« 2014年5月 | トップページ | 2014年7月 »

2014年6月の5件の記事

2014年6月27日 (金)

【時習26回3-7の会 0505】~「時習26回生卒業40周年記念『懇親会in京都2014』開催報告〔その3(完結編)〕」

■皆さん、お元気ですか?
 今泉悟です。【時習26回3-7の会0505】をお届けします。

 今回は、前《会報》の続き「時習26回生 卒業40周年記念『懇親会in京都2014』」開催報告〔その3(完結編)〕をお伝えして参ります。
 さて、前号では、二日目のoptional tour 東福寺塔頭【光明院】「波心庭」迄お伝えしました。

[01]東福寺塔頭【光明院】波心庭を前に寛ぐ面々01
 0101

[02]同上02
 0202

 ※ ※ ※ ※ ※

 午前中一時小雨がぱらついた曇天だった前日と打って変わり、二日目(06月08日)は好天に恵まれた。
 しかし、却って陽射しがきつく感じられる。
 10時25分 光明院を出発。
 目指すは「伏見稲荷大社」である。
「光明院」山門前の道を南進すること200mの所には、これも東福寺塔頭である「南明(なんめい)院」がある。
 その山門階段下には「徳川家康公正室 旭姫墓 在」と書かれた石碑があった(添付写真[03][04]参照)。

[03]東福寺塔頭 南明院 山門
 03

[04]東福寺塔頭 南明院 山門前に立つ旭姫墓所を示す石碑
 04

「南明院」は、1414年室町幕府第4代将軍足利義持(1386-1428)を開基、臨済宗「東福寺」の僧 業仲明紹(ぎょうちゅうめいしょう)を開山に創建。
 旭姫(1543-90)は、豊臣秀吉の実妹 旭。朝日姫。駿河御前。
 1586年 秀吉に拠り強制的に夫と離縁させられ、徳川家康の継室となる。
 1588年 母・大政所の病気見舞いを理由に上洛。
 1590年 没。晩年は精神を患ったという。本院に葬られる。法名は南明院殿光室王大禅尼。
 江戸時代、家康・秀忠・家光は上洛の都度本院に墓参した。

 事程左様に京都という街は、其処此処に由緒ある史跡が数多存在する。
 一瞬、薄幸な旭姫のことを思い浮かべ歴史浪漫に浸っていたが、直ぐに吾に返った。
 天気が良すぎるのも考えものである。
 兎に角、暑い。
 数分歩いただけなのに汗が出て来る。

 二日目optional tour参加者の幾人から
「この道はきつくない? 大丈夫かな?」と質問されたが、小生は即答した。
「大丈夫。「光明院」から「伏見稲荷大社」迄普通に歩いて15分、ユックリ歩いても20分で着くよ」。
「このrouteは道幅は狭いけど車は滅多に通らない。高低差もあまりないから、それ程きつくないよ」と付け加えた。
 先月17日に中嶋Y君【3-2】と事前に実地踏査しておいてホント良かった。

[05]光明院を出発して伏見稲荷大社へ向かう途中の道標
 05

「南明院」の前を通り過ぎ100mを歩いたら古びた標識がたっていた。
 しかし、案内表示された所迄の距離表示がされていない。
 iPhoneのwalk-navi.で調べたら、「伏見稲荷大社」迄はあと600m程、所用時間は約10分だ。
 我等一行は、北から南進したので、表参道より一本北の参道から楼門も通らずに「外拝殿」→「本殿」へと入って行った。
 時計を見たら10時40分。
「光明院」を出発して丁度15分経っていた。

 たった15分間であるが、予想通り48人の塊は既にバラバラになっていた。
 当大社の訪問目的は「千本鳥居」であるが、流石は日本一の稲荷神社である。
 境内は広大である。
 小生、五月雨式に到着して来る一行から口ぐちに質問を浴びせられた。
「ねえ、あとどのくらい歩くの?」と。
 過去二度訪れた経験が奏功した。
 閃きを感じて、「千本鳥居」の手前徒歩2~3分の所に立ってtour conductorの如く仲間達に以下の様に答えた。
「此処から2~3分歩くと、鳥居が二列に分かれている。
 其処で一方の参道を更に2~3分歩いていくと二列が終わる。
 そうしたら其処からもう一方の参道を戻って来て、此処迄往復丁度10分。
 此処が有名な『千本鳥居』。
 感じがいいから体験してみて!」と。

「伏見稲荷大社」は、同大社の公式サイトに「全国に3万社あると言われる稲荷神社の総本宮」とある。

[06]伏見稲荷大社へ到着
 06

[07]伏見稲荷大社 楼門
 07

[08]楼門に掛る『伏見稲荷大社』額
 08

[09]伏見稲荷大社 外拝殿
 09

[10]外拝殿横より本殿を望む
 10

[11]途中から二列に分かれる千本鳥居
 11

[12]神々しさを感じる千本鳥居
 12

[13]千本鳥居前にて 槇田さん【10】・渡辺さん【7】
 13_107

[14]千本鳥居前にて 太田君【10】・松岡君【5】・丸山君【9】・福井君【9】・吉福さん【6】
 14_105996

[15]千本鳥居前にて 原口君【3】・今泉H君【10】
 15_310

[16]千本鳥居前にて 山中さん【7】・菰田君【7】
 16_77

[17]楼門から第二鳥居 第一鳥居遠望
 17

 稲荷大神のご鎮座は秦(はたの)伊呂巨(具)(いろこ(ぐ))によって711(和銅四)年2月初午の日になったと伝えられる、と当大社は言う。
 秦氏に縁(ゆかり)深い神社である。

 又、当大社には数多くの鳥居があるが、その理由を公式サイトのQ&Aで以下の様に説明している。
 ‥→・願い事が「通る」或いは「通った」御礼の意味から、鳥居を奉納する習慣が江戸時代以降に広がった結果である
    現在は約1万基の鳥居がお山の参道全体に並んで立っている

 1万基とは凄い数である。(^^;
 有名な「千本鳥居」は、その中の一部分でしかない。
 添付写真[11]の「鳥居が二列に並んでいる参道」の所をいう様だ。
 外国人にも人気が高く、人通りが絶える事がない。
 1997年に米国で上梓された米国人作家のアーサー・ゴールデンによる小説『さゆり』を原作とした映画が影響しているかもしれない。
 この映画『SAYURI(Memoirs of a Geisha)』(2005年公開)の中に、主人公のさゆりが少女時代、この千本鳥居の中を走っていく印象的なsceneがある。
 因みに、日本人俳優では、渡辺謙・役所広司・桃井かおり・工藤夕貴 等が出演している。
 
 又、「日本三大稲荷神社」は、第一位が「伏見稲荷大社」であることは論を俟(ま)たない。
 しかし、第二位と三位は異説が種々ある。
 以下の3つの稲荷神社が最有力で定まっていない。
「豊川稲荷神社(愛知県豊川市)」
「笠間稲荷神社(茨城県笠間市)」
「祐徳(ゆうとく)稲荷神社(佐賀県鹿島市)」
 更に、「最上稲荷神社(岡山県岡山市)」「竹駒稲荷神社(宮城県岩沼市)」等があげられることもある。
 以上、余談迄。

 時計を見たら11時丁度。
 最終組と覚しき組が「千本鳥居」を見終わり「本殿」の方へ戻って行くのを確認した小生、殿(シンガリ)の遅れを取り戻すべく京阪本線「深草」駅へと急いだ。
「本殿」→「外拝殿」→「楼門」→「二ノ鳥居」→「一ノ鳥居」と歩いていくと、正面左手にJR奈良線「稲荷」駅が見えた。
 同駅の前を通過して100m程南進、JR奈良線の踏切を渡り西へ50m直進すると琵琶湖疏水が流れていた。
 向かって右手から左手〔=北から南へ〕へと流れる琵琶湖疏水を渡ると同時に左折し南進すること100m‥。
 前方の道端で山中Kさん【3-7】が携帯電話で何か話していた。
 山中さんは小生を見つけるなりこう話しかけて来た。
「スミちゃん(=渡辺Sさん【3-7】)からいま電話で、「(伏見稲荷大社の)境内で待っているけど誰も来ない。どうなってるの?」って‥。
 電話に出てくれる?」。
 小生は、急ぎ電話を借り渡辺さんと話をした。
 そそっかしい小生、「伏見稲荷大社」で自分が殿だと勘違いして、よく確認もせず急ぎ「深草」駅へ向かったのだった。
 結果的に、渡辺さん達が「伏見稲荷大社」境内に取り残されて仕舞った。
 其処で、渡辺さんに非礼を詫びて、表参道を西へ真っ直ぐ、JR「稲荷」駅迄歩いて来てくれる様に頼み、小生も直ぐに迎えに行く旨伝えた。
 幸い小生と渡辺さん達とは、数分歩いただけで「稲荷」駅前で再会うことが出来た。
 水藤君【3-6】も渡辺さんに同道してくれていたのを見て正直安心した。
 この時、伏見稲荷大社から同道した庭山K君【3-3】や今泉H君【3-10】も一緒に付き合ってくれた。
 同期の友情に感謝したい。庭山君、H君どうも協力ありがとう!

[18]深草駅入口近くに架かる深草橋
 18

 上述のhappeningの為最終組は、当初予定の「深草」駅11時11分発の電車には乗れず、次発の11時21分発に乗車した。

[19]中書島駅 platform
 19_platform

 11時34分 最終組が「中書島」駅に到着。
 小生は昼食処の『京の台所 月の蔵人』に電話を入れた。
 予め、『月の蔵人』から、「中書島」駅についたら電話が欲しいと言われていた。
 小生の方も伝えなければならないことがある。
 予約席数が当初の45人から59人へと14人も超過していることについてである。
 電話を入れたら、案の定、悪い結果が待っていた。『月の蔵人』担当者曰く‥
「席数は、予約部屋席数は51人が限界。それに別部屋に2席の総計53人が限界。
 あと6人はどうしても受け入れられないので別の店を紹介する。
 当店から徒歩数分の所に『栞屋』という店があり今からでも予約出来る」とのこと。

 あとで詳細を聞くと、その日はいつになく老人会を中心に予約者数が増えたという。
 MAX80人収容出来る大部屋は、我々の追加2席を含め予約で満席となっていた。
 改めて事前「予約」の大切さを思い知らされた。

 已むを得ないので、6席分を『栞屋』で予約を取って貰った。
 丁度その時、先発隊の中嶋Y君【3-2】から『月の蔵人』に到着した旨の電話が入った。
 直ちに小生から、中嶋君に以下の様に伝えた。
「6人どうしても『月の蔵人』での昼食が摂れない。
 店から徒歩数分の所にある別の食事処を予約して貰ったが、其処に行って貰う6人を決めないといけない。
 悪いけど、貴兄と小生、そして水藤君の3人は『栞屋』にしよう。
 問題は、あと3人の選抜をどうするかだ」。

 其処で、中嶋君・水藤君と共にいつも相談していた井垣K君【3-3】に電話を入れ相談した。
 井垣君は、車で彼を含め6人の仲間と一緒に既に『月の蔵人』に到着していた。
 その井垣君がこう言って提案してくれたのである。
「僕ら6人は昨夜申し込んだ訳だから、我儘言った僕らが『栞屋』へ行くよ。
 そうすれば丁度いいんじゃないか?」と。
 そうして、井垣君が5人の仲間を説得してくれた。
 その5人の中に、豊橋支部幹事の安井K君【3-8】もいて直ぐ賛同してくれた。
 そうして、6人が『栞屋』ゆきを了解してくれて、食事処を変更し移動くれたのである。
 あとの4人の皆さんとは、【3-7】のclassmates竹内T君と平井K君、【3-8】の杉浦H君と野末T君である。
 井垣君をはじめ6人の皆さん、本当にご協力ありがとう!

 別室の2席は、MAX80席の大部屋の一隅に2席用意して貰い、水藤君と小生が食事を摂った。
 これで漸く残り51の皆さんが一堂に会して食事が摂れたという次第である。
 尚、二日目のoptional tourの会計担当は、水藤隆詳君が一切を引き受けてくれた。
 水藤君、ホント有難う!

