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2015年1月の5件の記事

2015年1月31日 (土)

【時習26回3-7の会0534】~「01月24日:静岡市美術館『ロイヤル・アカデミー』展を見て」「同左:丸子宿(鞠子宿)『丁子屋のとろろ汁』を食して」「同左:『久能山東照宮』を訪れて」「辻イト子講演会『大阪のおばちゃんが元気を運びまっせ』を聴いて&同著『いくつになっても輝きたいねん』を読んで」

■早いもので2015年01月も今日でお終いですが、皆さん、お変わりありませんか。今泉悟です。
 【時習26回3-7の会】《会報》【0534】号をお送りします。

 今日は、01月24日(土)に車で静岡市へ出かけ、JR静岡駅前にある静岡市美術館『ロイヤル・アカデミー』展→丸子(鞠子(まりこ))宿『元祖/丁子屋(ちょうじや)』→『久能山東照宮』と3箇所尋ねて来た模様についてお伝えする。
 因みに、最近の数年間で『静岡市美術館』と『久能山東照宮』は1回ずつ訪問しているが、『丁子屋』は初めての訪問となる。
 2013.06.14【2637の会 0450】~2013.06.09(日)静岡市美術館『レオナ―ル・フジタとパリ 1913-1931』展
 http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/post-cdd3.html

 2006.10.09【2637の会 号外7】~2006.10.08「久能山&清水港」
 http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog/2006/10/26__1535.html

■先ずは、静岡市美術館『ロイヤル・アカデミー』展から‥。

[01]静岡市美術館(3F)が入居する葵タワー1F elevator にある『ロイヤル・アカデミー』展看板
 013f1f_elevator

[02]本展leaflet/絵は、ジョン・エヴァレット・ミレイ(Sir John Everett Millais Bt PRA(1829-96))『ベラスケスの想い出(A Souvenir of Velazquez)』1868年
 02leafletsir_john_everett_millais_b

[03]ジョシュア・レノルズ(Sir Joshua Reynolds PRA(1723-92))『セオリー(Theory)』1779-1780年
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[04]ウィリアム・ホッジズ(William Hodges RA(1744-97))『べナリスのガ―ト(The Ghauts at Benares)』1787年
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 Hodesは、James Cook(1728-1779)の全3回に亘る太平洋方面の探検・調査の為の航海の第2回航海(1772-75)に同行し、喜望峰やタヒチ(Tahiti)島をはじめ各地を描いた。
 1780~83年には、英国人風景画家として初めてIndiaを訪れた。
 1781年にベナレス(印度・バラナシ)という古代都市を訪れた。
 本作品は、入浴の儀式が許可されているGanges川に沿って望むゴート若しくはガ―ト(gha(u)ts)として知られる広い階段を描いている。
 尚、Indiaではsketchを制作、本作は帰国後Londonで描かれた。
 
[05]ジョセフ・マラド・ウィリアム・ターナー(J. M. W. Turner(1775-1851))『ドルバダ―ン城』1800年
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[06]ジョン・カンスタブル(John Constable RA(1776-1837))『水門を通る舟(A Boat Passing a Lock)』1826年
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[07]ジョン・コルカット・ホ―ズリ(John Callcott Horsley RA(1817-1903))『居心地のよい場所(A Pleasant Corner)』1865年
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[08]ジョン・フレデリック・ルイス(John Frederick Lewis RA(1804-76))『カイロのカフェの入口(The Door of a Café in Cairo)』1865年
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[09]スタナっプ・フォーブズ(Stanhope Forbes RA(1857-1947))『港に面した窓辺(The Harbour Window)』1910年
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[10]ジョン・シンガー・サージェント((1856-1925))『庭の女性達、トッレガッリ城(At Torregalli:Ladies in a Garden)』1910年
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 静岡市美術館には、10時の開館少し前に、美術館北隣の駐車場に車を停め、開館時間と当時に入館し、10時50過ぎ迄滞在した。
 以上にお示しした絵画の他に、ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス(John William Waterhouse RA(1849-1917))『人魚』1900年も展示されていた。
 本作品は、今から1年5箇月程前の2013年08月03日、同じ静岡市内の静岡県立美術館で開催された『夏目漱石の美術世界』展で展示されていたことを覚えている。
 だから、小生にとっては二度目の御対面となる。
 その時の模様は、以下のURLをご覧下さい。
 http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog/2013/08/26-04592637inte.html

 本展は、英国 The Royal Academy of Arts 所蔵の絵画・素描を中心に、1768年の創建当時以降20世紀初頭迄の作品を展示している。
 当美術館は、英国王GeorgeⅢの庇護の下創設された権威ある格式の高い美術館である。
 従って、本展はいずれも綺麗で整った、一般的に言って『美しい作品』が数多く展示されていたのは確かである。
 添付写真の絵[02]~[10]は、ご覧の様にいずれも一級の作品である。
 しかし、展示作品を数点程見た辺りから、小生、直感的にだが「何かが足りないナァ」と感じていた。
 作品が見る者に訴えかける何かが足りないのである。
 その「何か」について此処では触れないでおくこととする。

■続いて訪れたのは、静岡市美術館から南西へ6.8㎞、時間にして15分の処にある、丸子(鞠子(まりこ))宿『丁子屋』である。
 静岡市美術館を出た処で、『丁子屋』へ電話して予約を入れようとしたら、「到着した方から順次ご案内しています。11時から開店です」とのこと。
 『丁子屋』に隣接する駐車場へ到着したのが11時15分。
 大型busが何台も停車出来る程の大駐車場だった。
 そして入店して吃驚した。
 丁子屋は、奥が広いのである。
 食卓に案内され、一番安い「とろろ汁」「定食『丸子』」を注文した。〔添付写真[13]〕
 「とろろ」の原料は、山芋ではなく「自然薯」。
 自然薯にしては、調理方法に工夫があるのだろう、ネバネバが少なく食べ易かった。
 で、味は「美味!」という程ではなく、一般的な「とろろごはん」の味かなぁ‥。^^;
 値段の方はというと、一人前@1,440円だから結構いい値段だ。
 ご飯は白麦米がお櫃に入って配膳され、一人前三杯は食べられるのでvolume感は十分。

 鞠子宿=丸子宿(まりこしゅく(じゅく))は、東海道五十三次の20番目の宿場。〔添付写真[12]〕
 東海道中で最も小規模の宿場だそうだ。
 天保時代、旅籠の数は24軒。
 歌川(安藤)広重の「東海道五十三次『丸子』」宿に描かれている茶屋が『丁子屋』。
 この『丁子屋』は、「とろろ汁」の老舗で1596年(慶長元年)創業。
 俳人 松尾芭蕉も丁子屋のとろろ汁について俳句を次の様に詠んでいる。

 梅若菜 丸子の宿の とろろ汁 〔 猿蓑巻の五 〕

[11]『丁子屋』入口
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[12]歌川(安藤)広重『東海道五十三次・丸子』
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[13]『とろろ汁』の定食「丸子(まりこ)」
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[14]十返舎一九像
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■この日最後に訪れたのは、丁子屋から東北東へ19km(所要時間50分)の処にある久能山東照宮である。
 車で、久能山に近づくと、道路脇の其処此処に『石垣苺狩り』の看板と、勧誘する女性の姿があった。
 久能山の参道脇の駐車場に車を停め、ropewayにするか徒歩にするか一瞬迷ったが、健康の為「1159段」ある石段を徒歩で登ることにした。
 ところで、駐車場料金は1,000円だという。
 便乱坊に高いなぁ‥思ったら、指定する売店で2,000円以上買ったら駐車場料金は只になるという。
 「『石垣苺』はあるか?」と尋ねたら「ある」という。
 「じゃぁ、旬の苺を土産に」と決め、駐車することにした。
 一ノ鳥居の石段から、添付写真[15]の山腹に見える「一ノ門」迄は909段で約20分程かかるという。
 実際歩いて行ったら、12~3分で「一の門」に到着した。
 『社殿』迄登ると1,159段で「いちいちご苦(1159)労さん」と呼ばれているそうだ。

[15]久能山東照宮 一ノ鳥居前の参道にて
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[16]久能山東照宮 leaflet(表)
 16_leaflet

