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2014年9月の4件の記事

2014年9月28日 (日)

【時習26回3-7の会 0518】~「09月19(金)~21(日):『鹿児島 視察〔19(金):鹿児島空港→鹿児島臨空団地&鹿児島臨海工業地帯1号用地〕&旅行〔20(土):知覧武家屋敷→知覧特攻平和会館→枕崎・薩摩酒造花渡川蒸留所 明治蔵→21(日):鹿児島市内観光〔維新ふるさと館→石橋記念公園→仙巌園・尚古集成館〕→霧島神宮→鹿児島空港〕実施報告』」「09月24日:名古屋Boston美術館館『美術する身体(The Human Image)』展を見て」

■皆さん、今日も【時習26回3-7の会 0518】をお送りします。
 秋の彼岸も過ぎ、もう日照時間は12時間を切りました。
 名古屋の今日09月28日の日の出05時45分、日の入り17時41分(日照時間11時間56分)。
 もう4分程昼の時間が夜の時間より短くなっています。
 日本の標準時間とされる明石天文台でも、日の出05時52分/日の入り17時49分(日照時間11時間57分)〔日の出・日の入り・日照時間 以下、同じ〕。
 因みに、岡山市:05時57分/17時53分(11時間56分)、広島市:06時02分/05時59分(11時間57分)/長崎市:06時12分/18時09分(11時間57分)、那覇市:06時20分/18時19分(11時間59分)、日本最西端の与那国島・与那国町:06時38分/18時38分(12時間00分)、根室市:05時12分/17時05分(11時間53分)、稚内市:05時28分/17時20分(11時間52分)、札幌市:05時28分/17時22分(11時間54分)、東京:05時34分/17時30分(11時間56分)。
 日本最北端の稚内市は日照時間11時間52分に対して、与那国島の与那国町では丁度12時間00分。
 また、日の出は、日本最東端の根室市05時12分に対して、最西端の与那国町では06時36分と、1時間24分もの開きがあります。
 日本は結構広い国なんですね。

■さて、今日も最初は、先週お伝えした09月19(金)~21(日):『鹿児島 視察&旅行』の話題からお伝えします。
 小生、勤務先が事務局を務めている三河港の自治会主催「視察&旅行」に参加した。
 行先は、昨年の「石狩湾新港&小樽」から一転、今年は南国の「鹿児島」となった。
 日程は以下の通り‥

【09月19(金)】
=視察=鹿児島空港→鹿児島臨空団地&鹿児島臨海工業地帯1号用地
【09月20(土)】
=旅行=知覧武家屋敷→知覧特攻平和会館→枕崎・薩摩酒造花渡川蒸留所 明治蔵
【09月21(日)】
=旅行=鹿児島市内観光〔維新ふるさと館→石橋記念公園→仙巌園・尚古集成館〕→霧島神宮→鹿児島空港〕

 概略を順次ご紹介して行く‥。
【09月19(金)】=視察=
 初日の視察地鹿児島県は全域生憎の雨天であった。
 鹿児島空港で、鹿児島県庁の担当者が視察用の貸切busに乗り込んで来て説明してくれた。
 最初は、鹿児島空港に程近い鹿児島臨空団地。続いて、30分程南に移動して、鹿児島臨海工業地帯1号用地。
 雨が確り降っていたので、busから降りず、県担当者の説明を聞いた。
 鹿児島県の人口は現在167万人。
 うち60万人が県庁所在地の鹿児島市に住んでいる。
 鹿児島県も過疎化に拠る人口減と、鹿児島市への一極集中が進んでいるという。
 視察を終え、県担当者が県庁舎で降りた際、暫しのトイレ休憩となった。
 その時撮した写真が以下の4枚である。
 20年前に立てたこの鹿児島県庁舎は総工費647億円。18階建。
 庁舎の中に入ると、中央が18階迄吹き抜けになっていて壮観であった。
 流石は、明治維新・薩長土肥藩閥政治の最大雄藩鹿児島県である。

[01]鹿児島県庁舎内部 1階から天井迄 18階吹き抜け
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[02]鹿児島県庁舎 entrance
 02_entrance

[03]鹿児島県庁舎 entrance 風除室01
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[04]鹿児島県庁舎 entrance 風除室02
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【09月20(土)】=旅行=1日目
 鹿児島市内のhotelを08時半に出発し丁度1時間の所にある最初の訪問地、南九州市知覧町郡「武家屋敷庭園」を訪れた。
 当地区は、島津家の分家、佐多氏が地頭として収めていた所。
 添付写真は、公開されている西郷惠一郎氏庭園。

[05]知覧 武家屋敷前の道路
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[06]知覧武家屋敷庭園〔西郷惠一郎庭園〕
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 添付写真[07]は知覧武家屋敷の一角にある売店で売られていた「知覧提灯」。
 和傘を上下で被せた様な、大変uniqueな恰好をしていた。
 欲しいなと思ったが、1つ3,500円と聞いて取りやめた。^^;
 又、鹿児島県は、お茶の産地としても有名である。
 Bus guideの説明では、天下の静岡茶も一頃は鹿児島県産のお茶がかなりの分量blendされていた、という。
 知覧も「知覧茶」として販売されていた。

[07]知覧提灯
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[08]知覧武家屋敷areaにある売店
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 次に向かったが、知覧特攻平和会館。

[09]知覧特攻平和会館
 09

 1941年12月、当地に陸軍飛行学校分校が開設。
 1945年03月、陸軍特攻基地となる。
 薩摩半島の知覧基地を主軸とする特攻基地から、17歳~20歳代半ばも若い特攻隊員1036名が出撃し沖縄周辺洋上にて戦死している。
 尚、神風特攻隊は、海軍の鹿屋(かのや)基地。大隅半島の鹿屋からは828名が出撃している。
 小生の親父は、陸軍 特別操縦見習士官第4期生。
 そう、特攻の生き残りである。
 親父は大正13年9月生まれなので、終戦の時はまだ二十歳。
 いつも親父は言っている「戦争は絶対やっちゃいかん!」と。
 何年か前、親父もこの知覧平和会館を訪れている。
 その時、親父を可愛がってくれていた1年先輩の遺影を見た時、絶句して涙がこぼれて止まらなかったという。
 お国の為に若き命を捧げて散って逝った若き特攻隊員の冥福を祈って‥合掌‥。

 Busは進路を南西に取り次に向かったのが、枕崎市の枕崎港。
 その途上、車窓から左手(南東)に薩摩富士の名でも知られる開聞岳〔標高924m(指宿市)〕が見えた。
 ホント、円錐形の姿は実に美しい‥。

[10]知覧から枕崎へ‥車窓から『開聞岳』遠望
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 枕崎港のrestaurantで昼食を摂った。
 枕崎というと「鰹」、lunchも「ぶえん鰹」である。

