassageし、最高の笑顔をつくる練習を!~いつも笑顔でいることが脳の機能を高める〔P.54〕
 ・楽しいと感じることをやっていると、脳の疲れが取れていく~「疲れない脳」は、興味を持って面白いと思える「感性」がつくる

第3章/脳に悪い習慣③「言われたことをコツコツやる」
 ・自己報酬神経群を働かせるのは、「ご褒美が得られた」という結果ではなく、「ご褒美が得られそうだ」という期待であることに注意が肝要〔P.63〕
 ・脳にとってのご褒美は、利己的な損得の判断よりも広く奥深い~即ち、「嬉しいと感じること」=自分の役に立つ=目的・目標を達成=人の役に立つ=「脳への報酬」〔P.64〕
 ・「だいたい出来た」と安心してはいけない=これは、脳に「止まれ!」と言っている様なもの
  ‥→・「まだ出来ていない部分」「完成する迄に残された工程」拘る=「まだ出来ていない部分を具体的に認識する」〔P.67〕
 ・脳の達成率を上げ、集中して事を成し遂げる為には、「コツコツ」は間違い  ‥→・「全力投球」と「コツコツ」は全く別物
  ‥→・人間のpotentialは最大で130%迄引き上げることが出来る
 〔但し、余りに現実味のない他界目標設定をすると、脳が「自己保存」に走って、「無理だ」として仕舞うので注意が必要〕〔P.76〕

第4章/脳に悪い習慣④「常に効率を考えている」
 ・読書は、量より質。いい内容だったら繰り返し読み、結論だけでなく背景迄踏まえて「迷わず論理的に説明出来る」level迄理解を深めよう。自分の頭を使い繰り返し思考することに拠って、内容が本当に身につけば、それを応用することも出来る様になる。〔P.112〕
 ・考える時は4日毎に間を置こう‥→・人間の脳には、余り重要な情報でないと判断した記憶は3~4日経つと忘れる仕組みがある〔←脳がパンクしない為〕
  ‥→・重要な事柄は4日経ってもきちんと記憶されている為、考え直し始めることが出来る
  ‥→・一度考えたことを文章や図に纏め、4日後に考え直す
  ‥→・「整理してから離れ、戻って考える」を是非取り入れて欲しい〔P.118〕

第5章/脳に悪い習慣⑤「やりたくないのに、我慢して勉強する」
 ・人間の記憶には「作業記憶」「体験(episode)記憶」「学習記憶」「運動記憶」の4種類ある。〔P.122〕
 ・何かを覚える為には先ずA10神経群でplusの感情のレッテルを貼ることが大変有効
  ‥→・自己報酬神経群を働かせる為に「これを覚えることは自分にとって嬉しいことだ」「自分から遣ってやろう」というstanceを持つことが、記憶力を高める。〔P.124〕
 ・好きなこと、感動したこと、主体的に取り組んだこと、心を込めたことは、記憶に深く残せる。
  ‥→・一方、「我慢して勉強している」という状態では、どんなに頑張っても、脳が持っている記憶力は働かない〔P.129〕
 ・記憶とは、脳が考える仕組みのprocessを磨くこと‥具体的には、上記の4つ‥即ち‥
  ①「脳神経細胞の本能を磨く」
  ②「感性を磨いて理解力を上げる」
  ③「達成の仕方に拘り、達成率をupする」
  ④「繰り返し考え、思考力を高める」〔p.134〕
 ・「成功体験に縛られていないか」、逆に「失敗の経験に拠って、challengeする勇気を損なっていないか」
  ‥→・物事を考える時や行動に移す時は、この2点をcheckする習慣をつけよう

第6章/脳に悪い習慣⑥「スポーツや絵などの趣味がない」
 ・「空間知能」とは、空間の中で位置や形などを認識する知能。
  この知能が低い人は、認識を誤ったり、記憶が中々出来なかったりする。
  これは物事が覚えられなかったり、仕事が遅かったり、運動が苦手だったり、数字に弱かったり‥と、「何をやってもダメな人」になって仕舞いかねないことを意味する。
  でも悲観することはありません。日常の習慣で一つひとつclearして行こう。
 ①姿勢の悪さは脳に影響する
  ‥→・姿勢が正しく保たれていないと、身体のbalanceが崩れて仕舞い、空間知能は働きにくくなる
 ②sportsや絵などの趣味がないのはNG
  ‥→・体育や図画工作・美術といった科目は、脳をtrainingするのに非常に大切
 ③rhythmを無視してはいけない
  ‥→・自分が乗れるrhythmの楽曲だと、驚く程作業は捗る
 ④寡黙であることにmeritはない
  ‥→・お喋りは脳を鍛える。大いに喋って、空間知能を高めよう
 ★空間知能は、一朝一夕には鍛えられない‥→・だから、今日から習慣を変えて行こう!