[17]同上(裏)
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[18]久能山東照宮 石鳥居前にて
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[19]同『社殿(本殿・石ノ間・拝殿)』(←2010年国宝指定)にて
 192010

[20]徳川家康の手形
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[21]久能山東照宮から太平洋を望む
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 此処 久能山東照宮には、徳川家康の手形があった。
 そのcaptionには、家康38歳、伸長155cm、体重60kgと記されていた。

■今日最後の話題は、最近読んだ、辻イト子著『いくつになっても輝きたいねん』についてである。
 添付写真[22]をご覧下さい。
 先週01月20日(火)に地元法人会主催『大阪のおばちゃんが元気を運びまっせ!~いくつになっても輝き続けるために~』という講演会を聞く機会があった。
 講師の辻イト子さんの略歴をご紹介すると、講演会 leafletのprofileにある様に‥

 1947年 大阪府岸和田のみかん農家の一人娘に生まれる
 高校卒業後、デパート勤務を経て
 1970年 銀行員の婿養子を迎える
 知的障害の長女を明るく育て、宅建主任の資格取得後、不動産業を営む
 bubble崩壊に拠り大きな借金を抱えるが‥
 46歳の春、新聞広告で見つけたタレント養成学校に入学
 2年間の在学中に、ユニクロのCMに出演
 以後おばはんCMの雄として数々のCMに出演
 「みかん山プロダクション」という主婦タレント100数名を抱える迄に成長

 小生、このおもろいおばはんの講演会で元気を貰い、記念に著書を購入。
 それを今回皆さんにご紹介させて頂いたという次第‥。

 この講演会と著書が小生に教えてくれたことは‥
 1.人生はいくつになってもchanceはある。自分自身がそうであったし、みかん山プロダクションに所属している87歳のおばあさんもタレントで生きがいをみつけることができた
 2.Chanceは、生かすも殺すも自分自身の取組姿勢であり、一度しかない人生だからこそ challenge精神と不断の努力をして重ねていくべき
 3.知的障害の長女を育てるという苦難もあったが、次女をはじめ家族の愛と一所懸命ガンバルことで長女自身もそして親である自分も救われ、明るく生きている

 辻イト子さんの様に、何事に対しても、明るく前向きに捉えchallengeし続ければ、正に「叩けよ、されば開かれむ」である。
 ホント、一度しかない人生だから、ドンドン前向きにガンバッテいけば、きっと「ガンバッテ良かった」「生きてて良かった」と思うことがいっぱいある‥と勇気を貰った。
【2637の会】membersの皆さん! 今年、我々は還暦を迎えます。
 でも、決してまだまだ老け込む歳ではありませんネ。
 いつ迄も、健康で元気に生きて、世の中、社会、家族の為になる、そして感謝される我々でありたいですね。

[22]辻イト子『いくつになっても輝きたいねん』
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【後記】話は、再び久能山東照宮に戻る‥。
 其処の 国宝『社殿』脇の売店で「東照宮 遺訓」を買った。
 改めて読み返すと、含蓄があってとても良い文章だと思う。
 天下統一した人物が、この様な立派な倫理観念を持っていたからこそ、260有余年の徳川の天下が続いたのだと思う。

 《東照宮 遺訓》
 人の一生は重き荷を負(う)て 遠き道をゆ(行)くが如し 急ぐべからず
 不自由を常とおも(思)へば不足なし
 こころ(心)に望(み)おこらば 困窮したる時を思ひ出すべし
 堪忍は無事長久の基
 怒りは敵とおも(思)へ
 勝事(かつこと)ばかり知(り)て ま(負)くる事を知らざれば 害其(その)身に至る
 己(おのれ)を責(め)て 人をせむ(責)るな
 及ばざるは過ぎたるよりまさ(勝)れり

 《Toshogu Ikun (Lord Ieyasu's Final Testament)》
 The life of a man is like a heavy burden carried along an unending road.
 It must not be hurried along.
 If you accept that you will always have limitations, you will not feel bereft.
 If you have greed in your heart, recollect the times you were poor.
 Patience is the basis of along and peaceful life.
 Consider anger your enemy.
 Only knowing victory, and nothing of defeat, will cause you harm.
 Censure yourself, not others.
 Being unable to reach far enough is better than reaching too far.

 では、また‥。

2015年1月24日 (土)

【時習26回3-7の会0533】~「01月17日:京都一人旅〔drive〕『堂本印象美術館』→「相国寺『承天閣美術館』」→「白砂村荘『橋本関雪記念館』」→「(相国寺 境外塔頭) 『慈照寺 銀閣』」を巡って」

■一週間経つのは本当に早いですね。皆さん、お変わりありませんか。今泉悟です。
 今日も【時習26回3-7の会】《会報》【0533】号をお送りします。
 今回(01月17日(土))は、前々から行ってみたかった京都にある3つの美術館を日帰りdriveで巡って来ました。

【堂本印象美術館】〔訪問時間(以下同じ):09:30~10:15〕
 昨年06月の「時習26回生卒業40周年記念懇親会&旅行」の初日 optional tour で金閣寺を訪れた際、その近くにに『堂本印象美術館』があったことを知った。
 正統的日本画からstartして、戦後は日本画の抽象画というuniqueな画風を確立した堂本印象が生前自ら建てた美術館に一度是非訪れたいと思っていた。

[01]『堂本印象美術館』正面外観
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[02]堂本印象
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[03]堂本印象『坂』1924年
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[04]同『木華開耶媛』1929年
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[05]同『東福寺 本堂天井画 《蒼龍》』1933年
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[06]同『信貴山 成福院/寳雲閣 襖絵《柳に鷺》』1935年
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[07]同『窓』1953年
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[08]同『生活』1955年
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[09]同『智積院宸殿 襖絵』1958年
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[10]同『交響』1961年
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[11]同『栄光の聖母マリア(小下図)』1962年
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[12]同『窓の花』1968年
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[13]同『ロゴスの不滅』1968年
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[14]同『法然院 方丈 襖絵《静風自来》』1971年
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 堂本印象(1891-1975)は、京都の醸造業の家に生れた。本名は三之助。
 京都市立美術工芸学校、そして京都市立絵画専門学校を卒業。西山翠嶂に師事
 彼の画風は、戦後程なくして「具象から抽象へ」と大幅に変貌していった。
 日本画の京都画壇の巨匠の一人で、1961年 文化勲章受章。
 添付写真の絵を時系列的に見ていっても、その変遷の大きさに驚かれる方も多いと思う。
 ザックリ言って、戦前迄の印象は、正統派の日本画家。
 戦後、1952(昭和27)年の渡欧(伊・西独・西・仏・瑞士 等)を遊歴後、画風は一変する。添付写真[07][08][09][10][13][14]ご参照。
 [08]『生活』に至っては、ピエト・モンドリアン(Piet Mondrian(1872-1944))の作品とソックリな程抽象化している。
 抽象化した絵も、『法然院 襖絵』をご覧戴きたい。
 寺院の風景に確りと馴染んでいることを納得されると思う。
 流石である。

【相国寺と承天閣美術館】〔10:40~11:40〕
 京都五山第2位の寺院。
 相国寺(しょうこくじ)は、是迄小生訪れたことがなかった。因みに‥‥

 別格上位(京都五山&鎌倉五山の上)『南禅寺』
 【時習26回3-7の会 0351】(2011.07.23)~「〔略〕」「07月17日:[01]〔略〕 [02]『南禅寺』の方丈・三門と二つの塔頭を巡って [03]〔略〕」
 http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/26-035107230717.html

 第1位『天龍寺』
 【時習26回3-7の会 0423】(2012.12.07)~「12月01~02日:時習26回生卒業40周年記念旅行兼懇親会『pre-現地視察‥京都旅行』実施報告」「〔略〕」「〔略〕」
 http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/26-042312010226.html

 第3位『建仁寺』
 【時習26回3-7の会 0334】(2011.03.28)~「〔略〕」「03月26日:〔略〕」&「高台寺・圓徳院・建仁寺を訪ねて」
 http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/26-033420110310.html