[11]枕崎港での昼食‥名物『ぶえん鰹』
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[12]売店で販売中の枕崎 ぶえん鰹
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 昼食後、訪れたのが枕崎市内にある「薩摩酒造花渡川蒸留所 明治蔵」。
 薩摩の芋焼酎で全国的に有名な薩摩「白波」の酒蔵である。
 製造工程等の説明や、酒蔵や作業場を案内してくれた時教えて貰ったのが「最近の芋焼酎は何故臭くなくなったのか?」についてである。
 答えは、「昔は採取した薩摩イモを暫く野ざらしにした儘、極端なことを言えば腐りかけても材料にした‥だから臭い」のだそうだ。
 一方、「最近では、採取した薩摩イモは直ちに不良な部分を切除して新鮮な状態で材料として使う‥だから芳しく」なったのだという。

[13]薩摩酒造花渡川蒸留所 明治蔵にて〔枕崎〕20140920
 13_20140920

【09月21(日)】=旅行=2日目
 旅行1日目は何とか雨も僅かで良かったが、最終日の旅行2日目は終日雨天であった。
 其処で、当初予定であったferryで桜島へ渡っての観光は取止めとなった。残念!^^;;
 代わって鹿児島市内観光に切り替えたと言う次第である。
 09時丁度にhotelを出発。
 最初に訪れたのが、「維新ふるさと館」。
 Leafletに「鹿児島の歴史が一目でわかる」とあるだけあって、幕末維新の頃の資料が随分沢山展示されてあった。
 当館の目玉は、android robotの様によく出来た、西郷隆盛をはじめとする明治の元勲達が話をし乍ら「維新への道」を解説してくれること。
 又もう一つ、薩摩藩の藩命で国禁を犯しつつも渡英して明治の近代国家日本の発展に貢献した青少年達の話もあった。
「薩摩student、西へ」というdramaだったが、これも中々良かった。
 上映時間は、2本で50分程度であった。

 続いて訪れたのが、「石橋記念公園」。
 此処から望む桜島が素晴らしい。
 なのであるが、当日は雨天で、雲に麓迄覆われて全く見ることが出来なかった。
 大変残念である。

 続いて訪れたのが、「仙巌(せんがん)園・尚古(しょうこ)集成館」。
 当園は、leafletにこう記されてあった。
「萬治元(1658)年、島津家19代光久(1616-94)はこの地に別邸を築造しました。
 桜島を築山に、錦江湾を池に見立てた雄大な庭園は四季折々の表情で人々を魅了します」
 ホント、庭園が実に素晴らしかった。

[14]仙巌園・尚古集成館〕
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[15]仙巌園『御殿』
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[16]仙巌園『庭園〔部分〕』
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 尚古集成館についてもleafletを引用する。
「幕末、(島津家28代藩主)斉彬(1809-58)がこの地に東洋最大の工場群「集成館」を築きます。
 製鉄・大砲・造船・紡績・薩摩切子等のガラス、薩摩焼の研究・製造を行い、写真・電信・ガス灯等の実験・研究も盛んに行いました。〔中略〕
 29代忠義(1840-97)は父久光と共に集成館事業を再興。
 機械工場(現・尚古集成館本館)を建設し、日本初の洋式紡績工場「鹿児島紡績所」を設立しました〔後略〕」

 この日最後に向かったのが、鹿児島空港に比較的近い「霧島神宮」。
 霧島神宮の御祭神は、ニニギノミコト。
 所謂、高千穂峰へ天孫降臨した人物。
 彼の曾孫が、神日本磐余彦尊、即ち、神武天皇である。
 此処の話をすると、それだけで膨大な量になるので今回は割愛する。
 小生も詳しい話は知らない。^^;
 余談だが、bus guideさんが、ニニギノミコトを正しく、アメニギシ ク二ニギシ アマツ ヒタカヒコホノ ニニギノミコトと流暢に諳んじたのには感心した。
 ホント、舌が絡まって仕舞いそう‥‥^^;

[17]霧島神宮〔手前より 勅使殿 拝殿 本殿〕
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[18]霧島神宮 御祭神&主な祭典一覧
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[19]鹿児島空港5番gateから高千穂峰(たかちほのみね) 遠望
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■今日最後の話題である。
 09月24日、仕事で名古屋へ出張した際、名古屋Boston美術館館にて開催中の『美術する身体(The Human Image)』展を見て来た。
 本展は、簡単に言えば、「戦後〔20世紀後半〕からの現代美術が、生命の器としての身体をどう表現して来たか」を問うている企画展である。
 したがって、添付写真「[22]戦後美術の流れ」に沿って、時系列的にBoston美術館が蒐集してきた作品群を展示している。
 この「戦後美術の流れ」のkey word毎に、添付作品を分類してみると以下の通りになる。

[21]名古屋ボストン美術館『美術する身体 The Human Image』展
 21_the_human_image

[22]戦後美術の流れ
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【シュルレアリスム(Surrealisme)】
[23]Kurt Seligmann(1900-62)『サトゥルナリア祭の為の習作Ⅱ』1950年頃
 23kurt_seligmann1900621950

【戦後の人物表現】
[24]Alberto Giacometti(1901-66)『アネット(Annette)』1953年
 24alberto_giacometti190166annette19

【アンフォルメル(Art Informel)】
[25]Jean Dubuffet(1901-85)『帽子とシダ(Hat with Fern)』1953年
 25jean_dubuffet190185hat_with_fern1

【戦後の人物表現】
[26]Pablo Picasso(1881-1973)『Italiaの女性(Victor Orselの絵画を元に)』1953-55年
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[27]Pablo Picasso『サビニの女たちの略奪(Rape of the Sabine Women)』1963年
 27pablo_picassorape_of_the_sabine_w

【ポップ・アート(Pop Art)】
[28]Andy Warhol(1928-1987)『Mick Jagger』1975年
 28andy_warhol19281987mick_jagger197

[29]Andy Warhol
『左上:Paul Anka, The Painter,1976/
 右上:Rolling Stones, Love You Live,1977/
 左下:John Lennon, Menlove Abe,1986/
 右下:Aretha Franklin, Aretha,1986』
 29andy_warholpaul_anka_the_painter1

【具象への回帰】
[30]Alex Katz(1927- )『Ulla in Black Hat』2010年
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[31]Lucian Freud(1922-2011)『Susie』1988年
 31lucian_freud19222011susie1988

【スーパーリアリズム(Superrealism)】
[32]Scott Prior(1949- )『Nanny & Rose』1983年
 32scott_prior1949_nanny_rose1983

【後記】 尚本来は、「Paul Krugman著『格差はつくられた(The Conscience of a Liberal)』を読んで」をご紹介する予定であったが、都合に拠り次号に繰り越すこととする。従って、添付写真[20]は本号では欠番とした。
 一週間は、あっという間に過ぎていく。
 たった一週間ではあるが、自然の摂理は時として無情に過ぎていく。
 昨日噴火した御嶽山の噴火や、旧社会党党首で衆議院議長であった土井たか子が09月20日亡くなった。
 亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。

 世の中は、正に「無常」である。
 然るに、毎日の時々を大切に悔いなく生きていきたいものである。

 NHK大河ドラマ「軍師 官兵衛」が相変わらず面白い。
 そして、官兵衛の辞世の句もまた大好きで時々口ずさんでいる‥

 おもひおく 言の葉なくて つひに行く 道はまよはじ なるにまかせて
                                            黒田如水圓清(1546-1604)