第7章/脳に悪い習慣⑦「めったに人を褒めない」
 ・人を褒めると脳は喜ぶ

【後記】石山寺の鮮やかな紅葉を目の前にして感傷的な気分になった。
 すると、またvirtual realな情景が脳裏に浮かんだ‥

 行く秋や 君を夢見ゆ 石山寺(いしやまじ)  悟空

 石山(寺)(いしやま)の 紅葉も凌ぐ 君の色香(いろ)  悟空

 では、また‥。(了)

2013年12月 1日 (日)

【時習26回3-7の会 0475】~「11月30日現在:時習26回生卒業40周年記念懇親会 in 京都2014‥■第1回『案内状』のresponse状況■」「11月15日~16日:《京都&奈良/一人逍遥》から〔その1〕=京都市美術館『竹内栖鳳』展と奈良市登美ヶ丘にある松伯美術館『松篁を育んだ学び舎/画塾・青甲社』展、奈良市 興福寺『国宝館』、東大寺『戒壇院堂/四天王像』、同『二月堂と同じく参道』」

■皆さん、お元気ですか、今泉悟です。《会報》【0475】号をお届けします。
 今日も先ず最初の話題は、掲題・副題にあります様に、今日11月30日現在の「時習26回生卒業40周年記念懇親会 in 京都2014」‥第1回『案内状』のresponse状況です。
 現状は、「◎出席する56人」「○出席する方向で考える‥32人」「△まだ先のことなので何とも言えない‥39人」「×残念ながら参加できない‥40人」「■宛先不明により返却‥12人」「物故者であることが判明‥2人」の計182人といった状況です。]
 以下に、【◎1 参加する】【○2 参加する方向で考える】【△3 まだ先のことなので何とも言えない】のクラス別一覧をお示しします。

【◎1 参加する‥56人】〔以下、到着順・五十音順、敬称略〕
【1】榊原・鈴木(斎藤)・西沢・早川・細井・山田‥6人
【2】織田(亀井)・菅沼・鈴木(Y)・中嶋(Y)・斉藤(夏目)‥5人
【3】井垣・市原・谷山・原口‥4人
【4】前田・金子・北川・芳村・田中(中島)・岩瀬‥6人
【5】鈴木(杉浦)・平田(倉内)・白井(N)・山本・松岡‥5人
【6】水藤・吉福(小出)・大谷・黒柳・鈴木(M)・安田(加藤)・嘉森‥7人
【7】井上・今泉・渡辺・山中(高木)・菰田・林(K)・竹内‥7人
【8】小野・杉浦・筒井(波多野)・長坂(山口)・安井・矢野‥6人
【9】杉原(小林)・鈴木(裕)・林・酒井・和泉(不破)・丸山‥6人
【10】今泉・黒柳・武野・太田‥4人/全56人

【○2 参加する方向で考える‥32人】
【1】菰田(中澤)‥1人
【2】中村・繁田(林)・森田・田村‥4人
【3】天野(山本)・庭山・中嶋・小林‥4人
【4】前田(平松)・中島(六峰)‥2人
【5】小椋・中島‥2人
【6】今泉(伴野)・澤井・林・山田(Y)・有留・鈴木(金澤)‥6人
【7】伊東‥1人
【8】鈴木(Y)・三田・宮路‥3人
【9】竹中(千田)・加藤(神野)・長谷川・鈴木(久)‥4人
【10】小林(杉浦)・高山・手塚・水沼(坂寄)・葉山‥5人/32人

【△3 まだ先のことなので何とも言えない‥38人】
【1】熊谷・鈴木(Y)・竹内(小笠原)・長谷川・浅沼・土方(小石)‥6人
【2】杉浦・熊谷(伊奈)‥2人
【3】窪田・小林(石河)・岡田(伊藤)・杢野(井上)‥4人
【4】日比・岩手・黒柳(鈴川)・高木(河合)・森川‥5人
【5】松野尾・鳥居(河合)弘子・北川‥3人
【6】‥
【7】太田‥1人
【8】荒川・伊藤(H)・内藤・河合((H)×?)・柴田‥5人
【9】青木・白井・渡辺・小林(内田)・本多・中西・井上’・兵藤‥8人
【10】鈴木(M)・相楽・朝倉‥3人
【?】氏名無記名にて不明‥1人/全38人
《◎1(56人)+○2(32人)+△3(38人)=126人》

