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2016年4月24日 (日)

【時習26回3−7の会0597】〜「松尾芭蕉『笈の小文』第11回【道中〔その1〕】」「04月16~17日:城跡&史跡巡り〔初日〕『千早・上&下赤坂城跡』『弘川寺』『旧・杉山家』『上之太子(叡福寺)』『用明&推古&応神天皇陵』を巡って」「04月23日:刈谷市美術館『和田英作』展を見て」

■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です。
 今日も【時習26回3-7の会 0597】号をお送りします。

■今日最初の話題は、前《会報》でお伝えした通り、松尾芭蕉『笈の小文』第11回【道中〔その1〕】をお届けしたい。
 前回では、貞亨五年三月十九日(新暦1688年04月19日)【吉野への旅立ち】の模様をお伝えした。
 今回は、日日(ひにち)は特定出来ないが、04月19日以降、そう日が経っていない時の話である。
 では、ご覧下さい。

《原文》
 旅の具多きは道さはりなりと物皆払捨たれども、夜の料(注1)にとかみこ(注2)壱つ、合羽やうの物、硯・筆・かみ・薬等、昼笥(ひるげ)なんど物に包て後に背負たれば、いとゞすねよはく力なき身の、後ざまにひかふるやうにて道猶すゝまず。
 たゞ物うき事のみ多し。

  草臥(くたびれ)て 宿かる比(ころ)や 藤(ふぢ)の花

《現代語訳》
 《現代語訳》
 旅の荷物が多いのは道々邪魔になるから皆うち捨っちゃっただが、寝具の代わりにと紙衣一(ひと)重ね、合羽(カッパ)の類、硯・筆・紙・薬等、昼の弁当など包みに包んで後に背負った処、とても脛(すね)が弱く力無い身なので、後ろに引っ張られる感じで、道が少しも進まないのだ。
 ただただ憂鬱なことばかりが多い。

 【意】一日中歩き通しで疲れ切って漸く宿に到着した黄昏時
    そんな時、藤の花がふと目に止まった
    美しい藤の花ではあるが、風に吹かれて揺れている様が今の疲れた私の様に思われる

 【解説】
  季語:「藤の花」‥(春)

《語句/解説》
 (注1) 夜の料(れう=りょう):夜具/寝具
 (注2) かみこ:紙衣。紙でつくった衣/それを布団の代用にした
 (注3)昼笥:昼餉/昼の弁当

【小生comment】
 芭蕉は、万菊丸と名を変えた杜国を連れ立って、吉野&明石へ旅立った
 芭蕉の人生のうちで、最も楽しかった2箇月余りだったことだろう
 次回は、「初瀬」以降をお届けする
 お楽しみに!

■続いての話題は、これも前《会報》にて予告した、時習26回の同期、中嶋良行君【3-2】と谷山健君【3-3】、そして、城跡巡りでいつもご一緒させて戴いている青木喜久夫さんと春と秋の年2回行っている四人旅の模様をお伝えする。
 今回は、04月16(土)&17(日)の一泊二日の日程で、以下の城跡&史跡を巡った。

〔初日〕【04月16日(土)】
01『千早城跡』→02『下赤坂城跡』→03『上赤坂城跡』→
04『弘川寺』→05『旧・杉山家』→
06『上之太子(叡福寺)』→07『用明天皇陵』→08『推古天皇陵』→09『応神天皇陵』→
『八尾グランドホテル』〔泊〕
〔二日目〕【04月17日(日)】
10『堺市役所21階展望台』→11『堺市歴史博物館』→12『仁徳天皇陵』→13『履中天皇陵』→
14『さかい利晶の杜』→15『利休生誕地』→
16『下之太子〔大聖勝軍寺〕』→17『中之太子〔野中寺〕』

