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2014年2月の4件の記事

2014年2月21日 (金)

【時習26回3-7の会 0487】~「02月15日:時習26回生卒業40周年記念懇親会に向けて~『懇親会初日optional tour 事前踏査』実施報告」「02月16日:同左~『豊橋支部幹事会』開催報告」「Lawrence M. Krauss『宇宙が始まる前には何があったか( A Universe from Nothing )』を読んで《後篇》」

■皆さん、お元気ですか。今泉悟です。今日も《会報》【0487】号をお届けします。
 ソチ五輪の先週末から今日迄の一週間の模様は‥
 先ず、羽生結弦(はにゅう ゆづる)1994.12.07- )選手(19歳)が本大会日本人初の金medalを獲得!

 現地時間02月15日夜、葛西紀明(かさい のりあき(1972.06.06- )選手(41歳)が、Nordic ski jump/男子large hillで見事 銀medalを獲得!
 因みに、五輪出場7回目というのは史上最多。「五輪に拘るmotivationは長野五輪にある」とNewsに載っていた。
 何となれば、1998年 長野五輪で日本が団体金medalを取った時、葛西は表彰台に乗っていない。直前に左足首を痛め競技に参加出来なかったからだ。
 41歳の現在も肉体年齢は20代。不断の節制とtrainingの賜物である。
 小生も彼に倣って体力増進に努めていきたいものである。

 更に葛西は、17日夜 Nordic ski jump/男子large hill団体で銅medalを獲得した。
 Team matesは、清水礼留飛(しみず れるひ)・竹内択(たけうち たく)・伊東大貴(いとう だいき)の3人。

 02月19日snowboard 女子parallel大回転の決勝で、竹内智香(たけうち・ともか)選手が銀medalを獲得。
 彼女は冬季五輪4大会連続出場で初の栄冠に輝いた。
 尚、Skiを含めたalpine競技では、1956年に猪谷千春が銀medalを獲得して以来の快挙!

 02月20日、新種目のfree style ski女子half pipeで小野塚彩那(おのづか あやな(1988.03.23- ))選手(25歳)が銅medalを獲得!

 これで日本のmedal獲得は、8個(金1 銀4 銅3)となり、1992年アルベールビル大会の7個を抜き、海外開催の冬季五輪では史上最多となった。
 尚、これ迄の史上最高は1998年長野五輪の10個。

 又、昨日の女子figure skateの浅田真央(23歳)選手のfreeの演技は完璧で自己最高得点を出し立派でしたね。
 でも、本大会はSPの失敗がなくてもbest3に入れなかった様で、女子figure skateのlevelの高さに驚嘆した次第である。

■さて今日最初の話題は、掲題・副題にあります様に、前《会報》で予告した通り、02月15日(土)に「時習26回生卒業40周年記念懇親会 in 京都2014」に向けて~『懇親会初日optional tour 事前踏査』して来ましたので、その模様を報告します。

 その前に時習26回生の訃報が1件あります。
 一昨日02月19日、旧【3-9】の近田美則君が逝去されました。
 心よりご冥福をお祈りします。
 弔電・香典・供花等は拝辞とのことです。〔為念〕

 又、2014年02月01日付《会報》【0484】号にてご紹介した様に01月30日 愛知県芸術劇場concert hallで何十年振りかに再会した鈴木祥夫君【3-1】から返信ハガキが来ました。
 今回「懇親会 in 京都」へは、「×4 残念ながら参加できない」のことでした。

 尚、先述の故 近田君は「懇親会 in 京都」には、「■5 宛処不明につき返却される」になっていましたので「◆6 物故者であることが判明」に変更します。
 以上の結果、「懇親会 in 京都」への出席表明状況は以下の通りとなりました。

 ◎1 参加する‥61人
 ○2 参加する方向で考える39人
 △3 まだ先のことなので何とも言えない‥02人/累計47人
 ×4 前年ながら参加できない‥55人
 ■5 宛処不明につき返却される‥09人
 ◆6 物故者であることが判明‥03人
 合計‥214人
 ∴‥◎1《61人》+○2《39人》=【100人】‥

 ※ ※ ※

 実施した事前踏査を踏まえ、『懇親会初日optional tour course』を以下の通りに一部変更しました。
 そして、翌日 母校時習館高校会議室にて開催された「豊橋支部幹事会」にて承認されました。

※ 幹事が同伴する推奨course‥《金閣寺→龍安寺( →仁和寺→四条河原町 )を巡る》‥ ※
 08時46分 JR東海道新幹線 豊橋駅 発 こだま631号
 09時14分 同 名古屋駅 着
 09時24分 同 名古屋駅 発 のぞみ101号
 10時00分 同 京都駅 着
 10時19分 JR奈良線〔奈良ゆき〕 京都駅 発
 10時22分 同 東福寺駅 着〔京阪本線へ乗換え〕
 10時33分 京阪本線 東福寺駅 発〔準急 出町柳ゆき‥運賃@150円〕
 10時36分 清水五条駅 着〔‥出入口3番から西北へ200m‥徒歩3分‥〕
 10時40分 料理旅館「鶴清」着〔‥鶴清へ荷物を預ける‥〕

※ 懇親会会場となる料理旅館『鶴清』を集合場所とする ※

 10時45分 同「鶴清」発
 10時56分 清水五条駅 着〔準急 出町柳ゆき‥運賃@150円〕
 11時00分 三条駅 着〔‥出入口4番から徒歩75m‥徒歩2分‥〕
 11時07分 市バス 三条京阪前【バス停2番/59系統】着
 11時15分 京阪三条前 発〔‥金閣寺 竜安寺 山越ゆき‥運賃@220円/累計520円〕
 11時51分 金閣寺 バス停着〔‥徒歩5分‥〕
 12時00分 食事処「権太呂 金閣寺店‥麺類 丼物〔昼食@1,100円~1,800円〕」
 12時45分 同所 発〔‥徒歩5分‥〕
 12時50分 鹿苑寺「金閣」着〔拝観料@400円〕〔‥拝観&休憩60分間‥〕
 13時50分 同所 発〔西南西へ1,200m‥徒歩20分‥〕
 14時10分 龍安寺 着〔拝観料@500円〕〔運賃累計520円/拝観料累計900円〕〔‥拝観&休憩45分間‥〕
 14時55分 同寺 発‥此処で、tour参加者は第1班と第2班に分かれ、第1班は懇親会会場『鶴清』へ戻り、第2班は『仁和寺』へ向かう

【第1班】
 14時55分 同寺 発〔京都市営bus 運賃@220円〕〔運賃累計740円/拝観料累計900円〕
 15時30分 四条河原町bus停 着〔‥徒歩3分‥〕
 〔 四条河原町「散策」60分しても「鶴清」へは16時45分に到着出来る 〕
 15時45分 料理旅館「鶴清」着(了)

【第2班】
 14時55分 同寺 発〔‥南へ600m‥徒歩10分‥〕
 15時05分 仁和寺 着〔拝観料@500円〕〔運賃累計520円/拝観料累計1,400円〕〔‥拝観&休憩45分間‥〕
 15時55分 同寺 発〔京都市営bus 運賃@220円〕〔運賃累計740円/拝観料累計1,400円〕
 16時30分 四条河原町bus停 着〔‥徒歩3分‥〕
 〔 四条河原町「散策」45分しても「鶴清」へは17時30分に到着出来る 〕
 16時45分 料理旅館「鶴清」着(了)

 ※ ※ ※ ※ ※

 当初の案では、市営地下鉄烏丸線「北大路」駅から徒歩で‥→(1800m)「大徳寺 高桐院」→(1600m)→「鹿苑寺 金閣」→(200m)→昼食処「権太呂」→(1300m)→「龍安寺」→(400m)→「龍安寺駅」→京福電鉄 北野線〔「帷子ノ辻駅」経由〕→京福電鉄 嵐山本線→「太秦広隆寺駅」→(200m)→「広隆寺」の4つの寺院巡りを考えた。
 ところが、実際に歩いてみると、「北大路」駅→「大徳寺 高桐院」→「金閣寺」迄の3.5kmの移動時間が通算で約1時間かかり結構シンドイことが解った。
 これに「権太呂金閣寺店」→「龍安寺」→京福電鉄「龍安寺駅」迄の通算1.7kmを歩き、京福電鉄で1回の乗換えを含め15分の乗車‥は何をか況んやである。
 其処で、訪問箇所を「金閣寺」と「龍安寺」〔plusαで「仁和寺」〕の2〔乃至3〕寺院に大幅に減らすことにした。
 そして、これは同道してくれた中嶋君の提案で、京都市営busを積極活用することにした。
 京都の西から「仁和寺」→「龍安寺」→「金閣寺」3寺院の正面に京都市営bus【59系統】のbus停があり、殆ど歩かないで済むのがいい。
 こうすれば、「龍安寺」〔乃至「仁和寺」〕を見てからbusに乗り、京都市内一の繁華街「四条河原町」で下車して京都一の繁華街でのshoppingも可能となる。
 そして、お店を覗く等し乍ら、高瀬川沿いに南へ15分程散策し乍ら下れば、懇親会会場「鶴清」に到着出来る。

