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2016年6月の4件の記事

2016年6月24日 (金)

【時習26回3-7の会 0606】~「06月18日:三菱東京UFJ銀行 貨幣資料館『浮世絵版画特別展‥廣重 冨士三十六景の世界』を見て」「宮崎正弘『「中国大恐慌」以降の世界と日本』を読んで」「06月23日:『時習26回生ミニ同窓会』開催報告」

■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です。
 今日も【時習26回3-7の会 0606】号をお送りします。

■今日最初の話題は、06月18日に前《会報》にてお伝えした松坂屋美術館と古川美術館の企画展を見た後立ち寄った、三菱東京UFJ銀行 貨幣資料館にて開催中の『浮世絵版画特別展‥廣重 冨士三十六景の世界』についてである。
 当該貨幣資料館は、名古屋市東区赤塚交差点南西にある。
 本展は、三菱東京UFJ銀行発足10周年記念企画の特別展。
 旧東海銀行が保有する歌川(安藤)廣重「冨士三十六景」全揃と、葛飾北斎(1760-1849)「冨嶽三十六景」から特に有名な11作品が参考展示されていた。
 葛飾北斎の「冨嶽三十六景」は、歌川広重が「冨士三十六景」を制作するに当たって念頭に会った傑作である。
 だからという訳ではないが、廣重の「冨士三十六景」も確かに良かったのだが、流石に大天才北斎の「冨嶽三十六景」の前では霞んで見えた。
 其処で今日は、企画展のmainの作品群、歌川広重「冨士三十六景」ではなく、葛飾北斎の『冨嶽三十六景』の作品をご紹介したい。
 「冨嶽三十六景」と言えば、人気の三役『神奈川沖浪裏』『凱風快晴』『山下白雨』が夙(つと)に知られていた。
 更に「桶屋の富士」として有名な人気作品『尾州 不士見原』、ご当地 吉田(現・豊橋)の茶屋から見た富士を描いた『東海道 吉田』の2点をご紹介する。
 これ等5点は1831年前後に制作された、北斎71歳の時の作品。
 因みに、廣重の「冨士三十六景」は北斎の「冨嶽三十六景」に遅れること18年程経った1859(安政六)年の制作である。

[01]三菱東京UFJ銀行 貨幣資料館 入口
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[02]本展leaflet
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[03]葛飾北斎『冨嶽三十六景/神奈川沖浪裏』1831年前後
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[04]同『同/凱風快晴』同年〃
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[05]同『同/山下白雨』同年〃
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[06]同『同/東海道 吉田』同年〃
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[07]同『同/尾州 不士見原』同年〃
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[08]三菱東京UFJ銀行 貨幣資料館leaflet
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【小生comment】
 当館は、旧・東海銀行時代から国内外の貨幣と安藤広重の版画の所蔵では有名だった。
 当館に来れば、日本最古の貨幣である富本銭や皇朝十二銭(注)や、日本に2枚しかないという天正大判の本物が見られる。
 因みに、皇朝十二銭とは、和同開珎(708(和銅元)年)~963(應和)03年)にかけ、日本で鋳造された12種類の銅銭の総称
【01】和同開珎(708(和銅元)年)/【02】萬年通寳(760(天平宝字04)年)/【03】神功開寳(765(天平神護元)年)
【04】隆平永寳(796(延暦15)年)/【05】富壽神寳(818(弘仁09)年)/【06】承和昌寳(835(承和02)年)
【07】長年大寳(848(嘉祥元)年)/【08】饒益神寳(859(貞観元)年)/【09】貞観永寳(870(貞観12)年)
【10】寛平大寳(890(寛平02)年)/【11】延喜通寳(907(延喜07)年)/【12】乹元大寳(958(天徳02)年)

■続いては、最近読んだ、宮崎正弘著『「中国大恐慌」以後の世界と日本』についてである。
 著者の宮崎氏は、〔著者紹介〕に中国watcherとして知られる評論家、作家。1946年石川県金沢市生まれ。早稲田大学中退。
 先ずは、以下に本書の章題を記す。

 Prologue/中国発 金融大恐慌が世界を襲う(P.11)
 第一章/迫り来る 人民元大暴落(P.23)
 第二章/Bubble崩壊後の中国の惨状(P.53)
 第三章/台湾の政権交代が示す中国拒絶の動き(P.85)
 第四章/香港で再燃する反中国憎悪(P.105)
 第五章/習近平の危い軍権掌握と南シナ海の行方(P.127)
 第六章/原油暴落と中東を巡る米中露の暗躍(P.165)
 第七章/狂宴の後、動乱へと突入した中国社会(P.199)
 第八章/日本を襲うChina Shockに備えよ(P.229)
 Epilogue/日本が切り拓く「中国崩壊後」の世界(P.257)

[09]宮崎正弘『「中国大恐慌」以後の世界と日本』
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【小生comment】
 中国の内情に詳しい筆者は、中国はいま経済・政治的にかなり病んでいて、中国を発信源とする経済大恐慌が不可避であると説法鋭く述べている。
 氏の述べる処をザックリ言えば次の通りだ。
 中国共産党は、是迄は一党独裁を強みとして「国家資本主義」の如く経済成長を強力に推進し、今やGDPでは日本を抜き世界第2位に躍進。
 しかし、長年の一党独裁が齎した大きな弊害が、幹部から末端に至る共産党員による不正蓄財という政治的腐敗が深刻化。
 中国は、この儘では体制崩壊しかねない程迄社会問題化しているのだ。
 又、中国政府に拠るRiemann shock後の政府系企業への大規模な資金投入は、鉄鋼業に代表される様に、極端な供給余剰を引き起こしている。
 このことについて、宮崎氏は次の様に述べている。
 「過剰在庫の典型は鉄鋼、石炭である。
 鉄鋼の生産能力は12億トンで、世界の約半分を占める。
 国際的には平均で1トンの生産cost 50米$なのに対して中国は90米$もする程に高い。
 しかし余剰在庫を dumping 輸出してこの半値でも売るから、2015年だけでも1億トンは無理矢理捌けたが、その煽りでIndiaのタタが経営不振、韓国ポスコは倒産寸前、Vietnam の製鉄会社が倒産した程に、悪影響は計り知れない」。(P.61)

