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2015年11月の5件の記事

2015年11月27日 (金)

【時習26回3-7の会0576】~「11月19日:愛知県芸術劇場concert hall『Itzhak Perlman Violin Recital』を聴いて」

■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です。
 さぁ、今日も【2637の会 0576】号をお送りします。
 実は、《会報》本号にて、従前お約束した様に、本《会報》から、松尾芭蕉の『笈の小文』についてご紹介するつもりでした。

 『笈の小文』は、芭蕉が貞享04(1687)年10月25日に江戸を出立して翌貞享05年04月23日須磨・明石を訪れる迄の半年の紀行文である。
 その江戸を出立した旧暦10月25日が、新暦の11月29日、乃ち328年前の明後日当たるのである。
 又、『笈の小文』以外に、「11月20~22日:富山新港視察旅行→富山城(址公園)→岩瀬『森家』→高岡市『瑞龍寺』→金沢市『「長町武家屋敷〔野村家〕」「兼六園」「金沢21世紀美術館」「近江町市場」』「11月23日:『湖東三山~【西明寺】【金剛輪寺】』&『彦根城~玄宮園』を巡って/『佐川美術館‥企画展【古田織部】/常設展【佐藤忠良】【平山郁夫】【楽吉左衛門】』を見て」「11月25日:東京都美術館『マルモッタン・モネ美術館/Monet』展→東京国立博物館『始皇帝と兵馬俑』展→銀座・ナカジマアート『堀文子』展→三菱一号館美術館『プラド美術館』展を見て」についても一緒にお伝えしようと思っていたのである。
 が、最近の一週間は、日々のroutine 業務等、諸事に追われ準備不足の為お届け出来なくなって仕舞った。
 其処で已むを得ないが、これ等は次号《会報》【0577】号にてお伝えする予定ですのでお楽しみに!

■今日お届けするのは、「11月19日:愛知県芸術劇場concert hall『Itzhak Perlman Violin Recital』を聴いて」の1件である。

[01]本演奏会program
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[02]本演奏会曲目一覧
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[03]本演奏会、小品集の内容&encore曲
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 愛知県芸術劇場 concert hall にて開催されたイツァーク・パールマン Violin Solo Recital は実に素晴らしかった。
 確りと名曲&名演奏を堪能出来て嬉しかった。
 Itzhak Perlman(1945- )と言えば、昨年6月開催の「時習26回生卒業40周年記念懇親会in京都2015」の記念DVDを作成した折、そのDVDのBGMに使用した「Memoirs of a Geisha(SAYURI)」のサントラ盤「SAYURI」と「SAYURI's Theme And End Credits」を、cellistのヨ―ヨ―・マ(友友・馬(1955- ))と協奏していた名演奏家である。
 Violinの名演奏家と言えば、前々回《会報》【0574】号でお伝えしたVPO concert masterのRainer Kuechl(1950- )や、同じく Walter Barylli(1921- )もそうである。
 が、彼等はどちらかと言えば「正統派」。
 一方、Itzhak Perlaman の演奏を一言すれば、「音色の線は若干細いが、温もりを感じさせる天才肌の演奏」と言える。
 Violinは、Piano同様、知性的な印象を与える素晴らしい楽器だと思う一方で、若干「神経質」に聞こえると言う人も少なくないと思う。

 来月初の12月03日に、小生、大腸癌手術後丁度一年が経つが、毎日を忙しく過ごせる様迄快復(?)したと思われることを正直嬉しく思う。
 とは言え、術後5年間は再発の懸念は払拭出来ないので油断は出来ない。
 再発しない様に、最近溜まりがちな stress 解消対策として、「『名画』や『名曲』をはじめ美しいものへの純な『ときめき』を持ち続けること」や、「免疫力を高める為、毎朝の90~120分の筋トレ〔腹筋〕&有酸素運動〔木刀素振り〕継続〔←腹囲が絞られ、胸筋と上腕の発達という副次効果あり(笑)〕」、そして「balanceの取れた食生活」等々に気を配っている昨今である。
 因みに、最近の忙しい日々の一端をお示しすると、以下の通りである。

 11月19日(木)~23日(祝月)は、上述の本文をご参照
 11月24日(月):勤務先の諸会議他 routine
 11月25日(水):東京にある勤務先の取引銀行本店(東京・大手町)へ中間決算報告/東京都美術館〔上野〕『マルモッタン美術館/Monet』展→東京国立博物館〔上野〕『始皇帝と兵馬俑』展→ナカジマアート〔銀座〕『堀文子』展→三菱一号館美術館〔丸の内〕『プラド美術館』展
 11月26日(木):愛知県芸術劇場concert hall『ワレリー・ゲルギエフ指揮/ミュンヘンフィルハーモニー/(pf)辻井伸之』演奏会
 11月27日(金):25日とは別の東京にある勤務先の取引銀行が勤務先に来社して現地視察案内と解説等
 11月28日(土)~29日(日):社員旅行〔金沢(29日は単独行動で金沢市内の「松尾芭蕉『奥の細道』」関連史跡巡り)〕
 11月30日(月):諸会議&勤務先に某大手総合商社 役員が勤務先に来社する為、その対応
 12月04日(金):勤務先取引銀行の役員が勤務先に来社する為、その対応
 12月05日(土)~06(日):賢人会旅行(中嶋Y行【3-2】&谷山K【3-3】両氏)との城跡&史跡巡り〔日光&川越城址・川越城下町逍遥〕
 12月09日(水):手島龍一講演会〔名古屋〕→名古屋ボストン美術館『Venezia』展
 以上、これ等の芸術関連の内容については、仕事の件を除いて、順次次号以降の《会報》blogにてご紹介していく予定です
 お楽しみに!
 ではまた‥。(了)

2015年11月19日 (木)

【時習26回3-7の会0575】~「11月14日:加藤栄三・東一記念美術館『加藤栄三・東一/絵画に描かれた鵜飼』展&岐阜県美術館『もうひとつの輝き‥最後の印象派/1900-20's Paris』展&徳川美術館『全点一挙公開‥国宝 源氏物語絵巻』展を見て」

■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です。
 さぁ、今日も【2637の会 0575】号をお送りします。
 今週は、前《会報》【0574】号にてお話した様に、11月14日:加藤栄三・東一記念美術館『加藤栄三・東一/絵画に描かれた鵜飼』展&岐阜県美術館『もうひとつの輝き‥最後の印象派/1900-20's Paris』展&徳川美術館『全点一挙公開‥国宝 源氏物語絵巻』展を見て来ましたので、その模様についてお届けします。
 尚、その日は、4つ目の美術館としてトヨタ記念館・鞍ヶ池ArtSalon『油彩と膠彩(こうさい)日本の画(え)-洋画と日本画にみる和の心』も10月24日以来の二回目ですが見て来ました。
 が、これは《会報》【571】号にてご案内済ですので今回は割愛します。

■先ず最初に訪れたのは、岐阜公園内の金華山ropeway乗り場直ぐ傍にある「加藤栄三・東一記念美術館」である。
 翌15日が最終日を迎える企画展『加藤栄三・東一/絵画に描かれた鵜飼』展が開催されていたからである。

【加藤栄三・東一記念美術館『加藤栄三・東一/絵画に描かれた鵜飼』展】
 加藤栄三・東一記念美術館については、《会報》【0433】号にて2013年02月16日に、《会報》【549】号にて2015年05月17日に訪れてことをお話している。
 だから、今回は詳しい話は省略させて頂く。
 加藤栄三・東一兄弟が描いた『鵜飼‥総がらみ』の絵は人気が高く、当美術館の受付の女性が「『総がらみ』を楽しみに来館される人も多い」と話していた。
 確かにいい絵である。
 添付写真[10][11]をご覧頂ければお解りの様に、勇壮且つ鮮やかな色彩で見る者を魅了する。