[01]大徳寺高桐院にて中嶋君
 01_20140215

[02]同 小生
 02_20140215_2

【小生comment】
 02月15日は生憎の雨天で会った。
 東京方面が雪の為、東海道新幹線のダイヤが20分強遅れた。
 京都に着いてからは、JR奈良線&京阪鉄道「東福寺」経由で懇親会会場「鶴清」に立ち寄り、ずっと電話で遣り取りしている社員と軽く挨拶を済ませ出発した。
 彼が担当する二次会会場「ミュンヘン」迄を実際に歩いて所要時間を測った。
「ミュンヘン」は四条河原町にあり、「鶴清」からユックリ歩いて15分であった。
 その日は、「ミュンヘン」から当初計画したcourseを踏査した。
 具体的には、「祇園四条」駅から乗車し「三条」→徒歩→「三条京阪」→〔烏丸御池 経由〕→「北大路」駅へ。
 其処から「大徳寺 高桐院」へ。
 その日実際に拝観したのは此処のみ。
 今日は、拝観が目的ではないからだ。
 次いで「金閣寺」の拝観入口→昼食予定先の「権太呂 金閣寺店」で、鳥南蛮蕎麦と鰊蕎麦〔夫々1100円〕を注文し食した。
 小生、着物姿の若い女性の店員に、「地下鉄北大路駅から此処迄歩いて来たよ」と言ったら、彼女は目を丸くして‥
「それは大変どしたやろ!? 北大路から此処迄はシンドイどすワッ」。
 従前 助言を頂戴していたこともあって、訪問先数を、4寺から2〔乃至3〕寺院に減らす方向に心が傾いていたので、この一言で、訪問寺院削減を決断した。
「権太呂 金閣寺店」を後にした我等は、引き続き徒歩で「龍安寺」、そして「仁和寺」へと歩いた。
 そして、「仁和寺」前のbus停「御室仁和寺」からbusに乗り、道が混雑していたこともあって定刻より9分遅れの45分間で「四条河原町」に到着、下車した。
 更に、「祇園四条」駅から京阪本線に乗り「三条」へ。そして市営busの起点である停留所「三条京阪」へ。
 始発時間等を時刻表で確認して、「東福寺」駅経由で京都から新幹線で帰豊した。
 事前踏査をして良かった。
「百聞は一見に如かず」を実感した一日であった。
 これを踏まえ、「懇親会」翌日のoptional tourも「東福寺→伏見稲荷大社→伏見酒蔵」も事前踏査が矢張り必要かな、と感じた。

■続いては、翌02月16日(日)時習館高校 会議室にて開催した「時習26回生卒業40周年記念懇親会に向けて~『豊橋支部幹事会』開催報告」についてである。
 
「時習26回生卒業40周年記念懇親会 in 京都2014」豊橋支部幹事会 議題 決定&懸案事項
【 議案 】
【 承認 】1.初日の【複数の】optional tourの候補先選定 及び そのうち1courseを推奨courseとする件
〔理由〕当初は推奨course提示のみ‥→・少しでも旧友との思い出時間を創出したいというidentityが急増した為
※ 幹事が同伴する推奨course‥《「金閣寺」→「龍安寺」( →「仁和寺」→「四条河原町」)を巡る》‥

 〔以下、上述の通りにつき省略〕

《その他の推奨course‥これ等はcourseを地図入りで案内するに留める》
 【1】《新島襄&八重の京都》〔同志社女子大→蛤御門→新島旧邸→永観堂→新島襄&八重の墓→哲学の道→金戒光明寺(幕末会津藩京都守護職松平容保本陣)〕
 【2】《修学院離宮・北山course》詩仙堂~圓光寺~曼殊院~金福寺‥これに事前予約(2014年3月01日より受付)が必要な【修学院離宮】が加わると断然良い周遊courseとなる
 【3】《国宝第一号の広隆寺弥勒菩薩と嵐山の諸寺巡り》〔広隆寺(国宝「弥勒菩薩」→渡月橋→嵐山「天龍寺」→「常寂光寺」→「落柿舎」→「二尊院」→「大覚寺」)〕
 【4】《鶴清周辺お手軽course》〔南禅寺→青蓮院→知恩院→八坂神社→高台寺→清水寺→六波羅蜜寺〕

【 承認 】2.懇親会二次会会場を「ミュンヘン」とする
 懇親会会場「鶴清」から北北東へ600mに位置する
 会費@3,000円〔但し、50人以上の参加必要
 ・←‥50人未満だと3,500~4,000円に値上がる〕

【 承認 】3.二日目のoptional tourの候補先と昼食場所の選定
 08時45分 鶴清 発
 08時52分 清水五条駅 発〔@150円‥京阪本線‥1駅〕
 08時55分 東福寺駅 着〔‥南へ徒歩400m‥〕
 09時03分 東福寺 臥雲橋 着‥通天橋遠望をbackに記念写真〔境内 拝観料無料〕
      〔‥南へ徒歩300m‥〕
 09時10分 東福寺 国宝「三門」の前にて記念写真
 09時20分 同門 発〔‥南へ徒歩200m‥〕
 09時30分 東福寺 塔頭「光明院」着‥〔拝観料@300円/重森三玲作庭「波心庭」〕
 10時00分 同院 発〔‥南へ1km‥徒歩20分〕
 10時20分 伏見稲荷大社 着〔境内 拝観料無料‥有名な「千本鳥居」を10分程堪能
 11時00分 同社 発〔‥南西へ700m‥徒歩7分〕
 11時11分 深草駅 発〔@200円‥京阪本線準急 4駅 丹波橋駅にて特急に乗換1駅〕
 11時28分 中書島駅 着〔‥北東へ700m‥徒歩7分〕
 11時35分 昼食処 京の台所「月の蔵人」着〔lunch@1,500~2,000円 ℡075-623-4630〕
 12時45分 〔‥懇親会旅行の中締め‥〕
 12時50分 同所 発〔黄桜カッパカントリー→寺田屋→十石舟乗船場→月桂冠大倉記念館‥→【解散】〕
 〔月桂冠大倉記念館 入館料@300円〕〔運賃累計350円、拝観(入館)料累計600円〕

【 承認 】4.会費の事前徴収範囲
 懇親会、宿泊費、を事前徴収する

【 承認 】5.事前徴収した会費のcancel方法
 6月5日(木)〔懇親会二日前〕迄
 ‥→・必要経費4,000円〔=通信費2,000円+舞妓等御花代2,000円〕を差し引いて全額返戻する
 前日&当日のキャンセルは、返戻額ゼロとする‥以上の旨、正式案内配信の際、周知徹底する

【 承認 】6.舞妓&芸妓&地方(じかた=三弦弾)の内訳について
 地方1名、舞妓2名、芸妓1名の4名とする〔地方=舞妓=芸妓=@43,000円〕
 したがって、参加者が86人なら、@500円で1人招聘出来る
 ∴4人=2,000円(@500円×4人)‥→・地方&舞妓&芸妓1人当たり参加者21.5人を相手する人数割になる
 ※ 地方・舞妓・芸妓は、cancelが出来ない。現状、地方1人、舞妓2人 予約済
 ※ 残り1人は芸妓とし、参加人数を見極めた上 招聘するか否かを決定する

【 承認事項 】&【 懸案事項 】7.宿泊施設について、部屋割り方法のルールづくり
【 承認事項 】
[1] 部屋割りの公平性を保つ為、執行部と有志若干名の専任とする〔責任者:杉原さん&林さん〕
[2]【鶴清】と【京都リッチホテル】の宿泊料金を 【鶴清】料金の@8,500円に一本化する
 ‥→・宿泊料金一本化については、京都リッチホテルのシングル利用化の件と絡めて再考中につきpendingとする
[3] 2回目の正式『案内状』に、「宿泊は、【鶴清】は3人~7人部屋、京都リッチホテルはツインが原則です」を明記。
 ‥→・本件も、京都リッチホテルのシングル利用化を再考中につけpendingとする
 そして但書として、「どうしてもシングルをご希望の方は、参加費を払い込む際、「払込取扱票『通信欄』」に「シングル希望」を、また、同室をご希望される方がいる場合は、 同じく『通信欄』に「○○さんと同室を希望」と明記して下さい」
【 懸案事項 】
[1] 京都リッチホテルのツイン部屋のシングル使用は可能だが、その適用方法をどうするか?
・【 前提条件 】現状、シングル14室ある
・宿泊料金が@3000円upし、@9,300円となる
・ツイン部屋のシングル使用者の割増料金不足分(@8,500円→@9,300円‥800円)を徴収どうするか?
◆今泉〔案〕◆

