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2016年5月 6日 (金)

【時習26回3−7の会0599】〜「松尾芭蕉『笈の小文』第13回【吉野山・高野山・和歌浦】【旅賦】」「05月01日:静岡県立美術館『東西の風景』展を見て」

■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です。
 今日も【時習26回3-7の会 0599】号をお送りします。

■今日最初の話題も、前《会報》に引き続き、松尾芭蕉『笈の小文』。今日はその第13回【吉野山・高野山・和歌浦】&【旅賦】をお届けする。
 以下、お届けする予定を記して置きたい。

《第14回》【大和路】‥《会報》【0600】号
 :貞享05年04月01日(新暦1688年04月30日)
 文中に『唐招提寺』にて鑑真和上像を見て感動している場面がある
 →・記録では、貞享05月08日(新暦1688年05月07日)頃、奈良に居て此の頃鑑真和上像を拝している、とある
《第15回》【須磨・明石夜泊】‥《会報》【0601】号
 :貞享05年04月13日(新暦1688年05月12日)
 【大和路(=衣更)】の最後の段で、大坂に到着後のことが記され、大阪の八軒屋久左衛門宅に滞在、とある
《第16回(最終回)》【須磨2】‥《会報》【0602】号
 :貞享05年04月19日(新暦1688年05月18日)に尼崎を出航、兵庫に夜泊
 →・翌04月20日(新暦05月19日)に、【須磨・明石】を廻り、須磨に一泊
 →・芭蕉と杜国は、その後須磨を発って貞享05年04月23日(新暦1688年05月22日)、京都に到着

 それでは、【吉野山・高野山・和歌浦】&【旅賦】をお届けする。

【吉野山・高野山・和歌浦】
《原文》
   桜

  桜がり(注1)きどくや日々に五里六里

  日は花に暮(くれ)てさびしやあすならふ(注2)

  扇(あふぎ)にて酒くむかげやちる桜

   苔清水(こけしみづ)(注3)

  春雨(はるさめ)のこした(注4)につたふ清水(しみづ)哉(かな)

《現代語訳》
   桜

 【意】毎日毎日、我乍ら奇特(きどく/きとく)なことだ
    桜を見るために五里六里と歩き回るんだから‥
    
 【解説】幕末の俳人池永大蟲(だいちゅう(?-1871))編「芭蕉翁真蹟拾遺」に「六里七里ごとに替る花見哉」の句形も伝わる
  季語:「桜がり」‥(春)

 【意】花見して過ごした一日が暮れていく
    桜木の脇にあるあすなろの木が寂しげに見える
    明日には(檜(ヒノキ)に)になろうと願いつつもなれない、その哀れさが寂しさを誘う
    
 【解説】『笈日記』伊勢部に「讃ニ幅」として「蘭の香や}と並記して、
    あすは檜の木とかや、谷の老木のいへる事あり
    きのふは夢と過て、あすはいまだ来らず
    たゞ生前一樽のたのしみの外に、あすは/\といひくらして、終に賢者のそしりをうけぬ
      さびしさや華のあたりのあすならふ ばせを

    因みに『笈日記』は、各務支考(1665~1731)(=蕉門/東華坊・西華坊・獅子庵等/美濃出身で美濃派の祖)編
    芭蕉逝去の翌年1695年刊行/「笈の小文」の遺志をつぐ意に由来する書名/松尾芭蕉の遺吟・遺文を収める
  季語:「花」‥(春)

 【意】舞い散る桜の花弁(びら)を「扇を差し出して受け止めん」とした
    その所作は正に能狂言での酒を汲む仕草(しぐさ)だ
    こんな姿をする自分は矢張り粋狂であることヨ
  季語:「桜」‥(春)

   苔清水

 【意】苔むした岩間に流れ落ちる清水が見える
    この清水は、春雨が降って木の下に滴り落ちた水が流れ出したものだ
  季語:「春雨」‥(春)