 今回で「1参加する」「2参加の方向で考える」を合わせ88人になりました。
 取り敢えずの締切日は今日11月30日迄ですが、来週も何通かは返信mailがあると思われます。
 引き続き、仲良しの仲間にお声をかけて「卒業40周年記念懇親会 in 京都2014」にお誘い合せの上ご参加頂ければと思います。
 因みに、我等が【2637の会】membersでは、「井上君・渡辺さん・山中(高木)さん・菰田君・林(K)さん・竹内君・小生‥◎」「伊東君‥○」「太田君‥△」「犬飼さん・中村君・中山君・夏目君・守田君・山田君・下浦(原田)さん‥×」の16人から返事を頂戴しています。
 まだ熟慮中の【2637の会】membersの皆さんも、先の予定なので何とも解らなかったら「△3.まだ先のことなので何とも言えない」で結構ですから返信ハガキを投函して下さい。
 お返事をお待ちしています。m(_ _)m

■さて、続いての話題は、今回も半月程前の話になりますが、去る11月15日(金)~16日(土)に、金曜日は休みをとって、掲題・副題にあります様に「京都市美術館『竹内栖鳳』展と奈良市登美ヶ丘にある松伯美術館『松篁を育んだ学び舎/画塾・青甲社』展、奈良市 興福寺『国宝館』、東大寺『戒壇院堂/四天王像』、同『二月堂と同じく参道』、『奈良山の辺の道』北courseを踏破して来ました。
 今日は、〔その1〕として、初日15日(金)の模様をご報告申し上げます。

 15日(金)は、拙宅を6時40分に出て、東名・豊川ICから伊勢湾岸自動車道→東名阪自動車道→新名神高速道路→名神高速道路・京都東ICで降り、平安神宮の南東にある岡崎公園地下駐車場に9時半に到着。其処に車を置き、徒歩で南へ数分の所にある京都市美術館で開催中の『竹内栖鳳』展を見た。

【京都市美術館『竹内栖鳳』展】
[01]京都市美術館外観
 01

-------------------------[02]京都市美術館『竹内栖鳳』展leaflet:絵は上段『斑猫』1924年【重文】/下段『大獅子図〔部分〕』1902年
 02leaflett19241902

[03]竹内栖鳳『ベニスの月』1907年
 031907

-------------------------[04]同『鯖』1925年
 041925

[05]同『蹴合』1926年
 051926

 竹内栖鳳は、1900(明治33)年渡欧を果たしてから、西洋画の影響を色濃く作品に反映させる様になる。
 本展leafletに描かれている『斑猫』『大獅子図』は共に日本画であるが、西洋画の写実画と見紛う程の作品である。
 因みに、『斑猫』は、山種美術館所蔵品で、国の重要文化財に指定されている傑作である。
 『写生の栖鳳』と言われるだけあって、『斑猫』『大獅子図』以外でも『鯖』や軍鶏(しゃも)の『蹴合(けりあい)』も極めて写実的である。
 栖鳳の巧みな処は、写実性だけでなく、『蹴合』をご覧戴ければ解る様に、見る者に躍動感も確り伝わって来る。
 昭和12年に第1回文化勲章受章者として顕彰された。
 その時絵画での受賞者は、日本画で竹内栖鳳と横山大観、西洋画で藤島武二と岡田三郎助の4人。
 因みに、最初の頃は文化勲章は毎年あった訳ではなく、第2回文化勲章受章者(絵画部門)は、日本画の川合玉堂で昭和15年。同じく第3回は西洋画の和田英作で昭和18年といった具合だ。

【松伯美術館『松篁を育んだ学び舎 画塾・青甲社~青甲社主宰 西山翠嶂とその門下
生~』】

[06]松伯美術館入口
 06

-------------------------[07]松伯美術館『松篁を育んだ学び舎 画塾・青甲社』展leaflet
 07_leaflet

[08]上村松篁『青柿』1947年
 081947

-------------------------[09]同『樹蔭』1948年
 091948

[10]同『夕日』1954年
 101954age

-------------------------[11]上村淳之『幼鷺』1995年
 111995

 京都市美術館を後にして、次に向かったのが奈良市登美ヶ丘2丁目にある松伯美術館に向かった。
 12時05分到着。

 松伯美術館は、日本画家 上村松篁・淳之からの寄贈と近畿日本鉄道からの基本金出捐に拠り1994年03月開館。
 上村松園・松篁・淳之三代に亘る作品・草稿・写生等の美術資料の収集と保管、展示を通じ、上村家三代の画業を紹介している。〔以上、同美術館leafletより引用〕
 上村松篁の作品は、少し大人しいが品格があって見る者に安心感を与える。
 淳之氏の作品は、父・松篁の影響を少なからず受けている。
 因みに、上村松園・松篁は、親子二代で文化勲章受章者。淳之氏は今年(2013年)文化功労者になった。