〔現在、本件につき「京都リッチホテルのシングル利用化」と絡めて幹事会執行部会内で協議中‥暫く時間を下さい‥〕

【 承認 】8.次回『案内状』出状予定日と締切日
 正式の「案内状の配信」を3月下旬~末日迄とする
 「回答期限」を4月末日とする
 事前振込期限を5月20日(火)とする
 京都リッチホテル・鶴清への内金 事前振込期限を5月末日とする

【次回幹事会開催日】
 2014年03月16日(日)14時00分~17時00分〔 場所 : 時習館高校 会議室 〕

〔参考〕
【アンケート集計】【その16(一部修正)】01月11日現在
◆質問Ⅱ
①宿泊先について
 1.鶴清を希望‥22人
 2.京都リッチホテルを希望‥12人
 3.どちらでも良い‥39人
 「鶴清(40人泊可)」+「京都リッチホテル(80人泊可)」=120人(A)
  宿泊予定者数(1+2+3):73人(B)
 ∴余裕47人(A-B)
 4.自分で手配する‥20人
 5.宿泊しない‥06人/計99人〔一人で複数回答を含む〕

②1日目のoptional tourについて
 1.設定あれば利用する‥21人
 2.懇親会迄は自由に過ごす‥26人
 3.まだどちらとも言えない‥47人/計94人

③2日目(6月8日)の参加者共通「古都巡り」について
 1.参加する‥45人〔41人は昼食「要」〕
 2.日帰り出張なので参加出来ない‥03人
 3.宿泊後、朝食迄の出席の為参加出来ない‥05人
 4.まだ何とも言えない‥44人/計97人

         以上

【小生comment】
 宿泊所への「シングル希望者」がどの位になるかが見当がつかない。
 一方、確保出来ているシングルは少ない。
 今後「相部屋」での宿泊をお願いしていくが、どの程度迄協力してくれるか?
 頭が痛い処である。
 ‥と悩んでいたら、宿泊担当の杉原さん【9】から一つ嬉しい便りがあった。
 趣旨は、東京の同期生から連絡あり「東京からなら電車とセットプランのほうが安いからそちらを推奨してくれる」由。
 同期幹事の皆が手分けして手伝ってくれています。
 感謝、感謝! です。!(^-')b♪

■今日最後は、前《会報》に引続き、Lawrence M. Krauss著〔青木薫訳〕『宇宙が始まる前には何があったか( A Universe from Nothing )』の《後篇》である。

※ 第10章/物質と反物質の非対称 ※
 量子力学と相対性理論に拠れば、物質に対応する反物質は必ず存在し、それ等は打ち消し合う。
 しかし、big bangの最初の状態では僅かな非対称があった。
 それが我々を生んだ。

【無から生じてよい】P.239
1.量子重力においては、「宇宙は無から『自発的に生じることが可能』であるばかりか、むしろ『絶えず生じている』ということ」。
 無から自発的に生じた「宇宙は」空っぽである必要はなく、重力に拠る負のenergyを含めて、「全energyがゼロでありさえすれば良く」、物質と放射が含まれてもよい。
2.そのmechanismは生まれた宇宙が、無限小の時間よりも長く存在出来る為には、inflationの様なものが必要になる。
 結果的に、その様なscenarioで生じた宇宙の中で、寿命が長いと期待出来るものは、今日、丁度我々の宇宙の様に平坦に見える。

※ 第11章/無限の未来には ※
 何もない場所から、何かが常に生まれている。
 しかし、恐らく(遥か)遠い未来には「無」が再び宇宙を支配することになりそうだ。

 宇宙の始まりに目を向けて、我々を構成する物質が時間の始まりの時に起こった何らかの量子的processで生じたのなら、それもいずれ消滅するのはほぼ確実だ。
 物理学は双方向に通行できる道であり、始まりと終わりは繋がっている。
 遥かな未来に陽子と中性子は崩壊し、物質は消滅し、宇宙は最大限に単純で対称性の高い状態に近づくだろう。
 数学的には美しいかもしれないが、其処には何も実質がない。P.255

※ あとがき『種の起源』に匹敵する、宇宙論のparadigm shift〔リチャード・ド―キンス(Clinton Richard Dawkins(1941.03.26- )〕 ※
 Kraussが描いてみせる「遠い未来の宇宙像」は、逆説的で殺伐としている。
 科学の進歩もどうやら反転することになりそうだ。
 もしも西暦二兆年という遠い未来に天文学者が存在しているなら、宇宙に関する彼等の知識は、今日のそれよりも遥かに豊になっている筈だ、と我々は決め込んでいる。
 だが、そうはならないらしいのだ‥‥私は本書を読んで幾つかの驚くべきことを知ったが、これもその一つである。
 我々の時代は、数千億年程の幅を持つ、宇宙を研究するには非常に恵まれた時期なのだそうだ。
 これから二兆年先には、宇宙は余りにも膨らみ過ぎて、未来の天文学者がいる銀河を別にすれば〔偶々それが別の銀河であったとしても〕、それ以外の全ての銀河は、宇宙の地平線の向こうに消え去っているだろう。〔中略〕
 地平線の向こうに消えた銀河は、単に見えなくなるだけでなく、如何なる間接的方法を使ったとしても、それが存在したという痕跡を辿ることが出来なくなる。
 つまり、他の銀河は一つも残らず、そもそも存在しなかったのと同じになって仕舞うのだ。
 Big bangの証拠は全て、ほぼ確実に失われ、二度と取り戻すことは出来ないだろう。
 未来の宇宙学者は、今日の我々とは別の意味に於いて、過去から切り離され、自らの置かれている状況を知る術はなくなるというのである。〔後略〕

【小生comment】
 二兆年という遥か未来‥気の遠くなる様な未来のことは、どんな世界になるか考えてもみなかった。
 地球自体、太陽の高温化の進展に拠り、今後10億年〔最近では26億年〕先には生命体が死滅すると言われている。
 だから、「二兆年先と言われても、人類にとっては、他の惑星に移り住まない限り絶滅しているのだから考えても仕方がない」と思って考えなかったのである
 でも、本書は、「宇宙」という存在とは何かを久し振りに素直に考え直してみる大変有意義な機会を与えてくれた良書であった。
 宇宙物理学や量子力学という、超macroと超microの世界、それからマルチバ―ス(Multiverse =「多元宇宙論」)や「多次元世界」の存在 等‥。
 日常の我々の感覚では計り知れない世界に誘(いざな)ってくれた。
 Stressが鬱積し易い日常生活も、こう言った幅広い領域で、多元的な発想や思考で捉え直してみると、明るい未来へと変貌を遂げるかもしれない。
 久し振りに元気が出る読了感を与えてくれた本であった。

 では、また‥。(了)

2014年2月14日 (金)

【時習26回3-7の会 0486】~「02月11日:滋賀県立近代美術博物館『幻想の画家=ダリ=とFrance近代絵画の巨匠たち』展を見て」「02月11日:『不破関』と『関ヶ原古戦場』を巡って」「02月13日:松坂屋美術館『星星會』展を見て」「Lawrence M. Krauss『宇宙が始まる前には何があったか( A Universe from Nothing )』を読んで《前篇》」

■皆さん、お変わりありませんか。と言っても《会報》前号から5日しか経っていませんね。(笑)
 ご当地豊橋では、02月11日の『鬼祭り』が終わり、これから『春』がやって来ます。
 あと五日すると時節も『雨水』。降る「雪」が『雨』に変わり、『氷』が溶けて『水』になる。
 思えば、陽も大分長くなって、陽射しもぐっと明るくなって来た感じです。

 02月07日~23日開催される「ソチ五輪」。高梨沙羅ちゃんはジャンプ4位。残念でしたね。
 でもまだ17歳。次回2018年の韓国 平昌Olympicでの金medal獲得を期待します。
 一方、02月13日 Snow board ハーフパイプで、平野歩夢選手(15歳)銀、平岡卓選手(18歳)銅medal。
 平野歩夢選手(1998.11.29-)は、冬季五輪で史上最年少のmedalistとなった。
 02月13日にはnormal hillで渡辺暁斗選手(25歳)が銀。
 1994年リレハンメル(Lillehammer(02.12-27 のNorwayオップラン県))大会で団体 金(阿部雅司 荻原健司 河野孝典)、個人 銀(河野孝典)以来20年ぶり。
 これで日本は3つのmedalを獲得!
 また、今夜、明日未明に決勝が行われるfigure skateの羽生結弦(はにゅう ゆづる)1994.12.07- )選手(19歳)に金medalの期待がかかります。

