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2015年5月の5件の記事

2015年5月29日 (金)

【時習26回3-7の会0550】~「『奥の細道』第2回‥『旅立』→『草加』→『室の八島』→『仏五左衛門』→『日光』→『那須』→『黒羽』→『雲巌寺』‥」「05月28日:愛知県芸術劇場concert hall『Berlin P.O. Stradivari soloists / Stradivarius Summit Concert 2015』を聴いて」「篠田桃紅著『一〇三歳になってわかったこと‥人生は一人でも面白い‥』を読んで」

■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です。
 さぁ、今日も【2637の会 0550】号をお送りします。

■さて今日最初の話題である。
 前《会報》から松尾芭蕉の『奥の細道』の連載を始め、今回は、その第2回目。
 芭蕉は、曾良を伴として、元禄二(1689)年 弥生二十七日(新暦05月16日) 江戸の『隅田川』を出立した。
 今日05月29日(新暦)は、旧暦で言うと卯月十一日に当たる。

[01]松尾芭蕉『おくのほそ道』他
 01

[02]松尾芭蕉『奥の細道』行程と地図
 02

 では、松尾芭蕉の「奥のほそ道」の『序』に続く『出立』から順を追ってご紹介して行きたい。
 前《会報》の予告では、「‥『那須』→『黒羽』→『雲巌寺』→『殺生石・遊行柳』‥」迄お届けする予定であった。
 が、時の経過を、現代と当時(新暦base)の日付をになるべく忠実にしたいと考え直し、前回予告で今回予定の『殺生石・遊行柳』を外した。
 従って、次号の「第3回」にて『殺生石・遊行柳』→『白川(=白河)の関』をお届けすることとした。

【 旅立 〔 出立 〕】
《原文》
 弥生も末の七日、明ぼのゝ空朧々(ろうろう)として、月は在明(ありあけ)にて光おさまれる物から、不二の峰 幽(かす)かにみえて、上野・谷中(やなか)の花の梢(こずえ)、又いつかはと心ぼそし。
 むつましきかぎりは宵よりつどひて、舟に乗(のり)て送る。
 千じゆ(=千住)と云々(いふ)所にて船をあがれば、前途三千里のおもひ胸にふさがりて、幻のちまたに離別の泪(なみだ)をそゝぐ。

  行く春や 鳥啼(なき)魚(うを)の 目は泪

 是を矢立の初(はじめ)として、行(ゆく)道なをすゝまず。
 人々は途中に立ちならびて、後ろかげのみゆる迄はと、見送(みおくる)なるべし。

《現代語訳》
 3月も末の27日。曙の空は朧(おぼろ)に霞んで、月は有明の月(←夜明けになお空に残っている月)で、光は薄れているものの、富士山の嶺が微かに見える。
 上野の谷中の花の梢は、又いつ見ることができるだろうかと思うと心細い。
 親しい友人達は前夜から集まって、深川から隅田川を舟に乗って見送ってくれる。
 千住という所で船からあがると、前途三千里の思いに胸が一杯になって、この幻の世との別れに涙が零れた。

  春が過ぎ去ろうとする季節に離別の寂しさは格別である
  鳥が啼き、魚も目に涙している様に光らせている

 これを、矢立の書き始めの句として歩き出したが、名残りが尽きない。
 別れに来てくれた人々は途中に立ち並び、我々の姿が見える限り見送ってくれるのだろう。

【小生comment】
 「行く春や」という初句が、奥の細道の旅立ちの日三月二十七日という時節がまさに「惜春」を表象している。
 「惜春」「鳥」というと、杜甫の色彩的で著名な「絶句」を思い出す。

 江碧鳥愈白 /江は碧にして鳥は愈(いよい)よ白く
 山青花欲然 /山は青くして花は燃えんと欲す
 今春看又過 /今春看す又過ぐ
 何日是帰年 /何(いず)れの日か 是れ帰年ならん

【草加】
《原文》
 ことし元禄二(ふた)とせにや、奥羽長途(ちょうど)の行脚(あんぎゃ)、只かりそめに思ひたちて、呉天(ごてん)に白髪の恨(うらみ)を重ねといへ共(ども)、耳にふれていまだめに見ぬさかひ、若(もし)生(いき)て帰らばと定(さだめ)なき頼(たのみ)の末をかけ、其日(そのひ)漸(やうやう)草加と云(いふ)宿(しゅく)にたどり着けり。
 痩骨(そうこつ)の肩にかゝれる物先(まづ)くるしむ。
 只身すがらにと出立(いでたち)侍(はべる)を、帋子(かみこ)一衣(いちえ)は夜(よる)の防ぎ、ゆかた・雨具・墨・筆のたぐひ、あるはさりがたき餞(はなむけ)などしたるは、さすがに打捨(うちすて)がたくて、路次(ろし)の煩(わずら)ひとなれるこそわりなけれ。

《現代語訳》
 今年は、確か元禄二年か‥、奥羽への長旅をふと思い立ち、遠い異郷の地に白髪となって仕舞う様な辛苦を重ねるのは当然のこととして、話に聞いているが未だ見たことのない土地を訪ね、もし生きて帰ることが出来ればと、儚い望みをかけつつ歩んで行くと、その日、やっと草加という宿に辿り着いた。
 痩せ細って骨ばかりの肩にかかる荷が先ず私を苦しめた。
 ただ身一つで旅立った筈ではあったが、夜の寒さを防ぐ紙子一着、浴衣(ゆかた)、雨具、墨筆の類(たぐい)は欠かすことが出来ず、或いは断れずに受け取った餞別も矢張り捨てることが出来ず、道中の煩いとなったのは仕方のないことだった。

【室の八島】
《原文》
 室の八島に詣(けい)す。
 同行(どうぎょう)曾良が曰(いはく)、「此(この)神は木(こ)の花さくや姫の神と申(まうし)て富士一躰(いったい)也(なり)。
 無戸室(うつむろ)に入(いり)て焼(やき)給ふちかひのみ中に、火ゝ出見(ほほでみ)のみこと生(うま)れ賜ひしより室の八島と申(もうす)。
 又煙を読習(よみならは)し侍(はべる)もこの謂(いはれ)也(なり)」。
 将(はた)、このしろといふ魚を禁ず。
 縁起の旨 世に伝ふ事も侍(はべり)し。

《現代語訳》
 「室(むろ)の八島(やしま)」に参詣した。
 同行の曽良が言うには、「此処の祭神は木花咲耶(このはなさくや)姫の神と言って富士山の浅間神社と同じ神です。
 この姫は無戸室(‥四方を塗り塞ぎ、出入口をなくした産室‥)に入って火を放ち、不貞で出来た子なら焼け死んで出産出来ない筈だと身の潔白を誓い、燃え盛る炎の中で、無事火々出見尊(ほほいでのみこと)をお生みになったことから、此処を「室の八島」と申します。
 又、「室の八島」の歌枕に煙を詠む習わしがあるのもこの謂れからです」と。
 それから又、此処では「このしろ」という魚を食することを禁じている。
 この(神社の)縁起の趣旨を世に伝えてもいる。

【仏五左衛門(ほとけござえもん)】
《原文》
 卅日(みそか)、日光山の麓(ふもと)に泊る。
 あるじの云(いひ)けるやう、「我(わが)名を仏五左衛門と云(いふ)。
 万(よろず)正直を旨とする故に、人かくは申(まうし)侍(はべる)まゝ、一夜の草の枕も打解(うちとけ)て休み給へ」と云(いふ)。
 いかなる仏の濁世(ぢょくせ)塵土(じんど)に示現(じげん)して、かゝる桑門(さうもん)の乞食順礼ごときの人をたすけ給ふにやと、あるじのなす事に心をとゞめてみるに、唯(ただ)無智(むち)無分別にして正直偏固(へんこ)の者也。
 剛毅(ごうき)朴訥(ぼくとつ)の仁に近きたぐひ、気稟(きひん)の清貧、尤も尊ぶべし。
 
《現代語訳》
 (三月)三十日、日光山の麓の家に泊った。
 其処の主(あるじ)人が言うには、「私は名を仏五左衛門と申します。
 万事、正直を信条としまていますので、世間の人はその様に(‥「仏」‥)と申しております。ですから、今夜は寛(くつろ)いでお休みになって下さい」と言う。
 如何なる仏が、穢(けが)れた現世に現れ、この様な僧侶姿をした乞食・巡礼の様な者を助けられるのかと、主人の振る舞いを気をつけて見ていると、知恵や分別を利かせる訳でもなく、正直一点張りの人物で、正に(「論語」にある)「剛毅朴訥仁に近し」を地でいく様な人物で、生来の清らかさは最も尊ぶべきものである。

【小生comment】
 三月三十日は、当時も存在しない。
 芭蕉は勘違いしていたのであろうか?
 否。
 これには以下の【日光】への到着日を実際は四月二日であった処を、四月一日にしたい為の創作である。
 何故か?
 それは、【日光】の項で詠まれた曾良の「剃捨て 黒髪山に 衣更」の《現代訳》を参照願いたい。

【日光】
《原文》
 卯月遡日(ついたち)、御山(おやま)に詣拝(けいはい)す。
 往昔(そのかみ)、此(この)御山を「二荒山(ふたらさん)」と書(かき)しを、空海大師(注1)開基の時、「日光」と改(あらため)給ふ。
 千歳(せんざい)未来をさとり給ふにや、今此(この)御光(みひかり)一天にかゝやきて、恩沢(おんたく(注2))八荒(はつくわう(注3))にあふれ、四民安堵の栖(すみか)穏(おだやか)なり。
 猶(なお)、憚(はばかり)多くて筆をさし置(おき)ぬ。

  あらたう(ふ)と(注4) 青葉若葉の 日の光(注5)

 黒髪山(注6)は霞かゝりて、雪いまだ白し。

  剃捨(そりすて)て 黒髪山に 衣更(ころもがへ)  曾良

 曾良は河合(かはひ)氏(うぢ)にして惣五郎と云へり。
 芭蕉の下葉(したば)に軒をならべて、予が薪水(しんすい)の労をたすく。
 このたび松しま・象潟の眺(ながめ)共にせん事を悦(よろこ)び、且(かつ)は羈旅(きりょ(注7))の難をいたはらんと、旅立(たびだつ)暁(あかつき)髪を剃(そり)て墨染(すみぞめ)にさまをかえ(へ)、惣五を改て宗悟とす。
 仍(よつ)て黒髪山の句有(あり)。
 「衣更」の二字、力ありてきこゆ。

 廿余丁山を登つて滝有。
 岩洞(がんとう)の頂(いただき)より飛流して百尺(はくせき)、千岩(せんがん)の碧潭(へきたん(注8))に落(おち)たり。
 岩窟(がんくつ)に身をひそめ入(いり)て、滝の裏よりみれば、うらみの滝と申(もうし)伝え侍る也。

  暫時(しばらく)は 滝に籠(こも)るや 夏(げ)の初(はじめ)
 
《現代語訳》
 四月一日、日光山に参詣した。
 その昔、この御山(おやま)を二荒山(にこうさん)と書いたが、空海大師(注1)が開基された時に日光と改められた。
 千年後の未来をご存知だったのだろうか。
 今、此処日光山(大権現)の威光が天下に輝き、その恩沢(注2) は八荒(注3)迄溢れ、(‥士農工商の‥)全ての民が安堵した暮しが出来、穏やかである。
 なお、(‥日光山については、他言は‥)恐れ多いので、この辺で筆を置くとする。

 (注1)空海大師:二荒山=日光山の開基は正しくは勝道上人。
    空海が勝道の求めで「沙門勝道上補陀洛山碑」を撰したことからの誤伝と思われる
 (注2)恩沢:慈恩の潤い。情け。恵み。お蔭。
 (注3)八荒:「八:国の八方」「荒:遠い果て」‥国の八方の隅々の遠い果て‥

  あゝ何と尊い(注4)ことだろう
  この日光山の青葉や若葉に差し込み輝く日の光(注5)は‥。

 (注4)あらたふと:「あら」は「あな‥あぁ」、「たふと」は「尊(たふと)し」の語幹
 (注5)日の光:日光山の「日光」と日(=太陽)の光の「日光」をかけている

 黒髪山(注6)は霞がかって、雪がまだ白く残っている。

 (注6)黒髪山:日光連山の主峰「男体(なんたい)山」。標高2,484m

  旅立ちの時、黒髪を剃り捨てて墨染めの衣に替えたが、黒髪山の麓にで迎えた今日四月一日は衣更えの日
  新衣に替えたが、その(‥旅立ちの‥)時のことが思い返されることだ  曾良

 曽良は河合氏で、名を惣五郎という。
 深川の芭蕉庵の畔に軒を並べ、私の炊事洗濯の労を助けてくれている。
 此の度、松島や象潟を共に眺めることを悦び、さらには旅(注7)の辛さを労(いたわ)ってくれようと、旅立ちの朝、髪を剃って墨染めの僧衣に姿を変え、名前も惣五を宗悟に改めた。
 この様な次第でこの「黒髪山の句」が有るのだ。
 「衣更」の二字が(‥曾良の決意の程が伺われ‥)力強く聞こえる。

