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2016年6月 4日 (土)

【時習26回3−7の会0603】〜「05月28日:名古屋市美術館『藤田嗣治』展を見て」「05月28日:愛知県芸術劇場concert hall『テミルカーノフ指揮サンクトペテルブルク・フィルハーモニー演奏会』を聴いて」「橘玲(あきら)著『言ってはいけない 残酷すぎる真実』から‥」

■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です。
 今日も【時習26回3-7の会 0603】号をお送りします。

■今日最初の話題は、05月28日 名古屋市美術館『藤田嗣治』展についてである。
 本展開催の趣旨を「ごあいさつ」から引用してご紹介する。

 〔前略〕今回の展覧会は、東と西の間に花開いた藤田嗣治の芸術の全貌を紹介するものです。
 画家没後長らく遺族のもとに保管され、ランス市(The city of Reims)に寄贈された800点の中から選び抜かれた作品を中心に、国内外の主要なcollectionを網羅した本展は、複雑にして多面的な要素を持つ藤田芸術の真髄に触れる絶好の機会となるでしょう。
 未公開作品多数を含む本展が、藤田芸術の新たな解釈と理解につながることを期待しています。〔後略〕

 では、早速珠玉の作品の数々をご覧下さい。

[01]名古屋市美術館入口近くの本展案内看板
 01

[02]本展leaflet
 02leaflet

[03]藤田嗣治『自画像(Self Portrait)』1910年
 03self_portrait1910

[04]同『巴里風景(Paris Street Scene)』1918年
 04paris_street_scene1918

[05]同『五人の裸婦(Five Nudes)』1923年
 05five_nudes1923

[06]同『エレ―ヌ・フランクの肖像(Portrait of Helene franck)』1924年
 06portrait_of_helene_franck1924

[07]同『裸婦(Nude)』1928年
 07nude1928

[08]同『自画像(Self-Portrait)』1929年
 08selfportrait1929

[09]同『北川民次の肖像(Portrait of Tamiji Kitagawa)』1933年
 09portrait_of_tamiji_kitagawa1933

[10]同『レ・ゼジ(Les Eyzies)』1939年
 10les_eyzies1939

[11]同『青いドレスの女(Woman in Blue)』1939年
 11woman_in_blue1939

[12]同『自画像(Self-portrait)』1943年
 12selfportrait1943

[13]同『サイパン島同胞臣節を全うす(Compatriots on Saipan Island Remain Faithful to the End)』1945年
 13compatriots_on_saipan_island_rema

[14]同『ノートル=ダム・ド・ベルヴゼ/ヴィルヌーヴ=レ=ザヴィニョン(Notre-Dame de Belvezet Villeneuve-les-
Avignon)』1951年
 14notredame_de_belvezet_villeneuvel

[15]同『少女の肖像(Victor Berger-Vachon(べルジェ=ヴァション)の息女)』1951年
 15victor_bergervachon1951

[16]同『X夫人の肖像(Portrait of Madame X)』1957年
 16portrait_of_madame_x1957

[17]同『パリ、カスタニャリ通り(Castagnary street, Paris)』1958年
 17castagnary_street_paris1958

[18]同『庭園の子供達(Children in the Garden)』1958年
 18children_in_the_garden1958

[19]同『ノートルダム=ド=パリ、フルール河岸(Quai aux fleurs Notre Dame de Paris)』1963年
 19quai_aux_fleurs_notre_dame_de_par

[20]同『静物(夏の果物)(Still-Life(Summer Fruits))』1963年
 20stilllifesummer_fruits1963

[21]同『聖母子(Virgin with a Child)』1959年
 21virgin_with_a_child1959

【小生comment】
 藤田嗣治(1886-1968)の一生は、正に波乱万丈の81年であった。
 色々な観点から言っても驚嘆の一語であるし、彼の生き様は知れば知る程興味が尽きない。
 以下に藤田の略歴を記すが、Ecole de Parisの著名画家達と親交を結び、生涯で5度(France人3人、日本人2人)の結婚、第二次世界大戦に於ける戦争犯罪人としての嫌疑と祖国日本との決別、France人への帰化とCatholicへの改宗等々。
 彼の60年以上に及ぶ画歴を辿りながら「藤田はどう思い、どの様に行動して来たのか?」と考え乍ら展示作品をジックリと見た。
 彼の画家としての技量は矢張り素晴らしく『天才だ!』、と実感させられた展覧会であった。
 再来年は、藤田の没(1968年)後丁度50年に当たるので、又、素晴らしい企画展が開催されるだろう。
 楽しみである。