[01]本展leaflet(部分)
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[02]金華山岐阜城遠望
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[03]加藤栄三・冬一記念美術館leaflet(部分)
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[04]加藤栄三(1906-1972)略歴
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[05]加藤東一(1916-1996)略歴
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[06]加藤栄三『虹立つ』
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[07]同『鵜』
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[08]同『鵜飼』
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[09]同『鮎』
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[10]同『鵜飼(総がらみ)』
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[11]同『篝映』
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[12]加藤東一『総がらみ』
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【小生comment】
 「鵜飼」の絵を描くことについて、加藤栄三は、大先輩の川合玉堂に訊ねたことがある。
 その時川合玉堂は、「先ず「鵜」は「鵜」だけを、「鵜匠」は「鵜匠」だけを習いなさい。そう遣って描いていれば自然と上手く描ける様になる」と言ったそうだ。
 「鵜飼」の絵は、長良川・木曽川河畔出身の日本画の巨匠の「川合玉堂(1873-1957)」→「前田青邨(1885-1977)」→「加藤栄三(1906-72)&東一(1916-1996)」と受け継がれて来た。
 『鵜飼』の絵‥なかなかいいですね。
 『鵜飼』企画展も、会期末前日だったが、確り見ることが出来て良かった。

【岐阜県美術館『もうひとつの輝き‥最後の印象派/1900-20's Paris』展】
 一方、岐阜県美術館の企画展は、訪れた11月14日10時20分は、当該企画展の初日で、開会式が終了した直後で賑わっていた。
 本展について、主催者に拠る「ごあいさつ」から引用してご紹介する。

 1900年、史上最大級の万国博覧会が華やかにopenし、ベル・エポック(belle époque =良き時代)と呼ばれ Paris が最も華麗だった時代、「画家彫刻家新協会(ソシエテ・ヌーヴェル)」が結成された。〔中略〕
 その活動の担い手は、印象派に遡ることが出来る19世紀France美術を直接継承する最後の世代に当たり、言わば「最後の印象派」と称されるべき一群の芸術家達である。
 本展は、近年Franceでもその再評価が目覚ましいこのソシエテ・ヌーヴェルを主題的に紹介する日本で最初の展覧会である。

 又、本展図録の「序」(ひろしま美術館学芸部長の古谷可由氏筆)は次の様に締め括っている。

 ソシエテ・ヌーヴェルのmembers達は、印象派を受け継いで更なる改革に邁進して来たと考えられる。
 しかし一方で、fauvisme や cubisme、surrealism、抽象絵画等、より革新的な modernism が、時代や美術界を覆い尽くし、彼等は、時代に取り残される形で、忘れられていく運命にあった。
 事実、20世紀も終わり、漸く近年になって再評価される迄、美術史の前面に出ることもなく、それ故正しく評価も、又議論もされることなく、取り残されて来た。
 本国Franceを始め、〔中略〕一部 collector の間で人気を保ってきた米国や英国、更には明治末から大正期にかけて同時期に盛んに紹介されていたにも拘らず France 同様に完全に忘れ去られた日本においても、今後の研究が期待される。

 それでは、「最後の印象派」の名画の数々をとくとご覧戴きたい。

[13]岐阜県美術館入口
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[14]本展leaflet
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[15]Edmond Aman-Jean(1858-1936)『囚われの女(La Captive)』1913年
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[16]Ernest Laurent(1859-1929)『後ろ姿の裸婦(Nu de dos)』1912年
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[17]Henri Martin(1860-1943)『野原を行く少女』1889年
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[18]Henri Le Sidaner(1862-1939)『(Le Dimanche)』1898年
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[19]同『モントルイユ=ベレー、窓辺』1914年
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[20]同『コンコルド広場』1909年
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[21]同『赤色のテーブルクロス』1931年
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[22]同『テーブル、白の調和』1927年
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[23]Frits Thaulow(タウロヴ)(1847-1906)『川沿いの集落』1895年
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[24]Lucien Simon(1861-1945)『リュクサンブール公園の午後(Apres midi au Luxembourg)』制作年不詳
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[25]Andre Dauches(ドーシェ)(1870-1948)『レスコニーユの街はずれ(Coin de Lesconil)』1928年
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[26]Enile-Rene Menard(メナール)(1862-1930)『自然公園の中の川の精ナイアス』1895年
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[27]Emile Claus(1849-1924)『リス川の夕陽』1911年
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[28]同『私の庭(Mon Jardin)』1922年
 28emile_clausmon_jardin1922

[29]Jacques-Emile Blanche(ブランシュ)(1861-1942)『モーリス・ボレル夫人(Madame Maurice Borel)』1894年
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【小生comment】
 各画家達の生年をご覧戴きたい。
 ソシエテ・ヌーヴェルのmembers達は、1850年~60年代半ばの生まれである。
 一方‥印象派(impressionism)は、Pissarro(1830年生)、Cezanne(1839年生)、Sisley(同左)、Monet(1840年生)、Renoir(1841年生)‥の様に1830~40年代
 また‥野獣派(fauvism)は、Matisse(1869年生)、Vlaminck(1876年生)、R.Dufy(1877年生)、〔Derain(1880年生)、Braque(1882年生)→cuvismへ〕
 キュビズム(cubisume)は、Picasso(1881年生)、レジェ(Leger(同左))、Gris(1887年生)
 シュルレアリスム(surrealism)は、Giorgio de Chirico(1888年生)、Ernst(1891年生)、Magritte(1898年生)‥の様に1860年代末~19世紀末
 即ち、ソシエテ・ヌーヴェルのmembers達は、「印象派」と「アバン-ギャルド((avant-garde)=芸術革新運動)のfauvism・cubisum・Surrealism」の狭間に位置する。
 其処で、ある意味必然的に忘れ去られる運命にあったと言える。
 でも、本展の絵画をご覧頂いた様に、美しいものは時代を超えて後世に残るものである、ということを改めて教えてくれた。
 名画っていいでヨネ!^-^)b

【徳川美術館『全点一挙公開‥国宝 源氏物語絵巻』展】
 その日3つ目に訪れたのが、平成15年初め迄10年近く住んだ名古屋市東区徳川にある社宅の直ぐ傍にある徳川美術館である。
 本展も岐阜県美術館同様、丁度開催初日であった。
 尚本展は、現存する「国宝/源氏物語絵巻」の全てを一挙公開する貴重な企画展である。
 結構沢山の見学者が来ていた。
 小生、まだ「源氏物語」は現代訳本ですら、殆ど読んでいないので今回 comment するのは控えたい。

[30]徳川美術館西側にある「黒門」
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[31]「黒門」横にある徳川園&徳川美術館の案内看板
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[32]徳川美術館正面
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[33]本展leaflet「表」
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[34]同上「裏」
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[35]国宝 源氏物語絵巻「15 蓬生(よもぎう)」第三紙(部分)
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[36]国宝 源氏物語絵巻「36 柏木一 絵」第三紙(部分)
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[37]国宝 源氏物語絵巻「49 宿木三(やどりぎ三)」絵
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【小生comment】
 主催者曰く、「『源氏物語』の絵画化は、その成立当初間もない頃から行われていたとみられているものの伝わっておらず、本絵巻は現存する作例としては最も古く、12世紀前半に白河院・鳥羽院を中心とした宮廷Salonで製作されたと考えられている」という。
 本展は、雅な世界を垣間見ることが出来た貴重な展覧会であった。
 ただ、同じ日本人であり乍ら、描かれている仮名文字が芸術的(?(笑))に崩れされていて、浅学の小生には皆目解読出来なかったのは残念に思った。

■今日最後の話題は、ハンナ・アーレント著『全体主義の起源‥Ⅲ全体主義』についてである‥と行きたい処であったが、今週のtime limitが来て仕舞った。
 実は、以下の様に、今晩からscheduleが満載で《会報》を綴っている時間がないのである。
 11月19日(土)18時45分~:愛知県芸術劇場concert hall にて「イツァーク・パールマン Violin Solo Recital」
 11月20日(金)~22日(日)〔3日間=終日〕:「『富山』→『高岡』→『金沢』視察旅行」
 11月23日(祝月):「湖東三山のうち『西明寺』」「彦根城『玄宮園』」「佐川美術館」巡り

 ハンナ・アーレント著『全体主義の起源‥Ⅲ全体主義』は、『全体主義の起源‥Ⅰ反ユダヤ主義/Ⅱ帝国主義/Ⅲ全体主義』の最後を飾る大作。
 今読んではいるが、極めてlevelの高い論述で「緒言26頁/本文324頁」を一週間弱の余暇の時間では読了出来なかった。
 其処で今日は、如何に本書の index だけ記して置く。
 内容については、《会報》次号か次々号でお伝えしたいと思っている。