 話変わって、「時習26回生卒業40周年記念懇親会 in 京都2014」関連のnewsでは、第1回『案内状』のresponse状況は変更ありません。
 明日15日 中嶋良行君【3-2】と二人で京都へ「06月07日『懇親会』初日のoptional tourのcourse事前踏査」に行って来ます。
 当該optional tour courseはつくったのですが、実際現地に行って確認して置きたいことが幾つかあるので、中嶋君に無理言って同道の了解を貰いました。
 そして、明後日16日 母校時習館高校にて、当該『懇親会』に向けての「豊橋支部幹事会」を開催します。
 その結果は、またご報告致します。

※ 02月11日は、車を飛ばして、草津市にある「滋賀県立近代美術館」と関ヶ原町にある「不破関」跡と「関ヶ原古戦場」を見て来た。其処で‥
■さて今日最初の話題は、02月11日 滋賀県立近代美術博物館にて開催中の『幻想の画家=ダリ=とFrance近代絵画の巨匠たち』展を見て来ましたので、その模様から‥。
 本展は、福島県 裏磐梯にある諸橋近代美術館所蔵品展である。
 Pissarro(1830-1903)・Cézanne(1839-1906)・Renoir(1822-1900)の印象派から始まり、Gogh(1857-1891)・Picasso(1881-1973)・Matisse(1869-1954)等を経て、surrealismeに到り、そのsur-の代表的画家 Dali(1904-1989)の作品群で締め括る、見応えのある展覧会であった。
 常設展cornerは、滋賀県が生んだ女流日本画家 小倉遊亀の作品群が素晴らしかった。

[01]『幻想の画家=ダリ=とFrance近代絵画の巨匠たち』展leaflet
 01franceleaflet
 絵は、Renoir『Maurice Denis夫人』1904年

[02]Cézanne『林間の空地』1867年
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[03]Matisse『ベル・イルの花束』1897年
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[04]Vlaminck(1876-1958)『曳舟 ル―アンにて』1932年
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[05]Dongen(1877-1968)『Boaを纏った女』制作年不詳
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[06]Picasso『貧しき食事』1904年
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[07]Pascin(1885-1930)『帽子を持つ少女』1924年
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[08]Marie Laurencin(1883-1956)『読書』制作年不詳
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[09]Ernst(1891-1976)『暗黒の神々』1955年
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[10]Dali『パンと胡桃』1925年
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[11]Dali『日没大気の寓話』1940-41年
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[12]Dali『Ann Woodward夫人の肖像』1953年
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[13]Dali『The Dance(The Seven Arts of Rock'n Roll)』1957年
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[14]Dali installation その1
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[15]Dali installation その2
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 ※ ※ ※ ※ ※

[16]小倉遊亀『観世音菩薩』1941年
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[17]同『娘』1951年
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[18]同『画人像』1962年
 181962

[19]同『厨もの(三)』1980年
 191980

【小生comment】
 諸橋美術館の所蔵作品は素晴らしい。
 Daliの作品は、「乾いた空間」を感じる。
 小倉遊亀の作品は、どの作品も「落ち着いた雰囲気」と「人肌の温もり」を感じさせてくれる‥。
 小生、心底大好きな画家である。

■続いては、同じく02月11日滋賀県立近代美術博物館の次に向かったのが「関ヶ原」。
 672年「壬申の乱」で、天智天皇の弟・大海人皇子(天武天皇)と天智天皇の息子 大友皇子(弘文天皇)が此の地「関ケ原」の「不破関」周辺にて激戦を繰り広げた。
 また1600(慶長05)年09.15(西暦年10.21) 午前08時~14時頃 天下分け目の「関ヶ原の戦」が行われた。

 実は小生、「関ヶ原」の史跡を訪れたのは今回が初めてである。いつかは訪れてみたいと思い続けているうちに小生58歳になって仕舞った。
正に「光陰矢の如し」である。

 徳川家康率いる東軍の勝利となった1600(慶長05)年の「関ヶ原の合戦」から遡ること928年の西暦672年、大海人皇子率いる東軍が大友皇子率いる西軍を破った「壬申の乱」。
 「不破関」は、「壬申の乱」の翌673(天武天皇02)年、天武天皇の命に拠り「不破関」「鈴鹿関」「愛発(あらち)関」の所謂『三関(さんかん)』が設置された。
 場所は、関ヶ原の合戦の場所の南西部、東軍 福島正則陣と西軍 大谷吉継陣の間に当たる。
 その後、桓武天皇の789(延暦08)年 三関は廃止された。
 が、平安時代「愛発関」に代わり大津の「逢坂関」を加えて「三関」と言う様になった。

 関ヶ原の戦は、二回共東軍が勝利を収めた。
 因みに、源平戦も東軍の源氏が西軍の平氏に勝利した。

 関ヶ原古戦場は、今回は小生が好きな東軍の陣を中心に巡ることにした。
「不破関」から東へ程近い「福島正則」陣を皮切りに、‥→「藤堂高虎・京極高知」陣→東軍軍監「本多平八郎忠勝」陣→岡山(丸山)烽火場「黒田長政・竹中重門」陣→「細川忠興」陣→《関ヶ原町 歴史民族史料館》→東首塚「松平忠吉・井伊直政」陣→「田中吉政」陣→「徳川家康」最後の陣→西軍「島津義弘」陣‥と巡った。車で回って、所要時間は丁度3時間であった。

[20]不破関跡
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[21]関ヶ原合戦 史跡めぐり 地図
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[22]関ヶ原合戦 陣形図
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[23]「福島正則」陣跡 案内看板
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[24]「藤堂高虎・京極高知」陣跡 案内看板
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[25]「本多忠勝」陣跡
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[26]同上 案内看板
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[27]岡山(丸山)烽火場 石碑
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 関ヶ原の合戦は、慶長05(1600)年09月15日(西暦10月21日)午前8時 此処丸山烽火場の烽に拠り開始された。

[28] 岡山(丸山)烽火場「黒田長政・竹中重門」陣跡から関ヶ原合戦場を望む
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 正面の案内看板の左上の小高い山が、小早川秀秋が陣取った「松尾山」
 家康の脅しに拠り、小早川秀秋が大谷吉継軍に攻撃を開始。
 小早川の西軍から東軍への寝返りで、東軍の勝利へと帰趨は決した。

[29]「細川忠興」陣跡
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[30]同上 看板
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 細川忠興は、この合戦の直前、愛妻「玉(ガラシャ)」を彼女の自決(…と言っても、彼女はChristianなので自殺出来ない為、家老に命じて命を絶った…)で失っている。
 当時から美貌で知られた細川ガラシャの美しい「辞世の句」はあまりにも有名である‥

 散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ

[31]「松平忠吉・井伊直政」陣跡
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[32]「徳川家康」最後の陣地
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[33]同上 案内看板
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[34]「田中吉政」陣跡
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[35]同上 案内看板
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[36]「島津義弘」陣跡 石碑
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[37]同上 案内看板
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【小生comment】
 08時~14時迄の6時間で、東西両軍合わせて6千人~8千人の戦死者を出した大戦(おおいくさ)。
 各陣跡を巡っているうちに、小生、夥しい命が失われたという、戦(いくさ)の虚しさで胸が熱くなった。

■さてまたまた話変わって、02月13日には、名古屋へ行く用事あり、それを済ませてから、現在 松坂屋美術館にて開催中の『星星會』展を見て来ましたのでその模様をお伝えします。
 『星星會』とは、日本画家4人〔下田義寛(1940-)・竹内浩一(1941-)・田渕俊夫(1941-)・牧進(1936-)〕が、2005年の第1回展から隔年毎開催し、2013年の第5回展を以て完了するgroup展。従って、本展は『星星會』の掉尾を飾る。因みに、『星星會』の名付親は、故髙山辰雄。
 日本画の泰斗達のgroup展だけあって、非常に高いlevelの見応えある展覧会であった。

[38]下田義寛
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[39]下田義寛『遅日』1992年
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[40]同『ノートルダム・ド・パリ』1999年
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[41]竹内浩一
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[42]竹内浩一『貴婦人』2013年
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[43]竹内浩一『嫉妬』2013年
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[44]田渕俊夫
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[45]田渕俊夫『午後』2009年
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[46]同『好日』2011年
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[47]牧進
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[48]牧進『闌』2005年
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[49]同『寒月』2013年
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■今日最後は、最近読んだLawrence M. Krauss著〔青木薫訳〕『宇宙が始まる前には何があったか( A Universe from Nothing )』についてである。

