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2014年11月の5件の記事

2014年11月30日 (日)

【時習26回3-7の会0527】~「11月27日:①国立西洋美術館『Ferdinand Hodler』展‥②東京都美術館『Galleria Degri Uffizi』展‥③国立新美術館『Zurich美術館』展‥④Bunkamura ザ・ミュージアム『夢を見るFrance絵画展‥印象派(Impressionism)からEcole de Paris 』展‥を見て」「11月29日:松坂屋美術館『再興 第99回 院展』を見て」

■今泉悟です。 皆さん如何お過ごしですか。さぁ、今日も【2637の会】《会報》【0527】号をお送りします。
 さて、最初の話題は、掲題、副題にあります様に、11月27日(木)に仕事で状況した帰りに、欲張って4つの美術館〔‥①国立西洋美術館『Ferdinand Hodler』展‥②東京都美術館『Galleria Degri Uffizi』展‥③国立新美術館『Zurich美術館』展‥④Bunkamura ザ・ミュージアム『夢を見るFrance絵画展‥印象派(Impressionism)からEcole de Paris 』展‥〕を見てきましたのでその模様からお伝えします。

 27日は勤務先の取引銀行への中間決算報告に上京。立ち寄った銀行2行のうちの一行。

[00]みずほ銀行
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 午后2時過ぎに2行目での仕事を終え、徒歩でJR神田駅へ。そして山手線で上野駅へ。
 最初に訪れたのが国立西洋美術館。
 19世紀から20世初頭のSuisseを代表する画家Ferdinand Hodler(1853-1918)の展覧会。日本では40年ぶりの開催である。
 「パラレリズム(平行主義)」と呼ばれる独自の美術論を提唱。
 自然の秩序や動的なリズムを抽出するのが彼の画風と言える。
 彼の絵画を見てその画風の一端を体感戴けるかどうか‥?

[01]Ferdinand Hoder展 国立西洋美術館 入口看板
 01ferdinand_hoder

[02]本展leaflet
 02leaflet

[03]Ferdinand Hodler
 03ferdinand_hodler

[04]Ferdinand Hodler『マロニエの木々(Chestnut trees)』1889年
 04ferdinand_hodlerchestnut_trees188

[05]同『ルイーズ=デルフィーヌ・デュショーサルの肖像(Portrait of Louise-Delphine Dechosal)』1885年
 05portrait_of_louisedelphine_dechos

[06]同『オイリュトミー(Eurhythomy)』1895年
 06eurhythomy1895

[07]同『感情Ⅲ(Emotion)』1905年
 07emotion1905

[08]同『ミューレン山から見たユングフラウ山(The Jungfrau Massif frome Murren)』1911年
 08the_jungfrau_massif_frome_murren1

[09]同『《無限へのまなざし》の為の単独像習作』913-15年
 0991315

[10]同『ヴァランティーヌ・ゴデ=ダレルの肖像(パリジェンヌⅡ)(Portrait of Valentine Gode-Darel(La
ParisienneⅡ))』1909年
 10portrait_of_valentine_godedarella

[11]国立西洋美術館から東京都美術館へ至る上野公園の紅葉20141127
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 2つ目の美術館は同じ上野公園内にある東京都美術館にて開催中の『ウフィッツィ美術館』展である。
 本展は、やはり看板にある様にBotticelli『パラスとケンタウロス』が白眉の作品である。

[12]上野公園内にある東京都美術館『ウフィッツィ美術館』案内看板
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[13]東京都美術館『Uffizi美術館』展leaflet
 13uffizileaflet

[14]Botticelli『パラスとケンタウロス』1480-85年頃
 14botticelli148085

[15]アンドレア・デル・サルトの原画に基づく『バッチョ・バンディネッリの肖像』16世紀後半
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[16]Francesco del Brina『聖母子と洗礼者ヨハネ(Madonna col Bambino e san Giovannino)』1560-70年頃
 16francesco_del_brinamadonna_col_ba

 東京都美術館から、次の乃木坂にある国立新美術館迄は、東京芸術大学の際を通り抜け、東京メトロ『根津』駅迄20分程歩いた。
 その道の界隈は、正に晩秋の趣が頂点に達して中々いい雰囲気であった。
 銀杏の黄色に染まった感じが大変いい。

[17]東京都美術館&東京芸術大学近くにある紅葉した銀杏の大木20141127
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[18]東京芸術大学 宮門
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 本展は、本邦初公開の展覧会だという。
 「印象派からシュルレアリスム」迄を本展のThemaにしているので、近代から現代にかけての著名画家の作品を一通り見ることが出来、楽しかった。

[19]国立新美術館『チューリヒ美術館』展 入口看板
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[20]Claude Monet『睡蓮の池、夕暮れ(The Water Lily Pond in the Evening)』1916-22年
 20claude_monetthe_water_lily_pond_i

[21]Edgar Degas『競馬(At the Races)』1885-87年頃
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[22]Vincent van Gogh『サント=マリーの白い小さい小屋(White Cottage at Saint-Maries)』1888年
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[23]Paul Gauguin『花と偶像のある静物画(Still Life with Flowers and Idol)』1892年
 23paul_gauguinstill_life_with_flowe

[24]Ernst Ludwig Kirchner『小川の流れる森の風景』1925-26年
 24ernst_ludwig_kirchner192526

[25]Max Beckmann『スへフェニンゲンの海岸の散歩(Walk on the Beach at Scheveningen)』1928年
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[26]Wassily Kandinsky『黒い色斑(Black Spot)』1921年
 26wassily_kandinskyblack_spot1921

[27]Marc Chagall『窓から見えるブレア島(Window View on the Isle of Brehat)』1924年
 27marc_chagallwindow_view_on_the_is

 ※ ※ ※ ※ ※

[28]渋谷駅から東急百貨店方面遠望
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[29]渋谷109
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 その日最後の4つ目の美術館は、乃木坂から千代田線で一駅の表参道へ、其処から銀座線〔or半蔵門線〕で渋谷迄一駅。
 渋谷駅から徒歩7分程でBunkamuraザ・ミュージアムに到着。
 本展は、日本人のある収集家がFranceに夢と憧れを描いて集めた所蔵品展である。