 第4位『東福寺』
 については、URLでご参照の通り、昨年06月07~08日「時習26回生卒業40周年記念懇親会&旅行」本番とその事前踏査を中心にいずれも既に訪問している。
 尚、第5位『萬壽寺』は、現在東福寺の塔頭寺院として存在するも非公開。
 東福寺を訪れた際、車窓から門前を撮影したことはある。
 【時習26回3-7の会 0397】(2012.06.09)~「05月26(土)~27(日):『京都旅行〔洛南・山科・東山編〕』〔後編〕」「〔略〕」「〔略〕」
 http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/26-039705262705.html

 だからまだ訪れたことがない『相国寺』は、是非訪れてみたかった。
 承天閣美術館は、相国寺境内にあり、法堂(はっとう)から東へすぐの所在する。
 当館は、本山『相国寺』、相国寺境外塔頭である『鹿苑寺(金閣)』、同じく『慈照寺(銀閣)』の3寺院、及び他塔頭寺院に伝わる美術品を所蔵・展示している。
 相国寺は、同志社大学の北側に隣接する処に位置する。
 この日は、同志社大学でも、センター入試の初日が行われていた。

[15]相国寺 法堂(はっとう)
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[16]相国寺 承天閣美術館とその参道
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[17]相国寺 北側の入口
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[18]相国寺 承天閣美術館 企画『花鳥画』展leaflet
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[19]圓山應挙(1733-95)『牡丹孔雀図』江戸時代
 19173395_2

[20]同『薔薇文鳥図』同上
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[21]同『朝顔図』同上
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 相国寺(正式名称・萬年山相国承天禅寺)は、室町幕府三代将軍 足利義満(1358-1408)を開基、夢窓疎石(1275-1351)を開山として1382年創建。
 爾来、焼失と復興を繰り返し、仏殿や三門は現存しない儘。
 現存する「法堂」は1605年豊臣秀頼に拠り再建されたもので、国の重要文化財に指定されている。
 相国とは「国をたすける」という意味。
 左大臣を相国と言うが、将軍義満が左大臣でもあった。
 「承天閣美術館」は、開館は昭和59年04月。

【白沙村荘『橋本関雪記念館』】〔12:00~12:40〕
 日本画の巨匠橋本関雪(1883-1945)の記念館は、『慈照寺銀閣』の参道入口の直ぐ西の処に所在する。
 橋本関雪が1916(大正05)年に茶室&庭園付邸宅を造営建築したのが『白沙村荘』で2003年に国の名勝に指定されている。
 この『白沙村荘』の庭園と、橋本関雪記念館も一度是非訪れてみたかった所である。

 橋本関雪は、堂本印象より10歳年長の日本画家。神戸市生まれ。
 祖父橋本文水は、播磨明石藩の儒者で、父・海関も学問所詰儒者。
 以下に、《略歴》を記す。

 1903(明治36)年 京都画壇の泰斗 竹内栖鳳の竹杖(ちくじょう)会に入る
 1913(大正02)年 翌1914(大正03)年と二年連続で文展で「二等賞」受賞
 1916(大正05)年 翌1917(大正06)年とこれも二年連続で文展で「特選」を受賞
 1935(昭和10)年 帝国美術院会員
 1937(昭和12)年 帝国芸術院会員
 1940(昭和15)年 建仁寺襖絵を制作
 1945(昭和20)年 没/画号由来の「逢坂関」があった大津市の別邸「走井居(はしりいきょ)『月心寺』の墓地に眠る

※『関雪』の号の由来※
 藤原兼家(929-990)が「『雪』降る『逢坂の関』」を越える夢を見た。
 これを、大江匡衡((まさひら)952-10129)は次の様に夢占いを解説した。
「『関』は関白の「関」、『雪』も関白の「白」を指している。兼家様は必ず関白になる」と。
 この夢占いの翌年、兼家は関白に就任したという故事から、父 海関が名付けたという‥以上は余談。

[22]白沙村荘 橋本関雪記念館 北側入場口
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[23]白沙村荘 風景その1〔北側入場口近くより 橋本関雪大画室『存古楼』遠望〕
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[24]同 同 その2〔風景その1より更に奥へ進む〕
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[25]同 同 その3〔四阿『如舫亭』(左)と茶室『倚翠(いすい)亭/憩寂(けいじゃく)庵』(右(部分))〕
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[26]同 同 その4〔四阿『如舫亭』(左(部分))と池〕
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[27]同 同 その5〔茶室『倚翠亭/憩寂庵』〕
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[28]同 同 その6〔茶室『倚翠亭/憩寂庵』(右(部分))と池越しに『存古楼』を望む〕
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[29]橋本関雪『玄猿』1933年〔『東京藝術大学』蔵〕
 291933

[30]同『黄初平図〔八仙図屏風〕』1933年〔『橋本関雪記念館』蔵〕
 301933
 ‥「石を羊に変える→すべての願いを叶える」として黄初平(←中国「晋」時代の人)は称えられている‥

[31]同『暮韻』1934年〔『宮内庁 尚蔵館』蔵〕
 311934

[32]同『秋桜老猿図』1938年〔『川村記念美術館』蔵〕
 321938

[33]同『霊鷹』1942年〔『足立美術館』蔵〕
 331942

【小生comment】
 白沙村荘は、建物・庭園共に橋本関雪自身の設計に拠る。
 で、実際「庭園」を巡ってみると、由緒正しき京都の池泉式庭園と見紛う程よく出来ていた。
 添付写真をご覧になられてもそう思われる方が少なくないと思う。
 又、橋本関雪の作品については、当館の売店cornerで売られていたpost card等から気に入った添付写真の絵[26]~[30]の5枚をご照会する。
 ご覧の様に、どの生き物達も写実的で精悍な顔つきをしており、観る者を捉えて離さない橋本関雪の技量の確かさを実感して頂けるものと思う。

【慈照寺 銀閣】〔12:50~13:30〕
 小生、当寺院は大学時代に一度訪れた限(きり)。
 昨年06月に『鹿苑寺 金閣』、そしてこの日に『本山 相国寺』を訪れている(おとずれる)ので、『慈照寺 銀閣』を訪れない訳にはいかない。

[34]慈照寺 銀閣 風景その1〔『東求堂』前より『銀沙灘(ぎんしゃだん)』『向月台』越しに銀閣を望む〕
 34_1

[35]同 同 風景その2〔錦鏡池(きんきょうち)越しに銀閣のほぼ正面を望む〕
35_2
 
[36]同 同 風景その3〔慈照寺境内東側高台の展望所から銀閣を望む〕
 36_3

 銀閣は、正式名称を〖東山(とうざん)慈照寺』と言う。
 金閣寺同様、相国寺の山外塔頭寺院の一つ。
 銀閣寺の名の由来は、銀閣寺の臨済宗相国寺派 home page に拠れば、江戸時代のことだという。
 室町幕府八代将軍 足利義政(1436-90)に拠り造営された山荘東山殿が起原。
 義政没後、臨済宗の寺院となり義政の法号慈照院に因む。
 この義政の「東山山荘」を中心に、武家・公家・禅僧らの文化が融合。
 これを『東山文化』と呼んでいる。
 能・連歌・茶道・華道・建築・庭園等多様な芸術が花開き、幽玄・詫(わび)・寂(さび)という日本人の美意識が形成されたのが15世紀中葉から後半の此の地である。

 銀閣を眼前に見て「日本人である矜持」を実感していたら、「スミマセ~ン! シャシントッテ クダサ~イ」とAsia系の若い女性二人組から声を掛けられ、我に返った。
 そして、差し出されたのはcompact cameraではなく、smart phone。
 そう言えば、銀閣寺境内を歩いている観光客の3~4割は、外国人だった。
 しかも彼等は、殆ど例外なく、数名の集団か二人組で行動していた。
 彼等の大半が、中国・台湾・韓国・香港系の人達だと思われる。
 「流石に京都は、国際観光都市だなぁ‥」と実感し乍ら、スマホの cameraのshutterを押して手渡したら‥
 「アリガトゴザイマ~~ス!」
 明るい若い二人の軽やかな声が心地良くハモって小生の耳に帰って来た‥。

【後記=詞書】京都での滞在は僅か数時間だったが、大寒の寒さで萎えて仕舞っていた心身が refresh 出来た様に思う。
 京都の街は、言うまでもないことではあるが、「歴史」と「文化」に厚みがある。
 それ故か定かではないが、「個々の史跡・名勝」に、そして「街全体」に、「様式美」「人工美」「自然美」と夫々の美しさがあって愉快である。
 訪れる度に、いつも新しい『美』の発見があり、満足を与えてくれる街である。