 今日は、上記のうち〔初日〕の模様をお伝えする。
 具体的な行程は、以下の通りであった。

【04月16日(土)〔初日〕】
05時00分 中嶋宅発→ 青木宅発→ 今泉宅発→ 谷山宅発→ 東名音羽蒲郡IC→
09時50分 千早城跡着〔南河内郡千早赤阪村千早〕10時30分 同所発→
[01]千早城跡 石碑前にて
 01

10時45分 下赤坂城址着〔南河内郡千早赤阪村〕
山麓の「棚田」が美しい〕12時15分 同所発→11時15分 同所発→
[02]下赤塚城跡 石碑前にて
 02

[03]下赤坂城跡 周辺の棚田をbackに
 03_back

11時45分 上赤坂城址着〔南河内郡千早赤阪村
[04]上赤坂城跡(楠木城跡)
 04

 千早城も上赤坂城も急峻な山城で、登っていくのも結構キツイ

12時45分 弘川寺着〔【西行法師入寂地】/南河内郡河南町弘川43〕13時25分 同所発→
[05]弘川寺 本堂前にて
 05

[06]西行墳前にて
 06_2

[07]西行 辞世歌碑の前にて
 07

 死ぬまでに一度は訪れたかった西行法師の入寂地
 西行法師の墳前に立った時は感無量であった‥

 西行の辞世の歌
  願わくは 花のもとにて 春死なむ その如月の 望月の頃  西行

[08]弘川寺から見た青空に映える桜花
 08_2

13時50分 和食麺処サガミ 富田林店着〔富田林市若松町5-1418-3〕14時40分 同所発→
14時45分 【重文】旧杉山家住宅着〔富田林市富田林町14-31〕15時20分 同所発→
[09]富田林市寺内町 旧・杉山家前にて
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[10]旧・杉山家 屋敷内部01
 10_01

[11]同上02
 11_02

[12]旧・杉山家についての解説書
 12

[13]旧・杉山家〔きり絵/近藤好幸〕
 13

 富田林市寺内町の佇まいを見ていたら、心が落ち着いた静かな気持ちになった
 国の【重文】旧家・旧杉山家の屋敷内に入ったら、何故か心が更に落ち着いた
 そして、日本人に生まれたことの幸せを触感で感じた

15時40分 【上之太子】叡福寺(えいふくじ)〔南河内郡太子町太子2146〕着 16時10分 同所発→
[14]叡福寺(上之太子) 南大門前にて
 14

[15]聖徳太子御廟 正面
 15

 聖徳太子の御廟(=叡福寺北古墳(磯長墓))には、聖徳太子と共に、太子の母・穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)=用明天皇の異母妹で同天皇の皇后、太子の妃・膳部菩岐々美郎女(かしわでのほききみのいらつめ)が埋葬されているとされ、この為「三骨一廟」と呼ばれる

16時25分 用明天皇陵〔聖徳太子の父〕着→ 16時30分 同所発→
[16]用明天皇陵
 16

16時35分 推古天皇陵〔聖徳太子を皇太子に任命/聖徳太子の叔母〕着 16時40分 同所発→
[17]推古天皇陵01
 1701

[18]推古天皇陵02
 1802

17時10分 応神天皇陵着→ 17時20分発→
【日本第2位:巨大古墳(5世紀初頭)】第15代天皇
      =(惠我藻伏崗御陵(えがのもふしのおかのみささぎ)=誉田御廟山(ごんだごびょうやま)古墳)〔羽曳野市誉田6丁目〕
[19]応神天皇陵01
 1901

[20]応神天皇陵02
 2002

[21]応神天皇陵の前にて
 21

17時55分 八尾グランドホテル着
18時30分 夕食〔泊〕

【小生comment】
 前々から一度は行ってみたかった史跡ばかりの訪問であったので、小生は大満足の旅行となった
 楠木正成が奮戦した「千早城跡」、尊敬する歌人 西行法師の入寂地「弘川寺」
 奈良県橿原市今井町に匹敵する寺内町の美しい街並は、日本人の琴線に触れる郷愁美があり、本当に素晴らしかった
 「上之太子(叡福寺)の『聖徳太子御廟』」→「用明天皇陵」→「推古天皇陵」と見て、みんなお墓なんだけど何故だか感動した
 そう言えば、小生は聖徳太子関連の史跡って大阪の四天王寺以外まだ見ていなかったんだナァ‥
 初日最後の訪問地は「応神天皇陵」‥此処も初めて訪れ、そして感動した
 明日は、「仁徳天皇陵」も見られるんだ‥と思ったら、ワクワク・ゾクゾクして来た