《藤田嗣治の略歴》
 1886年 11月27日 東京市牛込区(現・新宿区)新小川町に4人兄弟の末子として生まれる
     父(藤田嗣章)は、森林太郎(=森鴎外)の後任陸軍軍医総監
 1905年 東京美術学校西洋画科入学
 1910年 同校卒業
 1912年 07月 美術学校教師、鴇田登美子と結婚
 1913年 渡仏/Paris、Montparnasseに住む/藤田の隣室がモディリアー二で親交を結ぶ
 1916年 鴇田登美子と離婚
 1917年 03月27日 フェルナンド・バレ(Fernande Barrey)と2度目の結婚
 1919年 サロン・ド―トンヌに油彩2点、水彩4点出品、全て入選/会員に推挙される
 1922年 ベルギー生まれのリシュ―・バドゥ―(1903-68)と出会い、交際を始める
 1924年 フェルナンド・バレと別居し、Montparnasseを離れ、高級住宅街16区でバドゥ―(日本名:ユキ)と暮らし始める
 1925年 France政府からレジオン・ドヌ―ル勲章(シュヴァリエ)、ベルギー政府からレオポルド勲章(シュヴァリエ)を受賞
 1928年 フェルナンド・バレと正式離婚
 1929年 02月04日 ユキと正式結婚/09月23日 ユキを伴い17年振りに日本へ帰国
 1930年 02月14日 Parisに戻る/11月06日 米国New Yorkへ
 1931年 一旦Parisに戻った後、新しい愛人マドレーヌと共に南北米を歴訪
     11月15日Brazil リオデジャネイロ着
 1932年 03月28日 Argentine Buenos Aires着
     Bolivia→Peru→Ecuador→Panama→11月26日 Mexico Mexico City着
 1933年 米国経由で11月17日 マドレーヌを伴い日本に帰国
 1936年 1935年一旦Franceに帰国していたマドレーヌが再来日し、06月29日 急死する
     07月平野政吉の招待に拠り秋田へ旅行
     1935年堀内君代(1911-2009)と出会った藤田は12月一緒に生活を始める
 1937年 秋田・平野政吉邸内にある土蔵に大壁画『秋田の行事』を制作
 1938年 海軍省嘱託となる
 1939年 04月 君代夫人と共に日本を発ち、米国を経て05月08日、Montmartreに住む
 1940年 05月23日 ドイツ軍の侵攻に拠り陥落寸前のParisを脱出、Marseilles発の伏見丸で日本へ
     07月07日神戸港着、翌8日東京着
 1941年 01月13日 父嗣章死去(享年85歳)
     10月15日 帝國芸術院から文化使節として東南アジアに派遣され、仏領インドシナを訪ね12月18日帰国
 1942年 04月05日 日本を発ち、サイゴンを経て、05月01日 藤田、宮本三郎、小磯良平ら6人の画家、Singapore着
 1943年 06月 南太平洋方面に派遣される/07月中旬迄には帰国
     09月01日~16日 東京都美術館に『アッツ島玉砕』を出品
 1945年 04月11~30日 東京都美術館に『サイパン島同胞臣節を全うす』を出品
 1946年 04月 日本美術会が結成され、戦争責任者listが作成され、藤田は最も責任重大な人物として指弾される
     この年、GHQの印刷・出版担当官フランク・シャーマンと出会い、全面的な支援を受ける
 1947年 02月 GHQが戦争犯罪者リストを公表したが、藤田の名前なく、戦争犯罪者としての嫌疑が正式に晴れる
 1949年 03月 単身米国へ/05月に君代夫人とNew Yorkで合流
 1950年 01月27日 New Yorkを出航、02月03日 ル・アーヴル着/02月14日 Paris着
 1951年 01月 画商アンドレ・ロマネと共に北アフリカに旅行し、個展を開催、成功を収める
 1954年 01月28日 ユキと正式離婚する
 1955年 02月28日 君代夫人と共にFrance国籍取得、日本国籍を抹消する
 1957年 France政府よりレジオン・ドヌ―ル勲章(オフィシエ)を受賞
 1959年 10月14日 君代夫人と共にCatholicの洗礼を受ける
     藤田はレオナ―ル、君代はマリー=アンジュ=クレールと改名
     『聖母子』をランス大聖堂に寄贈
 1966年 03月 礼拝堂の工事が始まり、06月01日から藤田に拠るfresco画の制作開始
     08月31日完成/12月08日 膀胱癌との診断を受ける
 1968年 01月29日 Zurichの州立病院にて死去(享年81歳)