 (注7)羈旅(きりょ):「羈」は「馬のおもがい、手綱(たづな)」。旅

 二十余町山を登った処に滝がある。
 岩洞の頂から、百尺も飛ぶかと思われる勢いで、多くの岩の間を瑠璃色の淵(注8)に落ち込んでいる。
 岩窟に身を潜めて入り込み、滝の裏から眺められるので、この滝を「裏見(うらみ)の滝」と言い伝えている。

 (注8)碧潭(へきたん):「碧」はミドリと読むが「瑠璃色」のこと。「潭(たん)」は「淵」。「瑠璃色をした滝壺」

  暫く滝裏に籠っていると、まるで夏修行の初めの様な境地である

【小生comment】
 そう、芭蕉が三月三十日を創作したのは、四月一日は「衣替えの日」であり、曾良の俳句を其日に合わせたかった為である。

【那須】
《原文》
 那須の黒ばねと云(いふ)所に知人あれば、是より野越(のごえ)にかゝりて、直道(すぐみち)をゆかんとす。
 遥(はるか)に一村を見かけて行に、雨降(ふり)日暮(くる)る。
 農夫の家に一夜(いちや)をかりて、明(あく)れば又野中(のなか)を行(ゆく)。
 そこに野飼(のがひ)の馬あり。
 草刈(くさかる)おのこになげきよれば、野夫(やふ)といへどもさすがに情(なさけ)しらぬには非ず。
 「いかゞすべきや。されども此野(このの)は縦横(じゆうわう)にわかれて、うゐ(=ひ)うゐ敷(しき)旅人の道ふみたがえん、あやしう侍れば、此(この)馬のとゞまる所にて馬を返し給へ」と、かし侍ぬ。
 ちい(=ひ)さき者ふたり、馬の跡したひてはしる。
 独(ひとり)は小娘にて、名を「かさね」と云(いふ)。
 聞(きき)なれぬ名のやさしかりければ、

  かさねとは 八重(やへ)撫子(なでしこ)の 名成(なる)べし 曽良

 頓(やが)て人里に至れば、あたひを鞍(くら)つぼに結付(むすびつけ)て、馬を返しぬ。

《現代語訳》
 那須の黒羽という所に知人がいるので、此処から那須野の原野を通り、近道をすることとした。
 遥かに一つの村を見かけて行くうちに、雨が降り出し、日も暮れた。
 農家に一夜の宿を借り、夜が明けたら又野中を歩いて行った。
 すると、野原に放し飼いの馬がいた。
 草を刈る男に、馬を貸してくれるよう頼んだが、流石に田舎の百姓とは言え情のある人だった。
 その百姓の男は、「どうしようかな。
 この野原は道が縦横に分かれ、土地に不案内な旅人は道を違えるだろうな。
 心配だから、この馬で行って、(その馬が)歩みを止めた所で馬を返して下さい」と言って(馬を)貸してくれた。
 小さい子供が二人、後について走って来た。
 そのうちの一人は小さい娘で、名を(訊くと)「かさね」という。
 聞き慣れない名前だが、優しく(‥風情のある様に‥)聞こえたので、曽良が一句を詠んだ。

  「かさね」(という)名は、中々品のあるいい名前だ
  恰も花なら花びらが重なって美しい八重撫子(なでしこ)の様だね

 やがて人里に着いたので、駄賃を鞍壷に結び付けて、馬を返したのだった。

【小生comment】
 片田舎の武骨な百姓男でも、見ず知らずの旅人が困ったことに協力するだけの情けを備えている。
 日本人は、古来より優しい人柄であることが伺えて嬉しい気持ちになる。

【黒羽】
《原文》
 黒羽(くろばね)の館代(くわんだい)浄坊寺(じょうぼうじ)何がしの方に音信(おとづ)る。
 思ひがけぬあるじの悦び、日夜語りつゞけて、其(その)弟桃翠(とうすい)など云(いふ)が、朝夕(あさゆふ)勤(つとめ)とぶらひ、自(みづから)の家にも伴(ともな)ひて、親属の方(かた)にもまねかれ、日をふるまゝに、ひとひ郊外に逍遥して、犬追物(いぬおふもの)(注意1)の跡を一見(いつけん)し、那須の篠原をわけて、玉藻(たまも)の前(注2)の古墳をとふ。
 それより八幡宮に詣(まうづ)。
 与市(よいち)扇(あふぎ)の的(まと)を射し時、「別しては我国の氏神(うぢがみ)正(しやう)八まん」とちかひしも、此(この)神社にて侍(はべる)と聞ば、感応(かんのう)殊(ことに)しきりに覚えらる。
 暮(くる)れば桃翠宅に帰る。
 修験(しゆげん)光明寺(こうみやうじ)と云(いふ)有(あり)。
 そこにまねかれて、行者(注3)堂(ぎやうじやだう)を拝す。

  夏山に 足駄(あしだ)を拝む 首途哉(かどでかな)

《現代語訳》
 黒羽の館代である浄坊寺何某(なにがし)という人の所を訪ねた。
 思いがけない我々の訪問に主(あるじ)は喜び、日夜語り続け、その弟の桃翠という
人が、朝な夕なに接待に訪れて、自分の家にも招き、親戚の家にも招かれた。
 この様にして日が経ったのであったが、ある日、郊外に散歩に出かけ、犬追物(注1)の跡を一通り見た後、那須の篠原に分け入り玉藻の前(注2)の古い墓を訪ねた。
 それから金丸八幡宮に参詣した。
 那須与一が、平家方の扇の的を射た時、「別しては我国 氏神 正八幡」と誓いを捧げたのもこの神社だと聞くと、有難味を特に強く感じたのだった。
 日が暮れたので桃翠宅に帰った。
 黒羽には修験光明寺という名の寺がある。
 其処に招かれて、(‥役行者(えんのぎょうじゃ)(注3))を祀った‥)行者堂を参拝した。

  「北方遥かなる奥羽連峰」=「夏山」に向かって是から出発する「我々の陸奥への長旅の首途(=門出)」を拝んだ
  役行者と高足駄に長旅の無事と健脚を祈って‥

 (注1)犬追物(いぬおうもの):鎌倉時代に武士が行った。騎馬武者が四組に分かれて、狐に見立てた犬を馬場に放ち、それを鏃をつけない矢で射る訓練。
 (注2)玉藻前(たまものまえ):鳥羽上皇の寵姫だったという伝説の美女。百年を経た狐の化身。鳥羽院・近衛帝を重病にさせ、三浦介義明に退治されたと伝わる。
 (注3)役行者(えんのぎょうじゃ):‥役小角(えんのおづの(634-706))。奈良時代の修験道開祖とされるが、実在した人物かについても不明。

【小生comment】
 浄坊寺氏は、黒羽藩1万8千石の家老職。弟の桃翠と共に芭蕉一行を歓待した。
 芭蕉もその厚遇に大変満足したのだろう。04月03日から16日朝迄の14日間の、浄坊寺兄弟宅にお世話になっている。

【雲巌寺】
《原文》
 当国雲岸寺(うんがんじ)のおくに、仏頂(ぶつちやう)和尚山居跡(さんきよのあと)有(あり)。

  竪横(たてよこ)の 五尺にたらぬ 草の庵(いほ)
   むすぶもくやし 雨なかりせば

 と、松の炭して岩に書付(かけつけ)侍りと、いつぞや聞え給ふ。
 其(その)跡みんと雲岸(=巌)寺に杖を曳(ひけ)ば、人々すゝんで共にいざなひ、若き人おほく道のほど打(うち)さは(=わ)ぎて、おぼえず彼(かの)麓(ふもと)に到る。
 山はおくあるけしきにて、谷道(たにみち)遙(はるか)に、松杉(まつすぎ)黒く苔したゞりて、卯月の天(てん)今猶寒し。
 十景尽(つく)る所、橋をわたつて山門に入(いる)。

 さて、かの跡はいづくのほどにやと、後(うしろ)の山によぢのぼれば、石上(せきしょう)の小庵(せうあん)岩窟にむすびかけたり。
 妙禅師(めうぜんじ)の死関(しくわん)、法雲(ほふうん)法師の石室をみるがごとし。

  木啄(きつつき)も 庵(いほ)はやぶらず 夏木立(なつこだち)

 と、とりあへぬ一句を柱に残(のこし)侍(はべり)し。

《現代語訳》
 当「下野国」の雲巌寺の奥に、仏頂和尚の山居跡がある。
 和尚は、「もし雨が降ることがなければ、こんな草庵なぞ処分してしまうのに、残念なことだよ」と松の炭で傍らの岩に書きた、といつぞや語っておられた。
 その跡を見ようと雲巌寺に行こうとすると、人々が進んで共に誘い合い、多くの若人が道々賑やかで、気が付けば山寺の麓に着いていた。
 山は奥深い景色で、谷道が遥かに続き、松や杉が黒々と辺りを暗くし、苔からは水が沁み出ていて、4月というのに今尚寒々としている。
 十景(←・雲巌寺にある10箇所の景境(注)‥)が尽きる所の橋を渡って山門に入る。
 さて、仏頂和尚の山居跡は何処にあるのだろうと、寺の背後の山によじ登ると、岩の上に、小さな庵が岩窟に寄せかけて作ってあった。
 中国宋の高僧 妙禅師が「死関」の額を掲げて修行した洞穴や、法雲法師が身を置いた大岩の上の居所である石室を見る様な思いがした。

  流石の啄木鳥(きつつき)も、鬱蒼とした夏木立に囲まれた、この仏頂和尚の結んだ旧庵だけは突(つつ)き破ろうとはしない様だ

 こうして、即興の一句を書き、柱に残して来たのだった。

 (注)十景:玉机峰・玲鏡岩・水分石・龍雲洞・十梅林・千丈岸・竹林塔・海岸閣・飛雪亭・鐵蓋峰、をいう

【小生comment】
 因みに仏頂(1643-1715)は、鹿島の人。鹿島根本寺(かしまこんぽんじ)の21世の住職で、江戸深川 臨川寺(りんせんじ)の開山。
 芭蕉(1644-1694)とは旧知の間柄であったという。
 是迄ご紹介した奥の細道に登場する地方の名士達の芭蕉への厚遇をご覧に頂いて、俳人 松尾芭蕉の知名度の高さの一端を納得頂けよう。

■続いては、最近読んだ篠田桃紅(とうこう)著『一〇三歳になってわかったこと‥人生は一人でも面白い‥』についてである。
 今、今年数えで103歳になる、書家で抽象画家でもある篠田桃紅(1913.03.28- )女史のessayがbest sellerになっていると聞き、早速読んでみた。
 映画監督、篠田正浩(1931.03.09- )氏は従弟に当たる。
 彼女のessayから気に入った処を2つご紹介したい。

【危険やtroubleを察知、上手に避ける】(P.115-117)
 今の人は、自分の感覚よりも、知識を頼りにしています。
 知識は、信じ易いし、人と共有し易い。
 誰しも、学ぶことで、知識を蓄えることが出来ます。
 例えば、美術館で絵画を鑑賞する時も、こう言う時代背景で、こう言うことが描かれていると、解説を頭に入れます。
 そして、解説の通りであるかを確認し乍ら鑑賞しています。
 しかし、それは鑑賞ではなく、頭の学習です。
 鑑賞を心から楽しむ為には、『感覚』も必要です。
 『感覚』を磨いている人は非常に少ない様に思います。
 『感覚』は、自分で磨かないと得られません。
 絵画を鑑賞する時は、解説は忘れて、絵画が発しているauraそのものを、自分の『感覚』の一切で包み込み、受け止める様にします。
 この様にして、『感覚』は、自分で磨けば磨く程、そのものの真価を深く理解出来る様になります。
 『感覚』を磨いている人は、日常生活に於いても、有利に働きます。
 先ず、間違いが少なくなります。
 知識や経験に加えて、『感覚』的にも判断することが出来るので、身の回りの危険、trouble等を察知し、さっと上手に避けることが出来ます。
 昔は人間にも動物的な勘が備わっていましたが、文明の発達で、勘を使わなくても生きていける様になったので、鈍って仕舞ったと言われています。
 〔中略〕
 世の中の風潮は、頭で学習をすることが主体で、自分の感覚を磨く、ということはなおざりにされています。
 大変に惜しいことです。
 ‥‥《知識に加えて、感覚も磨けば物事の真価に近づく》‥‥

