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2016年2月の4件の記事

2016年2月27日 (土)

【時習26回3−7の会0589】〜「松尾芭蕉『笈の小文』第8回【新大仏寺】」「02月24日:愛知県芸術劇場大ホール『小澤征爾音楽塾/J. StraussⅡ Operetta【蝙蝠】』を観て&聴いて」

■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です。
 歳月は過ぎゆくのが本当に早いですね。
 2016年02月も残す処、明日&明後日の二日間になって仕舞いました。
 春は、日一日と『三寒四温』を繰り返し乍ら遣って来ます。
 厳寒の翌日は麗らかな陽気だったりするので、体調管理が一寸難しいかも‥。
 風邪をひかないよう留意して下さい。

 さぁ、今日は掲題副題にある様に【時習26回3-7の会 0589】号をお送りします。

■先ず最初は、今月07日付の前《会報》【0586】号以来の、松尾芭蕉『笈の小文』第8回【新大仏寺】をお届けします。

【新大仏寺】
《原文》
 伊賀国阿波(あは)(注1)の庄といふ所に俊乗上人(注2)(しゅんじょうしやうにん)の旧跡有(あり)。
 護峰山(ごほうざん)新大仏寺(しんだいぶつじ)とかや伝(いふ)。
 名ばかりは千歳(せんざい)の形見となりて、伽藍(がらん)は破れて礎(いしずゑ)を残し(注4)、坊舎(ぼうしゃ)は絶(たえ)て田畑(たはた)と名の替(かは)り、丈六(ぢやうろく)の尊像(注5)は苔(こけ)の緑に埋(うずもれ)て、御(み)ぐし(注6)のみ現前(げんぜん)とおがまれさせ給ふに、聖人(=上人)の御影(みえい)は、いまだ全おはしまし侍(はべ)るぞ、其代(そのよ)の名残(なごり)うたがふ所なく泪(なみだ)こぼるゝ計(ばかり)也(なり)。
 石の連台(=蓮台)(注7)・獅子の座(注8)などは蓬(よもぎ)葎(むぐら)の上(うへ)に堆(うづたか)く、双林(さうりん)(注9)の枯(かれ)たる跡もまのあたりにこそ覚えられけれ。

  丈六にかげろふ高し石の上

  さまゞの事(こと)おもひ出す桜哉(かな)

《現代語訳》
 伊賀国阿波の庄という所に俊乗上人の旧跡がある。
 護峰山新大仏寺(注3)とか言うのだそうだ。
 その寺の名だけは遠い昔の儘に残っているのだが、(嘗て十一宇あったという)伽藍は崩れて仕舞い礎石のみが残り、堂塔は無くなって田畑になり、一丈六尺の大仏は苔の緑の下に埋ずもれて、その御頭の部分だけは拝むことが出来るのだが、俊乗上人の御影は今も完全な形で残っていらっしゃって、生前の御姿が偲ばれ涙がこぼれるばかりである。
 (嘗て大仏を載せていた)石の蓮華台や、それを乗せる獅子の座などは蓬や弦草の上に堆(うずたか)く積み重ねられてあり、彼(か)の釈迦入滅の時に沙羅双樹の林が一夜にして枯死したという故事を目(ま)の当(あた)りに見る様ま気がしたことであった。

 【意】一丈六尺の大仏があった石の上に、ゆらゆらと陽炎が高く立っているのが見える
    その廃墟を見ていると、その大仏や荘厳な伽藍を擁したこの寺(=新大仏寺)の往時が忍ばれることだ
  季語:かげろふ=陽炎 ‥(春)

 【意】昔参上てお世話になったこの御屋敷に、その昔と変わらない姿で桜が咲いている
    その桜を眺めていると、昔日の様々な事が思い出されることだ
  季語:桜 ‥(春)
 【解説】芭蕉の旧主 藤堂良忠の子である藤堂良長(俳号/探丸)の下屋敷(別邸)に招かれての句
     旧主良忠(俳号/蝉吟)は芭蕉より2歳年長で親交があったが、25歳没し、芭蕉は武士になる道は絶たれたという
     この主君・良忠の死が、芭蕉が俳諧の道を志す出発点と言われている
     この句が読まれたこの時、藤堂良長は23歳