 セザンヌ2点、シスレー2点、モネ4点、ルノワール7点、ボナールとマルケ各1点。
 ルオー6点、ヴラマンク10点、ラウル・デュフィ2点、ドラン2点。
 ユトリロ11点、マリー・ローランサン4点、モディリアーニ2点、藤田嗣治6、シャガール4点、Kissling7点。

 以上〔‥展示順‥〕の全71点が、一人の収集家に拠って集められていることに驚きを禁じえない。
 個人名は伏せられており、誰かは解らないが、こうの様に名画を見ることが出来る我々日本人は幸せ者である。

[30]Bunkamura入口
 30bunkamura

[31]本展leaflet
 31leaflet

[32]Paul Cezanne『イル=ド=フランスの風景(Landscape in Ile de Fance)』1879-80年
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[33]Pierre-Auguste Renoir『宝石をつけたガブリエル(Gabrielle with Jewels)』1908-10年
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[34]Albert Marquet『ナポリ湾(Bay of Naples)』1908( or 09)年
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[35]Maurice de Vlaminck『赤い屋根のある風景(Landscape with REd Roof)』1920年
 35maurice_de_vlamincklandscape_with

[36]Maurice de Vlaminck『花と花瓶(Flowers and Vase)』制作年不詳
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[37]Raoul Dufy『エッフェル塔 (Eiffel Tower)』1923-24年
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[38]Raoul Dufy『ニースのホテルの室内 (Interior of Hotel Room in Nice)』1928年
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[39]Amedeo Modigliani『薔薇をつけた若い婦人(Young Woman with Rose)』1916年
 39amedeo_modiglianiyoung_woman_with

[40]Kisling『少女(Girl)』1939年
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■今日最後の話題は、昨日、私事で名古屋へ言ったついでに松坂屋美術館にて開催中の『再興 第99回 院展』を見て来ましたのでその模様をお伝えして今日はお別れしたいと思う。
 『再興 第99回 院展』は、日本画の同人32人の作品を中心に、大変質の高い日本画の毎年新作を見ることが出来ることが嬉しい。
 以下に展示作品のうちのいくつかをご紹介する。

[41]再興第99回 院展 leaflet
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[42]再興第99回 院展 図録「表紙」店松村公嗣『ほたる』2014年
 4299_2014

[43]後藤純男『桜島』2014年
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[44]下田義寛『春来』2014年
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[45]伊藤長彡耳『坂の上から』2014年
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[46]田渕俊夫『月明り』2014年
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[47]松村公嗣『どんど』2014年
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[48]小田野尚之『暮れゆく』2014年
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[49]國司華子『理(ことわり)』2014年
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【後記】小生、故あって明日12月01日~20日迄自宅を留守にします。
 その為、これまで7年間毎週upしていた【2637の会】《会報》も二週間程お休みをすることになりました。
 二週間もお休みするのは初めてであり、小生としては大変残念な気持ちですが、仕方ありません。
 二週間後に再び、《会報》【0528】号をupする時、お休みした理由をお伝えします。
 それ迄、暫くの間ごきげんよう! !(^-')b♪

 では、また・・。(了)

2014年11月24日 (月)

【時習26回3-7の会0526】~「11月20日:『新東名高速道路/NEXCO中日本 豊川工事事務所館内工事視察会』に参加して」「11月22日:『大学弓道部 同期生七回忌お墓参り』に参列して」「11月23日:愛知県美術館『Raoul Dufy』展を見て」「11月23日:愛知県芸術劇場concert hall『シュトゥイデ弦楽四重奏団 with 藤原道山(尺八)』演奏会を聴いて」

■今泉悟です。皆さん如何お過ごしですか。さぁ、今日も【時習26回3-7の会 0526】号をお送りします。
 さて今日は、11月20日に仕事で地元研究センター主催の『新東名高速道路/NEXCO中日本 豊川工事事務所館内工事視察会』に参加して来ましたので、先ずその話題からお伝えします。
 新東名高速道路『引佐JCT~豊田東JCT』間は、当初今年度末の供用開始を目指していたが、今夏7月に平成27年度末〔平成28年03月末〕に延期された。
 この日は、新城IC〔仮称〕から、設楽長篠PAを見た後、一般道を西進し砥鹿tunnel→本宮山tunnel→佐奈川橋→千両tunnel→西鞍川橋→佐奈川橋→観音山tunnel‥と実際に走っての視察であった。
 特に、橋脚が89mと新東名高速道路で最も高い佐奈川橋では、実際に橋桁内部を踏査してみた〔添付写真[07][08]参照〕。
 橋桁内部は、橋の重量軽減化の為、ご覧の様に中空になっている。
 感心したのは、その作りの丁寧さである。
 目に見えない処にこそ手抜きをしない「裏優(まさ)り」というモノづくりに対する真摯な態度‥これこそが日本の技術が世界で信頼される所以である。
 日本人としての矜持を共感出来て正直胸が熱くなった。

【詞書】佐奈川橋にて日本人の手抜きのない匠の素晴らしさに感動して一句‥

 冬晴(ば)れや 日本の誇り 裏優り  悟空

[01]『新東名高速道路 豊川工事事務所館内 進捗状況 概略図』
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[02]『新東名高速道路 豊田東JCT~引佐JCT 概略図』
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[03]設楽・長篠PA〔下り〕から南西(豊橋)方面遠望
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[04]設楽・長篠PA休憩施設〔上り&下り〕完成予想図
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[05]設楽・長篠PA〔下り〕から『設楽原の戦/織田信長本陣を望む〔正面〕』
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[06]佐奈川橋〔下り〕を東側の側面から撮影
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[07]佐奈川橋〔下り〕写真[06]の内部‥その1‥
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[08]佐奈川橋〔下り〕写真[06]の内部‥その2‥写真[07]の上部
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[09]佐奈川橋の概略図‥橋脚の長さ89m‥新東名で最高、国内第4位の高さ
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[10]佐奈川橋上での小生20141120
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■続いての話題は、大学の弓道部時代の同期生〔‥故・石黒H夫君という‥〕の命日で七回忌に当たる11月22日(土)に彼の自宅のある春日井市にお墓参りとご仏前参りの弓道部の同期8人で行ったことをお伝えする。
 石黒H夫君はB型肝炎を社会人となってから発症し、長い間療養していたが、丁度6年前の平成18年11月22日に53歳で帰らぬ人となった。
 凄くいい奴で、今も大学の同期生18人が連帯感を持ち続けているのは、彼がいつも同期を纏めてくれていたからである。
 いい奴程、早く神に召されるんだなぁ‥と葬儀の時参列した同期の仲間達が誰ともなく呟いていたことを昨日の様に思い出す。
 同期の皆から、「石黒の後は今泉が彼の遺志をついで死ぬ迄幹事を遣れ!」と言われ、今日に至っている。