[50] Lawrence M. Krauss著〔青木薫訳〕『宇宙が始まる前には何があったか』
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「『種の起源』に匹敵!」という帯の言葉に惹かれ購読した。
 大変面白い内容だが、これまでの常識が通用しないことも沢山出て来るので、《前篇》《後篇》の2回に分けてお届けしたい。
 今回《前篇》では「宇宙の誕生~現在」を中心に、そして、次号《後篇》では、「宇宙の未来」を中心にお届けする予定である。

 本書が、中学生程度の物理学の知識しか持っていない小生にも理解出来る様に平易に解説してくれている処が嬉しい。
 本書の要旨を小生なりに纏めるとこう言うことだ。

【暗黒物質の存在】
 最近格段に進歩した重力レンズを使う観測技術の観測結果から、銀河や銀河団の内部に存在する「暗黒物質」の総量は、ビッグバン(big bang)元素合成の計算から許される量よりも遥かに多いことが確かめられている。(P.75)
 このことは、「何もない」筈の「宇宙空間」には眼には見えないが、我々の常識では計り知れない「何か(=物質)」が存在することを示している。

【反粒子】
 自然界の殆ど全ての素粒子には、反粒子が存在する。粒子と反粒子が出会うと、両者は互いを打消し合って消滅し、後にはただ放射だけが残される。
 反粒子の性質は粒子と全く同じなので、反物質で出来た世界は、物質で出来た世界と何も違わないだろう。
 我々が住む宇宙が物質で出来ているというのは、偶々そうだったに過ぎない、というのが、今日の物理学者の考えである。(P.108)

【暗黒energyの存在】
 宇宙の年齢に対する推定値が2006年頃には改善され、宇宙micro波背景放射が高い精度で観測されたお陰で、big bangから経過した時間を精密に測定出来る様になった。宇宙は、137億2千万歳なのである。
 暗黒energyの起源及びその性質が、今日の基礎物理学に於ける最大の謎であることに疑問の余地はない。
 宇宙の起源のみならず、宇宙の未来もま、暗黒energyに拠って決定されることになりそうだ。(P.140)

【 ※Inflation ※ が示すもの】
 空っぽの空間は、物質や放射が全く存在しなくても、ゼロではないenergyを持つことが出来る。
 そして、一般相対性理論の教える処に拠れば、energyを持つ空間は指数関数的に膨張する。
 結果として、極初期には極めて小さかった領域も、一瞬のうちに、今日の観測可能な宇宙全体を軽々と含む程の大きさになったのだ。
 その急激な膨張に拠り、空間に含まれるenergyが増大し、我々の宇宙を含む領域はどんどん ※ 平坦 ※ になる。(P.215)

 ※Inflation ※→・「宇宙のinflation( cosmic inflation )とは、初期の宇宙が指数関数的な急膨張を引き起こすことに拠り、big bang理論の幾つかの問題を一挙に解決する初期宇宙の進化model。
 Inflation理論では、宇宙は誕生直後の10-36秒後から10-34秒後迄の間にenergyの高い真空(偽の真空)から低い真空(真の真空)に相転移し、このprocessで負の圧力を持つ偽の真空のenergy密度に拠って引き起こされた指数関数的な膨張( inflation )の時期を経たとする。〔本項 ウィキペディア拠り引用〕

 ※ 平坦 ※→・「平坦な三次元空間」とは、正にあなたがimageする通りの空間であり、あなたが現にその中にいる空間そのものである。
 その空間内では、光は直線に沿って進み、直行する軸(x軸・y軸・z軸)は、何処迄行っても直交した儘。
 質量とenergyが存在すれば、その周りの空間は曲がる〔ex.太陽と地球の周りの空間は曲がっている〕。
 しかし、そんな湾曲(←‥宇宙的規模から言えば局所的な曲がり‥)は重要でない。
 重要なのは、宇宙全体という大きなscaleで見た時の空間の構造がどうなっているかなのだ。
 全体としての宇宙は、観測可能な最大scaleで、空間は曲がっていないことが明らかになった。

【小生comment】
 因みに、「平坦な」宇宙 以外には、「閉じた」宇宙 「開かれた」宇宙という考え方がある。
 例えば「閉じた」宇宙は、地球の様な球体をimageすれば良い。
「閉じた」宇宙であれば、平行線は、ある地点(‥地球儀の経度の様に北極と南極‥)で交差し、最終的に自分の後頭部に戻って来る。
 宇宙は、気の遠くなる程広大である為、これ迄「平坦な」or「閉じた」or「開いた」宇宙なのか解らなかった。
 それが解る様になったというだけでも最近の技術進歩は凄い!
 物理学は、「理論の正誤」を「完璧な観測結果」により証明することで成り立つ。
 しかし、宇宙物理学や量子力学の様に、人智を超越するmacroとmicroの世界では、「完璧な観測」が出来ない。
 これが「物理学の限界」でもある。

 我々の宇宙を含む領域がどんどん平坦になるのは、空っぽの空間のenergyに伴う重力的な「圧力」が、負の値を持つから。
「負の圧力」である為、宇宙が膨張するに連れてenergyはどんどん「空間の中に移行」し、空間のenergyは減少することがない。
 そして、inflationが終了する時、空っぽの空間に貯め込まれていたenergyは粒子や放射のenergyに変わり、現在のbig bangの膨張が始まる。
 其処から先の成行きは追跡することが出来る。
 というのは、inflationは事実上、それ以前の宇宙についての記憶を全て綺麗に消し去って仕舞うからだ。
 初めにどんな複雑性や規則性が存在していたとしても、十分なinflationの膨張が起こった後では、綺麗に引き延ばされるか、または今日の地平線の外側に追い出されるか、或いはその両方が起こり、結果として、我々が観測する宇宙は殆ど均一になるのである。
「殆ど均一」と言ったのは、僅かな「密度ゆらぎ」がどうしても残り、それがinflation期に凍りついて、「ゆらぎ」の痕跡を残すからである。
 その痕跡が、inflationの驚くべき第二の帰結となった。
 量子力学の法則から生じた、空っぽの空間の中の僅かな「密度ゆらぎ」が、今日で観測されるあらゆる構造の種となったのである。
 時間が始まって間もないinflationの期に、本質的に何もないものの中で起こった「量子ゆらぎ」から生じたのである。(P.216)

 これ迄の処を纏めると‥
「宇宙は平坦であり、局所的なNewtonの全energyは今日ほぼゼロだという観測結果は、我々の宇宙はinflationの様なprocessと同様、「何もない」空っぽの空間のenergyが、「何か」に転換されることによって生じ、その時期に、観測可能なあらゆるscaleでどんどん平坦になったということを示唆しているのである。
 Inflationのの世界が教えてくれるのは、energyを含む空っぽの空間が、信じられない程大きく、かつ平坦な宇宙に成り得るということ、そして我々が目にするものの全てを、空っぽの空間から作り出すことは可能だということだ。
 Inflationを駆動するのは、energyを含む空っぽの空間なのだが、実はその空間は、「無」なのだと主張するのは不誠実なことだろう。
 空間が存在し、空間はenergyを貯め込めるとすると何が起こるかを計算する為には、一般相対性理論の様な物理法則を使うことが出来るという仮定を設けなければならない。
 Inflationは、宇宙論に於ける「無」という氷山の一角を見せているに過ぎないことが解るのである」。(P.218)〔以下、《会報》次号へ〕

【小生comment】
「粒子」と「反粒子」の存在。多元宇宙論( Multiverse )。2兆年後の宇宙の話‥。
 以下は、次号《後篇》の予告編‥
【第10章/物質と反物質の非対称】
 量子力学と相対性理論に拠れば、物質に対応する反物質は必ず存在し、それ等は打ち消し合う。
 しかし、big bangの最初の状態では僅かな非対称があった。
 それが我々を生んだ。
【第11章/無限の未来には】
 何もない場所から、何かが常に生まれている。
 しかし、恐らく(遥か)遠い未来には「無」が再び宇宙を支配することになりそうだ。

 何か、ゾクゾクしませんか? 楽しそうでしょ!? 次号《会報》をお楽しみに!
 では、また‥。(了)

2014年2月 9日 (日)

【時習26回3-7の会 0485】~「02月01日:豊橋市美術博物館『墨のいろ~monochromeの世界に遊ぶ~』展を見て」「02月06日:洋画家 松井守男 講演会『日仏文化を語る』を聴いて」「02月08日:日帰り社員旅行から『氣比神宮&大通寺』を訪れて」「02月09日:穂の国とよはし芸術劇場 PLAT‥気まぐれconcert20回記念公演『クラリノッティ〔Ottensamer父子trio演奏会〕』を聴いて」