 では、また‥。

2014年9月18日 (木)

【時習26回3-7の会 0517】~「09月14日:浜松市美術館『デ・キリコ(1888-1978)』展を見て」「豊橋美術博物館『星野眞吾賞』展から」「相澤理著『歴史が面白くなる‥ディープな戦後史‥最難関大の入試問題で、使える歴史が身につく!!』を読んで」「時習館高等学校同窓会ヨーロッパ支部立ち上げについてのお願い」

■皆さん、今日も【時習26回3-7の回 0517】をお送りします。
 本来なら《会報》は週末に配信するのですが、今週は明日19日から21日迄の三日間、勤務先の港の自治会の視察旅行がある為、土日配信が出来ません。
 其処で、ちょっと早いですが、今日《会報》【0517】号をお送りします。
 最近、メッキリ秋らしくなって参りました。
 昔から「暑さ寒さも彼岸迄」とは言い得て妙です。
 あと数日で秋彼岸の中日〔=秋分の日=〕です。
 ついでに言うと、秋分の日の翌24日は、小生の59歳の誕生日。
 もう既に今年になって数えで六十路を迎えているのですね‥。
 自分が六十路だと知ると一寸寂しい感じがします。

■さて、今日も最初は、美術館巡りの話題からお届けする。
 09月14日(日)に、現在浜松市美術館にて開催中の『デ・キリコ』展を見て来ましたのでその話題から‥。
 本展について、本展leafletから引用してご紹介する。

[01]浜松美術館入口『デ・キリコ』展看板
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[02]本展leaflet
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 Italyを代表する画家、ジョルジュ・デ・キリコ(Giorgio de Chirico(1888-1978))は、一見関連性のないmotifを歪んだ遠近感に拠って描くなど、目に見えるものの裏側に潜む神秘や謎を表現した画家として有名である。
 この表現は「形而上絵画」と呼ばれ、後のsurrealism(超現実主義)絵画にも大きな影響を与えた。
 第一次世界大戦後、renaissanceやbaroqueの画家達の影響を受けたde Chiricoの絵画は古典主義へと回帰し、更に晩年には、新たな形而上絵画を創造する等発展を続けた。
 本展は、Paris市立近代美術館に寄贈されたChiricoの妻イザベッラ・デ・キリコの旧蔵品を中心に、Italy各地の美術館・個人、日本国内所蔵作品から、画家の各時代の代表的作品を紹介する。〔後略〕

[03]Giorgio de Chirico『福音的な静物』1916年
 03giorgio_de_chirico1916

[04]同『謎めいた憂愁』1919年
 041919

 画面ほぼ中央奥に姿を見せるのはHermes像。
 Hermesは、Zeusとnymph Maiaとの子。
 幸運・富裕の神。
 商売・盗み・競技・旅人の保護者。
 霊魂を冥界に導く役目も果たした神。
 本作でのHermes像の役割は謎に包まれている。
 が、本作完成の前年に他界した、友人で擁護者でもあった小説家&美術批評家のアポリネール(1880-1918)への追悼を込めたとも言われている。
 本作は、1910年代に追求していた形而上絵画の締め括りとなる作品。

[05]同『母親のいる自画像1921年
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[06]同『赤と黄色の布をつけた座る裸婦』制作年不詳
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[07]同『イーザとジョルジョ(Isa et George)』制作年不詳
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[08]同『自画像(Autoportrait)』1949年
 08autoportrait1949

[09]同『田園風景の中の静物』1943-48年頃
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[10]同『ヴェネツィア、パラッツォ・ドゥカーレ(Venise, le Palais ducal)』1957年
 10venise_le_palais_ducal1957
 本作は、古典主義への回帰時代を経て、新形而上絵画(Neometafisica)へ移行する過渡期の作品。
 極めてrealで美しいVeneziaの風景画である。
 彼が求めていた美しいmatiereが強調され、写実性に幻想的な雰囲気を併せ持った傑作となっている。
 小生は、輝いた美しさの為か、この絵の前に来て一瞬釘付けになった。

[11]同『吟遊詩人(Le Troubadour)』1955年
 11le_troubadour1955
 De Chiricoを代表するシュ―ルな絵と言えば、先ずこの『吟遊詩人』だろう。
「吟遊詩人(Le Troubadour(トルバドゥ―ル))」とは、11~13世紀に欧州各地を巡り活躍した詩人達をいう。
「吟遊詩人」は、de Chiricoの作品の中に1910年代の若い時代からよく登場している。
 ノッペラボウのmannequinは、de Chiricoの絵を特徴づける、「静寂」「沈黙」「孤独」といった雰囲気をよく表現している。

[12]同『ユピテルの頭部のある形而上的構図(Composition metaphysique avec tere de Jupiter)』1970年頃
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[13]同『古代的な純愛の詩(Idylle antique)』1970年頃
 13idylle_antique1970

[14]同『燃え尽きた太陽のあるItalia広場、神秘的な広場』1971年
 14italia1971

【小生comment】
 半世紀近く前に遡るが、小生は上記[11]『吟遊詩人』の絵を初めてTVで見たことがあった。
 そしてその絵を見た瞬間、「デ・キリコ」と「シュルレアリスム(Surrealisme)」という言葉が強烈に頭に焼き付いた記憶を今でも昨日の様に覚えている。
 小生にとっては、それ程衝撃的で大変印象深い絵だったのである。
 美術館を出た後、直ぐ傍にある、浜松城天守閣を見てみたくなって立ち寄った処、09月30日迄改修工事中であった。

[15]浜松城天守閣
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■続いては、09月15日(日) 豊橋美術博物館で09月21日迄開催中の『星野眞吾賞』展を見て来た。
 本展は、正式には《トリエンナーレ豊橋/星野眞吾賞展》という。
 日本画の可能性を探究し続け、戦後の日本画壇に大きな足跡を残した地元出身の日本画家・星野眞吾(1923~1997)。
 その星野が、その晩年、「後進の支援と育成」を願って豊橋市へ私財を寄附したことに本賞は由来する。
 若手の日本画家の育成を目的に「明日の日本画を求めて」をthemeにする公募展である。
 1999年の第1回から数え、今年で第6回目になる。
 今年の大賞は、[16]の本展看板にも掲載されている、漆原夏樹氏の『彼女の風景』。
 漆原氏は、1977年神奈川県生まれ。東京藝術大学大学院修了。

[16]豊橋美術館入口『星野眞吾賞』展看板
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[17]星野眞吾
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■今日最後の話題は、相澤理『歴史が面白くなる‥ディープな戦後史』からご紹介する。
 本書は、実際に出題された一橋大学「日本史」の入試問題である。
 著者の相澤氏が「はじめに」で2つの動機から本書を書いたと述べている。それは‥
 「戦後史を〈今〉に直結する形で掘り下げたい」
 「東大日本史とは違った意味で面白い一橋大日本史こそ、世に知られるべき」‥だ。
 そして又、「はじめに」の末尾で、「本書ばかりは本当に二度読んで頂かないと内容を正しく理解出来ないと思います」とも書いている。