 12時55分、松伯美術館を出て、次に向かったのは、宿泊場所である奈良ホテル。同ホテルは猿沢池の畔にある。
 ホテルで軽食とcheck inを済ませ、最初に向かったのが興福寺『国宝館』である。国宝『阿修羅像』を見たくなったのだ。
 宿泊場所の奈良ホテルに車を駐車して、このあとは徒歩の逍遥である。
 奈良ホテル正門を出て北上すると直ぐ左手が猿沢池。其処から興福寺五重塔が見える。
 奈良市内の定番だが、いつ見ても絵になる景勝地である。

[12]猿沢池から興福寺五重塔遠望
 12

【興福寺『国宝館』】
 藤原氏の氏寺である興福寺は、平城京の平城宮朱雀門から東進すると、東四坊大路から更に東へ張り出し東七坊大路が東端。
 其処は春日山系から猿沢池へ伸びる高台となっている。
 興福寺は、藤原不比等によりその丘陵の先端を整地して伽藍が建立された。
 710年の平城京遷都後程なく、まず中金堂(ちゅうこんどう)、そして721年 北円堂(‥八角堂‥)、726年 東金堂(とうこんどう)、730年 五重塔、734年 西金堂(さいこんどう)、746年 講堂の順に大伽藍が建設されて行った。
 その後、興福寺伽藍の堂塔は火災や倒壊を繰り返し、奈良時代の創建当時の構築物は何もない。

 「阿修羅像」は、他の八部衆や十大弟子、梵天、帝釈天、四天王等と共に、釈迦三尊像を中心とする群像として作られた。
 この像からは、美少年の清純さと敬虔さが見てとれる。

[13]国宝『阿修羅像』(部分)
 13

 他の国宝の作品もいずれも傑作ばかりだが、この阿修羅像の美しさには及ばない。
 従って、此処では『阿修羅像』のみご紹介する。

 次に向かったのは東大寺の大仏殿ではなく、戒壇院『戒壇堂』。此処に安置されている、国宝『四天王像』を見る為である。
 南大門の「阿吽の呼吸」の阿形と吽形の仁王像を見て、北進すると右手に鏡池。この池越に見える東大寺大仏殿も美しい。

[14]鏡池から東大寺大仏殿を望む
 14

中門正面から向かって左手へ。其処に、大仏殿へ入る入口がある。
 が、今回は其処を右手に見乍ら西進すること数十メートル。其処に戒壇堂がある。
 写真は、旅行会社の人に撮影して貰った

【東大寺 戒壇院『戒壇堂』】

[15]東大寺戒壇院入口にて
 15

-------------------------[16]東大寺戒壇堂leaflet/左から右へ「増長天→広目天→多聞天→持国天」
 16leaflet

 『四天王』とは、高校3年生の夏、拝顔して以来、実に40年ぶりの再会となる。
 『四天王』とは、皆さんよくご存知とは思うが「北=多聞天」「東=持国天」「南=増長天」「西=広目天」である。
 でも、実際に見てみると、「北東=多聞天」「南東=持国天」「南西=増長天」「北西=広目天」と夫々時計回りに45度ずれている。
 このズレについて、戒壇院の人に尋ねてみた。
 その人曰く‥
 「45度ずれていないと、此処にお参りする時、南口の正面に「増長天」が立つことになり不便でしょう?」と。
 確かに、そうだ。(^^;

 『戒壇堂』を出て、少し南進した後、西進して一旦、東七坊大路に出て北上。東大寺大仏殿の北側に沿った東西に延びる道を東進。
 其処が、奈良市内「逍遥」初日最後の訪問先、東大寺『二月堂』である。
 小生、暫く前から『二月堂』への参道の風景の美しさを知り、一度訪ねて見たかったのである。
 若いcoupleに、reciprocityで写真を撮って貰ったのが次の写真である。

【東大寺 『二月堂』】

[17]東大寺『二月堂』参道にて
 17

-------------------------[18]日没間近の『二月堂』から見た東大寺大仏殿他奈良市内遠望
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 『二月堂』へ到る参道を一人逍遥し、又『二月堂』から日が暮れる奈良市内を眺め
ていたら、何とも言えない感傷的な雰囲気に陥った。
 「日暮れ」と「晩秋」が「‥『秋』が暮れゆく‥」harmonyを奏で、それゆえ名句が、そして拙句が浮かんだ。

 まっすぐの 道に出(い)でけり 秋の暮  高野素十

 晩秋の古都の雅(みやび)を一人見ゆ  悟空
 秋風が君に囁く二月堂  悟空

【後記】次号《会報》も、引き続き■第1回『案内状』のresponse状況■と、「11月15日~16日:《京都&奈良/一人逍遥》から〔その2〕『奈良山の辺の道』北courseを踏破して」「11月30日:日帰り社員bus旅行『石山寺~比叡山延暦寺~日吉大社周辺』を巡って」‥の模様をお届けします。お楽しみに!
 では、また‥。(了)

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