※ 緒言〔iii〕
※ 第一章/階級社会の崩壊〔P.01〕
 1. 大衆 / 2. モッブとエリットの一時的同盟
※ 第二章/全体主義運動〔P.63〕
 1. 全体主義のpropaganda / 2. 全体主義組織
※ 第三章/全体的支配〔P.141〕
 1. 国家機構 / 2. 秘密警察の役割 / 3. 強制収容所
※ 第四章/ideologyとテロル〔P.268〕
※ epilogue〔P.301〕

【後記】今日は、久し振りの晩唐の詩人 杜牧(803-52)の「山行(さんこう)」をご紹介してお別れしたい

   山行    杜牧

 遠上寒山石径斜
 白雲生処有人家
 停車坐愛楓林晩
 霜葉紅於二月花

 遠く寒山に上れば 石径斜めなり
 白雲生ずる処 人家有り
 車を停(とど)めて坐(そぞろ)に愛す楓林(ふうりん)の晩(くれ)
 霜葉は二月の花よりも紅なり

【意】遠く、ものさびしい山に登っていくと、石の多い小径が斜めに何処迄も続いている
 すると、遥か上の白雲が湧きあがっている辺りに人家が見える
 坐(そぞろ=何とは無し)に車を停め、夕陽に映える楓の林の景色の美しさに思わず感動する
 晩秋の霜に染まった杠葉(もみぢ)の葉は、春の盛りの二月に咲く花(=桃花)よりも、更に真紅に輝き鮮やかだ

【小生comment】
 今年は11月になって急に寒さが厳しくなった為か、紅葉が赤くならずに一挙に枯れた様な茶色に見える
 此処で拙句が浮かんだ‥

 晩秋に 化粧忘れし 紅葉(もみぢ)かな  悟空

 話は変わります。
 11月17日の夜、豊橋駅東口を通りかかったら、illumination の decoration が綺麗に輝いていたので写真に収めた。
 豊橋市の mascot character「トヨッキー」君が赤く可愛く見えた
 キモキャラ日本一の岡崎市の「オカザえもん」より「トヨッキー」君の方が断然イイ!(笑)

[38]豊橋駅前の illumination の decoration
 38_illumination_decoration

 ではまた‥。(了)

2015年11月15日 (日)

【時習26回3-7の会0574】~「11月07日:豊橋市民文化会館『気まぐれconcert(その23):〔ウィーンフィル 第1concertmaster(1971年~)=ウィーンの至宝が奏でる世界最高峰の音色=〕ライナー・キュッヒル/Violin Recital』を聴いて」「Walter Barylli著(岡本和子訳)『ウィーン・フィルとともに(Ein Philharmoniker Einmal Anders)〔ワルター・バリリ回想録〕』を読んで」

■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です。
 さぁ、今日も【2637の会 0574】号をお送りします。
 今週は、多くのClassic音楽fanから絶大な高い評価を頂いているウィーン・フィル関連の話題をお届けします。
 暫くお付き合い下さい。

■先ずウィーン・フィルについての最初の話題は、先週の11月07日(土) 当地豊橋大池河畔の豊橋市民文化会館小ホールにて開催された素晴らしい violin recital の模様からお伝えする。
 独奏者はウィーン・フィルの現役の第1 concertmaster ライナー・キュッヒル(Rainer Kuechl(1950- ))氏。
 Kuechl氏は、1971年から現在迄足掛け45年間 ウィーン・フィルの第1 concertmaster を務め続けている。
 掛け値なしの正真正銘の超一流の violinist である。
 調べてみたら、ウィーン・フィルのconcertmasterは、1842年に同楽団創立以来、2015年11月現在で23人。
 Kuechl氏は、現在4人いるconcertmasterの中の最年長者。
 氏は、歴代でいうと17人目の concertmasgter になる。
 因みに、就任時の1971年には、今日二つ目の話題でお伝えするWalter Barylli(1921- )氏(歴代12人目)が現役奏者でいた。

[01]本演奏会program
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 Rainer Kuechl氏の略歴は以下の通り。

 1950年 Austria ワイドホ―フェン・アン・デア・イプス市に生まれる
 1967年 solo活動開始
 共演したorchestraは、ウィーフィル、ウィーンSO、ドレスデン国立歌劇場O、NHK響等多数
 同じく指揮者では、アヴァド、べ―ム、バーンスタイン等と共演
 1971年 ウィーンフィル、ウィーン国立歌劇場管弦楽団のコン・マスに就任
 1982年 ウィーン国立音楽アカデミー(現・ウィーン国立音楽大学)教授に就任
 1985年 ザルツブルク州知事より金功労勲章受章
 1988年 Austria共和国より学術・芸術に対するAustria名誉十字勲章受章
 1992年 英国Buckingham宮殿にてCharles皇太子&ダイアナ妃主催の Sir. G.ショルティ80歳誕生partyにて御前演奏
 1994年 Austria共和国に対する功績として共和国より大名誉勲章受章
 1995年 ジュネーブにおける国連50周年記念式典 及び 1998年長野冬季五輪にて世界代表concertmasterを務める
 2001年 ウィーンフィル創立以来、現役のconcertmasterとしては初めてウィーン国立歌劇場の名誉会員に選出
 2010年 川崎市より市の名誉国際親善大使に任命/同年11月日本政府より旭日中受章受章
 現在、ウィーンフィル、ウィーン国立歌劇場管弦楽団、ホ―フブルグカペレの夫々第1concertmaster/ウィーン国立音楽大学教授/キュッヒル弦楽四重奏団、ウィーン・リングアンサンブル leaderを務める

 又、本concertのPiano伴奏&独奏者 ステファン・シュトロイスニック(Stefan Stroissnig(1985- ))はウィーン生まれ。
 7歳でPianoを始め、11歳でsolo活動を開始。
 ザルツブルク音楽祭をはじめ数々の主要音楽祭に参加。
 演奏活動の傍ら、グラーツ国立音楽大学(Austria)にて教鞭を執っている
 〔以上、本programより引用〕

【 PROGRAM 】

※ フリッツ・クライスラー(Fritz Kreisler(1875-1962)
 ウィーン奇想曲(Caprice Viennois)
 中国の太鼓(Tambourin Chinois)
 ロンドンデリーの歌(Londonderry Air)
 愛の悲しみ(Liebesleid)
 愛の喜び(Liebesfreud)
 美しきロスマリン(Schoen Rosmarin)

※ フランツ・シューベルト(Franz Peter Schubert(1797-1828))
 即興曲 変ロ長調 D.935-3(Impromptu B-Dur D.935-3)〔Piano Solo〕

※ ヨハン・セバスチャン・バッハ(Johann Sebastian Bach(1685-1750))
 無伴奏ヴァイオリン・パルティ―タ第2番 ニ短調 BWV1004より〔violin solo〕
  第5曲 シャコンヌ(Chaconne)

※ ヨハネス・ブラームス(Johannes Brahms(1933-97))
 ヴァイオリン・ソナタ第3番 ニ短調 Op.108(Violin Sonata No.3 in d minor Op.108)
  第1楽章 アレグロ
  第2楽章 アダージョ
  第3楽章 ウム・ポコ・プレスト・エ・コン・センティメント
  第4楽章 プレスト・アジタート

※ アンコール
 アントニン・ドボルザーク(Antonin Dvořák)(1841-1904)/スラブ舞曲第2番 ホ短調 Op.72-2
 リヒャルト・シュトラウス(Rchard Strauss(1864-1949))/楽劇『薔薇の騎士』よりwaltz
 ヨハネス・ブラームス(Johannes Brahms)/Hungary舞曲第5番 嬰ヘ短調
 ジャン・シベリウス(Jean Sibelius(1865-1957))の作品より〔但し、作品名不詳〕