 ※ ※ ※ ※ ※

【よき友は自分の中で生きている】(P.134-138)
 年老いて一人身でいる私を、哀れだと思って下さるのか、年中、あちらこちらから、季節や土地の美味が送られて来ます。
 中には、年中行事の様になっているものもあり、私には、それが季節の便りとなって、大変有難く頂戴しています。
 人への贈り物は、ただ上げればいいと思って、適度に見栄えがするものを選ぶ人、いい人なのだけれど気の回らないものを選ぶ人。
 そして、あの人はこう言う人だから、こう言うものを差し上げたいと、その人の気持ちに寄り添って選ぶ人がいます。
 人夫々が持つ感覚に拠って、表れ方も随分と変わって来る様です。
 そして、現実的には、誰しも、物を戴いて悪い気はしないものです。
 吉田兼好(1283頃-1352以降)も『徒然草』に、良き友は物くるる友、と書いています。
 鎌倉時代にも、気前よく色んな物をくれる人と、吝(けち)な人がいたのでしょうか。
 昔と今とでは、何を有難いと思うか、何を嬉しいと思うかは、社会が違います。
 ですから、自ずとその中身も違うと思いますが、物をくれる友を有難いと思う人間の本性は、一千年経っても同じだということが解ります。
 そうした変わらない人間の本性を観察した名筆だからこそ、今でも読み継がれている、ということも解ります。
 一方で、『徒然草』など、大したことない、と言っている人もいます。
 芥川龍之介(1892-1927)は、日本の古典として名高いのは、殆ど不可解である。
 中学程度の教科書に便利であることは認めるけれども、と書いています。
 事実、そうだと私も思います。
 それこそ、芥川さんの様な人には、朝飯前で書けて仕舞う様なものでしょう。
 しかし、それは、裏を返せば、誰が読んでも、ああそうだと、合点がいくことが書かれているということです。
 言うなれば、常識とされていることの、ほんの一寸先を行った位の内容だということです。
 一歩ではなく、半歩先。
 何でもないことが実は大切だということを、言外に、芥川龍之介は認めていたのかもしれません。
 因みに、『徒然草』の良き友は、他に二つあります。
 医者と、知恵ある友。
 どちらも現実的で、正直です。
 つくづく人間の本性は昔から変わらないものだと感じます。
 私の良き友達は、〔中略〕私財を投げ打ち、様々な困難を乗り越えた末に、実現させました。
 私の良き友達の志は、私の中で、ありありと生き続けており、私を誇らしい気持ちにさせます。
 ‥‥《志ある友は、友であることが誇らしい気持ちになる》‥‥

[03]篠田桃紅(とうこう)著『一〇三歳になってわかったこと‥人生は一人でも面白い‥』
 03

【小生comment】
 『感覚』に拠って呼び起される体験内容が『感性』である。
 知識を蓄え、『感覚』を磨くと、確かに物事を判断する力、真価を知る力が確りと実感出来る様になる。
 何よりも、物事を見る時に、心に訴えかけて来る「何か」を体得出来る満足感がたまらない。
 又、「良き友」は確かに一生の財産である。
 「こんな素晴らしい輩(ともがら)がいるんだ、とずっと心の中で矜持となって生き続けている」
 だから、その自分の大切な財産をこれからも大切にして行きたい。

■今日最後の話題は、昨日05月28日、愛知県芸術劇場concert hallにて開催された
Berlin P.O.の 名器Stradivari soloists達に拠る『第11回 Stradivarius Summit Concert 2015』を聴いて来たのでその模様をお伝えする。
 本演奏会は、何でも美しいものが大好きな小生、名器Stradivariusのviolinとviolaのsoloists達が奏でる素晴らしい音色と名曲の数々を聴いてみたくて申し込んだものである。
 名古屋公演の曲目は以下の通りであった。

[01] W. A. Mozart : Divertimento in D Major, KV.136(125a)
[02] J. S. Bach : Concerto for 3 Violins in D Major, BWV.1064R
[03] Richard Strauss : Capriccio for String Sextet, Op.85
[04] J. S. Bach : Concerto for Harpsichord No.5 in f minor, BWV.1056
[05] Barber : Adagio for Strings, Op.11
[06] Bartok : Romanian Folk Dances
[07] Johan Strauss Ⅱ : The Beautiful Blue Danube, Op.314
[encore 1] Grieg : 1st movement from Holberg Suite, Op.40 ル
[encore 2] Tchaikovsky : Waltz (2nd movement) from Serenade for Strings in C Major, Op.48
[encore 3] W. A. Mozart : 4th movement from Serenade No.13 in G Major, KV.525 "Eine Kleine Nachtmusik"

[04]Stradivarius Summit Concert 2015 leaflet(表)
 04stradivarius_summit_concert_2015_

[05]同上(裏)
 05stradivarius_summit_concert_2015_

【小生comment】
 演奏曲は、Stradivariusが violin 7器、viola 2器、violoncello 2器 の 全 11器。
 これに contrabass 1器とCembalo(Harpsichord) 1台 という陣容で、全13人の奏者。
 奏者はBerlin P.O.の現役かОBで演奏技量も申し分ない。
 全て名器Stradivariusの素晴らしい音色を堪能出来る名曲中の名曲ばかり。
 聴いていると、余りにも心地良いので、恰も天国に居る様な気分だった。
 名器が奏でる響きに酔いしれた。

 19時00分に予定通り開演され15分間の休憩を挟み、encore3曲迄含め21時00分迄の至福の2時間程があっと言う間に過ぎ去った。
 Encoreの1曲目が終わったら、主に中年女性の何人かがstanding ovationをしたと思ったら、同じくencore 2曲目終了時には数十人の聴衆が、encore最後の3曲目終了時には、1,800人余り入るconcert hallほぼ満席中で、その3~4割の聴衆が standing ovation で演奏者の名演を讃えた。
 Classic音楽で、こんなに多数のstanding ovationを見たのは初めてであった。
 本当に素晴らしいconcertだった。

【後記】今、当地豊橋駅前大通では、サツキの花が満開だ。
 この景色は、もう四半世紀以上変わらぬ皐月の季節の風物詩である。
 此処で拙句を一句‥

 故郷(ふるさと)に 紅燃ゆる サツキかな  悟空

[06]豊橋駅の駅前大通りに今が盛りと咲いているサツキ
 06

追伸

 昨日、名古屋へ行く為に新幹線こだま号に乗ったら、[07]JR東海のcommercial「そうだ、京都、行こう」のposterが掲示されていた。
 昨年、我等が「時習26回生卒業40周年記念旅行&懇親会 in 京都2014」の二日目に訪れた「東福寺の臥雲橋から通天橋遠望」の所である。
 あの楽しかった催事から、もう一年が経過するのだ。
 正に「歳月人を待たず」である。

[07]JR東海「そうだ、京都、行こう」
 07jr

[08]時習26回生卒業40周年記念旅行&懇親会in京都20140608‥東福寺 臥雲橋より通天橋遠望
 082640in20140608

 では、また‥。

2015年5月24日 (日)

【時習26回3-7の会0549】~「『奥の細道』第1回‥『序』‥」「「05月17日:金華山『岐阜城〔稲葉山城〕』を訪れて」「同左:加藤栄三・東一記念美術館『加藤栄三・東一/風景との出逢い』展&『稲葉徹應』展 & 岐阜県美術館『タグチヒロシ・Art Collection Paradigm Shift ‥ てくてく現代美術 世界一周 ‥』展 & メナード美術館『みどり図巻/緑をめぐる3つの視点』展 を見て」「ウィルソン・ブライアン・キイ著(管 啓次郎 訳)『潜在意識の誘惑』を読んで」

■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です。
 さぁ、今日も【2637の会 0549】号をお送りします。
 時節は、三日前の05月21日(木)が『小満』。
 段々毎日が暑さを感じる今日この頃となりました。

■さて今日最初の話題である。
 今から326年前の元禄二年三月二十七日(新暦1689年05月16日)から同年九月五日にかけて、松尾芭蕉は5歳下の門人 河合曾良と共に江戸を出立して奥羽・北陸を経て大垣に至る大旅行を行った。所要期間は実に5箇月余り。
 今年は、今回から芭蕉が大垣に到着した9月上旬迄の同じ期間をかけて、彼の代表作である『奥の細道』を時系列にご紹介しつつ、【2637の会】membersの皆さんと共に名句と旅情を楽しんでみたい。

 では、松尾芭蕉の「奥のほそ道」の『序』からご紹介したい。

《原文》
【序】
 月日は百代(はくたい)の過客にして、行き交ふ年も又旅人なり。
 舟の上に生涯をうかべ馬の口とらえて老(おい)をむかふる物(=者)は、日々旅にして、旅を栖(すみか)とす。
 古人も多く旅に死せるあり。
 予もいづれの年よりか、片雲(へんうん)の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、海浜(かいひん)にさすらへ、去年(こぞ)の秋江上(こうじょう)の破屋(はおく)に蜘(くも)の古巣をはらひて、やゝ年も暮、春立(たて)る霞の空に、白川(=白河)の関こえんと、そゞろ神(がみ)の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて取(とる)もの手につかず、もゝ引(ひき)の破(やぶ)れをつゞり、笠の緒(お)付(つけ)かえて、三里に灸すゆるより、松島の月先(まず)心にかゝりて、住(すめ)る方(かた)は人に譲り、杉風(さんぷう=杉山三風)が別墅(べっしょ)に移るに、

 草の戸も 住替(すみかは)る代(よ)ぞ ひなの家

 面(おもて)八句を庵の柱に懸置(かけおく)。

《現代語訳》
 月日は永遠の旅客であり、道で行き交う人々もまた旅人である。
 舟の上に生涯を送る者も、馬の轡(くつわ)を取り老境に至る者も、毎日が旅であり、旅を住まいとしている。
 古人(いにしえびと)で旅先で亡くなった者も多い。
 私(=芭蕉)も、いつの年からか、ちぎれ雲の様に風に任せて彷徨(さまよ)い歩きたい思いが留まらず、先年は海辺の地方を流離(さまよ)ったし、去秋には隅田川河畔の茅屋(ぼうおく=あばら家)に帰り、蜘蛛の古巣を払っ(‥て暫く其処に落ち着い‥)た。漸く年も暮れて、春になって霞の立つ白河の関を越えようと、理由もなく神に取り憑かれ(‥た様に‥)狂おしく、道祖神の招きを受けている様で落ち着かず何も手につかない。其処で股引(ももひき)の破れを繕(つくろ)い、笠の紐を付け替えて、三里((さんり)=膝頭の下訳3寸の処にある灸点の一つ)にお灸をしたりして、旅支度に取り掛かっているうちに、松島の月はどんなんだろうと気に掛かって、住み家の庵(=茅屋)は人に譲り、杉山三風の別荘に移ったので(‥句を一つ‥)

 住んで棄てた草庵も、新しい人の代になって、〔‥今は弥生「桃の節句」の月であるから‥〕きっと華やかなるお雛様を飾っていることだろうよ

 この句を発句とした「表(おもて)八句」をつくり、庵の柱に懸けて置いた。

■さて、続いての話題である。
 小生、前《会報》にて予告した様に、去る05月17日(日)に、車で岐阜市内の美術館2つと小牧市内の美術館1つの計3つの美術館を見て来た。

【金華山‥岐阜城〔稲葉山城〕‥】
 拙宅を06時50分に出て、最初の目的地である金華山ropeway近くの岐阜公園駐車場に到着したのが08時半。
 この日は、08時35分~12時半迄、金華山を含む長良川周辺が通行止めになることを駐車場に入る直前に知った。
 Lucky! ギリギリsafeだ!^-^)b
 「第5回 高橋尚子杯 ぎふ清流half marathon」というhalf marathon大会があることを現地に到着した際、駐車場係の人から聞いて初めて知った。
 「早起きは三文の徳」である。^^;

[01]金華山ropewayから岐阜市内遠望
 01ropeway

[02]岐阜城
 02_329m

[03]岐阜城天守閣から北東方向遠望
 03

[04]  同上    南東方向遠望
 04

[05]  同上    南西方向遠望
 05

[06]  同上    北西方向遠望
 06

 以下に、岐阜城〔前身は「稲葉山城」〕の略例を記す。

 1201(建仁01)年 二階堂行政、稲葉山城を築城と伝う
 1539(天文08)年 斎藤道三(1494-1556)、稲葉山城を修築
 1549(天文13)年 斎藤道三、娘を織田信長と婚約させる
 1554(天文23)年 斎藤道三、土岐頼芸を国外追放し、家督を嫡子義龍に譲る
 1556(弘治02)年 斎藤道三、義龍と戦い敗死
 1561(永禄04)年 義龍急死(33歳)、嫡子龍興が相続
 1567(永禄10)年 織田信長(1934-82)、稲葉山城を攻略、稲葉山城を岐阜城と改める。斎藤龍興流浪する
 1575(天正03)年 織田信長の嫡子信忠(1557-82)、濃尾両国を譲られ岐阜城主となる
 1582(天正10)年 織田信長、信忠、本能寺の変で討死
 1583(天正11)年 池田恒興嫡男元助(1559-84)、岐阜城主となる
 1584(天正12)年 池田恒興(1536-84)、元助、長久手の合戦で戦死。元助の弟、輝政(1564-1613)、岐阜城主となる
 1590(天正18)年 08月頃、池田輝政、三河吉田城へ移封
 1591(天正19)年 豊臣秀勝(1569-92)、岐阜城主となる
 1592(天正20)年 豊臣秀勝、朝鮮出兵中に陣没、娘婿で織田信忠の嫡子 織田秀信(幼名 三法師(1580-1605))、岐阜城主となる
 1600(慶長05)年 織田信忠、西軍に属し、合戦後剃髪し高野山に蟄居
 1601(慶長06)年 02月、奥平信昌(1555-1615)、加納城主となり、岐阜城を破却、岐阜町は幕府直轄領となる
 1619(元和05)年 秋、岐阜町は尾張藩領となる