 まずindexのsummaryを記すのでご覧戴きたい。

第一部/占領下の日本
 1.日本国憲法は「押しつけ」なのか?(2001年度・Ⅲ)
 2.冷戦は日本にどの様な影響を与えたのか?(1983年度・Ⅲ)
 3.San Francisco講和条約を巡る争点とは?(1995年度・Ⅲ)
 4.財閥解体は成功したのか?(1995年度・Ⅱ)
第二部/保守政権の誕生
 5.自由民主党の結党理念とは?(1994年度・Ⅲ)
 6.安保闘争は何故盛り上がりを見せたのか?(1997年度・Ⅲ)
第三部/高度成長期の内政と外交
 7.高度成長が達成出来たのは何故か?(1999年度・Ⅲ)
 8.沖縄返還の背景にあったものは?(2004年度・Ⅲ)
 9.田中角栄内閣が掲げた内外の政策とは?(2008年度・Ⅲ)
 補講 「戦時体制」から「戦後体制」へ?(2003年度・Ⅱ)

 今日は、この中から「3.San Francisco講和条約を巡る争点とは?(1995年度・Ⅲ)」をご紹介してみたい。〔本文P.63-84〕
 先ずは問題文をご覧戴きたい。

【問題3】1951年9月8日に調印されたSan Francisco講和条約について、次の問いに答えよ。(問1~問3合わせて400字)
※問1.この講和条約は、日本にとって『寛大な講和』という一面を持っていたと言われるが、その『寛大』さの内容を具体的に説明せよ。
    又、そうした性格の講和が実現した背景について、当時の国際情勢との関連に留意し乍ら、具体的に説明せよ。
※問2.この講和条約が調印された会議には、有力な交戦国の一つが招請されていない。
    その国と日本との間の「戦後処理」は、その後、どの様な形でなされたか、具体的に説明せよ。
※問3.この講和条約の締結を巡って、日本国内では国論を二分する講和論争が起こることになる。
    その講和の方式や講和後の安全保障のあり方などを中心にし乍ら、その論争の争点を具体的に説明せよ。

 本書では、解答に到るprocessとして以下の様な解説を加えている。
《寛大な講和》
〔前略〕
 1950(昭和25)年6月に朝鮮戦争(~1953年7月23日停戦)が勃発。
 すると、米国は日本を西側陣営に組み込み、「反共の防波堤」とすべく講和を急いだ。〔中略〕
 その間にも、朝鮮半島では、中国人民義勇軍の支援を受けた北朝鮮軍と、米国が指揮する国連軍とが一進一退の攻防を繰り広げていた。
 日本に軍事的空白をつくらない為にも、米軍の駐留を認めることが講和の条件であった。
 こうして結ばれたSan Francisco平和条約では、交戦国に拠る日本の『賠償責任』が著しく軽減され、多くの国が賠償請求権を放棄した。
 それは、日本の経済復興を優先するという米国の意向に拠るものだ。〔中略〕
 この条約を基に東南Asia諸国に支払われた賠償3,600億円(準賠償を含めれは1兆円)は、「役務及び生産物の供与に拠る」とされた。
 要するに、単に金銭を支払うのではなく、発電所や港湾施設の建設や、船舶やtruckの提供する形をとったのである。
 それを請け負ったのは、技術力を持つ日本企業。
 こうして、日本企業の東南Asia市場進出の足掛かりの役割を十分に果たしたのである。〔後略〕

《2つの中国との関係》
 問2で問われている、講和会議に招聘されなかった「有力な交戦国」とは、「2つの中国」。
 韓国も招請されなかったが、それは同国が「交戦国」に当たらないからである。〔中略〕
 故に、日韓国交正常化は1965(昭和40)年の日韓基本条約を待たねばならなかった。
〔中略〕
 当時「2つの中国」のどちらを講和の相手とするかについて、会議の主催国である米英の間で意見が対立した。
 既に中華人民共和国を承認していた英国は、毛沢東政権を代表とし、台湾の返還も条約に盛り込む様主張。
 一方、朝鮮戦争に於いて北朝鮮を支援する中国人民義勇軍と交戦状態にあった米国は、中華民国の蒋介石政権を代表とすることを求めたのである。
 結局、「2つの中国」の招聘は見送られ、どちらと講和するかについては独立回復後の日本の判断に委ねられることになった。
 以上の経緯から、台湾の帰属についても、平和条約では第2条に日本の領土権の放棄が記されるのみで、明確にはされなかった。
 だが、講和の相手は自ずから決まっていた。
 1952(昭和27)年4月28日、平和条約が発効して独立を回復したその日に、日本は日華平和条約を中華民国と結んだ。
 これは、対中敵視政策をとる米国に追随したからだ。〔中略〕
 この後、1972(昭和47)年に日中共同声明を発表して中華人民共和国との国交を正常化(‥「日華平和条約」は破棄‥)。
 1978(昭和53)年に「日中平和友好条約」を締結した。〔中略〕

《米国に寄り添って生きる道》
 問3は「国論を二分する講和論争について問うている。
「単独講話」と「全面講和」という言葉が思い浮かんだ読者の方も多いと思う。
 しかし、「講和後の『安全保障』の在り方」も問われているので、それだけでは物足らない。〔中略〕
「単独講和」とは、米国の西側陣営とのみ講話する形式である。
 これは、これを批判する「全面講和」の立場からは「片面講和」と呼ばれた。〔中略〕
「全面講和」とは、東側陣営を含む全ての交戦国と講和する形式を言う。
 それは、日本が西側陣営に属さず中立の立場を選ぶことを意味する。
 当然、日米安保体制など認めらない。〔中略〕
 尚、条約調印後の1951年10月、講和形式を巡って社会党が左右両派に分裂した。〔中略〕
 吉田首相を筆頭に保守派の政治家は、朝鮮戦争が行われている状況では米国の軍事力に依存せざるを得ないと考えていた。
 現実的には「単独講和」しかない訳だ。
 そもそも、これだけ早く「講和=占領状態の終了」に道が開けたのも、『冷戦の激化』に拠るもの処が大きい。〔中略〕
 吉田は、「全面講和」を主張した東大の南原総長を『曲学阿世の徒』と批判している。
 曲学阿世とは、自らの学問を曲げて迄世間に媚びへつらうことで〔【小生補足】‥当時流行語にもなった‥〕ある。
 理想を語るだけの平和主義には耳を貸さず、冷戦という現実に従ったのが吉田(茂)であった。
 こうした事情を、学校用教科書『詳説日本史』(山川出版社)は、「第3次吉田内閣は、独立・講和の時期を巡る問題は米軍基地にあると考え、再軍備の負担を避けて経済復興に全力を注ぐ為にも西側諸国のみとの講和に拠って独立を回復し、施設提供の見返りに独立後の安全保障を米国に依存する道を選択した」(P.382~83)と端的に指摘している。〔後略〕