【小生comment】
 本concertは、「ウィーンフィルが大好き」という地元の企業owner小川恵司氏の尽力により実現出来ている極めて希有な素晴らしいconcertである。
 Concertの冒頭に、主催者の小川氏の挨拶があり「夢に迄見た、キュッヒル氏をお招出来てこんな嬉しいことはありません!」と感を極められお話されていたが、その通りだと思う。
 当地豊橋という地方都市に、ポップ界で言えば、マイケル・ジャクソンやポール・マッカートニーを招聘する様なものだからだ。
 ウィーン・フィルに於ける小川氏の実力というものを改めて実感した次第である。
 休憩の時間だったか、小川氏がホール内を回られ、小生の所の前を通り過ぎ様とした時、小生は小川氏に声を掛けた。
 キュッヒル氏の招聘を実現した氏の尽力への感謝の気持ちと、本演奏会のprogramの選曲の素晴らしさについてを!
 正直な話、program全曲がゾクゾクする程の名曲ばかりで感動し、演奏への期待が高揚した。
 そしてその期待は現実のものとなった。ホント、素晴らしい演奏であった。
 導入曲のフリッツ・クライスラー小品6曲を聴いた途端「あぁ、最高だ!」の高揚感を体現した。
 小生、クライスラー自身に拠るSPレコードをCDに覆刻した素晴らしい名演奏を此処四半世紀かけて百回以上聴いている。
 この日は、クライスラー自身の演奏と間違えて仕舞う程の名演奏を聴けたのである。
 フリッツ・クライスラーが弾いた6曲‥。
 全て珠玉の名曲であるが、何といっても「愛の悲しみ」「愛の喜び」はviolin小品の至宝と言っていいだろう。
 又、J. S. Bachの無伴奏Violin パルティ―タ第2番の最終楽章のシャコンヌの演奏も完璧で、感動の極みであった。
 当地豊橋の聴衆は、各曲の終了後の拍手は一回通りしかしなかった。
 其処で小生、Bachのこの曲の終了後にKuechl氏を呼び出そうとして、又、感動の余り勢いも手伝って一人拍手をし続けた。
 すると、キュッヒル氏も意気に感じてくれたのか、二度目の挨拶と共に、後半の数分を正にencore演奏で応えてくれたのである。
 そして、最後の演奏曲目のBrahmsのViolin Sonata No.3も気品のある素晴らしい演奏であった。
 ウィーンフィル実力№1のコン・マス キュッヒル氏の演奏を、前から7列目の真ん中の席から間近に聴け、至高の高揚感を覚えた素晴らしい演奏会であった。

■今日最後の話題は、上記 Rainer Kuechl氏の演奏会を聴いたので、氏と同じウィーンフィルのコン・マスを務めた Walter Barylli氏の「回想録」を暫く前に買っていたので、読んでみた。
 『ウィーン・フィルとともに(Ein Philharmoniker Einmal Anders)〔ワルター・バリリ回想録〕』という名の本である。

 先ずは、Walter Barylli氏の略歴からご紹介する。
《略歴》
 1921年 06月16日 出生
 1925年(04歳) 叔父 Karl Barylliから初の violin の手ほどきを受ける
 1936年(15歳) 05月 ミュンヘン、バイシャーホーフにて debut 公演
 1939年(18歳) 夏 初めてザルツブルク音楽祭に参加/ウィーン・フィル concertmasterに就任
 /12月30-31 クレメンス・クラウスが最初の「ウィーン/The New Year Concer」を指揮
 /以後、1941-45、1948-54年、毎年元旦に指揮する
 1943年(22歳) バリリ四重奏団結成/カール・ベームがウィーン国立歌劇場総監督に就任(1943-45)
 1945年(24歳) 04月27-28日 戦後初のウィーン・フィル公演(於:ウィーンコンツェルトハウス/指揮 クレメンス・クラウス)
 /09月29日 リリアン・ファイヤーと結婚
 1949年(28歳) リリアン・ファイヤーと離婚
 1951年(30歳) 08月13日「新生」バリリ四重奏団 ザルツブルク音楽祭 debut
 /(Barylli以外全員が旧シュナイダーハン四重奏団のmembers)
 1953年(32歳) 06月27日 エルザ・ハラーと再婚
 1954年(33歳) ヴィルヘルム・フルトヴェングラー死没後、カール・ベームが再び国立歌劇場総監督に就任(-1956)
 1956年(35歳) ヘルベルト・フォン・カラヤンが国立歌劇場総監督に就任(-1964)
 1957年(36歳) 10月15日~12月23日 バリリ四重奏団世界tour〔北米・カナダ・日本〕
 /12月11日~ バリリ四重奏団 日本公演
 1959年(38歳) バリリ四重奏団のザルツブルク音楽祭における最後の公演
 1967年(46歳) Barylli ウィーン・フィルの楽団長に就任
 1969年(48歳) ウィーン市立音楽院教授に就任
 1973年(52歳) ウィーン・フィル退職
 1986年(65歳) 教職を退き、ウィーン楽友協会理事に就任
 2001年(80歳) ウィーン・フィルに同行して来日

[02]Walter Barylli著(岡本和子訳)『ウィーン・フィルとともに(Ein Philharmoniker Einmal Anders)〔ワルター・バリリ回想録〕
 02walter_barylliein_philharmoniker_

[03]Violin Solistとしてdebutした当時のBarylli 1936年(15歳)
 03violin_solistdebutbarylli_193615

[04]ウィーン楽友協会大hallにて『第1回ウィーン・フィル・New Year Concert(1939年12月30~31日)を指揮するクレメンス・クラウスとその年にconcertmasterに就任したBarylli(=クラウスの向かって右側)
 04hallnew_year_concert1939123031con

[05]ウィーン楽友協会大hallにて指揮するフルトヴェングラーと彼の直ぐ右側の席で演奏するconcertmasterのBarylli
 05hallconcertmasterbarylli

[06]ヴィルヘルム・フルトヴェングラーと共に‥Salzburg の モーツァルテウムにて(1939-44の8月)
 06salzburg_1939448

[07]初代バリリ四重奏団(ワルター・バリリ/ワルター・ウェラー/アルフォンス・グリューンベルク/ヘルマン・フォン・ベッケラート)1943年2月頃~45年
 071943245

[08]ウィーン・フィルを指揮するカール・ベーム(左)とconcertmasterのBarylli(右)
 08concertmasterbarylli

[09]第二次バリリ四重奏団(ワルター・バリリ/ヴォルフガング・ポドゥシュカ/アルフォンス・グリューンベルク/ハンス・チェッカ)1945~51年
 09194551

[10]ムジークフェライン(楽友協会)四重奏団=第三次「新生」バリリ四重奏団(ワルター・バリリ/オットー・シュトラッサー/ルドルフ・シュトレンク/リヒャルト・クロチャック)1951年8月~59年(了)
 101951859

[11]1957年12月12月東京公演にて皇太子(=現 今上天皇)(左)とBarylli(右から2人目)
 1119571212_barylli2

[12]1957年12月東京公演の合間に東京の街角に佇むBarylli
 12195712barylli

[13]名作曲家&指揮者 Hindemidt(1895-1963)(左)と談話する Barylli(中) とヨゼフ・シーヴォ(右)(1963.11.10)
 13_hindemidt18951963_barylli_196311

[14]3人のconcermasters(ヴィリー・ボスコフスキー(1939-70)、ワルター・バリリ(1939-72)、フリッツ・ゼドラック(1945-65))と歓談する Herbert von Karajan 1965年頃
 143concermasters193970193972194565_

[15]度々共演したレナード・バーンスタイン(左)は、ウィーンの我家に遊びに来たこともある(1960年代中頃)
 151960

[16]2001年 東京でウィーン・フィルの第1 concertmaster Rainer Kuechl(右)(1971- (1950生まれ))と遭遇
 162001_1_concertmaster_rainer_kuech