■皆さん、お変わりありませんか。時節は『立春』乍ら、昨日は全国的な大雪でしたが、皆さんのお宅は大丈夫でしたでしょうか。
 今泉悟です。今日も《会報》【0485】号をお届けします。
 まず、掲題・副題にあります様に、「時習26回生卒業40周年記念懇親会 in 京都2014」関連のnewsから‥。
 第1回『案内状』のresponse状況についてですが、今回も前号に続き「■5 宛先不明により返却されて来た11人」のうち、住所が解り再送していた内藤(植島)由美子さん【4】から返事が来ました。
 因みに、内藤さんに連絡がついたのは、内藤さんのclassmate黒柳(鈴川)典子さんから連絡を頂戴したからです。

 〔以下、class順、五十音順、敬称略〕
 ◎1 参加する‥00人/累計61人
 ○2 参加する方向で考える‥00人/累計39人
 △3 まだ先のことなので何とも言えない‥01人/累計47人
 ・内藤(植島)由美子〔幹事さん、ご苦労さまです。懐かしい方々に会えるのは楽しみでもありますが、ちょっぴり勇気も必要ですね。よろしくお願いします〕

 ×4 前年ながら参加できない‥00人/累計54人
 ■5 宛先不明により返却‥〔送付先判明につき〕▲01人/10人
 ◆6 物故者であることが判明‥00人/02人」
【合計】213人
 今回も、新たな同期生からのハガキ・mailはありませんのでクラス別一覧はお休みします。

■さて今日最初の話題です。
 掲題・副題にあります様に、一昨日02月01日 現在、豊橋市美術博物館にて開催中の墨のいろ~monochromeの世界に遊ぶ~』展の模様です。
 本店は、豊橋市美術博物館所蔵展で、郷土画人にみる水墨画展である。

[01]豊橋市美術博物館 入口『墨のいろ~monochromeの世界に遊ぶ~』展 看板
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[02]松林桂月(1876-1963)『蒲萄栗鼠』1936年
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[03]白井烟嵓(えんがん(1894-1976))『雲行雨施』1949年
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[04]中村正義『瀟湘八景~漁村返照』1964年
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[05]中村正義『瀟湘八景~烟寺晩鐘』1964年

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[06]中村正義『瀟湘八景~江天暮雪』1964年
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[07]森緑翠『出漁』1967年
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[08]森緑翠『倫敦寒燈』1982年
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[09]平川敏夫『雪后閑庭』左:1990年
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[10]平川敏夫『雪后閑庭』右:1985年
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[11]平川敏夫『冬日』1994年
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【小生comment】添付写真の絵は、郷土が生んだ日本画家5人の作品である。
 白井烟嵓は、ご存知ない方も少なくない。
 田原藩の家老 渡辺崋山から、椿椿山、渡辺小華と続いた崋椿系南画の系譜は、小華の弟子 白井永川から、その従弟の白井烟嵓へと受け継がれた。
 その白井烟嵓は、更に研鑽を積むべく上京して、椿椿山の孫弟子 松林桂月に師事。彼の作品『雲行雨施』は日展 特選となった彼の代表作でもある。
 中村正義の『瀟湘八景』は、日展脱退後の彼の新しい作風を模索している時代の作品。
 ちょっとふざけた様に見える絵だが、じっと見ていると味わいがあっていい。
 平川敏夫の作品は、本格的な水墨画で、大変高貴な素晴らしい作品である。
 郷土の日本画家の中では、小生、気品ある彼の作品が一番好きである。

■続いての話題は、現在 France Corsica島在住の日本人洋画家 松井守男(1942-)氏の講演会が02月06日豊橋市内のホテルであり、縁あって聴講した。

[12]松井守男画伯
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 彼の作品は、何と表現したらいいか‥。
 ザックリ言えば『抽象画』。米国の抽象表現主義の画家ジャクソン・ポロック(Jackson Pollock(1912.01.28-1956.08.11)の作風に近い。
 2005年の愛知万博の際、仏・独の共同パビリオンに彼の抽象画で壁一杯に展示されていたことを覚えている。
 講演会の内容で印象的だったのは、彼が「郷土豊橋を大変愛している」ということ。
 そして、自分を謙遜して、「自分でも此処までやれたのだから、豊橋に住んでいる若人も私くらいにはなれるから頑張れ!」と若人にyellを送っていた。
 http://www.matsuimorio.net/125031252512501124511254012523.html ←‥松井守男公式サイトご参照

【小生comment】
 松井画伯は、2000年にFrance政府から芸術文化賞、2003年にレジオンドヌール勲章を受章した。
 画伯は、郷土が誇る偉大な芸術家である。

■続いての話題は、昨日02月08日 日帰り旅行の社員旅行で「敦賀氣比神宮&越前蟹を堪能&長浜スクエア〔‥大通寺‥〕」に行って来たことについてである。
 昨日は全国的な大雪の日で、日本海沿岸の敦賀は確り雪が降った一日であった。
 ただ「晴れ男」の小生がいたからかどうか解らないが、関東地区の高速道路の様に不通になることもなく、確り予定通りのcourseを巡ることが出来た。
 添付写真は、敦賀国一宮「氣比神宮」と「大通寺」本堂の外観と阿弥陀堂である。
 越前蟹〔ズワイガニ〕が昼食のmain dish。大変美味しかったことは言うまでもない。!(^-')b♪

[13]氣比(けひ)神宮
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[14]大通寺 本堂
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[15]大通寺 本堂・阿弥陀堂 leafletより
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■今日最後の話題は、今日02月09日 豊橋駅前にある穂の国とよはし芸術劇場 PLATにて開催された‥気まぐれconcert20回記念公演『クラリノッティ〔オッテンザマー(Ottensamer)父子trio〕』の模様である。
 この気まぐれconcertは、地元の小川水産の小川社長が始めたconcertで今回が20回記念公演。

[16]気まぐれconcert leaflet
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[17]Ottensamer父子trio program 表紙
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[18]Ottensamer父子trio program
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 父のエルンスト・オッテンザマー(Ernst Ottensamer)
 1978年 ウィーン国立歌劇場管弦楽団&ウィーン・フィルに入団。
 1983年より首席clarinet奏者。現在は、ウィーン国立音楽大学教授。

 長男 ダニエル・オッテンザマー(Daniel Ottensamer)
 1986年ウィーン生まれ。
 2006年ウィーン国立歌劇場管弦楽団&ウィーン・フィル入団。
 2009年より首席clarinet奏者。

 次男 アンドレアス・オッテンザマー(Andreas Ottensamer)
 1989年ウィーン生まれ。
 2010年よりドイツ・ベルリン交響楽団の首席clarinet奏者。
 現在、ベルリン・フィルの首席clarinet奏者。

【小生comment】
 以上の経歴を見るだけでも凄い!
 現役のウィーン・フィルとベルリン・フィルの首席clarinet奏者の息子二人と、ウィーン・フィルの首席clarinet奏者OBの父によるこの輝かしい父子三人の演奏は期待に違わぬ本当に素晴らしい演奏であった。
 曲目は、添付写真のprogramをご覧下さい。
 PLATの concert 会場が、今日は満席である旨announceがあった。
 ご当地豊橋も文化都市になりつつあるのかな‥とちょっと嬉しい気分になった。

 因みに、encore曲の1曲目は、モンティのチャルダーシュ。
 Ottensamer父子の超絶技巧の演奏ぶりに、ただただ脱帽!
 巧い!
 感動の1時間半であった。

 では、また‥。(了)

2014年2月 1日 (土)

【時習26回3-7の会 0484】~「01月30日:愛知県芸術劇場concert hall『テミルカ―ノフ指揮 サンクトペテルブルグ・フィルハーモニック交響楽団』演奏会を聴いて」「日経新聞 小澤征爾氏の『私の履歴書』を読み終えて」「原口泉『日本に今一番必要な男 黒田官兵衛』を読んで」

■「皆さん、相変わらず寒い日が続いていますね」と言い続けて来ましたら、今日は月が変わって如月。如月は『生更ぎ』とも書き、「草木の更生する意」で春の到来です。愈々明々後日02月04日は『立春』。
 今泉悟です。今日も《会報》【0484】号をお届けします。
 まず、掲題・副題にあります様に、「時習26回生卒業40周年記念懇親会 in 京都2014」関連のnewsから‥。
 第1回『案内状』のresponse状況についてですが、これ迄「■5 宛先不明により返却されて来た12人」のうち、住所が解り再送していた尾関YK夫【5】君から返事が来ました。