《語句/解説》
 (注1)桜がり:桜を追い求めて逍遥すること
 (注2)あすならう:ヒノキ科アスナロ属の常緑針葉樹/高さ10~30m
 (注3)苔清水:吉野山西行庵のそばにある「とくとくの清水」
    とくとくと落つる岩間の苔清水汲みほすほどもなき住居かな〔伝 西行作〕
 (注4)こした:木の下

《原文》
 よしのゝ花に三日とゞまりて、曙、黄昏(たそがれ)のけしきにむかひ、有明の月の哀(あはれ)なるさまなど、心にせまり胸にみちて、あるは摂章(=政)公(注1)のながめにうばゝれ、西行の枝折(しをり)(注2)にまよひ、かの貞室(ていしつ)(注3)が「是(これ)は/\」と打(うち)なぐり(注4)たるに、われいはん言葉もなくていたづらに口をとぢたる(注5)いと口をし。
 おもひ立(たち)たる風流いかめしく(注6)侍れども、爰(ここ)に至りて無興(ぶきょう)の事なり。

《現代語訳》
 花の盛りの吉野に三日滞在して、曙、黄昏の景色に向かい、有明の月のものの哀れなる様等、心に迫り胸に満ちて、ある時は摂政(=藤原義経)公が「昔たれかかる桜の種を植ゑて吉野を花の山となしけむ〔‥昔、誰が桜の種を植えて吉野を桜の名所にしたのだろう?‥〕」と詠んだ絶景の眺めに心奪われ、またある時は、西行法師が「去年(こぞ)の枝折の道かへてまだ見ぬ方の花をたづねむ」と詠んだ様に、あちこち歩いて廻り、又かの安原貞室が「これはこれはとばかりに花の吉野山」と磊落な(=大らかに詠み放った)句を思い出したりしていると、もう私には言葉も失って仕舞い、一句も出来ないのが残念でたまらない。
 吉野で名句を一句を詠もうと物々しく意気込んだ来たが、肝腎な時に一句も詠めないのは興ざめである。

《語句/解説》
 (注1)摂政公:後京極摂政藤原良経(1169-1206)/平安時代末期~鎌倉時代初期の公卿・歌人
    「昔たれかかる桜の種うゑて吉野を花の山となしけむ」(新勅撰・春上)による
    ほかに後京極摂政の歌では百人一首「きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに衣かたしきひとりかも寝む」が有名
 (注2)西行の枝折:「吉野山こぞの枝折の道かへてまだ見ぬ方の花をたづねむ〔‥吉野山/去年枝を折って目印をつけて置いた道とは別の道に変えて、まだ見ていない方面の花を尋ねてみることにしよう‥〕」(新古今・春上)
 (注3)貞室:松永貞徳(ていとく)(1571-1654)門下で、松江重頼(しげより(1602-80))と双璧/『貞門(ていもん)派』
    安原貞室(やすはらていしつ)(1610-73)/「これはこれはとばかりに花の吉野山〔曠野(あらの)〕」
 (注4)打なぐる:磊落(おおらかに)に詠み放つ
 (注5)口をとぢたる:実際には「吉野 ‥ 花ざかり山は日ごろの朝ぼらけ/芭蕉〔芭蕉庵小文庫〕」の作品が伝わる
 (注6)いかめしく:物々しく

《原文》
   高野(かうや)(注1)

  ちゝはゝのしきりにこひし雉(きじ)の声(こゑ)

  ちる花にたぶさ(注2)はづかし奥の院(ゐん) 万菊

   和歌(注3)

  行春(ゆくはる)にわかの浦にて追付(おひつき)たり

  きみ井寺(注4)

《現代語訳》
   高野

 【意】高野山で雉の声を聞く
    すると無性に父母がしきりに恋しく感じられることだ
 【解説】「山鳥のほろほろ鳴く声きけば父かとぞ思ふ母かとぞ思ふ〔『玉葉集』行基〕」を踏まえた句
    行基が高野山で詠んだと伝わる歌
    「焼野の雉」は子を思うことの深いものの比喩
  季語:「雉」‥(春)

 【意】此処「高野山」も今や落花の季節だ
    この神聖な「奥の院」にいると「髻(もとどり)」を結った俗人姿の自分が場違いの様で恥ずかしく感じられる
  季語:「ちる花」‥(春)