[17]武田倫子『ウィーン謎解き散歩』
 17

[18]ウィーン楽友協会とコンチェルトハウスの音響効果の違いとは(2-1)
 1821

[19]同上(2-2(完))
 1922

[20] Barylli String Quartet & Barylli Violin Solo 作品集
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[21]ロリン・マゼール指揮ウィーン・フィル『マーラー交響曲全集 No.1-10』& ウィーン New Year Concert The Complete works
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【小生 comment】
 ワルター・バリリは1921年Wienに生まれた。
 オーストリアは、ハプスブルク帝国が第一次世界大戦に敗れ崩壊して三年。
 国力は極めて弱かった時代であった。
 退役軍人だったワルターの父親は、Wienにて小さな食料品店を開いたが、貧しい生活が続いていたという。
 そんな中でも、ワルターの両親は音楽への理解が深かったことが彼の人生を方向付けた。
 それは、国立音楽アカデミーで violin を習っているバリリの叔父にカール・バリリがいたことだ。
 その叔父カールが、ワルターの violin への関心の高さを見抜き violin を習わせることをワルターの両親に勧め、両親もそれに従った。
 時にワルター・バリリ04歳。
 ワルターの violin の腕はメキメキ上達し、15歳にはソロ活動を開始、18歳でついにウィーン・フィルの concertmaster の座を獲得。
 以後、1972年迄、33年間その座を確保すると共に 1943-59年の17年間は、バリリ四重奏団で活躍。

 話は変わる。
 添付写真[16]をご覧頂きたい。
 今日最初の話題にてご紹介した Rainer Kuechl 氏と Walter Barylli 氏が、2001年ウィーン・フィルの日本公演に来日した際撮影した two shots である。

 又、話は変わる。
 今度は、添付写真[20]をご覧頂きたい。
 この写真にある様に、バリリ氏は、録音にも積極的に関わり、モノラル録音乍ら数多くの名演奏を今に残してくれている。
 小生が、バリリ著『ウィーン・フィルとともに〔ワルター・バリリ回想録〕』を手に入れたのも、元はと言えば、バリリ四重奏団のW. A. Mozart の弦楽四重奏曲や violin sonata 集が好きで、ウェストミンスター レーベルのCDを何枚か持っていたからでもある。
 Walter Barylli は、流石に超一流の solist であり、世界最高の orchestra のconcertmaster である。
 親交を重ねた作曲家や指揮者達も、添付写真[04]~[15]にある様に、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、クレメンス・クラウス、カール・ベーム、パウル・ヒンデミット、ヘルベルト・フォン・カラヤン、レナード・バーンスタイン等々、綺羅星の如き超一流人達ばかりである。

 添付写真[21]は、最近小生が座右に置き聞いているのが、いずれもウィー・フィルの演奏に拠る Box お徳用CD集である。
 具体的には、ロリン・マゼール指揮ウィーン・フィル『マーラー交響曲全集 第1番~第10番』14枚組 及び、『ウィーン New Year Concert The Complete works』23枚組。なかなかの名演揃いである。

【後記】
 以下は余談である。
 手許に、武田倫子著『ウィーン 謎解き散歩』(添付写真[17])と言う文庫本がある。
 同書の中からご紹介するのは「08/ウィーン楽友協会とコンツェルトハウスの音響効果の違いとは?」についてである。
 『ウィーン楽友協会』は、ウィーン・フィルの定期演奏会場で「The New Year Concert 」会場として知られるは1870年開場(添付写真[18])。
 一方、『ウィーンコンツェルトハウス』は、1913年開場(添付写真[19])。
 楽友協会は、全体を包み込み吸収し乍ら、ふんわりと広がる空間。微妙な nuance を出すウィーン・フィルにピッタリの会場。
 片や、コンツェルトハウスの大 hall は、より音響が奥に広がる感じがある。
 小生も、死ぬ迄には一回でいいので、『ウィーン楽友協会』と『ウィーンコンツェルトハウス』、そして『ザルツブルク音楽祭』に行って名曲の数々を実際に聴いてみたい。
 これが小生の『夢』である。

 昨日、4つの美術館巡り〔加藤栄三・東一記念美術館・岐阜県美術館・徳川美術館・トヨタ記念館 鞍ケ池アートサロン〕を巡って来た。
 その最初に訪れた「加藤栄三・東一記念美術館」がある岐阜公園の紅葉(添付写真[22])と落葉(同[23])が綺麗だった。
 以下に即興の拙句をご紹介してお別れする。

 秋深し 名曲・名画 今此処に 悟空

[22]晩秋の趣深岐阜公園
 22

[23]岐阜公園での紅葉した落葉1
 231

[24]同2
 242_2

 では、また‥。(了)

2015年11月 6日 (金)

【時習26回3-7の会0573】~「10月31日:一宮市三岸節子記念美術館『土田麦僊』展 & メナード美術館『美しいとき、美しいひと』展を見て」「あかみちクリニック院長 田中旨夫著『 97歳 現役医師が語った 体の整え方 』を読んで」

■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です。
 さぁ、今日も【2637の会 0573】号をお送りします。


■先ず最初の話題は、前《会報》に引き続き、10月31に巡って来た4つの美術館の後半の2つの美術館についてである。
 一宮市三岸節子記念美術館『土田麦僊』展 & メナード美術館『美しいとき、美しいひと』展についてお伝えする。

【 一宮市三岸節子記念美術館『土田麦僊』展 】
 本展は、一宮市の呉服商『美濃勘』の主人で文人の野村一志(=本名:勘十郎)(1882-1963)が、支援続けていた日本画家 土田麦僊(1887-1936)を中心に、野村が麦僊の他に支援していた画家達の作品も合わせた企画展である。
 土田麦僊の画業の中でも重要な作品の一つである『罌粟』(1929年/宮内庁三の丸尚蔵館蔵)は、野村一志の招きにより一宮の芥子畑で描かれた sketch をもとに制作された。〔以上、本展leafletより引用〕

《企画展「一宮の文人 野村一志と土田麦僊 を巡る画家達」展》
[01]一宮市三岸節子記念美術館 入口
 01

[02]土田麦僊
 0218871936

[03]本展leaflet
 03leaflet

[04]土田麦僊『芥子』1926年
 041926

[05]同『罌粟(けし)』1929年〔右〕
 05_1929

[06]同『罌粟』1929年〔左〕
 06_1929

[07]小松均(1902-89)『夏山』1957年
 071902891957

《三岸節子/常設展》
[08]三岸節子『アンダーソンの壺と小鳥』1951年
 081951

[09]同『Spainの白い町』1972年
 09spain1972

[10]同『イル・サンルイの秋』1987年
 101987

【小生comment】
 野村一志は、土田麦僊の patron だけでなく、土田の友 小野竹喬(1889-1979)や、麦僊が師事した竹内栖鳳(1864-1942)の門下生や、麦僊が設立者のひとりとなった国画創作協会(=国展)の画家達を生涯に亘って支援し続けたという。
 野村氏は、日本画壇の篤志家と言ってもいい。
 我々は、彼のお蔭で、日本画の名画をこうして鑑賞できる訳だから、本当に有難いことである。

【 メナード美術館『美しいとき、美しいひと』展 】
 本展は、「メナード美術館コレクション名作展2015」という副題にある様に、当美術館所蔵品展である。
 なので、工芸品を含め84点が出品されているうち、かなりの作品を既に何度か見ている。
 しかし、傑作というものは、何度見ても飽きが来ないから不思議である。

[11]メナード美術館 入口
 11

.
.
.
.

[12]本展leaflet
 12leaflet

[13]Gustave Moreau(1826-1898)『サロメの舞踏』1976年頃
 13_gustave_moreau1826981876

[14]藤田嗣治(1886-1968)『横たわる裸婦』1927年
 14188619681927

[15]佐伯祐三(1898-28)『街角の広告』1927年
 15189819281927

[16]小林古径(1883-1957)『八重山吹(瓶花)』1941年
 16188319571941

[17]香月泰男(1911-74)『椿』1950年
 171911741950

[18]福田平八郎(1892-1974)『林檎』1956年
 18189219741956

[19]Rune Magritte(1898-1967)『宴』1957年
 19_rune_magritte189819671957

[20]田渕俊夫(1941- )『大地悠久・雲海富士』2004年
 201941_2004

【小生comment】
 添付写真の絵の他にも、上村松園『美人詠歌図』、橋本明治『銀扇』、Maurice de Vlaminck『雪景』、キスリング『花束』、国吉康雄『ピンクスリップの少女』、安井曾太郎『薔薇図』、須田国太郎『池の畔の鳥』、三岸好太郎『道化と馬』等は、いつも見る度に新しい感動を与えてくれる。
 年に数回ある企画展の殆ど全てを見ているので、メナード美術館は大変身近に感じる美術館である。