【小生comment】
 岐阜城天守閣は、標高329mの所にある。
 添付写真[03]~[06]をご覧の様に、四方の眺めは素晴らしかった。

 岐阜城の次に向かったのが、金華山ropewayを降りて直ぐの所にある、『加藤栄三・東一記念美術館』である。

【金華山‥加藤栄三・東一記念美術館『風景との出逢い』展】

 加藤栄三・東一兄弟については、本《会報》の既報2013.02.17付【0433】号にてご紹介済なので、そちらをご参照下さい。
 http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/26-043302160217.html ←此処をclickして下さい

 又、本展の展示作品は、添付写真の絵では、[08]本展leafletの加藤冬一『並木道』と[09]加藤栄三『雨後』の2点だけである。

[07]加藤栄三・東一記念美術館入口
 07

[08]本展leaflet/絵は「上段:加藤東一『並木道』」「中段:稲葉徹應『錯綜する情景』」
 08leaflet

[09]加藤栄三『雨後』
 09

[10]加藤栄三『鵜飼(総がらみ)』
 10

[11]加藤東一『総がらみ』
 11

[12]加藤栄三『虹立つ』
 12

[13]加藤東一『富士』
 13

[14]加藤栄三『静物(鯛)』
 14

[15]加藤東一『黎明富士』
 15

【小生comment】
 添付写真[10]~[15]の一連の絵は、館内で販売されていた当館所蔵品のpostcardからご紹介させて頂いた。
 なかなかの傑作群であると思料する。

 続いて向かったのが、岐阜県美術館である。
 現在、地元岐阜県郡上市出身の実業家、田口弘(1937- )氏の蒐集作品集『Taguchi Collection』の企画展が開催中である。

【岐阜県美術館『タグチヒロシ・Art Collection Paradigm Shift ‥ てくてく現代美術 世界一周 ‥』展】

[16]本展leaflet
 16leaflet

[17]Andy Warhol(ウォーフォル(1928-87))『オレンジ色の花』1964年
 17andy_warhol1928871964

[18]ヴィック・ムニーズ(Vik Muniz(1961- ))『マリリン・モンロー、女優、ニューヨーク、1957年5月6日、リチャード・アヴェドン(ジグソー・パズル)』2007年
 18vik_muniz1961_1957562007

[19]Carlos Amorales(1970- )『無用な疑念から 03』2007年
 19carlos_amorales1970_032007

[20]Wendy White(1971- )『Between Canal & Grand』2013年
 20wendy_white1971_between_canal_gra

[21]Jonathan Pylypchuk((1972-))『ほんの少し間 誰か僕を愛してくれないかな』2006年
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[22]AES+F『The Arrival of Golden Boat』2010年
 22aesfthe_arrival_of_golden_boat201

 ※ ※ ※ ※ ※

[23]Odilon Redon(1840-1916)『神秘的な対話(Entretien mystique)』1896年頃
 23odilon_redon18401916entretien_mys

[24]Odilon Redon『シュラミの女(La Sulamite )』1897年
 24odilon_redonla_sulamite_1897

[25]Odilon Redon『翼のある横向きの胸像(Sphinx)』1898-1900年頃
 25odilon_redonsphinx19

[26]Odilon Redon『眼をとじて(Yeux clos )』1900年以降
 26odilon_redonyeux_clos_1900

[27]Odilon Redon『アポロンの戦車(Le char d'Apollon )』1906-07年頃
 27odilon_redonle_char_dapollon_1906

【小生comment】
 『タグチヒロシ・Art Collection Paradigm Shift』展は、理屈抜きで現代絵画を楽しんで頂きたい。
 添付写真[22]AES+F『The Arrival of Golden Boat』2010年の絵に登場している日本人のコック姿の男性達はSMAPみたいである。(^^;
 因みに、AES+Fとは、Artist Group AESが、A:タチヤーナ・アルザマソソヴァ(1955- )、E;レフ・エゾーヴィッチ(1958- )、S;エヴゲーニイ・スヴァツキイ(1957- ),F:ヴラージミル・フリトゥケス(1956- )の4人。
 又、常設展の一角では、数多くのRedon作品が当館自慢の『ミニOdilon Redon』展の如く沢山展示されていた。
 今回展示されていたRedon作品は、その大半を本《会報》既報2012.02.19付【0381】号にてご紹介させて頂いている。
 http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/26-038101270211.html ←此処をclickして下さい

 その日最後に向かったのが、小牧市にあるメナード美術館である。

【メナード美術館『みどり図巻/緑をめぐる3つの視点』展】

[28]本展leaflet/絵は Emil Norde(エミール・ノルデ)『森の小道(Forest Path)』1909年
 28leaflet_emil_nordeforest_path1909

[29]安井曾太郎『焼岳』1941年
 291941

[30]梅原龍三郎『浅間山』1950年
 301950

[31]小野竹喬『日本海』1976年
 311976

[32]林功『帰り道』1981年
 321981

 本展は、『緑』の色をkey wordにした展覧会。
 『緑』という色は、人類が誕生した時代から目に親しんでいる色である。
 多分、そういう『緑』に親近感を持つDNAが人間の身体に染み込んでいるのであろう。
 『緑』色が主体の絵画は、見る者に『癒し』を与えてくれる。
 添付写真は本展leafletを含め5枚だけであるが、『緑』色に親しんで下さい。

■今日最後の話題は、最近読んだウィルソン・ブライアン・キイ著(管 啓次郎 訳)『潜在意識の誘惑』についてである。

 本書は、以下の序章と11章からなる。

 序文/メディア・アド=ヴァイス―悪徳(=vice)に奉仕するメディアの助言〔P.007〕<マーシャル・マクルーハン>
 第1章/Mass mediaが見せる幻想の現実〔P.029〕
 第2章/言語の内に潜む言語〔P.046〕
 第3章/知覚上の防衛反応には、subliminal(=潜在的な)操作に役立つ意味が隠されている〔P.089〕
 第4章/Mediaに浸ること‥言葉と絵に拠る洗礼〔P.142〕
 第5章/目に見えないモノこそ「売り」の秘訣〔P.168〕
 第6章/SEXは事実上あらゆるモノの中に埋め込まれ、息づいている〔P.198〕
 第7章/Playboy症候群‥‥誰が誰かと、何と、誰のモノと、戯れているのか?〔P.213〕
 第8章/去勢するCosmo vogue〔P.245〕
 第9章/Videoを覗けば、その餌食になる(見えないモノが夢中にさせる)〔P.275〕
 第10章/ちょっぴり考えの足りなかった男〔P.298〕
 第11章/飢餓道に堕ちたMass communication media〔P.322〕
 ◆Subliminal scanning ‥『潜在意識の誘惑』に寄せて <伊藤俊治>

 資本主義は、視覚・聴覚の無意識の領域に迄侵入して、消費者の購買意欲の極大化を図ろうとする。

 具体的には、本《会報》既報2015.05.02付【0546】号にて、佐伯啓思氏がその著書『「欲望」と資本主義』の中で、「・人は、知的好奇心を含め、「欲望」から逃れることは出来ない→・「資本主義」はこうした「欲望」と連動し、共鳴し、そのfrontierの拡張を方向づけ、その流れを整序する一つの装置である(P.96)」と紹介した。
 本書は、その「資本主義」拡張の源泉となる「欲望」を更に増幅させる為に、米国の巨大な広告業界を例に採り、人間の潜在意識の領域に迄入り込んでいることを事例を示し乍ら紹介している。
 図形や文字等を瞬間的に提示するのに用いるタキストスコープ(tachistoscope)は、洗脳という形で潜在意識に働きかける典型的なtoolである。

[33]ウィルソン・ブライアン・キイ著(管 啓次郎 訳)『潜在意識の誘惑』
 33

【小生comment】
 日本の広告産業も、米国の斯業界と同様に、消費者の潜在意識の領域に迄入り込んで、消費意欲を惹起させようとしているのだろうか?
 其処迄やって、利益の極大化を図ろうとする人間のお金への執着心は、資本主義の持っているgrotesqueさを表象している。
 こうした醜悪さを内包した資本主義が齎す実利的な「富」とは‥?
 そして、人間の「本当の豊かさ」「本当の幸福」とは一体何であろう?‥‥一度ジックリ考えてみたい。

【後記】次《会報》【0550】号では、「『奥の細道』第2回‥『出立』→『草加』→『室の八島』→『仏五左衛門』→『日光』→『那須』→『黒羽』→『雲巌寺』→『殺生石・遊行柳』‥」をお届けします。

 ※《出立》《草加》:元禄二年弥生二十七日=1689年05月16日
 ※《室の八島》:同年弥生二十八日=1689年05月17日
 ※《仏五左衛門》《日光》:同年卯月一日=1689年05月19日
 ※《黒羽》:同年卯月三日~十六日朝=1689年05月21日~06月03日

 今から丁度326年前の同じ季節の『奥の細道』を来週もお楽しみに!(^-')b♪

 では、また‥。

2015年5月17日 (日)

【時習26回3-7の会0548】~「思潮社 現代詩文庫:『吉野弘詩集・続・吉野弘詩集・続続・吉野弘詩集』からその2《I was born》」「ジョン・ケネス・ガルブレイス著『ゆたかな社会‥決定版‥』を読んで」「05月15日:池上彰講演会『ニュースから未来が見える』を聴いて」

■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です。
 さぁ、今日も【2637の会 0548】号をお送りします。
 今日は、久し振りの五月晴れの良い天気でしたネ。
 其処で、素晴らしい陽気に誘われて、今日は早朝06時45分に家を出て、車で岐阜へ向かいました。
 行き先は、「岐阜・金華山『岐阜城』」「岐阜公園『加藤栄三・東一記念美術館』」「岐阜県美術館」と、小牧市にある「メナード美術館」。
 この模様は、次回の会報にてお伝えする予定です。

■さて、今日最初の話題も、前《会報》に引き続き、現代詩人 吉野弘の詩集から《I was born》をお送りする。

 詩集《消息》から‥1957年‥
 二年後(1959年)に出版された『幻・方法』にも再録(注)

   I was born    吉野弘

 確か 英語を習い始めて間もない頃だ。

 或る夏の宵。父と一緒に寺の境内を歩いてゆくと 青い夕靄(もや)の奥から浮き出るように、白い女がこちらへやってくる。物憂げに ゆっくりと。

 女は身重らしかった。父に気兼ねをしながらも僕は女の腹から眼を離さなかった。頭を下にした胎児の 柔軟なうごめきを 腹のあたりに連想し それがやがて 世に生まれ出ることの不思議に打たれていた。

 女は行き過ぎた。

 少年の思いは飛躍しやすい。その時 僕は<生まれる>ということが まさしく<受け身>である訳を ふと諒解した。僕は興奮して父に語りかけた。

―やっぱり I was born なんだね―
父は怪訝(けげん)そうに僕の顔をのぞきこんだ。僕は繰り返した。
― I was born さ。受け身形だよ。正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだね―
 その時 どんな驚きで 父は息子の言葉を聞いたか。僕の表情が単に無邪気として父の眼にうつり得たか。それを察するには 僕はまだ余りに幼かった。僕にとってこの事は文法上の単純な発見にすぎなかったのだから。

 父は無言で暫く歩いた後 思いがけない話をした。
―蜉蝣(かげろう)という虫はね。生まれてから二、三日で死ぬんだそうだが それなら一体何の為に世の中へ出てくるのかと そんなことがひどく気になった頃があってね―
 僕は父を見た。父は続けた。
―友人にその話をしたら 或る日、これが蜉蝣の雌だといって拡大鏡で見せてくれた。説明によると 口は全く退化して食物をとるのに適しない。胃の腑を開いても 入っているのは空気ばかり。見ると、その通りなんだ。ところが 卵だけは腹の中にぎっしり充満していて ほっそりした胸の方にまで及んでいる。それはまるで 目まぐるしく繰り返される生き死にの悲しみが 咽喉(のど)もとまで こみあげているように見えるのだ。寂しい【(注)つめたい‥〔幻・方法〕‥】 光の粒々だったね。私が友人の方を振り向いて<卵>というと 彼も肯いて答えた。<せつなげだね。>そんなことがあってから間もなくのことだったんだよ。お母さんがお前を生み落としてすぐに死なれたのは―。