【詞書】大学の弓道部時代の今は亡き親友の七回忌に集まった同期8人に拠る暫しの懐かしい同期会‥。
 これも亡き親友・文夫君が我々に齎してくれた素晴らしい贈物。

 友集ふ 小春日和の 七回忌  悟空

[11]故・石黒H夫君のお墓にてお参りする同期生の面々
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[12]H夫君宅の御仏前にて奥様とH夫君の遺影と一緒に‥その1‥
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[13]H夫君宅の御仏前にて奥様とH夫君の遺影と一緒に‥その2‥
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[14]石黒君の庭先にて
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[15]石黒家の表札‥H夫君がまだ生きている様に記されていた‥
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[16]石黒君の門前にて」
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[17]昼食処『花時』での食事「花重」〔@1620円〕
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[18]『花時』にても参加者の面々
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■続いての話題は、昨日11月23日に名古屋市栄町の愛知芸術文化センター10階にある愛知県美術館『Raoul Dufy』展を見てことについてである。
 本展について、主催者の「あいさつ」から一部引用してご紹介する。

 ラウル・デュフィ(1877-1953)は、Picasso9(1881-1973)や Matisse(1869-1954)などと共に20世紀前半にFranceで活躍した画家である。
 彼は1937年に開催されたParis万国博覧会の為に装飾絵画《電気の精》に代表される様な、明るい色彩と軽快な筆さばきで描く独自のstyleを築いた。
 Dufyが描き出すNormandieや南仏の風景、又競技場やregatta、casino等の社交の場といった近代生活の様相は、華やかさ、軽やかさを湛え、今なお多くの人々を魅了する。
 〔中略〕
 本展は、Dufyが1899年に故郷のル・アーヴルから国立美術学校で学ぶ為にParisに上京した頃から晩年に至る迄の作品を紹介する回顧展である。
 20世紀初めのParisで、fauvismeやcubisme等に拠る造形的革新の潮流の中に身を置きつつ、又様々な分野を横断し乍ら、独自の表現を探求し続けたDufyの歩みを辿る。〔後略〕

【小生comment】
 Dufyは、若い頃は明らかに印象派の影響を受け、シニャック(Signac(1863-1935))の点描の絵も試みているし、Gauguin(1848-1903)やMatisseの影響を受けてもいる(添付写真[21]『サン=タドレスの桟橋』1902年参照)。
 だが、Dufyは彼の真骨頂である、色彩とdessinを「自律」させていった。添付写真の絵[22]~[29]を時系列に見ていくと実感頂けると思う。
 小生は、Dufyの卓越した色彩感覚には共感を覚え、それが為に彼の絵画は大好きである。

【詞書】Raoul Dufy展で、彼の色彩の妙に感動して一句‥

 艷やかな Dufyの彩(いろどり) 小春日ぞ  悟空

[19]本展leaflet/写真の絵は『馬に乗ったケスラー一家』1932年
 19leaflet1932

[20]Raoul Dufy『Parisのゲルマ袋小路のatelierにて』1935年
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[21]同『サン=タドレスの桟橋(L'Estacade a Sainte-Adresse)』1902年
 21lestacade_a_sainteadresse1902

[22]同『開かれた窓からの眺め(Vue d'une fenetre ouverte)』1908年
 22vue_dune_fenetre_ouverte1908

[23]同『モーツァルトに捧ぐ(Hommage a Mozart)』1915年
 23hommage_a_mozart1915

[24]同『ニースのホテル(L'Hotel Suisse a Nice et la Tour de Berlioz)』1927-28年頃
 24lhotel_suisse_a_nice_et_la_tour_d

[25]同『イエールの広場(La Place a Hyere)』1927年
 25la_place_a_hyere1927

[26]同『ピエール・ガイスマイヤー氏の肖像(Portrait de Monsieur Pierre Geismar)』1932年
 26portrait_de_monsieur_pierre_geism

[27]同『シャンデリアのあるアトリエ(Un Atelier avec un lustre)』1942年
 27un_atelier_avec_un_lustre1942

[28]同『モーツァルト(Mozart)』1941年頃
 28mozart1941

[29]同『ドビュッシーのオマージュ(Hommage a Claude Debussy)』1952年
 29hommage_a_claude_debussy1952

[30]同『ヴァイオリンのある静物:バッハへのオマージュ(Nature morte au violon:hommage a Bach)』1952年
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■今日最後の話題は、『Raoul Dufy』展の後、同じ愛知県芸術文化センターの4階にある愛知県芸術劇場concert hallで開催された『Steude String Quartet(シュトゥイデ弦楽四重奏団) with 藤原道山(尺八)』演奏会についてである。
 今回の演奏者の演奏は、藤原道山もSteude S.Q.も初めて聴いた。
 が、尺八の演奏が恰もfluteとbaroque fluteの様に超難度の名曲をいとも容易く演奏して仕舞う山本道山の技量には舌を巻いた。
 そして、一度に彼のfanになって仕舞った。
 特に、Bartok作曲『ルーマニア民族舞曲〔編曲/大島ミチル〕』は、藤原道山の尺八とString Quartetの為のoriginal作品と思える程のfit感があって感動した。
 又、Steude S.Q.のmembersは、Wienフィルのconcert masterである、第1violin奏者のVolkhard Steude(1971- )の名前に因んで2001年に全員Wienフィルのmembersで結成された。
 演奏曲目は以下の通りである。

※ 第一部/Steude String Quartet

1. Schubert:String Quartet No.14 in d minor D.810

※ 第二部/Steude String Quartet & 藤原道山(どうざん)