 又、氏は通貨危機についても、こう警鐘を鳴らしている。
 「(Riemann shockは)米国発の derivative が世界中の機関投資家と金融機関にばらまかれていたのに対して、中国は金融商品として世界に販売していない。
 そもそも中国製のCDS(Credit Default Swap)など誰も買わない。
 邦銀は、中国の developer や建設業者に貸付を殆どしていない。
 つまり中国の経済破綻はすぐれて中国の国内問題であっても国際問題ではない。
 すると導かれる結論は鮮明になる。
 不良債権処理の為に通貨発行量を増やし、銀行倒産を防ぐ為に、運転資金をぶち込み続ける必要があり、現にそうしている訳だ。
 従って人民元の価値は只管(ひたすら)激減する。
 いずれ Freefall(=経済の急降下)が起こる。
 並行して株価の暴落は続き、その複合的な悪影響が世界に心理的panic を運ぶのである」。(P.79-80)

 又、中国の軍拡について、宮崎氏は継続不可能を予想する。何となれば‥
 「かつてソ連は軍事費の負担に耐えられなくなり、経済が樹の幹がボきっと折れる様に破綻、終にソ連邦の崩壊へと繋がったが、同様に、中国のなりふり構わぬ軍拡の金銭的負担は、継続不可能となる事態にいずれ直面するだろう」。(P.141)

 簡単に言って仕舞えば、経済破綻を隠蔽する為に増発された通貨中国元は暴落し、中国国内に極端な inflation を齎し、社会不安の顕在化が予想される。
 しかし、中国政府が強権を発動して社会不安を抑えている限りは簡単には現体制は崩壊しないだろう。
 更に又、中国の人口は日本の10倍あり、中国の上位10%で、日本の全人口に匹敵するのである。
 これ等中国の上澄みの人口上位10~10%(=1億2千~2億4千万人)の国民の需要動向をgripしている限りはあまり問題が起こらないとも言える。
 一方で、所得階層の低い国民層の不満が大規模暴動という形で発生したら、体制崩壊は避けられないのも中国の過去の歴史が証明している。
 その恐ろしさを一番よく知っているのが共産党政権であるので、彼等は強権力を行使して徹底した情報統制を敷き政府批判潰しに躍起になっているのである。
 中国は、内情が海外は勿論、中国国民にも明らかにされていない為、本当によく解らない国である。
 事程左様に中国は奥深い。
 今後も目の離せない隣りの大国、それが中国である。

【後記】昨晩(06月23日(木))は、時習26回生ミニ同窓会を豊橋駅近くの居酒屋にて開催した。
 参加者は、【2637の会】member の林K子さん、中嶋Y行君【3-2】、宮下K一君【3-4】と小生の4人。
 去る3月17日に、《会報》ではご紹介しなかったが、同じ4人で「時習26回生ミニ同期会&中嶋君の誕生日祝い」を開催して以来の集いである。
 今回は、明後日25日が応答日になる林さんの誕生日祝いも兼ねて行われた。
 因みに、添付写真のtable上にあるBirthday cakeは宮下君からのpresent!
 集いでの話題は、同期生の近況や健康長寿に関することが多かった。
 とても楽しい2時間あまりを過ごした後、中嶋君の提案で二次会にも行った。
 が、不覚にも二次会では小生は殆ど寝て仕舞っていた。(笑)
 添付写真は、4人での記念写真。

[10]時習26回ミニ同窓会
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 今日、英国が国民投票でEU離脱を決断した。
 この結果が世界経済に大きな悪影響を及ぼすのではないかと危惧されている。
 日本の株価の下落と円高が進行、この先一体どうなるのだろうか?
 心配である。

 ではまた‥。(了)

2016年6月19日 (日)

【時習26回3−7の会 0605】〜「06月18日:松坂屋美術館『郷さくら美術館所蔵/美しき花鳥風月‥現代日本画名品展』を見て&古川美術館『開館25周年記念展 花鳥の宴』展を見て」「06月18日:愛知県芸術劇場concert hall/ローマ・イタリア歌劇団:G. Puccini(プッチーニ)『La Boheme(ラ・ボエーム)』を見て聴いて」

■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です。
 今日も【時習26回3-7の会 0605】号をお送りします。
 今《会報》は、昨日名古屋へ行って来た模様についてお伝えします。

■今日最初の話題は、松坂屋美術館『郷さくら美術館所蔵/美しき花鳥風月‥現代日本画名品展』についてである。
 昨日は、電車で名古屋へ出かけた。松坂屋美術館に10時15分に到着。
 本展は、「現代日本画の専門美術館」として2006年10月に福島県郡山市に、2012年03月に東京・中目黒に開会した郷さくら美術館の所蔵品の中から、「美しき花鳥風月」を theme にして約60点を展示。
 今日は、その展示作品の中から、いずれも文句なしに美しい絵ばかり12点をご紹介する。