 大寒も 美のひとつなり 京の街  悟空

 01月17日の京都一人旅〔drive〕の帰りは、往路と全く同じ道を戻った。
 新名神高速道路の信楽IC~甲賀土山IC辺りで標高300m強と聞いている。
 往路ではなかった霙(みぞれ)と雪が復路では時折吹雪いて居て一寸緊張した。
 車に付いている温度計は、車外の気温摂氏0.5度を指していた。
 休憩も、朝と同様に御在所SAで30分の仮眠をとった。
 朝が早かった所為か、術後の影響からか、休息が欠かせなくなった様に思う。
 健康には気をつけていかないとネッ‥。^^

 では、また‥。

2015年1月18日 (日)

【時習26回3-7の会0532】~「01月10日:メナード美術館『音から生まれる いろ色ワールド』展」「同左:古川美術館『古川為三郎 生誕125周年記念/実業家の眼 愛蔵の美』展」「同左:鞍ヶ池アートサロン『~洋画で"魅力"再発見~日本を楽しむ』展」「01月16日:山種美術館『東山魁夷と日本の四季』展」「同左:横浜美術館『ホイッスラー』展」を見て

■皆さん、お変わりありませんか。今泉悟です。
 今日も【時習26回3-7の会】《会報》【0532】号をお送りします。
 今日は、01月10日(土)に名古屋へ私用で出かけた際立ち寄った、メナード美術館(小牧市)、古川美術館(名古屋市池下)、鞍ヶ池Art Salon(トヨタ鞍ヶ池記念館内)の3つ、そして一昨日01月16日(金)に仕事で上京した帰りに立ち寄った、山種美術館と横浜美術館の2つ、計5つの美術館巡りについてご報告します。

■先ずは、メナード美術館『音から生まれる いろ色ワールド』展から‥。
 本展は、「絵画」と「音」に着目した企画展である。

[01]メナード美術館『音から生まれるいろ色ワールド』展 leaflet
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◆音が聞こえる色の世界‥『人間の営み』
[02]アンリ・ルソー『工場のある風景』1896-1906年頃
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◆春の足音
[03]小倉遊亀『椿花白磁』1977年
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[04]吉田善彦『雪の渓流』1982年
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◆耳をすませば‥『自然からの音』
[05]福田平八郎『竹に雀』1966年頃
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[06]東山魁夷『雲立つ嶺』1976年
 061976

[07]加山又造『音』1972年
 071972

[08]熊谷守一『斑猫(ぶちねこ)』1962年
 081962

【小生comment】
 なかなかいい企画だと思う。
 『雪の渓流』や『雲立つ嶺』から聞こえて来る自然界の音。
 竹林の中にいる雀達の囀りが聞こえて来る『竹に雀』や、一瞬の音に驚き振り向くシャム猫の親子、今から「ニャオーッ」と唸り声を上げながら獲物に飛び掛ろうとする精悍な顔つきの、でも何処となくhumorousなブチ猫。み~んな、絵から音が聞こえて来そう‥。

■続いて訪れたのは、古川美術館『古川為三郎 生誕125周年記念/実業家の眼 愛蔵の美』展である。

[09]古川美術館『実業家の眼/愛蔵の美』展 leaflet
 09_leaflet

[10]横山大観『霊峰 不二』1944年
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[11]片岡球子『桜咲く富士』制作年不詳
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[12]前田青邨『薔薇』1965年頃
 121965

[13]鳥海青児『埴輪―踊る男』1955年頃
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[14]小磯良平『踊り子』1967年
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[15]鬼頭鍋三郎『惜春』1968年
 151968

 名古屋の著名な財界人であった古川為三郎(1890.01.18日-1993.05.19)。
 本展は、絵画や刀剣を中心に2800点に及ぶ為三郎collectionの中から選りすぐりの48点が展示されている。

【小生comment】
 第一展示室には、「愛蔵の美」と題して、添付写真の絵[10]~[15]の6人の作品をはじめ、上村松園『時鳥の一声』、伊藤小坡『ひいな遊びの図』、中川一政『薔薇』、杉本健吉『阿修羅像』、伊藤清永『裸婦』、安食一雄『花苑』の計12人の傑作が展示されていた。
 ご覧の様に、いずれの作品の気品があって素晴らしい。

■次に訪れたのは、豊田市鞍ヶ池公園の畔にあるトヨタ鞍ヶ池記念館‥鞍ヶ池アートサロン。其処では『~洋画で"魅力"再発見~日本を楽しむ』展が開催されていた。
 展示作品は、添付写真の[17] シダネル『雪景色/エタプル』と[18]牛島憲之『白い昼』を含む全24点。
 以下に展示作品一覧を記す。

[16]鞍ヶ池 Art Salon『日本を楽しむ~洋画で (日本の)魅力 再発見』leaflet
 16_art_salon_leaflet

《01》アンリ・ド・トゥールーズ・ロートレック(1864-19019『ディヴァン・ジャポネ』1892-93年
《02》同『メイ・ミルトン』1895年
《03》フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-90)『ガシェ博士のう肖像』1890年
《04》クロード・モネ(1840-1926)『睡蓮』1897-98年
《05》藤田嗣治『二人の裸婦』1929年
《06》= [17]アンリ・ル・シダネル(1862-1939)『雪景色/エタプル』1894年
 17186219391894

《07》和田英作(1874-1959)『日本平を望む』1952年
《08》坂本繁二郎(1882-1969)『柿・梨・りんご』1943年
《09》中川紀元(1892-1972)『朝の富士(河口湖)』1970年
《10》金山平三(1883-1964)『風景』1950年頃
《11》萬鐵五郎(1885-1927)『バラとポンカン』1927年
《12》熊谷守一(1880-1977)『雄鹿川』1939年
《13》正宗得三郎(1883-1962)『さつき咲く頃(伊那)』1940年代
《14》佐伯祐三(1898-1928)『菊』1926年
《15》小林和作(1888-1974)『妙高山の秋』1960年代
《16》小山敬三(1897-1987)『紅浅間』1975年
《17》横井礼以(1886-1980)『温室の花』1959年
《18》= [18]牛島憲之(1900-97)『白い昼』1973年
 181900971973

《19》小絲源太郎(1887-1978)『花』1960年代
《20》林武(1896-1975)『赤富士』1967年頃
《21》中川一政(1893-1991)『薔薇』1988年
《22》田崎広助(1898-1984)『阿蘇山』1970年代
《23》塚田重明(1936-1999)『新春 猿投神社』1995年
《24》鬼頭鍋三郎(1899-1982)『舞妓』1967年

【小生comment】
 鞍ヶ池 Art Salonの展示作品は、本当に珠玉の24点である。
 《24》鬼頭鍋三郎(1899-1982)『舞妓』1967年 を見たら、古川美術館の鬼頭鍋三郎『惜春』1968年 を思い出した。制作年代もほぼ同じ頃。実に巧いと思う。
 また、富士山についても、古川美術館で横山大観と片岡球子の日本画に対し、此処では《09》中川紀元(1892-1972)『朝の富士(河口湖)』1970年 と、《20》林武(1896-1975)『赤富士』1967年頃 が洋画 と好対照で夫々の良さを堪能出来た。

■続いては、一昨日16日、仕事で上京した帰り、時間がまだあったので、先ず、広尾にある山種美術館へ『東山魁夷と日本の四季』展を見に行った。

[19]山種美術館 入口『東山魁夷』展 看板
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[20]山種美術館『東山魁夷と日本の四季』展 leaflet
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[21]東山魁夷『白い嶺』1964年
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[22]山口蓬春『新宮殿杉戸楓 4分の1下絵』1967年
 22_1967

[23]東山魁夷『北山初雪』1968年
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[24]同『年暮る』1968年
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[25]加藤栄三『流離の灯』1971年
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[26]東山魁夷『春を呼ぶ丘』1972年
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[27]橋本明治『秋意』1976年
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[28]東山魁夷『秋彩』1986年
 281986