■今日最後の話題は、昨日04月23日に私用で名古屋へ行くついでに立ち寄った3つの美術館のうち、最初に訪れた刈谷市美術館『和田英作』展の模様をお伝えする。
 猶、2つ目の松坂屋美術館『春の院展』と3つ目のヤマザキマザック美術館『アイズピリ』展は、次回《会報》にてお伝えする。

 和田英作が洋画を学びだした経緯について、図録に掲載された東京藝術大学美術館准教授古田亮氏「和田英作〈感情の絵画〉を求めて」にて簡潔に紹介してくれているので、「1.旧派から新派へ」の一部を引用してご紹介する。

 鹿児島県垂水市に生まれた和田は、1878(明治11)年、3歳の時に両親と共に上京し麻生に住まう。〔中略〕
 1890(明治23)年、上野公園で第3回内国勧業博覧会が開催された。
 この時出品された原田直次郎の《騎龍観音》や曽山幸彦の《武者試鵠》、本多錦吉郎《羽衣天女》等を見た和田は、大きな刺激を受けて洋画家になることを決意。
 翌年1月、明治学院を退学して同学院の図画教師上杉熊松から洋画の個人教授を受け、4月から曽山幸彦の画塾に学び始める。〔中略〕
 同塾には、和田のほかに藤島武二、岡田三郎助、中澤宏光、矢崎千代二、三宅克己等がいた。
 18~22歳(1892~95年)の修行時代は、次々と指導者が代わる点に於いて和田にとって実に目まぐるしい数年となったが、同時に、近代日本洋画史にとっても、正に変革の時代であった。
 和田の経歴から見てみると、入塾後僅か1年、1892(明治25)年に曽山が急逝した為原田直次郎の画塾錘美館に移っている。〔中略〕
 1894(明治27)年、原田が脊髄炎を煩い塾の運営が難しくなった為に、和田は帰朝したばかりの黒田清輝と久米桂一郎が開いた天真道場に入門する。
 初めてこの塾を見学した時のことを和田は、「黒田先生の絵を描いている処を見て、すっかり参って仕舞ったのでした」と語っている。
 これ以降、和田の画風は黒田風つまり明るい外光派表現に転じた。
 1896(明治29)年には、黒田のつくった白馬会に参加し、又東京美術学校西洋画科に助教授として就任することになったのである。
 このことは、近代日本洋画史に照らせば、正に旧派から新派への転向ということになる。
 黒田がFranceで学んだラファエル・コランの画風は、旧来の重々しい写実主義ではなく、明るい戸外の陽光を取り入れた情感豊かなものだった。〔中略〕
 その為、黒田の画風は新派と呼ばれ、曽山や原田等の画風は旧派と呼ばれる様になるが、和田が修行時代にこの両派を経験した成長して行ったことは、後年彼が自己の様式を確立して行くに当っての基層となったに違いない。(了)

[22]刈谷市美術館前『和田英作』展看板前にて
 22

[23]刈谷市美術館entrance
 23entrance

[24]本展leaflet
 24leaflet

[25]同『藁を編む少女』1896年
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[26]和田英作『新聞を読む』1897年
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[27]同『渡頭の夕暮』1897年
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[28]1898(明治31)年 24歳頃の和田英作
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[29]和田英作『マダム・シッテル像』1903年
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[30]1908(明治41)年 妻・滋(シゲ)と
 30190841