[01]本展leaflet/上段の絵:加山又造(1927-2004)『淡月』1996年
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[02]浅野均(1955- )『残照の木立』1993年
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[03]那波多目功一(1933- )『雨に咲く』1990年
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[04]中島千波(1945- )『白麗花』1993年
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[05]松村公嗣(1948- )『春牡丹』1996年
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[06]小山硬(1934- )『仔羊』1994年
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[07]西田俊英(1953- )『吉備津の弓』2004年
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[08]下保昭(1027- )『初夏の朝』1992年
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[09]後藤純男(1930- )『北嶺新雪』1975年
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[10]千住博(1958- )『楽園の幕間(まくあい)』1992年
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[11]澁澤卿(けい)(1949-2012)『珠楼綵雲』1995年
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[12]曲子明良(まげしあきら)(1947- )『琵琶湖四題 春朧』1992年
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【小生comment】
 日本美術院・同人をはじめ、現代日本画の泰斗として活躍している画家の皆さんの作品である。
 小生、絵でも音楽でも美しいものが大好きなので、本展の様にlevelの高い美しい作品を見ると、年甲斐もなく心がときめきを感じる。

■続いては、松坂屋美術館のある矢場町から地下鉄で池下にある古川美術館へ行った。
 古川美術館では『開館25周年記念展 花鳥の宴』展が開催中であった。
 本展は、古川美術館開館25周年記念行事として、同美術館が所蔵する花鳥風月の名品を展覧するもので、日本画36点と陶磁器4点、漆芸1点の計41点が展示されていた。
 今回ご紹介するのは、shop cornerで販売されていた postcard の絵画4点。
 勿論、これ等以外の作品も傑作揃いだった。

[13]古川美術館入口 本展案内看板
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[14]上村淳之(1933- )『汀』制作年不詳
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[15]安田靫彦(1884-1978)『菖蒲』1965年
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[16]前田青邨(1885-1977)『薔薇』1965年頃
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[17]山口蓬春(1893-1971)『カーネーション』1949年
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【小生comment】
 古川美術館を見た後、為三郎記念館に立ち寄り、竹田耕三追悼展『有松絞りを世界へ』展を見た。
 有松絞りもなかなかいいな、と思って shop corner でネクタイ等の見たが、いい値段がついていて手が出せなかった。(笑)

■続いては、今日最後の話題である。
 昨日、最後に名古屋・栄にある愛知県芸術劇場concert hallにて、17時00分開演の「ローマ・イタリア歌劇団:G,Puccini(プッチーニ)『La Boheme(ラ・ボエーム)』を見て聴いて来たこと」についてである。
 この曲は、Opera が好きな方なら、全員知っている、名曲中の名曲。
 『トスカ』『蝶々夫人』と共に、Puccine の三大悲劇の一つで、全世界のOperaの中でも、ビゼーの『カルメン』、ヴェルディの『椿姫』と共に、世界中で最も人気のある歌劇の一つ。

《時代背景/あらすじ》
 時代&場所設定は、1840~50年代のFranceはParisのカルティエ・ラタンの片隅。
 アンリ・ミュルジェ(1822-61)の自伝的な小説『ボヘミアンの生活情景』が原作。
 因みに、Bohemeとは、ボヘミアン(=ボヘミア人)。語源は、チェコの中心部を指す地名。
 これが転じて、気ままな生活をする人、「芸術家」を意味する様になった。
 芸術家を目指す若者達が出会い、友情を温め、恋をして、別れ、死んでゆく、という青春の一頁の様な episode(←本演奏会 program より一部引用)。
 第1幕で、若い詩人Rodolfo(ロドルフォ)とMimi(ミミ(=Lucia(ルチア)))が出会った時に二人が続けて歌うaria ‥ Rodolfoのaria「冷たい手を」と Mimiのaria「私の名はミミ」が絶品。
 この他、Marcello(マルチェッロ)の元恋人 Musetta(ムゼッタ)が歌う「私が街を歩くと」も大変有名。
 これ等3曲は、歌劇『ラ・ボエーム』を知らない方でも「あぁ、この曲なら聴いたことがあるヨ」と思われるだろう。

 「冷たい手を」https://www.youtube.com/watch?v=_HS-sO5FiAA 〔(T)ルチアーノ・パヴァロッティ〕
 「私の名はミミ」https://www.youtube.com/watch?v=5-9gTRbWZrU 〔(S)マリア・カラス〕
 「私が街を歩くと」https://www.youtube.com/watch?v=svfttXrD7yw 〔(S)リタ・シュトライヒ〕

[18]愛知県芸術劇場 concert hall入口
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[19]本演奏会program
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[20]《ミミ(S)》カルミラ・レミージョ
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[21]左上《ロドルフォ(T)》ジュゼッペ・ディステファノ/右上《ムゼッタ(S)》サブリナ・コルテーゼ/左下《ジョナール(音楽家)(BBr)》トンマーゾ・バレア/右下《芸術監督》ミケランジェロ・ズルレッティ
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[22]左上《マルチェッロ(画家)(Br)》ジュゼッペ・ディステファノ/右上《コッリーネ(哲学者)(BBr)》エウジェニオ・ディ・リエート/左下《指揮)》カルロ・パッレスキ/右下《演出》ジョルジョ・ボンジョヴァンニ
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【小生comment】
 最後の第4幕のclimaxで、Mimi が亡くなる scene はBongiovanniの演出が素晴らしく、Carmela Remigio のMimiをはじめとする出演者の熱演が、我々聴衆を魅了。
 小生、年甲斐もなく、目頭が熱くなって仕舞った。

【後記】Bongiovanniの演出は、地元ItaliaでもBellini「愛の妙薬」や、この「ラ・ボエーム」で絶賛されたとprogram に記されてあった。
 ホント、是迄色々Opera は見て聴いて来たが、今日が一番感動したOperaだった。
 そう感じたのは、Bongiovanniの演出の上手さからだと思う。
 この作品は、story自体は単純なのだが、悲劇性とPucciniの甘美な melody が、演出の上手さで引き立てられている。