   和歌の浦にて

 【意】吉野・高野と春の情緒を追いかけて来たが、漸くこの和歌の浦で行く春(=晩春)追いついた様だ
    ジックリ情緒を味わうとしよう
 【解説】「行春」と「追付たり」の対称が俳諧の妙味
  季語:「行春」‥(春)

  きみ井寺(本文不備)

《語句/解説》
 (注1)高野:和歌山県伊都郡高野町にある古義真言宗総本山金剛峯寺
 (注2)たぶさ:「もとどり」=「髻」
 (注3)和歌:和歌の浦/和歌山市南方の海岸/歌枕
 (注4)きみ井寺:紀三井寺/和歌浦の東岸金剛宝寺護国院/西国三十三観音霊場第ニ番札所
    本稿は、Titleだけあって本文がない
    本文記載と失念して仕舞ったのかもしれない
    何故ならは、芭蕉は紀三井寺で俳句を残しているからだ
    その句とは‥
    「みあぐれば さくらしもうて 紀三井寺 ばせを」

【旅賦(たびのふ)】
《原文》
 跪(=踵)(注1)はやぶれて西行(さいぎやう)にひとしく、天龍(てんりゆう)(注2)の渡しをおもひ、馬をかる(注3)時はいきまきし聖(ひじり)(注4)の事(こと)心にうかぶ。
 山野(さんや)海濱(かいひん)の美景に造化(ざうくわ)の功(こう)(注5)を見(み)、あるは無依(むえ)の道者(だうしや)(注6)の跡をしたひ、風情の人の実(まこと)をうかがふ。
 猶(なほ)、栖(すみか)をさりて器物(きぶつ)のねがひなし。空手(くうしゆ)なれば途中の愁(ふれへ)もなし。
 寛歩(かんぼ)(注7)駕(が)にかへ、晩食(ばんしよく)(注8)肉よりも甘し。
 とまるべき道にかぎりなく、立(たつ)べき朝(あした)に時なし。
 只一日のねがひ二つのみ。
 こよひ能(よき)宿からん、草鞋(わらぢ)のわが足によろしきを求めんと計はいさゝのおもひなり。
 時々(じじ)気を転じ、日々に情(じやう)をあらたむ。
 もしわづかに風雅ある人に出合(であひ)たる、悦(よろこび)かぎりなし。
 日比(ひごろ)は古めかし、かたくなゝりと悪(にく)み捨(すて)たる程の人も、辺土(注9)の道づれにかたりあひ、はにふ(注10)・むぐらのうちにて見出(みいだ)したるなど、瓦石(ぐわせき)のうちに玉(たま)を拾ひ、泥中(でいちゆう)に金(こがね)を得たる心地して、物にも書付(かきつけ)、人にもかたらんとおもうぞ、又是(これ)旅のひとつなりかし。

《現代語訳》
 (歩き続けるから)踵(かかと)は傷つくので「西行法師と同じ」と思えば慰められる。
 西行と言えば、彼が天龍川で船に乗ろうとした時、満員だと頭を打たれて下船させられた。
 その時西行は「これも修行だ」と怒らなかった。
 あの時の話を思い、又、馬を借りる時は、(‥高野の証空上人が馬に乗って都へ向かう途中、擦れ違い様に馬と一緒に落とされたことに‥)証空上人は息巻いたが、冷静を失って仕舞った自分を恥じて逃げ帰ったという逸話も心に浮かぶ。
 山野や海浜の美しい景色を見ると天地創造の神の業を実感し、或は執着を超脱した修行者の足跡を実感し、風雅の人の心の真実の意味を感得する。
 又、住居を捨て去って身であるから物欲も無い。
 何も持たない旅なので途中賊に襲われて物を取られる心配もない。
 籠に乗らない歩きの旅なのでゆっくりと歩く。
 腹がすかせてからの晩飯だから肉よりも美味しいものだ。
 泊まる場所も自由、朝いつ出発時間も自由だ。
 そんな一日の中にも願い事が二つだけある。
 今晩良い宿であることと、足にあった草鞋が欲しいこと、こればかりはささやかな願いだ。
 時々刻々と気分を変えて、日に/\新しい思いになる。
 もし少しでも風雅を解する人に出会えたら、この上ない悦びだ。
 日頃は古めかしく頑固な人だと憎らしく思う程の人でも、片田舎での旅の道連れとして語り合い、粗末な埴生の宿や弦草の茂った茅屋に泊まり語らううちに、意外と風流な人だと解ったりする。
 これなどは、瓦礫の中の宝石を拾い、泥の中に金銀を得たような心地がして、文章に書いたり、座談の種にもしようと思う。
 これも又旅の一つのあり方だ。