《語句/解説》
 (注1)阿波:三重県阿山郡大山田村/伊賀上野の東方
  (注2)俊乗上人:俊乗房重源(1121-1206)/平重衡によって焼き討ちされた東大寺の再興に尽くした/東大寺再興のため西行法師に奥州藤原氏への砂金勧進を依頼した/七箇所の不断道場を開いた/新大仏寺はその一
  (注3)護峰山新大仏寺:三重県伊賀市富永/1202(建仁02)年建立/源頼朝の創設と云われる
  (注4)「伽藍は破れて礎を残し」:11の堂宇があったが、1635(寛永12)年の大雨と土砂崩れで大破埋没した
  (注5)丈六の尊像:一丈六尺の大仏
  (注6)御ぐし:頭
  (注7)蓮台:大仏を乗せる蓮華台
  (注8)獅子の座:蓮華台を載せる石の台座/獅子の図が刻んである
  (注9)双林:釈迦入滅の際、四方に植えてあった沙羅双樹の樹が一瞬で枯れて真っ白になった故事に基づく

【小生comment】
 この段は、なかなか格調高い。
 次回の『笈の小文』第9回【伊勢】は、貞享五年二月四日(新暦1688年03月05日)『伊勢神宮参詣』を03月05日(土)にお届けしたいと思う。
 因みに、丁度328年前の同じ日に当たる。

■今日続いての話題は、3日前の02月24日(水)午後06時半から、愛知県芸術劇場大ホールにて開催された、小澤征爾音楽術/J. StraussⅡ作曲0peretta『こうもり』についてである。

 小澤征爾は、一時体調を崩して指揮者生活も先行き大変不安視されたが、此の処は大分回復している様だ。
 実際、彼の指揮ぶりを見ていて「まずまず大丈夫かな‥」と思った。
 演奏に万日の事があったら‥という配慮からか、指揮者はもう一人 村上寿昭氏が小澤氏の横に控え、二人で後退し乍ら指揮を進めていた。
 最近のNewsで、小澤征爾指揮サイトウ・キネン・オーケストラの演奏でRavel作曲 歌劇『子供と魔法』がグラミー賞を受賞したことが報道された。
 丁度一年前、この愛知県芸術劇場大ホールでその『子供と魔法』が上演されたのを聴いている。
 ※ 2015年04月05日【0542】:「03月28日:愛知玄芸術劇場大ホール/小澤征爾音楽塾opera projectⅩⅢ~ラヴェル:歌劇『子供と魔法』他を聴いて」参照
   http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog/2015/04/2605420328opera.html 

 今日の演奏会は、第3幕の刑務所の場面で、牢番フロッシュ役に日本人の俳優笹野高史が務め、好演したのが面白かった。
 勿論、彼の台詞の処だけは日本語なので、会話も真面目に受け取ると奇異な感じはするのだが‥。(^^;
 第1幕と第2幕、第2幕と第3幕の幕間の休憩時間が夫々30分あったので、結局終演は22時直前。
 その為、帰りの新幹線の最終、名古屋駅22時14分発にギリギリ間に合った。
 楽しいことを経験するのも結構シンドイものである。

[01]本演奏会program(表面)
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[02]同(裏面)
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[03]小澤征爾指揮/サイトウキネンオーケストラ『Ravel作曲歌劇 子供と魔法』グラミー賞受賞記事
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[04]同上のCD
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【後記】今年正月02日に開催した「豊城中学校 還暦祝同窓会」の記念DVD を現在制作中であるが、四苦八苦している。
 制作途中で、大きなaccidentが2回、それもDVD完成間近で発生して、なかなか完成しないのである。
 使用写真枚数は900余枚、収録曲16曲、全55分もののDVDで完成する処だったのであるが‥。
 第1回目のtroubleは、小生のPC異常。
 これが為、完成間近のソフトが開かなくなって仕舞い、最初から作り直したのが今月11日。
 第2回目のtroubleは昨日、ソフトに組み込んである900余枚収録の写真fileが、他の外付けhard-discのfileと共に消失。
 これは、外付けhard-discの12Vのアダプターに間違えて85VのPCアダプターを指し込んで電源を入れて仕舞った為、hard-discの中身が消失して仕舞った。
 家電業者の修理cornerで善後策を尋ねたが、dataを現状回復するには、何十万円と高額な費用が掛るとのことで断念。
 不幸中の幸いは、元の写真は99%残っているので、時間をかければ再生は出来る。
 我が人生、紆余曲折の毎日である。
 仕事の方も、現在重要案件が目白押しで、stressが凄く溜まっている。
 積極的にstress発散に努めて行きたいと考えている。
 明日は、中嶋君【3-2】等も参加する「三河城郭史談会」というお城巡りの日帰りbus tourに参加する。
 行き先は、滋賀県竜王町「源義経元服池」、野洲市「平家終焉の地/御神(みかみ)神社」「妓王寺」他‥である。