《吉田(茂)が託した<宿題〉》
〔前略〕
 吉田茂はプレシディオ国立公園内の陸軍下士官室〔【小生補足】‥←将校クラブでない、「下士官」室という処に日本への侮蔑の色が滲み出ている‥〕で、独り日米安全保障条約〔旧 安全保障条約〕の調印に望んでいる。〔中略〕
 旧・日米安全保障条約第1条に「米国の陸軍・空軍及び海軍を日本国内及びその附近に配備する権利を、日本国は、許与し、米国は、これを受諾する」とある様に、米国の〈権利〉が書かれているのみで、日本を防衛する〈義務〉は明記されていない。
 戦勝国と敗戦国の関係を反映した、片務的な内容であった。〔中略〕
 正に「米国が駐留してやる」という態度で貫かれていた条約だったのである。〔中略〕
 吉田は、旧安保条約の調印に同行した池田勇人蔵相に対して、「この条約はあまり評判がよくない。君の経歴に傷がつくといけないので、私だけが署名する」と言って、独り署名した。
 苦渋の決断を迫られた吉田は、条約が様々な問題を孕むことを十分に承知の上で、その責任を一身に背負ったのだった。〔後略〕

【解答例】
問1/東西冷戦下、東アジアでは中華人民共和国が成立すると共に、講和の前年には朝鮮戦争が勃発。
   其処で、日本を西側陣営に組み込み『反共の防波堤』としたい米国は、日本の経済復興を優先させる意向だった。
   それを受け多くの国が賠償請求権を放棄した。(115字)

問2/「2つの中国」は講和会議に招請されなかった。
   が、中共敵視政策をとる米国に追随して翌'52年に台湾の中華民国政府と日華平和条約を結んだ。
   だが、中華人民共和国との間では政経分離を原則に貿易が行われた。
   '72年のニクソン訪中に次いで田中首相も訪中して日中共同声明で国交正常化。
   '78年に日中平和友好条約が結ばれた。(154字)

問3/吉田茂内閣や保守派は軍事的・経済的に米国に依存する現状に於いて西側陣営との単独講話もやむを得ないとの立場だった。
   これに対し、革新勢力や知識人層は再軍備に反対し独立回復後の中立堅持を求める立場にあった。
   その立場から東側陣営を含む全ての交戦国との全面講和を主張した。(131字)(計400字)

[18]相沢理『歴史が面白くなる‥ディープな戦後史』
 18

【小生comment】
 一橋大の日本史の入試問題は如何でしたでしょうか?
 ちょっと重かったですネ‥。
 でも、日本がこれから、複雑化する世界の政治情勢の中で地に足をつけて前進していくには、歴史を確り学び摂らねばなるまい。
 ドイツ帝国宰相Bismarck(1815-1898)の格言でも、「愚者は『経験』に学び、賢者は『歴史』に学ぶ」とある。
 正しい歴史認識を基に、最適解を導き出していくことが、国の行く末を正しい方向に持っていく為に極めて重要であることは間違いない。

【後記】今日のお別れは、最近、手に入れた、飯吉光夫 訳&解説『世界の名詩を読み返す』からお贈りします。
 今日は、ヘルマン・ヘッセ(Hermann Hesse(1877.07.02-1962.08.09)の『霧の中』です。

    霧の中

 霧の中をさすらうのは不思議!
 どの藪も 石も 孤独
 どの樹木も ほかの樹木は見えない
 それぞれが ひとりぼっち

 ぼくの人生がまだ明るかったころ
 この世の中は友だちでいっぱいだった‥‥
 いま 霧があたりに立ち込めると
 もう誰ひとり見あたらない

 あらゆる人間と自分とを
 どうしようもなく隔てる
 暗闇を知らない者は
 本当に賢いとはいえない

 霧の中をさすらうのは不思議!
 生きるとは 孤独でいること
 誰も 他人を知らない
 それぞれが ひとりぼっち

 ※ ※ ※ ※ ※

  Im Nebel

Seltsam, im Nebel zu wandern!
Einsam ist jeder Busch und Stein,
Kein Baum sieht den anderen,
Jeder ist allein.

Voll von Freunden war mir die Welt,
Als noch mein Leben licht war;
Nun, da der Nebel fällt,
Ist keiner mehr sichtbar.

Wahrlich, keiner ist weise,
Der nicht das Dunkel kennt,
Das unentrinnbar und leise
Von allem ihn trennt.

Seltsam, im Nebel zu wandern!
Leben ist Einsamsein.
Kein Mensch kennt den andern,
Jeder ist allein.

【小生comment】
 人生は、結局最後は自分ひとりで「霧の中」を歩いてゆくのと同じだ‥
 一度しかない人生だ、孤独・艱難辛苦という「暗闇」を知ってこそ毎日が映えてくる
 そう覚悟すれば、大概のことは、楽しいものとして受け入れることができるのだ
 そうやって僕も賢く人生を全うしたい‥

《急告》
 以下の添付写真をご覧下さい。
 時習館高校同窓会 副会長 福井英輔君【3-9】から依頼を受けましたので、皆さんにお知らせとお願いがあります。
 この程、母校時習館高校同窓会は、ヨーロッパ支部を立ち上げることになり、Europeに現在在住又は駐在している人を紹介して欲しいという依頼です。
 小生、先頃迄、時習26回生卒業40周年記念懇親会の代表幹事を務めていましたが、該当者を存じ上げません。
【2637の会】membersの皆さんの中で、欧州在住か駐在の仲間をご存知でしたら、小生にお知らせ頂ければ幸甚です。
 取り急ぎ‥。

[19]時習館高校同窓会ヨーロッパ支部設立の伴う準備会〔London〕に向けての緊急願い
 19london

 では、また‥。(了)

2014年9月15日 (月)

【時習26回3-7の会 0516】~「Joseph E. Stiglitz著『世界の99%を貧困にする経済(The Price of Inequality)‥なぜ繁栄の分け前は1%の最上層によって独占されるのか?』を読んで」「09月06日:徳川美術館『天下統一‥信長から家康へ‥』展を見て」「同左:古川美術館『芸術寸法-床の間芸術から会場芸術への展開』展を見て」

■皆さん、今泉悟です。今秋最初の三連休でしたが、皆さんは何方かへお出かけになりましたか?
 三連休は、休みを家庭の頼まれ事〔≒義務〕と、自分の好きなこと〔≒権利〕の両方を行えるのでいいですね。
 拙宅では、以前からずっと気になっていた庭木「ラカンマキ」と「百日紅(サルスベリ)」の剪定を行いました。
 趣味では、一昨日はgolf、昨日は、浜松市美術館で開催中の『デ・キリコ』展。
 そして今日は、午後から豊橋美術博物館『星野眞吾賞』展を見て来ました。
 又、この《会報》にupする為のStiglitz著『世界の99%を貧困にする経済(The Price of Inequality)全415頁』の残り(300頁程)を読みました。
 これで、三日間が終わって仕舞いました。