 父の話のそれからあとは もう覚えていない。ただひとつ痛みのように切なく 僕の脳裡に灼きついたものがあった。
―ほっそりした母の 胸の方まで 息苦しくふさいでいた白い僕の肉体―。

【著者 吉野弘氏の注】
 <淋しい 光の粒々だったね>は、「幻・方法」に再録のとき、<つめたい 光の粒々だったね>に改めました。

【小生comment】
 この詩は、作者 吉野弘氏26歳、結婚半年前の頃の作品。
 1952年、雑誌『詩文』に投稿。
 氏の2作目の作品。
 本作は、氏の最高傑作としてよく知られている。
 現代詩が生んだ最高傑作との評価もある。
 蜉蝣(かげろう)の例を待つ迄もなく、人間が繰り返す「生と死」の悲しみを、蜉蝣の卵に自分が胎児だったときの模様として‥
 ―ほっそりした母の 胸の方まで 息苦しくふさいでいた白い僕の肉体― という言葉に重ね合わせている。
 実際、作者は13歳のとき、母親を失っている。
 その悲しみと、生けるものの生と死の原理を、神秘的で感動的な物語として見事に仕立て上げている。
 不朽の名作と言えるだろう。

■さて続いては、ジョン・ケネス・ガルブレイス(1908.10.15-2006.04.29)著『ゆたかな社会‥決定版‥』についてである。
 本書は、以下の通り全24章から成っており、かなりの長文である。

 四十周年記念版への序文(P.003)
 第一章/ゆたかな社会(P.013)
 第二章/通年(conventional wisdom)というもの(P.021)
 第三章/経済学と絶望の伝統(P.039)
 第四章/不安な安心(P.055)
 第五章/米国の思潮(P.073)
 第六章/マルクス主義の暗影(P.095)
 第七章/不平等(P.113)
 第八章/経済的保障(P.135)
 第九章/生産の優位(P.161)
 第十章/消費需要の至上性(P.183)
 第十一章/依存効果(P.199)
 第十二章/生産における既得利益(P.211)
 第十三章/集金人の到来(P.229)
 第十四章/インフレーション(P.245)
 第十五章/貨幣的幻想(P.267)
 第十六章/生産と価格安定(P.287)
 第十七章/社会的バランスの理論(P.301)
 第十八章/投資のバランス(P.321)
 第十九章/転換(P.335)
 第二十章/生産と保障の分離(P.347)
 第二十一章/バランスの回復(P.355)
 第二十二章/貧困の地位(P.373)
 第二十三章/労働、余暇、新しい階級(P.387)
 第二十四章/安全保障と生存について(P.407)
 あとがき (P.417)
 訳者あとがき/(P.421)

 本書については、訳者の鈴木哲太郎氏の「訳者あとがき」を引用して概略をご紹介することとする。
 原著の初版が刊行されたのは1958年(邦訳は1960年)。
 最後の改訂版は第4版の1998年。

 ※ ※ ※ ※ ※

 この本を書いた時にガルブレイスの念頭にあったのは1950年代後期の米国だった。
 当時の米国経済は、戦争に拠って大打撃を受けた諸国を尻目にして圧倒的な生産力を擁した。
 U・S・スティール、GM、GEといった大企業が支配しており、労働組合も強力であった。
 生活水準は世界で飛び抜けて高かった。
 政治面では、1960年の大統領選挙でケネディを当選させた程liberalな空気が強かった。
 国際関係の面では、ソ連との冷戦が次第に度を増しつつあった。
 今から50年近く前に初版が出た『ゆたかな社会』を読むにあたっては、この様な時代背景を置く必要がある。(P.425)〔中略〕

 ガルブレイスが本書の初版で前提としていた状況は、その後次第に変貌を遂げ、1970年代の終了と共に終わったと言ってもよさそうである。
 その辺の概略を見ておきたい。
 世界経済における米国の圧倒的な優位は、次第に力をつけて来た西欧や日本の発展に拠って徐々に低下した。
 それに追い打ちをかけたのが世界的な貿易自由化の進展であった。
 その結果、米国の大企業でさえ自由競争の波に巻き込まれる様になり、かつての様に安泰ではいられなくなった。
 1979年の末から82年に亘る金融の引締に拠ってインフレが収束したことは既に述べた通りである。
 が、インフレ退治は大量の失業を生み出し、それと共に労働組合は弱体化した。
 政治面では、1981年にレーガン政権が誕生して、米国の保守化moodは一挙に高まり、liberal派は後退した。
 国際面では、1989年に東欧諸国の共産党独裁政権が崩壊し、ソ連も91年に解体して仕舞った。
 冷戦が終わり、米国の一極支配となったその後の世界では、経済政策において自由競争・市場原理が益々強く追求される様になった。
 更に、IT関連の技術及び産業の目覚ましい発達は経済を複雑化し、世界的な過剰流動性は経済のmoney game化を促進した。
 この様な時の流れは、ガルブレイスが予想していなかったことである。
 冷戦の終了に拠って生まれた新しい時代には、彼が憂慮していた軍拡競争は終わった。
 が、富裕層や企業に有利な税制改正に拠って貧富の格差は広がり、社会一般の考え方も保守化した。
 こうした傾向は、彼の期待と希望を大きく裏切るものであった。
 ガルブレイスは、社会が豊かになれば、余裕が出来る訳だから、人は齷齪(あくせく)する必要がそれだけ少なくなる。
 又、豊かさの恩恵にあずかれない人の為に出来ることも当然多くなるだろう、と考えていたのである。
 が、現実はそうなならなかったのである。
 ゆたかな社会は保守主義を生み出す、ということに思い至った時、彼は大きな衝撃を感じたに違いない。(P.429)
 本書『ゆたかな社会』が提起した問題、特に、そもそも経済成長とは何の為なのか‥
 という問題は、環境問題とも関連して、現代社会の根本に関わるpuzzleであり続けるだろう。
 彼が90歳に達してもなお、40年前に書いたこの本の改訂に拘り続けていたことは、『ゆたかな社会』が彼の代表作であり、古典的名著であることを裏書きしている。(P.429)(了)

[00]John Kenneth Galbraith
 00john_kenneth_galbraith19081015200

[01]ガルブレイス『ゆたかな社会‥決定版‥』1998年刊
 011998

【小生comment】
 不安定性、不平等、成長と効率性の歪みや公共財の貧困等、市場経済の持つ様々な問題を、環境問題にも触れてガルブレイス氏は指摘する。
 これ等の問題提起は決して目新しい問題ではないが、読む者に強い共感を与えてくれる不朽の名著と言っていい。

■つづいての話題である。一昨日05月15日(金)午後14時30分から岡崎市民会館にて池上彰講演会『ニュースから未来が見える』があり、聴く機会を得た。
 講演の演目は、『ニュースから未来が見える』であった。
 以下に講演会の概要を筆記したので以下順にご紹介したい。

 ※ ※ ※ ※ ※

 私(=池上彰)は、1973年、NHKに記者として入局。
 以来、announcerは一度も経験していない。
 1994年に「週刊こどもニュース」のcasterを2005年迄9年間務める。
 この間、奥さん役の女性も4人代わった。
 因みに、初代の奥さんは柴田理恵さん。
 又、私は2012年から、東京工業大学のliberal arts centerの教授を務めている。
 因みに、東工大の学生は、理数科は無茶苦茶頭が出来る。
 が、文科系の知識、社会常識やcommunicationの不足は否めない為、それ等を補う目的が私の役目である。

 今日は、世界のニュースから、イスラムとの付き合い方についてお話してみたい。
 イスラム教徒は、現在世界で16億人いる。
 キリスト教徒が、カトリック、プロテスタント、ギリシャ正教&ロシア正教等の東方教会全部で20億人。
 事程左様に、イスラム教徒の存在感は大きい。
 アラーとは、「神様」のこと。
 だから、Egyptにコプト教というキリスト教の一派がいるが、彼等はキリスト教徒であり乍ら神のことを「アラー」と呼ぶ。
 神様のことは、英語でGod、ユダヤ教でヤハヴェという。
 キリスト教、ユダヤ教、イスラム教のいずれもが、唯一絶対の同じ「神」を信じている。
 処で、日本の宗教人口は、総人口が1億2千万人であり乍ら、文化庁の調べでは2憶5千万人いることをご存知ですか?
 これは、日本人のかなりの人々が神社の氏子と仏教の檀家の両方の信徒となっているからである。
 日本人は、無宗教であることに抵抗感ないが、サウジアラビアでは入国する際、無宗教と書いて届けると国外追放になって仕舞うので要注意。
 彼等は、宗教が道徳観念を醸成すると理解。
 だから無宗教者は、anarchistや、道徳観念を持たない危険人物と見做すという訳だ。
 ユダヤ教とキリスト教、イスラム教の関係を簡単に説明すると‥
 今から2千年程前、現在のシリアの地にユダヤ教の改革者としてイエスと言う名前の救世主(=キリスト)が現れた。
 イエス・キリストとは、「イエスこそ救世主」だという意味。
 余談だが、仏教の祖の釈迦は、ヒンズー教のバラモンの王族として現在のネパールに生まれた。
 聖書を「旧約聖書」「新約聖書」という「約」は、「約束」という意味。
 イスラム教は、日本では厩戸皇子の時代‥。
 今、教科書で聖徳太子は出て来ない。
 聖徳太子はいなかったのだと、その存在すら危ぶまれている。
 歴史は、時代と共に、解釈も代わっていく。
 この厩戸皇子の時代、アラビア半島のメッカにムハンマドという人がいた。
 彼が当時40歳の時、洞窟で瞑想していたら、ある時、羽交い絞めにあった様な状態となり、「神様の言葉を伝えよ」という啓示を受けた。
 因みに、彼に神の言葉を伝えに来たのが天使ジブエール。
 キリスト教では、大天使ガブリエルと言われている。
 イスラム教の教典「コーラン」を最近では「クルア―ン」と呼ぶ。
 「クルア―ン」とは、「声を出して読むべきもの」という意味である。
 最近は、正確に発音する様になって来ている。
 因みに、預言者ムハンマドも、昔はマホメットと呼んだ。
 〔以下、略〕

[02]池上彰講演会『ニュースから未来が見える』20150515
 0220150515

【小生comment】
 池上氏の講演は、上記の様に、素人にもよく解る様な解説をしてくれる。
 これは、氏が「週刊こどもニュース」のcasterをする際に、子供達にも解る様に説明する方法を学んだことが役立っていると言っていた。
 確かにそうだろう。
 氏は、上記の説明の後、イスラム教の教典の内容についての戒律の説明を、ラマダン、豚とalcoholの禁止等について面白く説明してくれた。
 更に、金利をとってはいけないという、イスラム金融についても解り易く解説してくれた。

【後記】今日は、五月の陽気の素晴らしさに感動してシューマンの歌曲集『詩人の恋』を思い出したのでご紹介したい。
 因みに、『詩人の恋』は、ハイネの詩である。
 クリスティアン・ヨハン・ハインリヒ・ハイネ(Christian Johann Heinrich Heine)( 1797-1856)は、ドイツの詩人。
 作家、journalistでもあった。

 ※ ※ ※ ※ ※

   Dichterliebe Op.48 詩人の恋
《 Liederzyklus nach Gedichten von Heinrich Heine ハインリヒ・ハイネの詩による連作歌曲集 》

1. Im wunderschönen Monat Mai 1. 素晴らしく美しい五月に

 Im wunderschönen Monat Mai, 素晴らしく美しい五月に、
 Als alle Knospen sprangen, あらゆるつぼみが開き、
 Da ist in meinem Herzen 僕の心の中にも
 Die Liebe aufgegangen.Die Liebe aufgegangen. 愛が花咲いた。

 Im wunderschönen Monat Mai, 素晴らしく美しい五月に、
 Als alle Vögel sangen, あらゆる鳥が歌い出し、
 Da hab’ ich ihr gestanden 僕は彼女に打ち明けた
 Mein Sehnen und Verlangen. 僕の憧れ、僕の望みを。

2. Aus meinen Tränen sprießen 2. 僕の涙から生まれ出る

 Aus meinen Tränen sprießen 僕の涙から生まれ出る
 Viel blühende Blumen hervor, たくさんの盛りの花が、
 Und meine Seufzer werden また 僕のため息は
 Ein Nachtigallenchor. ナイチンゲールの合唱となる。

 Und wenn du mich lieb hast, Kindchen, 僕を愛してくれるなら、かわいい人よ、
 Schenk’ ich dir die Blumen all’, 僕はその花を全部君に贈る、
 Und vor deinem Fenster soll klingen そして 君の窓辺で響かせよう
 Das Lied der Nachtigall. ナイチンゲールの歌を。