1. Debussy:無伴奏fluteの為のシランクス(パンの笛)‥藤原道山solo
2. J. S. Bach:管弦楽組曲 第2番より4曲〔編曲/大島ミチル〕
3. 古典本曲:虚空〔編曲/大島ミチル〕
4. W. A. Mozart:歌劇『魔笛』より2曲
5. G. U. Faure(1845-1924):ピエ・イエズ「レクイエム」より〔編曲/千住 明〕
6. B. Bartok(1881-1945):ルーマニア民族舞曲〔編曲/大島ミチル〕
Encore曲
1. 大島ミチル:La Festa
2. 藤原道山:東風

【詞書】藤原道山の神業の様に卓越した尺八の演奏を聴き感動して一句‥

 尺八と クァルテットの粋(すい) 冬の午后  悟空

[31]『Steude String Quartet(シュトゥイデ弦楽四重奏団) with 藤原道山(尺八)』演奏会leaflet
 31steude_string_quartet_with_leafle

[32]藤原道山(どうざん)と「Dozan Fjiwara & Steude S.Q.のCD『 FESTA 』」
 32dozan_fjiwara_steude_sqcd_festa

【後記】高倉健(1931.02.16-2014.11.10)が亡くなった。男が惚れる本当にカッコいい男だった。
 高倉健というと、実は小生、不思議なことを体験した。
 彼が亡くなったと報道された11月18日(火)の朝、小生の夢枕に高倉健が現れたのである。
 ずっと高倉健のことなど全く意識していなかったのだが、ふっと現れてきた。
 会社に出社して昼食休憩の時聴いたニュースで彼が11月10日に悪性腫瘍で亡くなっていたと報道されたことに、何かsynchronicityを感じた。
 ただそれだけのことだが、不思議なことがあるものだ‥。

 では、また・・。(了)

2014年11月16日 (日)

【時習26回3-7の会0525】~「11月03日:名都美術館『遥かなる悠久の大地/平山郁夫』展を見て」「池上彰『おとなの教養‥私たちはどこから来て、どこへ行くのか?』を読んで」

■今泉悟です。 皆さん如何お過ごしですか。さぁ、今日も【時習26回3-7の会 0525】号をお送りします。


■さて、長久手市にある名都美術館『遥かなる悠久の大地/平山郁夫』展を見て来ましたので、今日はまずその話題からお伝えします。
 前《会報》【0524】号でお伝えした様に、11月03日に杉本美術館『吉川英治』展と新実南吉記念館『開館20周年記念特別展‥南吉と良寛~処女出版《良寛物語 手毬と鉢の子》の世界』展を見た後、名古屋市内の次男の下宿へ荷物を届けついでに、帰る途上にある長久手市の名都美術館に立ち寄った。
 平山郁夫も、小生大好きな日本画家である。
 昨年10月、瀬戸内海の生口(いくち)島の尾道市瀬戸田町にある平山郁夫美術館を訪れて以来一年ぶりに彼の個展を見ることが出来た。
 同美術館のある生口島は、しまなみ街道を「尾道市→〔新尾道大橋〕→ 向島 →〔因島大橋〕→ 因島 →〔生口橋〕→ 生口島」と渡った所にある。
 因みに、平山郁夫氏が、此処に出て来る「因島大橋」を描いた作品が添付写真の[08][09]の絵である。

 本展は、名都美術館が朝日新聞社と共催で、2009(平成21)年に逝去した平山郁夫氏の画業の一端を紹介する特別展。
 先ず、氏の略歴をご紹介する‥

1930(昭和05)年 広島県豊田郡瀬戸田町(現 尾道市)に生まれた
1952(昭和27)年 東京美術学校日本画科卒業/同校 主任教授 前田青邨の副手 就任
1953(昭和28)年 第38回 院展に『家路』が初入選
1964(昭和39)年 日本美術院 同人 に推挙される
1966(昭和41)年 シルクロードを初めて旅する
1993(平成05)年 文化功労者として顕彰される
1996(平成08)年 日本美術院理事長就任
1998(平成10)年 文化勲章受賞
2009(平成21)年 12月02日 脳梗塞の為逝去(享年79歳)

 平山郁夫の絵画は、シルクロードの絵が大変多い。
 それは「日本文化の源流を見い出す為だ」ということだった。
 氏の回顧録には次の様に記されていた‥

 初めて私がシルクロードを訪れたのは、1966年のことです。以後、私は毎年のようにこの道、この地を訪れるようになりました。その数は、とうに130回は越していると思います。
 古代において、独自の文化を築き上げるにあたっては、シルクロードの文化、即ちヨーロッパ、中近東、中国、そして朝鮮半島を経て伝えられた大陸の文化が大いに寄与したのです。
 奈良の東大寺にある正倉院は、聖武天皇(701-56)の遺品を収めているところとして知られていますが、ここに所蔵されている品々の中には、遠くペルシャや中国西域の地で造られたものもあります。
 こうしてみると、ユーラシア大陸の東と西を結ぶ壮大な交易路であるシルクロードは、また歴史と文化の道とも言えるでしょう。
 私は東京美術学校の学生の頃から、日本文化とはなにか、日本美術とはなにか、というテーマに対する答えを追い求めていました。そんな折、私は玄奘三蔵の求法の旅を体験するためにシルクロードへ足を踏み入れたのです。
 シルクロードは、私に様々な回答を用意してくれていました。私はシルクロードの各地に残る遺跡の中に多くの日本文化の源流を見い出すことが出来たのです。
 〔平山郁夫と大いなるシルクロード展図録 2008 平山郁夫シルクロード美術館‥より引用〕

[01]名都美術館 入口にて20141103
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[02]本展leaflet
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[03]平山郁夫『動物幻想』1954年
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[04]同『求法高僧東帰図』1964年
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[05]同『高原の秋』1971年
 051971