 Concert hallを出てふと右手前方を見たら、オアシス21の白い屋根と金色に light up されたテレビ等が大変美しかった。

[23]オアシス21と名古屋テレビ塔
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 ではまた‥。(了)

2016年6月12日 (日)

【時習26回3−7の会 0604】〜「06月05日:豊橋市制110周年記念(豊橋交響楽団)『第九』演奏会を聴いて」「06月09日:愛知県芸術劇場concert hall『辻井伸行&オルフェウス室内管弦楽団演奏会』を聴いて」「06月10日:愛知県芸術劇場concert hall『ヒラリー・ハーン(Hilary Hahn) Violin Recital)』を聴いて」「村田公英著『不老『腸』寿』を読んで‥」

■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です。
 今日も【時習26回3-7の会 0604】号をお送りします。
 今《会報》は、3つの音楽会についてが中心となります。

■今日最初の話題は、丁度一週間前の06月05日 豊橋のアイプラザ豊橋(旧・勤労福祉会館)にて開催された豊橋市制110周年記念(豊橋交響楽団)『第九』演奏会 についてである。
 本concertは、演奏を担当する豊橋交響楽団の金管のsection leader 且つ hornのpart leader として自身も演奏者として出演する時習26回生の同期生 安形S二君【3-1】から、小生が中嶋Y行君【3-2】と一緒に誘われたもの。
 安形君とは、中嶋君共々【1-4】のclassmates で、一緒に内藤先生の音楽の授業を受けた間柄である。
 更に、安形君とは、【2-8】の時もclassmates で音楽の授業も一緒に受けた。
 演奏曲目は、以下の2曲。

[1] Wolfgang Amadeus Mozart(1756-91) / Ave verum corpus
 (アヴェ・ヴェルム・コルプス‥めでたし まことの御体(おんからだ)‥) K.618
[2] Ludwig van Beethoven(1770-1827) / Symphony No.9 in d minor Op.125 "Choral(合唱)"

 本演奏会は、mainの Beethovenの『第九』の前に、ご覧の様にW. A. Mozart作曲 Ave verum corpus が演奏された。
 この曲は、Mozart 歳晩年の合唱曲の傑作。
 因みに私事であるが、小生の結婚披露宴の際、candle service に使った位、大好きな曲である。

[01]本演奏会leaflet
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【小生comment】
 本演奏会は、中嶋君を誘って最前列で聴いた。
 丁度、指揮者とconcert master の間になり、300人を超える合唱団が陣取る為に、眼前1m以内にconcert masterの足の爪先が見える近距離で聴いた。
 指揮者は、豊橋交響楽団のMusic adviser 松元宏康氏。
 若いがとても上手な指揮ぶりだった。
 因みにに、一曲目の Ave verum corpus の指揮者は、松元氏ではなく、当楽団の音楽監督の下谷剛嗣氏が担当。
 下谷氏は、時習27回生で、我々の一年後輩に当たるそうだ。
 又今回、合唱指揮を近藤惠子氏が担当した。
 氏は、岡崎高校Chorus部を全国 top class に育て上げた名合唱指揮者。
 「全国合唱コンクール(concours)全国大会」では、2008年に岡高chorus部を部門一位の『文部科学大臣賞』に導いている実力者。

 指揮台の直ぐ下で聴いていると、奥に陣取った楽器奏者は見えないが、楽器一つひとつの音色が耳元に確り聞こえて来る。
 まるで自分が指揮棒を降っている感じになって気分が良い。
 今回の様に目の前が指揮台だと、その臨場感は更に深まる。
 豊橋交響楽団の演奏会は、安形君の誘いで、此処数年来ずっと聴いているが、回を重ねる毎に着実にlevel up していることが解る。
 更なる、豊響の発展を期待したい。

■続いては、06月09日 愛知県芸術劇場concert hallにて開演された『辻井伸行&オルフェウス室内管弦楽団演奏会』を聴いて来たのでご報告する。
 今回の演奏会は、辻井伸行君のpiano & オルフェウス室内O.に拠る、Beethoven Zyklus であった。

《演奏曲目》
[1] The Creatures of Prometheus.Op.43, Overture
[2] Piano Concerto No.3 in c minor Op.37
Piano Sonata No.14 in c sharp minor Op.27-2
1st movement : Adagio Sostenute
[3] Overture "Coriolsan", Op.62
[4] Symphony No.5 in c minor Op.67
Mendelssohn : String Octette
3rd movement "scherzo"

[02]本演奏会program
 02program

【小生comment】
 本演奏会は、何れも良かったですが、なかでも辻井伸行君の Piano Concero No.3 が矢張り一番素晴らしい演奏だった。
 又、オルフェウス管弦楽団は、指揮者なしで演奏されたが、よく纏まっていた。
 因みに、Beethoven の Symphony No.5 を、指揮者なしで聴いたのは今回が初めてであった。

■続いては、06月10日 愛知県芸術劇場concert hallにて開演された『ヒラリー・ハーン(Hilary Hahn)リサイタル(Recital)』を聴いて来たのでご報告する。
 Hilary Hahn(1979- )の略歴は以下の通り。

《略歴》
 1979年11月27日 米国Virginia州 Lexingtonに生まれ、Maryland州 Baltimore市出身のviolinist。
 03歳11箇月でviolin を習い始める
 1990年 10歳でPhiladelphia(Pennsylvania州)のカーティス音楽院(The Curtis Institute of Music)に入学
 ‥17歳迄、ウジェーヌ・イザイ門下生ヤッシャ・ブロツキーに師事
 1991年 11歳で、Leakin Hall にて初recital/
 同年 Baltimore S.O. と Saint-Saens(1835-1921) / Violin Concerto No.3 にて major orchestraとの初協演
 1991年 カーティス音楽院卒業
 2003年 ネヴィル・マリナー指揮アカデミー室内O.とのStravinskyと Brahms の violin concerto(2001年録音) でGrammy賞受賞

