【時習26回3-7の会0534】~「01月24日:静岡市美術館『ロイヤル・アカデミー』展を見て」「同左:丸子宿(鞠子宿)『丁子屋のとろろ汁』を食して」「同左:『久能山東照宮』を訪れて」「辻イト子講演会『大阪のおばちゃんが元気を運びまっせ』を聴いて&同著『いくつになっても輝きたいねん』を読んで」
■早いもので2015年01月も今日でお終いですが、皆さん、お変わりありませんか。今泉悟です。
【時習26回3-7の会】《会報》【0534】号をお送りします。
今日は、01月24日(土)に車で静岡市へ出かけ、JR静岡駅前にある静岡市美術館『ロイヤル・アカデミー』展→丸子(鞠子(まりこ))宿『元祖/丁子屋(ちょうじや)』→『久能山東照宮』と3箇所尋ねて来た模様についてお伝えする。
因みに、最近の数年間で『静岡市美術館』と『久能山東照宮』は1回ずつ訪問しているが、『丁子屋』は初めての訪問となる。
2013.06.14【2637の会 0450】~2013.06.09(日)静岡市美術館『レオナ―ル・フジタとパリ 1913-1931』展
http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/post-cdd3.html
2006.10.09【2637の会 号外7】~2006.10.08「久能山&清水港」
http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog/2006/10/26__1535.html
■先ずは、静岡市美術館『ロイヤル・アカデミー』展から‥。
[01]静岡市美術館(3F)が入居する葵タワー1F elevator にある『ロイヤル・アカデミー』展看板
[02]本展leaflet/絵は、ジョン・エヴァレット・ミレイ(Sir John Everett Millais Bt PRA(1829-96))『ベラスケスの想い出(A Souvenir of Velazquez)』1868年
[03]ジョシュア・レノルズ(Sir Joshua Reynolds PRA(1723-92))『セオリー(Theory)』1779-1780年
[04]ウィリアム・ホッジズ(William Hodges RA(1744-97))『べナリスのガ―ト(The Ghauts at Benares)』1787年
Hodesは、James Cook(1728-1779)の全3回に亘る太平洋方面の探検・調査の為の航海の第2回航海(1772-75)に同行し、喜望峰やタヒチ(Tahiti)島をはじめ各地を描いた。
1780~83年には、英国人風景画家として初めてIndiaを訪れた。
1781年にベナレス(印度・バラナシ)という古代都市を訪れた。
本作品は、入浴の儀式が許可されているGanges川に沿って望むゴート若しくはガ―ト(gha(u)ts)として知られる広い階段を描いている。
尚、Indiaではsketchを制作、本作は帰国後Londonで描かれた。
[05]ジョセフ・マラド・ウィリアム・ターナー(J. M. W. Turner(1775-1851))『ドルバダ―ン城』1800年
[06]ジョン・カンスタブル(John Constable RA(1776-1837))『水門を通る舟(A Boat Passing a Lock)』1826年
[07]ジョン・コルカット・ホ―ズリ(John Callcott Horsley RA(1817-1903))『居心地のよい場所(A Pleasant Corner)』1865年
[08]ジョン・フレデリック・ルイス(John Frederick Lewis RA(1804-76))『カイロのカフェの入口(The Door of a Café in Cairo)』1865年
[09]スタナっプ・フォーブズ(Stanhope Forbes RA(1857-1947))『港に面した窓辺(The Harbour Window)』1910年
[10]ジョン・シンガー・サージェント((1856-1925))『庭の女性達、トッレガッリ城(At Torregalli:Ladies in a Garden)』1910年
静岡市美術館には、10時の開館少し前に、美術館北隣の駐車場に車を停め、開館時間と当時に入館し、10時50過ぎ迄滞在した。