[20]月桂冠 大倉記念館付近の情景
 20

「中書島」駅から北上して『月の蔵人』へ向かう途上、『月の蔵人』の200m手前に『月桂冠大倉記念館』がある。

[21]京の台所 月の蔵人 入口
 21

 我々53人が食したのは「蔵人(くらびと)御膳」。
 消費税込み1,652円。
 手作り豆腐を原塩ほかにつけて食べると大変美味。
 自家製の豆腐以外は、毎月内容が変わる、見た目も綺麗で品数も豊富、味も良い。
 大変お値打ちで美味しいsetである。
 当店は、水藤T君が、従前から推奨してくれていた店で、値段もreasonable。
 其処で、計画の早い段階から二日目の昼食処は此処『月の蔵人』にしようと決めていたのである。
 二日目のoptional tourの昼食処探しには正直苦労した。
 2年前から、中嶋君と「嵐山『渡月亭』」や「東山南禅寺近く『菊水』」等、試食したみた。
 いずれも、味はいいが、値段が高価過ぎるのだ。
 昼食だけで3,700円~4,000円もする。
 これでは、「懇親会in京都2014」の総予算が膨れ上がって仕舞う。

 何とか割安で、京都の美味しい食事処はないかと腐心し続けていたのである。
 そうして閃いたのが、『京都市街から外れた食事処』と『観光名所』を組み合わせること。

 そんな折、水藤君が『月の蔵人』を推奨して紹介してくれたのである。

 先月17日 二日目optional tourについて、time scheduleの観点から最終事前踏査を実施した。
「念には念を!」と、中嶋Y君に無理を言って同行をお願いした。
 そして、中嶋君と実際に食してみて、「これで良し!」と納得し確信した。

「懇親会in京都2014」の参加者が確定した今月初時点で、予約した席数MAX48人、
実際の申込者数45人。
 ほぼ理想的な予約席数と申込人数に収まった筈だった。

 二日目tourに参加してくれた澤田Iさん【3-4】からも、懇親会直前に電話でお話する機会があった折、『月の蔵人』について太鼓判を貰っていた。
 曰く、「『月の蔵人』を選択したことは正解。私も此処を利用して納得しているのよ」と。

[22]昼食 蔵人御膳
 22

[23]昼食風景01
 2301

[24]同上02
 2402

[25]同上03
 2503

[26]同上04
 2604

[27]同上05
 2705

[28]同上06
 2806

 11時30分~13時30分の二時間を事前予約しておいて正解だった。
 上述の大きな二つのhappeningがあったので、実際に食事がstartしたのは正午少し回った処だった。

 今回は、榊原T君【3-1】が小生と共にcamera manを引き受けてくれて本当に助けて貰った。
 今回の「懇親会in京都2014」で、これ迄に皆さんに提供したsnap shotsの多くは彼が撮影してくれたものが多い。
 この添付写真の昼食風景も全て榊原君の撮影である。
 榊原君、ホントご協力ありがとう!

 時計は13時を回っていた。
 中締めの時間が近づいて来た。
『二日目のoptional tour』を、何とか成功裏に締めたい。
 その為には、井垣K君達にも一緒に中締めに参加して貰わなくては‥と、彼に電話を入れて頼んだ。
 井垣君が即座に「わかった。そっちへ行くよ」と快諾してくれた。
 13時20分過ぎ、『栞屋』で食事を摂ってくれた6人の仲間が『月の蔵人』に戻って来てくれた。

『二日目optional tour』参加者59人全員が揃った処で中締めである。
 締めの前に、時間に余裕ある人は、当伏見地区で散策するを薦め、以下の観光名所を紹介した。
「黄桜記念館」→「寺田屋」→「(戊辰戦争)伏見口の戦激戦地跡」→「十石舟乗場」→「月桂冠 大倉記念館」と巡るcourseである。

 13時30分 当初予定時間に小生の音頭に拠り三本で締めた。

 これで「懇親会in京都2014」は一応お開きとなった。
 此処からは、希望者達に拠る、この「伏見酒蔵群」&「戊辰戦争緒戦史跡」散策である。

 小生が先導する一団は、まず「黄桜記念館」をざっと覗き、続いて「寺田屋」を巡った。
 坂本龍馬が、彼の婚約者お龍(りょう)の機転で間一髪逃亡出来たことで有名な船宿「寺田屋」である。

[29]寺田屋
 29

 寺田屋を後にして、橋の袂にある「伏見口の戦い激戦地跡」石碑をさっと見た。
 そして、橋を渡り左折して南東に向かった。
 左手下に宇治川派流とその向こう岸に伏見酒蔵群を見乍ら散策した。
 すると、十石舟の遊覧船が川上の左手前方から下って来た(添付写真[30])。
 更に、川辺りを300~400m歩いて行くと、左下の川の向こう岸に「十石舟の乗船場」が見えた。
 そして、乗船場の直ぐ東側にある橋を渡って北上すること70~80m。
 左手に「月桂冠 大倉記念館」があった。

[30]宇治川派流を往来する十石舟
 30

「月桂冠/大蔵記念館」は、入館料300円を受付で支払うと、係員が「車運転されますか?」と尋ねた。
 勿論、車を運転しないので、「車ではありません」と答えたら、入館ticketと共に「月桂冠上撰」の一合徳利をお土産にくれた。
 日本酒好きの間では、「月桂冠/上撰」は毎日飲む普及版としては最も美味しい酒の一つとして人気の高い銘柄である。
 勿論、小生も大好きである。(^^

[31]月桂冠大倉記念館の前にて01
 3101

[32]同上02
 3202

「月桂冠/大蔵記念館」を見終えて参加者全員の記念撮影をした。
 そうしたら、突然、福井E君【3-9】から次の様に強い要望があった。
「おい、今泉。さっき言っていた『戊辰戦争の激戦の地』って俺見てないぞ。
 見たいなあ!」と。
 先刻「伏見口の戦い激戦地跡」石碑近くを通った時、全員が見ていた訳ではなかった。
 時間に余裕があったので、もう一度見に行くことにした。
 そうしたら水藤君から提案があった。
「どうせ又見るのなら、今度は橋の下に降りて川辺りを散策し乍ら『石碑』迄行こうよ!」と。
 その川辺りを散策しているsnap shotが[33]である。

[33]宇治川派流河畔を散策し乍ら戊辰戦争緒戦「伏見口の戦い激戦地跡」へ向かう
 33

 梅雨の季節の代表的な花、紫陽花(アジサイ)が可憐に咲いていた。
 小生は、浅葱(あさぎ)色の紫陽花の花の色が昔から大好きである。
 此処で小生、virtual realの世界だが、拙句を心の中でひとり詠じていた。

 紫陽花の 浅葱が映ゆる 貴女かな  悟空

 皆とたわい無い話で楽しみ乍ら歩いていくこと数分。
 目的の史跡『伏見口の戦い激戦地跡』の石碑に辿り着いた。

 以下は、幕末に於けるこの伏見地区の歴史についての余談である。

【寺田屋事件】
 寺田屋事件というと、実は幕末に2つある。
 場所は、同じこの「寺田屋」である。
 1回目:1862(文久02)年 薩摩藩尊皇派等の鎮撫事件
 2回目:1866(慶応02)年 伏見奉行による坂本龍馬(1836.01.03-1867.12.10)襲撃事件

【戊辰戦争の緒戦〔鳥羽伏見の戦〕】
 1868(慶応04年01月27(03)日-1868(慶応04)年01月30(06)日)
 旧幕府軍・会津・桑名藩兵と薩長の新政府軍との戦
《経緯》
 ①《大政奉還》1867(慶応03)年11(10)月09(14)日
  徳川幕府第15代将軍徳川慶喜が政権返上を明治天皇に上奏
  翌10(15)日に天皇がこれを勅許した
 ②《王政復古の大号令》
  1868(慶応03)年01(12)月03(09)日
  1. 1867(慶応03)年11(10)月19(24)日に徳川慶喜が申し出た)将軍職辞職を勅許
  2. 京都守護職・京都所司代の廃止
  3. 幕府の廃止
  4. 摂政・関白の廃止
  5. 新たに総裁・議定・参与の三職をおく
 ③《小御所(こごしょ)会議》
  上記②を踏まえ、同日1868(慶応03)年01(12)月03(09)日夕刻 京都の小御所で行われた国政会議
  同日に発せられた王政復古の大号令で、新たに設置された三職(総裁・議定・参与)からなる最初の会議
  この会議で、徳川慶喜の官職(内大臣)辞職&徳川家領の削封が決定された

 上記歴史的経緯を踏まえ、これに不満を爆発させた旧幕府方が挙兵。
 鳥羽・伏見で薩長軍と交戦し、戊辰戦争の発端となった。
 この戦は、旧幕府軍 兵15,000、新政府軍 兵5,000と兵力で圧倒的に勝る旧幕府軍が大敗。
 爾来、戊辰戦争は討幕派の優勢が確立した。

[34]「伏見口の戦い激戦地跡」石碑前にて01
 3401

[35]同上02
 3502

 此処の史跡は、一年前の05月18日に豊橋支部幹事有志の面々と訪れている。
 昨年は、大河ドラマ「八重の桜」が放映されていた。
 それ故、その時は「八重の弟 三郎が新政府軍と戦った場所〔‥→戦で負傷し、搬送先の江戸で落命〕」として注目度が高かった。
 が、一年経つと流石に関心が薄れ、昨年の様には感動的に心に迫って来ない。

【後記】最後の集合写真は14時半過ぎだった。
 我々は、この『伏見口の戦い激戦地跡』石碑から、帰路に就いた。
 徒歩で北東へ十数分いくと、京阪本線「伏見桃山」駅。
 水藤君・榊原君・林さんと小生は、荷物を置いてある「鶴清」へ戻る為にこの駅から「清水五条駅」迄乗った。
「京都」駅に直行する人達は、「伏見桃山」駅から同じ「大手筋通」を東へ100mの所にある近鉄「桃山御陵前」駅から乗車した。
 我々は15時半頃「鶴清」に到着。
 荷物を持って、水藤君の車に乗せて貰い、帰途についた。
 慌ただしい二日間であったが、それなりに充実した「懇親会in京都2014」であった。

 ※ ※ ※ ※ ※

「懇親会in京都2014」終了後、多くの皆さんから慰労のmailを頂戴しました。
 この場を借りまして、心より御礼申し上げます。

 ※ ※ ※ ※ ※

 最後に、「懇親会in京都2014」想い出の一首を拙い歌ですがつくってみました。
「詞書」以下、ご笑覧下さい。

【詞書】卒業40周年記念懇親会を古都京都で開催した
 懐かしい友との語らいは本当に楽しいひとときであった
 その友の笑顔の笑い皺の中に、これ迄の人生を生き抜いて来た「矜持」と「苦労」が確りと刻まれているのを見た
 来年我々は愈々還暦を迎える‥

 あしびきの 山しろの国 京の街 六十路(むそじ)を前に 友と語りぬ  悟空

※ あしひ(足引)きの : 山(峰)にかかる枕詞

 では、また‥。(了)

2014年6月22日 (日)

【時習26回3-7の会 0504】~「時習26回生卒業40周年記念『懇親会in京都2014』開催報告〔その2〕」

■皆さん、お元気ですか?
 今泉悟です。【時習26回3-7の会0504】をお届けします。

 今回は、前《会報》の続き「時習26回生 卒業40周年記念『懇親会in京都2014』」開催報告〔その2〕をお伝えして参ります。
 さて、前号では、木屋町五条上ルにある「鶴清」での懇親会一次会が終わり、四条河原町にある二次会会場beer hall「ミュンヘン」に辿り着いた処迄お伝えしました。

 ※ ※ ※ ※ ※

 今回の「懇親会in京都2014」の二次会設営の一切を担当したのは中嶋Y君【3-2】。
 彼は、二次会を確り成功に収めることを彼自信に課せられた最大のmissionと心に誓い真剣に準備を進めてくれた。
 この場を借りて中嶋君の尽力に心より感謝申し上げたい。

 一次会会場の「鶴清」は21時半迄居てもいいと事前に鶴清から了解を得ていた。
 一方、二次会会場の「ミュンヘン」は鶴清から北へ800m徒歩10分ちょっとの所にある。
 20時半過ぎから二次会へ行く人達も含め三々五々各時の目的地へと散っていった。
 お昼頃迄ぱらついた雨もすっかりあがっていた。
「高瀬川沿いを旧友達と談笑し乍ら歩いていくのも何だか絵になるな‥」と、独り悦に入っていた。