【小生comment】
 本展は、東山魁夷の作品を中心に彼の画業上に大きく影響を与えた師 山口蓬春や、東山の親しい仲間でもある橋本明治、加藤栄三 他の作品も展示されていた。
 東山魁夷の作品を見ると、心が落ち着き、安心感と癒された気分になる。
 日本日本画の名画を見ることの出来る幸福感を実感するのである。

■さて、今日最後にお届けするのは、横浜美術館で開催中の『ジェームズ・アボット・マクニール・ホイッスラー(米:James Abbott McNeill Whistler 1834.07.11-1903.07.17)展』。
山種美術館から徒歩で15分ほど南西に進み、東急「代官山」駅から東横線で「みなとみらい」駅へ。
 同駅から横浜美術館へ行く途中に、illuminationで飾られた街路樹があり、とても綺麗だった。添付写真[29]ご参照。

[29]横浜美術館 近隣風景
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[30]横浜美術館 入口 『ホイッスラー』展 看板
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[31]Whistler『灰色のArrangement‥自画像/Arrangement in Grey:Portrait of the Painter』1872年頃
 31whistlerarrangementarrangement_in

[32]同『ブルターニュの海岸(ひとり潮汐に) Coast of Brittany(Alone with the Tide)』1861年
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[33]同『古オールド・ウェストミンスター橋の最期(The Last of Old Westminser)』1862年
 33the_last_of_old_westminser1862

[34]同『肌色と緑色の黄昏〔バルパライソ(チリ)〕(Crepuscule in Flesh Colour & Green:Valparaiso)』1866年
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[35]同『白のSmphony No.2 小さなWhite Girl (Symphony in White No.2:The Little White Girl)』186
 35smphony_no2_white_girl_symphony_i

[36]同『Sketch of《Symphony in White, No.3》
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[37]同『Nocturne:Blue & Gold‥Old Battersee Bridge』1872-75年頃
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[38]同『Nocturne, from Notes( series )』1878年
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 本展は、昨秋09月~11月の京都国立近代美術館に次に巡回開催されたもので、日本で27年ぶりとなるという。
 ジェームズ・マクニール・ホイッスラー(1834-1903)は、米国Boston近郊に生まれの米国人。
 彼(Whistler)は、英国ヴィクトリア朝期に『唯美主義』の画家として活躍。
 01月03日にご紹介した、名古屋ボストン美術館『華麗なるジャポニズム展』にも、Whistlerの作品が幾つか紹介されていた。
 本展展示作品である添付写真[38]『Nocturne, from Notes( series )』1878年は、『華麗なるジャポニズム展』にも展示されていた。
「リソティント(lithotint)」という石版画の一種で描かれたものなので、同じものが同時に名古屋と横浜に存在していても可笑しくはないのだが、一寸吃驚した。

【後記】名画ってホントいいですね。
 実は、昨日は京都へ車での一人旅。
 北区の立命館大学衣笠校舎程近くにある「堂本印象美術館」→同志社大学の北隣りにある「相国寺&承天閣美術館」→東山 慈照寺銀閣の西近くになる「白砂村荘〔橋本関雪記念館〕」→「慈照寺銀閣」と巡って来ました。
 この模様は、次回《会報》をお楽しみに!
 その「橋本関雪記念館」内の階段に、白い「侘助」が一輪飾ってあり、とても気品のある風情を感じた。
 流石は京都だ‥と。

【詞書】鮮やかで綺麗だが、寂しい花『侘助』‥
 ひっそりと散って、ひっそりと咲き替わる花だ
 いつも一輪 綺麗に咲いているが‥今咲いている侘助は昨日の侘助ではない‥

 侘助の 咲きかはりたる 別の花  富安風生

[39]侘助
 39

 では、また‥。

2015年1月11日 (日)

【時習26回3-7の会0531】~「手嶋龍一&佐藤優『賢者の戦略〔生き残るためのインテリジェンス〕』を読んで」「01月04日:『二俣城址』を巡って」「01月04日:秋野不矩美術館『所蔵品展‥平成26年度/第5回「秋野芸術の精華Ⅴ~旅・風景」』展を見て」「01月09日:愛知県芸術劇場concert hall『ニューイヤー・コンサート2015/ウィーン・フォルクスオーパー交響楽団』演奏会を聴いて」

■皆さん、こんにちは。今泉悟です。
 今日も【時習26回3-7の会】《会報》【0531】号をお送りします。

■さて、今日最初の話題は、今週読んだ本から、手嶋龍一&佐藤優 対談集『賢者の戦略〔生き残るためのインテリジェンス〕』をご紹介します。

[01]手嶋龍一&佐藤優『賢者の戦略〔生き残るためのインテリジェンス〕』
 01intelligence

 端的に言えば、先週ご紹介した池上彰&佐藤優 対談集『新・戦争論』と同じgenreの話である。
 確かに、両書が言わんとしている最近の国際情勢についての見解はよく似ている。
 『新・戦争論』は「この21世紀をどう読み解くか」という歴史的見地から論じられていた。
 一方、本書『賢者の戦略』は以下の5つの章に分けて「インテリジェンス」の重要性を述べている。

 第一賞/21世紀の火薬庫「ウクライナ」
 第二章/近代国家を破壊する「イスラム国」
 第三章/「東アジア」での危険なパワーゲーム
 第四章/集団的自衛権が抱えるトラウマ
 第五章/反知性主義へのレジタンス

【小生comment】
 5つの章全てが面白い。
 中でも終章の第五章/反知性主義へのレジスタンス~「ロシアへの恐怖が現代へも続く(P.227~232)」と「イスラエルで出会った情報分析家が『国家というものがmoneyと情報を統制出来なくなって仕舞った』と嘆いた(P.252~P.256)」が目から鱗が落ちる程面白いのでご紹介する。
 以下、その抜粋を引用する。

【ロシアへの恐怖が現代へも続く】(P.227~232)
《佐藤》 ウクライナ問題を巡って、米国がプーチンのロシアと対決している今、メルケル首相のドイツが地下水脈でモスクワに通じていないかと警戒を解いていないんでしょうね。
 第一次世界大戦も続く第二次世界大戦も、主戦場はロシアと思いがちですが、実際の battle field ということでは、ウクライナこそがドイツとロシアの主力部隊が入り乱れて死闘を繰り返した主戦場です。
 ウクライナが一時の独立を果たしたのも、東部戦線で第一次世界大戦を終わらせた「ブレスト=リトフスク条約」です。
《手嶋》 現地ウクライナを実際に歩いてみると、我々が「ウクライナ」と呼んでいた地域が、二度の戦争で様々に国の形を変え、支配者を変え、住む人々が変わっていった様子が漸く実感出来ました。
 ガリツィア地方こそウクライナの変遷を体現している地なのです。
 東ガリツィアは今ウクライナ領となり、西ガリツィアはポーランド領になっています。
 東ガリツィアの中心都市はりヴィウ、西ガリツィアの中心都市はクラコフ(=クラクフ)。
 此処は近現代史に限っても実に五度も国家そのものが変わっています。〔中略〕
 今リヴィウは反ロシアを標榜するウクライナ・ナショナリズムの策源地になっていますが、複雑怪奇な欧州情勢を読み解くには、現下の情勢だけでなく、現地の近現代史を学んでおくことが不可欠だと思いました。
 でなければ、ウクライナ情勢の核心は掴めない。

〔【小生注】ウクライナと国境を接する国は、北から時計周りに‥
「ベラルーシ(旧・白ロシア)」→「ロシア」→「(黒海を挟み)トルコ」→「ルーマニア」→「モルドヴァ」→「ハンガリー」→「スロヴァキア」→「ポーランド」→(「ベラルーシ」)。
 人口45百万人。
 首都:キエフ〔人口:286万人〕。〕
 隣接する国々を見ると、ウクライナは東欧諸国の一つと言っても過言でない。