以上にお示しした絵画の他に、ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス(John William Waterhouse RA(1849-1917))『人魚』1900年も展示されていた。
本作品は、今から1年5箇月程前の2013年08月03日、同じ静岡市内の静岡県立美術館で開催された『夏目漱石の美術世界』展で展示されていたことを覚えている。
だから、小生にとっては二度目の御対面となる。
その時の模様は、以下のURLをご覧下さい。
http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog/2013/08/26-04592637inte.html
本展は、英国 The Royal Academy of Arts 所蔵の絵画・素描を中心に、1768年の創建当時以降20世紀初頭迄の作品を展示している。
当美術館は、英国王GeorgeⅢの庇護の下創設された権威ある格式の高い美術館である。
従って、本展はいずれも綺麗で整った、一般的に言って『美しい作品』が数多く展示されていたのは確かである。
添付写真の絵[02]~[10]は、ご覧の様にいずれも一級の作品である。
しかし、展示作品を数点程見た辺りから、小生、直感的にだが「何かが足りないナァ」と感じていた。
作品が見る者に訴えかける何かが足りないのである。
その「何か」について此処では触れないでおくこととする。
■続いて訪れたのは、静岡市美術館から南西へ6.8㎞、時間にして15分の処にある、丸子(鞠子(まりこ))宿『丁子屋』である。
静岡市美術館を出た処で、『丁子屋』へ電話して予約を入れようとしたら、「到着した方から順次ご案内しています。11時から開店です」とのこと。
『丁子屋』に隣接する駐車場へ到着したのが11時15分。
大型busが何台も停車出来る程の大駐車場だった。
そして入店して吃驚した。
丁子屋は、奥が広いのである。
食卓に案内され、一番安い「とろろ汁」「定食『丸子』」を注文した。〔添付写真[13]〕
「とろろ」の原料は、山芋ではなく「自然薯」。
自然薯にしては、調理方法に工夫があるのだろう、ネバネバが少なく食べ易かった。
で、味は「美味!」という程ではなく、一般的な「とろろごはん」の味かなぁ‥。^^;
値段の方はというと、一人前@1,440円だから結構いい値段だ。
ご飯は白麦米がお櫃に入って配膳され、一人前三杯は食べられるのでvolume感は十分。
鞠子宿=丸子宿(まりこしゅく(じゅく))は、東海道五十三次の20番目の宿場。〔添付写真[12]〕
東海道中で最も小規模の宿場だそうだ。
天保時代、旅籠の数は24軒。
歌川(安藤)広重の「東海道五十三次『丸子』」宿に描かれている茶屋が『丁子屋』。
この『丁子屋』は、「とろろ汁」の老舗で1596年(慶長元年)創業。
俳人 松尾芭蕉も丁子屋のとろろ汁について俳句を次の様に詠んでいる。
梅若菜 丸子の宿の とろろ汁 〔 猿蓑巻の五 〕
■この日最後に訪れたのは、丁子屋から東北東へ19km(所要時間50分)の処にある久能山東照宮である。
車で、久能山に近づくと、道路脇の其処此処に『石垣苺狩り』の看板と、勧誘する女性の姿があった。
久能山の参道脇の駐車場に車を停め、ropewayにするか徒歩にするか一瞬迷ったが、健康の為「1159段」ある石段を徒歩で登ることにした。
ところで、駐車場料金は1,000円だという。
便乱坊に高いなぁ‥思ったら、指定する売店で2,000円以上買ったら駐車場料金は只になるという。
「『石垣苺』はあるか?」と尋ねたら「ある」という。
「じゃぁ、旬の苺を土産に」と決め、駐車することにした。
一ノ鳥居の石段から、添付写真[15]の山腹に見える「一ノ門」迄は909段で約20分程かかるという。
実際歩いて行ったら、12~3分で「一の門」に到着した。
『社殿』迄登ると1,159段で「いちいちご苦(1159)労さん」と呼ばれているそうだ。
[19]同『社殿(本殿・石ノ間・拝殿)』(←2010年国宝指定)にて
此処 久能山東照宮には、徳川家康の手形があった。
そのcaptionには、家康38歳、伸長155cm、体重60kgと記されていた。
■今日最後の話題は、最近読んだ、辻イト子著『いくつになっても輝きたいねん』についてである。