「三々五々‥」と言っても、80人という人数結構な数である。
 皆、文句も言わず笑顔で語らい乍ら二次会会場「ミュンヘン」を目指した。
 同期生の高揚感がヒシヒシと伝わって来た。
 一次会参加者が98人だから、二次会へは実に8割強の同期生が集ってくれたことになる。
 懇親会幹事としてこんな嬉しいことはない。
 中嶋君の喜びが如何に大きいものであったか小生にも確り伝わって来た。
 中嶋君二次会の取り纏め‥、本当に見事だった!(^-')b/

「二次会」は、参加予定者数60人を20人も大幅超過する大盛況となった。
 此処で事務的なことを言うと、些事乍ら問題が生じた。それは‥
「二次会」参加者数が「ミュンヘン」の発表した人数が80人であるのに対し、集まった会費総額は77人分。

 二次会会費3千円は、一次会受付時に徴収した。
 しかし、参加者の高揚感は収まらず、二次会参加者が急遽幾人かいた。
 ところがその正確な人数が解らないのだ。
 事実としては、二次会会場でも会費を集めたのを含めて、「最終的に中嶋君に手交した会費総額は77人分」ということ。
 実際の参加者が77人で、「ミュンヘン」側の参加者数のcount数80人に誤りがあったのか?
 或いは、実際の参加者は80人だったが会費を支払ったのが77人〔=未払者が3人いる〕なのか?
 今となっては、真偽の程は解らない。
 何せ「当日参加表明者大歓迎!」の「二次会」である。
 酒も沢山飲んで酔いも回っている。
 中嶋君の交渉で、二次会会場「ミュンヘン」も77人分の会費金額で二次会の代金を了解して領収証を発行してくれている。
 拠ってこれ以上細かい処は追及しないこととする。

 以下は後日談である。
「懇親会in京都2014」が終了した06月12日(木)夕刻7時、中嶋君が拙宅に会計報告に来てくれた。
 中嶋君の「懇親会in京都2014」に係る会計報告の一切を監査した際、件(くだん)の「ミュンヘン」での会費の件で説明を受けた。
 彼曰く、「『ミュンヘン』の店長が77人分の会費でOKですと言って領収証もくれた」と。

 会計監査をした小生、以下の様に結論づけた。
 二次会参加者は80人。
 会費は「ミュンヘン」の計らいで3人分負けてくれ、77人分の料金にて決着。

 因みに、二次会「ミュンヘン」が発行した当該領収証は現在小生の手許にある。
 以上余談迄‥。
 以下の「ミュンヘン」での同期生のsnap-shotsをご覧下さい。
 誰が誰だか解りますでしょうか?(^^;

[01]「ミュンヘン」でのsnap shot 01
 01snap_shot_01

[02]同上02
 0202
 
[03]同上03
 0303
 
 小生、懇親会一次会では、参加者一人ひとりに参加の御礼をすべく麦酒を次に回っている途中で一次会が終わって仕舞った。
 故に殆ど何も食べていなかった。麦酒を逆に飲まされて酔いだけが身体中を回っていた。
 添付写真に載ってなくて残念だが、大学の学部の同期でもあった有留Y君【3-6】との再会は懐かしかった。
 彼とは、bubbleが最高潮だった平成元年の秋、お互いに東京在住だった頃、東京の大手町で大学学部の同級生と再会し一献傾けて以来である。
 実に四半世紀ぶりの再会であった。
 実に懐かく、楽しいひとときだった。

 二次会「ミュンヘン」は21時20分から23時30分まで。
 23時00分迄がlast orderだった。
 小生は、「鶴清」宿泊組。
 鶴清から「入浴は23時半迄に入り午前零時には上がって欲しい」と言われていた。
 だから大変名残惜しかったが、22時50分頃に「ミュンヘン」をあとにした。
「鶴清」帰着後は、入浴を済ませ同室者の二人と少し談笑したあと就寝。
 同室は、【3-4】の二人、金子T君と前田M君だった。
 小生、金子君とは高校時代は面識なかった。
 が、豊橋に帰郷後、中嶋Y君【3-2】の紹介で、数年前から親しくさせて頂いている。
 爾来、年一回の成人病予防健診は、彼が院長を務める病院でお世話になっている。
 前田M君とは、旧【1-4】のclassmateである。
 彼は静岡県の今は浜松市になっている三ケ日から通学して来た。
【2637の会】の二橋Y君と同郷だったと記憶している。
 高校卒業後、正に40年振りの再会だったと思う。
 15年前の卒業25周年の時習館高校OB総会でも再会していなかったと思うが、今となっては記憶は定かでない。

 ※ ※ ※ ※ ※

《二日目optional tour》

 二日目は04時半起床。
 07時00から入浴時間だったが、06時50分に試しに行ってみたら既に開いていた。
 07時30分から朝食。
 鶴清の朝食は、品目は普通だったが、一品一品味に工夫があってとても美味であった。

[04]朝食会場となった2階宴会場での朝食風景
 04

[05]二日目optional tourについて説明する小生
 05optional_tour

「二日目optional tour〔【東福寺】→【光明院】→【伏見稲荷大社】〕」参加者の当初予定人数は、昼食処へ直行組5人を除き40人。
 ところが此処でも昨日の二次会参加者と同様、嬉しい誤算が生じた。
 昨日の一次会の最中、伊藤A君と太田N君(共に)【3-10】からoptional tour参加表明があった。
 加えて、二次会「ミュンヘン」にて、井垣K君【3-3】から「明日のoptional tour6人追加で申込む」とofferがあった。

 08時30分 optional tour集合時間になったら、更に5人参加申込があった。
 菅沼N君【3-2】・庭山K君【3-3】・天野(山本)Yさん【3-3】・原口Y君【3-3】・中島K君【3-5】の各氏である。
 菅沼君・原口君・中島君の3氏が「鶴清」泊組、庭山君が「京都リッチホテル」泊。
 天野さんに至っては「懇親会のみ参加」‥即ち、「日帰り組」に登録されていたのであるが‥。
 兎に角、こういう大変嬉しい誤算なら大歓迎だ。
「でも待てよ!? 昼食処『月の蔵人』の予約人数MAX50人を8人も超過してホント大丈夫かな?」という不安が脳裏を一瞬過(よぎ)った。
 ただ天性の楽観男である小生‥「まぁいいか、何とかなるだろう」とその時点では考えていた。
 何となれば、先月05月17日(土)に中嶋Y君【3-2】と事前の最終事前踏査で『月の蔵人』収容人数を確認してあったからである。
『月の蔵人』には、MAX50人の個室の他にMAX80人収容可能な一般席がある。
 中嶋君と一緒に訪れ昼食を摂った日は、日曜日ではなく土曜日であった。
 が、ほぼ同じ時間帯で空席が幾席かあることをこの眼で確めてあったから、「多分大丈夫だろう」という確信に近いものが小生にあったからだ。

 これで、二日目optional tour参加者は当初45人→58人へと大幅増加になった。
 水藤君の車に乗せて貰って一緒に帰る、榊原君と林Kさんと小生の4人は、最後に「鶴清」に戻って来ることとし、「鶴清」に荷物を預けた。
 我等以外にも「鶴清」に荷物を預ける人達が沢山いた。

 08時45分 出発時間になったが、昨夜「ミュンヘン」で参加表明してくれた井垣君等6人の面々が現れない。
 彼等は、幹事が手配した「鶴清」&「京都リッチホテル」ではない。
 二日目optional tourの団長でもある小生は決断した。
「井垣君達は、確か移動は車だったので後から追って来るだろう。
 時間の制約もありやむを得ない。出発しよう」と。

[06]「鶴清」をあとにして、二日目optional tourへ「さぁっ出発だ!」
 06optional_tour

「鶴清」から南東へ歩いて2~3分の京阪電車「清水五条駅」の改札に入った。
 其処で吃驚することが起きた。
 何と、改札口に槇田(大須賀)Hさん【3-10】が居たのである。
 そして彼女曰く、「今からでも旅行参加していい? 参加したくなってどうしても来ちゃいました!」と。
 小生即座に、「いいよ! 是非参加してoptional tourを楽しんで下さい」と応えた。
 悪い訳がない。即座に小生快諾した。
 実際に、この様に彼女に言葉を返したかどうかは忘れて仕舞ったが、少なくともそういう気持ちを込めて返答した。
 でも、ホント正直驚いた。
 彼女は、第一回目の挨拶状で「欠席」表明されていたので、第二回目の詳細な「案内状」も出状していなかったのだ。
 でも小生、内心「驚愕」から一変!「欣喜雀躍」して次の様に思った。
「これで、東福寺駅で合流してくれる牧野M君【3-7】と合わせ『懇親会in京都2014』は遂にjust「THE100人」達成したぞ!」と。
 そして又不安が過った、「待てヨ、これで今日のoptional tour参加者は59人になった。『月の蔵人』の席数は大丈夫かな? えいっ、儘ヨッ」。

 08時52分 予定通りの時間に「清水五条」駅発
 08時55分「東福寺」駅着 定刻通り到着すると、牧野M君【3-7】が約束通り待っていてくれた。
 ホント嬉しかった。
 これで現状optional tour参加者は48人。
 その大勢がゾロゾロと東福寺迄歩くこと10分弱。

※ 東福寺は、臨済宗東福寺派本山。
 京都五山第四位。
 開基は九条道家(1193-1252)。摂政九条良経(1169-1206)の長男。
 九条家は、一条・二条・近衛・鷹司と並ぶ五摂家の一つ。
 藤原氏嫡流 藤原道長→頼通→師実→師通→忠実→忠通→【九条(=家祖)】兼実(149-1207)→良経→道家
 道家の大叔父(=祖父兼実の同母弟)に「愚管抄」を著した天台座主 慈円(1155-1225)がいる

 小倉百人一首では九条良経は、「後京極摂政 前太政大臣」として91番〔『新古今和歌集』秋下518〕に、
 同じく慈円は、「前 大僧正慈円」として95番〔『千載集』雑中1137〕に、取り上げられている。

 91 きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろの 衣かたしき ひとりかもねむ
 95 おほけなく うき世の民に おほふかな わがたつ杣(そま)に 墨染(すみぞめ)の袖

 因みに、京都五山は、別格最上位:南禅寺、第一位:天龍寺、第二位:相国寺、第三位:建仁寺、第五位:萬壽寺である。
 初日のoptional tourで訪れた鹿苑寺 金閣は、京都五山第二位 相国寺の塔頭寺院である。
 尚、第五位 萬壽寺は、東福寺の塔頭寺院で現在非公開となっている。
 以上余談迄‥。

 最初に向かったのが「臥雲橋」である。
 此処からの「通天橋」遠望が絶景である。
 秋の紅葉seasonは、此処は「東福寺」駅からTAXI以外は乗入禁止になる程混雑するのだが、新緑の季節は正に「穴場の『絶景』」が見られる。
「緑」が実に美しい。
 この「臥雲橋」は、参加者48人が全員一緒に取れるだけ幅は広くないので、已むを得ず4回に分けて撮影した。

[07]「臥雲橋」から「通天橋」遠望
 07

[08]「臥雲橋」から「通天橋」をbackに01
 08back01

[09]同上02
 0902

[10]同上03
 1003

[11]同上04
 1104

 次に向かったのが、その遠望した「通天橋」そのものである。
 時間があれば、「通天橋」を渡り切ったら、更に奥の「開山堂」を見るのが定番である。
 しかし、今回は時間がないので省略して新緑の楓林を見乍ら、その儘「方丈庭園」へと向かった。
「方丈庭園」は、昭和の庭師として著名な重森三玲(1896-1975)が1938(昭和13)年に作庭した。

[12]東福寺『方丈庭園』「八相の庭」から「蓬莱」「壷梁(こりょう)」「方丈」「五山」を望む
 12

 彼の作庭した庭には、この「方丈庭園」の他、この後訪れた、東福寺 塔頭「光明院」の庭『波心庭』がある。
 又、昨夏7月13(土)~14(日)に訪れた高野山の宿坊「福智院」の庭の『蓬莱遊仙庭』『愛染庭』『登仙庭』は、彼の遺作として有名である。
 2013年7月21日付【時習26回3-7の会 0455】
 http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/26-0455071314-8.html ←此処をclickして下さい