3. Die Rose, die Lilie, die Taube, die Sonne 3. バラ、ユリ、鳩、太陽

 Die Rose, die Lilie, die Taube, die Sonne, バラ、ユリ、鳩、太陽
 Die liebt’ ich einst alle in Liebeswonne. どれも僕はかつて愛の歓びをもって深く愛していた。
 Ich lieb’ sie nicht mehr, ich liebe alleine 僕はもうどれも愛していない、僕が愛してるのはただ一つ
 Die Kleine, die Feine, die Reine, die Eine; ちいさくて、かわいくて、綺麗で、唯一の女性。
 Sie selber, aller Liebe Wonne, 彼女こそが、あらゆる愛の歓びを与えてくれるもの、
 Ist Rose und Lilie und Taube und Sonne. バラ、ユリ、鳩、太陽なんだ。

4. Wenn ich in deine Augen seh’ 4. 君の瞳を見つめると

 Wenn ich in deine Augen seh’, 君の瞳を見つめると、
 So schwindet all’ mein Leid und Weh; 僕の苦しみ、悲しみは みんな消えてなくなる。
 Doch wenn ich küße deinen Mund, まして 君の口に口づけすると、
 So werd’ ich ganz und gar gesund. 僕のあらゆる傷がすっかり癒える。

 Wenn ich mich lehn’ an deine Brust, 君の胸にもたれかかると、
 Kommt’s über mich wie Himmelslust; 天国のような心地良さを感じる。
 Doch wenn du sprichst: ich liebe dich! まして 君が「あなたを愛してます!」と言ってくれたら、
 So muß ich weinen bitterlich. 僕は激しく泣かずにはいられない。

※ 以下のNr.5~16 で全てであるが、割愛する ※

 Nr.5 Ich will meine Seele tauchen 僕の心をひたしたい
 Nr.6 Im Rhein, im heiligen Strome ライン、聖なる流れに
 Nr.7 Ich grolle nicht 僕は恨まない
 Nr.8 Und wüßten’s die Blumen, die kleinen 花が、小さな花たちがわかってくれたら
 Nr.9 Das ist ein Flöten und Geigen あれはフルートとヴァイオリン
 Nr.10 Hör’ ich das Liedchen klingen あの小唄が聞こえてくると
 Nr.11 Ein Jüngling liebt ein Mädchen ある若者がある娘に恋をした
 Nr.12 Am leuchtenden Sommermorgen 光り輝く夏の日に
 Nr.13 Ich hab’ im Traum geweinet 僕は夢の中で泣きぬれた
 Nr.14 Allnächtlich im Traume seh’ ich dich 毎晩 僕は君の夢を見る
 Nr.15 Aus alten Märchen winkt es 古いの童話の中から
 Nr.16 Die alten, bösen Lieder 昔の、いまわしい歌を

【小生comment】
 この詩は、Nr.1~6が「愛の喜び」を、Nr.7~14が「失恋の悲しみ」を、最後のNr.15~16が「その苦しみを振り返って」歌う。
 「素晴らしく美しい五月に/素晴らしく美しい五月に/あらゆるつぼみが開き/僕の心の中にも/愛が花咲いた」と幸福の絶頂を歌う。
 シューマンの歌曲集の中でも、この『詩人の恋』が最高傑作と言っても過言でないと思う。
 Piano伴奏が、単なる歌曲の伴奏に終わらず、歌手に寄り添って歌い上げている。
 シューマンが新婚間もない頃、愛妻クララに捧げた作品である。
 小生は、この『詩人の恋』という詩もシューマンの歌曲も大好きである。

[03]五月の新緑に映える岐阜城
 03

[04]岐阜城天守閣から岐阜市内遠望
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 では、また‥。

2015年5月 9日 (土)

【時習26回3-7の会0547】~「思潮社 現代詩文庫:『吉野弘詩集・続・吉野弘詩集・続続・吉野弘詩集』から《夕焼け》《祝婚歌》」「ソースティン・ヴェブレン著『有閑階級の理論/制度の進化に関する経済的研究』を読んで」

■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です。
 05月02日(土)~06日(振休)の5連休の後、7(木)・08(金)を経て休めるのはいいですネ。
 拙宅は、02~04日にかけて長男・長女が家族連れで、次男が下宿先から帰省し、久し振りに賑わいが戻りました。
 些事ですが、03日に、拙宅庭の除草と庭木への除草剤散布を、04~05日両日は述べ10時間余りかけて亡父宅の整理を行いました。
 という訳で、今年のGWは何処へも出かけなかったのですが、肉体的にはhardな連休でした。
 皆さんのお宅は如何でしたでしょうか?
 さぁ、今日も【2637の会 0547】号をお送りします。

■さて、今日最初の話題である。
 晴耕雨読という訳ではないが、このGWに今から6年余り前の2009年02月に購入して、半ば積ん読の儘になっていた詩集を紐解いてみた。
 現代詩人 吉野弘(1926.01.16-2014.01.15)の詩集3冊である。
 氏の略歴は以下の通り。
《略歴》
 1926年 山形県酒田市に生まれる
 1942年12月 市立酒田商業学校卒業
 1943年01月 帝国石油入社
 1949年 肺結核の為3年間療養
 1952年 詩学社詩誌『詩学』に「爪」、「I was born」を投稿し新人に推薦
 1953年 川崎洋、茨木のり子の詩誌『櫂』に同人として参加‥此処で谷川俊太郎、大岡信等と親交を深める‥
 1957年 私家版詩集『消息』を刊行
 1959年 詩集『幻・方法』を上梓
 1972年『感傷旅行』で第23回読売文学賞の詩歌俳句賞を受賞
 1979年 ~1986年迄、西武池袋コミュニティカレッジで詩の公開講座を担当
 1980年 文筆を専業とする
 「祝婚歌」「夕焼け」「I was born」「虹の足」等が代表作として著名

 今日は、先ず「夕焼け」を、そして本《会報》末尾にて「祝婚歌」をご紹介したい。

 詩集《幻・方法》から‥1959年‥

  夕焼け

 いつものことだが
 電車は満員だった。
 そして
 いつものことだが
 若者と娘が腰をおろし
 としよりが立っていた。
 うつむいていた娘が立って
 としよりに席をゆずった。
 そそくさととしよりが坐った。
 礼も言わずにとしよりは次の駅で降りた。
 娘は坐った。
 別のとしよりが娘の前に
 横あいから押されてきた。
 娘はうつむいた。
 しかし
 又立って
 席を
 そのとしよりにゆずった。
 としよりは次の駅で礼を言って降りた。
 娘は坐った。
 二度あることは と言う通り
 別のとしよりが娘の前に
 押し出された。
 可哀想に
 娘はうつむいて
 そして今度は席を立たなかった。
 次の駅も
 次の駅も
 下唇をキュッと噛んで
 身体をこわばらせて――。
 僕は電車を降りた。
 固くなってうつむいて
 娘はどこまで行ったろう。
 やさしい心の持主は
 いつでもどこでも
 われにもあらず受難者となる。
 何故って
 やさしい心の持主は
 他人のつらさを自分のつらさのように
 感じるから。
 やさしい心に責められながら
 娘はどこまでゆけるだろう。
 下唇を噛んで
 つらい気持で
 美しい夕焼けも見ないで。

【小生comment】
 この詩の様な情景は、日常生活の中でよくあることである
 二度迄も老人に席を譲った少女の優しさ
 席を譲って貰った一人目の老人は彼女にお礼も言わなかった
 同じく二人目の老人はお礼を言って降りていった
 座っている彼女の前に立った三度目の老人に彼女は席を終に譲らなかった
 「下唇をキュッと噛んで/身体をこわばらせて―」
 少女自身が感じている罪悪感が、その情景を眺めている作者にも確り伝わってくる
 「やさしい心の持主は/いつでもどこでも/われにもあらず受難者となる」
 そして、最後の「つらい気持で/美しい夕焼けも見ないで」で、彼女の辛さは極致に達する
 この「彼女の辛さ」により、「彼女の心の優しさ」と「夕焼けの美しさ」が際立って読者の胸に迫って来る‥

[01]吉野弘詩集/続・吉野弘詩集/続続・吉野弘詩集
 01

[02]同上 裏面
 02

■さて続いては、ソースティン・ヴェブレン(Thorstein B. Veblen)(1857-1929)著『有閑階級の理論(The Theory of the Leisure Class) 制度の進化に関する経済的研究(An Economic Study in the Evolution of Institutions)』についてである。

 本書は、全14章から成る。

 はじめに(P.009)
 第一章/序説(P.011)
 第二章/金銭的な競争心(P.033)
 第三章/顕示的閑暇(P.047)
 第四章/顕示的消費(P.082)
 第五章/生活様式の金銭的な標準(P.118)
 第六章/好みの金銭的な基準(P.132)
 第七章/金銭的な文化の表現としての衣装(P.188)
 第八章/産業からの免除と保守主義(P.212)
 第九章/古代的特質の保存(P.236)
 第十章/現代における武勇の存続(P.270)
 第十一章/幸運を信じる心(P.302)
 第十二章/信心深い儀式(P.321)
 第十三章/競争心に基づかない関心の存続(P.362)
 第十四章/金銭的な文化の表現としての高等教育(P.395)
 訳者解説/(P.435)

 本書については、実際に熟読してみないと全容を理解することは難しいだろう。
 故にpointだけご紹介する。

 第二章/金銭的な競争心~第四章/顕示的消費 の処では、「勤労と節倹」の奨めを説いたBenjamin Franklin(1706-90)や「国富論」の著者Adam Smith(1723-90)の時代を過ぎ、富の蓄積が更に進むと、「所有を巡るgame」は新しい段階に突入する。
 富は単に所有されているだけでは十分な名誉を齎さない。
 他人の目に確りと見せつけられねばならなくなる。
 こうして「掲示的消費」を行うことが、全ての社会構成員の行為規範となる。
 最高の名誉や名声の基準は、最も高貴で上品な「有閑階級」、つまり全く労働せずに消費だけするとおいう意味での「顕示的閑暇と顕示的消費」に勤しむ上流階級のの生活図式である。(P.453)

 ヴェブレンが本書を上梓した1899年は、米国は所謂金ピカ時代で、新興成金を数多く輩出した時代でもあった。
 こうした時代背景の中で、大衆の「精神態度」は上流階級に特有な保守的な思考習慣、制度、行為規範に近づき、再生産されていったのである。
 この経済社会が進化していくprocessは、金銭的に合理的に行動する「経済人」への均一化であると同時に、古くからある様々な思考習慣や行為規範に向けて「退行」するprocessでもあり、従って又、様々な思考習慣を累積的・重層的に組み込んだ複合的な「人間性」を形成していくprocessなのである。(P.456)

 ※ ※ ※ ※ ※

 因みに【有閑階級】というのは、「慣習に拠って産業的な職業から免除されたり排除されたり」しているにも拘らず、「名声を伴う一定の職業が約束された」上流階級のことだが、それを「制度」=思考習慣という次元で言い換えるなら、こうなろう。
 つまり、人間の生活を維持する為に不可欠な産業活動=勤労に従事せず、戦(いくさ)や政治や宗教といった誉れ高い職業に従事し、しかも豊かな生活を過ごす様な人々を上流階級に持つ社会systemであり、この様な社会を成り立たせている思考習慣のことである、と。(P.448)
 更に「社会を成り立たせている思考習慣が「常識」である」。そして、「常識的な考え方に拠れば、労働などせずに限りなく財貨を消費することが経済的な至福であり、正真正銘の経済的な難儀とは、何の報酬も齎さない労働である」と喝破し、更に「現代の常識=大衆の思考習慣の中では、有閑階級の生活図式が人生の理想として思い描かれている」とヴェブレンは言うのである。
 当時の米国社会では「勤勉」という日常的な生活倫理が根強く残っていた為、働きもせず、只管消費に明け暮れることこそ人生の「至福」だと言うヴェブレンの言辞は世間常識を逆撫でしたことも事実である。
 近時ご紹介したWerner Sombart(1863-1941)『恋愛と贅沢と資本主義(1912年)』に立ち位置が比較的近い書である。

[03]Veblen『有閑階級の理論』
 03veblen

【小生comment】
 小生の読解力不足に拠って巧くご紹介出来なかったことを先ず以てお詫び申し上げます。
 尚、訳者高哲男氏自身も「指示代名詞や関係代名詞を多用した、厳密であっても複雑で長い文章を、分かりやすい日本文にする為に区切って訳したり、挿入的な表現に手直しした処がかなりあること、翻訳を手がかりに直接ヴェブレンを楽しんでみようとする読者にお断りしておかねばならない(P.460)」と述べている様に、本書は、正直とても読み難い本であった。
 ちくま学芸文庫で本文434頁、解説26頁、計460頁に及ぶ大作であった。