《佐藤》 ウクライナはドイツとロシアという大国の狭間にありますから、かつても今も power game の真っ只中に放り込まれて来た国です。
 一方のドイツ人は、ウクライナをはさんで、ロシアという国に対しては、第一次世界大戦からtraumaを抱えて来ました。〔中略〕
 第二次世界大戦で独ソ戦に臨んだドイツ人の反応をこう振り返っています。
「我々は馬鹿なことをした。
 ロシアと戦争してはいけなかった。
 ヒトラーもロシア侵攻は大変だと解っていた。
 ロシアと戦争することの恐怖はとても強かったのに」と。
《手嶋》 そうしたロシアを心から怖いという思いは今尚ドイツ人にも引き継がれているんですね。
 1939年夏、ノモンハンのハルハ河周辺の草原で日ソ両軍の精鋭が激突しました。
 所謂「ノモンハン戦役」です。
 この時、日本陸軍は打ち震える様な恐怖を覚えました。
 彼等はこの敗戦で対ソ恐怖症に罹って仕舞ったといいます。
《佐藤》 実態的には、日ソ間で本格的に戦われた「ノモンハン戦争」と呼ぶべきでしょうね。
 その後の世界の行方を左右した、それ程に重要な戦役でした。〔中略〕
 従来は、極東の局地的な軍事衝突に過ぎないとされていました。
 しかし、その後、本格的な研究が進むに従って、より深層を垣間見ることが出来る様になりました。
《手嶋》 そう、「第二次世界大戦は『満州に始まって満州に終わる』」という視点ですね。
《佐藤》 第二次世界大戦では、欧州の戦域と東Asiaの戦域が水面下で連動していたということなんです。
 これは今日のウクライナ問題にも同じことが言える。
 一見欧州問題に見え乍ら、実は東Asiaにも大きな影響を与えている訳です。〔中略〕
 現代のメルケル首相も又、形而上的に独ロ戦は避けなければいけないと考えているのです。
 実は、彼女は東独の牧師の娘で、東独に於けるエリート教育を受けている。
 其処には共産主義的な要素とロシア的要素が含まれている。
 この為、メルケルという人は、ロシア語も堪能ですし、ドイツ社会主義統一党の下部組織である自由ドイツ青年団にも入っていました。
 つまり彼女はロシア人の発想法、行動様式、ウクライナ観、更にはウクライナ人の価値観も全て解っているんですね。〔中略〕
《手嶋》 そうした政治指導部の問題意識を米国のintelligence community は、痛い程解っていますので、メルケル首相の携帯電話を傍受していた訳ですね。〔中略〕

【イスラエルで出会った情報分析家が『国家というものがmoneyと情報を統制出来なくなって仕舞った』と嘆いた】(P.252~P.256)
《佐藤》 「Moneyを統制できなくなった」とは、どういう意味か。
 どの国でも、どの時代でも、上位の5%程度の人間達に富が集中するという構造は大抵変わりません。
 ただ、東西冷戦が終わる迄、西側陣営は東西の力の均衡を保つ為、強大な軍事力を持ち、社会福祉を充実させ、Ideologieも堅固なものにして、共産主義の膨張を阻止しなくてはなりませんでした。
 国家権力に拠る資源の再配分が大きく認められていました。
 だから、国家に拠ってmoney の移動が統制出来たのです。
《手嶋》 資本主義陣営で大金持ちが跳梁跋扈すれば、体制の崩壊を招きかねませんからね。
 金持ちに自制を強いることで、彼等の地位も保全されて来た面があった訳ですね。
《佐藤》 ところが冷戦が終わってみると、共産主義の酷い実態が明らかになり、もはや資本主義社会を脅かす存在ではなくなりました。
 国家は富や資源を権力を使って再配分す大義名分を失い、結果的に社会格差も広がりました。
 すると金持ち達の間には、「この儘だと庶民のヤキモチに拠って叩き潰されて仕舞う」という危機感が芽生えて来ます。
 そして「自らの富を自発的に配分しない限り生き残れない」という結論に達する訳です。〔中略〕
 では一体どれ程自らの富を社会に還元すればいいのか。
 何と、個人資産の半分だというのです。
 Amazon創業者のジェフ・ベゾスにしても、マイクロソフトCEOを務めたベル・ゲイツにしても、それ位は社会に差し出しているんですよ。〔後略〕

■続いての話題は、01月04日(日)の午前中に現在は浜松市天竜区二俣となっている『二俣城址』と、同じ二俣地区で城址から1.2kmの所にある 秋野不矩美術館『所蔵品展‥平成26年度/第5回「秋野芸術の精華Ⅴ~旅・風景」』展を見て来ましたので、その模様をお伝えします。

 二俣城は、徳川v.s.武田の攻防戦の要の城として、又、徳川家康(1543-1616)の長男信康(1559-1579)が織田信長の命に拠り切腹した城として有名である。
 当城址の概略には、添付写真[04]二俣城址 史跡説明をご覧頂きたい。
 因みに、信康が切腹した年に生まれたのが家康の三男で2代将軍となる秀忠(1579-1632)である。
 又、家康の次男は、豊臣秀吉の養子となった結城秀康(1574-1607)〔福井藩宗家初代〕である。
 信康の切腹は、織田信長の娘で信康の正室 亀姫から、「信康が武田方と内通している」旨 信長に伝えられ、信長から母築山御前共々死罪を申し付けられた為と伝えられている。
 ただ、最近では、「家康と信康が対立。家康が信長に相談し、信長より家康の判断に任せるとあったのを受け、家康が信康に切腹を命じた」という説が有力となっている。
 因みに、二俣城址には9時半に到着。その本丸周辺の広場では、地元老人会と思われる人達がゲートボールに興じていた。
 気温は寒かったが、ゲームを楽しんでいる老人達の笑顔を見ていたら、ホッコリした温かな気分になった。

[02]二俣城址 入口にある史跡標識
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[03]天龍奥三河国定公園 二俣城址 入口案内看板
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[04]二俣城址 史跡説明
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[05]二俣城址 本丸石垣 遠望1
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[06]二俣城址 本丸石垣 遠望2
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[07]二俣城址 本丸 石垣1
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[08]二俣城址 本丸 石垣22
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[09]二俣城址 本丸 から眼下の天龍川を望む
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[10]二俣城址 周辺の地図
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 二俣城址巡りを30分弱で済ませ、車で数分の所にある、秋野不矩美術館へ向かった。
 秋野不矩(1908.07.25-2001.10.11)は、静岡県磐田郡二俣町城山(現・浜松市天竜区二俣町)の神主の父・惣吉、母・かつのもとに、6人兄妹(女5人男1人)の末子として生まれる。
 本名、ふく。
 秋野不矩の画風が大きく変貌を遂げたのが、54歳の時初めて訪れたインド。
 彼女は生涯14回インドへ旅(最後の渡印は1999年)をしている。
 故に、彼女の風景画にはインドを題材にしたものが多く、傑作も当然沢山ある。
 今回ご紹介する彼女の絵画7点は、いずれもインドとアフガニスタンが描かれている。
 秋野芸術の一端をしてご覧下さい。

《略歴》
 1925年03月 静岡県立二俣高等女学校卒業
 1925年04月 静岡県立女子師範学校2部(現・静岡大学)入学。美術教師・鈴木俊平の指導を受ける
 1930年10月 第11回帝展(東京府美術館)に『野を帰る』を出品。初入選
 1932年 塾の先輩 沢宏靭と結婚
 1938年10月 第2回文展に『紅裳』を出品。特選受賞
 1941年05月 新文展無鑑査に決定。以後、隔年出品
 1948年01月 日展を離れ『創造美術(現・創画会)』結成
 1958年10月 沢宏靭と離婚
 1962年07月 1年間インドに滞在。以後、生涯に14回インドへ旅をしている
 1991年11月 文化功労者に顕彰
 1999年11月 文化勲章受賞
 2001年10月 11日 心不全の為逝去(享年93歳)

[11]秋野不矩美術館 遠望
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[12]秋野不矩美術館 正面
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[13]秋野不矩『インド女性』1964年
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[14]同『アフガニスタン風景』1972年
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[15]同『廃墟Ⅰ』1989年
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[16]同『廃墟Ⅱ』1990年
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[17]同『ラージャラーニー寺院Ⅰ』1995年
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[18]同『ラージャラーニー寺院Ⅱ』1995年
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[19]同『砂漠のguide』2001年
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■今日最後の話題は、昨日01月09日、名古屋栄の愛知県芸術劇場concert hallにて開催された『ニューイヤー・コンサート2015/ウィーン・フォルクスオーパー交響楽団』演奏会の模様をお伝えしたお別れしたいと思います。