■今日最後の話題は、最近読んだ、あかみちクリニック院長 田中旨夫著『97歳 現役医師が語った 体の整え方』についてである。
 本書は、実際に97歳で現役の医師として活躍している田中旨夫氏の「長寿の秘訣」の essay である。
 目新しい話はなかったが、現実に97歳とは思えない程若々しい田中氏が実践している日々の事柄を解り易く教えてくれている。
 其処で、本書の Index を以下にお示しする。
 尚、各 index の末尾に 参考として「→【小生の実践状況】」をお示しした。
 
※ まえがき

第1章/老いを知らずになる体の整え方
01 健康のコツは simple な習慣にある
 ・simple とは、実践するのが簡単ということ
 ・本当の健康とは、沢山の良い習慣が掛け算の様になって生まれるもの、という image
02 規則正しい生活は長寿の秘訣
 ・規則正しい生活に拠り、良い rhythm をつくることは、健康で長生きをするには絶対に必要な条件
03 毎日40分の昼寝をする
 ・整理活動の活性が低下する午後に少しでも仮眠をとると、疲れがとれ作業の効率が上がる
  →【 実行中/毎昼食後15~20分の仮眠をとっている 】
04 太陽の光を一日15分浴びる
 ・①体内時計を正しく整える
  ②脳内神経伝達物質のserotonin の働きを活発化
  ③Vitamin Dを作り calcium やリンの吸収を助け、骨の形成を促す効果
  ④がん予防の効果(=太陽の光を浴びると体温が上がり免疫力も上がる)
  →【 実行中/毎日の自転車通勤@20分で毎朝実施中 】
05 水素水を一日に2リットル飲む
 ・いい水は、身体に damage を与える活性酸素をなくす
  →【 実行中/水素水でなくAlkali ion 水だが、2~3リットル/日飲み続けている 】
06 毎日30分の散歩をして、足腰を鍛える
 ・老人は筋力を使わないと直ぐに歩けなくなるので、継続して足腰を鍛える必要がある
  →【 実行中/何れも負荷の軽い、腹筋1,200回/日 と木刀素振り60分/日 】
07 枕を使わないで寝る
 ・加齢に拠り腹筋や背筋の衰えが進み猫背になるのを防ぐ
  →【 実施中/上記 腹筋と木刀素振り 】
08 毎朝5分、足腰の体操をする
 ・体を柔らかく保つことは健康の必要条件←柔らかな体は、血流がよくなり、代謝も活発に
  →【 実施中/①腰回転72回/日
         ②四股踏36回/日
         いずれもDumb-bell 10kg×2 を持って‥
         ③squat 100回/日
         ④踵を床に付けない踵の上下運動 1,200回/日 】
09 運動でもなんでも「ほどほど」がいい
 ・お酒も stress も全く「ない」という状態より「いい加減」「ほどほど」に「ある」方が健康長寿の key word
  →【 概ね実施中 】

第2章/なぜ病気のほうから逃げていくのか?
10 毎日15種類以上の野菜を摂る
 ・野菜には、がん、高血圧、脳卒中、心筋梗塞等の生活習慣病を予防する上で効果的な栄養素(Vitamin・mineral、食物繊維・ポリフェノールといったファイトケミカル等)が豊富
  →【 実施中 】
11 粗食をしない
 ・肉に含まれる血清アルブミンは老化を防ぐ効果あり
  →【実施中/青魚肉、鶏肉、豚肉を適度に摂取中】
12 甘いものは一切食べない
 ・血糖値上昇のリスク
  →【実施中】
13 Yoghurt、cheese、納豆などの発酵食品を毎日摂る
 ・発酵食品は、抗酸化成分を多く含み、免疫力を強める作用あり
  →【実施中】
14 Calciumを意識して摂る
 ・骨がもろくなることを防ぐ
  →【実施中】
15 Olive oil と coconut oil で体と脳の老化を防ぐ
 ・Olive oilは一価不飽和脂肪酸の構造を持ち、オメガ9脂肪酸のオレイン酸(=抗酸化作用を高めたりcholesterol 値低下を促進、又、整腸作用もある)が豊富
  →【概ね実施中(←Olive oilについて)】
16 週一回、薬膳 soup を飲む
 ・漢方薬の十全大捕湯入り
  →【未実施】
17 西洋医学に鍼灸を組み合わせた治療で成果を上げる
  →【‥】
18 鍼治療で、薬では治らなかった病気を治す
 ・鍼灸治療が効果があるのは、ツボを刺激することで、その人が持っている本来の自然治癒力が引き出され、それを高めるから
  →【‥】
19 病気で死にかけた体験を仕事に生かす
 ・32歳の時、結核を罹患
  →【‥/8歳の時小児結核制肺門リンパ腺炎を罹患】
20 89歳で末期がんが見つかるも、克服
 ・末期がんを克服し現在に至る
  →【‥/昨(2014)年末(59歳) 大腸癌で手術】

第3章/”やめる”だけで体が若返る習慣
21「体に悪い習慣」を「よい習慣」に変える
 ・体によくない習慣をよい習慣に変える方法の一つは「目標を高くしない」こと
  →【実施中(←腹筋・木刀素振り)】
22 長寿の人に共通するものがある
 ・①人間関係や趣味で生き甲斐を持つ ②海草・野菜・魚中心の食事 ③よく歩く習慣
  →【①②③実施中】
23 薬は必要最小限しか飲まない
 ・自然治癒力を高める
  →【実施中】
24 糖質制限はしないほうがいい
 ・高齢者の糖質制限は risk が高い
  →【概ね実施中(←白米を極力抑え玄米食へ変更済)】
25 塩分を減らして薄味に慣れる
 ・減塩すると素材の味に敏感になる
  →【実施中】
26 加工食品をなるべく口にしない
 ・体に悪いものを見極め、なるべく摂らない様にする
  →【概ね実施中(←fast foodは極力摂らない)】
27 トランス脂肪酸をとらない
 ・クッキー、クラッカー、パイ等口当たり良い食品を食べない
  →【概ね実施中】

第4章/常に上機嫌でいられる心の整え方
28 ゆとりのある生活は命取りになる
 ・体を甘やかさないからこそ、いつまでも元気でいられる
  →【実施中(←ex.腹筋は19年3箇月間毎日継続中)】
29 体の若さは気の持ちようで大きく変わる
 ・心と体は、想像以上に深い影響を及ぼし合っている
  =【田中氏の信条】前向きな心、理想を追い求める情熱、絶えない好奇心、新しいことに挑戦し続ける気概、不安を取り払う勇気‥いつもそんな気持ちで生きていきたいと思っている
  →【概ね実施中】
30 ボケ防止には楽しいことをするのが一番
 ・脳トレより、脳の刺激になる楽しいことをする‥読書・絵画・sports・短歌・写経、これは楽しいと感じられるものを長く続けることが一番ぼボケ防止
  →【実施中(←読書、絵画&classic音楽&漢詩鑑賞、俳句&短歌詠み、社寺仏閣&名勝庭園&城郭城跡巡り、blog作成etc.)】
31 多少の stress があるほうが長生きできる
 ・stressを溜めない思考の習慣を見に付ける=stressを受け流す術を見に付ける
  →【概ね実施中】
32 未知のことに挑戦することで自分の変化を楽しむ
 ・変化することは自分の中の可能性を見つけること
  →【概ね実施中(←趣味を中心に新しい分野へ挑戦中)】
33「あと10年は仕事をする」が口ぐせ
 ・現実的な目標を持つと、より前向きに生きられる
  →【実施中(←趣味を中心にいつも一流のモノに触れ、全人格成長実現に向けstep by step に注力中)】
34 自分の役割を意識する
 ・医者である前に人間であれ
  →【何らかの形で、社会に役立つ人間になるべく、研鑽と努力を続けていく】

※ あとがき

[21]あかみちクリニック院長 田中旨夫著『97歳 現役医師が語った 体の整え方』
 21_97

【後記】なかなかいい俳句を見つけた‥

 まだ男生かす晩成夜半(よは)の秋  雨宮抱星

 我々は還暦である
 まだ!「還暦」である
 平均余命も20年以上ある
 元気な一人前の男として、もう一旗あげてみたいものだ
 この句に触発されて一句‥

【詞書】還暦でさへ心持ち次第で「白秋」も若々しい「青春」になる‥

 還暦や 男生かさむ 夜半の秋  悟空

 お粗末さま‥(^^;;
 では、また‥。(了)