[06]同『亜刺比亜の翁』1972年
 061972

[07]同『西蔵布達拉(チベット ポタラ)宮』1977年
 07_1977

[08]同『因島大橋 夕陽』1999年
 08_1999

[09]同『白い橋因島大橋』1999年
 091999

[10]同『絲綢(しちゅう)の路 パミール高原を行く』2001年
 10_2001

[11]同『白壁二条城』2004年
 112004

[12]同『京都御所宜秋(ぎしゅう)門』2004年
 122004

[13]同『修学院離宮 壽月観(じゅげつかん)』2004年
 13_2004

[14]同『修学院離宮 浴龍池(よくりゅうち)』2005年
 14_2005

[15]同『シルクロードを行くキャラバン(西・月)』2005年
 152005

[16]同『シルクロードを行くキャラバン(東・太陽)』2005年
 162005

[17]同『古城(ザイサルメール・インド)』2005年
 172005

【小生comment】
 彼の作品は、ご覧の様に実に雄大な規模の作品が多い。
 正に、本展副題の『遥かなる悠久の大地』の言葉そのものである。

■今日は、次の話題で締め括りとしたい。
 最近読んだ、池上彰著『おとなの教養‥私たちはどこから来て、どこへ行くのか?』についてである。
 平山郁夫氏の生涯のthemeが「日本文化の源流を求めること」だった。
 これに対して、本書は、副題にある様に、我々大人の教養とは「私たちは何処から来て、何処へ行くのか?」を探求することだ、と池上氏は言っている。
 これは換言すると「自分を知る」ことである。
 そして「自分を知る」為には、氏は次の7つを理解すべきと述べている。即ち‥

第一章/宗教
第二章/宇宙
第三章/人類の旅路〔人類のルーツと進化〕
第四章/人間と病気〔病気が人類に与えた影響の大きさ〕
第五章/経済学
第六章/歴史〔過去は絶えず書き換えられる〕
第七章/日本と日本人

[18]池上彰『おとなの教養‥私たちはどこから来て、どこへ行くのか?』
 18

【後記】「おとなの教養」で述べていた池上彰氏の言葉は、大変平易で読み易かったうえ、示唆に富む言葉が随所にあった。
 氏は、1950年08月生まれというから、我々より5歳先輩だが、教養の高さには感服する。
 知識の詰め込みとは違う、正に教養人としての智見を持っておられる。
 小生も、池上氏に一歩でも近付きたいものである。

 小生、命の続く限り、教養を高める努力を重ね、社会の一構成員として、安全で、物心両面で豊かな社会の構築に役立つ様、努力を重ねて行きたいと改めて心に誓った。

 では、また・・。(了)

2014年11月 8日 (土)

【時習26回3-7の会0524】~「11月03日:杉本美術館『吉川英治』展 & 新実南吉記念館『開館20周年記念特別展‥南吉と良寛~処女出版《良寛物語 手毬と鉢の子》の世界』展 を見て」「阪本節郎著『50歳を超えたら もう年をとらない 46の法則』を読んで」

■皆さん、お元気ですか?
 今泉悟です。【時習26回3-7の会0524】をお届けします。
 時が経つのは早いもので、昨日11月07日で二十四節気でいう『立冬』に入りました。
 まず森澄雄の俳句を一句ご紹介します。

  冬に入(い)る 山国の紺 女学生   森 澄雄

 この句は、冬の到来と山国に於ける紺色のセーラー服を着た女学生の歩く姿が実に絵画的で季節感ある秀句です。
 この句に触発されて小生も一句‥

【詞書】今朝、会社に向かっていた街中の歩道でのこと‥
 自転車通学途上の幾人かの高校生達と擦れ違った。
 その時、街路樹に一陣の寒風が吹いた。
振りかえって見ると、是迄枝に辛うじて付いていた枯葉が吹き飛ばされ、その学生達の周囲にハラハラと舞い落ちた。
 その舞い散る枯葉の動きは、恰も名曲を奏でているorchestraの楽員達の様だった‥

  冬に入る 枯葉舞い散る 朝の途(みち)  悟空

 さて今日最初の話題は、掲題・副題にある様に、3つの美術館の展覧会についてご報告します。
 今週初の三連休最後の11月03日 私用で名古屋への所用があったついででの話‥
 [1] 12時00分/知多郡美浜町にある杉本美術館『杉本健吉 人生の師/吉川英治』展
 [2] 12時50分/半田市にある新実南吉記念館『開館20周年記念特別展‥南吉と良寛~処女出版《良寛物語 手毬と鉢の子》の世界』展
 [3] 15時50分/名都美術館『遥かなる悠久の大地~平山郁夫』展
 ‥と、欲張って美術館2つと記念館1つを巡って来ましたので、今日はその中から最初の2つ、杉本美術館と新実南吉記念館の模様をお伝えします。

 ※ ※ ※ ※ ※

※ [1] 12時00分/知多郡美浜町にある杉本美術館『杉本健吉 人生の師/吉川英治』展 ※

 吉川英治(1892-1962)は杉本健吉(1905-2004)をして『人生の師』と言わしめている。
 1942年 新文展特選『博物館中央』
 1946年 日展(日本美術展覧会)特選『博物館彫刻室』
 ‥奈良を描いた作品で名を馳せる様になった杉本健吉は、その奈良で文豪 志賀直哉(1883-1971)、歌人 会津八一(1881-1956)、写真家 入江泰吉(1905-92)で知己を得
て行った。
 そんな中、戦前(1935年)『宮本武蔵』で一世を風靡し、国民的人気作家となった吉川英治との交流も始まった。
 1950年 吉川英治は朝日新聞に『新・平家物語』を7年に亘り連載、その挿絵を杉本健吉が描いた。
 1959年 同『私本太平記』を毎日新聞社に連載
 1960年 同『新・水滸伝』が遺作となったが、いずれも杉本健吉が挿絵を描いている。

[01]杉本美術館 入口にて
 01

[02]本展leaflet/絵は 杉本健吉 画
 02leaflet

[03]杉本健吉『新・平家物語~女院おん肌』
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[04]同『同~右京大夫と資盛(すけもり(1158?(61?)-1185))』
 041158611185