 小生は、みんなが「方丈庭園」を見ている時間を使って、一人「宗務本院」へ向かった。
 母校時習館高校18回生の先輩で、東福寺宗務総長という重職を務められている亀山琢道禅師に挨拶する為である。

 亀山禅師については、時習26回生東京支部の織田(亀井)Mさん【3-2】と吉福(小出)Yさん【3-6】から、従前次の様な助言があった。
「東福寺を訪れるのなら、時習18回生の先輩が同寺の重職に就かれているので挨拶した方がいい」。
 当初のoptional tourのscheduleでは、「臥雲橋」と「国宝 三門」の二箇所で記念撮影するだけの時間配分しか設けていなかった。
「亀山先輩に直接お会いして挨拶する時間がない。ついては、代わりに予め挨拶状を出状する」こととし、実際に05月12日に出状した。

[13]亀山禅師宛に出状した挨拶状01
 131

[14]同上02
 142

[15]同上03
 153_2

[16]亀山琢道禅師
 16

 そうしたら、05月17日(土)夕刻嬉しいhappeningが起きたのである。
 その日は、《会報》【0499】号にて、中嶋君と二人で二日目のoptional tour の計画した時間通りに事前踏査を終え15時半頃帰宅した。
 その1時間半後の17時過ぎのことであった。
 前触れもなく、亀山琢道先輩が拙宅を訪れて下さったのである〔添付写真[16]参照〕。
 そして、ご厚情を賜ったのである。
「06月08日は丁度自分は東福寺にはいないので申し訳ないが‥」というお言葉を添えられて‥。
 此処の詳細は、以下を参照願いたい。
 2014年5月18日付【時習26回3-7の会 0499】~「05月17日:卒業40周年記念懇親会in京都2014/二日目optional tour事前踏査実施報告」
 http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog/2014/05/26-049926402res.html ←此処をclickして下さい

 因みに、亀山先輩が重職を務められている「臨済宗東福寺派 臨済寺」は豊橋市東田にある。
 亀山先輩は、『茶道宗偏吉田流』の家元でもいらっしゃる。
 この流派の起源は、1645年 豊後国杵築(きづき)藩(大分県杵築市)から移封され吉田藩(4万→4万5千石)藩主となった初代小笠原忠知(ただとも(1599-1663))時代。
 忠知が茶の湯の千宗旦四天王の山田宗徧(そうへん(1627-1708))を召抱えたことに端を発した 宗徧流茶道の一派『茶道宗偏吉田流』の本部が当寺にある。
 宗偏の命日4月2日に因み1月と8月を除く毎月2日にお茶会を開催している。
 茶道『宗偏山田流』については、以下のURLをご参照下さい。
 http://www16.ocn.ne.jp/~sadou/index.htm ←此処をclickして下さい

 事前に亀山先輩から、この日は不在であることを伺っていたので、豊橋名産の菓子、若松園の「黄色いゼリー」を御礼の手土産としてお届けした。
 この「黄色いゼリー」は、井上靖著「しろばんば」に出て来る菓子である。
「若松園」の公式サイトの中の紹介記事に次の様に紹介されている。

※ 文豪が愛した、言葉では表せない味 「しろばんば」の黄色いゼリー ※
『スプーンを入れるのが勿体ないように、洪作にはそれが美しく見えた。口に入れると溶けるように美味しかった』
 明治40年に生まれた文豪・井上靖(1907.05.05-1991.01.29)は、小学校へあがる前、軍医だった父が働く豊橋を訪ねている。
 そのときに食べた若松園のゼリーに感動して、自伝的小説「しろばんば」に当時のエピソードを細かく描写した。
 少年のみずみずしい感性がほとばしる一節に、どれだけの読者が黄色いゼリーを夢見て、憧れたことだろう。
 若松園は井上靖生誕百年を数えた平成19(2007)年、井上靖文学館の要望により幻のゼリーを復活させた。
『日向夏の生果汁』を贅沢に使い、試作を重ね誕生した「黄色いゼリー」は、多くのファンに感嘆をもって迎えられ、たちまち豊橋の新名物となった。
 http://wakamatsuen.net/image/chigirinews.jpg ←此処をclickして下さい

[17]手土産に持参した豊橋名産の菓子、若松園の「黄色いゼリー」
 17

 亀山先輩のご厚情にお応えしないと却って失礼になる。
「scheduleがtightになるが、拝観しないのでは勿体ない」ということで急遽「方丈庭園」と「通天橋」をscheduleの中に入れた。

 09時55分「方丈庭園」を見た後向かったのが、国宝「三門」である。
 1425(応永32)年 第4代将軍足利義持が再建。現存する禅宗寺院の三門としては日本最古のもの。
 この三門をbackに参加者全員の記念撮影をした。
 三門の下に全員並んで、池越えに撮影した。
 三門が如何に大きく、人間が如何に小さいかがおわかり頂けると思う。

[18]国宝 東福寺「三門」前にて全体写真01
 18_01

[19]同上02
 1902

 撮影を終わって時計を見たら09時57分。
 当初のscheduleでは、09時20分に「東福寺」を出発していることになり37分の遅れである。
「通天橋」と「方丈庭園」の2箇所の拝観が加わって30分遅れであれば、伏見稲荷大社の所で何とかなるからまずまずの進捗だ。
 次に向かったのが、この「三門」から南へ200m程行くと、東福寺塔頭「光明院」である。
 1391年建立。通称『虹の苔寺』。
 方丈前に広がる庭園『波心庭』は、白砂と苔の間に石を並べた池泉式の枯山水。
 前述した通り、東福寺の『方丈庭園』と同じく、昭和の庭師 重森三玲の作庭に拠る。
 この「波心庭」は何回見ても美しい。

[20]光明院「波心庭(はしんてい)」を前に寛ぐ時習26回生の面々01
 202601

[21]同上02
 2102

[22]同上03
 2203

【後記】この続きは、次回《会報》をお楽しみに!
 一年前2013年05月19日(日) 豊橋支部幹事members各位と事前踏査した時に訪れた「光明院」で詠んだ拙歌をご紹介して今日はお別れしたい。

【詞書】光明院「波心庭」に雨が降っている。
 愛しいあの女(ひと)は、雨がしめやかに降り注ぐ苔生(む)庭を方丈から眺めている。
 その姿が実に艶(あで)やかで美しい。
 だが、実際にはその愛しい女(ひと)は其処にはいない。
 でも、想い起こされて悩ましい‥。

 苔庭や そぼ降る雨に 映ゆる君 想ひ起こさば 恋しかるらむ  悟空

 では、また‥。(了)

2014年6月15日 (日)

【時習26回3-7の会 0503】~「時習26回生卒業40周年記念『懇親会in京都2014』開催報告〔その1〕

※ 今日は、会報【0503】号の前に、【2637の回】members皆さんに号外でお送りしたmail文をコピペします ※

 今泉悟【3-7】です。
 一昨日・昨日は、京都での大変懐かしく楽しいひとときをありがとうございました。
 参加して下さった皆さんの沢山の笑顔を拝見出来、代表幹事として「卒業40周年記念 懇親会in京都2014」に関われたことを幸せに思います。
 いろいろありましたが、皆さんからご協力・ご縁・幸運を幾つも幾度となく頂戴し、それなりに充実した懇親会を挙行することが出来ました。

「何故、懇親会を京都で?」‥と今回の懇親会で何人かの参加者から尋ねられましたので、①~④で種明かしします。

    ※ ※ ※ ※ ※

 ①小生は、小学生時代から歴史が好きで、社寺仏閣とそれに纏わる歴史上の人物事象の縁起等の話が大好きだった
 ②朋友の中嶋Y君【3-2】の大学が京都にあり、小生の大学時代4年間、屡彼の下宿に厄介になり、其処を起点に京都市内の多くの社寺仏閣巡りをした
 ③前回の35周年の「懇親会in舘山寺2009」が地元での開催なので、地元以外で、参加者に人気ある観光地に焦点を当て探した
 ④上記①②③から「京都」開催を心に決め、大学卒業後も引続き京都に十数年間勤務して当地事情に詳しい中嶋君に相談、氏が強力な応援を約束してくれた

 以上が懇親会を京都にした理由です。
 そして、⑤以降には、皆さんから幾つも幾度となく頂戴したご協力・ご縁・幸運について申し上げます。

 ⑤中嶋君は、京都花柳界に詳しい人脈を持っており、彼がその知人から「懇親会場」として、料理旅館「鶴清」を紹介され、小生に推奨してくれた
 ⑥「鶴清」は、有力な置き屋と懇意で、大変綺麗な舞妓・芸妓・地方を5人を手配してくれた
  ‥→・参加人数を見乍ら芸舞妓数を漸次増やしたことから、5人目の芸妓を頼んだのは開催日間近だった為cancel待ちになったが、3日前に予約出来た
 ⑦母校時習館内高校校章の幟旗は、幹事の飯田H君【3-2】用意してくれて同窓会としての体裁が確り整いました。
 ⑧同じく母校の最近の状況は、時習館内高校同窓会副会長である福井E君【3-9】が懇親会の挨拶で報告してくれてよく解りました。
 ⑨二次会「ミュンヘン」は、中嶋君が真剣に準備してくれて当初60人参加の予定が、当日20人増え80人参加してくれた
 ⑩母校時習館高校第18回卒の亀山T先輩が、二日目optional tour訪問地「東福寺」の件で特段のご厚誼を下さった
  ‥→・亀山禅師のことを、東京支部の織田Mさん【3-2】&吉福Yさん【3-6】から教えて頂き、挨拶状を出状
  ‥→・そうした処、面識もなかった亀山先輩が拙宅を訪れて下さった
 ⑪二日目optional tourの昼食処「月の蔵人」は、水藤T君【3-6】が以前から知っている処で、「割安で美味だ」と推奨くれた。実際その通りだった
 ⑫「懇親会in京都」参加者数は、「鶴清」での懇親会98人※1 に、二日目tourからの参加者2人が加わり、《 総勢100人 》になった
  ※1 参加費払込者数はPeak101人になったが3人が取止め、最終的に98人となった
  ‥→・開催日近く、classmateの牧野M【3-7】君が、「二日目optional tourだけなら‥」と参加OKしてくれ、東福寺駅前から合流してくれた
  ‥→・二日目tour出発直後、槇田(大須賀)Hさん【3-10】が、「今からでも参加していい?」と、清水五条駅に前触れなく現れ合流してくれた※2
  ※2 槇田さんが我々tour参加者の前に現れたのを見た時、「これで『懇親会in京都2014』参加者が丁度100人になった!」と、内心欣喜雀躍した
 ⑬二日目tour〔‥昼食処「京の台所/月の蔵人」‥〕への参加者が、鶴清での懇親会から出発直前直後にかけて14人増え、当初の45人から59人に!
  ‥→・予約した個室とは別に、80人迄入ることが出来る一般の大部屋席があることを事前踏査で確認済で何とかなると思ったが実際そうならなかった
  ‥→・何となれば、その一般の大部屋席も予約満杯だったのである
  ‥→・MAX48人の予約室に無理に51人の席を作って貰い、あと2席は別部屋に何とか確保。しかし残り6人が確保出来ない事態になって仕舞った
  ‥→・其処で、幹事の井垣K君【3-3】と5人が、「月の蔵人」がその場で予約してくれた、北へ徒歩数分の「栞屋」迄移動して食事をしてくれた
  ‥→・「栞屋」での食事に協力してくれたのは、竹内T君&平井K君【3-7】、杉浦H君&野末T君&安井K君【3-8】の5人
  ‥→・6人の皆さんは、食後「月の蔵人」へ再度立ち寄ってくれて、「懇親会in京都」の総仕上げ「中締め」に参加してくれた
  ‥→・6人の皆さん、有難うございます!