■さて、今日最初の話題は、いまお話したJoseph E. Stiglitz著『世界の99%を貧困にする経済(The Price of Inequality)‥なぜ繁栄の分け前は1%の最上層によって独占されるのか?』についてである。
 本文415頁は、結構読み応えがあった。
 まずIndexをお示しする。
 本書は、次の様になっている。

◎ 日本の読者へ/日本人は繁栄を幅広く共有出来たのか
 不平等はglobalな問題である。富裕国と貧困国とを問わず、地球上全ての大陸に蔓延している。
 上流階層に於ける過剰な富の蓄積、中流階層の空洞化、下流階層に於ける貧困の増加等、不平等には様々な側面がある。
 本書の論題の一つは、この様な不平等による高い代償を社会が払わされているという点だ。
 即ち、経済実績の低下や、民主主義の弱体化や、法の支配を初めとする根源的価値観の毀損である。〔中略〕
 日本にとって、米国の経験は重大な警告となるだろう。
 日本は経済成長が停滞する中でさえ、米国の様な行き過ぎた状態をどうにか回避して来た。
 近年のdataを見ると、例えば米国の中流階層では、2008年から2010年迄の間に、〔【小生補足】‥所謂Lehman Shockに拠り‥〕富の40%が消えてなくなって仕舞った。
 平均的な米国人の20年分の貯蓄が一瞬にして失われた計算だ。
 そして、2010年に景気が反転した時、国民所得の増加分の93%は、所得上位1%の人々の懐に転がり込んだのである。〔中略〕
 米国の社会保証制度は先進諸国では最低の部類に入るが、税収が減るつれ、ただでさえ不十分な制度にほころびが出初めており、平均的な市民の福祉を左右する公共serviceは、大幅な歳出cutを余儀なくされた。
 要するに、経済の落ち込みは当然の帰結として貧困の悪化を招くのである。
 米国にはもう一つ悪循環が存在する。
 高水準の不平等が経済を弱体化させ、弱い経済が更に不平等を悪化させるという流れだ。
 例えば高い失業率は、賃金に対する下落圧力となり、中流階層にdamageを与える。〔中略〕
 高水準の不平等は総需要を低下させ、現在米国を含む多くの国では、需要不足が経済成長の足枷となっている。〔中略〕
 本書は日本の読者にも、重要な警告と教訓を提供していく。
 米国より平等かつ公正な経済と社会をつくり上げて来た、という過去の成功が今後も続くものと当然視してはいけない。
 日本人は平等性を高めることに留意しつつ、不平等が経済と政治に及ぼす影響を警戒する必要がある。
 政府債務と高齢化の問題は、米国より日本の方が深刻であり、日本の経済成長率は米国より低い。
 だから、日本政府は最後の手段として、公共財への投資削減や社会保障制度の縮小に傾くかもしれない。
 しかし、その様な政策は、根源的な価値観と将来の経済展望を危機に晒す懸念があることを、決して忘れてはならない。〔中略〕
 米国にとっても、日本にとっても、問題なのは経済よりも政治である。
 日本は最上層に拠る権益の誘導を阻み、独占的な私利の追求に拠って経済全体が傷つくことを回避出来るであろうか。
 日本は21世紀に相応しい社会契約を築き上げ、成長の恩恵が公平に分配されることを担保出来るのだろうか?
 これ等の質問の答えは、日本社会と日本経済の未来を大きく左右する筈だ。(P.12)

序/困窮から抜け出せないsystem」
第一章/1%の上位が99%の下位から富を吸い上げる
第二章/Rent Seeking経済と不平等な社会のつくり方
第三章/政治と私欲が歪めた市場
第四章/米国経済は長期低迷する
第五章/危機に晒される民主主義
第六章/大衆の認識はどの様に操作されるか
第七章/お金を払える人々の為の"正義"
第八章/緊縮財政という名の神話
第九章/上位1%に拠る上位1%の為のmacro経済政策と中央銀行
第十章/歪みのない世界への指針

[01]Joseph E. Stiglitz著『世界の99%を貧困にする経済(The Price of Inequality)‥なぜ繁栄の分け前は1%の最上層によって独占されるのか?』
 01joseph_e_stiglitz99the_price_of_i

【小生comment】
 本書で、著者stiglitzが述べていることは、端的に言えば以下に集約されよう。

 経済的に成功した最上位階層は、既得権益を守る為、「『努力』と引換に賃金を得る『労働者』」とは好対照に、『レント(Rent)』と呼ばれる「独占状態を管理することで得る『収益』」の極大化を是迄永々と積み重ねて来た。
 その結果、現在の米国では、富の格差が尋常でない程に拡大して仕舞っている。
 実際の処、最上位階層の所得の大半は、『勤労』からではなく、『Rent』から生じている。
『Rent』は、中下層から上層へ金を移動させ、一部の人々が有利に、残りの人々が不利になるよう市場を歪めて来た。(P.385)
 以上から、米国経済再生に向けStiglitzは「経済改革の7つの基本方針」を提言している。〔P.287-93〕

 ①金融部門の抑制
 ②競争法とその取締りの強化
 ③企業統治の改善‥特に制限すべきは、CEOが莫大な社内資源を私的に流用する能力‥
 ④破産法の包括的改革‥債務者の不利の軽減‥
 ⑤政府の無償供与の打ち切り
 ⑥企業助成の打切り‥隠れた補助金を含む‥
 ⑦法制度の改革‥司法への門戸開放‥

 蓋し、米国の上記改革はまず困難であると思料する。
 何となれば、最上位階層の「金権力に拠る政治家支配」に拠り、米国の政治制度が最上位階層に極めて有利に、換言すれば、中堅階層が対象となる民主主義の根幹がかなりの深部迄歪めているからである。
 民主主義は、簡単に言えば「健全かつ大多数を占める『中堅層』が、より良い政治・経済・社会を合議に拠り決定していく仕組み」である筈である。
 ところが、現在の米国は、「健全な『中堅層』の大多数が没落」して、富が1%の最上位階層へ集中して仕舞っているのである。
 その最上位階層は、「金権力で政治家を動か」し、最上位階層に有利な所得減税や資産減税を実現して来たのである。
 歴史的には、レーガン大統領時代のレーガノミックス(Reaganomics)からである。
 為に、富は一層最上位階層へ集中していった。
 クリントン政権時代に、若干の修正はあったものの、ブッシュ政権時代に再び最上位階層優遇政策が施された。
 最上位階層が優遇された分、中堅階層は益々没落していった。
 端的な例を此処20~30年のglobalizationで見てみよう。
 中堅階層の代表的な熟練労働者は、globalizationの進展に拠り、海外から安価な製商品が入って来る様になると、自らの是迄の熟練労働の仕事を奪われ、再就職により非熟練労働者へと処遇が落とされる。
 更に、globalizationは、非熟練労働者の仕事をもout sourcingや機械化という形で奪っていった。
 そうして齎されたのは「賃金は低下」=「所得の減少」=「中堅階層の没落」である。
 Globalizationに歯止めがかからない限り、今後も中堅階層の没落は一層顕在化していくであろう。
 一方、最上位階層は、Rent Seekingの効果もあって、『Rent』は益々拡大し、彼等の富は一層増加していく。
 事程左様に、現在の状態を放置していくと、先進国の民主主義は、「中堅階層の没落」と共に崩壊の道を突き進むことになる。
 それを防ぐには、最上位階層への富を、中堅階層&下層へ移動するしかない。
 米国に留まらず、日本を初めとする先進諸国はいずれの国も、中堅階層の復活を具現化する政治制度を一刻も早く確立する必要がある。