[31]和田英作『赤い燐寸(マッチ)』1914(大正03)年
 31191403model18921984

 Modelは渋沢栄一子息・渋沢秀雄(1892-1984)〕伊豆・土肥の海

[32]同『薔薇』1925(大正14)年
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[33]正装を身につけた和田英作
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[34]同『富士(河口湖)』1926(大正15/昭和元)年
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[35]同『逢妻(あづま)風景』1946(昭和21)年
 35194621

[36]同『古驛(ふるさわ)近く(知立東口)』1947(昭和22)年
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[37]同『杉浦元司(げんし)肖像』1947(昭和22)年
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[38]同『静物(Still Life)』1948(昭和23)年
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[39]1948年09月08時 現・愛知県知立市にて『家路へ』(1949年)を射精中の和田英作(73歳)
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[40]同『雲雀啼く頃(When Skylark Chirping)』1948(昭和23)年
 40when_skylark_chirping194823

[41]同『静物(玉葱と夾竹桃/Onions & Oleanders)』1948(昭和23)年
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[42]同『野村鉄司肖像』1949(昭和24)年
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【小生comment】
 以下は昨日の3つの美術館巡り(04月23日)の余談である。

 世の中、狭いものである
 今日は、好きな美術館3つ見ようと、9時半に刈谷市美術館に『和田英作』展に入ろうとしたその時、「ようっ、今泉! 久しぶり!」と声をかけられた
 見たら、旧行時代の梶原君だ
 彼は、趣味のマラソンを、最近は名鉄のハイキングコースを走っていると言う
 今日は、K君曰く「今泉、このハイキングコースのパンフをあげるヨ、これを見せたらこの美術館の入場料200円引きになるヨ、じゃあまたナッ」とパンフをくれた
 梶原君と別れ、和田英作の名画を堪能して、名古屋矢場町にある松坂屋美術館『春の院展』へ
 「今日は何かいいことありそうだな」と思っていた矢先、松坂屋美術館チケット売場に並んだら、すぐ後ろから「院展の招待券が一枚余っているから、貴方良かったらどうぞ!」と見ず知らずの方がticketを下さった
 「ホント、今日はいいことが続いて起きたナ」と喜んで、3つ目のヤマザキマザック美術館『アイズピリ・コレクション』展へ
 流石に、3箇所続けてグッドラックは起きなかったが、愉快な一日となった

【後記】春を詠んだ漢詩で誰もが知っている名詩をもう一つあげるとすれば「江(こう)碧(みどり)にして鳥逾(いよい)よ白く‥」で始まる、杜甫の『絶句』二首 其二ですネ。
 この漢詩は、次回《会報》にてご紹介するとして、今日は、同じ杜甫(712-770)の『絶句』ニ首 其一をご紹介したい。
 これは、其一・其二と続く連作の第一作。

  絶句 ニ首 其一 杜甫
 遅日江山麗
 春風花草香
 泥融飛燕子
 沙暖睡鴛鴦

 遅日(ちじつ) 江山(こうざん)麗(うるわ)し
 春風(しゅんぷう) 花草(かそう)香(かん)ばし
 泥(どろ)融(と)けて 燕子(えんし)飛び
 沙(すな)暖かにして 鴛鴦(えんおう)睡(ねむ)る

【意味】日が暮れるのが遅くなった春の日 川も山も美しく照り映え
 春風が吹き渡り 草花の芳しい香りが漂う
 (柔らかく)溶けた泥を (巣作りの為に)燕が啄(ついば)み飛んでいく
 (陽溜まりで)暖か砂地の川原では 鴛鴦(オシドリ)が(番(つがい)で)眠っている

【小生comment】
 杜甫が細やかな観察眼で、暖かな春の日の一情景を優しく詠んでいる
 極めて絵画的な美しく明るい五言絶句である
 杜甫が一生のうちで一番幸福だった成都時代(759-765/杜甫47~53歳)に詠んだ詩である
 この詩に続いて、本項冒頭でご紹介した、同じく五言絶句の其二が続く‥
 これは、次号《会報》をお楽しみに!

 ではまた‥。(了)

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