 添付写真は、取り敢えず「懇親会」での全体写真の中の一枚。
 あの3台の一眼レフcameraの中に一台で移した写真です。
 まだこれより良い写真がいくつかあると思いますが、取り敢えず送ります。

 また、全体写真とsnap shotsは、後日、CDかDⅤDに入れて、参加者全員にお送りしようか‥?
 今どうするか思案中です。
 前回、舘山寺の時つくった音楽入りのDVDは、今回は作成するかどうしようか‥。
 他にいい方法があるか、豊橋支部幹事の皆さんと相談してみますが、どなたか妙案があったら教えて下さい。

 懇親会の最中に、幹事の林S君【3-9】が、「PCのInternetの何処かにupしてそれを皆で閲覧する方式はどうか?」とadviceしてくれました。
 作成に手間取らないのであればやってもいいと思いますが、現状、小生はその作成方法を知りません。

 これから、会計報告の準備と写真の整理をボチボチやって行こうと思います。
 取り急ぎ、「懇親会in京都」に参加した皆様方への御礼と開催報告まで。

          今泉悟拝
追伸

 黒柳R様

 次回の学年同期会は、東京支部が地区幹事当番ですね。
 その時習26回生卒業45周年記念懇親会 次期代表幹事を引き受けて下さり有難うございます。
 貴兄なら安心してお任せ出来ます。
 楽しい企画で次回の「懇親会in〔○○〕」を楽しみにしています。
 〔○○〕が、東京になるか、横浜か、鎌倉か‥ホント楽しみですね。
 お手伝い出来ることがあればご協力させて頂きます。
 それは、小生に限らず、水藤君、中嶋君をはじめ、豊橋支部幹事の皆も一緒の気持ちだと思います。
 取り急ぎ、次期代表幹事を受諾して下さった貴兄への御礼まで。

           今泉拝
           以上

 ※ ※ ※ ※ ※

■皆さん、お元気ですか?
 今泉悟です。【時習26回3-7の会0503】をお届けします。

 今回から暫くの間「時習26回生 卒業40周年記念『懇親会in京都2014』」開催報告をお伝えして参ります。
 さて、今日は〔その1〕をお伝えします。

 ※ ※ ※ ※ ※

 前《会報》【0502】号にて、京都の懇親会場「鶴清」へ水藤T君【3-6】の車で、榊原T君【3-1】、林K子さん【3-7】と小生の4人一緒に出発する旨予告した通り、06月07日(土)の早朝06時05分、水藤君が拙宅迄迎えに来てくれた。
 続いて、林さん宅、更に豊川市内にある故・山田H君の墓参をしてそのお寺から至近の榊原君をpick up。
 07時前には東名豊川ICに乗り、東名→(旧)名神高速のrouteで、養老SAに立ち寄り一回目の休憩を取った。
 その後渋滞もなく、予想以上順調に京都に近づいたので、大津SAにて時間調整の為二回目の休憩を取ることにした。
 丁度その頃、渡辺H君【3-9】から小生の携帯に電話が入った。
 彼曰く、「今、京都に着いた。今日は宜しく!」とのこと。
 段々と気分は同窓会modeに‥!

 そうこうしているうちに、車は順調に「鶴清」へ。
 ニ回休憩しても、初日optional tour参加者の集合時間10時30分より20分以上も前に到着した。

 初日のoptional tour参加者は、出発時点での総数は、豊橋からの我等4人に白井N君【3-5】と長谷川K君【3-9】と渡辺H君の7人だったが、定刻になっても白井君が来ない〔‥白井君からは、帰りのbusの中で電話を貰った、「参加出来なくごめんなさい」と〕。
 Optional tourの行程に時間的余裕はなかったで、我々は出発予定時間10時45分を5分送らせたのが精一杯。
 白井君には悪かったが10時50分に6人で出発した。
 徒歩で清水五条駅迄2~3分。5分の出発の遅れにより当初予定の10時52分発の電車には乗れず11時02分に乗った。
 予定の三条駅に11時07分に到着。徒歩で3~4分東へ歩き、京都市営bus「三条京阪前」bus terminalの59系統のbus停へ。
 11時15分発に5分の余裕を以て到着。
 ところがである。定刻になってもそのbusが来ない。
 結局渋滞に巻き込まれた〔‥と、そう運転手が乗車後announceしていた‥〕busは11時30分に到着。
 当初予定では11時51分に「金閣寺前」に到着する予定が、15分程遅れて12時07分に到着。
 最初の訪問先である、昼食処「権太呂(ごんたろ) 金閣寺店」には予約時間の正午を10分程遅れて到着した。
 我々の到着の遅れを心配して、昼食処にて待ち合わした中嶋Y君【3-2】と林S君【3-9】から相次いで小生の携帯に電話が入った。
 金閣寺前のbus停で林君が待っていてくれて彼を合わせた7人が、其処から南西へ300m余り徒歩4分「権太呂 金閣寺店」の入口で中嶋君が待っていてくれた。
 二人の合流に拠り、optional tour組は8人となった。

[01]権太呂 金閣寺店 入口にて
 01

 食事を「権太呂 金閣寺店」で済ませた我等8人は、12時45分過ぎに店を出て「金閣寺」へ。
「臨済宗相国寺派 相国寺塔頭 鹿苑寺 舎利殿『金閣』」を見る為である。
『金閣寺』として有名な舎利殿は、室町時代前期の北山文化を代表する建築物。

 1950(昭和25)年 放火により焼失
 1955(昭和30)年 再建
 1994(平成06)年 Unescoの世界(文化)遺産「古都京都の文化財」の構成資産に登録

[02]鹿苑寺 舎利殿 金閣の前にて01
 02_01

[03]鹿苑寺 舎利殿 金閣の前にて02
 03_02

 13時40分に金閣寺を見終えた処で、東京の羽田から飛行機で伊丹空港経由で京都入りした林T君【3-6】が合流。
 白井君【3-5】を除く初日optional tour参加予定者全員が集合した。
 9人全員揃った処で、撮して貰った写真が[04]である。

[04]鹿苑寺 舎利殿 金閣の出口付近にて‥林T君【3-6】合流し参加者9人全員集合‥
 04

 続いて、当初は金閣寺から次の訪問地「龍安寺」迄歩いて行くつもりだったが、体力温存の為、59系統の京都市営busで行くことに変更した。
 ところが、bus停が超満員。
 地の利がある中嶋君の提案で、立命館大学ゆきに乗って、1駅分歩くことにした。
 龍安寺(りょうあんじ)は、臨済宗妙心寺派の寺院。
 開基は細川勝元(1430-73)、開山(初代住職)は義天玄承である。
 金閣寺と同様、「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されている。

 石庭の石は全部で15個ある。
 同行した林S君から一つ薀蓄を教わった。
「石庭の石15個全部を見ることが出来る場所が1箇所だけある。何処か解る?」
 勿論知らない小生、直ぐに降参して教えて貰った。
「石庭一番奥から8枚目の床板の上から見ると15個全部見えるヨ」とのこと。
 其処に立ってみたら、ホント、確かに見える。
 15個の石が見えないのは、「人間は完璧でない」という教えらしいが、一箇所だけ全部見える、ということは完璧な人もいるということ?
 ‥なんて自問しているうちにあっという間に時間が経って仕舞った。
 龍安寺では、初日のoptional tourには参加しなかったが、市原T君【3-3】、松岡A君【3-5】、伊東H君【3-8】、太田N君【3-10】の4人と偶然会った。
 それから、西沢Y君【3-1】から、時間があったら次の訪問地となる予定だった「仁和寺にいる」と電話があった。
 時間を節約する為に「仁和寺」への訪問は取止め、「鶴清」に帰ることにした。
 その旨西沢君に電話で伝え、徒歩で10分程なので龍安寺に来て貰うことにした。
 以下の写真が、龍安寺の「石庭」写真2枚と西沢君が合流した時の集合写真である。

[05]龍安寺石庭にて01
 0501

[06]龍安寺石庭にて02‥小生(左)と林(立)君(右)‥
 0602

[07]龍安寺参道にて‥西沢君【3-1】が合流‥
 07

 15時07分「龍安寺前」発の京都市営busに乗り、四条河原町へ。
 このbusに乗っている時に、当初今日のoptional tourに参加予定だった白井君からexcuseの電話が入った。
 15時55分に「四条河原町」のbus停を降りた西沢君を加えた10人は、高瀬川沿いに風情ある京都の街をゆっく散策し乍ら、懇親会会場の「鶴清」へ辿り着いた。時計をみたら16時10分であった。
 17時から受付開始である。
 3階の懇親会場の準備を完了するには十分な時間があった。
 Projectorは水藤君が持参してくれて担当してくれた。
 全体写真用に一眼レフcameraは小生が2台、榊原T君【3-1】が一台用意してくれた。3台全て三脚をsetし準備OK。
 17時00分からの受付は、女性陣の幹事、林Kさん【3-7】と長坂Yさん【3-8】、杉原Kさん【3-9】に、東京支部から助っ人で山田Yさん【3-9】が加わり、強力な布陣となって大変smoothに手際良く対応してくれた。

 定刻の18時00分を若干過ぎて、「懇親会in京都2014」が開宴となった。
 総合司会は、地元豊橋でプロのannouncerをしている太田N君【3-10】が担当してくれた。
「開式の辞」に続き、当日参加した20人の「幹事紹介」を代表幹事である小生が行った。
 続いて、「物故者19人の紹介と1分間の黙祷」を捧げた。
「母校時習館高校の最近の動向」について、母校同窓会副会長の福井E君から説明をして貰った。

 其処に、その日のMain guestである、舞妓さんと芸妓さんが夫々二人、三味線弾きと唄を担当する地方(じがた)さん一人の計5人が登場。
 全体の記念写真と時間節約の為2クラスずつにしたクラス別の参加者記念写真を撮影した。
 それが以下の[08]~[15]の写真である。

[08]鶴清での全体写真01
 0801

[09]懇親会 全体写真02
 09_02

[10]懇親会 全体写真03
 10_03

[11]懇親会 クラス別写真 1&2組
 11_12

[12]懇親会 クラス別写真 3&4組
 12_34

[13]懇親会 クラス別写真 5&6組
 13_56

[14]懇親会 クラス別写真 7&8組
 14_78

[15]懇親会 クラス別写真 9&10組
 15_910

 そして、写真[16]は、母校時習館高校の現況を報告してくれた福井E君【3-9】。
 同じく[17]は、その挨拶中の福井君を撮影している小生と、projectorを操作している副代表幹事の水藤T君【3-6】。

[16]時習館OB会副会長 福井E君に拠る母校近況報告
 16ob

[17]福井君をcamera撮影する小生(上)とprojectorを操作する水藤君(下)
 17cameraprojector

 続いて、代表幹事である小生の音頭で「乾杯」。
「歓談」に入った直後に、芸妓さんの踊り「六段くずし」と舞妓さんの踊り「祇園小唄」を地方さんの唄と三味線で踊って貰った。
 2曲で15分程の踊りであった。
 夢見ていた本物の舞妓さんに拠る「月は朧に東山‥」の祇園小唄の踊りを眼の前で見られて、もう最高だった!
 !(^-')b♪

[18]芸妓二人に拠る踊り「六段くずし」
 18_2

[19]舞妓二人に拠る踊り「祇園小唄」
 19

[20](芸妓)地方(じがた)に拠る三味線と唄
 20

 そして、踊りが終わったあと、小生がleader役の地方さんに、みんなの前で、舞妓さんと芸子さんの違いを説明してくれる様に頼んだ結果、次の写真[21]の様に並んで説明してくれた

[21]地方さんに拠る舞妓と芸妓の違いの説明
 21

 簡単に言うと舞妓と芸子の違いは次の通りである。

 添付写真で、前の座っている舞妓・芸妓・地方の5人は‥
 向かって左から右へ、舞妓・舞妓・芸妓・芸妓・地方(じがた=三味線弾きと唄い)の順。
 舞妓は、前から見ると、芸妓より派手な簪(かんざし)を刺している。
 又、着物は、若い舞妓の方がずっと派手。芸妓の着物はご覧の通り地味。
 帯は、舞妓は「だらりの帯」、芸妓は普通の帯。
 それから芸妓と地方(じがた)の違いはない。
 即ち、両者とも芸妓である。芸妓の中で三味線と唄を担当するのが「地方」ということ。
 語源は、「地」面座っている「方(=芸妓)」を「地方(じがた)」と言い、
「立ち」て踊りをする「方(=芸妓)」を「立方(たちかた)」言う。
 だから、地方と芸妓の違いは三味線を持っていないと、外見では理らない。
 芸妓になる前の修行中の「未成年」の女性が舞妓。
 因みに、舞妓の日本髪は自毛である一方、芸妓のそれは鬘(かつら)である。
 以上、余談まで‥。

 当初予定では、この舞妓さんが登場する迄の時間を15分と見積もったのである。
 ところが、実際は5分遅れのstartであった上、更に20分overした。
 18時40分に 芸妓「六段くずし(4分)」&舞妓「祇園小唄(8分)」の踊りと、「舞妓&芸妓の違い解説(5分)」と続いた。
 歓談がstartしたのは、19時を回ってからであった。
 代表幹事の小生、「参加した皆さんにお礼をしなくては‥」と思い、beer瓶をを持って【3-1】から一人ずつ挨拶して回った。
 しかし、半分強回った処で中締めの時間になって仕舞った。
 まぁそれだけ、話が盛り上がったということであるが‥。
 以下の写真[22][23]は、榊原君【3-1】が撮影してくれた【3-7】membersの皆さん。
 写真[24][25]は、中締め前に参加者全員で、母校時習館高校の校歌「わが時習館」を熱唱!