《語句・解説》
 (注1) 跪:「きびす」「踵」の誤記/かかと
 (注2)天龍:天龍川は長野から静岡、太平洋へ注ぐ大河
    西行が天龍川で乗船した処、「満員だから降りろ」と下船させられたが、「これも仏道修行だ」と言い怒らなかったという逸話を踏まえる(『西行物語』)
 (注3)馬をかる:馬を借りる
 (注4)いきまきし聖:高野の証空上人が京へ向かう途中、狭道で、女の乗った馬と摺れ違った際、その馬方が上人の乗った馬を上人と一緒に堀に落とした
    その事に怒った上人だが、途中で冷静を失っていた自分の愚かさに気付き逃げ帰ったという(『徒然草』106段)
 (注5)造化の功:天地創造の神の業(わざ)
 (注6)無依の道者:一切の執着を脱した修行者
 (注7)寛歩:ゆっくり歩くこと
    「無事当貴、早寐当富、安歩当車、晩食当肉」(『書言字考? ̄€用集』に「居窮四昧」として)
 (注8)晩食:空腹になってから晩く食べる食事(すると、肉よりもおいしく感じられる)
 (注9)辺土:片田舎
 (注10)はにふ:埴生の小屋/土間に筵(むしろ)を敷いて寝る様な粗末な家
 
■今日最後の話題は、05月01日に車で2つの美術館の企画展を見て来た。
 静岡県立美術館の『開館30周年記念展/東西の絶景』と、浜松市にある平野美術館『浜松が生んだ日本画の巨匠/生誕100周年/野島青茲』展である。
 そのうち今日は、最初に訪れた静岡県立美術館『開館30周年記念/東西の絶景』の模様をお伝えする。

【静岡県立美術館の『開館30周年記念展/東西の絶景』】
 本展は、静岡県立美術館が所蔵する内外の風景画特集である。
 今回は特にcommentはしませんん。
 理屈抜きに名画の醍醐味を堪能して下さい。

[01]静岡県立美術館入口付近の本展案内
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[02]同美術館入口01
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[03]同上02
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[04]下村寒山・横山大観『日・月蓬莱山図』1900年頃
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[05]秋野不矩『廻廊』1984年
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[06]佐伯祐三『ラ・クロッシュ』1927年
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[07]児島善三郎『箱根』1937年頃
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[08]小絲源太郎『春雪』1953年
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[09]香月泰男『冬畠』1965年
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[10]曾宮一念『スペインの野』1968年
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[11]東山魁夷『富士』1955年
 111955

[12]ジャン=バティスト=カミ―ユ・コロ―『メリ街道、ラ・フェルテ=ス=ジュアール付近』1862年
 121862

[13]カミ―ユ・ピサロ『ライ麦畑、グラット=コックの丘、ポントワ―ズ』1877年
 131877

[14]ポール・ゴーギャン『家畜番の少女』1889年
 141889

[15]ポール・シニャック『サン=トロペ、グリモ―の古城』1899年
 151899

[16]モーリス・ヴラマンク『小麦畑と赤い屋根の家』1905年
 161905

[17]ジョアン・ミロ『シウラナの教会』1917年
 171917

【後記】前《会報》でお話した様、05月05日は二十四節気でいう『立夏』。
 朝晩は、まだ涼しさを感じるが、日中陽射しの強い太陽が照り渡ると流石に暑さを感じる様になった。
 その様な陽気の中で一陣の風が吹く情景を詠んだいい句を見つけた。