 本 violin recitalの演奏曲は以下の通り。

[1] W. A. Mozart / Sonata for Piano & Violin in G Major K.379
1st movement: Adagio
2nd movement: Andantino cantabile with Variations - Allegretto
[2] J. S. Bach / Violin Sonata No.3 in C Major BWV. 1005
1st movement: Adagio
2nd movement: Fuga
3rd movement: Largo
4th movement: Allegro assai
[3] Anton Garcia Abril(1933- ) / Ⅱ"Immensity", Ⅲ"Love" from 6 Partitas for Solo Violin
  第2曲:「無限の広がり(Immensity)」
  第3曲:「愛(Love)」
[4] Aaron Copland / Sonata for violin & piano
1st movement: Andante senplice - Allegro
2nd movement: Lento
3rd movement: Allegretto Giusto
[5] Tina Davidson(ティナ・デヴィッドソン)(1952-) / Blue Curve of the Earth(地上の青い曲線)
[encour]
第1曲目:佐藤聰明(Somei Sato) / 微風(Bifu)
第2曲目:Mark-Anthony Turnage(マーク-アンソニー・ターネジ) / Hilary's Hoedown(ヒラリーのホ―ダウン)
第3曲目:Max Richter(マックス・リヒター) / Mercy(慰撫)

[03]本演奏会leaflet
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[04]本演奏会program
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【小生comment】
 Hilary Hahn の生演奏を聴いたのは今回が初めてある。
 J. S. Bach の無伴奏violin sonata No.3 は実に圧巻であった。
 この曲を聞いただけでも、今日この concert に来た価値があると思った程の素晴らしい演奏だった。。
 Hilary Hahn の演奏は、Violinの音色が透明で心地良く聞こえ、演奏も確りしていて素晴らしかった。
 後半演奏された、3人の作品はCopland(1900-90)の作品を除いて初めて聴いた。
 なかでも、Spain作曲界の重鎮 Anton Garucia Abrilの 無伴奏violinの為の6つの Parlitas は現代のviolin soloの名曲だった。
 Hilary Hahn がAbrilに「バッハやイザイの様な無伴奏violinの為の作品が現代にもあるべき」と依頼して作曲されたものという。
 因みに、前6曲のには HILARY の名前の頭文字が title になっている。
 第1曲「Heart(心)」
 第2曲「Immemsity(無限の広がり)」
 第3曲「Love(愛)」
 第4曲「Art(芸術)」
 第5曲「(Reflexive(内省)」
 第6曲「You(あなた)」。
 これ等6曲の3曲が今(2016)年04月19日に Washington にて初演され、日本公演では、第2曲と第3曲が演奏された。
 又、最後の曲は、『27の小品 ヒラリー・ハーン・アンコール(In 27 pieces - The Hilary Hahn Encores)』として発表された、26人の現代作曲家と公募作品1曲の計27曲のacoustic violin & piano の為の小品集の中の1曲。
 当該albumは、2014年度の第57回Grammy賞(最優秀室内音楽)

■今日最後の話題は、最近読んだ村田公英著『不老『腸』寿』を読んである。
 著者の村田公英(1940- )氏の略歴は以下の通り。
 1940年 山口県山口市生まれ
 1959年 電子工学系専門学校を卒業後、義報社に入社
 同社研究所にて、乳酸菌生産物質の生みの親である正垣一義氏に師事、乳酸菌の培養技術を学ぶ
 1969年 光英科学研究所を設立/爾来、現在迄「乳酸菌生産物質」の研究を続ける

[05]村田公英著『不老『腸』寿』
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【小生comment】
 本作の骨子を一言で言えば「乳酸菌生産物質」を活用した腸内改善を行えば、100歳まで健康長寿を全う出来る」という話。
 著者は、現在、各種mediaが取り上げている生きた乳酸菌等の「整腸法」等、その殆どが効果ないと指弾している。
 そして、「乳酸菌生産物質」を活用した腸内改善こそが、本当に効果のある「腸内改善法」だと主張する。
 具体的な方法は、氏が開発した「乳酸菌生産物質」を毎日飲み続けることだそうだ。
 しかし、本書を読んだだけでは、実際に大きな効果が出ているかどうか解らない。
 実際に試してみないと解らないが、小生、この本を読んだだけでは実行に移すには躊躇する。
 もう少し「乳酸菌生産物質」について、勉強してから実行するかどうかを判断したい。

【後記】今夏8月の【2637の会】クラス会は、2006年に始めて今年で10周年の11回目を迎えます。
 今年は、3月生まれの人も還暦を迎え、classmatesの全員が六十路を迎えました。
 これ迄の人生を振り返り乍ら、久しぶりに多くのclassmatesが参加して楽しいひとときを過ごしてくれたら嬉しく思います。
 現状、日程等については、以下の5日の中から、最も参加希望の多い日にしようかな、と考えています。

 08月06日(土)
 08月11日(祝木)
 08月13日(土)
 08月14日(日)
 08月20日(土)

 詳しくは、次号《会報》以降でご案内させて頂きます。
 ではまた‥。(了)

2016年6月 4日 (土)

【時習26回3−7の会0603】〜「05月28日:名古屋市美術館『藤田嗣治』展を見て」「05月28日:愛知県芸術劇場concert hall『テミルカーノフ指揮サンクトペテルブルク・フィルハーモニー演奏会』を聴いて」「橘玲(あきら)著『言ってはいけない 残酷すぎる真実』から‥」