[22]宴会でのsnap shots1 左から林さん・伊東君・井上君
 22snap_shots1

[23]宴会のsnap shots2 左から平井君・竹内君・(一人おいて)林さん
 23snap_shots2

[24]中締め前に参加者全員で 校歌「わが時習館」を熱唱する同期生1
 24_1

[25]中締め前に参加者全員で 校歌「わが時習館」を熱唱する同期生2
 25_2

 続けて、校歌斉唱のあと、総合司会 太田君【3-10】の紹介[26]で、副代表幹事の水藤君【3-6】が中締めを行ったのが20時28分。

[26]懇親会総合司会の太田N君【3-10】
 2610

[27]中締めをする副代表幹事 水藤君【3-6】
 27

 中締め後も、熱気は醒めやらず、歓談は続いた。
 小生と同様にcameramanを担当してくれた榊原君に頼んで、classmate【3-7】の女性陣とのsnap shotsをお願いしたのが、[28][29]。
 これこそ同期会なればこその特権かな‥。(笑)

[28]中締め後も歓談して林さんとtwo shots
 28two_shots_a

[29]中締め後も歓談して渡辺さんと山中さんと
 29a

 そして、21時20分からは、四条河原町の「ミュンヘン」が会場となっている二次会へ。
 参加者数は、当初予定の60人を20人も上回る80人に達した。
 写真は、その「ミュンヘン」へ三々五々向かう同期生達の後ろ姿[30]と、二次会会場「ミュンヘン」の入口と看板。

[30]「鶴清」を後にして三々五々二次会会場「ミュンヘン」へ
 30

[31]四条河原町にある二次会会場「ミュンヘン」入口
 31

「懇親会in京都2014」は、大変和やかで熱気に溢れ、盛り上がった二日間であった。
 以下その模様は、次号以降をお楽しみに!^-^

【詞書】お別れは、今日撮影した拙宅に咲き出した紫陽花の花。
 浅葱(あさぎ=みずいろ)色が実に美しい‥。
 Virtual realな世界で一句詠んだ。

 紫陽花の 浅葱の如き 貴女かな  悟空

[32]拙宅の庭に咲き出した紫陽花01
 3201

[33]拙宅の庭に咲き出した紫陽花02
 3302

 では、また‥。(了)

2014年6月 6日 (金)

【時習26回3-7の会 0502】~「時習26回生卒業40周年記念懇親会に向けて~第2回『案内状』response状況=最終版=〔06月06日現在〕」「06月01日:ライフポート豊橋『豊橋交響楽団 第114回定期演奏会』を聴いて」「06月03日:古川美術館『The 美人画』展を見て」「06月03日:電気文化会館 the concert hall『ラ・プティット・バンド(La Petite Bande)/original楽器で聴くBach』を聴いて」

■皆さん、お元気ですか?
 今泉悟です。【時習26回3-7の会0502】をお届けします。

 愈々明日「卒業40周年記念懇親会 in 京都2014」の開宴です。
 京都へのaccessは、水藤T詳君【3-6】の車で、榊原T君【3-1】、林K恭子さん【3-7】と小生の4人一緒に出かけます。
 この4人は、今回の豊橋支部幹事会membersで、3つのoptional催事に全てに参加する仲間です。
 A:初日tour「金閣寺」「龍安寺」course、B:二次会「ミュンヘン」、C:二日目tour「東福寺」「光明院」「伏見稲荷大社」「伏見の酒蔵」courseを同道します。

 明朝06時05分に水藤君が車で迎えに来てくれて、林さん→榊原君の順にpick up。
 今回は、水藤君の希望により豊川ICに入る前に故・山田裕則君【3-1】の墓参をします。
 山田裕則君とは、高校時代、旧【1-4】で水藤君・林さん・小生が、旧【2-8】でも水藤君と小生がclassmateで親しい仲でした。
 東名→名神高→京都東ICで降り、09時半過ぎには「鶴清」に到着予定です。
 そして、10時45分「鶴清」を出発、京阪本線「清水五条」駅から2駅(@150円)「三条」へ。其処から徒歩2分でbus terminal「三条京阪」へ。
 11時15分「三条京阪」発 京都市bus〔59系統@230円〕に乗車→11時51分「金閣寺前」着→徒歩4分(343m)→12時00分「権田呂 金閣寺店」にて〔昼食〕
 12時50分「権田呂金閣寺店」発→徒歩4分→12時55分「鹿苑寺 金閣」(拝観料@400円)14時05分発→京都市bus〔59系統@230円〕→
 14時10分「龍安寺前」着→(拝観料@500円)→15時06分「両案j前」発→京都市bus〔59系統@230円〕→15時45分「四条河原町」着→
 16時00分「鶴清」着‥→17時00分「受付」‥→18時00分「懇親会」開宴
 
 以上の様な段取りで懇親会が始まります。
 懇親会以降の模様は、次号《会報》にてご報告します。お楽しみに!
 今日06月06日現在確認出来ている参加者の状況はご覧の通りです〔詳細は添付資料「参加状況確定20140606」ご参照〕。
 ・A:初日optional tour ‥10人
 ・「懇親会」‥98人
 ※ 懇親会の華は、「舞妓2人・芸妓2人・地方(ぢがた)1人」の5人を招聘 ※
 ・B二次会「ミュンヘン」‥60人
 ・C二日目optional tour ‥45人

■さて、次の話題である。ライフポート豊橋にて06月01日午後14時開演の『豊橋交響楽団 第114回定期演奏会』を聴いて来たのでその模様をお伝えします。
 時習26回生の同期生で、旧【1-4】のclassmateであった安形S二君【3-1】から本演奏会のticketを2枚頂戴した。
 其処で、中嶋Y行君【3-2】を誘い、演奏会を聴いた。
 曲目は以下の3曲

1. Tchaikovsky / スラブ行進曲(Slavonic March) Op.31
2. Tchaikovsky / Piano Concerto No.1 in B flat-minor Op.23
3. Dvorak / Symphony No.7 in d minor Op.70

 指揮者は、1曲目のSlavonic Marchが豊響concert master渡邉浩司氏、2&3曲目が下谷剛嗣氏。
 TchaikovskyのPiano Concertoのsoloistは、神永睦子氏。
 彼女は、programの「紹介」に‥「洗足学園音楽大学ピアノ専攻、同大学院を2008年首席で卒業。2010年、伊・ペスカ―ラ音楽院卒業‥」とあった。
 関係者に拠ると、師の市野あゆみ氏の推薦で今回の演奏会に独奏者として出演。
 間近に彼女の演奏を聴いたが、力強いなかなかの名演奏であった。
 今回の定期演奏会は3曲共に著名な曲であり、演奏もなかなか良かった。

[01]本演奏会program
 01program

[02]Piano独奏 神永睦子 氏
 02piano

■一昨々日06月03日、仕事で名古屋出張した折、仕事を終えたあと、池下にある古川美術館と伏見にある電気文化会館 ザ・コンサートホールに立ち寄った。
 先ず、古川美術館で現在開催中の『The 美人画』展からご紹介したい。

「美人画」に表現された女性の美しさには、画家達の個性が宿る‥と、本展leafletの解説にあったが、正にその通りである。
 本展では、古川美術館所蔵品から、美人画を確立した上村松園と鏑木清方に、伊東深水、伊藤小坡の4巨匠をはじめ近現代の日本画家に拠る美人画37点が展示されていた。
 今日はその中から、幾つかをご紹介したい。

[03]本展leaflet
 03leaflet

[04]伊東深水(1898-1972)『香衣』1927年
 04189819721927
 
[05]上村松園(1875-1949)『紅葉狩』
 0518751949

[06]伊藤小坡(1877-1968)『浴後美人』1940年頃
 06187719681940

[07]梶原緋佐子(1896-1988)『清香』
 0718961988

[08]寺島紫明(1892-1975)『舞妓』1965年
 08189219751965

[09]森田曠平(1916-94)『立美人』1973年
 091916941973

[10]松田文子(1927- )『夏』1947年
 101927_1947

【小生comment】
 上述の日本画の美人画家4巨匠以外では、梶原緋佐子と寺島紫明の作品が気に入った。

■古川美術館を後にして次に向かったのが、明後日訪問する京都ではなく、名古屋市内の「伏見」にある電気文化会館 ザ・コンサートホールである。
 シギスヴァルト・クイケン(Sigiswald Kuijken)が音楽監督を務める『ラ・プティット・バンド(La Petite Bande)/original楽器で聴くBach』を聴く為である。
 曲目は、J. S. Bach作曲の管弦楽組曲 全4曲とブランデンブルク協奏曲第5番。
 以下の順番で演奏された。

[11]本演奏会leafet
 11leafet

1. Orchestral Suite No.1 in C Major, BWV1066〔演奏者数:7人〕
2. Brandenburg Concerto No.5 in D Major, BWV1050〔同:9人〕
3. Orchestral Suite No.3 in D Major, BWV1068〔同:14人〕
4. Orchestral Suite No.2 in b minor, BWV1067〔同:6人〕
5. Orchestral Suite No.4 in D Major, BWV1069〔同:16人〕

【小生comment】
 本演奏会は、baroque音楽を演奏された時代その儘に、古楽器を使用して演奏するラ・プティット・バンドに拠る演奏会。
 ベルギー生まれのシギスヴァルト・クイケン(1944- )と、二年前に亡くなったcembalo奏者の泰斗グスタフ・レオンハルト(1928-2012)に拠り、1972年に結成されたbaroque orchestra。名称と構成は、ルイ14世時代の宮廷音楽家リュリのorchestraに因んでいる。
 1993年初来日。
 今回の演奏は、奏でる古楽器の音色が際立つ様に、演奏者の極小化していた。
 上記演奏曲目の夫々の末尾に〔演奏者数〕を記した。
 1曲目の第1番は7人〔七重奏曲〕、有名な第2番に至っては6人〔六重奏曲〕とこ締(ぢんま)り構成。
 極めて小規模だが、Bachが生きていた時代は、恐らくこんな風に演奏されていたんだなぁ‥と直観した。
 何となれば、当時の管弦楽団は、王侯貴族が個人的雇っていた楽士達の集団であった為、資金力から言っても然程大きいものは少なかったことは想像に難くない。
 本演奏会は、芳しい香りが漂って来る様な大変上品で上質な演奏会であった。

【後記】「懇親会in京都2014」への心境を拙句にしてみました。

【詞書】明日と明後日は、京都五条の鴨川で40年前の青春時代に暫しtime slip!(^-')b♪

 薫風や 鴨川河畔に 「青春(はる)」来たる  悟空

 では、また‥。(了)

2014年6月 1日 (日)