 青空の中に風吹く薄暑かな
松瀬青々(まつせ せいせい(1869-1937))

  季語「薄暑」‥〔夏〕‥

 季語が「春」であるが、一寸前迄開花の季節であった白い「梨の花」。
 以前にも紹介したことがあるが、写実的で平易、そして清々しい感じがする名句がある‥

 青天や白き五弁の梨の花
原石鼎(せきてい(1886-1951))

※ 松瀬青々、原石鼎は共にホトトギス派俳人
  因みに原石鼎は高浜虚子(1874-1959)の愛弟子で虚子時代のホトトギス同人
  一方の松瀬青々は、高浜虚子より5歳年長で、正岡子規や月刊俳誌『ほとゝぎす』創刊者 柳原極堂より2歳年少のホトトギス派最初期の俳人

 そうそう、前々回の《会報》で杜甫(712-770)の『絶句』ニ首 其ニをお示しすることをお約束していて失念しました
 今回ご紹介します
 ご覧下さい
 これも絵画的で色彩豊かな名詩でしょ?
 !(^-')b♪

 江碧鳥逾白
 山青花欲然
 今春看又過
 何日是帰年

 江(こう)碧(みどり)にして 鳥 逾(いよい)よ白く
 山青くして 花 燃(も)えんと欲す
 今春看(みすみ)す又(また)過ぐ
 何れの日にか 是れ帰年ならん

【意】江(かわ)の水は深緑色をして、水面を飛ぶ鳥は白さが一層際立って見える
 山の草木の青さに映え、其処に咲く花は燃える様に真紅で目に沁みる
 あぁ、今年の春もこうしてあっという間に過ぎていく
 故郷に戻れる日はいつ遣って来るのだろう‥

※ ※ ※ ※ ※

 梨花というと、北宋の蘇軾(蘇東坡(1036-1101))が詠んだ以下の優れた漢詩がある。

 和孔密州五絶 東欄梨花  蘇軾

 梨花淡白柳深青
 柳絮飛時花滿城
 惆悵東欄一株雪
 人生看得幾清明

 孔密州(こうみっしゅう)の五絶に和す 東欄の梨花

 梨花は淡白 柳は深青
 柳絮(りゅうじょ)飛ぶ時 花 城に満つ
 惆悵(ちうちゃう)す 東欄 一株(いっしゅ)の雪
 人生 看得(う)るは 幾清明

【意】梨花は淡い白色、柳は深い緑色(‥をして実に美しい‥)
 柳絮(注)が飛ぶ季節となり、又、(梨の)花が街中一杯に咲いている
 庭に面した東側の欄干の傍らに咲いていた一本の雪の様に白い梨花を思い浮かべ物思いに耽る‥
 儚い一生、あと何回『清明』節にこの美しい梨花を観ることが出来るだろうか
 (注)柳絮:柳の花が咲いた後、風に舞う綿毛のある種子
 惆悵:嘆き恨むこと(「惆」「悵」いずれも「うらむ」の意)

【解説】本詩の作者である蘇軾(東坡)が、知事として徐州に着任して間もない頃の話。
 蘇東坡が是迄務めた密州の後任知事の孔宗翰(こうそうかん←孔子の子孫)から五首の七言絶句が送られて来た。
 本詩は、その返事の詩として詠んだもの『東欄』は、密州の官舎の東の欄干のことで、其処には2株の梨の木があった。
 毎年春の『清明』節の頃には白い花が咲いていた。
 蘇東坡は、「人生 看得るは 幾清明」と、『人生の無常』を詠んでいる。

 松瀬青々、原石鼎、杜甫、蘇東坡‥何れも絵画的・叙景的な俳句&漢詩。
 4作品に詠み込まれている情景はいずれも「青」「青・白」「碧(深緑)・白・青(緑)・然(紅)」「淡白・深青(緑)」と色彩もとても鮮やか。
 詠む者の感性を絵画的に刺激してくれて愉快な気分にさせてくれる。

 ではまた‥。(了)

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