 ではまた‥。(了)

2016年2月21日 (日)

【時習26回3-7の回 0588】~「02月16日:東京都美術館『ボッティチェッリ』展を見て」「名古屋城~大天守・小天守・清洲櫓(西北隅櫓=乾櫓)~遠望」

■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です
 前《会報》冒頭で「仕事が忙しいと、一週間なんて、ホントあっと言う間に経って仕舞います」と書いた同じ状況が続いています。
 さぁ、今日も《会報》【2637の会 0588】号をお送りします。

■今日の話題は、先週の02月16日(火)に仕事で上京した折、時間が空いた90分の時間を有効に活用して美術館を一つ訪れた。
 掲題・副題にある様に東京都美術館で現在開催中の『ボッティチェリ』展である。

[01]東京都美術館入口付近の本展案内
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[02]本展leaflet(表面)
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[03]本展leaflet(裏面)
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[04]ピエトロ・トッリジャーノ(1472-1528)(帰属)『ロレンツォ・イル・マニーフィコの胸像』1515-20年
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 本展開催の趣旨を、本展《ごあいさつ》から引用してご紹介したい。

 日伊国交樹立150周年を記念して開催する本展覧会は、日本で初めての本格的なBotticelli展となります。
 Italia政府の協力のもとFirenzeを中心に世界各地から20点を超えるBotticelliの作品を集め、その画業を辿ると共に、Botticelliの師Filippo Lippiと、弟子でありrivalでもあった Filippino Lippiらの作品もあわせてご覧頂きます。
 洗練された線描と美しい女性表現を特徴とする珠玉の作品を通して、Botticelliの優美な絵画世界に触れて頂ければ幸いです。

 又、Firenze歴史・文化人類学遺産及び美術館群監督局元長官で美術史家クリスティーナ・アチディーニ(Cristina Acidini)氏の言葉を借りると‥

 Sandro Botticelliの絵画は、あらゆる時代の芸術の頂点として称賛され世に認められており、なかでも1400年代後半のFirenze Renaissanceの最も気高き象徴である。〔中略〕
 Botticelliの絵画は、主題の聖俗を問わず珍しい画題、複雑な構図、現在でも美しいとされる美の規範(カノン(canoni(伊)=canon(英)))に対応する均整のとれた形態の人物、そして卓越した英知を以て賦された眩い色彩を通じて描かれている。
 しかしBotticelliが、更にメディチ家のロレンツォ(通称:ロレンツォ・イル・マニーフィコ(Lorenzo de' Medici il Magnifico)(1449-1492)(豪華王))というcharisma的存在に代表される時代の完全なる代弁者でなかったなら、これは十分なものとはならなかったであろう。
 Lorenzoの時代、Firenzeは、その如何なる表現においても真正な「Renaissance揺籃の地」として、美においても人文主義的文化においても前例なき水準に達したのだ。

 以下に、BotticelliとFilippo Lippi、Fillino Lippi等の作品を記す。
 尚、Botticelliの作品のうち、[05]『春(プリマヴェーラ)』と[06]同『ヴィーナスの誕生』は、本展未出展作品である。