■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です。
 今日も【時習26回3-7の会 0603】号をお送りします。

■今日最初の話題は、05月28日 名古屋市美術館『藤田嗣治』展についてである。
 本展開催の趣旨を「ごあいさつ」から引用してご紹介する。

 〔前略〕今回の展覧会は、東と西の間に花開いた藤田嗣治の芸術の全貌を紹介するものです。
 画家没後長らく遺族のもとに保管され、ランス市(The city of Reims)に寄贈された800点の中から選び抜かれた作品を中心に、国内外の主要なcollectionを網羅した本展は、複雑にして多面的な要素を持つ藤田芸術の真髄に触れる絶好の機会となるでしょう。
 未公開作品多数を含む本展が、藤田芸術の新たな解釈と理解につながることを期待しています。〔後略〕

 では、早速珠玉の作品の数々をご覧下さい。

[01]名古屋市美術館入口近くの本展案内看板
 01

[02]本展leaflet
 02leaflet

[03]藤田嗣治『自画像(Self Portrait)』1910年
 03self_portrait1910

[04]同『巴里風景(Paris Street Scene)』1918年
 04paris_street_scene1918

[05]同『五人の裸婦(Five Nudes)』1923年
 05five_nudes1923

[06]同『エレ―ヌ・フランクの肖像(Portrait of Helene franck)』1924年
 06portrait_of_helene_franck1924

[07]同『裸婦(Nude)』1928年
 07nude1928

[08]同『自画像(Self-Portrait)』1929年
 08selfportrait1929

[09]同『北川民次の肖像(Portrait of Tamiji Kitagawa)』1933年
 09portrait_of_tamiji_kitagawa1933

[10]同『レ・ゼジ(Les Eyzies)』1939年
 10les_eyzies1939

[11]同『青いドレスの女(Woman in Blue)』1939年
 11woman_in_blue1939

[12]同『自画像(Self-portrait)』1943年
 12selfportrait1943

[13]同『サイパン島同胞臣節を全うす(Compatriots on Saipan Island Remain Faithful to the End)』1945年
 13compatriots_on_saipan_island_rema

[14]同『ノートル=ダム・ド・ベルヴゼ/ヴィルヌーヴ=レ=ザヴィニョン(Notre-Dame de Belvezet Villeneuve-les-
Avignon)』1951年
 14notredame_de_belvezet_villeneuvel

[15]同『少女の肖像(Victor Berger-Vachon(べルジェ=ヴァション)の息女)』1951年
 15victor_bergervachon1951

[16]同『X夫人の肖像(Portrait of Madame X)』1957年
 16portrait_of_madame_x1957

[17]同『パリ、カスタニャリ通り(Castagnary street, Paris)』1958年
 17castagnary_street_paris1958

[18]同『庭園の子供達(Children in the Garden)』1958年
 18children_in_the_garden1958

[19]同『ノートルダム=ド=パリ、フルール河岸(Quai aux fleurs Notre Dame de Paris)』1963年
 19quai_aux_fleurs_notre_dame_de_par

[20]同『静物(夏の果物)(Still-Life(Summer Fruits))』1963年
 20stilllifesummer_fruits1963

[21]同『聖母子(Virgin with a Child)』1959年
 21virgin_with_a_child1959

【小生comment】
 藤田嗣治(1886-1968)の一生は、正に波乱万丈の81年であった。
 色々な観点から言っても驚嘆の一語であるし、彼の生き様は知れば知る程興味が尽きない。
 以下に藤田の略歴を記すが、Ecole de Parisの著名画家達と親交を結び、生涯で5度(France人3人、日本人2人)の結婚、第二次世界大戦に於ける戦争犯罪人としての嫌疑と祖国日本との決別、France人への帰化とCatholicへの改宗等々。
 彼の60年以上に及ぶ画歴を辿りながら「藤田はどう思い、どの様に行動して来たのか?」と考え乍ら展示作品をジックリと見た。
 彼の画家としての技量は矢張り素晴らしく『天才だ!』、と実感させられた展覧会であった。
 再来年は、藤田の没(1968年)後丁度50年に当たるので、又、素晴らしい企画展が開催されるだろう。
 楽しみである。