■さて重い話はこれ位にして、続いては先週末の09月06日、私用で名古屋へ行った折、徳川美術館と古川美術館に立ち寄った話である。
 先ず、徳川美術館『天下統一‥信長から家康へ‥』展の模様からお伝えする。

[02]本展leaflet
 02leaflet

 Leflet右中段にある刀は、名刀の国宝・津田遠江長光。
 この刀は、織田信長の刀であったものを、本能寺の変の折、明智光秀が安土城にて接収したもの。
 光秀が家老の津田遠江守に与えたことから「津田遠江長光」と呼ばれる。
 本刀は、津田の子孫が加賀・前田利長に仕えた際、前田家に献上された。
 その後、前田家から尾張徳川家へ輿入れの折、尾張徳川家へ。
 その後、一時将軍家の所有となったが、五代将軍徳川綱吉の時、尾張徳川家第四代当主吉通へ下賜され、爾来、尾張家に伝わる。
 本刀は、地鉄の良さと刃文の美しさに定評がある。
 因みに、長光は、鎌倉時代後期に活躍した、備前刀の刀工。
 小生は、本展はこの『津田遠江長光』を見ることが出来ただけでも、来館した価値があったと納得している。

■続いては、古川美術館『芸術寸法-床の間芸術から会場芸術への展開』展の模様である。
 本展は、『床の間』空間がkey word。
 小生は、専ら「絵画」が好きなので、今回も展示作品の中から2点ご紹介する。

[03]横山大観『海暾』1940年
 031940

[04]徳岡神泉『白鷺』
 04

【小生comment】
 本展図録がない上、小生ついウッカリして、出品目録を持って帰るのを失念して仕舞った。
 上記作品以外にも良い作品が幾つかあったが、実名を出してご紹介出来ないのが残念である。
 毎度のことだが、ホント小生はそそっかしい。(^^;;

【後記】09月06日(土)夜は、原則年2回開催している、大学時代の弓道部時代の同期と一年上と一年下の3学年合同の同窓会を名古屋駅前の居酒屋にて開催した。
 先述した06日の私用とは、この同窓会のことである。
 幹事は、此処でも小生‥。(^^;
 今年は06月07~08日に時習26回生卒業40周年記念懇親会があった為、何かと忙しく例年より2箇月程遅れての開催とした。
 因みに、今回は一年先輩が、今年デンソーの子会社アスモの社長に就任したので、そのお祝いも兼ねての開催となった。
 添付写真[05]の前列左から2人目がその近藤社長である。

[05]大学弓道部第17-18-19代ミニ同窓会〔その1〕
 051718191

[06]同上〔その2〕
 062

 今、拙宅の中庭に白い彼岸花が咲いている。
 別名は曼珠沙華。
 赤い彼岸花はまだ蕾もない状態なのに‥。
 不思議だ!
 彼岸花というと、この名句がいつも浮かんで来る‥

 つきぬけて 天上の紺 曼珠沙華 山口誓子

 昨日の様な快晴の秋空に向かって、すっくと立って咲いている彼岸花‥
 凛としてこの上なく美しい‥。
 小生、この俳句が大好きだ。

[07]拙宅の中庭に咲いた白色の曼珠沙華〔彼岸花〕01
 0701

[08]同上02
 0802

 では、また‥。(了)

2014年9月 7日 (日)

【時習26回3-7の会0515】~「William J. Bernstein著『「豊かさ」の誕生(The Birth of Plenty)‥成長と発展の文明史』を読んで」

■皆さん、今泉悟です。
 全国各地で相変わらず天候不順が続いていますね。
 09月04日夜から一昨日05日にかけて、京都府福知山市や綾部市等で局地的に90mm/時という猛烈な降雨あったとNewsで報道されていました。
 皆さんのお宅は大丈夫だったでしょうか?

 今週は、まず【時習26回3-7の会】関連から‥。
 08月31日、classmateの石田Y博君からmailを頂戴しました。
 08月16日に開催した【2637の会】クラス会で、「懇親会in京都2014」の『記念DVD』を石田君にpresentしました。
 石田君は、「懇親会in京都」は参加出来ませんでしたが、『記念DVD』の事前準備編の【2637の会】クラス会の写真に何枚か写っています。
 以下に彼から頂戴したmailをpasteします。

Sent: Sunday, August 31, 2014
今泉悟 様

先日は有難うございました。
大変に遅くなりましたが、頂いたDVDを拝見いたしました。
素晴らしい力作で、ただただ感心いたしました。
しかし、小生の知った顔はあまり多くはなく、自分の交友関係の狭さを痛感いたしました。
これからは老後のためにも、機会があれば少しでも多くの皆さんと交流を深めたいとと思います。
前回の京都での同窓会は残念でしたが、今後は機会があれば出来るだけ参加させて頂きます。
今後ともよろしくお願い致します。

石田Y博

【小生comment】
 そうですね。小生も代表幹事を仰せつかってから知った同期の人達が少なくありません。
 今回、参加者宛にお送りした『記念DVD』は、総じて評判が良く、制作者として安堵しています。
 本編(映像時間37分)もさること乍ら、5年前に開催された「懇親会in舘山寺2009」からの事前準備編(同18分間)に正直かなり拘りました。
 次回は、東京支部・黒柳R雄君【3-10】が代表幹事で、「懇親会in東京(or横浜or箱根?)2019」です。
【2637の会】の皆さんとの、5年後再会がとても楽しみです。
 今回「懇親会in京都2014」の参加者は10人でしたが、次回は15人位を目指したいですね!(^-^b

■さて、今日お届けする話題は一つです。
 今週は、直前の3日間で読んだWilliam J. Bernstein著(徳川家広/訳)『「豊かさ」の誕生(The Birth of Plenty)‥成長と発展の文明史』についてである。

[01]William J. Bernstein著(徳川家広/訳)『「豊かさ」の誕生(The Birth of Plenty)‥成長と発展の文明史』
 01william_j_bernsteinthe_birth_of_

 本書は、原書名では「The Birth of Plenty: How the Prosperity of the Modern Work was Created」とある。
 訳者はThe Birth of Plentyの「Plenty」という言葉を、本の題名なので短く「豊かさ」と一言で言い表している。
 が、この「Plenty≒豊かさ」は、もっと詳しく言うと、副題に「How the Prosperity of the Modern Work was Created」とある様に、「人類の近・現代文明の成長と発展に拠って齎された、主として物質的な《繁栄=Prosperity》‥」という意味である。
 そして、《繁栄》を享受し続けている国々は、以下の4つの要素を制度として必ず持っている。