■続いては、『藤田嗣治』展を見た後、愛知県芸術劇場concert hallにて17時00分に開演されたYuri Temirkanov 指揮St. Petersburg Philharmonic Orchestra 演奏会についてである。
 サンクトペテルブルク P.O.は、1992年に現在の名称に変更される迄は、旧・レニングラードP.O.として親しまれていた。
 1938年にエフゲニー・ムラヴィンスキーが半世紀近く音楽監督に君臨。
 ムラヴィンスキーは、不朽のTchaikovsky後期交響曲3曲をはじめ、数々の名演奏を聴かせてくれた。
 そして、1988年ムラヴィンスキーが亡くなった後、同楽団の音楽監督に就任したのが、ユーリ・テミルカ―ノフである。
 この日演奏された2曲も、彼とサンクトペテルブルク・フィルにとっては正に十八番。
 本当に期待通りの素晴らしい名演奏であった。
 最初に演奏されたラフマニノフのピアノ協奏曲第三番は、難曲中の難曲として有名。
 この曲は、2015年01月29日に辻井伸行君のピアノ独奏、ヴァシリー・ペトレンコ&ロイヤル・リヴァプール・フィルの演奏で聴いて以来である。
 2015.02.07付【2637の会 0535】 http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/2605350129conce.html 参照
 この難曲を、チョ・ソンジンが素晴らしい演奏で聴衆を魅了した。
 因みに彼は、1994年05月28日生まれというから、この演奏会の当日が22歳の誕生日であった。

[22]本演奏会leaflet
 22leaflet

《演奏曲目》
1. S. Rachmaninov(18-19) / Piano Concerto No.3 in d minor Op.30
  Piano; Seong-Jin Cho(チョ・ソンジン(1994-))
   Schubert / 楽興の時 第3番 Op.94-3
2. N. Rimsky-Korsakov / Symphonic suit "Scheherazade" Op.35
   Sir E. W. Elgar(1857-1934) / Salut d'amour(Love's Greeting(愛の挨拶))

【小生comment】
 テミルカーノフのリムスキー・コルサコフ「シェヘラザード」は、正にアラビアンナイトの世界に誘(いざな)ってくれた。
 正真正銘の名曲であり名演奏で、夢心地の至福の45分間だった。

■今日最後の話題は、最近読んだ橘玲(あきら)(1959-)著『言ってはいけない 残酷すぎる真実』から一部をご紹介する。
〔コラム3〕P.49~53
※ ユダヤ人はなぜ知能が高いのか ※
 著名な科学者の中でユダヤ人が占める割合は、米国と欧州では人口比率から予想されるより10倍も高い。
 過去2世代に於いてユダヤ人は科学関連のNobel賞の4分の1以上を獲得したが、彼等の数は世界人口の600分後にも満たない。
 20世紀のchess championの半数はユダヤ人で、米国に於いては人口の3%未満に過ぎない彼等が企業のCEO(最高経営責任者)の約5分の1、Ivy league(注1)の学生の22%を占めている。
 ―こうした数字を挙げた上で、「ユダヤ人はなぜ知能が高いのか」の謎に迫ったのが、物理学者出身のグレゴリー・コクランと人類学から集団遺伝学に転じたヘンリー・ハーペンディングだ。
 彼等はまず、以下の2つの事実を挙げる。
 ①ギリシア・ローマ時代に於いて、「ユダヤ人の知能が高い」と述べた文献は皆無だった
  (当時、「並外れて賢い」とされていたのはギリシア人だった)
 ②Israelに於けるIQ検査等から解ったのは、極めて知能が高いのはAshkenazim(注2)系のユダヤ人だけだ
  (SephardimやMizrachim等、Ashkenazim以外のユダヤ人の知能は平均と変わらない)
 このことから、問うべきは「Ashkenazim系ユダヤ人だけが何故高い知能を持つようになったのか?」だ〔中略〕
 AshkenazimのIQは平均して112~115くらいで欧州の平均(100)より1標準偏差近く高い。
 平均的な偏差値を50とすると、Ashkenazim系は偏差値60に相当する。
 Ashkenazimは「ドイツの」という意味で、ライン川沿いのユダヤ人communityを発祥とし、その後PolandやRussia等東欧諸国に移り住んで行った。〔中略〕
 Ashkenazim系ユダヤ人には際立った特徴があった。
 欧州に於ける厳しいユダヤ人差別に拠って人口の増加が抑えられていたことと、キリスト教で禁忌とされていた金貸しで生計を立てざるを得なかったことだ。
 こうした条件にユダヤ教独特の多民族との婚姻の禁忌が加わると、数十世代のうちに知能に関する遺伝的な変異が起きてもおかしくはないとコクランとハンペーディングは述べる。
 彼等の仮説は次の様なものだ。〔中略〕