 毎年恒例のウィーン・フォルクスオーパー交響楽団のニューイヤーコンサート。
 2010年01月から今年で6年連続6回目となる。
 日本に居乍ら新年にウィーンの音楽を楽しむことが出来ることを神様に感謝したい。

 演奏曲目は、全13曲にencore曲3曲〔1. カールマン作曲:オペレッタ『チャルダーシュの女王』から「踊りたい」/2.J. StraussⅡ作曲:ポルカ・シュネル『浮気心』Op.319/3. J. StraussⅠ作曲:『ラデツキー行進曲』〕を加えた全16曲。
 13曲の詳細は添付写真[21]をご覧下さい。

[20]New Year Concert 2015 Symphonie-Orchester der Volksoper Wien leaflet
 20new_year_concert_2015_symphonieor

[21]本演奏会 program
 21_program

 去年今年(こぞことし) 芸術の粋(すい) いと楽し  悟空

 では、また‥。

2015年1月 4日 (日)

【時習26回3-7の会0530】~「池上彰&佐藤優『新・戦争論』を読んで」「酒井雄哉 箴言集『そのままの自分を出せばいい』から」「01月03日:名古屋ボストン美術館『華麗なるジャポニズム〔印象派を魅了した日本の美〕』展を見て」

■明けましておめでとうございます。
 今泉悟です。今年もどうぞ《会報》共々宜しくお願い申し上げます。
 今年は大変寒い正月ですね。
 拙宅のある豊橋も元旦と二日に雪が降り、僅かですが積もりました。
 今年は2015(平成27)年。愈々我々も還暦を迎える年男と年女です。
 健康に留意して元気に毎日を過ごして参りましょう。
 今日も【時習26回3-7の会】《会報》【0530】号をお送りします。

■さて、今日最初の話題は、この年末年始に読んだ本から、池上彰&佐藤優 対談集『新・戦争論』をご紹介します。

[01]池上彰&佐藤優 対談集『新・戦争論』
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 最近は、globalizationが進み、国際情勢の的確な把握なくしては正確な情勢分析が出来ない時代になっている。

 本書の主題について、池上彰氏が「はじめに」で「この21世紀をどう読み解くか」が本書の主題だと述べている。
 即ち、今から四半世紀余り前の1989年Berlinの壁が崩壊し、東西「冷戦」が終わり「新しい時代」が遣って来た。
 が、その新しい時代とは、Francis Fukuyamaが『歴史の終わり』で述べた様な楽観的な時代にはならなかった。
 逆に、チェチェン紛争、湾岸戦争、旧Yugoslavia内戦、米国同時多発テロ、Afghan&Iraq両国への米軍攻撃 等々の様々な「(局地)戦争の世紀」の様相を呈している。
「冷戦」の一番の特徴はIdeologie対立だったが、この新しい時代の紛争にIdeologieの対立はない。
 典型的な領土争いであり、「帝国主義」の対立である。
 しかし、旧来型の「帝国主義」の如く全面戦争は起こっていない。
 これは多分に「核抑止力」があるからだが、佐藤優氏はこれを「新・帝国主義」と呼ぶ。
「新・帝国主義」は、資本の過剰がその背景にある。
 お金が儲かる投資対象が国内にない為、金融を中心に投資先を求めてお金が世界中を駆け巡る。
「新・帝国主義」は、外交面では、強国が相手国の立場を考えずに自国の立場を最大限に主張し、相手国が譲歩するとみれば権益を拡大していく。
 他方、相手国が必死に抵抗し、国際社会が「遣り過ぎだ」と言う場合は譲歩する。
 譲歩した方が、結果的に自国の利益を極大化出来るからだ。〔P.243〕
 Ukraina問題が何故解決しないかというと、誤解を恐れず言えば、まだ殺し足りないからだ。Palestina問題も然り。
 「これ以上犠牲が出るのは嫌だ」と当事者が互いに思う処迄行かないと和解は成立しない。〔以上、佐藤氏 P.248〕
 要するに「嫌な時代」になって来たのだ。
 これからの世界を生き抜く為に、個人としては、「嫌な時代は嫌な時代だ」と認識できる「耐性」を身につける必要がある。
 その為に「通時性」に於いては『歴史』を知り、「共時性」に於いては『国際情勢』を知ること。
「知識」に於いて『代理体験』をして、「嫌な時代に嫌なことが沢山ある」ということをよく知っておくことだ。〔以上、佐藤氏 P.249〕
「歴史」を改めて勉強することが必要。すると「同じ様な事象が起きて歴史は繰り返す」と実感する。〔以上、池上氏 P,250〕

【小生comment】
 池上氏と佐藤氏の対談は、例えば、米国社会の問題では「黒人の差別の上に白人だけの平等が成り立っている(P.213)」とか、「エボラ出血熱の背後に人口爆発あり(P.47)」、「Ukraina紛争の本質を知るには、Ukrainaという地の歴史を16世紀に迄遡って理解する必要がある(P.88~104)」、「Scotland独立騒動の真相(P.104~P.110)」、「ベルギーが危ない(P.110~P.114)」、「第4章/「イスラム国」で中東大混乱(P.116~P.154)」、「第5章/日本人が気づかない朝鮮問題(P.156~P.186)」等々がとくに面白い。
 本書に拠り、「物事の核心を知る方法」を理解出来たと思う。
 正に、「目から鱗が落ちる」様な事象が、各項目毎に次々と出て来て的確に解説してくれるから実に新鮮で勉強になる。

■続いての話題は、酒井雄哉(ゆうさい) 箴言集『そのままの自分を出せばいい』についてである。

[02]酒井雄哉 箴言集『そのままの自分を出せばいい』
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[03]高倉健『最期の手記』〔文藝春秋2015年01月号より〕
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 昨年11月10日に逝去した俳優 故・高倉健氏が文藝春秋2015年01月号に寄稿した『最期の手記』で酒井氏(1926-2013)との出会いを次の様に語っている。

 「お滝を受けてみたい。」僕が言うと、京都のstaffの伝手(つて)で紹介を受けたのが、比叡山飯室谷長寿院だった。
このことが後に、僕に大きな影響を与えて下さった故・天台宗北嶺大行満大阿闍梨 酒井雄哉さん(以後、阿闍梨さん と言う)との出会いがきっかけとなった。〔中略〕
 生き仏とも言われる『阿闍梨』とは、(4万kmを千日で踏破する)壮絶な修行『千日回峯行』の後(のち)認められる。
 酒井さんは1980年と87年の2度満行されている。
 千年を超す比叡山の歴史の中で、二度の満行を成功させたのはたった三人しかいらっしゃらない。
 後に、阿闍梨さんが亡くなる少し前に出版された『あなたには幸せになれる力がある』(PHP研究所刊)という本の中で、『出会いや縁は、将来何処で繋がるか解らない』というThemaで僕(=高倉健)との出会いのことを書いて下さっている。

「僕(=酒井雄哉)も、『縁』について不思議な体験をしたことがあるんだ。
 任侠映画が好きだった僕は、高倉健さんが駆け出しの俳優だった頃から、screenでよく観ていたんだ。
 ある日、いつの間にか主役を演じている健さんを観て、「頑張ってるなぁ。自分も一生懸命勉強しないとな」と思えて、健さんに励まされている様な気持ちになったのを今でも覚えているよ。
 それで、僕に出来ることを毎日コツコツ頑張ったんだ。
 するとある日、健さんがお寺にフラッといらっしゃったんだよ。
 度々映画を観ることで、健さんを身近に感じてはいたけど、まさかご本人に会える日が来るなんて思ってもいなかったから、本当に吃驚したよ。
 地球上には沢山の人がいるけど、出逢う人はその中のほんの一部。接点がないと思っていた健さんと出会えたことは、何か意味があると思ったんだ」
 酒井さんが阿闍梨さんになられ(1998年より)長寿院を継がれてからも、不思議な『縁』は途切れることはなかった。〔以下略〕