【時習26回3-7の会 0501】~「時習26回生卒業40周年記念懇親会に向けて~第2回『案内状』response状況〔05月31日現在〕」「05月24日:国宝 茶室『如庵』を訪ねて」「05月24日:メナード美術館『シャガール版画展』を見て」「05月28日:松坂屋美術館〔日展 日本画部 春季展『第49回 日春展』〕を見て」「05月28日:愛知県芸術劇場concert hall『Maxim Vengerov指揮&violin/Polish Chamber Orchestra』演奏会を聴いて」「澤田秀雄著『運

■皆さん、お元気ですか?
 今泉悟です。【時習26回3-7の会0501】をお届けします。
 今日も先ず「卒業40周年記念懇親会 in 京都2014」関連のNewsからお伝えします。
 早いものですね。06月07日の「懇親会in京都2014」迄、あと6日となりました。

 以下に、一昨昨日の05月29日に、豊橋支部幹事&時習26回不老会ML members&【時習26回3-7の会】membersの皆さん宛に配信したmailをコピペしたものに、最新の情報を修正してお伝えします。

※ 添付資料「払込一覧表」には丁度100人の皆さんが掲載されています。
 うち99人の皆さんの払込は確認出来ています。
 ご協力ありがとうございます。
 実は、peak101人の同期の皆さんからの払込を確認しました。
 しかし残念乍ら、加藤(神野)Tさん【3-9】と浅井H君【3-6】からcancelの申出がありました。
 牧野M君【3-7】は、二日目optional tourを東福寺駅から合流して昼食処「月の蔵人」まで一緒に散策する旨連絡を頂いています。

 以上から、更なるcancelがなければ、懇親会参加者は丁度99人。
 「懇親会in京都〔二日目optional tourのみ参加者1人を含む〕」には「the100人」の時習26回生の皆さんが参加される予定です。
 皆さんのご協力に心より感謝申し上げます。

 尚、豊橋支部幹事の水藤T【3-6】君が当日の懇親会で皆さんにお披露目する諸情報をPower Pointに纏めてくれています。
 又、今回所用で参加は出来ませんが、豊橋支部幹事で母校時習館高校教諭の飯田H君【3-2】にお願いして、当日、記念写真の時に一緒に飾る母校「時習館高校の校章」の「旗」を用意して頂く様、お願いしました。そして昨日、飯田君が水藤君と一緒にに「旗」をcheckし、大・中・小の3旗を用意してくれました。飯田君、水藤君有難う!
 更に又、当日の宴会の席上、福井E君【3-9】には、乾杯の発声と共に、時習館高校とOB会の現状を3分間speechして頂くことを了解頂いています。

 尚、当日は18時00分の開宴後、10分程で舞妓さん2人と芸妓さん1、三弦弾きの地方(ぢがた)さん1人の計4人〔‥今、芸妓さん1人をcancel待ちで申込中ですから、巧くいけば舞妓さんと芸妓さん2人ずつと地方さん1人の計5人‥〕が京都四条にある祇園から来てくれます。
 そうしたら、皆さん酔いが回らわないうちに、舞妓・芸妓・地方さんとご一緒して早速「参加者全員での記念写真」と、「2クラスずつ〔1&2組・3&4組・5&6組・7&8組・9&10組〕のクラス別写真」を撮影します。

 二日目のoptional tourは、時習18回生の亀山先輩から東福寺「方丈庭園」と「通天橋」を拝観する様、強く奨められています。
 そんなこんなで、二日目optional tour希望者も予想以上の反響となり、今日現在で添付資料「出欠確認票」の下段にお示ししている様に45人の方が申込済です。
 あと、5人迄は受付可能ですので、希望者はお早目に意志表示をして下さい。50人になった処で締切ります。
 二日目optional tourの参加費は、当日朝2000円申し受けます。
 〔※ 光明院拝観料300円+「月の蔵人」昼食代1700円=2000円 ※〕
 あと、伏見稲荷大社を出た後、昼食処「月の蔵人」へ行く途中、京阪本線「深草」駅→「中書島」駅までの運賃210円は自己負担です。
 此処で、二日目optional tour参加者の皆さんへお願いです!
★☆★ =マナカ=トイカ=スイカ=cardご利用のお願い!☆★☆
 マナカcard等の交通系cardを必ずご持参下さい。
 40人を超える人が各自で切符を勝手いると、電車に乗り遅れる危険性が凄く高くなります。
 京阪電車はマナカ=トイカ=スイカcard全て使えます。
 ご協力をお願いします。
 
「懇親会in京都2014」まであと6日です。
 皆さん、元気な姿で再会しましょう!

 このご案内は、もう一~二回は配信する予定です。

      以上

※ 以上の他、此処一週間に【2637の会】membersから来たe-mailとc-mailをご紹介します。

2014/05/14 (水) 7:35
今泉様
日ごろはお世話になります。
また、このところは特にご苦労様です。
昨日払い込みいたしました。
懇親会だけですが宜しくお願いします。
        伊東M

2014/05/14 (水) 10:36
菰田です。
鶴清宿泊でお願いします。
オプションなし、二次会参加でお願いします。

2014/05/19 (月) 19:04
今泉悟 様
先日は市原君と一緒にお誘いのお電話を有難うございました。
いろいろと日程調整をしてみましたが、残念ながら京都での同窓会への参加は無理そうです。
大変な準備をされているのに協力できず申し訳ありません。
ご盛会をお祈りいたします。
        石田Y

2014/05/26 (月) 17:54
今泉様
申し訳ありませんが調整がつきませんでしたので欠席でお願いいたします。
        千賀S

Wednesday, May 28, 2014 6:07 PM
お元気ですか?
学会中で失礼します。ごめんなさい。峯田

Thursday, May 29, 2014 09:07 AM
牧野M君
【今泉】おはようございます。京都へは前泊されるか? 8日当日朝、鶴清へ来られるか? 固まりましたか?
【牧野】やはり前泊は難しいですね。(6/8)日曜日の朝東福寺駅に行きます。よろしくお願いします。
【今泉】了解しました。東福寺駅に朝08:55着の京阪電車でそちらへ向かいます。昼食迄ご一緒して頂けますね。
当日の参加費は、光明院拝観料300円、昼食代1700円の計2000円申し受けます。
深草駅から中書島駅迄の運賃は自己負担です。マナカカードをご持参下さい。便利です。
【牧野】了解しました。お世話をお掛けします。当日を楽しみにしています。

■さて、次の話題である。去る05月24日 犬山城迄車で出かけた。
 その犬山城から東へ200m程の所に名鉄犬山ホテルがある。
 そして、同ホテルと同じ敷地内に「有楽苑」があり、その中に国宝茶室『如庵』がある。
 因みに、現在 日本国内に「国宝の茶室」は全部で三つある。
 【待庵(たいあん)】大山崎町「妙喜庵(みょうきあん)」にある/千利休作として現存する唯一の茶室とされる
  →・「待庵」拝観には事前予約が必要
 【如庵(じょあん)】犬山市名鉄犬山ホテル敷地内の一画「有楽苑(うらくえん)」にある/織田有楽斎(うらくさい)作
 【密庵(みったん)】京都市大徳寺塔頭 龍光院(りょうこういん)にある/小堀遠州作伝
  →・「龍光院」は現在非公開で、「密庵」も見ることが出来ない

 織田有楽斎は、名は長益/1547(天文16)年 織田信秀の11男として生まれる/信長の13歳下の弟である
 関ヶ原の戦では徳川方として参戦。戦後大和に三万石を得る
 1615(慶長20)年 有楽斎は、大坂夏の陣の前に大阪城を退去、京都二条に居を移す
 1617(元和03)年 建仁寺 塔頭「正伝院」を再興し隠居
 1618(元和04)年 正伝院の一隅に「如庵」を営む
 1621(元和07)年没(享年75歳)。法号:正伝院殿如庵有楽大居士

[01]織田有楽斎像〔有楽苑の解説書より〕
 011_2

[02]如庵外観01
 02011

[03]如庵外観02
 03021

[04]如庵外観03
 04031

[05]如庵内部〔有楽苑の解説書より〕
 05011

 その後、正伝院の建物や庭は、明治6年永源院に合併後、祇園町の有志に払い下げられ「有楽館」に。
 これも経営が苦しくなり、明治41年売却が決まり、三井家が入手。
 東京麻布の三井本部に移築後、如庵は昭和11年 国宝に指定。
 昭和13年 大磯の別荘に移築。
 更に昭和45年 如庵&書院と当該附属建物は名古屋鉄道の所有となり、現地(=犬山市)に移築され、昭和47年開苑。現在に至る。
 有楽苑には、「如庵」が有楽斎が起居した旧正伝院書院に隣接して建っている

【小生comment】
 東京の「有楽町」の有楽は彼が彼の地に屋敷を構えたことがその名の由来という。
 有楽斎は、のち茶道有楽流の祖となった。
「彼は貴公子風な人柄と豊な文化的教養や芸術的天分に恵まれ、その生涯は風流の心に貫かれている」と、有楽苑の解説書では評している。
 多分そうであっただろう。彼の血筋と為人(=人となり)が、天下人秀吉にも家康にも一目置かせ、苛酷な戦国の世を生き抜いて行けたのである。
 そう理解したら、芸術を愛する小生、有楽斎に凄く親近感を感じる様になった。
 国宝の茶室を直に見たら、今春訪れた大山崎町の妙喜庵の「待庵」も、矢張り本物を見てみたくなった。

■「有楽苑」の次に向かったのが、小牧市にあるメナード美術館である。『シャガール版画展』を見る為である。
 05月10日に愛知県美術館で『シャガール展』を見たばかりなので、流石に新鮮な感じはしなかったが、幻想的な雰囲気はいつ見ても魅力的である。

[06]本展leaflet 絵は、Marc Chagall『カルメン』1967年
 601

[07]Marc Chagall同『Four Tales from the Arabian Nights~カマル・アル・ザマンと宝石商の妻』1946年制作/1948年刊行〔lithograph〕
 701

[08]同『Four Tales from the Arabian Nights~黒檀の馬より~』1946年制作/1948年刊行〔lithograph〕
 0801

[09]同『Daphnis et Chloe~№14「nymphたちの洞窟」』1957~60年制作/1961年刊行〔lithograph〕
 0901

[10]同『夏=収穫と落ち穂拾い(Summer=Harvest & Gleaning)』1975年〔Gouache on paper〕
 1001

 Russiaに生まれ、主にFranceで活躍したMarc Chagall(1887-1985)は、97年の長い生涯の中で「色彩豊かな『夢幻的世界』」を数多く生み出した。
 こう本展leafletが言う通りの世界がメナード美術館の各展示室で展開されていた。

■続いては、05月28日次に紹介するconcertの前に急ぎ松坂屋美術館へ立ち寄り、日展日本画部/春季展『第49回 日春展』を見て来たのでその模様を簡単にご紹介したい。
 本展について、leafletには次の様に紹介されている。
 昭和40年に「日展 第一部評議員・会員」間に日本画振興の為の新人育成を目的とした公募展開催の意向が生まれ、同部理事の伊東深水、小野竹喬、東山魁夷の諸氏に拠り具体化され、審査員を日展第一部評議員とする「日春会」が発足、「日春展」の名の下に、春の年次展として出発した。
 今回は、その中から販売されていた写真から4枚をご紹介する。
 うち2枚は、6月7日「懇親会in京都」にお目見えする舞妓さんを描いたもの。
 何れの作品もなかなかの実力作品である。
 6月7日に京都でお目見えする『舞妓』をmodelにした素敵な絵が2枚あったので嬉しくなって絵写真を購入した。

[11]本展leaflet 絵は 中路融人『赤富士』2014年
 1101

[12]辰巳 寛『舞妓』2014年
 1220141

[13]坂根克介『舞妓』2014年
 1320141

[14]田所 浩『ひまわり』2014年
 1420141

[15]成田 環『晴日』2014年
 1520141

■05月28日 松坂屋美術館に続いて訪れたのが、愛知県芸術劇場concert hall。
 Russia人のviolinistのマキシム・ヴェンゲーロフ(Maxim Vengerov)が指揮&violin solo務めるポーランド室内管弦楽団(Polish Chamber Orchestra)の演奏会を聴く為だ。
 演奏曲目は、programの内容が一部変更され、以下の通りとなった。