 杉本美術館の後、美浜町から北へ12km程の半田市内にある新実南吉美術館を訪ねた。

※ [2] 12時50分/半田市にある新実南吉記念館『開館20周年記念特別展‥南吉と良寛~処女出版《良寛物語 手毬と鉢の子》の世界』展 ※

 小生、従前から一度訪れてみたかった記念館である。
 当館は、少年時代に読んだ短編小説&童話の『ごんぎつね』と『おじいさんのランプ』の作者を顕彰した記念館。
 1994(平成06)年06月 新美南吉(1913.07.30-1943.03.22)の生誕80周年&没後50周年を記念し童話『ごん狐』の舞台とされる中山の地〔半田市岩滑(やなべ)西町〕に開設された。
 今年はその開館20周年に当たる。それを記念した特別展が『《良寛物語 手毬と鉢の子》の世界』展である。
 新実南吉の略歴は以下の通り‥

 1913(大正02)年、愛知県知多郡半田町に畳屋の倅として生まれた。本名 新実正八。
 1926(大正15)年(13歳) 半田中学校(現・半田高校)入学。
 1931(昭和06)年(18歳) 半田中学校卒業、岡崎師範学校を受験するも身体検査で不合格。
 同年4~8月 半田第二尋常小学校に代用教員として勤務の傍ら新実南吉のペンネームで、雑誌『赤い鳥』に童謡童話を投稿。
 1932(昭和07)年04月(19歳) 東京外国語学校英語部文科に入学。『赤い鳥』に『ごん狐』(1月号)、『のら犬』(5月号)が載る。
 1936(昭和11)年(23歳) 東京外国語学校卒業、東京商工会議所内東京土産品協会に勤務。10月 2回目の喀血をし、11月 帰郷。
 1937(昭和12)年04月(24歳) 河和第一尋常小学校(現・河和小学校)代用教員となる。
 1938(昭和13)年04月(25歳) 恩師のはからいで安城高等女学校(現・安城高校)教諭となる
 1941(昭和16)年10月(28歳) 初の単行本『良寛物語 手毬と鉢の子』出版。
 1942(昭和17)年(29歳) 04月『おじいさんのランプ〔10月に上梓〕』はじめ代表作を次々と書き上げる。
 1943(昭和18)年 病状が悪化、03月22日喉頭結核の為永眠。享年29歳07カ月。法名『釈文成』

[05]新実南吉記念館 外観
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[06]本企画展leaflet
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[07]新実南吉記念館leaflet
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[08]新美南吉『良寛物語 手毬と鉢の子』と『新美南吉童話集』
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[09]『新美南吉童話集 目次』
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 新美南吉童話集から、『ごん狐』と『おじいさんのランプ』の終わりの件をご紹介する。
 皆さんも昔読んだ記憶があるでしょ!? ^^;

 ※ ※ ※ ※ ※

 『ごん狐』より‥ 六 ‥

 そのあくる日もごんは、栗をもって、兵十(ひょうじゅう)の家へ出かけました。兵十は物置で縄をなっていました。それでごんは家のうら口から、こっそり中へはいりました。
 そのとき兵十は、ふと顔をあげました。と狐が家の中へはいったではありませんか。こないだうなぎをぬすみやがったあのごん狐めが、またいたずらをしにきたな。
「ようし。」
 兵十は、立ちあがって、納屋にかけてある火縄銃をとって、火薬をつめました。
 そして足音をしのばせてちかよって、いま戸口を出ようとするごんを、ドンと、うちました。ごんは、ばたりとたおれました。兵十はかけよってきました。家の中をみると土間に栗が、かためておいてあるのが目につきました。
「おや。」と兵十は、びっくりしてごんに目を落としました。
「ごん、おまいだったのか。いつも栗をくれたのは。」
 ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました。
 兵十は、火縄銃をばたりと、とり落としました。青い煙が、まだ筒口(つつぐち)から細く出ていました。〔了〕

 ※ ※ ※ ※ ※

 『おじいさんのランプ』

 〔前略〕― ランプはもはや古い道具になったのである。電燈という新しいいっそう便利な道具の世の中になったのである。それだけ世の中がひらけたのである。文明開化が進んだのである。巳之助もまた日本のお国の人間なら、日本がこれだけ進んだことを喜んでいいはずなのだ。古い自分のしょうばいが失われるからとて、世の中の進むのにじゃましようとしたり、なんのうらみもない人をうらんだで火をつけようとしたのは、男としてなんという見苦しいざまであったことか。世の中が進んで、古いしょうばいがいらなくなれば、男らしく、すっぱりそのしょうばいはすてて、世の中のためになる新しいしょうばいにかわろうじゃないか。
 ―
 巳之助はすぐ家へとってかえした。〔中略〕
 ランプは大小さまざまのがみなで五十ぐらいあった。それにみな石油をついだ。そしていつもあきないに出るときとおなじように、車にそれらのランプをつるして、外に出た。〔中略〕
 〔半田池に着いた‥〕巳之助はランプに火をともした。一つともしては、それを池のふちの木の枝につるした。小さいのも大きいのも、とりまぜて、木いっぱいつるした。〔中略〕
 ランプ、ランプ、なつかしいランプ。ながの年月なじんできたランプ。
「わしのしょうばいのやめ方はこれだ。」
 やがて巳之助はかがんで、足もとから石ころを一つひろった。そして、いちばん大きくともっているランプにならいをさだめて、力いっぱい投げた。パリーンと音がして、大きい火がひとつ消えた。
「お前たちの時世はすぎた。世の中は進んだ。」
と巳之助は言った。〔中略〕
 〔二つ目のランプが消え‥〕三番目のランプをわったとき、巳之助はなぜか涙がうかんできて、もうランプにねらいをさだめることができなかった。
 こうして巳之助はいままでのしょうばいをやめた。それから町に出て、新しいしょうばいをはじめた。本屋になったのである。〔後略〕

 ※ ※ ※ ※ ※

【小生comment】
 新美南吉は、疾風怒濤の如く、短くもdynamicな生涯だった。
 彼は、自分の命に限りがあることを知っていたので、死ぬ直前迄作品制作に注力し続けていたのであろう。

■今日最後の話題は、最近読んだ阪本節郎著『50歳を超えたら もう年をとらない 46の法則』についてである。
 この46の法則の中の45番目に「死に向かうのではなく 人生を全うしようとする」に中々良いことが書いてあったのでご紹介したい。
 以下、本文から「ですます調」→「である調」に直して引用する。