1.【私有財産権】
2.【科学的合理主義】
3.【資本市場】
4.【迅速かつ効率的な通信・輸送手段】

 そしてこれ等4要素を一つでも欠いた国の《繁栄》は一時的には有り得ても「永続はしない」。
 このことを、著者は様々な統計資料と歴史的事実で以て検証している。
 本書は、是迄にない切口での文明(国)論であリ、とても面白かった。

 著者Bernstein氏が本書で「現在、《繁栄=Prosperity》を享受している先進国とそうでない国々と分けた決定的違いは、上記の四要素を『制度的に』持ち合わせているか否かにかかっていると喝破している。
 即ち、【私有財産権】の確立は、「法律の重要性」や「司法・立法・行政の分立の重要性」等の『政治』面の進化&発展が不可欠であるし、【科学的合理主義】と【資本市場】、そして【迅速かつ効率的な通信・輸送手段】の充実が、『経済』と『文化』の顕著な発展を促すのである。
 換言すれば、四要素が有機的に結合し、synergyすることに拠り、持続的な経済成長〔≒「豊かさ」の増大〕が可能となるのである。

 以下、本書のIndexに従い、概略をご紹介してみたい。

◆第1部 近代経済成長の源泉
第1章/豊かさについての仮説
※「マルサスの罠」を脱出する/
※ 何が豊かさを齎すか/ 中略/
※ 近代以前の社会には、「私有財産制」は存在しなかった/
※「真艫な税制」は重要である/
※ 治安の悪さと衛生面の惨状/
※ 前近代には「科学的合理性」もなかった/
※ 前近代社会には「効率的な資本市場」もなかった/
※ 前近代に於ける輸送・通信手段の未熟さ/
※ 土地・労働・資本/
※ 第四の投入物--知識/
※ 第一段階 狩猟と採集/
※ 第二段階 農耕/
※ 第三段階 工業化/
※ 第四段階 脱工業化社会

第2章/私有財産制
 前略/
※ 古代ローマにおける私有財産権/
※ ローマの致命的欠陥/
※ 財産権の礎石を置く‥‥エドワード・コーク/
※「財産権の基礎法」‥‥John Locke(1632-1704)/
 
※ 英国における慣習法の勝利/ 略/
第3章/科学的合理主義
 前略/
※ Catholic教会の威光に翳り/
※ 天体の機構が明かされる/
※ Sir Isaac Newton(1642-1727)の天才助手‥‥エドモンド・ハレー(Edmond Halley(1656-1742))/
・皆既日食の観測経路についてもHalleyの予測の正確さを目の当たりにして、英国社会は電撃に打たれた様になった。
 正に「観察し、仮説を立て、検証せよ」というFrancis Bacon(1561-1626)の帰納法の勝利を知らせる、とどめの一撃だった。
 18世紀半ばにもなると、新しい科学に拠って自然現象の解釈に関するCatholic教会の権威は完全に失われて仕舞っていた。〔P.153〕
※ 経済繁栄の大推進者〔‥としてのHalley‥〕/
  →・著者は、本稿で「彼(Halley)こそが本書の主人公だと言っても、決して誇張ではないのである」と述べ結んでいる。〔P.157〕
  時間が空いた際に、Halleyはドイツの都市ブレスラウから死亡記録を集めて最初の「保険統計表」を作成した。
  これは当時勃興しつつあった保険業にとって、不可欠なものであった。
  又彼は、英国王室天文学顧問として、此処で、「信頼に足る正確なクロノメーター(chronometer)を開発しようと悪戦苦闘するJohn Harrison(1693-1776)を励まし、助言を与え、資金を提供した。
  更に、Halleyは「地球と太陽の間の距離をより正確に測定する為に、金星の通過を観測すべく、1761年~69年迄の間に、太平洋に観測船を派遣すべきだ」と主張。
 この航海を行ったJames Cook(1728-79)は、Hawaii諸島やAustralia等、太平洋のあちこちを最初に訪れる西洋人となった。
 Edmond Halleyはこの様に、近代の経済繁栄の四要素のうちの三つ‥〔 科学的合理主義・資本市場・近代的輸送system 〕‥の発達に於いて決定的な役割を果たしている。
※ 合理主義の広がり‥天体力学を超えて/

第4章/資本
 前略
※ 全面開花する英国資本市場
〔‥1873年の主だった金融都市の資金量‥〕
  London:1億2,000万pond
  Paris:1,300万pond
  New York:4,000万pond
  ドイツ帝国:800万pond

第5章/動力・speed・光
 前略
※ 蒸気、海を行く/ 略/
※ 鉄道時代の到来/
※ 光/ 略/
※ 電線一本で世界は一つ/
※ ダムが決壊する様に

第6章/成長の理論を総括する
★ 近代経済成長の四要素全てが揃わなければ、人類は経済成長という「dessert」に、ありつけなかっただろう。〔P.237〕

第2部豊かな国、貧しい国
第7章/勝ち組の経済----オランダと英国
 略

第8章/Catch upした国々
 前略
※ Franceは何故出遅れたか?/ 中略
※ Spain‥全てが間違っていた〔‥略奪の国は、国民が勤勉に働かない為、略奪物がなくなると衰退しかなくなる‥〕/ 中略
※ 日本は如何にして豊かになったか/中略

第9章/取り残された国々
 略

第3部 豊かさの齎すもの
第10章/神、文化、金銭欲、そして快楽主義の踏み車
第11章/成長か平等か----大いなるtrade off
第12章/勝者の呪い----富神マモンと戦争神マルス
第13章/成長の終わり
第14章/いつ何処で、そして何処へ行くのか
〔第10~14章 略〕

【小生comment】
 本書を読んで、小生、日本という国に生まれた幸運を噛み締めている。
「人材」という資産しかない日本。
 だが、この「人材」が、成長の為の四要素〔【私有財産権】・【科学的合理主義】・【資本市場】・【迅速かつ効率的な通信・輸送手段】〕を制度として取り入れ、自らの国の制度として定着・機能させる力の源泉であり、担い手である。
 そう思うと、「日本には中堅以上のlevelの相応に高い国民が数多くいる。だから日本の将来はまだまだ暗くはない!」と思料する。

【後記】今日、親父の満90歳の誕生日。
 そして、午後から、親父の浜松師範学校時代の同期の渡辺直人(なおんど)氏の「卒寿記念『渡辺直人油彩画展』」を見て来た。
 「水」がthemeになっている絵が多かった。
 素晴らしい絵がいくつも展示されていた。
 添付写真[02]が、その案内状の葉書。
 同じく[03]が、同期生4人の記念写真である。
 渡辺jishu26さんは、06月03日に満90歳を迎えられた。
 同期生4人の中では、親父が一番老けてみえる。
 皆さん満で90歳だが、矍鑠とされ実に若々しかった。
 小生の31年後はどうなっているだろう?

[02]卒寿記念「渡辺直人油彩画展」2014-09-07
 0220140907

[03]「渡辺直人油彩画展」での父(前列左)と渡辺さん(前列右)2014-09-07
 0320140907

 では、また‥。(了)

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