《藤田嗣治の略歴》
 1886年 11月27日 東京市牛込区(現・新宿区)新小川町に4人兄弟の末子として生まれる
     父(藤田嗣章)は、森林太郎(=森鴎外)の後任陸軍軍医総監
 1905年 東京美術学校西洋画科入学
 1910年 同校卒業
 1912年 07月 美術学校教師、鴇田登美子と結婚
 1913年 渡仏/Paris、Montparnasseに住む/藤田の隣室がモディリアー二で親交を結ぶ
 1916年 鴇田登美子と離婚
 1917年 03月27日 フェルナンド・バレ(Fernande Barrey)と2度目の結婚
 1919年 サロン・ド―トンヌに油彩2点、水彩4点出品、全て入選/会員に推挙される
 1922年 ベルギー生まれのリシュ―・バドゥ―(1903-68)と出会い、交際を始める
 1924年 フェルナンド・バレと別居し、Montparnasseを離れ、高級住宅街16区でバドゥ―(日本名:ユキ)と暮らし始める
 1925年 France政府からレジオン・ドヌ―ル勲章(シュヴァリエ)、ベルギー政府からレオポルド勲章(シュヴァリエ)を受賞
 1928年 フェルナンド・バレと正式離婚
 1929年 02月04日 ユキと正式結婚/09月23日 ユキを伴い17年振りに日本へ帰国
 1930年 02月14日 Parisに戻る/11月06日 米国New Yorkへ
 1931年 一旦Parisに戻った後、新しい愛人マドレーヌと共に南北米を歴訪
     11月15日Brazil リオデジャネイロ着
 1932年 03月28日 Argentine Buenos Aires着
     Bolivia→Peru→Ecuador→Panama→11月26日 Mexico Mexico City着
 1933年 米国経由で11月17日 マドレーヌを伴い日本に帰国
 1936年 1935年一旦Franceに帰国していたマドレーヌが再来日し、06月29日 急死する
     07月平野政吉の招待に拠り秋田へ旅行
     1935年堀内君代(1911-2009)と出会った藤田は12月一緒に生活を始める
 1937年 秋田・平野政吉邸内にある土蔵に大壁画『秋田の行事』を制作
 1938年 海軍省嘱託となる
 1939年 04月 君代夫人と共に日本を発ち、米国を経て05月08日、Montmartreに住む
 1940年 05月23日 ドイツ軍の侵攻に拠り陥落寸前のParisを脱出、Marseilles発の伏見丸で日本へ
     07月07日神戸港着、翌8日東京着
 1941年 01月13日 父嗣章死去(享年85歳)
     10月15日 帝國芸術院から文化使節として東南アジアに派遣され、仏領インドシナを訪ね12月18日帰国
 1942年 04月05日 日本を発ち、サイゴンを経て、05月01日 藤田、宮本三郎、小磯良平ら6人の画家、Singapore着
 1943年 06月 南太平洋方面に派遣される/07月中旬迄には帰国
     09月01日~16日 東京都美術館に『アッツ島玉砕』を出品
 1945年 04月11~30日 東京都美術館に『サイパン島同胞臣節を全うす』を出品
 1946年 04月 日本美術会が結成され、戦争責任者listが作成され、藤田は最も責任重大な人物として指弾される
     この年、GHQの印刷・出版担当官フランク・シャーマンと出会い、全面的な支援を受ける
 1947年 02月 GHQが戦争犯罪者リストを公表したが、藤田の名前なく、戦争犯罪者としての嫌疑が正式に晴れる
 1949年 03月 単身米国へ/05月に君代夫人とNew Yorkで合流
 1950年 01月27日 New Yorkを出航、02月03日 ル・アーヴル着/02月14日 Paris着
 1951年 01月 画商アンドレ・ロマネと共に北アフリカに旅行し、個展を開催、成功を収める
 1954年 01月28日 ユキと正式離婚する
 1955年 02月28日 君代夫人と共にFrance国籍取得、日本国籍を抹消する
 1957年 France政府よりレジオン・ドヌ―ル勲章(オフィシエ)を受賞
 1959年 10月14日 君代夫人と共にCatholicの洗礼を受ける
     藤田はレオナ―ル、君代はマリー=アンジュ=クレールと改名
     『聖母子』をランス大聖堂に寄贈
 1966年 03月 礼拝堂の工事が始まり、06月01日から藤田に拠るfresco画の制作開始
     08月31日完成/12月08日 膀胱癌との診断を受ける
 1968年 01月29日 Zurichの州立病院にて死去(享年81歳)

■続いては、『藤田嗣治』展を見た後、愛知県芸術劇場concert hallにて17時00分に開演されたYuri Temirkanov 指揮St. Petersburg Philharmonic Orchestra 演奏会についてである。
 サンクトペテルブルク P.O.は、1992年に現在の名称に変更される迄は、旧・レニングラードP.O.として親しまれていた。
 1938年にエフゲニー・ムラヴィンスキーが半世紀近く音楽監督に君臨。
 ムラヴィンスキーは、不朽のTchaikovsky後期交響曲3曲をはじめ、数々の名演奏を聴かせてくれた。
 そして、1988年ムラヴィンスキーが亡くなった後、同楽団の音楽監督に就任したのが、ユーリ・テミルカ―ノフである。
 この日演奏された2曲も、彼とサンクトペテルブルク・フィルにとっては正に十八番。
 本当に期待通りの素晴らしい名演奏であった。
 最初に演奏されたラフマニノフのピアノ協奏曲第三番は、難曲中の難曲として有名。
 この曲は、2015年01月29日に辻井伸行君のピアノ独奏、ヴァシリー・ペトレンコ&ロイヤル・リヴァプール・フィルの演奏で聴いて以来である。
 2015.02.07付【2637の会 0535】 http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/2605350129conce.html 参照
 この難曲を、チョ・ソンジンが素晴らしい演奏で聴衆を魅了した。
 因みに彼は、1994年05月28日生まれというから、この演奏会の当日が22歳の誕生日であった。

[22]本演奏会leaflet
 22leaflet

《演奏曲目》
1. S. Rachmaninov(18-19) / Piano Concerto No.3 in d minor Op.30
  Piano; Seong-Jin Cho(チョ・ソンジン(1994-))
   Schubert / 楽興の時 第3番 Op.94-3
2. N. Rimsky-Korsakov / Symphonic suit "Scheherazade" Op.35
   Sir E. W. Elgar(1857-1934) / Salut d'amour(Love's Greeting(愛の挨拶))

【小生comment】
 テミルカーノフのリムスキー・コルサコフ「シェヘラザード」は、正にアラビアンナイトの世界に誘(いざな)ってくれた。
 正真正銘の名曲であり名演奏で、夢心地の至福の45分間だった。