 副題「健康を向上させて、生活をさらに充実させたい/楽しみたい」79%〔新しい大人文化研究所調査より〕

 〔前略〕何の為の健康か‥。幾ら健康であっても無為な日々では意味がない。
 矢張り「健康」であることに拠って「充実した人生」「楽しい人生」でありたい、と誰しもが願っている。
 「健康」は目的ではなく、手段である。「充実した楽しい人生」が目的であり、その先に「人生を全う」する‥がある。〔中略〕
 人生の最後の時に、自分の為、家族の為、地域の為、社会の為、何か出来ることを考え実行することが大事だと言える。
 最後の10年で近隣の為に尽力した人は、仮にそれ以前の人生に芳しくないことがあったとしても「いい人だったネ」と言われるだろう。〔中略〕
 一方、その逆となれば晩節を汚すこととなる。
 人生、最後の時が肝心なのである。〔中略〕
 人間、「死」に向かっていると思うと暗く、後ろ向きになりがち‥。
 しかし、自分に与えられた自分の人生の最後迄、何か「使命」がある筈である。
 若い気持ちを持ち、年齢に合わせて一寸だけ無理して頑張ってみる位が丁度いいかもしれない。〔中略〕
 小さな事の積み重ねでいいので、一人ひとりの「最高の人生」を演出する‥
 これが「人生を全うする」ということである。

[10]阪本節郎著『50歳を超えたら もう年をとらない 46の法則』
 1050_46

【後記】小生も、人生を全う出来るよう、日頃から手段として「健康づくり」に注力し、家族・社会に役立つ様頑張らねばと思う今日この頃である。

 では、また‥。(了)

2014年11月 2日 (日)

【時習26回3-7の会0523】~「10月25日:一宮市三岸節子美術館『特別展/きよけく/森田りえ子』展 & 稲沢市荻須記念美術館『小磯良平』展 & メナード美術館『コレクションⅣ』展を見て」「星旦二著『ピンピンコロリの法則〔改訂版〕‥「おでかけ好き」は長寿の秘訣』を読んで」

■皆さん、お元気ですか?
 今泉悟です。【時習26回3-7の会0523】をお届けします。
 時が経つのは早いもので、もう11月に入りました。
 折角の三連休も、昨日・今日と天候が優れず一寸残念ですネ。
 でも、明日は晴れそう!^^

 さて今日最初の話題は、掲題・副題にある様に、3つの美術館の展覧会についてご報告します。
 先週10月25日 私用で名古屋への所用が午後2時にあったので‥
 [1] 09時30分/一宮市〔‥と言っても旧 尾西市‥〕にある一宮市三岸節子美術館『特別展/きよけく/森田りえ子』展
 [2] 10時50分/稲沢市にある稲沢市荻須記念美術館『小磯良平』展
 [3] 12時10分/メナード美術館『コレクションⅣ』展
 ‥と、欲張って3つの美術館巡りをして来ましたので、今日はその模様をお伝えします。

※[1] 一宮市三岸節子美術館『特別展/きよけく/森田りえ子』展 ※

 本展は、我々と同い年(1955- )の日本画家・森田りえ子氏の個展で、公立館では初めての開催となる。
 出点数は、紙本or絹本着色 31点、素描及び鉛筆・水彩画他が25点の計56点。
 森田氏は、京都市立芸術大学日本画専攻科修了後、何処の美術団体にも属さず、個展形式で発表を重ねて来た。
 1986年に糸菊を描いた『白日』が第一回川端龍子賞展大賞を受賞。
 爾来、日本画の第一線で活躍中。2007年には金閣寺本堂 杉戸絵を制作。
 添付写真の絵をご覧の様に、花鳥風月画から人物画に至るまで、極めて丁寧で精緻な筆致、且つ巧みな色彩で見る者を魅了する。
 今、注目度の極めて高い日本画家の一人である。

[01]美術館入口の三岸節子銅像と本特別展の案内看板
 01

[02]本展leaflet
 02leaflet

[03]森田りえ子
 03

[04]森田りえ子『朝の月』1992年
 041992

[05]同『花菖蒲〔4曲1双(右)部分〕』2003-04年
 0541200304

[06a]同『王禅寺丸柿樹[2曲1双屏風]』2006年〔2曲1双〕(右)
 06a2120062

[06b]同『 同 [同]』2006年〔同〕(左)
 06b_2006

[07]同『水辺の華』1996年
 071996

[08]同『島の女‥祭の朝‥』1993年
 081993

[09]同『粧Ⅱ』2002年
 092002

[10]同『憩う』2008年
 102008

 勿論、常設展cornerは、三岸節子の絵が今回出品数は24点。今日はそのうちの4点をご紹介する。
 彼女は、対象物を思い切ってデフォルメし、彼女の素晴らしい感性で以て、画面上に色彩と構図が絶妙なharmonyを奏で良質な作品に仕上げている。
 お示しした絵画4点をご覧になって納得頂けるのではないかと思う。
 小生は、大好きな画家の一人である。

[11]三岸節子『月夜の縞馬』1936年
 111936

[12]同『イル・サンルイの秋』1987年
 121987

[13]同『アルカディアの赤い屋根』1989年
 131989

[14]同『作品Ⅱ』1992年
 141992

※[2] 稲沢市荻須記念美術館『小磯良平』展 ※

 本展について、主催者〔稲沢市荻須記念美術館〕の「ごあいさつ」で次の様に紹介している。

 小磯は東京美術学校入学試験時から、他の受験生が瞠目するdessinの才能を持ち、「欧州の古典的な技法を歴史の浅い日本の洋画に根付かせる」という、最も困難な日本近代洋画の一つの課題に取り組みました。
 そして、「academismを貫きつつ独自性を出していきたい」という言葉通り、西洋絵画研究の上に成り立った清新な表現を、生涯のmotifとした女性の姿を通じて作品化していきました。
 確かなdessin力で描かれた女性像は、人の中にある美しさと強さとは何かを提示しています。
 本展では、小磯良平の魅力を、美術学校時代から晩年迄の画風を辿る油彩画32点に、素描4点、版画6点を加えた42点により紹介します。

[15] 稲沢市荻須記念美術館 入口外観
 15

[16]小磯良平(1903-88) 1973年
 16_1973

[17]小磯良平『自画像』1926年
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[18]同『裁縫女』1932年〔第13回帝展[特選]〕
 18193213_3