[05]Botticelli『春(プリマヴェーラ)』1477年頃
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[06]同『ヴィーナスの誕生』1483年頃
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[07]アンドレア・デヴェロッキオ(1435-88)『聖ヒエロニムスの頭部の為の習作』1465年頃
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[08]フィリッポ・リッピ(1406頃-69)『受胎告知のマリア(部分)』1450-55年
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[09]同『大天使ガブリエル(部分)』1450-55年
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[10]同『洗礼者ヨハネ(部分)』1450-55年
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[11]Sandro Botticelli(1444(or5)-1510)『マッツォッキオをかぶった若い男の肖像』1470年頃
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[12]同『書斎の聖アウグスティヌス(or 聖アウグスティヌスに訪れた幻視)』1480年頃
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[13]同『聖母子(書物の聖母)』1482-83年頃
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[14]同『美しきシモネッタの肖像』1480-85年頃
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[15]フィリッピーノ・リッピ(1457頃-1504)『幼児キリストを礼拝する聖母』1478年頃
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【小生comment】
 Botticelli(1444(or45)-1510)の作品のうち、本展覧会未出展の『春(プリマヴェーラ)』と『ヴィーナスの誕生』は、小生の唯一の欧州旅行である2009年のItalia旅行の中で、Firenzeの観光courseの一つとして訪れたウフィッツィ(Uffizi)美術館で本物を見ることが出来た良かったと思っている。
 Italia Renaissance絵画の巨匠の代表と言えば、Leonardo da Vinci(1452-1519)、Raffaello Santi(1483-1520)、Michelangelo(1475-1564)の3人が挙げられることは論を俟たない。
 が、小生、個人的には、Botticelliの作品が一番好きである。
 Italia Renaissance絵画に登場する女性像の中で、Botticelliの絵が一番気に入っているからである。
 付言すれば、Leonardo da VinciやRaffaello、MichelangeloよりLippi親子の作品の方が好きな作品が多い。

【後記】先週は、02月15日(月)名古屋、16日(火)東京、17日(水)名古屋と、三日間連続の出張であった。
 最近は仕事が結構忙しく、《会報》の材料を仕込み、そしてブログへのupする時間が十分確保出来ないのことを残念に思う。
 換言すれば、還暦を過ぎても責任ある仕事が眼前にあることは、男子の本懐を遂げることであり申し分ないことではある。
 とは言え、最近は一寸シンドイのも事実‥。
 其処で小生、心労で倒れない様に気分転換に余念がない。
 毎朝は(最近は就寝前も加えた)90~120分程筋トレして汗をかいている。
 名画&名曲鑑賞、城跡&社寺仏閣巡り等々で様々な方面へ首を突っ込み自ら知的好奇心をくすぐっている。
 すると、小規模であるがセレンディピティに遭遇する。
 添付写真[16][17][18]をご覧下さい。
 実は、02月17日(水)は仕事で名古屋のウィスティン・ナゴヤ・キャッスルに行って来た。
 その時、ホテル正面玄関から背後(‥東の方向‥)に見えるのが名古屋城。
 ほぼ正面に、『金の鯱(しゃちほこ)』で有名な『名古屋城大天守閣(添付写真[16][17])』が見えた。
 因みに、写真[16]の正面『大天守』の右手奥に見えるのは『小天守』。
 そして、手前のお堀伝いに左手(‥本丸から見ると西北方向‥)に、『清洲櫓(戌亥櫓=西北隅櫓)』が見えた。
 《会報》の前回と前々回でお伝えした『清洲城』の遺構と言われる『清洲櫓』である。
 この『清洲櫓』を偶然に見ることが出来たことは、セレンディピティであり、一寸したご褒美を貰った感じがした。
 こうしたことから、現在、小生が仕事で抱えている難事も無事に解決してくれたらいいナと思う。
 名古屋城大天守の金の鯱が燦然と輝き『瑞光』に、又、大天守と清洲櫓の上に浮かんでいた白雲が『瑞雲』に見えた。
 このSerendipityが、小生に幸運を齎してくれることを祈っている。
 此処で、佐佐木信綱の名歌を真似て拙歌を一首‥

 早春の 尾張の國の 御(み)名古屋の 城の上なる 瑞兆の雲  悟空

[16]名古屋城大天守(正面)と小天守(右奥)
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[17]名古屋城大天守閣
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[18]名古屋城清洲櫓(=戌亥櫓=乾櫓=西北隅櫓)
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 ではまた‥。(了)

2016年2月14日 (日)

【時習26回3-7の回 0587】~「02月06日:『清洲城』『清洲山王宮 日吉神社』『中村 豊国神社』『長久手古戦場跡/勝久塚』を巡って」

■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です
 仕事が忙しいと、一週間なんて、ホントあっと言う間に経って仕舞いますネ。
  さぁ、今日は《会報》【2637の会 0587】号をお送りします。

■今日の話題は、一週間程前の02月06日に私用で名古屋へ行って来ました。
 自家用車を使い、掲題・副題にある順に『清洲城』→『清洲山王宮 日吉神社』→『中村 豊国神社』→〔東区で私用を熟(こな)す〕→『長久手古戦場跡/勝久(しょうにゅう)塚』と巡って来ました。