 金融以外に生きていく術(すべ)がないとしたら、数学的な知能(計算能力)に秀でていた方が有利だから、欧州のユダヤ人の富裕層は平均よりほんの少し知能が高かっただろう。
 ユダヤ人は元々多産で〔中略〕、虐殺や追放に拠って人口が抑えられても、知能の高いユダヤ人は追放先で真っ先に経済的に成功し、大家族をつくるのに有利だった筈だ。
 DNA分析では、今日のAshkenazim系ユダヤ人は祖先である中東人の遺伝子を50%近く保有している。
 これは過去2,000年間に於ける混血率が1世代当り1%未満であったことを示しており、此処迄同族婚が極端だと、有利な遺伝的変異は散逸することなく集団内に蓄積される。
 仮に富裕なユダヤ人が平均より1pointだけ知能が高く、平均的な親達拠りも多くの子供を残したとすると、IQの遺伝率を30%と控えめに見積もっても、40世代即ち1,000年後のIQは12point(約1標準偏差)増加する。
 それに対してイスラム圏に住むユダヤ人は〔中略〕金融業に特化することはなかった。
 これが彼等(=イスラム圏に住むユダヤ人)のIQが平均と変わらない理由だ。
 Ashkenazim系の高い知能は、欧州に於ける厳しいユダヤ人差別から生まれたものだ。
 Ashkenazimは〔中略〕遺伝病を持つ率が(他の欧州人の100倍も)高いことが知られている。〔中略〕
 ユダヤ人は、差別的環境への適応として知能を高める変異遺伝子を持つ様『進化』したが、その代償として様々な遺伝病を抱えることになったのではないか、というのがコクランとハンペーディングの仮説だ。

(注1) Ivy League(アイビー・リーグ):イェール(Yale/Connecticut州 New Haven)、ハーヴァード(Harvard/Massachusetts州 Cambridge)、プリンストン(Princeton/New Jersey州 Princeton)、コロンビア(Columbia/New York州 New York)、ダートマス(Dartmouth College/New Hampshire州 Hanover)、コーネル(Cornell/New York州 Ithaca)、ペンシルバニア(Pennsylvania/Pennsylvania州 Philadelphia)、ブラウン(Brown/Rhode Island州 Providence)の8大学
 校舎が蔦(ivy)で覆われている処からその名が付いた
(注2) アシュケナジム(Ashkenazim):ユダヤ系のディアスポラのうちドイツ語圏や東欧諸国などに定住した人々、およびその子孫
 Sephardim(注3)と並ぶユダヤ人の二大勢力
(注3) セファルディム(Sephardim):ディアスポラのユダヤ人の内、主にスペイン・ポルトガル又はイタリア、トルコなどの南欧・中東諸国に15世紀前後に定住した者
(注4) ミズラヒム(Mizrachim):AshkenazimとSephardim社会への反発から始まった言葉で、主に中東・カフカス(=コーカサス)以東に住むユダヤ人

[23]橘玲『言ってはいけない 残酷すぎる真実』
 23

【小生comment】
 欧州のRothschild家に代表される様に、ユダヤ人の大富豪が如何にして高い確率で存在するのかが、橘氏がコクランとハンペーディングの仮説を紹介してくれてよく解った。

【後記】今日は、6月の気分を気持ち良く詠んだ正岡子規の一句をご紹介してお別れします。

【詞書】ほんの二三週間前迄は、新緑だった木々の緑も、最近では日に日に濃さを増していく
 そんな毎日だが、6月に入ってからの此処三四日間は、涼しく清々しい風が吹き、気分を良くしてくれる

 六月を 綺麗な風の 吹くことよ  正岡子規

    1895(明治28)年『寒山落木 巻四』

 ではまた‥。(了)

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