2015年11月 1日 (日)

【時習26回3-7の会0572】~「10月30日:【時習26回1-4の会】ミニミニクラス会 開催報告」「時習26回生卒業45周年記念懇親会の開催日時&場所が決定!」「10月31日:パラミタ・ミュージアム『近代西洋絵画名作』展 & 岐阜県美術館『小さな藤田嗣治』展を見て」「佐伯啓思著『さらば、資本主義』を読んで」

■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です。
 さぁ、今日も【2637の会 0572】号をお送りします。

■先ず最初の話題は、一昨日の10月30日の夜、本《会報》副題のある様に【時習26回1-4】ミニミニクラス会を開催した。
 本会は、実はそれに先立つ半月程前のこと、朋友中嶋Y行君【3-2】が、時習館高校【1-4】の classmate であった鈴木H男君【3-9】に豊橋駅で偶然会ったことに始まる。
 中嶋君とH男君も、忙しかった所為もあってその場では余り言葉を交わさなかったとのことだが、偶然、H男君の口から小生の【1-4】時代の愛称が飛び出て、「(○△=愛称)さんは元気に遣っているか?」と話題になったと、中嶋君が二人が遭った翌日小生に教えてくれた。
 そして、その際、中嶋君から、「H男君とも久し振りなので【時習26回1-4の会】ミニミニクラス会を遣らないか?」誘われたのである。
 中嶋君と勤務先が同じ薬剤師のお姉さんが、【1-4】時代の classmate の林K子さんである。
 で、H男君と中嶋君、林K子さんと小生の旧【1-4】のミニミニクラス会を、中嶋君の中学校時代の classmate が営んでいる「おさ田」で開催された。
 10月30日は、開催予定時間の午後06時00分過ぎには、全員集合。

 中嶋君が古い映画に滅茶苦茶詳しいので、映画の話題で結構盛り上がった。
 Classmate や同期生の近況、【1-4】では、河崎T久、鈴木T彦、村田Y三、山田H則の4人が既に鬼籍に入っている。
 小生も昨年暮に大腸がんで手術している。
 中嶋君が医師でもある。
 なので、話題は、当然『健康』のことも沢山出た。
 久男君は、静岡大学工学部でセラミック関連を教えているので、最近の学生の動向等についても、大変楽しく聞かせて貰った。
 とっても懐かしくて楽しい3時間半を過ごすことが出来た。
 それから、二次会として coffee break があったが、小生はかなり酔っていたので一次会で失礼させて頂いた。
 「これから職を離れたら、こういう気の置けない仲間達との語らいが楽しみになって来るナ」と実感したクラス会であった。
 ミニミニクラス会開催の翌日、三氏に御礼の mail を配信したら、林さんから嬉しい mail が届きましたので、ご本人のご了解も貰ったのでお披露目します。
 ホント、嬉しいですネ!^-^

 2015/10/31 21:14のメッセージ:

 今泉様、今晩は。メールありがとうございます。
 お写真を拝見していると、楽しいひとときが思いよみがえってきます。
 ありがとうございました。
 お体、お大事にして下さいね。

            林 拝

[01]【時習26回1-4の会】ミニミニクラス会 at おさ田 in 豊橋 20151030
 0126_at_in_20151030

[02] 同上 2
 0226_at_in_2015103022

■それから、「10月29日:時習26回生卒業45周年記念懇親会の日時が決定!」した旨、「東京不老会」の織田M幸さん【3-2】から「Facebook不老会」に以下の投稿がありました。
 場所は、「横浜」に決まりました。

 本日(【小生補足】10月29日)夜、黒柳R雄【3-10】幹事長より召集がかかり、4年後の卒業45周年記念同窓会の第1回幹事会が神楽坂にて開かれました。
 副幹事長、会計などの主な役割の他、以下のことが決まりました。〔中略〕

      記

 日時:2019年6月8日(土)〜9日(日)
 内容:横浜周辺のホテルにて宴会 〔後略〕

■さて続いての話題です。
 昨日10月31日は、車で4つの美術館を巡って来た。
 今日は、そのうち前半のパラミタ・ミュージアムと岐阜県美術館の模様をお伝えする。

 07時35分 拙宅発
 09時30分 パラミタ・ミュージアム(三重県菰野町)『近代西洋絵画名作』展
 12時05分 岐阜県美術館『小さな藤田嗣治』展
 13時10分 一宮市三岸節子記念美術館『土田麦僊』展
 14時20分 メナード美術館(小牧市)『美しいとき、美しいひと』展
 16時45分 帰宅

【パラミタ・ミュージアム『近代西洋絵画名作』展】
 本館は、2003年03月三重県菰野町に開館。
 2005年04月、財団法人岡田文化財団に寄贈され、同財団の美術活動の中核施設としての役割を担うこととなった。
 池田満寿夫の陶彫「般若心経series」を始めとする多彩なcollection群と、魅力溢れる企画展お両輪に、展覧会を開催していく。
 〔以上、本館leaflet拠り引用〕

[03] Paramita Museum 入口
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[04]本展leaflet/右の絵は A. Modigliani(1884-1920)『首飾りの女』1917年
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[05] Paramita Museum 第2室/池田満寿夫(1934-97)『般若心経』
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[06]池田満寿夫『仏塔』1994年
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[07] Paramita Museume 1F gallery 中村晋也『釈迦十大弟子』
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[08] Andrew Wyeth(1917-2009)『Circus Day』1973年
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[09] Rune Magritte(1898-1967)『宴』1951年
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[10] Maurice de Vlaminck(1876-1958)『木立ち』1918年
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[11]小嶋三郎一(1908-97)『ガラス器のさくらんぼ』
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 本企画展は、「印象派から20世紀へ」と題名が示す通り、当該時代の巨匠達の傑作群ばかりだったので楽しかった。
 [09]マグリット『宴』1957年は、次回の《会報》でご紹介するが、メナード美術館でも同じマグリットの『宴』1957年が展示されていた。
 若干、異なるが、根本的に構図や dessin は同じである。
 同じ画家の作品なので、著作権とかは関係ないが、名画を色々見ていると、洋画・日本画を問わずこの様な case に時々遭遇する。
 そういうことを発見するのも、美術館巡りの楽しみの一つである。

【岐阜県美術館『小さな藤田嗣治』展】
 本企画展は、藤田嗣治が、晩年、愛妻の君子さんにずっと描き続けて present していた可愛い子供達の絵画群である。
 図録を購入して、皆さんにご紹介しようと思っていたが出来なかった。
 何となれば、shop に入り図録 cornerを見たら、「人気のため、『売り切れ/再販なし』ありがとうございました」と記されていた。
 藤田嗣治は、今も根強い人気画家なのだ、と改めて思い知らされた。
 其処で、お示しした写真の絵は、本企画展のleafletだけ。
 その他の絵は、『常設展』の絵である。
 勿論、これ等も名画の傑作群であるが‥。(^^;

[12]岐阜県立美術館 入口
 12

[13]本展leaflet
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[14] Canille Pissarro(1830-1903)『牛の番をする農婦、モンフコー』1875年
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[15] Odilon Redon(1840-1916)『花』1905-10年頃
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[16] Jules Pascin(1885-1930)『マリエッタの肖像』1928-29年
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[17] Mauice de Vlaminck(1876-1958)『嵐の風景/冬の街』1937年
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[18]加藤栄三(1906-72)『朝顔』
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■今日最後の話題は、最近読んだ、佐伯啓思『さらば、資本主義』である。
 本書は、著者佐伯啓思氏が「あとがき」で記している様に、月刊誌「新潮45」に連載している「反・幸福論」の新書化の第五弾。
 以下の十章からなっている。

 第一章/今こそ、脱原発の意味を問う
 第二章/朝日新聞のなかの ”戦後日本 ”
 第三章/失われた故郷を求めて
 第四章/ニヒリズムへ落ち込む世界
 第五章/「グローバル競争と成長追求」という虚実
 第六章/福沢諭吉から考える「独立と文明」の思想
 第七章/トマ・ピケティ『21世紀の資本』を読む
 第八章/アメリカ経済学の傲慢
 第九章/資本主義の行き着く先
 第十章/『がまん』できない社会が人間を破壊する