 02月06日(土)、拙宅を09時半に出発して、最初に向かったのが、清須市にある清洲城。
 前《会報》【0568】号の【後記】で、夕闇迫った清洲城をご紹介したが、矢張りお城をジックリ見たくなったのである。
 清洲城には、10時50分過ぎに到着した。

[01]清洲城01
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[02]清洲城02
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[03]清洲城天守閣から眼下の庭園を望む
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[04]清洲城をbackに
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 清洲城の歴史を紐解くと‥〔『清洲城物語』より引用〕‥
 室町時代の初め、尾張の守護職であった斯波義重は、清須に守護所下津白(現・稲沢市)の別格として清洲城を築き、織田敏定が守護代としてその勢力保持を図ったと言われている。

 1476(文明08)年 守護所下津城が戦乱に拠り焼かれた
 1478(文明10)年 清須に守護所が移って尾張の中心地となり繁栄の時代を迎える
         (斯波氏は当時、室町幕府を支える三管領(斯波・細川・畠山)の家柄で、将軍家に次ぐ有力な守護大名であった)
 1555(弘治元)年 織田信長(1534-82)が那古野城から入城
 1560(永禄03)年 織田信長、桶狭間で今川(義元(1519-60))勢と戦った時、この清洲城から出陣し、大勝
 1562(永禄05)年 織田信長と徳川家康(1543-1616)の同名(=『清須同盟』)が清洲城にて結ばれた
 1582(天正10)年 06月02日 本能寺の変で織田信長討死
 同年07月16日『清洲会議(柴田勝家(1522?-83)・丹羽長秀(1535-85)・羽柴秀吉(1537-1598)・池田恒興(1536-1584)四者会談)』が開かれ、織田信雄(1558-1630)が清洲城主に
 1586(天正14)年 清洲城は大改築され、内・中・外の三重の堀を構えた大城郭(=東西1.6km 南北2.8km)となった
 1590(天正18)年 羽柴(豊臣)秀次が城主に
 1595(文禄04)年 秀次処刑され、福島正則が清洲城主に
 1600(慶長05年)年 福島正則が広島へ転封となり、徳川家康四男、松平忠吉が武蔵国忍城から清洲城主となる
 1607(慶長12)年 忠吉が江戸で病死。家康九男義直が、甲斐国甲府城から清洲城主となる
 1610(慶長15)年 名古屋城普請が始まり、清須から藩士・寺社・町人等の名古屋への移住(=『清須越』という)が始まる
 1612(慶長17)年 清須越が概ね完了
 1614(慶長19)年 名古屋城本丸御殿完成
 1615(元な元)年 徳川義直、清洲城主から名古屋城へ移る

 以上、ご覧の様に戦国時代末期から江戸時代初頭迄、歴史の桧舞台となった清洲城。
 今建っている城は模擬天守なので史跡としての歴史文化的価値はないが、ロマンを感じさせる。
 因みに、清洲城天守閣は、名古屋城乾櫓が、別名「清洲櫓」と言い、清洲城を移築したものである。

 清洲城の次に訪れたのは、清須市内にある、『清洲山王宮 日吉神社』である。

[05]清須・日吉神社
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[06]清洲山王宮 日吉神社 由緒
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[07]日吉神社境内
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[08]日吉神社の猿
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[09]はきだしまいりの案内
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 当神社由緒書には、「織田氏が清洲在城時には、城下総鎮守として崇敬を集め、織田・豊臣・徳川各氏からの奉納事跡多数あり、日吉丸(豊臣秀吉の幼名)は、母が当神社に祈願し、授けられたと伝える」と記されていた(添付写真[06]ご参照)。

 続いて訪れたのが、名古屋市中村区にある『豊国神社』である。
 1885(明治18)年創建と、歴史は比較的新しい。
 豊臣秀吉公を御祭神とし、「出生」「開運」「茶道」「建設」等に御利益があるといわれている。
 小生も、いま公私共に大きな願い事があるので、豊太閤の御利益を御裾分けして頂こうと思い、参詣した。(^^;;

[10]中村 豊国神社 境内入口
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[11]中村 豊国神社
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[12]豊国神社 祭神 豊臣秀吉公
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[13]開運絵馬‥瓢箪絵馬‥
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 その日最後の訪問地は、長久手市内にある、『長久手古戦場跡』の『勝久塚』である。
 上述した『清洲会議』参加者の一人、池田恒興は、小牧長久手の戦の時は、秀吉に味方した。
 そして、秀吉に、徳川家康の本拠地、岡崎攻めを進言し、自ら出陣。
 その結果、徳川方の反撃に合い、この地で長男の元助と共に討死。
 勝久(しょうにゅう)塚の勝久は、恒興の法名。
 彼は、1580年入道してこの名を名乗った。