■今日最後の話題は、最近読んだ橘玲(あきら)(1959-)著『言ってはいけない 残酷すぎる真実』から一部をご紹介する。
〔コラム3〕P.49~53
※ ユダヤ人はなぜ知能が高いのか ※
 著名な科学者の中でユダヤ人が占める割合は、米国と欧州では人口比率から予想されるより10倍も高い。
 過去2世代に於いてユダヤ人は科学関連のNobel賞の4分の1以上を獲得したが、彼等の数は世界人口の600分後にも満たない。
 20世紀のchess championの半数はユダヤ人で、米国に於いては人口の3%未満に過ぎない彼等が企業のCEO(最高経営責任者)の約5分の1、Ivy league(注1)の学生の22%を占めている。
 ―こうした数字を挙げた上で、「ユダヤ人はなぜ知能が高いのか」の謎に迫ったのが、物理学者出身のグレゴリー・コクランと人類学から集団遺伝学に転じたヘンリー・ハーペンディングだ。
 彼等はまず、以下の2つの事実を挙げる。
 ①ギリシア・ローマ時代に於いて、「ユダヤ人の知能が高い」と述べた文献は皆無だった
  (当時、「並外れて賢い」とされていたのはギリシア人だった)
 ②Israelに於けるIQ検査等から解ったのは、極めて知能が高いのはAshkenazim(注2)系のユダヤ人だけだ
  (SephardimやMizrachim等、Ashkenazim以外のユダヤ人の知能は平均と変わらない)
 このことから、問うべきは「Ashkenazim系ユダヤ人だけが何故高い知能を持つようになったのか?」だ〔中略〕
 AshkenazimのIQは平均して112~115くらいで欧州の平均(100)より1標準偏差近く高い。
 平均的な偏差値を50とすると、Ashkenazim系は偏差値60に相当する。
 Ashkenazimは「ドイツの」という意味で、ライン川沿いのユダヤ人communityを発祥とし、その後PolandやRussia等東欧諸国に移り住んで行った。〔中略〕
 Ashkenazim系ユダヤ人には際立った特徴があった。
 欧州に於ける厳しいユダヤ人差別に拠って人口の増加が抑えられていたことと、キリスト教で禁忌とされていた金貸しで生計を立てざるを得なかったことだ。
 こうした条件にユダヤ教独特の多民族との婚姻の禁忌が加わると、数十世代のうちに知能に関する遺伝的な変異が起きてもおかしくはないとコクランとハンペーディングは述べる。
 彼等の仮説は次の様なものだ。〔中略〕

 金融以外に生きていく術(すべ)がないとしたら、数学的な知能(計算能力)に秀でていた方が有利だから、欧州のユダヤ人の富裕層は平均よりほんの少し知能が高かっただろう。
 ユダヤ人は元々多産で〔中略〕、虐殺や追放に拠って人口が抑えられても、知能の高いユダヤ人は追放先で真っ先に経済的に成功し、大家族をつくるのに有利だった筈だ。
 DNA分析では、今日のAshkenazim系ユダヤ人は祖先である中東人の遺伝子を50%近く保有している。
 これは過去2,000年間に於ける混血率が1世代当り1%未満であったことを示しており、此処迄同族婚が極端だと、有利な遺伝的変異は散逸することなく集団内に蓄積される。
 仮に富裕なユダヤ人が平均より1pointだけ知能が高く、平均的な親達拠りも多くの子供を残したとすると、IQの遺伝率を30%と控えめに見積もっても、40世代即ち1,000年後のIQは12point(約1標準偏差)増加する。
 それに対してイスラム圏に住むユダヤ人は〔中略〕金融業に特化することはなかった。
 これが彼等(=イスラム圏に住むユダヤ人)のIQが平均と変わらない理由だ。
 Ashkenazim系の高い知能は、欧州に於ける厳しいユダヤ人差別から生まれたものだ。
 Ashkenazimは〔中略〕遺伝病を持つ率が(他の欧州人の100倍も)高いことが知られている。〔中略〕
 ユダヤ人は、差別的環境への適応として知能を高める変異遺伝子を持つ様『進化』したが、その代償として様々な遺伝病を抱えることになったのではないか、というのがコクランとハンペーディングの仮説だ。

(注1) Ivy League(アイビー・リーグ):イェール(Yale/Connecticut州 New Haven)、ハーヴァード(Harvard/Massachusetts州 Cambridge)、プリンストン(Princeton/New Jersey州 Princeton)、コロンビア(Columbia/New York州 New York)、ダートマス(Dartmouth College/New Hampshire州 Hanover)、コーネル(Cornell/New York州 Ithaca)、ペンシルバニア(Pennsylvania/Pennsylvania州 Philadelphia)、ブラウン(Brown/Rhode Island州 Providence)の8大学
 校舎が蔦(ivy)で覆われている処からその名が付いた
(注2) アシュケナジム(Ashkenazim):ユダヤ系のディアスポラのうちドイツ語圏や東欧諸国などに定住した人々、およびその子孫
 Sephardim(注3)と並ぶユダヤ人の二大勢力
(注3) セファルディム(Sephardim):ディアスポラのユダヤ人の内、主にスペイン・ポルトガル又はイタリア、トルコなどの南欧・中東諸国に15世紀前後に定住した者
(注4) ミズラヒム(Mizrachim):AshkenazimとSephardim社会への反発から始まった言葉で、主に中東・カフカス(=コーカサス)以東に住むユダヤ人

[23]橘玲『言ってはいけない 残酷すぎる真実』
 23

【小生comment】
 欧州のRothschild家に代表される様に、ユダヤ人の大富豪が如何にして高い確率で存在するのかが、橘氏がコクランとハンペーディングの仮説を紹介してくれてよく解った。

【後記】今日は、6月の気分を気持ち良く詠んだ正岡子規の一句をご紹介してお別れします。

【詞書】ほんの二三週間前迄は、新緑だった木々の緑も、最近では日に日に濃さを増していく
 そんな毎日だが、6月に入ってからの此処三四日間は、涼しく清々しい風が吹き、気分を良くしてくれる

 六月を 綺麗な風の 吹くことよ  正岡子規

    1895(明治28)年『寒山落木 巻四』

 ではまた‥。(了)

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