 各章共に、佐伯氏の慧眼には感心させられる。
 其処で、今日は「第九章/資本主義の行き着く先」について、極々概略をご紹介したいと思う。
 〔【小生補足】「です/ます」調を「である」調に直して以下にお示しする〕

【第九章/資本主義の行き着く先】
※ 不等式 「 r>g 」の意味 ※
 ピケティの議論の柱はこうであった。
 歴史的に見ると、資本からの利潤率〔収益率〕は、ほぼ4~5%である。
 しかし、経済成長率は、戦後1950年~80年迄の30年間を除くと、利潤率を下回っている。
 これが、この書物を一躍有名にした、例の「 r>g 」という不等式であった。〔rは収益率、gは成長率〕
 そして、ピケティがいうには、資本所有者(=資産家)は、年々r%で資産を増やすのに対して、労働者はg%でしか所得を増加出来ない。
 だから、資産と賃金所得の増加率の差を通じて益々格差が拡大する。(P.180)〔中略〕
 仮に「資本」を増殖させていく壮大な mechanism を資本主義と読んでおけば、1980年代以降、資本主義は極めて上手くいっている。
 にも拘らず、経済成長は低下する、という何とも奇妙な事態が生じているのである。(P.181)〔中略〕
 ピケティの示した処に拠ると、新自由主義者の「競争と innovation に拠る経済成長」という説は、全くの嘘っぱちだ、ということになる。
 「資本」は利益を上げているけれど、「資本主義社会」は決して成長していない、ということなのである。(P.182)〔中略〕
 どうしてか‥‥?
 第一に、資本からの利潤率が高い一つの理由は、確かに innovation にあるのだろう。
 IT等の新技術は、差し当たり、一種の「独占」を齎す。
 市場の大部分を支配することが出来る。
 すると、其処から独占利潤が生み出されるだろう。
 今日の様に継続的に独占利潤が生み出されると、利潤率はある程度高くなるかもしれない。
 が、これ等の利潤は、かなり内部留保に回され、又企業買収に回され、金融市場に投資される。
 こうなると経済成長には結びつかないのである。
 勿論場合に拠っては、高い収益は株主への配当に当てられたり、CEOへの高額の報酬になったりするのだろう。
 しかし、これ等の報酬は結構な金持ちに廻る可能性が高く、それは再び金融市場や不動産へ投資される公算が高い。
 すると、矢張り(経済)成長には結びつかないだろう。(P.183)〔中略〕
 〔【小生注】株式&不動産投資や企業買収に使われるお金は、資産の振替に当たり、GDPの構成要素にならない。幾ら巨額であっても経済成長にならないのである。因みに、「消費」と「生産」した金額が経済成長の構成要素の大きな要素である。従って、一般労働者の所得が上がれば、「消費」に回り経済成長に直結するが、金持ちが獲得した所得は、金融資産や不動産等への再投資となって経済成長に結びつかないのである〕

※ そもそも資本主義とは何か? ※
 資本主義とは成長の system だと言った。〔中略〕
 資本主義とは何か。
 それはまずは「資本」の無限増殖の運動である。〔中略〕(P.186~87)
 新領域を開拓し、其処に利潤機会を見出し、そのことに拠って又次の「頭金」を作り出す。
 だから、資本主義は常に「frontier」を求める。
 「未知の領域」を求め、それを frontier として開拓していく。〔中略〕
 「資本」の組織的な拡張運動が大規模に生じたのは16世紀の西欧で、地理上の発見に拠って、Asia、Americaという「未知の領域」が発見されたからである。〔中略〕
 西欧は、frontier をこの未知の空間に求め、只管外へ外へと拡張したのである。
 しかし、先進西欧と後進Asiaといった文明の落差構図は、結局、19世紀から20世紀初頭へかけての「帝国主義」へと行き着き、破綻。〔中略〕
 そして、それに代わったのが、20世紀に入って出現した「産業主義」であった。
 Frontier を自国の内部に求め、自国の中で市場を開拓する。
 その軸になるのが innovation だった。
 Innovation に拠って新たな技術を作り出し、新たな商品を提供して、新たな市場を生み出す。
 こうして、巨大な産業が生み出され、膨大な消費者の群れが作り出されたのである。
 「人々」は、大凡似た様な生活 style を持つ「消費者」へと仕立て上げられたのだった。

※「フォーディズム」という革新※
 帝国主義の破綻は、欧州の階級構造を破綻させた。
 ついで、20世紀の「産業主義的循環」は、同質化し画一化した「大衆社会」を生み出した。
 米国がその典型であり、戦後日本の高度成長も、この「産業主義的循環」という「内爆発」に拠って可能となった。
 敗戦に拠って無に帰した日本は、高度な大衆社会として蘇生する訳である。
 しかし、この成長の mechanism も1980年代で行き詰った。
 1990年代以降の innovation は、もはや、産業主義の様に、大量生産・大量消費を可能とするものではなくなった。
 Innovation が成長を生み出すことは困難な時代なのである。(P.190)

〔以下、結論だけ述べる〕
 1990年代以降の frontier の一つが globalism である。
 が、これも究極は、全世界の同質化を齎し、成長は鈍化、停滞する。
 残された、成長への frontier は、人間の「欲望」ということになる。

※ 欲望は経済成長を齎さない ※
 しかし、今日の、IT革命・金融革命等に向けられる「欲望」は、無限に自動拡張性を持っていると迄は言い難い。
 欲望はただ、過大に膨れ上がった情報的なものの快楽刺激として遣って来るだけなのである。(P.197)
 換言すれば、「資本主義」は、幾ら innovation を起こし、「資本」を増殖させても、もはや十分な成長を生み出すことは難しい。
 とすれば、我々が本当に考えるべきは、成長戦略でなく、如何に「脱・成長主義社会」へと移行するか、ではないだろうか?

[19]佐伯啓思『さらば、資本主義』
 19

【小生comment】
 佐伯氏の舌鋒は鋭く、核心をついていると思う。
 現状だけでなく、未来に於いても、高率な経済成長は無理なのである‥かぁ。
 そうは言っても、現時点で競争社会から上手に抜け出して、豊かで安全な社会生活を営み続ける保証は見い出せない。
 ‥であれば仕方がない。
 虚しいけれど、是迄通りの「ガンバリズム」は放棄せず続けていくしかない。(笑)

【後記】此処数日間で秋が急に深まって来た感じがする。
 この時節になると、必ず浮かぶ次の佐佐木信綱の名歌がある‥

  ゆく秋の 大和の国の 薬師寺の 塔の上なる 一片(ひら)の雲
                              佐佐木信綱(『新月』)

【解説】大和の国の秋は深まりゆく
 薬師寺の東塔(三重塔)の上に一片の白雲が浮んでいる
 澄み切った空気の中で大和の国に今いる私
 その私の視線が「薬師寺の寺院」→「東塔」→「九輪」→「白い雲」へと、マクロからミクロへと、塔の下から上へと移っていく
 朗誦すると、この歌の「の」で繋ぐ伸びやかな調べが心地よく耳元に聞こえ、詠み手の頭にスーッと入っていく
 平明にして高貴な傑作である、と思う
 薬師寺東塔を見ながら九輪の上にぽっかり浮んだ白雲が頭に浮かんでいる光景を想像すると、郷愁を感じ、何故か心がホッとする
 実は、先週初の10月27日の午後、結構 hard negotiation の仕事が名古屋であった。

【詞書】一仕事を終え、安堵感から心地良い疲労感に感じ乍ら、帰りの豊橋へ向かう電車の窓から風景を眺めていたとき拙歌がふと浮かんだ‥
 車窓から何とは無しに外の景色を眺めていたら virtual な世界で愛しいひとの面影が浮かんだ‥
 仕事を無事終えた安堵感からか、黄金色に輝いた稲穂が夕日に照らされて煌めいて見えた‥

  行く秋の 車窓の彼方の 金色(こんじき)の 稲穂も敵(かな)わぬ 君が輝き  悟空

 では、また‥。(了)

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