 〔以下、class順、五十音順、敬称略〕
 ◎1 参加する‥00人/累計61人
 ○2 参加する方向で考える‥00人/累計39人
 △3 まだ先のことなので何とも言えない‥01人/累計46人

 ×4 前年ながら参加できない‥01人/累計54人
 ・尾関YK夫【5】×〔ご案内ありがとうございました〕

 ■5 宛先不明により返却‥〔送付先判明につき〕▲01人/11人
 ◆6 物故者であることが判明‥00人/02人」
【合計】213人
 今回も、新たな同期生からのハガキ・mailはありませんのでクラス別一覧はお休みします。

■さて今日最初の話題です。
 掲題・副題にあります様に、一昨日01月30日 仕事を終えてから名古屋栄にある愛知県芸術劇場concert hallへ『ユーリー・テミルカーノフ指揮サンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団』演奏会を聴いて来ましたのでその模様をお送りします。

[01]テミルカーノフ指揮サンクトペテルブルク・P.O.演奏会leaflet&テミルカーノフ&庄司紗矢香共演Prokofiev:Violin Concerto No.1 & No.2 のCD〔2014年1月release〕
 01poleafletprokofievviolin_concerto

[02]ユーリー・テミルカーノフ&サンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団
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[03][04]庄司紗矢香
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 曲目は次の2曲。
1. Tchaikovsky : Violin Concerto in D Major Op.35 [Violin] 庄司 紗矢香((しょうじ さやか)1983.01.30-)東京都国分寺市出身
 Encore : Paganini :「『虚ろな心』の主題による変奏曲」よりtheme
2. Mussorgsky / Ravel(arrangement) : Pictures at an Exhibition「展覧会の絵」
 Encore : Schubert : 楽興の時 第3番 / Tchaikovsky「胡桃割り人形」よりパ・ド・ドゥ

 指揮者ユーリー・テミルカーノフ((Yuri Khatuevich Temirkanov)1938.12.10-)はロシア人指揮者(75歳)。
 1977~88年 キーロフ劇場(現マリインスキー劇場)芸術監督/首席指揮者
 1938年以来50年に亘り常任指揮者であったエフゲニー・ムラヴィンスキー((Evgeny Aleksandrovich Mravinsky)1903.06.04-1988.01.19)の後を受けて
 1988~ レニングラード・フィルハーモニー交響楽団(現サンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団)音楽監督と首席指揮者

 小生、テミルカーノフの指揮も、サンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団(レニングラードP.O.時代を含めて)の演奏も初めての体験であった。
 そして、お家芸であるロシアの作曲家による作品2曲を堪能することが出来た。
 サンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団に纏わる想い出というと、旧レニングラードP.O.時代、ムラヴィンスキー指揮に拠るTchaikovskyの後期交響曲No.4~6を、録音が1960年とかなり古いが、今もチャイコフスキーの圧倒的名盤として持っている。このムラヴィンスキーのチャイコフスキーの悲愴交響曲を凌駕する演奏は未だに聞いたことがない。
 一方、庄司紗矢香の演奏は《会報》【0446】にて、2013年05月11日「『大野和士指揮/ウィーン交響楽団(Vn.)庄司紗矢香』演奏会‥演奏曲目:J.Brahms:Violin
Concerto in D-Major Op.77 をご紹介して以来である。彼女の演奏は本当に素晴らしかった。
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【小生comment】
 庄司紗矢香の演奏は、ほぼ完璧! 本当に巧い演奏で感動した!
 1999年 Paganini国際violin concoursで史上最年少(満16歳)、日本人として初優勝。
 以来世界中の一流orchestraと競演して名演を聴かせてくれている。
 あとで知ったことだが、演奏会当日は庄司紗矢香の31歳の誕生日であった。Happy birthday, Sayaka!
 彼女の名演を聴いて改めて思った。
 若手日本人のviolinistの最近の活躍は目を見張るものがある。Berlin P.O. concert master樫本大進(かしもと だいしん(1979.03.27-)然り、五嶋龍((ごとう りゅう)1988.07.13-)然りだ。ホント素晴らしい技量で聴衆を魅了してくれる。矢張り「日本人って凄いよ!」。

 以下は余談‥。(^^;
 世の中はこれもホント狭いものです。
 会場に入ったら、同期(=同い年)の旧友2人に偶然会った。一人が銀行時代の同期の仲間S君。
 そして、もう一人が時習26回生の同期で【1-4】classmateの鈴木Y夫君【3-1】。
 Y夫君から「悟君!」と声を掛けられた瞬間、「あ、何処かで見覚えがあるけれど‥誰だろう?」と一瞬戸惑ったものの、1秒程で思い出すことが出来た。
 だいたいこういう旧友との再会のsituationは大抵いつも、小生が声を掛けられる。小生、視力が悪いからだ。(^^;
 小生からY夫君に「よく僕(‥今泉‥)って判ったね?」と尋ねたら‥、
 現在も蒲郡市在住のY夫君曰く、「(同郷の)安形(S二)君【3-1】から『此処(愛知県芸術劇場concert hall)でちょくちょく悟君に会うよ』と聞いていたから‥」とのこと。
 高校を卒業して40年以上会っていないのに小生のこと良く判別出来たものだとちょっと吃驚したが、嬉しかった。
 小生、若い時から老け顔で、その顔の儘現在に至っている様である。だから〔‥「成長していない」ってことかなぁ‥〕素直には喜べないけれど‥。
 でも、懐かしい一瞬であった。
 別れ際に、06月の「時習26回生卒業40周年記念懇親会 in 京都2014」の返事をまだY夫君からは頂戴していないのでくれる様にお願いをしたら、この件は静かに笑っていた。

■続いての話題は、先月1ヶ月間 日経新聞朝刊に連載された小澤征爾氏の『私の履歴書』が昨日で完結した。
 classic音楽fanには大変興味深い内容の「小澤征爾」伝であった。
 今日は、その中から幾つか引用してご紹介する。