【後記】今日は、最後に吉野弘氏の詩を一つご紹介してお別れしたい。

 詩画集《風が吹くと》から‥1977年‥

      祝 婚 歌

 二人が睦まじくいるためには
 愚かでいるほうがいい
 立派すぎないほうがいい
 立派すぎることは
 長持ちしないことだと気付いているほうがいい
 完璧をめざさないほうがいい
 完璧なんて不自然なことだと
 うそぶいているほうがいい
 二人のうちどちらかが
 ふざけているほうがいい
 ずっこけているほうがいい
 互いに非難することがあっても
 非難できる資格が自分にあったかどうか
 あとで
 疑わしくなるほうがいい
 正しいことを言うときは
 少しひかえめにするほうがいい
 正しいことを言うときは
 相手を傷つけやすいものだと
 気付いているほうがいい
 立派でありたいとか
 正しくありたいとかいう
 無理な緊張には
 色目を使わず
 ゆったり ゆたかに
 光を浴びているほうがいい
 健康で 風に吹かれながら
 生きていることのなつかしさに
 ふと 胸が熱くなる
 そんな日があってもいい
 そして
 なぜ胸が熱くなるのか
 黙っていても
 二人にはわかるのであってほしい

【小生comment】
 この詩は、人口に膾炙した吉野弘の代表作。
 正真正銘の名詩である。

 健康で 風に吹かれながら
 生きていることのなつかしさに
 ふと 胸が熱くなる
 そんな日があってもいい
 そして
 なぜ胸が熱くなるのか
 黙っていても
 二人にはわかるのであってほしい

 この詩は、何度読み返しても疲れない
 力むなよ! ほら、肩の力を抜いて‥と
 11回も「‥ほうがい」という優しく諭す言葉を使って
 気持ちがスーッと落ち着いてくる

 ※ ※ ※ ※ ※

 では、また‥。

2015年5月 2日 (土)

【時習26回3-7の会0546】~「04月27日:藤田紘一郎 講演会『笑って自然に触れて免疫力を高めよう~アトピーからがんまで』を聴いて&同氏著『免疫力をアップする科学~腸内細菌で病気知らず! いますぐできる科学的健康法』を読んで」「04月29日:静岡市美術館『大原美術館』展 & 秋野不矩美術館『特別展‥「加山又造」《伝統と革新の日本画》』展&鞍ヶ池Art Salon『エコール・ド・パリ~自由を謳歌する若きエトランジェたち』展 を見て」「佐伯啓思著『「欲望」と資本主義~終りなき拡張の論理~』を読んで」

■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です。
 さぁ、今日も【2637の会 0546】号をお送りします。
 いま正にGolden Weekの真っ只中ですネ。
 今日(05月02日)を含め06日迄5日ありますが、小生、前《会報》でも申し上げた通り特に旅行等の予定を入れてません。
 専ら「子供達の帰省の対応と孫の世話」「亡父宅の遺品類の整理」「拙宅の庭の除草や殺虫剤散布」「拙宅内の掃除」等の雑事に振り回されそうです。
 ^^;;

■さて、今日最初の話題である。
 小生、去る04月27日(月)に、豊橋市内で開催された 藤田紘一郎 講演会『笑って自然に触れて免疫力を高めよう~アトピーからがんまで~』を聴いて来たので、今日は先ずその話題からお伝えしたい。
 小生、本講演会に合わせ、藤田氏の著書『免疫力をアップする科学~腸内細菌で病気知らず! いますぐ‥』を読んだので、本書からその一部を引用してご紹介してみたい。

[01]本講演会leaflet
 01leaflet

[02]藤田紘一郎著『免疫力をアップする科学~腸内細菌で病気知らず! いますぐできる科学的健康法‥』
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《3-10 腸は脳より賢い》P.94
 人間において腸は第二の脳と言われています。
 人間の腸には大脳に匹敵する程の数の神経細胞があります。
 それは私達の脳の祖先が腸から始まったことに起因しているからなのです。
 従って、腸の思考力は頭脳に及ばないという面も出て来るのです。

 私は腸が脳より大変賢いと思っています。
 脳は食べ物が安全かどうか判断出来ませんが、腸ではそれが出来るのです。
 食中毒菌が混入した食物でも、脳は食べるsignalを出します。
 しかし、腸は菌が入ると激しい拒絶反応を示します。
 腸に入った食べ物が安全か安全でないかは、腸の神経細胞が判断しています。
 安全なものでないと、すぐ吐き出したり下痢したりして、なるべく早く人間の体を中毒にさせない為の反応を起こします。

 心の病んだ人達が偏った食物ばかり食べる様になるのは、脳が第二の脳に当たる腸にその様な食事を摂る様命令しているからです。
 腸が嫌々その命令を聞いた結果なのです。
 Potato chipsやfast foodに嵌まる人もそうです。
 これ等の食品には脳が喜ぶ物質が添加されていて、腸は悪いと知っていても無理矢理 脳の命令で食べさせられているのです。

 脳死しても人間の生命体は終わりになりませんし、腸は何十年でも機能し続けることが出来ます。
 しかし腸が完全に死んで仕舞うと、脳の働きも完全に停止して仕舞います。

 腸は消化の目的だけで働くというのが、一般的な考え方です。
 しかし実際は、人間の感情や気持ち等を決定する物質は、殆ど腸でつくられます。
 腸の中で食べ物から人間の幸せと愛情を齎すセロトニン(serotonin)やドーパミン(dopamine)を合成しているのです。

【小生comment】
 藤田氏の講演は、Jokeを沢山織り交ぜて素人にも大変面白く聴かせてくれた。
 免疫力は、70%を腸内細菌が、残りの30%を心(‥とくに自律神経‥)がつくるのだそうだ。
 そして、腸内細菌を増やすには発酵食品と摂ること。
 具体的には、納豆、キムチ、Yoghurt等である。
 心の方は、stressを溜めずに、よく笑うことが大切。
 楽しくなくても「無理してでも笑う」ことで効果があるそうである。
 こういうこと位なら今からでも直ぐに実践できそうですね‥。^^;

■続いての話題である。
『昭和の日』の04月29日(水)に、車で「静岡市美術館(JR静岡駅前)」「秋野不矩美術館(浜松市天竜市)」「トヨタ記念館 鞍ヶ池Art Salon」の3つの美術館を巡って来た。
 で、その模様をお伝えしたい。

 静岡市美術館には、開館時間の10時00分直後に入館した。

【静岡市美術館『「大原美術館」‥名画への旅』展】
 本展は、静岡市美術館 開館5周年記念 のeventの一環として、大原美術館の所蔵作品展を開催するものである。
 大原美術館については、一昨年の2013年10月14日(祝月)に訪れているので2013年11月02日付《会報》【0471】をご覧下さい。
 http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/26-047110121433.html ←此処をclickして下さい
 又、児島虎次郎については、昨年10月12日(日) 彼を顕彰した 高梁成羽美術館〔児島虎次郎記念館〕を訪れている。
 これも2014年10月25日付《会報》【0522】をご笑覧下さい。
 http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/260522101113121.html ←此処をclickして下さい

[03]静岡市美術館 入口
 03

[04]本展leaflet(表)/絵は Amedeo Modigliani(1884-1920)『ジャンヌ・エビュテルヌの肖像』1919年
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[05]本展leaflet(裏)
 05leaflet

[06]1919年、渡航前の児島虎次郎(右)と大原孫三郎(1880-1943)(左)
 061919

[07]児島虎次郎(1881-1929)『凝視(A Steady Gaze)』1909年
 0718811929a_steady_gaze1909

[08]満谷国四郎(1874-1936)『裸婦(Nude)』1913年
 0818741936nude1913

[09]児島虎次郎『アルハンブラ宮殿(The Alhambra Palace)』1920年
 09the_alhambra_palace1920

[10]同『ストックホルム風景(View of Stockholm)』1922年
 10view_of_stockholm1922

[11]Henri Matisse(1869-1954)『エトルタ‥海の断崖(Etretat-Coastal Cliff)』1920年
 11henri_matisse18691954

[12]Andre Derain(1880-1954)『静物(Still Life)』1924年
 12andre_derain18801954still_life192

[13]岸田劉生(1891-1929)『静物‥赤りんご三個、茶碗、ブリキ缶罐、匙』1920年
 13189119291920

[14]土田麦僊(1887-1936)『ヴェトゥイユ風景(Landscape of Vetheuil)』1922年
 1418871936landscape_of_vetheuil1922

[15]須田国太郎(1891-1961)『浜―室戸』1949年
 15189119611949

【小生comment】
 添付写真の[09]『アルハンブラ宮殿』や[10] 『ストックホルム風景』の絵は、一昨年 大原美術館にて見てるので懐かしかった。
 名画は何度見てもいいものである。

 ※ ※ ※ ※ ※

 11時少し前に静岡美術館を後にした小生、新東名 新静岡IC→浜松浜北IC を利用して正午過ぎに秋野不矩美術館に到着した。

【秋野不矩美術館『特別展‥「加山又造」=伝統と革新の日本画=‥』展】
 本展は、没後10年が経過した日本画家 加山又造(1927-2004)の作品41点を展示。
 加山は、京都に生まれ、京都市立美術工芸学校修了後、東京美術学校(現 東京藝術大学)に進学。
 創造美術(現 創画会)の創立会員の一人 山本丘人に師事。
 1949年から創造美術に出品参加し、1956年に同会会員に推挙。
 常に革新的な創作で日本画壇をleadしてきた。
 2003年文化勲章受賞。

[16]秋野不矩美術館 入口の本展案内看板
 16

[17]秋野不矩美術館 正面全景
 17

[18]加山又造『月と縞馬』1954年
 181954

[19]同『紅鶴』1957年
 191957

[20]同『洋猫』制作年不詳
 20

[21]同『雪晴れる』2000年
 212000

[22]同『淡月』1996年
 221996

【小生comment】
 加山又造氏の誕生日は、小生と同じ09月24日ということもあり、昔より親近感を持って見て来た日本画家である。
 勿論、絵画の技量も卓越したものを持っていて、小生、彼の作品は好きな作品が多い。

 ※ ※ ※ ※ ※

 12時45分頃、秋野不矩美術館を後にして、その日 最後の訪問地 トヨタ記念館 鞍ヶ池Art salonに到着したのは14時過ぎであった。

【トヨタ記念館/鞍ヶ池Art Salon『エコール・ド・パリ~自由を謳歌する若きエトランジェたち‥』展】
 主催者である当館が、本企画展をleafletにて次の様に紹介している。

 当館が所蔵する名画の中から、Ecole de Paris(=パリ派)の画家達に拠る作品と、第二次世界大戦後の華やぐParisの都会的なエスプリを感じさせる作品を展覧する‥と。
 (注)エスプリ(esprit=精神・機知)

[23]トヨタ記念館外観
 23

[24]本展leaflet/絵は (表面:左上)マリ―・ローランサン『王妃と王女』1935年、(裏面:右上端)藤田嗣治『立てる裸婦』1929年
 24leaflet_19351929

《展示作品24点 一覧》
 【01】Moise Kisling(1891-1953)『赤い襟の少女』1938年
 【02】同『チューリップ』1930年
 【03】Maurice Utrillo(1883-1955)『ラパン・アジル』1910年
 【04】同『ビュトーの住宅街』1912-14年
 【05】Marc Chagall(1887-1985)『騎士と音楽家たち』1975年
 【06】同『ささげもの』1941年
 【07】Jean Dufy(1888-1964)『花束』1926年
 【08】Marie Laurencin(1883-1956)『王妃と王女』1935年
 【09】同『青い眼の少女』1940年
 【10】Bernard Cathelin(ベルナール・カトラン)(1919-2004)『ルバティエール通りのレジ―ヌ・カトラン夫人』1986年
 【11】Jean Pierre Cassigneul(ジャン・ピエール・カシニョ―ル)(1935- )『春のフォッシュ通り』1990年
 【12】Andre Brasilier(アンドレ・ブラジリエ)(1929- )『シャンタル・ブラジリエ夫人と、チューリップ』1990年頃
[25]【13】Amedeo Modigliani(1884-1920)『若い女性の肖像』1918年
 25amedeo_modigliani188419201918

 【14】岡 鹿之助(1898-1978)『運河』1967年
 【15】パブロ・ピカソ(1881-1973)『ラ・カルフォル二―の鳥』1960年
 【16】藤田嗣治(1886-1968)『フォークを持つ少女』1951年
 【17】同『立てる裸婦』1929年
 【18】東郷青児(1897-1978)『鳥と少女』1971年
 【19】小磯良平(1903-1988)『パリ風景』1961年
 【20】同『静物』1960年代
[26]【21】Jules Pascin(1885-1930)『下着姿の座る少女』1928年
 26jules_pascin188519301928

 【22】浮田克躬(うきた かつみ(1930-1989))『モンマルトル』1971年
 【23】ベルナール・ビュッフェ(1928-1999)『パッカード 1928 黄』1985年
 【24】同『パリ六景・エッフェル塔』1988年