[14]長久手古戦場跡の石碑
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[15]勝久塚
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[16]勝久塚の案内
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【後記】昨日から急に気温が上昇、一挙に春の陽気になった。
 添付写真をご覧下さい。
 拙宅でも、紅白梅や椿の花々が咲き出しました。
 二月は、ご当地豊橋は、02月11日の「鬼祭り」が終わり、愈々春が遣って来る。
 白い椿‥で河東碧梧桐の名句が浮かんだ。
 ご紹介して、今日はお開きとさせて頂きます。

  赤い椿白い椿と落ちにけり  河東碧梧桐

[17]拙宅の中庭に咲いた紅梅
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[18]同‥白梅
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[19]同‥白い椿
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 ではまた‥。(了)

2016年2月 7日 (日)

【時習26回3-7の回 0586】~「松尾芭蕉『笈の小文』第7回【旧里〔その3〕】」「01月27日:清須市はるひ美術館『エコパリ(エコール・ド・パリ)―パリに咲いた異邦人の夢―』展を見て」「02月04日:愛知県芸術劇場concert hall『ダニエル・バレンボイム Piano&指揮/ベルリン国立歌劇場管弦楽団演奏会』を聴いて」

■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です
 さぁ、今日は《会報》【2637の会 0586】号をお送りします。

■今日最初の話題は、先週の前《会報》【0585】号に続いて、松尾芭蕉『笈の小文』第7回【旧里〔その3〕】をお届けする。
 芭蕉は、貞亨四年末から翌貞亨五年初にかけて、彼の故郷伊賀上野で過ごしている。
 それでは、大変短い文章ですが、『笈の小文』【旧里〔その3〕】をどうぞご覧下さい!

【旧里〔その3〕】
《原文》
   初春

  春立(たち)て まだ九日(ここのか)の 野山(のやま)哉(かな)

  枯芝(かれしば)や やゝ(注1)かげろふの 一ニ寸(いちにすん)

《現代語訳》
   初春

 【意】立春からまだ九日しか経っていない
    が、故郷の野山は確かに九日過ぎただけに春の気配もまだ僅かなことだよ
  季語「春立つ」:春

 【意】芝草はまだ枯れた儘だが、その枯芝の上に漸く一ニ寸程の陽炎が立っている
    もう春の訪れが近いということだナ
  季語「かげろふ」:春

《語句/解説》
 (注1)「やや」:漸く

【小生comment】
 芭蕉も、貞亨五年二月四日(1688年03月05日)に伊勢神宮を参詣している。
 次回は、伊勢神宮を訪れる道すがら(‥だと思われる‥)立ち寄った【新大仏寺参詣】の模様をお伝えする。
 従って、今月(2月)最終週の《会報》にてお届けしたいと考えているのでお楽しみに!

■続いて、お伝えするのは、掲題副題にある通り、01月27日(水)に仕事で名古屋へ出張した帰りに、JR清須駅から北へ徒歩20分程の所にある、清須市はるひ美術館にて開催中の『エコパリ(エコール・ド・パリ) ―パリに咲いた異邦人の夢―』展を見て来たので、その模様をお伝えする。
 本展は、主催者「ごあいさつ」に次の様に説明してあった。

 一般財団法人地域創造の助成による、平成27年度市町村立美術館活性化事業第16回共同巡回展として、「北海道立近代美術館・札幌芸術の森美術館コレクションによるエコール・ド・パリ―パリに咲いた異邦人の夢―」を、新見美術館(岡山県)、大分市美術館、はつかいち美術ギャラリー(広島県)、清須市はるひ美術館(愛知県)の全国4会場で開催します。〔中略〕
 本展覧会では、国内屈指のエコール・ド・パリコレクションで知られる北海道立近代美術館の所蔵品から、パスキン、シャガールを中心に、キスリング、スーチン、藤田嗣治らの油彩・素描・版画作品と、札幌芸術の森美術館が所蔵する、アーキペンコ、ザッキン、リプシッツによる、エコール・ド・パリに呼ぶに相応しい彫刻作品を紹介します。〔後略〕