[05]小澤征爾氏
 05

【「征爾」の名前の由来】
②「僕は1935年9月1日、今の中国瀋陽市、旧満州国奉天に生まれた。〔中略〕(おやじが)満州青年連盟長春支部長を務めていた時に関東軍作戦参謀の石原莞爾さんと板垣征四郎さんに目をかけられ、やがて親しく交わる。二人の名前から一時ずつ貰い僕に「征爾」と名付けた。〔中略〕子供の頃は書けなくてよく「征雨」と間違えたものだ。〔後略〕」
【恩師「斎藤秀雄」との出会い】
⑥(成城学園中学3年の時)おふくろは「うちの親戚に指揮者がいるよ」と教えてくれた。おふくろの伯母のおとらさんの息子がチェロ弾きで、指揮もやるという。名前を「斎藤秀雄」といった。おふくろに書いて貰った手紙を持って、一人で麹町のお宅を訪ねたら、うんと怖そうなやせた人が出て来た。手紙を差し出して「弟子にして下さい」と頼んだ。「普通は親と一緒に来るもんだ」とあきれている様子だったが「1年後に桐朋学園の音楽学校を作るから、其処に入りなさい」とのことだった。〔後略〕」
【縁に助けられ日本たつ〔1954年2月〕】〔長文を避ける為、以下〔要約〕する〕
⑨桐朋学園恒例の夏合宿は北軽井沢。その軽井沢駅で偶然成城学園の同期水野ルミ子氏に合った。彼女の父親が文化放送・フジテレビ社長で彼の伝(つて)で渡欧資金の一部を援助して貰ったり、桐朋学園の同期で最初の奥さんになる江戸京子氏の父親が三井不動産社長の江戸英雄氏で氏の支援も貰った。欧州で移動に使ったスクーターは征爾氏の父親の満州時代の同志が用意してくれた。
【France ブザンソン国際音楽祭指揮者concours優勝!】〔要約〕
⑫日本人で初優勝。優勝の翌日、審査員の一人ロリン・マゼ―ル(1930.03.06-)の部屋に呼ばれた。小澤氏より5歳年長に当たる。
⑬更に幾日後、同じく審査員で、当時米国ボストン交響楽団音楽監督のシャルル・ミュンシュに弟子入りを申込み、ボストン響主宰のタングルウッド音楽祭に来るなら教えると言われ、米国行きを決意。
【米国Boston タングルウッド音楽祭でクーセヴィツキー大賞受賞 バーンスタインとカラヤンの弟子に!】〔要約〕
⑭1960年米国Boston市郊外で開催されたバークシャー音楽祭(現・タングルウッド音楽祭)でクーセヴィツキー大賞受賞。Boston S.O.常任指揮者のシャルル・ミュンシュに師事。米国から欧州へ戻った小沢は、カラヤンが弟子をとる為のconcoursを開くと聞き応募して合格、同年10月から弟子として学ぶ。其処で小澤はカラヤンから音楽のディレクション〔=方向性〕の大切さを学んだと回顧している。
【New York P.O.副指揮者】〔要約〕
⑮1961年New York P.O.副指揮者就任。指揮者のレナード・バーンスタインに師事。同年Newニューヨークフィルの来日公演に同行。
【N響と決裂、日本に別れ】⑰
【Operaへのデビュー】〔引用〕
㉑「指揮者にとってOperaとsymphonyは車の両輪」がカラヤン先生の持論。「Mozartは一生の半分はOperaを書いてる。Pucciniなんて95%だろう。Wagnerだってそうだ。Operaをやらないないのはとんでもないぞ」
 そう言って、先生がザルツブルク音楽祭でMozartの「ドン・ジョヴァンニ」を指揮する時、僕にassistantをやらせた。1968年の夏だった。
 翌年7月、僕はザルツブルクでMozartの「コシ・ファン・トゥッテ」を指揮し、Opera debut する。〔中略〕
 初めてOperaを振る僕に助言をくれたのが一昨日亡くなったClaudio Abbado(1933-2014.01.20)だ。一緒に飯を食い乍ら、コツを教えてくれた。「歌い手と一緒に息を取ればいいんだ」。言葉も満足に出来ない僕に、しきりにそう言ってくれた。良い友達を失って本当に悲しい。〔中略〕
 1970年 僕はタングルウッド音楽祭とサンフランシスコ交響楽団の音樂監督に就いた。〔後略〕
【ボストン交響楽団】
㉒1973年サンフランシスコ交響楽団の音楽監督と兼務でボストン交響楽団の音楽監督に就任。1976年からボストンS.O,音楽監督専任。
【斎藤先生逝く】㉔
【サイトウ・キネン/松本での音楽祭 幕開け】㉕
【N響で32年ぶりタクト/昔からの友人〔徳永兼一郎〕も病押し出演】〔要約(一部引用)〕
㉗小澤が「兄貴分というべき人」という2007年に亡くなったムスティスラフ・ロストロポーヴィチから「一緒にN響の音樂会に出よう」「おまえは今、日本でサイトウ・キネンをやっているだろ? なのにいつまでもN響と喧嘩した儘じゃ駄目だ」と説得され、渋々OKした。
 1995年1月23日、サントリーホールで僕は32年ぶりにN響を指揮した。〔中略〕行ってみたら楽しくやれた。Orchestraの演奏も素晴らしかった。〔後略〕
【ボストン交響楽団/理想追い 曲折の29年間】〔引用〕
㉘2002年 ボストン交響楽団の音楽監督を離れた。就任から29年間。米国のorchestraの音楽監督として最も長い在籍期間だ。〔後略〕
【ウィーン国立歌劇場の音楽監督】
㉙2002年1月 ウィーン・フィルニューイヤーコンサートを指揮。日本人で初。同年から2010年迄ウィーン国立歌劇場〔=ウィーン・フィル〕の音楽監督を務めた。

【小生comment】
 以上の通り、小澤征爾氏はclassic音楽界の大指揮者として成長していく過程がよく伝わって来た自伝であった。
 シャルル・ミュンシュ(1891-1968)とカラヤン(1908-1989)とバーンスタイン(1918-1990)の弟子‥と聞いただけで「凄い!」と感動して仕舞う。
 指揮者を目指す者にとったら正に小澤征爾氏は「垂涎の的」を成し遂げた成功者だ。
 世紀の大指揮者達が小澤氏を高く評価していたということは、同じ日本人として、大変誇りに思うし、他人事なのにとても嬉しく感じる。
 自伝の最終回㉚の中で、「3月にはOpera教育のproject『小澤征爾音楽塾』が控えている」と言っている通り、3月19日名古屋の愛知県芸術劇場concert hallにてMozart『フィガロの結婚』が演奏される。小生、今から楽しみにしている。小生、これ迄に『小澤音楽塾』では、ロッシーニ歌劇『セビリャの理髪師』、フンパーディンク歌劇『ヘンゼルとグレーテル』、J.シュトラウス/オペレッタ『こうもり』を聴いたことが懐かしい想い出となっている。

■今日最後の話題は、最近読んだ原口泉『日本に今一番必要な男 黒田官兵衛』をご紹介する。中々面白かった。
 作者の原口泉氏は、1947年生まれ。東京大学文学部国史学科、同大学大学院博士課程単位取得退学。志學館大学人間関係学部教授。鹿児島大学名誉教授。
 原口氏が本書の最後で【今の日本が一番求める人間像】と題して黒田官兵衛を念頭に置いて以下の様に述べている。

[06]原口泉『日本に今一番必要な男 黒田官兵衛』
 06

〔前略〕黒田官兵衛(1546-1604)という人間には、冷徹な計算、戦略、智謀に基づいて行動する「知の人」の部分と、今挙げた長政への遺訓 ※ の様な臣民への配慮」や、時には負けの明らかな敵方へも思い遣りを示す「情けの人」の部分があった。
 全体を通して、そうした事例に数多く触れて頂いた筈であるが、難しい選択の連続だった官兵衛の一生の中で、「序章」で提起した「知」と「情」という相反する能力の統合は、どの程度、窺い知れただろうか。〔中略〕
 「知」だけに溺れない、「情」だけに流されない、対立・矛盾する知と情を統合出来る新たな「合理」という様なものは見出せただろうか。
「こちら立てればあちらが立たず」という現実の世界、権謀術数が渦巻く熾烈な国際社会、〔中略〕和と秩序だけでは律せない現実世界、自分達だけ都合のいい論理を振りかざして難癖を付けてくる近隣諸国に対処するには、この「知」と「情」を統合する「合理」こそが有効手段だろう。
 こういう「原始的」世界で、お人好しの日本、武士道を旨とし、恥を知る日本人が、知らないうちに窮地に陥るのは目に見えている。
 しかし、日本人のレゾン・デートル(仏語 raison d'etre)、存在意義でもあるこれ等の美点を捨てて、この理不尽に立ち向かうのでは、相手の土俵に誘(おび)き出され、「日本」そのものを捨てることになりかねない。
 日本人の美質を維持し乍ら、この難しい局面に対処していくには、強(したた)かに研ぎ澄まされた智謀を以て、冷徹な情報戦略を繰り広げる一方で、あくまでも相手の置かれたそうせざるを得ない国情、窮状に思いを馳せる余裕が必要である。
 敢えて例えれば、これこそが黒田官兵衛の「知と情の統合たる新たな合理」ではないだろうか。自らの誇りや信念、identityを死守し乍ら、理不尽な敵への現実的対処として権謀術数を用いることも必要だろう。
 飛躍する様だが、国家intelligenceの面からも、国家安全保障会議(日本版NSC=National Security Council)等の必要性が見直されて来ているが、当然の動きである。〔中略〕
 日本的intelligenceを、日本人の美質を失わないだけの余裕を持った国家情報戦略と解すれば、官兵衛の「知と情の統合たる合理」と一致する。
 その意味で、矢張り黒田官兵衛は、「今日本に一番必要な男」と言ってもいいだろうと思うのである。(了)

【後記】織田信長(1534-1582)・豊臣秀吉(1536or37-1598)・徳川家康(1542-1616)の三英傑に仕え、軍師として存在感を示し、福岡52万石の礎を築いた黒田官兵衛。
 小生、大好きな人物である。
 官兵衛は、59歳で亡くなるが、小生、昔から彼の辞世の句が好きだった。
 原田氏は、その官兵衛の辞世の句を以下の通り解説しているのでご紹介して今日はお別れしたい。

※ 長政への遺訓 ※
〔前略〕殉死の無益を説いて禁じた。そして、(嫡子 黒田)長政(1568-1623)には、
「自分が死んだら、葬儀は鄭重にしてはならない。仏事や供養に専念してはならない。お前が士を愛し、民を撫で、謹直なものだけを使い、心の曲がった者を避け、弱い者を思い遣り、賢くあり続けることが私への供養である」
 と言った。
 享年59(歳)。辞世の句は、

 おもひおく 言の葉なくて ついに行(いく)
  道はまよはじ なるにまかせて

 官兵衛は、自ら短冊に書き記し、名前を書いて長政に与えたという。
 その持てる智謀の限りを尽くして戦国時代を生き乍ら、時に臣民の利を図り、敵にすら恩情を示した官兵衛は、その晩年、この辞世の句の心境にあった。

「思い残すべき言葉もなくて、終に世を去るけれど、もう迷いはしない。なるにまかせて行くだけだ」―。

 小生も、黒田官兵衛を見習いたい。
 では、また‥。(了)

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