【小生comment】
 人との出会いは、「不思議なご縁」で繋がっているという言葉は強く共感する。
 即ち、小生が先月手術を執刀してくれたのが、時習26回生の同期 金子T也君【3-4】。
 彼との出会いが正にこの『不思議なご縁』そのものだからだ。
 何となれば、金子君とは、彼が今の病院の院長に就任した平成19年から付き合いが始まったのであるが、その出会いがあったればこそ今回の手術成功に結びついたのである。
 そのきっかけを作ってくれたのが中嶋Y行君【3-2】。
 中嶋君が平成19年に金子君を紹介してくれてミニ同期会をやって以来、金子君との親交が続いている。
 更に不思議なご縁を感じるのは、今年06月07日~08日の「時習26回生卒業40周年記念懇親会in京都」で、泊まった旅館「鶴清」で偶然に金子君と同室だったことだ。
 そしてとどめが、今回で7年連続になる「生活習慣病予防健診」を受診していた病院が、これは自宅に近いと理由からだったのだが、金子君が院長を務めている病院だったこと。
 これ等の事象が、今回の「健診→精密検査→入院→手術→無事退院」と一本の太い棒で繋がったのだが、このことは、正に『不思議なご縁』としか言い様がない。
 中嶋君といい、金子君といい、ホント「持つべきものは友」であると心底実感した。
「持つべきものは友」も「不思議なご縁」の何者でもない。

 以下、酒井雄哉氏の「箴言集」から3つご紹介したい。実に簡潔だがいい言葉ばかりである。

【フル回転して生きれば楽しみが増える】〔P.33〕
 長生きをしていればいろんなことに会うし、いろんな経験が出来る。
 人間フル回転するべきだと思うな。
 ただ、ボケっとしているのは勿体ないけど、フル回転していれば、昔の歴史や、昔の知り合いに触れ合って、新しいことを知ることだって出来る。
 新しい楽しみが出来るよね。
 〔『ムダなことなどひとつもない』より〕

【「いい欲」をいっぱい持とう】〔P.116〕
 欲がなくなって仕舞うと、「何もしないで、じっとしていて、これでいいんだ」と思って仕舞うかもしれないよね。
 欲があるから、前向きに物事を考えていくことが出来るという面もあると思うんだよ。
 だから、「いい欲」は残しておかなきゃならないだろうね。
「欲」があるから、世の中も進歩するし、発展もある。
「物事を前向きに取り組もうとする欲」とか、「学びたい欲」とか、「考える欲」とか、そういう「いい欲」は、いっぱい持っていたほうがいいと思うよ。
 〔『今できることをやればいい』より〕

【いい人たちと付き合おう】〔P.153〕
 自分の道が見えている人も、自分の道や好きなことが解らない人も、いい人たちと付き合うことが大切だよ。
 知識の豊富な人、正直な人、誠実な人、努力する人、指導してくれる人を友達に持って、口の上手な人、安請け合いする人、約束を守らない人とは付き合わないことだ。
 〔『がんばらなくていいんだよ』より〕

【小生comment】
 人生を、「フル回転して生きれば楽しみが増え」「『いい欲』をいっぱい持って」「いい人たちと付き合え」ば、正に『人生が楽しく充実』し、『我が人生に悔いなし』となるのだ。
 小生は、【2637の会】membersという素晴らしい輩を持てたことを幸せに感じている。
【2637の会】membersの皆さん! これからも末永く宜しくネッ!

■今日3つ目の話題は、昨日 01月03日(土)午后05時半からに大学弓道部時代のミニ同窓会が名古屋駅前の居酒屋であった。
 その前に時間を作り、金山にある名古屋ボストン美術館『華麗なるジャポニズム〔‥印象派を魅了した日本の美‥〕』展を見て来たので、その模様をお伝えする。

 19世紀から20世紀初頭にかけて西洋で大流行した「日本美術」は、西洋の美意識に根本的な変革を齎し、『ジャポニズム(Japonisme)』という現象が生まれた。
 本展は、このJaponismeをThemaに、世界有数の印象派と日本美術のcollectionを有するBoston美術館より、絵画・版画・写真・工芸等、厳選された約150点を展覧している。
『日本美術』って矢張り凄いんだな、と感じた次第である。
 以下に、本展から西洋の名画を9点ご紹介する。

[04]本展leaflet
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[05]Edmund Charles Tarbell『夢想(キャサリン・フィン) Reverie(Katharine Finn)』1913年
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[06]Claud Monet『La Japonaise(Camille Monet in Japanese Costume)』1876年〔231.8×142.3cm〕
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[07]Vincent van Gogh『子守唄、揺籃を揺らすオーギュスティーヌ・ルーラン(Augustine Roulin)夫人』1889年
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[08]John Sloan『春の花(Flowers of Spring)』1924年
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[09]エドゥアール・ヴュイヤール(Edouard Vuillard)『ガラス花瓶の薔薇(Roses in a Glass Vase)』1919年頃
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[10]Frank Weston Benson『銀屏風(The Silver Screen)』1921年
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[11]Henri Matisse『花瓶の花(Vase of Flowers)』1924年
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[12]Camille Pissarro『雪に映える朝日(エラニー=シュル=エプト) Morning Sunlight on the Snow, Eragny-sur-
Epte』1895年
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[13]Claoud Monet『トゥルーヴィルの海岸(Seacoast at Trouville)』1881年
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■今日最後の話題は、同じく10月03日 松坂屋美術館にて開催中の『篠山紀信展/写真力』についてである。
 本展は、写真家 篠山紀信氏にとって、日本国内で初めての大規模な美術館巡回展である。
 篠山氏が、過去50年間に撮影して来た「有名人」の肖像を中心に、寅さんの渥美清、三島由紀夫、ジョン・レノンとオノ・ヨーコ、山口百恵、バルテュス、きんさん・ぎんさん、王貞治・長嶋茂雄、大竹しのぶ等々の portrait 約130点を紹介している。

[14]本展leaflet
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【小生comment】
 本展は、壁いっぱいに超大型の写真が所狭しと展示してあって何故だかワクワクして来た。
 夫々のportraitを見ていたら、その時代の懐かしい思い出が脳裏に蘇って来たからだろうか。
 本展を観て、写真展も中々いいもんだ、と久し振りに感じた『篠山紀信』展であった。

【後記】昨年末の12月29日、【2637の会】membersの石田Y博君からmailを頂戴した。
 先ずはご覧下さい。

 Sent: Monday, December 29, 2014 10:21 PM

 今泉君

 貴兄の会報をすぐに読めなくて、12月21日号を本日になって読みました。
 大腸がんの手術を受けたとの内容に大変驚きましたが、手術の結果が良いもので何よりでした。
 私のように救命救急センターをもつ病院に勤務していると、40歳代でもつい先ほどまで元気にしていた人が心筋梗塞や脳出血で亡くなったり植物状態になるのを時々目にしており、50歳を超えれば人はいつ死んでもおかしくはないと実感します。
 実際に人はいつ死ぬか全く分からないのですから、貴兄のように毎日を悔いなく生きなくてはと思う今日この頃です。
 ですから仕事も大事ですが、仕事以外の好きなこともできるだけ楽しんでおくべきだと思います。
 貴兄の会報を見ていると、常に多くのことに興味をもって人生を謳歌している様子がよく伝わってきて、私も元気づけられます。
 これからも元気で頑張ってください。
 読むのは少し遅くなることも多いですが、会報を楽しみにしています。

 石田Y博

【小生comment】
 石田君がいみじくも述べていた「実際に人はいつ死ぬか全く分からないのですから、貴兄のように毎日を悔いなく生きなくてはと思う今日この頃です」は、その通りだと思います。
 石田君! 応援有難う! 小生、命の続く限り【2637の会】《会報》を続ける所存です。
 乞う ご期待!(^-')b♪

 今日の締め括りは、上述した通り、昨日名古屋駅前の居酒屋で大学弓道部時代のミニ同窓会を開催した時の参加者17人の記念撮影である。
 小生達は、創部から数えて第18代となり、今回の参加者は7人。
 一年先輩の17代も7人。一年後輩の第19代から3人が参加した。
 バルト三国の一つEstoniaの大学で教鞭を執ってられる先輩も一時帰国され参加して下さった。
 万年幹事役の小生が手術をしたことを心配してくれて、参加者の皆さんから快気祝いを頂戴した。
 皆さんの心遣いに心より感謝申し上げる。
 ホントこれからの人生は『健康』が一番のkey wordである。
【2637の会】membersの皆さんも是非ご自愛下さい。
 では、また・・。(了)

[15]名大弓道部 第17-18-19代 ミニ同窓会 in 名古屋 20150103
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