 ‥ということで、どうぞ、ご覧下さい。

[01]清須市はるひ美術館入口近くの壁の本企画展案内
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[02]清須市はるひ美術館入口
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[03]清須市はるひ美術館外観&本企画展案内
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[04]本展leaflet
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[05]パスキン『女学生』1908年
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[06]同『二人のモデル』1924年
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[07]同『腰掛ける女』1928年
 071928

[08]同『ジナとルネ』1928年
 081928

[09]ヴラマンク『風景』1920年頃
 091920

[10]ドンゲン『アガーテ・ヴェゲリフ・グラヴェスタインの肖像』1909年
 101909

[11]ドンゲン『ボドリ・ダッソン侯爵夫人』1919年
 111919

[12]エルミーヌ・ダヴィッド『自画像-17歳』1904年
 12171904

[13]同『パリ郊外-二匹の白い犬』1921年
 131921

[14]同『ロンシャン競馬場でのゴールイン』1932年
 141932

[15]藤田嗣治『家族の肖像』1954年
 151954

[16]キスリング『オランダの娘』1928年
 161928

[17]スーチン『祈る男』1921年頃
 171921

[18]ペール・クローグ『ローブを纒ったテレーズ』1925年
 181925

[19]アレキサンダー・アーキペンコッ『マドンナ』1936年
 191936

【小生comment】
 小生、恥ずかし乍ら、エルミーヌ・ダヴィッド(1886-1970)の作品の実物は初めて見にした。
 彼女は、ジュル・パスキン(1885-1930)の妻で、エコール・ド・パリの女流画家としては、マリー・ローランサンに次ぐ人気作家であったことはご存知の方もいらっしゃると思います。
 北海道立近代美術館の所蔵コレクションということだが、なかなか素晴らしい作品展でしたヨ。

■今日最後にご紹介するのは、02月04日(木)午後6時45分から、愛知県芸術劇場concert hallにて開催された、ダニエル・バレンボイムのピアノ&指揮に拠る、シュターツカペレ・ベルリン(ベルリン国立歌劇場管弦楽団)演奏会の模様である。

 演奏曲目は、以下の2曲(encore曲もなし)。

 1.W. A. モーツァルト作曲/ピアノ協奏曲第27番 変ロ長調 K.595
 2.A. ブルックナー作曲/交響曲第1番 ハ短調 WAB 101

[20]ダニエル・バレンボイム Piano&指揮/ベルリン国立歌劇場管弦楽団演奏会
 20_piano

 小生、バレンボイムのモーツァルトのピアノ協奏曲は、四半世紀以上前から、EMIレーベルのCDで全曲を買い揃えてあり、なかでも第27番はモーツァルトのピアノ協奏曲の中でも、最後を飾るに相応しい最高傑作としての誉れ高く、既にもう何十回と聴いたことがある。
 正に名曲中の名曲!
 その彼の生演奏を、直接聞くことが出来て最高に嬉しかった。
 実際に、期待に違わない素晴らしい演奏に酔いしれて、胸が熱くなった。
 ブルックナーの交響曲第1番は、第4番以降の名曲群に比べ、演奏回数も少なく、渋い曲でもあり「どんなものだろう?」と思っていたが、これは予想に反して名演奏で、全曲感心し乍ら聴いた。
 バレンボイムのモーツァルトのピアノ協奏曲27番を聴けたことは、小生の一生の記念となる‥それ程感動した!
 名曲って、ホント、いいものですネ!

【後記】お別れに清洲城(模擬)天守閣の写真をお届けしたい。
 01月27日、清須市はるひ美術館からの帰り道、往路のJR清須駅ではなく、名鉄新清洲駅へ向かう途中に立ち寄った。
 入館時間はとっくに過ぎて、夕闇も迫って来た為、ご覧の様に余り綺麗に撮れていないのが心残りであった。
 其処で、昨日02月06日に、自家用車を使い、名古屋へ私用で行ったついでに、清洲城と、その近くにある、日吉神社と名古屋市中村区にある豊国神社に立ち寄り、参詣した。
 今年は、小生、公私共に大きな願い事があるので、今年の干支「丙申」に因み、「猿(さる)」と呼ばれ、天下統一を叶えた豊臣秀吉に力に縋(すが)ろうとした思ってのことである。
 これ等の模様は、次回《会報》にて詳報をお伝えします。お楽しみに!
 !(^-')b♪

[21]日没間近の清洲城(模擬)天守閣
 21

 ではまた‥。(了)

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