[19]同『少女(読書)』1939年
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[20]同『裁縫女』1939年
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[21]同『踊り子』1940年頃
 211940

[22]同『婦人像』1969年
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 小生、日本人の洋画家では、この小磯良平が大好きである。
 以前にも《会報》でご紹介したことがある「T嬢の像」と「斉唱」の2点をいつも小生は座右に飾ってある。
 添付写真[18]『裁縫女』が2回目の帝展[特選]であるが、彼の1回目の帝展[特選]が、東京美術学校在学時代に描いた「T嬢の像」である。
 彼の卓越した画才の一端を窺い知ることが出来るであろう。

 小磯良平と東京美術学校の同期生に、前々回の《会報》【0521】号にてご紹介した猪熊弦一郎(1902-93)と、今からご紹介する荻須高徳がいる。
 《会報》【0521】号は、此処↓をclick願います。
 http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/260521101113111.html
 本展の常設展cornerでは、荻須の油彩画29点とtapisserie・lithographe・dessin・水彩画等31点の計60点が展示されていた。
 その中から幾つかをご紹介する。

[23]荻須高徳(1901-86)〔Parisのatelierにて〕1980年
 23parisatelier1980

[24]同『Pipeを加えた自画像』1931年
 24pipe1931

[25]同『広告のある家"Parisの屋根の下"』1931年
 25paris1931

[26]同『ノワルムチエの風車』1934年
 261934

[27]同『ギュドモン城館』1958-59年
 27195859

[28]同『(僧院の)並木』1976年
 281976

[29]同『金のかたつむり』1978年
 291978

[30]同『Venezia、大運河、カ・ダ・モスト』1980年
 30venezia1980

※[3] メナード美術館『コレクションⅣ』展 ※

 この日3つ目は、小牧市にあるメナード美術館『コレクションⅣ』展についてである。
 Collection展であるが、本展leafletで解説している通り、「ルネ・マグリット『地平線』1938年」、「キース・ヴァン・ドンゲン『二人の裸婦と風船』1905年頃」の2点が今回初公開。
 2点共に、中々の名品である。

[31]メナード美術館 入口
 31

[32]本展leaflet/絵は、左手中央上:ルネ・マグリット『地平線』1938年、右手右端:キース・ヴァン・ドンゲン『二人の裸婦と風船』1905年頃
 32leaflet19381905

 本展展示作品の女性像の中から7点を制作年代順に並べてみた‥

[33]Pablo Ruiz Picasso『オルガ・ピカソの像』1918年
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[34]Paul Klee『イエロー・ガール(Lady in a Hat(Yellow with Blue Eyes))』1919年
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[35]岸田劉生『林檎を持てる麗子』(水彩)1919年
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[36]同『麗子坐像』(水彩)1920年
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[37]同『笑ふ麗子』(油彩)1921年
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[38]Jules Pascin『薔薇色のリボンの少女(Little Girl with a Rose Ribbon)』1926年
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[39]髙山辰雄『白い襟のある』1980年
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 1920年第後半~30年代前半の頃の荻須高徳と佐伯祐三の若き時代の二人は、題材も作風も実によく似ている‥
 [25]同『広告のある家"Parisの屋根の下"』1931年‥と次の[40]佐伯祐三『街角の広告』1927年を比べてみて下さい。

[40]佐伯祐三『街角の広告』1927年
 401927

■今日最後の話題は最近読んだ、首都大学東京 大学院教授 星旦二氏の著作『ピンピンコロリの法則〔改訂版〕‥「おでかけ好き」は長寿の秘訣』についてである。
 著者の星旦二氏は、1950年福島県生まれ。
 福島県立医科大学を卒業後、東京大学で医学博士号を取得。
 東京都衛生局、厚生省国立公衆衛生院、厚生省大臣官房医系技官併任、London大学大学院留学を経て、首都大学東京・大学院教授(現任)。
 今日は、本書の中から、第6章と第7章をお示しすると‥

 第6章/実践! この生活で5歳、10歳元気で長生き[P.139]
 ・日々の好ましい生活習慣が生存を維持する
 ・運動すると長生きだ
 ・適度な睡眠をとろう
 ・朝食をとろう
 ・お酒は適量なら毎日飲んでもいい、でも禁煙はしよう
 ・住居と衛生も健康づくりに大切
 ・家にこもっていないで、兎に角外に出よう!
 ・買い物好きは長生きできる
 ・友達を失うと元気も失う。今からどんどん交流を増やそう
 ・病院より美容院に行こう! 「見た目」はとても大事
 ・夫は妻が死んだら要注意、男女ともにペットを飼おう
 ・仕事を持っている人は手放すな!
 ・外出頻度を決めるのは、身体の痛みや健康状態ではない
  〔楽しい欲求を持つと、身体の痛みがあっても外出したくなる〕
 ・お財布は自分が握る、経済の自主管理が大事です

第7章/そして、大切なのは、心の健康
 ・病は気から。「主観的健康感」を持とう
 ・一病息災的な健康の視点を持つ
 ・健康の3要因、基盤は「心が健康」「優れた身体機能」「好ましい社会的関係性」
 〔‥→「夢」や「目標」を大切にしよう〕
 ・笑顔のある生活を心がけよう
 ・stressを上手にcontrolしよう
 ・いくつになっても、人は進化し成長する
 ・夢をbaseとした健康規定model
  〔「夢」を持つことで未来が明るくなり、生きる気力も湧いてくる〕
 ・おじいちゃんとおばあちゃんから小遣いを貰え
  〔「就職したら返すから」「結婚式に出て欲しいから」‥と言って、おじいちゃん・おばあちゃんに明るい目標を持って貰う〕

[41]星旦二氏の著作『ピンピンコロリの法則〔改訂版〕‥「おでかけ好き」は長寿の秘訣』
 41

【後記】「病は気から」という格言は矢張りその通りの様ですね。
 年をとっても、未来に明るい希望を持ち続けることで、「健康長寿」が実現出来る。
 但し、適度な運動も忘れすに‥。
 これくらいのことなら、ずっと続けられそう!^^

 では、また‥。(了)

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