1. Mozart(1756-91) / Violin Concerto No.4 in D Major K.218
2. 同 / 同 No.5 in A Major"トルコ風" K.219
3. Tchaikovsky(1840-93) / 懐かしい土地の思い出(Souvenir d'un lieu cher) Op.42
 (1)瞑想曲(Meditation)
 (2)Scherzo
 (3)Melody
4. 同 / 憂鬱なセレナード(Melancholic Serenade) Op.26
5. Saint-Saëns(1835-1921) / ハバネラ(Habanera E Major) Op.83
6. 同 / 除草とロンド・カプリチオーソ(Introduction and Rondo Capriccioso in A minor) Op.28
《encore》
1. Brahms / Hungarian Dance No.1
2. Brahms / Hungarian Dance No.5

[16]本演奏会leaflet
 1600011

[17]VengerovのCD
 170001

【Vengerov 略歴】
 1974年RussiaのSiberia州ノヴォシビルスク近郊でoboe奏者の父と歌手の母の元に生まれた
 10歳でPolandのヴィエ二ヤフスキ(Wieniawski)国際コンクール・junior部門 優勝
 1988年 13歳で指揮者ヴァレリー・ゲルギエフが同行した初来日
 1990年 カール・フレッシュ国際violinコンクールで優勝 以来、16歳から国際的活動を開始
 1995年 ロストロポーヴィチ指揮London S.O.とのProkofievとShostakovichの(両曲とも)Violin Concerto No.1のCDがグらモフォン賞の年間最優秀賞と協奏曲部門の最優秀賞をはじめ多くの受賞に輝く
 2013年 日本での「Vengerov Festival」が始まった

【小生comment】
 Vengerovは、従前より一度是非聴いてみたいviolinistであったので、実現出来て大変嬉しかった。
 演奏曲は、encore曲を含め、いずれも「超」がつく MozartとTchaikovskyとSaint=Saensの名曲ばかりで、18時45分の開演から21時10分の終演迄、夢の様な至福の時間を過ごすことが出来た。
 評判通り、Vengerovの演奏が実に素晴らしいのである。
 1727年製のStradivarius" Kreutzer"の名器が奏でる美しい音色も凄い。
 イツァーク・パールマンやギドン・クレーメルの実演も素晴らしかったが、ヴェンゲーロフ(Vengerov)の演奏も全く遜色ない。
 「名曲」&「名演奏者による名演奏」との出会い。
 classic音楽の名曲との出会うことが出来、それを聴き続けることが出来る幸福を神に感謝したい。

■そして、今日最後の話題は、最近読んだ、澤田秀雄著『運をつかむ技術‥18年間赤字のハウステンボスを1年で黒字化した秘密‥』についてである。

[18]澤田秀雄著『運をつかむ技術』
 1800011

 本書は、海外旅行・海外ツアー・格安航空券の総合旅行会社H.I.S.の創業者で現会長 澤田秀雄氏が、18年間赤字のハウステンボスを1年で黒字化した秘密‥を、彼の半生から得た経験と知恵を踏まえ紹介してくれている。
 早速、本文を引用する形でご紹介させて頂く。

序章/challengeが生むもの
 澤田氏は、本書で、再建前のハウステンボスは、現在の日本の縮図の様なものだという。即ち、氏の言葉を借りると‥
「いつ迄に何をするか、いつ迄にどう変わるか」という、「『理念』+『時間』の概念が、欠けている」。P.23
 ほんの数年前迄、多くの人がNTTドコモの携帯電話を使い、iモードでmailやcontentsを使っていたのに、僅か数年で状況が一変して仕舞う。〔中略〕
 日本のmakerは、残念乍らこうした変化のspeedと激しさに気付くのが、少し遅かったと思う。勿論、豊かな日本は賃金が高く、円高という不利もある。〔中略〕
 では同じ様な立場にいたアップルが繁栄を謳歌しているのは何故か?
 それは、アップル社がparadigm shiftを「仕掛けている側」にいたからだ。
 音楽をネットで買う。携帯電話から釦をなくす。Gameはスマホで楽しむ。
 そうした「新しい考え」、「挑戦」があったからこそ、大変革の成果をほぼ独り占めして来たのだ。
 これは「どうして日本人はchallengeしなくなったのか」ということと通底している。
「変化をしていこうとする努力」を欠かさず、時代に合った製品を作り続けていけば、SonyやPanasonic、任天堂が逆転する目は大いにある。
 つまり、iPhoneを数年でゴミ箱に追い遣る何かを創造すればいいだけなのだ。P.29-30

 真剣な失敗の積み重ねはとんでもない大成功を生む。大発明に繋がる。
 いま日本人や日本企業に足りないのは、其処なのではないだろうか。P.33

第一章/いくつかの冒険
 澤田氏は、若い時代Nepalで病気になり生死を彷徨った経験から次のことを学んだという。

 少々失敗しようが、命迄は取られない。例え財産を失おうと、半身をもがれる訳ではない。
 そう思えば、実は殆どのことは問題にならない。遣らずに後悔し乍ら死ぬことと比べれば、怖いものなどない。
 だから、悩む前に動け。何かあったら開き直れ。後悔するよりchallengeしろ。
 ‥このことを大好きな旅から教わった。人生の転換点、businessの発想の原点になった。P.49

 旅行計画と実際の旅行の様に、書物で得た知識を実際に試してみることで、初めて「経験値」として蓄積されることを知るのである。P.55

第二章/ハウステンボス 新たな挑戦
 私が本当に立て直したかったのは、ハウステンボスそのものよりも、ハウステンボスを巡る人々の心持ちだと思っている。P.104
 皆がhappyでなければ、businessは成り立たない。
 従業員だけhappyでも、お客様だけhappyでも、会社が潰れては仕方がない。
 逆に、会社だけ設けても必ずしっぺ返しを食う。
 お客様も、従業員も、取引先も、会社や株主も、そして地域も良くなっていくbalanceを探ること。
 それこそが持続可能(=sustainable)な企業の姿だ。P.105

第三章/大切な失敗、大切な夢
 失敗するのは悪いことではない。
 むしろ、後から振り返れば、以前に失敗したからこそ、其処で得られた経験を活かして大きな成功を収められたという構造になっていることが大半なのだ。P.111

 失敗を乗り越えられる人、失敗から新たなhintを見い出せる人は、決して元気を失わない。
 元気が最大の財産であることを知っているからだ。P.114

 私は「得意淡然、失意泰然」という言葉が好きだ。〔中略〕
 物事が巧くいっている時は得意げになるな、逆に巧くいかない時は卑屈になるな、と自分を励まして来た。P.116

 Challengeは時に危険を伴う。それでも、challengeしないと新しいものは得られない。
 それを知っている人だけが、最終的に成功に辿り着ける。P.126
 但し、やってはいけないchallengeが2つある。
「命にかかわるか?」「法に触れるか?」‥この2点を守りさえすれば、challengeは全部勉強になる。
 失敗しても取り返しがつく。つまり、何故失敗したかを検証出来るのだ。P.128

 ひとまず、やれる・やれないという判断は置いておき、心からそうなる、そうしたいと思うことが出来れば、実現に近づく。
 やがて頭の中に具体的な像が浮かんできて、本当に実現させる為のhintを呼び込んでくれる。
 だからこそ、最後迄信じ切れれば実現するのだ。P.130
【小生補足】
「本当に実現させる為のhintを呼び込む」のは、自分の「経験値」である。
「閃き」とは、正にこの「経験値」を「意識下」で呼び込むことなのである。
「直観」とは、この「経験値」を「無意識下」で〔‥理由は分からないが「正答」を‥〕呼び込むことである。
 即ち、「経験値」がbaseにある「閃き」と「直観」は、「経験値」をbaseにしていない「山勘(ヤマカン)」とは明らかに違うである。
 だから、色々と知識を得た後、実際に行動して試してみた「経験値」が多ければ多い程、「実現性を高めるhint」が浮かんで来るのである。

 夢や目標をsimpleにすると、少なくとも殆どの人が理解出来る様になる。
 実現や達成には色々問題はあると思われても、少なくともgoal地点を頭に置いて貰うことは出来る筈だ。P.131

第四章/運をcontrolする
 天が運んで来る運(=天運)と同時に自分で運ぶ運が存在していて、そちらの方が影響が大きいという事実を認識することが大切ではないかと思う。
 言い換えれば、運はcontrol可能でもあるのだ。P.139
【小生補足】
 稲盛和夫氏も著書『生き方』の中で、同じ様に述べている。
 即ち‥《運命は自分の心次第という心理に気付く》‥「運命」というものは、私達の生のうちに厳然として存在します。
 しかしそれは心の有り様によって如何様にも変えていけるものです。
 人生は自分でつくるもの‥‥これを「立命」と表現しています。
 諦めずにやり通せば成功しか有り得ないのです。

 何があろうとも、命ある限り、元気に明るくやっていくことがやがて成果を生み、結果として自分を救うのだ。P.152
 まず表情に注目する。明るさを感じられる人、表情が豊かな人からは、大概良い「気」が出ている。P.153
 最も手っ取り早く「気」を高め、運を上げるには、良い「気」の出ている、或いは運のいい人や会社と付き合うことだ。P.159

第五章/これから
 結局、企業は「人」だと思う。P.181
 国家も企業も、まずはleaderが大切だ。付け加えるならば、brainの優秀さも重要だ。
 Leaderやbrain達が時代に合った政策や経営方針を打ち出せなければ、どんな会社でも滅ぶし、国であれば没落する。P.182
 変わり続けることこそが価値‥大企業、歴史ある企業が生き残るのではない。時代の変化についていける企業が生き残るのだ。
 変化に柔軟に対応出来る体制がなければ、どんな大会社でも潰れる。世界一を経験したGMもコダックも破綻したのだ。P.186

 夢を持つこと、challengeすることの最大の目的は、それを達成することだ。
 でも、夢を持っている、challengeする、その為に頭を悩まし、身体を動かすことそのものも、成功するのと同じ位の価値を持っているのではないだろうか。
 成功など、いつかすればいい。そもそもいきなり成功することなど滅多になく、失敗して鍛えられた結果、段々確率が上がっていくのだ。P.199

終章/もう一度、旅へ
〔略〕

【小生comment】
 澤田氏の考え方は、小生大部分が共感出来るもので、実際に小生も同じ様に感じて生きて来たと言えるかもしれない。
 勿論、小生などは澤田氏の実行力や実際に為し得て来た事象のscaleに比べれば足許にも及ばないが‥。
 これからの残された人生‥、どういう未来が待っているか分からないけれど、明るく元気に前向きに生きて行きたい。
 そういう「元気」、即ち「気」の元をくれた様な本であった。
 澤田氏に感謝申し上げたい。

 では、また‥。(了)

« 2014年5月 | トップページ | 2014年7月 »

2017年5月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
フォト

最近の記事

05【時習26回3-7の会】【2008年8月16日】《クラス会》於:ブラウンズ&トライ・アゲイン

  • Dsc_0217
    ■2008年8月16日【時習26回3-7の会】《クラス会》を豊橋市内にある『ブラウンズ(一次会)』と『トライアゲイン(二次会)』にて開催しました。T三先生をはじめ全国から15名が集い大変楽しい5時間を過ごしました。 ■名残惜しいなか、23時すぎ、来年の再会を誓って散会しました。

101【2007年6月2~3日】■「千手院」でお会いした皆さんへ←clickでalbumへ

  • Cimg1428
    ■朝護孫子寺にて撮影した写真のほとんとを追加しました。ご高覧下さい。 ■2007年6月2~3日、「賢人会」のmember谷山・中嶋両氏と大和七福神・八宝廻りをしました。 ■七福神の一つ毘沙門天を祭る「信貴山朝護孫子寺」の宿坊【千手院】で一泊。 ■そこで、ご一緒した皆さんとの楽しかったひとときをアルバムにしました・・。      * * * ■瀬尾君、浅田さんとそのお供達の皆さんへ、「感想をお聞かせ」頂ければ幸甚です。 ▼『【時習26回3-7の会】のブログ画面』の【左上欄外】の「メール送信」を左clickして頂くと、今泉宛のmail address ~ < si886@nifty.com > ~ が開きます。 どうぞ、ご気軽に感想をmailにてお知らせください。 ▲【2637の会】のURL・・・  → URL: http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog

最近のコメント

無料ブログはココログ