【小生comment】
 展示作品は、流石は天下のトヨタ自動車が所有するだけあって、全24点溜息ばかりの選りすぐりの傑作揃いであった。
 そんな中、小生は【10】カトラン、【11】カシニョ―ル、【12】ブラジリエの三作品が並んで展示された前で思わず立ち止まり感動の余り釘付けにされた。
 3点は、いずれも洗練された若い女性の絵である。
 なかでも、中央のカシニョールの描いた作品は、後ろ向きの若い女性が、観音開きに解き放たれた窓から外を眺めているsceneが、こじんまりとした当館の室内に開放感を与えているのだ。
 両脇のカトランとブラジリエが描いた洗練された女性の構図・色合いと相俟って、Parisの華やいだ雰囲気を爽やかな風と共に眼前に運んで来る様だ。
 文句なく素晴らしい絵であった!(^-')b♪

■今日最後の話題は、最近読んだ佐伯啓思著『「欲望」と資本主義~終りなき拡張の論理~』についてである。
 著者の佐伯啓思氏が「はじめに」で次の様に述べ、本書を書いた動機を語っている。

 今日のこの高度に情報化し、Global化した社会で「資本主義」という概念をどのように理解すればよいのか、
 そしてそれは文明論的、歴史的に見ればどの様な意味を持つのか、それが本書の主題なのである。

 ※ ※ ※ ※ ※

 本書は以下の7章からなっている。
 以下、主だった処に本文の引用、或いは小生の寸評を加えてご紹介してみたい。

第1章/社会主義はなぜ崩壊したのか
 1-「経済」についての議論(P.16)
  →・マルクス主義者は、社会主義を口実にして資本主義批判を行っていたのであり、一方、近代経済学者たちは、社会主義に対して資本主義を擁護していた(P.19)
 2-社会主義は欠けていたもの(P.24)
  →・社会主義においては、厳密な意味では「消費者」という概念は成立しない(P.30)
  →・市場(market)は、計画経済の中には包摂されない
    市場の部分的で便宜的な導入は却って全体のbalanceを崩してしまいかねない
    社会主義の枠をあくまで守った上での市場導入というペレストロイカはいずれにしても挫折せざるを得なかった(P.35)
  →・資本主義は絶えずmarketを拡大して行く
    その為には絶えず資本を生み出し、蓄積して行かねばならない
    この様な資本は市場で自動的に生まれて来るものではない

第2章/1980年代と日本の成功
 1-1980年代の「消費社会」(P.42)
  →・「消費者」というcategoryの重要性を追求したこと、其処に日本経済の強さの一つの要因がある(P.51)
  →・日本企業は「よいものを安く作ること」が企業活動だと考えて来た
  →・消費者中心の企業活動、即ち「消費者資本主義」というべきものが80年代の日本であった(P.54)
 2-日本の「産業主義」(P.55)
  →・現代の「資本主義」に於いては、正にその技術を巡る競争こそが重要な役割を果たす
    Orthodoxな「市場経済」とは別に技術革新に拠って成長する「資本主義」がある
    こうした「Technologism」に基づいた資本主義を、とくに「産業主義」と呼んで置きたい
    この「Technologism」を核に持った「産業主義」こそが1960年代の高度成長から今日に至る日本経済の大きな特徴であった
    よく指摘される、日本的なきめ細かな産業政策や行政指導も、この「産業主義」の帰結とまでは言わないにしても、密接な関連を持っている(P.57)

第3章/資本主義という拡張運動
 1-拡張する欲望frontier(P.62)
《市場経済と資本主義の区別》
  →・「市場経済」とは、需要と供給に拠る価格mechanismが働くという、市場mechanismに従ってモノやserviceが交換される世界である
    これに対して、「資本主義」とは、企業が、絶えず新たな利潤を求めて、蓄積した資本を積極的に投資する
    しかもそのことが経済社会全体の物質的な富の拡大に決定的な重要性を持っている様な活動だと理解して置く(P.72)
《企業と消費者の共犯関係》
  →・企業が求める利潤が発生する為には先ず売れなければならない
    だから「企業が事業を拡張しようとするその先」には、「人々の欲望の拡張」がなければならない
    換言すれば、資本主義とは、人々の欲望を拡張し、それに対して物的な(或いは商品という)形を絶えず与えてゆく運動だと言って良い
    それは企業と消費者の共犯となるtotalな運動なのである。
    その両者が結合して欲望のfrontierを拡張してゆこうとする運動なのである(P.74)

 2-過剰の処理としての資本主義(P.75)
  →・資本主義とは、人間の欲望を開拓し、過剰なモノの形を与えてゆく運動である(P.82)
  →・経済史家のWerner Sombartに拠ると、「贅沢」こそが資本主義の起源であり、又その決定的な特徴だという
    人間の欲望をどの様な形で開拓し、それにどの様な形でモノの表現を与えて行ったかは、現代に止まらず資本主義をみる上で極めて重要となる(P.83)

 3-「欲望」についての考察(P.83)
《欲望の社会性》
  →・現代社会は、言わば人々が、お互いをmodelにし合っている様な社会で、其処では人々は、お互いを「模倣」し合う
    このお互いの「模倣」から「欲望」が発生する(P.89)
    そして、その「欲望の充足」は全ての人々が満たされる訳ではない為「社会的優越と不可分」となる
《欲望と資本主義の連動》
  →・人は、知的好奇心も含め、「欲望」から逃れることは出来ない
   「資本主義」はこうした「欲望」と連動し、共鳴し、そのfrontierの拡張を方向づけ、その流れを整序する一つの装置である(P.96)

第4章/「外」へ向かう資本主義
 1-「資本主義」はどのように発生したか(P.98)
《新奇なものへの欲望》
  →・16世紀~18世紀にかけての、欧州の商業的拡大の背後には、欧州の消費拡大と生活様式の変化、その飛躍的向上がある
    英国の「商業革命」は大凡1660年代から100年位と言われている
    この時期の英国は「消費革命」「生活革命」とも言われ、対新世界貿易の飛躍的増大があった
    即ち、Asiaからは木綿・香辛料・絹・茶、西インド諸島からは砂糖・煙草・珈琲の需要増加が顕著
    これ等は、いずれも(‥必需品でなく‥)嗜好品であるのが特徴的である(P.111)
《経済発展の原動力》
  →・貴族やgentlyは、身分を誇示する為に贅沢の競争をする
    それをsnob(紳士気取り)の疑似gentlemanが真似る
    それを更に多少裕福な市民層が真似る
    こうして、「流行は『社会化』する」のだ
    (ドイツの社会学者)ゲオルク・ジンメル(Georg Simmel)(1858-1918)が「トリクルダウン方式(trickle-down effect)」と言ったものである
    流行は水が滴り落ちる様に、上流から下々の生活迄広がって行った(P.113)

 2-産業革命とは何だったのか(P.116)
《輸入代替の為の綿工業保護》
  →・英国の産業革命が毛織物でなく、綿工業の分野であった理由は、17~18世紀に於けるキャラコ・ブーム(calico boom)である
    Indiaからcalicoを大量に輸入していた英国は、大幅な対India貿易赤字を解消する魅力的な商品を持っていなかった
    其処で、calico使用禁止と共に、綿織物の国内生産を開始し、国際商品の、戦略的産業化を推進
    この動きに(‥水蒸気の力を活用して大量生産を可能にした‥)『産業革命』に拠って綿工業が飛躍的な成長産業となった
    即ち、大量の低廉且つ良質な綿製品は国際競争力を持つに到り、綿工業が英国の代表的産業として確立していったのである(P.118)
《二つの新たな三角貿易》
 →・地理上の発見から商業革命に到る欧州の経済の展開は、異国の物産に対する欧州の人々、とりわけ貴族階層の欲望の止まる処を知らない膨張を齎した
   その彼等の欲望を満たすべく、半ば海賊的、略奪行為も辞さずAsia、新大陸に遠征した貿易商人との(両者に拠る)共同の産物であった(P.121)

第5章/「内」へ向かう資本主義
 1-20世紀米国が生みだした資本主義(P.132)
  →・〔 略 〕
 2-米国資本主義の象徴するもの(P.144)
《20世紀資本主義の象徴アメリカ車》
  →・「大量生産→生産性上昇→賃金上昇→(消費者に拠る)需要増加→大量消費→大量生産」という回路は、Fordの自動車(だけ)に止まらない
    米国経済の構造を示すものとなった(P.146)

第6章/Narcissismの資本主義
 1-モノの意味の変容(P.158)
  →・1950年代の米国に於いては、商品は、生活の向上という、目に見える進歩を象徴し、人をワクワクさせるものを持っていた
    しかし現在は、そういう商品は見当たらなくなった(P.166)

 2-欲望のfrontierのゆきづまり(P.167)
  →・欲望のfrontierの拡張運動という意味での「資本主義」は、現代ではもはや、モノ或いはモノを買う「消費者」というcategoryの中にはない
    言わばlevel upした訳で、欲望そのものに働きかける装置そのものが「資本主義」の舞台になりつつある、ということだ(P.180)

第7章/消費資本主義の病理
 1-資本主義とmoral(P.182)
《ルサンティマン(Ressentiment)=【注】弱者の強者に対する憎悪や妬み》
  →・Max Weberは、近代の大企業や、独占企業、金融資本主義が出て来て、資本主義の精神は変質して仕舞ったという
    其処にはもはや、あの「世俗内的禁欲」のエ―トス(Ethos=気品)はないという
    しかし、資本主義は19世紀末になって変質したという訳ではない
    資本主義の精神の中には、元々Werner Sombartが「恨み」と呼んだ様な、ある種の精神状態がある
    だからこそ、それは無限で無目的的な発展と、競争を志向したのである(P.188)
《終わりなき発展》
  →・要するに、「資本主義」の運動には、合理的に説明出来る根拠もないし、又目的もないということだ
    一種の『盲目的な自己拡張』があるだけだ(P.190)

 2-Bubbleと資本主義(P.194)
  →・市場経済や資本主義が我々の生活や価値観を広く覆えば覆う程、bubble現象は生じ易くなるということだ
    資本主義は、拡張することを至上命題にしている為、常に新しいものを求める(P.207)
  →・資本主義の運動が社会を覆えば覆う程、社会は伝統破壊的であり、習慣や落ち着いた生活は打ち壊されてゆく(P.207)

 3-豊かさの果てに(P.208)
《成功する故に没落する》
  →・元々文明や文化の相違という条件の上に、資本主義の「外」へ向かう欲望は展開されたのである
    その結果、今日の「Global」な世界が出来上がった
    だが、何処でも同じモノが手に入るとなると、「資本主義」の欲望を拡張し、冒険的精神を奮い立たせた、異質な文明や異文化に対する憧れにも似た感情は薄れて来る
    現代世界では、「標準的な消費財」はほぼ行き渡り、それが故に欲望はどんどん衰弱しつつある(P.212)

[27] 佐伯啓思『「欲望」と資本主義~終りなき拡張の論理~』
 27

【小生comment】
 佐伯氏は、1949年生まれ。東京大学大学院経済研究科博士課程修了。現 京都大学大学院人間・環境学研究科教授。
 本書は、新書200頁というcompactな分量に乍ら、内容が充実していて大変勉強になった。
 氏は次の様に本書を結んでいる。
「モノは本来、技術だけではなく文化の産物でもある。
 人間の「欲望」を産業技術のfrontierの奴隷から解放して、文化的なimaginationの世界へ取り戻す時が到来したのではないか」と。

 ※ ※ ※ ※ ※

【後記】
 写真は、04月29日の8時半頃の、本坂峠にほど近い道路沿いの柿畑の模様である。
 静岡市美術館へ向かう為、東名高速道路 三ケ日ICから乗るべく車を運転していた。
 すると、道の両側に柿の木畑の若葉が実に美しく、恰も満開の桜花の如く小生の眼前に迫って来た。
 美しさの余り、思わず車を停めて撮影したのが添付写真である。

 ご覧の通り、柿の木の新緑が実に美しい。
 この柿の木の若葉のことを俳句では「柿若葉」という季語になっている。
 此処で、今日最後に拙句を一句ご紹介してお別れする。

【詞書】毎年この時季が来ると、石巻山の麓一帯の柿畑は、柔らかな黄色に近い新緑が、恰も花が咲いた様に美しい姿を見せてくれる
 すると、初唐の詩人劉希夷(651-679?)の代悲白頭翁(白頭を悲しむ翁に代わる)の詩を思い出した
 その詩中で歌われる「年年歳歳花相似(年々歳々 花相(あい)似たり)/歳歳年年人不同(歳々年々 人同じからず)」という二句を
 毎年同じ風景が見る人の眼を楽しませてくれるが、その見る人は(‥時の経過と共に代わっていき‥)同じではない
 この世は実に無常なのだ、とこの詩は教えてくれる‥

 眼に沁むや 歳歳年年 柿若葉  悟空

[28]柿若葉01
 2801_2

[29]柿若葉02
 2902

[30]柿若葉03
 3003

 では、また‥。

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