添付写真[22]をご覧下さい。
先週01月20日(火)に地元法人会主催『大阪のおばちゃんが元気を運びまっせ!~いくつになっても輝き続けるために~』という講演会を聞く機会があった。
講師の辻イト子さんの略歴をご紹介すると、講演会 leafletのprofileにある様に‥
1947年 大阪府岸和田のみかん農家の一人娘に生まれる
高校卒業後、デパート勤務を経て
1970年 銀行員の婿養子を迎える
知的障害の長女を明るく育て、宅建主任の資格取得後、不動産業を営む
bubble崩壊に拠り大きな借金を抱えるが‥
46歳の春、新聞広告で見つけたタレント養成学校に入学
2年間の在学中に、ユニクロのCMに出演
以後おばはんCMの雄として数々のCMに出演
「みかん山プロダクション」という主婦タレント100数名を抱える迄に成長
小生、このおもろいおばはんの講演会で元気を貰い、記念に著書を購入。
それを今回皆さんにご紹介させて頂いたという次第‥。
この講演会と著書が小生に教えてくれたことは‥
1.人生はいくつになってもchanceはある。自分自身がそうであったし、みかん山プロダクションに所属している87歳のおばあさんもタレントで生きがいをみつけることができた
2.Chanceは、生かすも殺すも自分自身の取組姿勢であり、一度しかない人生だからこそ challenge精神と不断の努力をして重ねていくべき
3.知的障害の長女を育てるという苦難もあったが、次女をはじめ家族の愛と一所懸命ガンバルことで長女自身もそして親である自分も救われ、明るく生きている
辻イト子さんの様に、何事に対しても、明るく前向きに捉えchallengeし続ければ、正に「叩けよ、されば開かれむ」である。
ホント、一度しかない人生だから、ドンドン前向きにガンバッテいけば、きっと「ガンバッテ良かった」「生きてて良かった」と思うことがいっぱいある‥と勇気を貰った。
【2637の会】membersの皆さん! 今年、我々は還暦を迎えます。
でも、決してまだまだ老け込む歳ではありませんネ。
いつ迄も、健康で元気に生きて、世の中、社会、家族の為になる、そして感謝される我々でありたいですね。
【後記】話は、再び久能山東照宮に戻る‥。
其処の 国宝『社殿』脇の売店で「東照宮 遺訓」を買った。
改めて読み返すと、含蓄があってとても良い文章だと思う。
天下統一した人物が、この様な立派な倫理観念を持っていたからこそ、260有余年の徳川の天下が続いたのだと思う。
《東照宮 遺訓》
人の一生は重き荷を負(う)て 遠き道をゆ(行)くが如し 急ぐべからず
不自由を常とおも(思)へば不足なし
こころ(心)に望(み)おこらば 困窮したる時を思ひ出すべし
堪忍は無事長久の基
怒りは敵とおも(思)へ
勝事(かつこと)ばかり知(り)て ま(負)くる事を知らざれば 害其(その)身に至る
己(おのれ)を責(め)て 人をせむ(責)るな
及ばざるは過ぎたるよりまさ(勝)れり
《Toshogu Ikun (Lord Ieyasu's Final Testament)》
The life of a man is like a heavy burden carried along an unending road.
It must not be hurried along.
If you accept that you will always have limitations, you will not feel bereft.
If you have greed in your heart, recollect the times you were poor.
Patience is the basis of along and peaceful life.
Consider anger your enemy.
Only knowing victory, and nothing of defeat, will cause you harm.
Censure yourself, not others.
Being unable to reach far enough is better than reaching too far.
では、また‥。
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